- FARION MES( 1):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<06> 93/02/03 - 847/858 MHF01607 える 友人☆ ( 1) 93/02/02 23:25  昨日、久々にUSAにいる友人から手紙が届いた。  今日、久々に四国の高校時代からの友人からTELがあった。  二人共元気にやっているようだった。  「相変わらずだねぇ」と言いつつも、どちらもすこしづつ  成長して、変化して・・・  離れていても、連絡が途絶えない友人って意外と少ない。。。  離れていても、長く付き合える友人が1人でもいるってことは  なかなかの幸せである(・^_^・)。。。                      MHF01607 えるっ 848/858 GBG02755 スマル 今、マザーテレサを読んでいるんだけど。 ( 1) 93/02/03 01:09 846へのコメント ファシル、こんにちわ、RESありがとう。 私は今日、マザーテレサにあこがれて、やっとその書籍を手に入れました。 なんと、謙虚で、愛に溢れているんだろう。 どんな瞬間も神に正面から向かい合って、自分を導いている。 信仰とは、自分への限りない信頼なのだと感じさせてくれました。 神を信じたおのれを、信じて、行じて行くことなんですね。 それから、思ったのですが、 貧しい人に愛を届けるという行為には、謙虚であることが 絶体に必要なんですね。 貧しい人に施しをする、可愛そうだから、金品を分けて上げる。 そういう心では、単なる同情でしかなく、 そう言った場合、相手を傷つけ兼ねない。 どうしたら、貧しい人の、悲しみを抱えている人の 目線にたって、愛を届けて上げることができるのか、 そういうことを考えるとき、 私自身が、同じ悲しみを知っている、同じように貧しいと 感じることがなければ、 上からものを与える行為にしかならないように思うのです。 私の中に、貧しい人と同じものが流れていることを知って初めて、 愛を平等に分け合うことが出来るのだろうと思うのです。 マザーテレサの心には、それを感じる部分があって、 しかも、相手に神をみているのですよね。 わたしは、みじめな自分、恥ずかしい自分、醜い自分をもっと見たい。 そしてそんな中に、神をみたいと願っているんです。 また、そんなことをしながら、自分は何も失うことがない、何も得ることもない、 「ただ在る」と言うことを、この体で確かめてみたいと思うのです。 なあんちゃって、えらそうにぶってしまった。 でも、実際の私は、目の前の楽に自分の本当の願いを、失っている毎日なんです。本当の心の声が聴こえないのならば、まだしも、聴こえているのに 聴こえない振りをしてしまっているんですよ。 嘘だけは付かないで、生きたいと願っていると言うのに、 その願いを叶えるのも諦めるのも自分次第だと知っているのに、 ただ毎日を下らなく生きてしまっているのが、 我ながら、悔しいというか、恥ずかしいというか。     本当の真心ってどうしたら伝えられるのかしら?     私のありのままをどうしたら、相手にいたわりを込めて     伝えられるのかしら?     誠実に生きるとは、どうすることなのでしょうね。     いま、私の最大の関心事です。                      スマル 850/858 GBA01276 しまうま RE:嘘の暖かさ! ( 1) 93/02/03 01:33 841へのコメント コメント数:1  スマルさん、こんにちはっ!(^_^) :本当に相手をおもいやって、きついことを言ったり、 :体を動かして応援してあげるって、 :やれそうで、けっこうむずかしくて :自覚とか、努力とか必要なんです。  そうだよねー。「思いやるとは思いを到らせること」ってARIONさんが言っ てたけど、その思いがどれだけ純粋かということでもあるんでしょう。純粋なぶん だけ、相手にキツイことを言ったりもするんだろうけど・・・。でも、無理して「きつ く言おう」と思う必要は、きっとないんだよね。骨までしみるくらいやさしく包ん であげたいっていう気持ちを形にすることが思いやりだってこともあるだろうしさ (なんかすっげー当り前のこと言ってないか?>テマエ(^^;))。  やさしくしようとかきつくあたろうとか思うより、自分の純粋な(上澄みという 意味ではなく)気持ちをそのままの形で届けること、が思いやりだろうなぁなんて、 この頃思ったりするるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるん。          なえさんの一撃をくらって頭のネジがゆるんだ(^^;) しまうま 851/858 GBG02755 スマル 溢れる愛を伝えたい。 ( 1) 93/02/03 09:13 850へのコメント コメント数:1 しまうまさん、おはよう! 純粋な思いを、相手にいたわりを込めて伝えて行く。 言葉をよく選んで、確かめて伝えて行く。 けれど、私は自分で自分が厭になるんです。 どうして言葉にすると、嘘になってしまうのか。 思いを、他人や自分に言葉にして伝えるとき、 どうしても、ごまかしているなあと感じてしまうのです。 言葉は自分の自我を守るためにあるのではないか、 恥ずかしい自分を包み込んで隠すためにあるのではないか、 そう思えてならないのです。 こうして、私はあなたに思いを伝えたいと言葉にしますが、 なにかとても虚しいものを感じてしまうのです。 言葉に力がない、本当のことを語りかけているのに、 保身や、良い子ぶりっ子しするために発しているように 自分で思うのです。 けれど、私の願いは、ひたすらに「裸」になることなのです。 言葉を失って、思いを思いのまま残すことは出来ないのでしょうか。 思いを言葉に転換しないで、確認することは出来ないのでしょうか。 パソコン通信は言葉を媒介にしています。 私のこの虚しさを、言葉にしなければ、伝えることは出来ないのです。 しかし、言葉にした瞬間に、伝え切れていないと感じてしまうのです。 それは、たぶん自分の言葉と自分の思いの間に、距離があって、 言葉が上滑べりしていること、 自分の思いを完全に把握していないことによるのかもしれませんね。 嘘はつかない、 でも、うそに限りなく近い言葉が、悲しい。 思いを込めて、言葉にする。 静かに、自分を感じながら、言葉に換えて行きたい。 こうして言葉にするけど、相手にどこまで伝えることが出来るのか、 そのことにも、何か虚しいものを感じてしまうのですよね。 1番理解してほしいひとが、私の思いから1番遠い理解を しているのを知ったとき、言葉を失ったような気がしました。                      スマル              853/858 HFD01514 なえ 駿馬の瞳 ( 1) 93/02/03 10:26 コメント数:2 >>★星光る駿馬の瞳に宿る思い、律動する心、そっと・・・なえさんへ あたし、いて座なんだ。あれは、サソリの心臓であるアンタレスを狙っている。 弓を構えながら、その瞳には、常に躍動と期待と不安が入り交じっている。 きっと星々からは、そんな星の想いのエネルギーが流れて来るんだね・・。 今年も新たな命の誕生が近い・・・。と言っても3頭目、全部で5頭かぁ・・・ どうやって食料を確保すっぺ・・・(^ー^;) 第一、名前を考えないと・・・「スバル」に「あけぼの」次は・・ あはっ!女の子が良いなーー。でね、まさこさん←←アホ 855/858 HFD01514 なえ RE:溢れる愛を伝えたい。 ( 1) 93/02/03 16:03 851へのコメント 言葉は、それだけでは軽くて真実では無いかも知れません。(仮の話し) でも、そこに、価があれば、真実となり、相手にも通じる。 価とは、たとえば、出稼ぎで帰らぬ主人の為に、元気でいる様にと、影膳を供え るという事でしょうか、病気の親の為に、回復を祈り、お茶絶ちをする事でしょ うか・・・。単に相手に、不愉快な思いをさせない心使いでいる様、努力する事 だってあると思います。 言葉が単に言葉で終わらず、その行動をもって真実とする時に、それは、相手の 心に直接響く「思い」になると思います。 それが何かは自分で見つけて下さい。