- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/02/15 - 133/154 NAG02033 EX RE:結婚するど ( 2) 93/02/15 00:22 126へのコメント  #126 CHARAN さん  え?! CHARANさんがガラパゴス諸島さんだったんですかぁ・・  (そういえばイラン人租界区のお話はもろそういう感じでした(^^;))  ご結婚おめでとうございます!  (行間から 幸せが漂ってくるかんじですよぉ いいなぁ) (*^_^*) ″EX:NAG02033 ″ 136/154 HGE02116 MAKOTO はじめまして☆ ( 2) 93/02/15 00:53 コメント数:2 始めまして、岡山の片田舎の住人、MAKOTOと申します。 NIFTYに入会して四カ月。 ここに来るようになってほぼ一ヶ月。 いい加減で自己紹介くらいしておこうかなって思ったわけで…(^^) このフォーラムの事を知ったのは、NIFTYにどんなフォーラムがあるのか 調べようと思って買った「NIFTY-Serve データライブラリ・ディレクトリ」を見て。 で、タイトルに引かれて、ついふらふらと…(^^;) (ちなみに、ここだけでなく、「MISTY LAND」の方にも勢いで 入会してしまいました☆ あっちも同じ様な話題だけど、ちょっと雰囲気 が違うような気がする… はて、どっちにより馴染めるやら…?) もともと、ここで取り扱ってるような話題って大好きです(^^) 精神世界、神秘学、超自然現象、古代文明、宗教論、オカルトもどきの よた話、その他色々なんにでも興味があります。 で、かつては「UFOと宇宙」やら、「たま」やら、「ムー」やら、 「トワイライト・ゾーン」やら、この手の雑誌を色々読み漁っておりました。 雑誌ばかりじゃなく、この手の書籍はお財布の許す限り…(^^;) なのになぜかここ数年、見事なくらいに熱が冷めてたのです。 それが、ここのお蔭でまたまた好奇心に火がついてしまいました(^^) 市内区域どころか隣接区域にもNIFTYの接続ポイントが無いので、 みかかが怖くて(^^;)、特に強く好奇心を引き寄せる会議室しか読んで ないのですが、世紀末フォーラムの先輩方、今後はよろしくお願い しま〜す☆                           MAKOTO 138/154 GBG02043 維/YUI RE:どもども ( 2) 93/02/15 01:06 105へのコメント コメント数:1 あの〜〜〜・・・。 失礼かもしれませんが、COOLさんって、なんか・・・変わりません?? こんなネタ書き込む人でしたっけ??? それとも、だんだん猫がはがれてきたんでしょか??? (^^;) 維/YUI。 142/154 SDI00635 みれ RE:結婚するど ( 2) 93/02/15 03:22 126へのコメント  おー! おめでとう(^〇^)>CHARAN & 裕子ちゃん  そかそか、とうとう年貢を納めるだな?(笑)  子供が欲しくなったので、これを期に籍を入れることにしました…だって(^O^;)  CHARANくんは、照れてるんだなぁ(^"^)…ツンツン…>>>>CHARAN  今年は「雛型」形成の年、本当に好きな相手と本当の幸せな家庭を作って、是非 是非、素晴らしい未来を、この世界にもたらして下さいましねっ★  CHARANくんの決断は、きっとその他の結婚予備軍の人々に勇気を与える(^-^;)こ ととなるでしょー。予備軍の方々も、頑張って幸せな家庭を作ってくださいましね。               ・:*:・みれ・:・。,☆ 143/154 SDI00635 みれ FARIONの会員数が!! ( 2) 93/02/15 03:30 コメント数:2  そろそろ、3000人の大台に乗りますっ★>ALL  93年02月14日06時04分現在、会員数は 2958人 です(^_^)  昨年5月1日にオープンして以来、快調に会員数は増えています。  SYSOPとして、とっても嬉しいことです… m(__)m ペコ  で、さはしマスター!! 皆さんに、あたしからブラントン(バーボン)を ご馳走しておいてねぇ・・・・・もちろん、マスターもおねーさん方にもね(^_-)-☆ (3000人になる前の、前祝い酒ってことで(^_^;))           ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ★ 146/154 GBG02755 スマル RE:どもども ( 2) 93/02/15 09:40 138へのコメント 全く同感です。 COOLさんて、話し掛け安くなったね。(^_^)                      どうしたんだろう。?スマル 148/154 GBG02043 維/YUI 今日(2/15)のメッセージに ( 2) 93/02/15 14:21 コメント数:1 >>微笑みの中に涙も怒りも苦しみも溶かして、維/YUIさん生きてゆこうね うん。 最近あるのは、感情というよりか、思考停止の何ともいえない気分。 悲しいのか怒りなのか、わからない・・・。 微笑みが、蝋人形のようにならないためには、細かい修正ってか、破壊・創造が つきものなんだけどね・・・。 なんかさ・・そういうのが思いっきりできないのって 嫌じゃない?? 生きているってのは、刻々と表情が変わっていくことで、 それができなかったら、生きてない気がしちゃう・・・。 怒りや涙や苦しみを押し殺した上にある微笑みは、どこかうっとうしさを感じるけど、 それらを通って、越えて生まれてくる微笑みは、心地好いし信じられる。 言葉遊びみたいだけど・・・。正確にそれを見分けられるわけではないけれど。 少なくとも自分の微笑みくらいは、気を付けられるもんね。                              維/YUI。 152/154 HFD01514 なえ MES TO DAY(2/15) ( 2) 93/02/15 16:38 >>微笑みの中に涙も怒りも苦しみも溶かして、なえさん生きてゆこうね だね。そう思う。微笑みに依って、その光は失われる事は無いから。 どんな中でも淡々と生きたい。愛をこの手一杯に受け止めながら。 信じきる事。そこに失う物は一つも無い。信じきる事。それが最大の愛の姿。 (しばらく都合でROMってます。復帰未定。であであ) - FARION MES( 3):【縁 会】オフ:プラン・レポート----<01> 93/02/15 - 639/639 SDI00635 みれ RE:遅れまして・・オフです(^-^) ( 3) 93/02/15 20:16 632へのコメント  #632 ひらがな たん♪ ええとあたしも途中からになるか、最初っからか不明ですが、一応出席の 意志はありますので(^_^)Y。 オフにいらっしゃる予定の方々、あたしが途 中参加になっても、SYSOPいぢめをしないように(^^;)                  ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ★ - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/02/15 - 373/378 HGC02325 ガッチャ 聖地エルサレム ( 6) 93/02/15 01:21 352へのコメント コメント数:1  展覧会の絵のライブでは、ナイフはどうだったかな〜(^^;)  また今度見て見ます(^_^)  「聖地エルサレム(JERUSALEM)」の事に付いて  この曲は、イスラエルの国歌ではないと思いますよ。  (最後に歌詞の解釈をすれば分かると重います)  私はこの曲を聞くと、なんか非常に「懐かしい」って感じがします。  この曲を最初に知ったのは私が中学3年だった訳ですが、懐かしいと思うのはその  せいかも知れません。  「炎のランナー(CHARIOT OF FIRE)」の最後の部分にこの歌を少年聖歌隊(のような  少年達)が合唱している場面があります。  また確かに CHARIOT OF FIRE という詩も出てくるんですよね。  私は、この場面を見た時に「こんなふうに、イングランドでは、日常的に歌われて  いる、みんなが知っている歌なんだ」って思ってしまいました。  実際にはどうか分かりませんけどね。  また、ついついTVを見ながら歌ってしまいました(^^;)  良い歌ですよね〜(おおい、日本精神はどうした>をれ)  ではでは、詩の解釈(^^;)   And did those feel in ancient time, Walk upon England's mountains green ?   知り得る事が出来る限りの古代の時にイングランドの緑の山々を歩く?   And was the Holy Lamb of God on England's pleasant pastures seen ?   神の聖なる羊は見渡す限り美しいイングランドの牧草地に居たのだろうか?   And did the Countenance Divine, Shine forth upon our clouded hills ?   神の御影は我らの暗い丘を照らし出すのか?   And was Jerusalem builded here Among these dark Satanic mills ?   この暗い悪魔的な場々の中のここにエルサレムを建てたのか?   Bring me my bow of burning gold ! Bring me my arrows of desire !   私の黄金に燃える弓を取れ! 私の欲望の矢を取れ!   Bring me my spear: O clouds unfold ! Bring me my Chariot of fire !   私の曇りを見せた槍を取れ! 私の炎の戦車を取れ!   I will not cease from mental flight; Nor shall my sword sleep in my hand   私は精神の飛翔をやめない、また剣を腕のなかで眠らせておく事もしない   Till we have built Jerusalem In England's green and pleasant land.   イングランドの美しい緑輝く地にエルサレムを建立するまでは  この詩の内容では、イスラエルの国歌にはなりそうもないですね。  (現在のイスラエルの首都はエルサレムなのですが、首都と認められていない為、  England の部分の変更のしようがないのでは)                              ガッチャ 378/378 GBG02755 スマル 炎になって燃やし尽くしてしまえ! ( 6) 93/02/15 15:37 失うものは何もない 炎があなたを燃やすのではなくて あなた自身が炎になって あなたの心にくすぶる恐怖を燃やす 炎の水の流れるこの体 燃え尽きることなど恐くない その先にあるものは あなた自身が知っていて あなたのその目で確かめられるのを待っている たぶん、あなたは自分を見るだろう もう一人のあなたを見るだろう いとしい、忘れ去られていた、あなたの分身を見るだろう                  走れ!走れ! 道は続いている - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/15 - 793/794 NBB01420 SUKE 科学って不用かな? ( 7) 93/02/15 00:34  ARIONへ、  「カミ・コメ・ツチ・ヒト」に科学万能主義についてありました。  科学万能主義というのは、私も賛成できません。  しかし科学そのものは、精神世界から見て価値のないものでしょうか?  科学というと近年の「産業」を連想しますが、  本来、科学とは自然を理解する「学問」であった筈です。  分からなかったことが分かるようになること、  それは感動であり、その感動故に学問は芸術に通じるものがあると思います。  現代科学は「理を知り、自然を制御する」ことが目的で発達していると思います。  産業的思想では、人間の利を求めているからです。  しかし、本来自然科学と呼ばれるものは、「理を知り、自然と調和する」ことを  目的として発達すべきだと、私は考えています。  例えば、大地の形状から霧や湿気の出易い土地を推定することは出来るでしょう。  ならば、そこには家を建てない、というのが本来の自然科学の使い方に思えます。  ところが、現代科学のやり方では、湿気に対抗する材質の家を作り、  室内をエアコンで調整するというその場逃れの対抗策を施すのです。  こうした現代科学のあり方は、自然科学と対して、人工科学とか都市科学と  呼ぶのが良いかも知れません。  私は科学そのものを否定したくないのです。  むしろ、それを使う人間のあり方に問題があるのではないでしょうか?  ARIONの示そうとしたこととは違っていますか?                                Suke. 794/794 GDB00064 オリハル RE:怒りについての私見 ( 7) 93/02/15 00:39 791へのコメント 以前、私は、MES 10の#62に怒りについてUPしました。よければ見てね。                            オリハル P.S.ちなみに#63には、プライドについてUPしました。よろしく。 - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/02/15 - 563/564 GDB00064 オリハル RE:破恋他隠DAY ( 8) 93/02/15 00:42 561へのコメント 元気出してねー。             オリハル 564/564 PFA03563 YAHATA RE:破恋他隠DAY ( 8) 93/02/15 05:01 561へのコメント  #561 *ねぎひさお* さん  それはそれは、御愁傷様です…m(__)m  私はそれが怖くてか、距離を縮めようとしない卑怯者ですから…。 下手にいじると壊しそうで… YAHATA - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 93/02/15 - 087/087 PFB00276 コスモ RE:猫が好き さんの問題提示に興味があり ( 9) 93/02/15 14:33 085へのコメント  占いを信じている場合、私の独断と偏見ですが、何らかの根拠を持っている方はほとんどいないようです。私自身は生体リズムに対する天体の影響を調べているので、占星術の中に何かしら科学的な事実が含まれているのではないかと考えています。また、超心理学の中には、占いは潜在意識との通信手段としてオカルト分野で使われてきた、と考える人もいます。  さらに、「内なる神」を潜在意識の働きと捉える考えもあります。