049/086 GBE02650 ユ−リ ありがとうございました ( 1) 92/12/29 00:13  みれ(北川恵子)さんはじめ、ROMMERを含めた全ての「世紀末フォ−ラム」の 皆様、今年は本当に色々お世話になりました。ありがとうございました。  今年は、このフォ−ラムに関した事だけでも色々な事がありました。  パソコンとモデムとソフトを買ってパソコン通信をはじめた事。(今年1月のことで した。)  この「世紀末フォ−ラム」に出会えたこと。(最初にアリオンのオ−プニング・メッ セ−ジを読んで、「な、なんだこりゃ??!」と思った。)  こわごわRTに潜入して、「みれ」さんはじめ、フォ−ラムの面々と直に話した事 (エイリアン3の話しをしてた時に、いきなり「英里庵」さんが出てきた時は笑ったな あ。)  上京直前のしまうま君と会って体験談を聞き、「カミ・コメ・ツチ・ヒト」をもらっ て読んだこと。 (考えてみると、僕の顔を知ってるのは彼だけなんだなあ。逆もまた言えるけど。)  そして、ARIONから直接メッセ−ジをもらった事。過去のログを休日返上で読ん だこと(この時点でしまうま君の凄さにはじめて気付く)。カルロス・カスタネダの本、そして、夢の中に出てきた「黒い旗を持つ馬上の男」(^^;。etc…  うん、今年は「自分との再会」と「再生の可能性」という意味で、本当に充実した一 年でした。これも「世紀末フォ−ラム」との出会いがあればこそでした。  僕は明日の朝一で生まれ故郷の仙台に帰省しますので、来年の1月3日までアクセス できなくなります。  受胎の年といわれる来年が、皆さん全てにとって良い年でありますように。                    ユ−リ(GBE02650) - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 92/12/29 - 654/657 HFD01514 なえ RE:ハルマゲドンの一風景 ( 7) 92/12/28 21:42 648へのコメント コメント数:1 白龍・・・・わが家のそばの湖は「白竜湖」今度始めた会社名は「白竜」 うまいのは「白竜湖もなかとまんじゅう」でもって、ゴルフは白竜湖カントリークラブ (宣伝にあらず) でもって、あたしは「白竜」の妻だったりして・・・←←ゴミね ・・・ご・・ごめんなさーい m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m ペコペコ 655/657 GBE02650 ユ−リ RE:ハルマゲドンの一風景 ( 7) 92/12/28 23:41 654へのコメント  そういえば、「その男、凶暴につき」に殺し屋役で「白竜」という役者さんが出てい たなあ。  ちなみに僕の住んでいる所の近くには「然別湖」というきれいな湖があるのですが、 ここのほとりに、アイヌが神様に連れられてきて住み着いたという言い伝えがあるんで すねぇ。          とっ、とっ、とっ、こいつもゴミだな(;_;) 656/657 GDB00064 オリハル ARIONと剣 ( 7) 92/12/29 00:49 「天使と妖精」(潮文社、¥9*0)の54頁に、以下のようにありました。 『光の剣を手に持って、燦然と太陽の栄光の中に立つ、天使長ミカエルの姿を思って下 さい。「太陽の栄光」となぜ私たちは言うのでしょう。そのわけは、天使長ミカエルは 太陽霊の中の一方です。すなわち太陽から、つまり宇宙キリスト世界からきた使徒です。従って、彼の保持する剣は霊的な剣です。キリストが実際にその従者達の手に握らせる 剣です。これは霊の真理の剣です。すなわち人間各人の胸の中に住む神の子の真理の剣 です。これは人間を、その人生の一つ一つの危機から守る武器、すなわち敵と障害を克 服し払い除けるための武器であります。天使長ミカエルは、光の群、その軍勢を導くお 方であります。  今、アクエリアス(水瓶座)の新時代、つまり人類同胞の新しい時代への出発点です。底には進歩と共に破壊の広大な潜勢力があります。この時にあたり、光の力を理解する 全ての人が、光の天使を呼ぶこと、天使長ミカエルと全ての天使らに忠誠を誓うこと、 その必要があります。それによって白光が平衡を維持し、地上にその開花が待たれてい る黄金時代が、人類の上に花開くのであります。』 オリハル P.S. なお、この本では、妖精が進化して天使になることが述べられています。 657/657 PFE01162 HAL RE:Tさん。解禁ですね。  ( 7) 92/12/29 06:18 652へのコメント 関係あるようなないような書き込みですが・・・ シュメールさん、今日やっと「プリズム・オブ・リラ」を読みました。 いつも店が終わってしまう時間まで仕事なので、明け方でもやっている 青山ブックセンターなるところで買いましたのね、これを。 ちなみに家田荘子の「ラブジャンキー」と広瀬 隆の「赤い盾・下巻」 も一緒に買ったら店員に顔を見つめられて恥ずかしかったのでした。 で、なにか拍子抜けしてしまいましたね、読んだら。 誤解を恐れず言うと、多分私がつらつらとモノを書いてもほぼ似たような 内容になるんだろうなと思ってしまった。 ソースに接点はないはずなんですが私の「記憶」とすごくよく似ている。 出鱈目にしては一環性がありすぎる。地球的バイアスも同じ程度だし。 基本線は人類の自立をうながしているところを評価しましたね。 しかし、実際のソースのアイデンティファイが曖昧なのは気に喰わない。 本文のどこからどこまでがソースのもので、どこが著者のものなのかが はっきりしない。 これは本文の最初に断ってはいるものの、「象徴的」な位置確認というのは このソースはするべきだったと思いますね。 この点はARIONはしてるところがオトコらしいと思いますね。 また、後書きにはバシャールにインスパイアされた旨がありますが、これは ある種の誤解を受ける可能性がありますね。 ただ、よく読めば著者はバシャールみたいな存在と話してみたいと思っただ けで、○○○バシャールとは違うということはわかりますが。 全体の内容としては細部にとやかくいわなければOKなものだと思いました いまは「思い出す」ことは必要です。これはここの「自分を見る」というこ ととほぼ同じだと思う。少なくともこの重要な一点において、この本は貢献 できる内容があると思いました。 個人的には、明言はされていませんがハルマゲドンの意味合いとか、愛と戦闘 の等質性などに関する示唆があるところが私好みだった。 また、グレイと後ろ指を指されているレティクル座人に関する弁護が述べられ ているのが珍しいところ。こういうバラシも私は歓迎するものです。 ちなみに私事ですが、私も彼らには協力してるかもしれません。 誘拐されているわけではありませんが、私の遺伝子情報もかれらは採集してい きましたよ、こないだ。 その際、なにかプラズマ技術を使っているようでしたが、この本にもそんな事 が書いてあったので少し驚きました。ほんとマナイタの鯉はツラい。>゚):::=< ま、減るものじゃないのでいいですけど。(^_^;) ということは、私なんぞのキ印DNAでも持っていくほど人類の遺伝子は劣化 しているということでもあるので笑ってられませんけど。 で、総体的には現在公開できるであろう銀河系標準情報の断片というのが私の 印象でした。