- FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/02/09 - 293/296 GCC03437 星也 空を飛ぶ夢・2 ( 6) 93/02/09 04:24 鳥になって空を飛ぶ夢と、ほぼ同時期にみた奴。 今回のは、二人乗りの自転車に乗って空を飛ぶ、という奴である。 別に、自転車に羽根やらプロペラがついているわけではないが、 ある程度助走をつけると、ふっと飛びはじめる。 相棒は、よく夢にでてくる奴なのだが、現実世界ではあった事がない。 街中の高速道路から離陸する。 左手に見えるのは、びっしりと建物が立っている街で、 そのいちばん右側にあたるところに街に沿って高速がある。 高速道路より右は、赤茶けた不毛の山地である。 全体的に、白茶にくすんだトーンで埃っぽい。 上空(といってもそんなに高度があるわけでもない)から見ると 街はうっすらとスモッグに沈んで見える。 高速を車やらトラックが行き来する。 とあるインターチェンジの近くで地上に降りる。 街は途切れる事なく続いているが、このあたりでは少し高速から離れている。 降りた近くに道路標識があり、「XX 関」というように読める。 そのあたりは、常設のキャンプ場のようになっていて、 かなりおおがかりな仮設店舗が並んでいる。 旅行者の休憩地 兼 商人の行商地 のようなところだ。 自転車を止め、相棒は店を物色しはじめる。 見ていると、街(商店街)の様相がときどき変わる。 24時間サイクルで表と裏が変わり、 12時間サイクルでその時でている部分も一部変わるのだそうだ。 巨大な自動機械のように、商店街がぱたんぱたんとしまわれて、 もう一つの側のものが開かれる。 その変換の最中に商店街に入っていると、巻き込まれて押しつぶされても 文句がいえない事になっているらしい。 肉屋で売られている肉の一部はそういう哀れな犠牲者のものらしいという陰口が 聞くともなしに耳に入り、相棒と二人顔を見合わせて、そこをでる。 自転車を押してしばらく行くと、久しぶりにみる芝生があった。 ちょっと気分をよくして自転車に乗ってこぎはじめる。 が、もう少しで離陸スピードになる、というときに、不意に芝生が切れる。 自転車ごと、低い崖の上から池に落ちていた。 どうやら、どこかの誂えられた庭園に迷い込んでいたらしい。 池はそう深いものではなかったが、濁っており、 その浅さのために自転車が破損してしまった。 壊れた自転車をかついで岸に上がる。 濡れ鼠になったし池の水は不快な臭いがした。 整然と手入れされた庭、石畳の小道。 池に面して立つ、中二階づくりの石の建物。 池の際に立つ常緑樹には、手のひらサイズのカメレオンが張り付いていた。 建物の裏にはゴミの焼却をしているのか、焚火が見える。 建物の中から、小太りの白い調理人のような服を来た男がでてくる。 『やぁ、災難だったね、君達。火に当たりたいならどうぞ。  食べるものも、余りものでよかったら、何かわけてあげられるよ』 にこにことしながら、その男がいう。 「いや・・・・・出口を教えてくれないか?」 そういいながら一歩踏み出そうとすると、足元の石畳から 中指ぐらいの大きさのカメレオンが何匹か飛び跳ねた。 思わず、くっついてきたそれを払い落とそうとする。 小太りの男は、そんな様子を眉をひそめて眺め、 飛び跳ねるカメレオンの一匹を素早く空中でキャッチするとそれにくちづけた。 『あぁ、君達はまだ【認識】されていないのか。  そのどれにでもいいからキスしなさい  一匹で十分だ、これは一にして全なるものだから』 そうこう言う間にも、足元にはわらわらとカメレオンがよってきて飛び跳ねる。 げーーーーー気色悪い、というあたりで目が覚める。 カメレオンであったのかどうかははっきりとしない。 どすぐろ緑のやもりかいもりかもしれない(もっと目がぎょろりとしてたけど) (ハワイでみた「ゲッコ」というのが一番近いかなぁ) 両生類も爬虫類も、別に苦手と言うわけではない。 どちらかと言うと、気持ち悪かったのは「小太りのおっさん」のほうだったな。 こんな夢、どんな意味があるんだか・・・・・・ 294/296 GGD02212 *ねぎひさお* 天女の羽衣を見た ( 6) 93/02/09 08:07 288へのコメント  昨日、夢ではなしに「羽衣の舞」を見ました。職場の窓に何か影が過ヨギ るんです。ブラインドを上げて外を見ると、民家の間の駐車場の上を何か 白くて長いものが舞っているのです。よく見ると正体はトイレットペーパー(^^) なんですが、うまい具合に気流が上下に対向する空間が出来ていて、電線 にも引っ掛からず、新体操の手布よろしく「天女の羽衣」を彷彿とさせる 風の精のイタズラ?のようで面白かったです。  *ねぎひさお*のハンドルでは初めまして(かな?)>星也さん。 夢の事をわりと詳しく覚えてるんですね。夢日記でも付けてるんですか? 夢の話、良かったらMES(10)にもUPしてやって下さい。あそこはあんまり 心理学的考察のコメントはつかないようですけど、最近、私のせいで?(^^;) 危なげな話題に偏りぎみなもんで…。  飛ぶ夢は私もたまに見ます。  小学生の時はウルトラセブンになって飛んでたんですが、田んぼの上を 稲穂すれすれに、歩くより遅くという、超低速の低空飛行というか浮遊で パーマンの時速91キロよりもオバQの50キロよりも遅いのです。(^^)  大人になってからは、かなり速く飛べるようになったんですが、ある晩 気がついたら素っ裸で雪の降る中を飛んでいて、あれ以来屋外へは出られ なくなってしまいました。いくら天井をすりぬけても部屋があるんです。  それとは別に、屋外とか屋内とかを超越した次元を急上昇・急旋回する こともありますが… *ねぎ*(Dr.Ray) 295/296 HFD01514 なえ 猟犬 ( 6) 93/02/09 15:27 コメント数:1 今日、この冬初めての猟銃の音を聞いた。心がとても切なくて寂しくなって泣けた。 パンという、あの音には、どこか非現実的な感じがあって、夢かと思ってしまう。 でも追いかける犬の鳴き声が、本当の事なんだと教えてくれた。 毎年の様に、このシーズンが終わると捨て犬が増える。紛れもなく猟犬だと解る。 あんなに一生懸命に主人の為、獲物を捕まえて捕まえて。サヨナラ。 そして、犬達を待っているのは、動物保護のマークを付けた自動車。 オリの中で吠える声を幾度聞いたろう。 その先に待っているのは、この世とサヨナラ。・・それが現実なんだ。 悲しいね。 296/296 GBG02755 スマル RE:猟犬 ( 6) 93/02/09 17:04 295へのコメント 胸がいたむ。 なぜ、殺さねばならないのか。 いとしい我が子を目の前で殺されたら 誰も悲しいだろうが。 どうして動物と人を分けて考えるのか。 どれもいとしい命に変りはないのに。                    スマル - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/09 - 782/783 HGB02122 天祈 .「怒り」 ( 7) 93/02/09 17:19  今日になって、(2/9)何か開ける感覚がありました。  何かは、私にも分かりません。 :閑話休題  昨日、姉から借りたビデオを観ました。  南米アマゾンのインディオが、緑と共に追い詰められて行くという、  なかなか奥の深いビデオでした。  そのビデオでの中盤、インディオが買われて行くシーンで、身を震わす  激しい怒りを感じました。久しぶりの、純度の高い?「怒り」でした。  観終わって、まだこんなに怒れる感情が消えていなかったことを、非常に  嬉しく思った感があります。  ところで、「怒り」に関して一つ疑問に思ったのですけど、「笑い」には、  「抜ける」感情がありますよね。言葉で表現してしまうのなら、頭の天辺が  抜けてしまう、すっきりした感覚です。  