- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/02/13 - 083/105 SDI00635 みれ マスター正式就任!! ( 2) 93/02/12 23:33 コメント数:2  さはしマスターが、腫れてぢゃなくて晴れて「正式」なマスターとして、 居酒屋を仕切って(^-^;)くださることになりました…パチパチパチ!!  これまで以上に…なんて言うと体力の限界になっちゃうっ!…くらいに、 マスターはいっつも頑張って居酒屋のノレンを守ってくださっていたので、 これまで通りに(^_^)Yよろしくお願いしますねぇ>マスター          ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ★ - FARION MES( 4):【操舵室】お知らせ・提案など--------<01> 93/02/13 - 097/097 SDI00635 みれ Sub-SYSOPメンバー変更です ( 4) 93/02/12 22:38  FARIONのSub-SYSOPを務めていただきましたGREY氏が、ご都合でSub-SYSOPを 辞められましたので、ご報告します。  短い間だったけれど、色々とサポートしてくれてありがとうっ!>GREY  現在FARIONのSub-SYSOPは、アキラくんと放浪惑星くんの二人となりました。  以上、ご報告まで。             ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ★ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/13 - 791/791 JAE00201 竜人 怒りについての私見 ( 7) 93/02/13 00:45   怒りについてです。私は自分を見ていく  過程で自分の中にある怒りというものを3  種類に分けられると思いました。  (1) 他人の私に対する言動、行動等で出て    くるもの。  (2) 自分の言動、行動等が自分の望んでい    るもので無い時に出てくるもの。  (3) 他人の他人に対する言動、行動等で出    てくるもの。   1と2については自分というものが見え  て、何をすれば良いかという事を納得?し  その上で行動していければいずれは消えて  いく?(これが、ひらがな氏言うところの  怒りをごまかす為の行動?)と思うのです  が・・・。   3についてはそれが近くで起きている事  ならば、それなりに動く事も出来ると思う  のですが・・・。遠くで起きてる事や大き  過ぎる事だと何処に怒りを持っていけばよ  いのか?貯まりに貯まった怒りはどの様な  形で吹き出すのでしょうか?今の私にはま  だ判りません。   この文自体まともな見方で書かれている  のかどうかも自分では怪しいのです。皆さ  んの意見をお待ちします。                   竜人 - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/02/13 - 560/560 GGD02212 *ねぎひさお* RE:Vデーには誰と…(また) ( 8) 93/02/12 23:46 559へのコメント ハロー.>YAHATAさん。 恋人は遠くにありて想うもの…良いですね(^^) 夫婦は近くにいると(気が)重いもの…笑えない人はだあれ? イヤミに聞こえた人にはゴメンナサイざんす。 Vデーに媚薬…Wデーには座薬(意味なし) *ねぎ* - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 93/02/13 - 081/084 JBE01051 言 予定論から>始めて書きます。 言です。 ( 9) 93/02/12 21:35 063へのコメント いきなり、UPしてしまいますが、お許しください。 猫が好き様、言と申します。 この会議室に書き込みたいと思いますので、 どうか宜しくお願い致します。 岡さん、そして、皆さん、始めまして。 どうか宜しくお願い致します。 岡さんのMSGに先ず、惹かれました。 この会議室のご意見、読ませていただきました。 キリスト教について、詳しく、調べておられるのですね。 クリスチャンなのでしょうか。それとも、学者さんですか。 私は、どちらかというと、神学よりも、 聖書の解釈に興味があって、いろいろ、勉強してきました。 聖霊論、天使論、黙示録解釈等です。 それを少しはまとめてみたんですが、発表する場もありません。 それで、当面は、皆さんのお話しについていってみようと思っています。 さて、予定論ですが、既成のキリスト教の多くが予定論を唱えていること、 自分達は選ばれ、信仰を受け入れない人は滅びに定められていると 思い込んでいること等は確かだと思います。おっしゃられたように、 特に、カルヴァン主義に顕著に現れていると思います。 善行をしてもしなくても、選びに関係が無いという論理を示す 予定論というのは、宿命論に通じる論理かも知れないと思います。 私は、善行を促さないような神学であれば、 善に叶っていない可能性もあると思っています。 既成のキリスト教会は神との和解を主張しているのですが、 それは、その仲介者としてのイエスから権威を委ねられた 教会がその取りなしをするというものです。 その際に、洗礼を受けたり、使徒信条を 信仰告白することを求められると思います。 アタナシウス信条によれば、救われたいと願う者はみな、 三位一体の信仰を守る必要があるというだけでなく、 守らなければ、疑いもなく、永遠に滅びる、と規定されています。 しかし、三位一体論でもまだ、その意味すら明確ではないようです。 聖霊という存在について曖昧ですし、イエスは絶対者であって、 且つ、人間であるというよく分らないことを主張しています。 そういう不確かな信条を完全に守ることをクリスチャンであることの 条件としている訳です。それに基づいて、受け入れなかった者は 永遠に滅びると言うのは、無茶な話しだと思います。 私は、これは受け入れていません。 始めてですから、これくらいにしますが、 私をクリスチャンであると思っておられたら、 少しは、誤解があるかも知れません。 イエスの言葉に従う者ですが、既成のキリスト教徒ではありません。 私の立場は、カトリックでもなく、プロテスタントでもありません。 独自の立場です。 1993/2/12              言 082/084 PFB00276 コスモ RE:猫が好き さんの問題提示に興味があり ( 9) 93/02/13 01:01 077へのコメント コメント数:1 お久しぶりです。個人的感想です。もし、議事進行上不適切なら削除してください。  占星術や血液型占いを信じる割合が90%を越えるというお話しがありましたが、占い信奉者を多数擁するFFORTUNEや超常現象を扱うFMISTYから参加を募りたいところです。  今回の発言は、私自身の個人的感想なので立場をはっきりさせることが必要であると思いましたので少し述べます。  私はこのNIFTY上の西洋占星術ゲームの作成者であり、「生命と宇宙のリズム」の関係 を調べるコスモバイオロジー(宇宙生態学)を研究者です。この学問は基本的には「占星術」とほとんど同じテーマを扱いますが、当然のことながら、「信じる、信じない」といった立場ではなく、客観的な研究を行ないます。  そして、時々は、熱心な占いファンに質問をしてみるのですが、多くは「占い信者」と呼びたくなるような主観的な発想をしているように感じました。  どうも、宗教信者の場合と同様、熱心な信奉者ほど否定的意見には、自己崩壊の危機を感じるようで、なかなか客観的な議論は難しいと思いました。基本的には、頭から客観的な発想を否定する場合と、科学的な占いであると主張していながら実証的な姿勢がゼロに等しい場合と2通りあるようです。  ユング派の心理学者は占いを活用していると聞きますし、ユング自身が占いの研究をしています。ですから、占いやオカルトに価値を認めないわけではないのですが、盲信あるいは狂信となりますと、信者自身の中だけなら勝手であるとも言えますが、やはり大衆を「食い物」にすることにつながります。(大多数の占い師はもちろん、効果のほどはともかく、本人の信ずる所にしたがって精一杯、相談者にアドバイスをしていると思いたいですが。)  求める者がいるから供給があるとも言えるわけですが、「占い師」の中には「悪徳宗教家」と同じ人種がいます。  昔は占いは聖職者の仕事でした。