神秘主義的宗教には霊感やお告げ、占いなどが付随しています。そのような考え方と、以前にもお話ししたように私自身の(神秘?)体験から、人間自身の中にまだ現代の科学で解明されていない可能性が秘められているのではないか、それは「心」がキーワードと考えています。  聖書に言われる「信仰が奇跡を生む」というのも、医療分野のプラシーボ効果も基本的には同じではないのかと。暗示が現実になるとも言えるわけです。ですから欲望の拡大再生産のようなことでなく、純粋に(何がそうだか知りませんが)良い思考なら信仰も捨てたものではありません。(だから宗教も占いも無くならない?)  私は宗教に対する知識はほとんどありませんが、皆さんのお話しの中から、このような内なる働きに対するヒントが得られればと思っています。                          コスモ - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/15 - 816/823 PAG03543 NOISE 神ながら、むすびの道(長文注意) (11) 93/02/15 00:24 コメント数:1  どうもKAZEさん。  本屋を散歩をしていたら、KAZEさんが紹介していた「カライドサイクル」があっ たので、購入しました。この本は翻訳されていますが輸入書扱いなんですね。奥付 も価格表示もないのでした。  まだ組み立てていないのですが、『動詞』の循環や、『天国と地獄』の相対する 図案が面白いですね。造るのが楽しみです。  この手の本は、ミシン目を入れたり、折り目をプレスしたりと、手間が掛かるの で一般図書とくらべると、以外に高価になるものですが、ほんとうに安い。これも 輸入図書だからなのでしょうね。  エッシャーの芸術からは、デーモン的な要素を強く感じるのですが、そもそも、 芸術とデーモンとは深い関連があるといいますし、その要素の微塵もないものは魅 力も乏しいようです。  さて、この間、ひさしぶりに『魂のネットワーキング』(泰流社)を読みかえし ていたら、「審神」や「神道」の本質に関して、的を得たお話がのっていましたの で、引用してみます。この本は6年ほどまえに出たものでして、鎌田東二さんと、 当時、「月刊アーガマ」の編集長をしていた松澤正博さんの対談集です。シュタイ ナーから、日本の神道霊学、宮沢賢治、三島由紀夫、そして、ナウシカなど、多彩 に語られていて、面白いので推薦したいのですが、しかし、出版されてからかなり 経過していますので、現在、在庫はないかもしれない。  で、装丁が「ぷぐ」さんなんですよね、見てるかな〜?。  「アーガマ」は現在、季刊誌として発行されていますが、方針の変化と、編集陣 が入れ代わったせいで、全く魅力のないものになってしまいました。  前置きはこのへんにして、引用を…… -------------------------------------------------------------------------- 鎌田 ………霊的認識や霊界通信の精粗や段階を見分けていくのは、じつにむつか しい。まことをつくして、おのれを透明な鏡のようにして、崇高なものに直接して いくことができれば、そこにいろいろなものが写ってきて、直観的にも、たま理性 的にも判断できる局面が必ずあるとおもいます。ぼくはそうしたときの理性の役割 の大切さ、その理性というのは近代的合理精神というのではなく、智恵(ソフィア) や般若(プラジニャー)という意味での澄んだ直観的理性ですけど、その大切さを 最近つくづく感じますね。−−−でもひじょうに重要なことだとおもうのは、名付 けえぬものの体験というのに入ったときには枝葉における違いじゃなくて、内奥に ひびいてくる熱い塊のようなもの、力のようなものが相当あるとおもうんですよ。  だから、一種の透明なうつし出す鏡というか、そのような認識の鏡として、自分 が浄化されたり、清められていったりしたときに、まこととまことが「肝胆相照ら す」というような、そういうひびきが通じあう時が必ず、いろんな人のプロセスの 中でもあるとおもうんです。 そこには、やはり言霊がひびいている。そういうひ びきというものを信頼せずには、なにごともその先には進めないとおもう。その全 体の一つ一つの文脈、センテンスに気をとられるよりもそれをつき動かしている言 霊のひびきのようなもの、あるいはまこととか、その背後の宗教性とか霊性とかと いったものにぐんぐん近づいていく行為のほか、それを読む、あるいは生きるって いうことには近づきえないという気がする。 松澤 それはその通りなんだけど、それが単純な道じゃなくて、禅でいう魔境に入 るっていう幻視、幻覚、幻聴にすぎないことがありますね。それがまずひとつ。そ れからイエズスもそうだし、釈尊もそうなんだけれど、悪魔の声を聞いていますよ ね。それをどこで聞き分けるか。 鎌田 はいはい。もっともらしいことも多分、出てくるとおもいますね。宮地水位 の言葉に「神通は信と不信とにあり」という言葉があるけど、いい得て妙だとおも います。だからこそ霊学にとって「審神」が根本になってくる。その審神が可能な のは「浄心」の中でだけです。 ほんとうに真実めかした声で語る。だけど威嚇的 であったり、高圧的な感じがしたりして、最後に、乗りきれなくなる。それは何か というと、まこととか、祈りとかっていうものが通じるか通じないかっていう、ほ んとうにぎりぎりの線のような気がするんですけどね。 そこはほんとうに表現し がたいけど、神道には、神々の声を謙虚に、そして素直に聞き従おうという感覚が 伝統としてあって、まことの直観的感覚に対する鋭敏さが残っているようにおもう。 松澤 うんぼくなんか教えられたのは、自分の現実界にとって有利に働くような声 は悪魔の声だとおもえって、そういうふうに…。 鎌田 それは道しるべになるかもしれないですけども、たとえば、エゴイズムを離 れたところで、全体にとって善で、必然的なものっていうのが、もう一つあるでし ょう、一つの指針として。 松澤 ありますね、ありますね。だけど、そういうこと以前、もっと以前の段階で、 自分の得たもの、聞いたものっていうのは、よおく確かめていかないと。 鎌田 その点については、慎重に過ぎるということはない。友清歓真は、正邪と善 悪は違うっていってますね。善悪の判断は相対的で、たとえば邪神もある人にとっ て善なことを行う場合がある。だから正邪というは、善悪ではなく、道に叶うか叶 わないかであるというのです。つまり、神ながらの生成発展、進化、理法に叶うも のはたとえ現実社会では悪とされようとも正であるというわけです。イエスをはじ め、宗教者が犯罪者であり、悪人であるとされてきた経験をわれわれはいっぱいも っている。ですから、基本的には、自己審神ができるかにかかっているとおもいま すよ。自己審神というのは、みずからの霊性の本性、あるいは本質についての澄明 な自己認識、いいかえると見霊体験、見性体験です。この自己審神があらゆる霊学 的認識のベースになるとすれば、主観的で恣意的な霊感や都合のよい神の声に自己 同一化して自我を肥大させていく、ユングのいう「自我のインフレーション」は起 こりえないとおもうのですが。身近なレベルでは、天狗になること、これが自我の インフレーションの第一段階でしょう。あらゆる宗教で慢心に対する徹底した戒め を説くのは、じつに意味深いことだろうとおもいます。それは宗教性の根底に関わ る。その意味では、ほんとうにシンプルになることが大切だとおもう。………徹底 することがね、シンプルさに。