- FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/01/24 - 110/112 PEH01157 酷使夢想 深層心理のかかわり (10) 93/01/23 22:29 108へのコメント    76年、大学の入学式で牧師が学内のカウンセリングセンターで片づかない   時は教会にくるようにと言った。我々新入生は、この話を聞いて、爆笑した。   80年春、卒業をまぎわにして、カウンセリングセンターの人と交流する機会   があった。その時、あの牧師の言葉の意味(多分牧師も気がついていない)を   悟った。こうして、心理学(特に、深層心理)に関心を持つようになった。ユ   ングを経てレインに傾倒した。       80年暮れのことだった。企業内の英語の研修でフロイトが話題になった。   その時、私は、「フロイトは患者にじぶんの心のうちを語らせるが、これはカ   ソリックの懺悔に似ている」という趣旨の発言をした。この時、同僚のひとり   が、「その通りだ」といったような趣旨の発言をした。この時から、心理学は   宗教から技法を盗用しているのではないかと意識するようになった。       87年前後になって、原始仏教の教典に直接触れる機会があり、仏教が優れ   た心理学のテキストであると確信した。自分なりに小乗的な仏法の心理学的解   釈を試み、心の構造を釈迦が直接説いた説法から把握しようとした。私は仏教   の専門家でも心理学の専門家でもなく、ただの会社員であったので、ひとりで   原典の邦訳を読み、解釈するという試みを続けていた。並行して、初期のトラ   ンスパーソナル心理学の著作を読むようになったが、そこに述べられているセ   ラピーの技法がヨーガのものであると直観した。そして、このことが事実であ   ることを知った。まもなく、「心理学は宗教の模倣」と示唆する教祖の著作に   触れ、心理学(中でも深層心理学)とは宗教の模倣にすぎないと確信するに到   ったのである。       88年には唯識論と人間の心理の関係に触れた話に触れる機会もあった。し   かし、大乗的な唯識論は難解であった。その後、仏教の研究から離れてしまっ   た。       ここの議長の4諦の書き込みを読み、「ん〜〜〜、ちとイメージが違うな」   と思いつつも、唯識論の話やスカンダ(五蘊)の話を思い出したわけである。   で、偶然、今日、さとりに関する大衆的な書籍を読む機会があったのだが、あ   れま〜と思ったので、今日、この会議室に書き込みするつもりになったわけで   ある。       まず、かって、私が試みていた釈迦の言葉の解釈は、上座部の流れである説   一切有部の色法に似ていした。上座部というのは、小乗仏教の流れである。そ   して、この説一切有部の解釈というものは、とてもわかりやすい。こうした解   釈集をアビダルマという。    これに対して、どうも、トランスパーソナル心理学者やユング研究者は、ど   うも唯識論に関心があるようである。そして、このテーマは、難解である。   なお、説一切有部の論者のひとりであったバスバンドゥーは、その後、大乗に   転向して、唯識論の著作を表したという。    しかし、仏典は人の心を正確の描写しており、臨床的な蓄積も膨大であった   と考えて間違いないだろう。       さて、ARIONは釈迦とは関係していないと言っていた。また、解脱希求   病を批判するメッセージもだしている。しかし、ARIONは、大乗仏教の成   立には関係していたのではないだろうか。というのは、大乗仏教の成立の背景   には、ゾロアスター教のアフラマスダ信仰が関係しているという学説があるか   らである。大乗仏教は、悟りや解脱を激しく攻撃している品(文章)もあり、   私にとって馴染みがでてきたARIONのメッセージと重複してみえる部分も   多い。まあ。これは、ひとつの仮説だし、学術的な検証のしようもないのだが   ・・・。 ただし、お話としては、大乗は、とてもおもしろいものが多い。       多分、唯識論の深層心理との関わりの研究はさかんにおこなわれていると思   うので、私はアビダルマにこだわってみようと思う。(このへんの学会の動向   はいかがでしょうか? BUBU博士) 。時々しか書き込みはできないが(文献に   たよらず、独力で考えるため、時間がかかる)、宜しくお願いします。    話はガラと変わる。皇太子は、雅子さんに「一生、全力でお守りします」と   言ったという。結婚してまもなく、私も妻に「守ってくれる?」と聞かれて、   「うん」と答えた記憶がある。ところが、結婚してからは、妻に、「私があな   たがどうなるか見届けてあげる」とか、「私が守ってあげるから」などと言わ   れるようになった。そして、彼女は、これを実際に実践している。情け無い夫   である。   もひとつ。あまり、縁起のよくない夢をみた。   大地震の夢である。横揺れがひどく、眼前で、棚などが横に激しく揺れる。   どうも地震が近いようだ。 111/112 GGD02212 *ねぎひさお* イマジネーション (10) 93/01/24 13:06 昨夜布団の中で眠る前に浮かんできたイメージ。(夢とは違う) 黒い太陽(のようなもの)の回りを厚みのある帯状の雲が波うち ながら回っている。そのうねり(イノチの流れ?)は、たとえば 歓喜に溢れ飛び跳ねる獣(金色の狐?)あるいは力強く羽ばたく 野鳥(銀色の鶴?)が群をなしウェーブを描き出しているよう。 何だこりゃ?…瞑想なんかじゃなくてパソコンゲームの残像から 来てるかもしれなかったりする。(^^;) 失礼しました *ねぎ* 112/112 HCA01717 オ〜ロラ 仏教史(200行注意!!) (10) 93/01/24 15:11   唯識とかアビダルマとか聞き馴れない人には、ピンと来ないでしょうから  お釈迦さまから、中期密教成立までの仏教を中心としたインドの歴史を簡単  に?(全く知らない人と異様に詳しい人がいるので、まとめが難しかった(^^;))  200行からの表になってますので注意してください。  インド仏教史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前3000: インダス文明興る : 前1500: アリアン人、インド侵入 : 前1200: 『リグ・ヴェーダ』成立    :   カースト制度生ずる : 前700 : 初期の『古ウパニシャッド』 : 前463 :★<<ガウタマ・シッダールタ>>(ゴータマ・シッダッタ)(463-383 別説566〜486,623〜543)★ : 前383 :ゴータマ入滅直後・・・     : 第一結集(ラージャグリハ[王舎城]にて) : 教えと戒めの確認し合う会議・・・・経蔵・律蔵に分かれる :   聖典はやがて九分教、のち十二分教に整理される。    :  九分経(教)とは仏陀の教説を形式に基づき九つに編集したもの。    :    (1)契経(2)応頌(3)諷頌(4)本事(5)本生(6)未曾有(7)自説(8)方広 : (9)授記    :    *********以下、十二分経の付け足し(後に追加された)    :    (10)因縁(11)譬喩(12)論議 : 前280 : 第二結集(ヴァイシャリーにて)(仏滅後100年余)    :   七百人の長老比丘が集り、律の解釈をめぐって、新旧の対立    :   保守派の前に進歩派は敗退。    :   進歩派は改めて集会を開催し、独立宣言し大衆部(マハーサンギカ)を結成。 :  上座部(スタヴィラ・ヴァーダ)と大衆部とに根本分裂 : : 前268 : <アショーカ王>(前268-232)(阿育王)即位[仏教に帰依] : インド最初の統一国家樹立。部派の分裂を嘆く碑が現在も残っている。 : : 古典サーンキャ学派成立 : ソノ頃 : 仏教がインド全土に普及 : : 現在型の原始仏教聖典の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ :    :   北伝系の『阿含経典』 長・中・雑・増壱の四阿含経と律蔵    :   南伝系の『パーリ五部』長・中・相応・増支・小の五部と律蔵    :    小部は「スッタニパータ」「法句経」「長老偈」「長老尼偈」    :    「ジャータカ(輪廻転生談)」など十五経 : : マヒンダ(アショーカ王の子)が上座部(テーラヴァーダ)仏教をスリランカ(セイロン)に伝える :    : 部派仏教の枝末分裂が20に及ぶ :  進歩派の比丘、マハーデーヴァが新教義十カ条を唱え、反対する上座部 :  と賛成する人達(大衆部)に分裂したが、更にそれぞれで意見対立での :  分裂をくり返していった。 : ◎大衆部の分裂・・・ : 大衆部・一説部・説出世部・ケイイン部・多聞部・説仮部・制多山部 : 西山住部・北山住部 : ◎上座部の分裂・・・ : 本上座部(雪山部)・説一切有部・経量部・正量部・犢子部・ : 化多部・飲光部・法上部・ケンチュウ部・密林山住部・法蔵部 : : 上記の上座部の中で、本上座部(雪山部)を追いやりその主流となった :  のは説一切有部。 : : 前160 : この頃ヒンドゥ教興る : <メナンドロス(ミリンダ)王>がアフガニスタンから中インドを支配する。 :  ナーガセーナとの対論集『ミリンダパンハ(ミリンダ王の問い)』がある ソノ頃 : 諸部派の論争(アビダルマ仏教の発展) : : 論蔵の成立 : <カーティヤーヤニープトラ>(-160-)[インド] : 『発智論(阿毘達磨発智論)』 : 前100 : ストゥーパ(搭)崇拝はじまる : 『バガヴァット・ギーター』原型ができる。 :    : 部派分裂ほぼ終る。 : 前 20 : スリランカ(セイロン)で原始仏典の書写がおこなわれる    : 前 2 : 中国に仏教が伝わりだす。 : ・・・・・・・・・・・・紀元後・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    :   0 : 大乗仏教運動が現れる : : 『マヌ法典』原型ができる。 :  100 : 『小品般若(八千頌般若)経』成立(100-125頃)  129 : カシニカ王即位 : ソノ頃 : 説一切有部栄える『大毘婆沙論』 : 『異部宗輪論』『マハーヴァストゥ』(『佛本行集経』)『ラリタヴィスタラ』 : (『普曜経』『方広大荘厳経』) : : 初期大乗仏教 経典成立(一世紀〜三世紀) :  『般若経』*************************** :   『維摩経』***************************  :  『法華経』***************************  :  『華厳経』***************************  :  『浄土三部経』*********************** :  『三昧経』***************************  :  『大宝積経』 『密迹経』 『大集経』の成立 :  (注)最初の教典名が違かったり、アジアで完成した教典も含む。 :    : <アシュヴァゴーシャ>(馬鳴)()  : 『仏所行賛(ブッダ・チャリタ)』『端正なるナンダ』『金剛針論』 : 150 : <ナーガールジュナ>(龍樹)(150-250 別説240-300)[インド]   中観派    :  外道や実在に固執した上座部を論破し、大乗思想の基盤をなす。 : 『中論頌』『廻諍論』『広破論』『大乗二十頌論』『ラトナヴァリー』 : 『十二門論』『十住毘婆沙論』ァ『大智度論』    :     五如理論聚と注釈、『経集』 : : <アーリヤデーヴァ>(聖堤婆)(170-270)[インド]        中観派    :     『四百論頌』『百論』『智心髄集(堤婆の作とは見難い)』    : :    : <ラーフラバドラ>(200-300)[インド]              中観派    :     聖堤婆の弟子(龍樹の師匠と言う説もある)    : :   : <ナーガボーディ>(竜智)()[インド]             中観派 : 聖堤婆の弟子    : ソノ後 : 中期大乗仏教 経典成立(200-400の間) :  『勝鬘経』 : 『不増不減経』 : 『如来蔵経』 : 『大般涅槃経』 :  『無上依経』 : 『解深密経』 : 『大乗阿毘達磨経』 : 『弥勒三部経』    : 『グゥヤサマジャ・タントラ(秘密集会)』 : 350 : <マイトレーヤ>(弥勒)(270-350 別説350-430)[インド]  唯識瑜伽行派    : 実在の人物か否かは不明。アサンガの師でツゥシタ天(第四天)    :     の弥勒(マイトレーヤ)とも言われている。 :     『瑜伽師地論』『大乗荘厳経論』『中辺分別論』    : 390 : <アサンガ>(無著)(310-390 別説あり)[インド]    唯識瑜伽行派   : 『摂大乗論』『順中論』『顕揚聖教論』等    : : <ヴァスバンドゥ>(世親)(400-480 別説あり)[インド]  唯識瑜伽行派 : アサンガの弟 :     『倶舎論』『唯識二十論』『唯識三十頌』『仏性論』 : 『摂大乗論釈』等々    : 400 : 『マハーバーラタ』最終的成立(400頃)    : 『ヨーガ・スートラ』成立(400-450) : : 『ブラフマ・スートラ』成立(400-450)    :   ヴィシュヌ信仰広がる(400以降)    : ソノ後 : 中期(第二期)大乗仏教 経典成立 :  『金光明経』 : 『薬師如来本願経』 : 『地蔵菩薩本願経』 : 『楞伽経』 :  『密厳経』 : 『金光明最勝王呪経』 : 『孔雀王呪経』が成立    : 401 : <クマーラジーヴァ>(鳩摩羅什)が長安にて訳出    :    : <ブッダ・ゴーサ>()(415-450)[インド]    : セイロン(スリランカ)上座部の三蔵に注釈 :  450 : 『大乗起信論』成立 :    : カンボジアで大乗仏教とヒンドゥー教がおこなわれる :    : <サンガバドラ>(衆賢)(5C後半)[インド]    :   : <ブッダパーリタ>(仏護)(470-540)[インド] プラーサンギカ派    : 後の月称と共にプラーサンギカ派の代表的存在。    :   『中論注』   :    : <ディクナーガ>(陳那)(480-540)[インド] :   無着に始まる無相唯識と、この陳那にはじまる有相唯識があると、 : 後の覚賢によって示されている。 :   『観所縁論』『集量論』『因明正理門論』 :   : <バーヴァヴィヴェーカ>(バヴィヤ)(清弁)(490-570)[インド]    :    中観経量派orスヴァータントリカ派 : 月称(プラーサンギカ派)と見解の対立。 : それがスワータントリカとプラーサンギカに分かれ、その後唯識思想の影響で、 : 瑜伽行派と合体し、複雑に展開した    :   『中観心論頌』『般若灯論釈』『中観心論註思択焔』『大乗掌珍論』    : 500 : ビルマに上座部系、密教が入る : : <ナンダ>(難陀)(500-550)[インド]    : : <スティラマティ>(安慧)(500-550)[インド]    :   『唯識三十頌注』『中辺分別論注』   :    : <シーラバドラ>(戒賢)(529-645)[インド] : : <アスヴァバーヴァ>(無性)(530頃)[インド] : : <ダルマパーラ>(護法)(530-561)[インド] 538 : 中国天台大師・ちぎ(漢字が出ない(;_;))生れる    : 全ての経典が仏陀の言葉だと間違え   :  仏陀の教えを時期別に判別する(五時教判) : これが後の中国・日本仏教に大きな影響を及ぼす    : 607 : 聖徳太子が小野妹子を隋に派遣(遣隋使)法華経等を持ち帰る。 : 629 : 玄奘のインド旅行    : ソノ頃 : 金剛乗仏教栄える(密教) 『大日経』『金剛頂経』    :  日本の密教はこの中期密教教典の二経を(特に金剛頂経)を頂点に置き    :  完成期のインド密教は中国の儒教文化には合わず、中国を中継して伝承    :  を受けている日本には伝わらなかった。    :  完成期のインド密教はそのまんまチベットへの文化輸出と共に、その舞    :  台をチベットに移す事となる。   誤字、脱字、間違え等の不手際がありましたら、教えてください                          HCA01717 オ〜ロラ - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/24 - 619/635 MHD02672 TAO 一番心配しなければならないのは誰か (11) 93/01/23 22:42 コメント数:2  “MIZUHO”さんのメッセージに対して、団長が望んでいた通りに(?)  様々な意見の表明がなされ始めたようですね。  私も、実は最近、“MIZUHO”メッセージを中心とした「神秘学遊戯団」の  展開に何やら危ういものを感じていまして、その件でKAZEさんと少しメールの  やりとりもしました。その上で、現時点での私の意見を述べたいと思います。    “MIZUHO”メッセージが本当であろうと嘘であろうと、内容をどう受け取るかは  本人の問題であり、メッセージをいかに受け取って、その結果がどうであれ  その責任も本人に帰する…という考え方は、いかにも妥当性があるように  見えますが、危害を被る恐れがあるのは自分だけでなく、他の方々にも悪影響が  及ぶ恐れがあるとしたら、自分だけの問題では済まなくなります。  で、他の方々の意見を伺っていますと、このチャネリング現象によって  “MIZUHO”さん本人に危害が及ばないだろうか、と危惧する声が多いようです。  まず、#605のみれさんの発言から…。  : その言葉を降ろしている本人にとっても、自我詐称とでも言うべき状態が  : 起きてしまいます。終いには自分が何をしたかったのか?ということまで  : 分からなくなることすら、あるのですよ。これを一般に霊障とか言って  : いますけど、とても深く傷つくこともありますので、気を付けて欲しいの  : です。       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  : 【神】と名乗ることで多くの人々にメッセージを受け取らせる可能性が高く  : なるとしても、その反対側に自我の危機というリスクがあることを知って  : いる人は少ないのです。自我が崩壊してしまっても、その【神】と名乗る  : 存在は助けてくれません。       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  : ただ、KAZEさんが審神をしている訳でもなく、彼女の人格的な部分を信頼  : するあまり、霊的な傾向を見落とされている状態が果たしてMIZUHOさんの  : 為になるのか?という心配もあって、老婆心ながら書いてしまったのです。  #607 天祈さんの発言より  : 同時に、単に受け側の利益損失などというような次元ではないと思います。  : 傷けられた者があって初めて、成立せねばばらない利害...  : こと精神に関する限り、傷ついてからでは遅いといった局面もあり、  : 物理的な利害をあてはめるのはおかしいと思います。       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  : 「対処の術」とは、疑うことです。(すなわち「審神」ですか?)  : 「危険」とは、人が人として生きなくなることですか。  : すなわち、チャネルをすることで生じる、代償の重い危険性だと、この場では  : 考えてください。  #616 隆ちゃんの発言より  : 結論から言うと私は「審神」は必要だと思っています。ただし、真偽・善悪を  : 判定するためにではなく、チャネラまたは神憑りにあっている本人の危険回避  : のために必要なのではなかろうかという事です。 また、他の会議室からの引用になってしまいますが、13番会議室におけるHVHY さんの発言(#602)より。  : さて、私の周囲にも、一人ならずチャネルする人が居る。  : しかし、私は、どちらかと言えば、封印する方向で動いてきた。  : (※ここで言う「封印」とは、何か儀式めいたことをすることではない!)  : 方向付けとしては、チャネル能力を開発するという方向もある。  : しかし、私は敢えてそれをしない。 その理由は2つある。  : 一つには、有力なチャネラーは何人も必要としないから…。  : 一つには、一般的社会生活を半ば放棄させることを躊躇するから…。 (蛇足ですが、最後の『神秘学研究者は、紙の上の神秘ではなく、神秘そのものを  扱った時にこそ、その真価を問われる。』という言葉はHVHYさんからの  KAZEさんへのメッセージのように思えました)  だらだらと引用してしまって申し訳ありませんでした。  ただ、こうして見てみると、人によって“MIZUHO”メッセージの評価がどう  分かれようとも、一番大切に思うべきなのは、チャネラー本人の人生だという  ことは、皆さんが同意出来ることではないでしょうか。  