今では「占い師」は一般に宗教家ほど倫理感を求められてはいないので言行不一致の心配はそれほどありません。しかし「占い」から「徐霊」や「壷」の購入につながりベラボウな金額を巻上げられた方もいます。  宗教に比べて占いはより現実的に現世利益そのものです。被害者の側にも弱味があり、そこに付け込まれたとも言えます。現世利益を求める欲望が需要を生み、占いを存続させています。しかし肥大化する欲望は、占いでは基本的には解決しません。開運の名の下に欲望の再生産をしてしまいます。現世利益宗教も同じことです。欲望のぶつかり合いが争いを生み出します。挙げ句の果には呪詛まで行なう有様です。だれでも幸福になる権利はありますが、それは調和の上でのことでしょう。  現在のオカルト、精神世界、超能力、新興宗教も、結局は欲望に振り回されて心の安定を失った者を、さらに深みに落としています。このような欲望からの離脱を解脱と称して寄付を求める場合もあります。社会福祉施設にでも寄付させるなら納得もしますが、教団に寄付させるのでは?マーク付の教団です。  私自身が占いゲームを作りながら、このような発言をすることは言行不一致となるでしょうか?  たぶん、社会的な需要の多くは欲望に根差しているでしょう。ここでは言い訳は必要ないでしょうが、正直に申しまして、私のゲームも欲望の再生産がないとは言えません。このような私からすれば、常に自分の内なる欲望と闘っている方なら、少なくとも言行不一致は大きくならないと期待したいと思います。聖職者はそれで良いと思います。                               コスモ 083/084 PFB00276 コスモ RE:猫が好き さんの問題提示に興味があり ( 9) 93/02/13 12:37 082へのコメント コメント数:1 この会議室は初めての発言だったかもしれません。何分以前の会議室とメンバーが似ている為間違えていたらごめんなさい。                      コスモ 084/084 PEH01124 猫が好き♪ RE:猫が好き さんの問題提示に興味があり ( 9) 93/02/13 14:39 083へのコメント  歓迎レスをつける趣味はないんですが、多分間違ってはいないと思います。 そう言えば以前の某フォーラムの会議室とほとんど同じメンツだ(笑)。 - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/13 - 806/807 GGA02514 KAZE シュタイナー輪読会●第13章 (11) 93/02/13 01:58 =============================================================================    ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」(イザラ書房) =============================================================================    ●第13章/東洋の行法とキリスト教の行法(P159〜176)●概観 ============================================================================= ●東洋の行法 東洋の行法においては、グルに従うことが要求される。東洋の道師が与える指示は8 つもグループに分けることができるが。あくまでもそれは東洋の道の性格についてだ けについてしか述べられるものではない。 1)禁戒(きんかい) ヨーガの修行を行おうとする者がしてはならないことすべてを指す。「嘘をつかない。 殺さない。盗まない。放蕩しない。熱望しない」という掟である。ヨーガの教えにお いては、禁戒は非常に厳しいものである。だから、簡単にヨーロッパに移植すること はできない。 2)勧戒(かんかい) 週狂的な慣習を、守るということである。インドでは、この規則に大きな注意が払わ れている。宗教的な慣習から離れれば離れるほど、自分は高貴だとヨーロッパ人は思 う。ヒンドゥー教徒は逆に考え、宗教儀式を遵守する。だれも、宗教儀式に口出しし てはならないのである。 今日、ヨーロッパでは、多くの人々がドグマを超越していると信じている。しかし、 自由思想家、唯物論者こそ、ひどいドグマ狂信者である。東洋のヨーガの道師は、賢 者と民衆を結ぶ形式から抜け出さないように、と要求する。この太古の神聖な形式は 最高の真理の建設者なのである。形式なしには、いかなる文化も存在しない。そうで ないと思うのは、錯覚である。内的なものは、形式を通して外的に表現されねばなら ない。近代文化は形式を失った。文化はふたたび形式を獲得しなければならない。魂 の中に生きるものを外的に表現することを、学ばねばならないのである。形態は人間 の共同生活の条件となる。このことを古代の賢者たちは知っていたので、宗教的な慣 習を守ったのである。 3)座法(ざほう) 瞑想するときの姿勢の取り方を意味している。これは、東洋人にとってはヨーロッパ 人にとってよりもずっと重要なことである。ヨーロッパ人の身体は、精妙な流れに対 して、もはやあまり敏感ではなくなっているからである。東洋人の身体は、精妙な流 れに対して、東から西へ、北から南へ、上から下へと流れる流れを容易に感じ取る。 世界には、このような霊的な流れが流れている。このような理由から、教会は決まっ た方向に建てられている。だから、ヨーガの道師はヨーガ行者に決まった姿勢をとら せる。 4)調息(ちょうそく) ヨーガの呼吸である。これは、東洋のヨーガの修行の、非常に重要な部分である。呼 吸法はキリスト教の修行ではほとんど問題にされず、それに対して、薔薇十字的な修 行ではふたたび問題にされる。 霊的な発展にとって、呼吸はどのような意味をもっているのだろうか。「殺さない」、 「生きものを害さない」という掟のなかに、すでに呼吸の意味が含まれている。隠れ た道師は、「おまえは息をすることによって、まわりのもを殺しつつある」という。 私たちは酸素に満ちた空気を吸い込み、体内で酸素を炭素と結合させ、炭素を吐き出 す。炭素の中では、いかなる人間も動物も生きることができない。私たちは息をする たびに絶えずほかの生き物を殺しているのである。隠れた道師は、このあり方を変え ることを考えた。私たちが地球を崩壊させずにすんでいるのは、植物のおかげである。 将来、この過程は違ったものになる。霊的な進化を理解した者は、他の人々が将来行 うことを、いますでに始めるのである。修行者は、呼吸によって生き物を殺すことを やめなければならない。それが調息、呼吸学である。ヨーガ行者は、空気をできるだ け汚さないようにすることを学ぶ。空気を利用しつくすことを学ぶのである。この秘 密は、ヨーロッパの秘密の学院では、つねに知られていた。その秘密は、賢者の石、 あるいは哲学の石の製造と呼ばれてきた。 将来、人間は自己をつねに拡大し、いま植物に委ねていることを、自分でできるよう にする。人間は鉱物界、植物界を通過していったように、またその道を戻る。人間は 植物になるのである。植物存在を自分の中に受け入れて、すべての経過を自分の中で 行うのである。つまり、人間は炭素を自分の中にとどめ、意識的に、植物が今日無意 識に行っているように、炭素から自分の身体を形成する。こうすることによって、人 間はみずからの身体の基盤を、みずから構築することができる。これが、未来の遠大 な理念である。こうなれば、人間は何も殺さないようになる。 5)制感(せいかん) 感覚的な知覚を抑制することである。弟子に対して、隠れた道師は、「何分かの間、 ひとつの感覚的印象にとどまり、ほかの印象に移行しないようにしなさい」と語る。 6)凝念(ぎょうねん) どのような感覚的印象に対しても、目を閉じることができるようにならねばならない。 あらゆる感覚的印象から目をそらし、表象として残ったものだけを思考の中にしっか りとどめなければならない。 7)禅定(ぜんじょう) 感覚的な対応物がない表象を瞑想することを、禅定という。 ヨーロッパ人が知ろうともしない、表象、感覚的印象に由来せず、自分でつくり出さ ねばならない表象がある。たとえば、数学的な表象である。ほんとうの三角形という ものは外界には存在しない。ほんとうの三角形は、考えることができるだけでらる。 8)三昧(さんまい) 長期にわたって、感覚的な対応物のない表象の中に沈潜し、そのなかに精神をやすら わせ、その表象で心を満たす。