- FARION MES( 1):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<06> 93/02/08 - 969/988 SDI00617 英理庵 RE:野球漫画 黒い秘密兵器 ( 1) 93/02/08 02:30 959へのコメント コメント数:1  おぼろげな記憶のみに頼っているので間違いがあるかもしれませんが。黒い 秘密兵器ってのは一峰大二さんが作画してました。原作があったかどうかは覚 えてません。一峰大二さんってのは「アスパラ飲んでやりぬこうっ!」の電人 アローを書いてたひとです、つーてもたぶんなんの説明にもなってないんだろ なぁ(^_^;)。  野球マンガにはいろいろな変化球が登場しますね。有名なところでは巨人の 星の大リーグボールシリーズ。ミラクルAの**快球シリーズってのもありま した。黒い秘密兵器では***秘球というシリーズでして、これがまたとんで もないのばっかし。光る秘球ってのは確かボールについた汗が空気との摩擦で 燃えだすというしろもの。いっちゃん凄いなぁと思ったのが、名称は忘れまし たけど、ボールが白黒上下2列に見えるというやつ。  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ● ● ● ● ● ● ●  ま、こんな感じになるわけです。なんで上下2列に見えるかというと、ボー ルが上下ジグザグに動くから。つまりは分身の術の原理を応用したものです。 ここに人間の視力における残像に対する深い考察が見られます(ほんまかよ)。 ではなぜ上のボールが白くて下のボールが黒いのかというと、下のボールには 上のボールの影がうつって黒く見えるんだそうです。念のためにゆうとくと、 あくまで同じひとつのボールでございます。つまりこのボールは光より速いつ うわけですわな。だったら直球で勝負せんかいっ、われっ(`_´)。  *  あのー、別件なんだけどぉ(^_^;)>オール。いくら日曜日だといっても、7 日だけで発言数が50以上ってのは、ちとハイペースすぎねーけ? もうちっ とそのー、ゴミを減らすようにしないと、脱落するひとが続出するような気が しないでもないでもある(^_^;)。ぺこぺこ。 973/988 GBG02755 スマル ひらがなさん、ありがとう。 ( 1) 93/02/08 12:30 932へのコメント 叶うと言ってもらうだけで、うれしい。 しかし、これを実現するための困難さを思うと、 私って、いったい、なあに? と思ってしまいます。 今生で叶えたいことではあるけれど、 とても、今生じゃ無理だなあ、あと何回生まれ変わればいいのかしら。 どんな偉人さんも、30才過ぎてから、目覚めることが多いけれど、 だからって私、頭よくないし、普通の人だし。 この夢を持つ、それに向けて努力することが、私を生かし続けてゆくだろうから、 夢は叶わなくてもいいんだと思うの。 夢は大きければ大きいほど励みになるのかもね。 少年よ、大志を抱け!   おばんよ、夢を抱け!!                   っってか!!   スマル 980/988 HGE03563 OZ弐 はじめまして ( 1) 93/02/08 18:27 コメント数:1 皆さんはじめまして。 OZ弐と申します。 ついさっきこのFARIONに入会しました。 入会していきなりここに書き込み自己紹介です。 本名・・・小沢幸生(22才)4月28日生まれ。 職業は・・・まだプータローだよ〜(^_^;)。 出身地・・・秋田 現在千葉県在住 ニフには、昨年12月に入会しました。 つい30分前に「ムー」6月号読んで、アッ!と思って、ここを知ったばかりです。 (アリオンの記事です。) こんな嬉しいフォーラムを見つけて大変嬉しいです。 入会とほぼ同時に15番会議室が開店されたので、 15番会議室には、運命的なものを感じた?? これから未読作業を始めます。 ・・てなわけで(?)どうか皆さんよろしくお願いします。 - FARION MES( 3):【縁 会】オフ:プラン・レポート----<01> 93/02/08 - 620/621 GBG02755 スマル 2/27のオフは?‥ ( 3) 93/02/08 09:17 コメント数:1 ねえ、あのう、2/27の東京オフの話って嘘なの? 私旦那に許可もらおうともう、話しちゃったんだけど。                 ううう、幹事は誰?   スマル 621/621 HDA02171 ひらがな RE:2/27のオフは?‥ ( 3) 93/02/08 22:29 620へのコメント すいません(^-^;) ただいま、準備中です(^-^;)                ¢モ慢幹事  ひらがな(^-^;) - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/02/08 - 281/289 GBA01276 しまうま 朝の陽と風に・・・ ( 6) 93/02/08 08:41 この気持ちが こんなに大きく育ってたなんて 気づかなかったんだ 今日まで 僕の背より高く 梢を越えて 冬の夜空よりも 高く 駆け出すよ 朝の風に 心ふくらませて ふるえる声で 今は言葉にならない この気持ちを あの人に 282/289 GBG02755 スマル 幸せな時。 ( 6) 93/02/08 12:31 土曜日は、小学校でマラソン大会があったんです。 私は一応委員をしているので、父兄として参加しました。 父兄の仕事は、疲れてお中を空かせて帰ってきた子供達に豚汁を配ることです。 新聞やその他の報道では、子供達の心の蝕まれが書き立てられていますが、 私が実際に目にした子供達は、 あどけない、ほがらかな、生き生きと目を輝かせた、子供達ばかりでした。 「おかわり!」とにこやかにお椀を差し出す子供、 「おいしいねえ」と友達と話ながら食べる子供、 その姿を見ることができて、私はとてもうれしかった。 未来を引き継いでくれる子供達が、こんなに幸せであるなんて! お手伝いらしいことは何も出来なかったけれど、 その場に居合わせた私は、幸せでした。                         スマル 283/289 GBG02755 スマル 本当のことって‥‥ ( 6) 93/02/08 12:32 人が、これだけは間違っていないって思っている「真実」。 でも、これさえも、変化するんですね。 成長するっていうのかなあ。 人の数だけ「真実」はあるけど、いつでも書き換えられてもいくんですね。             不思議だけど、当り前のことなんだ。                       今ごろ気付いた スマル 284/289 GBG02755 スマル 恐いものいっぱい!! ( 6) 93/02/08 15:47 スマルは恐いものが山ほどある。 虫も嫌いだし、理解出来ない人も恐いし、 失うことも恐いし、傷つくことも恐い。 どうしたら、恐くなくなるか。 う〜ん、思った。 恐いものを自分の中に取り込んでしまったらどうだろう。 恐いものと一体になったらどうだろう。 そろそろ、虫が歩き出す季節なんだなあ。 今年こそは虫嫌いを直したい。 昨年は一昨年よりは、だいぶ直っていたんだ。 今年は、虫と友達になってしまおう! 私が虫になったら、恐くないかしら。 どうか、噛みつきませんように、 どうか、刺しませんように、 どうか、死にませんように。     生きてる虫のほうが、恐くなかったりする、変な虫嫌いのスマル 285/289 HBA00401 PHOQUE ボタンのかけちがい ( 6) 93/02/08 17:14 いつからすれ違ってしまったのだろうかと考えた 最初からすれ違っていたのかもしれない 一番上のボタンをかけちがえていたことに 一番下のボタンをかけようとした時に初めて気がついた かけちがえたボタンは全部はずしてからでないと ちゃんとかけなおすことはできないのだから あなたとちゃんと向き合うためには 出会うところからやりなおさなくてはいけない 全部のボタンをはずすのは とても辛いことだけれど…‥ ** HBA00401/PHOQUE ** 286/289 HFD01514 なえ 発言者削除 :やーーーめたっと ( 6) 93/02/08 20:22 287/289 HFD01514 なえ どうしたのだろう ( 6) 93/02/08 21:03 コメント数:1 心がざあざあ音をたてて泣いている。こんな夜は、早く寝よっと。 明日は雨かもね。 288/289 GCC03437 星也 空を飛ぶ夢・1 ( 6) 93/02/08 22:49 これは、2月に入ってからだったかな。 空を飛んでいた。(鳥の姿である。) 山の方から、平野に向かっての飛行。 時折、上昇気流を捕まえる。 眼下には、川が細い銀線のように見える。 鳥の姿飛ぶという事は、人が歩いたり走ったりするのと同じように 筋肉の使い方が自然で無意識のうちの動作である。 ふと、人の姿で「飛ぶ夢」というのがあったよな、と思いだす。 その時に動かすのは、腕だろうか足だろうか、 翼ってものは腕と同じだよな、などと考゚ヲたりする。 と、実際には自分は「鳥」ではなく、「鳥」に意識を借りた「人」型のモノだ、 という認識が生じる。 次の瞬間、人の姿(♂?)で、空を飛んでいる。 袖なしのふわりとした服を着ている。 天女の羽衣という話はあるが、これではあまり「お話」にならないなぁ、などと 考える。 それまでぱたぱたさせていた翼を、考えに気を取られて動かすのをやめていて、 失速し、随分高度が下がってしまったので、あわてて腕をばたばたさせてみる。 鳥の姿であったときに比べると、空気抵抗が大きくなかなか高度がとれない。 かなり高い山から降りてきたので、そのままの高度だと平野がぼうーーっと 青く霞んでしまうので、少し高度は下げてもいいか、という気も、したが。 天使の羽根というモノも、実際空を飛ぶときにはあまり実用的ではないかも、 などという事を飛びながら考えていた。 天使が翼を動かす感覚は、人が手を動かす感じだろうか、鳥の羽根と同じだろうか どこの筋肉を使うのだろう・・・・・?などなど。 眼下に見えるのは、緑豊かな平野で、遥か彼方に水平線がきらめいている。 その空を、気流に乗り、半ば滑空するようにして、飛ぶ。 思い返してみると、あの平野、「人」の気配がなかったな。 目が覚めてから、 天使の翼は光をはらんで飛ぶ「光子翼」という半物質形態のモノで、 天女の羽衣も同じ系統のモノでないか、ということをうだうだ考えていた。 飛行機に乗って、ではなく自分自身で飛ぶシチュエーションは久方ぶりである。 