388/398 PGB01143 魔界のめーそん メッセージに ( 2) 93/03/04 06:51 コメント数:1  永い人間界での終焉を迎えようとしているめーそんには、この陽光は 燦し過ぎる。月光こそ心を和ませ、追憶へ誘ってくれる。  時々人間界を離れて精神生命体へ里帰りし、土星の円座に腰を掛けて 地球を見るとき、月はあたかも優しい主人の足元にじゃれる子猫のごと く見える。  木々の梢から洩れる月の光を背にして、窓越しに居酒屋に集う諸君の 楽談を覗き見ながら、今日は呑まずに去ろうと思う。  明日は又皆さんの仲間に入れて貰えるかな..さはしマスターの振る シェーカーの銀色がまぶしい。                         魔界のめーそん 390/398 GBG02043 維/YUI もうすぐ・・・ ( 2) 93/03/04 12:31 公演だ〜〜〜い!! 3/28に、東武東上線の上福岡って駅でおりて、歩いて5分のところにある、 西公民館ホールってなところで、”べっかんこ鬼”の再演をすることになって いるのでした・・・。(ちなみに、12:00と15:00の2回。) そういった訳ですから、当分の間・・・アクセスはおろそかになります。 ですから、私には話をふらないように・・・とまでは言いませんが、 なんかまともな返事はできそうにないので・・・少しまっててね・・ということです。                 おひまな人は、きてみてね。                           維/YUI。 391/398 QFG02515 めるく はじめまして ( 2) 93/03/04 16:16 コメント数:1 こんにちは。 ハンドルを、SHANAからあらためました。 きょうから めるく です。 よろしく m(__)m - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/03/04 - 501/501 GBA01276 しまうま 航路 ( 6) 93/03/04 08:37 :暗い海を照らす星の光は、しまうまさんの航路を導く優しい灯火ね…  海の中なにか不思議なきらめき  空には数え切れない星の光  僕の航路を導くのは、鮮やかに目にしみるあの星  どんなに逆風が強くても、帆は下ろさない  何から逃げ出すのでもなく、僕は向かうよ  偽らないこころ翼にかえて  きみのもとへ・・・ キ#- FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/03/04 - 843/847 JBH00742 COOL RE:あたしのカミゴト日記:後編 ( 7) 93/03/04 00:02 841へのコメント コメント数:1  こんにちは、みれさん!  一連の日記、楽しく拝見させていただきました。  大宮神社、菅原道真、寝殿の右側のイメージといえば…。  思い出しました。私達お参りするのを忘れていたんですね。(^^;)  原因は私にあると思います。  多分私の一番の欠点なのかも知れません。  (再三、注意はされているのですが…。 ^^;)  …ってな訳で(なにがじゃ)、今後ともよろしくお願いします。  追伸 有難う!>みれさんの恋人さん(^^;)、ARION                     93/3/3 雛祭りの日に 844/847 GCG01043 SAISE RE:あたしのカミゴト日記:後編 ( 7) 93/03/04 02:56 841へのコメント コメント数:1 あー・・・確かに2/25は良い天気でしたね。 私は「こんな日に部屋の中にこもってお仕事なんて・・・」とボヤきながら 博多駅前のビルの中でせっせとワープロ打ちをしていました。(T_T) ところで、太宰府天満宮のすぐ隣に「光明禅寺」という禅寺があるのですが、 お寄りになりませんでしたか? ここは「光」の文字に石を配した石庭を持つ静かなたたずまいのお寺でして、 天満宮の賑わいと好対照をなしています。 中庭に面した一室に座して心静かにおもてを眺めていると、時間を忘れてひた すらリラックスしている自分に気付くことがあります。偉そうな言葉を借りて 言えば、「自然と人の営みの調和がもたらす幸せ」のようなモノを実感してい るのかもしれません。 みれさんの言われるカミゴトって、そんな気持ちで日常を生きて行く中でフッ ともたらされるメッセージに、素直に耳を傾けること・・・なんでしょうか。            (太鼓橋のアッチコッチにけっつまずいた) 彩 瀬 SAISE. 845/847 SDI00635 みれ RE:あたしのカミゴト日記:後編 ( 7) 93/03/04 15:53 843へのコメント  #843 COOL さん  うーーん、COOLさんんの言うことイマイチよく分からない…(^-^;)  原因はCOOLさんにあるってところは、よく分かるんだけどねぇ(笑)  あたしの思うに、COOLさんの欠点(?って言えるのかどうか(^-^;)) 何だかよく分かんないままに、自分で納得したらそれでOKってとこかな… まぁ、この傾向は誰にでもあるんだと思うけどね。