Galactic Standardちゅうやつですかね。 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 92/12/29 - 062/068 GDB00064 オリハル 怒りについて (10) 92/12/29 00:51 「怒り」を解明してみましょう。怒りとは「意志の自己防衛反応」です。例えば、「→」を自分の意志と決めます。絶対に右へ向かうのだと決めます。ところが他の人の意志が ぶつかってきます。「←」と言ったり、「↓」と言ったりして自分の妨害ばかりします。そんなのにつきあってたら自分の意志「→」が達成できません。だから、周囲の外力を 破壊して「→」を維持しようとします。その「→を守るために生じる破壊の欲求」を怒 りと言います。ですので、怒りと言うのは、目的(結果)に対する執着によって生じま す。例えば、「あ、その青いボールペン、いいなあ。よし、買おう!」と、手を延ばし た瞬間、隣の人がすごい早業で、一瞬早くそれを取って買ってしまいました。この時、 「ボールペンを買おうという意志(→)に反してきた外力」を破壊したくなります。ま た、これは、心理的な面でも、怒りが発生しています。「自分の意志を尊重してほしい」という意志「→」に反してその人は「全く尊重しない態度(←)」をとったために、→ は、←を破壊したくなります。破壊欲求が二重構造で働いています。この時「ボールペ ンは何でもいいや」と考え「尊重してもしなくてもどうでもいいや」と決めることで、 怒りはすぐに消えるのです。これを一言で済ませば、「結果はどうでもいいや」という ことです。これは、単に怒りをコントロールするための想念的なテクニックにしか過ぎ ません。執着を離れた訳です。事柄にもよりますけどね。エネルギーを消耗したくない ときはこのように適当な自己観察とコントロールによって治めることが出来ます。 オリハル 063/068 GDB00064 オリハル プライドについて (10) 92/12/29 00:51 天的な自分に属する性質を、地上的な自分が自分の事だと思ってしまうと、プライドが 発生します。 オリハル 064/068 PEC00710 空空 唯識に興味を持つ一人として (10) 92/12/29 01:03 061へのコメント 同じく、最近「唯識」に興味を持った空空と申す者です。 複雑さと明晰さを併せ持つ「唯識」、この思想を担った人々が “唯識瑜伽行派”と呼ばれている事から察するに、彼らは この思想自体が最終的結論ではなく、実践に入る前の正しい方向づけ として編み出したのでは、と想像してます。 (彼らの前の時代に登場した中観派によって既に「言語化し得る  事物の一切は真実ではない」と証明されてしまいましたからね) ・・・・何かに付けて疑り深いインド仏教徒、全ての存在は空であり 実体ではない、と結論した一方で、でもやっぱり森羅万象の現象は 起こりつづけている。 この(絶対的だか相対的だかは知らないが)現実に対して、いかなる 理論を以てすれば正しく接することが出来るか?というテーマを抱えて 仏陀入滅以来、インド仏教徒は色々なアイディアを考えたようです。 主観の存在(我)は仏陀自身が真先に否定してしまった。 客観の存在(法)は部派仏教によって後々まで信奉/研究されたが、 龍樹の中観哲学によって、やはり否定されてしまった。 「主観も客観もない」それはそれで間違いないが、余りにも身も蓋もない。 もっと方向性のある理論はないものか、という事で見いだされた世界観の 基盤が、主観と客観の接点「認識」の作用(これは「我思う故に我在り」 とは全く違う)であり、そしてその「認識」のプロセスを理論化し世界観に まで発展させたのが「唯識哲学」であったとさ。 仏教哲学を心理学の場で話すのは色々と難しい。まともに扱ったら物理学や 進化論(創造論)などの生命論や宇宙論の常識まで、世界観を丸ごと引っ繰り 返さないといけませんからね。 取り敢えずエッセンスだけを取り出して心理学と照らし合わせるというのが 無難かな・・・・。 何方かユングの心理学入門でもやってくれないかな・・・・。                            空空 065/068 HCA01717 オ〜ロラ サンスカーラ (10) 92/12/29 03:29 コメント数:1 日本語、英語は勿論のこと、その他サンスクリット語等8つの言語に通じている Dr BUBU さんにお伺いを立てます。 唯識にも通じている識者MWさんにもお願い いたします。 仏教での基本的な人間の構成要素は五つに分類していますよね。 ()内のサンスクリット音調記号は表現不可、おゆるしをm(__)m      (1)色(rupa)  -----物質的要素  つまり肉体    (2)受(vedana) -----感受作用   つまり感覚    (3)想(sanna) -----表象作用   感覚から生起するイメージ    (4)行(sankhara)----形成作用   意思・意志     (5)識(vinnana)-----認別作用   対象の認識と判断を通じて得る主観。  問題は(4)の"行(sankhara)"で、御存じの様に普通は"サンスカーラ(samskara)"の 方が使われますが、私の見解では意思または意志では的確ではないと思っています。 will もしくは意思では形成作用の一部しか言い表してないじゃないかと言う事です。  生き物が生まれ変わり(輪廻転生)するプロセスの十二縁起の2番目、の行もサン スカーラですよね。 仏教フォーラムではないので詳しい言及は避けますが、"行"を 意思・意志と訳しただけでは色々な困難が生じます。  また、深層心理と唯識との比較研究をするときに、または唯識の八つの識を学ぶ時 このサンスカーラの心理作用を無視すると、アーラヤ識縁起の考察に矛盾をきたす恐 れがあります。  そこでBUBU博士にサンスカーラに対するいい訳語を考えていただけないかと・・・・・  空空さんが提示したアーラヤ識の訳語も心理学用語等に絡めた言葉がほしいにゃぁ。  「唯識三年 倶舎八年」なんて言うけど、みなさんよく知ってますなー(*^_^*)  唯識の話がよくでるので、唯識の説明をしなくては、と思ってた矢先に宮崎さん から解説があったので助かりました(*^_^*)  夢の話もなかなか面白いですね(^o^)                           HCA01717 オ〜ロラ 066/068 GBG01705 宮崎宗人     「怒り」は心のウンチ (10) 92/12/29 11:18                                          感情とは、認識のプロセスの中ででる、排泄物。                                                         心理学フォ−ラムの中でアドレリアンの野田俊作先生がこれに近いことをおっし    ゃっておられました。 陰性感情を考える上でシンプルかつ的確な洞察だと、感嘆したことがございます。 つまり、   怒りとは心のウンチ。 そう考えてみます。 ウンチはくさいから、早く水に流したほうがいいけど、その前にちょっと待てよ! 