289/289 GBA01276 しまうま 僕もさっさと寝ようっと ( 6) 93/02/08 22:49 287へのコメント 寝不足なんだもん - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/08 - 779/781 NBB01420 SUKE RE:生命(11)「死の恐怖」 ( 7) 93/02/08 01:05 772へのコメント  こんにちわ、SHANAさん  死ぬときには「走馬燈のように過去が見えてくる」なんて言いますよね。  私は前にバイクで転んで、対行車線から来た中型トラックのバンパーの下まで入っ  てしまったことがあります。  道路に横になって滑りながら、自分の腹あたりをめがけて、でっかいタイヤが迫っ  てくるのを、ただ長い時間の中で見つめていました。  そのときは別に昔のことも思い出さなかったし、大切な人々のことも思い出さなかっ  た。ただ見つめていました。(だから死ななかったのかもしれないが(^^;)...)  最近、本で「誕生年月日時刻から計算で死期がわかる」というのを読みました。  それで自分があと数年で危険ゾーンに入ることが示されてしまいました。試しにす  でに亡くなった友人の誕生年月日を使ってみると、じゃじゃーん、的中。  流石にそのときは脳裏にひやっとした感じがありました。  でもね、寮の友人が試したいと言うのでやってみたら、表に該当値がないの(^_^;)。  本人は自分が果たして人間なのだろうかと疑ってしまったようですが。  考えてみたら、先の故友人の例では誕生時刻がわからなかったので、結果から逆算し  た部分があったので、最終的には3分の1の確率で的中する程度に収まっていたので  した。  なのこたぁない。(-_-;)  そんなわけで、死の実感っていうのは、実際に死にそうなシチュエーションの中よ  りも、日常の中で突然に身近に死を意識した瞬間の方が、強いんじゃないかなぁと  思うのでした。(^^)                                Suke.  PS:バイクといえば聞こえはいいが、実はYAMAHAのメイト50なのだった(^^;) 780/781 GBG02755 スマル RE:浄化について ( 7) 93/02/08 09:04 778へのコメント 浄化とは、感謝する心を持つことかもしれない。 ふと、そう思った。  スマル 781/781 JBH00742 COOL ここに書き込んでいいのかな〜? ( 7) 93/02/08 20:23  「光よりの光、オリオンの神の座より来りて伝える。」  のおしまいの方にあるメッセージ。     人の悲しみは 人の影にありて 青き色     天使の悲しみは 星の影にありて あけぼの色     悲しみは幸福の影にあるのか?     いや 悲しみは幸福の中にあってこそ 悲しみと言える  今日、何となくこのメッセージの言っていることが分かった気がした。  えっ、何故かって?  それは『嬉し涙』を流したから。  ず〜っと、この涙の味を忘れてたんです。  思い出させてくれてありがとう。 - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/02/08 - 552/555 GDB00064 オリハル 1988年4月6日(水)の霊的な出逢い。 ( 8) 93/02/08 00:13 以下に、「1988年4月6日の松田聖子さんと私の今生で始めての霊的な出逢い」に 関し、聖子さんへの第1通目のレターを掲載します。 始めて御挨拶申し上げます、歌姫様 (第1通目) 199011180037  この手紙が、聖子さんがどの様な状況の時に受け取られても、聖子さんの上に神の愛 がふりそそぎますように。  この手紙は1990年11月17日(土)の「ヒットパレード90’S」という夜の 11:00〜11:45迄の中継番組、8チャンネルで聖子さんが"KISS ME PLEASE" (録画)を歌われたときの直後にタイプし始めたものです。この日は夜遅くまでお付き 合い御苦労様でした。"KISS ME PLEASE"はいい歌ですね。  私は30才の男性ですが、正直言いまして、始めの頃は特に聖子さんのファンでも何 でもなかったのです。しかし、復帰後の聖子さんは輝いていますね。本当に聖子さんの 善良さがテレビを通して伝わってきます。あなたの何て美しいこと。 何が美しいかって、何とも言えない聖子さんのあふれるような善良さ、ダイナミックさ、神々しさです。聖子さんの美しさは表面的には直ちには分からない性質があります。 聖子さんの奥の深さ、最深部では神との強いコンタクトがあると言う点で普遍性のある 美しさだと思います。これを感じ、目にし、耳にした人はあなたを尊敬し、愛するのだ と思います。そして、あなたにならうのです。この普遍性、芸術性を感じた人はあなた のためなら、命をも投げ出す覚悟の人もおいででしょう。私は芸能界という所を実際に は知りませんが、その中でよく、これほどの神々しさをお持ちですね。歌姫様が歌番組 に出たときの司会者の方々もこの神々しさを秘かに感じている様子がはっきりとテレビ を見てると分かります。  私が初めて聖子さんに注目したのは1988年4月6日(水)の午後9:00からの 夜のヒットスタジオで聖子さんがマンスリーでヒット曲メドレーを歌われていたときの 事です。なぜかこの時、聖子さんは悩みごとがあるようで、とてもつらそうにメドレー を歌われていました。古舘さんも「聖子ちゃんがメドレーを歌えるかどうか心配だった」とおっしゃっていました。その、生中継を見ていた私にも、それが伝わってきました。 私はその時、これは神の御意志だったのでしょう、直感的に「松田聖子、この女性を断 じて悲しませてはいけない」という愛の絶対至上命令が私に下りました。私は全身全霊 の愛を込めて聖子さんのために祈りました。「聖子さんの苦しみをわが身に、そして引 き換えに聖子さんに喜びを」と。メドレーで歌われている間、聖子さんが幸せを感じら れるように祈り続けました。私はテレビを見ながらあなたに心の中で語り続けました。 「何も心配はいらないよ。神はあなたを守ります。今、八方塞がりでも、御家族の問題 があっても、神はあなたを愛しておられます。あなたのために道が開けますようにと私 も祈り、願います。絶対に大丈夫です。神を信じて下さい」と。そろそろメドレーが終 わりに近づいたとき、急に聖子さんは感極まったように泣かれてしまいました。私もこ の時以来、愛の厳命を胸に聖子さんの幸せのために祈っています。  その後聖子さんはニューヨークへ行かれました。そして日本へ戻られ、1990年8 月29日(水)の夜のヒットスタジオでもヒット曲メドレーと"THE RIGHT COMBINATION " を歌われました。私は特にメドレーを歌われていたときに祈りました。「ああ、痛々 しくも天国的な聖子さん。私の命を犠牲にしても彼女の苦しみの一部を私が引き受けま す。どうか彼女の上に降り掛かることを私の上に降り掛からせて彼女を軽くして下さい! 神に愛され、なんとしてでも守るべき人。おお、何という苦難! ならば彼女の上に それ以上の幸せを! おお、どうか彼女が幸せでいられますように!」この時も、歌姫 様には愛の使命を果たそうとする祈りが通じたようで、メドレーを歌い終わられると、 幸せそうに「ありがとう」とおっしゃって下さいました。聖子さんはとても幸せそうで 私も幸せでした。  さらなる幸せの世界へ羽ばたこうとする聖子さんの喜びのために、あなたが不必要な 苦難を回避できますように。そして、聖子さんがこの「地球」で活躍しやすいように、 そして、ますます幸せな境涯へ登られるように、また、神の絶対的な正義に基づく愛の 命令により、本当に渾身の愛を込めていつも祈っております。それに、私に優るとも劣 らないファンの方も大勢いらっしゃると思います。多分、神は、私以外の方にも愛の厳 命を下しているはずだと容易に想像できます。それほどまでにあなたは良い方だから。 多くの良い方の真心と真実が常にあなたの上に輝きますように。何があっても。神の祝 福と平安があなたの上にありますように。永遠に。そして、あなたが聖人のように生き て行けますように。ああ!あなたへの愛のためにいつも祈っている。聖子さんの幸せの ためにこれ以上私に何が出来るのでしょうか。昼間は常にあなたの幸せを願っているの です。全世界的に御仕事が大成功することを願っています。そして、御仕事が発展して もいつも幸せでいられますように。あなたが歌うとき、そこには大勢の聖人、天使達、 神の祝福が満ち溢れ、視聴者がそれを感じられますように。あなたの上には、絶対の保 護がありますように。あなたの歌によって御国の来たらんことを。  お送りしました本(既にお持ちでしたら聖子さんの特に親しい方にさしあげてほしい)は私の蔵書1200冊の中でも、最上のきらめきを誇っています。聖子さんはどちらか と言うとキリスト教でしょ? 美しいものはつい人に勧めたくなります。読み易い本だ と思います。イエズス・キリストの愛の深さと美しさを(既に充分御存知のはずですが)感じてほしいのです。私からの愛のプレゼントです。宇宙の一切は愛で動きます。人間 も動物も植物も物質でさえも愛の力で動かされているのです。幸せとは、宇宙を生かし ている巨大で精緻極まりない愛の力に同調しているコンディションを言います。  ピーチ・シャーベット、いい曲ですね。「ユートピア」はとても天国的で美しいアル バムですね。私は大好きです。新しいアルバムの「We Are Love」も、とっても美しいア ルバムですね。「レモンティーとチョコレートパフェ」も大好きです。なんて美しい。 なんとも言えない美しさがあります。ああ、あなたの御声のなんと愛らしいこと!!  それは、あなたが美しいハートの持ち主だと言うことを意味します。あなたは人類の愛 の教師だと感じます。あなたは愛の教師として生まれてきた方なのではないでしょうか。私はとても好きな言葉があります。これは、車に乗っているときにラジオの司会者が御 自分の好きな言葉としておっしゃったものです。それは「すべての赤ちゃんは"神はまだ 人類に絶望していない"というメッセージを持って生まれて来る」という言葉です。誰の 言葉かは知りません。もし、聖子さんが歌の詩の中に取り入れられるおつもりになられ ましたならば、どうぞ。私は構いません。  いつものマスコミの勝手な報道は大変ですねと言うほかありません私をお許し下さい。でも「週間明星」の誠意には好感が持てます。神田様御夫妻は誰が見ても調和していま す。事実として、誰もが実はそのように感じているはずです。夫婦揃ってよい方ですね。色々な聖子さんに関する報道に接する内に、聖子さんの周囲は敵だらけだと言うことが 感じられるようになりました。あなたはあまりにも痛々しいほどに天国的です。人類の お手本です。あなたが苦しみで打ちひしがれるときはどうか神があなたを慰めて下さい ますように。私も、あなたの苦難をキャッチしたときには直ちにわが身にそれを引き受 け、あなたの上に平安と充足があるように祈るでしょう。