635/645 HGB02764 EARTH WORK プログレな人間になりたい ( 2) 92/12/04 00:28 プログレッシブロックについて,553のEddie さんが書いてあることを読みながら ,こんなことを考えていました。 progressive(前進的な,斬新的な,進歩的な)  <「プログレ」と四文字で語られるとき、様式としてのプログレッシブ  <ロッ クが存在していないだろうかと。  <様式になったとたんにプログレッシブ(進歩的)であると言えないのでは  <な いか。  <実際には「様式プログレ」を微妙に逃げながら、かつ「様式プログレ」  <を 周到しているのが、現状ではなかろうか。そこからみるとプログレ  <ッシブロッ クと言うのは悲しいネーミングではある。 プログレというジャンルの音楽をしていながら,様式プログレというジャンルにはま ってしまった。悲しいですよね。最初はいくつかの音楽ジャンルを乗り越えてクラシ ックやジャズや実験音楽,現代音楽,パフォーマンスとクロスオーバーして生まれて きた音楽であったはずなのに,いつしか,そこで作りだした,プログレッシブという 言葉のなかにはないはずの様式とか形式にあぐらをかき続ける音楽に変質をしてしま ったわけですから。この手のものには,イタリア系統のロックとか,アメリカンプロ グレといったものに多いような気がします。(PFM,カンサス,スティックスとか)。 じゃあ,それでも好きなプログレってなんだろうと思うわけですよ。 大学生の時に一時期音楽の趣味がグチャグチャに見えた時期があったんですが,その ころは,キングクリムゾン,ピーターガブリエル,ケイトブッシュとか,キースジャ レットとかジャンルもめちゃくちゃ。どこに系統だった流れがあるのかと思っている と,ある時,それぞれのアーティストがなにかしら精神世界に関わっていたことがだ んだんと分かってきたのです。 キースジャレットはグルジェフィアンで,グルジェフのピアノ曲集のレコード(今じ ゃCDか)を出していたり,ロバートフィリップも同じ,特にディシプリン以降は,茂 呂にワークとしての音楽活動を行なっているわけだし,ケイトブッシュもグルジェフ ワークをやっていたり,ピーターガブリエルはジェネシス脱退以後,EST というセル フアウェアネスコースを受けていたりして,それぞれが自己を探求する手段として芸 術活動と精神世界との関わりを深めていることが共通点だったことに気がつくと,一 本の線に結ばれてきた。これが僕の好きな部分だったんだなとその時気がついた。 プログレッシブという言葉は,多分人間にも当て嵌まる言葉なんだろうと思う。形式 的なプログレッシブマンになってしまうこと。自己の探求や,真実を求めたワークと いう手段にしがみつき始めたときに,プログレッシブではなくなってしまうことにな るんだろう。 家庭とか,社会との関わり,仕事,宇宙との関わり,すべてにあらゆる瞬間そこから 一歩踏み出そうという意志があってプログレッシブな人間である問いえるのだと思う 。 ふつふつと,最近の生活に対して反省の念が沸き上がる今日このごろなのだった…… 。 いつまでもプログレでいてやるぞ,という決意を表明して今日はここまで。                             earth work 146/147 GGB03531 COOL RE:しょおとすとおりい ( 6) 92/12/02 22:09 145へのコメント コメント数:1  AMANOさん、FARIONへようこそおいで下さいました!  私は先日、「偽予言者」の夢を見たのですが  その時AMANOさんの名前?が出てきたかも知れません。  ひょっとして、AMANOさんは『アマ族』?  −前略−  海では男たちが食料が足りないのを補うため漁をしている。  しかし、網にかかって捕れたのは魚が一匹。  そうこうしているうちに海獣に襲われ、船で逃げ出す。  甲板では海獣をやっつけるために  数台の“回転式磁気発生機械”を使用している。  一台の機械の上には名前が書いてあった。  「アマノ」と。  −以下略−  (※註 会社の取引先にアマノという会社があるので   その影響があるかも知れない。) 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 147/147 HGG01312 天野 智明 あとがき ( 6) 92/12/03 06:00 146へのコメント   読者のみなさん,はじめまして.もの書きの天野です.   もの書きといっても,全くのアマチュアでして,商業誌に投稿さえまだしたこと  がありません.夢は,一生の間に一冊の本を書きたいという小さな物です.このス  ペースは,自由に書き込める場所と伺っておりますので,いい作品ができあがった  ら,また,書き込みたいと思います.感想をおっしゃっていただければ幸いです.   ところで,ペンネームの天野智明ですが,「天」の「智」が明らかになるという  まことにもって,大それた意味から付けてしまいました.もの書きは,本当のとこ  ろ,虚構の世界にいざなうのが役目です.だまされたことが分かっても,どうかお  怒りになりませぬよう,そして,天野の虚構を見破られた方は,そのままだまされ  ているふりをし続けていてくださいますようお願いいたします.   最初からお願いばかりで申し訳ありませんが,今後ともどうぞ宜しくお願いいた  します.                    TIAKI AMANO 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室 7 ★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 発言数 :610 未読 :15− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 596/610 GGB03531 COOL RE:十字文明が始まるよ ( 7) 92/12/02 01:16 595へのコメント       「チキータバナナ」  バナナといえば日本ではしばらく前までは  “台湾”から輸入されたものがかなりの割合を占めていた。  ところが最近では“フィリピン”産の物がその殆どを占めている。  確か「チキータ」といえばフィリピン産バナナの  商標名だったと記憶している。  (違ってたかな。エクアドル辺りの南米産の方だったかな…。)  輸入者は日本のS商事で、  フィリピンでは現地の旧スペイン系のA財閥と組んで  M島でプランテーション栽培をしていたはず。  日本のバナナ市場を台湾産のものから  フィリピン産のものに切り替える事が出来たということで  成功したケースとして有名である。  以前はメロンと並んで高級果物だったバナナであるが  最近は安く誰でも気軽に?食べれるようになったのも  フィリピン産バナナに負うところが大きいのであろうか。  (ただし、現地で収穫後の農薬処理の問題はある。)  ちなみに私はバナナが大好きで  平均すると一日に一本以上は食べている。  「Chiquita」=女の子の名前         (スペイン語では“小さい”の意)  追記 間違っている点等有りましたら訂正お願い致します。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >597/610 MHE03653 T COOLさん、シュメールさんへ ( 7) 92/12/02 18:14 TO COOLさん そう言って頂けると、話しやすくなります。 こちらこそ、よろしくお願いします。 シュメールさんと同様に、知才の溢れる方のようですから、 このピーマン野郎(私)の初級的な質問も許して頂けるものと存じます。 『ツチ』感覚は、どうか知れませんが、 『そりゃ〜ほんとなんやろか?』という程度の泥臭さは失っちゃ〜いないつもりです。 HALさんが友人と思うかどうかは別として、 HALさんの旧友の知り合いではあります。 帰着する集合意識体は別の様です。 未来に対するアポイントメントはあると思ってます。 (易しく言うと、生き残ってたら、また合いましょうか、と言う程度のものです。) TO シュメールさん どうぞ宜しくお願いします。 本は読んでないのですが、最後のくだりは、イイデスネ〜。 地球と言う物がリラと物質的に同じかどうかは別として、 状態としての地球の方向は、リラと言っても良いのではないでしょうか。 そういったアグリーメントは、一部ではあるんだと思います。 その意味での過大解釈をすれば、世紀末=リラとは、言えると思いますね。 (こんなかってな、解釈していいんかい、と自己反省) 誠惇さんの言ってた、導体と絶縁体の話も、電気を流すには、導体だけではなく 絶縁体も必要な訳で、両方有って始めて、この世界を存在たらしめるものもあるんで はないかと思いますね。 そういった存在というのは、意外と、 TOSHIさんの言ってた、エントロピーの増大 係数の一定の帯域にはまってんでないかい、と思えますね。 だから、エネルギーたべちゃう、てなとことこでしょうか。 なんか、取り留めのない話になってしもうた。(いかんいかん) 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 598/610 GGB03531 COOL RE:期日 ( 7) 92/12/02 23:08 581へのコメント       −葦獄山のピラミッド−  先日、所用で広島まで出かけたついでに  人工のピラミッドとして噂の有る葦獄山にでも行ってみようかと思いつき  旅行ガイドをめくって見たところ、面白いことが書いてあった。  エジプトのピラミッドを守っているスフィンクスは  遠く東の空を見つめ、救世主が現れるのを待っており、  そしてそのスフィンクスの視線をずっと東に延ばしていくと  葦獄山に行き当たるというのである。  同緯度ということで見てみると  緯線は南九州の、さらに南を通過しているが  地球は丸いことを考え合わせてみると  確かにカイロの東は葦獄山なのかも知れない。  午後1時半には用事を済ませた私は、  葦獄山に向かうため、窓口で庄原行きの列車の到着時刻を尋ねたところ  「夕方の6時30頃の到着になる。」とのことであった。  私は残念ながら今回のピラミッド行きは中止にして  岡山へと帰ることにした。  スフィンクスは今でも、東の空を見つめているのであろうか。  ピラッミッドから盗まれた礎石を取り戻してくれる救世主を待って…。 600/610 QFG02515 SHANA まず、私から変わりたい ( 7) 92/12/03 10:32 572へのコメント たまごさん、こんにちは。 : この論争を回避するには,両方から変革するという単純なことに合意すればいい :のです. でも、やっぱり、私には、「社会からの変革」の有効性が見えてこないので、 簡単には合意できないです。 分からないものは分からないし、納得できないものは納得できない。 そりゃあ、その人がどうしても社会変革をするというのなら、「それを強制的にでも やめさせなければならない!」とは言えないけど、違うと思うなら、「違うと思う!」 って、言ってもいいでしょ? どちらも、方法は違っても、目標はたぶん同じなんだから、論争をして、 考えてみるのも良いと思います。 「個人が変わっていく」ということがメインで、 その補助として、社会も変える、というのなら分かります。 それは基本的に、変わろうとしている人や、既に変わった人のためのものです。 それは、そういう人たちの可能性を尊重し、延ばすためのものだからです。 もちろん、その「社会を変える人」は、一足早く変わっている必要があります。 でも、もし、変わろうとしている人や、変わった人がいなかったら、 社会を変えようとしても、むなしいだけだし、意味もないと思います。  鳥かなにか忘れましたが、  卵からヒナがかえるときに、親鳥が卵を割ってヒナがかえるのを助ける、  という話を聞いたことがあります。  それは、ヒナが卵の中から殻を突き破るのと、同時に起こるそうです。  でも、もし、ヒナが自分から殻を突き破るのを待たずに、  そのまえに先に、外から割ってしまうと、  ヒナは死んでしまうそうです。 それと同じようなことが、この問題にもあるかも知れません。 外からヘタに変革しようとすると、かえって逆効果になることも、 あるかもしれません。 失敗は成功の母といいますが、失敗するより成功した方が、やっぱり良いと思います。 : 個人からの改革は,根気と時間がかかると思います.(ただの直感ですが) : 短いスパンで考えるのではなく,10年とか,100年とか,あるいは, :1000年の単位で考えても,よいのではないですか. ひょっとしたら、もうずっと昔から、少しずつ準備されてきたのかもしれません。 はたして、人類に対する、親鳥の一撃はいつなのでしょうか。 それもこれも、たぶん私達しだいでしょうね。 私は、まず私から変わりたいと思っています。                      By  まこと 改め SHANA 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 601/610 QFG02515 SHANA 古い遊び、新しい遊び ( 7) 92/12/03 10:33 585へのコメント 星也さん、こんにちは。 :今の河は、堤防が築かれ、川岸はコンクリートで塗り固められ、 :水の流れがその河の流れを変えようとしても、逆に抑え込まれてしまう、 :そんな印象を受けます。 確かに、そういう部分もあるかもしれません。 でも、そういう物理的なものと違って、社会というものは、 基本的には無形のものです。 たとえば国境なども、ただそれがある「つもり」で、いろいろやっているだけで、 物理的には、せいぜい海や山があるだけです。 そういう国境や社会というものは、たぶん、 「ごっこ遊び」とか「ロール・プレイング・ゲーム」のようなものの延長線上に あるようなもので、みんながその「つもり」でいるというだけ、基本的には。 でも、それに無理矢理従わせようとして、 「言うこと聞かない奴は死ね」というようなことを、ずっと権力はやってきた。 