「悲しむ」感情にも、そんな感覚があります。思い切り泣いてしまうと、  抜けたようになって、心が軽くなりますね。  「怒り」が終息して行く時、「抜ける」感覚はなく、身の内に「こもる」  感じがありました。  感情が飛び出して行かない−−−そんな感がありました。  私としては、「怒ることが下手になってしまった」と思います。  皆さんはいかがですか?  誰か、理論の一切ない対話をしてみませんか?                          HGB02122 天祈 783/783 HGE03563 OZ弐 ハジメマシテ ( 7) 93/02/09 18:13 みなさんはじめまして。OZ弐といいます。自己紹介は1番会議室に書きました。 ここの会議室を50ぐらいさかのぼって読んでみましたが・・・、 ガーン!・・あれあれ?イメージしていたのと違う・・・(^_^;)。 ・・ま、いいや。(←いいかげんな男) 大昔のログを読んでいて、思ったことを書きます。 理知性について・・・。 「一見筋が通っているように見えて通っていない論理展開。」・・ってやつから・・。 ボクはよくこういった論理思考をしてしまうようです。 正確な論理思考は、「自分を知る」為の分析や議論、社会にあふれる情報の処理・・ ・・等をする為の最低の条件だと思った。 学校に通っていた時代、数学のテストなどでも自分のこの弱点があらわれていたっけ。 ケアレスミス、誤解・・・これは注意力不足でしょうね。(つまり馬鹿) おかげでボクは高校の学力レベルからも落ちこぼれたのであった。 なぜこんなことが起きるのでしょう? 自分は、過食・偏食した食習慣をしていると不正確な論理思考になってしまう、 ・・という知識を持っています。 これは生理的な答えですが、 たいていボクが、問題解決の為に思考して答えをつきつめていくと、 精神的な答えと生理的な答えに分かれます。(ボクは精神世界には肉体問題から入った)例えば上の問題の場合、「注意不足」と、「生理不完全」です。 これは、唯心面と唯物面と両方に原因と結果があるのだというふうに ボクは考えましたがいかがでしょうか? 「悟り」にも肉体の物理的生理的なことからも来るそうです。 結局、生理不完全になる原因をたどれば精神的なものにいきつくので、 最後は唯心に行き着くのですが・・。 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/02/09 - 136/136 HCA01717 オ〜ロラ 地震の予知とは面白いですね(^o^) (10) 93/02/09 05:10 135へのコメント  防衛大の先生が、『虫の知らせ』などを研究しはじめたっていうのは 面白い話ですね> *ねぎ*さん >父には毛が無い (笑)よかったですね、怪我がなくて。 地震の予知とは面白いですね *ねぎ*さん(*^_^*) シンクロニシティの理論体系への興味をそそる話ですね。   えーっとですね、幽体離脱の現象と*ねぎ*さんの体験とは、厳密に言  うと違うと思います。 幽体では神々の世界へは観光旅行が出来ません  し、意識状態も違います。(そのうち解りますよ)   基本的に幽体の離脱では、役に立つ知識は殆ど得られませんし、ろく  な事もないので、"幽体"の離脱は無い方が良いと思っています。   このての事をあんまり詳しく話をしてると、私が危ない奴っていうの  が完全にばれてしまうので、この辺で(^^;)  (既に、ばれているか(^^;)) HCA01717 オ〜ロラ - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/09 - 775/782 PAG03543 NOISE RE:会議室上でのMIZUHOメッセージの中止 (11) 93/02/09 00:08 771へのコメント コメント数:1 会議室上でのメッセージ紹介中止の件について、 まあ、仕方がないという感じもしますが、 その経緯に関しては、なにか腑に落ちない、というか後味がわるいですね。 指摘のあった「固有名詞」が何にあたるかは判断し兼ねますが、 「フリーメソン」批判については何も問題は無いと思います。 でもKAZEさんの心労を考えると、やはりHPでの展開が正解なのでしょう。 HPよりもパティオのほうが融通がきいていて便利だと思いますが、 パティオは料金が高いですからねぇ。 ここには書けない「私的情報」もあるということで、楽しみです。 それにしても白山媛さんの御働きが気掛かり…… *-*-*-*-*-*- 今日の磐山語録です。        ==================================         [209]                        人を猿と思へば、                 思ふ人が猿になるだけのこと。                                  ==================================  ダーウィンは尻の真っ赤な猿になり        ============================================         [210]                            自分の持ち合わせている「自由」を知らずに、            人の持っている自由を欲しがる。                                         ============================================                    磐山『草店家風』より 子供のころいつも遊んでいた土手、 向こう側の土手の芝がいやに綺麗にみえて、 それに比べるとこちら側の土手は……… しかし向こうの土手に立って、こちらを眺めると………。 776/782 GGA02514 KAZE MMライブ(^^;) (11) 93/02/09 00:44 766へのコメント シュメールさん、MMの愛読者だそうで、どうもです。 >正直なところ私にとっては、シュタイナーもクリシュナムルティもMMも大した違 >いがない。ここの「なんでもあり」のなかにいっしょくたになっておかしくないも >のだ。 僕がこの遊戯団でMMを紹介したのは、まさに「なんでもあり」的ノリで、 多くの方が他のテーマと同じように受け取ってくださると 「ノー天気」に思っていたのですが、そういう方は意外に少なかったようですね。 >宗教性みたいな判断ベクトルは私には場違いに思えた。人を引き付ける魅力のあるテ >キストは実はすべてが宗教的になってしまう。MM自体もそのスタンスは新しくない >ものだけど、まさに現代において発せられていることと、ここでしか私には読むこと >の出来ないものだ。で、私にとっては貴重な情報なのです。 僕は、大学の時にテクスト理論とかいうものを主に勉強してきたので、 同じタイプのテクストでも、読者のそのプラグマティックな意味づけによって まったく異なったテクストとして機能すると、当然のように思っていましたから、 「宗教性」という「判断ベクトル」は、読者の「意味づけ」が大きいと感じています。 つまり、テクストのプラグマティックな要件として、 そこに「宗教」というファクターを、どのように持ち込むかによって、 そのテキストの機能的ポジションが決定されるということなのです。 ・・・とかいうふうにいうと、また「ノー天気」さを暴露してしまうのですが、 確かに新しくないスタンスであるにもかかわらず、 一種のライブ感というのがMMには感じられるのではないかと、思っています。 でも、そのライブ感というのが裏目に出てしまうと、(^^;)(^^;)(^^;)になります。 ま、こんなこと書くとまた誤解されるからやめときましょう。 ともあれ、この場ではないけど、読みたい方にだけMMが読めるように したいと思っていますので、またごひいきに、のKAZEでした。 