人からこれが良い方法ですよと教えられる 事では無いからです。また、その状況が一つ一つ違うからです。ただ、それは、 少なくとも自己満足や我が身利益では無いという事ははっきりしているでしょう。 それが例えば、もっと多くの出会う人に向かう時、話す言葉のそれぞれが、深い 思いやりとなって、相手に通じていくのでしょう。 言葉はとても不思議な力を持っています。言霊と言われる様に。だから、もっと 大切にしていくべきものなのかも知れません。 でも、えらそーな事は言えないのだったたたたたたたたたたたしまうまくんを叩 いた手が痛い なえ でしたん。(^-^;) 856/858 HFD01514 なえ RE:安産祈願 ( 1) 93/02/03 16:04 854へのコメント ありがとお!!!!!!(^ー^;) 馬に伝えておくね 857/858 GBG02043 維/YUI 今日(2/03)のメッセージに ( 1) 93/02/03 19:04 **★星光る駿馬の瞳に宿る思い、律動する心、そっと・・・維/YUIさんへ 22歳そこそこの小娘だった頃の詩 [瞳の中に] 逃れるようにしていたその瞳をある日 ありったけのやさしさと ありったけの思い入れと ありったけの好奇心で見つめたら 瞳の中にエネルギーがあり しだいに強く感じとれた 光は私をつらぬき ゆっくりとその光度をたかめる もう、私は その瞳から逃れようとはしない 瞳の中に 今、私がいる                              維/YUI。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/02/03 - 243/256 GBA01276 しまうま RE:ご飯を炊いた ( 6) 93/02/03 01:33 232へのコメント  URDさんはじめまして。風邪が治ってよかったですね(^_^)。  え? 自炊のノウハウですか? うーん・・・・確かそういえばお宅のチャウチャウ って、ウハウハでしたよね。うんうん。  頭のネジがぁぁああぁ(^^;) しまうま 244/256 GBA01276 しまうま RE:えすにっくしてぃー東京 ( 6) 93/02/03 01:33 235へのコメント  CHARANさーん! どうもお久しゅうございます。覚えておいででしょうか・・・しま うまです。  代々木公園ですかぁ・・・おもしろそですねー(^_^)。シシカバブ丼にも、ぜひ挑戦 してみたいです。  つい先日カメラを買いました。ムフフフ。いやヘンな写真撮ろうと思ってるわけ じゃないんですよ。でも、なんだかうきうきしてます。  どうぞこれからもよろしくお願いします!!            しまうま 245/256 GBA01276 しまうま RE:イーガーコーテル ( 6) 93/02/03 01:34 240へのコメント コメント数:2  隆ちゃんコンチニワ(^_^)。  ごめんなさーい。誤解されてもしょうがない書き方をしちゃいました。僕は広島 県出身の神奈川県住民なのでした。だからってカープが負けてもホームから人を突 き落としたりはしないし、オタフクお好みソース以外はソースと認めないなんてこ ともないのでご安心を(^^;)ナニガアンシンナノダロウ。  僕は広島と同じくらい、ここK崎が気に入ってます。裏も表もごたまぜっぽいと こなんか、心地良かったりします。 :イーガーが1でコーテルが餃子という意味だったと思うのですが、発音(たぶん :中国読みなのでしょう)がいまいちよくわからない(^^;)。お〜い、シゲさ〜ん、 :助けてくで〜。  そういや最近シゲさんの書き込み見ませんね・・・。今朝当て逃げされたんだけどさ、 SENDの(^^;)。  FREKISHIの三国志会議室のお世話が忙しいのかもね。隆ちゃんも一度顔出してた みたいだけど、あれから行きましたか? 今度、FARIONからツアー組んで行ってみ ますか(^_^)。                           しまうま 246/256 GBA01276 しまうま 会社の近くにお稲荷さんがあって ( 6) 93/02/03 07:58  朝は人通りの多い道に面しているものだから、境内にお邪魔するとき鳥居のとこ ろでの一礼を「しなくちゃしなくちゃ」と思いつつもやらずに済ませていた。なん となく人目が気になってしまって・・・。  昨日の朝、お社の前で拝んでる最中に、ふと、今なら一礼ができそうな気がした。 鳥居を出て、振り返り、頭を下げた。・・・なんて簡単なんだろう。人目なんて関 係ないじゃん。どうして今まで出来なかったんだろう。よくわかんないけど嬉しく なって、「アリガトウ!」と心の中で思いつつニタニタしながら会社まで駆けた。  そんだけ〜。((C)COOLさん 1993)              しまうま 254/256 HFD01514 なえ RE:左手のケンショウ炎 ( 6) 93/02/03 19:40 249へのコメント あ、言うの忘れてた。あたしと父ちゃんの身長はほぼいっしょで、服の多くは 共有してたのでした。へへ←←ベンリ だからリキが無いの・・ 256/256 HFD01514 なえ RE:お好み焼きソース ( 6) 93/02/03 19:59 252へのコメント わりこめこめこめ こんにちわ《 隆 》ちゃん >>ところで広島市内では美しいご婦人をあまり見かけなかったのですが はーーい。はーーい。ここにいまーーーーす。・・・え゛? お呼びでない。 こりゃまた 失礼。 どひゃ。    広島の田舎の清いご婦人に愛の手をぉぉぉぉ・・・・。  ご婦人は田んぼで農作業をやっとりんさい。・・・はーーい。すごすご・・ (うーーん、やっぱ藁束を切らないと・・馬が餓死するでなぁ・・)←悲哀だなぁ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/03 - 770/772 GDB00064 オリハル ARIONの事だと思いました。 ( 7) 93/02/03 00:31 コメント数:1 ARIONの事だと思います。 一二三神示、扶桑之巻、第二帖 『なかとみのふとのりとことふとにのりあぐ、  一はいくら集めても一であるぞ、判らんものいくら集めても判らん道理、二は二、三 は三であるぞ、一を二つ集めても二にはならんぞ、人民大変な取違いを致して居るぞと 申してあろうがな、○(レイ)がもとぢゃ、@一(レイ)がもとぢゃ、結びぢゃ、弥栄 ぢゃ、よく心得なされよ。世の元、○の始めから一と現われるまでは○を十回も百回千 回も万回も、くりかへしたのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ、火と水( 一と三)のドロドロ(十@十@)であったぞ、その中に五色五頭の竜神(@−二ん)が 御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、今の人民は竜神(@−二ん)と申せ ば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、こ とわけて申してゐるのぞ、竜神(@−二ん)とは@神(理Θ)であるぞ、五色の竜神と は国常立尊の御現われの一(ヒトツ)であるぞ。  戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれど も、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれど、いつまでもそんな首輪はいらんぞ、 戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。』 (@は、「一二三神示」では、渦の巻く方向が逆です) (Θは、「一二三神示」では、○の中にゝを入れた文字です) ちなみに、毎週水曜日、フジテレビ、19:00〜19:30で「ドラゴンボールZ」 がやってます。(関東)                   〜〜〜〜 オリハル 771/772 HFD01514 なえ RE:ARIONの事だと思いました。 ( 7) 93/02/03 09:54 770へのコメント 中国地区もやってるわい →→ごんぼうる ←←テレビの取りっこ喧嘩の元 で、アリオンがくにとこたちのみことと5頭の竜神と同じって事が言いたい訳? でも、共通項が見えない。見えない。見えない。・・・・・ あたしはだれ?ここはどこ? 772/772 QFG02515 SHANA 生命(11)「死の恐怖」 ( 7) 93/02/03 15:59  こんにちは、SHANAです。  えぇと、死の恐怖・・・ですが、私はそういう目に会ったことはないので、あまり 自信はありません。でも、とりあえず書いてみます。  死の恐怖って2種類あるんではないかと思います。  ひとつは「死ぬという体験」に対する恐怖。  もうひとつは、「死後どうなるのか」ということに対する恐怖。  前者の恐怖は、本当に死にそうにならないと味わうことはできないんだと思う。  でも、後者の恐怖は、ちょっとしたキッカケさえあれば、味わうことができる。  私は死にそうになったことはないので、前者の恐怖は味わったことはない。  とはいっても、ある程度なら、死にそうにならなくても味わうことは可能かもしれ ない。  たとえば、高所恐怖症とか、先端恐怖症などは、恐らく死につながるものとしての 恐怖であろう。まあ、私は先端はちょっとやな程度だし、高い所は、大好きなのです。 高いところから、ほんとに落ちそうになったら、恐いだろうけど。  でも、ただの危険に対する恐怖というのと、死ぬということに対する恐怖というの は、違うかもしれない。恐怖というのは、たぶん圧倒されるということの一種だと思 う。そして死は、この世で最も圧倒的なものの一つだから。死というのはかなり絶対 的なものだもん。  一度死にそうになってみたいなぁ・・・・・・なんて時々思うんだけど。  それからこれは、苦痛に対する恐怖というのも、少し関係あるかもしれない。  私も、ある程度の苦痛というのは、味わったことがある。スケートで転んで手の骨 にヒビ入れちゃったとか。柔道で後頭部を強打して、目の前がずっと暗くて、数時間 後もアルツハイマー状態だったとか。虫歯の治療とか。雨の日に自転車に乗って坂道 をおりていて、ブレーキがきかなくて、路上駐車の車に猛スピードで衝突したとか。 階段の角にすねを思いっきりぶつけたとか。鉄アレイでゆびはさんだとか。ハンダゴ テで皮膚を焦がしちゃったとか。  おっと、不幸自慢ではない。とにかく、まぁ、そういう記憶と、本能的な恐怖とが 一緒になって、苦痛に対する恐怖が生まれるのだと思う。  本能的な恐怖というのは、身体の内部が外界にさらされたり、体内に異物が侵入し たりすることに対する恐怖もあるだろうと思う。映画「エイリアン」で、体内で孵化 したエイリアンが、おなかの中を喰い破って出て来るというのがある。ああいうのは すごく恐い。私なんかは、注射で血を採られる時も、平気でそれを見てたりする方だ けど、それでも、からだの中に注射針がズブズブ入っていく光景と感触は、あまり気 持ちの良いものではない。  そういう恐怖というのは、たぶん、持っているのが当然で、普通の場合は慣れたり 克服したりする必要はないんだと思う。それが極度に強い場合は、困ることもあるか もしれないけど。ある程度は持っていた方が、身を守れる。恐怖というのは、未知の ものや圧倒的なものから身を守ろうとする、一種の本能のようなものなのだと思う。  心臓がドキドキするのも、そのためだと思う。全身に血液を(酸素やアドレナリン を)送り出して、戦闘準備をする。ブルブルふるえるのも、寒いときと同じようなこ とで、筋肉を運動させることによって体温を上げたり、あるいは筋肉をほぐしてウォ ーミングアップをする目的があるのかもしれない。  そこで勇気があるかないかによって、自分の身を守れるか守れないかが決まる。も ちろん、全然平気で、身を守る必要がなければ、恐怖もないし、したがって勇気も必 要ないだろう。  んで、そういうものの一つの頂点として、「死ぬという体験」に対する恐怖という のがあるのだと思う。大抵の人は、それが頂点だろうと想像する。どんなに痛いだろ う、どんなに苦しいだろう、と。  しかし、もちろん、「死ぬという体験」に対する恐怖は、苦痛に対する恐怖だけで はない。死ぬというのは、肉体的な体験であるばかりでなく、精神的な体験でもある のだ。これは「死後どうなるのか」ということに対する恐怖と区別しにくいのだけど、 あえて区別してみよう。  一つは、「苦痛を受ける精神がどうなるか」ということ。それから、「自分の精神 が消滅していく過程」に対する恐怖。「そのとき自分は正気でいられるか」「死にゆ く過程において、どんな精神状態になるのだろう」。  みんな想像だ。マイナスの想像が恐怖を呼ぶ。今まで体験したことのない事をこれ から体験しようというとき、人はプラスの想像をするとワクワクし、マイナスの想像 をすると恐怖する。誕生はプラスで、死はマイナスだ。  この、「死ぬという体験」に対する恐怖は、ある程度は克服することができると思 う。あるいは、ゆるめることができると思う。  それは、死にそうになることだ。死にそうになって、生還する。かえって恐怖が増 すこともあるかもしれないけど、恐怖が減ることもあると思う。はじめは未知の体験 でも、繰り返し体験し、その度に乗り越えれば、それは未知のものではなくなり、だ んだん度胸がついて来る。本当のところが分かってくれば、どれくらいの心構えでい ればいいかという加減が、だんだん分かってくる。  しかし、本当に死んだわけではないので、“ある程度”でしかないだろうし、「死 後どうなるか」という、もう一つの要素もある。  死は手強い。  つづく。                         from SHANA - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/02/03 - 129/129 HCA01717 オ〜ロラ 『ユング・・・』第一章第一節 (10) 93/02/03 01:43 『ユングにおける心と体験世界』を学ぶ 第一部--------心と体験世界の解釈の歴史(P21〜)  第一部の第一節ではユングの少年時代の事が書かれています。  ここで面白く思ったのは、ユングを取り囲む社会の傾向や家族と、ユング 自身の内向性です。   聖職の父親をもち、世間体への窒息感、円満な関係でない両親、等の彼が 現実からの逃避をし、内面世界への志向するといった事は自然だったのかも しれませんね。 しかしこの要素は心の内的世界を探究する上で、役に立っ た事でしょう。  私が思うには、基本的に人は喜びを求める傾向があると思うんですね。 どういったもの喜びを求めるのでしょうか? 五蘊に結びつけて考えると・・・・・・・  肉体------------美しくありたい、楽でありたい、等々  感覚------------美味しい、素晴らしい音楽、いい手触り、マンガ、等々  表象------------楽しい思い出(イメージとしての)、空想、心地よい言葉、等々  意志と識別は今回は省略しまーす(^^;) 肉体→感覚→表象の順でデリケートで、没入が困難になってくる傾向があり ますが、本人にしてみれば順序は関係ありませんよね(笑)  人それぞれの理解力や洞察力の違いによって理解の違いはありますが、こう いう事が言えると思います。 (1) より身体が美しくなろうと何十年と一生懸命になっている人は、美しくな る事に関しては色々な知恵と知識を得ます。 (2) より感覚的満足、例えば美味しい物を食べたいとか、好きな音楽を聞きた  いと感覚的な喜びを幸せと感じ、何十年も修習している人は店や食べ方、聞  き方、等々の知恵や知識が豊富になります。 (3) 心の喜びを求めるようになると、最初に心地よく、ときめく言葉やイメー  ジにそれを求めます。 最初と言っても一生の間、それらに喜びを求めるの  が殆どでしょう。 そしてイメージやイメージに基づく心のあり方に対する  知恵と知識を得ます。  イメージと現実のギャップ、空想と現実のギャップ、喜ばしい言葉の虚ろさ、 などの実感によって現実の自分を変容させようとする人や、心のもっと深い部 分に取り組む人、その両方をする人、全てをあきらめちゃう人、色々あります ね(^_^)  肉体への希望や執着へと意識を結びつけるのは喜びです。  