ぼくはそれを未開性といっているんだけど、まだ、 いろんなものに分化していないで、その分化していないものをそのまま受けとめて いく、素朴で素直な力というのかな。未開の明澄さ。……ぼくが神道にぐいぐいと 入っていくというのは、そういうふうなことを感じるからだとおもう。 というの は、さっきも言いましたけれども、神道には、「大道廃れて仁義あり」ていった時 の「大道」を保持し、聞いていこうとする態度がある。「神ながら」ですね。それ は「神の御心のままに」ということでしょう。神道に対しては未開的だとか、未分 化であるとか、アニミズムであるとか、原始的であるっていうふうな批判めいた言 い方も、一方でされるわけですね。 だけど、そこには、根源的であるっていう意 味でのプリミティブな次元で、神道がもっている太古性っていいますか、大道性っ てのはひじょうに強くあるとおもうんです。……… --------- ここからは「祭」の言霊的解釈で略しますが、内容は次のようなことです。    自分自身、または生産物「奉る」  神の声、神の御阿礼(みあれ・顕現)を受動的に「待つ」  神と人との、天と地との「真釣り(合い)」 --------- ………祭の形骸化もいろいろあるかもしれないですけれど、神道は、そういう意味 の祭の生命、神髄っていうものをね、伝えようとしているような、保存しているよ うな気がするわけです。 その時に、そういう行為を大切にしてきたからいってみ れば、道が自(おの)ずからなりなりていく、。生成発展していく。 松澤 自ずからなりなりていくって、いいですね。 鎌田 おのずから生成していく能産的な自然の必然性や、その成り出ずる力を大切 にしてきたわけでしょう、産霊の業(むすびのわざ)というものを。 その時に、 教義とか、神学とかの入る余地っていうのはあんまりないんですよね。そういう意 味で、ぼくは、前にもちょっといいましたけども、神道が、一つは翁童宗教のよう なものとしてあるとおもっているんです。 子供のように純粋に未分化な力として あらわれてくるような存在と、それから、老人というのは、いってみれば、教義・ 信条にとらわれない二つの存在だとおもうんですよね。人知的なはからいっていう ものからは、ちょと遠い。太古的叡智が宿っている。………祭っていうのはよくい われることですけども、男神と女神が結婚して子供が生まれるというかたちをもと にしているところが相当ありますね。ですから次新しく生まれでる、そういう新し い力に対するひじょうに素朴な、あるいはシンプルな、信仰というかね、見通しな り期待ってのがあって、そういう神道の大道性のようななものというのは、過去の 太古性をとどめているだけじゃなくて、未来のある種の必然性を予感させるような 気がするんです。 ですから、教義とか、神学とか、教団とか、そういうものにと らわれないで、道、あるいはその事実というものが顕現されていくときの、その  「場」のようなものを神道は大切にしているんじゃないかな。産霊のトポスとして の神道であり、神ながらの道。 -------------------------------------------------------------------------- >友清歓真は、正邪と善悪は違うっていってますね。……… これの原典を磐山の『霊学筌蹄』より引用します。 -------------------------------------------------------------------------- ……惟神(かむながら)の道なるものは生成化育である。一本の草を見ても、一匹 の虫を見ても、それが大根本の御神慮であることは、人為の書巻をよらずして自  (おのず)から明らかである。故に此の生成化育の道に叶うものが正であり然らざ るものが邪である。されば此の神道霊学の上より云う時には正邪の岐(わか)るる は其れが生成化育の道に叶うや否やによってであるから、今ここに邪神界(妖魅部) と指してもそれに属するものが必ず世間にいわゆる悪いことばかりするものとは限 らないのである。世間普通の観察を以てすれば随分よいこともする。病気直しもす る。(病気直しくらいは浪人霊の低いものでも少しの腕のあるのはやるので、狐で も狸でも野天狗でも相当にやるものがある)たれども只だ生成化育の道に叶わない 為、または正神界の組織節制に従わない為に邪神界に堕して居るのである。……… --------------------------------------------------------------------------  それから、少し前に神道と民族主義に関しての書き込みがありましたが、これに 関連して…… -------------------------------------------------------------------------- 鎌田 ………神道の普遍宗教性というのは、歴史神道のそのままではなくて、神道 をなり立たせている原形のビジョンであって、神国思想や国体論は単なる民族主義 ではない。もし地球がひとつの身体だとして、その地球身体の経絡に気が流れてい るとすれば、少なくともその重要な一つのツボは日本だとおもいます。神国として 守り伝えて来た何かは、それこそ浦島太郎の玉手箱のようなもので、誰もが軽々し く開けることは出来ない。その実体、中身が何かよくわからないけれど、神国とし て守ってきたことには大きな意味がある。ぼくは、日本を神国だとおもっています。 世界中の全ての国々が神国だとおもうけれども、平田篤胤や友清歓真が言うように、 神国中の神国、それが日本じゃないかとおもう。それは一部の人がいうような、神 国思想は日本のコンプレックスのあらわれだとか、外敵への過剰反応、ヒステリー 的対応などというレベルでは解けない秘義だとおもいます。………神国日本とかい うと、あちこちから非難の矢が放たれるとおもうけど、日本の神国性の根拠はもう 一度地球身体、地球霊魂、宇宙霊魂、宇宙身体の中で再検討されるべきだとぼくは おもいます。 --------------------------------------------------------------------------  これを最初に読んだときは、「神国日本」なんていう言葉を聞くと、否定的感情 がわきあがってきたものですが、それも、ある種の教育や環境で得られた固定観念 だったわけで、あらためて読んでみると、鎌田さんのお話にほんとうに共感できる のです。  引用ばかりで長くなってしまいましたが、最後に「磐山語録」を……  ------------------------------------------------------------------------  プラトーンやアリストテレスは「哲学ちふものは驚異によって起こり、宗教は恐  怖によって起こる。」といっているが、神の道はイザナギ、イザナミの「愛の歌」  によって始められたものである。  ------------------------------------------------------------------------  ようするに「神ながら、むすびの道」 817/823 GDB00064 オリハル RE:シュタイナー輪読会●第14章/薔薇十字の修 (11) 93/02/15 00:35 810へのコメント コメント数:1 >いつの日にか、人間が地上に生命を放射し、生命的な空気を吐き出すようになると、 >人間は火地球を克服する。 なんと、これは今の私達の状況ではありませんか。 >人間が苦痛を平静さによって霊的に克服すると、空気地球を克服できる。 なんと、これは、ARIONの言う 「苦しみは霜のように頭上に降るであろう」 「苦しみの星第2天界に在り、その悪しき光と力 血にも及び 悪しき種を民の上に撒く」等に関係し、一二三神示で言う「誠一筋の九の花が咲くぞ」のことで、極めて近い将来の事ではないですか。 >人間が一致協力できると、破壊を克服できる。 破壊を免れる、又は、破壊があっても建て直すことが出来る。 >白魔術が勝ったとき、世界には悪がなくなる。 フリーメーソンの陰謀は根底から意味をなさなくなる。 >人間の進化には、地球内部を改造するという意味があるので >ある。最初、地球は、進化するものすべてを阻む。最後には、地球は人類の力によっ >て変化し、霊化される。こうして、人間はみずからを地球に分け与えるのである。 シュタイナーはさすがですね。                   オリハル 818/823 NBG00612 岳同 RE:アトランティスについて (11) 93/02/15 01:37 808へのコメント コメント数:1 こんにちは、KAZEさん、TAOさん。 アトランティス関係の紹介どうもありがとうございます。 自分がこれはいいなと思った本は殆どKAZEさんが読破されていて これはひとつ聞いてみるのが一番正確で早いかなと安易に考えてしまいました。 ためしに日外アシストのBOOKデータベースをアクセスしてみました。 アトランティスで49件ヒットしました。(ちなみに、おんなじ本がダブったり、 ほんとにこれがアトランティスと関係あるの?「スペイン 原型と喪失」>日外さん) やはり、TAOさんのご紹介いただいた本が目的に一番近いかなと思います。 が、しかし 大陸書房かぁ 結構、ケーシー関係の重要な文献が大陸書房から出ていたみたいですね。 思い立って、西荻窪のプラサード書店と青山のブック・クラブ回に地図で見当つけながら行ってみました。(この2つは、精神世界関係の専門店です) プラサード書店は、ちょっと魔女の家っぽい不思議な感じで入るのがためらわれた のですが、結構おもしろい拾いものがたくさんありそうな場所でした。 私も、意外な収穫がありまして、いま、原書で読んでいる宝石による癒しの本の チャネラー「ケビン ライヤーソン」来日イベントが3月12日にあるそうなので、 覗いてみようかなと思っています。 ともあれ、プラサード書店は、今年末で移転か閉店になるかもしれないと、 貰ったパンフレットに書かれていて、やっぱり商売気なしでは難しい御時世なのかな と感じいった次第で、なんとなく愛聴しているSt.GIGAの経営不振までも 思い出されてしまうのでした。 ここには、アトランティス関係の書物はなく、以前会議室で話題になっていた 「神界のフィールドワーク」や占星術関係の本を買って一路、ブック・クラブ回へ 青山という土地柄か、高級ブティックのようなたたずまいに、「ひょっとして、 むちゃくちゃ高いんじゃないか。」と一瞬ためらわれましたが、高級そうな ドアノブを回して、ちょっと薄暗い店内に入っていきました。 店を間違っていないことが確認できてほっとしましたが、何かミスマッチな感じが 店の美人のおねえさんの雰囲気とともに、ずーっとしてました。 ここには、ケーシー関係も沢山あって、「エジプト超古代への挑戦」「世界大破局への秒読み」「アトランティスの教訓」を購入しました。 結局、今日は古書街へは行けなかったのですが、TAOさんもし御推薦の古書店が ありましたら紹介してください。神田は書泉グランデ位しか知らないもので。 というわけで、少し自分で研究してみます。テキストが決まっていないのに 輪読会というのもムチャな話しですので、またいずれ折を見て推薦させていただく ことにしたいと思います。 輪読会という形式ではなく、ひょっとしたら色々疑問に思ったことを、その都度 アップさせて頂くかも知れませんが、その時はどうかフォローお願いします。 いろいろ、お騒がせしてすみませんでした。 819/823 HGB02764 EARTH WORK はじめまして(長文注意) (11) 93/02/15 05:19 コメント数:1 はじめまして。earth warkといいます。 よろしくお願いします>皆さん。 友達にチャネラのおばさんがいるんですが、(彼女はワークショップをやって います)noiseさんの書き込みを読んでいると、彼女がこんなことをいっているのを思 い出したのでUPします。 人間の持っている尊厳というのは、神々と対座するくらい、まさに同等な 重さを持った尊厳です。神々にしても、高い次元の意識にしても、尊厳に ついてよく分かっているはず。意識が高ければ高いほど、尊厳を軽んずる ことはありません。 確かに、意識体は一番遠い存在ともいえるの。意外かもしれないけれど、 意識体よりも、神々と呼ばれている存在の方が疎通を図りやすいの。そう いった存在の力をお借りして、自分の意識体からの発信を神々という存在 が取り次いで下さり、私たちが受信をするということもします。 憑依と真のチャネリングの違いは、チャネルをする人に選択権があるかどう か。言いなりになるのではなく、その捉えたメッセージがどこから発信さ れているのかを見極めて欲しい。こうした方がいいといわれたからといっ て、それしか選択できないのではなく、それを考慮しチョイスする決定権 は現在生きている自分自身であって欲しいのです。 しかも、重要なのは、誰かに自分のことを聞くのではなく、自分で内なる 我である意識体からのメッセージ受け取るという行為です。 このことこそ大きな意味があるのです。 昔から神道にも神占という一種のチャネリングの方法がありますが、そう いった時に大切なのは、神々の空間や意識体のいる空間まで、意識を飛ば すのではなくて、自分の気を厚くして到達させることなんです。意識を飛 ばすから、肉体がカラッポになるでしょう。だからバタッて倒れて、ワー としゃべりだすことになる。私の肉体も意識もここにあって、気を厚くし て厚くしてその空間まで届かせる行為、それがチャネリングなの。でもね、 意識体の存在している空間に気を届かせるのはとても困難な作業だと思い ます。そういった時に、神々は足りない部分の気を補って、到達させてく れる存在なの。自分の気の厚みに神々の気をお借りして意識体に到達させ るわけなの。 心構えとしては,限りなく透明に近い心で、問いかけること。自分のこと であっても、知りたいばかりでは、自分に対して覗き見をしているような ものでしょ。やっぱり、感受・感覚・思考・意志という流れで気を流すく せのようなボディ感覚を身に付けていくことが大切になってくるでしょう し、そのボディ感覚の根底には愛があってほしいと思います。意識体に向 けて気を厚くしていく時に、どんなに気を厚くしていったとしても、その 気を包み込むほどの愛を持って、問いかけてほしいんです。愛を持って神 々の気と出会い、愛を持って意識体に問いかけ、メッセージを受け取る。 これができれば、すぐにチャネリングはできるようになりますし、内なる 我と出会いが始まります。 一般的な苦行や修業は何をやっているかというと、ボディを目一杯揺さ振っ て、ボディから意識体へ悟りを開こうとしているのです。この方法だと、 ボディの方から我と出会うために、まず肉体を極限の状態にまで高める必 要がある訳です。 極限状態にまで覚醒させたボディを意識体のレベルまで持ち上げていきま す。そして再び意識体からボディに向かって流れ込んで来た光をボディで 受け取る。