KAZEさんとのメールの内容は、自分の判断だけでは公表出来ませんが、  差し障りのない範囲で言わせて貰えば、現時点では、KAZEさん自身は  “MIZUHO”メッセージを危険なものとも、内容がないものとも考えていないし、  もしそういうものならば、UPしない…ということでした。実際、KAZEさんと  “MIZUHO”さんの個人的な関わりを考えれば、KAZEさんが「サニワ」なしに  UPすることはないと思います。  しかし、みれさんさえも2年間かけて様々な専門家の「サニワ」を受けていたと  いうのなら、“MIZUHO”さんに対しても、KAZEさん一人の「サニワ」だけでは  見落としたり、気付かなかったりする危険性がないとは限らないかもしれませんね。  KAZEさん自身は雄弁かつ有能な方ですが、自分一人で「サニワ」が間違いなく  出来ると考えているとしたら、それによって“MIZUHO”さんを間違った方向へ  導いてしまう危険性が全くないとは言えないのではないでしょうか。  ==========================================================================  ここからは、KAZEさんへのメールでは言えなかった本音を書きたいと思います…。  人間も、霊も、この物質界においては、美辞麗句で己の真意を隠すことは可能  なのですから、“MIZUHO”さんに降りてくる「霊的存在」が、人間に対して  本当に愛を持っている存在ならば、いいのですが、もし他に秘められた意図  −−決して人間にとって好ましいとは思えない−−を持っているとしたら?  そして、“MIZUHO”さん自身の人生が破壊される恐れがあるとしたら?  KAZEさんは“MIZUHO”さんの人格的な面を信頼し、尊敬しているということですが、  まさにそういう方だからこそ、“狙い打ち”されてしまったとしたら?  私も、KAZEさんも“MIZUHO”さんもこの現象に対しては真剣に向かっていると  思うのですが、一人の人生そのものを良くも悪くも大きく変える可能性がある  のですから、慎重すぎるぐらいに慎重に対処して、「サニワ」はこれ以上ない  ぐらい徹底的にやって欲しいなぁと思います。  ですから、SPOHEさんが提案なさったように、専門家の「サニワ」を受けることを、  “MIZUHO”さんのためにも、私からもお勧めしたいと思います。  “MIZUHO”さんの人生そのものを、皆さんにも真剣に考えて頂きたい。この問題は  誰が正しくて、誰が間違っている、という次元の問題ではないのです。  TAO 620/635 NBG00612 岳同 RE:一連のチャネルメッセージについて (11) 93/01/24 00:36 597へのコメント コメント数:3 最初に、仕事上の過酷な勤務時間という制約から、この話題が論争状態 になっても、十分なフォローの責任が持てないという現実を理解して下 さい。勿論、精一杯前向きに対応して行きたいという意志は持っていま す。 私なりに、天祈さんの#597のメッセージを要約すると、自ずから神と称 する存在からのメッセージが不特定多数の人間に発せられ、そのことが 思想的な誘導を起こして、それを目にするものあるいはチャネラー自身 に対する危険が発生する「可能性がある」と、いうことだと理解しまし た。その主張自体には異義はありません。 しかしながら、それがチャネリングをうたったフォーラムで、しかも神 秘学という会議室という特定の興味集団内で、それが一思想として紹介 されている事自体について本当に問題があるのかどうかだと思います。 つまり、「見たくない人は、見ない自由があり、見たい人の自由を奪う 自由まで与えられていないのではないか」ということです。 可能性として玉石混交となる可能性はありますが、パソコン通信の場で、 あるフィルターにより言論統制を行なうことの危険性も認識して頂きた いのです。 ここでは、MIZUHOさんのメッセージの真贋については、話題にするのは 差し控えたいと思います。それは、直接メッセージに触れた人が判断す ることで、話し合って結論が出るような性質のものではないと、考える からです。 ARIONのメッセージ自体も、またそのような原則に則って公開されている と思いますし、もしMIZUHOさんのメッセージが否定されるなら、それと 同様の理由でARIONも否定されると思います。 結局、各自の判断と責任で取捨選択することが大切です。そうしないと、 広がりが持てないし、怪しきは避けると言う態度では、結局偏った見方 になってしまいます。 #609で天祈さんは、こう発言されています。 >審神の件のご説明有難うございました > > >やっと中矢氏の「日月神示」を手に入れることが出来まして、 >現在読んでいる最中です。 と言うことは、ひょっとしたら今まで神示とい うものに接したことがなかった。ARIONのメッセージにしか触れられてお らず、そのことがMIZUHOさんのメッセージに対する違和感=危機感に繋 がった。そんなふうにも感じられます。 もしそうなら次の天祈さんの発言 #597 by 天祈さん >会議室の様相を見詰めていると、一人を除く誰一人としてメッセージのありかたに >疑問を提示していませんし、反対意見も、伺ったことはありません。 >これは、現在の新興宗教の縮小のように思えます。 これは、他の人は少なくとも「日月神示」の知識があったから、という ことも言えるかと思います。 私自身は、このフォーラムにARIONあるいはMIZUHOさんのような、メッセ ージ性を期待していました。その意味では、MIZUNOさんのメッセージは まさにその希望に適うものだったのです。 それは、この変革期に、タイムリーなメッセージが必要と感じたからで す。また、KAZEさんやメンバーの方のシュタイナーや古神道などの話題 は、非常に刺戟に満ちたものでした。この二つが、車の両輪として運営 されることに、私は満足しています。他の方は如何ですか。 また、意外なのは、#605のみれさんの発言でした。 いま、この時点で必要なことは、個人的な意見ではなく、SYSOPとして運 営上問題があるのかないのか、問題があるなら、なぜ今までそのことが KAZEさんと話し合われてこなかったかの説明であって、みれさんは、そ のことを明白にして頂く立場におられると思うからです。 ここで、チャネル・ソースの真贋を問題にしだしたら収拾がつかなくな ることは明らかでしょう。 私は、てっきり既にARIONとコンタクトをとって確認されているものと考 えておりました。 すでに1月14日の#556のKAZEさんのメッセージで、次のような発言が あります。 #556 by KAZEさん >で、要は「気持ち慎重に」ということは、どうすればいいのかなということで、 >できれば、そこらへんの具体的なアドバイスをいただければ幸いです。 >お恥ずかしい話、しばらく会議室の議長をしていながら、 >パソ通のあり方の決まりごとや慣例などにかなりの無知なものですから、 >そこらへんの一番いいスタンスというのがつかみにくいのです(^^;)。 >もし、パソ通の会議室上での紹介が不適当であるということでしたら、 >それに抗弁してその正当性について熱戦を繰り広げるような幼稚な感覚もありませんし>僕自身、行きがかり上、メッセージ紹介のお手伝いをしているだけですので >それを「すみませんでした」と、取りやめるということも考えています。 > >というあたりが、正直な気持ちですので、 >シスオペさん、サブシスさん方の「ご沙汰(^^;)」があれば、 >それなりに対応しようと思っていますが、それがなければ、 >メッセージの紹介はとりあえず続けようかなと思っているKAZEでした。 これについて、なぜこの時点でコメントされなかったのでしょうか。 そして、それがなぜ今になって否定的な発言が飛び出してくるのでしょうか。 また、すこしみれさんの発言の中で気になる点があるので #605 by みれさん >また、自身を【神】と >名乗る存在には、特に気をつけなければなりません。《Q・ka・kaさんも#555で指摘 >されていたことですが=(もちろん、自分を神であると過大評価すると自我の暴走 >が起こりますが)》 私は、#555を読み返してみて、全くQ・ka・kaさんは逆の意味で使ってい ることに気がつきました。 #555 by Q・ka・kaさん >アキラさん、こんにちは。 >MIZUHOさんのメッセージに対するアキラさんのご意見については同感ですが、 >アキラさんが引用された部分に関しては、 >神道でいわれる「自霊拝」のことで、 >神道ではとくに大事にされている考え方ですし、 >危険なものではないと思います。 >(もちろん、自分を神であると過大評価すると自我の暴走が起こりますが) >仏教でも、手を合わせている仏像の姿というのは、 >仏が人間の中の仏性を拝んでいるものだそうですが、 >森羅万象に宿る仏性と自霊拝には通じるものがあると思います。 わたしには、みれさんの引用の仕方がフェアでないように思えます。 あと、審神者についてですが、これは私はみれさんと意見を異にしま すが、一方的に偽神であるかのような危険視発言を軽々しく行なって しまうスタンスに疑問を呈します。 私は、特にレスポンスを求めていません。 ただ、危険な「可能性がある」というだけで、MIZUHOさんのメッセー ジのアップが取り止めになるような事態は、関係各位の間で避けてい ただきたいと願っております。 621/635 PBC00367 Q・ka・ka RE:一連のチャネルメッセージについて (11) 93/01/24 02:17 620へのコメント コメント数:1  岳同さん、こんにちわ、はじめまして。 前回の私の発言は、オンラインで簡略にすぎましたので補足いたします。 私の前発言はアキラさんに対するコメントで、 アキラさんの、MIZUHOさんのチャネルメッセージについてのご意見に関して、 大意は賛同するけれども、引用された部分については危険性は感じられないと思う という内容のものでした。 チャネルメッセージの危険性とはどのようなものなのか、 私はその時点ではアキラさんのお考えをよく理解できていなかったので、 もし危険性があるとすれば、引用部分の「人間の中の神を拝む」という内容が、 <読み手の自我の肥大を招く可能性> <媒介者の自我の肥大を招く可能性> を含んでいるのかもしれないと思い、 「(もちろん、自分が神であると過大評価することは自我の暴走を起こしますが)」 という一文を付け加えました。 (自我の暴走とは、自分はカミサマなんだ〜〜と思って、普通の人間としての 生活がおろそかになり、ひどい場合には人格が崩壊するという意味です) ですから、私の前発言の趣旨が「引用部分に危険性は感じていない」というもので あっても、チャネリングには「自我の暴走」という危険性が潜在していることは 承知しておりますので、 私は岳同さんがおっしゃいますように、みれさんの引用のなさり方がフェアでないとは 感じられませんでしたので、そのことは申し上げておきたいと思いました。 