毎朝ウンチを観察することで健康状態がチェックできるぞ。                                         感情とは行為の「原因」では無く、欲求を達成するための「手段」である。   怒っている人はまわりの状況を少しでも自分に有利な状況に変えたい、そのために 怒りという手段を使う。 子供のころに体験学習した「怒ればみんなが自分のいうことを聞く」とういう行動   様式をかかえたまま、おとなになってしまう。                   あるいは、親の問題処理のやりかた、これを無意識的に学んでしまう。         怒り狂ってまわりをいやな雰囲気に変えてしまう。部屋のなかでひとり怒り狂って いる。「壁があるのに前にだけ進み続けようとするる、ぜんまい仕掛のおもちゃ」 のような、不幸な人生。 たまった怒りを、どかでいっぺんにはきだそう! こんなワ−クショップ、セラピ−があるかもしれません。 実はこのようなやりかたは、このような心の様式、心の癖をさらに強化するだけだ   といいます。 気をつけましょう。                                宮崎 宗人 068/068 GCC03437 星也 久しぶりの、夢の話 (10) 92/12/29 13:17 試験だとか、試合だとかの世界から足を洗って?約5年。 実際、その当時でさえも、そういう夢はみなかったのに、 今ごろになって、立て続けにみた。 クリスマスごろ、かな。 試験は、大学の卒業試験の一貫。落とせば留年、という奴。 と、思う間に、時間がスキップして試験終了後の場面になる。 「あれ、試験?????」 「なに、いっってんの、さっき回収したじゃない」 「え・・・・・・・?」 鞄の中を捜してみる。(普通は試験用紙は回収されない) が、試験用紙はない。 「でも、試験用紙、ないし」 「それも、集めたじゃない、寝ぼけているの?」 「え、集めたっけ?」 「過去問防止ってことらしいよ」 (会話の相手は、学籍番号も近くよくノートのお世話になったS嬢であった) (過去問とは、先輩→後輩と譲り渡されていく昔の出題の事。傾向がわかる) と、よくわからないうちに試験は終わったが、 追試者の張り出しには名前がなかったので、通ったらしい。 今回の試験は、遅刻で受けれなかった二人 (これも、番号の近かったS君たち・・・・同姓なのだ)だけが、再試らしい。 で、スキーにいく。 遊びスキーのはずだったのが、なぜか試合会場となっている。 (星也は、名ばかりのスキー部員だった) 雪は少なくて、はしっこの方は土やら緑の木やらがでているところに ポールが立てられている。 しかも、デュアルレース。転倒者が続出している。 「こんなコース、まじーーー??」 呆然の星也。その肩をたたいて、 「俺達の番、次だぜ」 と、先輩がのたまう。 (この先輩、2、3年前に事故か自殺かわからない死に方をしてしまった人だった) 文句をいう暇もなく、スタートのシグナル音が、、、、、 ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーー、と心の中で叫びつつ、滑り出す。 このあたりで、目が醒めたと思う。 目が醒めたときには、どうしていまさら試験やら試合の夢をみるんじゃ? という疑問が強くて、よく考えてみなかったが、 結構、含蓄のある夢なのかもしれない。 と、まぁ、こういう夢でした>アラミスさん ちなみに、今朝(12/29)の夢は 「剣の本」と表紙にかかれた絵本ふうのものを読んでいる、というもの。 見開きページになっていて、一つの絵と格言のような言葉がかかれている。 (言葉は絵の中に巧みに隠されていて、それを捜して読み取るようになっている) 1ページ目と、2ページ目は比較的簡単なとこっろにあって、すぐわかった。 3ページ目は、嵐模様の黄色い空の下、船出しつつある中世ふうの船。 船の進行方向は、右から左。 舷側に右から左方向に(進行方向からみると、逆向きになる) 古代文字調の格言が刻まれている。 「るいてっま決めじからあ,は来未の界世」 見た事もない文字なのに、意味がわかった。 そうかなぁ???と思いつつ、それを眺める。 選ぶ前には可能性は無数にあるが、選んだ後ではそれがその人の100%になる。 可能性は無数にあっても、すべての選択肢にはその結末が用意されている。 たしか、1ページ目・2ページ目の格言はそういう内容だった。 ふむ。。。。。。。。という気分です。 - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 92/12/29 - 461/464 GGA02514 KAZE 立命●五行 (11) 92/12/28 21:29 460へのコメント 隆ちゃん、どうも。 プララヤの話ですが、それに関連した天体の進化についての詳細な記述は、 「神智学大要5 太陽系」にありますので、ちょっとむずかしいですが、 この際、さわりの部分だけでも紹介しておくことにします(^^)。 「地球」は、神智学的にいうと、7つからなる一系列(「連鎖」といいます)の 天体のうちのひとつで、その7つのうちで最も濃密な天体です。 その地球連鎖の7天体は、「2つのメンタル天体」、「2つのアストラル天体」、 そして「3つの物質天体」から成っています。 「アストラル天体」というのは、その天体のふくんでいる最も濃密な質料が アストラル質料であって、物質という外殻をまったくもたないという意味で、 各天体は、それぞれの最も濃密なものよりも精妙ないくつかの質料から成る 「副体」をもっています。 たとえば、物質天体には、アストラル、低位メンタル、高位メンタル、ブッディ、 アートマー質料からなる「副体」をもっていて、 同一天体はその副体とまったく同じ空間を占めて同心球を成しているということです。 それから、一連鎖を構成している7つの天体は、便宜上、伝統的に、 それぞれ天体A、B、C、D、E、F、Gと呼ばれていて、 A、Gは低位メンタル天体、B、Fがアストラル天体、C、D、Eは物質天体で、 Cが「火星」、Dが「地球」、Eが「水星」です。 生命が7つの天体を次々に進化しながら一巡りするのを「一環」といい、 従って、「一環」は「7天体期」から成ることになります。  同一連鎖に属する七天体は同時に存在してはいるが、所与の時期に、生命 の維持を活発に行なうことは全くない。一般的には、所与の時期に活発に活 動しているのは一天体だけで、残りの6つの天体は休眠状態にある。  各天体は順番に盛んな活動に入る。すなわち、いろいろな生物の生き物・ ・・がその上に繁殖するようになる。まず初めに天体Aが活動し、長い長い 周期の後、その天体上の生物は次第に数が減少し、やがてほとんど消滅して、 次の天体Bに移る。やがて天体Aは休眠し、天体Bが目覚めはじめる。  長い周期の後天体Bもまた「寝入り」、その生物の大部分は次の天体Cに 移る。 ・・・  各天体はその上の生命が他の天体に移り去るにしたがって次々と休眠状態 に入るとこれまで述べてきたのであるが、その際、実は同一天体上の生命は 全く停止してしまうのではなく、きわめて微量の生命である一種の殻は常に 残り、若干の重要な役割を果たすのである。・・・ という感じで、天体は進化していくというビジョンなのですが、 ここらへんはなかなかイメージしがたいかもしれませんが、 疑問に応じて今後フォローするということにしておきましょう(^^;)。 