- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/02/19 - 203/205 GBE02650 ユ−リ 業務連絡 ( 2) 93/02/19 00:50 コメント数:1   昨日のRTではどうもでした。   もし機会があったら、今度一緒に羽黒山に遊びに行きましょう!          >みれ 鷹 ひらがな                         Ю・С - FARION MES( 3):【縁 会】オフ:プラン・レポート----<01> 93/02/19 - 648/654 GBG02755 スマル お願いがあるんだけどなあ。 ( 3) 93/02/19 01:26 コメント数:2 誰か頼まれてくれる? 上野博物館にある、と思われる「遮光土器」のレプリカの購入を お願いしたいんです。予算は1万円前後。 代金はオフで必ずお渡しします。                  帰り道も教えてね。スマル (^_^) - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/19 - 809/812 HGC02325 ガッチャ 言葉をありがとう ( 7) 93/02/19 00:53 807へのコメント  ARIONさんへ。  言葉をありがとう。  あなたの言葉は響きました。  (勘違いでなければ良いのだけど)                              ガッチャ 810/812 HGC02325 ガッチャ 自分だけ運が悪いという事 ( 7) 93/02/19 01:25  ARIONへ質問です。  こんばんは。  私は、自分だけ運が悪いとか、不幸だとかそう思ったりする事があります。  これは、「なにもしないが故の不安」につながる事ではないでしょうか?  努力をしない、自分をとりまく環境を改善しない、という意味において自分は運が  悪いなどと思って、結局「なにもしない」で文句や不満を抱いていて、他の事で気  をまぎらす。そんな状態は健全ではないと思うのです。いや、それどころじゃなく  て、そんな状態では、自分の本当の気持ち(心、魂)に嘘をついているのではない  かと思うのです。  また、そういう人達(自分は運が悪いと思っている人)が大勢いたとしたら、それ  は「自分が良ければ、自分達だけが良ければ」という人達が大勢いるのと同じ様な  状況(現在のこの世界の状況)になってしまうのではないでしょうか?  結局、自分の努力や可能性を行動もしないで本当には信じていないという事なので  しょうか?  そうであったなら、私は私の努力も可能性も本当は信じていないという事にります。  事実はそのとうりだと思う。  では、なぜARIONに聞いたりするのだろう?  ARIONに肯定される事によって、満足したい物が自分の中にあるという事。  それはこのように考えた自分の考えが正しいかどうか?という事に関する不安の肯  定を求めているだけではないだろうか?  それでは、自己満足の為だけに質問してる事になってしまう。  いったいどうしてなんだろう?  今まで、何度かARIONに会議室で質問をしようとしたけど、いつも自分の中で  答え(正しい答えかどうか分からないが)が出てしまう。  単純に頭だけで考えた答えなのだろうか?  どうしてそうなってしまうのか分かりません。                              ガッチャ 811/812 HFD01514 なえ RE:全てのこと、全ての者… ( 7) 93/02/19 10:24 807へのコメント コメント数:1 ありがとう。 逝く者。残された者。生。死。理解できない悲しみ。 落ちついたら、また書くから・・・。想いはたくさんあるんだ。 812/812 GBG02755 スマル RE:全てのこと、全ての者… ( 7) 93/02/19 13:21 811へのコメント 待ってるぞい!>>なえ!                       スマル!(^_^)v - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/02/19 - 144/144 GCC03437 星也 夢の断片//930219 (10) 93/02/19 14:37 1. 夜空を一直線に横切る天の川 星座板を移したように、装飾的に表される、いくつかの星座。 (識別したのは、白鳥座、オリオン座、蠍座) 中空にオリオンがかかっているのに、東の地平から蠍が昇りかけていた。 同時に見えるはずがないのに、と、夢の中でさえ、いぶかしんでしまった。 いつのまにか、視点は宙に浮いた場所にあって、 斜め左下に中心を持つ流星群が、遥か下の地平へ向けて 緑に輝く放物線を描き始める。 そのうちの幾つかは、燃え上がる火球と化して、地上に激突したらしい。 双子座流星群が始まるにしては時期がずれている、と、のんびり考えていた。 --- 星座は、FFV(ファイナルファンタジー シッテル?)のエンディングの影響もあるかも知れない。 (デモ、ズイブント オワッテカラ ジカンハ タッテイルンダケドナ) 流星群については、よくわからない。 (「緑色の流星群」で始まるのは、「トリフィドの日」とかいうSFだった気もする)                  ↑子供の頃に、ジュブナイル版で読んだ。 2. 中学生ぐらいの息子に、「とうさん、・・・(アトハオボエテイナイ)」と呼びかけられる。 (実は、このシチュエーションに驚いて目を覚ましてしまい、夢の内容を忘れたのだ) ーーー うーむ、星也が 14,5才の頃の子供、という事になるな、計算すると。 夢を見ない(覚えていない)周期に入った、と思っていたけれども そういうわけでもないらしい。 最近、本屋では「夢判断」コーナーが出来ていたりする。 そういう時代なんだな。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/19 - 832/842 HGG01312 たまご 運命論(1)運動の予知 (13) 93/02/19 03:28   あなたの運命は決まったものだと思いますか.   そうだとして,あなたはその予知ができますと言ったらどう思いますか.   あなたにも予知能力がありますといったらあなたは信じますか?   しかし,どんな人にも必ず予知ができることがあるのです.(^_^;)   たとえば,小学校の算数で習う(速さ)=(距離)/(時間)という公式によれ  ば,ある速度である時間動く物体の移動距離は計算で求めることができます.   いまから時速60キロで1時間走ると60キロメートル現時点から進むという予  知ができます.   この公式は時間を変数としているので,時間を逆行させることも可能です.   いままで時速40キロで30分走ってきたのなら,30分前には20キロメート  ル手前の位置にいました.   高校の物理学では,もっと複雑なことをやります.たとえば,ビリヤード台の上  にある球は,最初の位置において,その動く方向と速度が分かっていれば,さらに  台と球の摩擦や空気抵抗を考えれば,どの様な運動をするかは,計算で完全にわか  るはずです.   つまり,最初の状態(初期値)と直後の状態(動く方向とスピード)さえ分かれ  ば,その将来(この場合球の運動ですが)がすべて予知できてしまいます.しか  も,この予知は絶対にはずれません.   この世の中にあるものすべては,原子からできています.   そして,この宇宙で起こる全ての事柄は,その原子の運動によって引き起こされ  るものなのです.究極的に言ってしまえば,森羅万象すべてを原子の動き(運動)  で説明してしまおう,というのが物理学(自然科学)の立場です.   