- FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 92/12/28 - 652/653 MHA01114 シュメ−ル Tさん。解禁ですね。  ( 7) 92/12/28 03:06 祝 T情報解禁        T情報がボードに登場しましたね。ここにどの様な形で定着していくのか楽しみです。 「栄二郎」がそのまま出てきてるってのがおもしろいです。栄二郎さんもボードに登場 するようになるのだろうか。 T情報を私は十分に理解できていないのですが、分るとこにちょっとコメントしてささ やかながら解禁祝いにさせてもらいます。 ハルマゲドンが次元の壁を取り除くための方法であるというのは示唆的だ。この辺を私 が勝手に解釈させてもらうと、物質の凝固実験において、許されてきていた人類の自由 意思は、それとセットで宇宙の次元構造を生んでいたのではないか。普遍的な宇宙の法 則を二極化により次元分節し、地球上に物質次元を創設し、リラのプリズムによって散 々していった様々な知性体が統合する場所とすることが地球の宇宙的位置ではなかった か。精神の在りようによって左右されない堅固な世界を造り上げ、そこに宇宙の乱脈す る知性体が集うことにより、知性体の統合への契機を探る場所が地球だ。地球がリラの 対極とか同位置といわれるのはこういう意味においてであろう。地球が宇宙の孤児とし て隔離、保護されてきているのは、ここに宇宙の普遍的法則が適用される場所が目指さ れているのではなく、宇宙の様々な知性体が集い交流し、分裂する前の根源的一者への 記憶回復、統合への願望が目覚める場所として設定されているからだ。裁きの場ではな く、交流の場なのだ。  問題は、交流の仕方だ。最悪のかどうか分からないけれど、あんまりいい気持ちがし ないのは、地球人類が宇宙の知性体たちの遊び道具になってしまう状態。管理者がいて、人類は遊園地のコヒーカップみたいに誰かがやってきて乗り回していく道具になる。そ こには様々な出会いがあり、宇宙知性体にとっては手っ取り早くって手軽に楽しめる宇 宙遊園地には違いないが、地球人にとってはまったく面白みがない。おまえらよそ者が やってきて勝手なことするんだったら、俺たちが人類を管理するほうがよっぽどいいわ い、という人類が出てきてもおかしくない。  さて、ハルマゲドンが次元の壁を取り除くための方法だという。逆にいえば、次元の 壁を取り除いていもいいほどに地球の物質状態は安定したということか。あるいはもっ と深刻に、そんな実験をしてられないほどに地球が撒き散らかす宇宙への弊害が大きく なったということかもしれない。いずれ、次元構造を成立さあせていた封印が解かれて、宇宙の諸力がもろに降り注ぐようになるってことでしょう。むしろ、次元の壁を取り除 くと、これまで保たれていた対立の距離がなくなってハルマゲドンが起こってしまう、 という言い換えてもいいのではないか。マルデク壊しの教訓が多分生きているだろうか ら、惑星としての地球は残して貰えると思うが、人類はどうなるんだろうか。DNAに 由来する肉体としての人類はおそらく大切に保存されるだろうが、訳の分からないごし ゃごしゃっした意識体はきれいさっぱり掃除されるんだろう。 653/653 JAE00201 竜人 初めまして ( 7) 92/12/28 05:25 初めましてARION、今まで雑誌などで噂は聞いていたのですが 自分でアクセスするとは思ってもみませんでした。 早速御聞きしたいのですが、人はニンゲンで在ることが善いことなのでしょうか? それともさらなるモノになることが善いのでしょうか? - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 92/12/28 - 060/060 PEH01124 GO ANWHALE! 猫♪ 環境保全とキリスト教  不本意ながら起論 ( 9) 92/12/28 17:10  ご存知の通り FBT1992の16番では昨年に引続き「捕鯨論争」というのをやっ てきたんですが、反・反捕鯨の中に「捕鯨禁止はキリスト教国の押し付け」と いう主張が根強くあります。これは「動物愛護」や「アニマルライト」などで も同様になされる主張です。だけどどーもおれはその観点に疑問を禁じ得ない。  というわけでまずおれの発言から抜き出して転載しときます(当然ながらこ れらは一連の発言からの抜き出しなので、原文のコンテクストにもあたっても らえるとありがたい)。 FBT_MES16#388「『キリスト教社会』と、そのイメージ」より |  捕鯨論争を通じていろいろ考えたんですけど。確かに、環境問題に限り | ませんが、欧米列強のいわゆる「キリスト教国」がまとまってなにかをす | る場合やたまたま同じコトを協力してやろうとする場合に、彼らが「同じ | 宗教を信じる者同士の気やすさ」で共同歩調を取っている場合はあるかも | しれません(そうだと言っているわけではなくて、これは留保です)。 |  ですが、彼らの論理は、必ずしも「キリスト教的論理」というわけでは | ないように思うんですよ。 |  逆に、たとえば日本の側が、「彼らはクリスチャンなんだからこのよう | な論理であるに違いない」「彼らはクリスチャンだから日本人にはわから | ない感性をしているに違いない」というような想像をしているケースも少 | なくないように思えたりもします。 |  |  なんか、文化摩擦というのは確かにありますし、宗教対立なんてのも実 | 在はするんですけども、それらを甘く見ちゃまずいわけではあるんですけ | ど、過大に見すぎてしまうというケースもけっこうあるように思うんです。 |  なんて言うんでしょうか、そういった幻想の「巨大な障害」を見て、理 | 解しようと努める前に努力を放棄してしまう人というのもまた、けっこう | おられるような気がするんです。どんなもんでしょうか。 FBT_MES16#394「RE:鯨と他の動物と区別する基準」より |  「鯨と他の動物を区別するのは間違いだ」ということですが、たしかに | 「どちらが上か」という区別をするのは間違いでしょう。ですけど、やは | り別の種の、別の生態の生物なのですから、それぞれ別の扱いをするのは | 当然だと思います。 これはレトリックで言うんですけど、もしも動物を | 区別するのが間違いなのだとしたら「家畜であるミンクも絶滅寸前の希少 | 種であるニホンカワウソも同じように毛皮のコートにしていい(*1)」「家 | 畜である鶏も絶滅寸前の希少種であるアホウドリも同じようにフライドチ | キンにしていい」ということになりはしませんでしょうか。これがおかし | な主張であることは明らかだろうと思います。 |  同じように動物である「ミンク」と「ニホンカワウソ」のうち、一方が | 毛皮のコートの材料として殺され、もう一方が手厚く保護される。同じよ | うに鳥である「ニワトリ」と「アホウドリ」のうち、一方がフライドチキ | ンの材料にされ、一方が手厚く保護される。それはなぜか? それは「1 | 種1種の生物が置かれている状況をなるべく正しく認識し、それらの生物 | が生き延びられるように、個別具体的に考える」という作業から導き出さ | れることなのです。そして、同じように鯨に対して状況を認識し鯨が(ミ | ンクだけではなく現在生き残っている鯨全種が)生き延びられるようにと | いうことを考えると、日本の現在の捕鯨に対しては、否定以外の道を見い | 出せないのです。 |  |  多くの欧米人やわたしたちが、「家畜である牛や豚を食うのはかまわな | い」と考え、同時に「野性動物である鯨を食べることには抑制的であるべ | きだ」と考えるのは、ごくごくあたりまえの考え方であろうかと思います。 | それは、キリスト教独得の考えでもなければ西欧合理主義に基づく考えで | もありません。世界の警察官USAの押し付けがましい主張でもありませ | ん。 |  それは、わかりやすい、極めて合理的な思考が導く、当然の結論にすぎ | ないのではないのでしょうか。 |  | *1 わたしは、感情的には「毛皮」というものに反発しますが、それは環 |   境保全派であるからではありません。どちらかというと仏教的な「無 |   用の殺生」であると思うからであり、従ってとりあえず他人には「毛 |   皮を着るな」とは主張しません。ただ黙って軽蔑するにとどめます。 FBT_MES16#395「RE:菜食主義にもいろいろある」より |  宗教的理由に基づく「菜食主義」ですけど。 |  |  これはキリスト教の考え方じゃなくて、仏教的な考え方ですね。「精進 | 料理」なんてのは基本的にコレですもんね。 |  |  もともと「菜食主義」というのは、ユダヤ起源の諸宗教(キリスト教・ | イスラム教、及びその系列宗教)にはなかったように思います。ある動物 | をタブー視、あるいは神聖視することはありましたが、それは「動物一般」 | にまでは広まりませんでした。 |  また、ご存知の通り、ユダヤ起源の諸宗教では、「人間」と「動物」を | キッパリ2分しますから、人間に対するようなあわれみ・同情・感情移入 | というのは、あまり介在する余地がありませんでした。 |  |  この点、東洋系の、「人間」と「動物」をあまり区別しない世界観の方 | が、人間外の存在に対するあわれみ・同情・感情移入が強いといえ、それ | が「愛護」と呼べるかどうかはとにかくとして、宗教起源による菜食主義 | というのはどちらかというとこっちサイドの思想ではないかと思うわけで | す。もちろん例外はありましょうが。 |  |  なんちゅうか、別に話を複雑にするために持ち出すわけじゃねーんです | けども、あの評判の悪い「アニマルライト思想」なんかもね。あれがキリ | スト教起源の思想であるとするのはかなり無理があるんじゃないかと。東 | 洋思想が西欧あたりに持ち込まれて影響を与え(時期的にも東洋思想が持 | ち込まれた時期に符合しますし)、その結果生まれたハイブリッド文化・ | ハーフブリード思想だと理解するのが正しいように思います。それをまあ | 「キリスト教的善意の押し付け」と捉える人が多い理由はよくわかりませ | ん。  なんちゅうか、まあ#395でもう述べているんだけど、「アニマルライト思想」 あたりはあれはもうどう見ても西洋思想でもキリスト教思想でもなくて、もと もとは「全ての生物は同等である」とする東洋思想(特に輪廻概念に基づいた 東洋思想)であるとしかおれには思えんのだねえ。歴史的に考えてみても、西 洋が壁にぶちあたり「ルック・イースト」が流れになったあとに出てきた思想 であるわけで。  かの「グリーンピース」が「理解できない環境保護団体」の代名詞として日 本国内で使われているのと同様に、「キリスト教」という言葉もまた「異質で 理解できない考え」の代名詞に使われているのじゃないかなんて気がしたりす る。  キリスト教とは関係ない考えについても「キリスト教的善意の押し付け」と か言われてしまうキリスト教もご苦労ではあるのだが、やっぱこうなんつーか、 そういうイメージって強いのだろうなあとか思ってしまっている今日このごろ のおいらである。 PS ええと、捕鯨反対なんかをやっていると「んじゃ牛や豚はかわいそうじゃ   ないのか(おれはかわいそうだから鯨を殺すななんて言ってないてば)。   植物はかわいそうじゃないのか(だから言ってないっちゅうてんだろ)。   何も食わずに飢えて死ね」とかよく言われるんだけどもさあ。   