096/100 PFA03317 Eddie RE:RE:南伊豆へ行ってきました。 ( 1) 92/12/30 13:40 091へのコメント  Eddieです。  そうそう、金星が運転する車のウインドウの前にずっとあった。  UFOがでないかなぁと、探していた私です。  土曜の夜は、J.O.Eというプログレバンドのキーボードの人と一晩中、音楽やゴ ジラや  ルパン三世のことでもりあがった。  その人のおくさんは栄養学関連でよく知っていたんだけど、ご主人がまさか、ミュー ジシャン  とは。  しかも、プログレバンドのキーボードやってるという。  プログレじゃ食えないので、歌謡曲のバックなどもやってるとのこと。  不思議な縁を感じるこのごろです。 100/100 PBA02422 さはし 円環の行方 ( 1) 92/12/30 22:47 1年前、僕は某フォーラムで、やはり今と同じように談話会議室で「はしゃいで」い た。一年経って、いまここにいる。今の円環は光に満ちた楽しい場所だし、この楽し さがいつまでも続くように祈っています。 過去の円環は既に閉じてしまったのだろかと時々、気になることがあります。望んで 帰れる場所ではないですけれど、あの場所に集う人々の幸せも、このフォーラムの人 達と同様に祈りたい。 今年は色々と問題もあったけど、1年と云う時間の中では、良いことも悪いことも、 等しくあったような気がします。今年も後25時間を残すきりだけれど、周囲の人々 への感謝と、自分の至らない愚かさへの反省を込めて、残りの時間を過ごしたいと思 います。 FARIONの皆さん、今の時間をありがとう。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 92/12/31 - 658/658 GBD01723 サッチャヘルカ 発言者削除 :戦え!魂よ ( 7) 92/12/30 10:52 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 92/12/31 - 069/073 GBG01705 宮崎宗人     発言者削除 :誤字です (10) 92/12/30 17:03 070/073 GBG01705 宮崎宗人     「怒り」とモノサシ (10) 92/12/30 17:10 コメント数:1  「怒り」についてもうひとこと。                                         066のUPで怒りに関しての内容をまとめますと                                                         @怒りとは認識のプロセスで発生する排出物のようなもの。             A怒りとは、状況を自分の都合のいいように変えるための「手段」として使われる。 BAのやり方は、体験学習で獲得され、気がつかないかぎりいつまでも持ち続ける。 このような怒りが表出する、心の背景とは? 怒りっぽい人は世界をどのように認識しているのか。どのように写し取るのか?    彼にとっての対象はすべて「優れているか?劣っているか?」「どちらが上で、  どちらが下か?」「どちらが支配者で、どちらが非支配者か?」になります。     このようなモノサシしか持てない人にとってに、最も重要な問題は自分の位置です。                                         ある者はこの位置関係を乱す人間や概念に対して、「怒り」という武器を使って戦い  を挑みます。また、ある者は奴隷である事の安定を選びます。 いづれにせよ、不幸な選択です。 世界は自分の見方によってどのようにでも変化するし、一瞬一瞬幸福でいるか、不幸 でいるかを選択するのは本人自身なのですが、病的な精神は自ら不幸を選ぶのです。 とはいえ優劣のモノサシを捨てるのは容易なことではありません。(お悟りになられ  た方は全部手放せるのでしょうが)おだやかな仮面の下はドロドロとした戦場である  ことも多い。  とりあえずはこのモノサシ、持ってることは認めた上で捨てることは考えずに、どこ  かの内ポケットにでもしまってしまう。そして次に別のやり方で世界と接してみる。 ここで普遍的なテ−マが持ち上がってきますが、これについては又別の機会にでも。 しかし熾烈な競争社会である現実を、楽しくなおかつ真剣にどう生きるか? モノサシを持たずに生きていけるのか? 身につまされる切実な問題です。 「いつも真剣だけど、深刻にはならない」生き方とは、 ゲ−ムにでも興じるように 「勝っても楽しいし、負けても楽しい」と、現実をかんがえられらたら、そこに答え  があるかもしれません。                                          ところで話しはかわりますが、                                                            この会議室でUPしている私の発言すべて下記の2冊の本からの受け売りです。    少しでも心理学に興味のある方はどうぞ読んでみて下さい。おもしろいですから。  アドラ−心理学ト−キングセミナ− 著作 野田俊作氏 星雲社  続アドラ−心理学ト−キングセミナ−   同     同 この2冊の本からしか、アドラ−関係のネタを仕入れてません。だから生半可な知識  で、アドラ−心理学の名をやたら持ちだし、アドラ−心理学でないものをアドラ−心  理学として、語り、ご迷惑をかけるのも本意ではないので、これからも消化できた所 から自分の意見として変形させながらUPしたいと思います。 