肉体への希望や執着を薄れさせるのは、あきらめか苦しみです。  感覚への執着へと意識を結びつけるのは喜びです。  感覚への執着を薄れさすのは、苦しみと飽きる事です。 イメージへの希望や執着へと意識を結びつけるのは喜びです。 イメージへの希望や執着を薄れさせるのは苦しみと止観(心を止め観察する) と今、ぱっと思いつくままに書いてみました(^^;) 仏教の絶対的真理としての四聖諦での1番最初が「苦」の認識であるのは、   上記のような趣旨に拠る所が大きいのではないかと思っています。  また余計な所で長く書いてしまいましたが、ユングが内面的には暗い思春期を  送った事が自らの心理を観察する為には重要なファクターになっているのでは  ないかな、という事でした(^^;)                  どうも余談が多くなりがちな(^^ゞポリポリ                        HCA01717 オ〜ロラ - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/03 - 720/725 PAG03543 NOISE 神道は愚道・今を生きる (11) 93/02/03 00:01 708へのコメント コメント数:1 どうもKAZEさん >近代的な自我に代表されるような意識的・反省的なあり方と、 >古代日本にみられる(であろう)ような神人一体になったようなあり方というのは >なかなか相入れないことであるようですね。 近代的自我というものに毒されて引き裂かれた精神の、その呪縛を解き、もういち ど素に帰る道が「かんながら」の道なのでしょう。 「日月神示」なんかにも「馬鹿になれ」という言葉が出てきますが、 神道はある意味では「馬鹿になる道」でもあります。 磐山も「愚道は神に格る道」ということをいってるのですが、関連部分を……  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  馬鹿になれ。馬鹿になりさへすれば、家庭も円満。……馬鹿になりさへすれば、  病気も根気まけして追々に逃げて行く。誤解を受けても弁明することはない。馬  鹿になりさへすれば時節が到来すればいかなる智慧才覚でもできぬ弁明が出来る。  いくら研究しても考へぬいても解らぬ書籍も馬鹿になって根気よく反復して読ん  でいるうちには追々真眼がひらけてきて文字外の文字まで痛快に明解し得るよう  になる。霊学に於いても正に此くの如し。夫れ愚道は神に格る道なる乎。  馬鹿の道は争わずして能く勝つ。天下の愚道は天下の達道である。『年ごとに咲  くや吉野の山桜、木を割りて見よ花の所在(ありか)を』天下の愚眼を以てしな  ければ花の所在どころか鼻の所在さえ見えは致さぬところだ。………  「人は言はせておけ、犬は吠えさせておけ」ドイツにも愚道の妙諦を会得して居  たものがあると見える。  智生於不自用、勇生於不自恃、真観無観。 (智は自ら用いざるに生じ、勇は自ら恃(たの)まざるに生ず、真観は無観ぢゃ)                             『闇室妄書』より  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「愚道」は「真観」、「真智」へ至る道だ、というわけです。これらは老荘の思想 に近いもので、意識的・反省的な「認識の道」とは相入れない思想ということにな りそうですが、この二つの道はプロセスの違いだけのような気もします。 >「むすび」と「中」とはどこか似ていますね。 神道では「中今」(なかいま)ということを大切にしますが、これを山田孝雄(文 学博士)が、解説した名文がありますので引用します。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  中今とは何ぞ、現実の世界をば観じて「中」にありとなす、「中」とは何ぞ、こ  れを歴史的にみれば悠久の過去と永遠の未来とを連結せる中心点なり、これを道  徳的にみれば、人世を発展の途上にありとし、過去を顧みて徒(いたずら)に悲  しまず、将来を夢みて妄りに放浪せざる穏当なる思想を含む、中今と観ずるが故  に進歩に努力す、中今と観ずるが故に満足せず、中今と観ずるが故に失望せず、  中今と観ずるが故に志気旺盛にして活動これによりて生ず、中今の人生観は進歩  的なり、現世的なり、実際的なり、改善的なり、努力的なり、向上主義なり、発  展主義なり、小成に安んぜざるなり、理想を将来にかくるなり、………現実の世  界はいつも過去と未来との連鎖にして発達の過程に立てりと観ずるやこれ実に永  遠無窮に進歩を希(ねがう)ことにあらずや、吾はかくの如く偉大壮麗なる人生  観の一千年の古に言明せられたるを見て、快極まりていふ処を知らず、これ実に  近世の一大思潮たる改善的人生観に適合するものなり、吾はこの人生観が、日本  民族の根本思想なることを信じて疑はざるなり。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 随分古めかしい大仰な文章ですが、 「中今」とは「日に日に新たにして、また新たなり」ということで、過去を悔やま ず、未来を憂えず、ほんとうの意味で「今を生きる」ことなのです。 これもある意味で馬鹿にならなければ出来ないことでありますね。 *-*-*-*-*- ということで、今回の磐山語録は上の内容に関連したものを……        ==========================================         [230]                           本当のものを見るには眼が邪魔になるのだ。                                     ==========================================                   磐山『草店家風』より ほんとうの事を思考するには頭が邪魔になる ほんとうの音を聞くには耳が邪魔になる        ==========================================         [122]                           困難や苦痛とかいふものは、                本文よりも、序文や後書きのほうが長いさ。                                     ==========================================         [157]                           神界の溌剌たる精彩ある日新の消息は、           蛆のわいた桶の水のやうなものではない。                                      ==========================================         [158]                           朝、目が覚めて、                     又た「未知」の一日にあなたは入り込む。                                      ==========================================                     『草店家風』より 過去を背負い、未来を恐れ、蛆の湧いた水のような生活をしているわたしです。 721/725 GGA02514 KAZE 隠遁者としてのKAZE(^^;) (11) 93/02/03 12:06 718へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 雪合戦なんていいですねえ。 こちらは雪が積もるまでにはなりませんでした(残念)。 小さい頃高知県にいたころは、結構雪が積もってまして、 毎年のように雪合戦をしたりしてましたが、瀬戸内海地方のこちらでは 空気が比較的乾燥しているせいか、数える程しか経験がありません。 そんな「童心にかえる」機会がだんだん少なくなっていきますが、 僕の職場では広告をつくっている現場であるせいもあって、 結構みんな童心で、わいわいやっていられるので、 なんとか仕事が続いているのかもしれません。 