259/268 MHA01114 シュメ−ル 魔界のメーソンさんへ はじめまして ( 1) 93/01/06 00:25 魔界のメーソンさんへ RE:021 時を経て手に残るもの 先日メーソンさんの噂を聞いて、まったく御無沙汰の居酒屋の暖簾をくぐってみました。 思春期以来私は病気に懸かって居るのですが、それは死に至る病にも似て、死を願う病、タナトスの誘いとでも呼べる病。私にとって、メーソンさんの棲む魔界はタナトスへと 漂白する高瀬船の船着き場。エロスー生の衝動ーはタナトスの前では白々として色を失 う。肉体の破壊などという確証のない行為は純粋なタナトスではなくむしろエロスの香 りが漂う。彼は自殺したいほどに肉体に魅せられてしまったのだ。むしろ、この意識、 未来などという幻想に掻き立てられるこの意識自体に終焉がないかぎり死の願いはかな わない。 雪深いみちのくに棲まいながら、いまだに掌は雪を雪のままに受け入れてはくれない。 不定形な水が涙のように残るだけなのだ。 ARIONさんが解脱病と名付けた病がいまだに私の心に巣くい、メーソンさんにタナ トスの影を見てしまう。それは実は私がメーソンさんに投影した私の欲望なのだ。 さて、自分の影をみつけたいじょう、それがどの様に展開するのか見てみたいものだ。 隠居、老人といったタナトスの意匠をもってメーソンさんが現れたいじょう、私はその 言葉自体が持つ魔界にしばし遊びたいと思う。現実としての老いはそれまで無色透明で あった便利な道具としての肉体が消耗し、道具としての不自由さに気付く時代なのだろ う。しかし、使命や役割などという生のゲームを退いて、意識が他律的に透明性を獲得 する時代でもある。この世が夢なのだという夢を見せられて死への準備をする時代なの だ。結局、それも生の幻想のひとこまなのだ。生に産まれて生に踊ってきたのだから、 生の踊りを最後まで踊り尽くすも一興。むしろ、老いという夢がみせてくれる老いの世 界を曇りなく、なんの気負いも恨みもなく見つめ尽くすことこそ魔界の主に相応しい。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/06 - 183/185 PEH01157 酷使夢想 酷使夢想の会計学 ( 6) 93/01/05 23:11   正月の日本経済新聞の報道によると、企業会計審議会は財務会計と税務会計の   分離を行う作業に着手した。この報道の意味する表面的な意義をみていこう。      まず、結論からいうと、この発表は、国際会計基準の導入という世界的な大き   な会計制度の流れに日本も乗ろうという意思の表明である。   この流れの意図するところは、世界の企業は世界的な標準に従って会計帳簿を   つけて、世界中の投資家が同じ視座で、企業の財務諸表をみることができるよ   うにしようという点にある。   さて、各論にはいっていこう。      1 日本の会計制度の現状   日本の企業の会計処理は、3つの構造があるといわれている。   商法に基づく会計、証券取引法に基づく会計、税務にかかわる会計である。   一般的に、証券取引法に基づく会計を企業会計または財務会計といい、税務に   係わる会計を税務会計という。      厳密な表現ではないが、おおまかにいうと、「日本の企業は税務会計と財務会   計が同一座標」にある。一般的に言われている日本は税務と財務が分離してお   りその会計処理が世界と比較して大変だという話は事実ではない。   そして、「日本の企業は、税務中心すなわち節税を意識した会計処理を行って   いる。」もちろん、企業会計の基本的な枠組みは守っているのだが・・・。      2 欧米の会計制度の現状      一方、欧米の企業は税務会計と企業会計が分離している。誤解を承知でかけば   税務申告用の会計帳簿と一般投資家に提示する会計帳簿を2つ−2重帳簿を記   録している。国際会計基準も税務会計と企業会計を分離している。      3 議論      そもそも企業会計では、例えば、減価償却費の計算の方法には、定額法、定率   法、加速償却法、級数法、生産高比例法などがある。   日本では定額法と定率法が代表的な減価償却費の計算方法である。   これに対して、米国では定額法と加速償却法が代表的な減価償却費の計算方法   である。   定率法や加速償却法は,はじめに大きく減価償却費を計上する。これに対し、   定額法は毎年一定額を減価償却費として認識する。従って、企業の成長やイン   フレを考慮すれば「定率法や加速償却法が、節税効果の高い減価償却方法」と   なる。   (1) 日本の会計制度の特徴      日本の会計制度は、税務会計と財務会計が分離しておらず、税務会計上も財務   会計上も減価償却費を低率法で計算する。従って、「日本の会計制度のもとで   は利益が減り、節税ができる」ようになる。       蛇足だが、議論を生むことを承知の上で、しかもそのことには一切コメント   をしないという前提で話すのだが、日本の税法ゆえに、日本の企業の財務会計   の実体をゆがめて、資本主義経済というものを根本から奇形児にしている事実   を明確に理解しておいた方がいいだろう。その善悪については、私は反対も賛   成もていない。日本の税制は、他にも問題が多いのだが、これは別の機会に語   りたい。       日本の会計制度は国際標準ではないため自分たちのやりかたとは違うからわ   かりにくいという意味なら理解できのだが、諸外国の批判は日本の会計制度は   不透明であるという論点にすりかえらている。言葉の表現の問題は、脇におい   ておいて、日本では会計制度を国際会計基準に近づけようとしていることだけ   を、とりあえず理解していただきたい。      (2) 欧米の会計制度の特徴      一方、欧米では税務会計は加速償却で、財務会計は定額法で減価償却費を計算   する。   この結果、「財務会計上の利益は大きく、税務会計上の利益は小さくなる。」   米国では、財務会計上の利益に対する税率を実効税率とよんで、法人税上の税   率と区別しているのだが、この実効税率は20%程度であるといわれている。   これは、「企業の経営の実体を税法にひきづられて歪められるという問題を回   避できる」長所があり、かつ「利益が大きくできるので投資家の配当金もだせ   る」という長所もある。逆にいうと、「日本の会計制度では、節税のために投   資家を無視した経営を企業は公然とやっている」といえる。      5 まとめと課題       欧米での会計基準や国際会計基準では、税務と財務が分離しており、税務上   の利益と会計上の利益が分離している。税務上の利益は低くなるように会計処   理を行い、会計上の利益は大きくなるように会計処理する。この結果、節税を   しながら、投資家に配当を分配できる。       日本の会計では、税務と財務が分離していないので、節税を優先し、利益を   低くおさえようとする。この結果、節税はできても株主への利益の還元はでき   ない。そして、日本の会計は、国際的な標準ではないので、諸外国からの批判   も多い。       こんなところで、日欧米の税務会計と財務会計の現状は、ご理解いただけた   と思う。学術的な厳密な議論は避けているので、異論もあるだろうが、だいた   い大枠ははずしていないはずである。       そして、今、日本は、こうした欧米の会計基準や国際会計基準に近づけて、   財務会計と税務会計を分離していこうとする。そして、日本の税務当局は、こ   うした時代の流れに激しく抵抗して、本来の国際会計基準を日本風に歪めよう   としている。また、今後は、企業側の事務処理は複雑となり、財界からの事務   処理の手間などに関するクレームなどもでてくるだろう。また、あまり配当金   をたくさん支払いたくないという企業の本音もあるだろう。       企業会計審議会は、実務家や公認会計士や学者もいれて、この問題を解決し   ていこうとしているが、公認会計士が一番無視される存在になるだろうという   ことを補足しておきたい。公認会計士が無視されるという実体は、日本特有の   現象であり、欧米(特に英米)では、逆に公認会計士が重要な役割を果たして   いるのである。日本はオカミ指向が強いため、こうした現象がおきるのかもし   れない。      以上      次回は、時価主義と簿価主義について、概観したい。    - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/01/06 - 678/678 MHA01114 シュメ−ル Tさん プリズムの件ですが ( 7) 93/01/06 04:05 Tさん、プリズム オブ リラでは、リラの分裂を陽と陰としていて、善の宇宙連合対 悪の帝国軍の対立図式にしているけど、これだけだと、何か寂しいきがしない?T情報 だと、国津対天津になってて、国津イコール悪の帝国軍じゃ無いところが私は真実っぽ い気がしてるんです。この本では、リラの分裂の陰に当たる勢力の親分を充分に記述し ていないと思う。触れない事にするといってはいるけど、本当はキース・プリストさん が概念的に掴み切っていないじゃないか。で、だから、今地球を舞台にして統合されよ うとしている二極がはっきりしてこない。むしろ、その辺の対立をよく見ているのはVA LIS さんの「私は宇宙人を知っている」のほうだと思う。というか、日本にいると二極 対立の根深さと統合の可能性が見えてきやすいんじゃないか。概念的には多分1と0の 対立。媒介するのは無限。西洋は1即無限を良く理解しているけど、0即無限を理解し 切れていないように思う。「空」ってのはやっぱり東洋の概念だ。