- FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/01/11 - 713/716 JAE00201 竜人 RE:お聞きしたい事があります、ARION ( 7) 93/01/10 23:33 707へのコメント   早速のご回答有難うございました。  私も、みれさんとARIONの本を読  み、かつ理解?しようと努力している  者のはしくれですから、みれさんの話  されている事は了解していたつもりで  した。   にも関わらず、あの様な中途半端な  質問をしてしまい、後悔をしています  。そのうちに、又くだらないことを聞  きに窺うのではと思いますが宜しくお  願いします。                 竜人 714/716 PFE01162 HAL シュメールさん イルカ ( 7) 93/01/11 06:05 704へのコメント いきなり春からご指名いただいたきました。シュメールさん今年もよろしく お願いします。 また、いきなりシリウスとイルカの関係ですか・・・私もよくわかりません。 しかし、プリズムのなかのポジシリウスというのは、いわゆる「癒し」の先鋒 であって無機知性体とかとの関連は語られてなかったように思いますが。 由来はどこであれ、アメリカ西海岸エサレン経由の情報のなかには一環して イルカや鯨の魂が地球外から来たものであって人類に関しては癒しの波動を送る ことでなんらかの協力関係にある。のだから鯨は捕るなとか・・・ バシャールの本にも似たようなトーンの記述があるように思います。 でまた、リリーの本にもイルカ本人?が自分はシリウスから来たと言ったという ようなことは書いてなかったように思います。 私もイルカ類の魂の由来というのは知りません。ましてやそれと無機知性体との 関連はちょっとわかりません。 また、ムードとして無機的なトーンの外宇宙情報というのはやはりT・リアリー やリリーやらの本にあったように思います。これらもエサレン経由だと思われます。 というわけで、我々の前にはエサレン経由でシリウス発と称するバシャール系の ソフトな情報とリアリー系のハードな情報が提示されているのではないでしょうか。 この両者の出所はエサレンということになります。 私の感覚では「シリウス情報」と称するものはほぼ全てが受信者の自我の投影と 見ていますがどうでしょうか。 もちろん私もシリウスはエッセンスとしては無機的有機的、双方に関して中立の立場 に居るであろうとはおもいますが、それは彼らの問題であって我々の問題でもないし。 で、ゼビアスの問題ですが、ここ(と言っても我々2人くらいか)においての無機 知性体とは無関係とは言えないでしょうがそのものではないと思います。 彼らはどうも昆虫的な行動形態をとる生命体であって私は有機的無機的のなかで捉えて はいません。まあ、相対的に我々が有機的ならば彼らは無機的になるのでしょうが。 また私の私見ではアーリマンとは無関係と言ってもいいのではないかと思います。 ルシファーとは関係があるのかも知れませんが、これらに対する責任はむしろゼビアス ではなく我々にあると思っております。 要するに「影」をどうするのかは我々の問題となるのでしょう。 アーリマンとは広義に定義するならば人間型生命体の影のことなのではないのかな。 これは主に支配してコントロールしようという衝動に関係がある。もしソリッドステ ートな知性体というものがあるのだとしたら彼らのエッセンスは数学そのものでしょう。またその対極はといえば感情そのものということになるのでしょうか。 本来、この両者は融合すべきものです。 無機知性体と有機知性体(それも純粋な)とは本来融合すべきものだったわけです。 しかし、ほとんどお互いを理解する術はなかった。誰でも異質なものには興味を持つし 誤解もします。この両者の相思相愛は主に有機生命体からみれば戦闘としか解釈できな かったということだと思っています。 そのような数々の接触の歴史のなかから支配欲という誤解は我々のなかに定着してしまい、それが極端に発揮されたのがオリオン帝国の暗黒というやつなのではないでしょうか。これらは、半ば当然ながら我々のような有機生命体の一人相撲だった可能性があります。 また、このような我々の一人相撲をこんどは利用して彼ら「無機生命体」は接触を継続 させて来たということもあるのではないでしょうか。 従って、私はハルマゲドンシステムというものは我々のこの一人相撲を終了して有機生命体として一人立ちするためのプロセスとして有効なのだろうと思います。 これは我々にとっての影との結婚を意味するものでしょう。 そのためのプリズムがリラにもあったしプレアデスにもあった、そしてまた地球にもあったということでしょう。 それを仕込んだ責任者のことをどうこう言ってもなにも始まらない。 少なくとも責任の一端は我々にもあるわけですから。 だから私にはARIONのメッセージは妥当なものに映ります。要するに全ての「影」に関してどうにかする気があるのか無いのかを決定しなさい、というふうに聞こえるからです。私はというと、どうにかするつもりです。 本当の対消滅はそれからの問題でしょうから、この問題について急ぐ必要はないと思っています。 蛇足ですが、皇太子妃の話でひとつシンクロしてくるのは、彼女は軸となるとともに いわゆるリリス的な機能をもっているのではないかなということ。 今回でいうところの「影」を顕在化させる国家レベルの触媒になるのではないかなというものがあります。まあ、これは単なる勘ですが今年は楽しくも恐ろしい年になるのは間違いないのでしょう。それではまたね。 716/716 MHE03653 T ARIONへ ( 7) 93/01/11 21:05 AARIONへ  私の知り合いの旧神(プリズム・オブ・リラでの礎達)より、伝言が ありましたので、お伝えしておきましょう。 『お筆先ありがとう。』 『しかし、我々は貴方を知らない。』 と言ったものでした。 HALさんへ  にくいですね〜。私の言いたかったことを言われてしまった。 また『蛇足ですが』とは、表現方法が、これまたにくいですね〜。 そろそろ、貴方も本来の自分の姿に覚醒したようですから。 また、近々お合いしましょう。 - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/01/11 - 547/547 GBA01276 しまうま RE:結婚? 離婚? ( 8) 93/01/11 08:13 546へのコメント  オリハルさん、早速のご返事ありがとうございまーす(^_^)。  ふむふむ、オリハルさん、「手段としての破壊」は否定されていないのですよね?  納得! : これから破壊=離婚か? と考えている人にとっては、ホッと出来る思考内容だ :とも思っています。  「破壊=離婚」かどうかは、当事者にもなかなか見極めがつきにくいものかとも 思われますが・・・・うーん、「ホッと出来る思考内容」というのもよくわかりません。  またもう少し考えてからコメントしなおします。  これからもよろしくお願いしますね!!(^_^)            しまうま - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/01/11 - 095/096 GBG02755 スマル(珠) 1月5日朝の夢。