- FARION MES( 4):【操舵室】お知らせ・提案など--------<01> 93/01/27 - 095/095 GGA02027 GREY SubSys辞任します ( 4) 93/01/27 21:28  詳細は触れる事が出来ませんが,会議室上の事で会員に対して出したメール から問題を引き起こしたので,[問題発言が多いという噂もある]と言及され た事もあり,いきがかり上SubSysの辞任を宣言します.  今後はもし見かけましても,上記の事念頭において頂ければ幸いです. GGA02027/GREY - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/27 - 666/678 MHD02672 TAO 確認したいのですが (11) 93/01/26 22:31 661へのコメント コメント数:1  >KAZEさん  現時点での私の考えは、前にも述べた通り、しばらく冷却期間を置いてから  述べたいと思いますが、その前に確認したいことがあります。  去年だったでしょうか、有楽町でKAZEさんとミニオフした時(翌日は確か  FARIONの大オフがあったはず)、KAZEさん自身のことで「とんでもないこと」を  話されたのでしたよね…。私自身も後で、その件でKAZEさんにメールを出した  はずです。  その「とんでもないこと」は、確か、“MIZUHO”さんのチャネリング現象と  ほぼ同時に発生した…とのことだったと憶えています。  その内容は、プライパシーに差し障りますから、勿論ここでは明らかにしませんが、  “MIZUHO”さんのことを考える際、その件が、KAZEさんの“MIZUHO”メッセージに  対する姿勢や認識に影響しているのではないか、と疑っているのです。  でも、この件についてはあくまでも伏せておくか、オープンにするかは、  KAZEさんの判断に委ねたいと思いますので、その旨についてのご返事をお願い  致します。  TAO 668/678 JBH00742 COOL 古い話ですが・・・ (11) 93/01/27 01:07 コメント数:1  こんにちは、KAZEさん!  え〜っと、ここ最近の書き込みと関係するかどうか分かりませんが  以前(12月の中ごろ)に、私はMIZUHOさんの友人として  FARIONから、なえさんを友人としてお薦めしたのですが、  その件はどうなったのでしょうか。  確か、書き込みはプリントアウトされて、手渡されているとのことですから  MIZUHOさんからも、何かコメントがあったのですよね。  審神者がどうとかいうのではなく、  なえさんだと、物理的にも距離が近いので相談相手になってもらえるのでは  と思いますが、如何なものでしょうか。  会議室の流れを無視してたら済みません。  この話しも、元はと言えば「白山」の話しから出てきたと思うので  私としても気になりましたので…。 669/678 GGA02514 KAZE TP心理学など (11) 93/01/27 01:57 643へのコメント 科学屋のせしもさん、どうもです。 ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」などは、 トランスパーソナル心理学の代表的な著作ですので、 もちろん、ニューサイエンスっぽいものです(^^;)。 ま、当たるも八卦、当たらぬも八卦よいよい(^^;)・・・なんて感じで、 期待しないで眺めてみると、ふうん、少しはいいとこあるじゃん、と思えるかも。 僕は、この手のものは、かなり前になりますが、 一時期集中して読んだことがあります。 もちろん、最近ではあまり読まなくなりましたが、 それなりに、それなりで、それなりの良さはあると思います(^^;)。 でも、ちょっと危険なところに無頓着なのがあったりしますから、 そこらへんのところを注意しとけば、参考にはなるのではないでしょうか。 ユングなんか読みすぎて、こんがらがった脳味噌の緊急治療にもいいかもね(^^;)。 カウンセリングと宗教団体というのは、働きとしてもやっぱり似てます。 もちろん、社会的な枠組み内でのポジションは異なってますが、 ベールをはぎ取ってみると、かなり類似点は多いのではないでしょうか。 歴史的に宗教を見てみると、カウンセリングというのは大きかったようで、 それが役割分担されてきて、いろんなジャンルに分かれていったのでしょう。 もちろん、チャネリングのセミナーなんていくのは、同じようなもので、 もちろん僕はそういうの好きになれないから、近寄りたくないなあ。 そもそも、「安易になんでもひとに相談するな!」というのが僕の基本的なスタンスで ほとんどのことは、自分で解決可能なものを、ひとに責任をわけ持ってもらおうとして ほいほいと相談するものでしかないと思います。 もちろん、そうでない場合もありますが、割合は少ないのではないでしょうか。 MIZUHOさんのことですが、「広く公開して欲しい」というのではないですよお(^^;)。 「心ある者に伝えよ」です。 ま、「心ある者」ってのもはっきりしないから、よくわかんないけどね。 「いきさつ」というのも、まあ、明確であるとはいえないから、ううむです。 メッセージに距離をおくのもひとつのスタンスでしょうから、 それはそれなりでいいのでしょう。 それと、「悪い部分」を「カットする」というのではなくて、 部分だけを文脈から切り放して読んで、短絡的に判断することの危険性のため 部分だけ読んで「ほら、おかしい」といわれかねない部分を差し控えようか ということです。 それと、あまりにも個人的なものも、その背景が理解されがたいし、 誤解の大きな種になりますから、控えようということです。 >どれくらいの人々の目に触れているのでしょうね。 いや、大した人の目にはふれてないと思います。 それに、目にふれても、ちゃんと読んでる方というのは もっと少ないでしょうね。 ゆったりした休みが欲しい・・・と切に願っているKAZEでした。 670/678 GGA02514 KAZE 不可解 (11) 93/01/27 01:57 666へのコメント TAOさん、どうもです。 「疑っている」ですかあ、困りましたね(^^;)。 