なにかっちゅうと「キリスト教的善意の押し付け」とかゆーてキリスト教   を罵倒するヤツは、だったらクリスマスにハシャぐな、バレンタインデー   を口実にナンパすんな、とか思ってしまうおれである。このくらい言って   もバチはあたらんだろーとか思う。そこのおまえ、「反捕鯨はキリスト教   的価値観の押し付けだ」とか言っているおまえ、まさかクリスマスにプレ   ゼントを抱えてデートなんかしなかったやろな? してたら言行不一致だ   ぞっ(=`´=)プンプン。 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 92/12/28 - 061/061 GBG01705 宮崎宗人     やさしい唯識 (10) 92/12/28 01:51  仏教哲学はエライ! なぜそう思うかのかといいますと、現代人を苦しみをから救う鋭い洞察が含まれて いるからです。 唯識はその中でもピカイチ。まず先に頭で納得できるように説かれていますから。 (もちろんその後に体験がついてこないとなんの意味もなしませんが・・・)     頭でっかちの現代人にむいている。                        また、わざわざ宗教教団に入らなくても、(特殊な修行生活がなくても)お茶の間   で本を読むだけで最初の気付きがあるかもしれない。ごく普通の人が           日常の現実にどう向き合えるか、                       この問題が現代人にとって大きな問題だと思うから。 ただ残念なのは、その内容があまりにもむずかしそうに見えてしまうことです。    本屋で立ち読みでも、と本を手にとっても「う−ん、また今度」ってすぐあきらめ   てしまう。 とっつきの悪いむづかしいことを、ごく解りやすく楽しく解説できる人って尊敬し   ちゃいます。多少、解釈を今風に変えたとしても。 そういう本ないかな−                                         私は唯識の入門書をななめ読みしたくらいなので、その深い教えは理解できて無い   と思いますが、門外漢から見て「こりゃすごい」と感心した1ポイント部分だけ、   自分流に変形させて書き込ませていただきたいと思います。                                         基本的には仏教にも縁が無く唯識なんて聞いたことも無い、という方とも同じ土俵   で話しができるようなUPとなるように、がんばります。                                                  まず感心した部分というのは、状況に対する人の認識と反応−行為・感情・思考の   立ちあがるプロセスと、さらにそのやってしまった反応の「気分」がさらに、心の   奥深く蓄えられるという、そのプロセスを仏教の立場から、しかも論理的に説き明   かしているところです。 まず唯識ではこころの構造を8つに分けて説明しています。(心の作用と主体の区   別についてはややこしくなるので省きます。) マトリックスにすると、                                             表層の心  *視覚                                *聴覚                            心        *嗅覚                                     *味覚              *触覚   (以上五つの感覚)                               *意識   (知覚・感情・思考・意志)                                                                   深層の心  *末那識  (自己執着心)            *阿頼耶識 (根本心)                                          表層の心の中で意識とはどう解釈するのでしょうか?                人間の認識システムというものはまず、五つの感覚器官を通して入ってきた情報を  必ず、それぞれが持っているフィルタ−=色めがねを通して認識します。 さらに感情、思考、意志が働く時にフィルタ−=色めがねがかん入してきます。 こういったシステムを統括しているのが、意識といっていいでしょう。 深層の心の中の末那識とは何でしょうか? 「○○な私」「私とはこういう人間である」という思い込みが、それぞれにあると   思いますが、実はそういうものは自分が勝手につくりだした幻である。本当は無い   のに、あるとどうしても思ってしまい、こだわってしまう。これが末那識だといい   ます。 例えば流れる川に手をつっこんでみる。手の平に感じる水は確かに存在するけども、 一瞬たりとも同じ水が手に当ることはない。自己とはこのようなイメ−ジでしょう   か?                                                                              さて心のいちばん深い所にある、阿頼耶識とは? 子供のころの行為や表層の心での反応したことが、その気分の情報としてここに    蓄えられます。(唯識では子供の頃からではなく「無始の過去」からとしていますが、 わかりにくいので勝手に変形します。法相宗のお坊さんすみません。) この情報は種子=カプセルの中で条件がととのうまで保存されます。         (本当は種子とは実体がないものですから、厳密にいえばカプセルという表現は     間違っているのですが、わかりやすいように) このカプセルにはプログラム打ち込まれていて、その情報が蓄えられた時と似た状況 が現れると、それを心が認知したとたんその時と同じ反応をとってしまう。その時と 同じ感情を持ってしまう、同じ考えを持ってしまう、同じように行動してしまう。 そして、また新たにカプセルが蓄えられる。これを永遠にくりかえす。        このカプセルが無数に蓄えられている所がこの阿頼耶識です。心のはたらきの根本で  あるといいます。 おおざっぱですが、心の構造はだいたいこんな感じです。ええかげんですんません。 それで注目したいのが、次の一点です。   阿頼耶識で蓄えらるカプセルは「使いすて」であること。 つまり「一回こっきり」で、使われたカプセルは無くなってしまうということ。 例えば、状況Aに対して怒るという行動をとった人は、aというカプセルを阿頼耶識 に蓄えます。数年後、Aに似たA’という状況が生じます。彼のカプセルaが割れて、 彼は同じ怒るという行動をとります。ここではすでにカプセルaは、使われて、無く  なってしまいます。しかし、怒るという行為をとったことで彼は、さらにa’という  カプセル「A’に似た状況が現れたら怒るべし」というプログラムを蓄えることに   なります。 ただ彼は深層の心をコントロ−ルすることはできないのですが、表層の心は「気付き」 によって選択することができるのです。 カプセルaが開いた時に、自分をしっかりみとどけることができれば、その行為、   感情、思考を自動機械的に反射反応させなくすることもできるのです。        そうすると、カプセルaは使いきり、カプセルa’は作らなくてもすむのです。    もしかしたら、能動的により徳の高いカプセルbがつくれるかもしれません。    実に人間の可能性を示唆、勇気を与えてくれる考え方です。                                     もしかして、本来の唯識とは違った解釈かもしれません。            しかし仏教が、「無」を説くがゆえに死の教え、あるいは虚無の教えであるという   誤解をとく為にも、生に対してポジティブであることを強調したいのです。  又、無力感や絶望感にとらわれた病的な精神が、仏教の空や無を自分へのいいわけ やごまかしに使われることを避けるためにも。 私は別に仏教者ではないので、それだけがすべてとは思っていません。 仏教でも、ヒンズ−教でもキリスト教でもアニミズムでもいい部分は今に合うやり   かたでとりあげたいし、古い社会でのみ有効だと思われる部分は切り捨てていくべ   きだと思っております。 最後にちょっと話しがずれたけど、以上唯識番外編でした。                                  宮崎 宗人 - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 92/12/28 - 455/460 GGA02514 KAZE RE:「左旋・右旋の神遊び」中 (11) 92/12/28 00:24 453へのコメント コメント数:1 NOISEさん、どうも。 >安岡正篤さんの著作はビジネス書のコーナーに置かれたりしているので、 >なんかうさん臭い感じがしてほとんど読んでなかったのですが、・・・ 僕もつい最近まで、この手のものはどうも(^^;)(^^;)(^^;)という偏見を持っていて、 決して近づこうとは思いませんでしたが、「やってみたらおいしかった」、です。 こうした方に対しては、賛否両論があって、諸手をあげて賛成!にはなりませんが、 どちらにせよ、傾聴に値する方だという気はするようになりました。 こうした方の得意なのは、人間の「生」を真っ向からとらえようとする 儒教的な人間論で、たとえば、単なる認識ではなくて、実行力の伴ったそれを「胆識」 と呼ぶように、「気魄」「気力」「骨力」「志操」「志節」「胆気」というような 「実行力」の伴ったあり方をテーマにした話が多くて、元気がでてきます。 人間の「器量」や「度量」というような話でも、結構ふむふむというのが多くて、 たとえば、「東洋思想十講/人物を修める」では、こういうところがありました。 ・・・そういう器ができ、見識が伴ってくると、精神的に自立し、判断力が 発達するので「信念」を持つようになります。このようにだんだん人間は単 なる肉体の存在から精神的・人格的存在、物的存在から道徳的存在になり、 いわば人間そのものが芸術家してまいります。それはもう人間というより自 然そのものであります。そこで芸術的存在になった人間のことを、自然の運 行の大いなるリズムを「韻」とか「律」で表すところから、これに自然の最 もリズミカルな風を結びつけて、「風韻」と申します。あるいはおもむきと いう意味の致の字をつけて「韻致」、気魄の気をつけて「気韻」とも申しま す。 この中にもでている「道徳」という、ちょっとクサめの言葉にしても、 その本来の意味が、次のように明解に解説されていたりして、なかなかいいです。 ・・・この宇宙生成の本質であり、天地人間を貫くところの創造・変化、い わゆる造化の本質原理である「道」が人間を通じて現れたもの、それを「徳」 といいます。道と徳とを結んだのが「道徳」であります。 さて、前回の僕の引用部分の誤植についてですが、 >この『分化発展していく働き、これが陰でありますから』の部分は >「これが陽でありますから」の誤植ではないですか? (^^;)(^^;)(^^;)・・・はい、誤植で、「陽」が正解です。 それから、神道は「陰」か「陽」か、それとも「中」かということについてですが、 >「神道、随神の道、産霊の信仰」が「陰」という部分は >違うんじゃないの、という感じがします。 >随神の道、産霊の信仰は、アメとツチをムスビ、 >「中今」を生きる、中道の思想と解釈しています。 もちろん「アメ」と「ツチ」の「ムスビ」という視点からいえば、 間違いなく「中」の思想であると、僕も思っています。 ただ、紹介した安岡さんの「陰陽」の視点というのは、 そのまま「ツチ」「アメ」に対応するのではないように思えます。 それから、安岡さんというのは、儒教と道教がベースであって、 神道にはあまり詳しくなくて誤解しているともいえるかもしれませんが、 とりあえず、安岡さんの視点をちょっと補足しておくことにしましょう。 ・・・そこで陰は、籠もる、結ぶという意味があり、陽は、表立つ、従って 繁栄していくが、やがてこれは生命の真理から離れる。あまり分かれ分かれ て枝葉にはしりすぎると生命成長の働きがとまる、つまり創造、成長の道か らいうと嘘、偽になります。そこで陽という字には「表に出る」という意味 と、「偽る」という意味があります。 ・・・  人格では、この陰陽の陰、すなわち成長の原動力、結びの力、これを徳と 申します。また分かれて枝葉となり、花実となる陽の力、これを才幹、知能 と申します。そしてこの徳性と才幹知能が相まって、ここに人格というもの ができあがるわけです。・・・ ま、ここらへんの観点の相違というのは、 もっとちゃんと比較してみれば面白いかもしれませんね。 安岡さんにはあまり霊学的な観点はありませんので、その点はもの足りませんが 人格の形成に関わる部分の観点からすると、 またひと味違った面白さがあるかもしれません。 「左旋・右旋の神遊び」について、いろいろコメントしたいことはあるのですが、 ここまで書いてきて、すでに長くなってしまったので、次回にさせていただきます。 それから、ちょっとした付録ですが、“MIZUHO”さんのソースについて、 ちょっとした情報が得られましたので、お知らせしておくことにします。 (この間の、フォローです(^^)>COOLさん&SPOHEさん) 積極的にソースがみずからを明かしたというのではないようですが、 今回メッセージを送っているメインは「クニトコタチ」で、 最初のあたりの簡単なメッセージにふくまれている「です・ます」のソースは 「オオクニヌシ」だそうで、そのほかに、まだ紹介はしてませんが、 ものすごくパワーのある男性的なソースは「スサノオ」だということです。 それから、以前よく出てきていた女神さまっぽい方は、 「コノハナサクヤヒメ」や「イチキシマヒメ」などだったようです。 ちなみに、現在、富士のあたりに破壊的なエネルギーが集中しているようで、 「ククリヒメ」(?)がそこでがんばっている(?)ようです。 ・・・ま、信じるか信じないかは、それぞれでしょうね(^^;)。 メッセージについてですが、かなりたまっているようなのですが、 直接お会いする機会が今のところありませんので、つづきを受け取っていません。 「つづき」はそれを受け取ってからということになりますので、ご期待ください。 いよいよ、92年も押し詰まってきましたが、 ほんと、この遊戯団にしても、僕にとってはいろいろ得るものが多かった年でした。 来年は、いよいよ何かが本格的に動き出すような気がしているKAZEでした。 456/460 HGB02154 SPOHE KAZEさん、フォローありがとう。 (11) 92/12/28 06:03 455へのコメント コメント数:1 「神霊正典」を書いた、矢野祐太朗の弟子にあたる、高島延枝の「神の世界の御話し」 に出て来る神統図によると、     天之三六大神(月之大神)   ◎国常立大神(地之親神)        |               |                |               |              天照彦大神           上義姫大神(稚姫君大神)       |               |                |               |              行長春大神           地上姫大神              |               |                |               |             ◎須佐之男尊          ◎市来島姫大神          ◎大国主神              |              etc.              |             ◎木花咲耶姫        etc. ...となっています。(「ククリヒメ」については、不明) また、別の本では、天系と地系の争いのモトを作ったのは、天照彦大神であり、その罪 を償うために、変化(へぐれ)た(「プリズム・オブ・リラ」風に言えば、「自己の 一部を分裂させて生み出した」?)のが、スサナル之大神とのことです。さらに、稚姫 君大神は、「出口なお」の御魂親神だそうです。 とりあえず、今のところ知っていることを書き込みました。 KAZEさん、MIZUHOさん、「つづき」を楽しみにしています。 HGB02154 SPOHE 457/460 HGB02154 SPOHE 追伸 (11) 92/12/28 06:21 コメント数:1 「ククリヒメ」の「ククリ」が、 「締めくくり」の「ククリ」だったら、  こわい(^_^; HGB02154 SPOHE 458/460 GGA02514 KAZE RE:KAZEさん、フォローありがとう。 (11) 92/12/28 10:57 456へのコメント SPOHEさん、どうも。 ま、そういうことですが(^^)、最初にも言ったように、 あまり霊統にはこだわらないで、ある種の「役割」として考えた方がいいと思います。 天系と地系の争いという構図という考えも外したほうがいいと思います。 