いいものは広まったほうがいいと思うけど、カウンセリングの現場に立たれている先  生方には迷惑をかけたくないので。                                   宮崎 宗人 071/073 PGB01415 BUBU 野田俊作さんのこと BUBU (10) 92/12/30 21:19 070へのコメント 宮崎さん、 はじめまして。アドラー心理学野田派のようですね。先刻ご承知のこととは 思いますが、野田俊作さんはNIFTY-Serveの心理学フォーラムのシスオペを されています。あちらの臨床心理学の部屋で特に活躍されていますので、 ぜひのぞいてみてください。かく申す私もあちらのサブシスだったりします ので、ちょっとご紹介させていただきました(^_^)。 ではでは。                      PGB01415 BUBU 072/073 HCA01717 オ〜ロラ 発言者削除 :ポストミス (10) 92/12/30 23:02 067へのコメント 073/073 HCA01717 オ〜ロラ RE:五蘊の解釈 (10) 92/12/30 23:17 067へのコメント  なかなか、MWさんもBUBUさんも姿見せないと思ったら・・・・  二人とも大切な仕事してたのね(^o^)  空空さんへ   コメントありがとうございました。   議長が忙しいとの事なんで、今の内に遊んどきましょう(^^;)   空空さんは、想=概念 行=観念 とされましたが、まずこれらの言葉を  確認してみましょう。   『多項目 心理学辞典』(1)と旺文社『国語辞典』(2)から 観念・・・・ (1)人間の心的内容をつくっている要素(単純観念)   またはその複合したもの(複合観念)。   表象や概念と同じに使われることがある。 (2)ある物やことがらについて意識した事柄について、   意識のうちにあらわれる固定的な意識内容。     概念・・・・ (1)物事をそれに共通な、何らかの性質や属性に応じて 分類し、場合によっては、その類に名称を与えた場 合のその分類原則や名称の意味。 (2)個々の観念の中から共通する要素を抜き出し、それ   を総合して生み出した普遍的な観念。 続いて「表象」と言う言葉を『広辞林』から   表象・・・・・・心に思い浮かべられた物のかたち。         感覚を要素とする心的複合体。         意識中の過去の印象の再現されるもの。 種々の用語の使用分類はよく解りませんが、私の感覚では、上記の 「観念」「概念」は「表象」に含まれるように思えますが如何でしょ うか? 「表象」は心理学では「イメージ」哲学では「イデア(観念として)」 と使われているようですし、現代人には「表象」より「イメージ」と 言った方が解りやすいと思って、私は「想」=「イメージ」と使用し ています。   私は五蘊の苦・無我・無常、そして空、といった瞑想において「想」につ   いて、心に浮かんでくるイメージやその複合体、またはあれこれと考える   思考もイメージの複合体と捉えて、識別作用や欲求または意志とは分別し   てアプローチしています。 今はそれがしっくりくるのです。    まあ、私の体験的な観念を基にした分類ですので、あてになりませんけ   どね(^^;)   「行」の形成作用については、BUBUさんの見解をお聴きしたいところ   ですが、なんせ忙しいらしくお手を煩わせる訳にはいきませんので・・・   私の「行」に対する見解は、また長くなるので次回アップしたいと思って   います。   何だかだらだらとした文書になってすいません。なんせ国語の成績悪かっ   たもんですから(^^ゞポリポリ                          HCA01717 オ〜ロラ  追記: #065で、(5)識(vinnana)-----認別作用 と書いていますが     識別作用の間違えです。     ̄ ̄ ̄ ̄すみませんでした。      ̄ ̄ ̄ ̄                             やっぱり国語はだめだなー(^^ゞポリポリ おーっと、ポストしようとしたらBUBUさんが居た(*^_^*) - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 92/12/31 - 465/472 MHD02672 TAO シュタイナー:「魂のこよみ」 12/29〜1/4 (11) 92/12/30 00:01  今週の「魂のこよみ」です。 ============================  神の啓示に帰依する私は  宇宙存在の光を受けとる。 明るい思考の力が育ち  その力が私に私自身を与える。  こうして自己感情が  思考の力の中から生まれ  私を目覚めに誘う。  ============================ 466/472 GGA02514 KAZE “MIZUHO”さん、番外メッセージ(和歌風)付 (11) 92/12/30 00:02 464へのコメント コメント数:2 NOISEさん、どうも。 「左旋・右旋の神遊び」、ありがとうございました。 とっても参考になっただけではなく、 とっても興味深いシンクロニシティがありましたので、 ご報告させていただきます(^^)。 実は、先ほどまで、僕とパートナーで、“MIZUHO”さんとお会いして いろいろお話してたのですが、“MIZUHO”さんの方でも、 ちょうど、「あめつちのむずび」ということについて メッセージがあったとこだということでした。 >ヒダリミギそのアメツチのウズマキは >    ムスビのカミのカムアソビかな ですが、まさにその「あめつちのむすび」と「うず」ということについて、 今、非常に大切な課題があるということなのでした。 それによると、今はまだ「天と地のむすびができていない」ということで、 2つの違う「うず」がぶつかりあって 新しいものをつくらなければならない、ということなのでした。 それから、ちょうど昨日、和歌のような形の メッセージがあって、書き留めたということですので、 それを紹介しましょう(^^)。 ======================== あめつちの めぐみのなかに よりそいて いきいきてこそ ひととなりけり ======================== “MIZUHO”さんには、会議室の記録をお渡ししたのですが、 「NOISEさんって、すごいんですねぇ(^^)」ということでした。 それから、「みなさんにもよろしく」ということですので、 ご報告させていただきます>ALL(^^)。 つづきのメッセージも受け取ってきましたので、 これからそれについても随時ご紹介させていただきます。 今、地球が「あめつちのむすび」という 大いなるプロセスを体験しようとしていることについて いろいろな思いが交錯しているKAZEでした。 467/472 MHD02672 TAO “MIZUHO”メッセージへの寸感など (11) 92/12/30 00:03 コメント数:1  >KAZEさん  “MIZUHO”のチャネル・メッセージも18回目までに至りましたが、  プリントアウトして読み直してみると、言っている内容に結構一貫性が  あるし、読む人を変な意味で惑わすようなところもないと感じています。  ということで、ちょっと寸感などを。  おや、と気付いたのは、ヒエラルキー的多神教的観点が貫かれていることです。  まず、唯一無二の根源的宇宙母胎(←変な表現ですが、感じが伝わるかな?)が  存在し、そこから様々な存在が分かれ、様々な運動が起こり、様々な働きが  なされ、地球人類に対してもその霊的ヒエラルキーに応じて、様々な霊的存在が  その役目を果たしている、そんな感じですね。  「ほとんどの神が 不完全じゃ/宇宙とともに進化しておる/この一瞬一瞬  すべてのものが変化しておる」…<5>  「人には それぞれ 役目があるぞ/神にも それぞれ 役目があるぞ/  それぞれのお役目が集まって/大きな目で見れば ちゃんと組み立ってゆくぞ」  …<7>  「神には、いろいろなお働き。さまざまな動きが起こってくるぞ。それは働く  形が違う。役目が違うということじゃ。気付かせる方法が違うということじゃ。  最後にみれば、ひとつとなってゆくぞ。大きな目でみれば、ちゃんとわかって  くるぞ。………直接に神は言えぬのじゃ。それゆえ形を変えて知らせておるぞ。  さまざまな神がお働きされておるぞ。それゆえ現れは違って見えるぞ。違って  見えても、元はひとつぞ。」…<14>  「神の働きは、さまざまぞ。小さきことにも、そのお役目の神がおいでじゃ。  人の行き死に、人の縁、それぞれのお役目の神がおいでじゃ。なれど、その神々  が、おとるというわけではないぞ。ただただ、お働きが違うだけぞ。取り違える  なよ。決してどの神も軽んじてはならぬぞ。神々は、どの方も、尊きお働きを  なされておるのぞ。決して軽んじてはならぬぞ。」…<16>  「つながりた光が、悪を滅ぼすぞ。悪というても悪ではないぞ。ゆえあっての  悪のお役目ぞ。悪のお役目、まことにつらいぞ。善も悪も神の手のうちにある  のぞ。善と悪とは、遠く離れたものではないぞ。善も悪も元は同じぞ。それぞれ  のお役目あっての働きぞ。人もそうじゃ。心の中の善悪はゆえあっての働きぞ。  悪がのうては、人は人とならぬぞ。悪を越えての人となれよ。」…<17>  現代はあちこちでチャネリング現象が起こり、様々な霊的潮流が地球上に  流れ込んでいるという印象を与えていますが、お互いに関係ないように見えても、  実際には、人間には伺いしれないネットワークのもとに働き合っている、  そんな風に読めますね。  「悪」の存在意義を積極的に評価しているのは、「日月神示」やシュタイナーに  相通じるところですが、「………心の中の善悪はゆえあっての働きぞ。悪が  のうては、人は人とならぬぞ。悪を越えての人となれよ。」というのは、  「己の内なる悪を自覚し、認め、それと戦う力を持ててこそ、人は『悪』さえも  己の魂を磨く契機に変えられる」というように解釈させて頂きました。  人類はもはや、本当の敵は「己の内なる悪」なのだ、と認めざるを得ないところ  まで来てしまっているのかもしれませんね。  もう一つ、“MIZUHO”さんに降りてくる「神々」は、盛んに“MIZUHO”さんを  促しているようですが、メッセージの行間から読み取る限りでは、“MIZUHO”  さん自身の抵抗感が結構強いですようね。確かここのシスオペさんも(^^;)、  最初は「やりたくない!」とすごい抵抗をしたようですが、結局引き受けた  ように、生来こういう役割を持って生まれて来た魂は、自分が勇気を持てない  限り、なかなか踏み切れないものなのかも。普通の人間から見ると、えらく  しんどい役割ですものね(^^;)。  ただ、私がこう言うのも何だけど、自分の本来の役割がこれだと認められない  というのは、こういう現象に対する懐疑もあるのだと思いますが、先が見えない  将来に対する恐怖感もあるのではないかと。  