もちろん、すべてのことは関係し、影響しあっているので、 全然関係しないとは断言できませんが、 そうした考え方をのぞけば、ほとんど影響してないと思います。 そして、そうしたことをオープンにしたりする気持ちはありません。 僕自身のことでしたら、とくに差し支えないと思いますが、 僕以外のことをこうしたボード上でコメントするのはマナーに反すると思います。 不信感を持つのは仕方ありませんが、そうした言動はそれとは別のことです。 それこそ「公私混同」なのではないでしょうか。 しかし、MIZUHOさん関係のことが、 TAOさんにかなりの不快感を与えたとしたら、お詫びしないとね。 でも、紹介したメッセージ、そんなにTAOさんの気にさわったのでしょうか。 それとも、内容の上で、許せないものがあったのでしょうか。 また、誰かを不当に傷つける要素がそこにあったというのでしょうか。 そこらへんについては、なんだか理解できないものがあります。 メッセージの紹介で僕が何か利益を得たとかいうこともないはずですし、 かえってTAOさんの不信感をかっただけマイナスだったのかもしれませんね。 どうしても、メッセージの紹介がTAOさんの利害に反するのだとしたら、 TAOさんの目にふれないようにするしか仕方ないでしょうね。 そうしてほしければ言ってください。 人を傷つけてまで紹介するような種類のメッセージではありませんから。 しかし、TAOさんにとって、何がどう不快に映ったのでしょうか、 理解に苦しむKAZEなのでした。 671/678 GGA02514 KAZE 道徳 (11) 93/01/27 12:50 658へのコメント DIRACさん、どうもです。 >霊界の構造を知って、ひょうい現象が起こる理由について説明できたところ >で何も解決にならないんです。向上して、救われていくには、日々の生活態 >度にかかっているわけですが・・・ そうですね、知識というのは行為に転化してはじめてその命を得ます。 日々の生活ということに「命がけ」で取り組まない限り、 何の意味もないというのは大原則だと思います。 シュタイナー的な修行の観点もそこらあたりに集約できるようです。 ただ、個人的な趣味でいうと、自分が「救われていく」っていうのは それだけに終始すると、それ自体がすごいエゴになってしまうので、 その言い方というのは好きではないです。 >感謝のないつまらない、苦痛の毎日。例えば、自分の意志で感謝を沸き起こす >のは難しいものです。感謝を沸き起こさせて下さいと思う心、その謙虚な純粋 >な心が救いを求める心ではないでしょうか。  やっぱり、感謝というのは、自発的なもので、 「しなければならない」というスタンスでは虚偽になってしまいます。 日々、みずからが生かされているんだなあ、という実感をもてるような、 そんな心を見失わないようにするしかないのでしょうね。 そのときにも、安易に「救いを求める心」というのは、 まちがえばエゴに転化しかねないことを忘れないようにしたいものです。 >結局、ある人の神秘体験を「信じるか、信じないか」というところで、議論は >分裂してしまうんです。自分が凡夫である限り、必ず、真っ先に「信じるか、 >信じないか」を問い続けられるのではないでしょうか。 ううん、ここらへんは、非常にむずかしいポイントで、 ひとの不信感などを喚起しやすい部分でもあるわけですが、 神秘体験のない僕のようなタイプが どこまでそれにコメントできるかどうかは疑問ですが 自分がいまここにいるというのが最大の神秘だと思えなければ、 いかなる神秘体験もほとんど意味を持たないのではないかという気がします。 アインシュタインも、確か、世界そのものがあるということが神秘なのだ、 という言葉をどこかで言っていましたよね。 >神秘的体験を系統的に理論的に体系付ると、神秘学になるんでしょうか? >神秘学は神秘の理論的部分だと思うのです。だから、哲学だと思います。 >シュタイナーの哲学はすばらしいと思います。実践できるという意味で。 >しかし、シュタイナーのすばらしさが本当にわかるのは、「まず信じて行って >なるほどそうだな」と思ったときだと思います。この体験なくして、シュタイ >ナーを語ること(またはそれに限らず語ったこと)は、きつい言い方ですが、 >その人にとって盲信です。哲学である限り合理性の世界、つまり矛盾は解決出 >来ない。そこで、愛が登場する。そして、愛を説く。 >しかし、頭で愛を理解しても心は動かない。実践できない。哲学の限界ではな >いでしょうか。 僕もそこらへんのことについては、似た考え方をもっています。 世にいるシュタイナー研究者というのは、 それを「行い」と切り放している場合が多いのです。 最近、儒教という生の実践哲学の代表のような思想について いろいろ勉強してるのですが、不思議なことに、そこに描かれているのは シュタイナー思想の実践ということと非常に似ているんです。 もちろん、「神秘行」というスタンスではなく、人の道の実践ということなのですが。 ちなみに、儒教の中の「大学」に関連して、「道」と「徳」、 つまり「道徳」の本意について、安岡正篤さんは次のように述べています。 宇宙の本体は、絶えざる創造変化活動であり、進行である。その宇宙生命よ り人間が得たるものを「徳」という。この「徳」の発生する本源が「道」で ある。「道」とは、これなくして宇宙も人生も存在し得ない、その本質的な ものであり、これが人間に発して「徳」となる。これを結んで「道徳」とい う。よって「道徳」の中には宗教も狭義の道徳も政治もみな含まれている。 しかもその本質は「常に自己を新しくする」である。・・・人はこの「道徳」 の因果関係を探求し、その本質に則ることによって自己の徳(能力)を無限 大に発揮することができるのである。 >愛せる自分になりたい! と思うことを「救いを求めている」と解釈すると >愛せる自分になった! と実感できたことは、「救われた」と解釈できます。 ま、先ほどもいいましたように、「救い」っていう消極的なイメージの言葉というのは あまり好きではありませんが、愛を求める自分から、「愛せる自分」へという 方向性の大切さは理解できます。 さらにいうとすれば、「愛する」ということから「愛を与える」というスタンスに 向かうというのが大事なのだと思います。 