- FARION MES( 1):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<06> 93/01/21 - 551/558 PGB01143 魔界のめーそん めーそんの恋物語り ( 1) 93/01/21 09:12 コメント数:2  みれ殿のご所望により、めーそんめの恋物語りを  その時、めーそんは疾駆していた。辺り一面に散らばる敵味方の死骸も、 南房総の場違いに穏やかな山並も、十重二十重に押し寄せる千葉の白波も、 間断なく四肢を動かすめーそんの目には映らなかった。  目指すは唯一つ、敵将の喉首のみ....  それは幾度目の転生だったろうか、魔王の姫のお守役として初めて人間以 外の姿で人間界に遣わされためーそん。それだけに決して現らわにしてはい けない秘めた姫への想いを、この時こそ全身にみなぎらせて疾駆した。  飛び来る弓矢も襲いかかる白刃も、己を捨てても姫を護る喜びの前には無 に等しかった。  そう..その時のめーそんの名は 「八房」、白く雄しき犬であった。    おねえちゃん!ズブロッカのお代わり!!!   魔界のめーそん 554/558 JAE00201 竜人 NEWSの後で ( 1) 93/01/21 15:42 コメント数:1   オードリー・ヘプバーンが亡くなった・・・。  こんな日は酒場で静かに酒を飲みたくなる。   マスター、今夜は飲むよー。           竜人 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/01/21 - 735/735 HFD01514 なえ 夢に感謝 ( 7) 93/01/21 20:00 昨夜の夢。 わたしはずっと「電話機の内線設定」の方法が解らず悩んでいた。 昨夜の夢で、NTT職員が、ここがその設定する為の箇所ですと、教えてくれた。 少なくとも、それまで、設定箇所をわたしは知らなかったし、どうすれば良いなん て解らなかった。 翌朝、まだ夢の途中の様な気がする程、境目のあいまいな精神状態で、わたしは 言われた通りに機械を見た。 そして、その通りに「設定箇所」が解ってしまって・・おまけにその設定方法は 唯一、悩んでいた機械のみしか出来ないやり方だった。(家には同様な電話が4台 ある) わたしは愕然とした。 これまでにも、けっこう予知夢的な事は有ったが、これ程まで現実的な事柄に会う のは初めてだった。 今は少しだけ、兢兢としている。でも感謝している。 - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 93/01/21 - 075/075 NBA02045 岡 RE:風邪ひきの 岡 です/宗教家と金儲け  ( 9) 93/01/21 18:13 073へのコメント   岡 です。   言行不一致における不信感は、単純に考えますと、二つの要因に根をおろして  いるように思えます。   一つは、相手が何をするのかわからない、という行動推測における不安。   一つは、相手とコミュニケーションがとれない(妥協が図れない)、という言  語による意志伝達の支障(意図的な支障かどうかは別として)から生じる断絶。   前者の場合は、「平和の祈りを唱えている人物が、いきなり殴りかかってくる」  という状況がそれに当たりますし、後者の場合は、ある紛争行為を終結させるた  めに調停条約を結んだにもかかわらず、調停当事者の一方が、「この条約は、こ  ういうように解釈できる!」などといって、恣意的に運用しようとする−−−−  たとえば、「すべての宗教団体に税金をかけること」という条項があるにもかか  わらず、「宗教とは、ある実証された超自然的存在を対象として崇拝するもので  ある」というように「宗教」という言葉の内容を詰め直し、それから、「既成の  宗教団体の崇拝対象は、いまだ実証されたことがない。だから、課税対象となり  うる宗教団体は存在しない!」などと主張して、条項に即した行動をとらない−  −−−ような状況が該当するような気がします。   前者は、相手の行動を推測できないために、対応しきれないという点で、脅威  になります。   後者は、相手が、言葉の内容に恣意的変更をさせていくため、通常の運用範囲  から、その内容が逸脱していく・・・つまり、言語上の混乱が生み出され、言葉  と言葉の指示するものとがかけ離れていくわけです。   単純に言えば、「殴るな!」という言語表現の内容が、<叩き殺せ!>という  言語表現内容に置き換えられてしまう場合も出てくる、ということです。   このような内容変化が著しい場合、相手の使用している言語群が、表現的には  慣習としての言語に即したものであったとしても、内容を調べた場合、全く異なっ  たものとなっているという危惧が否めなくなります。      思うのですが、言行一致は、「同胞意識」を支える原則ではないのでしょうか?   「同胞意識」がコミュニケーションによって支えられているものであるとしま  すと、コミュニケーションの道具である「言葉」とその言葉によって指示されて  いるところの「行為」とが、許容範囲を越えるズレを有した場合、「同胞意識」  そのものへの侵害行為と見なせるのではないのでしょうか?   で、この「同胞意識」を基盤とする社会において、ある宗教団体が許容される  ためには、どうしても言行一致の原則を維持しなければならなくなると考えます。   ただし、宗教団体内部にのみ限定して、言行不一致が見いだせる場合があるか  もしれませんOR対社会的には言行不一致と見なされるものでも、教団内部の言語  構造に照らした場合には、言行一致となっている場合があるかもしれません。   とはいえ、このあたりの考察はパスします。 | 宗教が「心の平穏」を求めるものだとすれば(*2)、全ての人々が物質的に満 |足することはできませんから、どこかで自制が必要になるんだと思うんですね |え。            ( #73 BY 猫が好き )   えーと、宗教の目的の一つとして、「心の平穏」という言葉を出されている  ようですが、たしかにそういう機能を働かせているように見えます。   とはいえ、宗教というモノが、いわゆる需要と供給の原理に即しているとし  ますと、「心の平穏」を求める需要者がいるから、供給元の「宗教団体」が出  来上がるわけでして、結局のところ、需要者の要求する「心の平穏」に対応し  た「心の平穏」を供給しているにすぎないような気がします。      思うのですが、「心の平穏」というものは、人間の蔵する様々なタイプの欲  求の一つにすぎないのではありませんか?      で、猫が好き さんの述べられている、<宗教は「物質的な満足を求めない  方向」に進まざるを得ないだろうと思うわけです>( #73 )というもの  は、おそらく、需要者が「物質的な満足を求めない方向」傾向を見せ始めてい  る現象を考慮した発言だと思うのです。   というように、宗教が、需要者の動向に適応させているものであるならば、  プロテスタンティズムの倫理が誕生した背後には、おそらく、猫が好き さん  のお考え通りに、「金に対する宗教側の妥協」があったのかもしれません。   とはいえ、「天職」思想は、あくまでも社会の繁栄が神の意志の具現化につ  ながる、という発想があるわけでして、信徒の「適度な金儲け」は承認された  としましても、宗教団体の「適度な金儲け」は認められていないと捉えるのが  妥当だと思うわけです。   ですから、宗教団体そのものが、「適度な金儲け」に走るのは、プロテスタ  ンティズムとは直接的には関係がなく、宗教=商売という発想が必要とされる  と思うわけです。   加えて申し上げれば、信徒の「適度な金儲け」は、それが金儲けとして許容  されるためには、常に自らの行為を「聖書」によってチェックし、なおかつ社  会のために何らかの奉仕をなすべきだ、という了解事項があり、そうした事項  を遂行した上で、はじめて宗教的に妥当な行為であるとみなされていたと考え  ます。   「心の平穏を求めるためには、物欲を捨てよ」という提案は、これが宗教団  体から提示されているモノであれば、需要者の求めるモノがそれであるだけの  ことのような気がしてなりません。   で、提案主(この場合、宗教団体)が、信用されるためには、この提案を自  ら実践することが必要となる点では、たしかに、猫が好き さんのお考え通り、  言行一致が要請されるのだと思います。   