- FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/23 - 613/618 HGB02154 SPOHE RE:一連のチャネルメッセージについて (11) 93/01/23 07:12 605へのコメント こんにちは、みれさん 僕も、審神は必要だと思うんですけど、専門家による審神は、MIZUHOさんのところ (KAZEさんの会議室でもなく、もちろん、世紀末フォーラムでもない所)で行う べきだと思います。ここのフォーラムでは、やるとしても、「素人の立場での審神」 に限るべきです。そして、「その程度のものだ」ということを、はっきりさせて おくべきだ、と思います。なぜならば、それが及ぼす影響の度合が、全然違う(ここ での審神結果(?)のほうが、大きい)からです。要は、「審神者」の力量の問題です。 (話が飛んでるように、思われるかも知れませんが)僕は、「出口王仁三朗」の 「二の舞」だけは、特に、この時点に於いては、絶対してはならないと、思ってます。 僕の想定は、「王仁さん」は、最初の内は、神様から、「出口なお」や「福島久子」の 審神者と期待されていたのに(そして、それだけの「資質」があった、にもかかわら ず)、途中からおかしくなり(「魔に取り付かれた」、「俺がルールだと思い込ん だ(?)」)ために、審神に失敗した、だから、せっかくの大本教での「気付け」が、 オシャカになった、だから、「王仁さん」は、死の間際にそれを後悔して、「自分は ニセモノだ」と言い残した...ということです(だから、あのとき、やり損なった ことを、今、もう一度ここで...、ということではないか、とも)。 みれさんの審神者だった人の中で、「この人は」という人がいるのだったら、ぜひ、 MIZUHOさん(または、KAZEさん)に紹介してあげて下さい。 (僕は、MIZUHOさん自身が、「史上最強の審神者」になることを、期待してるんです けど....ハズシタカナ(^_^;) それでは、よろしくお願いします。 SPOHE 614/618 NAG02033 EX 古い話題 (11) 93/01/23 12:09 チャネリングについての話題に花が咲いているようで・・・(^^;) アリオン部屋開設当初のVALIS.SYSの言葉に拠れば、みれさんは子供を産んでるし、 ふつうのおばさんっぽい安定感があるという推薦の言葉があったが、MIZUHOさんは、 どうなんでしょうか? っかし先輩の言う事はみなさん一応聞くことになってます。 自動書記タイプなのでしょうか、あるいは自動解読みれさん?タイプですか? 食事とかの配慮はしておられるのでしょうか?>MIZUHOさん 日月神示の場合神示を書かす役の条件はどうであったろうか? あいにく思い出せません。 何れにしても仕事はおろそかには出来ないなあ、と今思いつきました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自我的なものを脱落させることは神を呼び込む前提であることに異論はないのだが、 それが、お告げをしたりと言う段階では既に厳密に言えば「魔」であるのです。 つつがなく「魔」を呼び込むための実習、訓練、教訓等がぜひ必要です。 最近に限った事ではないが、(本質に)動きがあるということは無く実に平穏である。 神は何するということもなく、実にしっかりとあらせられるではないの(^^;) 無理に引っ張ると、その人なりの破片がこぼれ落ちるかもしれないが、断じてその ものではない。言葉の作用の本質に魔はある。これである、と指し示すこと自体およ び我々ことごとくの構造そのものがどっぷり魔であることの認識を持つことが何かの 足しになりましょうか?したがって??チャネラーの資質については、他人の問題は 自分の問題として捉える姿勢を持つ事、そして外部として否定しないことが、より広 いこの場の運営上からも求められる。ということはないでしょうか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【神】はしゃべらない。【全体】を伝える術はない。 【言葉】とは【部分】であり【歪み】である。 しかしかみからうまれたものでないことばとはいかなるものか? 618/618 HGB02122 天祈 RE:一連のチャネルメッセージについて (11) 93/01/23 21:31 601へのコメント  #601 へのコメント  私の場合、「信じてかかる」というよりは、「受けてかかる」ようにしています。  そうして、信じるものをふるいます。  今の世の中が、全て信じられるものではないと思うからです。  >全ての事は、愛の力にさらされ続けて、時間が解決して行くのだ  >と思っています。  おっしゃる通りです。  ただ、我々は時間の流れがどういうことかも分ってないはずです。                               天祈 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/23 - 671/679 GCC03437 星也 ふと、思った事。 (13) 93/01/23 03:01 コメント数:2 これが、ここの部屋にそぐう話かどうかも定かではないけれども。 今日、運転しながらある交差点で、 信号が、一瞬両方とも「赤」になる時はある。 もしもこれが、両方とも「青」になったならば、 必ず事故が起こるものなのだろうか? 「全赤」ではなく、「全青」で折り合っていく方法はないのだろうか・・・? つまらない話かも知れない。 672/679 GCC01413 HVHY チャネリング一般論 (13) 93/01/23 04:09 コメント数:1              〜 預言の解読に先立ち 〜  “MIZUHOのメッセージ”に関して、問題提起をしたままになっていた。  たまごさんは、本論へ本論へ迫ろうとしているが、  意識的に周囲をグルグル回っているようにも見受けられる。  そのようなアプローチは、私もしばしば使うものであり、  「ある種の慎重さの表れである」と考えられる。  天祈さんのようなスタイルも個性的だし、たまごさんのスタイルも個性的だ。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  本論へ入ろう…。まず、私は、 >>> “「異界からの語り掛け」という現象は存在する”  という前提に立つ。  この場合、異界とは何を指すのか?…という点が曖昧である。  しかし、差し当たりこの点は曖昧にして、話を先に進めることにする。  問題の要点は2つある。  一つ目は、「チャネル自体が旨く出来ているのか」という点。  二つ目は、「どこの何者とチャネルしているのか」という点。  この2項目を基準として、チャネリングの象限分類をすると、次の通り。                [受信の階層]         (B)       ↑       (A)            高次存在から | 高次存在との            不正確に受信 | 正確な交信                   |            −−−−−−−+−−−−−−→[受信の精度]                   |            低次存在から | 低次存在との            不正確に受信 | 正確な交信         (D)       |       (C)  全くの“でっちあげ”はともかくとして、  チャネリングと言ったところで、  少なくとも、上記(A)〜(D)の4パターンは存在するのである。  但し、(A)パターンであるケースは極めて希である…。  (※この(A)パターンのみをチャネリングと呼ぶという立場もあろう…)  (※(C)パターンの具体的な例をいろいろ考えてみるのは有益だ!>たまご)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  今までにも既に述べたことであるが、  現状というのは、チャネリングは起こりやすくなっている。  妙な言い方だが、誰かがチャネリングしたからと言って、何の驚きもない。  (※例えば、8番会議室に、香貫花mam のチャネリング例がありましたね…)  問題にすべきは、偏に「判別」と「対処」なのである。  ここで付け加えておくならば、「判別」と「対処」は次元が違う。  「判別」出来なければ「対処」の仕様はないが、  「判別」出来たからと言って「対処」出来るとは限らない。  自分の扱える範囲というものを見極めることが肝要であろう…。  即ち、KAZEさんの部屋の“今回の件”の場合、端的に言って、  “「判別者」と「対処者」は誰なのか?”ということが問題となってくる。  これは軽い問題ではない。むしろ、場合によっては、深刻な問題である。  仕事には練習も本番もないように、「判別」と「対処」にも練習と本番はない。  だからこそ、昔からこの世界では“適切な指導者”の必要性が説かれてきた。  このことは、偏狭な秘密主義や階層主義とは全く別の問題なのである。  人間を“使い捨て”にする存在も実際に居る。  チャネルする存在が途中で“入れ替わってしまう”(?)こともある。  例えば、シュタイナーの神秘学は、  これらの事柄についてどのように教えているのか?  私は不勉強であるが故、それを知らない・・・。                                 HVHY 675/679 HFD01514 なえ RE:ふと、思った事。 (13) 93/01/23 09:35 671へのコメント それは本当に面白い発想ですね。 7番会議室の#736に書き込みがあった「一二三神示」にも関わっていると思い ます。 :吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂 :は吾の苦労で人助けねばならんのざ。 様は、自分が先か、他人が先かという「要点を何処に置くか」という個人のあり方 に関わる事なのでは?(幾ら全青の信号作っても順守する側のモラルだよね・・そら 時間無いとか、先で待つ仕事が優先とか急ぐ理由はいくらもあるだろけど) あ、でも、その方が事故が減ったりして・・。