- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/02/15 - 116/132 GBG02043 維/YUI 昨日(2/13)のメッセージに ( 2) 93/02/14 08:29 >>毎日毎日、少しずつでいいから・・・維/YUIさんの趨の中で成長したい・・・ 私も・・・。 維/YUI 117/132 GBG02755 スマル こんちわ、てんてるさん。 ( 2) 93/02/14 11:23 112へのコメント 初めまして!         世紀末、いったいどうなるんでしょうね。 でも、誰かがどうするのか決めるのではない、 自分で未来を選ぼう!! あなたも自分の見たい未来があるでしょう? それを実現しようと思いませんか? そんな未来を、ここで皆と語り合いたいなって思っています。 どうぞ、FARIONをよろしく!                    おばんウエイトレスの スマル 118/132 JBB01730 内田 英利 RE:はいはい、よろしゅうに ( 2) 93/02/14 11:49 109へのコメント コメント数:1 さはしサン、マスター正式就任おめでとうございます。 そうですか、果実酒もそろいましたか。それでは無難なところでワインをいただこ うかな。 ところで、おめでたいついでに、噂の彼女といつ結婚するのか宣言するのはいかが なものでしょうか? **あまりプライバシーをつっこむのは良くないかな? でもUPしちゃおうっと **昼間から飲んだくれの内田より 128/132 PBA02422 さはし はい、ワインですね ( 2) 93/02/14 22:30 118へのコメント いや、まだ内内定くらいで、予定は未定、まったく白紙状態なのです。あはは…。 どこかの皇太子を見習って、なんとかしたいもんなのですけど。(^^;) - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/02/15 - 353/372 JBB01730 内田 英利 RE:禁放送 ( 6) 93/02/14 11:51 342へのコメント コメント数:2 どもども、SEKO さん。内田と申します。 サイエンスエコーの原爆の記事、私も購読していたので覚えています。 中学で配本していたのですが、クラスメートがこのシールの下の”大成功”の文 字に気がついて、いいかげんな記事だと言っていたものです。 記事の内容は、ウラン原爆の製造方法を簡単に書いたものでしたが、二種類の原 子番号の異なるウランを核分裂理論上の混合比に精密に加工し(つまり、ウラン AとウランBの二つの塊をつくる)、この二つを爆薬により高速度でぶつけると 核分裂がおこり大爆発する。といったものでした。 ちなみに、この原爆のまわりを重水素の容器で囲むと、コアになる原爆の爆発エ ネルギーで重水素が核融合反応を起こし水爆となるとのことです。 この記事では製造工程があまりに簡単に紹介されていて、読後に恐ろしいような 不安な感じがのこりました。(興味ある記事ではありましたが。) 最近プルトニュウムが話題になっていましたが(原発の使用済み燃料より生成で きる)、プルトニュウムの場合ウランの二種類と異なり単体で核反応を起こすこ とが可能らしく、それゆえに原爆の製造もウランに比べ簡素化する為、非常に危 険なわけです。 爆弾化されなくても、放射能の危険性は言うまでもないことです。 現在の物理学では、原子よりも小さい素粒子レベルまで計測できるようになりま したが、さらに小さい粒子の存在が予測されています。 核エネルギーは、この未知の超微粒子の世界まで悪影響をおよぼすらしいのです 。 日本の核エネルギー政策はこのままでよいのでしょうか? 私は水素エネルギー やフリーエネルギーの有効利用を、もっと真剣に研究するべきだと思うのですが 、SEKOさんや皆さんは、どうお考えでしょうか? 358/372 QFH02012 アラミス 最近の心境 ( 6) 93/02/14 19:03 コメント数:1  去年の11月頃から妙に安定しきっている今日この頃の私である。 でだ、それが最近居心地良くないのである。なんつぅか「とどこお っている」訳だな。これが・・(ー_ー) そしたら心の中で、動きが欲しい波風を起こしたい。って気持ちが 沸々と湧いて来たのだ。で、これがいつもとはちと違う感情なのだ なぁ・・・ そんな訳で、もっとアクティブに発言(自分の思っている事を内に 秘めずどうどうと話す)しようと思い立ったのだ。 まぁ、これもやり過ぎると「何にでもいちゃもん付けるイヤミな野 郎」&「パソ通世界のコマッタちゃん」になっちまうので十分注意 したいが(^^;)。 とにかくこの事に気付かせてくれた、こばん&ガッチャ両氏には感謝 しています。m(_ _)m 362/372 JBH00742 COOL RE:禁放送 ( 6) 93/02/14 21:36 353へのコメント  どうもこんにちは、内田さん!  そうですね。