やはり、それらの系統というのも、役割が違ってるだけだそうですから。 それに、これからの時代へ向かうためのプラスの契機を得る というのが最優先ですから、ね。 ちなみに、僕の考えでは、神々の系統は大きくわけて ・地球意識とそれをフォローする神霊方 ・月意識とそれをフォローする神霊方 ・大日意識とそれをフォローする神霊方 の3つの系統に分かれて、それぞれの役割を遂行してるんだろうなとは思っています。 ただ、それらの役割とその適用範囲というのは、会社組織でもあるように 常に変わっているようで、固定的に考えない方がいいかもしれませんね。 神々の働きというのはやっぱりよくわからないというのが正直なところです。 それから、「ククリヒメ」というのは、「菊理媛」、 またの名を「白山比口羊神」(ヒラヤマヒメノカミ) (「口羊」というのはひとつの文字です(^^;)) というようですが、富士に云々という情報は、はっきり覚えてないので、 またの機会にということにさせていただきます。 僕はどう考えてもあまり「クニトコタチ」さん(^^;)とは あまり関係ないように思えるし、 「カミゴト」にもそんなに関係ないと思えるのですが、 なぜか、「お手伝い」(?)をするはめになっているようですね(^^;)。 僕は、どっちかというと哲学などを「お勉強」していろんなことを理解したいなあ、 というのを基本にしていますので、わかんないなあ、と思ってます。 ま、何事も「縁」なのでしょうから、僕は僕なりのマイペースで 今後もやっていきたいと思っているKAZEでした。 459/460 GBG02043 維/YUI RE:追伸 (11) 92/12/28 11:13 457へのコメント はじめまして、維/YUIです。 よろしく。 ククリヒメのくくり・・・ですが、”締めくくり”のくくりっていうのは、 あるのではないかと、思います。(私が思っているってことだけですが。) それは、あちこちで言われていることのようですし・・・。                     素敵な新年をお迎えください。                             維/YUI。 460/460 GGD03030 《 隆 》 ちょっと占いの事など (11) 92/12/28 16:51 452へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    なんやかやとやってるうちに今年も今日いれてあと4日となりました。占い  の感覚でいうと、本当は節分で年が変わるわけですから壬申の年はもうしば  らくあるわけですが、世の中の雰囲気にあおられて気ぜわしい感じがしてき  ました。    >これは、古代史についてもいえることで、地球をまるごと調べるどころか、  >ほんの偶然で見つかった化石や遺跡だけをたよりに、構築された歴史観が  >どれほどのことを言い当てているかははなはだ疑問です。  これって、科学が陥りやすい落とし穴ですよね。進歩するにしたがって興味  が専門化してしまって、システマティックに全体を見る事を忘れてしまいが  ちな部分を科学は持っているように感じます。極端な事を言ってしまうと我  々が正しいと断定できる事なんか一つもないわけで、全ては推論でしかない  という事実を心の片隅で認識しておかないと、進化から取り残されてしまう  事もあるかもしれないと思いました。    「プラヤヤ」の話ですが、わかったような、わからないような・・・(^^;)。  まあ、いっぺんに全部理解できようはずもないし、何かのひょうしにぱっと  イメージが広がる事もあるかもしれませんから、それを楽しみにしたいと思  います。こういう話を抵抗無く受け入れられるようになっただけでも進歩で  あろうとも思いますし・・・。    >その中でもこの「易経」というのは、叡智の結晶であるように思えます。  そうみたいですね。易占の本というようなとらえかたもあるようですが、長  い間の智慧を結集したものだとどこかで読んだ事があります。ところで、管  田正昭さんの「複眼の神道家たち」ですが、面白かったですか?。彼の著作  が僕を神道の世界へ誘ってくれたので、興味があります。「高島易断」とい  うと現在では「ちょっと鑑定料が高い」=「お金儲けに走ってるのでは?」  という感じを受けますが、創始者はきっと立派な人だったのでしょうね。ち  なみに易が神と通ずるための手段と同様に暦を使う推命学も神様が暦を使っ  て我々の生まれいずる日時を決めると考えるのだそうです(このあいだ四柱  推命の先生にお尋ねしたのです)。そういう意味では宿命のように思えます  が、結局この宿命もカルマぬきでは考えられないわけで、占いの主たる目的  は立命であるべきだろうと思います。ただ、残念な事に運命学の先生の中に  は自分の権威付けの為か、宿命や的中率にこだわる方がたくさんおられるよ  うで、占い好きな僕にはなんとも悲しい評価を占いは受けているようです。    >僕は真冬の二月に生まれたせいか、冬が好きです。  そういえばKAZEさんは冬の生まれなんですね。僕も冬が好きですが、これは  単に雪が好きで、スキーが好きな関係でしょう(^^;)。このごろは年のせいで  寒いのも暑いのもかなわないなあと思っていますが、30になる前は夏と冬  が得意で、春と秋が苦手でした。冬場も風が強いと厳しいものがありますが、  そうでなければ凛とした空気の中にいると心が澄んでゆくようで良いもので  す。それにしても四季のある国に生まれて良かったとしみじみ思います。                              by 隆ちゃん - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 92/12/28 - 451/463 GCC01413 HVHY 極論? 