そしてそこに開かれるのは「救い」から「悟り」への道なのだと思うのですが どうでしょうか。 >宗教を毛嫌いする傾向については、もっともだと思う部分が多々あります。 >・・・確かに、感心出来ない団体、奇異な団体他いろいろあります。 >ほとんどの団体が、排他的なのかも知れません。 >しかし、例外も存在するかも知れないという可能性は >考慮しておくことも必要かと思います。 そうですね、問題は「宗教団体」という排他的なスタンスにあるのでしょう。 僕もそういうスタンスには大きな疑問(偏見?)を感じているひとりですが、 だからといってすべての宗教団体がおかしいということではないということは 認識しておきたいと思います。 >・・・とどのつまりは、神秘学を学ぶにしても、ヨガの行をするにしても、 >−−−何をやるにしても、正しい信仰を持つことの大切さを訴えたかったも >のです。そにしても、信仰をタブー視し過ぎではないでしょうか。 >いずれにしても、信仰にとらわれて不自由になることがあってはいけません。 要は、普通使われる信仰ということばが、「不自由」を意味している、 つまり「鰯の頭も云々」ということにありがちだということが問題で、 「道」を体現する「徳」という方向性にひとを導くためのそれであれば、 人間の最高の原理ともなり得るのかもしれません。 でも、ひとはそんな方向よりも、安易な盲信を選びがちのようで、 やれやれというのが実状なのではないでしょうか。 僕は信仰には程遠い、無明の道を日々辿ってますが、 少しでも心と行いをプラスの方向にもっていこうと思っているKAZEでした。 672/678 GGA02514 KAZE 火から光へ (11) 93/01/27 12:51 660へのコメント コメント数:1 隆ちゃん、どうもです。 >昨年母がご先祖様のお墓に参ったとき、長浜は極めて牧歌的で良いところだっ >たと言っていましたので松山もそれに準ずるのかと思っていましたが、・・・ ううん、田舎は田舎かもしれないけど、おっしゃるとおり事情は そう変わったものではないようです(^^;)。 でも、都会の方々からイメージすると、松山なんてのは おそろしく田舎のイメージがあるのでしょうね(^^;)。 交通の便が良くて、本や音楽などをふくめた情報などに不便がなければ、 もっと空気が良くて水のきれいな山奥などに住むのがいいのでしょうが、 貧乏暇なしの僕なんかのようなサラリーマンはそういうわけにもいきません。 >奥さんの「洗剤をできるだけ使わない洗い物」という話を聞くと、思わず手を >とって「おお!!同志よ」と叫びたくなります。 NoBさんがちょこっとそれについてコメントされてましたが(^^;)、 一番大切なのはそういう心を持って何か実際に行動することなのだと思います。 一番いけないのは、無頓着さであって、 その次にいけないのは、そんなことしても無意味だよとかいうスタンスだと思います。 やはり、ポリのパックや牛乳の紙パックは、まとめて再生利用してもらおうとか 可燃ゴミと不燃ゴミとをちゃんと分けて出そうとすることなのだと思います。 それに加えて、食べ物をそまつにしないためにも、必要な量をきちんと考えて、 過剰な部分が極力でないように心がけることも大切なことでしょうね。 僕は、相棒と生活するようになって、そこらへんのことを かなり重点的に意識改革することを余儀なくされましたが(^^;)、 やっぱりそこらへんについてきちんと考えられるようになったのは大きな進歩でした。 しかし、今だに、僕は大ざっぱさが抜けなくて、 買い物に出かけるとよけいなものをついつい買い込んでしまったり、 ご飯をつくるとたくさんつくりすぎて余ってしまったり、と反省は多いですね(^^;)。 ちなみに、僕は買い物やご飯をつくることは、わりと好きです(^^)。 >・・・炎を見ていると飽きないなあという感覚は僕もあります。 >炎を見つめるってなかなか不思議な感覚ですよね。 この「火」について考えるというのは、 水について考えるのと同じくらいスリリングなことで、 水に比べてより物質感覚が希薄な分だけ、より神秘的な感じがしますよね。 この「火」についての手元にある文献を漁っていましたら、 懐かしい本がでてきました。 もう10年ほど前に訳された本ですが、ひろい読みしてみると内容はなかなか(^^)。 ●ガストン・バシュラール:火の精神分析(せりか書房) なのですが、いつものように、そこから興味深そうな部分を紹介しましょう。 まずは、この「火の精神分析」によせられたノースロップ・フライの序文から。 われわれの文化伝統の初期の段階では、火の世界は、きわめて重要な意味で、 天上そのものと地上の間に存在する諸天体の世界であった。聖霊は火の形を なして天上から舞い降り、最高位の天使たちは火の天使であり、天使に先立 つ神々は遊星を支配していた。キリスト教にとって、上位の聖霊たちの世界 は、神が最初に計画した堕落していない世界のあとに残された世界そのもの なのである。天地創造以前の堕落していない世界としての火の世界は、「ノ ヴァリス・コンプレックス」としてバシュラールの著作のなかにあらわれて いる。原初の故郷への回帰、つまり上昇する火という補足的な神話は、ヘラ クレスの火葬用に積み上げられた薪によって象徴され、・・・ダンテの煉獄 その他にある火のイメージそのものに流れ込んでいる。ロマン派の詩人の場 合には、より人間的な火は、人間の位置を聖なるものにも似た運命へと高め ることを象徴してさらに純粋な「プロメテウス・コンプレックス」と化して いるし、『白鯨』のエイハブ船長のように、火を崇拝する正しい形式は挑戦 することであると思っていたより革命的なロマン派の詩人シェリー、バイロ ン、ヴィクトル・ユーゴーにとって、特にそうであった。最後の審判つまり 火による世界の崩壊と、人間の魂が火の中に吸収されるとするのは「エンペ ドクレス・コンプレックス」である。 さて、バシュラール自身の論の中で興味深いのは、 「火」と「純粋性」について述べられている部分です。 火は、ときとして罪と悪の印として理解される悪魔的な象徴としても現れますが、 一方では、純粋性の象徴でもあり、「一切を浄化する」ものとして、 「腐敗の克服」としての「防臭力」を持ち、さらに、 物質を分離し、物質的不純性を消滅させ、 他方では、「田畑を浄化」し、大地を肥やすものとしてもとらえられます。 