話はちょいとシフトしますが、昨日地元の大学に行って、 ちょっとしたプレゼンテーションをしてきたのですが、 そこに並んでいた先生方のひとりが、僕の大学の頃、しばしばいっしょに 勉強会などに参加していた方で、ほんとうに久しぶりの再会でした(^^)。 そういえば、そのころは大学に残って勉強しようかな、とか考えていたのでした。 その後、いろいろあって、僕は今の仕事に就いたのですが、 そのころの勉強が、僕のその後のものを考える力のベースに なっているのかもしれません(ナンテイイナガラ、ゼンゼンシンポシテナカッタリシテ(^^;))。 このところそのころの先生方と再会しそうな気配が濃厚で、 今週末にも、先日お話した声楽家のOさんのミニ・コンサートがあるので、 出かけようかなとも思っているのですが、その会のお世話役というのが、 大学時代僕のずっとお世話になっていたドイツ語学・言語学の先生で、 不義理な僕は、地元にいながらずっと音信不通にしていたので、 再会するのがとっても(^^;)(^^;)(^^;)であります。 僕はどうも「出身」とかいうことに関わるしがらみが苦手で、大学なんかでも、 卒業後、地元にいるにもかかわらず行き先不明者に名を連ねているくらいです(^^;)。 そもそも僕は隠遁者的なスタンスにシフトしていく傾向があって、 誰にも知られず、できるだけ人間関係のわずらわしさを避けて、 ひっそりと庵にでも引っ込んで勉強していたいというのがあるのです(^^;)。 ですから、今でも仕事中は結構陽気にやってますが、 仕事を離れた職場での人間関係はほとんどシャットアウトしてて、 おそらく会社の方々は、僕が何をやってるのかまるで想像がつかないと思います。 >僕はシベリアンハスキーがブームになる前からあの犬が好きで・・・ というアーティクルを相棒に見せたところ、 「私も(^^)」というように、とっても喜んでいました。 ちなみに、もう事故で死んでしまいましたが、相棒の家で飼っていた犬は、 ビーグルとダックスフンドのあいのこで、「ネル」という名前でした。 なぜ「ネル」というかというと、この犬には兄弟がいて、その名前を「ドン」といい 二匹あわせてドンネル、ドイツ語でdonnern(雷が鳴る)という意味なんだそうです。 この「ネル」ですが、僕と最初に会ったとき、相棒の家にあがろうとすると、 「僕さえ家にあげてもらえないのに、よそもののお前がなんでや!」なんて感じで 吠え続けていたりするようなところがあって、家族に諭されておとなしくなった後も 大きな眼をじろりと僕に向けて、「決して心を許したわけじゃないんだからな」 なんて表情をしていたりするようなタイプでした(^^;)。 >3年程前まで実家にいた猫は「にゃんた」と呼ばれていました。こいつがとんでも >ない奴で、野良犬に追いかけられて実家の庭に逃げ込んだのはよいのですが、産気 >づいて子供産んじゃったんですね。追い出すわけにもいかず、とうとういついてし >まったのでした。 いついてしまった猫といえば、相棒の実家では、突然やってきて子猫を生んでしまい、 その後その子猫達がいついてしまったようです。 とっても警戒心が強くて、なかなかさわらせてくれないのですが、 それをきっかけに断然犬派だった方々が、猫派兼用になってきたようです(^^)。 そもそもなぜか僕は猫に好かれてしまうことが多くて、 肩にいきなりとび乗って媚びを売る猫や、 僕の前でひたすら身をよじらせてなまめかしい擬態をする猫や 僕の足の回りにからまってにゃあと僕を見つめる猫とか、いろいろあります(^^;)。 それに比べると、犬というのは、今はもうそんなことはありませんが、 以前はなぜか僕に脅しをかけるのが多くて、なぜだったんだろう、なんて思うのですが やっぱり犬の視線に対する配慮が足りなかったのかもしれないとも思っています。   >不思議な事にこの無風状態を「悟り」と勘違いしてしまう方もおられるようで、 >おいおい、です。 いますねえ、そんなのが。 感動できない、つまり「もののあはれ」を感じることのできなくなった人間は、 もはや、「人格破壊者」というのがぴったりくるのだと思うのですけどねえ。 妙な「行」なんかをやりすぎて、感情をスポイルされてしまうケースもあるようですが やっぱり、その根本的な原因は、「非日常」を神秘そのものだとする 危険な考え方からくるのかもしれません。 >自殺すると自縛霊になると言いますが、たとえ生まれ変わっても今生で達せられ >なかった事はそのまま引き継がれる(ひょっとすると余計にしょいこむのかも) >わけですから、ここは一つ、 頑張るしかないと思うのですが・・・。 自縛霊になるというのは、自殺はみずからの認識を閉じてしまう、 つまり、自分に対しても世界も認識行為を放棄してしまうことだから、 そこに自分も世界も閉じた状態に陥ってしまう状態のことだと思います。 それと、やはり無闇にみずからの「生」の課題を途中で放棄するということですから、 それなりの責任をみずからが背負ってしまうことになるのもあるのでしょう。 輪読会についてですが、13章も14章も、 12章からの一環したテーマのひとつですから、近々そのレジュメもUPして、 輪読会の最後のテーマに花を咲かせたいと思っています。 それと、それが終われば、とりあえず最初のテキストの「神智学の門前にて」が 終了するわけで、できれば細々とでも、次のテキストを選んで、 第二期をはじめてみようかとも思っています。 テキストは、特にシュタイナーだけに限定するものではなく、 たとえば「易経」なんかでもおもしろいのではないかとか、とも考えてますので、 なにかおもしろいテキストがあれば、ご提案ください。 もし、隆ちゃんの方で、自分はこれがやってみたいとかいうのがあれば、 隆ちゃんを中心に進行していただくのでもいいですので、よろしく。 近ごろひさしぶりに再会する方やら、不思議な縁で出会う方やらが多くて、 やっぱりひとの縁というのは「仕組まれてるなあ」というのが実感のKAZEでした。 722/725 GGA02514 KAZE 日々に新たに「馬鹿」になる(^^;) (11) 93/02/03 15:01 720へのコメント NOISEさん、どうも。 >神道はある意味では「馬鹿になる道」でもあります。 そうかもしれませんね、はからいや分別が勝ちすぎて、 「馬鹿」になれない自分というのに、 やれやれという気持ちになることもしばしばです。 今、本居宣長について少しずつ調べてるのですが、 「古事記伝」より前に掛かれた歌論の「石上私淑言(いそのかみささめごと)」には、 「神の御国のこころばへ」についてこう書かれています。 されど物のことはりといふものは、すべてそこひもなくあやしき物にて、さ らに人の心もてうかがひはかる物にはあらねば、しひてあきらめしらんとも せず、よろづの事はただ神の御はからひにうちまかせて、をのがさかしらを 露まじえぬぞ、神の御国のこころばへには有りける。さるを強ひてしりきは めむとするは、から国の事にて、かの陰陽五行などいふ事のすぢもて、こと ごとくあきらめしるべしとおもへるは、いともおほけなくかへりておろかな るわざ也。 本居宣長というひとは、異国としての中国を否定的な他者とすることで、 日本をいやにもちあげるきらいはありますが、 現代のような「をのがさかしら」ばかりが、まかり通る時代には、 こういう「こころばへ」をもう一度見直してみるのも大事なことだと思います。 もちろん、他者否定によってそれを持ち上げるのではなく、 それぞれの「こころばへ」の理解の上にたって、見ていくことが必要ですが。 >「愚道」は「真観」、「真智」へ至る道だ、というわけです。これらは老荘の思想 >に近いもので、意識的・反省的な「認識の道」とは相入れない思想ということにな >りそうですが、この二つの道はプロセスの違いだけのような気もします。 そうですね、僕もそのふたつの道のあり方の違いを「プロセス」と見たい。 シュタイナーというのは、思想史的にいえば、ドイツ哲学の延長上にあって、 ドイツ神秘主義を科学という認識方法によって再ポジショニングし直した、 というところが大きいのですが、シュタイナーもあの西洋の分脈において 可能な限りにおいて、認識の懸隔の克服を試みたのだと思います。 