先が見えない状況を恐れるというのは、型にはまった人生(型にはまっていると  いうのが悪い訳ではないのですが)に安住していたいという気持ちがあるのかも  しれませんね。ただ、こういう“熱くもない、冷たくもない”生温い状態に  自分自身を置いている限り、本当に生きているという実感、自分が自分の人生を  創っているという実感を持てないんじゃないか、とも思えるのですが。  以上、本人に会った訳ではないので、的はずれのところもあるかもしれませんが、  こんな風に感じました。  続きを楽しみにしていますので。ではでは。  TAO 468/472 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<19> (11) 92/12/30 00:03 ************************************************************ 神は思いを伝えておるのぞ。言葉を伝えておるのではないぞ。思い がそなたを通して言葉となっておるのぞ。言の葉が違うは、それぞ れの神の波動異なるゆえに、異なる言葉としてうつっておるだけじ ゃ。それゆえ言葉でとるなよ。心でとりてくだされよ。言葉のみに とらわれるでないぞ。言葉はとる者によりて違ってとるぞ。なれど、 心でとれれば、思いはひとつぞ。心でとりてくだされよ。神の心は、 心でのうては受け取れぬのぞ。言葉に流れる神の思いを受け取りて くれよ。 そなたものう、つらいであろうが、辛抱してくだされよ。つらいの は神も同じぞ。もどかしいのは、神も同じぞ。そなたの心、神はわ かりておるぞ。それで堪えてくだされよ。いつか、わかるときくる ぞ。いつかは、そなたをわかる者、現れるぞよ。ああ、そうかと、 得心ゆく相手であるぞよ。もうそなたの心でわかりておる相手であ るぞよ。神がしくみてあること、一分の違いもないぞ。一分の違い あっては、神のお役目つとまらぬのぞ。それゆえ待ってくだされよ。 今しばらくの辛抱じゃ。 もう時間は残されておらぬのぞ。さまざまな動き起こりても、心動 かされるなよ。まどわされてはならぬぞ。心でみればわかりてくる ぞ。小さきことに心をとめるなよ。煩わされるでないぞ。大きな目 で見てくれよ。大きな目で見れば、すべてわかることぞ。わかるよ うに、しくんであるのぞ。そなたの言い分、わかっておるぞ。そな たのいらだち、わかっておるぞ。なれど、もう、そのようなこと言 うておる時ではないぞ。あふれだすこの言の葉を人に伝えよ。人に 伝えてゆくことしか、神にはできぬのぞ。そなたの役目、神の思い を受ける器となることじゃ。神の心をうつす鏡となることじゃ。そ して、それを心ある者に伝えてゆくことじゃ。そなたをなくせとい うのでないぞ。そなたはそなたぞ。それでよいのぞ。なれど、もう 時間がないのじゃ。言うたであろう。一日に泣くこと、出て来るの ぞ。一瞬に泣くことでてくるのぞ。このひととき、ひとときが、大 切な礎となってゆくのぞ。この星は大きく動くぞ。大きく揺れるぞ。 人の心が動かすのぞ。人の思い、不浄にたまりて、天と地とをつき 動かすのぞ。この地を火がおおいつくすぞ。海も血の色に染まるの ぞ。青はこの星から消え去るのぞよ。残るは、泥と叫びだけとなる のぞよ。この青さを見よ。この緑を見よ。この色大切にせねばなら ぬのぞ。この色、人とこの星の安息の色ぞ。この美しさを忘れたか。 この美しさに、なぜ気づかぬか。 ************************************************************ 469/472 MHD02672 TAO あれ、KAZEさんいたの?(^^;) (11) 92/12/30 00:56 466へのコメント  >KAZEさん  同時刻にアクセスしていたとは気付かなかった(^^;)。  ま、この程度のシンクロは慣れてしまいましたが…。  さて、<19>ですが、何やら“MIZUHO”さんのお相手が出現するようで、  良かったですね(^^)。やはり、こういうお役目を担ったからには、  理解し、陰で支えてくれ、苦しさをも分かち合ってくれる伴侶がいないと、  しんどいでしょうから。 あのケイシーにしても、彼が死ぬまでそのリーディングにずっと立ち会って  くれたガートルード夫人の献身が大きかったし、シュタイナーにしても、  マリー夫人が常にそばにいてくれるように頼んでいたというし。  「いつかは、そなたをわかる者、現れるぞよ。ああ、そうかと、得心ゆく  相手であるぞよ。もうそなたの心でわかりておる相手であるぞよ。」 「…そなたをわかる者…」というのは、なかなか深い意味がありますね。  こういう状況に居る“MIZUHO”さんをそのままに受け入れるということ  でしょうし、そういう男性って、精神的なキャパシティーが大きくなければ  ならないと思うから。 自分にも相手が現れたらなぁ、と思ってる(^^;)TAO 470/472 MHD02672 TAO ゲーテの言葉 (11) 92/12/30 22:35 467へのコメント  “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<5>より  「ひとつが 多であり/多が ひとつである。」  ですが、ゲーテの言葉にもこういうのがありましたね。  「かの一は、永遠に一であろう。   多に分かれても、一。永遠に唯一のもの。   一の中に多を見いだせ。多を一のように感ぜよ。   