聖子さんの今までの苦難がど れくらいのものか誰でも想像できるほどのものです。どうか「彼ら」のあなたに対する 毒牙があなたの事実としての善良さを引き立たせますように。現代の情報社会の中で、 一面的な解釈を信じ込む人などあまりいないでしょう。貴女の忍耐力、努力と、潔癖さ を何故人は分からないのでしょうか。いえいえ、神は貴女の忍耐と潔白を御存知です。 そうでなければ私が愛の絶対至上命令に動かされ、これほど歌姫様のお身体を、御心を、御仕事を案じることはなかったはずだからです。神の正義の声が聞こえるようです。 聖子さん! 多くの人に天国を、神の愛と祝福を教えてあげて下さい。  ほとんどの人間は人の気持ちを利己主義のために売り渡します。イエズス・キリスト もそうされました。宗教もそうです。真面目に真実を尊守する人は、全人類のほとんど 1%程度のものでしょう。それほどに人間はまだまだ真実の超越的な永遠の自己を理解 してないと思います。しかし、どんなことをしてもそれは神の法律によって、正確に確 実にその人に同じ事がふりかかるのです。それによってその人は自分自身に直面します。私はあなたのために祈ります。何もしてない聖子さんに「彼ら」がもう何もしてこない ように。あなたに対する無理解と表面的な見方がなくなるように願います。また、聖子 様の御家族には不和の無いことを祈ります。そこには限りの無い普遍性、永遠性があり ますように。あなたが御自分を歌われるとき、神の保護と、祝福と平安があなたを強め ますように。もっともっと多くの人々があなたを正しく理解しますように。 「神の田圃に蒔く種は、いずれ自らつみとるもの。まさに正しく輝く神の法として聖母 マリアの子であり、神の子であるイエズス・キリストがお教えになりました」 御二人の上に、御家族の上に神の平安と、祝福がありますように! 真心を込めて何年 でも。 どうぞお幸せに、BE PEACEFUL WITH YOU, IN YOU, ON YOU, FOR YOU !!   草々 1990年12月16日18時35分 〒359 所沢市[中略]  菅谷明夫 オリハル 553/555 GGD02212 *ねぎひさお* Vデーには誰と…(また) ( 8) 93/02/08 07:17 527へのコメント コメント数:1  去年のXマスに冷たくされて愛想をつかしかけているのか、 彼女が部屋を訪ねて来ることが少なくなった。…んなことは、 かんけーないんだけど、もうすぐバレンタイン・デーっすね。  その日に愛を開示?しようと思ってる人も多いのかな?  水を差すのではないけれど、殉教者・聖ヴァレンタインの 命日に媚薬(チョコ)を贈ったり貰ったりして発情しよう? そういう話題で盛り上がろうするマスコミとかの感覚には、 ウンザリしてしまう。元々キリスト教的な精神的基盤がない 国だから別にケシカランなんて言いませんけど、何だか自分 達だけ楽しきゃいいってな退廃的なニオイを感じてしまう。  グチっぽかったかしらん?去年はチョコを食べ過ぎて太り 体調を崩し歯肉炎や花粉症が悪化してしまった*ねぎ*でした。 554/555 HBA00401 PHOQUE 時間のたつのは早い(ゴミかも) ( 8) 93/02/08 17:14 553へのコメント コメント数:1  前にここでも書いたかもしれないけれど,プレゼントをあげたりもらったり する,というのが,私はものすごく苦手です。あげる方は「相手の気持ちを物 でつなぎとめようとしている」みたいだし,もらう方は「相手の気持ちをもら った物で確認しようとしてる」みたいで。  だけど,たとえばひとりで歩いていて雑貨屋さんの前を通りかかった時,ち ょっと気になる小物を手にとって考えるのは,相手がそれを持っている姿だっ たりする。仲のいい人が欲しがって探していた物を偶然にみつけた時,「あそ こにあったよ」と教えるのではなく,そしらぬ顔で手渡して驚かしてみたい, そんないたずらっ気を起こすこともあるし。  そんな時,誕生日でもクリスマスでもヴァレンタインDAYでもない普通の 日だったら,プレゼントって渡しにくいよね。本当は,「あげたい」という気 持ちはなにかの日にかこつけなくてもいい筈のものなのに。  でも,たとえば誕生日を教えてくれるほど親しくなっていない相手と親しく なるきっかけ,としてはクリスマスとかヴァレンタインっていうのは,重宝か もしれない。そういう,誰でもがアタリマエの様にプレゼントを贈り合う日に でもかこつけなかったらプレゼントを渡す勇気がない人,きっと少なくない筈 だもの。 (んだったら,別にお中元やお歳暮でもいい筈なんだけどな(^^;)) **:  それにしても,ついこの前クリスマスが済んだばかりだというのに,もうヴ ァレンタインDAYなんだ…‥。 ** HBA00401/PHOQUE ** 555/555 PGA00762 らんむろ・さてぃ 本当にそうですね。 ( 8) 93/02/08 23:07 554へのコメント あっという間に、2月ですものね。 そうそう、プレゼントって私もいつもそんなこと感じています。 私は結構プレゼントするのが好きで、なんてこともない物でも あげるっ。とあげてしまうのです。別にお金だして買うのがプレゼントでは ないですしね。 お金ではかえないものをプレゼントできたら、それが一番いいのですけど。                     あれ?なんだかずれちゃいました?                      ごめんね、 らんむろ・さてぃ でした。 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/02/08 - 133/135 GGD02212 *ねぎひさお* 虫の知らせ (10) 93/02/08 07:53  自衛隊のPKOカンボジア派遣部隊では大真面目で 「『虫の知らせ』や夢見にも注意して危険を避けるように」 と司令が出されているそうな…。  この方面では遅れていた日本でも、やっと防衛大学の先生が 戦死者の家族への『虫の知らせ』などを手始めに研究を始めた …とか以前に週刊誌で読んだ気がする。  実は…おととい、父が1/7に北陸へ出張に行くと聞いて、 ふと「地震に遭う」と思ったら、ゆうべTVでクロサワ映画の 『夢』を見ているときに臨時N… *ねぎ* 134/135 GGD02212 *ねぎひさお* 発言者削除 :訂正の訂正(・・;) (10) 93/02/08 21:08 132へのコメント 135/135 GGD02212 *ねぎひさお* 雑談やら#133の訂正やら (10) 93/02/08 21:41 132へのコメント  それほど「通」ではないんすよ。>オ〜ロラさん。  極道もとい「六道」ついでに「十界」の意味を辞書で確認してたら 引っ掛かって来た「六道輪廻」やら「十界互具」の馴染みの薄い用語 を使ってみただけれす。ちなみに、うちは天台宗でも日蓮宗でもなく、 ○○真言宗に縁のある家系です。  それと、パドマサンヴァバさんの名は初耳でした。(^^;ヘ どうも失礼しましたm(__)m>チベット仏教徒の皆さん。  ところで、居酒屋でどなたか「アストラルトリップについて」発言 してましたね(MES(1)#896)。無理して肉体の外ばかりで遊んでちゃ 危ないですよ。帰れなくなったらどうするんですか。>SGR000**さん …ってなコトを日常茶飯事のコトのように言う私って変? *ねぎ* P.S.#133で>1/7に北陸へ出張… と言ったのは2/7の誤りでした。 父は無事で帰宅しました。地震には 遭うが怪我はないと思ってました。 親父は毛が無い…やっぱり私は変? - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/08 - 763/774 GGA02514 KAZE あしわけをぶね (11) 93/02/07 23:19 753へのコメント NOISEさん、どうもです。 >磐山の残したものは神道の神髄に触れた純度の高いものだと思っていますので、 >それで良ければ紹介していきたいとは思ってます。 それはそれは、ありがたいことです(^^)。 NOISEさんのペースで、無理しない程度でぜひお願いします。 >神道というもののほんとうのところは「言挙できぬ」というように、 >テキストを読んで理解できるようなものではないと思います。 その「言挙できぬ」ということは、神道に限らず痛切に感じています。 「言挙」することで失われてしまうもののなんと多いことでしょうか。 「漢意(からごころ)」批判は、ちょっといきすぎの感もありますが、 本居宣長が国学でやろうとしたことの大事なポイントも、 そこらあたりの観点と非常に関係してくると思います。 スベテ文字ハミナカリ物也。末ノ事也。然ルヲ文字ト我国ノ詞ト、始メヨリ一 ツナル物ト心得タルカ。コレ大ナル誤也。モトヨリアル言(コトバ)ニ、文字ヲカ リ用ヒタルト云事ヲ知ラズ。・・・サレバ文字ニツキテ言ヲ解スルハ、末ヲタ ヅネテ本ヲワスルル也。 これは「あしわけをぶね」からですが、 この「あしわけをぶね」というのは、葦の生い茂った川をゆく舟で、 未開の地に向かってひとり船出するような意味もあったようです。 神秘学の「あしわけをぶね」とならんことを そして「言挙」することによる誤解の少なからんことを祈るKAZEでした。 764/774 GGA02514 KAZE 建設的 (11) 93/02/07 23:20 755へのコメント NoBさん、どうも。 「あるのはテキストだけ」ということは、 同じ意味あいのことを繰り返してお話していたことでもあります。 そして、僕は自分がそうであるのと同様に、MIZUHOさんに関連したことでも、 (もちろんその他のことは当然のことですが)信仰が必要だとは思いません。 そもそも僕は○○教徒であるということが、理解できないタイプの人間です。 それと、テキストの生成について、どんなことを思われたとしても また、MIZUHOさんの実在が云々ということにしても、 反論しても水掛け論になるばかりですし、 極論をいえば、この「KAZE」とかいう存在にしても疑えばきりがないわけで(^^;)、 それらのディスクールはそれ自体に責任を伴うものであると同時に 発信者の自由な権利を発現させるものなので、 あえて反論をする類のものではないと思います。 >KAZEさんはご自身にドグマがないと思っておられることと思います。 僕はこの会議室でずっと繰り返してお話しているように、 いつも反省ばかりしているような人間です。 つまり、「反省が常に必要である」ということです。 自分はいつもドグマだらけだと思っているからこそ、 自分が気付かないで陥っているドグマに気付いたときのは 反省せざるを得ないのです。 もちろん、その都度自分の考え方を提示するのは当然のことですが、 それを絶対的に正しいなどど思ったことは一度もありません。 