- FARION MES( 1):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<06> 93/01/30 - 768/769 PGB01143 魔界のめーそん 旧聞巻頭言2題 ( 1) 93/01/30 09:47  好き勝手に人生を過ごしてきためーそんに、苦い酒は無い。  もし生きることに挫折したとき、めーそんの勧める酒を呑ん でください。淋しい酒と感じても、やがては甘酸っぱい追憶の 中へ誘い込みます。 おっと これはもう昔の話題じゃな..  「カウンターの隅で、めーそんは何をしているのか」って.. キューピットの手伝いに、愛の糸結びをしているんじゃよ。  相思相愛と言ってもなかなか同じ糸どうしは無くってのお、太 い糸と細い糸..柔らかい糸と堅い糸..指先にも掛からないよ うな短い糸....等々難しいものじゃて  和結びには  棒結び 蝶々 片羽 蜻蛉 巻結び 機結び         もやい結び      等が有って、状況を見ながら適切な結び方を選ぶのじ      ゃが、時々は「すぐに解けるように」なんて裏口注文      もあって...三方結びを注文されたときには、流石      のめーそんも開いた口が塞がなかったわい。                       魔界のめーそん 769/769 HFD01514 なえ 追悼 ( 1) 93/01/30 13:05 はじめ人間ギャートルズ(園山俊二)さん 謹んで追悼致します。 ←←遅いかぁ m(_ _;)m - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/01/30 - 227/227 GBA01276 しまうま スマルさんに会った(^_^) ( 6) 93/01/30 03:51  うすら寒い駅のタクシー乗り場に、あったかそうなコートを着たあったかい笑顔 のおねーさんが現れたと思ったら、スマルさんだった。  ホテルの喫茶店で聞いたお話。戸口にさしかかったばかりの僕には・・・何も言えな かったけれど。きっとスマルさんは、なにもかも丸ごとかかえて生きる強さを持っ ているんだと思った。そして、すごく輝いてる。ぴんと張りつめている・・・。  ・・・がんばってね、と、心から思います。でも、無理しないでね。  一緒に来ていた3才の娘さん、かーわいいんだな(^_^)コレガ。娘さんを見てるだけ で、スマルさんの素敵なお母さんぶりがわかる気がしましたよ。  急なセッティングだったのに、出てきてくださってありがとうございました。ま たゆっくりお話きかせてくださいね(^_^)。              しまうま - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/01/30 - 746/749 GGD02212 *ねぎひさお* 割りコメ ( 7) 93/01/29 22:55 743へのコメント こんにちわ>FALCONさん。失礼ながら割り込みコメントです。 かつてARIONはHALさんへのコメントの中で次のように言っていました。 >・・・私という存在には過去も現在も未来も無く、時間というものは存在しない。 >従って未来というものは、私には無い。 >あなたがたの言う未来についても、過去についても、私には全てが一幅の絵なのだ。 >私には、全てが一望の下に見えるのだが、それらの全てをあなたがたに伝えることは >出来ない。あなたがたが、人類が自分たちの未来を決め、導くのだ。 > >私や私の仲間に出来ることは、あなたがたに警告したり啓示を与えたりの方法で >「事実」という「真実」の映し絵に気付かせることだけだ。 >20世紀末のこの地球上で、私があなたがたに望むことは、催眠状態のままに >「涅槃像」に至らない道を選んで欲しいということだ。・・・ (FARION DL 3の2番「NAA02416 アリオン世紀末書込み寺1(FMISTY)#001-100」  #005より引用。タイムスタンプは 91/04/02 01:43 でした。)  ARION達から見える未来というのは、「神の記録」アカシック・レコードと 呼ばれるものに該当すると思われますが、未来は人類が自分たちで決め、導くもの でもあるということは、未来は幾通りもある?もしくは塗り換えることもできる? ということでしょうか。**アカシック・レコードは常に書き換えられていると思う**ねぎ** 747/749 GCG01101 アマデウス RE:ARIONより心ある者達へ ( 7) 93/01/29 23:31 742へのコメント  こんにちは、ARION。直接コメントをつけさせていただくのは初めてですね。 私はいつもあなたがそばにいてくれるように感じていますが、それでもあなたのメッ セージを目にすると、田舎の両親に久しぶりに会ったような嬉しい気持ちになります。 (変なたとえですみません) >> 最大の努力を払って、2月3日までは決定や決断をしないほうが良いだろう。  これは、不安定な精神状態で最適でない決断をしてしまう危険を避けるためと理解 してよろしいでしょうか? それとももっと強い意味で、かならず失敗するからやめ ておいた方がよいということでしょうか? >> この力の拮抗が長く続くことが望ましい。 >> どちらかが圧倒的な勝利をおさめることは、大きな亀裂を生じさせる原因となる。 >> 亀裂は「巌(イワヲ)」の内部にまで影響を与える。  急激な変革は好ましくないのでしょうか。 >> このニ方向性の力だけでないものの見方をするには、双方を認めるではなく >> 双方ともに一旦、自分から引き離して置く、ということが大切だ。 >> 本当は「白」にも「黒」にも至近距離であること、なのだがこれは未だ少し難しい >> ことだろうと思う。いずれ詳しく説明しようと思う。  う〜ん、難しい。 「白」と「黒」は二方向性の力の極ですね。それらを自分から 引き離しておくということは、二極の間に自分を置くということですね。 なおかつ どちらにも至近距離であるということは、放っておけば無限遠を目指して遠ざかって しまう二極を、自分の方に引き寄せ、歩み寄らせることを意味するのでしょうか?  自分自身が二方向に拡大して、両極に接近して行くということも考えられるので すが、そうすると両方向に引っ張られて引き裂かれてしまいそうな気がします。 >>・問題点を鋭く観察しつつ、そしてそれに対して瞬間瞬間に自分がどう観じるか?を >> 表現しつつ、しかも「白」にも「黒」にも立脚点を置かないこと。 >> これは難しいことであるが、やってみるだけの価値はある。 >> 先ず最初は「感情的にどちらかに組する」ことを、避ける程度で良いのだが。  わかりました。やってみます。 「問題点を観察しつつ、どう感じるかを表現する こと」は最近心がけるようにしています(ファイルにしたものはHVHYさんの部屋 に書き込んでいます)が、「白」にも「黒」にも立脚点を置かないことの難しさは感 じています。  