さて、話は「易経」へと移ります。 >管田正昭さんの「複眼の神道家たち」ですが、面白かったですか? なかなかおもしろかったですよ。 この本でとりあげられているのは、 ●梅辻飛騨守の神道論 ●「霊主物従」の実践的思想家・佐藤信淵 ●「本学」の創唱者・大国隆正 ●観相学から霊的食養道の開祖へ・水野南北 ●霊学の嚆矢・平田篤胤 ●鎮魂帰神法の再興者・本田親徳 ●神仙として幽界探訪した神道家・宮地水位 ●民族学の最終段階としての柳田國男の<新国学> ●川面凡児の<日本最古の神道> ●高島嘉右衛門と「高島易断」 というもので、どれも僕にとっては興味深いものでした。 それから、占いについて。 >残念な事に運命学の先生の中には自分の権威付けの為か、宿命や的中率にこ >だわる方がたくさんおられるようで、占い好きな僕にはなんとも悲しい評価 >を占いは受けているようです。 「宿命」と「立命」についての興味深い話を、 安岡さんは、中国の明の時代に袁了凡という方の著した 「陰隲(インシツ)録」(「隲」の右側の「少」が、ほんとうは「歩」です(^^;)) という本を例にとって、運命の中にある法則に従ってどう生きるかを述べています。 袁少年は、ある老翁から生涯を占ってもらって、 その予言通りに人生を歩んでいくうちに、 「なるほど人間には運命というものがある」 「くだらぬことに煩悶したり、考えたり、野心をもったりすることは愚かだ。 神様がちゃんと進むべき途を予定してくれておるので、 下手にもがいてくだらんことを考えても何にもならん」 という諦め=悟りの心境に達したのですが、 あるとき、雲谷という禅師にあって、 「それじゃ昔から偉人、聖人などが何のために学問修行したのか まったく意義がないではないか。自分の運命は自分でつくっていくのであって、 学問修行というものは、それによって人間が人間をつくっていくことなのだ。 そういう風に人間をつくっていくのが大自然、道の妙理、極意なのだ お前の理屈では偉人、聖人などの学問修行は何にもならぬことではないか。 馬鹿な悟りを持ったものだ。」 と喝破され、反省大悟して後は、それまでは何ひとつ予言の外れたことはなかったのに ことごとくはずれるようになってきた、ということで、 そのことを晩年になって子供達への教訓として書き残したのが、 この「陰隲録」というわけです(^^)。 ・・・多くの人々は、易というものはよく人間の運命を研究する学問だと思 い、運命というものを宿命的に考えております。宿命ならば運命ではありま せん。運命は立命----新たに創造する、でありますから易は、宿命の学問で はなく立命の学問である、ということを根本的に理解しなければならぬとい うことであります。易は文字どおり変わるであり、変えるであります。 われわれ自身、われわれの人生、社会というものがどういうものであり、ど ういう法則で動くものであるのか、そしてそれに対して自分はいかに対処し、 いかに行動すべきかという原理を尋ねるのが易学であります。これを最初に 十分理解し承知しておりますと、この易の学問というものは非常に面白い、 極めて応用のきく、そして自分を救い、人をも救うのことのできる大事な指 命、力をもったものであります。 えっと、また「五行」と健康についてまたになりそうですが、 この際、ついでに紹介してしまいましょう(^^)。 ご存知の通り、「五行」というのは「木」「火」「土」「金」「水」で、 この5つのそれぞれの原理には「相生関係」と「相克関係」があって、 「相生関係」でいうと、木が火を生じ、火が土を生じ、土が金を生じ、 金が水を生じ、水が木を生じるという関係で、 それに対して、「相克関係」は、木剋土(木は土を剋する)、土剋水、 水剋火、火剋金、金剋木という関係です。 で、この五行が、漢方医学に取り入れられて、活用されていているというのです。 人間の五臓六腑というものは、すべて五行に配置されているそうで、 肝臓は木性、心臓は火性、脾臓は土性、肺は金性、腎臓は水性で、 また、肝臓と対するものは胆、心臓と対するものは小腸、脾臓と対するものは胃、 肺と対するものは大腸、腎臓と対するものは膀胱ということで、 さらに肝、心、脾、肺、腎は陰で、胆、小腸、胃、大腸、膀胱は陽であって、 これらの臓器相互の関係にも先の「相性」と「相克」の関係が成り立つのです。 だから、相性作用によって、肝、胆がよくなると心、小腸がよくなり、 心、小腸がよくなると脾、胃がよくなり・・・という関係が成立し、 相克作用によって、肝、胆を悪くすると脾、胃が悪くなり、 脾、胃を悪くすると腎、膀胱が悪くなり・・・という関係が成り立ちます。 ・・・私たちの生活に一番大切なものは、肝臓と腎臓であります。肝臓をよ くすると、心、脾、肺、腎がよくなり、腎臓をよくすれば肝臓がよくなりま す。それで昔から一番大事ということを肝腎というわけです。 また、五行と臓器、それに「色」の関係についていうと、 木は青、火の系統は赤、土は黄、金は白、水は黒というふうに対応するようで、 ・・・だから肝。胆を傷めると病的な青い色になります。青二才といいます が、あれはまだ肝臓がよく出来ておらぬということで、にわか勉強、くそ勉 強をしますと青くなります。これは肝----青を表しております。  心臓・小腸を悪くすると必ず赤味を帯びてきます。頬がほんのりと赤味を さしたりするのが心臓病の特徴であります。・・・  脾、胃を傷めると黄色く、焦げたような色になります。・・・  腎、膀胱を悪くすると黒ずんできます。・・・ ということで、「易」関係のテーマは、奥が深いので、 今後もとりあげていきたいと思っています。 >それにしても四季のある国に生まれて良かったとしみじみ思います。 そうですね、日本人が感情の機微がわかるというのも、 四季の移り変わりということが大きいのかもしれませんね。 僕も、最近特に神道をはじめいろんな日本的なネタをみてますが、 やっぱり日本に生まれてよかったのかもしれないなあ、と思うKAZEでした。 462/464 GGA02514 KAZE “MIZUHO”さんのソース/訂正&追加 (11) 92/12/28 23:22 “MIZUHO”さんのソースの件ですが、再確認してみたところ、 訂正及び追加しておく必要があると思いましたので、ちょっと。 最初にでてきた産土神が「イチキシマヒメ」で、 それと「オオヤマズミノカミ」(お目付け役のような方らしい(^^;)) のふたりが個人的な面をアドヴァイスしてるようです。 その後、でてきたのが「トヨタマヒメ」と「コノハナサクヤヒメ」で、 「トヨタマヒメ」はとてもおとなしい感じの方だそうで、 それに比べて「コノハナサクヤヒメ」という方は、強い感じの方だそうです。 それから、今回のメッセージのほとんどは「クニトコタチ」で、 ときどき口調がやさしいものがあれば、それが「オオクニヌシ」なのだそうです。 (「です・ます」が「オオクニヌシ」というのは訂正します) これは、「コノハナサクヤヒメ」からのコメント(^^;)らしいのですが、  >こうした神々の名前は本来的ではないが、  >今はそれでしか理解しがたいであろうから、  >そういう名前で理解してもよい。 メッセージですが、明日あたりから、 また続きをはじめられそうですので、ご期待を(^^)、のKAZEでした。 