そして、現代日本においては、やはりそうした認識と もっとも根源的な認識スタンスでもある「かんながらの道」との懸隔を 克服しなければならないのではないだろうか、と思っていろいろ模索してるのですが、 なかなかにむずかしいものがあるようです(^^;)。 荘子も「斉物論」で言っているように、「道」は本来ひとつだという原則に たちかえって、その「プロセスの違い」を見ていきたいと思います。 ものごとについて然りとか然らずといい、可とか不可とかいうが、それは然 るものを然りとし、然らざるものを然らずとするにすぎない。その同じもの ごとにも然りとすべき点、可とすべき点が必ずあるわけで、どんなものごと も然りであり可であるといえる。・・・道はそれらに通じてただ一つ、同じ ことである。 >「中今」とは「日に日に新たにして、また新たなり」ということで、過去を悔やま >ず、未来を憂えず、ほんとうの意味で「今を生きる」ことなのです。 >これもある意味で馬鹿にならなければ出来ないことでありますね。 「大学」にも、「民を新たにするに在り」(「民に親しむに在り」という説も) というような箇所があって、安岡正篤さんによれば、 ・・・この宇宙・人生というものは日々夜々創造変化、つねに停滞すること がない。「日に新たに日々に新たなり」というのが自然の相であるから、停 滞固定は造化に反する。我々は常に自己を新しくしてゆかねばならない。 というように「自己革新」ということの大切さを強調しているようです。 また、これに関連していうと、「論語」の「衛霊公篇」でも孔子が褒めている 衛(えい)の賢大夫の遽(きょ/実際はこれにくさかんむりがついてます)伯夫は 「准南子」によれば、「行年五十にして四九年の非を知る」と言われ、 または「荘子」によれば「遽伯玉は行年六十にして六十化する」とあるように、 五十歳になったら、四十九年の過去の非を悟って、やり直し、 六十歳になったら60歳になっただけの変化をする、ということで、 これは凡人にはなかなかできませんよね。 ちなみに、「化する」ということは「新たにする」という意味だそうです。 さて、磐山語録ですが、 >本当のものを見るには眼が邪魔になるのだ。 ううむ、いつものことですが、これも結構耳に痛い語録ですね(^^;)。 僕は、邪魔なものばかりで、見、聞きしているようです(^^;)。 「馬鹿」になって、「本当のもの」を見、聞きしたいとは思っているのですが・・・。 >神界の溌剌たる精彩ある日新の消息は、   >蛆のわいた桶の水のやうなものではない。  先ほどの、「行年六十にして六十化する」のように、 毎日一瞬一瞬「化」していかなければならないのですが、 やっぱり僕はまだまだ「蛆のわいた桶の水」で浸っているようです(^^;)。 >朝、目が覚めて、             >又た「未知」の一日にあなたは入り込む。  先日来幾度かお話したことでもあるのですが、 日常そのものが神秘と感じられぬものが、 非日常の中に神秘を血眼になって探すのでしょうね。 「現実」はすべてが「未知」であり、それが「道」でもあり、 神秘そのものとして「新た」なのだということを、 日々実感できる自分でありたいと思います(イウハヤスシ(^^;))。 僕も「過去を背負い、未来を恐れ、蛆の湧いた水のような生活」をしているからこそ、 少しでも「馬鹿」になって、「をのがさかしら」を反省したいものだと、 そうつくづく思うKAZEでした(^^;) 723/725 TCC00116 NoB RE:荻生徂来など (11) 93/02/03 17:47 715へのコメント KAZEさん、どうも。オンラインにて。 徂徠は、儒学とはちょっと違うと思っているのです。もちろん、彼自身 も朱子学と区別してたし、古文辞と呼ぶわけですが。しかし、僕は、 仁斎も含めて、徂徠も宋学のパラダイムにあるように思えます。ちくま から金谷さんのいい解説書がありました。あ、原文読むのキツイでしょ、 という意味です。 オイリュトミーはGのムーブメンツとはまったく違いますね。ほんと、 霊を実感させるものあります。まあ、この手の話は言葉ですると誤解に なってしまうものです。僕は、でも、こういう側面からシュタイナが ああわかるなということが多いです。 オイリュトミーについては、言葉、うーむ、言葉でもあるのですが、 むしろヘッセのガラス玉演技に近いかもしれませんね。実際のレッスン は音楽オイリュトミ=と言葉と分かれてはいますが。あと、フォルメン は基礎ですね。 Kの真理、については、KAZEさんのおっしゃられることよくわかります よ。そのあたりが、Kを受け止める人の違いでもあるのでしょうね。 これは、そういうもんだというだけで、Kが真理を語っていると、僕が 誰かに語る、という問題もないとは思います。 NoB 724/725 TCC00116 NoB RE:ゴミのおまけ (11) 93/02/03 17:54 717へのコメント 隆ちゃん、どうも。Kは薦めたいところですが、機縁もあることでしょう。 来世でもいいじゃないですか。 僕がKを英書で読んでいたころは、なんで、日本だけKが知られてないのぉ とか思ったものでした。欧米での有名度はかなりなものがありました。まわり の大人のネティブも教授もみんな知ってました。Penguin booksにもなって いるわけですから、日本でいったら岩波文庫か新潮文庫でしょうか。そのくら いにポピューラーです。 ある意味で、今の人生、生活が平穏なら、Kは必要なのでしょう。 Kは、Freedom from the knownだったかな、まず、心がかき乱されること が第一歩ですみたく言ってました。最近の『生の全変容』でもKは生涯、人の こころをかき乱すようなことを言ってきました、と言ってます。 Kは、無意識に語りかけているのだろうと思うのです。You are the world. です。我々の意識は我々のものではありません。かき乱される心は人類の 意識そのものであり、人類の意識の総体は英知をかならず聞きとどけると いうものです。 ま、そんなところです。 Kについては勇まずに、多くの人に多くの場で語っていこうかなと思いつつ あります。 NoB 725/725 TCC00116 NoB おっと間違い (11) 93/02/03 18:24 オンラインで書き間違えた。誤字脱字は常ですが、意図が逆になるんで、訂正で す。 Kは、生活が平穏な人には必要、じゃなくて、不要、と書くつもりでした。 ついでに、引用もしておきましょう。   最初に私たちは心をかき乱されなければなりません。しかし、私たちはたい   てい、心をかき乱されたくはないのです。私たちは生活の規範「「精神的   指導とか信念とかいうようなもの「「を発見したいと思い込み、そこに居座   ってしまうのです。それはちょうど、聞こえの良いお役所仕事を得て、そこ   で生涯働き続けるようなものです。(中略)私たちは心がかき乱されたり、   不安を感じたり、頼るべきものがいないということの重要性が分からない   のです。こういう不安の中でこそ、あなたは発見し、観察し、理解すること   ができるのです。しかし私たちはたくさん金を持ち、安心していられる人間   になりたいのです。そうすれば、心をかき乱されることもないでしょうし、   またかき乱される必要もなくなるからです。    不安というものは、理解のために欠くことのできないものです。そして   安全を求めようとする努力はすべて理解の障害になるのです。不安を与えて   いるものを取り除こうとするとき、そのような努力は確実に理解の障害にな   るのです。                       『自我の終焉』根本宏ほか訳 これが真理か? そういう考えもある、ということなのか? というところでは 結論はあきらかです。そういう人もいるだろう、に違いありません。 チャネリングであれ、なんであれ、そこに精神的指導とか信念を求めること、そ れ自体をKは無惨なほと完璧に否定してしまいます。平穏無事に生きられている ほうがいいだろうに上のような具合いです。 ただ、Kは、他の箇所で、平和に生なさいとも言っています。一見すると矛盾し ていますが、そうではなく、不安は乱れる心をそのまま受け入れるということな のです。