−会議室 7 ★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 発言数 :621 未読 :1− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 621/621 QFG02515 SHANA 奴隷の王国、自由の王国(長文力作) ( 7) 92/12/11 17:24 617へのコメント 星也さん、こんにちは。 「つもり」「権力」「強制」などについて、もう少し考えてみました。 ちょっと、平たく言おうとし過ぎたかもしれません。 え〜と、 脅迫する方をA、脅迫される方をBとしましょう。  (A、突然あらわれてBに言う)  A「Bよ、金をよこせ」  B「・・・やだ」  A「むむっ、素直に言うことを聞け!」  (と言いつつ、A、懐からナイフを取り出す)  B「ううっ、死にたくないっ・・・」  A「へっへっへっ、素直に言うことを聞けば良し。さもなくば・・・」  B「ま、待て、分かった、死ぬよりはましだ、金をやろう」  (B、Aに金を渡す)  A「そうそう、それで良いのだ、また来るぜ、ガッハッハッハッ・・・」  (A、笑いながら去る)  (Aが去った後、B、叫ぶ)  B「・・・ち、ちくしょ〜っ! むりやり金をとられた〜っ! なぜだ〜っ!   ばっかやろ〜っ!」 さてさて、Bさんの怒りはごもっとも。 でも、ちょっと勘違いしてます。 Bさんは、「Aに強制的にお金をとられた。どうしようもなかった、不可能だった」 と思って、Aさんや運命を呪っています。 強制的にお金を奪われた・・・・・・ う〜ん、確かにそうかも。でも、Aさんは、Bさんの身体の自由を拘束し、 力ずくで奪いとったわけではありません。ただ、ナイフを持ってしゃべっただけ。 Bさんは、ナイフは恐いし、でも、お金をとられるのも、イヤだった。 まあ、Aさんに出くわしてしまったのは、まさにBさんの不幸ではありますが、 どれもイヤないくつかの選択肢のうちから、 一番ましだと思われる選択肢をひとつ、選んだのは、Bさん自身なのです。 つまり、基本的には、自分の責任において意志決定をし、行動したはずなのです。 ただ、イヤな選択肢しか見えなかっただけです。 お金をとられない選択肢もあったかもしれません。 人間、生きていれば、いくつかの選択肢の中から一つの道を選ぶということは、 沢山あります。というか、ほとんど全てがそれかもしれません。 では、なぜ今回に限って、 「イヤイヤそれを選ぶしかなかった」と感じたのでしょうか? もちろん、思い付いたどの選択肢も、みんなイヤな選択肢だったからです。 では、なぜ、「むりやりに」とか「強制的に」と感じたのでしょうか? いくつかの選択肢の中から一つを選ばなければならないのは、いつだって同じです。 「好き嫌い」は、「好き嫌い」であって、 「むりやり」とか「強制」は、べつに関係ないはずです。 イヤなものはイヤ、それはいいです。 でも、それ自体は「むりやり」でも「強制」でもありません。 ただの感情です。 感情・・・ つまり、Bさんの精神的な問題なのです。 (もちろん、Aさんはそれを計算に入れていたわけですが) Bさんは、あのとき、 そのことについて執着が強く、冷静になれなかったので、 自分で自分の心を縛っていたのです。 「自己奴隷化」です。心の自由がなかったのです。 「死ぬのはイヤだ」「お金を失うのはイヤだ」 そりゃそうだろう。私だってイヤだ。 ただ、そのどちらかを選ばなかったとしても、それは100%の強制ではないのです。 Aさんは確かに、強制をしたいと思っていただろう。 でも、Bさんには、一応、選択の可能性も時間もあったわけで、 Aさんが、いきなり100%の強制をしたのではありません。 Bさんが強制を受けたと感じたとしたら、 それは、半分は、Bさんが自ら強制されたということでもあるのです。 「ただ選ぶだけ」と思っているなら、それは強制されたことにはならないのです。 たとえ、結果的にAさんの望み通りになったとしても、です。 もちろん、「死ぬ」ということを、なかなか割り切れないのは当然だし、 それを利用して自分の欲望を満たそうとしたAさんは一番悪いかもしれない。 でも、それとこれとは別。 Bさんの意識の持ち様によって、 「Bさんにとって、強制だったか強制でなかったか」が決まるのです。 強制されたと感じていても、「実は自分で意志決定をしている」ということが、 けっこうあるような気がします。 本当は自分で意志決定をしているのに、それに気がついていない・・・ そういうような意識から変えていかなければならない、と思うわけです、私は。 》「言うこと聞かない奴は死ね」という台詞は、神の救いを説く宗教も同じ事を 》いっているわけだな、と思ってしまいました。 なるほど、そうかもしれませんね。 基本的に物理的な脅迫手段は使わず、言葉だけで信者を言いなりにしてしまう宗教の 方が、かえって分かりやすいかもしれません。 つまり、信者は、自らその宗教の脅しにとらわれているにすぎない、ということです。 また、そういう脅しのような側面を持つ宗教は、脅しに乗ってしまう人間だけを、対 象に限定している、とも考えられます。つまり、そういう人間ばかりの世において、 もう少しましな方向に人間を導く、という意図があって、わざと、しかたなく、脅し の宗教をつくった、とも考えられます。まあ、作った方も同類だった、とも考えられ ますけど。 》有形無形のプレッシャーにしても、互いに掛けている「つもり」の話ですね、 》SHANAさんの理論でいくと。 というより、      ・・・ 互いにプレッシャーを掛けられている「つもり」でいる、 ということを、私は問題にしたいです。 自分の責任から目を背けて、掛けられたプレッシャーのせいにしてしまう、 ということも、あるかもしれません。 》で、「死んでしまえ」という言い方は、「死んだら終わりだ」という考え方が 》その根底にあるからそういう言い方が出来るのではないか、と思います。 》(NIFTYでいえば、ID剥奪するぞ、という脅しになるんでしょうかね) 》IDと違って、人の生死は簡単に論じれるものではないけれども、 》「死んだら終わり」的考えと「前世占い」が流行ったりする「生まれ変わり」指向は 》すでにかみ合わないものだな、という感触も持ちます。 いやいや、 考え方として、「魂というものがあって、それは死後も生き続けて、(以下略)」 というようなことが頭の中にあったとしても、 やっぱり、死ぬのは恐かったり、 仮に恐くなかったとしても、やっぱり死にたくなかったりするのではないでしょうか? ちなみに私は、「生まれ変わり」を信じている方ですが、 死ぬのはイヤです。 そりゃ、永遠に死なないままでいたい、ということではないけど、 「死ねっ!」って言われたら、「やだっ!」って思うよ、たぶん。 ん〜と、だから、「生まれ変わり」指向の人に対しても、「死んでしまえ」という言 い方は、通用することが多いだろうと、私は思います。 》「言うこと聞かない奴は死ね」といって、どんどん人を篩っていったら、 》誰も残らなかった、となると権力って無意味なものになり果てると思うんですが。 もちろん、そりゃそうだと思います。 でも、実際には、みんな言うことを聞いちゃうだろうし、 それで言うことを聞くと見越した上で、「言うことを聞かない奴は死ね」って権力者 も言うのではないでしょうか? また、実際には、思想的・道徳的・宗教的脅迫観念なども、いろいろ利用するでしょ う。たとえば、徳川幕府は、儒教を少し改造して流布し、「目上に従わなければなら ない」などの意識を植え付け、支配をやりやすくしたらしいです(たしか、学校で習 った)。こういう「***しなければならない」というのは、論理的な理解に基づい て守られるのではなく、たんに繰り返し刷り込まれて心の中に取りついてしまう、と いうのが普通だと思います。そして、それが脅迫観念となって、その人の意志を奴隷 化するのです。 》そもそも、「権力」というものは脅迫のための道具ではないはずだとも、思う。 「権力=脅迫のための道具」というより、「権力」というものが、脅迫を道具にして、 その力を維持し、そして行使してきたのだと思います。 支配者の権力欲や義務感が、脅迫を道具にしてきた、と言ってもいいかもしれない。 》二人の人間が一つの場を共通のものとして生活するならば 》それは二人の個人の集合であると同時に一つの社会を構成する、と考えます。 社会を構成している場合もあれば、していない場合もあるのではないかと思います。 たとえば、「一つの場」といっても、あやふやな概念です。 たぶん、その人の意識や行動によるのだと思います。 また、一方は一つの共同体だと思っていても、もう一方は、そう思っていない、とい う場合もあると思います。 地球全体を、一つの場であり一つの社会である、と思っている人もいるかもしれない し、国家はそれぞれ別々のバラバラの社会だと思っている人も、いるかもしれません。 そして、そう思っているということは、そういうつもりで行動するということです。 みんながみんな、一つの社会ではなくバラバラの社会である、というつもりで行動す るのなら、それは実質的に一つの社会を構成している、と言えるのかどうかは分かり ません。 》また、星也は新しいものがすべてよいものと言うわけでもないし、 》古いものにも、古さ故のよさがある事もある、と思います。 はいはい、私もそう思っています。 古いものは何でも駄目で、とにかく新しいものを! とか言ったつもりはありません。 ただ、他に何と呼べば良いのか思い付かなかったので、とりあえず「古い遊び、新し い遊び」とか「古い世界、新しい世界」とか言っただけです。 う〜ん、だから、そう言われると、 「じゃあ何て呼べばいいの?」 ってことになってしまいます、私は。 