笑ってくれ〜 (10) 93/01/11 20:42 夢の登場人物 私と、”大竹まこと”!! 私は超能力者で、大竹まことの調査に協力するんだけど。 時間と場所を自由に動ける私に敵方を探って来いというの。 で、何を思ったか、私は大竹まことと”キス”をするんだなあ。 勘違い(私が相手がそれを欲していると思ったからなんだが)だったの。 でも、その大竹まことの喜んだこと。唇についた口紅をなめているんだ、これが! 喜んでいる大竹まことをみて、私もほっとしたものよ。 しかし、次の彼の問いかけがこれまた、マジでおもしろい。 百年後の人類はどうなっているってもの。 私は、意識を未来に飛ばして、「大丈夫、みんな生きている」 「ただし、未来は選択によるものだから、いくつもの未来があるんだよ。  4つの選択の内の、2、3番目のものを選んでも、このまま人類は生き残る。  4番目を選び続けるとまずいけどね。人が生きることが『学び』だと  知りさえすれば、それでいいんだけどね。」と、えらそうにブッテいた。 最良の選択でなくても、いいんだ。なんだかほっとしたよ。 でも最悪を選択したら、人類に明日は来ない。 少しでもマシに生きたいよね。 今日よりは明日の自分が成長していたい。                  誰だろう?大竹まことは、、、 スマル 096/096 GBG02755 スマル(珠) 受胎告知の夢シリーズ (10) 93/01/11 20:43 昨年見た、1連の夢をここで書いておこうと思う。 6月だったか、7月だったか双子の「受胎告知」の夢をUPしたことは 覚えて下さっている方もおられるだろう。 その後私は、女子高生の夢をやはり、書いている。 それから2つの夢を見ている。 それは、受胎した女性のその後を示している。 一つは、哀しいことだが、身重の女性は、不倫ではあっても真実を貫こうとして 死ぬ。(これが私のスマルの名を戴いたきっかけの夢である) 夢の社会背景に、間通罪というのが在って、死ぬことでしか、愛を貫けなかった。 しかし死んだ女性は、満足していた。 男は、哀しみながらも、その死を受け入れ静かに死体のそばにたたずんでいた。 その女性の死体は、その哀しみを深く理解していた女将がふとんにくるんで 運んで行った。この女性の命日が1/30である。この夢の間中、不動妙王は 「愛を死ぬ覚悟で貫け」と私に語り続け、私も死ぬ覚悟で愛を生きて、死ぬのだと 思っていた。 もう一つは、若い女子中学生で、やはり妊娠している。 しかし彼女は、生徒会の会長に立候補。 彼女は妊娠しているが故に真実(愛)を貫き通す姿勢を現して生きている。 そして彼女は、当選する。多くの生徒の賛同を得ていた。 以上で「受胎告知」の夢の続きは終っている。 妊娠、死はどちらも、新しい命の出現を現す夢で、 人類、地球、私個人の再生を示している。 死んだ女性からは子供は生まれないが、しかし人に感動を与える使命を 持っている。真実を生きてどうして、疎まれなければならないのか、 そういう社会は、私達に必要なのか? と。 女子中学生はいったいどんな子供を生むのであろうか? 母親の強い愛と、信念は子供に何を伝えるのだろう。 私の個人的な夢であるけれども、多くの人に伝えるべきメッセージでも在ると 思うので、ここにUPさせてもらいました。                         スマル(^_^) - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/11 - 529/537 PAG03543 NOISE 「かみはみておる」その一 (11) 93/01/11 00:26 どうもKAZEさん。  こちらでは、土曜日から日教組の集会があったもんで、付き添いの右翼の皆様も 全国から大挙してやってきて、日頃静かな街は朝もはよから、やかましいったらあ りゃしない、のでした。警察とやりあったり、語りも女性の声のソフトなものから、 声を荒げるじいさんまで……。それを観察するのも楽しいものですが、しょうがね ぇなぁ〜、という感じですね。まあ、日教組も同じく、というとこですけれど。   日教組の先生がたは、雪国だからよほど寒いとおもったんでしょう、なかには防 寒靴にダウンジャケットの重装備の人もいましたが、ところがどっこい、今年は雪 は全然なくて昨日は雨なのでした。  子供の頃は今頃になると少なくとも30センチ以上は積もって、かまくらを作った り雪合戦を楽しんだりしたものですが、ここしばらくは暖冬傾向が続いていて、積 雪量もほんとに少ないのです。ところが一晩のうちにドカ雪がシンシンと降り積も って、朝は車を駐車場から出すのが大変な状況があったりするんで、油断できない のですけどね。  雑談はこれくらいにして、今日は磐山が昭和四年に受けた神示をネタに無駄話を しようと思います。 -*-*-*-*-*-*  磐山は神示は無闇に公開するものではないとして、発表されたものは少ないので すが、その一つが下記の示しです。本文はいうまでもなく縦書きです。     ------------------------------------------------------     『昭和四年一月二十八日神示』     ○ひとのきたなきこころをおもふな。ひとのあしきおこなひ      をせむるな。おのれのあかきこころをみるな。おのれのよ      きおこないをひとにしらすな。かみはみてをる。                                         ○ひとをたかくしておのれをみじかくせよ。ひとをさきにし      ておのれをうしろにせよ。かみはみてをる。                                           ○おのれのいさををひとにしらすこころわくときかみにはな      れる。かみはみてをる。                                                    ○うべないがたきことをうべない。なしとげがたきことをな      しとげ。しのびかたきくるしみをしのべよ。くるしきわけ      をひとにしらすな。かみはみてをる。                                              ○ちからのかきりをつくせばひとにしらる。ちからのかきり      をこしてつくすときかみにしらる。かみはみてをる。                                       ○たかやまにをるものみじかやまにをればみじかやをたかや      まにする。かみはみてをる。                                                                  沙麻の野にて  気玉彦     ------------------------------------------------------  気玉彦(おきたまひこ)というのは磐山の神界名で、神霊からこの名で呼び掛け られたということです。気玉彦記す、と言う意味でしょうね。  この神示は神秘めいた事柄や、特に難しいことも語られていず、実にシンプルで すね。しかし、この単純なことが難しくて、単純なことが最大の神秘だったりする わけです。  