全ての自然現象,風が吹くのも,雨が降るのも,星が輝くのも,すべて原子の運  動によって引き起こされるのです.   ということは,もしも宇宙にある全ての原子のデータを知っている存在がいたと  したらどうだろう.それらのデータを元に方程式を解くことで,その存在は宇宙の  過去現在未来をすべて知っていることになります.   (この架空の存在をすなわち「ラプラスの悪魔」と呼びます.)   宇宙の全てといわずとも,地球の全ての原子のデータがもしも測定可能なら,人  類の未来は分かったことになります.なぜなら,人間自体も原子でできている以上,  人間の感情や行動も,人間の脳の中の原子の運動に還元されるからです.   しかし?そう簡単に行くものなのでしょうか?    つづく(^^;  たまご   最後に参考文献を,   『不確定性原理』都筑卓司(つづきたくじ),講談社ブルーバックスB155   昭和60年第30刷   この本以上の事は,わたしは不確定性原理について何も知りませんし,何の責任  も持てません.この本からはアイディアをいただいただけで,この理論を把握する  必要は全くありません.(と思う)しかし,理論的根拠を示せと言う完璧主義の方  は,こちらの本を読んで下さい.文庫本ですので,大きな値段ではありません.  (6〜7年前の私が買った当時は¥600でした) 833/842 GCC01413 HVHY 解釈でもあり解釈ではない…。 (13) 93/02/19 04:09                〜 防 衛 〜  「黒魔術の帝国」という本に拠れば、  第二次世界大戦は“オカルト戦争”でもあったという。  ヒトラーの側を悪者(悪魔側の勢力)扱いしている点は感心しないが、  政治と戦争とオカルトの関係について考えてみる良い材料にはなるだろう。  さて、もし有力な予言者が居たとする。  (※ここでは、該当する者が本当に居るのか居ないのかは問題としていない…)  その時、世の権力者が考えることは二つしか無い。 >>>  「参謀として仲間に加えるか、邪魔者として消し去るか。」  ここに自ずと『防衛』という問題が生ずる。  そして、防衛のフィールドは、物質界〜アストラル界(〜コーザル界)に及ぶ。  (※以前にQ・ka・kaさんがフォーチュンの「心霊的自己防衛」を紹介された…)  もっとも、『防衛』と言う前に、魔術法則「不言実行」が大前提となるのだが…。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  「不言実行」を“消極的防衛”と呼ぶならば、  “積極的防衛”とは、どういう事柄を指すのだろうか?  形を見せずに出来ることであれば“消極的防衛”で基本的に充分だが、  形を見せずには出来ないことの場合は、その形に“工夫”が要るであろう。  この点、真実か虚為かの判断はともかく、  「シオンの議定書」には様々な“工夫”が盛り込まれていることは事実だ。  (※ARIONの言葉では「混沌から清水を得る」という言葉が関係している?)  しかし、それと同レベルの“工夫”では能が無いとも言えるのである。  私が思うに、4つのカテゴリーがある。即ち、  「綺麗な真実」「綺麗でない真実」「綺麗事」「綺麗ですらない綺麗事」。  “綺麗な言葉”には「綺麗な真実」も「綺麗事」もある。  “綺麗でない言葉”には「綺麗でない真実」も「綺麗ですらない綺麗事」もある。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  では、『真実』とは何か?  『真実』とは『全て』である。  全ての『真実』は『真実』の内のみに在る。  従って、“最強の『防衛』”とは、“『真実』そのもの”である。  (※想像の飛翔の向こう側に“老いたる横顔”を見よ!)                                  HVHY 834/842 HGG01312 たまご 運命論(2)あいまいな現実 (13) 93/02/19 04:44   さて,ラプラスの悪魔君が出てきたところで,もう少し話を進めましょう.   すべての事象を原子の運動に還元するということが予知につながるというのは,  たとえば,次のような例を提示します.   人間の思考・行動を単純化するために将棋の話です.   将棋は対戦する前に勝ち負けが決まっているといったら,あなたは信じますか.   ラプラスの悪魔はあなたの勝ち負けを見抜いています.彼はあなたの脳細胞の原  子の状態をすべて知っているので,将棋の指し手で次にあなたがどう考え,どう行  動するか,わかっているのです.   もし,あなたが,うらをかいて,全然別の行動をとろうとしても,うらをかこう  とすること自体がラプラスの悪魔に知られているのです.   同様に,対局相手の行動もすべてラプラスの悪魔は知っています.ですから,将  棋の対局が実際に行われる前に,勝敗は決しているのです.   原因がありそれによって結果が引き起こされる関係が必ず在るのであれば,ラプ  ラスの悪魔は存在することになります.   あなたが将来の展望を持とうが持つまいが,今の思考を継続しようがしまいが,  それはすでに確定されており,運命が決まっているのです.それは原子レベルで決  定されていますから.   ラプラスの悪魔の恐いところは,運命から逃れようとやみくもにもがいたり,投  げやりになっても,そのこと自体がすでに決定され織り込まれている事なのです.   原因があって結果があるこれを因果律と言いますが,これがある限り我々はすで  に決定されている運命から逃れることはできません.どんなに頑張っても,それは  予定されている事であるからです.   しかし,本当にそうなのでしょうか?   実はここに(運命とやらを打破するのに)画期的な理論があります.   原子の運動はあいまいであるというのです.   不確定性原理というのですが,中身はともかく,この話がいわんとしているのこ  とは,原子の運動は確率的にしか把握されないというものです.   原子の運動が方程式で求められないというこの事態は,すなわちいままで示して  きた仮説の根底を崩すものです.   つまりは,人間の未来は運命で決まっているのではないのです.   「未来は与えられているものではなく,自分で切り開くもの」   という,当り前のような事実が科学的にも(?)あるわけです.    つづく(^^;  たまご 835/842 HGG01312 たまご 運命論(3)マクロとミクロ (13) 93/02/19 05:17 コメント数:1   さてと,あなたが運命とやらに振り回されることはないと,少し安心したところ  ですが(^_^;)実は重要なことを言い忘れていました.   それは,運動の予知は,マクロ的には可能で,ミクロ的に不可能ということです.   つまり,マクロな世界(我々の日常世界)では,運動の法則はそのまま成り立つ  のです.(もしも,成り立たないなら,バスや電車は時刻表通りに,運転すること  ができなくなってしまいますし.(^_^;))   そして,あいまいになるのはミクロな世界(原子レベルの大きさ)のときなので  す.   原子レベルでは動きがはっきりしないのに,それが集まって物体になるとはっき  りするというのは,なにやら狐につままれた気がしますが,事実はそうなので,そ  うだとしなければいけません.   大きなものほどはっきりし,小さなものほどはっきりしなくなる.   この状態がひょっとして運命予知一般的に成り立つのではないかなという予断と  偏見と仮定に基づいて,その先の話をそのうちします.    つづく(^^;かもしれない  たまご 836/842 GCC01413 HVHY クライマックスへ…。 (13) 93/02/19 06:00           〜 想像しても想像し切れぬこと 〜  雛形は、「天」にも「地」にもある。  