もう少し分かりやすくC OOLさんが自分のことを説明してくれると、いいなと思うのでありました。 |…てな訳で(なにがじゃ)、今後ともよろしくお願いします。  こちらこそ、よろしくお願いしまーす m(__)m ペコ            ・:*:・みれ・:・。,★ 846/847 SDI00635 みれ RE:あたしのカミゴト日記:後編 ( 7) 93/03/04 15:53 844へのコメント  #844 SAISE さん  ううむ、博多でいらっしゃいましたかぁ(^-^;)  今度、そちら方面に行ったら、会いましょうねっっ★  光明禅寺ですか、確か地図見てた時に名前が話に出たような…(^_^;)、行 ければ良かったんですけどねぇ、時間がなくて。光の字かぁ…と心の「観光 予定帳」に_¢(。。 )m メモメモしておきます(笑)  カミゴトについては、ファイルを改めて(ア、コレバッカリ (^_^;))詳しく述べ させて頂きたいと…。実はねぇ、さっきまで1時間半も掛けて、カミゴトに ついてのファイル書いたのに (;_;)、何故だか、ハングしてしまって80行 も書いたファイルが没になってしまったのでした(;_;)ポロポロ で、そのショ ックから醒めやらずってな感じで、再開出来ずにいるのでした。  だもんで、もう少ししたらまともなファイルをUP出来ると思いますので 待っていて貰えたら、嬉しいなと思う次第でありまふ(^_^;)ア、ブンタイガヘンダワ               ☆みれ・:・。,☆ 847/847 RGE01147 誠惇 ARIONへ ( 7) 93/03/04 18:34  こんにちわ。やっと、貴方にメールを出したい気持になりました。  なぜかこのごろ、ずいぶん貴方を近くに感じるような気がするからです。  (気のせいでしょうけど。^^)  自己紹介に替えて、昔見た夢の話をします。  実際、精神世界に興味をもつようになった直接の動機は、この高校時代に見た夢に  あります。それ以前は、はっきり言って、その手の類の話は、うさん臭くて嫌いでし た。  それは、夢と呼べるのか未だに良く分からないのですが、  たしか、高校1年生の6月でした。(日は忘れました。だいぶ前の話なので ^^;)  〜〜〜〜〜〜  眠りについてからそんなにしてなかった…と思う。  自分の体が布団から引きずりだされるような感じがして、  目が覚めた(様な気がした)。体の自由は効かなかった。  必至にもがいたが、目に見えない力により、私の体はそのままずるずると、  外に引きずりだされた。  手に触れた布団の隅、縁側の冷たさ、戸溝の感触も覚えてる。  家の外には、庭はなく、ただ闇が広がっていた。  その闇の中に自分の体が浮かんでいた。(寝たままの状態で)  巨大な力により、体はさらなる闇の淵(闇の中のさらに深い闇と言う感じ)に  引きずり込まれそうになった。意識は半分恐怖に支配されていた。  叫びたかったが、叫ぶことは出来なかった。”もう、だめだ”と思った。  そのとき、遥かかなた上空に点のような光が現れたかと思うと、  その光は眩いばかりの輝きと、物凄い勢いで、ぱーっと闇の中に広がっていった。  (この光には色はなくまさに白光で、冷たさも温かさもなく、輝きだけでした。)  この時の情景をうまく言葉で表現することは出来ないが、  マグネシウムを焼くようだとそのとき思ったのを覚えている。  (きっと、中学生の時の理科の実験を思いだしたのだろう)  雪が溶けるように、闇が消えると、  (最後の方は、初めのような勢いはなく、光と闇が溶け合うような感じだった)  体が目覚め、自分の部屋の布団のなかにいるのが分かった。  誰かが、蛍光燈をつけてくれたのかな、と思ったが、  部屋には、明かりはついていなかった。  不思議な驚きと感動と興奮とが入り交じった頭中で、  「あの暗闇に比べれば、夜の暗さはなんて明るくて温かいんだ」  と思った。  〜〜〜〜〜〜  何か作ったような話しですが、以上が私の人生の転機となった夢?の内容です。  ”光と闇”とは一体何なのか、そのときからの疑問であり、  その時見た光に導かれて、今まで生きて来ているように思います。  そして、ARION、あなたの  ”光よりの光、オリオンの神の座より来たりて伝える   我が名はアーリオーン、炎の天使”  のフレーズ特に”光よりの光”の部分に言葉に表せないものを感じてしまうのは、  この夢のせいだと思うのです。               By 誠惇  P.S みれさんへ   いつもご苦労様です。   私、生まれも育ちも、信州です。ちょっと遠いものですから、   オフ等には参加できませんが、どうぞ、よろしくお願いします。(_o_) - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/03/04 - ィ饐899/904 NBG00612 岳同 RE:こんなことってあるのかなぁ (11) 93/03/04 00:43 896へのコメント コメント数:1 KAZEさん、TAOさん、こんにちは。 九鬼文書の件、興味深く読ませて頂きました。 