最初これ読んだ時は「いやに道徳的で説教くさいなぁ」とピンとこなかったので すが、最近はその重さと神霊の熱き息吹が感じられ、そして、「道」を歩むものに とって本当に大切で基本的なことが示されているように思うのです。  「道」を求めて書籍の山に遭難し、情報の海に溺れる、そんな、さすらいの人が 帰るべき「道」、MIZUHOさん流にいうと「素に帰る」道を示す神の思いが感じられ ます。 -*-*-*-*-*-*  一応、上の神示のひらかなを漢字にし、旧仮名づかいを直して引用しますが、こ うしてみると、ひらかなのほうが、やはり良いですね。     ○人の汚き心を思うな。人の悪しき行ないを責むるな。      己の清明き心を見るな。己の善き行いを人に知らすな。      神はみておる。     ○人を高くして己を短くせよ。人を先にして己を後ろにせよ。      神はみておる。     ○己の功を人に知らす心わくとき神に離れる。      神はみておる。    ここまでの前半は、人間の利己心、慢心、排他心、自己顕示欲、などの戒めなわ けですが、磐山の著書から、この辺の事情に関連していると思われる部分を引用し て見ます。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  慢心と排他的感情とが正神界から邪霊界へ移る門である。些少にても慢心がある  か、排他的感情が影を宿すならば正神界には通じない。さういふ場合に神迎へを  してはならぬ。それと同時に神主か審神者か侍座者を讃(ほ)めるような口吻   (こうふん)の神示があったり、他者を排斥するやうな意味の霊示ありとせば其  れは必然正神にばけた邪霊の狂言とみてよい。(特別な例外はないこともないが  其れは極めて希だ)どういふわけで左うだろうか、深く考へて頂きたい。                           友清歓真 『闇室妄書』より  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− >慢心と排他的感情とが正神界から邪霊界へ移る門である  特定の宗教の信者が凝り固まった頭で、よその団体を誹謗したり、ちょとした超 能力的な「術」を得て鼻高々な天狗になる、というような慢心も排他的感情も「道」 を求めるものにとっては有りがちなことですが、それが魔に見入られ「道」を外す 第一歩なのだというのですね。しかし、磐山は、どんな邪悪な団体であろうとも存 在する意味があり、一概に非難すべきものではない、というようなことを言ってい るのですが、ようするに悪魔も大神の主宰する神芝居の大切な一員であるというこ となのでしょう。  われわれははるか太古からつづく神芝居のほんの一瞬しか認識できない大部屋に たむろする大根役者であるわけですが、この地球においては主役でもあります。今 は神芝居も正念場となったようで、神々としては親が子供の学芸会を観劇するよう に期待と冷や汗まじりでハラハラしながら眺めているのではないかと思います。親 は見守りはすれど手出しは出来ないのですね。余談でした。 排他心ということについては、磐山の嫌う出口王仁三郎もこのように語っています。 *祖先以来愛国主義が誤って排他に陥り自己愛になってしまっては善くない。排他 *は神意に反することであって、今の時代小さいことを言っているようでは駄目で *ある。………  ●思ひあがった人を軽蔑するのが思ひあがったこと。  ●悪魔が居らぬと神は働きやうがない。  ●まがごとは思ひあがりから        『草店家風』磐山先生語録より  長くなりますので下に「つづき」ます。 530/537 PAG03543 NOISE 「かみはみておる」その二 (11) 93/01/11 00:29   ○宜ない難きことを宜ない。成し遂げ難きことを成し遂げ。    忍び難き苦しみをを忍べよ。苦しき訳を人に知らすな。    神はみておる。   この段は、なぜか昭和天皇の玉音放送の語り口に思わせます。  この神示自体、神霊が磐山個人に対して語り掛けたような印象が強いのですが、 この段は特は得にそれを感じますし、神霊の熱き息吹に凛とさせられます。  そなたの苦しみ『神は見て居る』、そなたの苦しみは神の苦しみ、忍べよ。 なんか、みれさんやMIZUHOさんのような方に対する励ましの言葉みたいな感じもし ますね。 -*-*-*-*-*-*   ○力の限りを尽くせば人に知らる。    力の限りを越して尽くすとき神に知らる。    神はみておる。    自力の及ぶぎりぎりの限界を突き抜けた刹那、おのれとカミが十字を組み、ヒト とカミとが、アメとツチとがむすぶ。「道を忘れて道を履(ふ)む」武道、芸道の 究極にも通じる、さかしらな計らいのかけらも無い境地でしょう。  磐山が戦後に著した随筆に「道を忘れて道を履(ふ)む」という芸術と宗教の本 質を語ったものがありますので引用します。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  芭蕉の俳句に「心の色うるはしからざれば外(ほか)に言葉を工(たく)む」と  いふのがあるが、これが芭蕉精神の根本である。俳諧の道だけでなく、これは我  国のあらゆる文学、否なあらゆる芸術の基本精神であるといへる。芸術だけでな  く「すべてのもの」の基本であり、それは「純粋無垢のもの」の追及である。  「み光り美はしき女神」をたたへまつるといふことが、我国上代の中枢信仰であ  った。………それを清明心とも平心とも古典は記録して来たのである。その「う  るはしき心」を「やまと心」として表現したのは平安時代の女流文学者であった。  その「うるはしき心」は「純粋無垢のもの」であるから言葉を工みて表現するこ  とは出来ないのである。本居翁は「朝日に匂ふ山さくら花」と歌った。それを養  子の大平翁は「うるはしきよしなり」と註釈した。真の「やまと心」といふもの  はそれである。この純粋無垢のものを表現するために、又た追及するために、日  本の芸術も宗教も精進して来たのである。書画の道も、茶や花の道も、音曲や踊  りの道も、ひとすぢにそれを守り、或ひはそれを追及して来た。むろん幾分の例  外とか邪道ともいふべきもあったが、すべての本流はそれであった。それは言葉  や技巧を工みて至ることの出来ぬ霊境であった。しかし芸術に「工み」を取り除  いては成り立たないので、工みを錬磨して「工みなき工み」の美へと追求して行  ったのである。宗教も芸術も「道を忘れて道を履(ふ)む」ところを目ざして進  んだのである。印度思想と支那古代の老荘思想とによって洗練された禅が輸入さ  れると、それは、たまたま我国の純粋無垢なもの、うるはしきもの、「工み無き  工み」と符合するところがあったので、この外来の禅は直ちに「日本の禅」とな  り、体系づけられた推進力となって鎌倉以後の日本文化の指導力となったのであ  る。                    友清歓真『春風遍路』より  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  「心の色うるはしからざれば外に言葉を工む」という芭蕉の俳句は、胸にグサッ と突き刺さるものがあります。心の色が穢れて言葉を修飾してばかりいる、そんな わたしの胸に……。 >芸術に「工み」を取り除いては成り立たないので、工みを錬磨して「工みなき工 >み」の美へと追求して行ったのである。  