だから、「いちぬけた、にいぬけた」というのは、 ものすごく難しい。でも、不可能というわけではない。難しいけど。 独りでやるのは、本当に大変だけど。 「言うこと聞かない奴は死ね」という世界に逆らうのは、命がけになってしまうかも しれない。 (もちろん、「言うこと聞かない奴は死ね」というのは単純に言えば、ということで、 本当はみんなでお互いに有形無形のプレッシャーを掛け合い、掛けられ合っている。) まず、個人個人が、別の方向を見なければならないと思います。 そうしたら、それに合わせて少しずつ社会も変わっていけば良いと思います。 新しい部分が現われてくるにつれ、古くなったモノは、自然にその勢力を弱めていく かもしれません。 その新しい部分が全体に広がっていくとき、古い部分に棲んでいる者は、「終わって しまう」と思うかもしれません。しかしそれは、本当は、みんなが新しい遊びを始め た時に、自分ひとりだけ、「もっとずっと古い遊びをやっていたい」とダダをこねる ようなもの。やっぱり一人では何もできないのだから、新しいものが広がって定着し ていけば、そのうち心変わりもするでしょう。 結局、同じようなことを言っているかもしれません。 ただ、そういう古い世界の人たちを、強制的に新しい世界に従わせようとするのは、 結局、また古い世界を繰り返してしまうことになるような気がします。 「社会の変革」ということをやろうとすると、下手をすれば、そういうことになりか ねないと思うのです。 だから、私は、一人一人が変わるということを、まずメインにした方が良いと思いま す。                      By  まこと 改め SHANA 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 602/610 GGB03531 COOL RE:期日 ( 7) 92/12/03 22:12 581へのコメント コメント数:1  こんにちは、なえさん!  期限付きで神霊を脅すのは感心できませんねえ…。  でもそれは、なえさんが真剣だからと思います。  今日の夕方、なえさんからSEND攻撃?を受けた時  私は丁度MES(9)の#020の伴さんの書き込みを  DOWNしてたところだったのです。  具体的には…。  》》》宗教の話しを聞くと、素敵なことしか記憶してなくて、  》》》こんなことになるんだろうけど、  》》》好きやな〜  》》》続き(改行で表示 S:次の発言)  》》》>−HFD01514 のユーザーからのメッセージです−  》》》なえ)XXXX!(・o・)/(一部伏せ字)  》》》何か私の中にはず〜っと昔から堅い信仰があるんです。  》》》特定の宗教団体にはまったことはないんですけど・・・  こんなタイミングでした。  今一度、伴さんの書き込みを読み直されては如何ですか。  神霊からの解答ではないかも知れませんが…、(^^;)  何かの参考になれば。  『顔』です。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 603/610 NBB01420 SUKE RE:期日 ( 7) 92/12/04 01:31 581へのコメント コメント数:1   なえさん、緊迫した雰囲気が感じられました。   私は新参者であり、ARIONから書面にてコメントもらったことがありませ   ん。   それは、まだ私の心の内側に、彼(?)を試そうというような気持ちがカケラ   でもあるということなのかもしれません。   でも、ARIONに関わるようになって、ここにUPするようになって、ふと   「これが回答なのではないか?」と思える経験が幾度かありました。   たとえARIONが私に何の働きかけもしていなかったとしても、結局私は回   答を得ているようです。   なえさんの、具体的状況は知らないので、しったかぶりのUPはできませんが、   多くの人があなたのUPを読んで、何かを感じ、その意識の流れがあなたの心   の奥深くに、再び何かを生み出すことを、感じ取って欲しいと思います。   気をしっかり持ってくださいね。                            Suke. 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 604/610 MHD02502 ARION RE:期日 ( 7) 92/12/04 02:51 581へのコメント コメント数:1  なえよ  あなたは、どうしたというのだろう?  あなたを取り巻いているものは、ベールではない。  あなたを取り巻いているのは、恐怖だ。  あなたが為すことで起きるであろう事々、そしてそれらに関る自分の  能力に関する、あなたの妄想の結果生じるものがもたらす恐怖だ。  あなたの、胸にあるものを選びなさい。  なえよ、朝日に露が消えていったとしても、その輝きはあなたの目の中に  いつまでも残っているだろう。  朝まだきの中、吐く息の白さ、暖かな湯気の立つ動物の身体・・・。  あなたを支えるものは、多くある。  そして、私は明けの明星、宵の明星の光となって、あなたを照らすだろう。  どんな時にも、なえよ、自分の心に背かずに生きなさい。             −−−ARION,O∴O−−− 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 605/610 PFE01162 HAL 返事遅れました ( 7) 92/12/04 06:10 526へのコメント コメント数:1 シュメールさん、お返事遅れましてすみません。 いきなり仕事にとりつかれてしまいまして、身動きできませんでした。 いやー、東京の時間は速い。速すぎる。 これは、思うんですが、絶対にその地域に住んでいる人間の集団が時間というもの を妄想するもので、いろんな都市によって時間の感覚が違うのだと思いますね。 土地の勢いよりも人間が人間の時間に関わっているという当たり前のことに、今更 ながら驚いてますよ。 だいたいが東京の時間てのは「脅迫的」なんですねこれが。まったく。 音楽でいうと、惑星的なテンポはせいぜい80BPMくらいまでだと思いますが、 東京は平均で126BPMくらいなんです。 最近私は120を越えると速すぎる感じがして、頼まれて作曲するときなんかは困っ てしまいます。でも、近ごろ先端と言われているものなんかのテンポは下がってきて いますので、これはいい傾向かもしれないし、あながち私がジジイなだけという批判 もかわせる気がします。 それはさておき、ARIONにはえらそーなこと言っておきましたが、シンガプラに は実際にはアレンジャーとして、通訳ならびにタレントのアストラル的なガードマン として行って来たわけですよ。 で、バトルなんてのは無かったと思います。私はメーソンも憎めないし、ガードに関 しては自動モードにしておきましたもんで。でもまあ、かなり頻繁に電子機器の原因 不明の不調というのはあったので、機械が処理してくれたんだと思います。 それに、もともと華僑系の流れに乗って行ったものなのでそのあたりの干渉は少なかっ と思います。 で、気になったのはかの地にもあると言われる「紅卍会」だっけか?の流れですね。 これは道教的なもので、大本教とも関係あるんでしょ? これとアジア的な女性枢軸主義の復権とは関係があって、使えるものは私でも使うとい 動きがあるんではないかと、帰ってから考えましたね。 日本ではあまり情報は無いですが、東南アジアからインド経由中近東までの地域は、今 かなりの動きがあるとおもいました。これと日本のテクノロジーをリンクさせるのはお もしろい。 これらのエッセンスはもうムー的なものの復権ですね。これまた白山とも関係がある。 に決まってます。これはアマ族の系統でもあるでしょう。 あれ?オレってこれではARIONの手先じゃないか。 ほんとは違うんですけどねえ。 まあ、私にとってこれらのことは・・・ 「オバサンの据わったシリにはかなわない」 という一言で集約されてしまうわけです。ここのフォーラムにもいるでしょ。そういう オバサンが。 ちなみに、そのタレントというのは釜石!で生まれたと言ってましたね。なにか関係が あるのでしょうか。 それで、星雲社の2冊はですね。まだ読んでないです。「プリズム オブ リラ」とい う題名は興味をそそられますね。私が思うに最も強力なプリズムは地球です。 だから、多分その本は地球の重力圏から逆にリラというものに遡ったときの情報だと思 います。だから多分非常に片寄っている。なんちゃって。でも読んでみます。 で、いきなりセックスの問題ですか。 それらに答えられるほど私は悟っていませんが、個人的には生存本能が克服される方向 が進歩であるようなニュアンスの向上心は私は持っていないのであります。 しかし、一つの意識としては存在状態の選択が自分の自由意志で選択できるような境遇 になりたいとは思っているわけです。 例えばですが、人間飽きたら天使になり、天使飽きたら悪魔になるというようなもの。 これはかなり卑怯な考え方であるとは思いますが。 また、遺伝子を繁殖させる、つまり子育てに関しては個人的にはインドネシアの村のやり方とか、江戸時代の長屋文化のやり方のようなものがいいのではないかと思います。 で、他人の女房はみんなのものと・・・・ いかんこれではエイズになってしまう。これはまた考えますです。 ではまた。 P.S. ナインサークルズは一年経ったもんで店をしまってしまいました。    そういうわけで欲しい方は私にメールください。なんとかしますです。はい 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード 607/610 HFD01514 なえ ありがとうARION ( 7) 92/12/04 10:18 604へのコメント わたしはあなたを”夕暮れに瞬く金星”として感じていた。 いつも見ながら「離れたくない想い」に気ずいていた。 でも知らない内に、見ていながら見ぬ振りをしていました。 やっと、そうしないと本当に恐怖してしまう自分が居る事に付きました。 妄想でも何でも「自分が」または「誰かが」傷つくかもしれない、 わたしが、わたし自信によって「覆い」をかけていました。 >>どんな時にも、なえよ、自分の心に背かずに生きなさい。 本当はわたしは誰よりも鈍感でした。パンチをもらって解りました。 ごめんなさい。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 608/610 HFD01514 なえ ありがとうCOOLさん ( 7) 92/12/04 10:18 602へのコメント > 期限付きで神霊を脅すのは感心できませんねえ…。 本当に申し訳ない事をしてしまいました。(反省) >今一度、伴さんの書き込みを読み直されては如何ですか。 読みました。そして、わたしに「何が欠けていたのか」解ったような気がします。 基本的な所でつまずいてました。 これからどうしたら良いのか、まだ手探りですが、出来るだけの事はやらないと 前には進めないと思います。 先が見えないとか、経験の無い事には「躊躇」してしまいがちですが、それでは いけないなと感じました。 がんばるぞぉ!(゚o゚)/ 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 609/610 HFD01514 なえ すいませんSUKEさん ( 7) 92/12/04 10:18 603へのコメント 本当にそうですね。いろんな声にならない声が、幾重にも心に融けて行くようで、 泣けてしまいました。(^.^、) ありがとう。わたしは大丈夫。それから皆様、ごめんなさい。ありがとう。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 610/610 GED02702 石田 直樹 RE:返事遅れました ( 7) 92/12/04 11:56 605へのコメント     「他人の女房はみんなのもの」この言葉に無力な自分を感じる。                             石田 直樹 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室 9 ★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 発言数 :33 未読 :33− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 001/033 PEH01124 GO FBT! 猫♪ ★誰だこんなややこしい会議を企画したのは ( 9) 92/12/02 00:21 コメント数:15  いやだっ。じぇぇったいにイヤだ(=・_・、=)。「宗教円卓会議」だとぉ、やや こしくなることが目に見えているじゃないかあ(=・_・、=)。なんでおれがこんな とこの議長をやらねばならんのだあ(=・_・、=)。 *  宗教円卓会議なんだそうです。よくわかりませんがFMISTYから宗教系の会議 室が全滅したのと、BFREE が廃止されたのを受けて設置された模様です。  特定の宗教を扱うということではなく、「宗教」から、おそらく「宗教的と いう形容詞を避けられない哲学」あたりまでが範疇となろうかと。  ただし先に言っておきますが、「会話をする気がない布教発言」だけはお断 わり申し上げます。そういうのは壁に向かって言ってて欲しいと思うわけです。 また、ニフティというのも広いネットでありましてどこにでもなんについてで も専門家はいるわけですが、「レベルが低い、単なる思い込みに基づいた、断 定的な発言」てのもご遠慮願えたら嬉しいなあとか思います。まあ後者は後者 で「分析対象」にしちゃうくらいのこあいおにいさんたちが大挙存在してるの はわかってるんで、あんまし固いコト言いませんけど。  なお、最初の話題フリとして「ネットワーク布教を成功に導くコツ」なるも のが提出されていましたが、いきなしそういうテンション高いテーマを出すと あとが続かなくなるように思ったりもするので、まずは「開設おめでとう発言」 あたりから初めてもらえるとちょうどいいんじゃないかなあとか思っていると いうことを申し添えておきます。