「日本の核エネルギー政策」や  「水素エネルギーやフリーエネルギーの有効利用」  については、もっと一人一人が真剣に考えるべき問題だと思います。  13番会議室でときどき話題になる、白山比売(及びその眷族の方)は  人間の核の取扱い方に対して怒っていました。  そういえば、ここ最近この(壁の)部屋は雰囲気が変わったようですね。  では、今後ともよろしくお願いします。 363/372 GBA01276 しまうま 炎 ( 6) 93/02/14 22:41 炎が前髪を焦がす いつも、その手前で踏みとどまっていた なにもかもなくしてしまうのが怖くて 迷いもせずに引き返した こんなひとりよがりの心なんか 焼き切れてかまわない 燃えて、泥のように崩れ落ちればいいや 身を投げるのではなく 一歩一歩、刻むように 悲しみ 切なさ 胸の痛み 虚脱感 この向こうになにがあるのか知らない どんなに怖くても目を閉じたりしない ごまかさない - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/15 - 792/792 GGD02212 *ねぎひさお* RE:怒りについての私見 ( 7) 93/02/14 21:45 791へのコメント  こんにちわ>竜人さん。  ARIONの 発言の中から「怒り」を検索して見ました。 LIB 3の5(FMISTYログ #316 91/08/15)の中で 些細な事で夫に八つ当りしたという婦人への ARIONのコメントから引用します。既に お読みかも知れませんが、ご参考になれば… >怒りのパワーは、パワー自体大きく、 >これを他のことに生かさない法は無い。 >抑圧しては、駄目なんだよ。 >何故、怒るのかを考える練習をしてゆく >と、怒りの後に考えていたのが段々と、 >怒りと同時くらいに考えるようになり、 >最終的には怒りの前に考えることが >出来るようになる。 >こうして何故怒るのかを知ると、 >その沸き起こるパワーを >他のことにスリ替えることが可能になる。 >だから、コントロールしようというので >はなく、良い方向に利用するべきだね。 - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 93/02/15 - 085/086 PAH02015 フェイ RE:猫が好き さんの問題提示に興味があり ( 9) 93/02/14 09:13 082へのコメント  ええと、占いを信じる人の割合ですが、真面目に突っ込む人もいないと思い(失 礼)記憶で書いていました。もとは、以下のようなところです。 「長岡鉄男のいい加減にします PART2 」ON BOOKS 音楽の友社 |日本人の90%は血液型で性格が決まると信じているそうだ(PP46)。 |当時、血液型占いのブームで、日本人の90%は占いを信じていた(PP50)。  この人はオーディオの評論家ですが、占いやゲームの仕事もしており、占いや宗 教観も面白いものがあります。はやくから「イエスのはこぶね」こそ最も宗教らし い宗教だという類の主張をしていましたので注目していました。ただ本業の話題の 合間にぱらぱらと出てくるので捜しにくいのと、パロディが好きな人なので読む人 によっては相性が悪いかも知れません。信じているものを否定されると激怒する人 には向かないでしょう。占いを仕事としてどう考えるか、参考になるのでは。おそ らくゲーム性、遊びの要素が強いうちは良いと思うのです(よくわからない)。      *  なお、私の星占いにかんする考え方は遥か昔に(25年くらい前か)草下英明 (だったか?)が教養文庫に書いたものをベースにしています。書名を思い出せ ません。  不幸にして、大学で免疫や分子認識をやっているので血液型の化学的理由もわ かりますし、天文は趣味で写真を撮るくらいまではやるので星占いの科学的な面 についても否定的です。以上、あまり参考意見にはならんと思いますが。 - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/15 - 813/815 GGD03030 《 隆 》 イメージのギャップがあるのかも・・・ (11) 93/02/14 17:04 805へのコメント  NoBさん、こんにちは。    すれ違いは確かにすれ違いなのだろうなと思いつつ、疑問をはさむ余地はあるな  と感じますし、NoBさんの考え方が僕には未知のものなので(物事を歴史を軸に考  えた事があんまりないのです)それにたいする興味もてつだってもう少し。    まず、民族意識が全て馬鹿げているという事とご紹介いただいたKの文章(ちな  みに触発されてとうとうKの「最後の日記」を買いました。最初に読むのが「最  後の・・・」というのがなんだか間抜けですが)から思う事は「ちょっと悲観的  すぎはしないか」ということです。別に民族意識をみんなが持つ必要はどこにも  ありませんが、個々に自由で対等な人間がある種の感覚を共有する事がそれほど  いけない事なのかなぁと思いました。