「感情的にどちらかに組みする」ことの次の段階は、それをやっていれば自ずから 見えてくるのでしょうか? >> 喧伝される事柄の向こう側に、何が見えるか? >> あなたがたは、両の目をしっかり開いて見つめることだ。  はい、私もその必要性は最近特に強く感じています。  ARIONは、今年は「厳しいオヂサン((c) by みれ)」になるとのことですが、 私は今のところ、子を想う親の愛のような不思議な優しさを感じています。 このファイルへの応えは特に期待していません。(もちろん戴ければ嬉しいですが) これからも見守っていて下さい。                                 アマデウス 748/749 GBG02755 スマル 発言者削除 ( 7) 93/01/29 23:46 749/749 HFD01514 なえ RE:URDさんへ、サンキュー ( 7) 93/01/30 09:06 745へのコメント   (^ー^) (^ー^) (^ー^) (^ー^) - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/01/30 - 120/124 HCA01717 オ〜ロラ RE:イルジヨン (10) 93/01/29 22:47 119へのコメント コメント数:1 *ねぎひさお*さん、こんにちは(^_^)/~ MESを消すなんてダメです(^^;)(笑) 体験談面白いですよ。 今回の*ねぎ*さんの体験と似たような体験をしてますので、何となく 解るような気がします。 *ねぎ*さんは何か瞑想等をしているのですか? チベット仏教にあるニグの六法(ナローパの六法)の中のバルドー・ ヨーガ(方法は記す訳にはいきませんが)での体験プロセスにも同じ ようなものがあります。 *ねぎ*さんの呪詛・・から明るい波長を求 めたら、聴いたことない歌への変化、更には上方へと意識が引き上げ られ高速で飛ぶ、というのは順序どうりです(*^_^*)  プロセスどうり順調に行けば、この次に来る体験は面白いですよ(^o^)  観念になるから内容は言いませんが、また体験談、楽しみにしてます  (*^_^*)ワクワク 今度又、同じように意識が引っ張られた時、意識が身体の何処から抜 けるのかを観察しといてくださいね。   心理学的見解を記せなくて、もーしわけありましぇん(;_;)                         HCA01717 オ〜ロラ 124/124 GGD02212 *ねぎひさお* RE:イルジヨン (10) 93/01/30 05:16 120へのコメント  前略  オ〜ロラさんが似たような瞑想体験をされているだろうとは想像してい ましたが、あの幻想がそんな古典的なものだったとは知りませんでした。  私は空想家で時々意識が迷走しますが、瞑想を習ったことはありません。 チベット仏教なんて・ちょびっと・も知らないし、ヨーガも全く・用が・無い。  ちょっくら(チャクラ)夢の世界で遊んで来よう。地獄くんだりに(クンダリーニ) 落ちて迷いませんように。 ヨイコハマネヲシナイヨウニ?           草々 121/124 NCD01751 しろおか 霊症 (10) 93/01/30 00:53 コメント数:1 ☆#105、オーロラさんへのコメント。 どーもです。オーロラさん、コメントをくださってありがとう。 【えーっと、#104のしろおかさんの体験に興味を持ちました           】 【 単なる私の推測的な見解を少し・・・・あくまで推測ですので        】 【真に受けないでくださいませ(^^;)                      】 > 私の霊的体験は30歳の或る出来事を切っ掛けにして起りました。数々の霊体験 > とシンクロニシティのような超常現象を集中豪雨のように十字砲火を浴び、心身 > 共にボロボロの状態になってしまった。その後遺症なのですよ!。 > 一時期はマンガのスト−リ−すら満足に理解できないほど知能が低下してしまっ > た。 【この上記の体験を読んだときに、ピンと来るものがありましたので、私の推測を。】 【ヨーガで言うところの ”クンダリーニ”の初期覚醒の兆候と類似しているように】 【感じます。 初期覚醒といっても様々なケースがありますが、クンダリーニが通る】 【三本の(スシュムナー・イダー・ピンガラ)の脈管(ナーディ)の中で、上記のしろおかさんの】 【状態はクンダリーニがイダー管に入った状態に似ています、勿論上記の体験談だけ】 【では何とも言えませんが、良く似ていると思います。             】 私の言う「或る出来事」というのは有り体に言ってしまうと。 或る日、会社に出向を命じられたのです。その出向に出向いた先の会社というのが、 じつは、商業主義で運営している「大規模な集団墓地」に隣接する土地に建っていたの ですよ。 その会社の従業員たちというのが全く変な連中で、恐らく霊症だと思いますが!。 ひとかどの社会人で在るはずの数百人もの人達で構成する組織が、精神病棟そのもの! その光景は一寸したスペクタクルですよ!(^ ^;) そう言う私自身、かっての自分とは似ても似付かない。荒唐無稽なことを考え、奇矯な 言動を示すのに半年もの期間を要さなかった。 このARIONフォ−ラムのアクティブネットワ−カ−と同程度の幼稚で無分別な人間 と成り果てしまった。(冗談、冗談。ゲラ ゲラ ゲラ ^ ^;) 残念ながらヨガのクンダリ−ニとか言うような立派な代物では無いようです。 PS: 聞くところによるとBUBUさんが、何でも、年貢の納め時だとかで! 一言、ガンバレよ− てか!m(__;)m                          NCD01751 しろおか 122/124 HCA01717 オ〜ロラ RE:霊症 (10) 93/01/30 01:40 121へのコメント  そーでしたか(^^;)>しろおかさん  状況がわかりました(^^;)(^^;)(^^;) 大変でしたね。    そうそう、BUBUさんも年貢を庄屋に納めるそうで、何故殿様じゃ  ないんだろ(笑) 123/124 PEC00710 空空 深層心理より・・・・ (10) 93/01/30 02:13 “意味”なるものは、一体何なんだろう? 又、“意味”が立ち顕れる「心の次元」と、“運動”が立ち顕れる「物の次元」は、 どういうプロセスや接点を以てリンクしてるんでしょうか? 実を言うと僕、唯心的な思想に、イマイチ納得出来ない部分、というか ハッキリ言うと畏怖を抱いている節が在るんです。 体験世界が絶対的な実体として信じるに値しない、というのは仏教に 興味を抱く前から考えてました。それは五感を断ち切ってしまえば、存在しない も同然、「在る」という観念によってのみ支えられる信仰のようなもの。 「何故、誰もそれに気がつかない振りをしてるんだろう?」と昔から不思議に 思ったものでした。 でも下手に一人きりで、そんな事ばかり考えていると、物の世界だけでなく、 “他者のいる世界”まで見失ってしまう事にもなり兼ねないのでは・・・・。 独我的世界観に捕らわれて、孤独の淵に沈み込み勝ちな僕は、単に道を 踏み違えただけかも知れませんが、それは唯心思想と隣合わせで存在する 危険性のように思え、唯心思想の奨励には躊躇いを覚えます。   何とか、物でも心でもない、物と心の境界線、    意識の深部ではなく、寧ろその皮膜に、自身を重ねる事は     出来ないものか・・・・、不遜な僕は、最近そんな的外れな発想に                        取り憑かれています(^_^;)。                    空空 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/30 - 695/702 HFD01514 なえ 発言者削除 :どひゃ違うでないかい (13) 93/01/29 21:28 696/702 HFD01514 なえ 時は熟しつつあるそうだ (13) 93/01/29 21:34 2/3は豆まきの日である。鬼を追い出す日である。 いわば心に棲む魔を追い出すという決断をする日である。 でも、白黒決着よりも、こうもり的になる方が良いのだろうか。 いやこうもり猫。いやびびびのねずみ男。いやや・・これは失礼。 ・・げっげ・・げげげのげ・・。翌日は立春である。 698/702 GGD02212 *ねぎひさお* メモ (13) 93/01/29 22:55 ・2月3日は「鬼は外」の日? ・「白か黒か」について考えていたら、「蜘蛛の糸」を思い出した?? 的が外れていなければ詳しい解説は後日に。キー・ワードはやっぱり「愛」。 (読者の主体性を尊重するARIONのスタンスを見習ったつもり)*ねぎ* 699/702 GCC01413 HVHY 新しいヘゲモニー。 (13) 93/01/29 22:57                〜 雑 感 〜  昨今、日本(とドイツ)の国連安保理常任理事国への昇格(?)  に関して様々に取り沙汰されている。(※国会でも扱われていますね…)  ところが、そのためには「軍事力の分担」が条件となる。  今から思えば、このような文脈上で自衛隊のカンボジア派遣は行われたのである。  (※月刊PLAYBOY3月号の姜尚中氏の記事を是非ご覧頂きたい!)  しかしながら…、  「国連の中核を成す安全保障理事会がどういう目的の下に存在しているのか?」  或いは、「国連が元々どういう経緯で生まれてきたのか?」  これらのことを踏まえてみると、  少なくとも日本が安保理の常任理事国になることは考えにくい。  (※国連憲章を根本的に書き直すならば話は別だが…)  いや、国連改革という流れの中で、  日本(とドイツ)が常任理事国になることは、今後あるのかも知れない。  だとすれば、「国連がどの方向に改革されて行くのか?」  という点が重要なポイントになってくるだろう…。  (※国連という組織の“事実上の意志決定者”は誰(達)なのか?)  一方、憲法改正の動きも急に盛んになってきている。  もちろん、昔から改憲派というのは存在した。  しかし、それは、護憲派との一種の拮抗状態の中に存在していた。  ところが、何時の間にやら、(※実際には“何時の間にやら”では無いが)、  話の中心点は「どういう風に改正すれば良いか?」に移っている。  これは一体、どうしたことか?  いずれにしても、  「自前の憲法を持ってこそ一人前の国家である」とか、  「常任理事国への昇格こそ一流国の条件である」とか、  そういった妙な発想は、世界大戦突入前夜の思想と本質的に軌を一にする。  戦争に対する然るべき反省とは、平和主義を貫くことなのか?  平和主義を国際的ヘゲモニーの手段としている権力集団へ与することなのか?  もし、本当に平和を希求するならば、平和主義ではなく、平和を求めよ!  さて、それでは、「平和」とはそもそも何のことか?                                 HVHY 700/702 GCG01101 アマデウス 発言者削除 :ごめん、会議室間違えた(^^;) (13) 93/01/29 23:29 701/702 GCC01413 HVHY “理詰め”の預言解読(?) (13) 93/01/30 00:47              〜 「ひとつの決定」 〜  |こういった時期には、自分の人生での諸事について或は、重大なことについて  |決定したり決断したりしたくなる傾向もあるだろうが、  |最大の努力を払って、2月3日までは決定や決断をしない方が良いだろう。  |決定や決断をしないことが他の人に多大な迷惑を与える場合は、  |相手に2月3日まで待って欲しい旨を伝え、最善の策を考えること。  |それでも無理な場合は、次善策として「ひとつの決定」を避けて  |「二つの決定」をすることにしなさい。(7番会議室・#742より)  ARIONは“人騒がせ”である。  ARIONは何時でも「自分で選べ」と主張している。  しかし、ARIONが何かを言えば、そのことは影響力を持つ。  サジェスチョンに従うも従わないも自由だ。  そして、選んだことに対する責任は自分にある。  そうではあるが、占い師の言うことですら聞き入れる人も居るのに、  宇宙神霊の言うことを聞き入れないのは難しい。(???)  ARIONを一人の人間と同等に考えることは出来ない。  なぜなら、サジェスチョンの根拠という点において、  人間の語ることを明らかに超越しているからである。  この点に関しては、誰が言っているかが重要ではないか?  事実でないことは事実でない以上、ARIONを占い師と思うことは出来ない。  また、友人と思うことも出来ない。  友人との間に有り得るような密な会話も不能だから…。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  “呟き”は以上にして、具体的に検討してみよう。  上記の引用部分は、明らかに、  「正に今大きな決断(?)をしようとしていた人」に向けられている。  と言うのも、2月3日までUP時から僅か一週間なのである。  差し迫って大きな決断の必要性の無い人にとっては、  この一週間が平穏に通り過ぎる確率は極めて高いはずだからだ。  (※もちろん、突然“ドタバタ”と物事が起こってくることも有り得るが…)  しかも、ARIONは、  「決断をしないことが他人に多大な迷惑を与える」可能性まで想定しており、  その上更に、決断せざるを得ない場合(?)の次善策まで提供している。  やはり、「かなり切羽詰まっている人」が居るからこその発言であろう…。  さて、2月3日まで待つ(待たせる)ことの出来る人は、  とにかく待って、「“最善策”は何か?」と更に思い悩めば良いわけだが、  問題は「2月3日まで待てない人」である。  このような厳しい条件(?)に見事当たってしまった人達に対して、  ARIONは次のように言っている。 >>>  「ひとつの決定」を避けて、「二つの決定」をすることにしなさい。  これはどういう意味か? まるで“謎掛け”ではないか?        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  ここで、模式的に、「差し迫った選択肢が3つある場合」を考えてみる。      (1)・・・ Aする/Aしない (「しない」は現状維持とする)      (2)・・・ Bする/Bしない (   〃    〃    )      (3)・・・ Cする/Cしない (   〃    〃    )  この場合、3つとも決断せずに済むならば、当面問題はないわけだ。  従って、次善策を考えなければならないのは、  「3つの内少なくともどれか一つについては2月3日までに決断せざるを得ない」  というケースに限る。(※この条件に符合している人は多い?少ない?)  そこで、「Cする」と決断せざるを得ない場合に絞ってみよう。  この時、「二つの決定」の内の一方は、必然的に「Cする」という決定のこと。  すると、「ひとつの決定」とは、Aに関する決定かBに関する決定のいずれかだ。  このことから、選択の仕方の“パターン分け”が可能となる。   「ひとつの決定」>>>    Aする/しない      Bする/しない   “保留すること”        (???)        (???)                  |    |       |    |                  |    |       |    |   「二つの決定」 >>>   Bする  Bしない    Aする  Aしない   “決断すること”       ×    ×       ×    ×                 Cする  Cする     Cする  Cする                 [x]  [y]     [z]  [u]  今の場合、この4パターンに限られるのであるが、  3つの選択肢が互いにリンクしていたりする場合には、  [y]や[u]の選択の仕方は意味が薄いことが多いと想像される。  そうすると、いよいよ、選択の仕方は[x]か[z]かの2パターンに絞られる。  これは、事実上、「Aの決断を保留するかBの決断を保留するか」という意味だ。  即ち、保留すべき「ひとつの決定」を選ぶことが分かれ道になってくるのである。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、あなたにとっての“保留すべき「ひとつの決定」”とは何だろう?                                HVHY 702/702 HGG01312 たまご 現代の預言書? (13) 93/01/30 07:57   手塚治虫の『火の鳥』を読んだ.   強く感じたことは,これが現代の『預言書』であろうということである.   いやいや,手塚氏がどこかからメッセージを受けていたという事実は明らかにさ  れていないのだから,(というよりそういうことはないはずだから),『預言』の  ひとつの解読であると言った方がいいだろう.その解釈は手塚氏の頭の中だけで作  られたもののはずである.(そうだとすればすごい)   『火の鳥』の物語は,過去から未来までの円環を切り開き展開してみせてくれて  いる.そこにあるのは,恐ろしいほどのリアリティだ.物語はまるで楽曲のフーガ  形式のようで,同じことが形を変え次々と語られていく.『預言』を解読したなら  こういう形になるのだろうと思わせてくれる.   しかし,本当の(ホンモノの?)世界はこうではないかもしれない.   なぜなら,展開図はひとつとは限らないし,選択肢は複数であろうから.    直感だけにたよっていますのでつっこまないように(^_^; たまご - FARION MES( 1):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<06> 93/01/31 - 776/782 HAG01324 SEKO RE:すみませんでした、のんのんばあさんへ ( 1) 93/01/30 19:59 771へのコメント コメント数:1 今日から、ハンドルをのんのんばあからSEKOに変更します。 SEKOは本名(名字ではありません)です。(^ε^)φ 私も、1昨日SENDコマンドとUSTコマンドを覚えたところです。 それまでは、SEND送られても「なんで私のいること知って いるんだろう」なんて考えるだけでRESするどころではあ りませんでした。(- -)(_ _) これからもよろしくお願いします。 SEKO 779/782 HHC03554 ファシル 返事ありがとう ( 1) 93/01/30 21:56 753へのコメント 返事をみて不思議な気持ちがしました。 机の上で,ノ−トに何か書くと誰かが返事をしてくる、みたいな感覚で とてもおもしろいもんだ......... はまってしまいそう....... ファシル 780/782 GBG02043 維/YUI 今日(1/30)のメッセージに ( 1) 93/01/30 22:32 コメント数:1 >>満月の夜、狼煙があがるのをみたら・・維/YUIさん、一緒に行きましょう! は〜い。 けど・・うちからでも狼煙があがるのがみえるのかしら??? 次の満月ってぇ〜・・・・え〜と・・え〜と・・いつだぁ??(アトデ、シラベヨ・・・^^;) 月の光に照らされて、舞うように踊るように動く影・・・ 行く先は・・・ (^_^)ドコデショ・・・ネッ? ダンスウィズウルブスって映画を思い出した。       維/YUI。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/01/31 - 750/752 QFG02515 SHANA RE:RE:生命(10)「どっちに入ってるか」 ( 7) 93/01/30 20:53 740へのコメント  はじめまして、SUKEさん。   >> いつも興味深く読ませて頂いております。  ありがとう。  そう言ってもらえると、とても嬉しいです。 >> その感覚を無視しないで拾い上げるために、雑念を払う等という方法があるのかも >> しれません。しかし雑念を払うという意識自体が邪魔になり、結局、感じることを >> 逃してしまうことが多いようにも思います。  へんに“修行”という風に構えてしまうと、  そういう感覚に対して、素直になるのが難しくなるのかもしれませんね。  たぶん、そういう感覚に素直に心を開けば、  いつのまにか自然に、雑念など消えてしまうのでしょう。  (まぁ、それが難しいから修行したくなるのだろうが・・・悪循環) >> 感じるチャンスは日常茶飯事あるのでしょうね...  ほんとに、そういうものなんでしょうね。  24時間ずっと感じようとする必要はないでしょうけど、  全然感じないのは、少しさみしい気もします。                   もう少し感じるようになりたい SHANA 751/752 QFG02515 SHANA RE:ARIONより心ある者達へ ( 7) 93/01/30 20:54 742へのコメント  いま、なんだかうちの家族はみんな、それぞれ不安定な状態のようです。  わたしもそうです。  私の場合は、進路のこととかが。  それは現実的に不安定という事です。  これは、さいきん起こり始めた事ではなく、  「そろそろクライマックス」という感じですが。  もちろん、こういう状況ですから、  「精神的には安定している」なんて言えませんけど。  あと、ARIONの本と、エドアルド・マイヤー氏の本。  両方とも好きだし、両方とも私を導いてくれている。  どちらも私に必要なものだと思います。  でも、この両者は相矛盾しているようです。少なくとも、表面的には。  密教でいう金剛界と胎蔵界のようなものかもしれませんけど。  まあ、これも前から変だとは思っていたんですけど。  最近になって、それでも良いのだと思うようになりました。  私の場合、不安定状態はずっと続いていたので、今のところは、  「最近になって急に精神不安定になった」という感じではないようです。  まあ、これから来るかもしれませんけどね。     ではまた。                 SHANA より 752/752 MHD02672 TAO 関係はないかもしれないけど ( 7) 93/01/31 00:45 742へのコメント  2月3日でないけど、その前日の2日に、占星術上希な惑星会合があるそうだ。  以下の情報は、占星術の専門誌「エルフィン」93年1月号の座談会記事による。  最初は、海王星と天王星の合が、2月2日、エルサレム天頂で起こる。  海王星と天王星の合は、発見されてから初めてだそうで、しかも、93年には3回  0度に重なる瞬間がある。こういうことは、この先 170年余り起こらないそうだ。  第1回目の合は山羊座の19度で、これは「クリティカル・ディグリー」と呼ばれ、  そこを星が通過すると、何か突発的な事件が起こるといわれる度数らしい。  また、2月2日はキリスト教にとって神聖な日で、光のミサの日であり、  聖母マリアの神聖な日にあたる。  二回目の合は、東京のアセンダント付近で、8月20日16時44分(東京時間)、  最後の合は、日本の天底で、10月25日4時18分に起こる。  日本はやはり世紀末現象に深く関わらざるを得ないようだ。  この座談会にはFMISTYの前シスオペ氏も名前を連ねており、「海王星と天王星の合は  シャーマニズム的なものとヨーロッパ的なもののせめぎあい」だと見て、  この二つがどう折り合うかが世紀末だ、という解釈を表明している。  具体的には何が起こるのかというと、日本が実証した「常温核融合」に代表される  エネルギー革命であり、それによって石油を押さえることで世界を握って来た  従来の支配体制がくずれ去るのではないか、という仮説が立てられる。もっとも、  それを起こさせないための隠蔽作戦も始まるという、可能性もある。  また、日本はここに来て精神的な目覚めを自覚し、世界においそれと迎合しない  路線を固めるという暗示も、日本のホロスコープから読めるともいう。  以上のような占星術上の推理が、どこまで有効であり実現化してゆくかは、  今後の推移を見ない限り、何とも言えないけど、2月2日〜3日に何が起こるのか、  目を凝らしている必要はあるじゃないだろうか。  私自身も本日で満34歳になって、ちょっと気を引き締めているのでした。  TAO - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/01/31 - 691/697 GGA02514 KAZE 私は学ぶ者(^^) (11) 93/01/30 14:32 686へのコメント DIRACさん、どうも。 >究極の大乗利他とは、「無明から救う道をつけてあげること」と考えます。 >神秘学遊戯団も同じような動機があると想像します。宗教的な言葉でいうと、 >「布教」ですね。反発があるかも知れませんが私にはそう思えるのです。 >広めるつもりも義務感もない、しかし、良いものは紹介してあげたい。 >むしろ、そんなすばらしいことを、自分だけのものにしておくのは罪なことだ >という思いが、公共の場で神秘学遊戯団のような活動になっていると想像するし、 >またそのように思いたいものです。 ううん、この会議室にそんな立派な考えがあるかどうかはわかりませんけど、 僕はとりあえず自分の「魂の衝動」とでもいったものと、 ある種の「縁」に導かれて(?)会議室をやってるとでもいえましょうか。 それと、やっぱり僕のやってることは「宗教」ではありませんし、 むしろそれを必要なくする観点を模索してるとでもいえます。 >KAZEさんの最近の心境は、ひょっとすると宗教家のそれに近いものがある >のではないかと想像しています。 (^^;)(^^;)(^^;)(^^;)、宗教家ですか、困りましたね。 そんなこというと、宗教家の方に怒られそうな気がします。 僕はあくまでも「学ぶ者」「学徒」というスタンスです。 ちなみに、“MIZUHO”さんのメッセージに関連していうと、 “MIZUHO”さんもいわゆる「宗教」というのは好きではないそうです。 それについては、僕もやっぱり同感なのです。 >神秘とは、非日常というか超常(現象)とほぼ同義で使われている言葉だと >思います。神秘体験とは、いままで知り得なかった真理を体験することだと >思います。 ううん、もちろん、一般的に言って、非日常が神秘であるということは 理解しやすい表現なのだということはわかりますが、 やっぱり、「自分が今ここにこうしている」ということが最大の神秘で、 もしそういうことなくして、神秘体験なり非日常体験なりを特別なことと感じ過ぎると 僕なんかはかなり危ないことなんではないだろうか、と思うのですがどうでしょうか。 「いままで知り得なかった真理」ということにも落とし穴が隠されていて、 実はその真理というのは、自分がそれから目をそむけていただけなのかもしれない、 虚心胆懐に、心を開けば、自分はその真理そのものの一部だった・・・ という驚きによって、自らの存在そのものが神秘となるというのが、 僕のイメージには合うのですが。 >愛を与えようとして与えているうちは、まだまだ。愛を与えたくてしょうがない >という理屈でない衝動!これが本物ではないでしょうか。 そうですね、「与えよう」とするスタンスは、 まだ「エゴ」のライン上にあるのでしょう。 それさえできない僕は、偽物でさえないのですが(^^;)。 ま、それはともかく(^^;)、「本物」であるということは、 自分が「愛そのもの」となるということなのだと思います。 >チャネリングについてもいろいろありましたが、こんな時こそ >シュタイナー思想の話に戻してますます、会議室を盛り上げていって下さい。 >応援しています。 ありがとうございます。 今回のチャネリング関係の話というのは、実のところ、 シュタイナー的なスタンスと比較することで、 その共通点と相違点、そしてその両者を統合した「中」なる視点を模索する上で、 僕にとってはとっても勉強になっています。 それに、多くの方がそれについてイメージしていることというのも わりとよくわかったように思えますしね。 僕のスタンスは、どちらかというとシュタイナー的な神秘学のそれですが、 それだけではとらえきれないことも多いということもよくわかってきました。 シュタイナー的な神秘学のスタンスというのは、限りなく人間的アプローチで、 僕の苦手なスタンスは「神様的なアプローチ」なのですが(^^;)、 その接点ということも大切なのだ、ということです。 ま、大ざっぱな僕のことですから、 会議室の今後がどうなっていくかはわかりませんが、 いろんなことをさらに「お勉強」していきたいものだと思っているKAZEでした。 692/697 GGA02514 KAZE 風の博物誌 (11) 93/01/30 14:33 687へのコメント コメント数:1 珍しく夜更かしの隆ちゃん、どうもです(^^;)。 午前1時頃のアクセスで書き込みというのは珍しいですね。 僕は小さい頃親から「朝寝坊の夜だれこき(^^;)」 (いつまでも夜更かしする朝寝坊、という意味の方言的慣用句)と言われてたように、 今でも放っておくといつまでも起きていろいろ遊んでしまいます。 特に仕事が終わっていろいろやってると12時近くなってしまうので、 それからいろんなことを始めたりするので、 寝るのが2時、3時ということになってしまいます。 もちろん、毎朝仕事で出勤しなければなりませんから、 睡眠時間は4〜5時間くらいになってしまう不健康さを続けていますが、 ワープロで企画書をつくりながら短時間の居眠りをしたりして、 小刻みに睡眠時間を稼ぐ法などというのはしっかり修得してます(^^;)。 しかし、不健康この上ない生活、反省(^^;)ですが、 なかなかこの呪縛からは逃れられない(^^;)。 >僕が10歳まで暮らしていた西宮も昔は子供のワンダーランドだったんですが、 >今は見る影もありません。反面、非常に便利にはなったんでしょうが、 >ちょっと寂しいです。 やっぱり、子供の頃は「トムソーヤ」のような冒険のできる「ワンダーランド」が どうしても必要だと思うのに、最近の状況はせつないものがありますね。 以前にもお話したことがあるように記憶していますが、 僕は小さい頃、最後の清流といわれている四万十川のあたりで育ちましたから、 ナイフや釣竿などさえあれば、遊び場所には事欠きませんでした。 そういう体験のないままに大きくなってしまうと、自然のふところに抱かれて 「ああ、自分は生かされているんだなあ」という感覚と感情の欠如した人間に なってしまう危険性があるような気がしますね。 これからどうなっていくんでしょうか、背筋が寒くなりますね。 >KAZEさんもお料理がお好きなんですね、実は僕もです(^^)。 僕は大学の頃、アルバイトで結構長期間、バーテンや調理などをしてたので、 いろんなものを短時間で工夫してつくるということが身につくようになりました。 小さい頃から好き嫌いは全然ありませんので、節操なく何でもつくり、 何でも食べる、という非常にエコノミーな性格に育っています。 お酒なんかも、バーテンしてたときに、 いろんなカクテルなんかの研究をしたりもしましたし、 結構お酒は強かったので、いろいろやってましたが(^^;)、 今では一カ月に一度、つきあいで飲むか飲まないかという状態になっています。 やっぱり、過度に飲まない方が、精神のためにもいいような気がしますねえ(^^)。 >余りものを出さない一番の方法は大きな犬を飼う事ですね。全部食べてくれす。 隆ちゃんとこは、犬を飼ってるんですかあ、いいですねえ。 犬を飼ってると、いやおうなく散歩しなくちゃならないから、 健康にもいいし、うらやましいですねえ。 うちはマンションで犬は飼えません。 最近、相棒は犬派から、僕のような猫派に転身しかけているから、 この際、犬のかわりに猫でも飼ってみようかな。 僕は生まれてこの方、犬や猫を飼うような家庭環境にはなかったのですが、 相棒は犬を飼ってたりして、犬の気持ちがよくわかるようです(^^)。 >火のお話ですが、身近にありすぎて気がつきませんが色々あるんですねえ。 >・・・人間の霊性か何かに火は関わっているのかもしれませんね。 水の話、火の話、ときましたから、今度は僕のハンドルネームにも 深く関係している「風」についてちょっと(^^)。 この「風」というテーマについては、「水」についてと同様、 ライアル・ワトソンの著書が総合的にとらえていて、 今回は、「風の博物誌」(河出書房)から、ピックアップしましょう。 まず、「序章」から。 ・・・もっとも生命力のある仮の姿、隠喩とも言えるもの、それが風である。 私は「生命力」という用語を使ったが、各国語の「風」に相当する単語にも 生命との関連が如実にうかがえる。アラビア語の風ruhは息、そして霊をも意 味する。ヘブライ語のruachになると風の勢力圏はさらに拡がり、創造とか神 性とかいった概念を含んでいる。ギリシア語のpneumaやラテン語のanimusは 空気はもちろん、魂を形成する物質そのものを暗示している。  風は地球という名の惑星の血液循環と神経系をなし、エネルギーと情報の 分配、熱と覚醒した意識の配給を司って無から有を作りだしている。  風の特性と言われているものはすべて借り物だ。われわれの風についての 知識はどれも間接的にしかもたらされないが、それにしても風の印象は強烈 だ。不可解ながらも否定できない存在----風のこの二重性こそが人間の精神 活動を誘発したのである。そのとき、宇宙の裂け目が開き、意識の潮流が迸 り出た。  われわれは風の子供である。風の才覚によって種蒔かれ、水を与えられ、 はぐくまれてきた。本書は、その消息をめぐる博物誌だ。 というのですが、なかなかにこの風というのは魅力的でしょう(^^)。 僕がなぜこのKAZEというハンドルネームを選んだのか、おわかりいただけたのでは。 ま、選ぶのは自由ですから、ハンドルネームくらいはいいのを、ということです。 えっと、この本の内容というのは、風をめぐるさまざまなことがとりあげられていて、 紹介しているときりがなくなってしまうので、どれにしようか迷ったのですが、 終章の「天の息」から、いくつか。  生まれたばかりの赤ん坊は口を大きく開いて飢えたように空気を求める。  目を閉じ、腕を宙に泳がせて未知の媒体に操られながら空気を把むが、ま だそれをどうしてよいか迷っている。そして突然、たいていは優しく体を叩 かれて、ふと息が止まり、次に解放されて、小さな吐息がもれたかと思うと、 すぐあとに新たに大きく空気を吸う。ポンプに空気が入った。自律過程が始 まる。生涯の六億ないし七億回の呼吸の第三回目の息を赤ん坊の体は吸い込 む。  魔法のような瞬間だ。生命の誕生する瞬間ではないが、明らかにひとつの 移行の瞬間である。生命、息、霊、創造といった概念がじつに緊密に絡み合 っていることが理解できるような瞬間だ。  多くの言語においてこららのものは同じ命名をもつ。ヘブライ語とアラビ ア語の「ルーruh」は「息」と「霊」の両方を表す。それはダコタ族とスー 族では「ニヤniya」、アステク族では「エヘカトゥル」と呼ばれる。言葉は ともかく、これは風や神といった同じ根をもつ別の諸概念と容易に融合しあ う。太陽、風、空気の神であるケツァルコアトゥルは母が存在の盟主に吸わ れたときに生まれた。・・・ ・・・  ヨガの行者たちは「呼吸は生命なり」と言うが、呼吸にはあらゆるエネル ギーの源と考えられている「プラーナ」が含まれているからだ。心、身、知、 性、霊、宇宙のエネルギーが個体のなかで最大限のものになるよう呼吸をす る術が「プラーナヤマ」だ。「呼吸が安定していれば心も安定し、宇宙の風 と一体になる。」  中国でもふたつの結びつきは明白だ。・・・「宇宙の息は風と呼ばれる。 ときにそれは不活発だ。だがそれが起こると何百万という穴から大きな音が 出てくる。・・・」((荘子)  『易経』で太陽を表す五七番目の重卦(巽)は、三本で構成される卦のう ち風を意味するものをふたつ重ねたものだが、このことからも風の重要性が 分かる。 「易」といえば、昨日、岡山に行ったときに、 以前からほしかった安岡正篤さんの「易學入門」(明徳出版社)が見つかったので、 買ってしまいました。 それはともかくとして、「風」というのは、「水」や「火」に劣らず とっても魅力的なテーマだと思いませんか。 さてさて、 >どういう形にせよ、必要なものであれば時期がくれば与えられるだろうなんて >僕は相変わらずのんきに思っています。力いっぱい努力する事は大事な事です >が、身動きがとれなくなったら脱力して流れのままにユラユラすることもひと >つの方法だろうと思います。 僕も一生懸命やった後は、「おまかせ」というか、 「運を天にまかせる」という考え方ですので、結構のんきでいます(^^)。 「ユラユラ」というのも、僕の得意中の得意の技のひとつです(^^;)。 それと、今回のことですが、僕自身、そんなに気張ってるわけでもないし、 僕の取り組んでることのほんの一部だとくらいに思っていますので、ご心配なく。 むしろ、身動きがとれなくなっているのは、仕事の方なのです(^^;)(^^;)。 ま、必要なことは必要な時に、必要な形で生じるという信念をもってますので、 「天はみずから助くる者を助く」ということとあわせて、 一生懸命だけどのんびりやっていきたいと思っているKAZEでした。 697/697 TCC00116 NoB RE:風の博物誌 (11) 93/01/30 23:00 692へのコメント キリスト教の「聖霊」っていうのも、ハギア(聖なる)プネウマ ですね。古代人は息が出たり入ったりするから命があると思った のでしょうね。 プラーナは「息」か? まあ、むつかしいなあ。 NoB 695/697 TCC00116 NoB RE:お久しぶりです (11) 93/01/30 22:51 687へのコメント 隆ちゃん、どうも。米のとぎ汁は、リンよりも、それが栄養価があって 河川をよごす生物の餌になるんです。アオコみたいのとかね。 あと、K的な言い方をすると、こういう個別対応ということ自体が、 分断化なんだと思うのですよ。Kの言い方は簡単だけど、理解しが たいものが多くの人にあるようだけれど、たとえば、地球を救うとか 身近な環境を守るというのが、分断された、パーシャルな行動となる なら、やっぱし駄目なんだろうなとは思います。あえて、言えば、 心の問題なのでしょうが、この表現も誤解されるでしょうね。 オンラインにて。NoB 690/697 GGA02514 KAZE 支出の倫理 (11) 93/01/30 14:31 677へのコメント コメント数:1 NoBさん、どうもです。 NoBさんのおっしゃる「支出の倫理」、 「てめーの稼いだ金をテメーの勝手に使わない」ということ、 とっても大事な観点だと思い、同感!同感!です。 それに関連したGの観点というの、興味あります。 「またのおり」にちょいとお教えくださいね。 「支出の倫理」というのは、 文明の存立基盤にも関わってくる重要性を持っていると感じているKAZEでした。 696/697 TCC00116 NoB RE:支出の倫理 (11) 93/01/30 22:56 690へのコメント KAZEさん、レスどうも。Gについては、そうですね、簡単な エピソードとしては、学ぶのに金を要求するだけで、尻ごむ 人を試しているようなところがあるんです。ま、この話はい ずれ。 年開けてからオイリュトミを再開。楽しい。シュタイナ学と か、それほどもう関心ないし、「霊」とかアストラル・ボディ とかドグマ的に考えたくないんですが、オイリュトミしている と動きはまず霊的なものから動くっていうのが実感されます ね。 Gのムーブメンツは動作センターなんだけど、シュタイナのこ れは違うなあ。シュタイナのフォルムとか見ててもまあ、 すごい人だなと思いますね。 オンラインにて、ご・ み NoB 693/697 GGA02514 KAZE 里の仙人(^^) (11) 93/01/30 14:34 689へのコメント コメント数:1 なえさん、はじめまして。 今後ともごひいきに(^^)。 >わたしが希望する人物像とは「里の仙人」になる事だからです。 同感です、同感です(^^)。 僕は、その「里の仙人」というのを、 「いま自分がここにこうしていることを最大の神秘として感じながら生きる者」 というふうにとらえています。 そういう意味で、 >この現在の一般的生活そのものの中に、身体は我が身の物でなく、ことさらに手 >に触れる物も我が付随物でなく、ただただ心一つだけが、唯一自分の自由に出来 >る存在で在る事を感じ、それ故の喜びを、毎日のなりわいに出来たらすばらしい >なと思うからです。 というふうに生きられたらどんなに素晴らしいだろうと思います。 >・・・謙虚な心でいる事が非常に大切だと感じております。・・・ >・・・究極に考えたら、この身体自体自分の物ではなくわたしの心によって、 >この身体を生かしきるという目的の為に与えられた。と感じる事が出来るのだ >と確信しております。 つまり、「生かされている」ということを実感しながら日々を一生懸命に生きる ということなのだと思います。 この身体というのは、魂の「乗り舟」なのだけれども、 その「乗り舟」を、「与えられたもの」として大切にしながら、 そのかけがえのない機会を生かして、できるだけ多くのことを「学んで」いくこと。 それが、私たちにとって一番大切な心構えなのだという気がします。 >以上の点から言って「シュタイナー」という考え方はどうなのでしょうか。 僕のとらえているシュタイナーの考え方と、 なえさんのおっしゃる考え方とは、基本的に同じだと思います。 もちろん、その考え方の表面的な説明の仕方や、 それをどのように生かし、実践するかという方法論には違いがありますが、 それはシュタイナーの対象としていた方に合わせた方法論であって、 地域や人に合わせた方法論を模索している上での違いなのだと思います。 それと、シュタイナーの精神科学は「人智学」と呼ばれているように、 「神」ではなく「人」の「道」を探求しているので、 狭い意味での宗教的なあり方ではありませんから、 「信仰」とかいうスタンスはとりませんが、 人間にとって「尊敬(帰依)」の感情は、 進化にとって特別に意味深いものであるとしています。 その感情は、健全な自己意識を育成するための土壌としてどうしても必要なのです。 そこらへんの、シュタイナーの考え方を簡単に説明することは、 僕の能力に余ることでもありますので、シュタイナーの「人智学指導原則」から、 そのいくつかのポイントについて引用させていただきます。 (ちょっと読みづらいかもしれませんが、ご容赦ください) 人智学は、人間存在のなかの精神的(霊歴)なものを宇宙の中の霊的(精神 的)なものに導こうとする、一つの認識の道である。人智学は人間の中に、 心と感情の要求として現れる。人智学はこの要求に満足をもたらすことに、 その意義を見いださねばならない。・・・ 人智学は霊的な仕方で獲得される諸認識を仲介する。魂的人間存在が努力し て達しなければならない人生の道の境界を越えることができないとき、日常 生活と、感覚的知覚及び悟性の活動の上に打ち立てられた科学とをこの境界 へ導くために、人智学は霊的な諸認識を仲介するのである。日常生活と科学 はこの境界に立ち止まらねばならないのではなく、この感覚的観照の境界で 人間の魂そのものを通して霊的世界の中への眺望を開くのである。 人間は確固とした感情と、意志の力強い発展のために霊的世界の認識を必要 とする。人間は自然界の偉大さ、美、叡智を最大限に感じることができるか らである。・・・ 「通常の生活経験を越える自己認識と、真の自己についての確証は存在しう るのか」という問いが発生する。人智学は確かな精神(霊)経験の土台の上 に、この問いに対する答を与えようとする。人智学はその際、一つの意見や 信仰にではなく、その本質において身体における体験のように確かな、精神 における体験に基づく。 ということですが、これではなかなか理解しがたいでしょうから、 次の機会には、もっと理解できるような資料などを探しておくことにします。 今後とのよろしく、のKAZEでした。 694/697 HFD01514 なえ RE:里の仙人(^^) (11) 93/01/30 20:04 693へのコメント さっそくのRESありがとうございます。KAZEさん >> 「通常の生活経験を越える自己認識と、真の自己についての確証は存在しう >> るのか」という問いが発生する。人智学は確かな精神(霊)経験の土台の上 >> に、この問いに対する答を与えようとする。人智学はその際、一つの意見や >> 信仰にではなく、その本質において身体における体験のように確かな、精神 >> における体験に基づく。 わたしがこのフォーラムに居る意義は、まさに一つの信仰から見た一元的想念ではなく 他の面からのアプローチに依って同じ様な経緯をたどる旅がしたかったからでした。 山登りに道は幾多あっても良い。途中で引き返し、その道の有り様を確かめながら、 また別なルートを探しても良い。様は最終的に完走する事のみが目的では無く、蓄積 出来る経験の豊かさが重要だから。(今、この一瞬さえも重要) (あ、走破途中で棺桶かも・・(^^;))←←ごみごみ 本当に、そんな旅が出来たら嬉しく思います。 であであ - FARION MES(12):★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 93/01/31 - 483/483 GEH01636 酔狂生 RE:RE:音楽・ざつだん (12) 93/01/30 20:51 480へのコメント  小生の記憶にあやまりがなければ、全部○だとおもいます。 「カルトQ」はみてないのでなんともいえませんが、最近はなんで「教養的」 なクイズ番組がこうもおおいのでしょう。                               酔狂生 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/01/31 - 703/706 HFD01514 なえ RE:新しいヘゲモニー。 (13) 93/01/30 17:19 699へのコメント ふっふ。ぎちゃうって・・ぷれいぼういがあいどくしょだったんですかぁ(^^;) (わざと解り難くひらがなにしちゃった(^ー^;)) あたしあえらの方が好きっ!(手紙欄に載ったし・・)←← ゴミッ 平和って、平(タイラ)の和(ワ)だから、均衡がとれてないと成立せんでしょう。 (力量とかねぇ・・) その均衡がとれた上に、お互い安心していられる関係なんでしょ。 少なくとも今の国連安保理は日本を心良く思わないという背景があるのでは? 出す物は渋るわ、派兵もそんなにしないわ・・あ、でもぎちゃうは日本人だった けっか(^ー^;) ←←事実無根 (カンボジアのうんたっく・・もといアンタックも、どーも雲行きが怪しいし・・) うな事は聞いてない??・・あ、お呼びでない。・・こりゃまた・・失礼・どひゃ 704/706 GCC03437 星也 RE:思考の交差点 (13) 93/01/30 21:01 688へのコメント 御指摘 ども、たまごさん :(げげっ^^;ここだけの話,それは逆です.左方優先ですので,いざというときに) :(事故に会われませんように^^;) わはははは、、、、、星也、免許とって10年になります。(ヨク ジコラナカッタモノダ(^^;)) PS. 交差点の問題、考えるに到った原因の一つに FLAT B.B. CROSS (ダッタッケ?) という言葉があった事を追記しておきます。 706/706 JBH00742 COOL RE:仙台の白衣観音はね・・・ (13) 93/01/31 00:28 584へのコメント  こんにちは、MINTさん!  大変レスが遅れてしまいましたが…。  東北地方の白山信仰は「菊地」姓と深く結び付いているようです。  ある本で読んだのですが、遠野地方は菊地という姓が圧倒的に多いらしいです。  そして、白山の神像にも蛇(ヤマカカシという蛇らしい)を  皿に入れて抱いているものがあるとのこと。  さて話しは変わって、白山の菊理姫の呼び方についてですが、  これはククリヒメと呼びます。  というのも、古代には菊はククと発音したらしいのです。  いわゆる魏志倭人伝には邪馬台国の卑弥呼に対して  狗奴国王(クナコクオウ)狗古智卑狗(クコチヒク)と言う人物が出てきます。  これを先の「カ行白山変格活用?」させると菊地彦になるのでしょうか…。  ちなみに菊地姓は後醍醐天皇の建武の中興に功績のあった菊地氏が  先祖であるという話しもあります。                     以上、突然レスのCOOLでした。  追記 ヤマカカ=山母なのだろうか>維/YUIさん