そうして悟りを開くやり方です。 この肉体をはるかかなたの輪廻空間にある自分の意識体に向かって持ち上 げていくためには、ボディを極限状態にまで覚醒させる必要があるのです。 苦行というプロセスを、分解していったい何をしているんだろうって見て いくと苦行の中の苦の部分というのは必要ないの。 意識体からエネルギーがボディに流れ込んで来るプロセスは、日常で行な っている訳ですし、本来人間はそういった回路を備えて生まれています。 しかし、逆にボディから意識体に回路が開くのは、感受が感覚に移行する 時なのです。例えば花を見て、「はっ」とする瞬間、これが感受。この感 受がきれいだなーという感覚に移行する時に、ボディから身体の一番外側 にある意識体の投影に向かってアンテナが伸びていきます。だから、特に 苦ばかりを感受する必要はなくて、美しいでも楽しいでもまた悲しいでも いい訳です。 私はあんな苦しいことをしなくてもいいと思っているんです。 もっと簡単な方法が出来るのではないかと。 私の方法は何も苦行めいたことはしません、強いていえば、瞑想に近い形 をとります。ただ素直な気持ちで座って下さればいいんです。そこで音声 として、神道の祝詞を後ろで詠み上げます。 神道の祝詞を使うからといって、別に宗教として神道をしようというので はなくて、音として、非常によくまとまっているものだから使っているの です。以前は般若心経を使ったこともあるんですが、現在使っている身曽 貴之祝詞、中臣之太祓に優るものが見付かっていないので、これを使って います。 マントラとかでもいいんです、本当は。ただ日本人として入りやすい音で あるから、神道の祝詞を使っているわけです。音楽とか、打楽器とかでも 可能なので、いいものがあったら教えて欲しいわ。 自分が意識体と向き合っている状態を体感出来るようになったら、チャネ リングはすぐにでも始めることが出来ます。 自分の内なる我と向き合い対面をする状態を、私は真我と呼んでいるんで す。 すべてはここを目指し、そしてここからすべてが始まるんです。 彼女の行なっているチャネリングはこんな感じです。詩のような感じで, 色々なチャネリングのメッセージの中でも気に入っているものです。 今,ここに有ることを思い    そして,ここに在ることを感ぜよ。 人は何故に,ここに至りてここに有りて在るのか。 このことに思いをはせよ, 真実を感受する心を開けよ。 すべての人々は,この真言を聞け。 遥か彼方,天の意志は,ある圧力を極に達せられた。 この圧力は,天の持つ,知,理,方向性を写した。 知性性,理性性,方向性を持つ魂の誕生なり。 なれど,これは,生命を未だ生んではいない。 魂が持っている力は,激しく転換し,次々と圧力を生じ,次々と魂を生み 融合し,全方位に飛び,大いなる流れを生じた。 大いなる流れは,極に達し,怒涛の如くに降り注ぎ新たなる魂を生み続けた。 輪迴の空間の誕生なり。 輪迴の空間は次々と新しい空間を生み続けた。空間が空間を飛び越え始めた。 次元の初めなり。 次元は遥か彼方,幾千の多重なる重なりを生じた。 この空間と次元と,重なりを魂は,移動しながら生命の誕生を,待った。 ある重なりの中より青い光を流す流れの中に自然に吸い込まれた。 生命の誕生なり。生命の誕生は神の意志なり。 この青い光の集まりこそ,今,神々と呼ばれる空間なり。 全ての魂は青い光に包まれ,青い衣をまとった時,愛と情感を感受できる霊糸 が芽ぶいた。 人は全て青い衣をまとった時依り,神の子と言える。なれど魂を持った者なり, 化身にあらず,各々が魂という尊厳を持った存在なり。 この一言こそ真言(まこと)なり。人は魂と生命の二重構造を持つ。 その青い衣は魂があるがままにある時,限りなく透明に近く,透明に近い光を 放つ。オーラなり。 透明に近い光を発する時,魂の声を聞く。魂の声と,魂が感応した時,全ての 扉が開かれる,全ての愛を受ける。 天の才は開かれ,魂が創造に向かう。 自然の営みの全ては,開かれた魂の連動,即ち方向性に従うものなり。 連動こそ方向性なり。 よってこの世に於ける全てが魂と生命の連動によって生ずる。このことより知 性性,理性性こそカルマなり。 魂の扉を閉ざし,大いなる光から遠ざかり見離されたとき暗闇,無明の現出な り。                     (焔円/えんまどか) ちなみに彼女は宗教家ではなく,メアリーポピンズの様なお助けおばさんです。 隆ちゃん,どうも。昨年居酒屋でお付き合いいただいたearth warkです。いつ も隆ちゃんの書き込みを楽しく読ませてもらってます。が,会議室初書き込み でこれでは,ミョーーな奴だとは思われなければよいのですが……。ハハハ。 kazeさん,こちらでもよろしく。 なんかヒンシュク買いそう,ピューのearth wark でした。 820/823 GGA02514 KAZE 自己審神は自己認識 (11) 93/02/15 14:43 816へのコメント NOISEさん、どうもです。 「カライドサイクル」を購入されたそうで、それはそれは(^^)。 こんだけ組立付録がついてこの価格!買わなきゃ損、って感じですよね。 こういう立体をつくりながら、形や模様の不思議を体験するのって、 とっても大事なことで、そのきっかけとしても、 こういう本で楽しむ人がふえればいいなあ、と思います。 『魂のネットワーキング』は、僕も新刊のころ一度は読んでるのですが、 内容はほとんど忘れてしまっています。 一度読み返してみる必要があるようですね。 特に、装丁が「ぷぐ」さんとかいうことには気づきませんでした。 もちろん、そのころは「ぷぐ」さんのことは全然知りませんでしたが。 しかし、ここで語られている審神に関するあたりは、 さすが鎌田東二さんだけあって、非常に示唆にとんでいますね。 僕も、先日来、言霊論などで、審神に関する鎌田さんの説明を読んでたりしてましたが やっぱり、神道関係のことをはじめとして、 鎌田さんの著作関係はすべて必携だという気がします。 そうだ、鎌田さんの著作を輪読会テキストにする、というのもいいかもしれませんね。 >その審神が可能なのは「浄心」の中でだけです。・・・神道には、神々の声を謙 >虚に、そして素直に聞き従おうという感覚が伝統としてあって、まことの直観的 >感覚に対する鋭敏さが残っているようにおもう。 MIZUHOさんのことがあってから、そうした神道の伝統について いろいろ考えさせられることが多いのですが、 やはり、みずからを清め、「鏡」としていく姿勢ということに、 シュタイナーなどの西洋的なあり方とは異なったあり方を見て、 日本人が継承してきた「直感的感覚に対する鋭敏さ」を あらためて見直すことが少しはできたのではないかと思っています。 先日の輪読会のレジュメでも紹介しましたが、 いわゆる西洋人の多くは、もはや「呼吸」とかいうことの意味が、 東洋人よりは希薄になっているということで、 東洋の中でも日本の心身観というのは、西洋的なあり方と同じ尺度では はかることはできないのだと思います。 先日来、シュタイナーにも理解のある声楽家のOさんと 「呼吸」「息」と「声」とかいうテーマについて話をする機会が幾度かありまして、 Oさんがウィーンですすめられて買ったという、 そのテーマに関連したシュタイナー関連の著作をお借りしてきました。 ●Valborg Werbeck-Svaerdstroem:Die Schule der Stimmenthuellung というもので、題名の意味は、 「声の秘密を明らかにするための手引き書」、とでもいえるかと思います。 