これは僕の個人的な見解ですが、たとえ自  分が民族意識を持っていなくても他の人のそれはしっかり認識するべきだと思い  ます。これはまさしく他者を区別することです。他者を区別する事は差別を生む  可能性がある事を否定はしませんが、他者を区別する事はその人を理解するため  に必要だと思うのです。    NoBさんがイメージしている民族意識と僕のそれは違うものである可能性もありま  すね。歴史が作ってしまった民族ってのも否定できませんが、ただ、隣近所で生  活していて、そこからうまれる同胞意識みたいなものが長い時間を通して民族を  作るという考えはどうでしょう。こういうのは民族とは呼べないのかなぁ。    ところで台湾が日本に侵略を受けていたから特異なケースだというのはちょっと  納得しかねます。侵略されたくらいでコロコロ変わらない民族意識は存在してい  るように思いますし、もし台湾が日本の侵略によって日本に似通ったのだとした  らそれははじめから台湾が日本的なもの(文化の受容体質みたいなもの)を持っ  ていたんじゃないでしょうか。ちなみに文化と民族との間にも関係はないとNoBさ  んはお考えでしょうか。気候と言語は、民族とは関係ないと考えるという事から  察するに、やっぱりNoBさんのイメージしている民族と僕がイメージしている民族  は根本的に違うような気がしてきました。僕の考えている民族はNoBさんがおっし  ゃっている具体的なものではなく一種「幻想」のようなものなのかもしれません。  頼りない話ですが、その「幻想」も実在する事は確かだと思うのですが・・・。                               by 隆ちゃん 814/815 MHD02672 TAO 出口王仁三郎のビデオ (11) 93/02/14 19:55  今日、八幡書店から出ているビデオの「甦る出口王仁三郎 昭和の七福神」を  見ましたんで、その感想をば。平成3年3月3日に発行されたらしいですね。 ^^^^^^^^^^^^  実際に動いている(当たり前か(^_^;))出口王仁三郎を見たのは初めてですが、  一見、変わった髪型の小太りのおぢさんという感じでした。  しかし悠然とした雰囲気と、“大人”(タイジン)という感じの風貌はやはりと  思わされました。  内容はというと、王仁三郎が次々と七福神に扮した、ただそれだけの内容。深〜い  意味があるのかもしれませんが、よう分からん(^_^;)。個人的に最も気に入った  シーンは、布袋に扮した王仁三郎が子供達に自分の大きなお腹をさすらせるところ。 この時の王仁三郎の表情も一際優しくてね。 (^_^)  (^。^)/(^。^)/ナデナデ( . )  あと、王仁三郎は自分の精霊はオリオン星座から降って来たと言っていたそうで、  背中にも、オリオンの三つ星をあたかも移したような印点があったとか。  何の話かというと、ARIONもオリオン星座から降りているそうだから、  単なる“お話”としても、面白い符号だなあと思って。  以上、ビデオ鑑賞の感想でした。  TAO 815/815 GGA02514 KAZE 自己認識 (11) 93/02/14 20:33 812へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 >またしても風邪ぎみで・・・あたふたしております。 >こういう時、一人だと困りものですね。 ありゃりゃ、それは困りましたねえ。 しっかし、隆ちゃんはよく風邪をひかれるようで、大変ですね。 その上、一人ということで、頼れるものは自分だけ(^^;)。 僕も、相棒が今日帰ってくる予定が明日になったので、まだ一人。 今日は、バランスのよいものを食べようと、ひじきと味噌汁をつくり、 それにスーパーで買ってきた鰹のたたきとで、夕食にしました。 ついでにイチゴの安いのがあったので、それをデザートにして、かじっています(^^)。 今日は、昼間は、例の声楽家のOさんのウィーン時代の友人で、 インド仏教を勉強しているというNさん(頭文字はOだけど紛らわしいので)が、 帰国して、こちらまで、日帰りで遊びにきているというので、 いっしょにいろいろ歓談していたのですが、とっても面白かった。 夕方のJRに乗らなければ、というので、時間があまりなかったのが残念でした。 そのNさんによれば、FARIONの深層心理研究室に関係のあるBUBUさんが、 知合いらしいようで、世の中狭いなあ、と思いました(^^)。 さて、 >イライラするのって本当に訳がわかりませんね。自分では冷静でいたのに、また >頭では状況を把握して納得しているのにイライラする。要は感情のコントロール >ができないからなんでしょうが、不思議です。 そうですね、感情というのは本当にやっかいなものですよね。 深い感情をそのままにしながら、感情をコントロールするためには、 やはり自己認識を深めるための、輪読会テキストの14章にあるような「行」を 着実にやっていくしかないのかもしれません。 おそらく、イライラというのは、ある種の感情的な自己正当化のできないことによって 生じる感情の不満あるいは反乱ということだと、僕は思っています。 