それが「うるわしきやまと心」というものに通じるのだというわけですが、この 「工み無き工み」は柳宗悦が『工芸の道』で提示した純粋な芸術の本質と同様なこ とです。柳の民芸運動の基本というのは「用に即する美」、つまり、装飾の美とい うよりは、実用美で、無名の民衆の手による、一見粗末な「下手物」のなかに、個 人的・貴族的・人為的な美術工芸にない、無為自然で健やかな「民芸美」を見出す わけです。  茶の湯で使われている茶碗で、いわゆる「名器」というものは、朝鮮の無名の工 人の手によって大量迅速、分業で作られた飯椀などの「下手物」「雑器」「安物」 だったのですが、茶の宗匠たちは、そこに人為の無い、健やかでうるわしき美を見 出だし、後には国宝とまでなったのです。それを作った工人たちは生きる為に休む 間も惜しんで働きつづけ、繰り返しの作業による技術の熟練の果てに、ついには技 術を越えた神秘の領域へと進んでいきます。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ……見よ、如何ばかり自由になだらかに作られているであらうか、手に信頼し切  っているではないか。既に彼らの手が作るといふよりも、自然が彼らの手に働き  つつあるのである。  よき古作品を見られよ、如何に自然であり素直であるかを。どこにも作り物とい  ふ感じがしないではないか。美には生まれる美のみあって、作らるる美はないで  あらう。よしあろうとも永く保つことは出来ぬ。よき美には自然への忠実な従順  がある。自然に従ふものは、自然の愛を受ける。小さき自我を棄てる時、自然の  大我に活るのである。                ……知識の超過が、いかに工芸の美を殺しているであろう。知る者はしばしば信  仰を見失ったではないか。高ぶる知は美の世界に於いても一つの罪である。知を  養ふことに悪はない。だが最も高き知は、如何にその知が自然の大智の前に力な  きかを知るその知であろう。………作られたものに美が薄いのは、心が自然に叛  いた報いである。………自らを言い張り、知に奢る間、神の前には小さきもの、  愚かなるものと呼ばれるであろう。      柳宗悦選集 「工芸の道」より  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  宗悦の語る工芸の美は、磐山の言うところの、工みを錬磨した「工みなき工み」 の美であり、『力の限りを越して尽くすとき神に知らる』という境地で、科学者が 一所懸命に研究を積み重ねた末のインスピレーションというのもこれなのでしょう ね。 >最も高き知は、如何にその知が自然の大智の前に力なきかを知るその知であろう。    言葉を工みて表現することが出来ないもの、それこそが真実である、というのは 理知的な思考を否定するかのようにも取られますが、そうではなく人の理知の限界 を越えたところにある、人知と神知の融合、「アメ」と「ツチ」とのムスビなのだ と思います。人事を尽くして天命を待つ、といいますが、力(地から)を尽くした 後の天命ということが尊いのでしょうね。  磐山は「工なきうるわしき心」は芸術、芸道、宗教の基本精神とするわけですが、 それは「すべてのもの」の基本でもあります。また少し引用してみます。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ……農業にしたところで日本では其れは「農芸」とならねばならぬ。芸道的な  「美わしき心」が染み込むのでなければ真の増産もできず、真に土を愛する「土の  宗教」も生まれてこないのである。工業も「工芸」とならねばならぬことを申す  までもない。医学や医術も日本では「医道」とならねばならぬ。医家の第一資格  は「美わしき心」であることが要請せらねばならず、それによって臨床上の成績  は二倍にも三倍にもなるであろう。東洋では古来「医は仁術」と云われて居るが、  仁術といふ言葉は余りにも時効にかかり過ぎた支那道徳的で堅苦しい気がする。  真の「やまと心」すなわち「うるはしき心」によって日本の医道は反省されねば  ならぬ。その他万般の業務みな然りで、さうなってこそ神国と云へるであろう。  換言すれば日本人が皆な芸術家になることである。言葉が甚だ奇嬌のやうである  が、何の仕事をするにしてもそれくらいのたしなみが必要である。                          友清歓真『春風遍路』より  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  これなんかはシュタイナーの思想に近いのではないかと思います。  ほんとうに「美わしき心」をもった医師がこの国にはたしてとれだけ居るのでし ょうか。 >日本では「医道」とならねばならぬ >日本人が皆な芸術家になることである  磐山が「日本」ということにこだわるのは分かるのですが、なにも日本ばかりで はなく、世界が……、地球人がみんな、うるわしきアーチストにならねばならない。  自らが「生きる」芸術家として、純白のキャンバスにどんな絵を描き、時空のオ ルガンでどんなメロディーで奏でているのか……、と考えると冷や汗がでる思いで す。 *宗教は芸術を生み、芸術は宗教を生む。芸術は人生の花である。……そして恋愛 *と信仰とは人生に欠くべからざる真実の果実である。神仏や其他の宗教を信仰す *ると云ふのも、要するに恋愛を拡大したものであって、宇宙の元霊たる独一真神 *を親愛するのを信仰と云ひ、個人を愛するを恋愛と云ふ。故に恋愛と信仰とは其 *の根底を同じうし、ただ大小の区別があるのみである。………[出口王仁三郎]  ●人の「善し」といふを求めるか神の「善し」といふを求めるか。  ●工みなき心にてすること凡てよし     『草店家風』磐山先生語録より  -*-*-*-*-*-*-*-*   ○高山におるもの短山におれば短山を高山にする。神はみておる。  高い境地にあるものが、低い境地の場にいる時、その場のバイブレーションは高 められる、といった意味でしょう。これをわれわれの日常生活にあてはめてみると 色々と考えさせられます。  この神示は「霊学の要は浄心にあり」、の「浄心」を語り、締め括りの『神はみ ておる』力強い言葉に全てがここに集約されているのではないでしょうか。 語れば語るほど本質から外れてゆく感も無きにしも非ず 言挙も空しく響く寒空に……     ●「神はみておる」といふことが念頭にあれば何もいふぬことはない                      『草店家風』磐山先生語録より                       ○道に囚われ道外す  [NOISE] 531/537 GGA02514 KAZE 「思い」がすべて (11) 93/01/11 15:34 510へのコメント 岳同さん、どうも。 こちらこそ、今年もよろしくお願いします。 この会議室を「こころの学習の場」として考えてくださっていること、 とってもうれしく思います。 僕の考える「神秘学」というのは、神秘を探ると同時に、 「こころ」を探求していくものですから、 そういうスタンスって、とってもうれしいのです。 >MIZUHOさんのメッセージは、細かい言葉までは覚えていませんが、接するときの >感覚は、こころに刻まれて折に触れ日に何度もよみがえって来ます。 