あ、「開設おめでとう」はみれりんにね。お いらには「開設、まことにご愁傷さまでした」と言うよーに(=^_^;=)。Sigh.. *  それからですね。まあFARIONではあまり心配するほどのこともないように思 うんですけど、「複数の会議室を縦断しての議論」というのはご遠慮ください。  FBTのシスオペとして会議室のアクセス動向を眺めてきた経験から言えば、 最近は「特定の会議室だけしか読まない方」がけっこう多いです。おいらだっ てFARIONの全会議室を読んでいるわけではありません。ひでー話だが、なんと 言えばいいのか(=^_^;=)、おいら FBIRDでさえも全会議室を読んでいるわけじ ゃありません。さすがにFBTは全部読んでますけど。  で、話題の一連移動などについては、スタッフが判断しますので、途中から 勝手によその会議室に移動したり、あるいはふさわしくないかもしれない発言 をこの会議室に登録したり、別の会議室で展開されていた話題を個人の判断で 途中から移動してきたりすることは、ご遠慮くださいませ。  まあいろいろありますけど、そうでなくてもヤヤコシい話になりそうな会議 室なんで、ご協力をよろしくお願い申し上げます。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 006/033 GHA01632 かんがえちゅう 宗教ですか     /仏教について 起論 ( 9) 92/12/02 02:28 コメント数:1 ウチの壇家は浄土真宗です。  はじめまして、皆様。「かんがえちゅう」とかいうケチな野郎です。ハンドルを 「まだ決めていない」人と間違わないようにお願いします。  えーと、いきなり理屈で恐縮ですが、「宗教」ってもんは、一般的には人間の「有 限性の自覚」に裏付けられた「超越的なものへの希求」という、極めて強烈な精神的 エネルギーの形象化だと思っとります。んで、実際のところ、それが社会の中で生成 されていく力学みたいなもんに興味があります。  そういう、けっこう醒めた目で見ているところがありますんで、御迷惑かもしれま せんが、ちょこっと片隅に置いといて下さい。  くりかえしますが、私はここ一年以上ハンドルを考え中ですが、「まだ決めていな い」人と混同なさいませんよう。>おおる                    GHA01632 かんがえちゅう 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 008/033 PAH02015 フェイ 祝☆開店 ( 9) 92/12/02 04:09 001へのコメント  議長の名を会議室名に出すのが売りという(ああ、それだとFJ*Nも同じだ(^_^;))事 で、まあよろしいんではないでしょうか。問題は円卓会議に集う騎士の方ですが、、 最近は某所で騎士的な行為が非難されており、公然とは名乗りにくいと(^_^;)  いきなり、議長禁の他フォーラム話題をしてしまった。ブツブツ。  まあ、FMISTYの経過を見てもそこそこ平穏なアクセスというのが宜しいのではと。 某団体ではありませんが「一日一善(一発言)」を励行しましょ(お、多いか(^_^;))。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 009/033 GGA02514 KAZE やっぱり、おめでとう、だな。 ( 9) 92/12/02 10:27 001へのコメント 猫が好き♪さん!、はじめまして(ですよね)。 とりえずは、ご愁傷さまではなくて、おめでとうございます。 「宗教円卓会議」っていうと、どうも、やっぱりややこしくなりそうだから、 あまりコメントしないかもしれませんが、ともあれ、よろしく、のKAZEでした。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 010/033 GBG02043 維/YUI 会議室おーぷんにあたり ( 9) 92/12/02 12:33 001へのコメント えっと・・・。おめでとう・・・じゃないのでしたね・・。 とにかく、末永く繁栄しますように・・・・。 と・いうことで、いまいち会議室の内容がみえていない   >> 維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 015/033 NBA02045 岡 風邪ひきの 岡 です/宗教家と金儲け 起論 ( 9) 92/12/02 17:23   猫が好き さんへ。   岡 です。   新会議室の議長就任、ご苦労様です。   FMISTYの「信人類の部屋」の消滅以降、対話を通じて信仰  関連を考えるための場所を見失っておりましたので、「猫 の宗教  円卓会議室」設置の運びになりましたこと、とても嬉しく感じてお  ります。   で、いま、ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主  義の精神」(マックス・ヴェーバー 訳 大塚久雄 岩波文庫)を  読んでいるトコロなのですが、これがけっこう面白い読み物なので  す。   内容としては、「正当な利潤を<天職>として組織的かつ合理的  に追求するという心情」(同書 P72)、つまり、貨幣獲得行為  を是とする社会規範の成立過程の分析を中心として組み立てられて  いるようなのですが、それは同時に、このような社会規範なくして  は近代資本主義は興らなかったという命題を含んだ記述でもありま  す。   で、ウェーバーの思想の楽しいところは、宗教的・呪術的行為な  いし思想を、内面的・外面的苦難から解放されたいという目的行為  として捉えた上で、そうした目的行為を、「とくにその目的自体が  主として経済的なのである」と考えているところにあります。   宗教的・呪術的行為が、経済学の対象と等しく、主として経済的  な目的に志向する行為の性格を持つものだとしているのです。   で、この経済的行為のことを、「効用給付の欲求のための配慮」  に志向している行為としておりますので、宗教的・呪術的行為を指  して<経済的行為>と呼んでいるのは、宗教的・呪術的行為が、主  としてその行為主体(人間)が苦難から解放されるように一定の効  用を求めて、一定の救済方法を行い、それに相応して救済財を給付  してもらう目的行為だと捉えていることから生じていることになり  ます。  (えーと、救済財とは、救済追求の結果から給付される財のことで、  たとえば、獲得貨幣の増加とか、精神的負担の軽減とか、いわゆる  物質的精神的な財一般を指しているようです)      もっとも、宗教的・呪術的行為が、目的の上で、主として経済的  であるということは、逆に言えば、目的の非経済的な場合があるこ  とにも配慮しているわけで、そうした非経済的な部分を、いわゆる  聖なるものとして取り上げ、その聖なるものの特質を、日常的な内  容で考察していくのですが・・・たとえば、来世信仰などです・・  ・・・宗教的・呪術的行為に関するウェーバーの理解方法によれば、  行為主体が苦難から解放されようとして、目的行為を遂行する際に  にみられる非日常的心理状態が、聖現象だと受け止めるようです。     ・・・というような「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の  精神」を読んでいくうちに、かなり前に、「信人類の部屋」で提示  された疑問、『宗教家(聖職者)は職業か?』というのを思い出し  ました。   いわゆる「世俗的な天職」=職業の従事者が、妥当な利潤追求に  よる貨幣獲得行為をすることを、倫理的に是とするのが近代・現代  の傾向ですが、これに反して、いわゆる「聖なる天職」=宗教の従  事者が、利潤追求による貨幣獲得行為をすることは、一般に非とす  る傾向がみうけらます。   よーするに、ふつーの職業人が、「祈るより稼げ!」を実践した  ことによって獲得した貨幣(物財)を、自己救済のために投下する  ことは、それなりに許容されているのに、宗教家(聖職者)が、ふ  つーの職業人から提供された貨幣(物財)を、いわゆる世俗的な資  本として扱い、かつ宗教家(聖職者)自身の私有財産として利用す  る事は、嫌悪されているわけです。   ・・・ということは、通常の職業倫理を、宗教家(聖職者)には  適用しない、という暗黙の了解が、社会に横たわっていると考える  ことができます。   とはいえ、では、宗教家(聖職者)に適用すべき特殊な職業倫理  とはどのようなものなのか? というような疑問については、まだ  明確な答が存在していないような気がするのです。   で、とりあえず、以下の疑問を提示させていただきます。  A:「宗教家(聖職者)は職業か?」  B:「宗教家(聖職者)に期待される(職業)倫理とはどのような     ものか?」   他に話題がないようでしたら、上の2つの疑問について、議論し  ていただければ、幸いです。   追伸     ウェーバーは、読めば楽しいとは思いますけれど、読まなく    ても支障はないと考えております。    ツイン・ピークスのサントラを聞きながら、                     風邪ひきの 岡 でした。 020/033 HBD03072 伴 尚志     ★★★★宗教大好き★★★★ ( 9) 92/12/03 10:20 001へのコメント みれさん:新会議室設立おめでとうございます 猫さん:ご苦労様:お名前はFSHIMINで拝見しております 皆さん:この会議室が宗教への勧誘の場にならないようにしましょうね。 僕は宗教が大好きです。 祈ることも好きだし、 聖人達の話しや、 神様のことを聞くことがとても好きです。 キリスト教も 仏教も 大本教も 天理教も 白光真宏会も 世界救世教も 宗教の話しを聞くと、素敵なことしか記憶してなくて、 こんなことになるんだろうけど、 好きやな〜 何か私の中にはず〜っと昔から堅い信仰があるんです。 特定の宗教団体にはまったことはないんですけど・・・ こないだ《モーゼの十戒》を見ていたんですが、 そのときは私の長年のキリスト教に対する誤解が晴れた気がしました。 それは、キリスト教の神が唯一絶対の神だ、という概念で、 僕は、唯一絶対なんてことを言うもんだから器が小さくなって 戦争なんかをしなければならなくなったんだ、 って思っていたんですけれども、 あ、そうじゃないんだ、唯一絶対なんだ。 キリスト教の神は、天地自然をあらしめている神なんだ、 そう思ったとき、なんと天理教の神と結び付いて、 ああ、それじゃあ偶像崇拝なんてできないわな、 と判ってしまったのです。 この感覚は、芹沢光治良さんの影響もあると思いますが・・・ 長くなりますのでこの辺で。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 022/033 GGA02027 GREY ★会議室の運営について ( 9) 92/12/03 21:33  会議室の運営につきましてご報告です。 (1) 以下の発言のコメントリンクを修正しました。 #002→#001のコメントへ #005→#001のコメントへ #006→#001のコメントへ #007→#001のコメントへ #008→#001のコメントへ #009→#001のコメントへ #010→#001のコメントへ #011→#001のコメントへ #012→#001のコメントへ #013→#001のコメントへ #016→#001のコメントへ #019→#001のコメントへ #020→#001のコメントへ (2) 以下の発言のタイトルを変更しました。 #015 旧「風邪ひきの 岡 です」    新「風邪ひきの 岡 です/宗教家と金儲け 起論」 <お願い>  なかなか判断が難しいかとは思いますが、次の2点を念頭に置いて発言をご 登録いただけると幸いです。 (1) すでに登録されている別の発言と関連がある発言は、基本的には必ず「コ   メント扱い」でご登録ください。コメント扱いで登録するためには「RE」   コマンドが便利です(書式 "RE コメント宛先発言の番号")。   明らかに関係があり従属性が高い発言をメッセージで登録するのは、次に   述べる場合以外には絶対におやめください。 (2) 先行する発言と若干関係があるにせよ、別の話題を提起することが主な目   的である場合は、メッセージとして発言してくださってもけっこうです。   なお、この場合、「提起したい話題の内容がはっきりわかるタイトル」を   心がけてください。 ※以上のコメント先修正とお願いは,議長からの依頼によるものです. 未読  整理の時間差によりヘッダ等に食い違いが出る事は好ましくないので,書込  まれる際はシステムの利点を最大限活かせるように,会員の皆様がたの配慮  をお願い致します.  FARION SubSys/GREY 033/033 NBA02045 岡 たぶん、この発言のRESで良いと・・・ ( 9) 92/12/04 20:25 025へのコメント   岡 です。   ルターの「万人祭司説」に関して・・・   この説の成立要因の一つとして、当時のローマン・カトリック教会が  自称していた、いわゆる地上における神の代理人という立場を忘れる事  はできないと考えております。   教会の神は、唯一絶対なる神であり、かつまた創造主でもあるという  前提のもと、イエス・キリスト(この場合、神と人間を融和させる救世  主として捉える必要があるのですが)から、その権威の後継者として使  徒ペテロが選ばれ、その後、教会の最高責任者は「ペテロの後継者」と  して権威を継承し続けてきた、という点をです。   で、人間は様々な罪を犯すわけですが、教会は、その罪を「軽罪」と  「重罪」とに分類し、それぞれに見合った悔い改めのルールを設定した  のですが、そのルール設定権の土台というものは、「ペテロの後継者」  であるという神的権威に由来しているのです。   