そうして、その表象を消し去り、意識の中には何もな いようにする。しかし、普通の人間のように眠りこんではいけない。意識をしっかり 保っていなければならない。この状態の中で、高次の世界の秘密があらわになりはじ める。 ---------------------------------------------------------------------------- ●キリスト教的な修行 何をなすべきかを知っており、誤りをつねに正しい位置に戻すことのできる道師の忠 告にしたがって、このキリスト教的な修行は行うことができる。しかし、偉大なグル はキリスト自身である。だから、キリスト・イエスが実際に実在したということを、 固く信じることが必要である。そのように信じることができなかったら、キリストと 結ばれているという感情を持つことは不可能である。この偉大なグルについてふれて いる文献は、ヨハネ福音書である。ヨハネ福音書が、修行の指示を与える。このこと は、外的に信じられるだけでなく、内的に体験できる。ヨハネ福音書を正しい方法で みずからのなかに受け入れた人は、キリスト・イエスを証明する必要がなくなる。そ の人はキリスト・イエスを見いだすからである。 この修行は、何度も繰り返してヨハネ福音書を読むだけではなく、その内容について 瞑想するものである。ヨハネ福音書は、「はじめに言葉があった。そして、言葉は神 のものであった。言葉は神であった」とう言葉で始まる。これらの言葉は正しく理解 するなら、瞑想の材料であり、禅定に似た状態で受け取られねばならないもである。 朝早く、ほかの印象が魂の中に入ってくるまえに、ほかのことをいっさい頭から排除 し、五分間、もっぱらこの文章の中に生き、何年も、完全な忍耐をもって、この修行 を行うものは、これらの言葉が単に理解の対象であるのではないことを体験する。こ れらの言葉が隠れた力をもっていることを体験し、その力を通して、魂の内的、神秘 的変化を体験する。修行者はこれらの言葉を通して、霊視的になる。そして、ヨハネ 福音書のなかに述べられていることを、アストラル的に見ることができるようになる。 道師の指示に従って、修行者は7日間、まず冒頭の五節を瞑想したあと、第一章全体 を魂の中に通過させる。次の週も同様に、冒頭の五節の瞑想の後、第二章を魂の中に 通過させる。このようにして、第一二章にいたる。その時点で、すでに偉大な、圧倒 的な体験が得られるはずである。そして、第一三章にきたら、修行者はキリスト教的 な秘儀参入の個々の段階を体験することになる。 1)洗足 キリスト・イエスは、自分よりも低い者たちのところまで身を沈める。私たちの下に 立ち、私たちに進化を可能にしてくれている人々に対する謙虚さが、世界のいたると ころに存在しなければならない。 人間は全自然に感謝しなければならない。そして、人間社会の中でより高い地位にあ る者は、より低い地位の者に身をかがめ、「これらの勤勉な人々が、私のためにつら い仕事を果たそうとしなかったら、自分はいま立っている場所に立つことはできなか っただろう」といわねばならない。 このようにして人間存在の段階を昇って、キリスト・イエス自身にまで行き着く。キ リストは、謙虚に使徒たちに身をかがめ、「おまえたちは私の基盤である。“最初の 者であろうとする者は、最後の者でなければならない。主人であろうとする者は、す べての者の下僕でなければならない”という言葉を、私はおまえたちにおいて実現す る」という。 洗足とは、喜んで仕えようとすることを意味する。まったき謙虚さで身をかがめるこ とである。これが霊的に自己を開発しようとする者にとって、一般的な感情とならね ばならない。 修行者がこの段階に達したことは、外的な徴候と内的な徴候とから知ることができる。 外的な徴候は、自分の足に水が注がれるかのように感じることである。内的な徴候は、 自分が大勢の人々の足を洗っているのが、夢の中でアストラル的なヴィジョンとして 見えることである。 2)鞭刑 ここまで前進したなら、鞭打ちのところを読み、それを自分に作用させる一方で、人 生の鞭打ち確固として立ち向かうことを学ばねばならない。このことの外的な徴候は、 身体中に点のような傷みを感じることである。内的な徴候は、夢の中で、自分が鞭打 たれることを見ることである。 3)茨の戴冠 自分が所有する最も聖なるものに関して、嘲笑され、馬鹿にされても毅然と耐えるこ とを学ぶのである。このことの外的な徴候は、重苦しい頭痛を感じることであり、内 的な徴候は、茨の冠をかぶせられる自分の姿をアストラル的に見ることである。 4)磔刑 ここで新しい感情が形成されねばならない。自分自身の身体が最も重要なものだとい う感情を克服するのである。自分の身体に対して、一辺の木に対すると同様に、無関 心にならねばならない。私たちは自分の身体を一生担い続けながら、それを客観的に 観察する。身体は私たちにとって、十字架の木になったのである。その際、私たちが なんらかの道具を軽視しないように、自分の身体を軽視しないことが大事である。こ のことの外的徴候は、瞑想の時間に、聖痕にあたる場所、両手、両足、心臓の高さの 右胸の部分に、赤い点が現れる。内的な徴候は、修行者が自分自身が十字架にかけら れるヴィジョンを見ることである。 5)神秘的死 地上的なものの空しさを体験し、実際にしばらく、一切の地上的なものに対して、死 んだようになることである。その際、いたるところを闇が支配し、地上界がその中に 沈んでしまうのを、アストラル的なヴィジョンとして体験する。 6)埋葬 単に自分の身体が客体であるのみならず、地上で私たちを取り巻くすべてを、自分に 属するものであるかのように感じるのである。自分の身体は、皮膚を越えて広がる。 修行者はもはや孤立した存在ではなく、地球全体と結合する。地球は私たちの身体に なったのである。修行者は、大地のなかに埋葬される。 7)復活 復活は言葉では説明できない。それゆえ、神秘学では、「第七の状態は、魂が脳から 自由になった者によってのみ思考されうる」という。どのようにしてこの段階を体験 するかをキリスト教の隠れた道師は指導する。 この第七段階を生き抜いたとき、キリスト教は魂の内的体験となる。修行者はキリス ト・イエスと完全に合一する。キリスト・イエスは修行者の中に存在するようになる のである。 ---------------------------------------------------------------------------- 807/807 NBG00612 岳同 アトランティスについて (11) 93/02/13 15:24 KAZEさん。どうもご無沙汰してすみません。 唐突で、申し訳ないのですが、アトランティスに関係した書物で お勧めがあれば教えて頂きたいのですが。 実は今、宝石による癒しについて書かれた本を読んでいまして、 その中に、アトランティス(レムリアを含んで)について、理解を深めることは 今日的な意義があるというくだりがあって、確かに言えてるなと思った次第なのです。 チャーチ・ワードやケーシーに、良いテキストがあると紹介があったのですが、 具体的に、目を通していないもので・・・ それで、もうお気付きかもしれませんが、 わたしたちにとっての半面「鏡」という意味で、輪読会の1冊に加えて頂けたらなあ と、虫のいいことを考えているのですが、・・・ 如何なものでありましょうか - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/13 - 804/806 GGD02212 *ねぎひさお* 白黒問題に関係あるかもしんない (13) 93/02/12 23:46 788へのコメント 願わくば、人々が互いに裁かないように、 ユダヤ教徒のした事を見てユダヤ教を、 クリスチャンのした事を見てキリスト教を、 イスラム教徒のした事を見てイスラム教を。 例えば、こういうような事かもしれない。 シオニズムを批判してもナチズムを正当化できない。 資本主義を批判しても共産主義を正当化できない。 共産主義が滅んでも資本主義が勝った事にはならない。 独裁主義が倒れても民主主義が絶対ではない。 *ねぎ* 805/806 JBH00742 COOL RE:再び、烏山神社について (13) 93/02/13 02:19 799へのコメント  こんにちは、Q・ka・kaさん!  “秋分の日”にお参りされたのですか。  (何か意味がありそうですね…。)  どうも有難うございました。m(_ _)m  ところで神社には一人で行かれたのですか?  最近、東から富士山?へ歩いてきた人はいませんか?  