−会議室 7 ★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 発言数 :594 未読 :10− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード >585/594 GCC03437 星也 たとえ話をだしてみます>まことさん ( 7) 92/11/30 23:52 567へのコメント 変なたとえ、と思われるかも知れませんが・・・ 社会構造というモノを河の流れ、個人を流れる水、とでも考えてみてください。 自然な河であれば、水の流れに従って河の流れも変化した、と思います。 河は、いつも同じように流れていた訳ではない、と。 今の河は、堤防が築かれ、川岸はコンクリートで塗り固められ、 水の流れがその河の流れを変えようとしても、逆に抑え込まれてしまう、 そんな印象を受けます。 たしかに、そのように河の流れる形を決めてしまったほうが、 水を使うモノにとっては便利でしょうが・・・・・。 個人と社会構造の同時変革とは、 「XX用水」的個人の意識の変革と、「XX運河」的社会構造からの解放、 という感じです。 (ますます、話がややこしくなってきたような・・・・) 河も水も、人だけのためのモノではないはずなのに、 人のためだけに役に立つように作り替えてきたのが、 現在の時代の「流れ」とでも言うモノかも知れない。 猿の芋洗いの話ですが・・・  芋洗いの習慣が広がりかけたところ、あるボス猿のテリトリーで  「猿は昔から芋など洗わんのだ」というボス猿の指令が徹底しており、  芋洗いする猿は群れから追放の憂き目にあってしまった。 さて、 1。ボスに、洗った芋を賞味させて納得させる。 2。若手猿のクーデター 3。頭の柔らかい新しいボスに変わるまで、時期を待つ。 4。ボスに隠れて芋洗いをし、なし崩しに暗黙の既成事実化する。 5。そんなボスなど見切って、さっさと群れをでる。 どんなもんでしょうね。 PS.植物人間の話については、アメリカで    「カレン裁判」というものがあったように記憶しています。    詳細は、手元にないので・・・ちょっと。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 586/594 QFG02515 SHANA 生命について-6「解題:生命の神話」(長文) ( 7) 92/12/01 00:54 皆さん、こんにちは。 まこと改め、SHANA(シャナ)です。 #555の、 生命について−5「生命の神話」 について、少し解説したいと思います。 ところで、生命についての「5」番目のUPが、ちょうど#555になってました。 偶然で、ちょっと面白いです。 内容が3行ずつ区切られているのは、 途中まで書いた時に、3行ずつになっていたので、 ちょうどよいテンポかな? と思ってそうしました。 全体が12の部分になっているのは、偶然です。 あまりそういう部分を意識すると、自由に書けなくなってしまうと思ったので、 書き終わるまで、我慢して数えなかったのです。 でも、結果的に、12という切れの良い数になりました。 本当は、あまり構造的な文章にすると、頭がクラクラして、 読みにくいかな? とも思うのですが、 そうなっちゃったものは、しょ〜がないです。 さてさて、 あの「生命の神話」の中には、生命についての色々な要素が含まれていますが、 一番書きたかったのは、   「カミ」あるいは「宇宙」は、昔は人間だった。   成長して、ここまでの存在になった。 ということです。 しかし、「人間だった」という事実が本当かどうかを問題にしたいのではありません。 そういう考え方を通して、何を感じるか、ということです。 自然に触れ、空を見上げたときに、何を感じるか、ということです。 実のところ、わたしには、宇宙が本当に人間の進化した姿なのかどうか、 なんてことは、分かりません。 「生命について」の一番最初に、「昔、考えたことがあります。」と書いたように、 この「生命の神話」も、「私は、そう考えたことがある」というだけの話です。 ただ、その考え方を通して、感じるものがあったので、ああいう風に書いたのです。  もちろん、考えたといっても、いろいろ本で読んだことなども参考になっています。  特に、エドアルド・マイヤー著「創世記」はかなり参考にしています。  しかし、この本にも、他のどの本にも、私が読んだ本の中には、  「人間が進化して宇宙になった」ということを直接書いてはありませんでした。  ただ、いろいろ考え合わせると、そうとも読めるということです。  人間は小宇宙だという考え方もありますし、  創造神話の中には、  初めに存在していた原初の巨人が死んで、その身体から世界の全てが生まれ出た、  というものもあります。 繰り返しになりますが、 本当に人間だったのかどうかは問題ではありません。   神は神だから神なのだ。   偉大だから偉大なのだ。   絶対だから絶対なのだ。 というような考え方というのは、分かろうとしない態度であり、 目をそむけ、それを愛そうとしない態度だと思うのです。 しかし、そう考えるのではなく、 不完全な未熟な状態から、努力して成長して、 ついに、「カミ」なり「宇宙」なりにまで、なることができた。 そう考えると、素朴に「偉大だなぁ」と思うことができる。 そして、「カミ」は私にとって、より大きく、より近い存在になる。 (これは、遠近法に似ていますね。) より分かろうとすることは、より愛そうとすることであり、 より近づこうとすることである。 と、言えるのではないでしょうか? そしてそれは、より育もうとすることでもあります。 「カミ」は、全てを愛し、育む存在であると思います。 私は、愛され、育まれています。 愛とは、「合い」です。 愛とは、相互に働き合うものです。 磁石のように引き合って、お互いの距離が近くなっていくのです。 ならば、 カミが私を愛するのなら、私も、カミを愛して初めて、 本当の愛(合い)が成立するのではないでしょうか。 それは、お互いの距離が近づいていくということです。 それは、育むということです。 カミが私を育むとき、私はカミに近づく。  カミは全体である。  ということは、私という存在も含んでいるということです。  私が成長するとき、その分だけ、神も成長している。 私が育まれるということは、カミも育まれるということです。 お互いに育み合い、育まれ合う。 カミと私は、引き合っているからです。  ワケミタマ、という考え方があります。  人の魂は、神の魂から分かれ出たものである、ということです、たぶん。  