777/782 GGA02514 KAZE 内的平静 (11) 93/02/09 00:45 768へのコメント せしもさん、どうも。 ご紹介いただいたGの「意識した苦しみ」についてですが、 それに似たことをシュタイナーは、神秘学徒のための修行のひとつとして、 「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」でとりあげています。 それは、せしもさんが例を挙げておられることととてもよく似たことです。 >例えば、ある人がこれから毎日3食後に歯を磨く、という決心をしたとして、 >それを実行する際に発生するジレンマのようなもの、を想定して頂けると良い >かと思います。 これは、思考と感情のいとなみを、日常の経験からいったん切り放して、 自分の体験する一切を「外から」見ることのできるようにするためで、 それについて、次のように延べられています。 神秘学徒は毎日、わずかの時間でもよいから、日々の仕事とはまったく異 なる事柄のために費やす時間を確保しなければならない。時を費やす仕方 もまた、日常の他の場合とはまったく異なっていなければならない。とは いえ、この特別の時間が対象とすべき事柄と日々の仕事の内容との間にま ったくなんの関係もないかのように考えるべきではない。反対である。正 しい仕方でこの特別の時間を費やす人は、やがてこの時間の中から、日々 の課題のための充実した力が受け取れることに気づくであろう。この規則 を遵守するとすれば義務を果たすべき時間が奪われるのではないか、と考 える必要はない。もしこの規則のために費やすべき時間が本当にもてない というのなら、毎日5分間だけで十分である。むしろどのようにこの5分 間を使用するかが大事なのである。 これによって、修行者は、自分自身をさも他人であるかのようにみなし、 冷静に観察することのできる能力を身につけることができます。 この体験をシュタイナーは「内的平静」と呼んでいます。 > しかし、引用文中の思考の苦しみ、感情の苦しみ、っていうのはどういう >ことを指すのか釈然としません。(^^;) なにか、思い当たることがありま >したらお願いします。 単純にいうと、思考だけで苦しむと、生命力を使い果たして、 まさに枯渇した狂気に身を置くようになるということでしょうし、 感情だけで苦しむと、要するに感情に溺れて、自らの精神の方向性を見失い、 それこそ感情の海の中で永遠にさまよい続ける狂気に陥ることになる、 ということなのでしょう。 知だけに偏って、杓子定規にものをとらえすぎるタイプが前者であり、 情だけに偏って、いわゆる執着だらけの生を送るタイプが後者でしょうね。 ちなみに、シュタイナーは次のように述べています。 大切なのは完全なる内的平静を保ちながら、感情と思考の両方に注意力を集 中することである。心を平静に保ちながら、内部に立ち現れてくるものに沈 潜する行を続け、特定の時点に到るなら、これまで知ることのなかった種類 の新しい感情と思考が内部に立ち現れてくるのを体験するであろう。 ま、「行」についての詳細は、輪読会の最後の「行」に関する章に さしかかっているところですので、それを参考にしてくださればと思います。 「行」についてのマップづくりという意味でも シュタイナーの神秘学というのは、なかなかのものではないか なんて、勝手に思っているKAZEなのでした。 778/782 NBG00612 岳同 RE:会議室上でのMIZUHOメッセージの中止 (11) 93/02/09 01:31 771へのコメント コメント数:1 KAZEさん、こんにちは。 しばらく留守にしてたんですが、随分動きがあったみたいですね。 MIZUHOさんの件は、落ち着くところに落ち着いたと言う感じで、 正直いうとほっとしています。 うまく言い表せないんですが、MIZUHOさんのメッセージを偏向していると 感じる感覚とそうでない感覚というのは、その人の根幹の部分で、 どちらの人に対しても、尊重しなければいけないと思っています。 その意味で、賢明な判断をされたと思います。 今回のことは、色々勉強になりました。 いろいろ、言いすぎた反省も含めて、皆さんありがとうございました。 779/782 GGA02514 KAZE テキスト・プラグマティック (11) 93/02/09 10:47 774へのコメント NoBさん、どうも。 >MIZUHOメッセージが、特定宗派の聖典類と、テキストにおいてまったく差異がない ということですが、「テキスト」というものはそんなに実体的なものなのでしょうか。 同じAという表記を持つテキストでも、そのテキストというのは、 発信者と受信者の機能的関係性によってその「意味」が決定されます。 テキスト内的なfiktivな発話者と聞き手の関係にしても、 そのテキストの埋め込まれたプラグマティックな状況によって そのポジションというか「意味づけ」というのはさまざまです。 もちろん、だからといって、何を語ってもいいかということにはなりませんが、 僕の提示したつもりのプラグマティックな枠組みというのは、 「特定宗派の聖典」であるテキストと全く異なったものだと思います。 それを「特定宗派の聖典」としてみなすという行為は、 それをそういう機能テキストとして意味づけすることによって色づけられます。 >このことは、もうひとつこういうこともあるんです。ことがシュタイナやクリ >シュナムルティだったら、ソースと受容者の関係が明白です。シュタイナの本な >ら誰が読んでもまあ、大差ありません。MIZUHOテキストはそうではないんです。 >簡単な話が、このテキストが真性テキストであるかどうか、我々には判断のしよ >うもないんです。その特権性を、結果としてKAZEさんが隠蔽されているのですよ。 「シュタイナーの本なら誰が読んでも・・・大差ない」とは言い切れないですよ。 僕自身の経験だけから言っても、そのプラグマティックな機能は、 予測のつかないくらいにさまざまな「意味づけ」を発現させています。 それと、「真性テキストであるかどうか」ということについてですが、 それについての「判断」については、程度問題だと思います。 どんなテキストにおいても、その「真性」を判断するためには、 傍証を固めていく以外に方法はないはずです。 こうして僕の「生産」しているテキストにしても、「真性」であるかどうかは、 まず「判断」できることではありません。 「NoBテキスト」についても同様です。 もしかしたら、この「KAZEテキスト」を「NoB」という具体者が 生産している可能性もあるわけです。 >たとえば、どっかでオフしてMIZUHOさんをお招きして、そこでKAZEさんと >NoBさんが書取ると想像してください。そこでは、テキストが相違する可能性す >るあるんです。 断っておきますが、そしてNoBさんがそれをどう受け取るかはどうでもいいことですが、 紹介しているテキストは、僕が書きとったものではありません。 誤字脱字とかはあると思いますが、僕の「隠蔽」というのはないです。 もちろん、テキストのプラグマティックな構図においてはありえますが。 >MIZUHOテキストは、疑うことも信じることもどっちからも自由な、文学テキスト、 >だよ、そうとしか受け取れない提示がされているよ、ということなんです。 そうですよ、前回にも、僕はその提示の仕方については 再度コメントしてあるつもりです。 ま、それでいいんじゃないでしょうか、というのが この会議室で紹介したMIZUHOテキストのプラグマティックな「幅」だと思います(^^)。 >もしかするとKAZEさんは、宗教というものを蔑視しておらるのかもしれませんが ということですが、僕がいいたいのは、 この会議室で僕のとっているプラグマティックなポジションは、 あくまでも「特定宗派」とかいう「宗教団体」的な制約から自由でありたい ということであって、「宗教」それ自体を蔑視しているつもりはありません。 