あるいは東を象徴する人で?一緒に富士山を目指す人が現れましたか?  では、今後ともよろしくお願い致します。 806/806 GBA01276 しまうま RE:踊らせる阿呆に踊らされる阿呆? (13) 93/02/13 08:05 797へのコメント  オリハルさん、コメントどうも(^_^)。  ううむ・・・でも、ムズカシくて、よくわからないのでした(^^;)。  意味ありげだ・・・ということは、実によくわかるのですが・・・。どーゆー意味なん でしょ? 例えば、 :ここで当然わき起こるはずの私に関する”推理”  というのも、わかってないです。もしよかったら教えてくださいね〜っ!  オリハルさんの今後の活躍、楽しみにしてまーす(^_^)。       しまうま - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/02/13 - 023/029 GGA02514 KAZE 私塾その1●松下村塾(吉田松陰) (15) 93/02/12 23:36 平成松川塾にふさわしい本がでました(^^)。 ●童門冬二「私塾の研究/日本を変革した原点」(PHP文庫) で、これは江戸期、全国にあった有名な20の私塾に関して、 取材、調査したものです。 こうした私塾はあの明治維新につなかっていく大きな原動力ともなりました。 「なぜ若者は私塾にひかれ、いったいそこでどんな教育が行われたのか」 それについて、上記の本から僕の気に入ったところを抜粋して 何回かに分けて紹介してみたいと思っています(^^)。 初回は、なんといっても私塾の代表である吉田松陰の松下村塾です。 ご存じの通り、この松下村塾は、山口県萩市にあって、 吉田松陰の叔父の玉木文之進が開いたもので、 著者の童門冬二さんの想像によると、 家の左側に大きな松の古い木があって、その下で開いた塾だから、 松下村塾という名前がつけられたのかもしれないということです。 この塾からは、高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文など、 明治維新の立役者が多く育っていきました。 ということで、早速、気に入った部分の紹介をば。 ------------------------------------------------------------------------  松陰が、「人を育てつつ。自分を育てる」ということを実行したのは、弟子た ちに対する態度を見てもわかる。彼は、自分を師と思わず、弟子を弟子と思わな かった。「みんな、友人だ」という態度をとっていた。だから、弟子たちを呼ぶ ときに「君」といい、自分のことを「僕」といった。もちろん、この頃の僕には、 しもべという意味もある。へりくだっていたのである。  教え方だけではない。松陰自身の魂が非常に純粋だった。彼には私利私欲とい うものが全くない。あくまでも、国のことを考え、他人のことを考えていた。彼 は常に死を覚悟していた。 ----------------------------------------------  面白いのは、吉田栄太郎の紹介で、萩の城下町にいた三人のやくざが入門した ことだ。松陰は、このやくざ三人も、善導する。はじめのうちは突っ張っていた 三人も、やがて松陰の類なく純粋な魂に触れて、心の底から敬慕の念を持つ。彼 等は率先して、塾の雑用を果たし、増えてきた門人たちのために立ち働く。新し く門人となった高杉晋作や、久坂玄瑞たちも、この三人を軽蔑の目では見なかっ た。同じ人間扱いをされて、三人はいよいよ張り切った。誰でも平等に扱うとい う師は他にもいる。松陰が偉かったのは、常に、「自分も門人のひとりだ」と考 えたことだ。つまり、「立場は師だが、その師も弟子から学ぶことも沢山ある」 ということを貫いたことである。これが、弟子たちの胸を打った。 ------------------------------------------------------------------------ 024/029 GFH02347 ゾウリムシ 日本と大和心 (15) 93/02/13 01:31  本当の大和心なるものが、どういうものなのかは、まだよくわからないが、 これから探究していきたいと思う。 それがきっと、私の目に見えないコメになるだろうから。 まず、日本の位置的重要性について。 地球の進化( あるいは退化) を決定するヘソの1 つが日本であるらしいこと。 地球には、ヘソが3 つあるらしい。 ちなみに、銀河の3 つのヘソの内の1 つ が、この太陽系であるらしい。 私自身は、この事は、真実であると思っているが、そうだとすると、ひふみ神示 に書いてあるように、悪神がねらっているとしても、おかしくはない。 大和心や、武士道には、ある種のいさぎよさも含まれているように思う。 正義のためなら、( 白にとっての正義とか、黒にとっての正義とか、狭い意味 での正義ではなく、公正さ、とでもいうべきもの。) 自分の身を切るはめになって も、あまんじて受ける。 というようなもの。 明治維新の時の武士達も、そのいさぎよさを持っていたからこそ、今の日本が こうして、あるのだとも思える。 彼らが、それぞれ、自分の立場や都合に固執し、手段を選ばず暗殺や戦争を続けて いたら、日本はどうなっていたかわからない。 倒幕側には、イギリス、幕府側には、フランスがついていたのだから。 そして、イキリス、フランスの影には、ロスチャイルド家がいたかもしれないから。 ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ 025/029 PAH02015 フェイ 発言者削除 :修正 (15) 93/02/13 01:54 021へのコメント 026/029 PAH02015 フェイ 吾妻恵比寿登場 (15) 93/02/13 02:01 021へのコメント  ☆ 祝 新装開店 ☆  旧会議室では堅い展開で失礼をいたしました。なおるとも思いませんが(^_^;)  さて、いわゆる維新の志士の話題で賑わっているようですが。ですが、ではじま る。  この辺の話題は、たった100年前なのに人間像が良く見えません。なにか大規 模な情報操作がされていませんか? などと書き出すと、またか(`_') 、というリ アクションを受けてしまいそうです(反省(^_^;))。  ええ。西郷にしろ坂本にしろ手ばなしで誉めてるのにはそれだけで眉に唾をつけ ます。というのは彼らは現王朝創建の功労者なんでね、点が甘くなるのが当然なの です。福沢というのはわりとその思想がわかっていて、そのダブルスタンダード振 りがはっきりしてるので更に嫌いなんです。天は人の上になどという者がああいう 天皇論やアジア論を持てるんですからね。  さて、表題の通り吾妻恵比寿ですがこれは全然本来卑下した言葉ではありません (卑下した方はよそものが付けた当て字の東夷の方)。それから見ると、私はね伊 藤(博文のことや)の関係でいえば朝鮮の人が安重根を英雄と見る方にむしろ惹か れるのです。  たとえば会津。西郷の名など聞くのも厭というところ(若い人はどうだかしらな いが)ですが、むしろ志士(これも大嫌いなネーミング)よりもそちらに惹かれる。  しかしなあ、志士というのはなんであんなに人気があるのだ? わからん。 PS.削除ファイルにはこういう趣旨のこともありました。志士というのは関ヶ原  の情け(お家とり潰しまではやらなかったという意味)を仇で返した者たちとい  う意味です。こんな事になるなら毛利島津など息の根を止めておけば良かった。  あいつらは武士道の風上にも置けない、云々。この国でもっとも不足しているの  は歴史の見方の多面性ではないでしょうか。 027/029 JBC02250 伊藤博章 心と日本の役割について (15) 93/02/13 02:34 **************************************************************************** はじめまして、開塾おめでとう!! 私は、伊藤 博章と申します。今後とも宜しくお願い申し上げます。 さて、日本は世界においてたいへん勤勉でかつ優秀な国だと存じます。ここで日本の世界における役割について、考えていきたいと思います。 皆さんは、飛行機の機内から下にある日本を眺めどんな印象をもちましたか? 皆が築き上げた力により多くの自然が壊され何かショックをうけました。いったい動物たちはどこで暮らしているのだろうか?本当に疑問におもいました。人間は賢い動物であると共に、破壊マシーンであるかのように思われました。 