つまり、シュタイナーのいう通常の自己というのは、「自己賛美」を求めているから、 それを「超越」するためには、 >どのような特性も一面的である。おまえのどこが一面的かを認識せよ。 >そして、おまえの特性を調和あるものにせよ。 ということを繰り返し自分に言い聞かせ、 さらに、「ほかの人の意見よりも自分の意見が大事だと思う習慣を捨て」、 「忍耐」ということを何事につけ心がけなければならない、というのです。 自分の感情を含めた一面性を絶えず認識しながら、それを補うべく心がけるというのは 言うはやすし、でなかなか行いがたいもので、僕もたまにそれを意識しては、 あ〜あ、またやっちまったぃ!なんて、自分の愚かさを嘆くことしきりです(^^;)。 >僕の場合は「胆力」が無いに近いように思います。考えるに僕は殴りあいの喧嘩 >をした事がなく(珍しいでしょう)、小さい頃から「胆力」を鍛える場面が少な >かったのですが、・・・ そういえば、僕も、臆病なせいと感情が激化しないこともあって、 殴りあいの喧嘩といえるほどのものはほとんどないですねえ。 一度だけ、中学生のとき、やたらと突っかかってくるヤンキー(^^;)がいて、 殴りかかってきたものですから、正当防衛で(^^;)、カウンターパンチを くりだしたことがありますが、それ以降そのヤンキーが 逆らわなくなったということがあったりしたくらいです・・・(^^;)。 でも、僕はほんと、とっても平和的なものだから(^^)、 胆力が鍛えられてなくて、今もその克服にむけて、 日夜仕事のプレッシャーなどに立ち向かっているわけ(?)なのです。 やっぱり、胆力というのは、「鍛えれば強くなるんだ!」ですね。 >免許証で住所や電話番号を控えられて、おまけに身体検査までされてやっと解放 >されました。うっかりする事はあっても法律は守ろうと思っているのに「なんか >悪いことしようとたくらんでるだろう」と言わんばかりに調べられるのはとって >も不愉快でした。 やなやつですね、そいつは。 僕もそういえば、大学時代バーテンをしてたころ、仕事が終わって、 真夜中というか朝方に、自転車で家に帰ろうとしてたとき、 職務質問をされて、身体検査までされた覚えがあります。 そんなに失礼とまではいえませんでしたが、なんか気分が悪かったです。 職務質問でも、やはりあまりに失礼な場合は、反対にそいつの名前などを 聞き出して、上司にでも苦情を言ってやることはできないのでしょうか。 仕事は仕事としてしかたないとしても、礼を失するというのは、 人間のとるべき態度ではない、と最近儒教を勉強しているKAZEは思うのでした。 輪読会についてですが、13章と14章というのは、12章の延長なので、 ほとんどいっしょにレジュメをUPしてしまいました。 レジュメをつくりながら改めて思ったのは、 やっぱり僕の考え方の原点にあるのは薔薇十字だなあ、ということでした。 それと、この神秘学遊戯団をはじめてから、いろんな認識ベクトルについて できるだけ幅広いパースペクティブをもとうとしてきているのですが、 やっぱり、「行」の原点というか、その基本は、 先ほども自己認識についてのところでふれたように、 自分の小さな性向についてできるだけ注意していくことにあるのだと思いました。 千里の道も一歩から、ということが言われますが、 いかに一見立派に見えるような方であっても、ほんのささいなところが できてなかれば、その見せかけの部分で生きようとしてるのだな、と すぐにぼろがでてしまいます。 そういえば、別にこれは立派に見える方というのでもないのですが、 たまに会って話すことのある、禅寺の住職さんは、 たとえばシュタイナー教育について話す会に来られたとしても、 今自分の関心事だけをとうとうとしゃべり散らしていきます。 それがどんな趣旨の集まりであろうとそんな態度なので、 たまりかねた友人が、そんなことしてると誰も相手にしなくなると、と諭しても 大事なことを話しているのに、それを聞こうとしないのはもってのほかだ、と (僕はそんなに大事なことだとも思わないのですが)、 心外そうにしていたそうです(^^;)。 先ほどの自己認識についてのあたりで、シュタイナーは、 自己認識は人間にとって、もっとも困難なもののひとつである。そして、自 分のことをよく知っていると思っている人が、もっとも錯覚に陥りやすいの である。そのような人は、あまりに自分自身のことを考えすぎる。自分自身 に凝り固まり、絶えず無造作に「わたし」という言葉を口にする。「わたし は考える。わたしは信じる。わたしはそれを正しいと思う」というような言 い方をする習慣をやめるべきなのである。 ということを語っていますが、やれやれ(^^;)、といった感じです。 あらら、ここまででけっこう長くなってしまいましたので、 「足の健康法」については先送りして、 あと、#813に関連したことなどをちょっと。 僕の考えは、基本的に隆ちゃんに近いと思います。 >僕の考えている民族はNoBさんがおっしゃっている具体的なものではなく一種 >「幻想」のようなものなのかもしれません。