正論? 暴論? (13) 92/12/28 02:16 コメント数:1             〜 動物的なのは悪いことか? 〜  人間を卑下する時に、「それでは動物以下だ」という言い方をすることがある。  しかし、そもそも、動物とは人間以下なのであろうか?  動物というのは、何か酷いことでもしているのだろうか?  このような“物の見方”というのは、一体、いつの時代から出てきたのだろう。  例えば、動物は交尾する時に、コンドームなど使わない。  交尾という事柄は、そもそもが「本能の迸り」によるものである。  「どうにも止められない愛の発露」によると言い換えても良い。  (※この言い換えが妥当なものかどうかは当然検討されるべきだが…)  そこにコンドームの入り込む余地は本来ない。  こんなことは、宗教上の教義の問題でも何でもない。  動物にも劣ると揶揄されるべきは、  コンドームを使ってまでSEXしたいという本心を、  「理性の成せる技である」といった出鱈目な理屈で隠す人間の“ずる賢さ”だ。  しばしば、「愛があるなら相手の体のことを考えて避妊するだろう」と言われる。  こういうことを“本末転倒”と言わずして何と言うのか?  妊娠したら(お互いに)困るのなら、SEXしなければ良いだけの話ではないか。  コンドームを用いたSEXに愛情を求めたりするのは、あまりにも馬鹿げている。                                  HVHY 452/463 GCC01413 HVHY 会議室違い?(1) (13) 92/12/28 02:38               〜 最も貧困な愛 〜      最も貧困な愛とは、SEXによってしか確認出来ない愛だ。      何故なら、SEXとは、愛の確認行為ではないからである。      一度もSEXしたことのないカップルの間にある愛が      日頃SEXしまくっているカップルの間にある愛よりも深い…      というケースは、幾らでもあるのである。      そんなことも分からない人は、本当にどうかしている。                                HVHY 453/463 GCC01413 HVHY 会議室違い?(2) (13) 92/12/28 02:56               〜 次に貧困な愛 〜     次に貧困な愛とは、SEXしなくても愛はあると思い込むこと。     何故なら、本当に愛があれば、SEXに拘る必要がないからである。     SEXを意識せずに育まれた愛が不意にSEXをもたらした時、     意図されたSEXはものの見事に色褪せるだろう…。     にも拘らず、最初からSEXを意識しているのなら、     出来るだけ早くSEXしてしまえば良いのである。     愛があるのなら、SEXしても、愛はあるのだから。                               HVHY 454/463 GGB03531 COOL RE:A・R・I・O・N (13) 92/12/28 07:53 446へのコメント コメント数:1  私の頃は、ゴレンジャーでしたが、  最近はジュウレンジャーというのがあるらしい…。  これからジュウレンジャーの歌を聞きに行くのであった。 455/463 GGB03531 COOL RE:剣の夢。 (13) 92/12/28 07:54 398へのコメント  「剣」の「柄」は『神』である。 456/463 PBC02112 宇宙猫 RE:コミュニケーション考. (13) 92/12/28 10:04 440へのコメント  HVHYさん,レスどうもありがとうございます.  丁寧な助言に感謝してます.  自分の拘りというものはなかなか除けないものですね.  最近そんなことばかり考えていますが,  やっぱり真実に素直に従っていく方向性が自分にとってはいいみたいです.  まだまだですけどね. 457/463 PBC02112 宇宙猫 RE:ゆっくり歩きたい. (13) 92/12/28 10:11 444へのコメント  維/YUIさん,どうもです.  維/YUIさんみたく自分の持ち味をうまく出せたらいいなと思ってます.(^_^) 458/463 MHD02672 TAO 性衝動の昇華は可能か?(^^;) (13) 92/12/28 10:57 451へのコメント コメント数:1  HVHYさんは昨夜(今朝(^^;))のRTを覗いていたのかな?  珍しく私もRTに出ていて、落ちる前には、性欲=本能か、または  恋愛と性欲は違うものか、などという話題になっていた…。  私は人並に性衝動というものはあっても、恋愛衝動を感じたことがないと  いう困った人(RTでも『それは不幸だ〜』と言われた(^^;))なので、  恋愛衝動を伴わないSEXの貧困さというのは、身をもって知っている(・_・;)。  それはともかくとして、  :動物にも劣ると揶揄されるべきは、  :コンドームを使ってまでSEXしたいという本心を、  :「理性の成せる技である」といった出鱈目な理屈で隠す人間の  :“ずる賢さ”だ。     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  :妊娠したら(お互いに)困るのなら、SEXしなければ良いだけの話では  :ないか。  としたら、同性愛はどうなのでしょう。妊娠というリスクを全く心配しなくて  済むからです。もちろん、同性同士に果たして純粋な愛情関係が成り立つのか、  どうかは検討の余地があるところですが。  それと、「SEXしなければ良いだけ」というのは、そこまで自分を  コントロール出来る人って、ごく少数だろうし、だからこそ避妊手段が  あれこれと考えられて来たのだと思います。  