「軽罪」の場合は、喜捨その他の自発的な自己犠牲によってあがなわ  れますが、「重罪」の場合は、厳しい悔悛の手続きが必要とされ、たと  えば、教会から排除され、全教会会員の前で自ら進んで公然と自己の罪  責を告白した後、はじめて一応の復帰が可能になりますが、しかしなが  ら、復帰に続いて、断食とか苦行とか多額の賠償金などの罰が科せられ  ることになり、この罰を果たし終えたときに、初めて罪が許される事に  なるのです。   もう少し、悔い改め/悔悛について説明しますと、カトリック教会の  秘蹟としての「悔悛」は、3つの部分からなっております。   1:「痛悔」つまり、犯した罪に対して、心からの悔悟をすること。   2:「告解」つまり、司祭の前に罪を告白し、これに対して、司祭が     罪障消滅の宣告をする儀式。   3:「贖罪」つまり、司祭による赦免宣告の後、犯した罪を償うため     の行為をすること。      で、「贖罪」として何が適切であるのかを決定するのは、教会なので  す。  (古代教会においては、贖罪行為が果たされた後に、赦免がなされたと  言われておりますが、ルターの時代までには、赦免の後に贖罪行為を要  求されるように変化していたようです)   このような「悔悛」の手続きが可能になっている背景には、神の手に  より、「天国の鍵」がカトリック教会に与えられているのだ、という思  想があるわけですが、この発想を逆に言えば、極めて権威主義的なパワー  システムが構築されていた事を物語っております。   神の権威=教会の権威 というものが、教会を支える土台として存在  しており、さらには、「悔悛」の権限を握る根拠にもなっていたのです  が、「悔悛」なくして赦免がありえないというキリスト教思想が一般に  広がっていた当時においては、この「悔悛」の権限を握る者によって、  世俗の人々の魂が支配されていたことになるわけです。   よーするに、神の権威=教会の権威 を根拠として、カトリック教会  は「悔悛」の権限を握り、さらにはその権限を利用して、世俗の人々を  支配下に置くことに成功していたのです。   で、ルターが「95カ条」において提示したものは、カトリック的な  「悔悛」の秘蹟の手続きを経ることがなくても、「真に悔い改めたキリ  スト者は、贖宥の文書がなくても、彼の負わされた罰と罪過とからの完  全な赦免を持っている」という主張であり、これはカトリック的な悔悛  の秘蹟とイエス・キリストの言葉(マタイ福音書 4の10など)との  つながりを切断しうるものだったのです。   ルターの上記のような主張は、「信仰によるわざのみが善である」と  いう信念によるものであり、カトリック教会的・律法主義的(権威主義  的)「功徳」思想と対置される、いわゆる福音主義の基礎となるもので  す。   福音主義、すなわち、*「神の掟」は、制度的=教会的に強制される  ものではなくて、霊的=内面的にのみ語りかけ、働きかけてくる*とい  うことです。   カトリック教会は、自らを、神と人間の間に存在する融和者/仲介人  として位置づけていたのですが、ルターの福音主義によれば、神と人間  を結び付けるものは、いわゆるキリストの言葉である「聖書」であり、  教会組織は不要になります。   そして、この福音主義的発想の中から、「万人祭司説」が誕生するこ  とになるのですが、このあたりの、つまり個人と超越者との関係に一対  一対応の絆を見いだすという信仰姿勢には、どこか、親鸞の在家仏教/  在家教団というものと似ているような気がします。     どちらも、基本的には、個人と超越者との関係の間に教団組織の仲介  を認めないという点で似ていると感じるのです。   というのも、反権威主義的・反教導主義的色彩の濃い福音主義は、そ  の論理的結論として、信仰者のうちに「導く者」と「導かれる者」との  区別を設けることがない、という記述を引き出さすことが可能だと考え  るからです。      ですから、「導く者」が「導かれる者」の布施/財物提供によって生  活を支られるというような状況は、原理的には拒まれるというように考  えられますし、また、いわゆる形式的「儀式」は排除されるのですから、  「儀式執行者」と「儀式を浴する者」というような区別も成立しないこ  とになると考えられます。   ところが、実際には、現代においては、親鸞の浄土真宗において、明  らかに「導く者」が「導かれる者」の布施/財物提供によって生活を支  えられており、またルター派の諸教会も同様の状況に陥っております。   これはなぜなのでしょうか?   なぜ、「導く者」や「儀式」が求められるようになってしまうのでしょ  うか?   唐突ながら、次回のUPで、グノーシス的キリスト教について考えて  みたいと思います。   初期キリスト教会の成立に絡んで、グノーシス的キリスト諸派が排斥  され、潰されたと言われてますが、そのグノーシス的発想による個人と  神とのつながり方は、部分的にですが、福音主義と通じるところがある  ように感じているのです。   なお、宗教思想に関しまして、発言内容に誤りがありましたら、どう  かご指摘下さい。      ・・・強引にグノーシスへ振ろうとしている 岡 でした(笑)   参考書および参考使用予定書       「ナグ・ハマディ写本 初期キリスト教の正統と異端」         BY エリーヌ・ペイゲルス 訳 荒井 献/湯本和子           白水社       「ルターと宗教改革」 成瀬 治著 誠文堂新光社       「仏教通史」 平川 彰著 春秋社       「ユダヤ思想の発展と系譜」 BY イジドー・エプスタイン         訳 安積鋭二/小泉仰     紀伊国屋書店       「黒魔術」 BY リチャード・キャヴェンディッシュ         訳 栂正行          河出書房新社  追伸    RES先を間違えていたら、申し訳ありません. 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室10 ★MWの深層心理研究室--------------<01> 発言数 :33 未読 :26− 012/033 GGA02514 KAZE おめでとうございます。 (10) 92/12/01 22:35 001へのコメント MWさん、はじめまして。 お隣さんの議長のKAZEと申します。 まずは、新会議室のOPENおめでとうございます。 いろいろ勉強させていただきたいと思いますので 今後ともよろしくお願いします。 まずはごあいさつのKAZEでした。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 020/033 HAF00635 井筒屋茂兵衛 どうなんでしょうか? (10) 92/12/02 23:05 深層心理学講座新装開講(って日本語あるんでしょうか)  おめでとうございます。 新参者の井筒屋茂兵衛と申します。人の心理には以前から興味を持って いたので、大変楽しみです。フロイトもユングもそれ以外もあまり 詳しくありませんが、解る範囲でお話しに加わっていきたいと思って います。    さて、せっかく御邪魔したので私からもちょっとお話させて  いただきます。以前からずっと思っていたことなんですが、どんなに  楽しい時、幸せな時でも心の中にモヤモヤと湧いてくる何かって  ありませんか?不安を持つ状態ではない、或いはその原因が  判っていて特にどうこういう時でもないのに、ある日突然  湧いてきて、納めようと思っても納まらない、第一それが  良いのか悪いのかも解らない。その何かが楽しい気分に水を注すことは  確かだけれども、かと言って怒ったり悲しんだりというのでもない。  表面的な感情(感情なのかどうかも解りませんが)では図れない  こういうものももしかしたらこちらでの話題にならないでしょうか。    何だか意味が解りにくい文章になってしまいましたが、話の材料にでも  していただければ幸いです。まずは御祝いまで。                      HAF00635 井筒屋茂兵衛 −会議室11 ★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 発言数 :321 未読 :16− 307/321 GGA02514 KAZE いろんなモノサシ (11) 92/12/02 00:02 302へのコメント せしもさん、どうも。 寒いですかあ、こっちはそれほどでもないですねえ。 ただ、先日来ひいてしまった風邪が抜けきらなくて、 咳がとまらなくて困っています。 年末のあたふたしてるときの風邪は、やっぱりちょっとつらいです(^^;)。 さて、 >「私はシュタイナーの教えを実践しているのだ」、という自己満足を生み >易いものであると思います。また、今まで自分がよいと思っていた行動原 >理のうち、シュタイナーの言っていることとそれなりに合致する場合は >「自分の魂と響き合う」から注意も向け易いでしょうけれど、そうでない >ものについては「よく分からない」ということで無視してしまいがちです >よね。それでは不十分ではないか、と思うのです。 ということですが、そこらへんのことはかなり難しいですね(^^;)。 でも、せしもさんのおっしゃるとおりだと思います。 ただ、そもそもシュタイナーの神秘学というのは 「教え」なんてものでは決してないにも関わらず、 それを「教え」にしてしまうようなタイプの方もいたりしますし、 シュタイナーに限らず、どんな思想に対しても部分だけしかみないで あれこれ自己満足している方というのはたくさんいらっしゃいます。 シュタイナー教育ひとつとってみても、その方が認識の部分を要求されないから、 その形の部分だけを取り入れている方もおおぜいいらっしゃるでしょう。 もちろん、それらは「不十分」ですし、それらはもはやシュタイナーの思想とは 何の関係のないものとなってしまっているといってもいいかもしれません。 それは、愛を実践しないキリスト教徒や自覚を求めない仏教徒、 植物を理解できない農業者、病の本質を探求しようとしない医者・・・ といった方と同じように自己矛盾しているといっていいと思います。 ただ、ひとには「時期」というものがあります。 いま理解できなくても、ひょっとして「時期」が来て、 あるとき腑に落ちるという瞬間がくるかもしれません。 その時の準備段階として、ある種の思想に表面的であれ ふれておくということも意味があるのかもしれないと思うのです。 もちろん、ご都合主義というのをそのまま放置しておくのをよしとはしなくて、 その都度、「そうではなくて、こうなのではないか」ということを 提示しておくことは必要なことだと思いますが、 ひとには理解できる「時期」が来ないと理解できないことというのは多いのです。 >結局、「知識」を「理解」するのにも、それなりにシステマティックな系 >が必要なのではないか、と思っています。 そうですね、それが理想ではありますが、 それがどれほどの方に把握可能なのかということは疑問ですね。 もちろん、それが可能な方にはできるだけその方向性は必要だと思いますし、 いまやっている輪読会ではそうしたことは大切にしていきたいと思っています。 ただ「システマティックな系」ということではない、 ある種の「直観」によるホロニックな理解の仕方もあることも 忘れてはいけないと思います。 これは自分の経験ですが、僕は以前からあるシステムを理解するときには ほとんどある時期にその全体のイメージが一気に現われることが多いのです。 もちろん「積み上げ」的なことはそれなりに必要ではあると思いますが、 それが全体として把握されるには、 ある種の「直観」というのは僕にとっては欠かせないものです。 その「直観」によって一度把握された「システマティックな系」のイメージを その後検証していくというような演繹的な理解の仕方と、 帰納的にアプローチしていくという2つのアプローチを 複合的に使っていくというのが僕にとっては自然なやり方です。 先ほどもいいましたが、ひとには理解できる「時期」というのがあります。 しかし、その「時期」までのいろんなアプローチが無駄かというとそうではなくて、 そうしたアプローチがある種の臨界点に達するか、「契機」として働いた場合、 それが「理解」という瞬間を迎えるのだと思うのです。 せしもさんがおっしゃってたこととちょっとずれてしまった感もありますが(^^;)、 要は、いろんな「モノサシ」をもってやっていくのがいいかなあ、 とか考えているKAZEでした。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 309/321 GGA02514 KAZE 思い出話など (11) 92/12/02 10:29 308へのコメント コメント数:1 BREATHさん、どうも。 TAOさんへのコメントでクリステヴァのテクスト理論などがでてきましたので、 少しだけ、それについて思い出話など(^^)。 >現代哲学でいうテクスト論(ジュリア・クリスティヴァ)の考え方でいくと、 >テクスト(書物)は人がテクストを「読む」行為によって生まれてくる「意味 >」によってそのテクストの主体性が解体され再構成される、つまり、テクスト >とテクストを読む者との相互関係によって、限界を持たない無限のテクストの >ありかたが生み出されてくるというわけです。同じように、人間の存在という >ものも、テクストの場合以上に、対人関係の中でまさに無限の広がりを持って >くるものではないでしょうか。「固定された」主体というものは存在しないと >いうことです。 実は、僕が大学時代に主に「お勉強」としてやってたことは、 コミュニケーション行為としてのテクスト理論に関連したことで、 テクストの生産と受容に関する理論やテクスト相互性(とでも訳せるのかな)やらを コミュニケーション理論の枠組みでどうポジショニングできるか、 そして、文学的テクストのそれのみならず、われわれ自身をテクストとして考えた場合 どうなのか・・・とかいったことをいろいろやってたわけでして、 そのころは僕にとってそれらの考え方はとってもカッコ良く感じられていました。 フーコーやドゥルーズ、デリダ、ガタリなどといった方々のテクストも その「わからなさ」が災いして(^^;)、とってもカッコ良かったですね。 