》SHANAさんの言い方で少し気になるのは、 》個人個人が別の方向を見なければいけない、といいながら 》新しい部分と古い部分とを区分けして、 》古い世界の人々は・・・・という見方になっているところです。 古い世界の人々は・・・なんでしょうか? もう少しハッキリ言ってくれた方が分かりやすくて良いのですが。 これでは、何がどう気になっているのか、私には分かりにくいので。 んで、 私は気になるような区分けをしていたでしょうか? え〜と、変わるということを、氷が溶けて水になるということに例えると、 ある一部から溶け始めて、 さきに水になった部分と、まだ凍っている部分とがある。 でも、すこしずつ「溶ける」ということが広がっていけば、そのうち残らず全部水に なるだろう。 ということが言いたかったのです。 溶けようが溶けまいが「H2O」は「H2O」です。 ただ運動のしかたが、すこし違うだけです。 だから、少し変わりましょう、と言っているだけです。 なにか問題があるでしょうか? 》*ただ、そういう古い世界の人たちを、強制的に新しい世界に従わせようとするのは 》*結局、また古い世界を繰り返してしまうことになるような気がします。 》 》星也はそういう意味のことを言っているつもりではないのですが・・・・・。 え〜と、だから、 》「社会の変革」ということをやろうとすると、下手をすれば、そういうことになりか 》ねないと思うのです。 という、実際にそれを行おうとした場合に起きるかもしれない可能性、について話し だだけです。そういう危険性もあるから、「一人一人がまず変わる」ということを重 視した方が良いだろうと思う、という話です。 「星也さんは、そう言った」という話をしたのではありません。 》新しい世界に古い世界の意識をそのまま持ち込むのではなく。 》ゲームでみれば、W----.Iのキャラクターを、IIの世界に移すことは可能だが、 》IIで始めるときにはどのキャラもレベル1に戻る、という感じでしょうか。 》もちろん、それ(=レベル1になってしまう)という事を受け入れられるよう、 》個人の意識が変わることは必要でしょう。 新しい世界では、古い世界の価値感は通用しない、というような意味でしょうか? さきに新しい世界がやってきて、後からその価値感に合わせる、というよりも、先に 新しい価値感を持っておく方が良いと思います。個人個人が少しずつ新しい価値感を 持っていって、それが新しい世界を作っていくという方が、良いと思います。 自ら新しい価値感を持つには、 まず、しっかりとした、自由意志に基づく意志決定が、出来るようになる必要がある と思います。そしてそれは、「自分を見る」ということから、始まると思います。 それによって、奴隷の王国から自由の王国へと続く「門」が見えるように思います。 猿の芋洗いの話ですが、ある程度それが広がっていくと、 ある時点で、空間その他を超越して、ある日突然、日本中の猿が芋洗いを始めた、 ということが実際に起こっている、という例を出すことによって、 ある一個人が始めたことが、やがて全体に達し、社会をも変えるという可能性も低く はないはずだ、ということを示したいと思って書いたのでした。 あれは「隣の猿が洗っているから自分も洗う」というだけの広がり方ではありません。 実に不思議なことが起こったのであり、科学的に解明されていない現象の一つです。 シンクロニシティーだか共鳴だか知りませんが、そういうことが、我々人類にも起こ るかもしれない、と思ったのです。                              from SHANA −会議室11 ★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 発言数 :355 未読 :3− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 353/355 GGA02514 KAZE 12感覚論など (11) 92/12/10 23:02 352へのコメント 隆ちゃん、どうも。 確かに僕はかなり身体を酷使しているかもしれませんね。 でも、僕も隆ちゃんと同じく(^^)、根が怠け者というか、 やっぱり「明日できることは今日するな」のタイプで、 シンドくなると、ひたすらぼ〜っとしてますから、 なんとかなってるのかもしれませんね。 小さいときにちょっと大きめの病気をしたプラスの側面として、不十分ではありますが 自分の身体との「お話」が無意識のところでできているのかも、なんて思っています。 さて、「形」についてですが、その問題群を知ってもらいたいなあと思いまして、 前回はとりあえず中村雄二郎さんの著書のメニューを紹介させていただきました。 もちろん、あれでは何のことかなかなかわかりづらいとは思います。 でも、あれだけの問題群があると、ちょっとくらいはのぞいてみたくなるでしょう。 僕も理解できているとは決して思ってませんが、 自然と精神を貫いて流れる潜在的なエネルギーのあり方を 「形」というコンセプトで探れるのではないか、と考えて注目しているわけです。 >・・・ヴィジョンは大人になるにつれて消えてゆくようですが、 >なにかしら関係があるのでしょうか。 大人は論理的に考えたり理性的に考えることの必要性から、 子供のころのような空想と現実との境目のない世界からでてくるわけなのです。 それはある程度仕方のないことなのだと思います。 ただ、大人になってからでも芸術的な活動を通じて、 インスピレーションを受けやすくすることは可能なのだという気がします。 子供のそうしたファンタジー的なあり方は、 「見えない遊び友だち」ということに典型的にあらわれているように思えます。 子供は、大人にみえない自分だけの友だちをもっていることが多いですよね。 先日紹介した「子どもの体と心の成長」には、 そうした「見えない遊び友だち」について書かれているところがあります。 子どもの心眼は、ファンタジーの創造的な力と結びついています。そのよう に集中的に、自分の形成力の作りだしたもののなかに。子どもは生きている のです。子どもはそれらを対象化し、外界に投影するのです。それが、子ど もが作り出す「見えない遊び友だち」の源泉なのです。自然な賢さをもった 小さな子どもは、大人がそのような見えない遊び友だちのことを理解しない ことに、すぐに気づきます。大人は子どもが嘘をついているとか、「ほらを 吹いている」とかいって、非難します。大人には、そのような遊び友だちが 見えないからです。夢みるようなファンタジーと心眼から構成されている。 その力を把握するのは、大人には困難なことなのです。自分の幼年時代を思 い出すことによって、その力をふたたび心のいとなみのなかに呼び出すこと ができます。 また、子供の「空想」と「嘘」ということについても、それとの関連で、 教育実践について考えていなければならないことが述べられています。  小さな子どもは真実と虚構をまだ区別できないというわかりきったことが、 教育実践においてつねに考慮されてはいません。なぜ、夢は、昼間の体験よ りも事実ではないのでしょうか。・・・  子どものファンタジーが生み出した形姿は、現実よりも「真実」なもので はないといえるでしょうか。子どもは、あまり強烈でない現実を望みたいの です。なぜ子どもは、外的な感覚によって知覚したものを、内的な思索のな かで外に投影したものよりも真実であると思うべきなのでしょうか。 ・・・  ファンタジーが理性的に働かないとき、子どもは嘘のファンタジーに駆ら れます。外から健全な心の栄養として供給されないものが、自分が内的に考 え出したものをとおして空想の表象のなかに入っていきます。そのような子 どもには、価値のある童話、伝説、またのちには神話を聞かせ、そのすばら しいイメージを内的に生きるようにさせるべきです。そのような子どもは、 絵や彫塑などの芸術的な行為をたくさんおこなうべきです。また、家庭や学 校で、みんなが認めてくれるような小さな工作をする機会を与えるべきです。 だれからも気にかけられず、放っておかれると、いきいきとしたファンタジ ーが紡ぎ出します。つまはじきされていることの均衡をとるために、不思議 な話を考えだして語るのです。 「均衡感覚」「運動感覚」「生命感覚」ということについてですが、 幼児教育について考えるときには、感覚をどう発達させ、 どう統一させていくか、ということが大切だといいます。 シュタイナーは、この感覚について、意識のなかに12の感覚の座を設けています。 そして、その12の感覚を集中的に体験すると同時に、 それら相互の結びつきをとっても大切なことだと考えています。 その12の感覚とはどういう感覚かというと、 「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」という五感の他に、 「熱感覚」「均衡感覚」「運動感覚」「生命感覚」「運動感覚」「言語感覚」 「概念感覚」「個体感覚」という感覚を加えた全部で12の感覚です。 これらの感覚は大きく「内部」と「外部」の二つに分けることができ、 「味覚」から「生命感覚」までを「内部感覚」で、 「言語感覚」から「聴覚」までが「外部感覚」です。 では、感覚とはいったいなにかということになるのですが、 「私たちが直接刺激によって与えられる体験内容を意識化する働き」であって、 思考、感情、意志というのは、「魂の内部でこの感覚体験を基底にして構築される 内的建造物のようなもの」ということができそうです。 シュタイナーは「一般人間学」などで、この12感覚論を提示したのですが、 それをふくむシュタイナーの感覚論については、 高橋巌さんの「シュタイナー教育の方法」の中の「感覚の教育」や 「神秘学講義」の中の「霊的感覚論」などで詳説されています。 ここでは、「神秘学講義」から、とりあえず五感を除いた感覚の 主な考え方を紹介させていただきます。 ・・・熱感覚は触覚の一部分のように考えられますけれども、神秘学からい うと、熱は実は外部感覚でもあるし、内部感覚でもあるのです。それは決し て皮膚感覚ばかりではありません。ですから、ある家の中に敏感な熱感覚を もっている人が入っていくと、その家の温度が20度でもなにかひやっと感 じたり、15度でもなんとなく暖かく感じたりすることがあります。あるい は人と向かい合ったときに、相手の体温と関係なく、暖かい感じのする人と、 冷たい感じのする人があります。集中的な自我体験を通して熱を作り出すな らば、冬の寒気の中でも自分の周囲の温度が非常に熱いと感じることができ ます。・・・熱というのは触覚だけに関係するのではないどころか、もっと 非常に霊的な存在であり、いわば物質と非物質との橋渡しをする存在のよう にも思えます。  均衡感覚は、耳の中に三半規管という解剖学的に確かめられる部分があり ますから、説明するのは容易ですが、これと関連して運動感覚も問題になり ます。これは自分以外のものが運動しているのを知覚する感覚ではなくて、 自分自身が動いているか静止しているかを体験する内部感覚です。・・・  生命感覚も、・・・自分自身の生命の営みを、たとえばいま調子がいいか 悪いかとか、生命力が弱っているか否か等々、生命に観するあらゆる身体の 営みを直接体験する場合に、生命感覚という言葉を使います。  言語感覚は、ふつう聴覚に射れますけれども、しかし言語は耳で聞く音と はちがいます。もっと固有の、もっと本質的な質的内容をもっていると考え ます。ヨハネ福音書で「はじめに言葉ありき」というときの言葉とか、日本 の言霊における言葉のような場合、言葉そのものが固有の力をもっているわ けです。その言葉によって人間や事物に固有の働きが加えられます。・・・  概念感覚と言いますと、もっと奇妙に感じられるかもしれません。概念は 判断によって生まれてくると考えれば、概念感覚という言い方はそもそも形 容矛盾なんですけれども、ここで概念というのは、哲学で言うエヴィデンツ (名証性)と同じなのです。あることがらが直観的に真実だと悟れるときが あります。なぜそうなのかわからないけれども、それが真実だと悟れる場合 に、哲学では説明のしようがないものですから、明証性という言葉を使うの です。そういう特定の思想内容を、判断を通さないで、じかに体験する場合、 それを概念感覚という言葉で表現するのです。神秘学にとって、概念教育の 問題は非常に重要になてきます。いわゆる霊的な体験というのは、すべて概 念感覚の体験であると言うこともできると思います。  個体感覚・・・。ある外的な対象を個として、かけがえのない個体として 体験するか、それともたくさんのある中の一つとして、量として、体験する かは、認識上決定的にちがう二つの態度です。量的な感覚しかもたない人が、 ひとりの人間を集団の中の一員としてしか考えようとしない場合、相手に対 していくらでも残酷な態度がとれるわけです。それから自分のもっている万 年筆や本などにだんだん愛着が出てくると、同じものを店で売っていても、 自分が今まで使ってたものをかけがえのないものと感じるようになります。 それは個体感覚の体験です。 長くなりましたので、フォルメン線描等については、またにさせていただきますが、 子どもの教育だけではなく、私たち人間すべてにとって、 上記で紹介した12感覚ということと、それらの相互作用ということを 考えてみると、いろんな大事な問題が浮かび上がってくるように思えるKAZEでした。 355/355 GGA02514 KAZE シュタイナー輪読会●第8章/概観 (11) 92/12/11 11:51 =============================================================================    ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」(イザラ書房) =============================================================================         ●第8章/善と悪(P94〜107)●概観 ============================================================================= ■良心の発生  ・私たちの文化の段階では、良心は一種の内面の声であり、なにをおこない、なに   をおこなわないでおくべきかを人間に示す。このような内面の声はどのようにし   て発生したのか。  ・古代の民族には、良心という概念に相当する言葉がなかった。ギリシャ文学では、   かなり後になってから、良心という言葉が現れる。ほかの民族も、彼らの文化の   最初期には、良心という概念に相当する言葉をもっていなかった。良心は人類の   進化のかなり後になってはじめて発生し、形成されていったのである。  ・良心とは、さまざまな受肉を通した経験の成果である。最高のものから最低のも   のまで、知識とはすべて経験の成果である。知識は、試みと経験の途上で生じた   のである。  ・論理学、すなわち思考についての教えが発生したのはアリストテレス以降だとい   う、興味深い事実がある。正しい思考は昔からあったのではなく、ある時期に発   生したのである。思考は発展しなければならなかった。正しい思考、論理も、時   代の流れの中で、誤った思考を観察することから発生したのである。知識は、多   くの輪廻転生の中で獲得されたものである。長い試みの後、人類は知識の財宝を   獲得した。ここに、カルマの法則の重要性がある。わたしたちは恒常的な習慣と   性向を、経験から形成する。良心のような性向は、エーテル体にも固着している。   アストラル体がしばしば、これはよくないと納得することによって、その傾向が   エーテル体の中に永続的な特徴として形成されるのである。 ■ある人生において習慣的に利己主義的に行動した人は、次の人生において早く老け、 しわが多くなる。反対に、愛に満ちた、献身的な人生を送った人は、次の人生では、 いつまでも若々しく、フレッシュでいられる。来世のために、物質体を意識的に準備 することもできるのである。 ■ある人生における病気は、次の人生における肉体の美しさとして現れる。身体が病 気を通して美へと高められ、来世で美しい外的な形姿になるか、あるいは、環境によ る感染によって病気になって、来世で美しい環境に恵まれるかである。美は、苦悩、 苦痛、欠乏、病気からカルマ的に発展するのである。同様のことが、人類の進化の歴 史の中にも現れる。人生におけるカルマ的な関連が素晴らしいものであり、悪の問題、 病気と苦痛の問題は、人類進化の偉大な内的関連を知ることなしには答えられないこ とが洞察できる。 ■人間は最初から人間であって、猿ではなかった。人間は進化するために、動物界全 体を自分から分離したのである。色の混ざった液体から色素を取り出し、きれいな水 を得るのと同じである。 ■のちに自分の外に持つことになるものを、人間は自分の内に持っていた。そして、 人間は今日なお、のちに自分の外に持つことになるものを、自分の内に持っている。 カルマを自分の内に持っているのである。善と悪を、自分の内に持っているのである。 人間は動物を、自分の外に出した。それと同じように、人間は善と悪を世界に放出す ることになる。善は善良な人種を生じさせ、悪は邪悪な人種を分離する。ここで、魂 の進化と人類の進化を区別しなければならない。 ■内にあるものは、外に現れなくてはならない。カルマの結果が現れるなら、人間は 常に高次に進化していく。この人類の進化に関して、考えられる限り最も崇高な課題 を立てた秘密の教団が設立された。マニ教の教団である。 ■学者はマニ教に関する正しい知識を何も知らない。マニ教は、もともと善と悪が存 在して、善と悪とは互いに戦っているという教えを説いたと思われている。そのよう に考えるのは、この教団の本当の課題を歪めた愚にもつかない考えである。この教団 は、カルマの中にいかなる悪も持たない人々と、生まれつきの悪の人種が存在するよ うになることを知っていた。その悪の人種に属する人々は、悪を意識的に、手の込ん だ方法で、高度に育成された悟性をもっておこなう。マニ教教団は、その成員が将来 悪を変化させる者になるように教育されている。悪い子供の場合、いまどこかに善の 部分があり、その善を教育によって発展させていくことができる。この悪の人種には そのような可能性はない。だから、マニ教教団の課題は非常に困難なものである。 ■生まれつきまったく悪に変形した者のことを、マニ教教団の成員はすでに学んでい る。この悪を改造すると、まったく特別の善になる。地上は神聖で道徳的な状態にな る。変化の力が、神聖な状態を生じさせる。しかし、まずこの悪が形成されねばなら なかったのである。この悪を克服するために使用される力の中で、最高の神聖さへの 力が発展する。最高の神聖な状態に到達するためには、悪の肥料を必要とする。これ が悪の使命である。悪は人類を高めるという課題を担っている。 ■のちに人間が悪を克服したとき、自分が進化するために犠牲にし、突き落としてき た被造物を解放することができる。これが進化の意味である。 ■人間はかつてはすべてを自分のなかに持っていた。事実、地殻は、人間がかつて晶 化したことによって発生した。かたつむりが殻をつくりだしたように、人間も、鉱物 界、植物界、動物界のすべての存在を自分の中に持っていたのであり、それらすべて に向かって、「これらの実体は、わたしのなかにあった。わたしが、それらの成分を 晶出したのだ」ということができる。こうして人間は自分の外になにかをみる。そし て、「これらすべては、私自身なのだ」ということが理解できる。 ■すべては、人間の内から外へ出た。夢は、人間が全世界を自分から紡ぎだした時代 の遺品である。そして人間は、世界を自分と対立するものにした。わたしたちはみず から事物をつくり、ほかの被造物の中にわたしたち自身がつくったもの、すなわちわ たしたち固有の存在を見る。カントは、人間が認識することのできない「物自体」に ついて語っている。しかし、そのようなものは存在しない。認識の限界というものは 存在しない。周囲に見いだせるすべてのもののなかに、人間は自分がかつて放出した ものの痕跡を見いだすのである。 ■人間は自分自身を見ることができるようになるために、すべてを自分の外に出さね ばならなかった。こうしてわたしたちは、病気の使命、悪の使命、外界の使命を理解 する。 ■早く死んだ子供のカルマ的関連の例 ・前世において、その子はほんとうによい素質をもち、人間社会の有能な一員だった。 しかし、やや弱視だった。弱視のために正確に見る子とができなかったので、その子 の経験は特殊な色合いを帯びた。弱視のために才能を十分に発揮することができなか ったのである。その子は死に、その後まもなく、良い眼を持って生まれるが、数週間 しか生きることができない。しかし、この短い生を通して、いかに人は健康な目を得 るかを、その子の構成要素は経験する。自分に欠けていたものを得るために短い人生 を生き、前世を改めるのである。両親の悲しみは埋め合わされる。両親はこの子が前 世を改めるための道具にならなければならなかったのである。 ■死産は、物質的によくない体液の混合によって、精神的・心魂的な人間の萌芽にふ さわしい器官を提供できないことによって生じる。肉体は、高次の構成要素が結びつ くことによってのみ、成長するからである。 ■カルマの埋め合わせについて ・ある人が悪いことをし、だれかがその害を被る。悪いことをした人は死後、まずそ の出来事を目の当たりに見るが、そのときは自分が人に与えた苦痛を感じることはな い。しかし、欲界に入って、人生を逆にたどっていくときに、ふたたびその出来事に 遭遇する。今度は、人に与えた苦しみを、自分が体験しなければならない。自分が苦 痛を与えた人の自己の中に入って、その出来事を体験するのである。自分が与えた人 の感情を味わう。その感情はアストラル体の中に刻印される。その苦痛から、なにか を収穫として得る。ほかの人の中で体験したものの成果として、力がその人の中にと どまる。 ・その力は、ふたたび地上に受肉したときに、かつてなにかをともに体験したすべて を出会わせる力として働く。その人々は欲界期に、互いに相手の内面を生き、それら の人々との再会に導く力を自分の中に摂取する。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室13 ★HVHYの預言解読部屋------------<02> 発言数 :265 未読 :14− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード >252/265 SDI00635 みれ RE:死ぬこと。傷付くこと。 (13) 92/12/11 02:26 239へのコメント コメント数:4  「犬死」という言葉・・・あたしは嫌いです(-_-;)。  特攻隊員の死を語るのでも、隣のオジイサンの死を語るのでも「死」は「死」と して、HVHYさんのおっしゃるように「生」と等しく捉えて語るのでなくては、 何の意味もないと、あたしは感じます。  世の中で「一般的」という飾り文句で語られることの多くは、そう宣言すること で、その他の意見を無言のウチに圧しようとするような、訳の分からない不気味な 圧力を、あたしは感じてしまうのです。  戦争問題にしても、人の生死にしても、何と多くの「一般的」な「常識的」な考 えが、その他の「非一般的」な「非常識」な考えを圧してしまっているか?と思わ ず背筋が寒くなる思いを感じずにはいられません。  もちろん「一般的」な「常識的」な考えを、間違ってるというつもりはありませ し、物事の全てに【間違い】【正しい】といった判断を下すつもりもありません。  うまく言えないのだけれど、何か違うんじゃない?と感じてしまうのですよね。  生きることと、死んでいること。そして戦うことと争うこと・・・・・。何か大きな、 とてつもない大きな勘違いやら、誤解やらがあたしたちの日常に渦巻いていて、そ れに振り回された結果、本当のことが何一つ見えなくなってる、といった感触をあ たしは受けます。HVHY氏からというのではなく、今、話し合ってる人達の殆ど から、そういう印象を受け取って少し愕然として、思わずアップしているのですが 未だ、あたしの感じたものを言葉にウマク書けません(^_^;)。でもでも、なんだか 違うんじゃない?と言っておかないと、もっと望まない方向へと大多数が舵を取る っていうような漠然とした怖れが、あたしにこれを書かせています。  もう少ししたら、きっともっと詳しく書けると思います。でも、もし他にもあた しと同様に「ん?何か違うんじゃないかな?」と感じる人が居るならば、と思って ゴミ発言になるかも知れない危惧を振り切って書いています(^_^;)。  もし他にも「ん?なんか違うんじゃない?」って感じる人が居るならば、その旨 を書き込んでくださいまし・・・。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 253/265 GCC01413 HVHY RE:ありがとう、たまごさん(^_^)。 (13) 92/12/11 02:52 240へのコメント  −−−−−−−−−−−−−> ぼー さん  |わたしはわたしなりの素直な見解を表現すること以外に、  |できることはないなあと思っています。  |むしろ絵に書いた餅を語ることよりも、現在の自分の発する率直な発想なり、  |思考なりを大切にしていきたいと思うのです。  本当にそうだなあ、と思います。(私に関しても、全く同じこと!)  奇しくも、あもりさんが、#249のご発言に於いて、  “全く新しい「預言」の対応の仕方”ということを言っておられます。  私は、ぼーさんの生き方そのもの、或いは、考えたり話したりすることが、  そのまま“全く新しい「預言」の対応の仕方”の一つの典型となるのでは…と、  密かに(密かにでもないが…)期待しています。 (^_^)  さて、突っ込んだ話(?)も、どんどん展開したいと思っているのですが、  差し当たり、どの辺りの話題から入りましょうか?  巷では、戦争関連の話で盛り上がっていますが…。                                 HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 254/265 GCC01413 HVHY RE:“ソフィスティケイティッド・ウォー” (13) 92/12/11 02:53 243へのコメント  −−−−−−−−−−−−−> Eddie さん  どうも、始めまして!  “マッチ・ポンプ”とは、  「自分で火を点けておいて、それを消しに入ること…」です。  例えば、ロシアは、隣の共和国の内線に武器をせっせと調達しています。(!)  ところで、ロシアは、国連安保理の常任理事国でしたね。  従って、仮に、国連が、内線処理のために介入すれば、  これは“マッチ・ポンプ”の図式と見做すことが出来ます。  (※やや単純化して強引に説明しておりますので、その点はご了承願います…)  さて、引用して頂いた部分に尽きましては、  皆さんに出来る限り色々な想像をして頂きたいと思っていますので、  この場では補足を控えさせて下さい。  と言うわけで、舌っ足らずなコメントになってしまいましたが、  今後もお引立ての程、宜しくお願い申し上げます!                                HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 255/265 GCC01413 HVHY RE:卑怯者より (13) 92/12/11 02:55 249へのコメント  −−−−−−−−−−−−−> あもり さん  ともあれ、始めまして!  ご指摘頂きましたことは、実に重要な事柄だと思っています。  さて、それでは、一気に本論へ進みましょう。  問題は、「実践」の中身です。  あもりさんご自身は、この点について、どのようにお考えでしょうか?                                HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 256/265 HGG01312 たまご 預言について考える (13) 92/12/11 05:20 コメント数:1   えー,予告の実現です.   最初に言い訳をするのは,なんとなくまずいような気がするのですが,言い訳  しないで,つっこまれるよりは,先に言い訳しておいたほうが,精神衛生上有意  ですのでします.   私的な事情により,ここ数日このアップのための研究にかける予定であった時  間を他の問題に費やしてしまったため,内容,特に引用の点で,うろ覚えが多発  しております.訂正,追加をなさっていただければ幸いです.   もうひとつ,わたしは預言については素人なので,思い込みの間違いがあるや  もしれません.これに着いても,適宜訂正追加をお願いしたいと思います.(^^;   さて,以前は,偽預言について,考えていたのですが,これは,いわば,預言を  見るために偽預言という鏡に写してみたのであって,あの後の思考において,直接  預言について考えた方がいいだろうというのが,今回アップにいたる過程で思い浮  かびました.   