なぜ、人は幸せを求めその幸せのレベルを越えてもなおかつそれ以上の幸せを求めるのでしょうか?この問題を国をもってして政府が国民が真剣に考えたなら、どのような世界が一番良いと結論がでるでしょうか? 今や技術の向上、開発の進展は目まぐるしいものとなっています。これを押さえることも方針を返られるのも今が最後のチャンスであるかのように思われてならないのです。 経済的にも社会的にもトップクラスである国こそが今一番真剣に考えなければならない時期なのではないでしょうか。 もしも貴方が動物であるならば、それを望むことでしょう。世紀末あるいは終末がすぐそこまで来ているからこそ、私はこのFARION自身に呼び掛けたいと思います。 この場は、世界で一番美しい場だと思います。じゃー何すればいいの何やればいいの・・・なかなか解答は、生まれてこないと思うのです。しかし、1つ1つの積み重ねあるいは、一人一人の今後の役割を決めることぐらいは、出来るのではないかと思います。 実現することに意義があるのですが、実現するにはスポンサーあるいは権力がどうしても不可欠です。だけれども、それをうったえ考えを世界に呼び掛けることぐらいはできるのではないでしょうか。そういう場として、FARIONの人達が協力できたらなーと考えます。 日本をいや世界を救えないものでしょうか・・・? 今動ける国は、日本だけではないでしょうか?この不景気どのくらい続くかわかりません。可能性は時が立つごとに減っていくように思います。 ぎりぎりの選択を皆さんはどうお考えですか? ながなが、くどくど述べてすみませんでした。                BY 伊藤 博章 ID:JBC02250 心有る人達にこの心が届いてくれることを望みます。 子供の心 美しき心 が この世の中を 自然を 救ってくれるでしょう・・・ ******************************************************************************* 028/029 GGA02514 KAZE 私塾その2●適塾(緒方洪庵) (15) 93/02/13 11:59 前回の松下村塾は、明治維新に活躍した方々を多く育成することになりましたが、 今回の緒方洪庵の「適塾」は、日本近代化に尽力した方々、 福沢諭吉、大村益次郎、佐野常民、高松凌雲、橋本左内などといった方を 数多く輩出したので有名です。 この「適塾」、正しくは「適々塾」といい、 緒方洪庵の号である「適々斎」からとっているようです。 この「適塾」のあったのは、日本経済の発祥地ともいえる 大阪の淀屋橋の近くにあって、開設者の緒方洪庵は、 そうした商業の大拠点という環境の中で人材の育成に励んだのです。 ということで、今回も、気に入ったところの紹介をば。 ------------------------------------------------------------------------  緒方洪庵は、常々学生にいっていた。  「適塾は、その名のように、学んでいる君たちが、己に潜んでいる能力を開発 する場だ。互いに切磋琢磨しあって、磨き合う場だ。だからこの塾は就職の世話 はしない。そういう場ではない。学問を修めて、幕府や大名家にコネを求める場 だと思ったら大間違いだ。私はそんな世話はしない。あくまでも君たちの自律の 精神によって、自分の内部に潜んでいる能力に磨きをかける場だ。君たちは原石 だ。宝石になるための場だ。その宝石をどう売るかなどということは私は考えな い。 ----------------------------------------------  緒方洪庵の適塾における教育方針は、いってみれば放任主義である。しかし、 完全に塾生を思いのままに生きさせたのではなく、肝心なところではっきりけじ めをつけていた。鵜匠のようなもので、縄をつけた鴨に、勝手に鮎をとらせたと いうことだ。鵜飼いの場合は鵜が捕った鮎を、鵜匠が自分のものにしてしまうが、 緒方洪庵はそんなことはしなかった。「自分で捕ってきた鮎は、自分の思いのま まにしてもいい」と鵜にいった。 ------------------------------------------------------------------------ 029/029 GGA02514 KAZE 私塾その3●改心楼(大原幽学) (15) 93/02/13 12:00 大原幽学は、房総(現在の千葉県)の北総の長部村で、改心楼をつくり、 農民の指導教育にあたった非常にユニークな人物です。 この幽学、尾張で生まれ、18歳の時勘当され、熱田神宮の神官の家で居候になり、 やがて京都に移り、観相学や歌道を学び、その後近畿地方を歩き回り、 高野山でも修行、それから山陽地方を経るなどなど、全国のいろんなところをめぐり 江戸に入り、湘南地方を放浪したのち、北総に至り、そこで 農村の立て直しを始めることになります。 幽学の指導で村が活気を取り戻したことを感謝して、 農民達が幽学のために新しい塾舎をたてたのが、「改心楼」です。 ということで、今回も、気に入ったところの紹介をば。 ------------------------------------------------------------------------  幽学は、いつも、  「世の中には、3つの壁がある」と思っていた。3つの壁というのは、物理的 な壁、制度的な壁、そして意識的な壁だ。砕いていえば、モノの壁、しくみの壁、 心の壁である。  「3つの壁のうち、最も壊しにくいのが人間の心の壁だ。この壁を壊さなけれ ば、他のしくみの壁もモノのしくみの壁も壊せない。逆に、心の壁を壊せば、し くみの壁もモノの壁も壊すことができる。」 ----------------------------------------------  大原幽学の「性理学」では「人間の道」を重んじた。・・・  「親に孝行を尽くし、近隣の人々のことも考え、自分だけの欲望で生きてはい けない」と教えた。いわばコミュニティにおける一人ひとりの責任を強調したの である。それを頭から押しつけるのではなく、・・・「まず情を通じあおう」と いって、酒を飲みあうことからはじめたのだ。幽学も、多くの農民が賭博や遊興 にうつつをぬかし、その面白みを十分体に染み込ませている実態を知っていた。 それはたとえてみれば悪魔の美酒を飲んだようなものだ。その酔いはなかなか忘 れられない。それをいきなり悪魔の美酒をとりあげて、 「こんな酒を飲んではいけない」といっても、反抗するだけだろう。少しずつそ の酔いをさましていく方法をとらなければならない。それが、かれの「情から理 へ行く」という手法であった。 ------------------------------------------------------------------------ - FARION MES(17):◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 93/02/13 - 256/256 PFA03563 YAHATA 今月のムー、来月のムー (17) 93/02/13 05:01  私は本屋でムーを手に取ると、まず次号予告を見る奴です。  総力特集では、ノストラダムス予言の「月の支配が終わる」という言葉を引 き合いに出して、「月が落ちる」という話へもってくそうです。では、そのよ うな言葉はどこにあるかな…と手元の書籍をあたってみると…。ありました。 1巻の48ですね。でもそんな直接的なことなんでしょうかねぇ。(-.-) あまり過激な説は信じない YAHATA - FARION MES(18):◆冗談パロディ症候群----------------<01> 93/02/13 - 384/384 GGD02212 *ねぎひさお* 続編をUPしてしまう〜〜〜〜。 (18) 93/02/12 23:47 369へのコメント おお、#369(ミロク)だったんですね。>維/YUIさん。 おん、まいたらやそわか。>おい、さんまやいたろか。(二番煎じ)  皆様は2/12の「笑っていいとも」ご覧になったでしょうか? ヒカルゲンジの諸星くんの茶色のコートを纏った さんまさん を見て、 タモリさんが「チベットの坊さんみたい…」とのたまわったのです! MES(10)#130での・・・チョビット仏教・・・ゴーダマ・シットルケ ・・・という私の発言をタモリさんが知らなかったとしたら、緩やか なシンクロ現象が見られたことになるわけです!  また、アカシヤサンマ=「アカ483マ」です。