だって危険だもんね。交差点で早々と止 まって待ってるのも良いなーー(^ー^)。しかし事故があった時に、双方が「青」だから 渡りました。では責任追求が曖昧になってしまうなー。うーーにゅ・・ m(_ _;)m ちょっとオーバーな展開かな?? (今の世に一番忘れられた事の様な気がするだども・・でも、やっぱ自分もそんな傾向 あったりして・・偉そうには言えないなーー(^ー^;)・・・) 676/679 GCC01413 HVHY 預言論(1) (13) 93/01/23 19:03  −−−−−−−−−−− 預言論。そして、預言解読論。 −−−−−−−−−−  [預言論]    ッ.『預言』の意義             (1)『預言』の存在性               〜  省 略  〜 677/679 GCC01413 HVHY 預言論(2) (13) 93/01/23 19:06             (2)『預言』の有用性  さて、『預言』の有用性という観点は、  『預言』の存在性という観点とは全く別次元の問題である。  例えば、学校の先生の言うことが全て正しいとは誰も思っていない。  しかしながら、学校の先生の言うことが役に立つことはある。  そして、その“役に立ち方”は、十人十色であろう。  また、偉大な芸術作品というものは、  その作者が飲んだくれであろうが女狂いであろうが、人々に感動を与える。  そして、その“感動の仕方”は、十人十色であろう。  『預言』についても、これと似たことが言える。  つまり、『預言』という事柄が誰によってどのように為されたのであれ、  公に提示された『預言』は、それを受け取る全ての人々に何らかの影響を及ぼす。  そして、その“影響の在り方”は正に十人十色であって一律ではない。  また、そのこと(一律ではないこと)自体に意味がある、と言えるのではないか。  私にとって、『預言』は、  “私と『預言』との関係性”の中においてのみ、  意味を持って存在しているのであって、  『預言』そのものが私と無関係に何らかの意味を持っていたとしても、  その意味は、私に対して顕在化しない限り、私にとっては意味を成さない。  同様に、あなたにとって、『預言』は、  “あなたと『預言』との関係性”の中においてのみ、  意味を持って存在しているのであって、  『預言』そのものがあなたと無関係に何らかの意味を持っていたとしても、  その意味は、あなたと無関係である間は、意味を持ちようがないのである。  即ち、『預言』が有用であるか有用でないかを一般論的に語ることは不毛なのだ。  あなたが目の前にある『預言』に対してどのように関わるのか?  その関わり方だけが“あなたにとっての”『預言』の有用性を決める。  このような意味合いにおいて、  『預言』は、有用かも知れないし、有用でないかも知れない…。 678/679 GCC01413 HVHY 預言論(3) (13) 93/01/23 19:10    ー.『預言』の便宜的分類  では、『預言』は、どのような内容のメッセージから成り立っているのだろうか。  一口に『預言』と言っても、その中には様々なメッセージが含まれている。  そこで、まず、『預言』の内容を(便宜的に)分類してみた。     +−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+     | [第1グループ]   A.宣言文         |     |            B.依頼文         |     | [第2グループ]   C.歴史展望(過去〜現在) |     |            D.未来予知と警告     |     | [第3グループ]   E.真理(法則)の提示   |     |            F.秘儀の提示       |     +−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+  A.宣言文  −−−−−−  これには更に2つの型式がある。  「私は 〜 である」という型式(主体宣言文)と  「私は 〜 する(した)」という型式(実行宣言文)である。  前者はARIONという存在が“どのような存在であるのか”を示す。  例を挙げてみよう。     > 私は私であり それ以外の何者でも有り得ない     > 初めであり 終わりである  このメッセージによって、少なくとも、  ARIONと聖書に登場する『神(=天の父)』との類縁性が理解される。  従って、同様な宣言文(主体宣言文)を収集して突き合わせてみれば、  ARIONという存在が一体何者であるかを特定していくことが出来るのである。  後者はARIONという存在が“何をしようとしているのか”を示す。  やはり、例を挙げてみよう。     > 我は イシスの神の再臨を斎う為に     > 此処に参れり  このメッセージによって、少なくとも、  ARIONはイシスとは別の神霊であるということだけでなく、  ARIONはイシスと協力関係を保ちながら何かをしようとしている  ということも理解される。  