プリズム…でキース さんは              統合点                    陽          陰  の概念図を使ってるけど、思うに、               無限           (一在的無限・多様性)          1           0  の概念図の方がより二極対立の真相に迫るんじゃないか。この1と0の対立性と同一 性のダイナミズムを良くとらえているのはむしろ、同じ星雲社が発売元になっている、 シリウスソースの「宇宙の法」(北条行一編 新地球出版社 発行  星雲社 発売) のP148からP152辺り。 1でもなく、0でもなく、あるいは、1であり、0である宇宙意識が1と0とに分裂し て開闢したのがこの無限の宇宙だ。 プリズム…が陰の極としているオリオンの暗黒勢力は、むしろ、1の不調和相、支配原 理の行き過ぎみたいなもんじゃないのかな。で、これは愛の不調和相でもあるわけで、 ARIONさんが愛の化身であるように、オリオン辺りは愛のエネルギー源なんでしょ う。だから、愛の双子である戦闘が熾烈にもなる。1は熱きものでもある。 とすると、0の代表はプレアデスになりますね。これは、バビロンのタムル−ドの一節 「オリオン座の熱がなかったら、プレアデスの冷気のため世界は滅びてしまう。  プレアデスの冷気がなかったら、オリオン座の熱のため世界は滅びてしまう。」 と一致しますね。つまり、プレアデスは0であり、冷たきものなのだ。プレアデスの悲 劇はあんまり大きく語られてないけど、0の悲しき運命がプレアデスにもあるわけで、 彼等が滅びへの向かっているのはたまに側聞されている。彼等にとっての天敵は暗黒の 戦闘宇宙人勢力ではなく、プレアデス自体が持っている虚無なのだ。だから、彼等は地 球人類を自らの子供として、愛し、見守ってきているのだ。そして、プレアデスの物質 形態での進化を望む意識体が地球に着床できるよう努力しているのだ。 男性的なARIONさんの地球での表現形が、みれさんという女性形をとるのは、それ でなければ地球上でのエネルギーバランスが取れないためでもあるだろうし、多神教シ ャ−マン形態をとるのは、統合への模索でもあるのでしょう。逆に、プレ系のHALさ んが男性形だったり、戦闘好きだったりするのも、そういった要因、いわば地球のプリ ズムなんでしょう。出口ナオー出口王仁三郎の変性男子ー変性女子の関係と同じ。   と、二極の概念が掴めたとしても、それがこの地球でどの様な統合を結ぶのかは分から ない。そもそも統合されるのか。我々は具体的な未来図を持つこと無く、只、何時の日 にか統合されることのみを信じて生きていかなければならないらしい。ARIONさん のメッセージ                                            大いなる「冷たさ」と、大いなる「熱さ」の間に横たわるもの。    それが、あなたがたのもとめるものだとだれかが言うだろう。    しかし、私は言おう「それは間違いである」と。                                                          大いなる「冷たさ」と、大いなる「熱さ」のどちらかを、    あなたがたは選ばねばならないのだ。    何故ならば、この相剋の結果があなたがたの求めるものだからだ。    アジアは龍であり西欧は不死鳥である。    この両名は、死を賭して戦わねばならぬだろう。    死を賭したところで初めて解かれた封印の力が及ぶのだから。    この力が及んだならば、この両名は初めて合体することになろう。 は、ARIONさんのカラーを差し引いても険しい道程を暗示している。 - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/06 - 492/496 JAE00201 竜人 発言者削除 :会議室間違えました (11) 93/01/05 21:42 493/496 GGA02514 KAZE 発言者削除 :文字訂正 (11) 93/01/05 22:09 494/496 GGA02514 KAZE シュタイナー輪読会●第10章/概観 (11) 93/01/06 00:27 =============================================================================    ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」(イザラ書房) =============================================================================        ●第10章/人間の進化(P120〜131)●概観 ============================================================================= ■プララヤ状態の暗闇から、地球は太陽および月と合体した姿で現れた。太陽と月と 地球は、ひとつの巨大な天体だった。これが、わたしたちの惑星の最初の状態である。 ■そのころ、地球は非常に精妙な物質からできていた。固い鉱物も、水もなく、ただ わたしたちがエーテルと呼ぶ、精妙な物質だけがあった。地球はエーテル的で、精妙 な惑星であり、今日の地球を大気圏が包んでいるように、霊的な大気に包まれていた。 この霊的な大気のなかに、今日人間の魂を形成しているものすべてがふくまれていた。 今日、身体のなかに入っている人間の魂は、上空の、霊的な大気のなかにあった。 ■地球は、今日の地球よりずっと大きなエーテル球であり、霊的な実質に包まれてい た。この霊的な実質の中に、未来の人間の魂が存在していた。エーテル球の希薄な物 質の中には、もう少し濃密なものがあった。何百万という、殻の形をした構成体であ る。それらは「土星」に由来する人間の萌芽である。 ■この霊的な大気から、一種の触手が下方のエーテル球の中へと伸び、殻のような構 成体を包んだ。霊の高みから下り、個々の身体を包んだのである。この触手は個々の 身体に働きかけ、人間の形姿を形成した。 ■最初、乱雑な混ざりあって渦を巻くエーテル素材があった。その素材は、混沌から 形姿を創造するために触手を伸ばす神的な霊的実質よりも、ずっと濃密なものだった。 これが私たちの地球の第一期である。この様子は、聖書の創世記に、「はじめに、神 は天と地を創造した。地は荒れて、空しかった。神の霊が水の上を漂っていた」とみ ごとに表現されている。下方にあったエーテルが、神秘学的に」水」と表現されてい るのである。 ■地球の上の殻のような形姿は、響きを発する人間のそれだった。その人間形姿は、 音によってみずからを表現した。その形姿の中にはまだ個体は存在しなかった。個体 はまだまったく霊的な大気のなかに溶解していた。これらの形姿を7つの種類に区別 することができる。この7つのグループが人間の最初の根源人類を形成していった。 ---------------------------------------------------------------------------- ■それから何百万年も経ってから、大きな宇宙的出来事が生じた。エーテル球が締め つけられビスケットのような形になり、しばらくそのままの形でいた。そして、この 球から、地球と月からなる小さな部分が離れた。人間の萌芽が分節し、分化したので ある。 ■太陽の分離を通してはじめて対象は外から照らされた。地球は太陽に照らされるよ うになったのである。照らされる対象ができ、それとともに目が形成された。光が目 をつくったのである。創世記では「そして、神は“光あれ”と、いった。すると光が あった。神は光を見て、よしとした。そして、神は闇と光を分けた。」という言葉で 示される。 ■エーテル体が形成される。アストラル体に関しては独立性はなかった。あらゆる存 在に共通のアストラル的な覆いがあったのである。それは地球の霊であり、地球の霊 は触手を伸ばして、個々の人間祖先をつかんだ。個々の人間は両性間の受精なしに生 殖をおこない、自分の実質から人間を生み出すことができるようになった。性的な生 殖ではなく、アストラル的な大気によって成し遂げられた。 ■触手が下に伸びるのは生殖を意味した。人間の形姿は鐘の形をしており、上方は触 手を受け入れるために、太陽に向かって開いていた。これがヒュペルボレアス人であ り、第二根源人種時代である。この人間の形姿は多重に分節していて、死ぬことはな かった。 ■人間の祖先のかたわらに、すでに動物と植物もいた。輝きを発し、エーテルの渦巻 く、植物と動物がいたのである。動物には雄と雌の区別はなく、単性だった。ただ、 いくつかの動物は両性を発展させはじめていた。本来の鉱物界は、まだ形成されてい なかった。 ■百万年後には、地球と月はまったくちがったふうに見えた。動物と植物は卵白のよ うなゼリー状でくらげのようだった。この、器官を有した濃密化した物質の中に人間 祖先はいた。 ■動物と植物の形姿は、受精するアストラル的な力を通して次第に固まっていった。 ついて、受精存在達がアストラル大気の中に、当時の生命的な自然形姿を通して現れ た。人間と動物は、周囲の植物界から受精と養育のための実質を得たのである。植物 はのちの人間や動物の乳に似たものを分泌した。このように、人間は周囲の自然から 栄養を取り、受精する無垢の存在だった。 ---------------------------------------------------------------------------- ■そして、地球と月が分離し、太陽、月、地球という3つの天体ができた。 ■月は、人間や動物が自分からほかの存在を生み出すのに必要な力を持っていき、人 間には、生殖力の半分だけが残され、生殖力は二分され、次第に男と女とに分かれて いった。この時代が第三根源人種レムリア時代である。 ■この時代にも、物質は硬化していった。地球と月が分離する少し前に、固い沈着が 生じ、地球と月が分離した後、固い土と地殻ができていくに従って、人間と動物の中 に骨が形成されていった。