では,預言そのものを見るのにどうするか.   前11番会議室で議長から預かったままになっていた論点,ARIONは偽預言  なのかを,考えてみてはどうだろう.というのが今回の主旨です.   ARIONのメッセージを見ていて,以下の3つの点が気になる点です.   (いずれも,ARION自身の言ですが,うろ覚えです) 1)私のメッセージは私を離れた後,受け取った側の自由にしていい. 2)私の名前,ARIONすらも最終的にいらなくなることが望ましい. 3)メッセージの答えは,受け取った人それぞれが少しずつ持っている.   この3つの発言は,今までの預言書(これに着いてもよく知らないのですが)の  イメージからすると,大きく違うのではという気がします.   私の持っている預言のイメージは,神が信者に預言を伝え,その預言をもとに,  あるいは,従うことによって,正しい道(?)に向かう(向かわされる)というも  のです.   受け取った後はどうしようとかって,などという気前のよい(?)存在には,出  会ったことがありません.(1)   もうひとつ,預言は信者を導くものであるから,預言を伝える存在は,頑として  存在し続けてくれなければならないのですが.ARIONは,自分が必要なくなる  ことが必要だといっています.(2)   これは,超越した存在にすがろうとする人の心を突き放す何とも不思議な存在で  あると言えます.   全ての人が少しづつもっている答えという観念.(3)   これも,全てを知るのは,神であるという常識(?)からすると不思議な言い回  しではあります.   非常に逆説的で,かつ,非論理的な言い方になりますが,この3点を考え合わせ  たとき,これこそ本当の預言ではないのかという感覚がひらめきました.   こういう用語を使うのは,誤解の元でいやなのですが,ARIONは自力本願的  です.メッセージを伝えるが,あとはしらない,すがりついてくるな,自分で考え  ろというまあ,それはひどい仕打ちです.(笑)   しかし,だからこそ,自分を観る,という作業をすることも信用できるし,耳を  傾けたいのですが.(直感だけ)   自分でも何を行ってるのか分からなくなってきました.(笑)   もしかしたら,全く的外れなような気もしますが,預言の実践という考えにも,  どこかこれが近いのでは.そんな気持ちだけが先行したアップです.   何か考えるところがあれば,ぜひコメントいただければ幸いです.   別な観点の気になることもあります.考えがまとまったらアップしたいです.     とりあえず,新しい預言部屋の流れに乗り遅れないよう     あせってしまった      たまご P.S.ARION信奉者から不幸のメールが届くか心配 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 258/265 GCC01413 HVHY RE:預言について考える (13) 92/12/11 14:17 256へのコメント コメント数:1  −−−−−−−−−−−−−−> たまご さん  それは、人間的な「優しさ/厳しさ」とは少し(かなり)異なりますが、  ARIONは、優しく、そして厳しい存在のようです。  (※この辺りについては、みれさんに聞いてみましょう…)  さて、たまごさんの注目なさった点は、大事なポイントだと思います。  「ARIONの預言が本物(?)である証明」には必ずしもなっていません。  しかし、証明は“元々”不可能なのです。  只、それぞれの人々がどのような感じるか?…これに尽きます。  こういう言い方をすると、判断を単に主観に委ねているようにも思えます。  或いは、単なる相対主義に陥っているようにも思えます。  そのようにしか物事を受け取れない人は、大切な何かを忘れてしまった人です。  と言うわけで、20番でのバトルの続き、こちらでやります?                                 HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 259/265 PBC02112 宇宙猫 RE:死ぬこと。傷付くこと。 (13) 92/12/11 14:42 252へのコメント  みれさんの今回の発言に何かしみじみとしたものを感じるのだけれど,  うまく言葉になりません.  私は一人一人の人間は実はものすごく違うのではないかと思っています.  でもその違いは反目や敵対に結びつくようなものではなくて,  それぞれの人の持つ命のエッセンスのようなところから生じてくる,  固有の色あいのようなものだと思っています.  もちろん,経験してきたことや,考えてきたことも違うと思うけど,  そうしたものも,本人の命がもたらしたもののように感じます.  また,”個”であることは私にとってはとても大切なことであって,  この世で最も”美”を感じさせるものでもあります.  一般的,常識的という概念の中に”個”であることを見失ってしまいたくないし,  反抗するということではなくて,状況により,自らの判断でそういう概念を納得して  使えるように自覚していたいなと思います. うまくまとまらないので,取り合えず今回はこの辺で... 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 260/265 GBG02043 維/YUI RE:死ぬこと。傷付くこと。 (13) 92/12/11 16:56 252へのコメント みれさんの「ん?なんか違うんじゃない」とは、一緒ではないかもしれないけれど。 私は、ものごころ付いたころからずっとなんでか「ん?なんか違うんじゃない?」って 思うことが多いのでした。 いじめられっこだったのも、きっとそのせいもあると。  私の中では、世の中の”一般的”な流れとは別に、その対象となることと自分の関係 みたいなのがあるような気がしています。 それは、”一般的”や”常識的”という ことと、同じこともあるし、違うこともある・・・というわけです。 今年一月の初めに父がなくなったときに、改めてすごくはっきり、そういうことを 感じました。  私にとっての、”死”のイメージはおそらく”一般的”ではないの だろうって。    で、それからもう一年過ぎようとしている今、思うのは・・・ 実はかなりの人々は演じているのじゃないかってこと。 ”世の中”で”生きていく”為に”必要”とされている”常識”という演出で。 でもそれは、本来の”生きる”ではなくて、”生きているふり”になってしまうことが 多いのではないかって・・・。 私も、演じていることはあるからアブナイもんだけど。(- -;) ・・・でも、演じているとわかっているのと、わかっていないのでは、まるで違って しまう気がするの。  ? 私が感じていることが、筋違いならば、この書き込みも意味がないことなのね・・・。 なんか違う・・・っ手感じている人は、多いのかもしれない。 でもそう言うことは ためらうのだと思う。 ・・・だって、”一般的”じゃないって皆にわかったら、 仲間外れになるかもしれないし・・・。 それに、”一般的”で”常識的”な範囲で 行動していれば、下手な摩擦も避けられて、”平穏無事”な生活ができて、余計なこと で、悩まなくたってすむじゃぁないの・・・・ねぇ〜〜〜。 ・・・目の前にした世の中で、それは本当かも知れない。 でも・・・なんか違うじゃない・・・ そんなの、ごまかしじゃない・・・ そういう疑問をぶつけてもみたけれど、 もう、いやになるくらい、そんなこと言ったけどさぁ・・・。 今では、それに対する答えまで何だか読めてしまって、よっぽどでないかぎり 話さなくなってしまっていたりして・・・。  > 私 維/YUI。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 261/265 HGG01312 たまご RE:預言について考える (13) 92/12/11 18:38 258へのコメント >> ARIONは、優しく、そして厳しい存在のようです。   それはとても強く感じます. >> 「ARIONの預言が本物(?)である証明」には必ずしもなっていません。   ええ,そうですね.(^^)   私自身も証明しようというつもりではないですしねぇ.(^^;   そんなことは大事じゃないって気がします.   う〜ん.なんというか.あの部分が,私にとっては,大切だと強く感じる部分  というか.感動を与える部分というか.ううむ.やっぱりうまく言えないな.   分からないんですが,ついでに,もうひとつ,追加. 4)話している人ではなく,その内容に注意しなさい.   すごい.重い.感動.   そんなとてつもないパワーを感じる言葉です. >> 20番でのバトルの続き、こちらでやります?   え?やるんですか?   あのテーマは,私にとっては,いわば,鬼門です.心がささくれだって,ちゃん  と本質を感じられないので,冷静に議論する自信がないです.(;_;)   それとも,20番にたまっている負のエネルギーが,そうさせるのか?   ううむ.   つらいな.でも,こっちだったら,まともに話せそうな気もするし.   自信ないな.   ああ,そうだ.わたしは戦争を憎んでいるのだ.だから,本質を感じれない.     バトルのしすぎで,自分の心がささくれだっているのは,感じる                たまご 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 262/265 HGG01312 たまご RE:死ぬこと。傷付くこと。 (13) 92/12/11 18:38 252へのコメント >> 世の中で「一般的」という飾り文句で語られることの多くは、そう宣言すること >>で、その他の意見を無言のウチに圧しようとするような、訳の分からない不気味な >>圧力を、あたしは感じてしまうのです。   