ただし、この提案の源となる発想と、宗教=商売という発想とは、別のモノ  であると思いますが・・・。   - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/21 - 591/597 GGD00655 せしも RE:「自分を見る」のマクロ&ミクロの視点 (11) 93/01/21 01:48 577へのコメント コメント数:1  KAZEさん、どもども。 > これを大きなマクロの宇宙的進化プロセスとしてとらえますと、 > 我々ひとりひとりが「自分を見る」ということは、 > それに対して、ミクロの宇宙的進化プロセスとしてとらえることができます。  ……ですか、なるほど。これは面白いですね。(^^) こうしてみると、 「自分を見る」というプロセスの重要性がさらにリアルに感じられるように 思えます。ふむ、してみると、自分を見るためにその対象を自らの外に出す、 というのはミクロの場合、どういう意味になるのかな?(^^;) ふう〜む……。  ところで、最近、Kの本なぞ読んでるんですが、その本では、なんか、カ ウンセラーみたいな立場に立ってるようで、面白いです。(^^;) 悩んでいる 人の歪んでいる部分をぴしりと言い当ててる、っていう感じでしょうか。 そういえば、河合隼雄先生の(あ、そういえば退官されたんですね)「心 の処方箋」(ダッタカナ?) の中でKが引き合いに出されてて、そのときは、おや、 と思った程度だったんですが、結構そういう位置づけでみられてるのかなあ、 とか思いました。まあ、本来、カウンセラーっていう人はそういう人間の心 の働きのメカニズムみたいなものを把握してなければならないわけで、自分 を見ることに慣れた人じゃないとダメなんでしょうけれど。そういう意味で、 いわゆる「心理学」っていうのはどうなんでしょうね。たしかGがどこかで、 気むずかしい人のことをおちょくって、「その人がどんなに気むずかしいか というと、西洋の心理療法を受けた人ぐらい気むずかしい」、みたいな表現 をしていた箇所がありましたが。(^^;)                            せしも 592/597 GGA02514 KAZE 思考活動の流動性など (11) 93/01/21 02:34 590へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 >水は我々の身体の大きな部分を占める物質でるとともに、地球を包んでいる物 >質(まさに地球は水の惑星)でもあります。 そうですね、先日も書名だけ紹介しましたが、 ライアル・ワトソンの美しいビジュアル本である 「水の惑星/地球と水の精霊たちへの賛歌」(河出書房新社)には、 地球と水にちなんださまざまなテーマが美しくとりあげられています。 ライアル・ワトソンいわく、 水は不思議だ。地球上で最も単純でありふれていながら、最も複雑で神秘的 でもある。この水のおかげで地球は、奇跡の星となったのだ。 私たちは、その「おかげ」を忘れてしまって久しいように思われます。 昔は水を調達するためには非常な苦労をし、きわめて大切に扱われていましたし、 古代には、水は宗教的崇拝さえ受けていましたし、神的存在に満ちているとされ、 神話にはその水はさまざまに神格化されて登場していたものでした。  アッシリア=バビロニアの神話では、水は地球をとりまく深淵たる「アプ ス」を起源とする始源的な元素であり、「エン・キ」あるいは「エア」とし て擬人化された。アプスは泉や川の産みの親で、運河の女神ナンシェの父で ある。  カルデア人やペルシャ人にとって、水の神は「アナヒーター」であり、エ ジプト人にとっては「カノプス」、インド人にとっては女神「アパ」、フェ ニキア人にとっては「雲に乗る者」を意味する「アレイン」であった。古代 中国では、水の管理者たる「水官」が天と地から、水の悪影響を取り除くと された。インカの人びとが考えだしたのは、髭面のヴィラコチャ。「チチカ カ湖に浮かぶ泡」であるヴィラコチャは、太陽と月と星を創造するために水 から現れたとされる。また、ギリシア神話には、宇宙をとりまく大河オーケ アノズを筆頭に、3000の川を産んだテテュスなどのティタン神族が続き、 ポセイドンの配下のオリュンポスの神がみにいたる、壮大な系譜がある。 >水は我々にとって、非常に身近な存在なのですが、H2Oという単純な構造にも >関わらず実に不思議な物質でもあります。 「地」「水」「火」「風」という四大元素のひとつとしてとらえられていたのも うなずけるような気がしますよね。 そういえば、この「水」に負けず劣らず不思議な存在は「火」ですよね。 ゾロアスター教は「拝火教」とも呼ばれていますが、 すべてを焼き尽くす「火」にも非常に不思議な神聖さを感じたりします。 そのくせ、この「火」には実体のつかめないところがありますよね。 シュタイナーは、神的存在が、熱→火→空気→水→土というように、 みずから供犠をささげて魔法にかけられたように凝縮していったといいますが、 「四大」には、まさにそうした神的な働きかけを感じさせられます。 「神」は「火水」とも表記できるのもうなずける気がします(^^)。 >日本人にとって水は、思っている以上に大きな存在だと思うのです。 その通りですね。 でも、最近の日本でも水質がどんどん悪化しているようで、 全国的に瀕死の状態になっているともいいますよね。 そういえば、僕の偽弟が神戸に住んでるのですが、そこの水はひどくて、 ほとんどの家庭が浄水器をつけるようになっているとか。 隆ちゃんのとこらあたりも、なかなか厳しい状況にあるのでは。 >人は科学的な視点で事象を見る事によってその事象の持つ尊厳を無視してしまって >いる傾向があります。この事は水に限らず、全てがそうであると感じます。 やはり、科学を盲信するというのが、現代における 最大の「アヘン」なのかもしれません。 「お金」に対する無差別的な貪欲さも、それに劣らず「アヘン」の代表選手ですが。 やはり、この世の森羅万象に神の働きを見るという姿勢を取り戻さなければ、 この「水の惑星」はその青さをどんどん失って、 真っ赤な惑星になってしまいかねません。 >日本人にとっての霊的本質についての知識は古神道にあるような気がこの頃しま >す。単なる自然回帰や原初に帰るのではなく、日本人としての自分を見つめ直す >意味で古神道にひかれます。 僕も「ホツマツタエ」の世界に描かれているような世界について もっともっと認識を深めなくてはならないと思うようになりました。 もちろん、ご指摘のように、単なる「回帰」などではなく、 それを踏まえた上での発展的なビジョンを獲得するための大きな契機として。 そういう意味では、西洋的な自我からの方向性をベースにした シュタイナー的な神秘学と古神道とが相互に「中」なる方向を目指すのが、 こらからの時代のために必要なビジョン獲得のベクトルだという気がしてます。 >我々の世界はまさに流体の世界なんですが、思考は剛体の世界をイメージしな >がら生活しています。どうしてそんな事ができるのか当時はそれが不思議でし >ょうがなかったのですが、要するに剛体の世界の方が考えやいという事なんで >すね。 「カオスの自然学」では、思考の活動は、根源的には流動する運動の表現として とらえています。 ・・・思考が特殊な内容を持っているときだけ、すなわちそれは自らを 秩序だて、一つの観念を生み出すのである。あらゆる観念は・・・流動 作用から生じ、最後にひとつの形態として定着して終わる。したがって、 思考の流れと調和的に同調して、かつ一つの観念から次の観念へとよど みなく----いうなれば「渦」をつくらずに前進しながら、思惟において 形態を形成することができてはじめて、われわれはそれを流動的に思考 する能力ということができるのである。・・・ルドルフ・シュタイナー は、思考をすみやか、かつ活発にするのを助けることを目的とした訓練 を提案しているが、これは思考の中で再創造し変形するための訓練にほ かならない。・・・  水と人間の精神活動との間に存在する関連は、人間の霊的活動と水と が共鳴することを示している。両者とも地上と結合している一方で、天 上的イデアを受容し、この二つを統合している。思考においてはエーテ ル的生命力を凌駕しているが、水の中には全存在の叡智が流動している。 そもそも水的要素を自身の活動のための道具として生み出したのは、こ の叡智ではないだろうか。 >「芸術作品における流動形態」 についてですが、「カオスの自然学」の著者のシュベンクは、 スットクホルムのシュタイナー・セミナーハウスに、イギリスの彫刻家である ジョン・ウィクルスと協力して、水の循環作用をテーマにした環境彫刻というのを 製作・設置したそうです。 そもそも太古の時代には、「大宇宙の創造的・形成的言語」の力が 人々の生活に緊密に結びつき浸透していたようで、さまざまな遺跡のなかに それはさまざまな形で残されているようですが、 そうしたありかたはどんどん人間の意識から消されてしまってきています。 しかし、現代芸術の中に、もっとも単純な形態・運動への回帰が認められな いだろうか。それを人間と宇宙の見失われた創造的起源への憧憬であるとす ることはできないだろうか。現代芸術にみる混乱し分裂した特質は、言葉と いう祖型的元素から生み出された人間の原像を奪還しようと戦っているもの のような気がする。そして、新しい人間の原像が、人間霊魂の未知なる領域 から、いままさに生まれでようとあがいているのではないだろうか。 僕の最近鑑賞する音楽も絵画も、そうした「人間の原像」を取り戻すことのできる 方向性を指向し続けているような気がします。 >言葉を発する事に関しては、身近に幼児がいるとイメージしやすいです。子供 >は言葉をおぼえてゆくのですが、おぼえる前の段階で発する言葉(アーとかマ >ーとかウマウマなど)がどうやって発せられるか注意深く観察(観察などと言 >うと娘に怒られそうですが(^^;))していると色々な事が見えてきます。 子供の言語習得というのはとっても興味深いプロセスで、 確かそれについては、ピアジェということが発達心理学として探求していたように 記憶してます。 オイリュトミーに関連した言語形成などについて最後にちょっとだけ、 ミヒャエル・レーバーの「オイリュトミーの発生と発展」より。 ・・・幼児は大地とともに眠っています。つまり、脊椎を水平に横たえて いるのです。やがて子供は次第に身体を起こしはじめ、起き上がって、大 地の拘束から自由になります。垂直、直立運動という新たな体験の獲得で す。  直立する力を獲得すると同時に、子供は言語を形成する可能性を獲得し ます。垂直という姿勢が言語器官である喉を上に持ち上げ、言語を音節に 分け、明瞭に発音することを可能にします。この時点で両親や兄弟姉妹が 成長しつつある子供にどのように語りかけるかが非常に重要になります。 シュタイナーの指示に従ってオイリュトミーを発展させていったのは、当 時17歳だったローリー・マイヤー・スミッツでした。彼女はたゆまぬ探 求と練習を通して、新しい運動芸術の萌芽を植え付けました。まずはじめ に彼女は、直立する動きの中に「イ」の伸びる力が表現されるのを感じる ことを学びました。そして、直立した人間の背骨の重心を後ろに移す動き の中に「ア」を感じ、重心を前方へと移動させる動きの中に「オ」を知覚 することを学んだのです。  「イ」、「ア」、「オ」は基本和音のように人間の魂の生活に浸透して います。「ア」は、世界に対しての驚異の自己開示。「オ」は、愛に満ち た包容、あるいは世界への感動。慎重な均衡、二つの方向を平衡する「イ」 は人間の自己発見です。・・・母音は内面生活の豊かさと色彩を表現しま す。傷み、喜び、魂の動きすべてが母音を通して表現されます。・・・ >今年もいろんな発見がありそうだぞとわくわくしながらも、財布をのぞくとあ >りゃりゃのりゃでありまして(^^;)、マイペースで頑張ろうなどと思いなおすの >でした。 僕もいろいろ好奇心の塊のような性格なので、いろんなことにわくわくし過ぎて、 経済観念を失ってしまうことがしばしばです(^^;)。 やりたいことと経済とのバランスも大切にしながら、 同じく「マイペース」を心がけていきたいKAZEでした。 593/597 GGA02514 KAZE 意識のスペクトルなど (11) 93/01/21 10:06 591へのコメント せしもさん、どうも。 >・・・自分を見るためにその対象を自らの外に出す、というのは >ミクロの場合、どういう意味になるのかな?(^^;) その考え方のガイドになりそうなものがあります。 トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーがつくった 有名な「意識のスペクトル」のモデルで、簡単にそれを説明しますと、 まず、全宇宙と一体化した完全に非二元的な意識の状態である<心>のレベル、 それから、有機体と環境を分ける意識の状態である<実存のレベル>、 さらに、自我と身体を分ける意識の状態である<自我のレベル>、 そして、仮面(ペルソナ)と影(シャドー)を分ける意識の状態である<影のレベル> ということで、自己=宇宙の状態では、「自分を見る」ことができないから、 なんらかの「二元」を創造する必要があったとも考えられます。 このモデルはかなり雑にできていますし、<前>と<超>という考え方も 区別できていませんが、ガイドにはなると思います。 >ところで、最近、Kの本なぞ読んでるんですが、その本では、なんか、カ >ウンセラーみたいな立場に立ってるようで、面白いです。(^^;) 悩んでいる >人の歪んでいる部分をぴしりと言い当ててる、っていう感じでしょうか。 そうですねえ、Kの本は、その対象範囲をエラーさえしなければ、 カウンセラーとして有効な部分は多分にあると思います。 いや、むしろカウンセラーとしてのみ有効な部分が多いともいえるかもしれません。 特に、「条件づけ」からの解放というテーマは傾聴に値します。 ただ、Kの本ってひとを元気にさせるものではないから(^^;)、 僕なんかは和尚(旧、バグワン・シュリ・ラジニーシ)なんかの方がいいです。 先日も、新刊の「NEW CHILD」というのを読んだのですが、 読みながら元気になっていく自分を感じます。 和尚の場合、あの書籍だけを読んでる分には、とってもいいです(^^)。 >そういえば、河合隼雄先生の(あ、そういえば退官されたんですね)「心 >の処方箋」(ダッタカナ?) の中でKが引き合いに出されてて、そのときは、おや、 >と思った程度だったんですが、結構そういう位置づけでみられてるのかなあ、 >とか思いました。 そうそう、僕もそれ、覚えてます。 河合隼雄さんといえば、今、NHK教育テレビの「人間大学」で、 「現代人と日本神話」というテーマでやってますね。 今やってる「人間大学」では、森毅さんの「数学・文化・人生」が楽しいです。 あの森毅さんの語り口って、とっても大好きで、つい昨日も笑いながら見てました。 >まあ、本来、カウンセラーっていう人はそういう人間の心の働きのメカニズム >みたいなものを把握してなければならないわけで、自分を見ることに慣れた人 >じゃないとダメなんでしょうけれど。そういう意味で、いわゆる「心理学」っ >ていうのはどうなんでしょうね。 ううん、僕はあまのじゃくだからかもしれないけど、カウンセラーっていうの ほとんど信頼してないのですが、教育者と称する方と同じで、 意外にカウンセラーというのは、「カウンセラーの必要な人」、 教育者というのは、「教育の必要な人」、とでもイメージしておいた方が、 実状には合っているのではないでしょうか(^^;)。 もちろん、中には立派な方もいらっしゃるのは事実ですが、 そういう方って、ごくごく少数派であるのが悲しい(^^;)。 >「その人がどんなに気むずかしいかというと、 >西洋の心理療法を受けた人ぐらい気むずかしい」 はははは、確かにそうかもしれませんね。 そもそもそんな心理療法を受けようとすること自体が、 ものすごく病的なことなんですよね。 ある意味で、救いを求めて宗教団体に入る方の心理によく似ているところがあります。 カウンセラーなんかになるのも、そういうことが必要だと思ってまるのだから、 その発想がどうも患者を作り出しているような、そんな気がしてます。 つまり、カウンセラーになるということが、宗教団体をつくる行為に似ている、 ということなのだということです。 とかなんとか、言いたいこと言ってしまいましたが、 本当のことだから仕方がない・・・ なんてぜんぜんフォローになってないKAZEでした。 594/597 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<55> (11) 93/01/21 10:06 ************************************************************ 人の言葉に惑わされ、今日も今日とて踊らされ、まことの神の神徳 に、心を寄せることもなく、偽物ばかりの世となりた。