次第に、固い鉱物が発生していった。かつては、すべては エーテル的であり、ついで空気的になり、液体的になった。生物達は水の中を漂った り、空気中を飛んだりするようにして、動いていた。人間の中に骨組みができていく ように、今や、地球は岩の中に固い足場を築く。骨と岩の形成は平行して行われる。 当時の人間の姿は一種の魚−鳥動物のようだった。地球の大部分はまだ水のようであ り、気温は非常に高かった。この水のような要素の中に、のちに固くなるもの、たと えば現在の金属などがとけ込んでいた。その中を人間は漂うように動いていた。人間 はまだ肺をもっていなかった。管状のえら器官を通して呼吸していた。 ■何百万年かが経って、地球は固くなっていった。水が引いて固い部分と水の部分が 分かれた。純粋な空気が現れ、空気の影響によって浮き袋は肺に改造された。えらは 聴覚器官に改造された。肺の形成とともに、呼吸能力が発生した。 ■最初、人間は純粋な霊に満たされていた。ついで、アストラル的なものに満たされ た。今や、人間は空気に満たされる。熱の呼吸が空気の呼吸に変化する地点に人間は 達した。こうして、火星がもたらしたものが役に立つ。温血ができたのである。かつ ては外にあった精神が、空気を通して人間の中に入った。呼吸能力は、個体的な人間 の精神を受け入れることを意味している。人間の自我は、呼吸する空気を通して人間 の中に入ってきたのである。 ■私たちは共通の空気の中に生きているので、共通の自我の中に生きている。呼吸を 通して、人間はゆっくりと、多かれ少なかれ萌芽の状態にあるマナス、ブッディ、ア ートマを受け入れていった。創世期にはこう書かれている。「そして、神はアダムに 生命の息を吹き込んだ。すると、彼は生きた魂になった。」 ■「月」の上には、当時の人間界よりも高次の存在たちもいた。それらの神々はキリ スト教では天使、大天使と呼ばれている。彼らはかつては人間の段階に立っており、 人間が次の惑星において高次の段階の上昇するように、時の経過の中で高次の段階に 昇ったのである。彼らは物質体をもっていなかったが、まだ地球と結びついていた。 ■「月」が進化を完了したとき、これらの神々の一部は進化から取り残された。本来 到達すべきところまでいたることができなかったのである。こうして、神々と人間と の間に立つ存在、半神ができた。彼らは人間の本性の一部の中に係留し、その部分に よって進化を遂げていくと同時に、人間を助けた。 ■彼らは「月」の上で、火を呼吸していた。彼らは「月」で自分達の要素となった火 を人間の血液に与え、情熱と衝動の場である温血の中に居を定めた。これがルシファ ーの一群である。聖書は、彼らを誘惑者と呼んでいる。人間の血液の中に生き、人間 を独立させているかぎり、ルシファーの一群は人間を誘惑する。もし、ルシファー的 存在達がいなかったなら、人間はすべてを神々からの贈り物として受け取っていたこ とであろう。人間は賢明であっても、独立せず、思慮深くても、不自由な存在になっ ていたことだろう。ルシファー的存在者たちが人間の血液の中に係留したことによっ て、人間は賢明であるだけではなく、叡智と理想に対する火のような情熱を得たので ある。 ■しかし、このことによって、人間には迷う可能性が生じた。人間は善悪を選択する ことができるようになったのである。このようにレムリア民族は悪の可能性を持って 徐々に進化していった。この素質は地球に大きな変動をもたらした。地球は震動し、 レムリア人の大部分は人間の激情によって崩壊していったのである。 ---------------------------------------------------------------------------- ■地球はさらに硬化していき、別の大陸、アトランティス大陸が、今日のヨーロッパ、 アフリカ、アメリカの間にできた。この大陸でレムリア民族の子孫達が進化していっ た。 ■何百万年の間に、レムリア民族は変化していき、今日の人間の姿に似た姿形を受け 取った。しかし、これらの人間の頭と額はずっと低次のものであり、栄養器官はずっ と力強いものだった。アトランティス人のエーテル体は頭のまわりをはるかに越え出 ていた。エーテル体の中には物質体の頭の中の点と一致する大事な点がある。エーテ ル体の頭の点が物質体の頭の中の点に押し入り、両方の点が接近することによって、 進化が生じる。この二つの点が重なったとき、人間は自分のことを「わたし」という ことができたのである。前脳が精神の道具になることができた。自己意識が生まれた。 ■このことは最初、今日のアイルランドのあたりに住んでいたアトランティス人に生 じた。アトランティス人は次第にルモアハル、トラヴァトリ、原トルテク、原ツラン、 原セム、原アッカド、原モンゴルという7つの亜人種の中で進化していった。原セム 人において、両方の点が一致し、明瞭な自己意識が発展していった。原アッカド亜人 種と原モンゴル亜人種は、アトランティス人類の本来の目的を越え出ていた。 ■この両方の点が結合する前は、アトランティス人の魂の力は、今日の人間とは根本 的に異なっていた。アトランティス人は今日よりずっと柔軟な身体をしており、なに よりも強い意志を持っていた。たとえば、手足を切り落とされたとしても、その部分 を作り直すことができたし、植物を成長させることもできた。彼らの感覚器官は力強 く形成されていた。私たちが匂いを区別するように、彼らは金属を感情によって識別 することができた。彼らは高次の霊視力を持っていたがそれは漠然としていた。彼ら は夜、神々と交流した。彼らが体験したことが、神話や伝説として伝えられている。 彼らは自然の力を自分たちに仕えさせた。また、飛行船も作ったが、その動力は有機 的な植物の衝動力に似たものだった。 ■彼らは、両方の点がまだ結び付いていないために、推論を可能にする悟性を持って いなかったので、計算することはできなかったが、その代わりに、記憶力を形成して いた。推論的な論理的悟性能力と自己意識は第5亜人種、原セム人においてはじめて 現れたのである。 ■アトランティスは大洪水によって崩壊し、海中に没し、民族は東の方、ヨーロッパ とアジアに向かって移動していった。主なグループのひとつは、アイルランドからヨ ーロッパを通って、アジアに行った。彼らはある高位の秘儀参入者に導かれていた。 この秘儀参入者は人々を選び出し最も良い者たちをつれて今日のゴビ砂漠に住み着か せた。そこで、周囲からまったく隔離された小さなコロニーが形成された。このコロ ニーから開拓者たちが各地に赴き、インド文化、原ペルシア文化、エジプト・バビロ ニア・アッシリア文化、キリシア・ラテン文化を築いた。そして、ゲルマン・アング ロサクソン文化が発生した。 496/496 GGD03030 《 隆 》 対立しない日本の気質? (11) 93/01/06 16:03 488へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    今年のお正月は大変だったみたいですね。我が家も家族が順番に風邪をこじら  せたりして、いまだにあたふたしております(^^;)。まあ、風邪で死ぬ事はまず  ないので(油断大敵ですが)なるようになれと静観していますが・・・。    仙人にはいまだに憧れを感じていますが、霊学や神秘学を知るようになって、  仙人の状態に対する疑問もたくさん湧いてきました。自分を高める努力(肉体  に直接働きかけて霊人になろうとする努力?)は理解できるのですが、白日昇  天して虚空の彼方に消え去った後はどうなるのか(仙人の中には気が向くと現  界にひょっこり現れたりする方もいるそうですが)、またどうすべきなのかよ  くわかりません。神仙になったとしても(とうてい凡人には無理でしょうが)  その後の進化は考えないのか等、考えるとわからない事だらけです。そもそも  仙道が現世利益の追求の上に成り立っている部分が多いのも疑問の原因なので  しょう。    「気」の事をあれこれ考えていると中国の占い関係の話はかなりの部分で「気」  の動きを知る事に通じてくるように思えます。そんなわけでしばらくは「気」  の動きを読めない占い師には価値がない等と思っていたのですが、最近になっ  て「因果」も考えなくてはなあと思うようになりました。「気」は物質的な側  面が強く、「因果」はそれに対して精神的な事象だと考えると、「気」にのみ  とらわれていた僕の考え方は科学万能主義と大差なかったのですね(^^;)。そん  なわけでKAZEさんのおっしゃる  >仏教的にいえば、「自利」が即「利他」になっていなければならない  というのは耳の痛い話なのですが、全くその通りだなあと思います。    >「五行」については、隆ちゃんの方がかなり詳しそうですが(^^;)、  とっとんでもないです(^^;)、僕が認識しているのは木火土金水の関係くらいで  その本質的な部分はよくわかっておりません。占星術でサインやハウスのイメ  ージを把握するのが大切な要素になっているように四柱推命でも木火土金水の  イメージが大事なようですが、なかなかに難しいです。  「易」と「陰陽五行」が、日本に深く根をおろしているのは最近特に感じます。  当たり前にやったり思ったりしている事で「易」や「陰陽五行」に関係してい  る事が結構たくさんあったりします。それにしても日本という国は面白い国で  すよねえ。いろんな概念がいろんなところでごちゃまぜになっています。我が  家では毎年真言宗のお寺(何故か縁のある「聖天さん」と高野山で泊まった宿  坊のお寺)で節分に開運星祭のご祈祷をしてもらうのですが、この当たり星と  厄年がものの見事に一致していたりします。仏教が入ってくる前から道教の考  え方は日本に入ってきていたのでしょうが、神道と解け合っていたようですし  (神道と根が同じという事もあるのかもしれませんが)、仏教も多少の軋轢は  あったとはいえ、結局神道と習合してしまいました。