「天」の雛形は「地」に投射展開される。  「地」の雛形は「天」に投射展開される。  この時の写像は連続でもないしリニアーでもない。  空間そのものに“次元のズレ”があるからだ。  このことを前提として、以下の話を理解されたい…。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、「神さづち」とは“宇宙的性交におけるピストン運動”のことである。  「銀の月の粉」とは“宇宙的精液(SOMA)”のことである。  即ち、宇宙的性交のクライマックスに於いて宇宙的射精が起こる。  この時放出されるのが「銀の月の粉」(光のシャワー?)に他ならない。  どこに放出されるかと言えば、宇宙の子宮に、である。  そして、宇宙の子宮とは「竜宮」(即ち「地球」)のことである。  (※地球には高次元でマイ・ミュート・アーテが対応している…?)  「かにの里まがつち」とは“「月」の波動領域”のことだが、  それを“宇宙的性交(或いは単に性交)の領域”と言い換えることも出来る。  「経て依りしろを臨め」と言うわけだから、  宇宙的性交と宇宙的射精は“経過段階”ということになる。  つまり、それ自体が目的ではない。(※じゃあ手段なのか?)  しかし、いずれにせよ、それは“必要なこと”には違いなかろう…。  (※アンドレ・ブルドンは想像力だけで射精出来たと言う。これは余談。)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  もちろん、ARIONの預言はダブル・ミーニングなので、  このような方向の解釈もある…という程度に留めておきたい。  因みに、これらのことに関して、現在までのところ、  「光の黙示録」以上の詳しい情報は無い。  即ち、より詳しい情報には未だ触れる時機でない…ということなのだろう。  (※例えば、ルシフェルについても長らく意図的に触れなかった様に…)                                 HVHY 837/842 GCC01413 HVHY 関連する原文の並列UP。 (13) 93/02/19 06:49     > 矢追(やお)い 其麻(そま)の里 (音で辿れ)     > 井戸の柱 井桁     > 行く道を見よ     > 野薔薇咲き乱れ 蝶の遊ぶ道     > 行く道を見よ 石つぶての道 瓦れきの道 砂煙立つ     > 行く道を見よ     > 其方の十字に問うて行け             (第17章より)     > ヤグルマ ホホロギを捜せ     > 打たせの壺に剣あり     >     > ワジルシ ユカタン     > 三角に道を通す     > 井桁を辿れ     > 其方には 分かるであろう     > カリマホロバのヨイヤミ宮にて     > 其方を待つ者ある     > その者と共に 冥府の従僕の頭(こうべ)を洗え     >     > 吾が宮つ城を踏みにじる者に災いあれ     > 吾は竜宮の長、不二の高嶺に立つもの     > 竜宮の変を知らぬ 其方では無かろう     > 冥府の従僕を吾が従僕にするために     > 其方のするべきことを教える     >     > ホホデミの炎の剣を ハジベの所へ     > 持って行け     > 青龍の吐く息で精練せよ     > 冥府の従僕を眠らせ 赤龍を呼べ     > 赤龍の吐く息を従僕の裡に呼び込み     > 炎最大となった時に ホホデミ青龍剣を     > 振り下ろし 炎の根元から切り分けよ     >     > 其方達 吾が従僕よ     > 吾が報せをよくよく胸に留め     > ゆめゆめ忘れること無かれ            (第16章全文)     > 竜宮よりの使い もの申す     >     > 我が幸賜る者よ 三丈の御柱を巡りて我が宮つ城へ急げ     > 亀石 導き給う     > 小湧き 清水流れ 花散る里     >     > 楊気 たが石 まがた石     > 訳知るものよ 神さづち     >     > あやに賢き媛神おわす     > かにの里まがつちを経て 依りしろを臨め     > かぐの里 びょうぶ岩     >     > うがつ者のみ 栄え知る     > 矢の小鳩 鵜の小槌     >     > 仮宮にておわす     > 龍神 待つ 竜子媛     > 永きを待つ 磐のごと     >     > 者共 集え     > 斎いのときを                  (第15章全文)   「光の黙示録」より、原文引用のみ。                                  HVHY 838/842 GCC01413 HVHY #837への関連部分。 (13) 93/02/19 07:34          〜 “雛形としての第2章”から引用 〜        三七.  獅子の門を目指して行けよ        三八.  花梨の冠を戴いた者を捜せ             自が心の十字架に問うて             道を捜せ        三九.  我が道は嵐なり             石つぶての道なり             嘆きの道なり       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜         一.  影を色濃く落とした泉のなかに 壺は投げ捨てられた             命の剣を携えた 命を刈るものによって         八.  銀の御舟が過ぎる時 影の頭を留めよ             月型は しかし 使ってはならない             心の鋳型を当てめよ        十六.  首の欲しい者は 壺を覗くな             剣に息を吹きかけるな     以上、「光の黙示録」より引用のみ。                                HVHY 839/842 GCC01413 HVHY 混沌たる事柄。 (13) 93/02/19 08:54                 〜 矢 〜  15・16・17章では、「矢」に関して、次のように表現されている。          「矢追い 其麻の里」          「ヤグルマ ホホロギを捜せ」          「矢の小鳩 鵜の小槌」  「里」については、  「かにの里」「かぐの里」と“対”になって出て来る。  また、「小涌き 清水流れ 花散る里」という表現が現れる。  これに(恐らく)関連して、「野薔薇咲き乱れ 蝶の遊ぶ道」という表現もある。  対句としては、「ワジルシ ユカタン」というのも出て来る。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  「行く道」とは、「獅子の門」へ通じる道なのであろう。  そして、その道は、「石つぶて」「瓦れき(嘆き)」の道であり、  「砂煙立つ」「嵐」の道でもあるわけだ。  また、「獅子の門」とは、正に「かぐの里」の門のことであり、  その「かぐの里」は、「野薔薇咲き乱れ」「蝶の遊ぶ」ところなのだろう。  一方、「かにの里」こそが、他でもない「矢追い 其麻の里」である。  「矢」は“射る”わけだが、これは「光」の寓意とも考えられる。  「其麻(SOMA)」とは、既に触れたように“宇宙的精液”のことに他ならない。  (※それは「光のシャワー」として「天」から「地球」に降り注ぐ?)  そして、ここ「かにの里」は、「小涌き 清水流れ 花散る里」である。  即ち、子供が生れ、水に満され、月経の起こる場所(子宮)のこと…。  「ホホロギ」とは、“火をくべる木”のことだが、  “火を起こす木製の小槌(鵜の小槌)”とも考えられるのではないか?  