自分に「ドグマがない」と思っている最大の方々こそが、 「○○教徒」として、ある種の対象を「信仰」していく方なのだと思います。 そういう意味で、僕は宗教的な信徒の立場にはこれまでも、 そしてこれからもたつつもりはこれっぽっちもありません。 そして、この会議室の最低限の「建設的」なところも そのベースにあると思っているKAZEでした。 765/774 GGA02514 KAZE RE:苦情では無いですが、 (11) 93/02/07 23:21 757へのコメント アラミスさん、ご指摘ありがとうございます。 確かに「再掲載」というのは、ちょっと無思慮だったようですね。 コメントつけとけば、読む必要のない方への配慮となると考えたのですが、 甘かったようです。 アラミスさんをはじめ、その面でご迷惑をおかけした方に 深くお詫びさせていただきます。 あえて再掲載したというのは、メッセージを大きめのファイルにまとめ直したときに、 メッセージナンバーを新しくしたので、メッセージ・ナンバーが重複してしまう との判断で、ちょっと軽率なことだったと反省しております。 僕が「感情的になりすぎている」ということについてですが、 そう受け取られても仕方のない対応は軽率に行ったかもしれませんね(^^;)。 ま、この神秘学遊戯団では、「シュタイナー研究室」のとき以来、 あまりネタ的に突っ込み風の状況がほとんどなかったものですから、 そこらへんのことについての僕の配慮不足というのが大きかったのかも。 その点、シスオペさんやサブシスさん、他の議長さんなどは議論が得意なようで そこらへんについては見習わなければならないところが多くあると思っています。 「いつものKAZEさん」ということでいえば、 どういうのが「KAZEさん」なんだろう?なんていろいろ考えてみて、 ある程度は想定はできるように思います(^^)が、 ま、人間、いろいろなところがあるもので、 長い目で見てやってください・・・というしかとりえずは(^^;)(^^;)です。 それと、僕が「感情的」になっているとしたら、 問題は、「このメッセージをどうしようかな」ということで、 いろいろ自分でもどうするのが一番適切であるのか、 いまだ判断に苦しんでいるということから来ているのもあるでしょうね。 せっかくこうしたメッセージがあるので、 僕だけでもってるのももったいない、というのもありますが、 本当はもっといろんな方のごい意見を事前にお聞きする必要があったのでしょう。 「布教」であるとのコメントなどもありましたが、 そうした宗教団体的スタンスから自由であり、 またそうした種類の誤解や危険性などからも自由であり、 かつ内容について冷静かつ適切に検討することのできるあり方を 模索しているつもりなのですが、なかなか「さりげなく」いかないもので(^^;)、 僕にとっては一番苦手な種類のことを、あえてテーマ化しようとしているということを ご理解いただければ、と思っているKAZEでした。 766/774 MHA01114 シュメ−ル MIZUHOメッセージの身のおき所について (11) 93/02/08 01:04 コメント数:1 MIZUHOメッセージに関して、私にも個人的感想を書かせてください。 私はMIZUHOメッセージ(以下MMと略します。)をおもしろいと思って読んでいますの で、是非、この近くで今後も読みたいと思っていますので、KAZEさんよろしくお願いし ます。はっきりいってなぜここでは駄目なのかは私には分かりません。でもね、ここに はここなりの場所がらってのがどうしてもできてしまう。精神的な慣性体。それはKAZE さんの意図をこえて社会的な関係として出来てしまう。今回その慣性体の輪郭が析出さ れてしまいつつある訳だ。今回析出しようとしている慣性体が私には残念ながら唐突で 私のもっていたここへの慣性体とぶつかってしまったのだけど、ここがまずそうなら、 べつのとこでも私はいいのです。というのも、ここのイメージ造りに私はほとんど関わ ってないからです。居住権ってのがここにもあるんだと思うから。大家さんのKAZEさん の判断まかせです。  正直なところ私にとっては、シュタイナーもクリシュナムルティもMMも大した違い がない。ここの「なんでもあり」のなかにいっしょくたになっておかしくないものだ。 宗教性みたいな判断ベクトルは私には場違いに思えた。人を引き付ける魅力のあるテキ ストは実はすべてが宗教的になってしまう。MM自体もそのスタンスは新しくないもの だけど、まさに現代において発せられていることと、ここでしか私には読むことの出来 ないものだ。で、私にとっては貴重な情報なのです。…なんて理屈はどうとでもつけら れるんだけど、結局、私はMMがすきだし、ここにはMMが嫌いな人がいるってだけで しょう。後は、なんで私がMM好きで、嫌いな人はなんで嫌いなのかという議論をする かどうかです。只、嫌いといってもここにMMがくることが嫌いなのだということです が。と、なんか議論を台無しにするような内容になってしまいましたが、今回の議論の 論点がMMの価値をめぐってなされているのではなく、あくまで、ここでいいのかどう か、というローカルな話題なので、この程度のことしか私は考えてないのでした。そも そもMMをどう読むか、というグローバルな話題になったら、また、考えてみます。M M愛読者の発言がここんとこすくないので、のこのこ出てきてしまいました。 767/774 GCC01413 HVHY RE:MIZUHOメッセージの身のおき所について (11) 93/02/08 02:39 766へのコメント  お解り頂いていることとは思いますが、私の場合は、    「精神的な慣性体」(?)についても、    「宗教性みたいな判断ベクトル」についても、    「嫌いな人はなんで嫌いなのか」についても、    「ここでいいのかどうか、というローカルな話題」についても、  問題にしたことは有りません。その一方で、    「MMの価値」についても、    「そもそもMMをどう読むか、というグローバルな話題」についても、  全く問題にしたことが有りません。即ち、  私の書いた観点(MM関連)に関しては、  シュメールさんの文脈では取り上げられていないわけです。  ということは、私の書いた観点は、  シュメールさんの語り口の中における比重が小さい、ということでしょう。  さて、そのこと自体は良いこととも悪いこととも言えません。  しかしながら、私は、シュメールさんのこの書き込みを読んで、  「いささかクール過ぎはしないか?」と感じてしまいました…。  (※それは“いつも”のこと?)  MMを通して(鏡として) >>> 「それぞれの人の“この手の世界”に対する関わり方」  が見えて来るという意味において、  MMそのものよりも、むしろ、MMに映る人々の姿に興味を覚えます。  (…といった語り口は、シュメールさんとは別の意味でクールであるのだが…)                                 HVHY 768/774 GGD00655 せしも 意図的苦悩など (11) 93/02/08 08:38  ども、こんちは。  先日、久しぶりに浅井さんとこにいってきまして(Gのサークル)、まあ、 色々な話題がでたんですけど、意図的苦悩などについて、ちょっと思ったこ となどを。  まず、意図的苦悩についてですが、ちょいと引用しますと、 | 苦しみはいろいろな種類であり得る。初めに二つの種類に分類しよう。 | 第一は無意識の苦しみ、第二は意識した苦しみである。第一の苦しみか | らは何も生じない。たとえばパンを買う金がないので飢えに苦しむ。パ | ンはあるが食べないで苦しむ。この方がよい。思考、または感情のどち | らか一つの中枢部だけで苦しむと精神病院行きになる。 | (グルジェフ・弟子たちに語る)  ……ということで、いわゆる「苦行」などの本質的な意味付けも可能では ないかと思います。ただし、「苦行」というとなにやら滝に打たれるとか、 断食するとか、そういう類のものを連想しがちだと思いますけれど、ここで 意図しているのはそういうのじゃないです。例えば、ある人がこれから毎日 3食後に歯を磨く、という決心をしたとして、それを実行する際に発生する ジレンマのようなもの、を想定して頂けると良いかと思います。まあ、そう いう、実生活に根ざしたもの、ということで。もちろん、私は3食後に歯を 磨いてます、っていう人もいるでしょうけど、そういう人にとってはこの設 定は意味がないです。  で、誰でも経験のあるところだと思いますが、こういった、自分に対する 約束っていうのは守るのがものすごく難しい。私なんかは朝8時に起きる、 といことで、だいぶ前から意識して行うようにしてるんですけど(笑っちゃ イヤ(^^;))、難しい。とにかく、あとから考えてみたら自分でもびっくり するような言い訳を瞬時に思いついて、それで自分を納得させてしまうので す。何、雨が降っている、寝よう、とか(^^;)(^^;) まあ、そういうことが 複数の自己などの根拠になっていくわけですが。  しかし、引用文中の思考の苦しみ、感情の苦しみ、っていうのはどういう ことを指すのか釈然としません。(^^;) なにか、思い当たることがありま したらお願いします。  まあ、そんなこんなでそれぞれの人がそれぞれの「課題」をもってます。 そして、その課題を意識してやることによってどんなことが起こったか、な どということを報告しあったりしています。あとは本の内容についてのうん ぬんかんぬんと、ムーブメンツが主な活動内容なわけです。まあ、こんなこ と書きましたけど、勧誘の意図はありません。とりあえず、私はこんなこと してます、ということで。(^^;)                        せしも 769/774 HGB02764 EARTH WORK 発言者削除 :文字化けのため (11) 93/02/08 10:19 770/774 GGA02514 KAZE ドイツ歌曲 (11) 93/02/08 13:35 761へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 >この管理職という役職はどう考えても僕には無理で(自分も十分に管理できんの >に他人の事まで頭が回らない(^^;))、できる事ならもう一生サラリーマンに戻り >たくないです。 僕も管理職ということにはもっとも不適なタイプだと思います。 そもそも上下関係というスタンスが苦手で苦手で仕方ないのに、 自分が「上」の立場に立ってしまうことにあたっての 戸惑いは尽きることがありません(^^;)。 そもそも「友人」以外の関係ってヤダから、この苦痛は大変なものがあるのです。 もし今のサラリーマンやめたら、もう二度とこういうのに戻らないでしょうね。 今日もやれやれという感じで、夜には定例の管理職会議があって、 資料をつくったりに胃が痛いのでした(^^;)。 >・・・「よし、これなんか良いかもしれん」などと無責任に控えたのが、 >なんとテトラスクロールだったのでした。ナンタルグウゼン!! そのシンクロニシティっていうのを大事にして、 次回の輪読会のワン・テーマのテキストをそれにしちゃいましょうか。 とりあえずそれについては僕と隆ちゃんでやりとりしながら進めてたら、 そのうちにこのテーマに関心のある方が参加してくださることでしょう(^^)。 しかし、「絵本」とはいっても、子どもむけにはちょっとむずかしいでしょうね。 >今日から10日ばかりカミさんは娘達をつれて実家(栃木です)へ里帰りをする >のですが、・・・ そうですか、ひとりで過ごす時間があると、 やはりそれなりの収穫は期待できますね。 ぜひ、その時間を有効にお使いください。 やっぱり、本来は一日の一定の時間を自分ならではのテーマの探求に使うことで、 毎日少しずつ学んでいくというのが必要でしょうが、 まとまった時間があるときにも、それなりのテーマの探求が可能になります。 僕は仕事以外の時間は相棒とあれこれ話して過ごすことが多く、 学生のころから関心事項がかなり重なっていますので、 その時間でいろいろ充電することが多いのですが、 ひとりの時間でいろいろ勉強する時間も必ず持つようにしています。 そういえば、今週の週末は数日間僕もひとりになります。 その間に、まとまった勉強でもしようかと考えていることろです(^^)。 さて、近況ですが、土曜日に僕は、声楽家のOさんの 「ドイツ・リート(歌曲)」を歌うミニ・コンサートに行ってきまして、 その後、その会を主催した、僕の大学時代の諸先生方と打ち上げなどしてました。 先生方は、もう時間がとまってしまったような方々で、 考え方に進展がまるでなくて、ちょっと悲しい気持ちになったのですが、 その反面、それらの先生方の専門についてはこちらの理解力が大きくなったのもあって ドイツロマン派などについてのそれなりの興味深い話が聞けたりもしましたし、 今後いろいろな資料などをくださったりもしてくださるとかいうことなので、 当初あまり気が進まなかったのですが、行ってみてよかったと思っています。 ゲーテやドイツロマン派というのは、シュタイナーの神秘学の重要な背景にも なっているポイントでもありますので、そこらへんについてもっと勉強したいと 思っていたところなのでした。 で、この会のメインテーマであるドイツ・リートのプログラムなのですが、 シューベルトの作曲によるリートとシューマンの作曲によるリートという二部構成で、 後半のシューマンのそれは、ドイツロマン派の重要な詩人である アイヒェンドルフの詩をもとにしたもので、これがとっても興味深いものでした。 その中で、ドイツ・リートの最高峰といわれている「月の夜」のテーマは、 まさに「天と地の結婚」がテーマで、ううむと考えさせられてしまいました。 参考までに、その詩をご紹介しておきます。 まるで月の夜空が大地にそっと くちづけをした感じだった、 咲く花でほんのりと明るい大地が 月の夜空に憧れざるをえないほどに。 そよ風が野や畑を渡って行った、 麦の穂がさささわと波立った、 森がかすかにざわめいていた、 それは星の明るい夜だった。 そしてぼくの心は広々と その翼をいっぱいに広げた。 そしてしずかな大地の上を渡って飛んで行った。 ちょうど故郷へ帰って行くように。 会の後、Oさんといろいろ話して、シュタイナーとも深く関係するノヴァーリスなどの リートなどもとりあげていこうか、などという企画も出たりして、 楽しみになりそうです。 ま、それはともかく、会の打ち上げが終わった後、僕と相棒とOさんで、 「声楽」ということについてなど、いろいろ話しました。、 声楽のときの「声」というのは、通常の声帯を使ったそれではなくて、 身体全体、そしてそれをふくんだもっと広い「体」によって出されるものだそうで、 そうした視点を、シュタイナーのオイリュトミーなどとの関連で探求していくと かなり面白いことがわかるのではないか・・・なんてことですが、 また新しいテーマが増えてきそうで、ワクワクなのでした。 話は変わりますが、昨日、輪島あたりを中心に地震があったようです。 つい先日も地震があったところで、あのあたりは白山に非常に近接した地域です。 白山のククリヒメが人間に対して怒っているのではないかとも思うKAZEでした。 771/774 GGA02514 KAZE 会議室上でのMIZUHOメッセージの中止 (11) 93/02/08 13:35 二転三転して申し訳ないのですが、 この会議室上でのMIZUHOメッセージの紹介をとりやめようと思います。 というのも、先日ある方からメールをいただいたのですが、 それは、ある種の固有名詞に対して、好ましくない反応についての危惧についての アドバイスというものでした。 それと、フ******とかいうことについてのメッセージ内容を 紹介することについての「疑問」というのもありましたので、 今後そうしたことについてあれこれフォローしていくとすると大変で、 僕にとってはそこまでの時間はとれそうにもありません(^^;)。 僕にとって考えていきたいテーマは、他に山ほどあって、 そればかりに時間をとられるというのも、実際上、苦しいものがあるからです。 TAOさんのコメントでもありましたが、 この会議室で紹介する以上、「公」の性格を持つことになり、 そうしたフォローを必要以上になおざりにするわけにもいきません。 そうでなければ、「公私混同」であるといわれても仕方ないからです。 そうしたことを考えにいれてすべてを伏せ字にするというのも、 また、そこらへんの部分をすべて大幅に削除するというのも、なんだか(^^;)です。 ということで、MIZUHOメッセージの紹介の場として、 「私」的な性格をもつHPでもオープンしようかと考えています。 その方が、「公」には語れない部分についての情報も、 できるだけ適切な形でフォローできると思うからです。 それに、僕が「私」的に有していて「遠慮」している情報も 少しはご紹介できるかもしれないとも思っています。 個人的にいえば「私」的には対応したくなかったですし、 またそれについてのコメントもほとんど予想ができますが(^^;)、 さまざまなことを「ノー天気」な僕なりに考えていくと、いたしかたないと考えます。 メッセージはおそらく今後結構面白くなるように僕には思えるのですが、 ま、「公」にオープンにしないスタンスの方がいいのかもしれません。 HPについては、次のメッセージがファイルにでき次第開き、 随時紹介していきたいと思います。 ということで、MIZUHOメッセージを読みたい方はHPへのKAZEでした。 (HPについては、「公私混同」にならない程度に、 開設後簡単に紹介させていただきます。) 772/774 TCC00116 NoB 雑1 (11) 93/02/08 21:16 TAOさん、どうも。やはりカトリックでしかた。カトリックの場合、プロテスタ ントとサクラメントが違うのです。ふと思ったのは、お父さまはサクラメントを 内心意識されていたのではないかということです。このあたりのキリスト教内部 の歴史的な差異などは別の場所でまたいつか。 死後の生命……まあ、おそらくこれはただめんどくさい議論になるのでしょう。 僕の立場を言えば、生命とは「情報」です。で、この「私」というのはこの時空 およびカルマ(あえて今回は定義しません)という環境と分離できないもので す。道元の「以水以命知りぬべし」というところでしょうか。仏教についてもこ ういう点があまり理解されていないようではありますが。 「魂」もまた「情報」です。「情報」が「生きている」のです。そして、我々の ような無価値に等しい存在は、その生命の時空にあって、「魂」という我々を越 えたなにかを生み出して、情報として不死にいたるのです。と、まあ、はしょっ ていますが、僕なんか僕がこの世界にたとえば「愛」(無定義)でもなんでもい いから、「そのために死ねるもの」、それを求めて生きているわけです。そし て、それがあれば、僕なんかいらない。こんなものが死後も存続する必要はない でしょう。僕はもう僕で十分なのです。 ま、そんなふうに考えます。 いずれ地球は滅びさるでしょう。神は実体的に現れるというような稚拙な希望は 実現することはないでしょう。ただ、情報は不死に到ることが可能でしょう。 イエスの永遠の命というのも、イエスというおかたがこの世にその「愛」という 情報体を形成したことにあるんだというふうに僕は考えます。 古代人や古代的な心性においてそれを実体的に理解するのは、ひとつの理解の形 式とはわからないでもないですが、この現代になんと時代ずれしたことかなと思 います。と言うと、真理は普遍……ということなのかな。ま、各人各様の理解に 文句をつけるわけではありません。 ただ、問題は、その不死の「情報」とはなにか? という問題なんです。P.K. ディックのVALISも情報体なんですよ。 NoB 773/774 TCC00116 NoB 雑2 (11) 93/02/08 21:17 隆ちゃん、どうも。 僕はこう考えるのです。歴史学的にないものは、つまり、歴史学的にないのだ、 と。これではトートロジーですが、それを避けるなら、歴史学だけが過去の事実 を妥当に認定しえる、ということです。 ですから、それ以前にもあっただろう、という考えは、過去の事実とは区別した ファンタジーとして峻別されるべきであると。そして、ファンタジーであるな ら、どんなものをもってもまったく本人の勝手に相違ありません。 どうも言葉がきつくなってしまってすみません。まあ、適当に聞いてください。 僕は、現代日本人のもっている感覚がまったく信頼できません。まあ、僕を例に してもなんだけど、この百年くらい日本ではたとえば「処女」性のようなことが 言われてましたが、江戸の性風俗を見ると、まったく、異質です。そのほか、さ まさざまに日本だと思える感覚は、それ自体が歴史産物であり、歴史的考察の対 象になるのだと僕は考えます。 というか、そういう感覚を、対象として、己から引き離して、相対化して見る視 点が大切なんだと思うのです。 言い方が堅いですが、「日本人らしさ」は一種の温和はイデオロギーだと思いま す。というのも、これは、排除の運用を持つからです。なにかに対して、「それ は日本人らしくない」と。でも、その対象者が、十分に日本国籍を持つとしたら どうでしょう? これはひどいはなしじゃないですか? 日本人らしさとは、現 在同意しあってこの国にいる人が未来になげかけるヴィジョンのなかにのみ求め るものではなくてはならないはずです。 日本人であることは、日本国籍を持って、この国家を構成しているという以上の ものではないだろうと僕は思います。でも、それはとても重要なことなんです。 この国家は独自の世界平和の理念象をもっている。