この人の世 の有り様は、天の神にも目にあまり、地上の神も手を焼いて、まこ との神はその昔、この星の隅々に、神の威光を降り注ぎ、まことの 人の世つくりたが、いつの間にやら悪神の甘き言葉に惑わされ、楽 を求めた人々が自ら神を押し込めた。神の言葉に耳貸さず、我よし ばかりの人となり、己の中の神光を忘れて生きる世となりた。 ************************************************************ 595/597 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<56> (11) 93/01/21 10:07 ************************************************************ 曇りに曇った世の人の、己を忘れた生き方は、ただひとのみのこと でなく、星の命を曇らせた。青と緑のこの星は、黒き曇りで覆われ て、いずれ真紅の色となる。そのとき人は泣き叫び、我助けよと祈 りしが、神の心にそわぬ者、助けとうても助けれぬ。それは人が選 んだぞ。神が選びたことでない。 ************************************************************ 596/597 GGA02514 KAZE “MIZUHO”のチャネル・メッセージ<57> (11) 93/01/21 10:07 ************************************************************ 今このときの人の世は、哀れな夢のひとかけら。まことの人の魂は、 永遠(とわに)生きれることを知れ。この世のすべてを費やしても、 も一度神の世となして、人を救うが神の愛。このまま流れてゆくよ りも、きれいきれいに掃除して、神と人とを結び付け、楽し楽しの 世とするぞ。人を思う心なく、我よしのみのこの時代、金と物とに 執着し、金と物とを追い求め、互いにいたわる心なく、神を尊ぶ心 なく、うわべの笑いに騙されて、心の奥から流れ来る、神の光に目 をつぶり、ただ偽物のまぶしさに、我も我もと寄ってゆく。そのあ さましい人の世を、うれいて嘆くこの神の大きな愛を知りてくれ。 そなただけでも知りてくれ。 ************************************************************ 597/597 HGB02122 天祈 一連のチャネルメッセージについて (11) 93/01/21 17:45  初めまして。この会議室では最初の書込みになります。  MIZUHOさんの一連のチャネルメッセージを、毎回「楽しく」読ませてもらって  おります。  さて、一連のメッセージについてですが、少しだけ質問をさせてください。  一つは、これらを敢えて「チャネル」と判断し、全面的に受入れていること。  これは、今後訪れるだろう様々な「情報の誘惑」において、危険な体質の表れの  ように見えて仕方がありません。  「高位」の存在の言葉らしいから、何と無く受容してしまう。そこには無防備な  だらしなさを感じます。  出来れば、伝達者であるKAZEさんに、ご意見を提示して戴きたい。  何故、これらのメッセージを「チャネル」と断定したのかを。  KAZEさんには、言葉を伝える者としての責任があります。  KAZEさんが、今後MIZUHOさんのメッセージを背負っていけるのかどうか、  重大な問題があります。  >時間がないからメッセージを流しなさい。(#498)  メッセンジャーさえも納得されていないものが、どうして効力を発せられるもの  でしょうか?  受け取る側に一切の責任を委ねているようにしか思えません。  いかがでしょうか?  もう一つは、会議室(と言うよりは、皆さん)の反応についてです。  会議室の様相を見詰めていると、一人を除く誰一人としてメッセージのありかたに  疑問を提示していませんし、反対意見も、伺ったことはありません。  これは、現在の新興宗教の縮小のように見えます。  FARIONの全会員でないにしろ、私たちは世紀末をどのように受け、どの方向に  自分を導いて行けばいいのかを真剣に模索している筈です。  敢えて言うのなら、私たちはもはや流れに任せる一般人ではないのです。  決定的な人間の甘さでしょうか。  件のメッセージがいまだ前提的なことに留っているだけのことかも知れませんが、  今後、許されぬ危険への対処の術に欠けていると言わざるを得ません。  最後に、ARIONとの関連を示唆する発言が幾つかありましたが、  私はそれらを全て否定します。  ARIONからのメッセージは非常に具体的で、※抽象を超えた抽象で満ちて  います。ARIONでさえみだりに語らぬほどに、「神」に対する畏敬を、  感じるからです。  皆さんの反論、ボードオペからの意見を待ちます。  決して軽々しく扱えない大きな問題だと思うからです。  ※抽象を超えた抽象...もはや、理論では語ることの出来ない真実として              表現しました。              私は理論で語ることをしません。                           HGB02122 天祈(アモリ) - FARION MES(12):★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 93/01/21 - 476/477 PBA02422 さはし RE:諸星大二郎 (12) 93/01/20 23:31 475へのコメント 最近の諸星さんと云えば、「西遊妖猿伝」と「妖怪ハンター」でしょうかねぇ。 時々、劇画誌とか、まるで関連の無い歴史雑誌とかにも作品が掲載されている 時があるので、本屋に行くとキョロキョロしてしまいます。(^^;) 477/477 HGB02154 SPOHE 玉置山での事、教えて下さい (12) 93/01/21 19:29 アキラさん、さ「竄ノちは。 申し訳ありませんが、先日アキラさんが玉置山に行かれた時の様子を、 差し支えない範囲で、教えてもらえませんか? 僕は、アキラさんが、MES(11)#554 (1/14 19:11) → MES(12)#473 (1/15 00:39) のタイミングで、「お呼ばれ」して、玉置山に行かれた「理由」が、ずっと、気に なってます。(それから、そもそも、なぜ玉置山の神様は、アキラさんとコンタクト し始めたのか、についても少し...。 ← 1990年の後半からでしたよね?) ひょっとしたら、KAZEさんの会議室での、“MIZUHO”のチャネル・メッセージ関連の「動き」 に対して、(例えば、「GO」なのか、「STOP」なのかについて)玉置山の神様 サイドから、「気付け」のようなものが、あったのではないですか? それとも、全く別のこと、あるいは、「アキラさん個人(のみ)に関すること」だった んでしょうか? (もし、そうだったら、ごめんなさい m(__)m) 僕が聞いたところでは、(「玉置山」の神様については、不明ですが)「熊野」の神様 は、「末代さま」という神様だそうです。この神様のプロフィールは、  ・名称:末代日乃王天之大神さま  ・別称:ゆらり(由良里)彦大神さま  ・系統:地系(地之親神さまの、「次男」的存在)  ・現在の日乃本之国(神界側が期待している方の「日本」?)の、大国魂之大神さま  ・今回の、「プロジェクト」遂行にあたっての、(地球管理神界の中での)   「幹事さん」的な役割をされている    →「プロジェクト」が、旨くいかなければ、地之親神さまや、その上位の神様     から、「おとがめ」を受ける立場  ・情報関連の担当でもある  ・御陣場:熊野本宮山(と呼ばれる山らしい。玉置山の南西?)の辺り  ・妻神さまは、上義姫大神さま ということに、なってるらしいんですけど..。 (玉置山の神様と、熊野本宮山の 辺りの神様とは、全く関係が無いのかも知れませんが) 何か、「つなぎ」になりそうなことは、無かったでしょうか? よろしくお願いします。 HGB02154 SPOHE - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/21 - 647/654 GDB00064 オリハル RE:「緑の領域」 (13) 93/01/21 00:50 643へのコメント ニニギの命について一二三神示より抜粋します。 