そうすれば、芸術の始まりと終わりが得られる。」                        ………「バキスの予言」より  ゲーテと言えば、ちょうど今日「ゲーテと仏教思想 −東洋的な詩人像−」  (星野慎一著、新樹社刊)という本を見つけたのですが、ここでも採りあげられた  西田幾太郎のゲーテ観も紹介されており、こんな内容でした。  ======================================================================== …叙情詩人ゲーテの特質について、彼は次のように述べている。  「ゲーテほど、体験そのものが直ちに詩となつた人はいない。Spat erklingt, was fruh erklang,/Gluck und wird Gesang(むかし身にしみたことが のちに  しらべとなる 悦びも 悲しみも 歌となる−筆者注)と云つた様に、彼の詩は  彼のたゞならざる体験の直接なる表現に外ならない…ゲーテの世界は行為の世界  であつて直感の世界ではなかった。エントザーゲン(諦念する、筆者注)は  行為によるエントザーゲンでなければならない。而もゲーテの行為の世界の底に  あるものは、カントやフィヒテのそれの如き当為ではなくして解脱である。  加之、彼が Marienbad の Elegie に於て Entratselnd sich den ewig Ungenan- nten(永遠に名づけられぬものの神秘を解きながら、筆者注)といふ如く、そこ  には友の眼の如く友の声の如く我々の魂を慰めるものがなければならない。  さらばと云つてそれはノヴァーリスなどの様に形が情のリズムの中に没するので  はない。ゲーテに於ては内もなく外もなく、有するものは有るがまゝにあるので  ある。而も斯く無より無に入る所に微妙な人間の響があるのである。……歴史が  永遠の今の限定として、過去も現在に於て、未来も現在に於て消されると  考へられる時、すべてが来る所なくして来り去る所なくして去る、有るものは  有るがまゝに永遠である。我々のうまれた東洋文化の底にはかゝる思想の流が  流れて居るのである。」(昭和七年『ゲーテ年鑑』所収、『ゲーテの背景』)  ========================================================================  この著書自体がそういう観点のもとに書かれているのですが、西田幾太郎が  ゲーテの思想と東洋思想の共通点を見いだそうとしているのが、興味深いですね。  ゲーテには詩編「転変の中の永続」というのもあるそうですが、この題名は仏教の  “諸行無常”、あるいはヘラクレイトスの“万物流転”を連想させます。  (面白いことに、仏陀とヘラクレイトスは同時代人だったそうですが)  同書から、ゲーテの宗教に関する言葉をひとつ。  「真実な宗教は二つしかない。一つは、われわれの中と周囲に宿る神聖なものを、  まったく無形のままに認め、崇めるものであり、他は、その神聖なものを、  もっとも美しい形において認め、崇めるものである。その中間にあるものは、  すべての偶像崇拝である。」  TAO  P.S. そうそう、「現代思想」最新号では、西田幾太郎特集を組んでいます。 471/472 GGD02212 *ねぎひさお* RE:“MIZUHO”さん、番外メッセージ(和歌風) (11) 92/12/30 23:14 466へのコメント  御無沙汰しております!!>KAZEさん、TAOさん、NOISEさん Dr.Rayが転生(?)いたしました*ねぎひさお*でございま〜す。  輪廻会もとい輪読会のレジュメ興味深く拝見しておりました。 「キリストは他人のカルマまでも背負われたのでは?カルマを 自分だけのものとして背負うのとどちらが大きい愛か?」など と 「輪廻」についてコメントしようと思っていたのですが、 “MIZUHO”のチャネル・メッセージが始まってしまいましたね。  私事ですが、"MIZUHOチャンと聞くとギクリとしてしまうのれす。 もう十五年も前になりますが、私が学生で松山に住んでいた頃、 大変胸を傷めた相手の女性が、そんな名前だったような…(**;) 妄想半分だったかも知れませんが、互いにかなり心霊的に感応 し合うところがあって、思い悩むあまり私はオカルティックな 体験をしたり彼女にも理不尽な苦悩を与えてしまったような…  今となっては思い出で、先方は主婦をしてらっしゃるはずで、 もちろんM子さんとは別人のようですけど、彼女との巡り逢い が切欠で私が神秘なものに関心を深めるようになったのでした。  それにしてもチャネリングを公開したり、それを審神(サニワ)? してしまったり(#463)、スゴイお部屋ですこと。(^^;)NOISEさん の言う「慈しむ 愛の姫神」と「愛媛」と何かの御縁でしょうか。  私も印象としては彼女のチャネル・ソースは、「日月神示」 と遠からぬ霊統のように思います。(ということは、みれさんに よるとARIONとも近い?)  いっそのこと、彼女にもNIFのFARIONに入会してもらったら… みれさんも歓迎してくれるんじゃないかと…等と野次馬根性で 勝手な事を思ってしまいます。 <以下ゴミ> 「〜ぞ。〜じゃ。〜くれよ。」という文体から、 私は「ウーン、ヨシ!…こんなん出ましたけど。」のおばちゃん を思い出してしまいます。フザケテスミマセン.