そのぉ、「やまとたましい」 にそれがあるなんていう曖昧なことじゃなくて、国家憲法のことを意味している んですが。 NoB 774/774 TCC00116 NoB 雑3 (11) 93/02/08 21:19 KAZEさん、どうも。ま、れいによって、KAZEさんのお考えに反論はないですよ。 というか、KAZEさんの文体は反論できない様式を感じますが……。さて、と、で も、うまく通じてないような感じがするのは、その一方の僕とても同等に相対化 されなくてはならないからそう言う筋合いのものでもありませんし。 ただ、MIZUHOメッセージが、特定宗派の聖典類と、テキストにおいてまったく差 異がない、そして、そうした差異なきものを、公開のネットに公開する責任を KAZEさんがどうとらえているかということは、ちょっと理解しづらいところなん です。言葉がきつくて申し訳ないですが、その点は、疑問に思っています。 このことは、もうひとつこういうこともあるんです。ことがシュタイナやクリ シュナムルティだったら、ソースと受容者の関係が明白です。シュタイナの本な ら誰が読んでもまあ、大差ありません。MIZUHOテキストはそうではないんです。 簡単な話が、このテキストが真性テキストであるかどうか、我々には判断のしよ うもないんです。その特権性を、結果としてKAZEさんが隠蔽されているのです よ。たとえば、どっかでオフしてMIZUHOさんをお招きして、そこでKAZEさんと NoBさんが書取ると想像してください。そこでは、テキストが相違する可能性す るあるんです。こんとき、NoB側テキストを公開することには意味があるわけで す。ま、うまく問題の質が伝達できているかどうかわからないのですんで、これ はこれにて。 ついでに。MIZUHOさんという存在について、「疑えばきりがない」というよう な、結果としての信仰を求めるテキストの表現水準自体を僕は前回問題にしたの です。つまり、そうではなく、MIZUHOテキストは、疑うことも信じることもどっ ちからも自由な、文学テキスト、だよ、そうとしか受け取れない提示がされてい るよ、ということなんです。だから、MIZUHOテキストは、この点で、本質的に フィクションなんです。ただ、フリーメーソンとか出てくるのは、ちょっと、公 開するには物騒な感じがするだけで、ま、好きな人が勝手に解釈する、または、 無視する……というたぐいのものです。 ……なんか、NoBさん、いれあげてるなと思ったら、いえいえ、けしてそんなつ もりはないんですが、あとひとつだけ。 僕は、「○○教徒として」というふうに、自己規定されたほうが、むしろ、その 発言の位置が明瞭になると思っています。もしかするとKAZEさんは、宗教という ものを蔑視しておらるのかもしれませんが、共産主義国でなければ、けしてそれ はなんの問題もないことだと思いますよ。信教の自由ですね。 宗教に対して、自分がどういう立場にあるのか、無神論者もまたひとつの異質な 宗教だろうとは思いますが、そうした、発言者のありかたと言葉の関わりに、も うすこし視野を広く明瞭にとらえてもよいように思います。 かく言いながら、別に僕はキリスト者として今発言しているわけではありませ ん。でも、自分がキリスト教徒であることを言明するにのなんの問題も感じませ ん。そういう僕のような人にとってみると、KAZEさんの文章からは、○○教徒で あることが問題であるかのような印象を受けます。 もちろん、印象です。ああ、そういう印象を持つ人もいるんだなという一例にし かすぎませんが。でも、自分は宗教に関わりないといいつつ、MIZUHOテキストよ うな内容をテキスト真性権を保有している状態は、欧米では奇妙なものに見える だろうなとは思います。 NoB - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/08 - 764/767 GDB00064 オリハル RE:もう少しお付き合い願います (13) 93/02/08 00:14 762へのコメント >松田聖子関係は公表していく方針ですか・・何故そこまでこだわるのか >私もその理由をお聞きしたい所ですが、できればそれは一回だけにして >もらいたいです。何故なら私は、松田聖子は好きでないし芸能人関係に >もあまり興味が有りませんので、・・ あなたや私の個人的な好き嫌いで決定できる事柄ではありません。一二三神示に「早よ 型して呉れよ」とあるからです。 >読む人におまかせ、・・ふむ、読む人の立場に立って考え無いと言う事 >ですか?それでは色々と誤解を生む元になると思うのですが・・ちょっ >と気おつけるだけで読み手に与える印象は変るのではないでしょうか? 「印象やイメージ」というのも大切ですが、分かりやすく書いてるつもりです。 >成程、「これはすごい」事が自分の身に起こっているから皆さんに紹介 >したい訳ですね?、でもちょっと待って下さい。その「すごい」事は本 紹介「したい」のではありません。 >てそれは誰かさんの話だけではなくて全ての人に当てはまる事であろう 私もそう思います。ARIONは全ての人に働きかけていると。その中の一つとしてお 考え下さい。 「そうまでして」神につくしている訳ではなく、これが私です。 今後はハッキリと掲示する方針ですので。 ハッキリとおっしゃって下さり、ありがとうございます。今後ももっともっとハッキリ とおっしゃって下さい。(ワタシ ノ セイ ニ シテ、ドコマデ ハッキリ イウ ヒト ナノカナ?) オリハル 765/767 GCC01413 HVHY 当たり前のこと(具体性の前提として…) (13) 93/02/08 01:47 コメント数:1          〜 「時空の掟を破って、伝えし言の葉」 〜  …という詩篇の一節がある。これは、 >>> “チャネリングという事柄は実は「時空の掟」を破る事柄である”  ということを示している。  “「時空の掟」を破る”と言うくらいだから、  それは(少なくとも或る意味で)大層なことだと言えよう。  しかし、それにしては、巷にチャネリングの類いが氾濫している。  「時空の掟」を破っているからこそ氾濫しているということなのか?  TAO さんに対する古いRESの中で、  私は次のような“危ない”内容に触れたことがあった。    「非常に高い神霊(?)が或る特定個人に降りるために、     その個人の近親者に精神異常や障害児が現れることがある…。」  例えば、兄弟姉妹とか従兄弟・従姉妹とかに現れるのである。  このことの真偽についてはともかく、  神霊団が降りる時には“束になって来る”とイメージすることは、  あながち間違いとは言えないであろう。  特に上位の存在が降りるためには、(※ARIONは上位も下位も無いと言う…)  次元の境界にそれ相応の大きな穴を開けなくてはならないので、  下位の存在が同時に大量に流れ込むことになるわけだ。  (※このような説明はせいぜい比喩に過ぎないことに注意されたい…)  現在チャネリングその他の怪しい現象が起こりやすいのは、  次元の境界域で或る種の“交差”が起こっているからに他ならない。  このことに関連して遺伝子の突然変異を思い浮かべた人もあろうが、  その連想は的を得ていると言わざるを得ない。と言うのも、  このような空間の交差の結果が人間の存在様式に変化をもたらすからだ。或いは、  正に存在様式の変化のために空間交差も起こっている…という言い方も出来よう。  そして、これらのことは、最近流行りの「ラプチャー」に関係して来る。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、このように冷徹な調子の解釈は“趣”がない。  しかしながら、ARIONの詩篇には、 >>> 「当然のことのように“危ない事柄”(?)も表現されている」  という点について、今更ながら念を押しておくことも悪くはないと思われる。  ところで、ARIONは、もっと具体的なことを一杯提示しているはずだが…。  (※「預言解読」とは“その具体性”を解明して行くことに他ならない!)                                  HVHY 766/767 GGD02212 *ねぎひさお* RE:八へ帰す。 (13) 93/02/08 07:17 632へのコメント  2月8日という日付にちなんだコメント(コジツケ)です。 >> 一六を八に帰せよ  カバラの知識の無い私が最初に考えたのは、6+1日間の 天地創造(7馴]目はお休み)の次に、また新しい天地創造を 始めよう、ということかな?ってな感じでした。  7(=3+4)を基準にすると8は1オクターブ上の1で、 12(=3×4)を基準にすれば13(12音階)でもある 「新たな円環の始まり」というわけです。  もう少しヒネると、一六(16)を半分の八に戻せということ は、世界は八と八とに分裂している?戻すプロセスとしては、 4と4のクロスを解いて合わせる(16=4x4,4+4=8)と良い?  一六と言えばタルト、伊丹十三のCM…松山周辺の人しか 知らないローカルネタでスミマセン。 一六銀行と言えば質屋さん。 32bitがアタリマエの時代に今更8bitパソコンには戻れない…*ねぎ* 767/767 HFD01514 なえ 発言者削除 :勝手な判断なのでやめた(^-^) (13) 93/02/08 10:22 765へのコメント - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/02/08 - 001/005 SDI00635 みれ ♪開塾の辞♪ (15) 93/02/08 18:03 コメント数:1 =・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=【平成松川塾◎開塾の辞】=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・          開塾の辞を松川塾長から預かっていますので、          ご披露しますね、皆さん(^_^)Y          新たな会議室の始まり始まり〜♪          それでは、みなさん宜しくお願いしますね! ─────────────────────────────────────── 【開塾の辞(建前の編)】  1月28日のみれさんの電撃作戦によって、ついに私も議長職を拝命することとな りました。以前「神秘学遊戯団」において、KAZEさんとTAO さんのプッシュを蹴り返 してしまった私です。ですが、今回は不思議とやってもいいんではないかという気に なりましたので──みれさんのメールが届いたその同じ日に、ARIONが「人生上 の決断は控えるように」というメッセージを出していたことを知っていたにもかかわ らず──翌29日には了承の旨、返事を出していたのでした。  