日本には対立の概念が育  ちにくいのかもしれません。  ちなみに我々夫婦はお布施マニアでして(^^;)、神社仏閣と縁ができると必ずお  札をお受けしたりしてしまいます。そんなわけで我が家は臨済宗なのですが、  いろんな神様や仏様がないまぜになっております。どの神様仏様もみんなあり  がたいわけで、そこで選択する事を放棄して全部祭ってしまおうと考えてしま  うわけですね(^^;)。トッテモ、ニホンジンテキ?    “MIZUHO”さんのメッセージが休止になったそうで、少々残念ではありますが、  世の中全て、縁とタイミングですから時期がくれば・・・なんて思っています。  >必要なメッセージは常に届けられているのではないでしょうか。  そう思って生きて行きたいと思います(^^)。    今年も年あけそうそう風邪をこじらせてしまいましたが、がんばって良い年に  したいと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。                              by 隆ちゃん - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/06 - 530/533 GCC01413 HVHY 新聞記事より。 (13) 93/01/05 23:53              〜 センスの違い? 〜    女性問題に関する研究や交流、情報収集など    の事業を展開している東京女性財団が、昨年末、    「第一回女性にやさしい広告コンテスト」の結果を発表した。    この広告コンテストで最優秀賞に選ばれたのは、    「フルネームで生きる」というコピーを軸に    手塚理美を起用して展開した“例の”丸井の広告であった。    “例の”と書いたのには理由がある。    きっと覚えておられる方は少ないと思うが、    私はこの部屋で、あの広告をかつて酷評したのである。    (※もう一つ酷評したのは「反省なら猿でも出来る」というコピーだった…)    当時、私は“アナクロニズムが感じられる”と書いたように記憶する。    私がしばしば一緒に仕事をする女性も、やはり、    私と感覚が近いようで、嫌いだと言っていたのを思い出す。    つまり、“そういう観点(?)はもう古い”のである。    どこが古いのかを説明しても、東京女性財団の人には解らない???    あの広告が好きな人には、どうして好きなのかを聞いてみたい…。                              HVHY 531/533 GCC01413 HVHY 雑誌より。 (13) 93/01/06 00:49            《 でも 〜 , やっぱり 〜 》  浜尾 : でも、一生に、一軒ぐらいの家をなんとか持ちたい       っていう願いは誰にもあるでしょう。  三枝 : 家が欲しいんだったら、地方で買えばいいじゃないですか。  (成彰) 徳島は土地が安いですよ。       でも、帰ればいいのに、帰らないでしょ。       それは東京にいる理由があるからなんですよ。       だったら、家は買えなくていいんです。  浜尾 : 理由があるから東京にいるんですけれども、やっぱり、       家賃を捨ててるように思うじゃないですか。       そのおカネを何ヵ月か貯めたら、徳島に家が建つんじゃないか       というような家賃を払うじゃないですか。       一生に一軒の家を持ちたいっていうのは、       ささやかですけれども、人生の最大の夢かも知れない。       その夢もかなわないという前提で人生を考えなくてはならない       っていうのは、とってもおかしいと思う。  三枝 : つまり、東京というのはね、そういうものを持てないけれど、       それを倍加する楽しみがあるから、みんないるわけですよ。       選択しているのは本人なんです。  浜尾 : そういうお考えもありますね。       でも、ドイツ人の友達なんか見てると、貯金をいっさいしないんです。       しなくても、年を取ったら、       国が年金で面倒見てくれるから大丈夫だといってます。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   浜尾朱美は、見掛けによらず(?)“お馬鹿さん”のようだ…。   要するに、彼女は、  >>>  東京の“いいところ”に一戸建ての家が欲しい!   と言っているに過ぎない。そして、   今のところ見通しが立たないので、憤っているのである。   これが、早稲田大学を出て、TBSへ入って、離婚までした人???                                 HVHY 532/533 GGB03531 COOL RE:#519 & #521 (13) 93/01/06 01:09  こんにちは、HVHYさん!  HVHYさんがUPされた#519と#521ですが、  私も1月3日と4日の朝にこれらと関連する夢を見ました。  MES(14)#778にUPされてますが、  スマルさんは3日の夢の中でHVHYさんが“やさしいおじさま”だったとか。   私の場合は、なんとHVHYさんは“黒豹”だったのです。  …具体的な内容に関しては、機会があれば、また今度UPします。  では、では。 533/533 GEB00123 しょうる 天秤 (13) 93/01/06 01:42 運命というものがある。   不幸にも、それはある日突然やってくる。   激烈な力を持ってそれは来る。   それは、回帰してくるものだという。   悪口は我々の後をついて来て、   後にそれを発した人の上に復讐の光線のように降り注ぐという。   悪の仕事を為す者は、自身の仕事の犠牲者となるという。   このような二つの法則がある。 「聖なる法の獅子は天秤と戦う」   「下位の法が高位の法に超越される時、    高位の法は下位の法を洗い清める」   そして、このような言葉がある。   「あなたの負債を払うために、立派な行いを為せ」   天秤の一方に良い行い、もう一方に悪い行いとそれに伴う   カルマが乗せられる。   傾いた方を結果として受け取る。   負債を払うには、良い行いか苦しみかのどちらかである。   無論、良い行いをしたからといって超人になるわけではないが。   良い結果が欲しければ、良い行いを天秤に乗せるしかない。   それはどうしようもない。   我々は未だ運命に操られる存在である。   そして、運命は我々が行ったことの結果として生じる。   ならば、天秤を手に運命と戦うしかないのである。    しょうる - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/06 - 786/787 SGR02310 湖の騎士 愛するものへ (14) 93/01/05 23:59     赤き薔薇よ     気高き香をして、羊たちを癒す花よ     紅色をして凡花に紛れないのは、薔薇としての定め     羊たちが迷わぬように、暗闇にあかく輝かねばならぬため     赤き薔薇よ     花に満ちる命の凝縮は、僅かばかりの時間のため     花をつけるまでの永大なる時間は、全て咲くための滋養     やがて花びらが空に溶けるまでの一瞬の試練     赤き薔薇よ     蒼き鋭いとげは血を流させるためのもの     羊たちの、心よりの血を流させるためのもの     空を見上げた数匹の羊によってとげは優しくなるだろう     赤き薔薇よ     未来を望む赤き薔薇よ     孤独の悲しみはまもなく癒されるだろう     細き茎は支えなしでは枯れてしまう事に気付くからだ     約束は彼方にありて     想いは強し     陽光は彼方にありて     想いは軽し     玉石は彼方にありて     想いは輝く     鷹が強き鷹の目を持つまで     鷹が強き鷹の首を持つまで     鷹が強き鷹の翼を持つまで                         湖の騎士 787/787 GBA01276 しまうま 道 (14) 93/01/06 08:10 遠く遠く 深い深い空の下 続く道のり 一歩目を踏み出して 初めて気づいた 僕は何も知らないってこと 伝えきれるはずないよね こんなおぼつかない手つきで 頬をなでるつもりが 力を入れすぎちゃうかもしれない 抱きしめるつもりが くすぐってるだけになるかもしれない これでも真剣に考えるけど 深刻にはならないつもり こんなに遠く 果てのない道 無限の人が通ったけど まだ誰も通ったことのない - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/06 - 186/186 PEH01157 酷使夢想 酷使夢想の会計学 ( 6) 93/01/06 22:38   簿価主義と時価主義    昨年の8月、株式が暴落した。この当時の日本経済新聞の報道によると、政   府は緊急政策を発表、その政策のひとつに有価証券の強制低価法の適用を中間   決算時には適用除外可能とするとあった。さらに、報道は、この政策を激しく   非難。この発表は、会計の継続性に抵触するものであり、企業会計原則をねじ   まげ、国際会計基準の「時価法」という流れに反するものであると論評した。      1 定義    時価法とは、100年前に1円で買った土地を1円のまま永続的に帳簿に記   録する会計方法をいう。時価主義とは、100年前に1円で買った土地を帳簿   に現在の地価(例えは、1億円)で記録する会計方法をいう。    低価法とは、時価が下がった時に低い価格で資産の評価換えを行って、損失   を計上する時価法をいう。