そのあたりのことは、私は多分みれさんとは共通理解があると思っていますので、 みれさんも私の考えをご承知の上で引用なさったのかもしれないと思います。 私の前発言はアキラさんの引用部分に関してのみのものでした。 それではMIZUHOさんのメッセージ全体に関してはどうなのかと申しますと、 じつはたいへん申し訳ないのですが、私はほとんど一連のメッセージをきちんと 読んでいないので、全体に対する判断を下すことができません。 私の回りには何人かチャネリングや、それに類することを行なっている人がいます。 それで私はチャネリングを特別視することがないので、 MIZUHOさんのチャネリングについても、あまり興味が感じられませんでした。 予言やチャネリングに関する本も、この世界の常識(?)くらいには読んでいますので MIZUHOさんのメッセージは、とくに新しい内容ではないのではないでしょうか。 (よく読んでいないのに、こんなこと言ってごめんなさい。 反対意見のある方はどうぞおっしゃってくださいね) 今回はみなさまの発言を読んでいるうちに、 私はかえって自分が「チャネリング不感症(チャネリングを珍しいと思わない症候群) 」になっているのかもしれないと思い、反省させられました。 私の回りにはチャネリングのために身を誤ったような人がいないので、 考えが足りなかったのですが、たしかに自分を神や救世主だと信じて浮浪者や 病院送りになった話というのはきいたことがありますし、 一般書店にある霊感書物でも、これは低次元存在からの受信だな〜と感じられて ぞーっとすることもあります。 やはり現在のような、カミガカリが増える時代においては、 カミガカリやチャネリング現象について、真摯に考えていかなければいけないと 改めて考えさせられました。 現在は人間全体の意識が固定的でなくなってきており、上次元存在からの通信を 受ける人も出てきているようなので、すべてのチャネリングに蓋をするのではなく、 真実を見極める目を養っていかなければならないと思います。 そしてMIZUHOさんのメッセージに戻ってみますと、 やはり私はこのメッセージには興味が感じられない、ということになってしまいます。 はっきり言ってごめんなさい。 (もちろん受け取り方は人によってさまざまだと思います。) MIZUHOさんご本人に対する危険性云々については、 もしメッセージの受信を続けられるのであれば、 やはりしっかりとした信頼のできるサニワや指導者の方についていていただくのが もっとも望ましいと思います。 危険性を知ったうえで、一人でどんどん進まれるのであれば、 それはご本人の責任ということになってしまうでしょう。 ただ、こうしたカミゴトについては危険性はつきものです。 いま世の中で宗教者や霊能者、チャネラーとしてがんばっていらっしゃる方の中には とても危ない状況を経ていらした方が沢山います。 むしろ途中でオカシクならなければ本物ではないと言われるぐらいのものです。 ですから、人間として幸せな生活を望まれる方は、ぜったいに踏みこんではいけない 領域ですし、本当に続けていくのなら大変な覚悟が必要なことがらです。 自分がどんな不幸な目にあっても、どうしてもやらなければならない使命を自覚して 命懸けの覚悟がなければ、片手間ではできるはずがないと思います。 というわけで、私はMIZUHOさんにはあまりお薦めしたくないですけどね〜。 あとはMIZUHOさんのお考え次第ですね。 622/635 HGB02122 天祈 RE:私の反応について (11) 93/01/24 11:42 616へのコメント #616 へのコメント  《 隆 》さん、初めまして。 《 隆 》さんの発言には異を唱えることもありません。  チャネルはチャネルであって、「真偽」であるかどうかには、  特に言及していません。何をして「チャネル」なのか?は、この場では  考える必要もないことですね。きっと焦点がぼけてしまいます。  宗教は経済政治活動を含んで、ミクロな社会を作っています。  規律と受容者の狭隘な世界においては、私たちのリベラルな  考えは通用しません。  支配者と非支配者が明確に分かたれなければならない世界の  象徴として新興宗教を引用しました。  上記は「人が人として生きなくなる」にリンクします。  審神についても同じ考え方をしています。  私だって、黙っていることは出来たのです。                            天祈 623/635 HGB02122 天祈 RE:一番心配しなければならないのは誰か (11) 93/01/24 11:44 619へのコメント #619 へのコメント  TAOさん、初めまして。 >“MIZUHO”さんの人生そのものを、皆さんにも真剣に考えて頂きたい。  決してヒロイズムでは為されない世界ですよね。霊の世界というものは。  ただ受け止めて、それが違ったモノだったら捨ててしまって他人のフリを  すればいい...受け取る側の判断と行動のみといった意見の多さには、  私自身愕然とするものがありました。  チャネルする者は、私たちよりは繊細な人間なんです。  霊的なことに関与する限り、最後の最後で手を差し伸ばす者があるべき  だと考えます。特に、日常ではありえない位の慎重さが必要ですし、  奥深い心の問題にも接近しますので、本人には直接告げられないでしょう。  したがって、KAZEさんの責任に持っていったわけです。  私の提示した強硬な意見は、確かに人を傷つける要素があったかも知れません。  が、要素とは要の素と考えます。  会議室の流れがほんの少し、期待していた方向へ向かうことを嬉しく感じます。  KAZEさんの不在を残念に思います。  ただし、もう一つの問題−−メッセージを受ける側の−−問題には、もっと  対話が必要ですね。  「言論の自由」では語り切れないような...                               天祈 624/635 HGB02122 天祈 RE:一連のチャネルメッセージについて (11) 93/01/24 11:46 620へのコメント #620 へのコメント  レスポンスです。  私の前述の発言通り、見たくない人は見なくていいと思います。  全ては自由です。  ただ、岳同さんの考える自由と私の想う自由は違うと思います。  これが、常識的な「自由」の盲点ですね。  当然ながら、私はチャネルについて、いささかの一般常識も有していません。  審神についても、今度の問題にあって初めて考えました。  だからこそ、問題提起が出来たと考えます。  知識理論を多く持つ者ほど、不自由になって行く一面を考えませんか?  #609発言を、何故私が個人メールで流さなかったかを考えて下さい。  ことこの問題に関する限り「日月神示」の存在は必要はありません。  岳同さんの言及した、「フェア」であるためです。  「フェア」を口にするなら、最終的には個人の相違(インディビジュアリティー)  さえ関わってくると思いませんか?  むしろ、ある程度「アンフェア」な一面を残してやり取りをするほうが、余程  「大人の会話」が可能だと思います。これは、「自由」にもつながりますが。  しかし、結果的に読んでしまったため、今後の発言が日月神示に影響される  ことを否定しません。  ---だから、余計な知識は必要ないのです。(若干脱線しました) >いま、この時点で必要なことは、個人的な意見ではなく、SYSOPとして運 >営上問題があるのかないのか、問題があるなら、なぜ今までそのことが >KAZEさんと話し合われてこなかったかの説明であって、みれさんは、そ >のことを明白にして頂く立場におられると思うからです。 >これについて、なぜこの時点でコメントされなかったのでしょうか。 >そして、それがなぜ今になって否定的な発言が飛び出してくるのでしょうか。  みれさん自身がいままで関与しなかったのは、自由であるためだと思えませんか?  チャネルはチャネルであって、真贋を問うてはいないはずです。  むしろ、各々のチャネリングに対する考え方を浮き彫りにする  絶好の問題提示ではありませんか?  加えますが、私は傍観者であっても良かったんです。                                天祈 625/635 NBG00612 岳同 RE:一連のチャネルメッセージについて (11) 93/01/24 12:26 605へのコメント やはり議論は、MIZUHOさんのメッセージが危険かどうか、真贋の点について 進んでいるようですね。 しかしながら、このメッセージがホンモノである可能性もまた有るわけで かりに、そうなら #603 "MIZUHO"メッセージ<58> >        その新しき世のために、今は心を鬼にして、そな > >たの幸せ後にして、伝えるためのお役目ぞ。人と人とのつながりを、 > >切ってゆくのが、魔の力。そなたがひとりでこもりては、言葉は人 > >には伝わらぬ。伝えぬ言葉の虚しさよ。これは、そなたの事ならず、 > >この世のすべての人の為。そなたのことを言いおきて、実はその人 > >それぞれに、伝えしまことの言葉なり。まことの言葉輝きて、心に > >巣つくる悪を切る。切られた悪はたまらぬと、その大将にしがみつ > >く。 この、メッセージのなかにあるように、まるで、魔に操られて、 メッセージの伝達の機会=なんらかの可能性、が消滅させられつつある 現実が残念でなりません。 >『光よりの光』 BY アーリオーン、北川恵子、神崎夢現  P.20 > 地球上の人類は宇宙神に代わって裁くことが好きな様子だが、あなたがた「光の子」>らは、裁くことはせずに「判断」して「裁き」は宇宙のエネルギーに任せるべきだ。 >このことについて、「人事を尽くして天命を待つ」という良い言い回しがあるではな >いか? 人事、つまり人間の出来る範囲で一生懸命やって、「裁き」は宇宙神に任せる>のだ。「光の子」らは、間違っているとか間違っていないとか判断するときに、宇宙連>合の法則の「愛」が、含まれているかいないかをしっかり識別しなくてはならない。 >識別した後に、裁くことをできるだけ避けなくてはならない。 これを引用したのは、真贋を云々するには、もう少し時間が必要なのではないか という事が言いたかったのです。 いますぐに、怪しいから・怪しくないからというそのことで メッセージの公開がストップされてしまうなら、払う犠牲もまた大きく 今後の、このフォーラムの方向性も狭められてしまいます。 