僕が主に取り組んでいたのは、ヤウスやイーザーといった、 テクストの受容及び作用に関する美学理論のようなもので、 それと平行して、ヴィトゲンシュタインなどの「発話行為」の考えから発展してきた いわゆる「語用論」ということと、テクストのコミュニケーション行為ということが どう絡んでくるのかとかいうこともいろいろ考えてたりしました。 で、いろいろやったあげく、卒論などは、こうした考え方を(稚拙ではありますが) 駆使して、文学的テクストの受容と作用ということを検討したあげく、 なぜか最後は、「世界劇場」的な結末になって、「私がテクストだ!」、 「あなたもテクストだ!」、「みんなテクストだ!」云々とかいうことになりました。 もう十数年前のことですが、思い返してみると、それなりにクサかったですね(^^;)。 で、その後、今は、そのクサさが一段と進行し続けていて、 こういう次第に相成っているわけなのですが(^^;)、 こうしたテクスト理論関係の考え方というのは、基本的に「差異」「差延」「反復」 「リゾーム」・・・などといったキーワードで表現できるように、 世界の秩序化というのをどこまでも回避し、ズラシていくものだと感じています。 そのやり方というのは、とってもカッコ良くて、 非常に論理と感覚の心地よい麻痺をもたらしてくれていいのですが、 あるとき、ふと「これだけではいけないんじゃないか」と思うようになりました。 カッコ良さだけを求めてはいけない、カッコ悪さも必要なんだと・・・。 これは子供の教育ひとつとってみてもわかります。 >「固定された」主体というものは存在しない もちろん、これはテクスト理論的には正しいし、 妙な実体論を廃し、関係論的な無限の生成を意味するものでもありますが、 それを無差別的に適用させた場合にはどうなるかというと、 アナーキーのためのアナーキーという状態になります。 一切の方便は、これを認めない、ということですよね。 その考え方はまだ「自我」を強固に発達させてきた西洋人にとっては、 その「自我」へのカウンター・パンチとしてとっても有効であることもわかります。 ただ、「方法論」としてみたときは有効でも、 現実論として考えたとき、それは危険だと思うのです。 以前、教育には「守・破・離」ということが大切だという話をしたことがあるように、 「守」あってこその「破」であり「離」であるということだと思うのです。 これはもちろん教育だけにいえることではなくて、 すべてに当てはまることだと思います。 僕も一時期、「差異」ということにひたすらこだわっていた時期があって、 案の定、どこにも行けずにひたすら困惑を深めていくばかりでした(^^;)。 もちろん、それは僕の無理解と無能力というのが一番の原因だったと思うのですが、 それを越えて(ひょっとしたら「退化」して)ある種の確信に導いてくれたのが シュタイナー的な神秘学だったわけで、 それ以後、やっと「精神がなくっちゃね!」という確信を深めながら 「クサくて何が悪い!」と半ば開き直りながらマイペースでやっております。 ま、あのテクスト理論は「方法論」としてはとってもいいですけど、 あれでは、「人格の向上」とかいうクサいテーマは扱えないということですね(^^;)。 >滝壷には浮遊霊があつまる ということについてですが、「精霊」はともかく、「浮遊霊」ということになると、 そこで修行していた(または、している)行者さん絡みの不成仏霊のことでしょう。 つまり、「滝行」をしていて、招き寄せた過去の滝行をしていた方とか、 ひょっとしてそこで自殺したり事故死したりした方々でしょうか。 「滝行」というのは、「意志」の行にはなるようですが (つまり、いわゆる超能力的な方向)、 それだけではそれ以上のものではないようです。 もちろん、禊とかいう神道的な清めの意味ではプラスの意味はあるでしょうが、 「滝行」そのものは、変な執着を高めてしまう効用(^^;)の方がずっと多いようです。 で、その執着ももって死んだ行者さんなどが、 そこで死後も修行している気になっている(^^;)、というケースも多いようです。 なんか変なコメントになってしまったけど、 #307の最後にもちょっといったけど、 「モノサシ」はたくさんあったほうがいいだろうな、とか思っているKAZEでした。 316/321 GGA02514 KAZE 子どもの生活のリズムなど (11) 92/12/03 15:26 311へのコメント 隆ちゃん、どうも。 目の具合が良くないということですが、 僕も分厚い企画書を書く仕事が多いので、結構長い間CRTとにらめっこしてまして やはり、かなり目は酷使しています。 本を読むにしてもかなり目を使いますから、せめて野菜をたくさん食べて 目に優しい成分を、とか思うくらいで、なかなか目の疲れはとれません。 おたがい、気をつけたいものですね。 参考までに、ご存知かもしれませんが、 目の疲れをとる気功の一種をご紹介しましょう。 目の回りにあるツボを抑えるのと平行しておこなえば、少しは疲れがとれます。 まず、両手を合わせてお祈りのような格好で気をためます。 気がたまったなと思ったら、その左右の掌を左右の目の上にかぶせます。 掌のくぼんだところがちょうど目の中心になるくらいにして、気を送ります。 掌のくぼんだところあたりには、ある種の霊エネルギーの発散中枢があるそうで そこから目に向かってエネルギーを発射するわけです。 それからさらに、気を送り続けながら、目の玉を上下、左右に動かしたり、 ぐるりとまわしたりして、目の疲労がとれていくイメージを描きます。 こういったことは簡単にできますが、あとは洗面器に水をためた中で、 目を開けて、目玉を上下、左右、ぐるりと動かすというのも効果的なようです。 あと、掌の中枢を使った簡単な疲労快復法としては、 掌を上にむけて足のつけねのあたりに置き、その掌に神的な光のエネルギーがたまって 大きな玉になることをイメージするというのがあります。 そして、そのたまったエネルギーを疲れている部分に流し込んでやるのです。 これは、実際に掌が重く感じられるようになるとしたら、 かなり効きますので試してみてください。 さて、シュタイナー教育についてですが、 ちょうど、1919年に開校された最初のシュタイナー学校の教師であり、 シュタイナーも「生まれながらの教師」であると評したという カロリーネ・フォン・ハイデブラント(1886−1938)の 「子どもの体と心の成長」(西川隆範訳、イザラ書房)という シュタイナー幼児教育の代表的な古典といわれる著作がはじめて訳されました。 主な内容は、西川氏の「あとがき」を使っていうと、 「前半部では、シュタイナー教育における人間理解の中心となる気質論が、著者の 豊富な経験から、類書には見られぬほど生彩豊かに叙述されており、後半部では、 子どもの心の本質への深い洞察から、遊びと授業のありかた、子どもの生活全般の ありかたについて貴重な示唆がなされている」ということです。 僕もまだ全部は読み通していませんが、拾い読みしたところから、 いくつか興味をひいたところをご紹介させていただきます。 まずは、先日来の話にもあった教育者に関することを カルマの関係もふくめて述べてあるところから。 教師が生徒に向かい合うとき、ほんとうはなにとなにが向かい合っているの でしょうか。過去と未来の不思議な関係です。地上に誕生した人間というの は、その人間における力の結果です。その人間は、この過去を自分のなかに もっています。その過去から、人間は生まれたのです。人間の体と心の形態 のなかに、死と再受肉のあいだに活動する霊的な存在たちの叡智が秘められ ています。心身のなかに前世が秘められており、その前世は生まれるまえの 力の作用の特性によって制約されます。この観点から見ると、子どもは生成 したものです。子どもは、年月の経過のなかで内面から生成します。霊的な 領域における生成の結果として、人間は叡智を内に有しているのです。自己 意識的な自分の表現としての精神的自由からの道徳的意志を、人間は地上で 発展させることができるのです。人間が常に新たにみずから創造しなければ ならない道徳的な力が人間のなかに芽吹きます。この道徳的な力はけっして 所与のものではなく、いつも生成していかねばならないものです。教育者が 生徒に教育的な作用を及ぼそうとするとき、自分を越えて未来へと進むこの 力が教育者のなかに生きていなければなりません。絶えず認識し、洞察しよ うとすることなしにも、子どもにさまざまなことを学ばせることはできます が、そのようなありかたは教育者のありかたではありません。「教えること によって教育である」ということは、けっしてないのです。自分がどのよう な人間であるか、あるいは、もっと適切にいえば、自分が瞬間瞬間にどのよ うな人間になっているかをとおして、教育するのです。それが、そもそも教 育の秘密なのです。困難な人生の運命を消化して、ほんとうの教育者になっ た人たちがいます。そのような人は、たとえばそこに静かに立っているだけ で、騒がしいクラスを落ち着かせることができます。そのようなことは、た んに学識豊かな大学教授にはできません。教育者とは、変容することのでき る人間だということができます。これは道徳的な意味でいっているのではあ りませんが、もちろん道徳的な力をもっている人間が、よい教師になるので す。 それから、ちょっと長くなりますが、 子どもの生活のリズムや道徳的生活などについて。  世界のあらゆる生きものにとって本質的なものはリズムです。植物は一年 のリズムで成長し、枯れます。植物の成長のなかにはリズムがあり、托葉、 蕚片、花弁、花糸は一定の数のリズムにしたがっています。動物と人間の構 造のなかにリズムが観察できます。人間の姿の音楽的なプロポーションはす ばらしいものです。肩甲骨、上腕、下腕、手、指が規則正しい、一定の数学 的な関係を有しています。日中と夜半、朝と昼と夜、春夏秋冬のリズムに身 体は従っています。人間は、部分的にそのリズムから離れることを学びまし た。人間は夜起きていることもできますし、昼間眠ることもできます。不規 則に食事をすることもできます。夏、部屋にこもり、冬、自然のなかで活動 することもできます。  子どもは、そのようにすることはできません。子どもはリズムを必要とし、 リズムに従います。子どもの身体は、いつも同じ時刻に食事をとり、おなじ 時刻に寝起きすることを欲します。このように生活がリズミカルであればあ るほど、子どもは健康になります。しかし。子どもの心のいとなみは身体の いとなみと密接に結びついており、心の栄養もリズミカルに摂りたいと要求 します。遊びも学習も、日々のリズムのなかで体験できるように、子どもは 要求するのです。このことを洞察して、そのように調整することが、教育者 にとっては非常に重要です。平和な秩序のある家庭で育つ子どもは、いちば ん幸せです。子どもに関することはすべて時間どおりの生活のリズムで行わ れる家庭の子どもは幸せです。・・・日々、ちょっとした掃除をしたり、花 に水をやったり、靴を磨いたり、ベッドメーキングをしたりという課題を与 えると、子どもの意志の形成にとって有効です。このような課題を、日々、 一定の時刻に果たさせるのです。大人が気ままだと、子どもは行儀が悪く、 神経質になります。 ・・・  子どもの心に日常を超えさせて、精神生活の高みに導くものも、日常のリ ズムのなかに組み込まれます。眠りと目覚めという門を通って、心は毎夜、 霊的世界におもむき、毎朝、地上世界に帰ってきます。子どもをどのように 寝かしつける用意をするかは、非常に大切です。子どもはときどきベッドの 上で大騒ぎするのが好きですが、それはよい眠りの準備ではありません。そ れに対して、童話や伝説や、お説教的ではない教訓的な物語、歌、静かなメ ロディ、子どもの心を神の本質に結びつける祈りの言葉は、健全に、高貴に 眠りの門へと導きます。子どもといっしょに、その日の体験を振り返ってみ ることもできます。説教するのではなく、その日のうれしかったこと、悲し かったことを、真剣な関心をもって振り返るのです。子どもの不道徳に際し ては、子どもがまだ成熟段階に達していないので、善意で努力したにもかか わらず、その努力が実を結ばなかったのではないかどうかを、良心的に判断 する必要があります。その場合いは、教育者はけっして非難したり、罰した りしてはなりません。励まし、力を貸すのです。あるいは、ほんとうに無作 法な場合、それはたいてい、子どもが我を忘れて、多かれ少なかれ曇った意 識でなにかを「犯し」たのであり、意識を取り戻すと、良心の呵責を感じる ものです。そのようなときは、叱るのは意識を目覚めさせる作用をします。 意識を目覚めさせて、子どもが無意識に陥ってよくないことをするのを妨げ るのが、叱ることの唯一の目的です。 さて、カルマについてですが、 >先日「人間はどこから来て、どこへ行くのか」というようなお話をしましたが、 >輪廻の出発点はどこだったのでしょうか。・・・僕個人としては自分が今いる >次元では答が出せないのではないかと感じていますが、どうでしょうか。 これらについては、アカシャ年代記による、人間と世界の歴史から ある程度のビジョンは理解できるものと思います。 そして、「自分」という意識についても、今後シュタイナーの認識に関する さまざまな視点を理解していくにつれ、少しはクリアになるのではないでしょうか。 >現在我々がしょっている事は前世の結果ですし、現世の結果が来世に現れるのも >理の当然でしょう。ただ、良い行いをする動機が良い来世の為にというのはどう >なんでしょうか。現世利益を追求するのと同じような感覚で来世利益を追求する >人がいるとすると、説明の仕方を変えねばならないのではと思います。・・・・ >たとえ来世に報われる事が無くとも努力を怠ってはならないのだぁぁぁと、いこ >じに思うのです(^^;)。 それはもちろん、隆ちゃんのおっしゃるとおりだと思います。 先日来お話していたカルマの法則というのは、主に前世と今世、今世と来世という ふつうでは認識できないレベルのことが多かったようですけど、 もちろん、誰にでもわかる、原因と結果の法則というのはもちろんあります。 