463/464 PAG03543 NOISE 慈しむ愛の姫神 (11) 92/12/29 01:31 455へのコメント どうもKAZEさん 安岡さんの「陰陽」の話は、神道のむすびと比較すると、哲学的、複雑すぎるとい う感じもします。しかし、「むすび」は「原因」=「陽」に対する「結果」=「陰」 でもありますから、「むすび」=「陰」ということもできるわけです。 これに関連して、磐山は「ますみのむすび」ということを繰り返し言っているので すが、それについてはそのうちに…… やはり、今回のMIZUHOさんのソースの方は出口ナオ、岡本天明に懸かった「ウシト ラノコンジン」=「クニトコタチ」だったんですね。 #428のKAZEさんの発言では >それから、MIZUHOさんの本性は、「火」の性質を持っているそうで、 >「水」というのは、彼女が個人的に「水」という音が好きだということで、 >MIZUHOという名前を設定しました。……… ということですが、 MIZUHOという言霊について、考えると…… 瑞穂の「ホ」は美称、尊称で、「穂・秀・火」で「霊・日・光」に通じますから、 光るものに「ホ」をつけて「星」「蛍」「仄か」となるわけです。「星」の古語が 「火ホ石シ」、そして、「火焚き」(ホタキ=冬至に陽気を向かえる神事)、「火 明り」(ホアカリ)、「炎」=「火ホの火ホ」、「熱る」=(火照るホテル)。  それから「誉れ」という言霊も「霊希・日希・光希」じゃないかと思うんです。 「瑞」は「水」で「身ミ・体ミ・実ミ」の陰性でありますから「瑞穂」は「水火」 「陰陽」「月日」「右=水極・身極」「左=霊足り・日垂り」のむすびの言霊でも あるわけです。 MIZUHOさんが水にひかれるのは、ソースが水・地に深い関わりのあるカミさんだか らなのでしょうか。 MIZUHOさんの本性が「火」の性質を持っているということは、 「火」は「光・日・霊」の陽性ですから、つまり霊主体従を表しているのでしょう ね。 ちなみに、ククリヒメは、「括る姫神」の他に、水「潜る姫神」という意味合いも あるようです。 宗像三比売神の「イツクシマヒメ」の「イツクシマ」は「慈しみ」「慈しむ」の転 化で、愛、仁の神徳をもつ姫神。「タキツヒメ」の「タギツ」は「水が湧きあがる、 逆巻く」猛々しいありさまで、勇、猛、剛の誠愛、聖愛の神徳。「タギリヒメ」の 「タギリ」は「水の湧きたぎる」「湯が煮えたぎる」噴水、噴火のような無限無尽 の誠愛、大愛の神徳の姫神、といいます。 この三体の姫神は造化三神の現れで、天降りして人身の「胸躰」(ムナカタ)=  「宗像」に宿りヒトのイノチの「愛の霊神」となったという説があります。 慈しみと愛の水の姫神……、宗像三比売神にぴったりのように思います。 464/464 PAG03543 NOISE 「左旋・右旋の神遊び」下 (11) 92/12/29 01:34 ▽むすぶ紙▲  伊勢の斎宮(いつきのみや)の太古神法を継承する松浦家の伝では、贈答品に添 える「熨斗」(のし)も、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神を象 徴しているといわれています。  ここに図を描くのは面倒なので省略しますが、  真ん中を通る「熨斗あわび」=「天之御中主神」=「天之御柱・心之御柱」  左方が「高皇産霊神」=「神意・神慮」  右方が「神皇産霊神」=「人意・人為」  左右対称・合一の形は人の為すことが、神の心と一致することを意味する   材質の「紙」は「神」に通じ、表が「顕界」裏が「幽界」 となります。  「熨斗」は「御食都神(みけつかみ*注)の熨斗」で、贈答品に「熨斗」を贈答 品に添える心としては、「あなたの行いが神の心に適っておられるので、御食都神 がこれをあなたに授けられました。私がさしあげるのではありませんから、お礼は 御食都神に申して下さい」という意味があるのだそうです。自らが神の心と一体に なり神の心に適った者に贈答する。  「熨斗」と一緒に用いられることも多い「水引」には「神の稜威(みいつ)を引 き受ける」という意味があって、神の稜威の根源は天之御中主神と、その働きであ る二柱のムスビの神のこと。  紅白の水引の中心の金色の糸が天之御中主神、紅白が高皇産霊神、神皇産霊神を 象徴し、贈答品を水引でむすぶ心は「こうしたものであっても全ては神の稜威の結 晶(むすび)ですから、神恩に感謝し、それに報いるつもりで御活躍下さい」とい う意味だそうです。日頃なにげなく使っているものにも、こんな麗しい心ばえがあ ったのですね。  このように「折り」「結び」などのカタチをもって宇宙の幽理、玄義を示すこと を「器伝」とか「器教」といいます。 *御食都神(みけつかみ)は五穀豊饒、衣食住、産業を司る神、豊受比売神(とよ  うけひめ)、保食神(うけもち)などと同神。  水引で造る「鶴・亀」は天と地の象徴でしょうね。天高く舞う鶴、地に伏す亀。 「鶴と亀がすべった」という童歌を分析すると、「鶴=天」と「亀=地」が「統べ る」という意味合いになりますから、つまるところ「あめつちのむすび」なのでし ょう。「▽=天」と「△=地」が統べると「かごめ=籠目」の「ヘキサグラム」が 成ります。「ヘキサグラム」は3+3=6であり、「六角」です。  磐山は「むすび」という言葉の根源は「む」の一音に集約されるといいます。  「む」はヒフミヨイムナヤコトのムであり、数字の6も意味し、生物と無生物をつ なぐ炭素の6に通じる神秘と科学の「かけ橋」だというのです。 数霊の古伝での「六」は、  男子の身・水(ミ・三)+女子の身・水=「六」=「睦む」「産霊」「無」 となりますが、「むすび」もいつかは根源の「無」に帰す、ということでしょうか。 ▽むすぶ火水▲  ここまで見てきたことは、KAZEさんの #379の発言に通じることです。 >……ここでツボを指摘することはちょっとむずかしいですので、「手振り健康法」 >を。これは、体内磁気と東洋医学の陰陽理論を応用した方法で、………  この「手振り健康法」をしていると、手のひらが暖かくなって気が充実してくる のが良く分かりますね、気持ちが良い。 >……人体にも磁石の極のようなものがあるからだそうで、 >左の渦の流れをもつのは「開くエネルギー・解放のエネルギー」、 >右の渦の流れは「閉じるエネルギー・統一のエネルギー」で、………  これはタカミムスビ、カミムスビの陰・陽、左旋・右旋、外発・内集の働きと同 じですね。道教にもとてもよく似た概念がありますが、この法則は東洋に太古から 伝わった天来の叡知、磐山のいうところの太古神法の断片なのでしょう。  左の渦の流れは弛緩、右の渦の流れは緊張ですので、紙に右旋の渦巻きを描いて、 それに左人差し指を置いてO−リングテストをすると、リングは容易には離れませ んが、左旋の渦巻きでは軽く離れてしまいます。  それから地面に大きな右旋の渦巻きを描き、その上を内側から外に向かって歩く と地の気を得ることができるので力(地から)が出てきます。緊張しすぎの時は、 左旋の渦巻を目で追うように眺めると弛緩できるといいます。  神前で柏手を打つ場合の作法は、まず両手を揃えて(合掌・陰陽結合)から、右 手の節を一つほど手前に引き(霊主体従)手を打ちます、そうすると良い響きがで ます。  「右=水極・身極」で陰性、「左=霊足り・日垂り」で陽性を表しますから、両 手を揃える合掌は「陰陽のむすび」であるわけです。