- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/02/28 - 333/341 GBG02043 維/YUI 今日(2/27)のメッセージに ( 2) 93/02/28 01:10 >>維/YUIさんの日々の暮しをそっと見守る路傍の草花たち… ありがとう・・・とだけ。(^_^) 人を好きになれなかったとき、なにも言わないけれどやさしかった草花達。 今、人を好きにはなったけど、ぐれてたりするとき、相変わらず何も言わないのに やさしさを分けてくれるね。 ごめんね・・・はげましてもらってばかりで。(^^;) ぽっかりと昼さがり、なんにもしないでいるときに、 大好きだなって思う・・・ここがね。  嫌なことばかり増やしてしまった私達だけど、それでも嫌いなんじゃないんだよ。 大好きなんだもん・・・。                              維/YUI。 - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/02/28 - 880/884 MHD02672 TAO ユダヤと日本の縁って? (11) 93/02/28 01:43 879へのコメント  >隆ちゃん  どもです(^_^)。まあ、日ユ同祖論者っていうのは、何か神がかった方が結構 いらっしゃるのは確かですね(^_^;)。はた目からは「イカレている」としか  見られなくても、ご本人は真剣も真剣、ですから。  例えば、川守田英二氏などは「神霊しきりに動き来ってわが霊魂を占領し、  強烈にわが生涯を支配し、この研究を推進せしめた」なんて言っていますから。  ただ、不思議なことに、日ユ同祖論者には何故かキリスト教と縁が深い方が  目立つようです。先述の川守田氏はアメリカで神学博士号を得た、キリスト教の  牧師ですし、「聖書より見たる日本」を著した中田重治氏もホーリネス派の  キリスト教牧師だったし、酒井勝軍氏や、「キリストは日本で死んでいる」著者の  山根キク氏もキリスト教信者だったといいます。どういう符号でしょうかね。  日本にある「超古代史書」が日ユ同祖論者に対して甚だ影響力をもたらしたようで、  それは「竹内古代史」と呼ばれています。酒井氏や山根氏はこの「竹内古代史」を  読んで、“キリストは日本に来ていた”という説を唱え始めたらしいのです。  この「竹内古代史」というのは、いわばSF的な神代史としか呼べないもので、  元始神の宇宙創設、神々の地球降臨、人種・文明の発生、大異変の数々…といった  挿話を繰り広げ、雄大なスケールの神話とも言えます。この文書は、戦前その  一部が公開されるや、その内容に当時の最大のタブーであった天皇家の出自に  触れている部分や、古代における日本とユダヤの関係を示す箇所があったことで、  公開者の竹内巨麿氏は当局に睨まれ、昭和十二年には「不敬罪」で起訴された  そうです。  ええと、「竹内古代史」によれば、キリストは弟を身代わりにしてはりつけを  逃れ、日本の八戸に上陸し、青森の戸来村に住み、百十八歳で没したとか。  真面目なキリスト教が耳にしたら、髪を逆立て憤慨しそうな内容ですね(^_^;;)。  「キリスト様がこともあろうに弟を身代わりにするなんて!冒涜だ!」とか。  私も到底信じられないのですが、これをまともに受け取る方もいたのですね。  ま、ユダヤからの影響が、日本に流れ込んでいるというのは確かにあるのかも  しれませんが、それが即ユダヤ人=日本人というのにはならないでしょうね。  遥かなる古代には、先祖様が同じだったかもしれませんが(^_^;;)。  話は変わって。KAZEさんに対するレス(#879)でのファッションの話ですが、  :信じがたい話ですが、僕は小学生の頃からパリのオートクチュールやプレタ  :ポルテの特集を「MODE et MODE」で鑑賞していたほどなので(服飾や宝石、  :香水などが子供の頃から好きなのです)多少は見る目があるつもりですが…  ふみゅ。私も似たようなことをやっていました(^_^;)。自分では着なくても  (当たり前だ(^~^;))、華やかに着飾った女性を鑑賞するのが楽しみでした。  ご存知ではないかもしれませんが、週刊「ビッグスピリッツ」に連載している  「イオナ」が好きなんです。セクシーなヒロイン、華やかな絵柄とえげつない  ギャグが妙にマッチしていて。  日本人で本当に洋服が似合う人が少ないというのは、同感ですが、それでも  最近の若い人を見ていると、本当にセンスが良くなって来たなと感じています。  