手元に審神の方法や、その具体例などに詳しい本がありますが、 確かに、その危険は生命に及ぶばかりか、その死後にまで影響するため 大切なことではあることは承知しています。 『鎮魂修斎問答』鹿野晴道 山雅房 P.87  >それでも、世に数々の高御祖の導きのある事件が生ずるのは、広大なる天 >地の高神より見てその下に働かれる各地の産土神が「助け導く必要あり」と >感ずる時、各人に対し特別な「神策り」を降ろされるのであります。 > 第四に、突如として霊能を発現し、奇異を行なう人間の存在も事実であり、 >何の修斎鎮魂せずしてその如き奇跡を生ずるのは、前世からのムスビカタメ >と言う自分と祖先霊との約束(ちぎり)に依るのです。 これまでのMIZUHOさんの発言の中で、特に、MIZUHOさん自身を神として 我々に崇拝を強要するような、低次元のメッセージはなかったと思います。 人類に対する切々たる、警告であったとおもいます。 前後の論旨に大きな矛盾も感じられません。 審神者を受けることは、たしかにMIZUHOさんの今後の課題としてあることは認めます。 それは、MIZUHOさんに対するアドバイスであって、今の時点でメッセージ自身を否定 する根拠にはならないと思います。 一連のメッセージは、いまこれを伝えることが大切であることを、あまり時間が 残されていないことを、語っています。 #604 "MIZUHO"メッセージ<59> >          なれどこの時、人の世は、神の心をわかる者、 > >あれよあれよと言う間(あいだ)、少のうなってしもうたぞ。これ > >では神のこの言葉、伝えようにも伝わらぬ。もう、謎ときの暇はな > >く、直接人に伝えなば、時は迫りて間に合わぬ。それゆえ、神のこ > >の言葉、そなたに降ろして伝えさす。 #605で、みれさんが提示している、メッセージが【神】を名乗ることへの 不審感は、私には理解できません。それは、ソースの違いにより、メッセージの 降ろし方は千差万別だからです。 自分の基準を尊重する気持ちは分かりますが、それがこの世の全てである という思い込みは、間違いを生じると思います。 626/635 GGA02514 KAZE 忙中、さらに閑なし(^^;) (11) 93/01/24 12:40 あらら、鬼のいぬ間のなんとやら(^^;)で、 “MIZUHO”さんについて、いろんな方がいろんなことをコメントされてるようですね。 昨夜遅く帰宅してダウンロードだけとりあえずしたのですが、 ちょいと忙しくて、今日もずっと仕事だし、明日も早朝から出張ですので、 それぞれにちゃんとしたレスができるかどうか疑問ですので、 一応とりあえず参考になりそうな部分だけでも、 簡単にコメントしときたいと思います。 まずは、審神者についてなのですが、 “MIZUHO”さんもそのことはかねてより気にしていまして、 いろいろ適切な審神者を探し続けているようなのですが、 なかなか納得いく方が見つからないで、悩んでいるというのが実状です。 僕やパートナーもそれについてはいろいろその基準について調べてたり、 それについて“MIZUHO”さんと話したりするのですが、 調べれば調べるほどに、一般的にいう審神者の基準のいいかげんさしかでてこなくて、 一体「正しい審神者」ってどういうのだろう、なんて考えてたりします。 もちろん、「絶対に正しい審神者」なんているはずもないのは十分承知していますが、 「比較的適切そうな審神者」でさえ、さらにその審神者のチェックに対して、 的確な基準を満たしていそうな方というのが見いだせないのです。 審神者である以上、人格的な高さの部分と視野の広さの部分だけみても、 ある程度の基準を満たしてなければならないと思うのですが・・・。 もし、自信をもっておすすめできる審神者がいればご紹介いただきたいと思います。 人格の高さの基準は、ちょっとクサいかもしれませんが、 儒教的な「大学」「小学」の基準や「中」なるスタンスというのが前提ですし、 視野の広さからいうと、シュタイナー的な観点というのくらいはもちろんのこと、 さまざまな認識形態について深く洞察できる方でなければというのは当然のことです。 それに、東洋や西洋の片寄りがなく、あまねく判断力をもっているのが望ましく、 しかも現代の社会・経済状況にも深く精通していればいいなあ、と思います。 それと、“MIZUHO”さん自身のスタンスについてですが、 謙虚の度が過ぎるくらいの謙虚の塊のような自分にきわめてきびしい方で、 すぐに過剰な自虐に陥ってしまう傾向性にあって、その方が心配なくらいです。 自分のことをいつも後にして、ひとのことばかりを考えるのが日常ですし、 メッセージの内容についても、それが自己正当化だとか、 メッセージソースの正当化につながりはしないか、いつもいつも気にしてます。 それから、“MIZUHO”さんはなによりも日々の一瞬一瞬の生ということを 大切にする方で、いわゆる「現実逃避」の部分はほとんどないと思います。 むしろ、ある種の献身という現実的な生活を最重要視し過ぎるくらいだと、 僕のような献身的な傾向のない人間の目にはそう映るくらいです。 おそらく、これは僕のひいき目ではないと思います。 どちらかというと、僕なんかは“MIZUHO”さんに対して結構きびしく物を言う方で、 「それは視野が狭い。もっと広い視野で物事をとらえる必要があるのではないか」 なんて偉そうなことを折りにふれてコメントしてたりします(^^;)。 それに対して直接の友人であるパートナーの方は、電話などでよく何時間も何時間も、 “MIZUHO”さんの相談にのっている(^^;)、ようで、 大きくみると僕とパートナーの視点はかなり似通ってますが、 それぞれ違った角度から“MIZUHO”さんといろいろ話せるので、 それなりに、視野の広がりは保てているのではないかと、勝手に考えていて(^^;)。 ふたりでよりよいあり方について激論しあうということもしばしばですので(^^;) まあ、ふたりで結構バランスがとれてるのではないかと思います。 それで、僕やパートナーの現在のところの判断基準として、 今後“MIZUHO”さんのそうしたスタンスやメッセージ内容に、 自己正当化の部分が少しでもあるようだと、気をつけたいと思っていますし、 そう判断できた場合には、メッセージの紹介は即中止にしたいと思っています。 で、とりあえずの「処置」として、いくつかの方のコメントでも見受けられましたが、 メッセージのほんの一部分だけを切り放して、文脈から切り放された内容について その危険性などについてご心配いただいていたようなこともありましたので(^^;)、 そこらへんのことも考えにいれて、すべてとはいきませんが、 部分だけ読まれて誤解されそうな部分のメッセージは、 “MIZUHO”さんと僕とパートナーの判断で、カットしていきたいと思います。 ちょっと寂しいですが、「受け取られ方」を考えるといたしかたないですね(^^;)。 他にもいろいろありますが、あとは個別のレスのときにでも 気のついたことをコメントしていくことにしたいと思いますが、 あまりに個人的なことや自由意志に関わることなどについては、 コメントできかねる部分も多々でてくることもあると思われますので、 それは最低限のマナーとしてご了承ください。 それでは、時間切れのようなので、 締切まぎわの仕事にふたたびもどっていくKAZEでした。 627/635 GGA02514 KAZE “MIZUHO”メッセージ<60> (11) 93/01/24 12:41 ************************************************************ いくらなんでもこれ以上、待ちて悪の改心を祈りておっても、限り ぞよ。限り来たとて神々は、そのお役目に謹みて、人を助けるつも りぞよ。この国々の人々は、太古の昔は言の葉に、思いを込めて祈 ったぞ。神の心に祈ったぞ。鳥も獣も共にあり。咲く花々は輝きて、 神の心を喜ばし、人の心を慰めし。なれど、この世の花々は、生命 (いのち)の力失いて、ただ色ばかり虚しゅうて、その輝きを取り 戻せ。まことの生命の輝きは、めぐりめぐりの中に生まれ出て、め ぐりの中に消えてゆく。人の力でめぐり取り、生かすも殺すも人次 第。そんな力をいつの間に、人に授けたはずはない。人の奢りが悪 神の、知恵を借りての所業なる。まことの人は食べずとも、命を保 つ術(すべ)を知る。新しき世の人々は、食べることなど要らぬの ぞ。命の源(もと)のその力、神から授けた人々ぞ。 いまこの星の生命は、人と悪とで行(ゆ)き詰まり、新たな力生め ずして、消えてゆくことしか、道はない。神の光を降り注ぎ、新た な力の源を、この星中の隅々に、流して新たな星とする。 ************************************************************ 628/635 GGA02514 KAZE “MIZUHO”メッセージ<61> (11) 93/01/24 12:42 ************************************************************ 神のお働き、そなたの思い及びつかぬものなるぞ。目で見て触れね ば、そなたは信じぬのう。なれど、それはそなたの思い込みぞ。そ のようなこと必要ないのぞ。思いだけですべては成るのぞ。すべて は現れるのぞ。思いさえあれば、あの宇宙(そら)の果てにおわす お方に届くのぞ。この宇宙とともにありたお方ぞ。 ************************************************************ 629/635 GGA02514 KAZE ご心配、どうも。 (11) 93/01/24 16:28 605へのコメント みれさん、わざわざどうも。 自分にきわめてきびしいみれさんだからこそ、 その経験の部分を生かしたアドバイスをしていただいたこと、 とっても感謝いたします。 みれさんのおっしゃることはとってもよくわかる気がします。 ただ、アドバイスいただいたことのほとんどについては、 日頃から“MIZUHO”さん自身が常に気にし続けていることであることは ご承知いただければ、と思います。 それから、「危険信号」についてですが、一般的な意見としては当然のことですが、 メッセージの文脈ということをあまり考慮されていないことは ちょっと悲しく思いました。 どんなメッセージも部分をとりだしてしまうと、 趣旨と反対の印象を持つことはとっても簡単なことです。 審神者のことですが、やはりその質の問題が大きいなあと思います。 たとえば、みれさんのおっしゃる「教授」がO教授などであるとすれば、 その著作や対談などを拝見する限りでは、問題が多く適任とは思われません。 