誤解があったとしたら、誤らなければなりませんね。 僕の尊敬している西田幾多郎にしても「宗教」ということを大テーマとしているように 「霊性」の探求という意味でも「宗教」については、非常に尊重しているつもりです。 ただ、僕自身としては、宗教団体に所属している者としての信徒というあり方に そんなに共感がもてないということは確かにあると思います。 「信仰」ということについても、そうした宗教団体の教義としてのそれから 自由なスタンスであれば、非常に重要なテーマだと思っています。 小林秀雄も「本居宣長」で「知」に対する「信」の優位(?)ということを 述べていますが、そうしたことについても自分なりに理解しているつもりです。 >でも、自分は宗教に関わりないといいつつ、MIZUHOテキストような内容を >テキスト真性権を保有している状態は、欧米では奇妙なものに見えるだろうな >とは思います。 ま、「欧米では奇妙なものに見える」っていうのはどうでもいいことですが、 僕がMIZUHOテキストの「真性権を保有している」という言い方は好きではないし、 かなり誤解されやすい言い方だと思います。 それと、「欧米」という表現は、「日本」との対比で用いられたものですか、 #773との関係で判断すると、欧米の「国家憲法」のことを 意味しているのでしょうか、なんだかよくわからないですねえ。 ま、テキストをめぐるプラグマティックな様態というのは なかなかにむずかしいものがあるなあと感慨も深いKAZEでした。 780/782 GGA02514 KAZE RE:会議室上でのMIZUHOメッセージの中止 (11) 93/02/09 10:47 775へのコメント NOISEさん、どうも。 会議室上でのメッセージ紹介中止の件について、ですが、 やっぱり僕の想定していたキャパシティをこのフォーラム参加者が有していない、 ということにでもなるのでしょうね。 ま、僕は「弱虫」で、もめごとを回避したいタイプなので、そういうことです。 >指摘のあった「固有名詞」が何にあたるかは判断し兼ねますが・・・ というのは、ま、ある種の固有名詞がでることで、 ある種の宗教団体からの苦情がでるかもしれない、という まあ、理解できるともできないともいえる考え方なのです。 そういわれてみれば、もしそういう状況になったらとってもコワイですからね(^^;)。 >「フリーメソン」批判については何も問題は無いと思います。 これまでにもこの会議室では幾度か批判的に取り上げたことがあるのに、 今回のテキストでそれが問題になるのも、それなりのインパクトがあったということで なかなか参考になったのではありました(^^)。 >HPよりもパティオのほうが融通がきいていて便利だと思いますが、 >パティオは料金が高いですからねぇ。 「パティオ」って知らなくて、早速調べてみましたら、確かに料金が高い(^^;)。 やっぱりHPの拡張あたりが妥当な線なのでしょうね。 >ここには書けない「私的情報」もあるということで、楽しみです。 ううん、大したことはないかもしれないけど、 この会議室よりも少しは「無責任」に言えることもあるということです。 >人を猿と思へば、        >思ふ人が猿になるだけのこと。  ははははは、ですね。 >MIZUHOテキストを宗教団体的信仰強要テキストと思えば、 >思う人が宗教団体的強要信仰保持者になるだけのこと。 ということにもなりましょうか(^^)。                          >自分の持ち合わせている「自由」を知らずに、 >人の持っている自由を欲しがる。    「自由」という文字を分析してみると、 「自ら」の「由(よし、わけ)」、ということになります。 だから、「他」の「由」をほしがっても仕方ないのですが・・・。 自らの「由」について知り、かつ信じていたいKAZEでした。 781/782 GGA02514 KAZE RE:会議室上でのMIZUHOメッセージの中止 (11) 93/02/09 10:48 778へのコメント 岳同さん、どうもです。 >うまく言い表せないんですが、MIZUHOさんのメッセージを偏向していると >感じる感覚とそうでない感覚というのは、その人の根幹の部分で、 >どちらの人に対しても、尊重しなければいけないと思っています。 そうですね、やはりこうしたテキスト受容の問題は、 受容者の「自由」ということを最大に尊重する必要があると思います。 >今回のことは、色々勉強になりました。 僕もいろいろ学ぶことが多かったと思います。 ま、これからはMIZUHOテキストに関しては、 読みたい方だけしか読まないということになるわけで、 また、その新しい展開についてもちょっとだけ期待しているKAZEでした。 782/782 GGA02514 KAZE MIZUHOメッセージ・ルームのオープンについて (11) 93/02/09 11:38 昨日もお話させていただきましたように、 諸事情により、MIZUHOメッセージのこの会議室上での紹介を中止します。 そして、メッセージの継続分につきましては、 HP(ホーム・パーティ)を開設させていただき、 そこで紹介を続けたいと思っています。 HPといっても、パスワードは公開とさせていただきますので、 読みたい方はどなたでも読めるようにさせていただきます。 もちろん、今後パスワードを公開することで、何らかの支障がある場合は、 パスワードの公開を見合わせる可能性もありますが、 それはいまのところ考えておりません。 で、パスワードは「MIZUHO」ということにします。 HPへの入り方は簡単で、 >GO HP >1 >GGA02514 >MIZUHO で入ることができます。 詳しいコマンド等については、「GO HP」すると解説が読めますので、 それでお願いします。 いろいろありましたが、これで少し落ちつけるかもしれないと 相変わらず「ノー天気」に構えているKAZEでした。 - FARION MES(12):★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 93/02/09 - 487/487 MGH00465 アキラ 倒産 (12) 93/02/09 10:37  先週末の日刊ゲンダイに(親が切り抜いててくれたので、何日のだったかわ かりません(^^;))、「東京ドームの上映が大失敗 映画『エイトマン』で出版 社倒産」との記事が載っておりました。  記事によれば、リム出版の映画の失敗により、関連会社のエー・ブイ・エス (リム出版の書籍の発売元となっているところです。住所はリム出版と同じ) が負債総額12億円で倒産、とのこと。記事中の民間の調査機関のコメントによ れば、8マンの興業で6億円の赤字が出たとのことです。  なお記事中、「今月中の『8マン』のレンタルビデオが出る予定だが」とあ りますが、このビデオがアニメのものか映画のものかは不明。しかし、その筋 からの情報によれば、アニメも映画もビデオ化については行われる模様です。 MGH00465 アキラ - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/09 - 768/774 JBH00742 COOL RE:「夢」と、言えば。 (13) 93/02/09 02:01 760へのコメント  こんにちは、スマルさん。  やっぱり、スマルさんの夢と私の現実(今回は夢もですが)はリンクしてます。  2月6日の初午の日の夜に、私は人と待ち合わせを地下鉄の駅でしてまして、  結局、待ち合わせの時間から2時間半後に(^^;)、  電車に乗って(こういう書き方では判りにくいですが)雲の場所???へ  向かったのでした。  そして、その次の7日の朝に私が見た夢は、  「離婚をしている両親が、親戚一同(2〜30人は居たか)と?一緒に  雲の場所???へ訪ねてくる」  といったものでした。  