ウメの巻、第五帖 『ニニギの命お出ましぞ、ニニギとは二二(ふじ)のキの御役であるぞ。神がかりて世 界中のこと何でも判る様に思ふてゐると、とんでもないことになるぞ、このままにして ほっておくと戦済んだでもなく、とどめもさせん、世界中の大難となるから早う改心結 構ぞ。悪の上の守護神、中の守護神、下の守護神の改心出来ん者はいくら可愛い子ぢゃ とて、ようしゃは出来んぞ、愈々天の大神様の御命令通りに神々様総掛ぞ。十一月一六 日、ひつ九の神。』 ウメの巻、第六帖 『雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、百々八百万の神々様御活動激しくなっ たぞ、人民目開けておれん事になるぞ、出来るだけおだやかに致したいなれど、判りた 臣民日々おわびお祈り結構致し呉れよ、大峠となりてからではいくら改心致しますと申 しても、許してくれと申しても、許すことは出来んから、日本には日本の守護の神、支 那には支那、外国には、外国のそれぞれの守護の神あること忘れるなよ。神々様持場々 々清めて呉れよ。御役結構ぞ。十一月一六日、ひつ九の神。』 ウメの巻、第七帖 『四十七と四十八で世新しく致すぞ、三人使ふて三人世の元と致すぞ、三人を掘り出す ぞ。世に落ちてます神々様、人民様を世にお上げせなならんぞ。悪神の国から始まって 世界の大戦愈々激しくなって来るぞ。何事も清め呉れよ、清めるとはまつらふことぞ、 十一月一六日、ひつ九のかミ。』 オリハル 649/654 GFD00204 松川 貴     RE:「緑の領域」 (13) 93/01/21 05:36 643へのコメント コメント数:2  HVHYさん、はじめまして。HVHYさんの部屋は必ず目を通してはいるんです けど、なんせコメントするようなことが思い浮かびませんので今まで黙っておりまし た。でも、初めてコメントできるような内容に遭遇しましたので、ちょっとしゃべら せてください。 >「ニニギノミコト」の陵とされている川内市の新田神社「可愛山陵」は、 >「『エ』のみささぎ」というのが正式の呼び方なのであった。(※古い話!) >これは、「ニニギノミコト」が『エ』であったという意味にも取れるが、 >「ニニギノミコト」を鎮めるに当たって『エ』を封印した…という風にも取れる。  私は最近「葉隠・どうなる日本精神?」の部屋に『歴史読本 特集 天皇陵 未知 なる遺産』に載っていた「陵墓参考地一覧」を転載しました。あれを見ると、確かに 「可愛山陵」は「えのやまりょう」ではなく「え の みささぎ」と振りがなが振ら れております。私はこの資料に出てくる一連の陵墓の読み方がとても不思議に思われ ました。もともとはいったい誰がこのような読みを決めたのでしょうか。(ちなみに 私はあそこに嘘を転載してましたね。今見直してみてそれが分かりました。「みさざ き」ではなく「みささぎ」でした。削除してUPしなおしておきますね。HVHYさ んの御指摘のお蔭であります。ありがとうございました。)  ニニギノミコトとホホデミノミコトとウガヤフキアエズノミコトのそれぞれの陵墓 名を見てみます。          エ ノ ミササギ  ニニギノミコト/可愛山陵           タカヤノヤマノエノミササギ  ホホデミノミコト/高屋山上陵               アヒラノヤマノエノミササギ  ウガヤフキアエズノミコト/吾平山上陵  ここに『歴史読本』の表記そっくりに転載できないのが悔やまれますが、振りがな の振り方がどこか変なのです。とくに「可愛山陵」が変です。ご覧の通り、ニニギノ ミコトの陵墓名の「山」の字の上にはなにも文字が表記されていません。実際はひら がなの小文字ですが、上のように振りがなが振ってあります。私は初めこれを印刷の 便宜のためかとも思ったのですが、よく分かりません。 また別の視点から眺めてみると、「可愛山陵」と「上陵」は同じ読み方であるのが 分かります。もし「可愛山陵」が「上陵」と同義なら、ニニギノミコトの墓には「場 所」の名前がないということになってしまいます。  しかし、『日本書紀』の漢文は「可愛之山陵」となっているはずです。ですから、 「上陵」が「えノみささぎ」ならば、「山陵」を「やまノみささぎ」と読んでもよい はずです。私は「皇室陵墓一覧」に登場する訓読みには、どこか不自然さを感じるの ですが、HVHYさんはいかがでしょうか。  私は今手元に現代語訳の『日本書紀』(中公バックス 日本の名著1)しかもって いないので原文での確認ができないのですが──この文章を読んでいる方で、原文の 漢文がすぐに引用できる方は是非是非それを教えていただけませんか──、その「中 公バックス版」のニニギノミコトの陵墓に関する記述はこうなっています。 >そこで筑紫の日向の可愛〔これを埃という〕の山陵に葬りまつった。P92  「埃」の字の日本での音読みは「アイ」であって「エ」ではありませんし、また辞 書にも「エ」という読み方は出ていません。しかし実際には、この「中公バックス」 の『日本書紀』においても「可愛」の横と「埃」の横に「え」という振り仮名が振っ てあります。そもそも「埃」とはどんな意味かといいますと「ほこり」とか「ちり」 とかいうような意味です。原文の注に『「可愛」を「埃」と読む』というような注が 載っているとすると何だか不敬のような気もするんですけど、私は国語学者ではない のでその変のところはよく分かりません。  さて、上記以外のHVHYさんの記述については私にはチンプンカンプンですので 何も言うことが浮かびません。私には預言解読能力がまったくないみたいなのです。  でも、これでHVHYさんにご挨拶できたので、私としては喉のつかえがとれたみ たいで、なんだかホッとしました。それでは以後よろしくお願いいたします。                                   松川 貴 追伸 「葉隠・どうなる日本精神?」部屋でも述べましたけど、神武天皇の陵墓名、 すなわち「東北陵」が「うしとらのすみノみささぎ」と訓読みされているのも大本教 との連想が働いて無視できないところなんですが、これはどうなんでしょうか。 650/654 GFD00204 松川 貴     RE:「緑の領域」 (13) 93/01/21 08:03 649へのコメント  「埃」の文字についてもう一言。  私が家で使っている漢和辞典の「埃」の字の最初の用例に登場する熟語は「埃及」 です。これで何と読むとお思いですか。なんと「エジプト」なんです。まったく想像 もつかない読み方です。私の辞書では「埃及」という国名のみが「アイ」という音を 持たない読み方(熟字訓ですよね、これは)の用例として出ていました。いったいい つ誰がどのような根拠で、このような文字を組み合わせて国名としたんでしょう。明 治時代に現在使用されている熟語がたくさん製造されたので、おおかたその一環とし て出来たのかもしれません。  別に意味があるとも思われませんが、参考までということで、補足させていただき ました。                                   松川 貴 651/654 GGD02212 *ねぎひさお* 『解釈病』 (13) 93/01/21 12:21  以前、狼・大鷲・人魚が何をさすか…と考えていたころ、 預言でないものまで解釈したくなったものだった。例えば、 雪やこんこ…犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる 雪・犬・猫などは何を意味するか、というふうに。*ねぎ* 652/654 GFD00204 松川 貴     RE:「緑の領域」 (13) 93/01/21 13:14 643へのコメント  図書館に行ってきました。仕事がら午前中は暇なので自分で確かめた方が早いやと 思いましたので。岩波の日本古典文学大系の『古事記』と『日本書紀上下』は、20 代の中ごろまでは持っていたんですが──学生時代の卒論テーマが「日本神話」でし たから──、卒業してしまうと使い道もないものですから、古本屋さんに売ってしま ったのでした。今思うと実に惜しいことをしました。  さて、結果報告です。参照した本は岩波の日本古典文学大系 64『日本書紀 上』 です。まずは本文を見ていただきましょう。   久之天津彦彦火瓊瓊杵尊崩。因葬筑紫日向可愛 此云埃。 之山陵。