「アーガマ」に483が 入っているのです。483は四苦八苦の三界を意味し、4×8×3=96で、 「苦労」にも通じており、あらゆる煩悩を背負われる方を表しています。 苦悩を「お笑い」へと浄化されているのです。  さらに、MES(7)#774から一部を、こちらへ転載いたします。 >「アーカシックレコード」についてフォローをどうも。>なえさん >宇宙の果ての「アカシャ」と呼ばれる境界線…は知りませんでした。(^^) >アカシヤといえば、「さんま」や。…と言えば、お経にでてくるサンマヤ。 >サンマヤは梵語で何と「時間」という意味だそうです。お後がよろしい…  ここで秘術「愚問自答法」を御紹介いたしましょう。次のマントラ(真言) を百万遍唱えることにより、一人ボケ・ツッコミの漫才人間となるのです。 「おん、あかしや、さんまや、そわか。」あみだ婆様を思いつつ、唱える毎に 線を描き何回唱えたかを数えます。十の縦線の間に十本ずつ横線を書き込んで 十本一組のアミダくじ(合計百本)とし、紙一枚に百組のアミダくじ(計一万) を描いて曼陀羅とし、一冊百枚を完成させれば、百万遍唱えた事になるのです。 この行法を人に見られた時は振り返り、「みぃたぁなぁ…」と言いましょう。 ・これはパロディです。本気にしないで下さい。怒らないでね>A含宗の皆さん。 ・虚空蔵菩薩真言「おんあきやしやぎやらばや・・・」と「アカシャ年代記」と の関連が解る人がいたら教えて下さい。 シンデモシランゾ *ねぎ* - FARION MES( 3):【縁 会】オフ:プラン・レポート----<01> 93/02/14 - 636/636 JAE00201 竜人 RE:遅れまして・・オフです(^-^) ( 3) 93/02/13 17:15 632へのコメント   はーーーい!参加表明しまーーーす!  前回逢えた人も、今回初めて逢える人も  よろしくーーーーー!!                  竜人 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/02/14 - - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/02/14 - 561/562 GGD02212 *ねぎひさお* 破恋他隠DAY ( 8) 93/02/13 22:22  部屋に帰るとドアのノブに紙袋がぶら下がっていた。思った通り、 チョコレートに手紙が添えてある。何時になく丁寧な字で  「…もうこのマンションへ来て会うことは多分ありません。…」 予期していた通り、別離の日も計算通り去年のお盆から丁度6ヶ月…。  彼女との交際は妙にリアリティが希薄だった気がするが、いま私は 喪失感で虚脱状態だ。感傷的な自己陶酔の趣味はないが少し休ませて もらおう。春が来たらまた別のハンドルでお会いしましょう。>ALL. 562/562 PFA03563 YAHATA RE:Vデーには誰と…(また) ( 8) 93/02/13 23:38 560へのコメント  #560 *ねぎひさお* さん > 恋人は遠くにありて想うもの…良いですね(^^)  恋人と思われてないのでそういう表現はしないようにしています。  さて、その彼女から小包が来ました。連休にぶつかっているので社内便では 遅くなるからでしょう(いかん、普段の連絡手段をばらしてしまった)。 中の手紙には… 「一応"cake"という扱いですので誤解のないようお願い致します。」 箱を開けたら中にはチョコケーキが。……はいはい、わかりました。  しかし、この「誤解のないよう」という言葉は ・いらないと言ってたチョコは入ってるけど怒らないで下さい ではなく ・チョコが暗喩する意味合いの気持ちは一切ありません と言われているようで…。いいけどさ。 くれるんだから文句は言えない(-_-;) YAHATA P.S.  関連発言:当会議室#525。 - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/14 - 808/810 GGA02514 KAZE RE:アトランティスについて (11) 93/02/13 20:04 807へのコメント コメント数:1 岳同さん、どうもです。 アトランティス関係の書物ですかあ、困りましたね。 もちろん、シュタイナーには、アカシア年代記や神秘学概論に、 アトランティスに関する記述はありますが、そんなに詳しくはないです。 チャーチ・ワードは、僕の知る範囲では、「ムー」についての著作がメインですから、 やっぱり、ケイシーということになるでしょうか。 もちろん、プラトンの著作にあることは有名ですが、 神秘学的にいうとやっぱりケイシーのがいいえしょうね。 とはいったものの、ケイシーのリーディング関係のものはそんなにもってなくて、 手元にあるので一番詳しそうなのは、 ●L.W.ロビンソン:人類の運命を読む(今村光一訳、中央アート出版社) といったところでしょうか。 これでしたら、アトランティスから、その後のエジプトや インカやマヤなどを含めたリーディングの紹介がありますが、 もっとアトランティスに絞りこんだものもあるかもしれません。 ケイシーに詳しいのは、副長のTAOさんですから、 TAOさんに聞いてみることにしましょう。 >おおい、TAOさん、ご存じないですかあ。 >わたしたちにとっての半面「鏡」という意味で、輪読会の1冊に加えて頂けたらなあ >と、虫のいいことを考えているのですが、・・・ もちろん、いいですよ。 でも、一応、いいだしっぺがメインで進行してもらえれば、 ということが前提ですけどね。 それでよろしければ、テキストが決まり次第、始めましょう(^^)。 もちろん、僕も可能な限り、いろんな情報提供などで、 「参戦(^^;)」させていただきますので、お気軽に。 今後の輪読会のテキスト候補も出てきつつありますが、 何かプランがある方がいたら、手を挙げて!のKAZEでした。 809/810 MHD02672 TAO アトランティス関連の情報について (11) 93/02/13 23:42 808へのコメント  >兵同さん  >KAZEさん  団長のじきじきのご指名なので、ケイシー関係のアトランティス資料を  紹介させて頂きますね。(兵同さん、ご挨拶は初めてですね、ども)  KAZEさんの紹介された「人類の運命を読む」の他にも、めぼしそうなものと  いえば、ケイシーの次男エドガー・エバンズ・ケイシーが著した「EDGAR CAYCE ON ATLANTIS」で、その翻訳が「エドガー・ケイシーの大アトランティス大陸  〜アトランティス沈没期の再来〜」という題名で、今は亡き大陸書房から出て  いました。幸い私の手元にはありますが、今から入手しようとすると、古本屋でも  探さないと難しいかもしれません。  さしあたり目次を挙げます。  序     エドガー・ケイシーとは………………ヒュー・リン・ケイシー  はじめに    第一章   アトランティス伝説  第二章   ライフ・リーディングと転生  第三章   紀元前五万年のアトランティス大陸  第四章   紀元前五万年から紀元前一万年までのアトランティス大陸  第五章   アトランティス大陸最後の崩壊  第六章   アトランティス大陸の痕跡  補 遺   ツーオイ石の謎…………………………J・H・サットン  ケイシー・リーディングには、真偽はともかく、「アトランティス大陸が存在  した」頃の前世を持っていた方々のリーディングがかなりあって、内容は多様多種に  わたっています。兵同さんがご希望でしたら、さらに内容を詳しくUPしますが、  兵同さんはアトランティスについてどんなことをお知りになりたいのか、具体的に  お教えて頂ければありがたいのですけど。  輪読会のことですが、ちょうど先日「光文社文庫」から、武田崇元氏の  出口王仁三郎と大本教、霊界物語をテーマにした「出口王仁三郎の霊界からの  警告」が出ています。文庫というフットワークの軽さと、値段も安いので、  これをもとに、出口王仁三郎と大本教を考察しても面白いかもしれません。  出口王仁三郎と大本教というのは、日本宗教史的に見ても、極めて特殊な存在と  思うので、色々ネタが出てくるかも。  それで思い出しましたが、MIZUHOのHPを読んでみましたよ。う〜ん。  やはり公開の会議室には載せない方がいい内容だと思いました。HPの方が  やはり正解だったのでしょうね。  