<<<<<<<<<<<*ねぎひさお* 472/472 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<20> (11) 92/12/30 23:46 ************************************************************ 心を清めよ。体を清めよ。思いを清めよ。言葉を清めよ。すべては 思いから始まるのぞ。すべてはそこから変わってゆくのぞ。ひとり で生きておると思うなよ。助け助けられ、皆こうして生きておるの ぞよ。人のことのみ思うなよ。神の心、木の心、花の心、鳥の心を 思えよ。空の高さをもちて、人を見よ。広く人の世を見れるであろ う。花の心をもちて、人を見よ。花の低さで、人の世を見上げてみ よ。人の奢りが見えるであろう。何も言わぬ花の心となれよ。何も 言わぬ鳥の心となれよ。その悲しき目を見取るのぞ。獣の悲しき声 を聞けよ。人も獣も草も木も、すべては巡り、この星をつくりてお るのぞ。奢る人の心が、この星をくるわせたのぞ。めぐりをめぐり でなくしてしもうたのぞ。めぐりめぐって、人は人ぞ。めぐりめぐ って花は花となるのぞ。そのめぐる力をとりてしまえば、この星は 生きる力を失うのぞよ。めぐる力を呼び起こせ。めぐる力をとりも どせ。 ************************************************************ - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 92/12/31 - 479/491 QFH02012 アラミス 選択した通りの道 (13) 92/12/29 23:53 467へのコメント >> 面白い人間はなかなかいないものだ。 はぁ?、あなたはここに何しに来ているのだろうか? 今まで石田さんの書き込みを色々と見て来たが、昔の私を見ている 様ではっきり言って苦笑している。 寂しいのならば求めればよい。 480/491 GCC01413 HVHY 迷宮。 (13) 92/12/29 23:58        〜 プロ・ライフか? プロ・チョイスか? 〜     歴史を逆戻しすることは出来ない。     「原点に戻って考えれば」という議論は通用しない。     しかしながら、出鱈目の上に出鱈目を積み重ねると、     意外にも正しいことのように聞こえる、ということもある。     そもそも、「自由意志」とは何か?     「権利」とは何か? 「義務」とは何か?     「人間の尊厳」とはどういうことか?     有名なレイプ裁判がある。     女は「責めてスキンを着けてくれ」と言った。     これを“合意”と見做すのか? 見做さないのか?     判決結果を私は知らない…。     凍結受精卵の保存中に両親が離婚してしまった。     そこで、凍結受精卵の扱いに関して裁判で争われた。     女は産みたいと主張し、男は使用を認めないと主張した。     判決結果を私は知らない…。     何が本質的な問題で、何が枝葉末節なのか?     誰がどのように明言し得るのか? し得ないのか?     宗教家にとっては、“やりずらい”世の中だ…。???                             HVHY 481/491 HGG01312 たまご 否定ベースの肯定 (13) 92/12/30 07:52 442へのコメント コメント数:1   「ベースが否定的な人」というのは,わたしなんかそうです.   「おまえ,よくそんなにマイナス思考にばかりに考えていられるね」   大学時代に親しい友人にそう言われたことがあります.   わたしとしては,否定の“ふるい”にかけて,残った物こそ強い肯定をしたいの  ですが,たいていの人は私と一緒に考えてると最後までつき合いきれないで嫌に  なるらしいです.   たぶん,否定すること自体はそんなに悪いもんじゃないと思います.思考の方向  ベクトルが逆向きなだけで,最終結果にマイナスかければ,元に戻るんではないだ  ろうか.(^^;   考え方が暗くなりがちだけど.   もしも,統計を取ったなら,世の中の人のうちの半数は否定ベースな人で,残り  の半数の人は肯定ベースな人の正規分布になるのではないでしょうか.(単なるカ  ンですが)   偏差値で言うと否定な方の30くらいになるんじゃないだろうか(^^;>たまご 482/491 HGG01312 たまご ごみになりませんように(4) (13) 92/12/30 07:52   継続的対話は相互理解を生む.   だが,相互理解は好意や同意に結びつくとは限らない.   相互理解の全体のうちの半数は,嫌悪や反感となっていいはずである.   しかし,結果がそうなったとしても,対話をせずに誤解を生むよりは,はるかに   マシなことである.     たまご 486/491 HGB02122 あもり 近況 (13) 92/12/30 16:58  ☆ いにしえの縁を紡ぎ  ☆ 再び逢えた束の間に  ☆ 芽生えし新生の種子  以下、私的情報。  92年後半の急激な心的変化と状況を心のままに受け止め、味わった結果、  見事な土台が完成しようとしています。  一瞬一瞬が完結であったように、この完結もまた、長い道程の果ての胎児だと  思うと、かつてない優しい気持ちに満たされます。  「今までに創った土台を壊せよ。さすれば満足に足る道が見付けられよう」  最近、ARIONが私に告げたメッセージです。  また再び、私はこの土台をせっせと破壊し、また新たなる地場を踏み固めなければ  なりません。  また数十年費やされるのでしょうか?  