そして、この「鵜の小槌」は「かにの里(黄泉)」の使いである。  「鵜」については、「鵜戸神宮」の社殿に飾られた「鵜」が、  ほとんど「鶏(にわとり)」のようであったことを思い出す…。  「鶏(にわとり)」は“常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)”と呼ばれ、  やはり「黄泉」の使いとされていることは言うまでもないだろう。  最後に「ワジルシ」「ユカタン」について。  「ワジルシ」は「たが石(輪)」「鷲」に対応している。  「輪を持ちて炎を誤りに使う」のは「鷲」のグループということだ。  「高木神(タカキノカミ)」の横暴というのも、この文脈から語ることが出来る。  では「ユカタン」はと言えば、これは「まがた石(勾玉)」「蛇」に対応する。  もちろん、この「蛇」はシヴァ神の変化(へんげ)である。  “本来の「ユカタン」”は「ウカノミタマ」即ち「龍」のグループだったのだ…。  (※「ユカタン」は“乗っ取られた”ということなのか?)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  結局のところ、「矢」とは、  分離した竜宮世界の「光」の側面をシンボライズしている。  その意味で、「鶴亀」の「鶴」或いは「剣」と同系統にあると言えよう。  因みに、「〜ツル」「ツル〜」という地名は、水害の危険性の高い場所に多い。  「光」と「水」は表裏一体の関係にあることがこんなところからも解る。???                                  HVHY 840/842 GCC01413 HVHY 日本語の妙。 (13) 93/02/19 09:15 コメント数:1                〜 怒り 〜     …について書き込み寺で盛んに議論されているが、     私も“「怒り」は「愛」の変化形の一つ”と思っている。     詳細な事柄に関しては機会を改めて述べるとして、ここでは、     「怒り」の代表的表現として次の二つがあることに注意したい。                「腹が立つ」                「頭に来る」     ふむふむ…。     前者はミカエル系の怒りで、後者はルシフェル系の怒り。     そういうことなのだろう…。     実際問題、この両者は同じではない。(※それは体感出来ることです?)                                HVHY 841/842 GBG02755 スマル RE:運命論(3)マクロとミクロ (13) 93/02/19 09:38 835へのコメント たまごちゃん、無理して体壊さないでね。                         スマル 842/842 GBG02755 スマル RE:日本語の妙。 (13) 93/02/19 09:39 840へのコメント ご苦労様です。!ぎちょう                      スマル - FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/02/20 - 212/214 GBG02043 維/YUI 今日(2/19)のメッセージに ( 2) 93/02/20 00:29 >>陽光の中、ふんわり漂う優しいぬくもり…維/YUIさんに届いたかな? 朝の光のなかで、感じた優しい空気。 なのに、考え始めるとだめ・・・ すべてがどうしようもなく思えちゃう。 自分が疎ましいときがある。 それでも・・・・。                              維/YUI。 213/214 GBG02755 スマル 御声お掛け下さり有難く存じます。 ( 2) 93/02/20 01:31 200へのコメント 魔界の方に声を掛けていただき有難く存じます。 今まで、天使、仏、神からは何度も厳しい叱咤激励を戴いておりましたが、 魔界の方にお言葉をいただくとは、私も出世いたしたものでございます。 ところで、めーそん殿には、魔女のお知り合いはございますでしょうか? もし、御存知ならば、「魔女の心得」を伺いたく存じます。 魔女の方が、楽しそうだもの。 だあれ、魔法使いのオババなんて言ってるのは。      ☆★なあんちゃって、魔界のおじさま、よろしくお願いしま〜す。                   愛知も三河国に住まうスマルより (^_^) 214/214 GBG02755 スマル 2/19、ハローッメッセージより ( 2) 93/02/20 01:32 >>陽光の中、ふんわり漂う優しいぬくもり…スマルさんに届いたかな? それがさ、不思議な感覚があるんだなあ。 昨日からだろうと思うんだけど、 暖かいやさしい思いが私を包み込んでいるのを感じるの。 恋のような感じなんだけど、 自意識過剰なのかなあ、それとも恋願望が感じさせたのかしら。 よくわからないんだけど、誰かがどこかで私を見つめているみたい。 すっごく幸せなんだけど。 そんな人、いくら見回してもいないしさ〜。 思い過ごしかも?! 12日は、愛が成就している喜びが、ある人から伝わったんだけど、 今回はそれとは異質ってか、違う波動なのよね。      私自身へ、送られている波動みたい。                 愛されていたらうれしいな。。。 スマル - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/02/20 - 451/451 GBG02755 スマル ありのままってホントむずかしいね。 ( 6) 93/02/20 01:34 447へのコメント しまうまさんへ 私ってさ、えらそうに書いているけどさ、 本当は、臆病で何も出来ないんだよ。 自分の気持ちを素直に相手に伝えることがどんなにむずかしいか。。。 まして、失いたくないと強く感じる人に、この言葉が最後になるのではないか という不安を持っていてはね。 どうでもいい人にはなんでも言えるんだよ。 だけど、「この人」には言えないんだよね。 だから、「遠くから見てるだけでいい」って諦めちゃうし、その言い訳を いっぱい考えちゃう。 あはは、何を隠そう、私も諦めかけてる。(^_^;;) 恐いよねえ。失いそうだもの。 だから自分の中に押え切れない情熱が涌いて来るのを待っているんだ。                                 スマル - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/02/20 - 813/814 GBA01276 しまうま 善と悪って・・・ ( 7) 93/02/19 23:31 778へのコメント  ちわーす!(^^)/ >アマデウスさん :  あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、 :  邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢で :  あり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不正実、無情、 :  無慈悲です。 :  愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛を :  持って互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 :  (中略)誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うよう :  に心がけなさい。  確かに両極端ですよねー。で、この両極端が一人の中に混在するんだからおもし ろい。