たとえば誰かの頭をいきなり殴ったら誰でもすぐに怒りだすでしょうし、 不摂生をすると病気になりますし、よく勉強すると成績が上がったりします。 こうした誰に聞いても当然のような原因−結果のあり方を説明してもしかたないので それは当然のこととしてあえてそんなに強調しなかったのではないでしょうか。 カルマのメカニズムについては、 追って(そのうち(^^;)に)ご紹介する「カルマ論」という連続講義で、 もっと詳しく説明させていただきますので、ご期待くださいね。 >自分の行った事は全て自分に帰ってくるものだとこの頃つくずく思う・・・ ま、要はそういうことがカルマ論なわけで、 蒔いた種は刈り取らねばならず、人を呪わば穴ふたつ・・・で、 それを意識して生活するとプラス発想せざるをえないし、 感情が暴走したりはめったなことではできなくなりますよね・・・のKAZEでした。 319/321 GGA02514 KAZE RE:輪読会:カルマ論の善悪の基準とは (11) 92/12/04 11:54 318へのコメント BREATHさん、どうも。 テクスト理論についてですが、 BREATHさんの引き合いに出されてたことはとっても大切なことだと思いますから、 決して「不適切な引用」ではないと思います。 かえって、よけいなことを「思い出話」してしまったのかもしれませんね(^^;)。 もちろん、こうしたテクスト理論的な視点というのは、とっても大切なことで、 そうした視点がまったく想定できないというのはとっても困りものなわけです。 あたりまえといえばあたりまえすぎるようなそうした視点が欠如しているところでは その方法論によって視点を一度転換させることはとっても有効だと思います。 その方法論の問題というのは、その視点だけに終始すると、 かえって現実的には身動きができなくなってしまうところにあります。 ま、どちらにせよ、その視点をいつも隠し持っていて(^^;)、 適切なときにある種の魔法のアイテムとして使うというのが、 多視点的な理解の可能性を広げるための有効なやり方だと思います。 有効だからといって、いつもいつも魔法ばかりを使うと 認識のレベルアップができない(^^;)、ということでしょうね。 滝壷の「浮遊霊」についてですが(^^;)、 こうした関連のことはシュタイナーは何もいうわけはありませんで、 これはいろんな霊視者の一連の「報告」によるものからの推論です(^^;)。 実際にそこで滝に打たれている内にそういう「霊」にとりつかれて 身体の具合が悪くなってしまった方の例というのはけっこうあると思います。 そうした不成仏霊というのは、そういった場所だけではなくて、 もちろんお墓にはうようよしてますし、病院なんかもかなりうようよらしいです。 そうした場所ではときには、身体が妙に重く感じられることがわかりますが、 それが、そうした方々で、ひどくなるとすっと寒気がしたりしますよ(^^;)。 こんな話をすると変な方向にいきますので、このくらいで(^^;)。 さて、カルマについてですが、 これは別に「善」と「悪」ということを当てはめなくても、 原因と結果の連鎖ということで十分に理解可能だと思うのですが、どうでしょうか。 ある原因に基づいてある結果が現象することを、 善とか悪とかいうことにあてはめなくてもいいということです。 そして、それは、物質レベル、エーテルレベル、アストラルレベルというように いくつかのヒエラルキーごとに、原因−結果の現象の仕方が異なっています。 ちなみに、鉱物界、植物界、動物界、人間界のレベルにおける 現在の現象の原因ということについて、シュタイナーは「カルマ論」において、 次のような説明をしています。 ●鉱物界/物質的世界に原因が同時に存在する ●植物界/原因は物質的世界と超物質的世界において同時に存在する ●動物界/現在の結果に対する原因は過去の超物質的世界に存在する ●人間界/物質的世界の現在の結果に対する原因は過去の物質的世界に      存在する それから、シュタイナーのいう「善」と「悪」については、 今後、宇宙進化論的視点がでてくれば、その進化上での意味について、 いくつか説明可能だと思います。 で、「悪」というのは、僕のはしょった解釈でいえば(^^;)、 宇宙進化の過程において生じた関係性としての「悪」だと思います。 それは、ある意味では「自由」を人間に与えるため、 みずからの進化を「供犠」として捧げた存在たちによって生み出されたといっても いいのかもしれません。 それらの存在たちは、人間に意識的に自由な行為をする可能性を与えたと同時に、 悪の可能性も与えた、というのです。 (それをルシファー的な霊たちと呼びます) そうした宇宙進化論的な「役割」としての「悪」、関係論的な「悪」、 また、働きかけの「時」と「場所」の錯誤による「悪」などといった視点なのですが、 ここらへんについては、かなり誤解されやすいところなので、 FMISTYでの会議室でも、また前会議室でも、とりあげたことのある シュタイナーの悪についての考え方のベースになっている「マニ教」的な視点をはじめ 輪読会の進行に合わせて少し詳しくご紹介させていただきますのでお楽しみに。 話はまったく変わりますが、 先日ご紹介したエンデとボイスの「対話」に関連したことですが、 以前、松川 貴さんとの話でもでききていたシュタイナーの社会論について これから少しずつ見ていきたいと思っています。 それは、西川隆範/松澤正博によるイザラ書房からの新刊の 「いま、シュタイナーの『民族論』をどう読むか/民族と民族神をめぐって」 というちょっと刺激的なものがでたのと、 先日来、ちょっと話題になっている、大前研一さんの 「平成維新の会」の提示しているビジョンを見ていて、 シュタイナーのビジョンにこの「平成維新の会」的なビジョンをドッキングして 考えられないだろうかということを思ったからでもあって、 時代の変化が加速しているように思える今、 神秘学的ビジョンと政治・経済のビジョンとをクロスして考えてみることって とっても魅力的かつ重要な視点だと思えるわけなのです。 今、(柄にもなく)政治と経済が面白いと感じているKAZEでした。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 320/321 GGA02514 KAZE 十字式背骨健康法 (11) 92/12/04 21:03 310へのコメント コメント数:1 シゲさん、どうも。 例の「十字式」についてですが、僕もそんなに詳しいわけではなくて、 ●佐藤健「超医学の謎/十字式背骨健康法の威力」(毎日新聞社) を読んだことがあるくらいなのですが、 この本から、いくつか、この「十字式」について理解できそうな部分を ピックアップして紹介させていただきます。 読みなおしてみると、この「十字式」は、エーテル体の治療というよりも、 アストラル体からエーテル体へ、そして肉体へとエネルギーを循環させる もののようでして、先日お話したのとはちょっと違ってたようです、ごめん(^^;)。 全国にはたくさん、この「十字式」を受けられる会場があるようですが、 「本部」というのは、北海道の足寄にあるようです。 それから、東京あたりでいうと、港区高輪3ー24ー19(TEL03ー447ー2551)にあります。 この「十字式」を普及させているのは安久津政人さんという医学博士で、 上記に紹介した本は、毎日新聞者編集委員である佐藤健氏が、 この安久津氏の「十字式」を取材したものです。 以下、引用によって、それがどんなものがを紹介します。  この十字式健康法は、治療者が患者の身体へ精神エネルギーを移植させる ことによって、患者の背骨を矯正し、病気の原因となっているゆがみを治す のだが、そのことを理解するためには、人間が本来的に持っている「エネル ギー」の種類をまず知る必要があるようだ。  安久津さんによれば、人間を含めた動物は三種類のエネルギーから成り立 っているという。(1)物理エネルギー(2)生命エネルギー(3)精神エネルギーの 三種である。  物理エネルギーとは熱、音波、光、磁波、化合、引力などのエネルギーで ある。・・・生命エネルギーは動物と植物とがもつエネルギーだ。・・・三 番目の精神エネルギーは人間と動物だけがもっているエネルギーである。  「人間というのは、その三つかのエネルギーが調和をとりながら生きてい るんです。三種のエネルギーが密着する組織条件がそろった状態を健康とい い、不密着のままで生活する人を病気という。そして完全に分離してしまっ たのを“死”というんです。」  安久津医博が、瞬間的に背骨のゆがみを治すために目をつけた精神エネル ギーは、患者の脊髄の中を通っている神経とともに流れている。十字式健康 法ではその患者の精神エネルギーに向けて治療者が自分の精神エネルギーを 集中的に放出して治療するのである。いわゆる念力を送るわけだ。患者自身 が本来もっているエネルギーを呼応させるのである。  「物理エネルギーが生命エネルギーを飛び越えて、直接精神エネルギーに 働きかけることは絶対にない。このことを最初に理解しないと、十字式健康 法の謎はわかりません。」 「実は、十字式健康法の宗癒というのは、その物理→生命→精神というエネ ルギーの転写を逆に作用させて、精神→生命→物理というふうにエネルギー を流して治療することなのです。」  十字式健康法の根本的な原理は、これまでの科学理論や唯物的な考え方で は説明できない。新しい次元の開発から生まれた生命論であることは、これ までにも書いてきた。  そして、患者の背骨に向かって精神エネルギー(念力)を注入したり、手 刀による物理的な力を加えることにより、瞬間的に脊柱を直立させる癒しの 現場を数多く見てきた。  十年来、むち打ち症や、そらからくる肩こりや、スキーでの骨折による後 遺症に悩む人が、わずか数秒の加療を二回加えただけで治ってしまった例な どはたくさんある。  なぜなのか。それを「念力による」といわれただけでは、ふつうの人は、 にわかには信じがたい。それをより科学的に追っていきたいと思うが、その 前にもうひとつ、安久津意志が発見した重要な事実を確認しておく必要があ る。  その事実とは「椎骨廃用斜転の病理」というもので、安久津医博によって 名づけられたこの病理を一言でいうならば、「背骨には病によって曲げられ る性質がある」ということだ。  これまで、多くの病気は背骨がゆがんでいることから生ずるということは よくいわれてきた。その背骨のゆがみを治せば、それによって発生した病気 も消えるといわれてきた。  ところが、安久津医博は、逆に「背骨には、病気によって曲げられる性質 がある」ことを発見したのである。  しかも、その廃用性斜転には「中枢性廃用斜転」と「末梢性廃用斜転」の 二種類があることもわかったのだ。  まず「中枢性」のほうからみてみよう。たとえば大脳半球が脳内出血によ って傷害を起こしたとしよう。そうすると、その脳の反対側が半身付随にな る。つまり、脳内の中枢に傷害が起きたことによって、正中神経(首のつけ 根から肩の外側、手の親指や人さし指にいたる主幹神経)と総ひ骨神経(別 の名を座骨神経といい、腰から脚の先端にいたる最大神経)がマヒしてしま う。  ところが、この病気の場合は、半身付随になってマヒすると、一定のパタ ーンに従って背骨も異常化するというのである。どういう症状になって現れ るか。まず第一椎骨が斜転化し、第五腰椎骨と第一仙骨の間、いわゆる腰仙 移行部の骨軸が正常側にずれてしまうのである。正中神経は、背骨の椎孔か ら出て、首のつけ根、肩、腕、そして親指や人さし指へとつながっているの だが、第一頚椎骨が斜転したために神経孔が後上側にずれてしまい、神経根 がもち上げられる。その結果としてワイヤーロープのように、長さに対する 融通性がないから、当然ひきつるようにひっぱられることになる。  また、腰から足の神経もまた、背骨が反対側にずれてしまうために、同じ ように足よりも神経が短くなり、無理にひっぱられた状態になる。  神経の根幹部から、細い毛細神経の先端が全長にわたって遊離現象を起こ すために、結果として「シビレ」や「痛み」になるというのである。 ・・・ 「十字式健康法で、施術者が物理的な手腕の力を加えることなく、念力施術 だけで効果が現れるのは、この第一頚椎骨と、第五腰椎骨と第一仙骨の間、 いわゆる腰仙移行部の骨軸のズレの場合だ」 「中枢性の半身付随によってこの二カ所の神経起始部に異常をきたし、シビ レや痛みをもっている患者は、特に手遅れでもない限り、念力施術だけで好 転します」・・・ 長くなりますし、きりがないのでこれくらいにしますが、 僕の聞いて知っている限りでは、かなり有効だということですし、 背骨関係のものには特に有効のようですので、 機会があれば問い合わせでもしてみてください、のKAZEでした(^^)。 −会議室12 ★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 発言数 :428 未読 :4− 425/428 GGD02212 Dr.Ray RE:魔法の力 (12) 92/12/02 14:42 422へのコメント コメントに感謝です。>カンチャン >>  我々の成長って一体なんだろうか? 知識を蓄えることでも単に経験だけを >> 重ねることでもないはずです。私は自分とは違う人間に触れ、それまで表現で >> きなかった自分自身を出せるようになること、その自分が他人を変えていくこ >> と、その繰り返しだと思っています。 その通りだと思います。自分が他人を変えていくと同時に自分自身も変えて いくのでしょうね。(今の小生に足りない処だなあ) >> ”笑い”というものを考えると残酷な一面もありますよね。TV見てると・・・ 確かに、安易な笑いの取り方として、ドツキ、人をけなす事があり、子供の 世界でもイジメを楽しむのが流行る事も、ありがちなように思います。(;;) うっかりすると、自分が誰かを傷つけている事に気付かずに笑っているかも 知れない・・・・ってなことは、高校生の頃から考えてはいたのですが;;;; 話は変わりますが、みれさんものけぞらせたという、平井和正氏の「地球樹 の女神」(6巻までなんですが、)をついに入手しました。(^^) ARIONの本が転がっていないかなと思い古本屋に入って見たら代わりに 平井氏の著作に遭遇しました。