そうですね、僕もメッセージを受け取り、それに接するときには、 いい知れぬ感覚がわきあがってくるのをいつも感じています。 その言霊の力がいろいろな側面で影響してくるのかもしれませんね。 >祈りだけでは只の「型」です。問題は、こころの「思い」・「想い」でしょう。 そうです、その通りだと思います。 「思い」がすべてで、「思い」こそが「わたし」なのですから、 その「思い」が即「神」と相通じるものでなければ、 「祈り」とはいえないだと思います。 >私達が、超越存在に通じる努力を怠って、意図と外れた生き方、存在の >ありかたを示しがちであることを、警告している。 >そのことを、MIZUHOさんのメッセージから感じます。 その「努力」というのは、「神即我」とでもいえる「思い」をもてるように 方向づけられたものでなければならないという、きびしいながらも、 かぎりなくやさしいメッセージなのだと感じます。 >より深く、より太く、より爽やかに >そのような神の恵みに恵まれますように、 >またその神の恵みを、感じられるこころでありますように。 僕も、日々反省することしきりですが、 そんな「こころ」でいられるように、努力していきたいと思っています。 我々凡夫は、日々いろいろな悩みにとりまかれて生きていますが、 その悩みを「神」に見せてもはずかしくないかどうかを思う必要があるのでしょうね。 僕もいつもつまらない悩みを抱えていますが、ときおり、 それが他の人に知られてもはずかしくないかどうかを反省することにしています。 そうすると、多くの悩みは、もはや悩みではなくなっていきます。 「悩むなら、神のかわりに悩んでみよ!」ということを聞いたことがありますが、 そういわれてしまえば、つまらない悩みなんか恥ずかしくてもてませんよね(^^;)。 >P.S. MIZUHOさんありがとう。 岳同さんのメッセージは、ちゃんと“MIZUHO”さんにお伝えしておきました(^^)。 やはり、「ありがとう」といわれると、とってもうれしいようです。 “MIZUHO”さんも、励まし、感謝のメッセージがあると、 くじけそうなときにもがんばれるのではないでしょうか。 今後も“MIZUHO”さんのメッセージは続いていきそうですので、 感じたことなどあれば、コメントなどよろしく、のKAZEでした。 532/537 GGA02514 KAZE RE:井筒俊彦氏、亡くなられる (11) 93/01/11 15:34 511へのコメント TAOさん、どうも。 井筒俊彦さんがなくなられたなんて、とっても残念ですね。 著作集が刊行されはじめたところであっただけに、突然の訃報に驚いています。 早速、朝日新聞では、丸山圭三郎さんの追悼の小文などがありましたね。 そういえば、中央公論には、司馬遼太郎さんとの対談が載ってました。 >葬儀、告別式は故人の意志により行われないとか。 さすが、神秘学をきわめている方は、ひと味違いますね。 もちろん、僕なんかも、「死」にあたっては、 葬儀が告別式は避けたいと思っています。 先日、ちょうど親類の葬儀がありましたが、 「死」へのちゃんとした考えがないと、形骸化した儀式にたよって、 その本来の意味を見失ってしまっている向きを悲しく思った次第です。 お坊さんや神主さんが、ぜんぜん「死」について認識していないのは、 本当に困りものですね(^^;)。 ともあれ、井筒さんの偉業には大いなる敬意を払いたいものだと思うKAZEでした。 533/537 GGA02514 KAZE また、風邪をひいてしまいました(^^;) (11) 93/01/11 15:35 512へのコメント 隆ちゃん、どうも。 先日、「寝違え」してしまいましたが、今度は昨日からまた風邪をひいてしまって、 高熱を発して苦しんでおりまして、今日も熱が下がらないけど、 やまほどつもった仕事の締切の山のために、こうして会社にでてきております(^^;)。 年末年始以来、どうにも歯車が噛み合ってなくて、 どうしてしまったんだろう、といらいらしながら、 やはり、「立命」あるのみ!と自分に言い聞かせています(^^;)。 >「気」のブームというのは、いつ頃から始まったんでしょうねえ。なんかどん >どんおかしな方向へいっちゃてるみたいで悲しいです。それもこれもやっぱり >TVをはじめとする良識の無いマスコミの影響なのでしょうが、ほとほとうん >ざりしてしまいます。最近のTV制作者は完全に時代から取り残されているよ >うですね。彼らが考えるほど視聴者は愚か者ではないと思うのですが、彼らに >はそれが全然わかっていないようです。 ほんと、マスコミの愚かさにはほとほと愛想が尽きた感じがしてます。 仕事がら、マスコミ関係の情報は常に入れておかなければならないのに、 テレビをつけるのがいやでならなくなって、 最近では、週に一度か二度しかテレビを見なくなってしまいました。 「気」だけではなく、「超能力もの」や「UFO」ものなんかも 目も当てられないようなひどさですよね。 テレビの制作ディレクターの層なんかの問題もあるのかもしれませんよね。 多くはあの60年代に学生運動に血道あげた方の末裔らしいのですが、 やはり、基本的な認識と責任感というあたりに問題があるのでしょうね。 困ったものです(^^;)。 >さて、言霊。鳥居礼さんの「言霊」、僕も読みました(^^)。 それは、それは、です(^^)。 菅田正昭さんの「言霊の宇宙へ」は以前ざっと流し読みしただけで、 そのときにはふんふんふん・・・という感じでしかなかったのですが、 今回は、「言霊」を読みながら、「日本」への再認識の必要性を感じました。 なによりも、以前はそんなに感じなかった「言霊」の力が感じられました。 「ホツマツタエ」は「五七調」で書かれているようですが、 なぜか“MIZUHO”さんのメッセージにも最近は「五七調」のものが でてきたようで、妙なシンクロに驚いています。 (しばらく後で、“MIZUHO”さんメッセージにそれがでてきますので、お楽しみに) >密教の真言・陀羅尼・・・や道教の呪術が特殊な言葉を意味するのに対して、 >大和言葉はその全てに「言霊」が宿ると考えるようで、言霊の咲きわう日本と >いうのは神様に近い国なのかなあなどと思ってしまいます。 そうですね、僕もそう思うようになりました。 本来言葉は神のいのちそのものであって、 その言葉の乱れとともに、世界は乱れてきたのかもしれませんね。 なんか、聖書なんかにも通じるところがあるような気がしてきます。 >言葉は生き物ですから変化するのは当たり前ですが、言葉をもてあそんだり、 >下品な物言いをさもカッコイイように吹聴するたわけた風潮をなんとかして欲 >しいといつも思います。 そうですね、和製ロックなどにみられる「たちつてと」の変な発声というのも 僕には非常に不快に感じられます。 あれを「かっこいい」と思う神経がすでにいかれているような気もします。 最近の日本の音楽がつまらないのも、スピリッツなないからともいえますね。 音楽といえば、最近聞いた音楽で感動したのがあります。 大江健三郎さんの長男の大江光さんの「大江光の音楽」という クラシック風の小品を集めたもので、どれも「魂の声」のようなものが 「音魂」に込められているようで、とってもよかったです。 それと、最近聞いたものでは、キースジャレットとミカラペトリによる バッハの「リコーダーソナタ」、キースの「ウィーン・コンサート」などです。 