それと、「専門的に審神をされている霊能者の方」の多くは、 人格等の問題を多く抱えていることが多いというのは、 みれさんが一番よくご存知なのではないでしょうか。 そういった観点を踏まえた上で、適任がいれば、 ぜひ“MIZUHO”さんにご紹介したいと思いますので、よろしくお願いします。 参考までにいうと、“MIZUHO”さんの現象はトランス的なものは一切なく、 本人の意識を妨げるような現象もないそうです。 それと、現在のようなメッセージの書取りというのは、 僕やパートナーがメッセージ内容について検討したいという求めと同時に そういう形が可能になったということがあります。 で、現在のところ、“MIZUHO”さんの人格を阻害する要素は 少しも見つけられないというのが実感です。 僕が“MIZUHO”さんの「人格的な部分を信頼する」というのは、 自己正当化や自我肥大などの要素というのが、見られるどころか、 「自らをむなしくする」部分が大きいからであって、僕の見るところ、 むしろ、その部分が大き過ぎるくらいなので、それについてもっと広い視点を というのが彼女の人格のバランスのために良いのではないかと思っています。 ま、直接“MIZUHO”さんに関わっているのは 僕とパートナーですので、アドバイスいただいた点について、さらにより深く、 危険性の少ないものとすべく慎重でありたいと思っているKAZEでした。 630/635 GGA02514 KAZE ちょっと (11) 93/01/24 16:29 614へのコメント EXさん、どうも。 簡単にコメントをば。 “MIZUHO”さんは、純粋かつ献身的であり、 その上、ある意味ではみれさんのようにパワフルな方です(^^)。 ひとのお世話なんかするときなど、ひとのまねのできないくらい 自分をむなしくしてせいいっぱいがんばって、それが喜びとなるような方です。 チャネリングといっても、トランスになるわけでもありませんし、 通常に近い意識で、「聞こえてくる」(?)のと、 あと、最近では記録のために筆記が加わっているという状況ですが、 詳しくは、僕も経験不足なので(あたりまえですね(^^;))、 実感としてはよくわかりません。 食事については、「配慮」どころか、 時期によれば、食事をとらなくても生きていけるくらいだそうです。 でも、やはりこの3次元的な波動に対する抵抗力(?)のために、 ある程度は食事をとっているそうですが、肉類はあまりとらないようです。 そういえば、僕も最近、肉類を食べる量というのは少なくなりました。 肉を食べちゃいけない、とかいうラジカルなことは言いたくないけど、 肉を食べない方が、身体の調子がいいのは、確かですね。 それと、やはりなにも食べなくても生きていけるようになれれば、 とはいつも思っています。 ま、あまり詳しく“MIZUHO”さんについてコメントするのは 彼女の人格の尊重のためにも差し控えたいと思います。 やはり、メッセージの内容についての検討ということを 大事にしたいと思っているKAZEでした。 631/635 GGA02514 KAZE 神秘修行の実践的観点など (11) 93/01/24 16:30 615へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 このところ、忙しい上に出張が重なってしまって、ちょっと苦しい上に、 “MIZUHO”さん関連のコメントがいろいろあって、やれやれ(^^;)ですが、 負けずにマイペースで「中」なる姿勢を大切にしていきたいと思っています。 >水の事について色々考えるようになったのは、やっぱり水道水の害が引き金に >なっているように思います。 水道水については、愛媛県などは比較的水のまだきれいな地域ではあるのでしょうが、 マンションのタンクの汚れもあってか、あんまり好ましくはありません。 >我が家の浄水器はなかなかの優れ物で、2年ほど使わないでほったらかしにして >おいても中の水が腐りませんでした。・・・我が家では飲料水はπウォーターに >して使っています。 いいですねえ、うちも浄水器つけようかな、なんて真剣に考えるようになりましたし、 πウォーターについても、以前から、よさそうだなあ、なんて思っていました。 人間の身体のほとんどが水なのですから、やはり健康のためには、 水による「浄化」を常に考えておくというのがベターですよね。 思い立ったら吉日で、近々考えてみることにしたいと思います(^^)。 >我々はいつの間に水を大切にしなくなってしまったんでしょうね。日本は昔か >ら水の豊かな国だったのでしょうが、それでも(それ故にと言うべきか)水を >大切にしていたはずです。 ううむ、僕は頭でっかちで、「そうとは知りながらついつい(^^;)」となりがちで、 そのことについて、僕の相棒(パートナー改め、より適切な呼び方に変更します(^^;)) は、僕のいいかげんさを指摘することが多くて、反省することしきりです。 洗剤をできるだけ使わない洗い物などということについても、 相棒はとっても徹底してまして、それについても、反省(^^;)の毎日です。 >火の正体って考えてみるとよくわからない(^^;)。・・・ >面白い事に「水」も「火」も浄化の象徴なんですね ほんとに、「火」ってこの世の現象とは思えない部分があります。 炎を見つめて話しかけていると(アブナイカナ(^^;))、 なぜか応えかえしてくれるような、そんな感じがするときさえあります。 でも、だからといって、密教の護摩を焚いて、中に竜を見る(^^;)っていうような、 そんなのはなんだかやなイメージがあって好きにはなれませんが、 「浄化の象徴」ということは、かなりいえるでしょうね。 われわれの浅薄な自我を焼き尽くしてくれるようなイメージが「火」にはあります。 「水」についてお互いいろいろ語ってきましたから、 今度は「火」についても、ちょっと調べてみることにしましょうか。 ちなみに、「風」については、ライアル・ワトソンの「風の博物誌」という なかなか楽しめる好著があります。 ここで、思いだしたのですが、ツトム・ヤマシタという打楽器奏者の 10年ほどまえのアルバムに「地水火風」をテーマにしたものがありました。 そういえば、「天と地」をテーマにした、 「いろは歌」という二枚組のアルバムもありました(^^)。 >今日はこれから輪読会の第12章をじっくり読もうと思っています。 この「行」についてのシュタイナーの代表的な著作に、 「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」(イザラ書房)というのがあって、 そこに、神秘学の道を一層深めることのできる「実践的観点」というのがありますので ご紹介しておくことにします。 第一に忍耐することを特別に学ばねばならない。あらゆる種類の焦りは人間 の中にまどろんでいる高次の能力を麻痺させ、時には死滅させる。・・・ 忍耐は高次の認識の高貴な内容に対して共感的に、苛立ちは逆に反感的に働 きかける。・・・何をおいても要求と欲望を沈黙させねばならない。・・・ 神秘学徒はあらゆる種類の好奇心を捨て去らねばならない。個人的な知識欲 を満足させるためにのみ知ろうと思う事柄については、可能な限り問うこと をあきらめねばならない。自分の存在を完成させ、人類の進化に寄与するこ とができる限りにおいてのみ、問うことが許される。とはいえ知ることへの 敬けんな喜びを決して麻痺させるべきではない。・・・ ・・・「何が正しいのかを認識する以前には、どのような願望も持ち得ない」 これは神秘学徒にとっての鉄則のひとつである。賢者は先ず世の中のさまざ まの法則を学ぶ。その上に立ってこそ、願望が実現の力になる。・・・ 怒ったり、不機嫌になったりするときの私は魂の周囲に壁を巡らし、霊眼を 育てる力が私の中へ入ってこられないようにしている。・・・ 怒りや不機嫌とともに、恐怖、迷信、独断、虚栄心、功名心、好奇心、饒舌 など、更には身分や人種のような外的特徴から人を区別する態度もまた克服 されねばならない。・・・ 徹底的に考え抜いたのではない事柄を口に出すことも、神秘修行の道につま づきの石を置くことになる。・・・ 穏和な態度はもうひとつの特徴をもやがて魂の中に作り出してくれるであろ う。それは、自分の魂からの語りかけをすっかり沈黙させ、周囲の魂のいと なむあらゆる種類の微妙な動きだけに静かな注意を向ける態度である。この 能力を自分のものにすることができた人は、周囲の魂のいとなみの影響を受 けながら、ちょうど植物が太陽の下に生育していくように、自分の魂を生長 させ、分化発展させる。・・・ ・・・基本的に自己中心たらざるをえないような、たとえば生存競争が絶え ず求められているような社会環境のなかで修行する人は、自分の魂の器官の 形成がこの環境の影響を受けざるをえないことを意識していなければならな い。・・・百合が適していない環境の中でもアザミにはならず、悠然として 百合であり続けるように、霊眼が近代都市の利己的な利害関係の中で、本来 の目的に反するような何かになってしまうことはありえない。とはいえ、い ずれにせよ時折は大自然の平和な安らぎや優しさの中に、もしくはその崇高 美の中に身を置くことが望ましい。・・・ こうした観点を考慮していくと、なぜか儒教などで繰り返しでてくる 「君子」の基準に非常に近いものを感じたりして、 「神秘行」などというより、高次の人格の形成といった方が適してるかもしれない、 なんて最近、儒教などの文献を読むにつけ思っているのでした。 さて、ついでに#616での天祈さんへのコメントが とっても僕の考え方に近かったので、少しだけ(^^)。 >私にとってはメッセージがチャンネリングで得られたものであるとか、チャン >ネルソースが○○であるなどということは今のところあまり重要ではありませ >ん。むしろ、特定のチャネラ(しばしば教祖だったりする)やチャンネルソー >スにこだわる事が私には「新興宗教」的に見えますから、今回の自分の対応は >ごく普通であったと思っています。 そうですね、その真偽は別として、メッセージそのものが 何らかの参考になれば、それでいいのではないか、なんて考えているのですが、 それが無責任といわれればそうかもしれませんが、なんともはやです。 「無責任」といえば、   >・・・危険への対処の術というのは個々人が備えるべきものであって、誰かが >用意する類のものではないと私は思います。自分の事は自分で責任を持つしか >ありません。他人を助ける事は必要な事ですし、できるだけそのようにしたい >と思いますが、できる事には限度があって肝心な部分は全て自主的なものでな >ければ意味がないとも考えます。 そうですね、できる限り最善の努力をするのは当然ですが、 それには限界があることはいたしかたないことです。 それが、「無責任」だというのでしたら、こうしたメッセージの紹介は、 いかなるものであってもしてはならないことになります。 