なにがあっても平和だ、中道の心だと、決めてから、人生の出来事に取 り組むのではなく、その場その場で動揺するなら動揺しつつ、そういう自分を学 んでいけばいいのです。 おそらく、「愛」も「仁」も古代人や前近代人特有の考えで、そういうものは人 類にもうないのかもしれません。というか、それを、過去にあり、また永遠にあ り、いずれにしても確固たる実体であるとの信仰からスタートするとき、それら は現実から遊離していくように思えます。 Kの言っていることは、シュタイナーやGなんかとは違って、別にKが言うわな ければ言えないほどのことは何ひとつとしてありません。MIZUHOさんを選んで チャネリングしてくるようなスゴイ実体は、多分Kにはないでしょう。いや、あ るとすれば、サニワを必要とするような「真なる神」ではなく、ただ、いのちと いうもののありかたもしれません。我々はほんとうにひとつの命なのですから。 と、言葉で言えば意味がずれてしまいますが。ま、K自身、私がいなければみな さんはどう学びますか、本がなければどう学びますかと常に問いを出してきた人 でした。Kである必要なんかありません。でも同時に、アリオンであれ、バ シャールであれ、イエスであれ、誰かである必要もないという意味でもありま す。 その意味で、たとえば、とりわけ、隆ちゃんに進めるというものでもありません よ。ま、ね。 NoB - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/03 - 728/737 GDB00064 オリハル RE:私の意図=「凄いものがある」=生命の (13) 93/02/02 23:02 718へのコメント フラボノイド効果のCOOLさん、米んーと、をありがとうゴザ居ました。 (私は、人が近くで何か話していると、上記のように聞こえてしまうのでした。  日曜日(1月31日)も、一二三神示の岡本天明氏の奥様の岡本三典さんと、紫藤甲 子男(しとう きねお)氏[「ヤハウェの巨大潮流預言」の著者]の講演会に行った時、紫藤氏が「もうすぐ大きな”小学生”がやって来る」と言うので、会場で一人で吹き出 していました。笑ってはいけないので我慢しますが、我慢し続けているとそれがストレ スとなって、何でもないことがおかしくなります。岡本三典氏は約20分、紫藤氏は約 3時間の講演会でした。この時の講演会をビデオに撮影しましたが、もし、仮に、御入 り用でしたらダビングも可です。) DNAに関してのことは、以前からUPしようと思っていた記事だったのです。あれ以 上に分かりやすくは出来ない気がします。単語(アミノ酸、フラボノイド等)について はそういうものがあるという事だけでも御利益があると思いますが。 でも、「YHVH」な訳で、かえって他の会議室にUPすると、アップアップしてしま うかもしれないと思って(私が(^^;))会えてこの懐疑質疑応答・・・ではなく、会議室 にUPさせて頂きました。これは「阿部 真幸」という方の説である訳です。 実は、これをUPさせて頂いたのは、これから述べたいと思っていること「意識」とい う現象に関して、の布石としてでもあります。神と物質を結びつけるものであります。 ですので、MWさんのお部屋にUPしようとも思いましたが、やはり・・・と思って、 ここにUPさせて頂きました。 ソシテ、コレイジョウ ナニモ シラナイ オリハル デシタ。 深読みのオリハル 729/737 GDB00064 オリハル RE:私の意図=「凄いものがある」=生命の (13) 93/02/02 23:03 720へのコメント 米んとをどうもありがとうございます。維/YUI様 今後は、区切り的に「A4用紙1枚程度」というのを頭に入れておこうと思います。 所(沢)で、松田聖子さんの夢と言うのはどんな夢だったのですか。是非教えて下さい。 御質問の件に付いては、霊的な私がどの様な活動をしているのか私は知りません。 しかし、実は、このことに関して預言的な歌があるのです。サザン・オールスターズの 「マチルダBABY」という歌です。既に私の事が預言されていたようなのです。 オリハル 730/737 GDB00064 オリハル RE:私の意図=「凄いものがある」=生命の (13) 93/02/02 23:04 722へのコメント こちらからも、ありがとうございます。               オリハル 731/737 GDB00064 オリハル RE:私の意図=「凄いものがある」=生命の (13) 93/02/02 23:06 725へのコメント コメント数:1 コメント、どうもありがとうございます。 なえさんのおっしゃるNHKの番組は私、知りませんでした。 なえさんはフラボノイドは御存知でしょうか。 RESを下さると「すいと」と聞こえてしまうオリハルでした。 (会議室マチガイかな?) 732/737 QFH02012 アラミス オリハルさんに一言、二言 (13) 93/02/03 01:20  よけいなお節介と思われるかもしれませんが、こんな意見も有る と言う事でまぁ聞いて下さい。 んーとですね、オリハルさん。自分の書いた文章が他の人からどう見られて いるかって想像した事あります??。 私がオリハルさんの書き込みを見て思うのは、これがオリハルさんのスタイル であり個性なのだから、それはそれでよいだろうと思うのです・・・ただし一部 を除いては。 それでですねぇ、問題はその「一部」なのですが、 例えば・・松田聖子云々、、私は預言されていた云々、、カミシクミ云々、、 ここいら辺が、ちょっと待って下さいと言いたい訳です。 松田聖子に関して言えば、思い入れたっぷり有る様ですが、それは極めて私的 な話ですよね?(霊的云々の出逢いですか?)で、この話が出て来るとさーっ ぱり訳わかんなくなっちまうんです。できればどういう事なのか読んでいる皆 にわかる様に説明してもらいたいんですよ。ついでにもう一つお願いですが、 極めて私的な話で有るならば、その話を頻繁に会議室に書くのはどうかなとも 思うのです(壁ならともかく・・)一応公共性の有る所だしねぇ・・。 次に預言とかカミシクミの話ですが・・オリハルさんは新興宗教の教祖に成り たいんでしょうか?? 何と言うか、「自分は選ばれた人間」だって聞こえる のだけども・・あのぉ〜老婆心ながら言わせてもらえば、カミゴト関係の話は 人前でめったな事を言うもんじゃ無いと思うのですが・・(私だったら恐れ多 くて言えないですよ) そうそう、もう一つ言い忘れていた。 オリハルさんがよく使う、自分は「逆人間」だからとか「自意識過剰」だから とか359だから、ってのは理由になってないですよ。わざわざ断わりを入れ る必要は無いですからね。そういうとこは遠慮なんか入りませんって。(私も 「逆人間」ってのに随分当てはまるんですよ(苦笑)) 色々書きましたが、私はこう思う&お願いな訳で他の人はどう考えているかは 知りませんけど・・要は「普通に話しましょうよ。」って事なんですよ。 733/737 QFH02012 アラミス ARIONのMSGについて、 (13) 93/02/03 08:19  >>銀河系外枠からのリターン衝撃波は、1月末から最大になるだろう。  >>この時期、あなたがたは不安定な精神状態に陥りやすく、  >>それに伴って、その不安定な状態から逃れたいという欲望も高まるが、  >>どうか持ちこたえて貰いたい。  リターン衝撃波が如何なるモノかはわからないが、ある種の波動なりエネルギー なのだろう。それが我々の頭上に降り注いでいる・・・ それは精神的に不安定な状態を引き起こすと言う・・皆さんはここ数日どうだった であろうか?私はと言えば精神的変化は見られないが体調を崩した(今朝2/1目覚め ると喉の痛みと身体の変調が見られた。風邪を引く様な兆候は無かったのに・・) ここ数年、私はこの様な事?に影響を受けやすくなっているようだ??。もちろん 考え過ぎの一言で片付けてもよいのだが。 * 以下はあまり書きたくない話である。  >>この力の拮抗が長く続くことが望ましい。  >>どちらかが圧倒的な勝利をおさめることは、大きな亀裂を生じさせる原因となる。  >>亀裂は「巌(イワヲ)」の内部にまで影響を与える。 