継続性とは、1度採用した会計方法は、継続的に使   わなければならないことをいう。      2 日本と世界の比較    時価主義には、3つの側面がある。I時価があがる場合とJ下がる場合、そ   してKあがったりさがったり激しい場合がある。       国際会計でも日本でも、時価にあげて評価する会計方法はあまりない。その   理由として、粉飾決算の可能性があげられている。会計では、損失をだすこと   よりも利益を架空に経常することを嫌うからである。一部の例外が米国会計に   ある。時価にさげて評価する会計方法は低価法である。低価法は損失を計上す   る会計方法であり、保守主義の原則といって、会計ではこの会計方法を許して   いる。ただし、税務会計は低価法を嫌う。なぜならば、税収が減少するからで   ある。時価があがったりさがったりが激しいものを物価変動会計とよび、代表   的なものには、外国為替の評価損益などがある。       実は、乱暴な言い方ではあるが、日本でも海外でも会計原則上の規定上の基   本的な時価法の処理のしかたは大きくかわることはない。しかし、時価法に対   する考え方に基本的な差異がある。多少、乱暴な表現になるが、現在の国際会   計基準は時価主義を原則としている。日本では、簿価主義を原則としている。   特に、東日本を中心とした学者は頑迷に簿価主義の正当性を主張し、マルクス   主義者は低価法を資本主義における資本蓄積過程を助長するものとして、激し   く非難している。しかし、時代の流れは国際会計基準である時価主義に進んで   おり、日本にも時価主義の正統性を主張する人も少なくない。代表的な学者と   しては染谷博士がいるが、基本的には西日本の学者に時価主義者が多い。      4 時価主義の問題       時価主義の問題も税制がからんでいる。例えは、時価があがる会計方法であ   れば、日本では税金をもっていこうとするだろう。企業や投資家は、この税務   見解を嫌うだろう。財務会計上は損失であっても、税務署は、損失と認めない   ことは多い(これを損金不算入という)。       (日本に限らないが)、時価主義とは、税務当局の見解を無視できない要素   がある。前回書いた税務会計と財務会計を分離する場合、国際会計基準では、   時価主義採用による益や損の違いを永久差位とよんでいる。本当の意味での時   価主義の採用のためには、税務会計と財務会計の分離という課題があると理解   しておくといいだろう。      5 怒り       私は、先に書いた政府発表に腹がたった。はじめは、新聞の発表通りの理屈   にそって腹をたてていた。しかし、私は、低価法を1時棚上げにすることや継   続性がおかされることや国際会計基準の流れに反することに腹をたてたのでは   なかった。       だいたい、私は時価主義に対して基本的に反対の立場をとっている。継続性   の変更にしても実務的な対応方法が国際会計基準にも存在している。また、日   本では実務的には継続性の変更による監査上の反対意見が述べられたことはあ   まりない。ことの善悪は、別として、会計というものは見積と恣意の固まりで   あって、利益操作などは簡単にできるのだ。国際会計基準の流れは必然かもし   れないが、私は国際会計基準の国内導入に是非がわからない。ただ、国際会計   基準には、会計学的な理念がなく、いきあたりばったりだらけの妥協の産物だ。   会計は、たしかに妥協の産物ではあるが、それでも国際会計基準は、妥協がす   ぎるところがある。そもそも、国際会計基準などECと同様幻想の産物にすぎ   ないと感じており、なにかうすら寒いものすら感じている。       先の政府の政策は、憲法違反の可能性も高いが、そのような脱法行為に怒り   があるのではない。株価は市場にまかせて、政府介入はすべきではないなどの   見解も私は持ち合わせていない。ただし、今回の政府の株式市場の介入は、後   に大きな悲劇を生むことにはなろう。小手先の政策では今回の不況は回復しな   いし、小手先の小賢しい政策は傷を深くするだけであろう。しかし、それも時   代の流れであり、反対意見を述べているわけではない。ただ、歴史的必然とし   て、かって粉飾決算まがいのことを公然とやっていた国家があった。そのひと   つはオランダである。オランダは、真面目に会計をやっていた英国に経済的に   も戦争でも負けた。また、先の大不況以前にも、粉飾決算まがいのことが半ば   公然と行われていた。結果は、株式の大暴落と長期の世界恐慌であった。歴史   のエネルギーに反した行為は、必ずしっぺがえしを受けることになるだろう。   つけは返さなければならない。       多くの現場の公認会計士は、今回の政府の処置を不愉快に思っている。心あ   る会計士であれば、企業会計原則を縦横無尽、自由自在に適用するが、企業会   計原則の守神という自負がある。政府は、こうした会計士族の職業に対する尊   厳を傷つけられのだ。       私は会計士ではないので、こうした怒りはない。私の怒りは、通達1本で、   今回に限らないが、政府当局の傲慢にある。政府に限らないが、私は、常にこ   うした権力に対する義憤を感じることが多い。では、なぜ義憤を感じるのだろ   うか。皆さんはどうだろうか? こんな仕事や報道からも 自分をみて、しか   も社会をみるチャンスがあるのだ。今回の事件の清水はなんだろうか? 皆さ   んの意見を教えてほしい。       自分をみるのは、身近なものがいい。清水を得るためには、身近をみるのが   いい。仕事をしている人ならば、自分の仕事を通じて自分や社会をみるのがい   い。普通、私たちがやっていることを材料にすればいいのだ。その仕事では私   たちはプロなのだから・・・。自信をもっていい。いくらでもARION天使   族効果をみることができるにちがいあるまい。清水を手にすることができるか   もしれない。別に宗教問題や精神世界や環境問題やフリーメイソンやイミナル   ティである必要はないのだ。      次回は、リース会計について触れたい。そのあと、企業会計でおきている混沌   を整理していこうと思う。    - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/01/06 - 679/679 PEH01157 酷使夢想 酷使夢想の仕事観察 ( 7) 93/01/06 22:59       ARION。    私の自分をみる練習に少しつきあって下さい。    コメントは期待していませんが、私に力をすこおうし注いでくれませんか?    すこおうし昔の話になりますが、今でもひきずっている課題ですし、ねっこ    ある問題は、仕事の中でいつも存在していますので、ごくごく身近な課題と    して、じっくりみていきたいのです。        内部統制:        内部統制とは、ひらたくいえば、不正や瑕疵の発生を未然に防ぐための組織   的な構造や機能をいう。例えば、接待伝票は上司の承認が必要であり、さらに   経理の承認を得て、出金される。出金は2人の人間が牽制しながら、行う。       私の、仕事のひとつは、客先にでむいて、こうした内部統制をしっかり作り   上げることである。こうした仕事を通じて、ひとつの問題がおきた。秘密を守   る義務もあるので、おおまかな話になることを許して欲しい。       受注という行為があって、発注という行為がある。しかし、現実の実務では   受注も発注をなく、外注していた。これは、2重の意味で問題がある。第一に   法律に抵触する。第二に内部統制に抵触する。しかし、現場は、こうした実務   処理を改善するつもりは全くない。私と発注部門は、こうした悪弊を改善した   い。議論は、喧嘩になり、現場も発注部門も憤りを感じている。そして事態は   暗礁にのりあげた。       私は、発注部門の助けをかりながら、段階的に内部統制と遵法性を満たすよ   うに業務構造を変化させる提案をした。ところが、現場の活動の柔軟性を残す   ために意図した仕組(一般的な方法である)について他ならぬ現場が反対した   のである。       私は遵法性にむけた改善を棚上するべきであると判断した。そして、内部統   制を守ろうとした。内部統制の構築が私の第一の役割だからである。内部統制   の確保の方が遵法性の確保より簡便であり、かつ内部統制の確保ができれば、   遵法性の確保までは、少しの後押しで可能だからである。しかし、それでも問   題は解決できなかった。発注部門は遵法性の確保をガンとしてゆずらないから   である。そのような指導をするのかと責任をとるのだなと脅かされ、私も怯ん   でしまった。(あとで知ったことだが、通常、こうした問題がおきた時は、遵   法性の断念が正しい判断だそうだ。)       次に、時間をずらして、できることから改善していこうという提案をした。   一応、ここで話の決着はついたかにみえた。しかしー竃竭閧ヘ水面下にもぐり、   くすぶりつづけていたのである。現場は面従腹背を決め込んでいたのである。       私は、合意に達した事項に基づいて、業務設計を行い、それを発注部門と調   整し、その後の動きを無視することにした。現場の気持ちは理解できるが、客   観的にみて、現場の主張は常識を逸脱するものだったからだ。しかし、このま   までは、プロジェクトは失敗するだろう。       さて、この問題の構造は以下のようになっている。話を単純にするために、   私という存在をはずしてみる。       I−> 内部統制 法律 正−−−−−−−−−    I願望         I        I    I           I        V 反発   発注部門 −−−−−−−−−−−−−−− 現場の立場                I         I     Λ 反発       I 願望      I     I−− 内部統制 法律 偽(現状)<−−−I       表にでているものは、この図式。