従って、同様な宣言文(実行宣言文)を収集して突き合わせてみれば、  ARIONが他の神霊族と伴に地球において何を計画しているのかが推定される。  B.依頼文  −−−−−−  この依頼文とは、文字通り、ARIONが私たちに対して望んでいることを  “様々な形”で表現したメッセージである。  この場合も、実は、2つの型式がある。  一つ目は、読めば誰でも解るように表現されているメッセージ(具体的依頼文)。  例を挙げてみよう。     > 命の水を請うな     > 金 銀 水晶を請うな     > 絹衣を請うな     > その様なものに何の力も無い  このメッセージについては、多少解りにくい箇所があるとは言え、  ARIONが何を望んでいるのか誰でも凡そ解るであろう。  この具体依頼文には一見して道徳律のような内容も多いと言える。  二つ目は、依頼の内容が象徴的に表現されているメッセージ(象徴的依頼文)。  これも、例を挙げてみよう。     > 東の風が吹く時に 三番目の鐘が鳴る     > 朝告鳥の声を聞け     > その時までに 濡れた衣(ひすい)を     > 脱ぎ捨てよ  こちらのメッセージについては、何かを依頼されてはいることは解るが、  何を依頼されているのかは皆目解らない、という人が多いだろう。  例えば、このメッセージでは、  「東の風」「三番目の鐘」「朝告鳥」「濡れた衣」といった語句が解らないため、  全体としての文意も全く解らなくなってしまうのである。  逆に言えば、上記の4つの“象徴語句”が解ければ、文意を掴むことが出来る。  ある意味で、象徴語句が“封印”の役割を果たしている、と言うことも出来よう。  このような型式のメッセージを、私は象徴的依頼文と呼ぶのである。 679/679 GCC01413 HVHY 預言論(4) (13) 93/01/23 19:12  C.歴史展望(過去〜現在)  −−−−−−−−−−−−−  次に、過去から現在に渡る地球と人類の壮大な歴史を、  ARIONの立場から述べたメッセージがある。  これについては、過去の展望と現在の展望に別けて考えることが出来る。  まず、過去を展望したメッセージの例を挙げよう。     > あなたがたは自分を苦しめるのに忙しく、花を愛でることを忘れた。     > あなたがたは自分を堕としめるのに忙しく、暗闇と死を埋葬した。  このメッセージの正確な意味合いを理解することは必ずしも簡単ではない。  しかしながら、このメッセージが、  人間の辿った経験とその遺伝子に対する蓄積の一端を示している  ということは解るであろう。  また、次のようなメッセージもある。     > いにしえの昔から 我らの敵として     > この宇宙(そら)を牛耳ってきた者共     > その名を デ・ゼビアス・ゼニアス・アイという  これは、いつの時代からかは解らないが、  ARIONと敵対する関係にある宇宙勢力が存在したことを示している。  ところが、ARIONの預言においては、  このように過去を展望したメッセージは圧倒的に少ない。  それは、「必要以上の過去に関する情報は人間にとって無益である」  という判断に因るのではないかと私は考えているのだが…。  一方、現在の世界(或いは宇宙)が置かれた状況を展望したメッセージはどうか。     > 其方達の汚れは、其方達の星の持てる     > 限界点を越えようとしている。  このような例もあるにはある。  しかし、このように現在を展望するメッセージも、  『預言』という型式のメッセージの中にはほとんどない。  と言うよりも、現在の状況把握という事柄に関しては、ARIONは、  日常語を使った具体的な表現(『預言』という型式以外の表現型式)  をどちらかと言えば採っているのである。  私たちは、今正に世界の中に立っている以上、  少なくとも現在の世界の事柄については、自ら直接的に認識するべきだ。  にも拘らず、ARIONが何かを語るとすれば、  比喩表現や象徴表現ではなく、心に突き刺さる直栽な表現を採る。  そのメッセージは、むしろ、確認的意味合いを帯びてくる。  (※I LOVE YOU 1・2 を参照されたし)  一方、『預言』は、そもそも直栽ではない。  直栽な表現を採れない(或いは採らない)がために、  『預言』という型式のメッセージが存在すると言うことも出来るのだ。  『預言』というものは、現在の状況把握すら出来ていない人にとっては、  “無用の長物”ですらあるかも知れないと言えよう…。 - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/23 - 936/938 GCC03437 星也 人が触れてはいけない夢 (14) 93/01/23 03:33 あなたに、この想いを打ち明けるのはやめよう。 我が手は血にまみれ、我が心根は闇に染まっている。 あるいはあなたは我の事など歯牙にかけぬかも知れず、 あるいは我が帯びしこの血と闇を厭わぬものかも知れないが。 そなたともこなたとも呼び得るほど近しく寄りつく事も、やめておこう。