ということは、元は一つだった、ということです。 二つに分裂したものが、互いに引き合い、再び一つになろうとする。 私にも、母なる宇宙と一つになるときが、来るのだろうか?              ∞△∞ SHANA ∞△∞ PS、生命についての話は続きます。    初めは、「生命について 昔、考えたことがあります」で書き始めたのですが、    だんだん現在進行形になりつつあります。最近どんどん分かってきていること    もあるし、どこまで続くのか自分でも分かりません。    ずっと先のことは分かりませんが、書かないでくれという意見もなさそうだし、    とりあえず、もう少し続けます。 590/594 GDB00064 オリハル 人間 ( 7) 92/12/01 00:56                 私は人間です 確かに、論理的には、「神」=0=∞であり、高次の諸存在は、神によって、支えられ ている諸存在だと思ったりもする。しかし、私達は人間でしかありません。人間とは、 天なる力に基づいて、地上的な諸力を整え、従わせるところに、その本来の姿がありま す。人間に与えられている思考能力、感情能力、行動能力等は、本来、地上的な事柄に 対応して造られており、「みかんを15個買うと、金額はいくらになるのかな?」とい う使い方をするのが(つまり、普通の使い方)本来の姿です。私たちは人間であること を忘れてはいけませんね。天使とかの、高次の諸存在は、人間から見たら、「神と同じ 方向(上)に一緒に存在し、区別が不能だ」という謙虚な、かつ、事実に基づく認識が 大切ですね。なぜなら、私は単なる霊的な存在を見たことすらなく、入り込んだりした こともほとんどないからである。現実問題に直面し、切実に導きを求めているという事 実の中にあっては、具体的な直接の導きを下さる高次の諸存在はどんなにありがたいこ とか。  これ以上は、人間としての分を出ないことですね。でも、人間は、0や∞など理解な ど出来ません。機能的に限界があります。そのように造られています。(質的限界) また、容量的にも、人間は天使存在を理解することなど出来ません。天使の力がそのま ま入ると、地球などはこっぱみじんになるという事です。(量的限界) このように、システム化して想念をまとめることで、自分を安定化させていただいてお ります。実際には何も理解出来ません。 アーリオンの詩のメッセージ13 (「光の黙示録」より) [前略] 人間は私の愛するものである 人間は人間で在り続けよ         はい [後略] オリハル 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 591/594 MHA01114 シュメ−ル Q.Ka.ka さんへ 他 ( 7) 92/12/01 07:48 Q.Ka.ka さん、レスどうも。 なるほど、オリオンですか。私がオリオンのところで受ける印象はくらい絶望です。こ こで私は無力感に襲われた。早くこの時代が終わればいい、というか、早くここのとこ ろを読み終えてしまいたい、という逃げ腰態勢です。もしかすると、私はこの時代から 地球に脱走したのかもしれない。その中でおもしろかったのが、「ブラックリ−グ」。 おお、出てきた出てきた、スタ−ウォ−ズのもとネタだ、とニヤついてしまった。あの 映画に強い印象を受けた人達は多分ここらへんの体験に由来する集合無意識が刺激され たんでしょう。そして、映画の興行的大成功はいかにこの時代の記憶が我々地求人にと って根深く広範囲にわたってるかを示したと思う。NHKの大河ドラマでこのプリズム オブリラが描く銀河系人類の創世記が取り上げられる時代が早くこないかな。恐らく、 導入は、オリオン時代でしょう。ここが一番視聴率をとれそうだ。でもって、リラやベ ガはフラッシュバックでしょうね。ここを最初にやったらだれもみない。この辺の記憶 を持っている人達はオタク族でしょうから。でも、アペックス星とレテクル(レチクル)星人の関係はおもしろい。これはショッキングだった。レテクルが琴座に起源を持って るっていう情報は前からあったけど、どう結び付くのか私は分からなかった。この本で 新鮮だったのは、レテクル星人の地球人への「わるさ」を地球人の奉仕活動と見なして る視点。これ、アメリカじゃ大丈夫なんだろうか。人権はどうなるんだ。これは議論の わかれるところ、というかそこまで我々のマインドが広がるのは先のことですね。隣人 への奉仕が市民権をえ、やっと、地球への奉仕がめをだしてきたところですから。献血 にご協力ください、ってのはわかるけど、生きているうちから献体にご協力くださいっ ていわれるのはやっぱりビビるよなあ。私及び私の親戚縁者は御免被りたいというのが 素直な感想。でも、この本を読む以前よりは彼等への親近感が出てきたのも事実。親戚 づきあいしなきゃいけないかな。人身御供なんていう昔話を思い出してしまった。江戸 時代あたりから神隠しするか、現代から誘拐するか、彼等は次元移動する技術を持って るそうだから、まさに現代人が必要なんでしょう。しかし、キ−ス・プリ−ストさんは どこまで覚悟ができてるんだろうか。ある日ベットの横にレテクル星人が現れて、奉仕 しなきゃいけなくなったとき、心穏やかにしている自信があるんだろうか、別に批判と か非難ではなく、単純に聞いてみたくなる。  いつか、彼等のク−ルな瞳に暖かさがもどったとき、我々は地球とリラが一つのもの であることを悟るのかもしれない。  で、COOLさんレスどうも。(アペックス星なみの「字言」移動だ)  大地のトランジスタの件、ちょっと思うところがあるので近日中にレスしますね。  おっと、Tさん、ボ−ド初登場ですね。よろしくお願いします。ここ世紀末ですねえ。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 594/594 GED02702 石田 直樹 RE:トランジスタ基礎講座 ( 7) 92/12/01 14:51 576へのコメント        落第生・・・。審判の日の・・・。                          $ホ田 直樹 −会議室 8 ★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 発言数 :450 未読 :1− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 450/450 GED02702 石田 直樹 序論 ( 8) 92/12/01 15:20         *** 不浄な心と行いの根源 ***  汚らわしいと感じる物事や考え方というのは、常に善し悪しの比較論に基づい ている。