本当の目的というものがでてきた時、混沌   とする。発注部門の本当の目的は内部統制の改善や遵法性ではない。現場の目   的は実務上の対応ではない。本当の目的とは何か。ヒントはある。それは表に   でている両者の感情、怒り。強い自己主張。その裏には、自分たちが評価され   ていないという失意があった。       そして、今、私は混乱している。今、私は失敗を恐れている。私は成功した   い。私にも失意があるのだ。しかし、私も自己主張がすぎた。これに気がつい   てからは何度も両者の仲裁を試みるようになった。現場の話もよく聞いた。現   場は、面従腹背を貫いている。事態は進展しない。私は、どういう風に結論を   だして、どういう風に話を進めたらいいのだろう。なぜ、割りきれないのだろ   う。やらないあいつらが悪いとなぜ思いきれないのだろう(経営コンサルタン   トは、そのように割りきるらしい)。実際、こうした業務の改善では、ついて   これない人がいて退職するケースも多い。私の仕事は、こういう因果のものな   のである。友人は、仕事と客先にいれこみすぎだという。感情移入しすぎだと   いうもいう。しかし、私はそれほど優しい人間ではない。なにか腹の底にズー   ンとくるものが残っていて私も苦しい。考えろ。考えろ。この客先の「布(ク   ロス)」を正確に理解する必要がある。この課題に絡んでいる私にも「布」が   ある。というわけで、しばらく、ジタバタしよう。    - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/06 - 497/501 MHD02672 TAO シュタイナー:「魂のこよみ」 1/5〜1/11 (11) 93/01/06 21:31  今週の「魂のこよみ」です。 ==============================  こうして私が      霊の深みにいるとき 私の魂の奥底では  自己愛から生じた幻想の空しさが  宇宙の言葉の焔に貫かれる。  ============================== 498/501 GGA02514 KAZE MIZUHO・チャネルメッセージの再開について (11) 93/01/06 23:10 休止していた“MIZUHO”チャネル・メッセージを再開することになりました。 先日、突然休止したのは、MIZUHOさんがメッセージのソースが何かということに なかなか納得がいかず悩んでいたからのようですが、 ソースの方から、時間がないからメッセージを流しなさいという指示があった、 ということですので、急ぎ再開するということなのです。 なお、これまで僕がコメントしたことのなかで、 誤解して誤って伝えている箇所については (たとえば、「コノハナサクヤヒメ」のことなど) 改めて正確に訂正させていただきますので、よろしく。 まだ今後どうなっていくかはわかりませんが、 とりあえず取り急ぎのお知らせのKAZEでした。 499/501 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<21> (11) 93/01/06 23:15 ************************************************************ 他人(ひと)の言葉におどらされるなよ。他人の言葉にまどわされ るなよ。その言の葉が心伴いたものかどうかを、己の心に問うてみ るのぞ。なれど、他人を悪く思うなよ。悪いと思うそなたの心が悲 しいぞ。他人の思い、心でとれよ。言の葉にかくれた思いを、心で 読むのぞ。他人の心、自分の心に入れて、問いてみよ。人の心は自 由ぞ。他人の心になれるのぞ。心の力、そなたが思うておるより、 大きいのぞ。心の力でこの星は動くのぞ。それほどに大きいのぞよ。 心の力、大切に使えよ。正しき導きにて、正しく使えよ。人も変わ るぞ。変われば、この星、救うことができるのぞ。変われば、人も 救うことができるのぞ。 ************************************************************ 500/501 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<22> (11) 93/01/06 23:15 ************************************************************ 心を澄ませよ。澄ませることのみ考えよ。忘るるでないぞ。神に恥 じよというのでないぞ。己の心に恥じるのぞ。己の心は神の心ぞ。 それを忘れてこのありさまぞ。己の心に恥じてみよ。なれば神の心 わかりてくるぞ。 人の喜ぶ様を見よ。そなたの心、わくであろう。そなたの心、喜ぶ であろう。そこから始めよ。人は皆、他人を己とすることできるの ぞ。他人は他人と思うなよ。他人も自分ぞ。己の心のうつし鏡ぞ。 喜ぶ様は己の喜び、悲しむ様は己の悲しみとせよ。 迷うなよ。迷えば、ひとり救えぬぞ。迷うでないぞ。迷わず、言葉、 人に伝えよ。伝えれば、そこから大きく伝わりゆくぞ。伝わりてゆ く波が、喜びに変える力となるぞ。 ************************************************************ 501/501 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<23> (11) 93/01/06 23:16 ************************************************************ この地、この国は、神に愛でられた国ぞ。そを忘るるなよ。かつて まことの心この国にありたぞ。太古の昔、神の心にそいた国ありた ぞ。人の心、神の心とひとつになりて、楽し楽しと暮らしておった ぞ。人の心にその記憶、かすかといえど、残っておるぞ。それゆえ、 この国の民は、神に近き心、今なお持ちておるはずぞ。持ちて気づ かぬ悲しさよ。 神はこの国、頼みとしておるぞ。そなたの心、頼みにしておるぞ。 そなたは神の子ぞ。決して忘るるでないぞ。疲れておろうが、堪え てくれよ。早う聞かせてやれよ。人の心に伝えてやれよ。伝えるこ とで変わってゆくのぞ。伝えることで、そなたも本物になりてゆく のぞ。己を鍛えることできるのぞ。まだ、そなたは心が弱い。澄み てはおるが、心が弱い。強うなってくれよ。強うならねば、戦えぬ のぞ。強うならねば、神のお役目果たせぬぞ。急いでくれよ。忙が ねば、もう間に合わぬのぞ。このひとときが大切ぞ。このひととき で決まるのぞ。 ************************************************************ - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/06 - 534/543 GBG02043 維/YUI 二兎を追う者一兎を得ず(爆笑) (13) 93/01/06 20:51 522へのコメント コメント数:1 あけましておめでとうございます。 > ぎちゃう m(_ _)m 正月にかまけて、ゆ〜ちょ〜にROMモードしてよっと思ってたのに、 ”(オマケ)”というカタチで呼び出されてしましました・・・。(ア? ヨンデナイ??) わたしってぇ、そんなつれない言い方してましたぁ?? 反省・・ま、いっか! ふみ・・・。 んで、なんであれが”空間間隙移動(?)の「鍵」”につながるの? (はみだしQ:なんでキーボードっていうのだろうね?HVHYさんしってる?) ね〜ね〜、なんで?? おしえてよぉ!!(自分で考えなさいってか・・ケチ・・・) それはそうと、空間間隙移動って・・・やっぱり”すごい!”ことなのでしょうか? ん〜、きっとそうなんですね・・・。 そうですよねぇ、わざわざ議長が書くからには なにかあるもんね。 そういえば「”「死」を選ぶ”とは、どういうことか」って2回書いたうちの、 後の方には、わざわざテンテンのアンダーラインがはいってましたっけ。 確かに”当たり前”なのですが・・・。 そういう宙ぶらりんのことってあるのも 確かですよね。 余談ですが、私にとって”嫌いな意味での死”ということがあって、 ・・・これを”死”と呼ぶと本来の”死”に対して失礼なんだけれども。 これは、HVHYさんの本題ではなくて、私がふと思い起こしたこと。 ”いのち”とか地球や宇宙の”流れ”って、滞ってはいないのが自然なことですよね。 −にも+にも、上にでも下にでも、前にでも後ろにでも、右にでも左にでも・・・ 流れていつづけようとしていると感じています。 それを滞らせる状態というのは、私にとって”嫌いな意味での死”なのです。 ・・・あれま、また関係のなさそうなことばかり書いてしまいました。(^^;) と、いう訳で・・・今年もこの調子で頑張りまぁぁぁぁすっ!                               維/YUI。 PS: 熱いものと冷たいものねぇ〜・・・。     ケーキの乗っているチョコレートパフェ と      つくりたての栗いり白玉しるこ     のどっちを選ぶかというと・・・     やっっぱし・・・両方って答えちゃうなぁ・・・。     でも、どっちかから食べはじめないとね。     どっちも捨て難くて、ながめているうちに他の人がもっていってしまったり     とけちゃったり、さめちゃったりしておいしくなくなったら・・・     一番くやしいなぁ・・・。     あ・・・ (^^;;) 議長ったら、そんな白い目でみないでくださいよぉ〜!!     だって、両方ともおいしいじゃないの! 535/543 GBG02043 維/YUI 光の黙示録 15より (13) 93/01/06 20:52 (ことわっとくけど、遊びよっ!) 