P143                   (この注の部分は本文の文字よりも小さい)  やはり注記がしてありました。  どのように書き下し文にしてあるかも、載せておきます。    ヒサ    アマツヒコヒコホノニニギノミコトカムアガ    ヨ   ツクシノヒムカノ エ    エ 久にありて天津彦彦火瓊瓊杵尊崩りましぬ。因りて筑紫日向可愛 此をば埃と      ノ ミササギ ハブ   云ふ。之山陵に葬りまつる。P142(振り仮名は実際は平仮名です)  「山陵」は二文字で「みささぎ」と読んでいます。しかし、それにしても、たとえ ば、「埃」は「アイ」と音読みするのではなく「え」と読むというようなことをいち いち知っておかなければ、この文章はとても読めたものではありません。つまり、注 釈の注釈が必要になるということですね。なんともまわりくどい話です。  こんな複雑な文章が延々と続くとなると、この時代の学者はたいした記憶力を持っ ていたんですねえ。中公バックスの『日本書紀』の解説にはこうあります。   『日本書紀』は、それが作られるとすぐの時から平安時代中期にかかるころまで  の間、朝廷で講書がおこなわれていた。それがおこなわれた事実が、記録に残って  いるばかりではなく、書きとめたものが若干残っており、それを私記とよんだ。   この講書は『日本書紀』ができた直後からおこなわれているが、頻繁におこなわ  れるようになるのは、やはり平安時代の初期、弘仁期(八二○〜八二三)ぐらいか  らで村上天皇の康保年間(九六四〜九六七)までいくたびもおもなわれた。   (中略)   ただ残っているものは、古い読み方、あるいはその意味などを書きつづけた、若  干の記録である。しかし、そういうものを書き残してくれたおかげで、『日本書紀  』はできあがったのちの時代に、どういうふうに読まれていたか、その意味はどう  いうことかということを、われわれは知ることができる。  裏読みをすれば、現在伝わっている『日本書紀』の訓読のすべてをはたして鵜呑み にしてもよいのかということも言えるんではないかと思うんですが。  私が図書館で調べた岩波の『日本書紀』には「現代人」の注釈も載っています。そ れも引用しておきます。   延喜諸陵式に「日向、埃山陵〈天津彦彦火瓊瓊杵尊。在日向国。無陵戸。〉」。  陵墓要覧に鹿児島県川内市宮内町字脇園。一説に宮崎県延岡市の北方可愛岳が遺称  地。  「無陵戸」の意味はよく分かりません。どなたかご存じないでしょうか。  「北川町の」ではなく「延岡市の北方」と表現しているところがおもしろいです。                                   松川 貴 653/654 GCC01413 HVHY RE:「緑の領域」 (13) 93/01/21 18:11 649へのコメント  −−−−−−−−−−−−−−> 松川 貴 さん  コメント有り難うございました。  葉隠部屋での堅実な内容(?)の書き込み。  いつも感心しながら拝見させて頂いております。  私には「武士道」のことは解りません。  しかしながら、現代(戦後)の日本では、 >>> “『犠牲』や『供物』ということの意味合い”  が余りにも忘れ去られているのではないか?  という感想を持っている私としては、松川さんの主張に共感を覚えます。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、陵墓の読み方ですが、私はそもそも門外漢です。  そのことをご了承頂いた上で、以下の話をお聞き下されば幸いです。  新田神社の神官は、「漢字より読み方の方が大切である」と言っておりました。  そして、その理由は、「元々日本には漢字が無かったから」だそうです。  即ち、漢字に後から読み仮名が振られたのではなく、  編纂記述段階で音韻(読み方)に漢字が当て嵌められたと考えた方が良いのです。  もちろん、当て嵌める時には、漢字の意味合いを考慮に入れたでしょう。  しかし、そうそう旨く行くケースばかりではないことは容易に想像がつきます。  中国からの文化輸入が大量にあったのは、蘇我氏の時代だと思われます。  この時、仏教・漢字・歴史学・埋葬法・占星術など様々なものが輸入されました。  そのことにより、日本古来の神道形態(アニミズムのようなもの?)は、  既に幾分(或いは大きく)歪められてしまったです。  それでも、神仏習合という形で、多神教世界は日本に息衝いていました。  ところが、明治維新の折に、新しい神道(?)が“組み立て”られ、  輪を掛けて日本古来の神道形態が歪められてしまった…。  話が脱線してしまいましたが、  この歴史観は石清水八幡宮のやはり神官が語ったものです。  (※「明治維新」の意味については別途詳細に検討するべきでありましょう…)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  「エノミササギ」に於いて、「ノ」は助詞ですから、  意味を持っているのは「エ」という語と「ミササギ」という語です。  「ミササギ」は、場合によって「陵」とも「山陵」とも書かれていますが、  差し当たり「天皇の墓(御陵)」という意味だと考えられますので、  やはり、「エノミササギ」の核心部分は『エ』ということになります。  そして、確かに、松川さんのおっしゃる通り、  日向三代の御陵を並べて見ると、興味深い疑問が沸いてきます。   ・「ニニギ」     >  可愛山陵 “エノミササギ”   ・「ホホデミ」    >  高屋山上陵“タカヤノヤマノエノミササギ”   ・「ウガヤフキアエズ」>  吾平山上陵“アイラノヤマノエノミササギ”  『エ』(=「可愛」)は、場所(地名)を表しているのかどうか?  全国的に小学校の名前に旧地名が残っていることが多いのですが、  可愛山陵の近辺には可愛(エノ)小学校と亀山(カメヤマ)小学校があります。  しかし、この2つとも地名ではなく可愛山陵そのものに因んだ名前であり、  従って、可愛山陵の「可愛」は地名を採ったということにはなりません。  実際、古い字(あざ)名にも「エ」とか「エノ」とかは残っていないようです。  正しく「エノミササギ」には場所の名前が無いのです!!  ということであれば、「アイラノヤマノエノミササギ」を、  「アイラノヤマ」にある「エノミササギ」と読むことの妥当性は増してきます。  そして、このような意味合いを尊重するならば、  「アイラノヤマノエノミササギ」は「吾平山可愛陵」と書かれても良かった。  ところが、「吾平山上陵」と綴られることになった…。  つまり、『エ』に「上」という字を当て嵌めてしまったのです。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  以上の推論から更に推論すれば、  日向(ヒムカ)三代の神(正確には命[ミコト])というのは、  『エ』の系統であったか或いは『エ』と関わりがあった…と考えられます。  その『エ』は「可愛」と綴られ、わざわざ“「埃」とも言う”と注釈されている。  しかも、その「埃」という漢字は、普通は「アイ」と読むにも拘らず、  「埃及(エジプト)」という国名表記に使われることになった。  全くもって、謎だらけですね!  長くなってしまいましたので、関連事項は改めまして…。  今後も宜しくお願い申し上げます。                                  HVHY 654/654 GCC01413 HVHY 『エ』 (13) 93/01/21 19:59             〜 『エ』とは何か? 〜  回・江・依・重・柄・恵・絵・会・兄・(囘)・衣・画・廻・歪・彗・荏・(會) ・(惠)・淮・(畫)・(迴)・餌・(慧)・衛・壊・(衞)・穢・(壞)・(繪)  取り敢えず、私のワープロ(RUPO)では、以上の漢字が出て来る。  ここで気付くことは、「AI」という音韻を含む読み方もする漢字が多いこと。  更に、「*I」ということであれば、かなりの漢字がそうである。     ・「穢」               ・・・「AI」     ・「回」「絵」「会」「廻」「淮」「壊」・・・「KAI」     ・「歪」「淮」「穢」         ・・・「WAI」     ・「衛」「彗」            ・・・「EI」     ・「恵」「兄」            ・・・「KEI」     ・「彗」               ・・・「SUI」  さて、注目すべき点は、「ケガレ」を意味する「穢」という字を  「アイ」とも「エ」とも読むということであろう。  