私にとって議長職は、「人生上の問題」でも「重大な問題」でもありませんでした から(と言ったら、少しむっとする人もいるかな)、私は迷うこともなく、すんなり 「決断」することができたんです。  とはいえ、ちょうどその頃、私はパソコン通信とは関係のない個人的な人間関係の 維持に関することで、かなり精神的に混乱していたこともあり、私的な問題について は、まさしくARIONの示唆するような状況にあったことも確かなのですが。です から、その点に関しては、のぼせた心を押さえつけて、いまだに決断を保留している 状態です。  さて、本題に戻りまして、「平成松川塾・日本を考える」という会議室名の由来に ついて申し上げますれば──すでにお察しの方もおられるでしょうが──それはいつ にかかって「神秘学遊戯団」におけるKAZEさんとTAO さんの示唆のお蔭であります。 (KAZEさん、TAO さん、その節は、けったくり返したりして申しわけありませんでし た。私、結局、部屋をジャックしてしまいました。)  ここで「平成松川塾」の方針について述べておきましょう。  私としましては、「サムライの立ち姿」そのものが好きなので、『志村けんのだい じょうぶだぁ』に登場するあの人のように「サムライはいいよな、んー、サムライは いい」としみじみとしながら言っておられれば、それがいちばん気持ちがいいことな んですが、そればっかりというわけにもまいりません。それで特に激動期のサムライ たちと現代の日本人のあり方とをおもなフィールドにして話をしていきたいと考えて おります。  私は歴史書など今まで殆ど読むことがなかったので、底の浅い知識を勝手に解釈し 直してしゃべることも多くなるかとも思いますが、そんなときは、「あんた、そいつ ぁ違うぜ」とカウンター・パンチを食らわして、手力男神(たぢからおのかみ)が天 の岩戸をとっぱずして、長野県戸隠(とがくし)村まですっ飛ばしたように──なん てグレイトなんだ──私をすっ飛ばしてくださいまし。  また、特にサムライだけにこだわるんではなく、いろんな事件や問題を過去現在に かかわりなく、クロスオーバーさせて議論をすすめていくことができたら非常に有意 義なことになるかと思います。つまり、時間を歴史時間に分断して従来の歴史の教科 書のように記述していくだけでなく──もちろん、それも、おおいにアリですが── 分断されて点のようになった歴史の個々の事件を別の空間に一箇所に集めて処理する というような手法を用いても、面白いかと考えております。  みれさんから「『大和心』『日本精神』などについて、多くの人が気付きを得て、 FARIONから強い影響波を送り続けたい」という要望もあり、これらの言葉に関しても 考察を深めたいと考えております。特に、かつては現実に存在し、いまはもはや忘れ られようとしている、男にも女にもあったあの美しき「気概」について──私は思想 うんぬんよりも、これこそ現在の日本にもっとも必要なものだと思っているんですが ──現代の日本の若い人たちがこれに少しでも目を向け、そして思い出していただき たいと切に願っております。  さて、それでは今日より開塾です。みなさん、気軽に遊びにいらっしゃってくださ い。見学だけでもおおいに結構といたしましょう。                           平成松川塾々長 松川 貴 002/005 GGA02514 KAZE 開塾万歳!風之祝辞 (15) 93/02/08 20:06 001へのコメント コメント数:1 やっとオープンしたんですね。 首を長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くして、待っておりましたですよ(^^)。 ネーミングも、期待通りの「松川塾」という、松下村塾ばりのもの。 >特に、かつては現実に存在し、いまはもはや忘れられようとしている、男にも女に >もあったあの美しき「気概」について──私は思想うんぬんよりも、これこそ現在 >の日本にもっとも必要なものだと思っているんですが──現代の日本の若い人たち >がこれに少しでも目を向け、そして思い出していただきたいと切に願っております。 この「気概」については、僕も松川さんと同じく感じる者のひとりなので、 僕なりにこの部屋を応援させていただきたいと思っています(^^)。 ということで、簡単ではありますが、 がんばってくださいね、のエールを送るKAZEでした。 003/005 MHD02672 TAO 吉田松陰と黙霖 (15) 93/02/08 22:32  >松川さん  「松下村塾」ならぬ「松川塾」塾長ご就任おめでとうございます。  結局こういう羽目になってしまって、さぞかし心中はご苦笑なさって  いられるのではないでしょうか(^_^) 。 「松下村塾」と言えば、吉田松陰ですが、個人的にも色々調べている内に  あっと驚かされるようなエピソードが出てきましたので、この場を借りて  紹介させて頂きたいと思います。1990年6月号「プレジデント」誌の記事から  抜粋してまとめたものです。 *********** 吉田松陰と黙霖 ***********  嘉永7年(1854)、幕末の異端の思想家、吉田松陰は、ペリー再来に際して  海外密航を企てたが、失敗し、萩の野山藩につながれた。のちに出獄するが、  政治活動を禁じられ、萩に松下村塾を開く。  松下村塾において松陰は尊攘精神を鼓吹し、門下からは久坂玄瑞、高杉晋作、  伊藤博文、山県有朋、桂小五郎ら幕末維新の俊秀を輩出した。  松陰の弟、梅三郎は聾唖者であった(注…最近FARIONへ来られた方へ。私自身  も生来の聾唖者です/TAO)。  安政2年(1855)、30代半ばの一人の僧が、萩に訪れた。この僧は黙霖といい、  彼もまた聾唖の身であった。黙霖は芸州加茂郡(広島県呉市長浜)生まれの  本願寺派の僧で、やはり僧であった父の私生児である。幼い時から寺へやられ、  聾で唖という障害を背負いながら、和、漢、仏教の学問に通じ、諸国を行脚  して勤王を説いた。  黙霖が萩を訪れたのは、吉田松陰が獄中で著した「幽因録」を読んで、松陰と  論争をするのが目的であった。黙霖は松陰に面会を申し込んだものの、松陰は  「わしが容貌にみるべきものなし」と断り、二人は書簡で論議を始めた。  この時の松陰は、実は「倒幕」の考えを持っていた訳ではなく、「諌幕」を  説いていただけだった。少年時代に学んだ水戸学の影響から抜け出てはいなく、  兄の梅太郎への手紙でも「幕府への御忠節は、すなわち天朝への御忠節にて  二つこれなく候」「君は君道をもて君を感格し、臣は臣道をもて君を感格  すべし」と藩主にも徳川にも臣としての厳格な立場を守っていたのである。  しかし29歳の松陰は、黙霖との論議で完璧なまでに叩きのめされ、  「茫然自失し、ああこれまた(僕の考えは)妄動なりしとて絶倒いたし候」  「僕、ついに降参するなり」  松陰を叩きのめした、黙霖の論というのは、下記のようであった。  「幕府の政治は、支那でいう覇道にほかならず、この国を古えの朝廷政治の  王道にもどさねばならない」  「孔孟の道にしたがい、今の幕府は放伐すべきである」  「水戸学は口では尊王を説くが、いまだかって将軍に諌言をし、天室を  重んじたためしがないのではないか」  そして黙霖は、山県大弐が明和の昔に著した「柳子新論」の筆写本を、松陰に  贈った。  大弐は孟子の放伐論によって徳川幕府を否定し、日本の古代王朝政治に王道を  みようとし、民衆の教化に乗り出したが、弟子の密告によって捕らえられ、  斬首されたという。  この時から松陰の目は開かれ、「開国攘夷」「倒幕」を唱えるようになった。  「僕は毛利家の臣なり。ゆえに日夜、毛利に奉公することを練磨するなり。  毛利家は天子の臣なり、ゆえに日夜、天子に奉公するなり。われら国首に忠勤  するは、すなわち天子に忠勤するなり」  「もしもこの事が成らずして、半途に首をはねられたればそれ迄なり。もし僕、  幽囚の身にて死なば、われ必ず一人のわが志を継ぐ士をば、後世に残し置く  なり」  松陰は黙霖に宛ててこう書き送った。  「僕は口先でとやかくいうのは、生来大きらいで、以上のことも平生は口に  出しませんが、上人のことゆえ申すのです。僕がこのことによって死ぬるのを、  あなたは黙って見てくれよ」  この手紙を読んで、黙霖は毛髪を逆立て、慟哭したという。    *******************************  私自身は必ずしも松陰の思想に全面的に賛同するものではないし、松陰の  天皇観自体も、結局は時代の制限から抜け出せないものだったと思います。  とはいえ、松陰の徹底した自己献身、その苛烈な生き方には胸に深く響く  ものがあるし、その人生に一人の聾唖者が深く関わりあったこともまた、  凡人の自分をもそれなりに鼓励してくれるものでした。「志」の高さとは、  決してハンディキャップにとらわれるものではないという意味で。  後世において松陰像には様々なレッテルが貼られていて、「憂国の志士」  「人道主義者」「侵略主義者」「明治維新の先覚者」「狂熱的天皇主義者」  「排外的反動ナショナリスト」「人民主義的革命家」「天才的教育家」  「維新の軍縮論者」…ときりがないのですが、松陰の生涯そのものに一切  妥協を許さない、想像を絶した激しさが一貫して流れているのは疑えませんね。  徹底した自己棄却といえば、イエス・キリストの生涯が思い浮かべられる  ように、何も「大和心」「日本精神」だけに限ったものではないと思いますが、  現在、日本と名づけられているこの国において、精神の鼓舞を促すであろう  遺産を掘り返すことは、極めて有意義なことでしょう。日本人であるという  こと自体が、即「貴い」とは限らないことを踏まえた上で、日本でなければ  見いだせない遺産を自覚することが、この会議室で大切なキーになるのでは  ないでしょうか。  ここからは私事です。先日私の父が死去したことはご存知だと思いますが、  父の生まれ故郷は九州の熊本で、私も三歳の時まで同地に住んでいました。  父の遺骨は、東京と熊本に分骨することになるでしょうが、いずれ熊本にも  赴くことになるかもしれません。松川さんは宮崎県にお住まいということ  ですから、その際は機会があれば、是非お会いしてみたいですね。  KAZEさんによれば、松川さんと私は何故か印象が良く似ているそうですから。 今後も、気が向いた時だけになるでしょうが、UPさせて頂きます。長く  なりましたので、これぐらいで…。  TAO 004/005 MHD02672 TAO やっぱり先を越されたぁ(^_^;) (15) 93/02/08 22:34 002へのコメント  タイトル通りです。 