人生やめられまへん、って感じです。 :「ひねくれてるけど、どこか憎めないヤツ」  いるいる・・・いますよね、そういうヤツ(皿洗いのにーちゃん、元気かぁ(^_^))。 でも実はそいつがヒネクレテるように見える原因は「こっちがねじれてるから」だ ったりすることもあったりする。これまたおもしろい。やめられまへん。  憎めないのは、そいつがいつも本気だからだと思います。自分のことを考えると きはとことん自分のことだけ考える。人のことを心配するときは身も世もなく心配 する。包み隠しなく、裏も表もごたまぜで本気に生きてる人、その価値を善悪のモ ノサシで測り切ることはできない。  「あらゆる不義、悪、むさぼり・・・」を消して、「愛に偽りのない」人になるなん て、綺麗事なような気がします。実像が光を呼ぶとき、その影は同時に闇を呼ぶ・・・ うーんアヤシイ(^^;)。  理想どおりにやましいところなく生きるのは、たしかに心爽やかで平静でしょう。 でも、なんだか割り切れない・・・というか、割り切れすぎてるというか・・・。理想が 理想であることは、間違いないのでしょうけれど。  単に僕がネジクレているという、それだけのことかもしれません(^^;)。 :心の動きをじっくり観察してみる。  というのは、ホント、大事なことですよね〜。好きなところ、嫌いなところ、と いうカテゴリーをいったんはずして、根っこに何があるのか見極めたいと思ってま す。  同志と思っていただいて光栄です。頑張りましょうね〜っ!     しまうま 814/814 GCG01101 アマデウス RE:全てのこと、全ての者… ( 7) 93/02/19 23:31 807へのコメント >>  ・ 招かれざる将来は、あなたがたの「何もしようとしないが故の不安」から >>    始まるだろう。  ドキッとしました。おそらく皆が漠然と思っていることを、こんな簡潔な表現で 言い当てられてしまいましたね。 >>  数ある言葉、戒め、教えなどの中から、自分の心に響くものを選びなさい。 >>  周囲の評価がどうあれ、周囲の認定がどうあれ、あなたの心に響くものは、 >>  あなたにしか分からないものだから。  うん、これは私も最近つくづく思っていることです(これも「響き」なのかな)。 「心に響く」こと、それが同調の証なんですね。理屈でわかると言うのでなく、腹 の底から「うん、うん」と頷けることですね。  私は、KAZEさんのHPで続いているMMの中に、「心に響くもの」を感じることが 多いのです。良いか悪いか、といった見方をする気にはなりません。響いている状 態そのものに何かしら嬉しいような、胸のすくような、うまく表現できないけどそ ういう感動があるのです。「響くものを選」んだ後、何が変化するのか、私には今 の所わかりません。とりあえずその響きをしっかり感じていようと思っています。 >>  あなたにしか分からないものだからと言って、孤独なんだと思う必要は無い。 >>  多くの「あなたにしか分からないもの」が寄り集まって、一定数を超えた時に >>  「全ての者に分かるもの」が見えてくるだろう。  これは、一人の人の心の中の事を言っているのでしょうか、それとも人類全体の 事でしょうか。 きっとその両方なんでしょうね。  「響くもの」は人によって様々なのだから、それがプラスの場合もあればマイナ スの場合もあるわけですね。それらのうち一番早く「一定数」に達したものが何で あるかによって、見えてくるものも異なるのでしょうか。とすれば、「招かれざる 将来」を招いてしまうようなものへの感応よりも、「好ましい将来」へのそれの方 が上回るようだと、流れを変えることもできる訳ですね。  「何もしようとしないが故の不安」から逃れるには、「何かをすれば良い」。 では何をするのか? 「心に響くもの」を集めていれば、それが見えてくる.... といったことと解釈しました。                                 アマデウス - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/20 - 833/835 GGA02514 KAZE 長く曲がりくねった道としての自己認識 (11) 93/02/19 20:53 828へのコメント 岳同さん、どうも。 ここんとこメッチャ忙しくて、書き込みができませんでしたが、 今夜の残業でひとつふたつ仕事が片づきましたので、レスを(^^)。 >ふと、思ったのですが、自己審神するとしても >その次元というのは、結構難しいなという気がしました。 そうですね、すごくむずかしいと思います。 結局のところ、絶対確実ということはいえませんから、 どの次元でどの範囲においてどの程度のことが認識できるかということが 問題になってくるのですが、なかなかわからない。 先日から、相棒とTAOさんの紹介されていた文庫やそのほかで、 王仁三郎について話すことが多くて、その魅力に感動してるのですが、 そのナオとの審神の問題についても、わかったようでわからないようで、 結局のところ確実にこうだということはわからないんですよね。 先日来少しずつ読んで感動いる岡本天明の「太神の布告」の中で、 こんなところがありました。 神かかりと申しても七つあるのであるぞ。神かかってゐないと見える神カカ リが誠のカカリと申してあろが、そこらに御座る神憑は五段目六段目の神憑 ぞ。神ガカリとは惟神(かんながら)の事ぞ、これが神国のマコトの臣民の 姿ぞ。神と人と融け合ったマコトの姿ぞ、今の人間のいふ惟神では無いぞ、 此の道理会得りたか、真事の神にまつりあった姿ぞ。早う神ガカリになる様 掃除して呉れよ、神の息吹に合うと神ガカリになれるのぞ、一二三唱えよ、 祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、神は人誉め人は神称へてまつり呉れよ。 >だんだん、年をとって安定してくると >ものの見方が一面的になってしまいます。 先日の輪読会の中のシュタイナーの「自己認識」についてのところが その部分ではとっても参考になると思います。 僕が、以前から「嫌いでも理解・好きなら当然理解」ということをモットー (もちろん、それができているというのではなく、あくまでも目標ですが(^^;)) としてきましたのも、その自己認識についての多面性ということを 少しでも常に考えていたかったからです。 「年をとって・・・」ということは、もちろんある部分はいえることですが、 僕は必ずしもそうでもないと考えています。 一面的にしか考えようとしない方は、若くても一面的だし、 そういう方こそその一面性がもっと狭まって「半面性」とかいうことになるのです。 むしろ、ある姿勢をもってさえいれば、認識のベクトルは 常に広がってくるのではないでしょうか。 少なくとも僕の場合、たとえば10年前や5年前の自分が 今よりも多面的だったとはいえないと思います。 もし、僕のまえにその僕が現れたら、おそらくその一面的なところを こてんぱんにやっつけて、少しでも視野を広げるように言うことでしょう。 (なんて、その実は逆ななのかもしれないけど、本人にはわからない(^^;)) >通じていると思っていて、実は通じてない >向上してると思っていて、実は向上していない >そんなところを、自分の中に発見するんです。 そのことはいつも肝に命じておきたいですね。 「ああ、勘違い」ということは往々にしてありがちですから(^^;)。 >こころが豊かになる。こころの礼儀が出来てくる。 >そういう自己審神のありかた >凛とした気迫のようなものが、 >必要な気がします。 そうですね、気迫とか「胆識」とかいうものが必要でしょうね。 考えれば考えるほど、自己審神というのは自己認識ということと通じるものがあって、 シュタイナーにも「自己認識への道」という著作がありますが、 そこに述べられていることは、自己審神のガイドにほかならないと僕は思っています。 