それに加えて、発言することはすべて、チャネリングに限らず、 その責任はともなっているものですから、 そこらへんについても非常に苦しくなってきます。 >結論から言うと私は「審神」は必要だと思っています。ただし、真偽・善悪を >判定するためにではなく、チャネラまたは神憑りにあっている本人の危険回避 >のために必要なのではなかろうかという事です。 これについてはいく度かコメントしましたが、 「審神」の質が問題になってくると思います。 そして、それに必要以上に依存する態度はまた新たな危険を生み出してしまいます。 やはり、僕もおっしゃるように「本人の危険回避」という観点を 特に優先して考えていきたいと思います。 >やみくもに鵜呑みにするのは愚挙ですし、疑いだしたらきりがないとも思います。 >受信機になってメッセージを伝えてくれている人たちに感謝しつつ、最後に判 >断する(責任をもって受け取る)のは自分であるというのが私の現在のスタン >スです。 そうですね、僕もそのスタンスしかとれない気がしてるんです。 それと、勝海舟が晩年に残した感動的なスタンスがあるのですが、 「毀誉褒貶は他人のすること、行いは自分のすること」ということで、 自らの行いの責任を限りなく自覚し、ひとの意見を参考にしながらも、 あとの毀誉褒貶に右往左往したくはないなあ、と感じているKAZEでした。 632/635 GGA02514 KAZE 人の道 (11) 93/01/24 16:31 619へのコメント TAOさん、どうも。 >“MIZUHO”さんのメッセージに対して、団長が望んでいた通りに(?) >様々な意見の表明がなされ始めたようですね。 (^^;)(^^;)(^^;)、やれやれ、ですね。 ま、乗りかかった船ですから、仕方ないでしょうね。 これもなんらかのプロセスとして必要なんだと思います。 でも、なんだかこれらのやりとりの先が見えてる(^^)なんて 感じるのは僕だけでしょうか(^^;)。 ま、それはそれとして、 >“MIZUHO”メッセージが本当であろうと嘘であろうと、内容をどう受け取るかは >本人の問題であり、メッセージをいかに受け取って、その結果がどうであれ >その責任も本人に帰する…という考え方は、いかにも妥当性があるように >見えますが、危害を被る恐れがあるのは自分だけでなく、他の方々にも悪影響が >及ぶ恐れがあるとしたら、自分だけの問題では済まなくなります。 そうですね、両方の視点を忘れてはならないと思います。 そして、メッセージ内容そのものの「悪影響」がなんらかの形で予想されるとしたら、 僕はすぐさまでもメッセージの紹介をやめると思います。 そうだとしたら、お早めにご指摘ください(^^)。 >このチャネリング現象によって“MIZUHO”さん本人に危害が及ばないだろうか、 >と危惧する声が多いようです。 >・・・一番大切に思うべきなのは、チャネラー本人の人生だという >ことは、皆さんが同意出来ることではないでしょうか。 おそらくそれを一番心配してるのは僕や相棒(パートナー改め)だといっても 信用されないかもしれないけど、僕はそうだと思っています。 状況を詳しく説明するのは、プライバシーの侵害にもなりますから控えますが、 ベストだとは到底思ってませんが、メッセージをふくんで、 “MIZUHO”さんとのやりとりというのは、かなりの角度から行っていますし、 僕のつたない認識力ではありますが、 それに照らしてできる限りのことはしてるつもりです。 それが不十分だというのは当然ですが、常に前向きに模索中としかいえません。 >“MIZUHO”さんに対しても、KAZEさん一人の「サニワ」だけでは >見落としたり、気付かなかったりする危険性がないとは限らないかもしれませんね。 別に「サニワ」してるつもりはありませんが、 自分を含めて“MIZUHO”さんがよりよい方向にいくことのできるように、 心がけているということであれば、 僕だけではなく、僕の相棒が日頃から結構細かく相談相手などにもなっています。 他にも書きましたが、僕と相棒というのは、大きい意味での考え方は共通していますが スタンスとしては対極にある部分もありますので、 かなりひろい範囲のことについて多角的に考えてると思うのですが・・・(^^;)。 ま、もっともっと適切な方がでてきて早くフォローしてくださることを 心から願っているのですが・・・。 それと、やっぱり「専門家の『サニワ』」ということには 十分な注意が必要だと思います。 これは「サニワ」について調べれば調べるほどに生じてきた疑問です。 シュタイナーの神秘行の諸条件などにみられるような観点さえ チェックできる方というのはどれだけいるのでしょうか。 >“MIZUHO”さんの人生そのものを、皆さんにも真剣に考えて頂きたい。 そうですね、僕もそれについての配慮ということを切に強調したいと思っています。 単なる好奇心でアプローチするというのだけはやめてもらいたいというのが 僕の正直な気持ちです。 そして、信じられないかもしれないけれど、今のところ、 僕や相棒しか日々の“MIZUHO”さんの思いを理解しようとしてあげることは できないということも知っておいてほしいと思います。 やはり、テーマがなんであれ、(クサイ表現ではあるけれど) 人の道に違わないということをいつも考えていたいなあと思うKAZEでした。 633/635 GGA02514 KAZE フォローをいろいろどうも(^^) (11) 93/01/24 16:32 620へのコメント 岳堂さん、どうも。 いろいろフォローしていただいたり、ありがとうございます。 ま、みれさんなどのコメントは、 ご自分の経験などを踏まえたアドバイス的なものでしたし、 それなりに考えたものだったと思いますので、 その妥当性はともかく、ある種「気を使っていただいた」というイメージでしたので、 必ずしも「否定的」なものではなかったと思います。 >ただ、危険な「可能性がある」というだけで、MIZUHOさんのメッセー >ジのアップが取り止めになるような事態は、関係各位の間で避けてい >ただきたいと願っております。 そうですね、ちゃんとした理由を明確にしないメッセージの休止というのは とっても悲しいものがありますが、 それはそのときで仕方ないのではないかと思います。 テーマは違いますが、FMISTYのときにもいろいろあったような 幼児的な議論につきあうほど僕は暇ではないですから、 フォーラムとしての方針としてそれがでれば、それはほんと、仕方ないことです。 でも、それまでは、預かっているメッセージはたくさんありますし、 それ以外にもたくさん増えているようですので、随時紹介します。 ただ、その際に、文脈を無視して「部分」だけをみて危険視されないように、 いくつか削除部分は設けるつもりでいます。 ま、中止になったとしたら、おそらくは他の手段もあるでしょうから、 そのときはそのときだなあ、とかなり楽観的に考えているKAZEでした。 634/635 GGA02514 KAZE チャネリング不感症(^^;) (11) 93/01/24 16:33 621へのコメント Q・ka・kaさん、どうもです。 >今回はみなさまの発言を読んでいるうちに、 >私はかえって自分が「チャネリング不感症・・・」になっているのかもしれない >と思い、反省させられました。 そうですね、僕は別に「チャネリング不感症」とまではいきませんが、 そう珍しいことでもないから、じっくり内容を見てみようかな、 なんて思っていた部分が大きいです。 で、 >予言やチャネリングに関する本も、この世界の常識(?)くらいには読んでいますの >でMIZUHOさんのメッセージは、とくに新しい内容ではないのではないでしょうか。 ということですが、メッセージの内容を読めば、 こういうQ・ka・kaさんの意見というのは自然のような気がします。 僕の読み(^^;)としては、こうしたQ・ka・kaさんのような反応というのが わりと多いかもしれないなあ、とか思っていたのですが、 意外にアクティブ(^^;)なリアクションがでてきて、やれやれという感じです。 >あとはMIZUHOさんのお考え次第ですね。 僕なども、友人としてできるだけの「助け」になりたいとは思っていますが、 最終的にはそうとしかいえませんので、 その推移を見守っていくしかできないのだと思います。 おそらく、その「結果」はすぐにわかるものでもないでしょうから。 忙しいといいながら、こうしてレスを書き続けて、 また仕事の山を残してため息をついているKAZEでした。 (日々いきるということのなんとむずかしきことか(^^;)) 635/635 HCB00374 DIRAC メッセージの考え方 (11) 93/01/24 18:31  こんにちは。お久しぶりです。 なんだか、チャネリングメッセージの議論になっているようですが、 このあたりについて1つ2つ。  実は、メッセージが紹介されるようになってから何か心配というか不安が なかったと云えばうそになります。何か、神秘学でもそう、宗教でも同じで すが、証明の出来にくい、実体の分かりにくい世界に入っていくときの、典型 がここにも現れているのではないかと。 私の立場としては、否定も肯定もしないという立場です。ずるいんですけれど も、仕方が無い。メッセージの内容が、かなり高度なので、それを実行して体 で感じて納得という手法が使いにくいのです。 それ(メッセージ)が真理であっても、私自身それを感じて本当に納得するこ とは、難しいと思われます。「はいそうですか。」と感じて納得できない未熟 な自分であるわけです。つまり、私という小学生が高校の数学を教えてもらっ ているのと同じ状態で、高度すぎるが故にせっかくのメッセージも消化できな いのです。 酷なことかもしれませんが、むしろその「メッセージ」の内容を私のような 凡夫にも、「行って感じて確信出来る」ようにかみくだいて頂けたらいいな あと希望するものであります。そして、そうなった時初めてこのメッセージの 信憑性を私にもわからせて頂けるものと思います。 メッセージという啓示から宗教的なものへ発展していく場合が結構あると思われ 、ある種の典型的なパタンとなる可能性も否めません。そう云う意味で、 新興宗教的−−と感じられても不思議ではないかなあ? と思います。 そこに感じるある種の危険を回避するのは、「行って感じて確信出来る」 という自分の体験からの確信ではないでしょうか。実体のわからないものを 信じてしまうと、自分で考える力がなくなり、俗に云う、洗脳という状態に はまってしまうと想像します。ここは、ポイントだと思います。 私の信仰は、本当に不思議な事象の体験からそれが、少しずつ確信にかわって いく、そういう信心の深めかたをします。