また、火の純粋性は非物質的・非実在的なものとして「精神」に帰せられますが 他方ではその不純性は火が灰を残すという事実があります。 こういう火についての理念の究極として、 バシュラールは先の序文でもふれられていたような「ノヴァリス・コンプレックス」 として、火と光の現象学的弁証法について述べています。 ときとして火は燃えずとも輝くことがある。そのときその価値は純粋そのもの なのである。リルケにとって、「愛されることは焔の中で燃え尽きることを意 味する。愛されることは不滅の光によって輝くこと」なのである。というのは、 愛するということは疑惑から逃れさることであり、心の明証性の中に生きるこ とだからである。  火から光へのこの理念化は、われわれがその原理を現象へ可能な限り近づい て把握しようとするとき、まさしくノヴァリスの超越そのもののようにみえて くる。事実、ノヴァリスはいっている。「光は火性現象の本質である」と。光 はひとつの象徴であるだけではなく、純粋性の代理人でもある。「光がなすべ きなにものも、結び合わすべきなにものも見いださないそこのところを光は通 る。分たれることもありえないし、結び合わせられることもありえないという ことこそ純一無雑なことなのである。」無限の空間の中で、光はだから「なに も」しないのである。それは心の悟得の基礎なのである。ノヴァリスが内奥の 火から天空の光への移りゆきを記述するとき、おそらく誰も彼ほど自然現象か ら多くの着想を引きだしたものはいなかっただろう。 火から光へという観点というのは神秘学的にみても興味深い点で、 地から水へ、水から風へ、風から火へ、火から光へという魔術的メタモルフォーゼには この世界の創造の秘密が隠されているのではないかという気がします。 ええと、ここまできて長くなりそうな気がしてきましたので、 アーティクルを更新させていただきます。 つづく・・・のKAZEでした(^^)。 673/678 GGA02514 KAZE 夢・神秘行・MIZUHOメッセージのとりやめ (11) 93/01/27 12:52 660へのコメント 前アーティクルのつづきです。 輪読会関係についてですが、 >・・・夢が高次の世界と深いつながりがあるらしいという事は他にも >色々と耳にします。 この「夢」についてシュタイナーが述べているものを 紹介させていただきたいと思いますが、 このテーマについては、前会議室の#500で、「夢見とはなにか」について コメントしたことがありますので、それからいくつかピックアップします。 ============================================================================== ふつう人間は朝になると目覚め、昼間働き、夜になると眠りにつき夢を見て また朝目覚めるという繰り返しによって人生を送っています。 もちろん、夜になると目覚め朝になると眠りにつくという方もいらっしゃいますが それは単なるバリエーションといて解釈しますので文句を言わないように!(^^;) で、このプロセスを例のエーテル体だのという ほんとかうそかわからない(^^;)概念で説明してみますと、 目覚めている間の人間は、肉体、エーテル体、アストラル体、自我から成っていますが 眠りに入って顕在意識を失っている状態では、 自我とアストラル体がエーテル体と肉体から離れ、 肉体とエーテル体を寝床に残したまま魂的・霊的な宇宙空間へと上昇していきます。 で、その間に、宇宙の調和のなかでエネルギーを補給したアストラル体と自我は 目覚めるときにまた肉体とエーテル体と再結合し、 「さあ、今日も元気だ、がんばるぞ!」か「ああ、また一日がはじまってしまう(^^;)」 とかいうことになるわけです。 この眠りのプロセスと「死」がどう異なっているかというと、 「死」に際しては、生命体ともいうべき「エーテル体」までもが 肉体からバイナラしてしまうと、生命体をもたない肉体は死体となる。 とまあ、こういうクリアーな説明になるわけです(^^)。 では死後のプロセスはどうなるか(^^;)ということはこの際おいといて、 覚醒と睡眠との中間にあるといえる「夢見」について ちょこっと長くなりますが紹介しておきましょうか。 以下の引用部分はシュタイナー「神秘学概論」(人智学出版社/P87-89)からです。 「人間は、夢の世界では、感覚的な知覚や判断力の通則につながれた覚醒時の意識法 則から解放される。実際、夢には、神秘的な法則のいくばくかが含まれており、こう した法則は、人間の予感にとっては魅力にあふれたものであり、芸術的な感覚の基礎 をなす想像力の美しき戯れが好んで『夢見』と比較されるという事実の深い理由とも なっている。こうしたことは、いくつか特徴的な夢を想起するだけで裏書きされるこ とが分かるであろう。たとえば、ある人間が、とびかかってくる犬を追い払う夢を見 るとする。目が覚めてみると、無意識のうちに掛けものを押しのけていることに気づ く。掛けものが、自分の体の望みの箇所に掛けられていなかったため、煩わしい感じ をうけたのである。こうした場合、夢の活動が、感覚的に知覚可能の経過から作り出 すものは何なのだろうか。感官が覚醒時に知覚する事柄は、さしあたり全く意識され ずにおかれる。だが、中核となる点、つまり、人間が何かをよせつけまいとする点だ けは保持される。そして、その点をめぐって出来事が形象のかたちで紡ぎ出される。 これらの形象自体は、覚醒時の生活の余韻である。夢の形象は、昼間の生活から借用 されるのだが、その借用のされ方は恣意的である。外的誘因が同じであっても、夢の 場合には、異なる形象が手品のように紡ぎだされるのは誰もが感じることであろう。 だが、その形象は、たとえば、人間が何かを押しのけねばならないという感じを象徴 的に表現しているのである。夢は象徴的な形象を創出する。つまり象徴創出者と言え る。内的な出来事も、そのような夢象徴に変換されることがある。」 「感官が活動を止めると、人間の場合、ただちに創造的な要因が自己主張するように なることが分かる。