(ラッキー!)そこのレジのおねえさんが顔も 声も工藤静香を優しくした感じだったりしてまたラッキー(*^^*)な気分でした。 昔のアニメ「エイトマン」の主題歌ぐらいしか知らなかった小生には初めて の平井和正ですが、読みかけてみてやっと「植物の意識」の話題の出所が納得 できたところです。 アブナイ奴がアブナイ本?に触発されて、さらに怪しいコメントをUPする かも知れません。(密かにMES(*)用SFの構想も芽生えつつあります。) 最近ギャグは飛びませんが、春になったらまた出てくるでしょう。 Ray >−会議室13 ★HVHYの預言解読部屋------------<02> 発言数 :212 未読 :23− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 190/212 GCC01413 HVHY OFF報告のようなもの。 (13) 92/12/01 20:34             〜 預言解読OFFの報告 〜    結局のところ、OFFの大義名分は何でも構わないのであった…。    参加者は、 MINTさん   コバンさん          維/YUIさん  アキラさん          ういんずさん   えるさん          みれさん     ぼーさん          しまうまさん   私(HVHY)    の10名となりました。    その後、“みれさん達”はタクシーで何処かへ消えて行きました。    MINTさんと私は、体調を崩して1次会欠席となったパタさんを迎えて、    下北沢で細やかに2次会(と言う程のものでもないが…)を開きました。    オワリ。                                 HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >191/212 GCC01413 HVHY 思い付き(1) (13) 92/12/02 01:44 コメント数:1               〜 意味の迷宮 〜      ARIONの詩篇の中に、「知ろうとするな」という一節がある。      意味というものは、知ろうとしても解らないこともあれば、      知ろうともしないのに、一瞬にして見えてしまうこともある。      時として、“知る”ということは過酷なことである。      解らない時には、私は人間で良かった…と安堵すべきかも知れない。                               HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >192/212 GCC01413 HVHY 思い付き(2) (13) 92/12/02 01:45 コメント数:1             〜 お礼という失礼 〜         もし、誰かに恩を受けたと思うのなら、         間違っても、その恩を相手に返すなかれ。         お礼することは例を失することだと知れ。                         HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 193/212 GCC01413 HVHY 思い付き(3) (13) 92/12/02 01:46 コメント数:1              〜 事実を見る 〜         解釈や意味付けに騙されてはいけない。         起こっている事実そのものを直視せよ。         最も崇高な大義名分こそ、最も怪しい。         理由や目的ではなく、事実を見なさい。                        HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >194/212 GCC01413 HVHY 思い付き(4) (13) 92/12/02 01:47              〜 破れるべき夢 〜            その夢は、だれの夢か?            それが適うと、誰が喜ぶのか?            早く“その夢”を捨てなさい。                        HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >196/212 GBG02043 維/YUI もう、冬だわねっ!! (13) 92/12/02 18:36 コメント数:1 なあんだか、とってもひさしぶりに来たような気分。 えっと、暇に任せて?! 最近気になるARION詩編UPでも 発言数増やしにやろうかな ぁって、思っています。 まことさんが全部UPしてくれたしねっ!! (^_^) 面倒な人は、”気になるシリーズ”というタイトルのは、とばしてねっ!!                   と、いうことで・・。 維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >197/212 GBG02043 維/YUI 気になるシリーズVOL.1 (13) 92/12/02 23:47 196へのコメント コメント数:2 予告通り、気に留まったARION詩編シリーズです。 気に入っているもの・・・というわけではないです。 ・・・ 気に入っている といえば、今は5番かなぁ・・・ (まことさんのUP参照 >> 光の黙示録をお持ちでない方) それはともかく・・・。 ARION詩編 20 より。 >>拮抗する力を天秤に載せる事は諦めよ >>支えとなるミスミは未だ完成していない >>乞い願う事も止めよ >>へつらう事も止めよ >>総て総て御心のままに事は動き >>何人たりとも抗うことは出来ない >>封印は解かれる >>耳を澄まし 瞳を凝らし心を清らかにして >>総ての事々起きつつある事々を受け止めよ                            維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >198/212 GBG02043 維/YUI RE:思い付き(1) (13) 92/12/02 23:50 191へのコメント よかったぁ〜〜〜〜〜〜〜っ!! (^_^) ホッ・・・ (笑) 維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 199/212 HGG01312 たまご RE:思い付き(2) (13) 92/12/03 07:36 192へのコメント コメント数:1   古来,情けは人のためならず,とも申します.           たまご 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 200/212 HGG01312 たまご RE:思い付き(3) (13) 92/12/03 07:36 193へのコメント   大義名分とは,ある特定な立場の利益を代表している事が多いでしょう.   それにさえ気づくことができれば,正気を保つことと,事実を見い出すことは,  可能となり得るでしょう.           たまご 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 201/212 HGG01312 たまご RE:気になるシリーズVOL.1 (13) 92/12/03 07:37 197へのコメント コメント数:1   維/YUIさんのピックアップしたした詩編と,議長の思い付き(2)(3)(4)とが  符号しているように見えるのが,実に不思議である.    解読を先に読み,その後原文を提示されたような感覚?             たまご 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 202/212 GBG02043 維/YUI 深読み、注意 (笑) (13) 92/12/03 12:15 201へのコメント そんなこと・・ないよっ!!!(^^;;) 11月から考えていたことなのでねぇ・・・ ま、似たようなところで発想を得ているのかも知れませんが・・・ きっと、ほかにも偶然一致している人が、いると思うのだけれども・・・。                         維/YUI。 PS:手を上げなさいっ!!>>一致した人 (笑) 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 203/212 GBG02043 維/YUI RE:思い付き(2) (13) 92/12/03 13:41 199へのコメント コメント数:1 >>古来,情けは人のためならず,とも申します. さて、ここでしつもんです。  このことわざは、いったいどういう意味でしょうか? 1) 情をかけると、相手のためにならない。 2) 情とは、相手にかけたようでも、巡り巡って自分に戻ってくるものなのである。                             維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 204/212 HGG01312 たまご 忘れもしない(笑) (13) 92/12/03 17:17 203へのコメント コメント数:2 >>>>情けは人のためならず >>1)情をかけると、相手のためにならない。 >>2)情とは、相手にかけたようでも、巡り巡って自分に戻ってくるものなのである。   正解は(2)番.   なぜ,「忘れもしない」かというと,高校1年の(なぜか)英語の時間に,この  訳になる英文を訳させられて分からなかったのである.この訳の意味は,と聞かれ  とっさに(1)番を言った私に対しての教師の目の冷たかったこと.   以来,諺や格言には,関心を持ち,勉強するようになったが,その分英語が嫌い  になり,できなくなったのは言うまでもない.(笑)<ホンマカイナ   そんなことはさておき,この諺は,深読みすれば,将来戻って来る情のために,  いま他人にかけておこう,情の定期預金的意味にもとれますが,そんな打算的には  ならずに,情が自然とぐるぐる回る世の中であれば,もう少し住みよい世の中にな  るんではないかな,という解釈をする人の方が,私は好きです.   しかし,こういう事を言っていると,たまごは甘い,とまた某氏に怒られてしま  うかもしれないんですがね.                 たまご 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 206/212 GCC01413 HVHY S席・A席・B席? (13) 92/12/03 23:49           〜 S席の愛情,A席の愛情 〜  例えば、仕事の場合、  「物理的に不可能である」という言い方をすることがある。  時間が限られていれば、あれもこれもは出来ない…という意味だ。  では、人を愛することに、物理的キャパシティはあるだろうか?  例えば、旦那様のことを愛している妻は、  それ以外の男性を愛することは出来ないのか?  旦那様以外の男性を愛する分だけ、旦那様に対して注ぐ愛情は減ってしまうのか?  3人の男性を愛すると、愛情は3分割されてしまうのか?  例えば、双方の要求がバッティングしてしまうことはあろう。  しかし、要求を聞き入れることが愛することではない。  どちらかの要求を優先させたからと言って、  優先させた相手を“より愛している”ということにはならない。  愛情は、コンサート・チケットではない。  1人の男性を愛せない人間は、3人の男性を愛せるはずがない。  しかし又、3人の男性を愛せないと言う人間は、1人の男性も愛せない。  もちろん、そのことが解らない男性も、愛の何たるかを知らない…。                                HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 207/212 GBG02043 維/YUI RE:忘れもしない(笑) (13) 92/12/04 00:02 204へのコメント はろ〜!!! 情けの提起預金なんてこと、やる元気があるんだったら、別の事に使いたいですよねぇ。   定期・・・だわ(笑) そんな事やって、ため込んでるから、世の中の循環がわるくなるのかも・・・。                       自由なのが良いな。 維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 208/212 GBG02043 維/YUI 気になるシリーズVOL.2 (13) 92/12/04 00:05 197へのコメント コメント数:2 さて・・第一回の内容と同じ時期に、やはり気に留まったものがいくつかあります。 そのひとつは・・・。 ARION詩編 21 より。 >>石像の中の真の姿を見る者よ >>静かに 静かに 時を待つこと >>何もせずとも 全て行われる >>用意の時を静かに待つ事 >>其の日が近い この文章の前に、こんなのがついているのを後日読みました。 >>真空の空に風が起こり >>胎児は 再び私達の手の中に >>死か生か ところで、最近のARIONの書き込みのなかで、 >>始めての霜が降りる朝、朝陽の届かないところで >>最後の夢が育つだろう。 というのがありましたよね。 (ARION会議室#367より) あれって・・・全ての人に向けられたメッセージのなかの一部でした。 何人かの方の推測通り、特定のある日・・なのかなぁ・・とも思うのですが、 ふと、それぞれの初霜の日の朝・・・ってことだってあるのではないかと 思ったのでした。 だって、日本なんかさぁ・・・北海道から沖縄まであって、 いくら初霜ったって、全然時期が違うんじゃないの。 なんてことをふと旅先にて思ったりしました。                           