TAO 810/810 GGA02514 KAZE シュタイナー輪読会●第14章/薔薇十字の修行 (11) 93/02/14 00:30 =============================================================================    ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」(イザラ書房) =============================================================================   ●第14章/薔薇十字の修行----人間と地球(P177〜195)●概観 ============================================================================= 薔薇十字的な修行法は、14世紀頃できた。当時、人間は新しい修行の形を必要とし ていたからである。秘儀参入者の仲間達は、やがて知識のために信仰に迷いが生じる 人間が現れるだろう、と予見した。そのため、信仰と知識の葛藤に陥った人々に適し た叡智の形態が創造されなければならなかった。 科学に関わっている人は、薔薇十字の道を歩んで、秘儀参入者になる必要がある。薔 薇十字の方法は、この世界の最高の知識が、超感覚的−霊的な真理についての最高の 知識とまったく一致しうることを示す。 薔薇十字的な修行の本質は、「真の自己認識」である。そのために二つのことを、単 に理論的にではなく、実践的に区別し、実生活に取り入れねばならない。自己認識に は二つの種類がある。ひとつは低次の自己認識、低次の自己を克服するのである。高 次の自己認識は、自己放棄を通して生まれる自己認識である。 A)低次の自己認識 低次の自己認識とは、いまある自分を認識すること、自分の魂の生活を洞察すること である。しかし、そうすることによっては、高次の自己には至らない。通常の自己を 克服するために、成長しなければならない。 どのようにして、通常の自己を克服でくるのだろうか。多くの人間は、自分の性質が 一番良いと確信している。そして、自分と同じ性質をもっていない人に対して、反感 を感じる。自分の意見を超越した者は、すでに真の自己認識の途上にいる。自己賛美 を超越するには、特別の方法がある。それに費やす時間は、一日5分間でいい。次の ような言葉を心に浸透させるのである。「どのような特性も一面的である。おまえの 特性のどこが一面的かを認識せよ。そして、おまえの特性を調和あるにせよ。」 この言葉は、理論ではなく、実践に最も適したものである。勤勉な者は、自分が間違 った場所にいないかどうかを、みずから省みなければならない。敏捷であることは一 面的である。注意深い思慮深さによって、敏捷さを補わねばならない。どのような特 性にも、その対極がある。対極の特性を自分のものとし、対極的な特性によって調和 をとろうとしなければならない。 この調和をもたらすには、小さな性向に注意することである。たとえば、他の人に話 をさせないで、自分ばかり話すという性質の人は、6カ月間、「人と話すとき、でき るだけ長く黙っているようにしよう」と、自分に言い聞かせるのである。普段はまっ たく配慮していないことに注意を払うことによって、内面の自己が発展する。通常の 意味で内面を探求することよりも、まだ十分に育成されていない特性を完成し、すで に自分が持っている特性を、それに対立する特性によって補うことが問題なのである。 自己認識は人間にとって最も困難なもののひとつである。自分のことをよく知ってい ると思っている人が、もっとも錯覚に陥りやすい。そのような方は、あまりに自分自 身のことを考えすぎる。まず第一に、他の人の意見よりも自分の意見が大事だと思う 習慣を捨てねばならない。さらに、忍耐が必要である。何かを得ようとする人は、た いていの場合待つことができない。求めているものを受け取るのに、自分はすでにふ さわしいと信じているからである。この忍耐は、きびしい自己教育から生まれる。 B)高次の自己認識 高次の自己認識は、「日常の自我の中には、高次の自我は存在しない。高次の自己は 外なる世界すべての中にある。星、太陽、月、石、動物の中に存在するのである。あ らゆるところに、私たちの中にあるものが存在するのだ」というときに始まる。 低次の自己は、「私はここに立っている。私は凍える」という。高次の自己は、「私 は寒さでもある。寒さの中で自己として生き、私自身を寒くしているから寒いのだ」 という。低次の自己は、「私はここにいる。私は目の中にいる。その目は太陽を見る」 という。高次の自己は、「私は太陽の中にいる。そして、太陽の光の中でお前の目を のぞき見る」という。 自分自身から出ていくのは、自己放棄である。薔薇十字の修行は、人間から低次の自 己を取り出すのを目的にしている。「外界を無視して、自分の中を見なければならな い」ということによって、初期の神智学運動は最悪の過ちを犯した。自分の内を見る と、人間の第四の構成要素である低次の自我のみを見いだし、その低次の自我を神的 なものだと思いこんでしまう。しかし、低次の自我は神的なものではない。神的なも のを認識するためには、自分の外にでなければならない。「汝自身を認識せよ」とは 「汝自身を克服せよ」という意味でもある。 ---------------------------------------------------------------------------- 自己認識にいたるには、これから述べる修行をしなければならない。そして、前に述 べた、思考をコントロールすること、行動のイニシアティブを取ること、平静である こと、偏見がないこと(あるいは積極的であること)、信頼を持つこと、内的均衡を 実現することという6つの特性を獲得する修行を、以下の修行と平行して行わねばな らない。 1)学習 人類全体の思考を自分の中に生み出すことを試みなければならない。宇宙とともに考 えることを学ばねばならない。「だれかがそう考えたのなら、その考えは人間的なも のに違いない。どのようにその考えを生かすことができるか、一度試してみよう」と 思わなくてはならない。その考え方を信じる必要はない。しかし、その考えを学習に よって知らねばならない。学習のために与えられる思考は、私たちの精神を純化する。 厳密な思考の線に沿って、厳密な論理的思考を形成するのである。 2)イマジネーション認識の獲得 ゲーテの「すべて過ぎ去るものは比喩にすぎない」という言葉に従って、世界を観察 する。ゲーテは薔薇十字会員であり、その言葉は私たちを魂の生活に導くことができ る。どのような事物も、さまざまな点で比喩になる。外的な事物が道徳的なものの比 喩になるという方法で考えていけば、イマジネーション認識へと上昇していくことが できる。 しばらくの間そのような訓練をしてから、本来のイマジネーションの訓練をする。た とえば、植物を前に置いて、じっくりと眺め、その植物の中に沈潜する。自分の魂を 外に出し。その植物の中に入れる。この訓練はイマジネーションを高める。この訓練 を通して、アストラル的な観照にいたる。事実、しばらくたつと、植物から小さな炎 のようなものが生じる。その炎は、生長するものをアストラル的に表すものである。 3)秘密の文字の修得 秘密の文字を通して、事物の中に入っていくことができる。霊を挙げて説明すると、 インド文化の始まりとともに、新しい文化が始まった。ある文化が終わり、新しい文 化が始まる進化段階のしるしは、渦巻である。別の例は、Mという文字である。どの ような文字にも隠れた起源がある。Mは叡智のしるしである。Mは、上唇の形からで きたものであり、同時に海の波の象徴である。叡智は水によって象徴される。これら のしるしは、事物の外形に適合したものである。こうした秘密の文字の習得が、薔薇 十字の修行では行われる。 (注/「神秘学概論」より) インスピレーション界の観察は読むことと比較される。インスピレーション界の諸存 在は、修行者が知るべき文字のように作用する。それらの存在の関係を、超感覚的な 文字のように解読しなければならない。だから、神秘学はインスピレーションによる 認識を「隠された文字の解読」と名づけている。 4)生活と呼吸にリズムをもたらすこと 西洋人にとっては、呼吸法は東洋人のっ場合ほど大きな意味は持ってはいないが、そ れでも薔薇十字の修行に含まれている。瞑想を通して、呼吸は改善されるのである。 5)ミクロコスモスとマクロコスモス、小宇宙と大宇宙の照応、   人間と外なる世界との関係 人間の構成要素は、進化の過程の中で次第に形成されてきた。たとえば、アストラル 体を持っていない存在の中にはある器官が生じる可能性はない。