私自身は、洋服には結構凝る方なのですが、それが他人様からはセンス良く  見られるかについては、何とも言えませんね(^_^;)。  あ〜あ、こんな時間まで何を書いているんだが。  TAO  P.S. 料理店のご紹介、どうもでした。私も少し探してみますか。エスニック     料理店なんかいいですねぇ(^_^)。 881/884 MHD02672 TAO 岡本天明の色彩は美しい (11) 93/02/28 01:44  >NOISEさん  岡本天明のビデオ画集、見ました。いいですね〜(^_^)。  私は、NOISEさんとは逆にクレパス画が気に入りました。  俳画や水墨画も悪くないのですが、クレパス画の独特のマチエール、  濃密でなおかつ透明感のある色彩感が良くて。  一番気に入ったのは、ごく当たり前の結果ですが、ビデオでも最後に出た  「宇宙」でした。歓喜に満ちたというか、ピュアな生命感が溢れていて、  心やすらぐ印象です。天明の作品中でも、白眉中の白眉というべきでしょう。  −見たい方へ−  ビデオは株式会社クエストから出ていて、税込みで6.200円です。  (これは別に宣伝ではないよね(^_^;))  TAO 882/884 GGA02514 KAZE 神秘学雑戯談(^^;) (11) 93/02/28 02:59 879へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >子供の頃からのアレルギー体質なんですよ。 かなり苦しそうですね。 しかし、特に小さい頃からの身体に関する問題というのは、 自分が根底で克服すべき課題が外化してあらわれるのかもしれませんから、 それを契機として自分を磨く機会としなければならないのでしょうね(ケッコウ、ツライケド)。 つまり、それを気付かせてくださっていることに感謝しなければならないのかも(^^;)。 アレルギーといえば、僕の相棒はアトピー風のアレルギーで、 手の指などにその影響がでていて、結構苦しそうでしたが、 最近はかなり良くなってきているようで、ほっとしています。 僕は隆ちゃんのようなタイプのアレルギー体質ではないけど、 以前にも話したかもしれないけど、小学校一年のときに、腎臓炎で入院して、 なんとか治療が間に合って数カ月後退院してからも、激しい運動というのは その後もしばらくはできなくて、わりと苦しい幼年時代だったのですが、 ものの本によると腎臓が弱るのは恐怖心と利己心が強いからだそうで(^^;)、 その部分を「自反」せよ、という警告だったのかもしれません。 やはり、気づきの材料を与えてくださっていることにきちんと気づいて、 それを生かしていくようにしたいと思います。 もちろん、それは自分にとって一番苦しい部分でもあるのでしょうけど(^^;)。 >ところでこの明恵上人ですが、カミさんが大のファンです。聞くところによると、 >なんかものすごい人だったそうですね。彼が修行していたという京都は高雄の神護 >寺に行ってみたいと常々言っております。ちなみに彼女は坊主とホモが好きなのだ >そうです(^^;)。 ほほう、明恵上人の大ファンとは、ジブイ趣味ですね。 とかいいながら、僕はそんなに明恵上人のことを知りません(^^;)。 以前、松岡正剛さんの「空海の夢」というのを読んだときに、 その冒頭のところで、明恵上人と「夢」ということについて読んでるくらいです。 そういえば、そのテーマでは河合隼雄さんが本を書かれてましたよね。 残念ながら、まだ読んではいないのですが、興味をひかれています。 「坊主とホモ」が好きというのは、はははですが、 相棒によると、昔は自分もそうだったけど、趣味がさらに広がった(^^;)、 のだそうです(ナンジャコリャ)。 お互い不思議な相棒を持っていて、複雑な心境・・・でも、ないか(^^;)。 「ホモ」というと、筒井康隆のつくった迷辞典には、フランス人という項目があって、 「フランス人ならホモだろう」(^^;)、というのがあって、 なぜかなるほどなるほど、とうなずいてしまったことがあります。 というのも、当時(もう十数年前ですが)好きだったロラン・バルトという方は、 なぜかホモでマザコンでしたし、フーコーという哲学者はもろホモで、 しかも坊主(ハゲ(^^;))、そして結局、エイズで死んでしまう顛末でした。 >僕は小学生の頃からパリのオートクチュールやプレタポルテの特集を「MODE et >MODE」で鑑賞していたほどなので(服飾や宝石、香水などが子供の頃から好きな >のです)多少は見る目があるつもりですが、日本人で本当に洋服が似合う人は少 >ないですね。 すごい趣味の少年時代を送られたようですが、 僕は今の広告会社でプランニングの仕事を始めてから、 仕方なくファッション雑誌を読ま(見)ざるをえなくなっています(^^;)。 