そうですねぇ.   ええと,一般的にとらわれないことはものすごく大事な気がします.     しまった.後が続かない.(--;  たまご 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 265/265 GCC01413 HVHY RE:死ぬこと。傷付くこと。 (13) 92/12/11 21:05 252へのコメント  −−−−−−−−−−−−−−> みれ さん  | 戦争問題にしても、人の生死にしても、何と多くの「一般的」な「常識的」な  |考えが、その他の「非一般的」な「非常識」な考えを圧してしまっているか?  |と思わず背筋が寒くなる思いを感じずにはいられません。  |  | もちろん「一般的」な「常識的」な考えを、間違っているというつもりは  |ありませんし、物事の全てに『間違い』『正しい』といった判断を下すつもり  |はありません。  このような感じ方とスタンスは、私も全く同様です。  また、ぼーさんに副議長をお願いする際に、  2人で確認し合ったのも、正に“そういうこと”でした。  (※維/YUIさんならば、こういう時、“やらせだ〜”と言うでしょう…)  そして、私が今、この会議室以外のメディアで展開しようとしていることも、  全く同一ベクトル線上にあると言えます。  さて、翻って考えてみれば、『預言解読』にも同じことが当て嵌まりますね。  それは、ARIONの預言に限った話ではありません。  例えば、ヨハネの黙示録の解釈にしたって、  時代時代で都合の良い解釈が巾を利かせてきたように思います。  現時点ですら、そのような“妙な流れ”が感じられます。(※具体例は後程…)  こういった不可知の呪縛力に対して、どのようにアプローチするのか?…  まずは、“問題をそれぞれの人の手元に引き寄せること”が肝要でしょう。  そういう訳で、私は、預言解読の入口を“別の場所”に付け替えたのです。  だからと言って、“狙っているところ”は、昔と何ら変わりありません。  反論が反論を呼ぶような“率直な会話”を通して、  宇宙猫さんの言われる「それぞれの人の持つ命のエッセンス」が、  この『預言解読部屋』という桶の中に、沢山、注ぎ込まれれば良いなあ…。  そんな風に思っている今日この頃です。 (^_^)                                 HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室14 ・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 発言数 :598 未読 :8− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 591/598 GBA01276 しまうま サファイアの仔馬 (14) 92/12/11 00:49 コメント数:1  >>サファイアの仔馬が着く前に、しまうまさんの手に残ったものを見定めてね・・・  はーい!!  とは答えたものの・・・・もしかしてこの「サファイアの仔馬」って、第4の封印に 関係していたりして・・・・。  やっぱり、もうすぐ死神が来るんでしょうかね>HVHYぎちょ  とりあえず、着く前に電話の一本も入れてからくるように。部屋ちらかってるか ら>サファイアの仔馬ちゃん  そして今僕の手に残っているのは・・・・一粒の落花生(^^;)ゴチソウサマ>シゲさん                                  しまうま 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 592/598 SDI00635 みれ マッチ売りの少女とクリスマス (14) 92/12/11 03:46 コメント数:2  クリスマスが近づいて、街は色とりどりの飾りで賑わい、人は忙しげに早足で 歩きすぎてゆくけれど。このシーズン、あたしは逆に歩みが遅くなる。  色々なイルミネーション、光の洪水、クリスマス・ソング、着飾った楽しそう な人々に紛れて、あるいはショウウインドウの輝きの隣のひっそりとした、あの 影のところに、寂しい目をした「マッチ売りの少女」がいるような気がして。  それはあたし自身が楽しいクリスマスの買い物をしている時でも、また誰かに 連れられてホロ酔い気分で歌いながら歩いている時でも、ほんの一瞬のあいだに 心の隙間に急に冷たい風が滑り込むような、そんな感触を伴って訪れる感覚なの。  クリスマスのご馳走を家で家族と共に楽しんでいる時に、ふと外が気になった のは、とても幼い時にマッチ売りの少女の話を母に読んでもらった時以来のこと。  でも、この話は何故だかとても恥ずかしいと思い込んでいて(^^;)、今の今ま で、誰にも話したことの無い話で・・・、これを書きながら(^。^;)ウウッとなっている 自分も心のどこかで意識していたりする(笑)。  もしかしたら、原宿の雑踏やイルミネーションの影にマッチ売りの少女がいて 寂しい目で、行き過ぎる人々を見つめているのじゃないかしらん?と、ふと思っ てしまう、だからあたしのクリスマスは嬉しいのと寂しいのと半々なのよね。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 597/598 HFD01514 なえ RE:マッチ売りの少女とクリスマス (14) 92/12/11 16:30 592へのコメント 何か「お祭」にも、似たような事感じる。花火の後や、イベントとか・・・。 すっごく「楽しい」はずなのね。でもどこか「よそよそしい気持ち」があって、 脇道にポツンと咲いてる草花に、一抹の郷愁を感じて・・・。 きっと、今、目にしてい現実の一枚壁を隔てた所には、別の「思い」があって、 それを、心の隅っこで感じてるんだなぁ。って思うの。 それは、きっと「表には出れない悲しみ」なんだろう・・たとえば「楽しみたいの に出来ない」とか「ひとりぼっちはさみしい」とか・・ね。それは知らない誰かの。 あるいは、「祭の後の余韻」が冷めやらぬ内に訪れる「シン」とした静けさが、 余りにも隔たり過ぎて、心が痛みを感じているのかも・・・。 そして、ひとりで涙してしまう。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 598/598 QFG02515 SHANA 壁の細道 (14) 92/12/11 17:25 明星と 月の光に 照らされて 343/345 GGB01540 TOSHI ただの独り言です。 (20) 92/12/11 19:03  ただの独り言です。  議論の論旨がずれたとき、よく言葉の定義の違い、概念規定の違いが問題とされ ることが多いのですが、確かに、その通りのこともあります。しかし、大抵の場合 各人がその言葉を見聞きしたときに、直観的にどういうイメージでその言葉をとら えるかということ自体が、その人の生きざまを明示しているとは、考えられないで しょうか。所詮、言葉を言葉で概念規定することは、基礎まで遡ると、人間の意識 で、規定する以外にないところまで、行かざるを得ないと思います。  言葉の定義を質問していくと、簡単な詭弁が可能ですね。 2 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 780/781 HBA00401 PHOQUE Re:RE:戦いのさ中 ( 2) 92/12/11 22:33 767へのコメント  #767 シゲ七変化 さん  うまく言えないんだけど。  男(に限らないけど)の価値っていうのは,その人の誇りの高さに比例する, と私は考えていたりする。  シゲさんの,内に秘めた誇り,心の中の輝きが見えるような気がした。  その輝きは,多分誰にも傷つけることも失わせることも出来ない,シゲさん の一番の宝ものだと思う。 **:  女が男に惚れるっていうのはね,その人の心の輝きをもっとよく見つめたい と思う心なんだよ(^_^)。                       シゲさんに惚れたかな(^^;)? ** HBA00401/PHOQUE ** −会議室12 ★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 発言数 :432 未読 :1− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 432/432 GGB03531 COOL RE:一連の玉置山の書き込みについて感想な (12) 92/12/11 23:50 337へのコメント  今日のN経済新聞のコラムに面白い話が載っていた。  内容は大体次の通りだった。     「蛙の王様」(イソップより)  蛙の国には王様がいなかったので  蛙たちは王様が欲しいとゼウスにお願いした。  ゼウスは蛙たちの願いをかなえてやり  木の棒を蛙たちに与えた。  最初は喜んでいた蛙達だが  木の棒の王様は大したことがない  と不服を言いだした。  怒ったゼウスは木の棒の代わりに蛇を蛙たちに与えた。  そして蛙は蛇たちに食べられてしまったとさ。  う〜みゅ。  それでも最近の蛙は蛇を飲み込んでいる? 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室13 ★HVHYの預言解読部屋------------<02> 発言数 :271 未読 :6− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 266/271 GCC01413 HVHY テクスト(1) (13) 92/12/11 21:48              〜 ある一つの死 〜                 (テクストとして)       人殺しも辞さない“やくざ”の男に惚れた女が居た。       