私達が敬意を評する事は、常に「真・善・美」において勝っている。一 度でもその究極の形に触れたならば、それ以前の物も、それ以降に見られるどん な「似たもの」にも心を動かされることがない。つまり、その出来事は魂に打ち 込まれたくさびとなるのです。  真なるものは力の象徴であり、赤色のイメージである。善なるものは愛の象徴 であり、青色を基調とする。美なるものは変化・技術の象徴であり、緑色の温床 である。これら3つの要素が太陽の白色光の表現であり、私達はその子供なので ある。これを「三位一体原理」という。  人間は喜びを目指して苦痛に耐える。何故喜びを得る為に苦痛が必要なのだろ うか。それはジャンプするには反動を得る為に、膝を曲げて足の筋肉に体重をか けることに似ている。筋肉にかかる加重、これが人間の生活の全てである。  ジャンプして一定の高さにまで身体が浮いた、その出来事が美しい一つの変化 である。しかし次の瞬間、再び大地に繋ぎ止められる。彼は一瞬の喜びを思い返 して、「良かった」と自分で納得する。セックスも似たようなものかも知れない。 私は未経験なので「知れない」と言った。  男と女が接近するための努力はジャンプする為にしゃがみこむようなものだ。 そして甘美な結合の間、昇天の状態にある。しかしやがて再び現実に引き戻され る。ジャンプしても大地に再び戻らねばならない。人間は再び戻らずに済む真な る昇天を目指すべきではなかろうか?  「昇天」にはセックスの瞬間にだけ起きる一時的なものと、恒久的な肉体浄化 によって起きるものとがあるのだ。一時的なものには力がない。真なるものと比 較した「汚らわしさ」がある。セックスを汚らわしいと感じる人々というのは、 実は真の昇天の意味を知っているのだ。  私が君達に提示している「昇天」というテーマは、恒久的な真なるものを指し ている。だからセックスに対して軽い気持ちで議論を繰り返し、自己の経験自慢 などをしたがり、軽々しく身体に触れてくる者たちには注意しなさい。彼らは 「ケダモノ」なのである。  現在AIDSという性病が蔓延しつつあり、人々は「死」と「快楽」の選択を 迫られ、たじろいでいる。人間はセックスに対して浅はかであるとケダモノのよ うにしか語らず、行わない。AIDSは人間をケダモノと神とにより分ける為に 放たれた「人類の免疫」なのである。  人類は人類としての誇りを保ち、ケダモノと一線を違えることを、その自浄作 用としてAIDSに委ねたのである。人間は天を目指せ! と私は叫ぶ。天を目 指すには、おもりを背負って海中に潜る海女さんがおもりを捨てれば自然に浮き 上がるように、私達のおもりを捨てさえすれば良いのである。つまり食べ物のこ とである。汚れた食べ物が汚れた心と行いを生む。                               石田 直樹 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > −会議室10 ★MWの深層心理研究室--------------<01> 発言数 :7 未読 :7− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 001/007 HAH00462 MW 開室しました/MW (10) 92/12/01 00:17 みなさん、ようこそ「MW(ムウ)の深層心理研究室」へ!  世紀末に生きる私たちは、大きな変動のまっただなかにいます。そして、 そのなかでややもすると、自分の方向性を見失いがちです。こうしたときに 私たちの目は、神秘的なものや宗教的なものに向かっていきます。また同時 に、私たちの関心は自らの心の深みにも向けられていくのです。  この会議室では、私たちのこうした内省的なまなざしを大切に育んでいき たいと思います。そして、私たちが、〈かりそめの自分〉(自我)への執着 を超えて〈本当の自分〉(自己)と出会うための「わかちあい」(sharing) を重んじたいと思います。議長はそのための援助をする役目を果たすつもり です。答を見つけるのはあなた自身、議長は道先案内人にすぎません。  私は、過去十数年来ユング心理学を学んできました。この経験を生かして、 無意識の問題、コンプレックスや元型(アーキタイプ)、そして、共時性 (シンクロニシティー)の問題に光を当てて行きたいと思います。夢や神秘 体験、また、宗教的な体験についても語れればさいわいです。  また現代は「宗教の個人化」の時代といわれています。かつてならばある 土地、ある時代に生まれれば、だれしも自然とある宗教の信徒となっていま した。ところが現代では、むしろ個人が自らの主体性にしたがって宗教を選 ぶようになってきています。これはいままでの時代にはあまり一般化するこ とのなかった状況です。そうした選択肢のなかで、またあるひとは、科学を 信仰したり、ニューエイジの心理学や宇宙存在を信仰したりしていたりしま す。もこうした状況について考えることも、新たな深層心理学の課題です。  それでは、心の深層への扉はどこにあるのでしょうか? それは私たちが あるものに対して抱くイメージにあります。そして、なかでも夢は、広大な 無意識の世界にいたる重要なメッセージなのです。ですから、かつて「夢殿」 で行なわれていたように夢について語ることにも大きな意義があるでしょう。  求めよ、さらば与えられん。  この言葉をキーワードにして、みなさんとともに心の深層への旅路をナビ ゲートできればさいわいです。              ★深層心理研究室ナビゲーター★MW(ムウ)  PS この会議室に対するご要望やご意見をこの会議室や私宛のメールで     お寄せください。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 002/007 QFH02012 アラミス ONLINEなので簡単ですが、 (10) 92/12/01 08:18 コメント数:1 「MWの深層心理研究室」OPENおめでとうございます。(^^)/ 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 005/007 HAH00462 MW 祝辞ありがとう(^_^)/MW (10) 92/12/01 15:20 002へのコメント アラミスさん、 |「MWの深層心理研究室」OPENおめでとうございます。(^^)/ 「夢殿」で副議長を務められていた経験を生かして、こちらの会議室も よろしくお引き立て下さい(^_^)。 あもりさん、 |新会議室OPENおめでとうございます。 |私も何かとお手伝いしたいと思っております。 まだできたての会議室です。いっしょに育ててやって下さいね。 MISORAさん、 |新会議室オープンおめでとうございます | |心の奥底に潜むものは何か? |無意識の意識とはどんなものか? |...ぜひぜひ私にも教えてくださいませ 心の深層というのはとても興味深いし神秘的なものですよね。フロイトや ユングにかぎらず、大乗仏教の唯識思想などについても語ってゆけたら、 と思っています。おもしろい話題を提供して下さいね。              ★深層心理研究室ナビゲーター★MW(ムウ) 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 003/007 HGB02122 あもり 何故か心理学が好きだった (10) 92/12/01 09:02 新会議室OPENおめでとうございます。 私も何かとお手伝いしたいと思っております。                          あもり 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 004/007 HGB00715 MISORA お祝い(オンラインにて) (10) 92/12/01 10:44  新会議室オープンおめでとうございます  心の奥底に潜むものは何か?  無意識の意識とはどんなものか?  ...ぜひぜひ私にも教えてくださいませ  MISORA 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 006/007 GBG02043 維/YUI MWさんへ。 (10) 92/12/01 16:26 新会議室OPEN、おめでとうごさいま〜〜〜すっ!! 他の会議室同様、繁盛しますようにっ!!!                      *^^* 維/YUI。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 007/007 HCA01717 オ〜ロラ MW先生の会議室 楽しみにしてまーす(*^_ (10) 92/12/01 18:18 ★☆§ 深層心理研究室オープン おめでとうございます。§☆★   つい先日、MW先生の「ユングにおける心と体験世界」を購入しました(*^_^*) まだちょっとしか読んでませんが、とってもとっても面白い著作ですね。  「へー、ユングって、こんなに面白いんだ!」と感じました。   オ〜ロラと言うハンドルは瞑想体験の透明光がオーロラの様に感じたのでFARION  では、このハンドルにしました。←こいつは龍樹です。   FSHISO(16)で講義をお願いしたかったのですが、かえってここの方が一杯お聞き  出来るので嬉しいです。 よろしくお願いします(*^_^*)   この部屋のテーマの一つに挙げていらっしゃる<自我>、<我執>は仏教や瑜伽  や哲学、心理学等々でのメインテーマですからMWさんの十数年のノウハウを少し  でも拝聴したいと思っております。   私は、全ての物事は<心に投影された認識の現れ>と捉え、その認識の背景、構  造とその改革(浄化及び超越)し、教典に示された様々な段階的境地を経験したい  と、自分と遊んでますが、現段階までは教典に示された境地は存在するから、きっ  と最終地点はすごいのだろうと推定的確信を持ちながらも、必ずしも全力でやって  いるとは言えない状態です。 瞑想修行をはじてから7〜8年になります。1日の  瞑想に掛ける時間は1〜3時間で、集中してやっていた時期は20〜23時間掛け  てました(マニアかオタクですねこれは(~_~;))                 私がインドでお世話になっていたチベット仏教カーギュ派の高度な修業でも直接  <空>の体験をさせるマハームドラーと言うのがありますが、これは観念崩しによ  るエゴの崩壊に導く方法で、本当の自分に戻る為の方法の一つです。これも自我の  超越がテーマですし、中観派の「自己の存在」さえ否定する立場での物事の見解を  得るにも、<寂止>と<観照>による自己洞察は必要だと感じていますので、MW  先生の部屋ならきっと得るものがあると、大いに期待しております。   又、唯識の事もMW先生、お詳しかったら時々その辺も織り交ぜた講義もお願い  します。(*^_^*)  >求めよ、さらば与えられん。   この言葉、すごく好きです。   潜在的欲求に結び付く思念や意欲が、心の連続体に与える影響は多大なものがあ  り、普段の生活や性格形成に大きく関わって、感覚的満足を追求する修習が成され  れば成されるほど、その人の最も大切なものが(自覚、無自覚に関わらず)感覚的  な、性的欲求や、味覚の満足だったり様々な感覚的充足を求めるようになり、人生  の時間や労力の大半はそれに費やされています。    自分が無意識(潜在意識)の部分で何に喜びを見いだし、何に価値を見いだして  いるか・・・・それらが「夢」に現れ、自己判断が出来る事から、メッセージとし  ての役割として「夢」は注視しておりましたので「夢と無意識」の講義も楽しみに  していまーす。     楽しみがいっぱいの部屋だ〜  (*^_^*) 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > −会議室11 ★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 発言数 :305 未読 :4− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 302/305 t`卉655 せしも 知識と理解 (11) 92/12/01 01:31 271へのコメント KAZEさん、ども。最近、えらく寒いですね。うちの下宿は暖房がこたつし かないんですけど、こたつの上にパソコンをおくとシールドが弱いせいか、 画面がゆらゆらと揺れてしまって。それで、パソコンは勉強机のところにお いています。寒いです。(^^;)  さて、シュタイナーの認識や学問についてのスタンスについて、 > 要するに、単なる「知識」だけでも「経験」だけでもだめで、 > それらは「生」という「場」において融合し高められてはじめて、 > 深く「理解」され、魂の大いなる糧となるということになるでしょうか。 > つまりは、「知行合一」による「叡智」の獲得ということになりますね(^^)。  ……ということですが、本当にそうですね。この辺の、カッコ付きの単語 の微妙な意味付けを共有しているように思えて、うれしく思います。