そして右手を手前に引いて  (左手を前に出し)柏手を打つのは、「霊主体従」(れいしゅたいじゅう)=「陽 主陰従」を意味します。「霊=霊足り=左手」を主に「体ミ=身ミ=水極=右手」 を従にするんですね。また左手が神、右手が自分、ともいえます。 *神を拝する時の秘義の一つを申すと、左掌を神とし右掌を我としたもので、神我 *れに格(いた)り、我れ神に格る乾坤(けんこん)脱落の格神為本の境地を打開 *するものである。………                  [友清歓真]  左手は右脳に、右手は左脳につながる、と、脳においては左右が反転されるのも 面白い。 右手\ /右脳=イメージ・直感・音楽  陽−霊−火−天(あめ)    / 左手/ \左脳=言語・論理・概念    陰−体−水−地(つち)  現代は左脳が肥大した「体主霊従」の時代といえますが、右脳のイメージがなけ れば左脳はモノを創造することもできないのは、「霊主体従」が原則ということで しょう。しかし、左脳の論理がなければそれを表現できない、というのは現世では 脳においても「あめつちのむすび」が肝心ということなのでしょうね。 *-*-*-*-*- というわけで、一応おしまいですが「むすび」に関しては また改めて書いてみたいと思います。 今年も残るところ数日となりましたが、 つまらない書き込みを読んで下さった方々、 FARIONの皆様の 来る年が良きむすびの年でありますように…… お祈り申し上げます。 ありがとうございました。              ヒダリミギそのアメツチのウズマキは                  ムスビのカミのカムアソビかな  [NOISE]  - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 92/12/29 - 464/478 GCC01413 HVHY RE:クリスマス (13) 92/12/28 21:10 399へのコメント  −−−−−−−−−−−−−> しょうる さん   後世における捏造の有る無し…といった問題はともかく、   私も、新約聖書に見られるイエスに関する記述は、   基本線として“事実描写”であると考えています。   例えば、イエスの洗礼の場面で、  >>>     「聖霊が鳩のように天から降りてきた」   という部分があるのですが、   これをメタファーとして受け取るのは間違いだと思います。   かと言って、形而上学として受け取るのも疑問です。   むしろ、“素朴実在論”的に受け取ったほうが真実に近いでしょう。   (※おっと、岡さんとの三位一体論争(?)の再燃かぁ〜?)   …てな話は蛇足だったですね?                               HVHY 465/478 HFD01514 なえ RE:A・R・I・O・N (13) 92/12/28 21:18 454へのコメント をををを!! COOLさん (^ー^) >>これからジュウレンジャーの歌を聞きに行くのであった。 って、けっこう楽しい方なのね。(^^)意外や意外だ。ほほ(^ー^) で、どこでやってたのかしらん。←←見てみたいな。ジュウレン ちなみに、あたしの良い子達が好きだったのは「ファイブマン」でした。 でもって、このシリーズはぜんぶ「5人」ってのが、ミソだったりします。 →→手の5本を思い浮かべるのであった。 でもってこのシリーズは「わざっとらしい、くさい演技」が新鮮でよいなー。 と時々見てるのだった。(^^;)ハズカシ・・・ 466/478 QFH02012 アラミス 「冷たさ」と「熱さ」 (13) 92/12/28 23:50 448へのコメント ニ週間以上前の話になるが、数日に渡って急に気になりはじめたARIONの MSGがあった。 >> 大いなる「冷たさ」と、大いなる「熱さ」の間に横たわるもの。 >> それが、あなたがたの求めるものだとだれかが言うだろう。 >> しかし、私は言おう「それは間違いである」と。 >> 大いなる「冷たさ」と、大いなる「熱さ」のどちらかを、 >> あなたがたは選ばねばならないのだ。 >> 何故ならば、この相克の結果があなたがたの求めるものだからだ。 「冷たさ」と「熱さ」のどちらかを選ばなければならないと言う・・成程、 それはそれでいいだろう。だがそもそもこの、「冷たさ」と「熱さ」は何を 指しているのだろう?。 ある人はそれを死と生と言い、またある人は欲と愛と言った・・私が初めてこ のMSGを見た時、頭に浮かんだのはもっと単純な事だった。 「冷たさ」・・冷静である事、クール(冷撤である事) 「熱さ」・・・情熱的である事、ホット(熱狂的である事) 気になる度に私は自分に問う。私は「冷たい」者であろうか?、それとも 「熱い」者であろうか?どちらを選ぶ?。 ・・・もしかしたら私は「冷たい」者かもしれない、そう感じた時その「冷た さ」と言う言葉の持つ意味から私の心は苦い色に染まった。・・・ もちろん決着は付いていない、今でも答えの無い選択を繰り返している。 これからもそうだろう、思いだす度にこう問いかけるのだ。 「おまえは、冷たさと熱さどちらを選ぶのだ?」と・・・ その後暫くしてRTで聖書に似た記述が出ている事を教えてもらったのだが、 私には目の前に突然「冷たさ」と「熱さ」のMSGが飛び込んで来た事に驚いた のだった。(丁度その事を何度も自分に問いかけていた時だったから) 私はここにその事を書こう、と教えてくれた人に言ったのだがタイミングを外して ズルズルときてしまった・・・。 そんな訳で議長の書き込みの「冷たさ」と「熱さ」の話を見て、再び腰を抜か してしまった訳だ(大袈裟だなぁ)、 先を越されたぁ!ってのもちょっぴりあるんだけどね(笑) 467/478 GED02702 石田 直樹 面白い人間はなかなかいないものだ。 (13) 92/12/29 03:27        *** 欲望と知性のもたらす矛盾 ***  私達は坂道にいる。危険な山道である。先を歩く者が危険な足場を後続の 者達に知らせる。素直にその言葉を聞き入れ、従う者はその危険を未然に回 避出来る。従わない者はそれが本当に危険かどうかを自分で確かめなくては 納得がいかない。その結果素直に聞き入れてすばやくそこを通り過ぎた者よ りも時間的なロスが彼には付きまとう。  前者は常に信心深い謙虚な人である。要領よく物事を進めるが、常に先生、 或いは先導者を必要とする。彼にとっては危険に対する配慮は無いに等しく、 先導者が現われない限りいつまでもそこに留まっている。  後者は常に一人の自分を想定して、自立し、いつでも自由に動ける心の準 備が出来ている。物事に対して傷つきながら身体で覚えていくタイプで、自 力で立ち直れない場合はそこで自滅して終わる。  前者はその習慣が身体に染み付いていると、坂道に居ながら平地にいるよ うな気楽さが「親しみ」として感じられてくるが、彼は常に「一人では生き ていけないものだ」と仲間に語る。しかし彼が心底必要としているのは、互 いを慰め合う仲間ではなくて、強引に引っ張ってくれる指導者なのである。  後者はいよいよ死ぬかもしれないと思う時に初めて後悔する。あの時素直 に従っていればこんな目に遭わなくて済んだだろうか?と。