こんなとこです。  では、また。(“がむばって”下さいね。) 769/774 GBG02043 維/YUI 書き込み数増やしのために・・ (13) 93/02/09 02:02 と・・いうわけなので、いつもの”息抜き”です。 何かを決めること・・・なんでもいいけど。 なぁぁんとなく決めてしまえることやら、やたらと悩むことやら・・・あるけど、 無理矢理自分の心を曲げてまで、どちらかにしなくてはならない・・とは思わない。 けれど、わかりきっている答えを心に持ちながら、決められずにいるのは、 物事に対して失礼なのかもしれない。 だから・・・なんだってわけじゃないんだけどね。 ついでに、どういうことを決めたか・・・にかかわらず、問題はけっこうその後、 決めた後の行動の方だったりすることが多い。                             維/YUI。 770/774 JBH00742 COOL 再び、烏山神社について (13) 93/02/09 02:42  昨日(2/7)は人と連れだって、  以前話題になっていた烏山神社へ再度お参り?してきた。  今頃になって、HVHYさんが危惧されていたことの意味が判った(気がする)。  やはり、お稲荷さんが怒っているのは、お賽銭を盗まれたからではないだろう。  人がどのように神様を祭ろうが、勝手なのかも知れないが、  ^^^^^^^^^^^^^^  その責任は各人が負うしかないと言える。  しかし、少なくともカミゴトに係わる各人の良心に従えば、  「勝手にすればよい」とは言えないだろうし、私も言うつもりはない。  北陸の地方では地震が起きたという。  人は神様にも我慢の限界というものがあるということを  覚えておいたほうかよいのかも知れない。  「白山比売」は怒っているに違いない…。 771/774 HFD01514 なえ 拮抗 (13) 93/02/09 09:55 コメント数:1 :ARIONより心ある者達へ : この力の拮抗が長く続くことが望ましい。 : どちらかが圧倒的な勝利をおさめることは、大きな亀裂を生じさせる原因となる。 : 亀裂は「巌(イワヲ)」の内部にまで影響を与える。 #770より : 北陸の地方では地震が起きたという。 : 「白山比売」は怒っているに違いない…。 あたしは今回の地震は、ARIONの言う亀裂はイワヲの内部にまで影響を与える。 という結果・・と感じていた。 出来るだけ拮抗を長く続けよと言ったのに、完全ではない結果として地震は起こったの か・・・と。もしくは、それだけで済んだのかと・・・。 ARIONはメッセージを与える。私達は聞いた限りその示された方向へと努力する。 拮抗を希望するなら、その方向へ・・。でも、・・・。 地震で傷ついたからとて、誰の責任に思う者は居ない。自然の驚異にさらされただけな のだから・・。果たして、それだけなのだろうか。 あたし達は聞いた以上、責任があるのか。無いのか。 真実とは何なのか。与えられた言葉に、自身としてどう生かして行くのか。 聞いたからには何が出来ようか。問いかけたい。 772/774 GBG02043 維/YUI RE:拮抗 (13) 93/02/09 12:25 771へのコメント コメント数:1 やっほ〜、なえさん!! 最後の問い掛けの答えは、私達一人一人の心の中にすでにあるって、 私は感じています。 何を聴こうと、見ようと、感じようと、 その時、自分に出来ることは決まっているはず。 それに気づくか、気づかないか、気づかないふりするか、 そして、行動するか、しないか・・・は、責任あるはずです。 与えられたものを生かすか殺すかは、その人の”自由”・・・なのかも・・・。                           維/YUI。 773/774 HFD01514 なえ RE:拮抗 (13) 93/02/09 12:58 772へのコメント うるるーーん。消しに来たらRES付いてるん。(^ー^;) 解ってても、自己ジレンマがちとあったんだ。これが。単なるグチ グチグチグチm(_ _)m 774/774 SGR02310 雄牛の角 教えて下さい。 (13) 93/02/09 17:22  突然ですが、誰か「シオンの議定書」についての書籍を知っておられる方は  いませんか?  特に、原文をそのまま訳したものが欲しいのですけれど。  どなたか教えて下さい。                       SGR02310 雄牛の角 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/02/09 - 006/013 MHF01607 える エネルギーの爆発☆??? (15) 93/02/08 23:39 コメント数:1  私は何にもかかわり合いにはなりたくないし、自分の手だって汚したくない。 それに今の自分だって壊したくない。なぜならそうしていないと善人でいられなく なってしまうから。。。← ハイ、本音です。m(__)m ペコリ  やだいやだいっ、サムライなんかになりたくないやいっ 腹も切りたくなぁい 善人でいたぁぁい で、何が悪いのん?  なぁんて開き直って日々生きてる んだなぁ、私は。  でもさ、松川さん(お初におめにかかりまする(^_^))が書いてる「エネルギー の爆発」って表現になんかひかれるものを感じてしまった。 今、皆が(もちろん 全員とは限らないけど)毎日バブルバブルして生活してるじゃない? あ、経済的 には、はじけちゃってるけど精神的バブルって私達が生まれた頃からずーーっと 存在してる様な気がするのね。 これってもしかして、松川さん仰るところの 「エネルギー」が放出されるとこがなくって、仕方無くブワブワァって滲み出て きてるんじゃないかなーって思ったりするんだわ。 「エネルギー」のいきどころ がないってゆーかね。。。 そゆ「エネルギー」がなくなっちゃってるんじゃない んで、実はあるんだけど放出されるとこがなくなっただけ・・・みたいな。。。  よく「平安」時代と「戦国」時代が交互にきているなんて言われるでしょ。 で、今が「平安」時代なのかなぁって・・・(もちろん世界各地でいろんな戦いは みられるけども)。 で、そーゆー時があってもいいんでないかなと思ってみたり するのだわ。 でも、この考えってリベラルに見ようとして、実はリベラルに見れる 頭がなくって、相対的にしか考えてない ただの「3無思考(無気力、無関心・・・ あとなんだっけ?)」なのだ。。。 う〜う〜 どっかに突破口見つけたい。  まだ、発言一桁なのに、乱文誤字脱字の極み文章でごめんなさいm(__)m ペコリ                           MHF01607 えるっ 007/013 GFH02347 ゾウリムシ 祝開塾 (15) 93/02/09 00:32 コメント数:1  開塾おめでとうございます。 私も、私なりに応援さしてもらいたいと、思っています。 とりあえず・・・・・ゾウリムシ・・・・・ 008/013 GFD00204 松川 貴     RE:開塾万歳!風之祝辞 (15) 93/02/09 08:11 002へのコメント コメント数:2  どうもKAZEさん。  「平成松川塾」の名付け親こそ、KAZEさんであります。しかし、奇妙なことになっ てしまいました。  私は吉田松陰についてよくは知らないので、この会議室名が「松下村塾」を連想さ せるとしても、私は何とも言うことができないのです。  長州人は頭から入って心に至り、身体を爆発させました。だから長州の若者を動か すためには、吉田松陰という人物があの場所にはどうしても必要だったのでしょう。 長州人は本来インテリ集団だったからです。  一方、薩摩人は頭から入る必要はありませんでした。ですから、薩摩からは過激な 思想家は出ておりません。これらのそれぞれ独自の個性を持った集団がいずれ新たな エネルギー体を形勢していきました。