(^^)  しかしながら、 > 「部分」をみないで「全体」としての、ひとの認識の姿勢についての提言の部分を > 少しずつでもみずからの「行い」と関連づけていくことで、 > 「理解」というのは訪れるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。 > > ま、教育についてでも、カルマについてでもいいですが、 > それらの考え方のなかで、自分の魂に響いたものがあれば、 > それだけでも自分の知と行いとに照らしてみれば > 何らかのプラスにはなるのではないかと確信している  ……っていうのは、確かにそれはそうだろうし、おっしゃることも分かる のですが、私はそれで十分なんだろうか、と思ってしまいます。  かつて、いわゆる「行」は、悪くするとマイナスに働くというコメントが ありましたよね。それは自分が何をやっているのかを知らずにやっているの に、私は「行」をやってるんだ、という自己満足を生みやすいからである、 と解釈しております。  しかし、これは上の場合にも当てはまるのではないでしょうか? 本など から得た知識を自分の知と行いに照らして生きる……。確かに、いわゆる「 行」と違って体を壊してしまう、という可能性が少ない分だけ理想的ではあ ると思いますが、それでも、やっぱり、「私はシュタイナーの教えを実践し ているのだ」、という自己満足を生み易いものであると思います。また、今 まで自分がよいと思っていた行動原理のうち、シュタイナーの言っているこ ととそれなりに合致する場合は「自分の魂と響き合う」から注意も向け易い でしょうけれど、そうでないものについては「よく分からない」ということ で無視してしまいがちですよね。それでは不十分ではないか、と思うのです。  結局、「知識」を「理解」するのにも、それなりにシステマティックな系 が必要なのではないか、と思っています。まあ、その辺のこともたぶんシュ タイナーは考えてくれていると思いますし、注意して見て行きますけどね。(^^)                          せしも 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 303/305 GGA02514 KAZE 愛と自由の根拠こそがカルマ (11) 92/12/01 17:34 292へのコメント TAOさん、コメントをいろいろどうも。 テキストの内容を的確に理解されているようで、とってもうれしく感じています。 >霊的な世界観というのは、長いスパンをもって人類の歴史を観察する視点を >授けてくれるように思えます。 カルマ論を機軸とした神秘学的な人間観・世界観を理解するということは、 自分という存在についてのみならず、民族や世界についても 私たちの視野を飛躍的に向上させてくれますよね。 それらの視点を魂の底でしっかりととらえながら生きていくのとそうでないのとでは、 狭い金魚鉢の中を宇宙全体だとして思いこんでいる魚と 太洋を自在に泳ぎまわっている魚とくらいの違いはあると思います。 まさに、われわれは本来「心」そのものでもありますから、 その「心」がとらえている世界がそのひとの世界として現出してくるわけです。 >アストラル体を変化させる試みというのは、人間が自ずから外的/内面的体験より >“学ぶ”ことだとも言えますね? としたら、アストラル体を変化させるのには >人間の自由意思が大事な役割を担うことになるのですね。 その自由意思というのが、すべてのキーになっているわけです。 この世には「四苦八苦」のように苦しみや悲しみが必然的につきまとっていますが、 そうしたことを克服させていただけるという大いなる自由を享受するべく 私たちはこうして「生」を生きています。 もちろん、そうした苦しみに負けてしまうという自由さえ与えられています。 それは、大いなる「愛」であって、 その「愛」はそのまま「自由」への道でもあるのではないでしょうか。 カルマというテーマは、まさに愛と自由を考えるということにほかならないのです。 >人間が持ちうる4つの基本的な気質についても、説明されていましたが、 >或る一つの生涯での生き方自体が、来世での気質に現れるというのは、 >現在の自分の気質に対して、いかに反省し、いかに働きかけるかという時の >目安になりますね。 この4つの気質については、シュタイナー教育での子どもの教育法というところで よく取り上げられるテーマなのですが、なかなかいいガイドになります。 TAOさんは、「前世ではどうも憂鬱質だったように思えます」ということですが、 僕なんかは、その憂欝質と多血質の折衷くらいでしょうか(^^;)。 僕もTAOさんと同じく、「胆汁質的な生き方」を心がける必要があるようでして、 特に最近になってその方面を要求される仕事が多くなっていますが、 なんとか表面上は少しついていくようになりましたが、やはり大の苦手ですね(^^;)。 >民族的なカルマについても、言及されていましたが、次の世代が道徳的に向上 >するようになるためには、現在の社会を動かしている世代には大きな課題と責任が >求められるのですね。 そうですね、すごく大きな課題と責任があると思います。 こうした視点というのは、神秘学的にみていかないとどうしても理解できません。 「時代精神」をとらえるにしても、神秘学というのは重要な視点を提供してくれます。 ただ、そうした考えというのは、唯物論的にしか考えられない方には、 単なる妄想としか映らないのでしょうね、悲しいことに・・・。 >霊的な世界観というのは、長いスパンをもって人類の歴史を観察する視点を >授けてくれるように思えます。 そうなんですよ、われわれ人間やってる者たちというのは、 これまでも繰り返し生まれ変わりながら歴史をつくってきたその当事者ですし、 これからも生まれ変わって歴史をつくっていく当事者なのだと考えれば、 視点というのは非常にグローバルなものとならざるをえません。 しかも、神秘学というのは、マクロコスモスとミクロコスモスの照応というように、 非常にミクロの視点までも踏み込んで考えていきますから、 「現実」ということを深く考えるためにもとってもいい視点を提供してくれます。 要するに、すべての事象を切り放して考えることなく、 関連させて考えることができる可能性に満ちているということなわけです(^^)。 さて、この「カルマ」については、シュタイナーが最後に残した 連続講義の「カルマ論」というのがあることはご存知だと思いますが、 近いうちに、そのいくつかについて紹介してみたいと思ってますので、 ご期待下さいね、のKAZEでした。