この創造的要因とは、完全に夢見のない睡眠時にも存在するもの だが、その場合には、覚醒時の魂状態の対極をなすと思われる魂状態を意味している。 この夢見のない睡眠がはじまる場合には、アストラル体が、エーテル体と物質から離 脱していなければならない。夢見の場合には、アストラル体は物質体の感覚器官との 関わりが失われれば、物質体から分離された状態となるが、エーテル体とは一定の関 わりを保っている。アストラル体の体験が形象を通じて知覚できるのは、このエーテ ル体の関わりのためである。この関わりが断たれると、諸々の形象は無意識の暗闇に 沈んで行き、夢見のない眠りが現れる。」 ============================================================================ >僕も夢を見ますが(当たり前ですね(^^;))、朝起きて憶えているのは印象の強 >かった夢くらいで、ほとんど忘れています。一方カミさんはかなりの確率で憶 >えています。 僕んところとおんなじだあ(^^;)。 僕もあまり覚えていないほうですが、相棒はいろいろ不思議な夢をみるようです。 >僕は20歳くらいまで金縛りにあったり、恐い夢を見たりしていましたが最近 >は悪夢をとんと見なくなりました。 僕は金縛りだとかいうことにはあまり縁がなくて助かっています。 小さい頃には熱を出したときなど、恐い夢をみていましたが、 その後たまに覚えている夢といえば、かなり牧歌的な夢ですねえ(^^)。 >芸術的な才能のある方々は夢をカラーで見るという話を聞いた事がありま >すが、神秘学の観点から考えると何か意味があるんでしょうか。 カラーの夢っていうのは、霊界体験であるという説もありますけど、 実際のところどうなんでしょうか。 >動物は夢を見ないという方がおられますが、僕は少なくとも犬は夢を見ると >思います。 そうですね、犬だけでなく、猫なんてのも夢をみるのではないでしょうか。 アストラル体を有する存在はおそらく夢を見るのでは、と思いますが、どうでしょう。 たぶん、植物はそういう意味での夢はみないと思いますが、 別の意味での「意識の形態」という意味では、 鉱物だって夢をみているともいえるでしょうね(^^)。 「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」ですが、 これはやはりシュタイナーの基本中の基本だと思います。 基本だというわりにはどこまで理解できてるか疑問ではありますが、 最初に読んだとき、じーんと感動したのを覚えています。 でも、シュタイナーの著作って、ふつうイメージされるより ずっとずっと道徳的だと思いますが、それがだんだん快感になる(^^;)。 その実践面というのをもっと集大成した生の哲学が儒教なのだと思うのですが、 いつもの僕の大風呂敷なのかもしれません。 えっと、これまでにも幾度か紹介したことがあるのですが、 この「いか超」の最初の章「条件」についてから、 シュタイナーの神秘行についての基本的スタンスについての部分を。 「あなたの求めるどんな認識内容も、あなたの知的財宝を蓄積するためのもの なら、それはあなたを進むべき道からそらせる。しかしあなたの求める認識内 容が人格を高貴にし世界を進化させるためのものであるなら、それは成熟の途 上であなたを一歩前進させる。」この原則は厳格に遵守されねばならない。そ して誰もこの原則を人生の規範にする以前には、神秘学徒でありえない。われ われは霊的修行のこの真の在り方を次のような短い命題に総括することもでき る。「如何なる理念も理想たりえぬ限りは魂の力を殺す。しかし如何なる理念 も理想たりうる限りはすべてあなたの中に生命力を生み出す。」 “MIZUHO”さんのメッセージについてですが、 TAOさんの意外な反応があったりしてちょっと当惑してるのですが、 そんなに僕は変なことしてるのかなあ、なんてちょっと(^^;)(^^;)(^^;)です。 この会議室の最初からスタンスが変わったなんてこともないと 自分では思っているのですが、それは僕の認識不足なのでしょうか。 僕が思っているよりずっとみなさんに不信感を持たれているのかもしれないなあ、 なんて思うととっても悲しくなってしまうのですが・・・(^^;)。 ま、あのTAOさんがああまでおっしゃるのですから何かあるのでしょうし、 メッセージを紹介してひとの迷惑になるのもなんですから、 メッセージの紹介をやめようか、なんて考えています。 >アクセスすれば嫌でも読まされる上に、半端でない頻度でメッセージを載せ >続けること自体に、「意図」の存在を感じるようになったのです。 まあ、メッセージがたくさんあって、当然のこと増え続けますから それを随時掲載してたのが悪かったのかもしれません。 やっぱり、「嫌でも読まされる」というのは、僕の責任でもありますから、 隆ちゃんのおっしゃるように、 >読みたい人は読めるし、読みたくない人は無視できる というようにしなければと考えています。 ま、フォーラムの性格上、この会議室以外を使うことは困難でしょうから、 希望者にメールででもお送りするというのが妥当なところかもしれません。 僕の個人的なことを会議室に持ち込むな!というのがTAOさんのご意見でしょうから、 そういわれると、そうせざるを得ないでしょうね。 まだ決めたわけではありませんが、ああまでいわれると考え込んでしまいます。 もし、なにかご意見があればお願いします。 やれやれ、今年最初からのロング・アンド・ワインディング・ロードは 終わる気配をみせず、どうなることやら(^^;)(^^;)(^^;)のKAZEでした。 674/678 GGA02514 KAZE RE:古い話ですが・・・ (11) 93/01/27 12:53 668へのコメント コメント数:1 COOLさん、どうもです。 >以前(12月の中ごろ)に、私はMIZUHOさんの友人として >FARIONから、なえさんを友人としてお薦めしたのですが、 >その件はどうなったのでしょうか。 “MIZUHO”さんにはちゃんとプリントアウトして、 こういう話があるよ、ということはお知らせしてあります。 その後、それについて“MIZUHO”さんからは特に何も聞いてないので また聞いておくことにします。 