人間の器官は、どの ように小さなものでも、構成要素のどれかに相当している。 注意を客観的に、自分自身に向けてみよう。たとえば、鼻根に注意を集中し、道師か ら与えられた言葉をその一点に結び付ける。そうすると、その点に相当する構成要素 を知ることができる。もっとのちになると、目の内部に注意を集中する。その集中を 通して、光と太陽の内的な本質を知ることができる。アストラル的なものの本性は、 ある決まった言葉を肝臓に集中させることによって、知ることができる。 自分が注意を向けた器官を通して、自分から抜けでていくのが、正しい進化である。 人類が物質的になったので、この方法が現代には効果があるのである。こうして物質 を通して、物質を作り出す原因となっているものにいたるのである。 6)大宇宙への自己沈潜 禅定、霊的な観照と同じものである。集中の器官、たとえば目の内部に沈潜する。し ばらくの間集中すると、外的な器官の表象を払い落し、目が示すもの、すなわち光の ことのみを考えるのである。そうすると、器官の創造者にいたり、大宇宙に出ていく。 そして、身体がどんどん大きくなり、やがて地球全体と同じ大きさになり、さらに地 球よりも大きくなって、あらゆるものが自分の中にあるようになる。そうすると、人 間はあらゆる事物の中に生きる。 7)心的な至福(三昧) 東洋の修行の三昧に当たる。最後の表象のことを考えるのもやめるのである。思考内 容はなくなる。しかし、思考活動は残る。こうして、修行者は神適−霊的世界に憩う。 この薔薇十字の修行の段階は、むしろ内的な段階であり、高次の生活を緻密にするこ とが要求される。この修行法は、ヨーロッパ的な人間に合わせてつくられたものであ る。 ウ---------------------------------------------------------------------------- あらゆる時代の神秘学は、地球はいくつかの層からなっていると語る。しかし、それ らの層はたまねぎのようの互いに分かれているのではなくて、やわらかくたがいに入 り混じっている。 人間は、以下の層すべてと関係している。これらの層は、絶えず力を放射しているか らである。人間はこれらの層の影響下にある。人間はこれらの層の力を、絶えず克服 しなければならない。     ------------------------------------------------------ 一番上の層は、鉱物地球と呼ばれる。 その下の層は、液体地球と呼ばれる。この層は特別の特徴を持っている。この物質は 霊的な特徴を持ち始める。この層は、生命的な実質が集められると、すぐにその生命 を放り出し、絶滅させる。 次の層は、空気地球である。これは、感覚を破壊させる実質である。たとえば、ある 苦痛を感じると、それを快感に変化させる。その逆のことも行う。第二の層が生命を 消し去るように、この層は、現に存在する感覚を消し去る。 次の層は、水地球あるいは形態地球である。この層は、神界で霊的に生じるものを物 質的なものに形成する実質からできている。この層には物質的な事物の陰画が存在す る。 次の層は、果実地球である。この実質ははちきれんばかりの成長のエネルギーに満ち ている。その各部分は海綿のようにすぐに成長して、どんどん大きくなり、上方の層 によってのみ押さえられている。この実質は、先に述べた層の形態を支える生命とし て使われる。 次の層は、火地球である。火のような感情と意志を、この実質は持っている。この実 質は痛みを感じる。もし踏みつけられたら、叫ぶことだろう。 次の層は、地球鏡、地球反射鏡である。この層の実質に集中すると、地球の特性すべ てが反対のものに変わるので、この名がつけられている。上にあるものを見ようとせ ず、直接この層を霊視するなら、たとえば、何か緑のものを前に置くと、その緑は赤 として現れる。悲しみは、この実質によって喜びに変わる。 次の層は、粉砕である。地球の表面に反射する力を通して、地上に戦いと不調和を起 こすのはこの層である。この層の破壊的な力を克服するために、人間は調和的に共同 しなければならない。人間がみずから調和を発展させることができるように、この力 は地球の中に秘められたのである。すべての悪は実質的にここで準備される。好戦的 な人間は、特に強くこの層の影響を受けている。 最後の層は、地核である。地核の影響によって、世界に黒魔術が発生する。この層か ら霊的な悪の力が発しているのである。     ------------------------------------------------------ いつの日にか、人間が地上に生命を放射し、生命的な空気を吐き出すようになると、 人間は火地球を克服する。人間が苦痛を平静さによって霊的に克服すると、空気地球 を克服できる。人間が一致協力できると、破壊を克服できる。白魔術が勝ったとき、 世界には悪がなくなる。人間の進化には、地球内部を改造するという意味があるので ある。最初、地球は、進化するものすべてを阻む。最後には、地球は人類の力によっ て変化し、霊化される。こうして、人間はみずからを地球に分け与えるのである。 人間の意志は、地上に生起することに関連している。人間は自分の住む土地を変化さ せるのである。人間は次の惑星において、自分の創造力によってこの地球を高貴なも のにする。 ---------------------------------------------------------------------------- - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/14 - 807/807 GCG01101 アマデウス RE:「ヤラセ」と恐怖 (13) 93/02/14 00:21 785へのコメント >>  メディアの失墜は、もはや不動のモノとなってしまった感があります。  NHKの「やらせ」事件ですね。今回の件以外にも、一昨年(だったか?)の 朝日のサンゴ事件や読売の歴史資料ねつ造事件等、マスメディアの「やらせ」は かなり以前から告発されてきました。某TV局のOBである私の義父によると、 クイズ番組やトークショー等では、「やらせ」がほとんどだそうですが、それら の薬にも毒にもならない番組に比べ、事実を描くべきドキュメンタリー番組での 「やらせ」は、一般には格段に罪が重いと思われます。  ここに2つの問題点を見いだせます。  一つは、「良心の欠如」です。番組作りの過程でついてしまう嘘−−−ドキュ メンタリーについてはもちろんですが、クイズ番組のようなものにおいてさえ、 「ちょっと位嘘をついたって構いやしない」と思ってしまう、その「嘘」に対す る感受性の欠如。これは根深い問題でしょう。ARIONも「光よりの光」の中 で、報道に携わる人々はその社会的影響力の大きさゆえに、特に嘘に対して敏感 であらねばならないような旨のことを言っていたように記憶しています。しかし、 「嘘に対する感受性」ということで言えば、例えばあらかじめ回答者に答を教え ているクイズ番組を見て、「あー、どうせこれも筋書き通りの茶番だな」と思い ながらも結構楽しんで見てしまう私たちは、「嘘」に対するガードを弱体化させ られている、いやすでにかなり弱体化してしまっているのかも知れません。生体 のガード=免疫がいかれてしまうのがエイズだとしたら、「心の免疫」がいかれ てしまった時、人はどうなってしまうのでしょうか???  二つめは、誰もが考える「情報操作」です。これについては以前私も指摘しま した。しかし更にうがった見方をしてみると、このような「マスメディアの信用 失墜」は、何者かに意図されたとは考えられないでしょうか。貴・りえ騒動、皇 太子婚約、矢ガモ事件等、このところどのメディアを見ても同じようなモノトー ンの報道ぶりは、わざと情報操作の存在をほのめかすことによって、報道への不 信感を募らせようとしているかのような意図すら感じます。もしそのような意図 が存在するとしたら、それは何か?−−−私たち日本人のうち、ある一定レベル に達した人々の本能が情報操作への危機の臭いを嗅ぎとって、一般大衆に警告を 与えている、ということであればよいのですが....  疑おうと思えばいくらでも疑えます。こういう世の中では、「何が真実か」を 見分けることがますます大事であると言えるでしょう。そうするためには、月並 みですがやはり自分の良心の声を確実に聞き取れるよう、心のアンテナの感度を 良くしておくことなのでしょう。         最近、自分が疑心暗鬼居士になったようで悲しい アマデウス