ドイツ語なので、なかなか読めないとは思いますが、 シュタイナーの言語形成に関する考え方を発展させたものではないかと思いますので、 いずれ、これにも取り組んで、神道などでの「言霊」に関する考え方と 比較してみたいという誘惑にかられているのですが、挫折してしまうかも(^^;)。 >基本的には、自己審神ができるかにかかっているとおもいますよ。自己審神とい >うのは、みずからの霊性の本性、あるいは本質についての澄明な自己認識、いい >かえると見霊体験、見性体験です。この自己審神があらゆる霊学的認識のベース >になるとすれば、主観的で恣意的な霊感や都合のよい神の声に自己同一化して自 >我を肥大させていく、ユングのいう「自我のインフレーション」は起こりえない >とおもうのですが。 結局のところ、すべての審神は「自己審神」に 帰結することになると僕は思っています。 シュタイナーの行のあり方というのも、その基本は自己審神ということにあります。 それと神道的なそれとの違いというのは、 そのプロセスにあるだけだという気がしてるのですが・・・。 どちらにしても、その基礎条件ということについては、 自分でかなりのレベルにおいてチェックしておく必要があるようで、 それができない方というのは、問題外であるという気がします。 この自己審神に関して僕の感じたところをいえば、 僕のような審神などとかいうことの必要性のない人間も、 輪読会の第14章の、薔薇十字の修行における、 低次の自己認識についての記述のように、 審神とまでいかなくても、「自己認識」の必要は不可欠だと思います。 結局のところ、審神というのは、自己認識の延長上にあると思うのです。 >神道の普遍宗教性というのは、歴史神道のそのままではなくて、神道をなり立た >せている原形のビジョンであって、神国思想や国体論は単なる民族主義ではない。 >もし地球がひとつの身体だとして、その地球身体の経絡に気が流れているとすれ >ば、少なくともその重要な一つのツボは日本だとおもいます。・・・神国日本と >かいうと、あちこちから非難の矢が放たれるとおもうけど、日本の神国性の根拠 >はもう一度地球身体、地球霊魂、宇宙霊魂、宇宙身体の中で再検討されるべきだ >とぼくはおもいます。 そうですね、神道というのは、まさに「地球身体、地球霊魂、宇宙霊魂、宇宙身体」 ということにおいて、はじめて理解されうるものだという気がします。 本来の神道に対して、それを浅薄なナショナリズムの延長線上でしか とらえられない方というのは、おそらくこの地球が生命体だとは思えない方が かなり多いのではないかという気がします。 そういえば、MIZUHOメッセージにも、もうちょっと先に、 それに関連した部分が出てきます。 人の身体の中に宇宙があり、その細胞の中にまた宇宙がある。この 星は宇宙の中にあり、星の中に宇宙がある。ひとは宇宙に含まれな がら、宇宙を含みて生きておる。そして、互いの宇宙は共鳴しあい、 影響しあっておる。・・・ >プラトーンやアリストテレスは「哲学ちふものは驚異によって起こり、宗教は恐 >怖によって起こる。」といっているが、神の道はイザナギ、イザナミの「愛の歌」 >によって始められたものである。 そうですね、本来、神道というのは「宗教」でさえ、ありえないのだと思います。 「恐怖によって起こる」「宗教」というのは、「方便」が過ぎるから、 ああしたちゃんちゃらおかしい形骸化というのを生み出すのでしょうね。 「戒律」とかいうことにしても、どうにもこうにもならないものが多いですから。 また神道は、哲学というようなプロセスを踏んだものでもない。 もちろん、僕はそういうプロセスというのが、とっても好きなのですが(^^;)。 僕にははるかに遠いあり方である「神ながら、むすびの道」について、 はるかに思いを投げてみるKAZEでした。 821/823 GGA02514 KAZE シュタイナーってすごいんだぞう! (11) 93/02/15 14:43 817へのコメント オリハルさん、どうも。 >シュタイナーはさすがですね。 あたぼうよ(^^)! と笑いながら駆け去っていくシュタイナー・ファンのKAZEでした。 822/823 GGA02514 KAZE ぼちぼちいきましょう(^^) (11) 93/02/15 16:46 818へのコメント 岳同さん、どうも。 いろいろ「精神世界」関係の書店を物色されたようですね、ご苦労さまです。 僕なんかのように、田舎に住んでますと、そういうことができないから、 文献ひとつあつめるのにも、一苦労ですが、東京だと ちょいと足を伸ばせばいろんなものが手に入るなんて、うらやましい限りです。 僕の持ってたり読んでたりする本は、哲学・思想的なものが多くて もろ「精神世界」関係のものは、そんなにないです。 ということで、これ、というテキストが決まりましたら、ご推薦ください。 「輪読会という形式ではなく、・・・色々疑問に思ったことを、その都度アップ」 ということでも結構です。 ただ、「輪読会」というのでも、この部屋の議長としていえば、 そんなに堅苦しいことはまったく考えてなくて、気軽に、 参加者が気の向いた形で、情報や意見を交換しあうということだけでも その意味は十分にあると思いますので、ぼちぼちいきましょうよ。 参加者がそれぞれの関心のあるテーマを持ち寄って さまざまな角度からそれについて話しあううちに、 いろんな「果実」が実ってくることを期待しているKAZEでした。 823/823 GGA02514 KAZE チャネラー・ポピンズおばさん(^^) (11) 93/02/15 16:47 819へのコメント EARTH WORKさん、どうもです。 この部屋でも、こちらこそよろしくお願いします。 友達にチャネラーおばさん、しかも 「宗教家ではなく,メアリーポピンズの様なお助けおばさん」がいらっしゃるとのこと ほのぼのとした感じが伝わってきて、いいですねえ(^^)。 それに、いろいろ示唆にとんだメッセージの紹介をしていただき、 ありがとうございました。 とっても参考になります。 で、気のついたことなど、ちょこっとコメントをば。 >憑依と真のチャネリングの違いは、チャネルをする人に選択権があるかどう >か。言いなりになるのではなく、その捉えたメッセージがどこから発信さ >れているのかを見極めて欲しい。こうした方がいいといわれたからといっ >て、それしか選択できないのではなく、それを考慮しチョイスする決定権 >は現在生きている自分自身であって欲しいのです。 >しかも、重要なのは、誰かに自分のことを聞くのではなく、自分で内なる >我である意識体からのメッセージ受け取るという行為です。 >このことこそ大きな意味があるのです。 憑依と真のチャネリングの違いのそうした基準というのは 別にチャネリングといわなくても、日常の生活でも、あてはまりますよね。 「俺のいう通りにしろ!」なんていうように、 いやがおうでも従わせようとするのはやーさんですから(^^;)、 そういうようなやーさん的なあり方は危険だぞ!ということなのでしょう。 そのことは、教育についてもあてはまって、 よくあるような、「先生のいう通りにしなさい!」なんていうように、 生徒の自主性をつぶしてしまうような教育者というのは、 まさに、憑依的な教師なのかもしれませんよね、ああ、やだやだ。 で、やっぱり、そのためにも、自分が主体的になる必要があって、 自分はいったい本当はどうありたいのかを、自らに問いかけ続ける ということは、誰にとっても必要不可欠のことだと思うのです。 もちろん、その「主体的」というのは、「エゴ」のことではなく、 「正しい自己認識」につながるようなあり方ということです。 >心構えとしては,限りなく透明に近い心で、問いかけること。自分のこと >であっても、知りたいばかりでは、自分に対して覗き見をしているような >ものでしょ。やっぱり、感受・感覚・思考・意志という流れで気を流すく >せのようなボディ感覚を身に付けていくことが大切になってくるでしょう >し、そのボディ感覚の根底には愛があってほしいと思います。 シュタイナーは、人格を高めていく方向性がなければ、 いかなる知識も、道を踏み誤らせるものだといいます。 「ボディ感覚の根底には愛を」というのは、 そうした「ひとの道」にそったベクトルを大切にしなさい、 ということなのだという気がします。 >意識体からエネルギーがボディに流れ込んで来るプロセスは、日常で行な >っている訳ですし、本来人間はそういった回路を備えて生まれています。 >しかし、逆にボディから意識体に回路が開くのは、感受が感覚に移行する >時なのです。例えば花を見て、「はっ」とする瞬間、これが感受。この感 >受がきれいだなーという感覚に移行する時に、ボディから身体の一番外側 >にある意識体の投影に向かってアンテナが伸びていきます。 禅に、「柳は緑、花は紅」という、 あるがまま、そのままの悟りの世界を表わした言葉があります。 「月は青天にあり、水は瓶に在り」ともいいます。 おそらく、その「感受」というのは、そういうことなのだと思います。 少し前に、神秘の世界をことさらに求めるのはおかしい。 日常そのものがそのままで神秘であるということから出発しなければ、 ということを幾度かお話したことがありますが、 まさに、そういう「感受」をなくしている自分を見つけて、 自分からその「回路」を開こうとする姿勢を大切にしていきたいですね。 できれば、チャネラー・ポピンズおばさんのメッセージ、 これからも紹介していただければ、と願っているKAZEでした。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/15 - 814/817 GDB00064 オリハル RE:踊らせる阿呆に踊らされる阿呆? (13) 93/02/15 00:32 806へのコメント コメントをありがとうございます。 >ここで当然わき起こるはずの私に関する”推理” などと(^_^;)書いた文章で意味しましたのは、弥勒神業を行なった大本教の出口王仁三 郎と同じように私が”天皇家の血筋を引く者かな”と推理が出来ると思ったので、あら かじめ「そうではない」と「正確」を期した訳なのです。血筋というか系統ということ ではあるわけなのですが。まあ、私にはそれ以上の事を知らされてはおりません訳です けども。(コレデハ、ホトンド イッテシマッタ ノモ ドウゼンカナ?) オリハル 815/817 GDB00064 オリハル RE:もう少しお付き合い願います (13) 93/02/15 02:34 810へのコメント RESをありがとうございます。 >それで、私の持っていた疑問はこの前のRTで大体わかりました。(書き込みに >何等意図が無いと言う事と、ただ楽しんでもらえればそれで良いと言う事・・) >つまり理解はできた訳です。  書き込みに対して意図がないと言ったのではなくて、RTの時に、アラミスさんにち ょっと変に受け取られるかも知れないような発言を私がしたような気に一瞬なったので、その発言は意図したものではないと言った訳でした。  それと、どなたかが、私の発言を楽しんでくれているとおっしゃってくれたので、そ れをそのまま受け入れるという意志表明をしたのです。その直後に他の人が「楽しめな い人はどうするの」に対して「楽しめない人は考えてもらうのもよろし」と答えたわけ です。その直後にどなたかが、「踊ってしまえー>ひららら」とやってましたが。 >しかし、理解できても納得したわけでは無い。私の中のモヤモヤとした感じは消 >えない・・そして「何か変だ」というこの気持ち。これでいいのだと無理矢理自 >分に言い聞かせる・・そんな自分に嘘を付く様な事はできません。 それは、上記の訂正によって収まることを期待します。 >本来ならここからまた始まるのでしょう。でも私としては話の持って行き様が、 >無くなってしまいましたので、オリハルさんへのRESはこれで最後にします。 はい、分かりました。どうもありがとうございました。 オリハル 816/817 GBA01052 CHARAN 海底温泉に入れるかも?! (13) 93/02/15 12:01 今日付けの朝日新聞朝刊によると、 南太平洋の海底に、地球最大規模の活(!)火山群が発見された、とか。 なんと海底から1600メートル以上隆起した火山が、1033も確認された、とか。 しかも、そのうちの2〜3の火山に噴火の可能性があり、もしそうなると 他の火山も誘発噴火し、エルニーニョを起こすこともありうる、とか。 発見したのはマクドナルド博士と言うが、マジな話らしい。 むむむむ、ムーか。 何なんじゃ、これ?? 817/817 SDI00635 みれ RE:知っても仕方がないこと。 (13) 93/02/15 20:16 788へのコメント  #788 HVHY さん  ご意見に賛成します(^_^)  フリーメーソンのことは情報や知識として知るに止めて、知ったことから、彼 等の組織に対抗しようと思ったり、したりすることが既にある種の術中に填まっ ていると言っても過言では無いように思いますから。  確かにフリーメーソンは記号であり、記号を超えるものだけが記号に対抗出来 るのですものね。では、記号を超えるものは何か?という疑問が出てくるでしょ うね。でも記号を超えるものは、一つの記号である言葉によって的確に語られ得 る筈はありませんよね?(笑)  知っても仕方の無いことを知りたがるのが人情かも知れない、けれどそれを知 った時に自分に残るものは、やり場の無い怒りや悲しみ、焦りだったりもするこ とを念頭に置いて覚悟して、知るべきだろうと思います。  どんな瞬間にも、自分が一番大事だと思えることは何か?を考えつつ、少しで もいいから昨日よりも輝いている自分を生きてゆきたいと思いますね。自分が一 ト番大事に思えること、そして人のために何が出来るだろうか?と模索しながら、 あたしも生きています。 ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/02/15 - 037/037 GBG02755 スマル おじゃまします。スマル (15) 93/02/15 15:39 新設おめでとうございます。 おもしろい会議室ですね。 拝見しています。 お祝いと言うわけでもないんだけど、 龍馬が活躍していた頃、京の都で流行っていた唄をご紹介します。 その頃の庶民が、志士がこんな曲を聞いて遊んでいたのではないかと。     黒髪のむすぼほれたる思ひをば     とけて寝た夜の枕こそ、     一人寝る夜はあだ枕     袖はかたしくつまじやといふて     愚痴なおなごの心はしらず、     しんと更けたる鐘の声     夕べの夢の今朝さめて、     ゆかしなつかしやるせなや、     積もると知らで、     積もる白雪             「黒髪」  湖出市十郎 作曲 龍馬が愛した千葉道場の娘は、琴の名手でもあったとか。 サムライの後ろにも、女在り! 男社会を影で支えてきた女にも、光が当るとうれしいな。 いつか、ライトを当ててやってくださいね。(^_^)                           スマル