流行通信やマリ・クレールあたりだといいのですが、結構つかれるのですが、 見とかないと、撮影や制作関係のディレクションができないので、やれやれです。 しかし、本当に、日本人は洋服が似合わないですね。 しかし、浴衣なんかになると、俄然日本人が似合ったりするから、 仕方ないといえば、仕方ないのでしょう。 でも、最低、自分に似合う色と形のコーディネーションだけは意識しときたいですね。 見るからにミスマッチそのままなのに、 自分で似合ってると思っているオオボケなんてのが多いのが悲惨です。 先祖供養ですが、 >僕はやらないよりはやるほうがましかなと思っていたのですが、最近はきちんと >やらないのならやらんほうがましかもしれんと思い直しています。でもしないと >ご先祖様に申し訳ないとは思いますが・・・。 僕が先祖供養という形についてピンとこないのは、血縁とか地縁とかいうことについて どうにもこうにもマイナスのイメージが濃厚なせいなのかもしれません。 もちろん、自分が現在の血縁、地縁を「選択」したことには、 もちろんもっと別の「縁」も存在していることはあるでしょうが・・・。 これには、家族関係の破綻した家に育った僕の偏見が大きいのかもしれませんが(^^;)、 今になって考えても、肉体先祖とそれをはるかに越えた霊的な先祖、 それからミクロコスモスとしての観点などをいろいろ考えていくと、 「先祖」ということは、それらのONE OF THEMだという感覚が強いのもあります。 しかし、最大の先祖供養というのは、生きているこちらが、 迷ってる(?)先祖に対して反省を促すような生活を きちんと送ることなのだと思います。 「供養しないからわしらが迷ってるのだ」という先祖がいたとしたら、 そんな先祖には、やっぱりもっと厳しく自らのあり方の間違いを しっかりと諭してあげなければいけないのでしょうね(^^;)。 神道ですが、 >できれば運転せずに上手な人の助手席に乗っていたいなぁ。 人間には、神的な人間と人間的な人間というのがいて、 僕のイメージでは、神道というのは、前者のタイプに適してるんだろう、 なんて勝手な偏見を持っています(^^;)。 でも、ほんと、運転の上手な方の助手席、ってのはいい考え方かも。 間違っても、運転の下手な方の助手席になけは乗りたくないものです。 実際のシーンでも、たまにそういう方の隣に座って、 「あっ!ブレーキ」とか、「ここは一方通行なのね、わかる?」とかいうのって 神経が休まりませんからねえ(^^;)。 >最後に東京遊戯団オフ。僕は残念ながら参加できないのですが、東京の食い物屋 >の紹介など・・・ オフといえば、隆ちゃんと、特に僕の中で勝手にイメージがふくらんでいる奥さんには ぜひ一度お会いしたいものだと思っていますが、今回は場所が違いすぎますね。 「東京遊戯団オフ」といっても、たぶんほんの数人で歓談するくらいでしょう。 でも、その方がいろいろお話もできたりするのでしょうね。 以前、昨年の7月(ダッタトオモイマス)にあった最初のFARIONのオフに出たとき 人数がとっても多くて、人見知りで田舎出のお登りさんの僕としては(^^;)、 ちょっとシンドかったのでした。 >一昨日、「イエス・ライブ 1975」というLDを買いました。懐かしくて、 >感動ものでした。やっぱりイエスは良い(^^)。 イエスといえば、僕も結構いろいろ聞いたものです。 「こわれもの」とか「危機」とか、ね。 そういえば、4年ほど前には、ABWHというイエスの主要メンバーが集まって 「閃光」というアルバムをつくってました。 そして、2年ほど前には、イエスの「結晶 UNION!YES」というのが出ましたよね。 そして、もう過去の栄光はなくなってしまった感を強くしたものですが(^^;)。 もちろん、ディープパープルの再結成ほどのひどいものではありませんでしたが・・。 でも、イエスといえば、やっぱりジョン・アンダーソンの あの形而上的なボーカルがいいんですよね。 ジョン・アンダーソンのボーカルアルバムっていうのも、わりと聞いてました。 それと、僕は、やっぱりリック・ウェイクマンが好きで、 彼のアルバムというのはいろいろ聞いて喜んでました(^^)。 しかし、LDといえば、うちにはそれをかける装置がいまだにありません(^^;)。 LDもなければBSもないのですが、やっぱりあった方がいいのでしょうね。 わりと僕は機械類のものもちが良くて、それを引きずってますから、 どうしてもシステムが広がらないということもあります。 という貧乏物語はこれくらいにして、 結局、雑談ばかりになってしまいましたが、 今日はもう2月の最後の日になってしまって、 いよいよ3月になろうとしています。 カレンダーをめくらなくちゃ、と思いながら、 時の流れの中で、自分はなぜここにいるのかを、 常に見つめていたいと思うKAZEでした。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/02/28 - 962/962 JBH00742 COOL RE:ゴミ (13) 93/02/28 00:46 958へのコメント  またまたこんにちは、維/YUIさん!  「だから?」と尋ねられても困るんですが…。(^^;)  確かにいろいろと弦が張ってあったほうが  それぞれの弦の音色を楽しめるし、  それが宇宙の様相(私はこういう言い方は余り好きではないのですが…。)  を示しているのかも知れません。  しかし、真に(人の心を貫く)武器としての弓矢となるには  弓の部分に亀裂があってもいけないし、  ましてや何本も弦が張ってあれば、  矢は強く、遠くへ飛んでいけないのです。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/02/28 - 061/063 HGE03563 OZ弐 ニホン人論など (15) 93/02/28 00:20 今日(昨日)テレビでやってた「ガン・ホー」は面白かったっす。 ばりばりの日本人精神が流れている「ニッポン式株式会社」が、 アメリカに進出してって、文化とゆーか思想の違いで起きる摩擦を描いたストーリー。 最近、渡辺昇一氏の「日本そして日本人」(ノンポシェット)っていう日本人論 の本を読んでカンドーしたあとだったので、この映画は楽しめた。 和を大切にし、和を乱すことに臆病な日本人。 渡辺昇一氏の本では、日本人の精神構造や価値体系、行動原理などを 「農耕民族」、「騎馬民族」、という2つの視点から考察しているのが特徴です。 これで見ると、農耕型発想が武士道精神となり、現在の日本企業の精神となる。 日本的株式会社って特殊なモノ、 今までの世界の歴史をみても他には存在しなかったそうですね。 この本によると、日本は表面的にはいっけん西洋化しているようで、 ジツは日本人の根本的精神構造は昔のサムライ時代からほとんど 変わっていないという。 「和」の精神は、農耕的習慣・・土地から離れない民族の人間関係から 生まれたものらしいです。(隣人がいつまでも変わらない人間関係には、 和が最適なのだそうだ) 日本の「和」を大切にする無私の精神の部分は尊いけど、 正邪を正邪とも言えない風潮までも「和」から生み出してしまったのは 悲しいですね。 善人になりたがる人たち・・ってことがでていましたが、 特に日本人は、和を乱すか乱さないかで正義か悪かを決める習性があるってことなので、いつも他人の顔色をうかがって小善人になろうとする願望が強いのでしょう。 戦時の死をかけた玉砕精神も、この農耕民族的ということらしいですが・・。 現在の政治経済界も視点を変えれば、 日本人精神が−−良い面も悪い面も−−バチバチと躍動しているのが見れるみたい。 062/063 HGE03563 OZ弐 RE:届かない声は悲しいことだけどね。 (15) 93/02/28 15:16 042へのコメント スマルさんチャチャをどうもありがとうございます。 「犬の遠吠え」っていうのは、失言だったかなーなんて考えてます。 素晴らしい思想はやはりボクも素晴らしいと思います。 ただ、素晴らしい思想と自分の行動が一致しないと、 このままじゃいかんなーという脅迫観念が生まれてきたりします。 幸○の科学の信者がテレビなどで「愛」なんてことなんかを偉そうに語っていたり するのを見ると、「なんじ人前で祈ることなかれ(ダッタカナ?)」とかいった言葉を いつも思い出します。 「愛」というのをストレートに口に出して言ってしまうと たちまちその素晴らしい価値を失ってしまうような気がします。 「愛」は隠徳で行われる時に最もその価値を発揮するように感じるから。 「愛」という思想をもし人々に伝えるならば、 文学や映画などの創作によって無形のカタチ(自然体)で表現されて欲しいものです。 同じく素晴らしい思想も、自然で素直な実行によってその素晴らしい価値が 発揮されて欲しいなと感じます。 実行は・・・、 人に伝えようとするのではない。 ただただ無心に、自己に忠実であった結果でありたいな。 063/063 HGE03563 OZ弐 「命懸け」について (15) 93/02/28 15:17 「命懸け」って言葉に対する疑問を少々・・。 「命懸けでやる」ってことは、少なくとも生死を意識しているっていうことです。 