頼りない話ですが、その「幻想」 >も実在する事は確かだと思うのですが・・・。 そうですね、「意識」を「幻」だとか「情報」だとかいうことが可能ではありますが、 それは、あるレベルにおいては、「実在」するととらえる必要があるように、 民族意識だとか民族ということも、それなりのレベルで「実在」するということは 否定できないと思います。 もちろん、民族意識のマイナスな側面ということについては、 もっといろんな角度から検討を加えなければならないということは事実ですし、 いずれそういう「垣根」というか「幻想」をとっぱらう必要性があるのも事実です。 しかし、それを短絡的に「幻想だからそんなものはないのだ」ということは危険です。 それは、自由・平等・博愛ということが、それ自体は素晴らしいことであっても、 それを無差別的にすべてに適用させてしまうと、 とんでもないことになってしまうのと、まったく同じことです。 つまり、「なんでもかでも平等であるべきだ」、とか 「なんでもかでも自由でなければならない」とかいうことを強要すれば、 (現代の日本の教育にもみられるように) 破壊的な状況になる、というのと一緒です(^^;)。 >民族意識が全て馬鹿げているという事とご紹介いただいたKの文章(ちなみに触 >発されてとうとうKの「最後の日記」を買いました。最初に読むのが「最後の・ >・・」というのがなんだか間抜けですが)から思う事は「ちょっと悲観的すぎは >しないか」ということです。 そうですね、あの悲観的なところが、僕にもとっても気にかかる部分です。 Kの言っていることは、基本的に正しいといつも思うのですが、 それを手放しに肯定できないというのは、その悲観的な部分にあります。 その悲観というのは、Kがそれを語っている背景には、世界の各地でみられる さまざまな悲惨な現状に対する強烈なアンチテーゼであることは重要な部分ですが、 問題は、その「悲観」を読者にプロセス抜きで強要してしまうところにあります。 先の、自由・平等・博愛の無差別攻撃ということと同じです。 このことは、おそらく先にも述べたシュタイナーの自己認識の行についてのあり方を ある種の習慣化というプロセスを抜きにして適応させた場合と似ていると思います。 そこらへんが、Kの「身も蓋もない」ところだと僕はいつも思っているのです。 そのことは、子供の教育に関して、プロセスを大事にするシュタイナーの考え方と、 Kの教育に関する考え方とを比較してみても、理解しやすいかもしれません。 今日は、チベット仏教やインド仏教の専門家の方と知り合えて、 また新しい認識のベクトルを加える契機になりそうだと期待しているKAZEでした。 PS グルジェフの音楽ですが、貸してるCDが戻ってきしだい、 ご案内させていただきますので、もそっとお待ちを(^^;)。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/15 - 808/813 NAG02033 EX ダンスはうまく踊れない (13) 93/02/14 14:44 コメント数:1 コンピュータ化社会は始まったばかりである。メガがギガになりテラ等となって 行くように、その処理能力の量的増大は、ある域値を越えると質的な進化をもた らす。 現在、科学計算分野で先取りされている製造、計画、シミュレーションの詳細だ けでなく、根本の舵取り、意思決定、優先順位までもコンピュータが、指示する 様になる。 何故ならば、日本の学歴偏重社会で重んぜられる価値そのものを、コンピュータ が凌駕する為である。しかし、勿論これは、根本の運営に係わる伝統、秘儀が存 在していない事を意味しないのではあるが。 これらは一筋縄ではなく(勿論だ)その中での、個人の係わり、配置、巡り合わ せ等も、思い起こせば神妙に繰るられているような印象さえ受ける。 (まさに初歩的な認識に過ぎない?) 伝統の存続、人の根本価値の選別まで、人は、石の機械にゆだねてしまうのか? 石に「霊主体従」と「体主霊従」の差が分かるであろうか? その中にあって、大方は、当人の力の及ぶ範囲内での「愛の開示」やら「おかし いと思うことはおかしいという」などで、満足してしまうのである。 そのような少しでも自我の入り交じった行為はすべてコンピュータ支配の領域下 に置かれていくにも拘らず。 いずれにせよ・・・ 根本の堕落を、そして在るがままを、自己の思惑に係らず見てゆく他ないようだ。 (踊りがなかなか上達しないのである。のりが悪いせい?) (と相変わらずの犬が棒に当たって倒れてしまう展開なのでHELP!(^^;)v) ″EX:NAG02033 ″ 809/813 PBC00367 Q・ka・ka RE:再び、烏山神社について (13) 93/02/14 16:54 805へのコメント COOLさん、こんにちわ。 私は冬至と夏至には、たいてい神社におまいりします。 春分、秋分に行くこともあります。 去年の冬至には富士山におまいりしました。 私の先祖は代々、富士信仰で東京から富士まで歩いて登っていました。 