女は、この男のためならば、何でもした。       ある日、男は“やくざ”同士の抗争に巻き込まれた。       殺されようとしている男を庇って、女は刺された。       社会の害悪のように言われる“やくざ”の男…。       その男を庇って死んだ彼女の「死」は、       意味のある死だったのか、意味のない死だったのか?                              HVHY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 267/271 SDI00635 みれ RE:預言について考える (13) 92/12/11 22:16 256へのコメント コメント数:1  たまごさんへ  ARIONから直接コメントしたほうが良いだろうとは思えるのですが、あたし に伝えてきているので、あたしの言葉で語ることをARIONが望んでいると解釈 して、たまごさんにお話します。  1)ARIONのメッセージは、受け取った側の自由にしていい。  これはどういうことかと言いますと、ARIONのメッセージと言っても、受け取 る側の感性や思考方法、判断力、読解力などで解釈が違うという点を考慮に入れて、 ARIONのメッセージが作られているので、受け取る側が例えば10ある内容のう ち5しか掴めなくても、それはそれなりに機能するようになっているから、大丈夫と そういう意味だと考えてください。  それから付け加えて言えば、ARIONのメッセージを悪用する場合(例えば、A RIONの文章をそのまま自分が書いたようにして、それを売ったりすること)には そのアクションの見返りを、自分の人生の中で引き受けることになるということを覚 悟の上でしてください、とARIONは以前から言っています。  ARIONのメッセージを読んで気に入って、自分の方法で消化し血肉としたなら それを自分の言葉でいくら語ろうと構わない、とも言っています。  メッセージを悪用しようが良用しようが、それを受け取った側の判断であり、かつ その見返りとしてのことも、受け取った側が選ぶことだと、そういうことです。 2)ARIONという名前すら最終的に要らなくなることが望ましい。  ARIONが言っているからではなく、これが自分にとって望ましいから、と自分 の判断で選んだメッセージを自分の中で血肉として貰う、これがARIONの願いで ARIONというネーミング自体に価値を見出して欲しくない、ということです。  ARIONは、名前が権威を持ったり一人歩きしてしまうことを、とても厭がって いて、それが始まるところに「組織」が始まると言っています。  ARIONの言っている、とても当たり前のことを本当に人々が、当たり前のこと として解釈出来るようになれば、誰が言っているか?なんて考えることが無意味であ るということも、自然にわかることだと思います。  ARIONは、いつも「そこ」にいます。これだけは始まりから終わりまで変化す ることは無いでしょう。 3)答は少しずつ持っている・・・  ARIONの言葉は大きく分けて「預言」と「メッセージ」に分かれます。「預 言」は、あたしたち人間に向けて色々な問題を解くための方向性を示しているもの が多く、そしてそれは簡単には分からないようになっています。何故ならば、解読 してゆく道すがらまでもが、この「預言」に含まれるからです。  「メッセージ」は難解なものは少なく、あたしたちの日常の生き方や考え方の道 に新しい見方を示したり、あたしたちが見落としていることに気付かせてくれたり というような目的で出されます。  ここの会議室で取り扱っているのは「預言」のほうで、これが難解であるために 色々な意見が出ていますね。でも、多くの人が色々な視点で意見を言うことが、既 に「預言」の中に含まれていることなので、答は皆が少しずつ持っていると言って いるわけです。  ARIONは自身を「カミ」だと言ったことはありません。「カミ」とあたした ちのインタフェースであるところの「天使」とも呼ばれる存在です。  いままでの「預言」や、それを伝える人達と異なるところがあるとすれば、それ はARIONが、とてもあたしたちに近いところまで来て、話し掛けてきているこ とと、ARION自身が、今まであったような「預言と預言者」システムを超えた システムをあたしたちに見せようとしているところかも知れません。  本当に響きあう心と心のネットワーク、組織なきネットワーキングを目指してい るので、従来の宗教やそれに準ずる組織的なものを一切認めない方向で行こうと、 かなり難しい道筋をARIONは見せてくれています。  そして、あたしはこれが必ず実現できるものとして、既に「実現されたもの」と して心の中で位置付けすることを選んでいます。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 268/271 SDI00635 みれ RE:死ぬこと。傷付くこと。 (13) 92/12/11 22:45 260へのコメント  維/YUIちゃんの感じていること、筋違いじゃありません。  本来の”生きる”ではなくて、”生きているふり”になってしまうことが多い・・・  「常識的」「一般的」なことを演じることによって、世間の大多数から認められる 安全で便利な生活を得ることが出来るとわかって演じているか?それともわからない ままに、「なんとなく」演じているのか?で大きな違いがあると思います。  人間関係で摩擦を起こすことを避けるほうが、楽な生活が出来るのだろうか?って 思うでしょう?維/YUIちゃんも。一見”平穏無事”に見える生活を維持するため に、”一般的で常識的”であることを演じるために、知らず知らずの内に自分の心の 声を無視して生きていないか?って、誰もが一度は考えると思うの。でも、それでも 表面に葛藤や摩擦が見えなければ、それは”平穏無事”な生活だと思おうとする・・・。  そうして心の声を無視している内に、自分が何を望んでいるのか?が見えなくなっ てきてしまう、これは悲しいことね。  でも・・・なんか違うじゃない・・・  そんなの、ごまかしじゃない・・・  この疑問を、何度でも何度でもぶつけて、そして徒労感に襲われ・・・。それに対す る答まで何だか読めるような気がして哀しくなっても、でも維/YUIちゃん、諦 めないで話を続けてね。必ず、読めるような答以外の答が見つかる筈だから。  あたしも、いつもいつも徒労感に襲われ、哀しい思いをしてきたけれど、そして 時には深く傷つきもしたけれど、「でもなんだか違わない?」という思いを消すこ とはできなかったのよ。  そしては流れ、殆どの人が「いつものこと」と思っている日常が、僅かながら 「いつもでないこと」にシフトしている”今”、心の用意の出来ていない人が大き く傷つくことを何とか避けれるのでは?と思って、話し始めるわけ。  維/YUIちゃん、今は未来でも過去でもなく、でもでも未来に記憶された今で あることを、あなたはきっとわかってくれてると、涙もろい「みれ」は思ってます。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 269/271 HGG01312 たまご RE:預言について考える (13) 92/12/11 23:06 267へのコメント   みれさんとARIONへ   おしゃること,すべて理解しているつもりでした.   理解しているつもりなのに,また,メッセージを伝えてくださったこと.   意味があると思います.   理解しているつもりでは,ダメで,実践してこそ意味がある.   今の私のレベルではそういう風にとらえられます.   心のネットワークを作ること,実現することは私の望みです.   わたしは未熟者です.   でも,自分なりに努力します.   メッセージどうもありがとう.   とても元気が出ました.   本当にどうもありがとう.        たまご PS:前に見た夢の通りになりました.    いま,なぜか,涙がこぼれそうです. −会議室14 ・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 発言数 :599 未読 :1− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 599/599 HBA00401 PHOQUE クリスマスのことなど (14) 92/12/11 22:34  思えば夢のない不幸な子供時代だったのかもしれない。うちの母が現実的だ ったのだろうか,私は生まれてからただの一度も,サンタクロースの存在とい うのを信じていたことがない。最初から作り話なのだと知っていた。  別にこういう子供は珍しくないのではないかと思っていたのだけど,周りに 聞いてみると,少なくとも幼稚園の年少くらいまで,人によっては小学校の半 ば位までサンタがいると信じていたという人ばかりなのだ。今まで,家族以外 に,私の様に「ただの一度も信じたことがない」人には未だ会ったことがない のだ。(そのテの話をしたことのない相手の中にはいるのかもしれないけどね)  こまっしゃくれたガキだった私は,子供のころこそ,サンタを信じていた人 を内心で小バカにしていて,人より早く真相を知っていたことに優越感を持っ ていたのだけれど,大人になってから,なんとなく損をしていた様な気がして いる。 **:  繁華街の喧騒がとても気に入っている。