宮つ城→宮城→仙台→白衣観音→ジュウレンジャーのショウ→竜神系→竜宮→宮つ城                       (^_^;;)失礼しました〜っ!!             な〜んにも意図ないからねぇ〜(深読み厳禁)                                                                 維/YUI。 PS: 私、そんなあやし〜ことゆってないってば・・・(笑) >MINTさん 536/543 GBD03557 SHIGE! RE:二兎を追う者一兎を得ず(爆笑) (13) 93/01/06 20:56 534へのコメント 心臓によくないタイトルだにゃぁ 三兎を追えばいいのかにゃぁ 537/543 GCC01413 HVHY 再考。 (13) 93/01/06 21:14         〜 大いなる「冷たさ」と大いなる「熱さ」 〜   …という話題を再び採り上げる。   書き込み寺におけるシュメールさんのUP(#678)は興味深い。     > アジアは龍であり西欧は不死鳥である。     > この両名は、死を決して戦わねばならぬだろう。     > 死を賭したところで初めて解かれた封印の力が及ぶのだから。     > この力が及んだならば、この両名は初めて合体することになろう。   シュメールさんに拠れば、    「冷たさ」  プレアデス   龍    変性女子   『0』(空)      |      |     |     |      |    「熱さ」   オリオン   不死鳥   変性男子   『1』(一者)   ということである。(シュメール説A)   そして、オリオンの暗黒勢力は、             「『1』の不調和相」            =「支配原理の行き過ぎ」            =「愛の不調和相」   ではないか?…というわけだ。(シュメール説B)   | 男性的なARIONさんの地球での表現形が、   | みれさんという女性形をとるのは、   | そうでなければ地球上のエネルギーバランスが取れないためだし、   | 多神教シャーマン形態をとるのは、統合への模索でしょう。   | 逆に、プレ系のHALさんが   | 男性形だったり、戦闘好きだったりするのも、   | そういった要因(地球のプリズム)なんでしょう。  (※一部編集あり)   これもまた、大変に面白い考察である。(シュメール説C)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   さて、ちょっと詳細に検討してみたい。   まずは、[シュメール説C]に関して…。   シュメールさんが『地球のプリズム』と表現するものには、         (1)「エネルギーバランス」という問題         (2)「統合への模索」という問題   の2つが含まれているわけだが、まず、   この2つは“全く別の事柄”であることを確認しておきたい。   前者は「チャネリング・システム」に関わる問題であり、   後者は「宇宙戦略(?)」に関わる問題である。   もっとも、「統合への模索」という事柄が“かなり昔からの事柄”であり、   正に“その事柄”のために地球上のチャネリング・システムがある…   と理解すれば、両者は事実上同じことを言っていることになる。   そして、シュメールさんは、このような理解の下に書き込まれたのであろう。   以上は[シュメール説C]が正しいとした場合の理解の仕方なのだが、   実は、若干の疑問がある。と言うのは…、      「チャネリング・システム」自体が、      そもそも「多神教シャーマン形態」であって、      (※それ故、HALさんも「多神教シャーマン形態」!)      しかも、この形態は、昔も今も、古今東西を問わず、      “宗教の本来的(中心的)形態”であり続けた。      つまり、「西欧の宗教の中心は「一神教」であった」      という説明そのものに、既に嘘がある。      ARIONは、      “男性的/女性的”といったフレーミング      の一方に属しているわけではない。      即ち、必ずしも“西欧的”な神(「一神教」的な神)ではない。      因みに、「龍神系は世紀末フォーラムの運営陣には入れない」      といった説もあるようだが、そんなことは決してない。   …と考えられるからである。   次に、[シュメール説B]に関して…。   「愛の不調和相」=「支配原理の行き過ぎ」となっているが、   これは“全然違う”のではないか?   私が思うに、「愛の不調和相」とは“方向性を失った生命力の暴発”である。   それは、例えば、聖書記述中に見られる“バール宗教の腐敗”に象徴される。   即ち、もし「愛の不調和相」について云々するのであれば、それは、   「多神教(宗教の本来的形態)の持っている元々のリスク」であると言えよう。   ところで、バール宗教のシンボルは「牡牛」(=金星)であった。   これは“オリオン由来”と言うよりは“プレアデス由来”ではないか???   一方、「『1』の不調和相」=「支配原理の行き過ぎ」というのは解る。   「キリスト教の形骸化」といった事柄と対応させて考えると解りやすいだろう。   この意味では、確かに、「西欧“的”=男性的=支配原理」であった。   但し、それは、あくまで『1』の“不調和相”について言っているに過ぎない。   「『1』=西欧=男性的」ということでは決してない。   では、「オリオンの暗黒勢力」とは、           「『1』の不調和相」のことなのか?           「愛の不調和相」のことなのか?   そして、堕天使ルシフェルとは、どういった存在なのか?   プレアデスとオリオンの関係は?  ????        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   最後に、[シュメール説A]を見直してみよう。   私が思うに、『1(一者)』=『0(空)』であって、   (※即ち、『1』と『0』の違いは、表現形の違い)   この両者を両極に置く考え方自体、そもそも“ピン”と来ない。   そして、『龍』も『不死鳥』も『1=0』と直接は関係ない、とむしろ考える。   であるにも拘らず、「冷たさ/熱さ」という“対”は、   『1=0』に関する“何がしかの側面”を表していると考える。         (              『1=0』   第一階層  (            「冷たさ/熱さ」         (             『N』/『A』  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−         (          『I』   /   『O』         (           金星   /   太陽         (  天使長 >  ルシフェル     ミカエル   第三階層  (           |         |         (           |         |         (  眷 族 >   「龍」      「不死鳥」         (          アジア       西欧         (          “水”       “火”         (          (月)   「一神教に基づく西欧“的”支配原理」とは、   第三階層のいわゆる神霊族を“まるごと”否定することによって生まれた。   即ち、「一神教」は“西欧の伝統”をも破壊したのである。   一方、「多神教の腐敗」とは、“眷族クラスの暴走”を意味する。   そして、そのことは、アジアであろうが西欧であろうが起こった…。   特に、真のルシフェルを失ったため、『月(龍)』の暴走が酷かった。   このことは“タントラ仏教の低俗化”といった事柄に象徴的に見られる。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   結局のところ…、   プレアデス=『0』=「冷たさ」,オリオン=『1』=「熱さ」と捉えた点。   「西欧/アジア」という対比に関してステレオタイプな解釈をした点。   この2点を除けば、シュメール説と大きく異なるところは無いと言えよう…。   プレアデスやオリオンに関しては、もう少し、詳細な検討を要する。                                  HVHY 538/543 PDE01555 Lulu RE:相剋の結果は? (13) 93/01/06 21:46 522へのコメント  #522 HVHY さん  ども、お久しぶりです(^^)。  HVHYさんの引用を読んでいるうちに関連を感じたのですが。 》 戦うのは 全ての人々 全ての自己 》 最後に残るのは  自己 己れ 》 自己と戦い 勝ったとき 》 カリマホロバ マホロバとなり 》 輪廻の鎖は解かれる     (「光の黙示録」第19章より) 》 大いなる「冷たさ」と大いなる「熱さ」の間に横たわるもの。 》 それが、あなたがたの求めるものだとだれかが言うだろう。 》 しかし、私は言おう「それは間違いである」と。 》 大いなる「冷たさ」と大いなる「熱さ」のどちらかを、 》 あなたがたは選ばねばならないのだ。 》 何故ならば、この相剋の結果があなたがたの求めるものだからだ。  (この関連では、私たちが<マホロバ>を目指しているのが分かります。   今は<カリマホロバ>な訳ですが、いつまでも仮ではいられません。)  真理を求める旅人は、必ず「冷たさ」か「熱さ」のどちらかを選びます。  ひとつを極めなくては真理は掴めないからです。  そして、そこで真理を掴めば、その対極にあるものも理解することができる。  