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 304/305 GGA02514 KAZE 十字式など (11) 92/12/01 17:35 294へのコメント シゲさん、どうも。 TAOさんやしまうまさんとオフされたそうですね。 僕も、シゲさんにはぜひお会いしてみたいなあ。 僕のシゲさんイメージというのは、 感受性と意志と純粋さを三位一体としたものですので、 おそらく現実のシゲさんもそんなイメージなんだろうなあと確信してます(^^)。 それはともかく、「中医学と気功」についての興味深いお話ありがとうございました。 僕はそんなに気功等に詳しいわけではありませんが、 以前はいろんな文献を読みあさったことがありまして、 基本的にいって、人間の「生命体」、つまりシュタイナーでいうエーテル体を コントロールするための方法論なのだと思っています。 >ある面中国は医療が進んでいると私は思うのです。 >予防医療として中医学。必要に応じて西洋の近代医学と使い分けています。 >使い分けているというより、両方を同じに使っているのです。 これはそのとおりだと思います。 先日来、カルマ論ということがテーマのひとつになっていましたが、 その中でも、アストラル体からエーテル体へ、そしてエーテル体から肉体へという 「作用」についてはさまざまに説明されています。 いわゆる西洋医学というのは、肉体に直接働きかける対処療法であって、 中医学というのは、「予防医療」というように生命体に働きかけることで、 生命体から肉体へのいい影響を引き出していこうというものだと思います。 この両者というのが本格的に噛み合ってくると、 医学というのは飛躍的に進歩するんだろうなという気がします。 これにつけ加えていっておくとすると、 医学にはもうひとつの側面が欠かせないと思います。 それは、「感情」をはじめとしたアストラル体ということにプラスに働きかける医学で これはある意味では精神医学という側面からのアプローチだと思います。 この肉体、エーテル体、アストラル体といった3つの観点を しっかりとみていく医療というのがあれば、いいのになあと思うのですが、 そこまでいくのにどれだけの年月がかかるだろうかと思うと ちょっと途方に暮れてしまいますねえ(^^;)、 この中医学のようにエーテル体に働きかける医療に、「十字式」というのがあって、 これはキリスト教的な立場からのアプローチのようですが、 なかなか効き目も良好なようで、実は親戚に肝硬変に近い状態の方がいたのですが、 数カ月前からそこに通うようになり、今では肝臓がやわらかくなってきたそうです。 もちろん、西洋医学による治療も平行して続けていますので、 そのお医者さんは、なぜ肝臓がやわらかくなってきたのかわからないようです。 もちろん、これも万人に効果があるとはいいきれないでしょうが、 なぜか即物的なイメージのある中医学よりも、効果的なのではないかと思います。 この十字式というのは、背骨の矯正なども手をふれないで行ったりしますので、 もし、まだ試してなければ、一度は行ってみる価値はあるようです。 なによりも、この十字式というのは、マイナス面というのがあまりないようなのが 僕も好感をもっている理由の一つでもあります。 もし、興味があれば、解説書などもでてますので、ご紹介させてもらいますが、 どうでしょうか、のKAZEでした。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 305/305 GGA02514 KAZE 実はKAZEは教育の落ちこぼれ(^^;) (11) 92/12/01 18:19 296へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 >この頃の親御さんを見ていると、子供をペットかなにかと勘違いしている >・・・と思える人が多くてびっくりします。 ほんとですねえ。 子どもをペットにする方も急増しているみたいですが、 子どもをダンナの克服材料にしたりする方も かなりの数に上るのではないかと思います。 「お父さんのようにだけはなってはいけません」とばかりに 早期教育に走るお母さん方の狂気というのは、不気味なものがあります(^^;)。 最近では、もっとエスカレートしていて、自分の子供に対して、 愛情を全然感じられなくて、ほとんど子供に愛情を与えられない方というのも けっこうふえているようで、そんなお母さんに育てられた子供って どうなってしまうんだろうと、背筋に寒いものが走ったりします。 >自分でも、小学校時代に好きだった先生を回想して見たとき一番印象的なのは >その人の立ち姿で、授業の内容などでは決してありません。 僕は物心ついたときからの教育不信が染み着いていまして、 学校の先生で「好き」だといえる方に出会ったためしがありません。 そんな不幸な私ですが、これには多分に僕の方のナーバスなところが 深く影響していたようで、先生方にも申し訳ないことをしてたのかもしれません(^^;)。 そういった反省も込めて、シュタイナーをはじめとする教育ということの 本来の意味について考えられるようになったのかもしれません。 ちなみに、僕が教育について考えるときのガイドは、ほとんど自分で、 小さいときに体験した自分の心のありようを深く思い出しながら、 いろんなことを感じたり、考えたりしています。 考えてみれば、人間は一度は(前世でなくて)思い出せる子供時代があるわけで、 一生懸命思い出せば、2歳位からのことはかなり鮮明に思い出せますから、 そういう意味では、自分を見るということでたいていの教育の考え方は そこから導き出すことができると思います。 >このあたりはまさに子どもによって自分が教育されているという感覚ですね。 先生だって親だって、子供というのは最大の教師だと思います。 この考え方を広げていけば、世の中の人、人だけなじゃなく森羅万象は 最大の教師であって、そこから学ぶことは無限にあるのだと思います。 まさに、そういう意味でも私たちはいかされているのだといえます。 >シュタイナーの子供のための祈りを聞いていて思ったのですが、子どもとい >うのはこちらの気持ちをテレパシーのように察知できるのかもしれませんね。 >たとえば、紹介してもらった祈りを赤ちゃんに聞かせても言葉としては通じ >ませんが、その思いはきっと届いているのだろうと思います。さっき書いた >叱るときに叩くという行為もそこに愛情がなければ、とんでもない事になり >ますね。間違っても怒りの感情は入れてはいけないなあと改めて思いました。 