でも、この会議室でのなえさんの書き込みを見るくらいで、 なえさんという方がどういう方なのかはよくわからないのですが、 どうなんでしょう。 それと、“MIZUHO”さんの友人っていうのは結構いて、 “MIZUHO”さんというのはかなりの相談魔(電話魔)のようなところがあって、 こうしたこと以外についてはいろいろ相談相手もいるようです。 もちろん、僕の相棒も友人のひとりですので、 同性としていろんな相談ごとなどを扱っている(^^;)、ようですよ。 えっと、それからメッセージの紹介について、 TAOさんのお怒りなど(^^;)もあったりしたので、 一度見直してみようかな、なんて思っています。 それについては、隆ちゃんへのレスの中でもお話しています。 メッセージはいっぱいたまってますが、仕方ないので、 とりあえずしばらくは紹介しないようにしようか、なんて考えてます(^^;)。 ま、人生いろいろわからないことも多いけど、 がんばるっきゃないって感じのKAZEでした。 PS まだわかりませんが、明後日、広島経由で岡山に行きます。 それと、3月の13日の土曜日には、岡山市でイベントのディレクターをすることに なっていますので、確実その日は岡山にいると思います(^^)。 675/678 GGD02212 *ねぎひさお* 審神者やコンサルタントの人格について (11) 93/01/27 13:24  こんにちわ>>>>>>KAZEさん “MIZUHO”メッセージ(のUP)に関しては、辛口の意見が目立つようですね。  一連のメッセージの真贋やUPの適否に関しては、私も確信のあるコメントは できませんが、今のところ、どちらかと言うと肯定的に受容できる内容との 印象を持っています。将来に受容し難いものになる可能性は否定しませんが。  「神」と聞いただけで盲信・盲従はしません。メッセージでは「神々」と 複数形で出て来ますから、「絶対的存在」ではなく単に「霊的存在」という 意味で「神」という言葉が使われていると私は解釈しています。  さて、その神様がどの程度信用できる神様かを見分ける審神者の件ですが、 その審神者がまたどの程度信用できるのかを誰が見分けるのか?となると、 難しい問題ですね。  ここから話が脱線します。 人格的にも満足できるような納得いく審神者が見つからないとの事でしたが、 これは人生相談のコンサルタントでも占い師(占い屋?)でもそうですね。 「易者身の上知らず」なんて言いますが、医者でもひどいのが無いとは言え ないです。肺癌治療の専門家がヘビースモーカーだったり、糖尿病の専門家 が(Dr.Rayのような)肥満者だったりというのは珍しくありません。(^"^;)  それでも、悩み事をうちあける相手は人形や動物よりは人間の方がマシで、 ただ話を聞いてもらうだけでも随分と助けになっているとは言えます。  偉そうな事が言える御立派な人格者でなくとも、そのときだけでも親身に なって我を忘れて相手を理解しようとすれば、それなりに何処からか答えや 解決の糸口が見えて来ることもあると思います。  多くの悩める者や病める者の相手をするコンサルタントや占い師、 医者、 ヒーラーが相手のカルマ的なものを「被る」という面もあるかも知れません。 相手を理解しようと努めるあまり、心の歪みにまで共鳴してしまい、歪みが 蓄積され、何時の間にか自身がヒステリックな不平不満の塊のようになって しまうというのが、弱い者の味方をする人の落とし穴になり得ると思います。  現状としてはMIZUHOさんもKAZEさん夫妻?も明朗で健康な精神を保たれて いるものと信じます。お互いの信頼関係はMIZUHOさんにとっても大きな心の 支えになっていることでしょう。もし三者のみで解消できない困難が生じた 時には新たな協力者が現れる事を祈ります。  御多忙のご様子ですので、これへのコメントはもしいただけるのでしたら 時間の余裕のある時に簡単でいいです。風邪が流行っているようですので、 KAZEさんもお気を付けて。空気中の「水」(湿度)も風邪の予防に重要です。 それでは失礼します。                     *ねぎ* 677/678 TCC00116 NoB RE:火から光へ (11) 93/01/27 21:25 672へのコメント あ、KAZEさん、リファどうも。 エコには僕はそれなりに関心もありますし、実践というのも大切に 思います。とま、そうとのみ言うことはあまり意味ないことですが。 そうしたなかで、僕が最近思うのは、        支出の倫理 ということなんです。簡単にいうと、        てめーの稼いだ金をテメーの勝手に使わない ということなんです。消費のなかに、自己を表現することのなかに、 いちばん基本的な問題構図があると思うのです。これは、禁欲でも ケチということでもないつもりなんですが。 Gもこの点については面白いこと言ってます。ま、またのおりにで も。 NoB 678/678 JBH00742 COOL RE:古い話ですが・・・ (11) 93/01/27 21:40 674へのコメント  KAZEさん、早速のレス有難うございます。 》》》でも、この会議室でのなえさんの書き込みを見るくらいで、 》》》なえさんという方がどういう方なのかはよくわからないのですが、 》》》どうなんでしょう。 》》》それと、“MIZUHO”さんの友人っていうのは結構いて、 》》》“MIZUHO”さんというのはかなりの相談魔(電話魔)のようなところがあって 》》》こうしたこと以外についてはいろいろ相談相手もいるようです。 》》》もちろん、僕の相棒も友人のひとりですので、 》》》同性としていろんな相談ごとなどを扱っている(^^;)、ようですよ。  以上の書き込みについてですが、  私から見れば、(KAZEさんが)とにかくMIZUHOさんに人を近付けたくない  といった風に思えるのですが…。  ここで今問題となっているのは、“こうしたこと”について  「信頼の足る複数の相談相手がいない」ことではないのでしょうか。  なえさんがどの様な方なのか疑問に思っていらっしゃるのなら  一度お会いになっては如何ですか。  それから判断なされても全く問題はない、と思います。  