TAOさんの大本へのこだわりはこの辺りにルーツがあったのでしょうね。 九鬼家というのは、出雲と熊野の2大ワンダーゾーンを結ぶスサノオ神界の 窓なのかもしれません。 そういえば、伊勢湾台風はスサノオのゆかりの土地を辿って進んで行ったという 話しを聞いたことがあります。 熊野ー伊勢ー出雲ーそして大本と、なにかひとつの鉱脈に突き当たった感じがします。 TAOさん自身にとってもなにかプロローグのような気がしています。 これからの展開が楽しみですね。 話しは替りますが、アトランティス関係については、神田の古書街をまわった感想では 大陸書房の書籍は殆どありませんでした。心当たりを当たってみるつもりですが、 ひよっとすると、TAOさんの資料をお貸し願うかもしれません。 ちなみに、やはりこの会議室の話題に関しては原書房が一番の在庫だったと思います。 あと掘出し物は叢文閣(靖国通り沿い、地下鉄神保町から書泉グランデにかけてに あります)と三進堂(御茶ノ水駅前)が充実していたというか他は殆ど全滅という感想 です。 まあ、図書館という手もありますし、いろいろ手を広げて集めてみたいと思います。 グランデには、EARTH WORKさんが執筆されたというAZのストーン・パワー特集が ありました。ポピンズおばさん焔円さんの写真も載っていて、(美しいご婦人ですね) アトランティスの水晶王国のはなしも興味深かったです。 古書店をまわる楽しみは、やはり掘出し物を拾うことだと思うのですが、 今回の拾いものは、「アーユルヴェーダ 日常と季節の過ごし方」平河出版社でした。 この本には当たり前のことが書かれているのですが、その当たり前が耳が痛いのです。 一日の過ごし方から始まって、季節に応じた過ごし方へと身近な項目が続きます。 例えば、起床時間の項は要約が「早朝(日昇1時間半前)起床しなさい。起床後、瞑想 祈り、または学習しなさい。」とあります。ちなみに一日の反省では、「就寝する前 一日の反省を行ない、明日の進展を念じなさい。」、瞑想では「就寝する前、しばらく の間瞑想せよ。」などなど。今、ご紹介したのは付録の要約部分なのですが、こと細か に当たり前を思い/ぜせてくれる本でした。 日頃の不摂生を反省させられています。成人は8時間睡眠kをとるべきとありますが 皆さんは如何ですか? わたしは、生活を変える決心をしました。 これと前後して、船井幸雄の「人間の研究 完結編」PHP研究所を読みましたが、 その中で人間、時間貧乏と人貧乏が一番つらいというところは確かになるほどと 思いました。この船井幸雄さんは、結構霊的なビジネス書を書く人で、面白く読ませて もらっています。 人間は、エネルギー体自身としての太陽になれないのかなあ、やっぱり人間は月的存在 なのかなあと、思い巡らせたりする最近です。月であれば、曇りを晴らして明るさを高 めればより多くの人々と通じあえるのかなあと考えています。海援隊か何かの曲にあり ましたが「心が風邪をひいたように」ブラック・ホールにはなりたくないなあと思いま す。心は煌々とした満月でありたい。そのためには、まず、手始めに正しい生活習慣か らです。 さて、東京オフについてですが、第一回を14日(日)夕方より、KAZEさんをお招きして 行ないたいと思っています。 丁度、私もケビン・ライヤーソンのチャネリング・イーブニング・セッションに参加 した直後のようですので、そのあたりの話題も提供したいと考えています。(知れば 知るほど、著名で真面目なチャネラーのようで楽しみにしています)。 コースは、渋谷で軽くおいしい料理でおなかを満たして、JAZZなんかの聞ける眺めの 良いお店で四方山話に花を咲かしたいなあと思っています。今週中にお店の方の予約を 取りたいと思っていますので、参加される方は参加表明の方、お願いします。 予算は大体、食事5000円、2次回3〜4000程度と考えています。 KAZEさん、TAOさん、よろしいですよね。 また近々、鎮魂帰神についてアップしたいと思っている岳同ですが、 NOISEさん、突然ですが、カライドサイクルってどこの本屋にありました? なかなか見当たらなくて困っているんですが、よかったら教えて下さい。 それでは、また。 900/904 PAG03543 NOISE RE:こんなことってあるのかなぁ (11) 93/03/04 01:04 899へのコメント コメント数:2 カライドサイクルについてですが、 当方、地方の片田舎に住んでいますので、 参考にならないでしょ。 洋書をあつかっているところにあるんでは……。 901/904 GGA02514 KAZE RE:こんなことってあるのかなぁ (11) 93/03/04 01:34 900へのコメント カライドサイクル、ですが、 紀伊国屋の美術書のコーナーにわんさか積んでありましたので、 ちょっと大きめの書店ならば、そこらへんのコーナーを 探してみたら見つかるのではないかと思うのですが・・・。 では(^^)。 902/904 NBG00612 岳同 RE:こんなことってあるのかなぁ (11) 93/03/04 12:31 900へのコメント 神保町の三省堂にカライドサイクルありました。 >NOISEさん 三省堂ってグランデとはまた違った品ぞろえで、 アトランティス関係のものも結構そろってました。 とりあえず、ご報告まで。 - FARION MES(13):★HVHYの預言解読部屋------------<02> 93/03/04 - 986/999 GCC01413 HVHY RE:ずうっと (13) 93/03/03 21:44 982へのコメント           *自分はどうしたいのか?           *相手にどうしてほしいのか?           *相手はどうしたいのか?           *自分にどうしてほしいのか?           どれも等しく大切な事柄である。           だから、決して目を瞑ってはいけない。           一致しないのは“当たり前”だ。           問題はいつでも“その先”である…。                       HVHY 988/999 GBA01276 しまうま RE:駄文 (13) 93/03/04 02:40 969へのコメント :       黄泉へ行って還るからヨミカエル…ヨミカエリ(蘇り) :       (自分を殺して生まれ変わる…) : :       一度自分を全て明け渡し、少し離れて自分の持ち物を見 :       ること、そして次に自分を還してもらって、本当に必要 :       なものだけ身につける。  自分を殺す・・・って、どんなんだろう。自分を全て明け渡すこと?  明け渡したあとで還してもらえるの? ・・・大切な気持ちも一緒に。  わかんないや。まだぜんぜん。  でもさ、自分を殺して、黄泉から還ってきて、そして・・・そして・・・・・・・  信じること、なのかなあ・・・やはり。  あー割り切れない。寝ながら考えよっと。     横から割り込んでブツブツいうヘンな通行人A こと しまうま 989/999 GCC01413 HVHY 呼び水としての暴論。 (13) 93/03/04 03:04              〜 掛け替えのないこと 〜   例えば、貴方が今やっていること(仕事であろうが趣味であろうが…)は、   果たして「掛け替えのないこと」か? 即ち、  >>>  それは“世の中にとって有益”であり  >>>  且つ“貴方でなければ出来ない”ことか?   このように敢えて問われてしまうと、   多くの人は「否」と答えざるを得ないのではないか。(※私もそうだ…)   では、自分の今やっていることが、  >>>  “世の中にとって無益”であり  >>>  且つ“自分でなくても出来る”こと   であったとしたら…、それをやる理由や目的は一体どこにあるのだろう?   もっとも、この疑問から逃れる理屈は現代社会に沢山用意されている。   それ故、理由や目的は幾らでも捜せるのだが…。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   さて、「掛け替えのないこと」とは、どういうことか?   それぞれの人にとっての「掛け替えのないこと」とは、  >>>  「自由に生きること」=「本気で表現すること」   これ以外にはないのではなかろうか?   もちろん、それは簡単なことだとは言わない。   しかし、身近なことであれば、誰にでも出来るのではないか。   例えば、子供に全身で接すること…。   例えば、会議で率直な意見を言うこと…。   例えば、愛する人を守ること…。   ここに挙げたようなことをすればそれで良いと言っているのではない。   そうではなくて、多くの人にとって、  >>>  「掛け替えのないこと」というのは“意外にも些細なこと”だ   と言っているのである。(※維/YUIさんの#982参照)   “現代社会の落とし穴”に嵌まっている人が余りにも多過ぎる…。   アーティストや宗教家や学者は世の中にそれ程多くは要らない。   自分がエグゼクティブだと思っている人も、   そろそろ“首切り”に注意した方が良かろう。   もっとも、“首切り”なんて大したことではないのだが…。                               HVHY 990/999 GCC01413 HVHY 童話の世界? それとも・・・? (13) 93/03/04 04:02 コメント数:2            〜 東京ディズニーランド批判 〜  私自身は東京ディズニーランドへ行っても少しも楽しくない。  実際、(何かの理由で行った場合)、帰る頃にはダウンしてしまう。  だからと言って、楽しいと感じる人を批判するのは、筋違いも甚だしい。  私は今、東京ディズニーランドそのものを批判しようとしているのである。         * 人工的自然がもたらす感性の麻痺         * 誤った歴史観の押し付け [一種の洗脳]         * 大量の殺虫剤による人体への悪影響         * 膨大な資源(コスト)の浪費 [環境破壊]  これぐらいが批判すべき主要な項目であろう。  もちろん、これらの観点からの批判は、  東京ディズニーランドだけに向けられるべきではない。  日本の文化の中に既に“東京ディズニーランド的なもの”は一杯入り込んでいる。  それ故、批判の矢はそれら全体に対してこそ向けられねばならない。  このような議論をすると、 >>>「そういうお前の生活はどれ程のものか振り返った方が良いのではないか?」  という“切り返し”が直ぐに帰ってくる。(※至極御尤もなことだ!)  しかし、そのような“切り返し”は、  上記の問題点の「何の正当化にもなっていない」  ということに注意したい…。  そんな東京ディズニーランドで一つだけ感動したのは「ピノキオの館」だ。  (※本当はもっと洒落た名前が付いていたのだが忘れてしまった…)  東京ディズニーランドの中では最も人気のない(つまらない)「ピノキオの館」。  お爺さん(達)は“僕”(実際には皆)に向かってず〜っと呼び掛けていた。      ピノキオ〜・・・ ピノキオ〜・・・ ピノキオ〜・・・ 。  そこには“リアルではないがリアルな”童話の世界があった。  それにしても、あの「呼び掛け」は、何処から届いたのだろうか?                                 HVHY 991/999 GCC01413 HVHY “時代遅れ”の概念。 (13) 93/03/04 04:42               〜 価値と価値観 〜   私自身も一時期(高校生の頃?)「価値観」という言葉に共鳴した。   しかし、いつの日からか、この言葉は一切使わなくなった。   「価値観」という言葉は、   確かに一方では人間中心主義の思想に裏打ちされているが、   一方では「価値」を完全に相対化してしまう。   (※主観に還元してしまうと言い換えても良かろう…)   このことの弊害はかなり大きい。   「価値」とは何か? 「価値基準」はあるのか?   ここでは、この“肝心な問題”に関して詳細に言及することを避けたい。   いずれにしても、「価値観」優位(?)の現代社会において、   “「価値観」の虜(とりこ)”になっている人々が居るとすれば、   それは“とんだ茶番”だと言わざるを得ない…。   「価値」という言葉に魅かれるのか、「価値観」という言葉に魅かれるのか。   どちらが古く、そして、どちらが新しいのか?   或いは、「価値観」という言葉の“虚ろさ加減”に負けず劣らず、   「価値」という言葉も“相当に虚ろ”なのであろうか?                                HVHY 992/999 GBG02043 維/YUI さかづきって・・・ (13) 93/03/04 12:36 逆さ月かえ??  三日月型のおふねだったりして・・・。 んでは、きららと入った金星入りのお酒でも、飲みましょうか?                   ひさびさの語呂合わせ・・・(^^;) 維/YUI。 993/999 GCC01413 HVHY 単なる参考。 (13) 93/03/04 13:26      [シリウス]                [プレアデス]            “ウラノス”     “ガイア”      (天の父) 『オシリス』−−+−−『イシス』 (マリア)            「ニニギ」   | 「コノハナサクヤ」                    |                    |                 “クロノス”                  『ホルス』                 「ホホデミ」                 (キリスト)                 [オリオン]                                 HVHY 997/999 RGE01147 誠惇 スサノオ考 (13) 93/03/04 18:35  でCOOLさんと話した内容をまとめてみたいと思います。  神話に描かれている、スサノオ、アマテラスはARIONの言う実在した人物とは  いささか異なるようですが、いくつかの伝承やエピソードが混ざり、実在人物に投  影されたと考えると、結構面白いと思います。  (少し前、維さんがウズメ物語りをしていましたね)  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  神話をざっとおさらいすると、(違ってたら直してね >>維さん&ALL )  A.イザナギが黄泉の国から帰り、禊したとき生まれた子が、アマテラス、    ツクヨミ、スサノオで、それぞれ、左目、右目、鼻から生まれた。  B.暴れん坊のスサノオは、黄泉の国の母イザナミに会いたいと、大騒ぎした。    …などなど    あまりの暴れぶりに天界から追放になる。  C.クシイナダ姫を救うため、ヤマタノオロチを倒す。    オロチの体内(尾)から剣(天叢雲剣)を取り出す。  D.天界に帰るとき、自分の真心の証しとして、その剣をアマテラスに献上する。  (後略)  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜    まず注目したのはDでした。いくらいい物でも、自慢話の種にすることはあっても、  こんなことを普通の人はしませんよね。  つまり、C、Dの意味は  >>>  この<剣>が本来の<スサノオ>の働きを表し、  >>>  <ヤマタノオロチ>は<スサノオ>の影。  と言うことではないでしょうか?  本来の<スサノオ>に、蘇るためには、  自分自身<ヤマタノオロチ>を殺さなければならなかった。  (参考)969    >・よみがえり…夜見還り、黄泉還り    >    黄泉へ行って還るからヨミカエル…ヨミカエリ(蘇り)    >    (自分を殺して生まれ変わる…)           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   図にすると、  (光)   <スサノオ>(剣)           |     ↑           |     |       〜〜〜〜〜〜〜〜〜 |黄泉還り           |     |           ↓     |  (影)  <ヤマタノオロチ>  となり、これは、「光り輝く者」<ルシフェル>と<暴走神霊軍団>の構造に  あまりによく一致しているように思う。  神話のスサノオはルシフェルの部分集合なのだろうか?  スサノオとルシフェルの相関についてはCOOLさんが研究中だそうです。  (待ってますよ〜 (^^)Y >> COOLさん)           By 誠惇 998/999 GCC01413 HVHY 夢解釈の試み。 (13) 93/03/04 18:42               〜 解けない方程式 〜          ********************          *                  *          *  50N(20−10)=300  *          *                  *          ********************  或る人はこの方程式を出題されたが解けないために殺されてしまう…。 焉@もちろん、これはその或る人が見た夢の話である。  スフィンクスのこの難問を解く賢者オイデュプスは誰なのか?  まず、なぜ解けなかったのか、想像してみる。  恐らく、(20−10)を先に計算することを思い付かなかったのではないか?  もし思い付けば、「50×N×10=300」「500×N=300」  と変形されて、<N>=『0.6』 であることは直ぐに解ったはずだ…。  しかしながら、方程式がわざわざ“妙な形”で提示されたのは、  単に見掛けを複雑にして解きにくくするためではなかろう。  “妙な形”の中にこそ何らかの意味合いが隠れているのではあるまいか?        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜           [文 字]     [小径(パス)]   [タロット]             ↓          ↓         ↓    「50」>  ヌン (N)  「ティファレト→ネツァク」 『死』    「20」>  カフ (K)  「ケセド→ネツァク」    『運命の輪』    「10」>  ヨッド(Y)  「ケセド→ティファレト」  『隠者』   「300」>  シン (Sh) 「ホド→マルクト」     『審判』  左辺の“3つの数”(「50」「20」「10」)は、  ティファレトを中心とする形成界(イェツィラー界)の右側の三角形を形作る。  (※占星術的には、太陽・木星・金星をサイクリックに繋ぐ…)            “火星”        “木星”           『ゲブラー』  「10」『ケセド』              ・  ・   Y/  |              ・  “太陽”/   |              ・ 『ティファレト』 |K「20」(「500」)              ・   ・  \   |              ・  ・   N\  |            『ホ ド』  「50」『ネツァク』            “水星”        “金星”              ↑          ↑            <形の柱>      <力の柱>  そのことのもう一つの証拠を挙げることも出来る。  左辺の“3つの数”の計算結果は、50(20−10)=50×10=500 。  この「500」という数はまた“カフ(K)の変化形”を示しており、  ティファレトの右側の三角形の重要な一辺(力の柱に重なる)に対応している。  一方、右辺の“1つの数”(「300」)は、  ホド(水星)をマルクト(地球)へと繋いでいる。  (※“『審判』の日には水星が地球に接近する”という意味もあるのか?)             “水星”      “金星”            『ホ ド』     『ネツァク』              \          ・               \Sh      ・           「300」\      ・                 \    ・                 『マルクト』                  “地球”        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、ここまで来ると、未知数<N>が何であるかは“自明の理”となる。  『0.6』とは「60」の変化形(マクロからミクロへの反転形)なのだが、  「60」という数は、実は、カバラの象徴体系において、  「サメク(S)」=「太陽と月を繋ぐライン」に対応しているのだ。  しかも、「月と地球を結ぶライン」=「タウ(T)」も、  ドーギッシュがない時には「サメク(S)」として発音されるのである。          [文 字]      [小径(パス)」   [タロット]            ↓           ↓         ↓    「60」>  サメク(S)  「ティファレト→イエソド」 『節制』 (※「400」>  タウ (T)  「イエソド→マルクト」   『世界』 )                  “太陽”                『ティファレト』                    )                  S )「60」                    )                   “月”                 『イエソド』                    )                    )                 『マルクト』                  “地球”  実際、「ティファレトを含む右側の三角形」(左辺の数)と  「ホド(水星)とマルクト(地球)を結ぶライン」(右辺の数)  に丁度挟まれたポジションにあるのが、  「イエソド(月)」及び「イエソドを貫く中央の柱」に他ならない。(!)  この位置関係を今一度図示してみよう。            <形の柱> <中央柱> <力の柱>              |     ‖     |              |     ‖   「木 星」   [A]              |     ‖  /  |    (左辺の数)              |   「太 陽」 A |     『太陽』   ※『審判』      |     ‖  \  |    を中心にした            「水 星」  B‖   「金 星」 “力のトライアド”    [C]       |\    ‖     |   (右辺の数)     | \  「月」    |    ※『死』〜    『地球』      | C\  ‖     |     『運命の輪』    に接近する     |   \ ‖     |      〜『隠者』    “水星”(?)   |    \‖     |              |   「地 球」   |              |     ‖     |                   [B]                  (未知数)                   『月』                   を貫く    ※『節制』                  “中央の柱”   〜『世界』        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  それでは、何故、未知数が<N>で表されたのか?   この点について考察したい。  この<N>が“ヌン”だとすれば、(※エジプトの原初神も“ヌン”と言う…)  「死神」(第四の封印に関係)や「蛇」(クンダリニーに関係)を示すのだろう。  因みに、“ヌン”の数価は「50」の他にも「700」があって、  「700」=「300」(水星→地球)+「400」(月→地球)である。  (※数で表された“ヌン”と未知数で表された“ヌン”では位相が異なるのだ!)  一方、“アレフ(A)”の形象化したものだとすれば、  「ケテル」「逆卍」「初源の風」「愚者」等を示すのだろう。  或いは、双方の意味を合わせ持っていると考えた方が良いのかも知れない。  なぜなら、これらの象意はいずれも<中央の柱>に対応しているからである。  最後に、「60」と“本当の答”『0.6』の関係について。 >>> 「60」が“マクロの「月」”を示すとすれば >>> 『0.6』は“ミクロの『月』”を示し、 >>> 「60」が“マクロの<中央の柱>”を示すとすれば >>> 『0.6』は“ミクロの<中央の柱>”を示す…  ということは、今までの文脈から容易に解るだろう。  (※「大宇宙と小宇宙の照応」という大原則を思い起こそう…)  夢を見た本人に拠れば、未知数<N>は「ダイヤモンド」なのだそうだ…。                                  