それから、もう5年ほど昔に買ったものですが、 宮田まゆみさんの「星の輪」という笙の演奏を集めたもので、 「言霊」の話をしながら聞くとなかなかうなってしまいます。 実は、義弟が最近、笙を習いはじめていまして、 ちょうどお正月に、ボーナスをはたいて買ったという笙の音を生で聞く機会があって、 そのコンパクトな形からは想像もできないようなミニ・和製パイプオルガンのような 音に、不思議な魅力を感じたものですから、 思い出して「星の輪」というアルバムを聞いてみたのでした(^^)。 >“MIZUHO”さんのチャネル・メッセージが再開されたそうで、嬉しい事です(^^)。 >“MIZUHO”さんご本人の事はとんとわからないので無責任な話ですが・・・(^^;)。 >それにしても世の中が不穏な動きを示しているのが気がかりですね。 これから、いろんなことが顕在化してきそうな気配があります。 メッセージにもあるように、大変なことも起こるようですが、 あわてず騒がず、「思い」「心」を磨く以外に道はないのだと思います。 そして、できるだけ「心ある方」に、「形」ではなくて、 メッセージの内容を伝えることなのだと思います。 輪読会については、一番わかりにくい「宇宙進化論」のあたりですので、 風邪がよくなって時間のあるときに、そのあたりの理解のガイドのためにも、 西川隆範さんの「シュタイナーの宇宙進化論」「シュタイナー思想入門」あたりから 一度整理してみようと思いますので、待っててくださいね。 今年に入ってからなかなかのきびしい状況が続いていますが(^^;)、 こんなことなんかに負けないぞ!とばかり、 がんばるっきゃない、と決意を固めている(^^;)、KAZEでした。 534/537 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<30> (11) 93/01/11 15:36 ************************************************************ 逃げてはならぬぞ。逃げても何も変わらぬぞ。逃げても、そなたは そなたであるぞ。それならば、逃げず立ちむこうていってくだされ よ。逃げたら後で泣くことでるぞ。つらいというて逃げては余計に つろうなるぞ。胸はりて、神に見せれる生き方してくだされよ。自 信をもちてつき進めよ。迷うでないぞ。迷うておる時間(とき)も うないのぞよ。そなたの心にかかりておるのぞ。人の心にかかりて おるのぞ。目覚めてくれよ。目覚めさせよ。気付いてくれよ。神の 願いぞ。 神とますぐに向き合えよ。己とますぐに向き合えよ。鏡にうつして 己をよく見よ。そこにうつるは、そなたでないぞ。神の心を持ちた 神の分身ぞ。自分を拝めよ。拝んでくれよ。拝んでもらえる自分と なれよ。神を拝むな。己を拝め。己が神となれば、それでよいのぞ。 神のお役目果たしたぞ。鏡にうつりた己の姿、神と重なるごとくに なれば、それが神のお役目ぞ。それを諭すが神のお役目ぞ。 ************************************************************ 535/537 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<31> (11) 93/01/11 15:36 ************************************************************ 心変わらば、地球が変わるぞ。星の心も変わってゆくぞ。疲れはて たこの星、救ってやれよ。星の嘆きを聞いてやれよ。声の聞こえる 人となれよ。万民に聞こえておるのぞ。聞いておるのぞ。それを聞 こうとせぬだけぞ。聞こうとすれば、いつでも聞こえるぞ。神の声 も、人の声も、星の声も聞こえるぞ。悲しみの声、日増しに強うな りてゆくぞ。早う気付いてくれよ。神の頼みは、それだけぞ。気付 けば人は、おのずと変わる。その気付きが広がりてこの星の曇りを 消してゆくのぞ。 ************************************************************ 536/537 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<32> (11) 93/01/11 15:37 ************************************************************ ひとりひとりの心の中に、神からもらいた器があるぞ。汲んでも汲 んでも溢るる水を受けとめし器ぞ。尽きることのない叡智をしっか りと受けとめし器ぞ。その器、使いておらぬ者ばかりぞ。この宇宙 の果ての大いなるお方から流れる叡智を汲み取れよ。器をもって汲 み取れよ。汲んでも汲んでも尽きぬ思いぞ。 ************************************************************ 537/537 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<33> (11) 93/01/11 15:38 ************************************************************ この星は、そなたが思うておるより、荒廃しきっておるのぞ。あの 者たちの悲しみの声聞こえぬか。悲しむことさえ忘れてしまってお るのじゃ。そなたのまわりを見渡してみよ。心の澄みた者、まこと におると言い切れるか。この世の有様を見よ。悲しみさえ感じられ ぬあの者たちを見よ。あの悲しみの目を見よ。生きることさえわか らぬようになった、あの者たちを見よ。なぜにあの者たちが苦しむ のか、考えてみよ。 この星の富は偏りて、それは、あたかも人の心を象徴するかのごと くじゃ。富む者、富まぬ者の違い大きくなりて、それを増幅させる 人の心の醜さよ。富のみを求める声、心、多くの人の中に巣つくり、 どうにも動かすことのできぬほどに大きくなりておる。人を慈しむ 心にまで巣つくり、この世の悲しみを大きくしておるのぞ。ものを 食しても感謝の心なく、平穏に過ごした一日を感謝することもなき 人の心が、この星を汚してしまったのぞ。謂れなき悲しみに喘ぐ者 のまことの心見てくれよ。 ************************************************************ - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/11 - 579/585 JAE00201 竜人 RE:再考。 (13) 93/01/10 23:36 574へのコメント     HVHY議長様   私のような初心者の質問に丁寧に御答えい  ただき有難うございます。そうです(笑)私  のハンドルは竜人であって、竜神ではありま  せん。そこまで、不遜なことを私は出来ませ  んので(笑)。   なるほど、「眷族クラスの暴走」とは、そ  の様な意味だったのですか。前者の意味に於  ける暴走について、つまり、ただ単なる過去  のモノとしての暴走という浅い意味で捉えて  いたもので、とても大きな図式として捉える  ことが出来ておりませんでした。   