松川さんからご指摘があった通り、  「可愛山陵」の「可愛(エ)」は「埃(エ)」とも書かれる。  そして、「埃(エ)」は「アイ」とも読む。  「可愛(エ)」は普通なら「カアイ」「カワイ」と読まれる。  更に、「穢(エ)」は「ワイ」とも読まれる。  ところで、「埃(エ)」は訓読みでは「ほこり」である。  結局、「可愛山陵」の「可愛(エ)」とは、何なのか?  “『エ』の本質”とは、何なのか?  それは、「アイ」でもあり「カイ」でもあるもの…。???                                 HVHY - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/21 - 899/913 GGA02027 GREY 発言者削除 :誤解を招く表現があったので (14) 93/01/20 21:44 898へのコメント 900/913 GGA02027 GREY RE:題は特になし (14) 93/01/20 21:54 898へのコメント コメント数:1  始めに断っておくと,わたしゃ[死にたい]なんて思った事はない. 生き る事以外はゼロだと思っていたし,今でもそう思ってる. それでも,一時つ き合いのあった女の子に手首の傷を見せられた時,[死ななくて良かったね] としか言えなかったし,今でもそれ以上の事は言えないと思う.  ついでに断っておくと,わたしゃ日本におけるメジャーな[被差別者]だっ たりする訳で,それに関連する逸話は少ない方とはいえ,数え切れませんわ.  悲しんだりはしない. 恨んだ事もない. けど,明確に原因となった事実 を前にしちゃ,それを無視してはいられませんでしたね.  なにかしら思い通りにいかなかった時,そら原因なんてひとつじゃないさ. けど,どうにも変えようのない[原因]が横たわる現実を前にして,それをな きがごとく扱って通りすぎる事なんか出来はしないし,してもいけないと思っ ている. 変る事の出来ない属性が原因で全てが運命づけられてしまう事って のは,本来あっちゃならんとはいうものの,その辺にいくらでも転がってる.  それはさておき.  え〜,昔どっかの民放だったか,天気予報で[台風は北海道へ去りました] とやって,抗議の嵐に見舞われた局があったっけか. 現在でも[朝鮮半島へ 去りました]という表現は多くて,そら別になんとも言いはしませんけどね.  (誰が言い出したかはおいといて)死ぬのは,そら難しい事だわさ. けど 死にたいと思うようになる事は簡単だし,その思いを乗り越える事は本人であ ろうとも難しいもんだ.  他人の愚痴は聞きたくないってのはごもっとも. けどね,相手の悩みにま で耳を塞いでおきながら,意見を言おうなんざ,わたしゃ思わない. GGA02027/GREY 901/913 MHD02672 TAO うん? (14) 93/01/20 22:20 891へのコメント  #891には、思わず苦笑してしまった…。  だって、今シゲさんの味わっている苦しみや憤りといったものは、  シゲさんだけが味わっているのではなくて、今までに  シゲさんと同じような境遇の方々が散々味わって来たことじゃない?  もしかすると、シゲさんは、他の方々が己の境遇にどう対応し、  生き抜いて来たか、よく知らないままに愚痴っているのかな。  それと、「施設に入っても輝けない」ってところ、施設に入っている  方々を見下しているようにも読めるよ。  以上!  TAO 905/913 GBG02043 維/YUI シゲさんへ (14) 93/01/21 02:08 私が、あなたの立場にいたら、もうすでに生きるなんてこと諦めきってたと思う。 ぜんぜん、諦めもせず・・・ここで愚痴にしろ、なんにしろ書いてられるって ことに、すごいな・・・と思ってしまう。 自分の自由にならない体をもち、それには満足出来ずに飛びたい心をもって、 心の描く夢と、体のついていける範囲と・・・ギャップがありすぎるのも、 私なんかには、わかりはしない辛さなのだろうけど・・・。 それでも、ここに来たシゲさんは、私にとってはちゃんと大切な存在です。 お正月、ちょっとだけいっしょにいて、ちょっとだけシゲさんの生活をみて、 「あ・・・私って、役立たずなのねぇ・・・やっぱ。(^^;)」と思っちゃったけど、 それでも、シゲさんに会えてよかったって思ったのにうそはない。 なんにも役に立たない=存在価値がない・・んだったら、私だってそうかもよ。 でも、私は価値がないって言われても、たとえ「死んでしまえ」と言われても、 勝手にいってろ〜!!と、つぶやいたら、 自分の為にでもなんでも生きるもん。 親に迷惑かけようが・・・。 私にとっては(あくまで、わたしの意見でしかない)、シゲさんは存在価値が ある・・・。  ま〜、私にとって存在価値があっても、そんなもんなんのタシにも なりはしないでしょうけれどね。                     めげるなよぉ・・・。                               維/YUI。 908/913 GBA01276 しまうま RE:題は特になし (14) 93/01/21 08:06 898へのコメント コメント数:1 : シゲは,満足できないから,人は努力する.でも,自分はできない. : そう言いたいのかもしれないけど,努力したってダメなものはダメなんだから, :「努力する」ことにこだわっても,幸せになれないよ. : それでも,自分で努力した方がいいと言うんだろう. : でも,人間は自分のできる範囲でしか努力しかできないんだよ.今よりもっと努 :力したいと思ってる人間はたくさんいるだろうね.でも,さまざまな理由で自分の :思ったとおりにはできないんだ.見えない壁に阻まれてね.  きっとね、たまごさん。シゲさんに会ったら、そんな風には思わなくなるんじゃ ないかな。  「人間は自分のできる範囲でしか努力しかできない」。それはそうだと思う。  「さまざまな理由で自分の思ったとおりにはできない」。それもよくある話だよ ね。  でも、こんな諦観をどっかーんとひとっとびで越えて、もうどこまでいくんだか わかんないくらいかっとんじゃって、ワクワクさせてくれる、メキメキさせてくれ る(なんだそりゃ)、なんだか気のおけない、たとえ迷惑がられたって(正直に言 っていいよ(^^;)>シゲさんっ)一生の友達でいたいと思う、そんな人に会ったら、 こんなの、どうだっていいやって思っちゃう。            しまうま 909/913 GBD03557 シゲ まとめレス (14) 93/01/21 12:53 892へのコメント コメント数:2 −−−−>なえ さん :どーーしてそれを、自分から「障害者」「健常者」って線引きして、オレはダメダー :・・なんて言うのよーー。 ダメダーなんて言った記憶ないけどなぁ。 これは家庭の問題なんだけど、僕の家じゃ「障害者は障害者らしくしなさい」「家族の 指図に従っていなさい」っていううちなんだ。 だから、家族の中では、僕に生きる価値は与えられていない。僕自身は生きる価値とい うか、生きる楽しみを前向きに探してるつもりだ。「N」の家庭の中に、生きる価値を 見出せなくなったことを、愚痴っただけだ。 #898 −−−>たまご :  いいかげん,あきらめたらどうなの. :  生きたくないという願望をさ. 僕がいつ、死にたいといいましたか? :  そう言いたいのかもしれないけど,努力したってダメなものはダメなんだから, : 「努力する」ことにこだわっても,幸せになれないよ. :  それでも,自分で努力した方がいいと言うんだろう. :  でも,人間は自分のできる範囲でしか努力しかできないんだよ.今よりもっと努 僕は努力という言葉が嫌いだし、努力してもダメなもんはダメ論者なんだが、可能性が あるものに対しての行動は惜しまない。自分でできる範囲でしかぁ?ちゃんちゃらおか しい。能力の限界なんて、そう簡単に到達するもんじゃないだろう。 #901 −−−> TAO さん : もしかすると、シゲさんは、他の方々が己の境遇にどう対応し、 : 生き抜いて来たか、よく知らないままに愚痴っているのかな。 さて、どのような対応をしてきたというのでしょうか? : それと、「施設に入っても輝けない」ってところ、施設に入っている : 方々を見下しているようにも読めるよ。 見下してはいませんが、ありかたに関しては疑問符です。 