例えば渋谷あたりで「裁きの日は近 い」とか書かれた大きなプラカードを持った人を見つけると,モノであふれか える退廃的な街とプラカードのメッセージの織り成す世紀末的なイメージに心 が躍り,「人生ってのもまんざら捨てたモノじゃないな」かなんかわけわかん ないことをつぶやいて一人で堂に入っている。  ここ何年かのクリスマスのイメージって,コレなんだよなぁ(^^;)。  レザーのトレンチコート。レザーのジョッパーパンツにジョッパーブーツ。 黒い帽子を目深にかぶって,一体私は何を気取っているのだろうか? ** HBA00401/PHOQUE ** 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > −会議室20 ■バトルのお部屋--------------------臨時 発言数 :348 未読 :3− 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 346/348 GGA02027 GREY 戦争,雑感,悲壮 (20) 92/12/11 22:16 344へのコメント コメント数:1  ひと区切り付けたい旨の発言があったので.  [戦争]に対するイメージは実体験に左右されるところが非常に大きく,そ してそのイメージの呪縛から逃れられない見解が存在しています. 実体験の ない者が[戦争]を語る際,どの位置に自分を置くか,何に自分を投影するの か,さまざまなスタンスがあります. ただしてはならない事は,[戦争]と というものを道具にしてはならない事でしょう. 少なくとも日本において, 好きこのんで戦争の話題を始める人は殆どいない筈です. しかし,それでも 多くの人が無関心ではいられないからこそ,皆真剣に考えるのです.  [ゆきゆきて神軍]というビデオがあり,内容は旧日本軍で発生した人肉食 いや同軍兵士の置き去りなどの責任を追及しようとする元兵士を追ったもので したが,その中でも見られたのは,[どうしてそっとしてくれないの]という 旧軍遺族の言葉でした. 命は何かと引換にはしてはならないし,出来もしな い. しかし,自分が生き残る為に相手を殺さねばならなかっただけの意味し か,当時を生きたその人には残っていないのです. そして[戦争は狂気だ] [全て戦争が悪い]という言葉で完結させてしまおうとする人が出てくる.  戦争が経済単位としての国家同士の争いであるにも関わらず,理性的行為の 象徴として捉えられる事が少ないのはどうしてでしょうか. 人間の生命に等 価かも知れない尊厳を踏みにじる行為なら,武力侵略でなくとも見られるにも 関わらず.  死ぬ事が生きる事と同じだけ存在し,それ以上でも以下でもない限り[死] の優越性というものはある筈がない. しかし,[死]だけでなく[生]まで もが意義を見いだせない程,抑圧された人間を多く生み出すのが戦争なのだ.  [相手を殺傷する事]が戦術的な目的であり,それ以前に国家間の利害対立 が存在し,そして国家が人の命すらアイテムとして利用する限り,戦争はなく ならないし,命を失う人も後を絶たない. そして戦争というものが1国内で 完結しない以上,必然的に戦闘に巻き込まれる民族・国家が存在する. そこ には勝負の見極めなどは優先課題ではないんだ. 命よりも尊厳に重きを置く 民族が存在し,命よりも威信を重んじる国家がある限り,戦争は勝てるか負け るかで行うものでもない.  実際に戦う人の心理がそのまま戦争を反映している訳でもないし,距離を置 いた批評が的確に戦争を捉えている訳でもない.  暴動,動乱,なんでもいい,見てみるがいい. 権力者に叩き潰された民衆 の死は必然のないものだ. [死]にいかなる意味を見いだすかよりも大切な のは,[必然]を失った理由だろう. 後に続く人々にとっても,過去の戦争 は無関係ではいられないし,いてはならない. 常に戦いは存在する. GGA02027/GREY 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 347/348 HGG01312 たまご 三段論法みたいなもの (20) 92/12/11 22:17 >>言葉尻をつかまえてチャチャを入れるのが私の趣味なので   時々ならまだしも,毎度毎度やられては,議論の中身はなくなる.  そんな議論には嫌気がさす.中身を読まないで,言葉尻だけにチャチャいれするの  は不毛だ.不毛なだけならまだしも,有害ときては対処に困る.   以下に無意味な議論の中から抽出した三段論法みたいなものを掲げる.  (1)実際の戦争はギャンブルみたいなものだ.  (2)ギャンブルはあほらしい.  (3)戦争はあほらしい.  (1)戦争をはじめるには大義が必要だ.  (2)大義は民衆の利益とはならない.  (3)戦争は民衆の利益とはならない.  (1)圧制下に苦しむ民衆は解放されるべきだ.  (2)解放には戦いが必要だ.  (3)苦しむ民衆は戦わなくてはならない.  (1)自分の正義を拠り所に生きるのが最も正しい.  (2)正しいことはいいことだ.  (3)自分の正義を拠り所に生きることはいいことだ.  (1)民衆の利益を得るには戦争によって解決する以外にも方法がある.  (2)戦争はやらないのが望ましい.  (3)民衆の利益を得るのに戦争をやらないのが望ましい. 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 348/348 HGG01312 たまご RE:戦争,雑感,悲壮 (20) 92/12/11 23:06 346へのコメント   GREYさん,こんにちは.   おっしゃることすべて理解できます.   たとえば,戦略戦術を用いること.   戦争が政治の一形態であり,戦争が経済活動の理性的な行為であることを  言及したかった.(全然そうなってないですが>私の書き込み)   そのほかすべて理解できます.でも納得できない.   それだけのことです.   たとえば,権力者にたたき潰され,必然の全くない死に追い込まれる民衆がい  ること.   これには,全然納得できない.   納得できないから,戦争には反対する.   戦争を容認もしくは黙認する発言には,徹底的に反対する.   容認はしないが常に戦いは存在する.   事実です.   だから,いつも問いかけたい.   戦争は愚かなことです.   愚かなことはやめるよう努力しましょう.   私の方は,ただの感想文になってしまいましたが,意味のある発言ありがとう  ございました.>GREYさん       たまご 13 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード > 272/272 HGB02764 EARTH WORK RE:死ぬこと。傷付くこと。 (13) 92/12/12 00:47  |もちろん「一般的」な「常識的」な考えを、間違ってるというつもりはあ  |りませんし、物事の全てに【間違い】【正しい】といった判断を下すつも  |りもありません。  |うまく言えないのだけれど、何か違うんじゃない?と感じてしまうのです  |よね。  戦争について,特攻隊員の死について,色々な考えがあっていいはずだと思 います。  しかし,世間で語られていることの多くが「一般的」と「常識」の中で行な われているように思います。  みれさんの言う「非一般的」「非常識」というのは,個としての考え感性, 感覚をさしているのだと思って,ウンウンと読んでいました。  一般論や常識というのは,すでに個人の感性や感情ではないところで動き回 っています。それが正しいか正しくないかというよりも,個としての感性や感 情がないところで,正当性を振りかざしているところに脅威を感じます。  特攻隊員の死であっても,自分の大切な人の死であっても,その死の本質は 変わらない。  ただそれを犬死にとするか,犠牲的な死とするかは,各個の中で一般論で片 付けてはならないと思います。自分の中で,その死にたいしてどういう感性を もって受けとめることができ,どんな感情が生まれたか,それが大切だと思う のです。  概ね,一般論や常識というのは正当性というすがるには楽な柱があるので, 振りかざしがちです。戦争以外にも,多くの社会問題(原発,政治,環境,教育) が,テレビや新聞の中で常識論で語られ,それがあたかも民衆の声のように扱 われています。  今,多く語られていて概ね正しいように聞こえるものにたいして「ちょっと 違うような気がする」というのは,そこに個としての感性感情が介在していな いからではないでしょうか。 とは言っても自分も最近感性が錆びかけてきているような気がする……。   個としての感性の重要性……,預言解読も同じことが言えますね>HVHYさん earth wark 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 273/273 PBA02422 さはし 初めての戦争 (13) 92/12/12 00:53 271へのコメント 神話や伝承ってのは、そのものズバリではないけれど、深い意味をもっている 時があるような気がする。 聖書では、カインとアベルの物語とか。妬みとか感情の高ぶりが殺人にまで、 発展してしまう。 数万年前の化石人類の時代の人骨には、明らかに食人の痕跡が認められるそう です。それもそうした風習は世界各地に分布していたそうです。 初めての戦争にまで遡ると、人類の原罪にまで遡りそうで何か空恐ろしく感じ てしまいます。 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード > 600/600 PBA02422 さはし RE:壁の細道 (14) 92/12/12 00:57 598へのコメント 地上には 闇夜を照らす 月もなし 電子会議 (1:発言 2:コメントを読む 改行のみ: 読む) 通常モード >