最も、後者の意味に於いては私は暴走だと  捉えていなかったもので、その様な動きを感  知?(夢ででしょうか?)しても暴走とは判  断しておりませんでした。   情報の出所ですか?それを聞かれれても私  自身満足のいく答えを出せておりません。し  いて、挙げれば夢の中でということになりま  すが・・・。   ARIONと竜神系との関係はHVHY議  長が言われた通りARIONの中核をなすか  どうかと言うことは有り得ないのではと思い  ます。と言うのは先の発言の通り、  私は、      ARION−弁財天−竜神系  という図式で見ていますし、又HVHY議長  の御指摘の通りARIONは、単体の神とし  て信仰されてきたのではないという意見に私  も賛成だからです。という訳でとりあえず、  感想を書きました。   これからも、的はずれな意見をしていくか  と思われますが、どうか、広い心で見守って  下さい。                    竜人 580/585 RGE01147 誠惇 RE:相剋の結果は?(続き) (13) 93/01/11 12:17 525へのコメント コメント数:1 ご無沙汰しています。 議長のコメントはいろいろと考えさせられます。 >       “「生」を選ぶ”とは、どういうことか? >       “「死」を選ぶ”とは、どういうことか? > >    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 > >       “「死」を選ぶ”とは、どういうことか?                     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ”愛する”と言う行為の奥深さを再び考えました。 人を愛したとき多くの人が感じるように、 その人のためならば、自らの命も惜しまない行動ができる。 その対象が多くの人になれば、その行為を人類愛と呼ぶのだろう。 他の命のために、自らを犠牲にできる行為こそ愛の本質なのだろうか。 たしかに、大宇宙の命全体から見れば、自他の区別はないわけで、 他を生かすことが、自らの命を活かすことに繋がることは何となく 理解はできるのだが、いざ実行となると、自分の愛の足りなさを嘆いてしまう。 今年は、少しでも愛深い自分になれます様に。 >    ここに、空間間隙移動(?)の『鍵』が秘められている…。??? エレベータみたいなものなのでしょうか? 本年もよろしく。 **** #431で”「赤」と「緑」が補色の関係”とありますが、ちょっと勘違いされて いるのではと思い、ダビデ紋で補足します。     R        R…レッド(赤) M__/\__Y    G…グリーン(緑)  \/ ̄ ̄\/     B…ブルー(青)  /\__/\     C…シアン(みず色に近い) B ̄ ̄\/ ̄ ̄G    M…マゼンタ(紫よりもうちょっと赤っぽい)     C        Y…イエロー(黄)             ※ダビデ紋の真ん中が無彩色点(白〜灰色〜黒) RGBは光の三原色(CRTなどで使われてます)と呼ばれ、混ぜると白になります。 CMYは印刷や絵の具での三原色です。混ぜると黒になります。 (闇の三原色?! :-P) 補色は混ぜると無彩色になる関係のことですから、  R(赤)−C(シアン)  G(緑)−M(マゼンタ)  B(青)−Y(黄) となります。色の持つ面白さには変わりありませんね。  以上蛇足モードでした。   By 誠惇 581/585 GCC01413 HVHY RE:相剋の結果は?(続き) (13) 93/01/11 17:53 580へのコメント  −−−−−−−−−−−−−−> 誠惇 さん  う〜む。これは大変興味深いですね。  補色については、私の記憶違いでしょうか?  それはともかく、私は、幼い頃から、  『色』について“疑問にならない疑問”を持っています。 >>>  『赤』はなぜ『赤』なのか? >>>  『青』はなぜ『青』なのか?    …云々。  昔、学習机の椅子を選ぶ時、  店の人も両親も“男の子らしい”青い椅子を薦めたのに、  私は、我を張って、赤い椅子を選んだのでした…。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  「光の三原色」と「闇の三原色」。これは思い付きませんでした。  「色の三原色」と言わないところが“ミソッパ”なのですね!  さて、細かい色のニュアンスは別にすれば、下記の如く図示出来ます。              「緑」−『紫』−「青」                \     /                 \ 光 /                  \ /                  『赤』      ※『紫』については、                  / \       記憶が定かでない…。                 / 闇 \      (修正願います)                /     \              「青」−『緑』−「黄」  「色の三原色」の方では、やはり、「赤−緑」は補色の関係ですね。  そして、タロット・カードの『悪魔』を見ると、(※しばしば採り上げる…)  バックの「黒」を除くと、「赤」と「緑」が基調色となっているのです。  このような色のシンボリズムからも、  『悪魔』と言われるものの一端を窺い知ることが出来ますね。 >>>   「クリスマス」 → 「赤・緑」 → 「性」  という一連の連想についても、傍証が得られたわけです。  (※因みに、『悪魔』には、必ずしも「悪」のイメージは含まれません…)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  いずれにしても、『色』を考える時には、 >>>   「光」で考えるのか? 「闇」で考えるのか?  この“2種類の見方”があるということなのでしょう…。  示唆に富んだ書き込みを有り難うございました!!                                 HVHY 582/585 GCC01413 HVHY 共にあるもの。 (13) 93/01/11 18:33  −−−−−−−−−−−−−> 維/YUI どん  [キーボード]の件。  どうせ、そういうことを言うのは、COOLさんでしょう…。(違った?)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜                  KEY  +  BOARD                  『鍵』      『盤』                   ↓        ↓     1.音 韻        “い”      “お”     2.役 割        <光>      <炎>     3.アリオン対応     『I』      『O』(『A』)     4.系 統       ルシフェル     ミカエル     5.副議長配置     維/YUI      ぼー        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  更に、『鍵』=『剣』であることは、言うまでもありません。  