だからHVHYさんが書いた、 》 「2つの要素が共に必要である」という事柄と、 》 「2つの要素のいずれかを選ぶ」という事柄とは、必ずしも矛盾しない。  ということになるわけですね。  ここで、ARIONの剣をどうしてもイメージしてしまうのはなぜでしょう?  (時代劇の見すぎ?>わたし)  実際、常識的なことほど見過ごしやすいですが、  そこに真理があるかもしれない、なんて気がします。 ▼△▽ Lulu ▽△▼ 539/543 QFG02515 SHANA 真理を理解するプロセスについて一考 (13) 93/01/06 22:24 504へのコメント こんにちは、なえさん。 》では、理解出来ないもの全ては、真理では無いとお考えでしょうか。 世の中には、どんなに努力しようが何しようが、永遠に絶対に理解することなど不可 能のように思える「真理の教え」みたいなのが、あるような気がして。そういうのは、 私にとっては価値のないもののように思ったのです。 理解不可能な「教え」を、真理であると思う必要はないと、私は思っています。 まあ、真理といっても、この言葉から思い浮かぶイメージは人それぞれでしょうね。 私のイメージは、一言でいえば“純粋要素”って感じでしょうか。 生きる上での指針ともなりうるものです、私が思うに。 指針となる「ため」に存在しているわけではないでしょうけどね。 真理にそって、存在というものがあるからでしょうか。う〜ん、うまく言えない。 「今は理解できずとも、いずれは、理解できる日がくるかもしれない。」 とは、私も思いますが、私は、今は理解出来ないからといって、かならずしも、それ が難しいものだとか、複雑怪奇なものであるとかは、思いません。単純なものが、な かなか理解できないってこともあると思います。 》真理が理解できない者には、真理に添う生き方をしつづけることはできないと思い 》ます。そして、一度そうなってしまったら、努力しなければ、真理に添う生き方の 》できる人間になることはできないと思います。 というのは、なんというか、学びのプロセスのようなもので、 「わからない」→「失敗する」→「気付く」→「反省する」→「わかる」→ 「もう失敗しない」 というプロセスの一環として、そういう流れ方をするのではないかと思ったのです。 「あらゆる一歩が前進である」というか何というか、生きていれば必ず努力している だろうと思うし、生きていれば学ばずにはいられないんではないかと思う。努力とい っても、本意の努力なら努力とも思わないだろうが、努力といえば努力だろう。 人間というのは応用ができるから、一見、努力なしで理解したように見えても、実は、 既に十分な努力をしていて、理解できる段階に入っていた、ということだろうと思う。 まあ、前世というのもあるかもしれんし。 それから、理解というのは、「気付き」「閃き」「感じること」などから、始まるも のだと、私は思います。概念的理論をこねくり回した挙げ句に納得してしまうことを、 「理解する」と表現している人もいるかもしれないけれども、一応私はそういうふう には思ってないです。「では、理解とは何か?」といわれても、うまく答える自信は ないけど。 また、たとえ真理を完全に理解したとしても、それはゴールではないだろうと思いま す。 》あくまでも「神」=「絶対真理」が人間の存在自体に必要不可欠ならば、アプローチ 》してみて「なんだ違うじゃない」と自分本意に解釈をして「なら信じる」とか「信じ 》ない」とかいうレベルで計る事柄では無いという事が言いたかったので、努力をする 》のがおかしいとは、言葉が足らない様でしたね。 必要不可欠というより、根本的に不可分のものなのだろうと思います、私は。 「なんだ違うじゃない」と、あるとき思ったとしても、それが誤った認識であれば、 現実生活との間に、どこかギャップが生ずるはずです。すると、その結果、誤った行 動をとって、自分にマイナスの結果をもたらすことになる。そして反省し、その原因 に気付くことができれば、その人は正しい認識に達することができる。もし気付かな ければ、当然、気付くまで過ちを繰り返す。そして、次々と自分にマイナスをもたら し、気付くチャンスはドンドン増すので、生きている限りそのうち絶対に気付く。 というわけで、中立的な立場にこだわる必要はないと思います。 長くなってきたので、取りあえずこの辺で。 540/543 QFG02515 SHANA 神についての私のイメージ (13) 93/01/06 22:25 覚えている限りで、一番最初に私が感じたイメージは、 「大空を覆っている広大な意志の存在」 というような感じのものでした。その感じは今でも覚えています。 言葉でそう思ったわけではないですが、言葉にすれば、こういうふうです。 たぶん、小学1〜2年のころだったと思う。(ちがうかもしれない) 仏壇に神様がいるといわれて、 「そんなの、ただの物じゃないか、そんな所に神様なんているものか」 と、心の中で思って、天井を見上げた時に、そう感じたんだったと思います。 今では、「大空」という場所に限定したイメージではありませんが、 基本的には同じようなものです。 そういうのを感じる時には、なんというか、 「空間が迫ってくる」というような感覚があります。 目には見えないし、触れることもできないけど、 それは、単なる概念でも、抽象的な空想でも、擬人化でも比喩でもなく、 私にとっては、確かに「そこ」に存在しているものです。 いわゆる「神」という言葉は、私にはどうもしっくりきませんけど。 541/543 QFG02515 SHANA 白か黒か (13) 93/01/06 22:26 503へのコメント たまごさん、こんにちは。 》 「真理」とはこういうものである. 》 とはっきり詳しく簡潔に過不足なく分かりやすく語れる人誰かいませんか? 》 ぜひ教わりたいので. わしは知らん(笑)。 今の私には、やっぱり、真理は単純なものであろうとしか思えないですね。 単純なような、複雑なような・・・ という気には、なんだかなれないし、特になりたいとも思いません。 思えないものは、思えないです。 それが私にとってプラスになるのか、マイナスになるのかは知らないけど。 542/543 QFG02515 SHANA やがて見えてくるもの (13) 93/01/06 22:29 508へのコメント あもりさん、こんにちは。 》簡単に言いますと、理解、すなわち理論を解しては真理は知り得ないのでは 》ないでしょうか? 理論だけでは、真理を知ることは、たぶん出来ないだろうと思います。 ですが、真理というものは、「理」にかなったものでしょう。 そして、真理は最も単純で純粋なものであるからこそ奥深く、あらゆる世界に無差別 に働くのだと思います。 それが、理解不可能な意味不明なものであるとは思えません。 ということは、真理は理解することが可能なものであろうと思います。 》未開民族の価値観を、我々が見出せないように、真理を分かろうとするのなら、 》全てを捨てなければならないと思います。  くだらない執着をやめ  自分を守ろうとするのもやめ  手放しで存在に身を委ねたときに  見えるのは純粋なものだけ って、ことでしょうか。 》愛が独占されるものではないように、真理だって同じもののように思えます。 》もしあなたが真理を完全に理解したその時、あなたの心のうちにある真理を、 》あなたは一体どうしようというのでしょう? 真理を探求することは、生きることとほとんど等価のような気がします。 生きるものは必ず、学び成長するものだと思います。 もし、私が真理を完全に理解したら・・・ たぶん、さらに生きていくのでしょう。真理に導かれて。 たぶん、真理が、はるかなる目標を見せてくれるでしょう。 (私は超常体験の話をしているのではない) 何かすばらしい体験をしたら、自分の愛する相手にもそれを味わってもらいたいと思 うのは、おそらく自然の流れなのでしょう。 でも、 「もし、私が真理を理解したら、それを必ず布教して回る」 みたいなことを、今から宣言しておくつもりは全くありません。 》果てぬ迷いの結果、そこにいるのはやはりあなたなのでしょう。  私は私であって私でない  私という存在は私のものではない  私は生かされているに過ぎない  自由が許されているに過ぎない  存在することを許されているに過ぎない  意志がなければ全ては希薄だ  私は幻かもしれない  世界は幻かもしれない  でも  その幻の何と鮮やかなことだろう 543/543 PEH01157 酷使夢想 RE:真理って・・・ (13) 93/01/06 22:49 503へのコメント オンラインで失礼 私の大学の試験申込みでは、論文を添付することになっていました。 その時、真理とは何か語れとありました。 何を書いたか忘れましたが、自然の畏怖を書いたと思います。 幸い、その大学に入学を許可されました。入学早々に、学科の新入生と (全員)と学科の教師の方々と小旅行にでかけました。 その時、真理とは何かというテーマが話題になりました。 そして、数学の助手が次のようなことを言っていました。 とても印象に残っています。 真理とは、相対的なものであって、ある仮説の上にたつ構造は 真理である。 こういうような趣旨のことをおっしゃったのです。 この思想は、もともとはゲーデルという数学者の議論だったと 記憶しています。 さて、このゲーデルという人のお話は、フーガの技法や エッシャーの絵画ともあいつうじるところがあるという人もいまして さらに、人間の知的構造と一致するようなことを、その人は言っています。 私の真理に対する見解は、基本的には、この方や数学の助手の方の ご意見に一致しています。 すべては主観であり、主観を客観的に書く。 その主観なり直観なりが真理であって、 経験すらもそのあとづけでしかありません。 自分の主観以上の持つ経験的知識は身につかないのです。 この自分の直観なり、主観をどこまで器として大きくできるかが ポイントなんでしょうね。