ですから「富士まで歩いて行く夢」というのは、先祖帰りのようなものでは ないかと思います。 810/813 QFH02012 アラミス RE:もう少しお付き合い願います (13) 93/02/14 19:04 764へのコメント 返事が遅れました、オリハルさん。 *  ちょっと誤解しているようですが、私は初めからオリハルさんと話をしたいと 思ってましたので、ハッキリ云々をオリハルさんのせいにするなんて事は考えて もいません。 それで、私の持っていた疑問はこの前のRTで大体わかりました。(書き込みに 何等意図が無いと言う事と、ただ楽しんでもらえればそれで良いと言う事・・) つまり理解はできた訳です。 しかし、理解できても納得したわけでは無い。私の中のモヤモヤとした感じは消 えない・・そして「何か変だ」というこの気持ち。これでいいのだと無理矢理自 分に言い聞かせる・・そんな自分に嘘を付く様な事はできません。 本来ならここからまた始まるのでしょう。でも私としては話の持って行き様が、 無くなってしまいましたので、オリハルさんへのRESはこれで最後にします。 短い間でしたが、どうも。 811/813 QFH02012 アラミス 踊れなくとも笑う者無し (13) 93/02/14 19:05 808へのコメント HELP!と言われても助けられないけど(^^;)、 つまり、ここFARIONと言う場でさえも石の上に展開されている訳ですが、 それがどうにもこうにも納得しがたい・・と言いたいのだろうか? 思うにEX氏とはFMISTY時代以来から顔合わせる事が多いのだが、どうもメソッ ドなりロジックなりにこだわり過ぎ、振り回され過ぎではないかと感じるのだ。 「そんなもんいらん!ガハハ・・」と笑い飛ばすぐらいの気分で望んでみたら どうだろうか?。 (あのー、全然検討違いだったら読み飛ばしてくれたまえ(^^;)>EX) 812/813 GEB00123 しょうる 1999年 (13) 93/02/14 22:45   1999年は言わずと知れたノストラダムスの予言にも   出てくる年ですよね。    私の周りだけかもしれませんが、先の事を話す時に1999年に   どうせ終わってしまうのだからという人がたまにいます。   うーむ、これはやはりTVのせいでしょうか?      まあ、本心からそう言っている訳ではないでしょうけど。   なかなか今まで耳にしたことが多いような気がします。   うーむ・・・。   確かに1999年あたりに何か危機があるかもしれませんが、   それで人類滅亡に至るとは私は思いませんけど・・   でも、このまま環境破壊が進めば21世紀には人間が住む事が困難な星に   なるのは明らかですが、そこまでメチャクチャにはならないとも思います。    無論、私達がこの星に住んでいる訳ですから私達次第なのはいうまでも   ないですが。   果たしてどうなるでしょうか。                        しょうる 813/813 JBH00742 COOL RE:語先祖様の話(長文注意86行)…ナガイ( (13) 93/02/14 22:54 800へのコメント  こんにちは、ユーリさん!  貴重な書き込み、有難うございました。  (ちなみに私は副議長ではありません…。)  さて、最後の決戦が“多賀城市の近辺”で行なわれたということですが、  私の手元にある資料では、“盛岡市安倍館町の厨川柵跡”で行なわれたのが  安倍氏最後の戦いと言う具合に書かれてあります。  私は昨年の末に、人と連れだって数日間東北地方を旅行したのですが、  以下、訪れた場所の一部を順番に記します。    (塩釜市)塩釜神社−−→(平泉町)中尊寺−−→(雫石町)駒形神社!?  これをユーリさんの書き込みと照らし会わせてみると次のようになります。    (多賀城市)多賀城−−→衣川村(衣川柵跡)−−→(安倍館町)厨川柵跡  ところで、中尊寺にはかなり奥まったところに白山神社が奉られています。  お参りに行ってみたのですが、私は何となく妙な感じ?がしました。  そして、宿泊所への帰り道、国道4号線に沿って(北上)行く途中  道沿い(右手側)に別の?白山神社を見つけたのです。  では、今後ともよろしくお願いします。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/02/15 - 031/036 GFD00204 松川 貴     RE:日本と大和心 (15) 93/02/14 13:24 024へのコメント  ゾウリムシさん >本当の大和心なるものが、どういうものなのかは、まだよくわからないが、これか >ら探究していきたいと思う。  心の実質はその流動性にあるのではないかと思います。しかし、「大和心」がそれ ほどにすばらしいものであるなら、他国の人にも理解されうるものでなければなりま せん。ひとたび理解されたなら、それは人類共有の精神財となりますから、オリジン ごっこをする人は愚者です。でも、この衝動は大抵の人にありますよね。  