イニシエの聖者・英雄たちは、生死なんてものを念頭におかずに行動した。 ・・ということは、彼らには「命懸け」っていう発想さえ無かったのでは ないでしょうか? 「命懸け」と、「生死を念頭に置かない」では、意味が違うと思います。 いたずらに「命懸け」を意識することは不自然だと思う。 命懸けなきゃって脅迫観念が浮かんできたりして、かえって何も出来なくなる ことだってありうるし・・・。 生死を超越した思想を身につければ、自ずから生死を念頭に置かなくなり、 即ち真の「命懸け」が現出するようになるのだと思います。 - FARION MES(20):■バトルのお部屋--------------------臨時 93/02/28 - 507/510 TBE03167 ねずみ 僕の善とは。 (20) 93/02/27 22:02 コメント数:1 僕がこれまで狂暴な文章しか書けなかった理由は、僕が、僕自身の行動が一体何を基 準にしているのか分からなかったからだ。 僕が善を求めようとする度に、どこかから「それは偽善だ」という声が聞こえるよう だ。 確かに、それは間違いではない。 僕が、何か善をする度に、「あなたは立派な人だ」というお節介な声が聞こえる。 そんなもの無視すればいいようなものだが、哀しいことに、他人から誉められれるこ との誘惑に耐えられない僕は、次もまた誉められたくて、また良いことをしようとす る。そのうち、自分でも何を目的としての善か分からなくなる。 そして、僕は気が狂った。 今、僕ははっきりと言う。 僕の善行は、全て僕の生存のためである、と。 僕は僕のエゴのため善を行う。 従って、僕の善は偽善ではない。 僕の善を笑う人達よ、その笑いは果たして何のためか。 その笑いこそが偽善であることに、あなたは何時になったら気がつくのだろう。 508/510 TBE03167 ねずみ 戦争はなぜ起きるのか。 (20) 93/02/27 22:04 人はみな戦争がイヤなのに、でも、なぜかやってしまう。なぜなんだろうな、という 疑問。 つまり、こういったことではないだろうか。 人が戦争を嫌うのは、人と人が殺しあって、無意味に命が奪われるからだ。極論すれ ば、誰でも、自分の命が惜しいというエゴがあるから、戦争はいけないのである。 さて、もしも戦争をしなかったら、確実に自分に死がやってくるとしたらどうなるの だろうか。  例えば、地球上に100億の人間がいたとして、ある日突然、食料の総生産量が7 0億人分になったとしたら、あとの30億人は餓死するということになる。もし、そ の30億人の中のひとりが自分であったとしたら……  誰だって、自分は死にたくないと思っている。だったら、餓死する側の30億人の 中の自分は、殺されまいと思って、生存側の70億人に戦争を仕掛けるということが 考えられるのではないだろうか。 つまり、僕の言いたいことはこうである。  自分の命が惜しいという理由で戦争が嫌だと言う人は、同じ理由によって、条件次 第では積極的参戦に加わるということなのだ。  だから、戦争反対を唱えているだけの精神論的反戦だけでは完全な反戦にならない。  むしろ、戦争を引き起こす条件を未然に回避する努力の方が実質的有効性をもつの だということである。  その為には、戦争条件にはどんなものがあるか解明しておく必要があると思う。 #474byフレイア、#482byフェイ、#483by岡、をご覧になっていた だきたいのだが、結局、自分達の経済(or食料)の困窮が戦争条件になって、他国 への侵略行為へと結び付いてしまうのではないだろうか。  経済の破綻が戦争条件のひとつになっている。ならば、まず大切なことは自国の経 済を破綻させないことである。  幸い、日本人は勤勉である。怠惰故の経済破綻ということはそれ程の心配はないよ うな気がする。  しかし、働きすぎということも、必ずしも良いということではない。何故なら、生 産には必ず資源の消費がつきまとう。従って、過度の生産は致命的な環境破壊を引き 起こし、最終的には日本経済の首を自ら締めてしまう。シナリオの進み具合によって は、これもまた戦争への引き金になるかもしれない。  換言すれば、環境保全が戦争抑止の一手段になるという見方もできるだろう。 もう一つ重要な点は、他国の経済を破綻させないことである。  他国の経済が破綻した場合、その国は経済復興のためにさらなる他国(日本かもし れない)を侵略しようとする。  そのような問題を回避するためには、日本は他国への経済の圧迫を避け、場合によっ ては適切な経済援助を行う必要が生じる。 また、経済問題とは別に、軍需産業の暗躍もまた戦争条件のひとつである。これは、 次回のアップに回す。