しかし、長州征伐で喧嘩したもの同士が手を組 むというのは感情的にはとても大変だったことでしょう。  私は勝海舟ファンなので、海舟にあやかって「松川伝習所」か「松川操練所」とで もしようかとも思ったのですが、これでは会議室の趣旨が違ってきます。これらは船 の動かし方を勉強するところでしたから。  そういうわけで、やはりKAZEさんの示唆の通り、現在の会議室名を採用したという わけなのです。  面白い会議室ネタがあったらこれからも是非お願いいたします。                                   松川 貴 009/013 GFD00204 松川 貴     RE:吉田松陰と黙霖 (15) 93/02/09 08:12 003へのコメント  どうもTAO さん  吉田松陰のおもしろい話題をUPしていただいで感激しております。なるほどそう いう裏面があったんですか。  私とTAO さんがどこか似ていると最初に指摘されたのはKAZEさんの奥さんでした。 去年KAZE夫妻が延岡に立ち寄られた時のことです。私は小さくてやせっぽちです。  そうですか、お父さまが……。お父さまは熊本のどちらの方だったのでしょう。私 の父は高千穂町の近くの上野(かみの)の出身で──ほとんど熊本県との境にありま すから、使う言葉が「〜たい」を使う熊本弁と同じです──、曾祖父の代にどこから か流れてきたそうです。父の話によるとなんでも刀を刺していたということで、7人 のお妾さんを持ち、現在残っている子孫はそれぞれ母親の違う二人の妾腹の子から生 まれた人々です。本妻には子がなかったのです。それまで高千穂周辺には松川という 姓はなく、今松川を名乗っている家はすべて曾祖父にゆかりを持っています。高千穂 上野の本家は現在はただのお百姓さんです。  父は「ひいじいさんは刀を刺してやってきた」と言いはしても「武士だった」とは 言いませんでした。父にもそれらの点ははっきり分からないらしいのです。それで私 は弟と一緒になって「そりゃあ多分ヤクザだったに違いない」などと言って笑ってい ました。私の曾祖父の正体はいまだによく分からないし、それ以前の話になるとお手 上げなんです。いずれルーツ探しでもやってみたいですね。  そうですね、私も一度TAO さんとお会いしてみたいと思っています。なんせ私はま だKAZE夫妻としか直接あったことがないものですから。しかし、これらのことは縁で すから、それほど慌てることもないかとも思っています。いったいTAO さんてどんな 方なんでしょう。                                   松川 貴 010/013 GFD00204 松川 貴     RE:エネルギーの爆発☆??? (15) 93/02/09 08:14 006へのコメント  えるさん、どうも。 > やだいやだいっ、サムライなんかになりたくないやいっ 腹も切りたくなぁい >善人でいたぁぁい で、何が悪いのん?  なぁんて開き直って日々生きてる >んだなぁ、私は。  えるさんっ、ちっとも悪くなんかありませんよ。でも、なにもしなければ自分に対 してリアクションがやってこないだろうと思い込んでいることがいけないんです。あ なたの回りを取り囲んでいる力は、あの映画『プラトーン』の中に出てくる村の場面 のようなものです。  突然得体の知れない何かがあなたのもとを訪れてあなたの生活をかき乱します。あ なたは耐えきれずにぎゃあぎゃあと叫び始めます。しかし、その力は眉ひとつ動かさ ず突然あなたに対して引き金を引くのです。ズドン。彼は引き金を引く前にニヤリと すらするかもしれません。あなたは死に、後には議論だけが残されます。  次は、あなた自身の番です。(あなたはそう考えたことはないのですか?)                                   松川 貴 011/013 GFD00204 松川 貴     RE:祝開塾 (15) 93/02/09 08:14 007へのコメント  ありがとうございます。ゾウリムシさん。                                   松川 貴 012/013 GGA02514 KAZE 明治維新の志士たち●その1 (15) 93/02/09 14:43 008へのコメント 松川 貴さん、どうもです。 開塾にあたって、何を書き込もうかと思ったのですが、 やっぱり明治維新関連のものがいいと思って、 先日、地方誌に掲載したビジネスマン向けのシリーズものに ちょうど「明治維新の志士たち」と題してちょこちょこっと書いたものがありますので ちょいと手直しして、2回に分けてUPしてみたいと思います。 一般向けということで、そんなに突っ込んだものではないですが 気軽に読んでいただければ幸いです。 それと、僕はあまり自分の担当会議室を出ないことにしてたのですが、 期待の「松川塾」ですから、今後何かテーマを決めて、 シリーズものかなにかで、紹介してみたいと思っていますので、よろしく(^^)。 ============================================================================== ●明治維新の志士たち ============================================================================== 鎖国政策をとっていた江戸幕府が西欧各国からの圧迫によって開国を迫られ、それま の封建的なあり方では立ち行かなくなってしまっていたころ、日本をなんとかせねばと 立ち上がった男達がいた。彼らの多くは歴史の渦の中に飲み込まれてしまったが、今な お語り継がれる者たちも多い。今回は、あの明治維新にあたって活躍した志士たちのな かから、とりわけ個性的に生き抜いた幾人かを選び、その残した言葉をみながら、現代 のわれわれビジネスマンにとっての教訓を学んでみたいと思う。  この明治維新という時代をあらためてふりかえってみると、ある意味ではこの現代と いう時代はあの時代をさらにスケールアップした「維新」、つまり「世界維新」とでも と呼ぶにふさわしいのではないかと思えるくらい、世界ではさまざまな政変が起こって いる。その事件は、ベルリンの壁の崩壊やソ連邦の解体などに象徴されるような、まさ に世界の新体制へと向かう政変で、その波は今やこの日本という国にも押し寄せてきて いるように感じている方も多いのではないだろうか。  世界がこれほど激変している今、われわれビジネスマンも眠っていることは許されな い。今や、世界の開国が迫っているのだ。さあ、君はどうする。あの明治維新に立ち上 がった志士たちのように、君も世界維新に立ち上がってみないか。明治維新の志士たち の残した言葉が君のなんらかの指針となれば幸いである。 ●坂本龍馬/脱藩と出会い● 「扨(さて)も々々人間の一世ハ、がてん(合点)の行ぬハ元よりの事、うんわるいも のハふろよりいでんとしてきんたまをつめわりて死ぬるものもあり、夫(それ)とくら べてハ私などハうんがつよく、なにほど死ぬるば(場)へでてもしなれず、じぶんでし のふと思ふても又いきねバならん事ニなり、今にてハ日本第一の人物勝憐(ママ)太郎殿と いう人にでし(弟子)になり、日々兼而思付所(かねておもいつくところ)をせい(精 )といたしおり申候。(中略)国のため天下のためちからおつくしおり申候。どふぞお んよろこびねがいあげ、かしこ。三月廿日。」  明治維新の志士たちの中でも一番人気はなんといってもこの坂本龍馬である。この坂 本龍馬は、特に著作を残しているというわけではないが、書簡や各種記録が宮地佐一郎 氏によって全集としてまとめられていて、上記は、龍馬が土佐を脱藩して一年後、姉乙 女にあてて送られた手紙である。司馬遼太郎氏が「幕末文学という棚があるなら、龍馬 の手紙はその書簡文学の筆頭に位置づけられる」と評しているように、確かに龍馬の手 紙は途方もなく自由で飾り気がなく、ユーモアにあふれていて、他では類のないもので ある。