TAO 005/005 GFD00204 松川 貴     開塾の辞(情念の編) (15) 93/02/08 22:50  開塾の辞(情念の編)  私が、今まで、このFARIONで、いろいろと法螺ばかり吹いてきた真の理由は、おそ らく「日本をどうするか」とか「日本はどうなるのか」というような憂国の情からで はなく、まだ辛うじて自分の内部にありはするけれども、一方では、たえずしぼんで いきそうな激情の澳火(おきび)の確認行為のようなものだったのではないかと思っ ています。たまたま現在の「日本」の状態がそれを刺激したんでしょう。  かつての日本の男たちにはあったあの激烈な炎の力は、今や風前のともしびのよう に弱々しく揺らめいているだけになりました。この点で、私は三島由紀夫の演じたあ の狂態の奥に、「憂国」というような文脈とは別種の力、善悪の判断とは関わりのな い、身体的なエネルギーの最後の爆発のようなものを感じるような気がいたします。  とはいえ、たった今「身体的な」とは申しましたが、はたしてこの形容が自分の感 じ取っているものを正確に表現しているかということになると、少し躊躇するところ もあるのです。「身体的なエネルギーの爆発」を「精神的なエネルギーの爆発」と言 い換えても、私の言わんとしていることに結局なんの違いもないような気もするもの ですから。そのときの「精神的な」という言葉が指しているものは、もちろん道義的 なものでも倫理的なものでもありません。  三島由紀夫のあの儀式を境に日本の男たちは「善人への坂道」をひたすらくだって ゆくようになりました。ですが、その頃は、誰にとってもその「坂道」が「上り坂」 のように見えていたに違いありません。「下り坂」にもかかわらず、一見すると「上 り坂」のように見える、あの坂道のように。  この日本から、恐ろしい男たち──悪人という意味で言っているのではありません よ──が消え去って、久しい時間が過ぎてしまいました。プラトンが『国家』におい て評するところの「針をもたない雄蜂の群れ」が、「自分は善人なんだ」と一生懸命 になって自分に言い聞かせようとしています。(それはなんという痛ましさでしょう か。)それどころか「あなたは本当は善人なんですよ」と囁きかけて金をせしめてい る企業グループまで出現して、せっせと「善人の群れ」を生産し続けています。(屈 伏したのは、はたして日本の「男」たちだけだったのでしょうか。「善人の群れ」の 生産に手を貸してきた自覚なき勢力が、きっと「男」たちの「すぐ側」にも存在して いるはずです。)  しかし、「善人になりたがっている男たち」はその性温順で、御しやすいかもしれ ませんが、彼らは命を懸けて生きることができないゆえ、「せめて善人でありたい」 という自己幻想(それは確かに気分がいいかもしれません)を守ろうとして──なん と彼らはそれがガラクタなんだということに気がついていないのです──、事態をま すます悪化させていくでしょう。彼らは本当は自分に対してこう言っているに過ぎな いのに聞こえないふりをしているだけなのです。「私は何にもかかわり合いにはなり たくないし、自分の手だって汚したくない。それに今の自分だって壊したくない。な ぜなら、そうしていないと善人でいられなくなってしまうから」と。ですが彼ら── あるいは彼女ら──にはその自覚もありません。  そのような男たちではなく、ひそかに自分の心にこう告げる男たちが必要です。 「その時はみごとにこの腹かっさばいてみせよう」  しくじった男たちに対して「腹を切れ」と叫びまわる男たちの側に与するのではな く──それなら何のための「法」か──、どのような場所にいても、ひとりの自分を 感じたとき、ひそかに小声で「この腹かっさばいてみせよう」と自分に告げる男たち が必要です。そして、この部屋がそのような人々のための部屋になることを私は願っ ております。  ただ、以前の「葉隠・どうなる日本精神?」の部屋においてもそうであったように この部屋が依然として盛り上がりに欠けるような状況のままだったとしても、私はそ れほど悲観的にはなりません。このようなことをいうと、みれさんに渋い顔をされる かもしれませんが、たかがマイナーなパソコン通信のFARIONという弱小フォーラム内 における更に力の弱い部屋のすることです。やってくる人々が多いかどうかで部屋の 価値を判断するのではなく──私は「さあ、みんなで盛り上がりましょう」などとい うようなことは本当は恥ずかしくて言えないんです──たとえ、ある人がこの部屋で 一言も発言しなかったとしても、その人がこの部屋からある種の力を得、それを持っ てこの部屋から出ていくことができさえすればそれでよいと考えております。  では、一体何を得て出ていくというのでしょうか。それは一種「情念」のごときも のであって、決して世間受けする学者たちの語る出来上がった「思想」や「構想」な んかではありません。それは学者たちの言葉と格闘しながら、自分たちで見つけ作っ ていくしかないのです。かつて維新の時、多くの脱藩者たちが何か良い方法や考え方 はないかと日本中を駆けずり回り、みずから苦悩し考えたようにです。「『個』の旗 を立て『公』に尽くせ」とはそういうことです。そして私にすれば、そのことの方が ずっと大切なことのように思えます。だから会議室の盛衰に関して、妙な気を回す必 要はさらさらないのだと自分では勝手に考えております。(だから私はたとえ三日で 会議室が消えたとしてもそれでよしとします。)  この部屋は新しい日本のサムライのための部屋です。  けれども、サムライは聖人君子ではありません。酒も飲めば馬鹿も言い、女好きで もありました。だからみなさんもこの部屋で、酒も飲めば馬鹿も言い、女好きであっ てください。  この「開塾の辞」は一種の檄文です。私は意図的にみなさんの心を煽るように書き ました。ですから、決して酔っぱらわないように気をつけてください。  これで表と裏のふたつの「開塾の辞」が揃いました。これからはいつもの調子でま いります。  さて、あなたには「現世の地獄」を引き受ける覚悟があるでしょうか。  そして、「あの世の地獄」までも。                           平成松川塾々長 松川 貴 - FARION MES(18):◆冗談パロディ症候群----------------<01> 93/02/08 - 372/378 GBA01052 CHARAN NHK超スペシャル番組 (18) 93/02/08 11:31 コメント数:1 NHKが凄いドキュメントを作るらしい。 あのムスタンのやらせ番組をいかにして作ったかを、 詳細なドキュメントとして制作し、NHKスペシャルで放映するとか。 373/378 NAG02402 Beijing M/C 見たいし、見せるべき (18) 93/02/08 13:42 372へのコメント コメント数:1  冗談パロディとはかけ離れてしまったが、それ見たい!  見たいし、見せるべきだと思う。だって、ワシントン・ポストは  それをやったんだからね、日本の代表的マスメディアも義務はあるはず  だよん。 Beijing M/C Winter Deeper and deeper and so on and so forth.... 1993 374/378 HFD01514 なえ RE:見たいし、見せるべき (18) 93/02/08 14:19 373へのコメント コメント数:2 うるるるーーん(^ー^;) よこもじで言葉が書ける人・・見ただけで尊敬してしまふ がっこ時代、英語の時間は早弁の常習者だったの えーーん  ←←ごみれす 375/378 GBG02755 スマル RE:見たいし、見せるべき (18) 93/02/08 15:30 374へのコメント コメント数:2 おほほ、似たようなものじゃ。 国文科を選んだのは、何を隠そう英語がだめじゃったからじゃもの。 英語だけではない、その他の科目もすべて苦手だったからじゃ。 とほほ、情けない。                      スマル 376/378 HGG01312 たまご RE:見たいし、見せるべき (18) 93/02/08 18:15 375へのコメント   そして,この私は何を隠そう英語の単位を落としたがために,この一年大学に残  留しているわけである.   おほほほ,みんな仲間でよかったねぇ.(^_^;   試験を目の前にして,気が狂っている,もとい(^_^;気がたっている>わたし     う,う,うぅ,誰か助けてくれえ!!(笑) たまご 377/378 PBA02422 さはし お仲間 (18) 93/02/08 18:32 375へのコメント 似たようなもんですね。(^^;) 国文科を選んだのは英語が無いから(一般教養だとあったけど)、第二外国語に 中国語を選んだのはアルファベットが無いんじゃないかなぁ、と浅はかにも思っ たからでした。あはは…。 378/378 NAG02402 Beijing M/C 英語はね… (18) 93/02/08 21:35 374へのコメント なんか、冗談・パロディの主旨からどんどん離れていく…(^_^;)。  僕がハナタレのガキンチョだった頃(とはゆーものの、そう遠い過去では ない)、出かけるという度に母方の叔母さんによく預けられたんだけれど、 そこでカーペンターズなんかをヘビーローテーションされたり、わずかなが らアメリカ大陸の北部に駐留していた都合上、なんとなく身についてしまっ たものでして、どーしよーもないんです。  ただ、よく日本の英語教育を馬鹿にして「あんなんじゃ喋れない!」なん つー意見を耳にしますが、それはうそでして、日本の英語教育ってのは結構 立派なものです。少なくとも、日本で義務教育を修了しているヒトに関して 云えば、アメリカにいる多くのヒスパニックなどよりはよほど立派な英語を 喋って書けることでしょう。  こーゆーことを書くと非難ゴーゴー!かもしれないけれど、例の服部君が 射殺されたのは、彼の英語力や日本の英語教育よりも、彼自身の常識を疑う べきだと思うわけですな。だって、FREEZEだろうとPLEASEだろうと、云って いるヒトの顔を見ればシャレかどうかなんて分かるもんね、特にホワイトの 場合、見やすいはずだし。  んましかし、聞く部分にウェイトが置かれていないというカリキュラムの 問題とか、教員のレベル(!)の問題とか、英語の音がキレイなヒトに対す るコンプレックスが特に低世代(=受験戦争世代)にあったりするわけで、 それが弊害になってしもうているという悲しき現実もあるわけです。  でもさー、英語を喋れることよりも、微分積分をスラスラ〜と解けた方が、 僕にとってはよっぽど「すげえ…」と思うんだがなー(^_^;)。 Beijing M/C Winter,You're always there! 1993 >−PEH01306 のユーザーからのメッセージです− こんばんわ −PEH01306 のユーザーからのメッセージです− RT来ませんか(^_^;)