ちょっと具体的には思い出せないのですが、 シュタイナーも、子供は小さくてもこちらのいうことは魂の底で理解しているから、 子供には心をこめて語りかけなければならないということを言ってたようです。 「叱るときに叩く」というのも、「愛情」さえあればいいのだと思います。 よく見かける風景ですが、お母さんが、愛情というよりも まさに「イライラ」をぶつけるように子供を叩いていることがあります。 気持ちはわからないではないけど、あれは見ていても悲しいものがありますね。 >こういう世の中でそんな心を持っておられるというのはちょっとした奇跡に >さえ思えます。 僕もそう思います。 僕も彼女のようなタイプというのはあまり見たことがありません。 でも、彼女は非常に感情が豊かで、その起伏は激しいので、 パートナーも、「やれやれ」という感じのときもあったりしますが、 その純粋さには、心をうつものがあって、参ってしまいます。 しかも、彼女は大学だってすごいところをでてたりする秀才なんですよ(^^;)。 >教育に関して僕がもっている認識というのは、子どもを持ってわかった事が >ほとんどです。そうしてみると子どもは自分にとって、今までわからなかっ >た事をしらしめてくれる良い教師なのかもしれんなあと思いながら、娘達の >顔を眺めるのでした。 いいですねえ、いつも隆ちゃんの娘さんたちへ注ぐ愛情を思うと、 世の中まだまだ捨てたもんじゃない、と暖かい気持ちになります。 でも、隆ちゃんと奥さん、そして子供さんと、とってもいい関係ですね。 おそらく、今回生まれてきたのも、みなさんで「いっしょに出ようね」っていって でてきたのでしょうね、その光景が目に見えるようで、(^^)(^^)(^^)です。 教育というのは、ほんとうに奥が深い人間学なんだなあと思うKAZEでした。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > −会議室12 ★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 発言数 :424 未読 :3− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 422/424 GHF02266 カンチャン 魔法の力 (12) 92/11/30 23:55 みなさん、お久しぶりです。カンチャンです。 ○RE:419  Dr.Rayさん、こんにちは。私も#419の誰にでもある超能力(?)の在り方に ついて同じ様な考えを持っています。   ”言葉と行為によって心を動かす” これが我々に与えられた素晴らしい力と言えますね! 強烈な思いに後押しさ れた言葉は、現実を変える力があります。これって”高等魔術”ですよね! 言霊の力とも言えます。これは神秘主義でも何でもなく、人間の力です。  我々の成長って一体なんだろうか? 知識を蓄えることでも単に経験だけを 重ねることでもないはずです。私は自分とは違う人間に触れ、それまで表現で きなかった自分自身を出せるようになること、その自分が他人を変えていくこ と、その繰り返しだと思っています。  その過程で発揮するのが、言葉の力です。  世の中には喋ったもん勝ちってところもありますが、ただ喋ればいいっても のでないのも事実。顰蹙を買いますからね……  話し上手は聞き上手、他人を喜ばせるエンタティナー。難しいですね。  ”笑い”というものを考えると残酷な一面もありますよね。TV見てるとよ く分かる。神秘主義を学んだ者、それを前面に押し出すと説教臭くなるので、 それを隠し味にしたエンタティナーを目指すべきです。(Dr.Rayさん、ギャグ 頑張ってください!)                        GHF02266  カンチャン −会議室13 ★HVHYの預言解読部屋------------<02> 発言数 :189 未読 :2− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 188/189 GCG01101 アマデウス 夢の話 (13) 92/11/30 23:27 皆さん こんばんは。 ARIONが「新しい試み」を始めた10月下旬以来、身辺がめまぐるしく動き、 ずっとROMはして来ましたが、あっと言う間に時間が過ぎて行きました。 この会議室ではここの所、夢の話が続いていますが、昨夜私もちょっと変わった 夢を見たので、久々に書き込もうという気になりました。 夢の話の前に、マクラが有るのです。 昨日の夕方5時頃、何の気なしに空を見上げて、夕焼けの美しさに我を忘れて しまいました。雲一つない夕焼け空、上のほうに三日月、その下に一番星。 西の空から天頂に向けて、オレンジからブルーへのグラデーション。 普通といえば普通なのですが、このときの夕焼けは、何か圧倒的な力でもって、 私の心を捉えました。 夕焼けの色が少しづつ、しかし確実に変わっていくのを見ながら、地球の自転を感じ、 「あぁ、地球も生きているんだ」と思わずにはいられませんでした。 しばらく身動きもせず見とれていたのですが、そのうち、オレンジ色の空の一部に 何かシワがよっているような、モヤモヤしたものが見えたような気がしました。 私の頭の中に、とっさにARION会議室でのHALさんの「夕焼け空のARIONの サイン」の話が浮かび、「もしかしたら、これは...」と思ったのですが、 ARIONとの接触を求める俗物的な欲求を自分の中に見い出したような気がして、 すぐにその考えを否定しました。 それから尚も見続けていると、今度はオレンジ色とブルーの境目ぐらいの所の かなり広い範囲に、無数の白くてごく細い線が、ちょうど雨のような感じで降り注いで いるように見えたのです。 これらは実際のところ、目の疲れによる視野のチラツキだと思うのですが、この些細な 出来事によって、「空」と「空に現れる何らかのサイン」というキーワードが、私の 頭に出来上がったのだと思います。 と、ここまでがマクラで、やっと本題に入ります。    私は、妻と二人でどこかひなびた旅館の一室で寝ていました。    旅館と言うよりは昔の小学校の木造校舎風の建物でした。    部屋は広く、大きな窓があり、寝ながら夜空を見上げることが出来ました。    空気が澄んでいるらしく、満天の星空です。(この辺りは白黒画像です)    私の視野のちょうど真正面に、オリオン座が大きく見えました。    夕焼けを見るのと同じような感じでしばらく見とれているうちに、    オリオンの中央の3ツ星付近に、星雲のような渦巻きが起こりました。    その渦巻きは見る見るうちに大きくなり、ついには空一面の何かのマークに    変わりました。