「巌(イワヲ)」=日本の基盤としての「大地」。それが傷つくという事は・・  >>・流砂は南からの力と北からの力のぶつかった辺りで、東北東と西南西への力  >> として動くことになるだろう。 フォッサマグナあるいは日本近海のプレートの動きだろうか?・・・ 以上、これは私の頭に浮かんだと言うだけで何等正当な理由が有る訳では無い。 734/737 GBA01276 しまうま MES( 7)#742 ARIONのメッセージに (13) 93/02/03 09:03  善でも悪でもなく、善にも悪にも至近距離であることって・・・もしかして  間=魔(?)のことだったりするんでしょうか・・・。 735/737 HFD01514 なえ RE:私の意図=「凄いものがある」=生命の (13) 93/02/03 09:55 718へのコメント だってRES来たら悪いから消したのに、答になってないんだもん・・・     セフィロトの木       (対応する意味)       ●1 ケテル        王冠・頭部         /\      ビーナ 3● ●2 ホクマー      理性・心臓  知恵・頭脳       / Y \  ゲプラ 5● | ●4 ヘセド  力・神怒りと裁き   愛・右腕    | \ | / |      |  ●  | →6 ラハミム 慈悲・胸 | /|\ | |/ | \| | |  | ホード 8● | ●7 ナシアハ    威厳・左足  剛毅・右足       \ | / ● →9 イエソド          基盤・生殖器 |  ●10 マルクート            王国・全器官の統合 (注、線はくっついてるのよ。)  これが神の身体だそーーな。亀甲にちと似てるな・・。 様はこれと、タンパク質構成が似てたという事かしらん・・・解読の意味って     これなら、少しは理解できるっしょ。(^ー^;) >COOLさんっ でも言葉が、ちと違うとこが、あったにゃ・・ま、いっか (でも、これ文献調べただけだから、あとは、しーーらないっと。)・・ピュー・・ 736/737 HFD01514 なえ RE:私の意図=「凄いものがある」=生命の (13) 93/02/03 09:56 731へのコメント コメント数:1 >>フラボノイドは御存知でしょうか。 そりゃ、名前だけならねぇ。お口さわやか・・・・・入りって事ですかねぇ。                              カラ ヒクコトノ >>「すいと」→→ 粋と →→ 水と →→ 酸いと →→水筒−う それとも、博多の方ですかぁ?→→ 好いとー あたしは好いてませんがぁ・・・(^ー^;) 737/737 GBG02043 維/YUI RE:私の意図=「凄いものがある」=生命の (13) 93/02/03 19:14 736へのコメント なえさんったらぁ〜〜〜 (きゃら、きゃら!) 仮名うちモードなのねっ   >> オリハルさん >> 当たり?? (こういうのは、HVHYさんに教育されたからなぁ・・・ > わたし)                             維/YUI。 - FARION MES(15):◆葉隠・どうなる日本精神?-02/07閉店<01> 93/02/03 - 124/125 NAG02033 EX RE:新装開店のおしらせ (15) 93/02/02 21:19 123へのコメント  #123 ・・パチパチパチ!!のみれ さん  あれ?2月3日までは決断しない方がいいんじゃなかったの? (^^;) ちょっと唖然とした・・・ ま、なんでもいいけど・・・ ともかくがんばってね・・・v(^_^)v ″EX:NAG02033 ″ 125/125 PAG03543 NOISE おめでと (15) 93/02/03 00:19 松川室長誕生おめでとう。 やっとこの部屋(違うか)も議長が決まってホッとしています。 どうぞ気長にマイペースでおつとめ下さいませ。 - FARION MES(20):■バトルのお部屋--------------------臨時 93/02/03 - 495/495 TBE03167 ねずみ 不穏な空気ですね。 (20) 93/02/02 22:02 1月27日朝日新聞夕刊で、「陸自学校でマル秘訓練」という記事が出ました。部分 引用をします。 「陸上自衛隊の調査学校で、外国に占領された場合を想定し、宣伝文やアジ演説によっ て民衆の蜂起を促したり、破壊工作や登頂などの非正規戦訓練を行っていたことが2 7日、関係者の証言や内部資料で明らかになった。「心理戦防護課程」と呼ばれる教 育課程の一環で、実習では、他人の名前を使って自衛隊に有利になるような投書を新 聞に投稿する訓練も行われていた。」 残念ながら、権力による洗脳工作を、私達国民も現実問題として考えなければならな くなってきたようです。 主権在民の国において、国民の意思を権力が意のままに操ろうとする。何と危険な発 想なのでしょうか。 PKOがらみの問題として改憲論が徐々に浮上しつつあります。 これまでアメリカなど諸外国から「カネだけで、ヒトを出さないズルイ日本」とこき 下ろされ、仕方なしに実現させたPKOでした。しかし、軍事力の海外派遣という事 を、憲法に抵触せずに行うことが不可能ではないかという問題が出たことから、政府 は憲法を修正によってその矛盾を取り除こうとしてます。これは本末転倒の行為です。 また、そんな最初から分かり切ったことを今更論議している政府に、果たして日本国 民の将来を考えるだけの能力があるのかという点も疑問です。 外国の意向に合わせてふらふらと態度の定まらない日本が、今後の状況の推移に合わ せてまたふらふらと戦争をしないという確証はありません。 そもそも、日本のPKOは国際平和のために有効な手段となり得るのでしょうか。全 くないとは言い切れないかも知れません。日本の自衛隊隊員たちの働きぶりは海外か らの評価が高いという話も言われています。(私が直接見て確かめたのではないけれ ど)。しかし、それは現在のカンボジアの情勢がそれ程逼迫していないから可能になっ ているだけで、もし、これが本格的な戦争状態になったら、日本の脆弱な軍事力では 全く歯が立たないでしょう。一番重要な時に役に立ちそうにないPKOは、従って、 本当の意味での国際貢献にはならないと私は思います。 また、PKOが人道的立場に立脚しているという論を、私は認めることができません。 例えば水俣裁判。政府は人道的立場から問題解決をしようとはしなかったはずです。 日本国民にさえ人道的配慮をしない政府が、外国の国民に人道的配慮をするとはとて も信じられません。PKOの真の目的は人道の追求ではなく、それ以外の何か −−  大きな声では語れない、人道という美名で粉飾せざるを得ない何か −− である にちがいない。私はそのように考えています。 日本はPKOを放棄すべきです。 PKOなしでも日本は国際平和へ向けての貢献ができます。それは、日本がこれから も非軍備のままであり続け、それでもなお安定した国家の維持が可能であることを実 証し、その為のノウハウとそうする事によって得られるメリットを諸外国に提示する ことです。 現に、これまでの日本が非軍事であったことのおかげで、国家予算を軍備という非生 産的方面での消費のをする必要がなく、また、労働力の多くを国民の生活向上に振り 向けることができたことが、現在の日本の繁栄の大きな要因でもあるのです。 他にも、軍備の縮小が、兵器生産や軍事力維持のために必要な資源の消費を削減でき ること、世界の緊張緩和に役立つことなどのメリットもあります。 そういったことを、机上の空論ではなく、現実問題として世界に向けてアピールでき る国は世界で唯一日本しかないのです。この貴重な立場をPKOや改憲などで失うこ とは、世界恒久平和への大きなチャンスを一つ失うということでもあると思います。 それ以外にも、国際的視野での環境問題解決への積極的参加、ODA使用方法の見直 しによる、より効果的な途上国救済など、日本には国際貢献のための手段が多々考え られようかと思います。 まず、そういった平和的アプローチを徹底的に為すべきなのです。PKOのような方 法は最終手段として考えるべきことです。