彼は常に真実に 直面しているが、それを人に判るように説明する能力が無い。彼は常に理解 出来ない者達に語る。「一人になってみればわかる」と。  物事に矛盾を感じるのは、常にその人の習慣から来る感情的な偏見の色眼 鏡を通して物事を見ているからだ。ここに前者と後者の間に立つ者が居る。 彼は険悪なムードを理屈によって緩和する心の仲介者である。この理屈っぽ い人間は前者からも後者からも攻撃の的にされる。しかし彼が沈黙した時に 初めて双方は考えてみる余裕が生まれるのである。  こうして前者と後者と双方の仲介者の立場の違いが理解出来たならば、あ とはそれぞれの立場として身に付いている度合いの問題である。それが彼の 経験度に照らした性格であり、彼の人間性・格調を決定づける。                             石田 直樹 468/478 PFE01162 HAL RE:A・R・I・O・N (13) 92/12/29 04:54 454へのコメント ジュウレンジャーはいま子供達に一番人気ですね。(特に男のガキ) それからニンジャタートルズも人気がある。 どれも善玉でウロコがある。 Vとは逆の設定になっているところがニクいす。 私は悪い傾向だとは思わない今日このごろです。 469/478 GGD02212 *ねぎひさお* RE:ラプチャー? (13) 92/12/29 06:42 406へのコメント  『ラプチャー』というと、人間が空中に引き上げられて、雲に乗った キリストに逢うという、空中携挙のことですね?新約聖書の中に根拠と なる部分があるというのですが…。「人の子のような者が、雲に乗って 来る」(孫悟空?オリハルさんの事かな?(^^;)というと、輸血拒否で 問題になった某教団では今でもキリストが雲に乗って来ると信じられて いるのかな?何年何月という予言が何度も延期されていると聞きますが …。私が大学生の頃、聖書関係の専門店へ聖書カバーを買いに行ったら、 その教団の人と間違われた(^^;)。異端の雰囲気したのかな?  この他にも「世の終わり」には、「死人が墓から蘇る」(ゾンビ?or キョンシー?)「日と月は暗くなる」「星が落ちる」(隕石か小惑星?) …聖書を文字どおり逐語解釈する見方から、何かの象徴として、または 心霊的事象としての解釈など様々なようですが… >   問題は、「だからどうするのか?」という点に関して、 >   それぞれの人がどのようなスタンスを採るか? と、言われると…確かに、どれが間違いとか正しいとか議論していて、 「心構え」を忘れていてはパーでしょうね。どの解釈にも共通するのは、 「既存の価値や『世間の常識』的な尺度が通用しなくなるかも知れない」 ことについて考えてみるべきでしょうね。  土地・財産、地位・名誉が失われるかも…(既に予兆としてバブル崩壊) 最初から物質的なものに絶対的価値など無いし、精神的なものにしても、 単なる表面的な知識だけでは役に立たなくなるのは、ボケ老人になったら 皆そうだ。何だ、世の終わりでなくても誰しも直面しうることじゃないか。  「終末」に求められるものというと、パニックに陥らないための知恵・ 勇気・冷静さ、排他的な過剰防衛にならないための謙虚さと心くばり… といったところが思い付くのだが、どこまで真剣になれるやら…。  「癌」を告知した患者に遺言を書かせてみる医師がいる。…死を直視 する事で生の意味を悟る…「終末」に備え心の準備をするのと似ている。  たぶん#325の[〜「地獄」行きの男〜]の話と、それへのコメントも 共通する面があるのでしょうね。 <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< *ねぎ* 470/478 GGD02212 *ねぎひさお* RE:クリスマス・イブ (13) 92/12/29 06:43 445へのコメント 「3か4」から「5か6か」ですか…シカゴ(4か5)へでも行って考えよう。 > ARIONの提示する数体系では『6』が中心になっているのですが、 > それは「『6』が人間を表す数字だから」だそうです。(※みれ氏談)  聖書の始めのほうを見ると、神が人間を創造されたのは天地創造の第六日 (創世記1:24−31)でしたね。終わりのほうにこんなのもありましたけど。 | 思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさす | ものである。そして、その数字は六百六十六である。(黙示録13:18) > これに対して、神道系の数体系では『5』が中心に据えられています。 > これは、単に「視座」の違いから来ているのでしょうか? > それとも、もっと重要な問題がそこに含まれているのでしょうか?  「もっと重要な問題」があるのかオラには解らねえだども…。 『言霊』はアオウエイの五音を基本しているようですが、日本語も万葉の 時代まで遡ると母音は八つあったそうで、濁音と清音の区別も無かったよう だし、七十五音とどう対応するんだろう?  △▽のクロスであるカゴメを立体化した八面体(→#137)のカドは一方向 からは一つが陰に隠れて五つしか見えないが、実際には六つ。中心点を含め 七つの点があり、四点を含む面を垂直に貫く三点とも見える。(オリオン座???)  神様は数霊的調和を図って、人間の四肢五体、五臓六腑をデザインした。 手に五本指があるように、意識を中心に五感がある。#409では両手を男女に 見立てたが、霊肉に見立てると、魂を中心に霊的五感というのもあるのかも。 (手の「左と右」というより「手と足」なのかも知れないが。)  四肢五体と五指のようなフラクタル(部分が全体に相似)な構造を見ると、 六(あるいは十二もしくは二十四?)人で一人という発想に結び付く。天使 も六体を単位にグループを構成しているとも言われる。(詳細不明)うち幹 となる一人は目立たず、表面的には五人で活動している(ゴレンジャー?) ように見えるのかも知れない。貴方は誰かの手であり、私は指かも知れない。 ハナクソ ホジル ユビ ダッタリシテ…(^^;) <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<*ねぎ* 471/478 GEB00123 しょうる 理解 (13) 92/12/29 14:08 理解とは何だろう? 記憶することではないというのは判る。 それは当然だ。 では? 読む? 見る? 行為による? ある瞬間に理解は訪れるという。 これは誰もが経験すると思う。 ひらめきのようなものだ。 どこから来るのだろう? 明らかにそれは自分の通常意識からやってくるのではない。 それならば理解したなどという言葉もいらなくなる。 こう考えてみた。 人間一人一人には天なる父がいるという。 天なる父とは神の事である。 神は全知全能であるとは昔から言われている。 すなわち、何でも知っているのである。 しかし、人間は神ではない。 だから、何も知らないし判らない。 人間が理解するという事は、その知、すなわち神のその側面において 同一化を果たす事なのではないかと思う。 それを神より与えられるのである。 「求めよ、されば与えられん」という言葉のままである。 真理を体現するという言葉がある。 逆に言えば、完全に理解したという言葉だと思う。 