あと一つ付け加えるとしたら、「TAOさんが怒っているから」→「止める」  ということがイマイチ分かりにくいのですが。  私なら、「TAOさんがOOOということに対して怒っているので、  よく考えてみると、それはおっしゃる通りOOOなので、  この場合、私もOOOと判断して、UPは暫く中止することに決めました。」  といった経過を辿ります…。  近いうちにお会いする機会が持てそうですね。  近くに寄られることがありましたら、お立ち寄りください。  連絡先は直接メールさせて頂きます。  では、今後ともよろしくお願いします。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/27 - 691/692 GCG01101 アマデウス 風の歌を聴け (13) 93/01/27 21:48  かなり以前から気になっていたことがあります。  それは、『若い人(30歳以下位)の耳が小さくなってきているのではないか?』 ということです。冗談みたいな話ですが、真剣です。  街中で見かける若い人達の耳の大きさが、頭部の大きさに比べて不自然に小さいと 思ったことはありませんか? 私が初めてそれに気がついたとき、たまたまそういう 身体的特徴を持った人がいるとしか思いませんでした。ところが、それが度重なり、 通勤途上で毎日必ずそういう人を見かけるようになると、偶然とは思えなくなってき ました。  私の思い過ごしでないとすれば、それは一体どういう意味を持つのでしょうか? 外から見えるのは耳介(耳殻)だけですから、単純に考えれば、耳介の機能の必要性 が減ってきたため退化したということでしょう。耳介の機能として考えられるのは、 次の二つでしょうか。     (1)自分の周囲の音を捕捉し、鼓膜に送る     (2)頭部の温度調節のためのラジエータとしてはたらく  (2)については、エアコンの進歩と普及により、確かに昔よりも必要性が薄れて きているでしょうから、納得できます。でも耳介の機能としては(2)よりも(1) の方が重要度が高い(と思う)ですから、それだけで耳介が退化してしまうとは思え ません。  それでは(1)についてはどうでしょう。ヘッドホンステレオを聞くときには耳介 は必要ないかも知れませんが、いくら普及したと言っても、ヘッドホンステレオ以外 の音を全く聞かなくなることはありえないはずです。とすれば、「音を聞こうという 意志がない」ことが考えられます。交通・道路工事・街頭宣伝など、聞きたくもない 音に囲まれ、耳を塞ぎたくなるような思いをしながら育つうちに、耳介が退化の道を 辿ってしまったのでしょうか。考えられないことではありませんね。  しかし私がここで恐れを感じるのは、そんなことではありません。  「人を話をしたくない、自分の殻に閉じ込もりたい人が増えているのではないか?   風にそよぐ木の葉の音やせせらぎの音、小鳥のさえずりなどに何も感じない人が   増えているのではないか?」  音に鈍感な人は、言霊にも自然界の精霊にも鈍感だろうと類推できます。そういう 人たちはカミとのふれあいの接点を失って行くのでしょうか...  「耳が小さい」という観察からここまで考えが展開しました。私の妄想にすぎない かも知れませんが、皆さんの周りにもそういう人がもし予想以上に居たら、ちょっと 考えてみる価値があるかも知れませんよ???                                  アマデウス - FARION MES(14):・壁(2)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/27 - 981/994 GBG02755 スマル(珠) ぼろ雑巾 (14) 93/01/27 09:52 978へのコメント コメント数:1 私も、ぼろ雑巾になりたい。 ぼろぼろになるまで、使い捨ててしまいたい。 ぼろぼろになることにもう抵抗しない。 1度きりの人生だもの。使い残して何になろう。 それでいいんだ。 そう思ったら、もう恐いものはない。 とことん、生きていやる。 詰まらぬプライドなんかも捨ててやる。 正義も、善人も、いらないや。 どうせいつかは死ぬんだ。 どうせ一人で裸で生まれてきたんだ。 生きたいように、生き抜いて死んでやる。 文句はなかろう。                 だけどやっぱり恐いんだよう。スマル 982/994 HFD01514 なえ RE:ぼろ雑巾 (14) 93/01/27 11:32 981へのコメント コメント数:2 それは雑巾に失礼と言うものだ。ぞうきんには雑巾の役割があり、それを完結して はじめて雑巾だもの。雑巾の心で、我が身を汚して他人を生かしてこそ雑巾ではないか 勝手に生きるのはかまわんが、せめて雑巾の心を見習いたいものだ。 986/994 GBG02755 スマル(珠) RE:ぼろ雑巾 (14) 93/01/27 15:41 982へのコメント コメント数:2 それではあなたに問うが、 あなたは自分を汚れた汚物のなかに 投げ出すことが出来るのか? あなたがこの世で一番醜いと思う世界に身を投げ出すことができるのか? あなたは、自分の一番見たくない醜い自分を良い自分と 分け隔てなく愛することが出来ると言うのか? 雑巾は、まさに汚れるためにある。 汚れたものを拭き取るためにあるんだよ。 あなたはそれを拘りなく実行出来ると言うのか? 自分の姿のすべてをありのまま愛することが出来るのか? 私が信じて来た神を裏切っても、 この自分が存在することを知ったとき、 あなたはそれでも自分を愛し尽くせるのか? 私が最も嫌い疎んできた己を見たとき、 自分が汚物まみれで、醜いことを知ったとき あなたはそれでも何も怨まずに愛せるのだろうか? 自分が自分の思っているような善人ではなく、 美しくもなかったとき、 あなたはそれでも自分を抱き締める事が出来ると言うのか? 私は、それでも自分をいとしいと思った。 それでも生きていたいと思った。 それが、神の愛だ。 生きていなさいと、私を愛してくださった。 そのとき、私は知ったのです。 神は、善悪を越え、醜美を越え、 すべてに愛を注がれていると。 そして善悪、醜美を越えて、 心のままに生きよと申されていると。 