そして、“『鍵盤』における『鍵』と『盤』の役割は何だろう?”  と考えてみることにも、何かの意味があるのかも知れません…。  これ以上のことに関しましては、情報発信者に聞いてみたいですね。                                 HVHY  P.S.  信じるも八卦、信じないも八卦ですよん! 583/585 GCC01413 HVHY 様々なエネルギー。 (13) 93/01/11 19:40               〜 統合への模索 〜  シュメールさんの書き込みの中に「統合への模索」という言葉があった。  氏によれば、それはチャネリングという現象の中にすら現れている。  記憶に間違いがなければの話だが…、  北川さんの中心守護神霊は「大青龍魔王」(ルシフェル系)である。  ところが、これは、ARIONの中心本体ではない。  つまり、北川さんにメッセージを送ってくる主体ではない。  メッセージを送ってくる主体は、あくまで、ミカエル系なのである。  このこと自体に、既に「統合への模索」を見て取ることは、確かに出来よう。  或いは、エネルギー・バランスという問題も関係しているのだろう。  さて、実は、詳しく言うと、  「光の黙示録」の詩篇に関しては、それを注意深く読むと、  ルシフェル系がメッセージを送ってきたケースもあることが解る。(※検討中)  即ち、メッセージ発信者は複数だと考えざるを得ないのである。  しかし、少なくともフォーラムに現れているのは、全てミカエル系のようだ。  (※このことに関しては、酷使夢想さんも何やら書いていた…)  私の感覚だけからの判断だが、確かに、  ミカエル系エネルギーとルシフェル系エネルギー  が同時に来ることは、今のところは無い。  しかし、ルシフェル系のエネルギーも、既に、しばしば訪れている。  北川さんの去年の書き込みの中に、 >>>    『剣の力』が本格化するのは、93年に入ってから…。  という部分があったことは記憶に新しいが、  だとすれば、今年は、ルシフェル系エネルギーが来る頻度が高くなるはずだ。  もちろん、これらのことは個人差のある話であって、  一般化して語ることに意味があるのかどうか若干疑問が残る。  それにしても、現時点においてですら、  ミカエル系エネルギーの方が降りている量(?)は圧倒的に多いのであって、  いわゆる『炎の力』を感じたことのある人は少なくないはずなのである。  これは“能力”の問題でも“訓練”の問題でもない。  “訓練”するには「時間が足りない」からこそ、  “今のようなこと”が起こっているのだから…。  以上の内容は内容として、もし、 >>>  「私は前からルシフェル系エネルギーを中心に受けている」  という方が居られたら、是非、ご報告を頂きたい。  因みに、竜人さん辺りは、どうなのでしょうか?  或いは、「冷たさ」を名乗るCOOLさん辺りは、どうなのでしょうか?  更に或いは、「鷹」と改名なさった雨の日の憂欝さん辺りは、どうなのでしょう?                                 HVHY 584/585 PFG01325 MINT 仙台の白衣観音はね・・・ (13) 93/01/11 20:24 562へのコメント 仙台の白衣観音はね・・・、仙台天道白衣大観音といいまして、確かに、龍の 台座の上に乗っています。(普通は、蓮の花ですか?) 龍が、口を開けていまして、その前に池があります。(龍神池だそうです) ここに、おさい銭を投げ入れて拝むようです。 ちなみに、持ち物は、右手に宝珠、左手に水瓶(とっくりみたいなの)を持っ ています。 そして、ネックレスは、なんと、鍵のような形で、六傍星がついてたりします。 そういえば、釜石にも、白衣観音がありますよ。 どんな台座に乗ってらっしゃるのかしら? 東京湾にも観音様がいらっしゃるんでしたっけ?? 白衣観音は、土地の文化に密着しているようですから、持ち物や台座など、 きっと意味があるのでしょうね。            一度は捨てたパンフレットを拾って書いたMINT 585/585 GBE02650 ユ−リ 南海のドラゴン (13) 93/01/11 21:12  どうも、この会議室はひさしぶりのユ−リです。  黙示録は読みました。確か、馬は6頭出てきたような気がしていたのですが、実際は 4頭だったのですね。  まあ、それはさておき…  先日、大河ドラマを観てたのですが、一番最初に画面に出てきたのが向き合う二匹の 龍に「DRAGON SPIRIT」の文字。  そして、最後に那覇市に再現された首里城に無数の龍が描かれている、というのを観 て思ったこと。  まず、琉球の国王とういのは、劇中にも出てきた中国の皇帝と同じように、龍の化身 なんではないかと…  それから、琉球というのは龍の国なんではないかと…  いえ、ただそれだけの事なんですが、もう少し琉球の事も勉強してみる必要がありそ うです。 - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/11 - 816/820 GDB00064 オリハル RE:デッキの問題かも・・・(; ;) (14) 93/01/11 01:39 814へのコメント コメント数:1 私は、自分の今までの経験上、とても役に立つと思うに到った夢解釈のための本があり ます(「夢予知の秘密」たま出版、¥130*)。(シラミつぶしに追求し尽くした訳 などではありませんが)それによりますと、蠍は以下のようにありました。 「これはしばしば不幸な体験の後に残る、刺すような苦痛の余波をあらわします。さら に微妙で、不器用なサソリは自分の尾で自分を刺すようなことも、それはあり得るとい うことです」 オリハル 817/820 GGB03531 COOL RE:オリちゃんカンゲキー! (14) 93/01/11 02:01 791へのコメント  (-_-) (-_-) (-_-) (-_-) (-_-) \ / \ / \ / \ / \ /               ⊂〜〜 818/820 GGA02027 GREY 書籍の紹介について (14) 93/01/11 03:07 816へのコメント  前回,[金銭にからむ]箇所を削除した理由は,[営業掲示とみなした]からです.  常識的な範囲での紹介で,金額を伏せ字にする必要はありませんので・・・・・・・・・・・・ 820/820 NAA01730 猫又の沙門 無題(^^;) (14) 93/01/11 12:32 以前見た朝焼けの情景を思い浮かべて・・・・・・ 地上に封印させし龍神は、 その封印を受け継ぐ者の死により解き放たれた 解き放たれた龍神は、朝焼けのなかを 雲をまとって天へと昇る 龍神は、自分の世界へと帰ったのか? それとも地上にのこったのか? それを知るは龍神のみ。 何故龍神は封印されたのだろう? それを知るは封印した者のみ では、何者が封印したのだろう? それは、龍神自身かそれとも・・・・・・ しかし、それを知るは龍神のみ コレハ、フィクションデアリ、ボクノタンナルオモイツキデス(^^;) デモ、コレガジジツナラ、リュウノフウインハ、1986ネンノフユニ トキハナタレテルンダナ(^^;) いじゃう 猫又の沙門