上記に紹介したものからもそれは容易に推し量ることができる。  この手紙の内容にもあるように、龍馬は土佐を脱藩した後、幕府の開明派である勝海 舟の門人となり、神戸海軍操練所に隣接する海舟の私塾の塾頭をつとめ、やがて亀山社 中、海援隊を率いることになる。貿易に対幕戦争にと活躍し、薩長連合の実現にこぎつ け、「五箇条の御聖誓文」のもとになった「船中八策」を策定するなど、その後の龍馬 の大活躍は目をみはるものがあるが、すべての発端はこの勝海舟との出会いにあるとい っても過言ではないだろう。  しかし、龍馬の真骨頂は、「脱藩」にみられるような「天下」を大局的にみながら即 行動に移ることのできる行動力と、犬猿の仲でもあった薩摩と長州を経済協力という次 元で結び付けた発想力と交渉術の妙にあり、それに勝海舟をはじめとしたさまざまな人 間との出会いが絡み合ってはじめて、あの偉業は成し遂げられた。つまり、「出会い」 を最大限に生かすという、われわれビジネスマンにとってももっとも大切な基本中の基 本を最大限に利用することのできる能力が龍馬にはあったということだろう。  出会いは誰にでもある。行動していれば「誰か」に出会えるはずだ。しかし、同じ人 物に出会ったとしても、それを生かすも殺すも、自分次第である。「会う」といっても その質がすべてを決する。その出会いをいつまでもただ面識があるというだけにとどめ ておくか、それとも、同じ話題について語り合えるようになるのとでは天と地の開きが ある。同じ語り合うというのでも、表面上の話に終わらせるのではなく、お互いの魂の 底がふれあえるまでになれば、その「出会い」は本物である。龍馬は、誰と会うのでも 真剣勝負で、しかも持ち前のユーモアを常に忘れなかった。まさに、現代のビジネスマ ンに要求される多くの要素はこの龍馬に見いだされるようである。 ●吉田松陰/必死と無私● 「それ戦闘の理、死を必すればすなわち生き、生を幸(こいねが)えばすなわち死す。 ・・・必死をもって幸生に敵すれば勝たざるなし。」  極めて激しい人であった。極端といえば、極端を地でいった人だった。吉田松陰は何 よりも「忠誠心」を大切にし、「功心」、つまりみずからの欲得ということをなにより も嫌った。幕末の長州藩において対外危機意識下において、自己の生き方、どのように 忠誠をつらぬくかということはメインテーマだったのである。  松陰にはどちらかというと、諸外国からの海防策といったことについての具体的なビ ジョンは希薄だったし、その思想というのはさらに乗り越えて行かざるを得ないものだ ったけれども、あの松下村塾からは、高杉晋作。久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などの 、それ以降の時代を担った多くの志士たちが育っていったように、教育家としてはずば 抜けていたことは確かである。そして、その教育のもっとも根幹にあったのは「忠誠心 」、つまり自分のためでなく、それを越えた大いなるものへの「無私」にあったといえ るのではないだろうか。みずからの「生」にこだわることこそが「死」に他ならない。 自らを捨てて、「必死」になったときにこそ、活路が開かれるということなのである。  30歳の若さにして処刑されたときに諸友にあてた告別の書においても、松陰は、幕 府のため、藩公のため、天子のため、という3つの死すべき理由をあげながら、「三の 宜しく死すべきありて死す、死すとも朽ちず。またなんぞ惜しまん。」と書き残してい る。  もちろん、「お国のために死ね」とか「会社のためなら命をも惜しむな」ということ を推奨するつもりはさらさらないが、だからといって、「自分さえよければ」というこ とばかりを考えている現代の多くの方々にとって、この松陰の「必死」と「無私」の精 神は、傾聴すべき多くのものがあることは確かである。  「自分にとって命をかけてやりたいロマンはあるか」という問いかけに対して、どれ だけの現代人が「もちろん、ある」と答え得るだろうか疑問である。この世でもっとも 幸せなことは、みずからを投げ捨てても賭けられるだけのロマンをもつことであるとい うと、古くさく聞こえるかもしれないが、その古くて新しい発想が忘れ去られて久しい 今、松陰の情熱にふれてみると、自分がいま悩んでいるいろいろなことのほとんどが、 あまりにも自分中心のつまらないことであることに気づくことができるだろう。  しかし、そうした「みずからの信じるもののために死ぬ」といえるような「狂」を有 しているといえるためには必要条件がある。それは、むやみな狂信のことではない。多 くの人から優れていると認められながらも、あえてそうした「狂」を選択しているとい うことが大事なのである。つまりは、並の人間は「狂」になる資格さえないわけである 。  凡なるわれわれは、松陰のような「大いなる狂」にはなれそうもない。けれども、せ めてセコセコとした自分本意をときには捨てて、無私で何かに賭けてみることも必要な のではないだろうか。 ============================================================================== 013/013 GGA02514 KAZE 明治維新の志士たち●その2 (15) 93/02/09 14:52 008へのコメント ============================================================================== ●西郷隆盛/敬天愛人● 「道は天地自然の物にして、人は之を行なうものなれば、天を敬するを目的とす。天は 人も我も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり。」  有名な「遺訓」の言葉である。その中には、こんな言葉もある。「人を相手にせず天 を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人をとがめず、わが誠のたらざるをたず ぬべし」。西郷は「誠」、「心情の純粋さ」を貫いて行動した豪傑であった。  これほどの大きな人物というのは過去の日本の歴史を見回してみてもほとんど見あた らない。それは西郷が徹底して「天」を相手にしていて、つまらない小さなことには無 頓着であったからかもしれない。その「天」を相手にすることを単なる机上の空論とし て論じるのはたやすいことだが、それをみずからの行動指針とすることはなかなかでき るものではない。しかも、その「天」に対するに、みずからの「誠」をもって対すると いうのである。  先の松陰は「忠」によって「無私」であろうとしたが、この西郷は「愛」によって「 無私」であろうとしたようである。その両者に共通するものは、徹底した「無私」の精 神であり、それはやはり大いなるものへの思いであろうと思われる。  こうした方々のことを知るにつけ、人間の「器」ということについて深く考えざるを えなくなる。その「器」の大きさというのは、どれだけ「天」を相手にすることができ るか、そして「無私」であることができるかということ次第であるようである。自分の 欲得絡みのことばかりにこだわってばかりいると「器」が大きくなるはずもない。  ビジネスマンにとっては、日々の目先のビジネスというのも無視するわけないはいか ないが、やはり「天」を相手にする気概がなければ、大きなことはできないというのも 事実である。そして、基本は「我を愛する心をもって人を愛する」という「無私の愛」 ということでもあるようである。 ●勝海舟/行動と責任● 「行蔵は我に存す。誉は他人の主張、我に与らず。」  「行ないは自分がするが、批評は他人がするもので、自分には関係しない。」この勝 の思想は、その全生涯を貫いていた思想のように思われる。