僕が最近シュタイナーのほかにガイドにしてるのが、儒教で、 その生の哲学というか道徳的ファンタジーには敬服することが多いです。 儒教というのは、今、ねじまげられた部分だけが誤解されて伝わっているような、 そんな気がしてなりません。 >でも、何かまだ分かってない気が自分でしてます。 いつもいつも感じていることがあります。 僕がこうして言ってたりすることを含めて、 すべてがとんだ「ああ、勘違い」でなければいいがな、ということなのですが、 自己認識への道は遠く遥かで、果てしがない道のりです。 その道が誤った道でないように、祈りたい気持ちでいっぱいのKAZEでした。 834/835 GGA02514 KAZE 薔薇は何故無しに有る (11) 93/02/20 01:47 830へのコメント EARTH WORKさん、どうもです。 >「感受」についての禅の言葉を聞いていると、とても分かりやすくて参考にな >ります。 そうですね、でもその「分かりやすさ」が一番難しいともいえるのですけど(^^;)。 禅のそうした言葉と似たものがドイツ・バロックの時代を代表する 神秘主義的宗教詩人であるシレジウスの言葉にもいろいろあります。 たとえば、    薔薇は何故無しに有る、それは咲くが故に咲く。それは自分自身に気を留めな    いし、ひとが自分をみてゐるか否かと、問ひはしない というのがあり、また同じ観点がリルケの場合は次のように表現されます。 すべての物の中をただ一つの空間が拡がっている、 世界内面空間。鳥達は静かに 私たちの中を横切って飛ぶ。おお、私は成長の欲求を感じて 外を眺める、すると私の内部に樹が成長する。 はたまた、西田幾太郎の「善の研究」では、「純粋経験」ということで 色を見、音を聞く刹那、今だ主もなく客もない というように表現されます。 実は、これらの引用は、西田幾太郎やドイツ神秘主義の研究で有名な 上田閑照さんの「十牛図/自己の現象学」(ちくま学芸文庫)からの孫引用で やはり、禅というのは奥の深いものだなあと改めて感じているのでした。 >早速kazeさんの部屋のログをいくつか彼女に送ろうと思っています。 うへへ(^^;)、ま、イメージ悪くしない程度にしといてくださいね。 >色々情報を交換していけるといいですね(^^)。僕は大ボケを良くかますので、 >よろしくお願いします。 こちらこそ、大ボケの王様だけど、よろしくお願いします。 お互い試行錯誤はしたとしても、 発展的に情報交換(好感(^^))ができればと思います。 >輪読会の感想ですが、近々引っ越しを予定している上に、二歳の娘が家の中 >を駆けずり回っているので、落ち着いたらUPしたいなと思っています。東洋 >と西洋の認識形態の違いの参考になる部分が多いと思うので、楽しみにして >います。 お引越しは大変ですねえ、特に小さいお子さんがいると特に大変でしょうね。 その認識形態の違いということについては、 僕のメインテーマとなると思いますので、 何か思いついたことや、参考になることなどありましたら、 ぜひ、いろいろ示唆くださると助かります。 >ロバートフィリップのギタースクールの情報が入るかもしれないので、ニン >マリしているearth workでした。(^^) ほほう、ロバート・フリップといえば、グルジェフですねえ。 ギター・スクールっていうと、直々に教えていただけるとか? それは、なかなかにすごい情報ですね。 でも、僕はギターをひくわけでもないので関係ないといえば関係ないのですが それなりに、耳をそばだててしまいます(^^)。 禅では、自己の真性を表すのは円相だということですが、 そのぐるっと描かれる動きに逆らって、 いつもいつもいびつな三角や四角やになっていってしまうKAZEでした。 835/835 GGA02514 KAZE 三千世界一度に開く梅の花 (11) 93/02/20 01:48 831へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 ちょいとこの数日仕事で七転八倒の苦しみを味わっておりまして、 会議室の進行がすこし滞ってしまいましたね。 人間というのはやはり情けないもので、目先のつまらないことにくよくよしたり、 些細な感情の行き違いで一日イライラしてみたりと、 ここ数日、自分の情けなさにずっと直面させられていたようで、 あらためて、日常のひとつひとつのことをきちんとしていくということの 大切さということを、身にしみて感じさせられたのではありました(^^;)。 あまりに仕事でがんじがらめになって、飲み込まれそうになっても、 それから逃げないで、せいいっぱい前向きに行かなければ、少しも解決にならないのに 少しばかりなりと逃げ腰になってる自分を見るのって結構つらいものです。 初場所の相撲でもありましたが、腰の状態が良くないからこそ、 思い切って前に出る相撲がとれたってお相撲さんがいましたよね。 大翔山だったかな? やっぱり、なんだかんだいっても。「前に出る」しかなさそうです。 ・・・とかいうのは、改めてここ数日で僕の学んだことなのでした。 さて、 >インド仏教の勉強というのはやっぱりインドでなさっているんでしょうか。 いえいえ、Nさんはウィーンでインド哲学、インド仏教、そしてチベット仏教などを 勉強されていた方で、もう一度3月にはウィーンに帰られるそうなのですが、 この4月からは、日本に帰って、就職活動にせいをだすのだそうです。 インド哲学の先生とうことになると、大学でもそんなカリキュラムは少ないようで、 なかんか講師のポストがないのだそうです。 でも、一度はインドに行って勉強してみたいとはおっしゃってました。 で、声楽家のOさんは、以前もちょっとだけお話したことのある シュタイナー医学を勉強されているM先生ともども ウィーンでいっしょだった、ということなのです。 インド哲学については、ちょっと前(昨年の11月)に、ちょうど講談社新書から、 ●立川武蔵:はじめてのインド仏教 というのがでてまして、その中に、インド精神史の区分が紹介されていますので、 それを紹介してみることにします。 ・第1期/紀元前2500年〜1500年/インダス文明の時代 ・第2期/紀元前1500年〜500年/バラモン中心主義の時代 ・第3期/紀元前500年〜後600年/仏教などの非正統派の時代 ・第4期/600年〜1200年/ヒンドゥイズム興隆の時代 ・第5期/1200年〜1800年/イスラーム支配下のヒンドゥイズムの時代 ・第6期/1800年〜/ヒンドゥイズム復興の時代 ま、インドで有名なのは、ウパニシャッドでの、 アートマン(個我)とブラフマン(宇宙の根本原理)との同一とかいう考え方です。 僕もそんなにインド哲学に詳しいわけでもないですから、 そのうちNさんなんかにいろいろ教えてもらって、 一度ちゃんと勉強してみようか、なんて思ってるくらいです。 先日、Nさんとその関係でお話したのは、 インドと中国での、「縁起」や「中道」に関する考え方の違いなどで、 僕とNさんの考えてることがびっくりするくらい似ていて共感しあってたので、 僕自身、かなり安心したりしてたのでした(^^)。 >感情や自己意識の問題は本当にわけのわからない部分ではあります。変な話で >すが、自分の感情というのは実は自分のものではないなんていう感覚を持って >しまうくらいやっかいなものです。 そうです、「感情」というのはとってもやっかいなしろものですが、 思考・感情・意志というのはどれも必要ですので、ないがしろにはできませんよね。 もちろん、輪読会でも紹介したように、どれを基軸に置くかということで、 認識のあり方や、「行」のあり方などは変わってくるようです。 僕個人でいえば、感情はそんなに豊かなほうではないようで、 感情の豊富な方に遭遇してしまうと戸惑ってしまいます(^^;)。 >感情にも暴走してしまうネガなものがありますが、それを排除してしまうので >はなく、より良い感情に変えて豊かな感受性を育めればなぁなんて考えていま >す。 感情をコントロールするためには、思考と意志の働きかけが必要です。 暴走してしまう感情というのはハンドルのない車のようなもので、 それを操縦するためには、思考によるベクトル設定とと意志による判断力が要ります。 ま、これは感情だけのことだけではなく、思考や意志にも当てはまります。 シュタイナーは、思考に豊かな感情が働きかけることで、 思考が、直観的な思考、生きた思考にに高められるという意味のことを 述べていますが、やはり、思考と感情と意志というのは、 お互い働きかけあって、全体として発展していくものなのではないでしょうか。 >僕はどんな嫌な人に対しても「礼には礼をもって応える」事を心がけるように >努力しています。逆に言うと礼を失する方にはそれが一国の長であろうが、許 >さないなんていういこじな態度になってしまうわけですが・・・(^^;)。 なんか、目には目を、歯には歯を、とかいうのと似てますが、 対人関係における因果応報、カルマの法則的対応のようですね(^^;)。 それはともかくとして、「礼」についての孔子の言葉にこんなのがあります。 恭にして礼なければ労す。慎にして礼なければ思す。勇にして礼なければ乱 る。直にして礼なければ絞す。 わかりやすくいうと、 「丁寧でも礼がなければ気苦労する。  慎重でも礼がなければいじけてみえる。  勇敢でも礼がなければ乱暴なだけである。  率直でも礼がなければぶっきらぼうなだけである。」 ということで、これは、きわめて「あたりまえ」のことなのですが、 その「あたりまえ」のことが「あたりまえ」でなくなってきたところに すべての間違いがあるのではないかという気がします。 もちろん、そのあ「あたりまえ」が単なる慣習や形にすぎないものであれば、 それを撃ち破っていくことは必要ですが、 人間の人格の「核」にある部分を無闇に破壊していくと、どうしようもなくなります。 >僕はどっからみても立派じゃないですが(^^;)、見せかけの部分というのはそれ >なりにあるわけで、耳の痛い話です。 僕も、いつも自分の耳に痛いことばかりを、 自戒の意味も込めていろいろ言っているわけで、 「見せかけ」だらけの自分のには、ほとほと情けなくなってしまうことが多いです。 ま、隆ちゃんのように、僕もたまにはそれに気づくことがあって、 反省しますから、その分だけでも救いがあると思いたいです。 出口直さんのお筆先の「大本神諭」の最初に、     三ぜん世界一度に開く梅の花、ウシトラの金神の世になりたぞよ。     梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。・・・ というのがありますが、町は梅の花が咲いていてとってもきれいです。 ここは松山で、別に「松の世」ではありませんが(^^;)、 とにかく春が近づいて花が咲き始めると、 それなりに華やいだ気持ちになるKAZEでした。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/20 - 844/846 GCC03437 星也 RE:日本語の妙。 (13) 93/02/19 21:22 840へのコメント * *             「腹が立つ」 *             「頭に来る」 * *   ふむふむ…。 *   前者はミカエル系の怒りで、後者はルシフェル系の怒り。 さて、胸にたまる「憎悪」の感情とは、 人の身ならばこそ可能なものであろうか? 闇ではない。光でもない。 しかしそれは、薄明の黄昏の地を地すわけではない。 なぜか、そんな言葉を思い出した。 今夜、東の地平で輝いている星は、火星なんだろうか。 845/846 GBA01276 しまうま RE:1999年 (13) 93/02/19 23:31 830へのコメント  しょうるさん、こんにちは! : 個人には何をすることも出来るという自由がありますから。 : 生きるという事を大切にしたいと思います。  自由・・・ってなんなんだろうと、思うことがあります。目の当たりにしたら、尻込 みしてしまうほど凄みのあるものかもしれない。  でも、手を伸ばす勇気を出さなければ、そこで心は死んでしまうのだと思います。 死を覚悟してでも手を伸ばすか、手を伸ばさずにゆっくり死んでゆくか・・・。脅迫観 念になっちゃったら逆効果だけど、その選択の小さな連続が生きるということだっ て気がする。 : どんな生き方をしていようと、どんな状態であろうと、その人の人生は : その人の結果ですから。  そうですよねー。これだけはどうにもゴマカシようがありません。  一瞬一瞬を大切に、歩くときの爪先までおろそかにせず過ごしたい。んなことで きねー(^^;)。でも、目標です。  後悔したり、気づかずに繰り返したり、わかってるはずなのに出来なかったりす るけど、まだまだ走れる、というところで踏んばらなくちゃと思います。  しょうるさん、これからもよろしくねっ!             しまうま 846/846 GBA01276 しまうま オリハルさんにしつもーん (13) 93/02/19 23:32 831へのコメント  オリハルさん、丁寧なご返事どうもありがとうございます(^_^)カンゲキ!  なんだか現実離れしていて、実感の湧かないお話ですね。僕がニブイだけかもし れないけど(^^;)。  ご厚意に甘えて、ひとつ質問させてください。 : その後、「彼」はわざわざ私の下宿まで来てくれました。そして、当時のドン :底状態(自立神経の異常)の私についての話をしたためか、「彼」は以後、2度 :と返事をくれることはありませんでした。  オリハルさんはその時、どんな気持ちがしましたか? オリハルさんは、自分の ドン底状態のことを、とっても勇気を出して「彼」に話したのではないかなぁ・・・な んて、思うのですが・・・。もし差し支えなければ聞かせてくださいねっ! しまうま 847/847 GDB00064 オリハル RE:クライマックスへ…。 (13) 93/02/20 02:30 836へのコメント わかったぞ! と思っています。 「光の黙示録」の詩編21 >蟹星の夜に降りる星              >朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星     >これが 私達の * の星           >これが 私達の 暁の星            >真空の空に風が起こり >胎児は 再び私達の手の中に  ~~~~ ←(多分、既に受胎している=MES 7 #34=下記参照) >死か生か >三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる >受け入れるか 拒むか >新たなる蕾か 古い蕾か >巨石の輪 元の力を得るか 否か ← 意識の統合の後に「質的飛躍」を起こす。       ~~~~~~ >石像の中の真の姿を見る者よ >静かに 静かに 時を待つ事 >何もせずとも 全て行われる   (MES 7) #807<<全てのこと、全ての者…>>  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ← ・ 招かれざる将来は、あなたがたの >用意の時を静かに待つ事    「何もしようとしないが故の不安」から >其の日が近い    始まるだろう。(BY ARION) <<(MES 7) #34 1992.05.07「ARIONより心ある者たちへ」より>> >            *****  >私は、まことにあなたがたに言おう。 >あなたがたの夢は、あなたがたの手の中にあると。 >あなたがた、この国に生まれ集う者たちよ、 >よくお聞きなさい。 >あなたがたの意図しない者に、あなたがた[日本人]の果実を与えるのは >これは、罪に等しい行いなのだ。 >あなたがたの果実は、あなたがたの手の中で熟し、  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >あなたがたの身体に溶け、そしてその種をこの土地に帰すことを  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >願い、望んでいるのだ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >           ******  先日2/18のARIONのUP((MES 7)#807)でも分かりますように、今は、大切 な胎児が大切に育まれるべき時期であると言えます。胎児とは、人類意識の調和・統合 へ向けて質的変化を起こし始めている事ではないかと思います。胎児が「生まれる」事 によって、人類は意識的飛躍を遂げ、「巨石の輪が元の力を得る」のだと思われます。 一二三神示でも、「神と悪魔との力比べであるぞ」「学と神の力比べ」「最後の最後に 神の神力見せてアフンとさす仕組であるぞ」「善も悪もなくしてあっぱれ松の世と致す ぞ」等々という箇所がありました。 一二三神示、松の巻、第二十三帖 『国々所々に、神人鳴り動く、道は世に開き極む、日月地更に交わり結び、その神々ひ らき弥栄え、大地固成、まことの神と現はれ、正し、三神は世に出づ、ひふみと鳴り成 るぞ。正しくひらけ弥栄へて更につきづ、鳴る道に成り、交わる。永遠の世光ることは 永遠の大動、息吹大地に充ち満つ道。展きてつきず、極り成る神の道。苦む道を開き、 日月地に苦しむ喜び出で、神の国むつび、悉く歓喜弥栄ゆ。七月十日、あめのひつくの かみ。』 「宇宙の法」、新地球出版社(発売:星雲社)、¥1500、P67より抜粋 『「つながり」の形態の完成は、「エネルギー」の場を将来します。人と人との結びつ きが一定の量を獲得したとき、量は質に転化し、エネルギーへと変わるのであります。 エネルギーは不断に流入し、またそれを他に流出して行くことが求められるのです。宇 宙に停滞は許されません。』  要するに、2/18のARIONのメッセージは「何かをしようとあせる気持ち」は 創造的ではないということだと思います。決して「招かれざる将来」を起こさないよう にしましょう。予言はハズレさせるためにあるのだと私は思ってます。従って、「預言 者の道は石つぶての道」とはよく言われます。飽くまでも、自分を見つめ、自分の中か ら沸き上がる炎の力を確認し、それと四六時中関わって行くことで、自我を越えましょ う(手の中で熟し、身体に溶けますように)。そして、「それと知られないように」周 囲の人や世界へ、この「日本人の果実」を伝達してゆき、覚醒へと向かいましょう!  その内、この光と愛に満ちた新しい人類意識に無意識的にでも参加する人が一定数を越 えて、ある時間が経過(身体に溶ける)した時に、私達の知らない意識の次元ジャンプ が起こり、「巨石の輪が元の力を得る」こととなるのでしょう。その時、ピラミッド建 造や、コーラル・キャッスルの秘密が解明され、重力(=地に縛りつける執着力)も解 明されるのだと思われます。同時に、愛の力も理解され、世界から恐怖は無くなり、愛 の力を応用したエネルギー機関も登場して来ると思われます。その方程式を見つけるの が、大ピラミッド近くの地下にある「記録の間」を開けることになっている、イスラエ ルの若き科学者、ジョン・ペニエルだと思われます。そこは何処なんだろうか。「メン フィスの北方50Km(詩編19)」なのだろうか。 私達の今後の行動の「指針」 >−−−−−−−−−−−−−−−−−− > > 数ある言葉、戒め、教えなどの中から、自分の心に響くものを選びなさい。 > 周囲の評価がどうあれ、周囲の認定がどうあれ、あなたの心に響くものは、 > あなたにしか分からないものだから。 > > あなたにしか分からないものだからと言って、孤独なんだと思う必要は無い。 > 多くの「あなたにしか分からないもの」が寄り集まって、一定数を超えた時に > 「全ての者に分かるもの」が見えてくるだろう。 (BY ARION) > オリハル 電子会議 (1:発言 改行のみ: 読む) 通常モード >- FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/02/20 - 042/042 GBG02755 スマル 届かない声は悲しいことだけどね。 (15) 93/02/20 01:37 041へのコメント チャチャいれちゃうけど。 現状を変えるには、一人一人が変らなくてはならない。 それは事実だと思う。 「犬の遠吠え」かもしれないね、ただ叫んでいるだけじゃ。 でもさ、私が出来ることがあるとしたら、 「私を表現すること」ってかな。 沢山の人を変えようとするところに無理がある。 親が、子供が何人いようと、一人一人に愛情をかけるように、 目の前の人に、自分の本当のことを伝えて行くってのは出来るのでは ないだろうか。子供達を躾けようと思ったら、親は自分の後ろ姿を 示してゆくことが、1番近くて早い方法だよ。 言葉だけじゃ、耳から消えてしまうだろうけど、 言葉を実行する、それしかないんだと思う。 その姿に誰かが響くってことを期待したいな。 深いところで人は繋がっている。一人が二人、二人が三人と言う風に 本当の事が伝わる。意識されなくても、深いところで理解される。 それが、いつしか表出されないとは誰もわからないだろう。 だから、一人でいいんだ。まず一人! 理解されようと思わなくて良い。 ただ、「何か違う」と気付いてもらえさえすれば。 幕末の志士も、最初は人に「夢幻を語る嘘つき」位に思われていただろう。 彼ら自身にも信じられないような、自分の中のささやくような小さな声を 無視しないで、それを信じて行動した。 そんな小さな祈りが、だんだん大きく育って行った。 あなたの1番大切な人にまず、言葉と行為で語り掛けてゆく。 それを偽善と呼ぶのは、呼ばせておけばいい。                      スマル - FARION MES(17):◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 93/02/20 - 258/258 GCC03437 星也 魂の在処(何冊かのSF紹介) (17) 93/02/19 20:42 何気なく、手にとって、買ってしまう本がある。 なのに、 まるで、偶然のような顔をして、 捜しているもののかけらが そっとそのなかに、紛れ込まされている。 ーーーー 情報、魂、記憶、エントロピー、生命の起源、意識の次元、生きているという事。 (そして、猫、という生き物の存在) このところ、ふっと衝動買いした本の中身は どれもこれも、その手の話題だった。 ま、SF&ファンタジーなんだから、似ていてもさもありなん、 かもしれないけれども、 妙に「現実」と思っているもの、と、世界の姿、の事がちらつく。 娯楽ものとしても、十分に面白いし、このあたりをうろついている人なら、 結構、趣味が合うのではないか、と思う。 ーーーーー ねこのめシリーズ(1〜3) 富士見ファンタジア文庫 作・小林めぐみ  天秤の錯覚//羅針盤の夢//六分儀の未来    イラストの加藤洋之&後藤啓介も、ぐっどである、と思う。 死して咲く花、実のある夢  徳間書店        作・神林長平        裏表紙に描かれた猫の絵が結構かわいい。 ーーーーー 手に触れたものすべてが、黄金になればいい、 と望んだ王の名前は何だっただろう? 「3っつの願い」の寓話の意味を、考えている。