しかし、それが日本人にのみに有効に働くたぐいのものにすぎないのなら、いくら それを称揚してみても他国人にとっては厭味な押しつけにしかならないでしょう。  なにか徳目のようなものだと想像するとあまりたいしたものじゃないような気もし ます。たとえば聖書からでも、日本の武士道で称揚されてきた徳目のいくつかを、ほ らここに同じようなことが書いてある、と指し示すことも可能でしょう。  ですから、日本人が内面の意識に衝動として抱えてきた精神(そのようなものが現 実にあると仮定しての話ですが)が、現実世界との関連の中で、しかも、行為の結果 として人々に示されるときにのみそれは評価されるべきでしょう。行為で示せばいい のであって、「大和心」という言葉を、欲しがりもしない人々に押しつける必要はさ らさらないだろうと思います。  結果としてよき果実が生じたとき、それをあるいは他国の人が「ああ、これが日本 人の心か」と言語化してくれるかもしれません。  しかし、本当はこういうことなのではないでしょうか。「いいえ、それはあなたの 心でもあるのです」                                   松川 貴 032/036 GFD00204 松川 貴     RE:吾妻恵比寿登場 (15) 93/02/14 13:26 026へのコメント コメント数:1  フェイさん  フェイさん、人を褒めるというのはいいことですよ。それにこの会議室に集まって いる人々はあなたほど西郷や坂本や福沢のことを知りません。ですからあなたが >西郷にしろ坂本にしろ手ばなしで誉めてるのにはそれだけで眉に唾をつけます。と >いうのは彼らは現王朝創建の功労者なんでね、点が甘くなるのが当然なのです。 >福沢というのはわりとその思想がわかっていて、そのダブルスタンダード振りがは >っきりしてるので更に嫌いなんです。天は人の上になどという者がああいう天皇論 >やアジア論を持てるんですからね  というふうにブリブリ怒っても、私にはあなたが何をいわんとしているのかはっき り分からないのです。だからフェイさんが上に書いていることを、もっとちゃんと私 たちに理解できるようにしていただきたいのです。あなたは事実を知り、私たちのほ とんどは、それを知らないのですから。 >さて、表題の通り吾妻恵比寿ですがこれは全然本来卑下した言葉ではありません (卑下した方はよそものが付けた当て字の東夷の方)。  いえ、私にはあなたがみずから自己卑下しているように見えます。私は今まで生き てきた中で、人のことをアズマエビスと呼んだことも、また呼びたいと考えたことも ないからです。だからフェイさんが何か心にいちもつ持っていることは文章から分か るんですが、それをこの会議室に向けられても困るんです。  私は特定の個人を称揚したりけなしたりするために塾長を務めているわけではない のです。(歴史的評価は、良い方向、悪い方向に関係なく大切でしょうが。)だから 私にすればフェイさんひとりが、私から見ればよく分からない理由でやたらにカッカ と燃えているように見えます。 >それから見ると、私はね伊藤(博文のことや)の関係でいえば朝鮮の人が安重根を >英雄と見る方にむしろ惹かれるのです。 > たとえば会津。西郷の名など聞くのも厭というところ(若い人はどうだかしらな >いが)ですが、むしろ志士(これも大嫌いなネーミング)よりもそちらに惹かれる 。  ここでもフェイさんはひたすら燃えるばかりで、なぜそのように感じるのかについ て私たちに何も説明してくれていません。だから、私を含め、まだほとんど維新につ いて深く研究した経験のない者には、フェイさんの気持ちを理解したくても不可能な んです。もちろん、この会議室の中にも「ははーん、あのことね」とニンマリしなが ら読んでいる人もいることでしょうけど。とにかくもう少し説明をお願いします。 >しかしなあ、志士というのはなんであんなに人気があるのだ? わからん。  「志士」という言葉を、例えば「ドリカム」とか「ユーミン」に代えてみてくださ い。私もしょっちゅう「志士」という言葉を別の言葉に代えて毒づいていますよ。  私にいたっては一年前まで、「志士」に人気があるということさえ知りませんでし た。もし本当にこれが陰謀なら、フェイさんはその悪巧みを、みごとここで暴いてみ せてください。それこそ「『個』の旗を立て、『公』に尽くす」新たなサムライの気 概というものです。 >PS.削除ファイルにはこういう趣旨のこともありました。志士というのは関ヶ原 > の情け(お家とり潰しまではやらなかったという意味)を仇で返した者たちとい > う意味です。こんな事になるなら毛利島津など息の根を止めておけば良かった。 > あいつらは武士道の風上にも置けない、云々。この国でもっとも不足しているの > 歴史の見方の多面性ではないでしょうか。  フェイさんにもっとも不足しているのは、自分の気持ちを他人に分かるように書く という技術です。失礼しました。                                   