有名な話だが、次に取り上 げる福沢諭吉は「やせ我慢の説」で、「二君に仕えた幕臣」として、この勝海舟と榎本 武揚を批判している。勝は、確かに徳川幕府の最終最高責任者でありながら、その後、 明治政府に参加し、海軍大臣や枢密顧問官にもなっている。確かに、「二君に仕え」て いるわけである。こうしたあり方は、確かに日本人の多くの方の批判を喚起したことだ ろうことは容易に推察できる。  では、勝は単に無節操で無責任だったかというと、決してそうはいえない。勝はそも そも「徳川幕府か天皇か」とかいう選択をしていたわけではなかった。彼は、日本の国 家というレベルで発想していたのである。彼はなによりも、日本を外国と堂々と対する ことのできる強い国家として新生させることを考えていたのである。  この発想を勝はどこから学んだかといえば、彼が福沢諭吉とともにアメリカに渡った とき、アメリカ市民に「ワシントン大統領の御子孫は、今どうしておられますか?」と 聞いたとき、「そんなことは知らない、関心もない」と答えられたことに端を発してい るようである。当時の日本では、将軍の子孫について知らぬ者はいようはずはなかった から、これは大きな驚きであった。恐れを知らぬ勝は、帰国後、江戸幕府の老中に、「 アメリカでなにを学んだのか」という質問をされ、「アメリカでは、無能力者が世襲性 で要職に就く例はまったくない」と答え、顰蹙をかったようである。  その点では同じ発想をしていた福沢諭吉でさえ、「二君に仕えた」という表現をして いたほど、当時の日本の世論は開けたものではなかったのだが、勝はそんな世間の批評 などにはおかまいなく、「行動あるのみ」の人だった。ただ、この勝は、そのようにド ライな反面、責任感にあふれた人間であって、明治維新後、ずっと徳川幕府に関係して いた方のために奔走し続けていた。それをあえて言い訳せずに、もくもくと自分の考え を実行しつづけたところに、また勝の魅力もあるといえる。  この「言い訳をしない」ということはとっても大切で、「言い訳」というのは、すれ ばするほど真実味を失うという側面と、それが新たなる行動へと移っていくときのブレ ーキになるという側面とがある。仕事上でなにかクレームがついた場合にも、まず大事 なのは「行動」であって「言い訳」ではない。その順序を間違うととんでもないことに なる。もちろん、行動したからといって解決するとは限らないが、しないと状況はもっ とずっと悪くなることは確かであるし、その結果が最終的に報われないときもあるだろ うが、やれるだけのことはやった、それに対してどういう評価が下ろうが甘んじて受け る、という気持ちが大切だろうと思われる。  勝の視点は、は「主君」とかいう発想を越えた「国」全体の方向づけにあり、その視 点から目をそらすことはなかった。しかし、みずからの「責任」に対しては言い訳をし ない「行動」によって対した。つまり、足元をしっかりみすえながら、みずからの向か うべき方向をしっかりと見つめていたのである。この勝海舟から学ぶことは本当に多い 。もっとも傾聴すべき維新の志士である。 ●福沢諭吉/独立心● 「一国の独立は国民の独立心から湧いてでてることだ。国中を挙げて古風の奴隷根性で はとても国が持てない。」  福沢諭吉はあえて明治新政府に仕官しなかった。意図的に「一身独立」を掲げて、明 治政府から尊敬を受けながら、国家経営のコンサルタントのような助言を求められてい たのである。福沢がなによりも新国家に望んだことは、自由で独立した国民の気風、自 由で独立した文明社会であり、「単一主義の社会」、つまり独裁的な国家による管理社 会では決してなかった。多くの自由な考えをぶつけあって論争していくことによって、 個人も国家も強く進歩していくことを求めていたといってもいいだろう。それまで続い てきた日本の封建制度は、はなはだしい「管理社会」に他ならなかったからである。  福沢がもっとも大切に考えていたのは「議論」である。ところが、現代の日本を眺め まわしてみると、議論のできないひとのなんと多いこと。議論するということは、問題 提起をするということであって、問題提起をするためには「自分の意見」というものが なければならないから、「自分の意見」のないひとには必然的に「議論」するための必 要条件がないといっていいからである。  この「議論」ということの基本はいろんなひとが意見を戦わせていくことであろうが 、自分の心のなかでの「議論」ということがまず大事である。自分のなかにあるいろん な意見をさまざまに戦わせてみて、それによって「自分の意見」というのを導き出して くることがどうしても必要である。多くのひとは、悲しいことに、それができないから 「議論」ができないのである。自分の中で「議論」する習慣をつけていくと、自分のな かにある偏見というのも発見できる可能性がある。ある種の客観性を自分の中に育てて いくことができるのである。  福沢が晩年に残した演説にこんなのがある。 「世の中の交際をおそろしく綿密にし、議論をやかましくして、人の言うことには一度 や二度では承服しないようにこねくりまわして、そうして進歩の先人となって世の中を デングリ返す工夫をすると、こういうことに皆さんも私もやりたい。私は死ぬまでそれ をやる。あなたがたは命の長い話であるから、なにとぞしてこの人間世界、世はいざ知 らず、日本世界をもっとわいわいとアジテーションさせて、そうして進歩するように致 したいと思う。それが私の道楽、死ぬまでの道楽。なにとぞ皆さんも御同意下さるよう に。」  ビジネスの世界でも「議論」は大切で、ビジネスマン同士、めいっぱいアジテーショ ンしあって、日本を世界を「進歩」させようではないか。世界維新の足音はもうはそこ まできている。あなたが、その志士となる時代がきているのである。「ビジネスマンよ 、大志を抱け」。  どうだっただろうか、明治維新の志士達の心意気が伝わってきただろうか。それぞれ がそれぞれの生を賭して駆け抜けたあの時代が君の心のなかに甦り、さらにその舞台が これからの君の駆け抜ける時代へと舞台を移し、新たな世界維新の幕を切って落とすこ とを願っている。 ============================================================================== - FARION MES(18):◆冗談パロディ症候群----------------<01> 93/02/09 - 379/381 GBG02755 スマル RE:英語はね… (18) 93/02/09 08:37 378へのコメント 英語がしゃべれるのと同じように、 微分積分がわかる人には尊敬の念が感じられる。 何せ、高1のとき、数学の先生を目指した私が、 それを諦めたのは、微分積分、三角関数がだめだったからで、 高2のときには、0点をどうどうと取っていたのでした。                     ≠ィのれを知らぬやつ スマル 380/381 HFD01514 なえ RE:英語はね… (18) 93/02/09 14:18 378へのコメント にゃはは ふりーずぷりーず。でもって、かき氷ちょうだい・・(^ー^;) へ?殺してくれぇ?ってか・・おいおい (少しは冗談パロってましたかぁ??(^ー^;))ト トリアエズ トリツクロッテオイテ..... あの服部君の為に歌を作ったとか、署名しょうとか、けっこう運動してますねぇ。 なーーんか違うって思いますが・・・ま、よしとこ。←←非難ごーごーされそう 非難ごーごーと言えば、ポッ*ごーごー。と言えば、まっはごーごー。酒屋ネタ やっぱ日本語→英語って、あのすご・・もとい守護・・もとい主語術後・・もとい 主語述語が、さかさまってとこが馴染めないのでした。 このお弁当は誰が持ってきたの?  って  誰?持ってきたこの弁当 という書き方すんだぁね。確か・・・。?????????????????? (^-^)v