一部の国では、施設も、職員も、入所している人も輝いていますよ。 それに比較して、日本の大半の施設はどうでしょうか。 #905 −−−> 維/YUI さん :それでも、ここに来たシゲさんは、私にとってはちゃんと大切な存在です。 ありがとう。僕にとって維/YUIさんも、大切な人です。 :お正月、ちょっとだけいっしょにいて、ちょっとだけシゲさんの生活をみて、 :「あ・・・私って、役立たずなのねぇ・・・やっぱ。(^^;)」と思っちゃったけど、 あはは、2馬鹿+@を見ればそう思うかな。奴等とは、もう長い付き合いだからねぇ。 一人は男だし、もう一人も男みたいなもんだから、力まかせに物事を進めましたしね。 まぁ、初めて一緒に過ごして、扱いかたを知らないで、何か出来たら逆に不思議だよ。 :私にとっては(あくまで、わたしの意見でしかない)、シゲさんは存在価値が :ある・・・。  ま〜、私にとって存在価値があっても、そんなもんなんのタシにも :なりはしないでしょうけれどね。 タシどころか、維/YUIちゃんの存在=僕の最大の喜びですから。オット、ハガ、ヌケソウダ 生きる上で生じるちょっとしたこと。そんな壁の落書きへのレスをありがとうござい ました。返事を返さなかったMINTさん、GREYさん、しまうまさん、そして、 メールを送ってくださった方。ありがとうございました。 913/913 HFD01514 なえ RE:まとめレス (14) 93/01/21 19:59 909へのコメント うぬぬ。ちょい誇大広告、もとい、拡大解釈だったのだらふか?? でもねー。なーーんかすっきりしないのだ。 あたしには貴方の家族の事なんて解んないけどさ、でも、一応身内でないかい、 心底で憎たらしいなんてば思わないでしょー。やっぱさ。どっか優しさあるって、 でなくば世話なんて出来ないっしょー??。したら、ぐたぐた言いながらでも けっこう光明が見えそうだぁね。・・ね。 そう思えば、楽になっかな?。 それにさ、しっかり発言してる元気があんだもん。だいじょーぶよねー。(^ー^) それでも、やな事や気にくわない事あれば、おもいっきしあたしと、罵倒合戦でも するかい??(^ー^)v - FARION MES(15):◆葉隠・どうなる日本精神?----------<01> 93/01/21 - 121/122 GFD00204 松川 貴     陵墓参考地一覧 その1 (15) 93/01/21 05:20  #113に表記ミスが見つかりましたので、一連の#113と#114を削除し、ここに再掲し 直します。  これから載せるのは『歴史読本 特集 天皇陵 未知なる遺産』に掲載されていた 「陵墓参考地一覧」です。この一覧には被葬者の名前が記載されていません。もしか したら、被葬者の名前まで載っている、簡単に手に入る一覧もどこかで出ているかも しれません。そのような資料をご存じの方は、ここで知らせていただくとありがたい です。  とはいえ、そのような可能性がないことを考慮して、ここに転載させていただきま す。被葬者の名前をご存じの方は、御一報ください。  「陵墓参考地」に行く前に、まず、「皇室陵墓一覧」の神代と神武天皇の陵墓に限 って載せておきます。(なおワープロの辞書の関係でウガヤフキアエズノミコトの漢 字表記のウガヤの部分を『古事記』の表記にしました。ご了承ください。)  皇室陵墓一覧   アマツ ヒダカヒコ ホノ ニニギノ エ ノ ミササギ  ・天津日高彦火瓊々杵尊/可愛山陵/鹿児島県川内市宮内町字脇園/方形   アマツ ヒダカヒコ ホ ホデミノ タカヤノヤマノエノミササギ  ・天津日高彦火火出見尊/高屋山上陵/同県姶良郡溝辺町麓菅ノ口/円墳   アマツ ヒダ カヒコ ナギサタケウガヤフキアエズノ アヒラノヤマノエノミササギ  ・天津日高彦波瀲武鵜葺草葺不合尊/吾平山上陵/同県肝属郡吾平町大字上名/洞   窟      ヒコイツセノ  ・御子 彦五瀬命/竈山墓/和歌山市和田/円墳        ウネビヤマノウシトラノスミノミササギ  ・神武天皇/畝傍山東北陵/奈良県橿原市大字洞/円墳/堀/ミサンザイ古墳  気がついた点。「山陵」と「上陵」の違いはどこにあるのでしょう。また、神武天 皇が「東北」、訓読みすれば「うしとらのすみ」に葬られているのは何かの暗示でし ょうか。  陵墓参考地一覧 【新潟県】  1 佐渡郡真野町大字西三川/西三川陵墓参考地 【三重県】  2 伊勢市倭町/宇治山田陵墓参考地 【滋賀県】  3 大津市下坂本比叡辻町/下坂本陵墓参考地  4 高島郡安曇川町大字田中/安曇陵墓参考地/田中神社裏山古墳 【京都府】  5 京都市左京区岡崎入江町/平安神宮内/天王塚陵墓参考地  6 京都市右京区御室大内/御室陵墓参考地  7 京都市右京区嵯峨大覚寺門前登リ町/円山陵墓参考地  8 京都市右京区嵯峨大沢柳井手町/入道塚陵墓参考地/嵯峨入道塚古墳  9 京都市東山区本町十六丁目/東山本町陵墓参考地  10 京都市伏見区深草田谷町/沓塚陵墓参考地  11 京都市伏見区竹田小屋ノ内町/浄菩薩院塚陵墓参考地  12 京都市伏見区竹田小屋ノ内町/後宮塚陵墓参考地  13 京都市伏見区竹田田中宮町/中宮塚陵墓参考地  14 京都市伏見区深草大亀谷古御香町/大亀谷陵墓参考地 【大阪府】  15 藤井寺市津堂/藤井寺陵墓参考地/津堂城山古墳  16 松原市西大塚一丁目(羽曳野市南恵我之荘七丁目)/大塚陵墓参考地/河内大    塚山古墳  17 堺市百舌鳥西之町/東百舌鳥陵墓参考地/土師ニサンザイ古墳  18 堺市百舌鳥町/百舌鳥陵墓参考地/百舌鳥御廟山古墳  19 河内長野市寺元 観心寺内/コウボ坂陵墓参考地  20 河内長野市寺元/檜尾塚陵墓参考地 122/122 GFD00204 松川 貴     陵墓参考地一覧 その2 (15) 93/01/21 05:22 【兵庫県】  21 神戸市垂水区玉津町吉田/玉津陵墓参考地/吉田王塚古墳  22 三原郡三原町市/市陵墓参考地  23 多紀郡城東町東本荘/雲部陵墓参考地/雲部車塚古墳 【奈良県】  24 奈良市田中町/黄金塚陵墓参考地/田中黄金塚古墳  25 奈良市法華寺町/宇和奈辺陵墓参考地/ウワナベ古墳  26 奈良市法華寺町/小奈辺陵墓参考地/コナベ古墳  27 大和郡山市新木町/郡山陵墓参考地/郡山新木山古墳  28 橿原市五条野町/畝傍陵墓参考地/見瀬丸山古墳  29 大和高田市大字築山/磐園陵墓参考地/城山築山古墳  30 大和高田市大字池田/陵西陵墓参考地/狐井城山古墳  31 生駒郡斑鳩町大字三井/富郷陵墓参考地  32 北葛城郡広陵町大字三吉/三吉陵墓参考地/三吉新木山古墳  33 北葛城郡広陵町大字大塚/大塚陵墓参考地/新山古墳  34 吉野郡川上村大字高原/川上陵墓参考地 【鳥取県】  35 岩美郡国府町大字岡益/宇倍野陵墓参考地/岡益古墳 【島根県】  36 八束郡八雲村大字日吉/岩坂陵墓参考地 【山口県】  37 豊浦郡豊田町大字地吉/西市陵墓参考地 【愛媛県】  38 川之江市妻鳥町/妻鳥陵墓参考地/東宮山古墳  39 越智郡大西町大字宮脇/大井陵墓参考地 【高知県】  40 高岡郡越知町大字越知/越知陵墓参考地 【福岡県】  41 田川郡香春町大字鏡山/勾金陵墓参考地/香春鏡山古墳 【長崎県】  42 下県郡厳原町大字久根田舎/佐須陵墓参考地 【熊本県】  43 宇土市立岡町/花園陵墓参考地 【宮崎県】  44 東臼杵郡北川町大字長井/北川陵墓参考地(ニニギノミコト )  45 西都市大字三宅/男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地/男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳   (ニニギノミコト /コノハナサクヤヒメ )  46 日南市大字浦宮 鵜戸神宮山内/鵜戸陵墓参考地(ウガヤフキアエズノミコト)  宮崎県については、上の通り、被葬者名が分かっているんですが、私は出無精です から、他の土地についてはまったく分かりません。皆さんで他県を補って頂けたら幸 いです。このほか、「陵墓参考地」にさえなっていない伝承地がありましたら、御一 報下さい。  なお、「皇室陵墓一覧」については膨大な記録となりますから、興味がおありの方 は『歴史読本 特集 天皇陵 未知なる遺産』を手に入れることをお勧めします。                                   松川 貴