この所為を不毛だと思うのならば、甘やかな世界を迎合していた時の私の営みは、  更に乾燥したものでありましょう。  以降、私はあなたに添いたい。  私の造る土台が、あなたの礎になることを祈ります。                                 あもり 487/491 HGB02122 あもり RE:「冷たさ」と「熱さ」 (13) 92/12/30 17:00 466へのコメント  ★ 旧き衣を脱ぎ捨てる事の  ★ 何と辛い事かよ  ★ 破れきわに漂う  ★ 飛ぶための幼き翼の匂い #466 へのコメント  アラミスさん、こんにちは。「冷たさ」と「熱さ」についてですが、  改めて、議長の発言(#468) のクリーンヒットに驚いています。  色々発言しようかと思いましたが、以下の想いだけに留めておきます。  「熱さ」と「冷たさ」の事について考えると、脳裏には常に、堕ちた天使の  ことに満たされます。  − 創造と破壊。  それらが理に適ったものであれば、私はどちらも受け入れます。  全てが神の経綸の前に純粋な発動であるならば、過ちはないと思います。  だから、ARIONはまず自分を愛せよと告げたのですよ。  以前、アラミスさんが「系統」について言及されましたが、私は、ARIONの  系統ではなく、ルシファーの系統に近いのではないか、と思っています。  今はARIONの傘の下におりますが、何分浅慮は危険だと思われますので、  今後の成り行きを見ていこうと考えています。  全ては神の御心のままに。(^_^)                                あもり 488/491 GGD02212 *ねぎひさお* ゴミ・コメ(クラブ?) (13) 92/12/30 17:26 470へのコメント #470>…アオウエイの五音を基本している…<ちと脱字あったけど堪忍してちょ。 北関東以北のいわゆるズーズー弁はイ段とウ段の区別が無くて母音は四つという ことになっている(出雲地方でもそうらすい。)名古屋弁では母音を八つ数える 先生もいる。(「どぇれぁ、いぅちぅ」などの変母音)言語学にもうるさい私。 #〃>貴方は誰かの手であり、私は指かも知れない。ハナクソ ホジル ユビ ダッタリシテ… 実は足の指で水虫を患っていたりするかもしれない。皆さん良いお年を。*ねぎ* 489/491 PFG01325 MINT ナポレオンの日々 (13) 92/12/30 22:31   私のうちの居間の壁には、「ナポレオン」の絵がかかっている。   といっても、ジグソーパズルのナポレオンで、どうして、買った   のかも覚えていない。   ただ、せっかく作ったし、壁が寂しいので、飾ってある。   歴史が苦手だった私には、有名なナポレオンについての知識も、   ほとんどないに等しい。   さて、先日、友人が来た時に、久しぶりに、そこにナポレオンが   飾ってあったことを思い出した。   すると、翌日のテレビ番組で、宜保愛子さんが、ピラミッドの謎   に挑む!というのをやっていて、ピラミッドに関係の深い人物と   して、ナポレオンが登場したのであった・・・   ついでに、今日のテレビ番組のルパンスペシャルは、ナポレオン   の辞書を奪え!だった。   この調子でいくと、明日あたり、ナポレオンが飲めるかも・・・   P.S.でも、どうして、日本の遺跡とかミイラじゃなくて、       ピラミッドなのかしら?                       MINT 490/491 GDB00064 オリハル 発言者削除 :情報濃度が密になりすぎました (13) 92/12/30 22:56 469へのコメント 491/491 GDB00064 オリハル RE:ラプチャー? (13) 92/12/31 00:21 469へのコメント 私の名前を積極的に出して頂いた*ねぎひさお*さんに感謝します。 私の立場から「6」に関して預言解読を試みたいと思います。 私は「359(孫悟空)」です。ここに「1の人」という要素を加えることによって、 「369」となったのです。私はてっきり359+10=369だから、後10年した らミロクがでて来るのではないかと解釈していたのですが、私を含めた「3人」が揃う ことによって「369」となったのです。 私たち3人はカバラの「22文字の発現」(「カバラの眞義」霞ヶ関書房266頁)で いうところの発現の順序《1→3→7→12》の第2番目の「3」となります。私たち 3人は「弥勒のセカンドウェーブ」と思われます。これが、一二三神示で言う弥勒だと 思っています。一二三神示で言う、「岩戸開きを知らす神柱」の一つだと思います。  最初の第1番目の弥勒本人は、ルドルフ・シュタイナーが言うように(「釈迦・観音 ・弥勒とは誰か」白馬書房、172頁より)既に今世紀初頭に下生しており、シュタイ ナーは「彼はダマスコに於けるパウロの体験を人類に可能にさせる」というような発言 を行なっております。この希望は、ファティマにおける聖母マリア様のルシア・ドス・ サントス個人へのアドヴァイスの中にも含まれていたことであり、ファティマ第3の預 言の中で「救いは教会の外からやって来る」という部分があるそうですが、これと関係 しているのだろうと思っております。ルシアは、親戚、家族以外の者と、一切の交流が 絶たれたカルメル修道院におります。 弥勒のセカンド・ウェーブが日本に出現することになっていたのです。正確には「3人」そろって弥勒となったのです。これを驚天動地と言わずして何と言えましょうか。