維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 209/212 GBA01276 しまうま 「霜」のことで (13) 92/12/04 07:43 208へのコメント  「光の黙示録」の詩的メッセージ、P175にこんなのがありました。 >>六、 苦しみは夜明けと共に、霜のように頭上に >>   降るであろう >>   川を渡るときに 川のおもてをみてはいけない  「初めての霜」が朝日の届かないところで降りて、最後の夢が育ったら、その次 は夜明けと共に苦しみが降ってくる・・・・のかなあと思いました。あるいは「初めて の霜」からして苦しみを意味しているのかもしれません。  で、それからまた遠くない時期に「川(しかも川のおもてや行き先を見ていたら 渡れないような激流?)を渡る」ことが必要になる・・・・。  なんだか朝から暗い発言してるなぁ>おれ  でもまあ「最後の夢」(それがなんだかよくわからないけれど)に希望を托して、 頑張ってくしかないです。       お大事に(^_^)>風邪ひきさん しまうま 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 210/212 HGG01312 たまご RE:発言者削除 :やっぱ止めた。たまごのた (13) 92/12/04 16:32 205へのコメント コメント数:1   なんか,ものすごぉ〜く,気になる削除メッセージね. 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 211/212 HGG01312 たまご RE:気になるシリーズVOL.2 (13) 92/12/04 16:32 208へのコメント >>始めての霜が降りる朝、朝陽の届かないところで >>最後の夢が育つだろう。   ふむ.「朝」がある特定の日の朝でなくて,ある期間を指しているということは,  ありそうです.その場合,「朝」とは,イメージ的には,「夜明け」=暗さが取り  払われること,「目覚め」=何かに気がつくこと,などの時代が明るい方向へ変化  する時期を指すのですのではないでしょうか?   で,「霜」は,そのときにやって来る,暗い,マイナスイメージ?   しかも,朝陽は届かないのだから,暗いのかな?   でも,「最後の夢」が育つんだから,希望は持てるのかも??   結局具体的には何もわからない.           たまご PS:今度は「夢」という言葉で,思い付き(4)と一致してますよぉ.    「最後の夢」も捨て去らねばならないのかな?? 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 212/212 GBD03557 シゲ RE:発言者削除 :やっぱ止めた。たまごのた (13) 92/12/04 18:51 210へのコメント でしょう・・・でも想像はつくよね? 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室14 ・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 発言数 :560 未読 :14− 548/560 SDI00635 みれ 巡る季節の中で思うこと(^^;) (14) 92/12/02 09:44   遅い秋の早朝、霧の中の六甲登山口ケーブル下。   湿った草の葉にジーンズの裾をしとどに濡らして。   ただただ、黙ったままで歩きつづけた、あたしたち。   巡り来る季節を空の高みに押しやって、ここにだけは時間が無いと、  言いつづけようとして、ふと唇が乾いていることに気付いた。   ダイアモンド・ダストのきらめきも、この夜景にはかなわないねと  微笑んだ夜、流れ星はあたしの願いを待ってはくれなかった。   終電の座席に横座りになって、一所懸命に夢を語ってきかせてくれた  あの子は翌日、夜空に消えた。   夢よ夢、高瀬川。   竹林を走る風小僧。   そして、ミルク色の霧の中、紅葉は変らず見るものの心を朱に染めて。  見失う言葉と言葉の間に、ひっそりと寂しがりやは佇む。   巡りゆく季節の中、こぼれてゆく思い。   あの日の笹舟は、誰のところに帰ったのだろう?   思い思われ、思い尽きて・・・流れ星に行き着くのだろうか?   流れ星は願い事を待っていてくれるのだろうか。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 549/560 GBD03557 シゲ RE:音に追いかけられる夢 (14) 92/12/02 15:53 547へのコメント 僕も現役デザイナーのとき色に追いかけられたりしてたなあ。 明日の色校正に間に合わせないと・・・なんてうたた寝してるとね。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 550/560 GBD03557 シゲ 嬉しいのかなあ (14) 92/12/02 19:43 コメント数:3 「明日がまだ何一つ  失敗してない新しい日だと   思うと嬉しくない?」       −赤毛のアンより− 他人よりも多く感じるという事は、辛いときもあるだろうけど 他人よりも多く知ることができるんだ。 純粋な心ってどこにいってしまったんだろうか・・・ 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 551/560 GBD03557 シゲ MES 13 #186 (1992-09-17)ノRES (14) 92/12/02 19:43 RE:時を待つと・・・どうなるのかなぁ :時を待つ :傘をさしながら :時を待つ :舞いながら :時を待つ :精一杯生きながら 僕なら「明日の朝を待ちきれず夜を舞います」 ヲイヲイ 一体いつのレスを書いてるんだ>シゲ 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード 555/560 SDI00635 みれ RE:嬉しいのかなあ (14) 92/12/04 03:13 550へのコメント コメント数:1  赤毛のアン、懐かしいなぁ(^_^)。  願わくば、あたしの心も「明日」のように何一つ失敗してない新しい心で あったらなぁ、と(笑)。でもでも、ほんとはね失敗もあたしの心の中では 花が咲いてたりするの(*^^*)。  ふと寂しくなったりするときに、心の中の花園を覗いてみると・・・  あー、あるある(笑)。これは、あの時の失敗、あれはドジ・・・(^^;)。  とてもとても大切なもの、これだけは何があっても失いたくないと、生命 掛けて守り通すもの・・・それは、あたしの場合「人を愛する心」だったりする。  もう、これ以上は傷つきたくないと心底思ってるのに、やはり心をさらけ 出して人を愛してしまう・・・、そして、やはり血が滲むのね(・_・;)。  でも、やはりこの生き方を選んでしまう(笑) 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 556/560 GBG02755 ダダッコ 珠 RE:嬉しいのかなあ (14) 92/12/04 14:34 555へのコメント そんな生き方をしてみたいと、思ってはみたが、 哀しいよう。 愛を幻だと信じたくて。 心を殺しそうで。                珠 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 557/560 GBG02755 ダダッコ 珠 愛すれど、なお哀し。 (14) 92/12/04 15:03 コメント数:1 何が哀しいのだろう。 どうして哀しいのだろう。 愛しているだけなのに。 人魚姫は哀しみに海へ身を投げた。 だけど、愛していた。 愛に身も心も燃やし尽くして。 なのに、どうして哀しいの? 自分の可能性のすべてを愛に費やして。 なのに、どうして哀しいの? 愛されなかったから? 愛が成就しなかったから? だけど、もし結婚出来たとしても、 きっと哀しかっただろう。 王子が愛をささやいてくれても、 哀しみは去らなかっただろう。 ひとときの喜びは、かなしみを越えるのだろうか? 1日のほとんどが、哀しみであってもなお、 そのひとときの喜びを求めてしまう。 愛しても愛しても、哀しみは去ろうとはしない。 その哀しみがどこから涌いて来るのかさえ、 私にはわからない。 幸せの只中にいてもなお、哀しみは静かにある。 それを、どこに持って行けばいいのかさえ、 私にはわからない。 愛する人の瞳の中に自分をみた、その瞬間だけが、 愛することを続けさせている。 いつまでも、どこまでも、重なり会うことのない人と人。 人を分けている”境”を愛すれば愛するほどに感じてしまう。 それを見たとき、深い哀しみが生まれるのかも知れない。 愛すれば愛するほど、哀しみは深くなるのかもし知れない。                     珠 559/560 SDI00635 みれ RE:愛すれど、なお哀し。 (14) 92/12/04 18:11 557へのコメント  人魚姫は 人魚姫は、愛に身も心も燃やし尽くして海に身を投げたのだろうか?  愛すれば愛するほどに、哀しみが深くなることは無いだろうと思うの。  愛することと哀しむこととが、どっかで繋がっていたとしても。  哀しみは、空の中の青い染みのように目立たないところに、  いつもあるような気がするの。  誰かをとても愛しているときに、心の琴線が張りつめているときに  ふと、空色の中に浮かぶ青い染みを見つけてしまうような気がする。  愛することで自分と相手との違いを見出し、そしてそれを乗り越えてでも  相手の世界に触れてみたい、と願うことはとても自然だし素敵なこと。  でも同時に、その相手の世界に自分が融合されることは無いと、  心のどこかで知ってしまうのね。  そんなときね、青い染みが心の中に映しだされるようなときって。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 560/560 PBA02422 さはし 夕焼けこやけで (14) 92/12/04 19:00 夕刻の空を仰げば白鳥座 冬の夜空をこごえ飛ぶかな 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室17 ◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 発言数 :151 未読 :2− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 150/151 GBG02043 維/YUI RE:最近気に入った歌 (17) 92/12/03 13:43 148へのコメント やっほ〜っ!!! coolさん。 さきほど、昼休みに街の中をうろうろしていたら、 偶然"THAT'S ALL"をきいてしまったよん! *^^* ラッキーッ! "〜〜〜"のところも含めて、せっかくだから全部聴いてきちゃった。 COOLさんは、ロマンチストなのだわぁ〜・・・・・ (^_^) 残念ながら、サラ・ヴォーンのではなくて、もっとスロー・バラードっぽくアレンジして ありましたが。 322/324 GGA02027 GREY なおも続く総括 (20) 92/12/03 23:54 321へのコメント  [JBB02514:まだ決めてへん ]さんの書込みの意図が判らないという意見が 出ていますが,本人が主張しているものとは違う悪意が明確になってますね.  本で名前を見たからこのフォーラムに来たと言いながら(MES 2/#442),みれ さんの会議室の場所を聞き(MES 2/#409),そのついでに後に常識に欠ける発言 へとつながるみれさんの年齢に関する言及(MES 2/#441)をしています. 私の 方からした注意に異様なまでの反応(MES 2/#442,MES 20/#298)をされたのはい いとして(他会員に対してされたものなら容認しませんが),[祈る]という 行為を否定する意見を問題のある表現でした事(MES 2/#410)は,精神世界の事 を扱うフォーラムにとっては迷惑なだけの存在か,あるいは害をなす事だけが 目的での入会であるとみなすに十分だと思います.  誠実に対応された方の行為を否定する意見は出ておりませんし,私もそのよ うな意図はありませんが,後に何も残らないような荒し方をされてほっとく訳 にゃいかないって事で,今回の件は了承願います. FARION SubSys/GREY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 323/324 NBG00612 岳同 「まだ考えてない」氏のこと (20) 92/12/04 02:25 はじめまして 岳同と言います。 オンラインで書き込んでいます。 「まだ決めてへん」さんの発言の姿勢に問題があったこと は、同意できますし、フォーラムの維持管理という意味でも注意や勧告は 必要なことだったと思います。しかし、彼の最新の書き込みを見ていますと、 ARIONに興味を抱いたという点におおいては意外な素直さを感じました。 どうも、氏には独特の表現上のクセや、思考上のクセがあって 異質な感覚を与えるのではないでしょうか。 ひょっとしたら、裏腹な表現で したが愛情や注目を受けたい一種のポーズだったかも知れないなと 思います。 ともかく、一二三にもありますように、悪を排除しても悪はなくならない。 悪をして同化させる。抱き参らせる。 といった視点も忘れないで頂きたいとおもいます。 私が、ARION から学んだ一番大きなことは、ARIONが怒りや恨みの感情を持ち合わせていないことそして、それが宇宙的なありかただということです。 愛しあえるはずだという確信を持って、去るものは追わず、 来るものは拒まずという淡々とした姿勢で行きたいと思います。 私自身もいろいろ考えさせられ参考になりました。 どうも有難うごBざいました。 (FEPを代えて間がないため、多分読みにくいと思いますが どうぞ、ご勘弁を) 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >