- FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/01 - 762/763 QFG02515 SHANA 昨日の出来事 ( 7) 93/02/01 20:23 きのう、神奈川県警察官採用試験を受けた。 落ちた。 あ〜あ。              SHANA 763/763 QFG02515 SHANA 虚時間かな? ( 7) 93/02/01 20:25 746へのコメント こんにちは、*ねぎひさお*さん。割りコメに割りコメです。 |  ARION達から見える未来というのは、「神の記録」アカシック・レコードと | 呼ばれるものに該当すると思われますが、未来は人類が自分たちで決め、導くもの | でもあるということは、未来は幾通りもある?もしくは塗り換えることもできる? | ということでしょうか。**アカシック・レコードは常に書き換えられていると思う**ねぎ** こう考えられないでしょうか。  ARIONの視点やアカシック・レコードにおいては、  時間は横にずらっと並んでいる。  んで、それは変化することがある。  ならば、  変化する前 → 変化する後  という時間の流れがあるとも考えられる。  我々の普通の時間を横軸とするなら、そのもう一つの時間は縦軸だろうか。  しかしそれは、どんどん流れていくような、いわゆる我々の時間とは違う。  変化する前 → 変化する後  というふうに、相対的に進んでいくものだ。 う〜ん、 通常の時間と直角に交わるようにして存在している、もう一つの時間。 通常の時間とは違い、空間と同じような性質を持った時間。 まるで、虚時間の世界ですね。 がんばれ、ホーキング!    高校時代、数学の授業中に「ホーキング宇宙を語る」を読んでいて、    先生に「へぇ、偉いねぇ」といわれたことのある                            SHANA - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/01 - 702/713 NBG00612 岳同 MIZUHOメッセージへの提案 (11) 93/01/31 22:07 コメント数:2 最近では、MIZUHOさんに関する意見も意見が出尽くしてきたようで、 自分なりのメッセージの意味などを考え直す醗酵の時間なのかも知れませんね。 MIZUHOメッセージに反対される方の気持ちというのも、 自分なりに分かるような気がしています。 宗教や超常現象などに警戒心の強い人や、否定的な人は何らかの原因で 拒絶感を抱いてしまい、一度そうなるとメッセージを遠ざけたいというのが 人情でしょう。 そのような意味で、MIZUHOさんのメッセージは壁(2)に発表しては如何でしょうか。 壁は内容については比較的自由なはずです。 神秘学は話したいが、メッセージはどうもと感じている人にとっては、 ある程度選択が出来るはずです。 KAZEさんは、暫く成行きにまかせるとの事ですが、このまま曖昧なままというのも 落ち着かないので、 一定の期限でKAZEさん宛てにMAILを集める形にしては如何でしょうか。 いろいろな意見が出たので、意見が変わった人もいるでしょうし、 今まで、発言していなかった人もいるでしょう。 その上で、KAZEさんが結論をだされては? このことで、MIZUHOメッセージのひとつの決算になるのではないかなあと 思っています。 710/713 GGA02514 KAZE 発言者削除 :文字訂正 (11) 93/02/01 15:37 702へのコメント 712/713 GGA02514 KAZE RE:MIZUHOメッセージへの提案 (11) 93/02/01 17:07 702へのコメント 岳同さん、ご提案をどうもありがとうございます。 「MIZUHOメッセージに反対される方の気持ち」についてですが、 >宗教や超常現象などに警戒心の強い人や、否定的な人は何らかの原因で >拒絶感を抱いてしまい、一度そうなるとメッセージを遠ざけたいというのが >人情でしょう。 僕は意外にそうではないんでないかな、とか感じています。 むしろ、神的なものに近しいポジションをとっている方の方が、 肯定か否定かという極端なスタンスをとりやすいんではないのかな、 なんて感じています(あくまでも僕の「感じ」ですが)。 そもそも、まるきりこうしたメッセージを遠ざけたいという方というのは、 「ねじれの位置」にあり、相手にするに値しないと感じているはずだと思うからです。 >そのような意味で、MIZUHOさんのメッセージは壁(2)に発表しては如何でしょうか。 >壁は内容については比較的自由なはずです。 そうですね、それもいいかもしれませんね(^^)。 問題はFARIONとしての受容如何ですので、そうした方向の可能性についても 検討してみたいと思います。 それと、もうひとつ考えられるのは、 「読みたくない方は読まなくてすむような工夫」をすることで、 メッセージを数多くのファイルにするのではなく、 大きめのファイルにして、一気に紹介するというものです。 紹介する前に、読みたくない方は避けられるように、 「これから紹介するから、読みたくない方は、 これからの○個のファイルは飛ばしてください。」 とでもコメントつけておけば、「読まされた」ということも少なくなるでしょうから。 >KAZEさんは、暫く成行きにまかせるとの事ですが、このまま曖昧なままというのも >落ち着かないので、 >一定の期限でKAZEさん宛てにMAILを集める形にしては如何でしょうか。 >いろいろな意見が出たので、意見が変わった人もいるでしょうし、 >今まで、発言していなかった人もいるでしょう。 >その上で、KAZEさんが結論をだされては? >このことで、MIZUHOメッセージのひとつの決算になるのではないかなあと >思っています。 成り行きにまかせてる、っていうよりも、 ちょいと忙しかったもんで、それについてあれこれ模索する時間もなく、 結果的に「曖昧なまま」にしてしまったのかも(反省(^^;))。 (もしいろんな意見をいただければ、それに越したことはありません(^^)。) それと、メッセージを紹介するというのは、結局のところ、僕の意志というより、 あくまでもMIZUHOさんの意向次第ですので、 この際、それもちゃんと確認したいと思っています。 僕の意志決定で済むことならもっと簡単にほいほいといくのですが、 メッセージをどうしたいのかというMIZUHOさんの意志と、 このフォーラム及び会議室の運営上の問題の両方がありますので、なかなか(^^;)。 ま、どちらにせよ、近々、それについては、 ご報告させていただきたいと思いますので、しばしお待ちを、のKAZEでした。 703/713 NBG00612 岳同 古神道について (11) 93/01/31 23:48 コメント数:1 「古神道の行法と科学」というおもしろい本を見付けました。 と言っても#100でKAZEさんが既に紹介されていますね。 教科書を目指したのではないかと思える百科全書的かつコンパクトな構成で、 古神道の成立ちからその復興の流れ、それにまつわる近代の宗教史・心霊思想史 と古神道の各種の行法の紹介とその科学的裏付け等が良心的にまとめられています。 言葉を知っていても意味を知らなかったこととか、断片的にしか知らなかったこと について良い整理の糸口を与えてくれます。 五章 日本文化の源流は古神道にあった  1、伝統芸能は隠れ古神道  2、古武術・スポーツの源流  3、古神道からみた新宗教の系譜 などは、前々から思っていて、よくぞ言ってくれたという感じがしました。 あとがきより > 神道が形骸化したのは、個の「行」の世界を軽視したためだといえる。古神 >道は頭だけでは理解できない世界である。「感じる心」を持たなければ、天地 >自然の息吹をキャッチできない。「教えを信じる」時代から「行じて感じる」 >時代へとトレンドが変わりつつあるのである。 >                           古神道の霊性が >復活することで、日本人は真のアイデンティティーの確立し、各人の幸福が >実現でき、それが日本さらには世界の平和につながると思う。 なにをもって行と称するかは、難しいところだと思いますが、 実践ということを行と言っても良いかと思います。 ひととき、サニワ論議が起きましたが、自分を自分でサニワするのが一番難しく、 また一番大切なことなのだと、思っています。 行というのは、この自己サニワと関連していると思います。 また本文中に、「環太平洋シャーマニズム文化圏」という概念が登場するのですが、 これは、非常に示唆に富んだイメージです。 これからは、古神道の復活を含む、先祖帰りの時期だと思います。 日本は、思想・宗教の冷凍庫だと考えているのですが、アジアを含むシャーマニズム的 霊性の復権を私達は担って行かなければならないと思っています。 713/713 GGA02514 KAZE RE:古神道について (11) 93/02/01 17:08 703へのコメント 岳同さん、も一度、どうもです(^^)。 ご紹介の「古神道の行法と科学」、おっしゃるとおり、 なかなか重宝する本だと思います。 >ひととき、サニワ論議が起きましたが、自分を自分でサニワするのが一番難しく、 >また一番大切なことなのだと、思っています。 >行というのは、この自己サニワと関連していると思います。 そうですね、僕もそう思います。 自分を自分でサニワすることは、 哲学の原点にある精神でもあると最近思うようになっています。 哲学の原点には、だれもがご存知のソクラテスの対話というのがあって、 それは「問う」ということをその基本にしていました。 その問うということを「みずからに問う」ということによって、 内なる「対話」は、さらなる「問い」を導き出していきます。 その「対話」は「弁証法」ということにもなっていくのですが、 その基本はあくまでも「問う」「みずからに問う」ことによる「対話」です。 ソクラテスのようなスタンスでい続けることでしか、 結局のところサニワは成り立たないのではないかという気がするのです。 ですから、問題は本人がどういうスタンスをとっているかというのが すべてを決めていくことになります。 出口直と出口王人三郎のおこなった「相互審神」というのも、 この「対話」による弁証法的なあり方のバリエーションであるともいえるようです。 ま、こうした曖昧なことをいうと、またお叱りがくるので、ほどほどにします(^^;)。 >これからは、古神道の復活を含む、先祖帰りの時期だと思います。 >日本は、思想・宗教の冷凍庫だと考えているのですが、アジアを含む >シャーマニズム的霊性の復権を私達は担って行かなければならないと思っています。 ううん、問題は、単なる「先祖帰り」では駄目だ、ということだと思うんです。 単純にいえば、西洋的な自我の形態を発生させて、 それとシャーマニズム的な霊性とぶつかったときに発生する「むすび」が どういう「渦」を形成していくか、ということにあるのではないでしょうか。 「復権」は、同時に「進化」を内包していなければなりません。 でも、こうしたことは、言うは易しですが、実際のところとってもむずかしい(^^;)。 さて、ついでに、 >地理風水−聖なる大地の霊力   御堂龍児 著  光人社 についてですが、それ、僕も読みました。 以前、隆ちゃんに「風水」関係の注目書として、書名だけ紹介してあったものでした。 (ということで、これがその内容です>隆ちゃん(^^;)) >土地柄というか地運ないし地勢ということがどうしてもあるように思えます。 >・・・土地自体に、エネルギーの強弱があるように思えてならないのです。 これは、「イヤシロチ」とか「ケカレチ」とかいうことでも表現されたりしますよね。 山の頂と頂を結んだラインと谷と谷とを結んだライン。 神社などのあるところをたどってみますと、かなりの法則性が見られます。 ちょっと観点はずれるかもしれませんが、 「縄文夢通信」などを書かれた渡辺さん(あれ名前忘れた(^^;))なんかの 著書などに書かれているいろんな法則性の仮説なんかもおもしろいです。 >で、この正月伊勢神宮に行ってきたのですが、今年式年遷宮(20年に一回)に >あたっていて、真新しい新社が隣に姿を現していましたが、その式年遷宮は >古代人の知恵だというわけです。伊勢の遷宮があるから、皇室は持続したし >日本は連綿と歴史のなかに存続したというわけです。 あれは、古代日本に道教関係と関係して伝わった風水術なんだと思います。 この伊勢神宮というのは、もろ道教の影響でできたようで、 吉野裕子さんなんかの著書で、そこらへんのことは詳細に解明されているようです。 >住まう土地によって、案外とイマジネーションが左右されることがあるのでは >ないでしょうか。 これは、かなりあると思います。 最近、ブラウン管の電磁波の影響が云々されていますが、 高圧線なんかが家のそばにあると、体調に悪影響を及ぼす場合が多いようですし、 その土地に発生するある種の振動も、身体に影響を強く及ぼすようです。 それらの影響が強すぎるときは、はやくその土地を去る意外にないと思います。 でも、前にそこに住んでいた方の影響が磁場を形成していることもありますから、 それがあまり強力なものでなければ、その場を清めることで 解決する場合もあるようです。 風水っていうのは、そんなには詳しくないけど、 とっても奥の深い興味津々のテーマだと思っているKAZEでした。 704/713 NAG02033 EX RE:小さなゴミです(^^;) (11) 93/02/01 00:25 701へのコメント コメント数:1  #701 NoB さん  始めてレスします。よろしくお願いします。 Kの話題ですが、Kはいきなり、主/客二元の超克へと突っ走るので、 この世的な成長レベルをずたずた切り落として行く様な印象も無いこと はないのですが、環境問題等への配慮に欠けるというわけではないと、 思いますね。彼がせっせとゴミの片付けをやっている写真を見たことが あります。彼の意識を形容することは難しいですが、「環境に対して思 考が生じたか否かに、即座に適切な行動というものが生じるべきだ。」 というようなことを言っていたような記憶があります。あたかも彼の現 前でとっさの因果が生じては消えていくようなものなのでしょうか・・ 逆に私の様な凡人からは、思考が生じてはいけないというトラウマのよ うな印象もありますがもはや私には及びがつきかねます。実は自分の中 の知や情の枠を思い知らされるべきなのでしょう。彼の対話の中での機 敏な受け答え、雄弁さ等を思い起こしてみるに付けても、尋常ならざる 人だったんだなあと想い入ります。 (ちょっと割り込みました。) ″EX:NAG02033 ″ 706/713 TCC00116 NoB RE:小さなゴミです(^^;) (11) 93/02/01 09:55 704へのコメント EXさん、はじめまして。 Kについては、我々は常に聖人のイメージを投げかけ過ぎているか、 あるいは、その仮面を剥すかみたいなことになりがちだと思うので すが、Kは自身をそんなに重要なものだとは見なしてません。そこ がすてきなところです。 Kが笑ったのは想像できないとかいう人もいましたが、訳本の文体 の影響でしょう。 Kは独り暮らしが人生だったのでけっこうなんでもできたそうです。 ゴルフもうまいという話をきいたことがあります。ゴルフ? 世界 は飢えているのに、みたいな倫理に我々は変換しがちですね。 Kは凡人からは理解できないか? そうかもしれませんが、Kによっ て僕は人生の意味がわかるようになりました。たぶん、EXさんも そうではないでしょうか。Kの持つ、静かなしかし決定的な力みた いのはあると思うのです。 KAZEさんは、たしか、Kを読むと暗い思いになるというかそういう ふうに書かれてましたけ。Kにはたしかにみもふたもないところが ありますね。 でも、悲しみ、孤独にとどまりなさい、というのはそういうことなん で、それが真理であるとわかったら、やはりどうしようもないのだろ うと思います。 こんとこ生活がちょっと荒れてきているので、僕のことですが、ふ とKの本など読みふけって、以前よりいろいろわかるようになりまし た。 オンラインにて乱筆。今後もよろしく。 NoB 708/713 GGA02514 KAZE 本居宣長 (11) 93/02/01 11:39 698へのコメント コメント数:1 NOISEさん、どうも。 >鳥居礼さんといえば、たま出版の神道シリーズを装丁していますが、わたしは >この人のやわらかで奔放な大和絵が好きです。 「大和絵」といえば、僕はこれまで日本の絵画などについて ほとんどかえりみることがありませんでしたし、 日本の仏教以外の思想についても同じようなものでしたが、 おかげさまで、つい最近になってそうした方面についても いろいろ少しずつ見ていくことができるようになったようです(^^)。 その一環で、ついに僕も本居宣長などについても見てみようかなんて思って、 あの小林秀雄さんのそれについての講演テープなどを聞いてたりするのですが、 人間の感性と世界との交わりのうちに生まれる、真に豊かな交響きのことである 「もののあはれ」についてのとらえかたなどに、いろいろ感じるものがありました。 最近とみに感じていることなのですが、 近代的な自我に代表されるような意識的・反省的なあり方と、 古代日本にみられる(であろう)ような神人一体になったようなあり方というのは なかなか相入れないことであるようですね。 「あめつちのむすび」というのも、ひょっとしたらそこらへんのあり方が 互いに生かしあったあり方でなければならないのだと思うのですが、どうでしょうか。 「むすび」には、いまだ困難がともなっているようですが、 それはともかく、僕自身の認識のあり方について模索していくなかでも、 この両者というのはことあるごとにさまざまな「淀み」を引き起こしがちです。 「むすび」と「中」とはどこか似ていますね。 以前にもコメントしたことがありますが、 最近買い込んだ安岡正篤さんの「易學入門」によれば、 太極の−は創造概念を表すもので、即ち全であり、一であり、絶対である。 故に相待的な何者でもないので、これをまた無極といふ。・・・太極は造化 の究極であるから、無限のエネルギーを含む核の状態、極度の張力の帯電状 態といふことができる。造化は太極が自己を実現発揮してゆく努力過程であ る.そのいかなるものにも偏向・分裂・固定せず、常に全一・調和(太極) を保って、生成化育することを「中」といふ。 ということです。 「あめ」と「つち」のむすびによって現れる 大いなる造化の妙について思いをめぐらせるKAZEでした。 711/713 TCC00116 NoB RE:本居宣長 (11) 93/02/01 16:36 708へのコメント 小林のあれは、新潮文庫になってます。知ってるかもしれない けれど。あれは、名作です。NoB 709/713 GGA02514 KAZE 雑談の応酬(^^;) (11) 93/02/01 15:36 700へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 夜更かしなんてへっちゃらさ!といいたいところではありますが、 やっぱり僕も深夜放送を聞いていた頃にくらべると、ちょっとつらいものがあります。 学校なんかではほとんど居眠りをしていた噂もある僕ですが、 やっぱり職場となると、打ち合わせの最中に寝るわけにもいかず、 ストレスはたまっていき、たとえば昨日なんかはほとんど頭のなかすっからかんにして ひたすらぐーたらぐーたらしてばかりいました。 考えてみれば、こんなにぐーたらしたのはほんとに久しぶりのことでした(^^;)。 >子供の頃、その辺にいくらでもあった土の匂いがこの頃なくなりましたねぇ。 「土の匂い」といえば、子供のころはいろんな匂いの中で暮らしていましたね。 雨が降ったりしても、ものすごくいろんな匂いがわくわくと迫ってきましたし、 草や樹や花や生き物やそんなすべての匂いが、大きな感動を運んでくれていたのかも。 そういえば、僕は小さい頃から「匂い」に一番敏感だったようです。 僕の好きなのは自然の香りのするもので、それに対してヤなのは、 中年男のポマードの臭いや女性のあくどい香水の臭いなどで、なぜ、あんなに 不自然な臭いで囲いをつくらなければならないのか疑問に思っています。 カクテルの話ですが、僕はウォッカベースのものがベーシックで好きでした。 バーテンやってたときに、よく飲みにくる女の子なんかのために、 フルーツジュースなどをあしらって、 いろいろオリジナルなんかを工夫してみたりもしてました(^^)。 ウォッカベースの方がお酒特有のクサみが少ないから飲みやすいんですよね。 シェイカーを振るっていうのは、最初はなんだか恥ずかしいから照れるんだけど、 なれてくると、アイヨってなもんで、おだてられて ホイホイ振るようになりましたが(^^;)、ずっと振ってないから今は下手かもね。 「あわもり」といえば、以前沖縄に行ったとき、ふらりと入った居酒屋で飲んだ 「あわもり」、とってもおいしかったのを覚えています。 その時一緒にいた友人たちと、郷土料理にうはうはいいながら、 ばかすか飲んでいましたねえ(^^)。 ジンが薬用に飲まれていたというのは知りませんでした。 「胃腸にくる風のときジンをストレートで・・・」というの、今度やってみようかな。 犬についてですが、最近は「動物のお医者さん」が流行ったせいもあって、 シベリアンハスキーが出回っていて、街のあちこちで見かけますが、 僕はアフガンハウンドなんかが優雅で好きです。 以前なぜか知り合いの小さな女の子が、アフガンハウンドを見て、 僕に似ている、なんて言われて少しだけうれしくなったことがあります(^^)。 ちなみに、相棒も隆ちゃんと同じく大型犬派のようですよ。 僕が、猫派というのは、おっしゃるように、 その動作を見ててあきないというのが大きいかもしれませんね。 そういえば、以前、CMの撮影用に小猫のヒマラヤンを借りてきて、 一夜をともに過ごしたことがあるのですが(^^)、とってもかわいかったです。 でも、その小猫ちゃんが下痢して、僕までウンチまみれになったりして それはそれは大変だったのでした(^^;)。 >風と戯れる事を忘れたとき人は無邪気でいられなくなるような気がします。 一見、実体のない風のような存在と戯れることのできなくなったとき、 ひとは次第次第に精神の死を受け入れるようになるのかもしれません。 別の言葉でいえば、「そんなものだ」というレッテルがすべてだと思って、 すべてのものに新鮮な感動が味わえなくなるということです。 そういえば、僕もほんの時折、そんな「無風状態」になって、 すべてのものがかったるく感じられて、どうしようもなくなるときがあります。 >水もそうですが、空気も動かないとよどんで腐ってしまうと思います。そうい >う意味で風は活力を与えてくれるものなのでしょう。ダイナミズムの象徴みた >いな気もしますね。 まさに、精神の無風状態になってくると、 ひとはどんどん腐敗への道を歩んでいるということなのでしょう。 「生」ということは、まさにダイナミズムということですから、 いつもいつも新鮮でワクワクできる自分でありたいものです。 >なんか最近身の回りが不思議な事だらけ(当たり前の事がみんな不思議に思えてく >る)で大変です(^^;)。 先日も、別のアーティクルで、 今ここに自分がこうしていることが最大の神秘だ、というようなことをいいましたが、 「不思議」といえば、「当たり前」のことなんかどこにもないんですよね。 だれでも、なぜ自分がいまここでこうして存在しているのか、ということを 「感じ」ようとすれば、それはそれは神秘的な感情でいっぱいになります。 そこからはじめて、「あなたはなぜ、僕といっしょにこうしているのだろう」とか 「なぜ、こんなにすてきな花がここにこんなにすてきに咲いているのだろう」とか・・ そんなことを「感じ」ていくと、すべてが限りない神秘でいっぱいになります。 多くの方は、どこか自分とはなれた「非日常」に神秘を探そうとするけど、 そんなあり方というのは、やっぱりどこか違っているような気がして しょうがありません。 >今朝、うちの団地で飛び降り自殺があったそうです。若い頃は「自殺なんかする >奴はアホだ」なんて思っていましたが、最近は自殺を起こす状況が存在する事に >なんとも言えない悲しみをおぼえます。 ううむ、飛び降り自殺の話といえば、 最近読んだ「マインドキャラット天孫」(だっだと思います)という、 湯川れい子さんの旦那さんの田村さんという方の書かれた本の最初に、 飛び降り自殺をした高校生の女の子が、友人の自動筆記にでてきて、 ふつうなら自縛霊になるところを、いろんな働きかけでなんとか天に帰っていく・・ という実話が記されていて、興味深く読んだのですが、 最近の自殺というのは、とっても軽くて、軽すぎて、 それだけに心の病の根の深さを感じさせられてしまいます。 最近の自殺は、あの明治時代に哲学者や文学者が深い絶望を体験した上での死とは まったくその性質を異にしているように、僕には感じられます。 つまり、最近の若い方の自殺は、「生」に根づくことのできないが故での 余りにも軽い「死」なのだと思えるのです。 おそらく、これからもこうした「死」は増え続けるでしょうし、 今後の世紀末的なメランコリックな状況の中で、 さらにその数を増すような気がします。 >そんなわけでなんかとっても気分が暗いのですが、 >世の中がなんとか良い方向に進むように祈りつつ新しい年明けを待つのでした >・・・ >そういえばARIONさんが、2月3日までは決定や決断をしないほうが良いと >おっしゃってましたね。 そういえば、本来の新しい年明けですよねえ。 僕もそのARIONの言葉は気にかかってますし、 MIZUHOさんの方からも同じような話を聞いていたところなのでした(^^;)。 詳しいことはよくわかりませんが、ま、気をつけたいものだと思っています(^^;)。 新しい夜明けに向かって、隆ちゃんとともに、祈りたい気持ちのKAZEでした。 705/713 NBG00612 岳同 風水について (11) 93/02/01 00:56 地理風水−聖なる大地の霊力   御堂龍児 著  光人社 という本を読みました。 かつて、藤原不比等や家康が用いた「風水」という家運隆昌の術について 書かれたものです。 地運ということについて、考えたことはありますか。 私は、親の影響で何度か引っ越しましたし、就職してからも、 何回か転勤していますが、土地柄というか地運ないし地勢ということが どうしてもあるように思えます。 気学を元にした、方位学を勉強したりしましたが(これは、時期と方角によって 判断する)。移動先の土地自体に、エネルギーの強弱があるように思えてならない のです。 そんな、もやもやを明解に解説してくれたのがこの本です。 一言で言うと、人体の経絡に相当するものが土地にもあり、 これを地龍と読んでいます。そして、ツボにあたる土地に、 住居や墓を作ることにより、その秀気をうけて数代あとには 優秀な子孫が生まれるであろうと、こうなるのです。 中国の四神相応の思想[青龍、白虎、朱雀、玄武]を具体的に応用すると、 ツボは山脈が平野に接する小高い岡などにあり、その岡と平行に山並みが左右を 護り、そして前方に水(川、海、湖)がある。そのような地形にあります。 そして、その地龍の動きは、20年周期で変化するといいます。 日本の国土は龍体であると聞いたことがありますが、地下のマグマなどからの エネルギーが山並みをたどり地表にあらわれるというわけです。 エネルギーの脈は、周期変動するため、国土のさまざまな土地が入れ換わり立ち代わり 繁栄したりさびれたりします。それと、個人や家系も関連していると言うわけです。 で、この正月伊勢神宮に行ってきたのですが、今年式年遷宮(20年に一回)に あたっていて、真新しい新社が隣に姿を現していましたが、その式年遷宮は 古代人の知恵だというわけです。伊勢の遷宮があるから、皇室は持続したし 日本は連綿と歴史のなかに存続したというわけです。 この、風水を見事に応用したのが家康で、彼が戦国時代を制覇したのは、 彼がこの風水を知っていたからこの本では述べています。 家康の没後の不思議さ、なぜ縁のない日光の地を選んだのか等、歴史的に見てもおもしろいです。 何度か仕事などで訪れて、すがすがしいと感じる土地があります。 岐阜もそうですし、富士宮もそうでした。 その、土地がこの本に出ていてとても興味深くよみました。 いま、私が目に付けているのは、職場近くのツボ地です。 たぶん、あそこはツボだと思う。 それは、ホテル・オークラです。アメリカ大使館からオークラの方へ向かうと何だか すがしい感じがするものです。 身近な、ツボ地をさがしてみようと考えている今日この頃でした。 住まう土地によって、案外とイマジネーションが左右されることがあるのでは ないでしょうか。 707/713 GGA02514 KAZE 旅の途中にて (11) 93/02/01 11:39 694へのコメント なえさん、どうも。 >わたしがこのフォーラムに居る意義は、まさに一つの信仰から見た >一元的想念ではなく、他の面からのアプローチに依って >同じ様な経緯をたどる旅がしたかったからでした。 僕も同じですねえ。 そんな旅がしたいと思っています(^^)。 それぞれのひとにはそれぞれのベースとする認識のあり方がありますが、 道中、いろんな旅人と出会い、いろんな風景に感動しながら、 できるだけ豊かな視点を得ていきたいですね。 つまり、同じ見るといっても、目先でみるとの長い目で見るのとは違いますし、 一面的に見るのと多面的もしくは全面的にみるとのはおのずと異なってきますし、 また、枝葉末節で見るのと根本的にみるのとも違っているように、 できるだけいろんな視点というのを自分なりに持ちながら、 やっていきたいと思います。 >最終的に完走する事のみが目的では無く、蓄積出来る経験の豊かさが重要だから。 プロセスというのは、とっても大事ですよね。 ひとはともすれば、すぐにそのゴールばかりに目を奪われて、 自分が今なにを見ているのか、どういう姿勢でいるのかを忘れがちです。 「経験」の大切さ、というのはプロセスの大切さですから、 自分がどこに向かおうとしているのかを常に見定めるのは当然ですが、 道中の風景を楽しむ心の余裕というのが、 その「豊かさ」につながってくるのでしょう。 旅の途中、なにげなく仰ぎ見た空の青さに胸がジンとしてくるような そんな瞬間を大切にしていきたいと思っているKAZEでした。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/01 - 713/716 JBH00742 COOL 正月に見た夢 (13) 93/01/31 23:59  RE:#519 & #521 HVHYさんへ  こんにちは、HVHYさん!  ご返事大変遅くなりましたが、  何となく、もう書き込んでもいいような気分になりましたので、  #519や#521に関連すると思われる、正月に見た夢をUPしてみます。  これらの夢は「影(あるいは闇)の領域」に属するものであると思われたので、  今までためらっていたのですが…。  −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−  イ)1月3日(朝)に見た夢    私はHVHYさんと一緒に川を渡る。    川幅はジャンプしてようやく届きそうな距離。    私はHVHYさんは跳び越えれそうにないと思っていたのだが、    いとも簡単に飛び越えてしまう。    私もどうにか、ぎりぎりのところで向こう岸に辿り着く。    突然、HVHYさんが黒豹に変わり、じゃれついてくる。    しかし私は黒豹が襲ってくるような感覚に襲われ、逆に攻め立てる。    私は黒豹を崖の下に落とした後、    車の潰れたの?を黒豹に向かって落とした。    一旦は死んだと思ったのであるが、    黒豹は生き返り、スタスタと去っていった。    気が付くと、私は高い崖の上にあるピラミッドの裾に居たが、    怖くて上に登れない。(下図参照)           /\ピラミッド          /  \         /    \        /      \       /        \〇ここが私の居た位置                |                |                |崖                |                |______  ロ)1月4日(朝8:00頃)に見た夢    何故か俳優の笠智衆?の葬式らしい。    広場の四隅を塩で清めているが、土は荒らされている。    (HVHYさんがUPされた#521の上面図の左側か?)    場所は違うが、同じ様に土俵があった。    (HVHYさんがUPされた#521の上面図の右側か?)    その後お札(おふだ)を売っている所へ行く。    お礼をするためにお辞儀をするが、とても悲しかった。    お札(おふだ)を売っているお坊さん?も    私には顔を向けていられない様子であった。  −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−  以上が関連すると思われた夢の内容です。  しかし、夢って何なんでしょうか。(よく判らない…。) 714/716 GBG02755 スマル どもども (^_^)COOLさん! (13) 93/02/01 13:04 711へのコメント バブバブ〜。 私の夢がCOOLさんに繋がっているのですか、 う〜む。 それでは、いろいろupしてゆくと何か見えてきますかしら? 面白い夢があったらここに書いてみますね。 おまけですが、 仙台の白衣観音は、1985年にすでに予知されているかたがおられ、 その方は、仙台に「天道白衣大観音」が立たねば、次へのステップは始まらない と、告げられていたようです。 その方の聞かれた霊示には 「人類 終結の場 万里 龍印のため 世界 各主の星達は 中国に集結す  その意 すでに 日本国にて 神 選出す 神は中国にて 印を 手渡す  この印は 神が 誠を持って 世を執す 天上の姿なり   万里の長城に灯をともしなさい」 と、ありまして、そのかたはその時を迎える準備を少しづつされています。 その時がいつなのかは、はっきり書かれていません。 しかし、仙台に白衣観音が立たれ、次に中国へエネルギーが、日本から移れば、 いよいよ、万里に集結するだろうとあります。 なお、白衣観音は、マリアさま(キリスト教の)と同じ存在であるとのことです。 白衣観音が仙台に、立たれるだろうことは知っていましたが、 この会議室に話題になっているのも、何かのご縁だろうと、 知っている限りの情報を提供させていただきました。 何かのお役に立つのかな?                       スマル 715/716 QFG02515 SHANA 2月3日といえば・・・・・・ (13) 93/02/01 20:27 そう、2月3日といえば、 エドアルド・マイヤーの誕生日ではないか。 めでたい日(?)に生まれた人だなぁ。 そ〜いえば、 あのイエス・キリストと呼ばれている人が生まれた日は、2月3日だ という説もあるなぁ。 (クリスマスは誕生を祝う日であって、その日にちは生まれた日ではないらしい) う〜ん、なんだかなぁ。                −−−−−−− SHANA −−− 716/716 QFG02515 SHANA 種馬ヨバイ伝説 (13) 93/02/01 20:28 こんにちは、SHANAです。 私は、 イエスは母親だけから生まれたのであり、肉体的な父親はいない という説に疑問を持っています。 はたして、精子なしで卵子だけで子供が生まれるのか? という疑問がまず浮かびます。 ふつう、遺伝子は同じ部分に関する情報が、 父親からのものと母親からのものとで、2種類ずつあるので、 いちおう卵子だけでも人体に必要な情報は揃っているわけです。 ですから、なんらかの刺激を与えると細胞分裂を開始することもあるそうです。 実際、魚などでは、オスがほろびてメスだけの種類もいるそうです。 その場合、ちがう魚の精子によって刺激を受け、結合はしないけれども、 そのショックによって卵の成長が始まり、成体になるそうです。 でも人間の場合は、まず成体にはならないということです。 それから性別も。 親が母親だけなら、いわゆる性染色体はXだけとなり、 したがって生まれるのは必ず女となるはずです。  性染色体はXとYの二種類があり、XXなら女、XYなら男になります。  卵子の側にあるのは常にXで、精子の側にあるのがXかYかで性別が決まります。  といってもY染色体に男の子のカタチの情報が入っているわけではありません。  X染色体には、人体に必要な多くの情報が含まれており、  女性の身体の情報だけでなく、男性の身体の情報も含まれているのです。  初期の胎児は両性具有として成長し、ホルモンによって性の分化が起こります。  そして、ここからが面白いのですが、  母親の胎内は女性ホルモンの海なので、  したがってそのままだと、胎児は自然と女性に分化します。  実は、「女性に分化する」という遺伝情報は存在しないのです。  で、男性に分化するには、そのための男性ホルモンが必要なのですが、  実はそれを生産するための情報が入っているのが、Y染色体なのです。   以上は、前にその手の本を読んだことのある私が、   その記憶をもとに書いたものです。   なので、ひょっとしたら、ちょっと違っているかもしれません。   でも、その本が間違ってなければ、おおかた合っているでしょう。 というわけで、 人工的に、男性分化のためのホルモンを胎児に投与しない限り、 Y染色体を持たない個体が、男性に分化することは無いのです。  (人工的にそのホルモンを投与したからといって、   本当にちゃんと男性に分化できるのかどうかはしりませんけど) やっぱり、イエスさんにも、父親がいたのではないでしょうか。 では、だれでしょうか。マリアさんの夫のヨセフさんでしょうか。 ひょっとしたら、そうかもしれません。私には、そうで無いとは言い切れません。 でも、もう一人、きわめて怪しい人物がいます。 「ルカによる福音書」から、少し引用してみます。  六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガラリヤの  町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいい  なづけになっていて、名をマリヤといった。御使がマリヤのもとにきて言った、  「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。この言葉にマリ  ヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いをめぐら  していた。すると御使が言った「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをい  ただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子  をイエスと名づけなさい。(以下略)」 ひょっとすると、こういう事かもしれません。  つまり、  ガブリエルと名乗る謎の人物が、夜な夜なマリアちゃんのもとに現われて、  「恵まれた女よ、おめでとう」とか言いながら夜這いをかけ、  “タネ付け”をした・・・・・ ひどい話だ! 「恵まれた女よ、おめでとう」だと! なんて口説き文句だ! しかも、自分の***を「神からの恵み」などとほざいてやがる! ふざけるな! おまえには良心がないのか! 自分で身ごもらせといて、すかしてんじゃない! 女の敵め! 処女をかえせ! ハァ、ハァ、ハァ・・・・・ おっと、つい興奮してしまったようです。 え? おまえこそふざけるなって? こりゃまた、しつれい。                    By SHANA System