この 3位一体の事が、実に正確に「ものさしで計ったように」一二三神示に出ています。 「ア火ハ(アホバ)の巻」の第十七帖より 『 悪く云はれるとめぐり取って貰へるぞ、悪く云ふとめぐりつくるのぢゃ。今度の建 替へは人間知恵の建替へとは大分違う大層ざぞ、見当とれんのざぞ、日の神ばかりでは 世は持ちては行かれんなり月の神ばかりでもならず、そこで月の神、日の神が御一体と なりなされて「ミロク」様となりなされるなり、日月の神と現はれなさるなり。「みろ く」様が<日月の大神様>なり、日月の大神様が「みろく」の大神様なり、千(ち)の 御先祖様(すなわち)九二の御先祖様と御一体となりなされて<大日月の大神様>と現 はれなさるなり、旧九月八日(今の10月3日)からは大日月の大神様とおろがみまつ れよ。八月五日、一二Θ。』 ということを芸能の方にお知らせしましたら、それから少しして、特別番組(1991.11. 10(日)TBS、20:00〜21:00「日曜特集・新世界紀行」”謎と不思議の旅”)があり、ルールドの泉や、ファティマを取材してました。確か、その数日後、短い旅行案内番組 か何かで、カルメル修道院に少し触れてました。「あ、カルメル修道院まで取材してた んだ」と知りました記憶があります。ビデオを緻密にチェックしないと日付等、分かり ません。 ちなみに、たった今、TBSで39時間テレビがやってます。「6」CHで、「39」 時間です。 以下は、あるコマーシャルの文句 「反省だけなら猿(359)でも出来る。人間(369)だから愛情一本」 「川を渡る時に、川のおもてを見てはならない」−−−> はい 私個人には何も、たいした実力みたいなものはないのです。ただ、型示しの真っ直中に おり、これを表に出す役目があります。それだけのことです。 <詩編2−5> 青い外套の女に、人魚の涙を渡す時 亀甲の数字(6)を手にするであろう。 <これにより、359の5は6になったのです> オリハル - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 92/12/31 - 749/752 GGD02212 *ねぎひさお* 終わり そして 始まり (14) 92/12/30 17:26 そう、始めと終わりにミスがあると致命的なバグ(欠陥)につながるんだ、これが。 年末休みはプログラミング つきたてのモチをほおばりつつ *ねぎ* 750/752 HBA00401 PHOQUE 忙しい時に限って手間のかかる事がしたい (14) 92/12/30 18:38 コメント数:1  今日はトマトソースを作った。  たまねぎをみじん切りにして,  ニンニクを薄〜く切って,  たっぷりのオリーブオイルでニンニクを炒めて,  たまねぎを入れてキツネ色になるまでよ〜く炒めて,  トマトの缶詰を1缶入れて,  水と,スープの素を少し入れて,  近所の庭からくすねてきた月桂樹の葉っぱと,  自分ちの庭で摘んだオレガノとマジョラムを入れて,  ぐつぐつグツグツグツグツ…‥  味を見て,塩を足したら出来上がり(^_^)。  明日はこれでスパゲティにしようかな?  それともピザ,もいいなぁ…‥。                        ちょっとだけ気分が晴れた ** HBA00401/PHOQUE ** 751/752 NAG02033 EX 自分の中のいくさが済んでおらんじゃろ (14) 92/12/30 23:00 花はいつもこちらを向いている 内なるアナリスト(分析する人)にいつも一歩先んじていく いくさの仕組が無として在って無くなるまでは いかなる定着もよどんでしまう 何かが未だにクリアされていない。 拘りを吹っ切るに従い明らかになる筈だ。 頑固者を感動させるのはある種の一途さである。 貴方にふさわしくなるためにはいったいどうすればよいのでしょうか? 人生の苦しみを私は果実を受け取っている。 これらを全面的になんの、先入間も無く受け取ることは爽やかなものだ。 理論付け、理解しようとするものは検閲者である。 様々に吹き出してくる自分の断面、「わたし」が重なり合い朧気になる。 どちらが?ではなく両方である。双方である。 極意は自分の中にいることである。 752/752 HGB02122 あもり RE:忙しい時に限って手間のかかる事がした (14) 92/12/30 23:38 750へのコメント  あ、私も作ろっと。                            あもり - FARION MES(18):◆冗談パロディ症候群----------------<01> 92/12/31 - 327/327 GGD02212 *ねぎひさお* RE:小林幸子 VS 小柳ルミ子 (18) 92/12/30 17:27 299へのコメント ほーたーるのーひーかーあり… 1992年もあとわずか… ~~~~~~~~~~~~ 去年のさっちゃん(〜ヘルカさんのことではない;)は一言、 「飛びたい」と言ったばっかりに「紅白」で飛んでしまった。 今年は「光りたい」と言ってるそうです。衣装のデザインに コンピューターも動員されて大変だったそうで、楽しみです。 ルミ子さんを対抗させるには…やはり夫婦で踊りながら料理 してもらうしかないと私は思っているのですが…(あの料理 番組?は関西ではオンエアされていないので見てみたい) 「紅白」は某有料放送局の半公務員の皆さん忘年会のノリで 今年のウサ晴らしに何でもアリって感じですから期待します。 それでは皆様、良い落とし^H^H^Hお屠蘇^H^H^H良いお年を。 せーへーぽんまにぱづせよう…*ねぎ*