しかし、理解は準備が出来るまで、あるいは人間に判らない理由によって なかなかやって来ない時もある。 その時に出来るのは、ただ忍耐あるのみだろう。 ただ、与えられるのを待つのみである。 (^_^;) なんか変な表現になってしまいましたね。ごめんなさい。 しょうる 472/478 GEB00123 しょうる ちょっと思った (13) 92/12/29 15:05 昨日、TVでモンゴルの経済状況について放送していた。 社会主義の時よりも、貧富の差が激しくなっているという。 お金儲けの才能のある人が、どんどん幅を効かしているそうだ。 チャンスを生かせる人が良くなっていく。 もちろん、お金持ちがいいというわけではないが、貧困よりは良い。 これはお金に限った事ではない。 最初のスタートはほぼ同じでもその人によって運命が変わっていくということを はからずも表しているのではないだろうか。 無論、生まれ持ったものの差異はあるかもしれない。 けれども、それを生かすのは自分自身なのだということをモンゴルの状況は 語っているのではないだろうか。 その人の中心がどこにあるかで、運命あるいは引き寄せるものが変わっていく。 内面がそのまま外面に現れてしまうのだ。 もちろん、それを見た他人からは幸福か不幸かなどはわからないが。 本人にはわかるだろう。 人間は、この自由を持っている。 生かすかどうかは、やはり本人次第なのだ。 しょうる 473/478 GBD03557 SHIGE! するって〜と>たまご (13) 92/12/29 15:29 420へのコメント 自殺の値打ちのない部類にあてはまったんですね。オヒョヒョ 474/478 GBD03557 SHIGE! 最も貧困な愛.次に貧困な愛 (13) 92/12/29 15:30 452へのコメント →→→→HVHYさん #452 #453 愛とセックスを関連付ける必要はないのだけど、そこに愛が小さくても存在してる ならば、貧困とか深い愛っていう区別はいらないと思う。 少なくとも、互いが優しさを持ちよって行う行為なんだから。 快楽だけのセックスだったら、愛もなにもないもんね。貧困のレベルさえも到達 してない。 でも、売春する人は、それはそれで何等かの”愛”があるんだろうね。 475/478 GBD03557 SHIGE! 本気だったら (13) 92/12/29 15:30 462へのコメント :    <注意> 注意です。当会議室の副議長に対して、 :         気軽に「好き」なる言葉を口にするべからず。 : :                          議長  HVHY : : :    冗談だべさ〜!! 冗談じゃなかったら、警告どころか退場だろうな・・・>シゲ 476/478 HFD01514 なえ RE:ありがとう (13) 92/12/29 17:01 441へのコメント こんにちは HVHYさん : また、道を歩くのは神様ではなく、私たち人間ですから、 : 人間が神様に依存することもやはり出来ません。 : それでも尚且つ、人と人が、人と神様が、“助け合う”ことが出来るのなら、 : それは、かなり意義深いことのように思います。 神とは、この世界上での「絶対真理」であるといえるでしょう。 それは、解るとか、解らないとかいう事の、枠を越えています。 生きている以上、好むと好まないとに関わらず、「絶対存在」している訳だから、 「感じたい」とか「理解したい」とかいう次元で考えているのは、お角違いな訳 です。 それでも、なおかつ人は惑い苦しみから逃れる為「真理」は何か探す旅をしている のでしょう。(昨今の新興宗教ブームもそれかしらん) 誰だって「これ程確かなものは無い」と確信が持てたら、その事に傾倒していく事 は、容易に考えられます。仮にそれが「ウソ」であっても。 でも「ウソ」かどうかとは、実は誰にも証明をする事が出来ません。それは人間の 領域を越えた存在の証明に他ならないから。(当たり前か) でも「絶対真理」の上には、実は証明出来ると思います。「ウソ」は、いずれ壊れ 白日の元にさらされるでしょう。それが「真理」に他ならないからです。 (黙って見てろ的な意味ではない) 真理は、実行だと思います。行動から「神」の真理を見い出して行く事が、即、神 に触れ、神と助け合う事だと思っております。それは誰にでも出来、貧富や知識の 在る無いに関わらない「全ての人間の為に与えられた真実」だと理解しております。 (テクストは、幾多存在しますけど・・ね。) - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 92/12/29 - 742/747 GBE02650 ユ−リ RE:決意 (14) 92/12/28 23:38 728へのコメント  サッチャヘルカさん、はじめまして。  帯広のユ−リです。実は以前からお話ししたいと思っておりました。  僕は過去にも、そして今も、いかなる信仰集団にも属したことはありませんし、今後 もそのつもりはありません。  それから、あなたの所属するオウム真理教についてはマスコミで伝えられる情報以上 の事は知りません。  だから、あなたが何を信じ、何をなそうとしているのか、僕は全く知りません。  ただ、純粋なる信念と決意に対しては、それにふさわしい純粋な敬意と称賛が与えら れるべきだと思います。  サッチャヘルカさん、がんばってください。そして、いつかあなたの宿願が達せられ ませんことを。  そして、あなたの道が私の道の妨げとならないことを心から祈っております。 744/747 GBD03557 SHIGE! RE:BE-LIVE IN YOU (14) 92/12/29 15:31 707へのコメント →→→維/YUIちゃん おもわずタイトルを・・・BE IN LOVE WITH YOU・・・と読んでしまいました。 ん?俺のことかぁ?・・・なんて思って・・・なわきゃないか 僕も不特定多数の誰かを導けるような存在になれたらいいワン。                                 ポチ 746/747 HBA00401 PHOQUE 「予感」 (14) 92/12/29 16:55 澱んだ空気の中であなたをみつけた 息苦しい澱の中でさえあなたは やわらかい光に包まれている ほんの少し,風が吹いた気がした 運命なんて信じちゃいない ただ,私の目はあなたを捉えた まっすぐに見据えた先にあなたがいる それだけが真実 光に呼び寄せられ いつかその足元に私は跪くのだろう その日が来ることを,果たして私は 望んでいるのか/いないのか                    米軍機の音を頭上に聴きながら…‥ ** HBA00401/PHOQUE ** 747/747 HBA00401 PHOQUE Re:RE:RE:なんてことはない (14) 92/12/29 16:55 743へのコメント  でもって,たしか相手はペパーミント・パティだったよね。  この一連では,もう一つ印象的な(私にとっては)セリフがあって,確か ライナスがペパーミント・パティに向かって 「こんな風にかい?」 って涙をKISSで拭いてあげてから, 「美はそれを見るものの目にあり」 って言うんだよね。  そういう風に言ってくれる人が欲しいとそのころは思ったモノだわさ(^^;)。 ** HBA00401/PHOQUE **