それは、大きな円に三角形を組み合わせたような形で(詳細は    忘れました)、ステンドグラスのように幾つかの区画に分かれ、それぞれの区画    は赤やら黄色やら緑やらの色が付いていました。このマークの部分だけが    極彩色なのです。    満天の星空をバックに浮かぶ、極彩色の巨大図形。何とシュールな風景。    ところが、それを見ても特に驚きはありませんでした。恐れとか、親近感とかも    感じず、ただ「あるべきものがそこにある」という気持ちで、その図形を    見つめていました..... この後にも何やら脈絡のない夢も幾つか見ましたが、この空中巨大マークのシーンが、 特に脳裏に強く残っています。 だから何なんだと言われると返答に困るのですが、オリオンが出てきたこと、夕焼け 鑑賞とリンクする所が有ること等から、何か意味があるものなのかも知れない...  と思ったのでした。                     By ほとんど雑談モードの アマデウス 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 189/189 GEB00123 しょうる ヘキサグラム (13) 92/12/01 00:00   みなさん、今日のワンダーゾーンを見ました?   「神秘図形について」をやっていたのですが、   その中での一幕。   おなかのへその所と、背中の腰の所に自分で描いた   ヘキサグラム(六ぼう星)を貼ります。   そして、重いバーベルを持ち上げます。   すると、必ずヘキサグラムを貼った時の方が軽がると持ち上がるんです。   「おーっ」という感じでした。   これはと思い、TVを見終わってから試してみました。   で、洗濯機を持ち上げてみました。   う、やはり重いな。   その後ヘキサグラムを自分で描いてみた後、へその部分に貼ってみたら   それだけで、気持ちいいという感触がきます。   そして背中にも貼ります。   うーん、とにかく気持ちいい。   よし、それではと洗濯機を持ち上げてみました。      あれ、という感じで持ち上がります。   で、貼っているのをはずしてもう一回。   「あれ、やっぱり重いや」    確かに違います。   何回か、貼ったり付けたりして確かめましたが、やはり全然違います。   貼っている時は、かなり元気になる感じがあります。   「不思議だー。」   うーむ。本当に不思議です。      それではと、へそだけ、腰だけとためしてみましたが、   やはり両方つけた時のほうが上です。   ならば、と今度はペンタグラム(五ぼう星)を描いて同様に貼ってみました。   今度は、気持ちいいのは変わりませんがとても穏やかな感じです。   「あー、違うな」というのがわかるほどです。   それで、もう一度洗濯機へ。   「うー、重い」。   これは、ヘキサグラムとは違う作用ですね。   何となく、治療につかえるかもと感じるものでした。   で、何度かやっていてヘキサグラムを貼ってもう一度やってみました。   何度もやったものですから、紙がくしゃくしゃになっており、   洗濯機も最初の時より重く感じました。   「うーむ。形の正常性も作用するのかな。」   と、以上です。   知識では、ペンタグラム・ヘキサグラムとも知っていて、   何のシンボルであるかは知っていましたが、   こんな使い方もあるとは、私もびっくりしてしまいました。   これは引っ越し等に、役立つかもしれませんね。   でも、疲れはありますよ。もちろん。   以上、実験レポートでした。                     しょうる 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > −会議室14 ・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 発言数 :546 未読 :4− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 543/546 MHD01030 るーん 師走 (14) 92/12/01 10:52  アイツの腕のなかのワタシまで一気に時計をまわしてよ  いまはセンセイも走る十二月。 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 544/546 GBG02043 維/YUI IMPOSSIBLE (14) 92/12/01 16:33 IF I COULD SAY THE WORDS AS I REALLY FEEL. 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 546/546 MHD01030 るーん 壁のうた (^^;) (14) 92/12/01 19:22   「うつしてもかまわないわよ風邪ひきに馴染んで溶けるハートを処方す」    「戻りたい十年前に」とこぼす君 ひとみは明日を夢みているよ 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > −会議室20 ■バトルのお部屋--------------------臨時 発言数 :316 未読 :3− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) ペアレントモード > 314/316 JBB02514 まだ決めてへん あほらしいやんか (20) 92/12/01 00:09 コメント数:1 あほらしいやんか。 あんまりにも、あほらしくて、拍子が抜けてしもうたわ。 みれはんの、書きはっておった本の内容とは、えらい違いや。 みれはんの、本は嘘八百で固めてあったんけ。 わては、それにすっかり騙されてしもうたちゅうわけか。 ARIONは宇宙霊は宇宙霊でも、悪霊の口やったんやね。 そやから見てくれと、中身が全然違うていたんか。 これで、また一つ賢くなったわ。 これから先、わては人様に会うたんびに、みれはんが書きなさった 本の宣伝をしてあげるわ。  あの本は、霊視商法と同じたぐいのもんや。  見てくれは素晴しいが、中身は別もんやで。  わては、それを実際に体験したんや。  わては、生き証人なんやで。  そやからあんたらは、わての二の舞を踏まんように、  みれはんには、近寄らん事が懸命や。  そうやないと、あんたが気付いた時は、地獄の真ん中にいる事になるわ。  わてやからこそ、地獄の入口で気付く事が出来たんや。  恐ろしや〜〜、恐ろしや〜〜〜。  てな。