このチャネリングメッセージについ ても同じような視点が必要ではないでしょうか? メッセージは、本人もさることながら、たくさんの人の善意と支えでここに 紹介されていると想像します。そういう意味ですばらしいことだと思います。 しかし、真理にてらしてどうなのか?という点ではなんともいえません。 歴史上多くの宗教が栄えては衰退したように−−−−、同じ過ちに陥らない ように祈るものであります。  どうも、ありがとうございました。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/24 - 680/682 GFD00204 松川 貴     RE:「緑の領域」 (13) 93/01/23 22:41 667へのコメント  HVHYさん >どうもお騒がせして申し訳ありませんでした。  いえ、私が勝手に盛り上がってしまっただけですから、「申し訳ありません」なん てなしですよ。それどころか、私にはなんかすごく面白かったです。むしろHVHY さんに感謝したいくらいです。ひさびさに「勉強」に燃えることができましたから。 (最近発見が多くて日々愉快であります。) >「エのミササギ」という読み方をしたのは、 >新田神社の人がそう言っていたので、鵜呑みにしたわけですが、 >「ミササギ」の更に古い言い方が「ミサザキ」であったとは・・・。  「可愛山陵は、宮内庁で役人をおいて管理している(原田常治氏談)」そうですか ら、新田神社の神官の人が語ったのは、いわば「宮内庁通達」による「宮内庁読み」 ──そのようなものが存在するとしての話ですが──ということになるんではないか と思います。ですから、『歴史読本』の資料も「宮内庁読み」で公表されたのでしょ う。ちなみに、「吾平山上陵」にも宮内庁詰所があるようですね。 >因みに、地元では現在「アイラサンリョウ」と呼んでいるようです。 >一方、可愛山陵は、地元で現在「エノサンリョウ」と呼ばれています。  (もしかしてHVHYさんのお里は鹿児島県だったんですか。)  HVHYさんは『古代日本正史』をお持ちでしょうか。この本のP323に、原田氏は このように書いています。                            エ ノ ヤマ >墓陵はうしろの亀の形から名づけた神亀山の上にあって、可愛山陵という。現在、 >宮内庁で役人をおいて管理している。  私はこの「可愛山陵」の部分(振り仮名をエノヤマと振っています)をみて、「葉 隠・どうなる日本精神?」部屋にUPした「ニニギ陵と西郷さん」の文章の参考にし たのでした。なんと私は原田氏の情報を鵜呑みにしていたんですね。  さらに奇妙な情報をここにUPしますと、原田氏は同じ本のP331にこう書いていま す。                           ウ ガヤ フキアエズ   ア イラ >姶良の元名は姶平で、大隅半島の中央吾平町にあるこの鵜茅草葺不合尊の墓陵吾平 ヤマベ    リョウ >山上(辺)陵から名づけられた地名である。(振り仮名は実際は平仮名)  原田氏がどこからこのような情報を取ってきたのか確認することができませんが、 氏が「吾平山上陵」を「吾平山上+陵=吾平山辺+陵」と解釈していることは明らか です。とすると、「上陵」に出てくる「上」の文字は、「上」=「辺」という解釈も 成り立つことになるんです。原田氏はもうこの世にいないので、氏がこのようなこと を書いたわけを直接問いただすこともかないません。(原田さーん、なんで死んじま ったんですか。) >そうすると、松川さんの言われる通り、 >可愛山陵と高屋山上陵・吾平山上陵との間には隔たりがあることになります。 >つまり、可愛山陵の特殊性というものが際立ってくるわけです。  『日本書紀』の表記は正確には「可愛之山陵」であって「可愛山陵」ではありませ ん。しかし他の二つについては「高屋山上陵」「吾平山上陵」の通りです。  漢和辞典の「可」の項で「可愛」の文字を調べると地名として「可愛」に「えの」 という読みを与えています。すると「可愛之山陵」は「えのノみさざき」と読まなけ ればならなくなります。しかし、『日本書紀』本文には「可愛」の文字の直後に「此 をば埃(え)と云ふ」という注の挿入がありますから、例えば可愛小学校は「え・し ょうがっこう」でなければなりません。このように「可愛」と「之」をめぐって混乱 が生じています。HVHYさんがおっしゃる通り、「可愛山陵」は何か特殊性を秘め ている「わけあり」の陵墓なのかもしれません。  最後に「宮内庁バージョン」と「日本書紀バージョン」の「神武天皇」の陵墓の読 みの違いをおまけで付け加えておきたいと思います。  ウネビヤマノウシトラノスミノミササギ  畝傍山東北陵   〔宮内庁バージョン〕  ウネビノヤマノウシトラノミサザキ  畝傍山東北陵   〔日本書紀バージョン〕  さらにおまけ。安寧天皇の陵墓名。〔宮内庁バージョン〕  ウネビヤマノヒツジサルノミホドノイノエノミササギ  畝傍山西南御陰井上陵  私としては、単に「うしとら」対「ひつじさる」の対比がおもしろいと思っただけ のことでした。つまんなかったですか。  北川町のニニギノミコトの「陵墓参考地」訪問の次は、神武天皇の船旅にゆかりの ある伝承地(日向美々津の出発地と延岡の寄港地)を二箇所回ってくる予定です。も しかしたら──書くことが浮かんだら──「葉隠・どうなる日本精神?」にUPする つもりです。  さて、もうこれ以上は私にも考えが浮かびません。また、おとなしくしていたいと 思います。でも「考えが浮かんだら」、HVHYさん、またお相手してくださいね。                                   松川 貴 *- FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/24 - 940/942 GBA01276 しまうま たましいという名の木馬 (14) 93/01/24 11:51 コメント数:2 :遊園地の回転木馬から外れたしまうまさんの木馬は、瞳が輝いてるね  ん? あれ? あれれれれれ? お前さんどこへいくんだよー! この木馬った らかってに・・・うわぁあぁ!! っと・・・柵を飛び越えちゃったよこいつ。危うく振 り落とされるところだったね。おー、走る走る。なかなか風が気持ちいいぞ。とこ ろでどこ行くつもりだよおい。え?自分でもよくわかんない? 無責任だなー。お おいおいそっちは入場口だよ。無茶するなよな。頼む、頼むから! ね、お願い!! ・・・って言ってんのにぃぃ!!! あーもう、ホントに遊園地の外に出てきちゃった。 ほら親子連れがへんな目で見てるじゃんか。どうすんだよ。  でもいいよな。そんなの関係ないよ。あのままぐるぐる回ってたら、お前さんの 瞳が、こんなにきらきら輝くもんだとは知らずに終わってただろうしな。ホレホレ、 車なんて追い抜いちゃえー!! あ、いきなりそりゃ無理か。今まであんなせまっ くるしいとこをとぼとぼ走ってただけなんだもんね。まああせることはないさ。も う少し東へ行ってみよう。草原があるんだ。きっと仲間も見つかるよ。もしかする とそいつは本物の馬だったりするかもしれないけど、その時は精いっぱい駆けて追 いつけるようにがんばればいい。でも天馬だったらどうしようもないよな。なに? そんときゃ空でも宇宙でも飛んでやるって? 夢みたいなこと言ってんじゃないよ。 でもまあお前さんがこんなところ走ってること自体が夢みたいなもんだもんなぁ。 うん。飛べるかもしんない。飛べたらいいよな。飛べるまで走れ!って、おれの好 きな言葉なんだ。 941/942 GBD03557 シゲ RE:たましいという名の木馬 (14) 93/01/24 15:43 940へのコメント しまうまが木馬に乗る。しまうまが木馬に乗る。しまうまが・・・ いるんだよなぁ、こういう馬鹿な突っ込み入れる奴が・・・あ、俺か。 :う少し東へ行ってみよう。草原があるんだ。きっと仲間も見つかるよ。もしかする :とそいつは本物の馬だったりするかもしれないけど、その時は精いっぱい駆けて追 :いつけるようにがんばればいい。でも天馬だったらどうしようもないよな。なに? :そんときゃ空でも宇宙でも飛んでやるって? 夢みたいなこと言ってんじゃないよ。 :でもまあお前さんがこんなところ走ってること自体が夢みたいなもんだもんなぁ。 :うん。飛べるかもしんない。飛べたらいいよな。飛べるまで走れ!って、おれの好 :きな言葉なんだ。 僕は、本物の馬も、鉄で出来てる馬も乗ったけど、空は飛ばなかったなぁ。 一度、鉄の馬に乗っていて空を飛んで、そのまま宇宙まで飛びそうになったけど、 また地球に戻ってきちゃった。 飛べるまで走るのもいいけどさぁ、飛んだっきり戻ってこないなんて嫌だかんね。 跳躍に留めておいてね。>しまうまさん! えっ、そういう意味でいったんじゃないって? それは分かってるけどさぁ、僕はそうとっちゃうんだよね。 回転木馬かぁ・・・メッセージで言われるまで気がつかなかったけど、つながれて 同じ所をグルグル回っているだけの木馬って可哀想。 でも、遊園地に遊びにきた子供に夢を与えることだってすごい大切なこと。 奇麗な音楽にあわせて同じ所を回る・・・それが定め。 回転木馬を見ていると、精神病院に表敬訪問した時を思い出すなぁ・・・ やっぱり軍の施設なんだけど、人権もなにもないんだ。 格子のはめられた部屋。いわゆる牢屋と同じだな。そんな部屋で蟻や蝿を捕まえて 食べてるお爺さん。全裸で踊り狂う僕と同じくらいの年齢の女性。 そんな中で、一つの円卓を囲んで一日中同じところをグルグルと回り続ける人々。 心に障害を持つ人達の事は、よく分からないけど、彼らは何を考え、何を希望に、 何を糧に生きているのだろうか・・・ そういえば僕等がいる地球だって、同じ所を回りつづけている。 僕は思いっきり飛び出して生きていきたいな。 - FARION MES(17):◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 93/01/24 - 229/235 JBH00742 COOL RE:火の鳥 (17) 93/01/23 23:45 228へのコメント コメント数:1  こんにちは、たまごさん!  早速『火の鳥』を6冊分買ってきて読みました。  (今のところ3巻まで読みました。)  私が気に入ったのは、2巻の未来編の最後で  ムーピーのタマミとマサトが一緒に溶け合う?場面です。  「別れ」があっても、何時かまた「出会い」があれば…。 230/235 GED02746 りお 未完の火の鳥 (17) 93/01/24 02:07 228へのコメント コメント数:1 手塚氏の構想では,遠い未来と遠い過去から描きはじめて,最後に現代を 舞台にする予定だったとか.実現しなくて残念です.