人のために自分を捨てる、汚す それは、自分を愛さなければ出来はしない。 自分を愛することも出来ずに 自分を投げ出すことなど出来はしないのです。 自分の醜さを知って、初めて、 投げ出せるのです。 口で、きれいごとを並べたところで 一見自分を投げ出すような行動をしたところで、 それは、自己満足に過ぎませんよ。 責任は、美しい言葉ですよ。 でも、いったい責任のどこに「愛」があるというのでしょう。 わたしは、雑巾なんです。 雑巾そのものです。 私の存在そのものがすでに雑巾です。                        スマル、オンラインにて 987/994 HFD01514 なえ RE:ぼろ雑巾 (14) 93/01/27 16:51 986へのコメント コメント数:1 貴方は、わたしの発言に少なからず腹を立てているのだろう。そりゃそうだ。 でも、本当に雑巾だと言い切るなら、何故に人にとやかく聞くのだ? 人の考えを幾ら聞いた所で、貴方が自分で雑巾で有る事を立証しない限り、 雑巾だなんて言えないはずだろう。 腹を立つと言う事は、とりもなおさず「自分は雑巾より綺麗だ」という意識が 底にあるに相違ない。 腹を立てず、冷静に自分と向き合ってみる。そして、もう一度RESを下さい。 988/994 HBA00401 PHOQUE なえさんの一本勝ちだな (14) 93/01/27 19:27 986へのコメント コメント数:2  あらかじめ断っておくと,私は「自分が完璧でなかったら他人を批判しては いけない」などの類の言葉に従う気は全くない。自分のことは棚にあげて他人 を批判したって全然かまわないと思う。だから,これから書く内容も,私自身 に返ってくることがたくさんあるのは百も承知の上で書いてる。だから,もし どなたかが「あなただって○○してる(或は○○できていない)のだから,他 人を批判する資格はない」と私を批判したとしても,その言葉は受け止めるに やぶさかではないけれど,「批判する資格」が自分にないということは絶対に みとめるつもりはありません。もちろんこれは,自分にのみ適用されるルール ではないので,他人に対しても,「批判する資格」を問うつもりはありません。 **:  さて。このところの珠さんの書き込みを読んでいると,自分を正当化する為 に上滑りする言葉をならべているみたいで,なんだかとても不愉快になって仕 方がないのだ。  他人に批判されて怒る位なら,ことさらに自分を蔑むような発言は辞めとけ ばいいだけのことでしょ?「そんなことないよ」って言ってもらいたがってる ようにしか,少なくとも私には見えない。 (もうひとつついでにいえば,私はいわゆる「深読み」を意識的に避ける様に  している。深読みしなければ理解できないようなことを伝えたいのだったら,  深読みしなくても読み取れる様な表現を選ぶべきだというのがその理由だ)  そんな見え透いた自己憐憫を読まされることに不快を表明する権利は留保さ せてもらいたいぞ。  書き込みをした以上,批判されない権利なんてものは存在しない。言いたい 事は言うけど批判は受け止めない,それを普通は「無責任」と呼ぶのです。  そのことを,あなたは解っているのですか?>珠さん。 |責任は、美しい言葉ですよ。 |でも、いったい責任のどこに「愛」があるというのでしょう。 [#986 珠さんの書き込みより]  おっしゃってる意味が全く理解できません。  「責任」は単なる「言葉」ではないでしょう? 人が「責任」という言葉を 使うのは,それを「美しい言葉」として口にするためではないでしょう?   「愛」があればいいの?「愛」がないものはいけない訳?  皮肉ではなくて本当に理解不能です。説明していただければ幸いです。 (もちろん,説明することを珠さんに強要することは出来ません。説明してい  ただけなければ,私の珠さんに対する評価がそれなりのものになる,という  だけの話です)                      あしたはバリウムを飲む(;_;)                        ** HBA00401/PHOQUE ** - FARION MES(18):◆冗談パロディ症候群----------------<01> 93/01/27 - 363/364 GDB00064 オリハル RE:会議中の心構え(5) (18) 93/01/26 21:49 362へのコメント コメント数:1 「反政府ゴリラ」という言葉は、ふと思いついたので、UPしましたが、よく考えてみ ると、KAZEさんの部屋との関連で、結構意味深なものがありますが、会議中の心構え、 (3)(4)(5)すべて、本当に「(関連無しに)ふと」思いついたものだったので す。  でも、河合奈保子さんとの事はどうなったのでしょうね。うわさがありましたよね。 URDさんは河合奈保子さんなのですか。なぜ松田聖子さんは聖マチルダ皇后の日の3 月14日ではなく、3月10日生まれなのかと言いますと、私個人としては、聖子さん は3月10日に東京大空襲を受けた日本に生まれるに当たって、神的な彼女自身として、この日付を無視できなかったのだと思っています。なぜなら、1000年前、彼女自身 があこがれていた「東の果ての国」だからです。(日付に関してはこのように思ってい ます) ウールドの泉 なるほど・ザ・ウールド!! ウールド・マーク ゴメンネ。女神様の御名前を茶化してしまって。 オリハル 364/364 HFC01344 URD RE:会議中の心構え(5) (18) 93/01/27 19:34 363へのコメント   オリハル さんへ   >>女神様の御名前を茶化してしまって。   いえいえ 女神様は心が広いので(^^;)そのくらいでは怒りませんよぉ。(^^)   お怒りになるのは私は見たことがありませんので どんなときにお怒りになるかは   判りません。(^^;)   ところで   >>なるほど・ザ・ウールド!!   >>ウールド・マーク   は判るのですが   >>ウールドの泉   とは何でしょうか? もし良ければ教えてくださいね。   さて 最後に 私は三重県にいますけど オリハルさんは どこに    おりはるんですかぁ?(^^;)  (京都弁モード)             元京都市民 の URD >