別に、性欲を満たすだけのSEXを全面的に肯定する訳ではありませんが、  人間の性衝動を抑制するのも行きすぎれば、また別の意味で弊害が現れて  くるでしょうから。  障害者福祉の分野では、重度肢体障害者や、精神遅滞者の性生活が課題に  なることがあります。特に、精神遅滞者の性生活に関して、スウェーデンでは  アクティブに取り組んでおり、親としての責務をとても負えそうにない  精神遅滞者に対しては、避妊の手引きを徹底的に行うという話を聞いたことが  あります。それがいいことなのかどうかは、私には判断がつきませんが、  彼らの性衝動を認め、無視しようとしない姿勢に誠実なものを感じます。  :最も貧困な愛とは、SEXによってしか確認出来ない愛だ。  :何故なら、SEXとは、愛の確認行為ではないからである。  :次に貧困な愛とは、SEXしなくても愛はあると思い込むこと。  :何故なら、本当に愛があれば、SEXに拘る必要がないからである。  うん、これには同意出来ます。「性」というのは、それを超えた価値を  見いだすためにこしらえられた障壁ではないか、と思うこともあります。  「性」の奴隷になることなく、「性」を見下すこともなく、  「性」を「より豊かな生の感情」を生み出すための営みとして位置づけるのが  本来なのではないかと。  と言っても、異性に熱情を抱いたことがない私にとっては、SEXに拘らない  「愛」というものさえも、まだ見えて来ませんね。  「恋」が出来る人間って、私にとっては超能力者に見える(^^;)。  うみゅ。この会議室で何でこういう話題になるのだろう(^^;)。  TAO 459/463 PFG01325 MINT ジュウレンジャーは、5人 (13) 92/12/28 13:17 454へのコメント ども、COOLさん! 私も、ジュウレンジャーだったら、10色も用意しなくちゃいけないの?? むらさきレンジャーとか、茶色レンジャーとか、あるわけ?? と、思っていましたが、ジュウレンジャーは、獣連者と書くらしいです。 ヤマト族だとか、なんとか族だとか、(勉強不足ごめんなさい)出てきて、 結構、面白そうなんですけど・・・                   MINT  460/463 GCC01413 HVHY RE:性衝動の昇華は可能か?(^^;) (13) 92/12/28 14:28 458へのコメント  −−−−−−−−−−−−−−> TAO さん  私はRTは覗いていませんでした。  某女史と***してましたので…。???  この手の話題をダイレクトに書いたのは、  確か初めてのような気がしているのですが、  RTでもそういう話になっていたのは奇遇ですねぇ〜。  (※ちょっと待てよ、ここのRTはいつでもそういう話だという噂もあるぞ…)  というわけで、内容的なコメントは後程改めまして…。                                 HVHY 461/463 GCC01413 ふんばば RE:超雑談。 (13) 92/12/28 20:03 426へのコメント   >維/YUIさん   それはもう、書き込み数トップ年内奪回を狙って、   なりふり構わない作戦に出た…ってことでしょう。多分…。                           ふんばば 462/463 GCC01413 HVHY RE:超人 (13) 92/12/28 20:22 435へのコメント  −−−−−−−−−−−−−−> たまご 殿     <注意> 注意です。当会議室の副議長に対して、          気軽に「好き」なる言葉を口にするべからず。                           議長  HVHY     冗談だべさ〜!! 463/463 GCC01413 HVHY RE:技法−指について− (13) 92/12/28 20:43 418へのコメント  −−−−−−−−−−−−> *ねぎひさお* さん   こういうのもあります。  >>>        『夢の中で掌を見る』   これは、有名なカルロス・カスタネダの“ドンファンもの(?)”   に出てくるドンファンの教えのうちの一つです。   このフォーラムには、確か、   「夢をかなりコントロール出来る」と言われる方が   いらっしゃったようにも記憶してますが、   夢をコントロール出来る人はそう多くはないはずです。   上記のメソッド(?)は、   夢の“真の主人公”になるためのキッカケを与えます。   しかしながら、そう旨くは行かない…と思われます。   宜しければ、お試し下さいませ。                               HVHY - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 92/12/28 - 740/741 PEH01157 酷使夢想 375号室ってなんだあ (14) 92/12/28 08:21 夢の話 375室ってなんだあ? ・・・ 智美パパ 事務所よ        ・・・ みれ 智美って事業部長だったけ? ・・・ みさ ただんの部長だったと思うよ ・・・ 741/741 HBA00401 PHOQUE 「成果」 (14) 92/12/28 19:41 たしかにつかんだと思ったのに 握り締めた手を開くとなにもない いつのまにこぼれたのだろう 指のすきまから たしかに追い付いたと思ったのに あたりを見回しても誰もいない いつのまに見失ったのだろう 広くはない世界の中で つないだ手を離したのは私? 振りほどいて逃げ出した あなたの呼ぶ声の聞こえないところまで ** HBA00401/PHOQUE **