松川 貴 033/036 GFD00204 松川 貴     RE:心と日本の役割について (15) 93/02/14 13:27 027へのコメント  いらっしゃい、伊藤博文さん、勝海舟が『氷川清話』でめちゃくちゃにけなしてい た政治家というのは、本当はあなたのことだったんですよね。編集時にあなた個人の 名前が別の表現にすり替えられてしまいましたけど。 (すみません、伊藤博章さん。あなたの名前が博文と一字違いだったので、ついおチ ャメ心であなたの名前を利用して遊んでしまいました。どうかアホな私を許してくだ さい。)  日本の世界における役割について、考えていきたいとのこと。国際政治はあまりの も巨大過ぎてめまいがしそうです。これからもおもしろい話を聞かせてください。                                   松川 貴 034/036 PAH02015 フェイ RE:吾妻恵比寿登場 (15) 93/02/14 14:03 032へのコメント  う〜ん。確かに問題のある発言ですね。その指摘にはまいりましたので、勉強し て出直します。失礼しました。 035/036 HGE03563 OZ弐 日本の精神ってナンダ? (15) 93/02/14 19:25 ボクは、歴史や神道を調べる趣味が無いので、 この会議室とは合わないかなーと考えていたのですが、 松川さんのレスを読んでるうちに、 普遍的なものを追求する姿勢のようなもの(?)がみえて、安心してしまった。(^^;) ボクのノーミソは、境界線を引くのが苦手なようで、例えば、 日本の精神のことを考えると日本の精神のことが分からなくなってしまいます。 日本の英雄たちのことを持ち出されても、 海外の英雄たちとどこが違うんだよっ・・ってな疑問が浮かぶ。 ボクの目から見たら、 ガンジーもキリストも勝海舟も禅僧(悟道の達人)も皆同じに見える。 皆、「赤誠無私」の精神を持っている英雄だ。 この高い精神性を持った者がたまたま日本という「場」に生まれると、 日本の英雄となるのだとさえ思っている。 だからボクの場合、 日本精神から日本だけのものを抽出すると、そこには精神は無く、 日本という「場」だけが出てくるのですけど・・・。 この考え、おかしいでしょうか? 036/036 GFH02347 ゾウリムシ 027に関連して (15) 93/02/14 20:45  確かに、現在の状況は、動物たちにとってつらい状況だと思います。 現在の人類は、地球や他の種にとって、ガン細胞みたいなものかもしれませんね。 また、人間の幸福の追求についてですが、何を幸福と感じるか、 何を楽しみとするか。 でしょうね。 これは、文明のあり方や、人間の活動のやり方、生活のやり方そのものにかかわって くる問題です。 現在私は、こう思っています。 宇宙の多くの振動層の1 つ、私たちが物質界と呼ぶ世界。 この世界で、原子とか細胞とか、肉体とかを使って、比較的、安定した情報交換の場 を作り、異なる意識体と出会う。 それが、物質界の利点だ。 肉体は、意識を、安定した情報交換の場につなぎとめるための、安定化素子。 そして人間が、物質界の役割や利点をもっと再認識したら、もっと物を大切に するようになるかもしれない。 一方が食べきれずに食物をすて、もう一方が、飢えて死ぬ。 などという、楽しみを へらすような事は、やらなくなるかもしれない。 いずれにせよ、 世紀末が終わり、生き残った人達は、( 地球があっての話だが、) 大規模な、植林を せざるをえなくなるだろう。 それも雑木林。 ある小説の中で、森林は地球にとって、皮膚( 体毛ではない) そのものだ。と、書い てあったが、私もそう思う。 他の動植物が死滅して、人間だけ無事ですむわけはなかろう。 まして、死滅さした。とあっては、 ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ - FARION MES(17):◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 93/02/15 - 257/257 GBE02650 ユ−リ RE:アンドレイ・ルブリョフ (17) 93/02/14 15:36 255へのコメント  ユ−リです。  待望の『アンドレイ・ルブリョフ』観ました。  僕はタルコフスキ−監督は自分のことを「イコン画家」だと思っているのではないか と感じていたのですが、この映画を観て一層その感を強くしました。  僕はイコンについて、それほど詳しくは知らないのですが、確か、それを観ることが 信仰に繋がるという性質のものだっと記憶しています。  そして、タルコフスキ−の映画を観ると、もう、それだけで信仰の何たるかが解って くるような、と、いうか、それほど信仰を抜きにしてタルコフスキ−は語れないのでは ないかという気がします。  だから、僕のような神を持たない者ですら、中身がカスカスの宗教書を何冊も読むよ りも、タルコフスキ−の映画を一本観たほうが、ずっと得るものは多いと感じています。                   ユ−リ(GBE02650)