HVHY  [追記] 今回は「300」等の大きい数が登場したため、       いつも行っている英語アルファベットの単純な数字変換は止めて、       伝統的な(本物の?)カバラ体系における数字変換を用いた。       もちろん、夢を見た本人はカバラの“カ”の字も知らない…。 999/999 GCC03437 星也 ファンタジー仕立ての夢 (13) 93/03/04 19:11 930303 EARY MORNING 戦乱の後半、疲弊に入った頃合の時期。 傭兵、もしくは戦士を生業とする相棒と俺と。 そろそろ、戦いにも倦怠し始めて、ふたりで森の奥に隠遁し始める。 気まぐれで拾い、育てている、「イーノ」という名前の孤児。 空き地に建てたぼろ小屋の庭先で、無心に遊んでいる、イーノ。 それを、近くの木によりかかって眺めている、相棒と俺。 森の奥にいても、再戦の兆しは、伝わってくる。 相棒が俺を見やる。 「いつまで黙っているつもりだ?    直すよりも壊す方が早いという事を・・・・・」 目がさめる。 目がさめたときに,印象に残っていたのは 相棒が言った最後の台詞と,イーノという名前の響きだった。 (いいの,という諦めににたような響きがかすかに漂う) 気になったのは, 俺達が問題にしていたのが, 「世界の事」だった事。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/03/04 - 079/087 MHD02672 TAO 悲情城市 (15) 93/03/03 22:16 076へのコメント  >一輝さん(元ぷぐぷがんさん)  ご復帰おめでとうございます(と言ったら変でしょうか?)。  もうご書き込みは読めないのかな…と思っていたところでしたので、  お久しぶりの登場に嬉しく思いました。  さて、「悲情城市」。台湾の候孝賢の手になる、この一大電影には  泣かされました。主人公の聾唖者である文清に感情移入してしまったせいも  ありますが、台湾という国の悲劇を巨視的に見据えながら、静かで格調高い  描写で堂々と描きあげた候孝賢の“志”に身が震えるものを感じました。  彼自身、この映画は“天意”の姿勢で撮ったと言っています…。  日本精神の精髄というのは、必ずアジアの魂と響きあうものでなければ  ならないはずです。アジアや他の国々に優越するためだけに、そのイメージが  悪用されてはならない。  台湾や中国などの「志高い」監督達の、気迫溢れる映画群に触れる度に、  国土の「血に対する慈しみ」と「血を超越しようとする意志」の止揚を  感じさせらます。  TAO 080/087 PAG03543 NOISE RE:祝辞の桜 (15) 93/03/04 01:28 076へのコメント 元ぷぐさんの一輝さん、ほんとうにお久し振りです。 お元気でしたでしょうか。 以前のように、大和魂の言霊で 我が魂を揺さぶって下さいますことを期待しております。 081/087 GBA01276 しまうま RE:祝辞の桜 (15) 93/03/04 02:40 077へのコメント  「よく死ぬために生き、よく生きるために死ぬ」というのは、ARIONさんの 言葉でしたよね。どこで読んだんだっけなぁ・・? 忘れちゃった・・・(^^;)。                                  しまうま 082/087 GFD00204 松川 貴     RE:ニホン人論など (15) 93/03/04 02:48 075へのコメント コメント数:1  OZ弐さん >各現象から勇気だけを抽出したら、それ自体には善悪はないのだけど、この自然界 >には勇気という要素だけ単独では存在するものではないし・・。ヒトラーの行動は >、はたして良いことだったのだろうか。あるいは、左翼とかいうもの。ストライキ >ってのもほめられる行為じゃない。正しい知恵が伴わない「勇気」は、単なる暴走 >でしかないと思う。「勇気」は単独では存在せず、何かの要素と不離一体のものと >考えています。「真の勇気」と表現したのは、正しい知恵が伴った勇気という意味 >だったのですが。  あなたは一体自分が「何」のために「何」の話をし「何」について考察しているの かをもう一度よく考え直さなければなりません。あなたは、私の「情念の編」に登場 してくるような男たちの仲間から抜けたいとは思わないのですか。もしあなたが自分 のことを今のままでよいと思っていらっしゃるのなら、私はあなたがそうやって「正 しい知恵が伴った勇気」についてあれこれ考察なさるのを止めはいたしません。しか し誰か他の人と議論なさってください。  FSHISOの5番会議室には森ダンボ氏という素晴らしい論客がおられますが、そのダ ンボ氏が379 番でアルビン・トフラーの発言を引用してこのようにおっしゃっていま す。私はこれを読んだとき、「まったくだ」と感じ入りました。 >私は青年の常として何でも答えうるとは信じては居ない。(略)大切なのは間違っ >た問いかけに対する正しい答えなどではなく、正しい問いかけである。  あなたもトフラーのように自分の提出した「設問」そのものがはたして正当な価値 を有しているのかどうか、「考察」してみるとよいでしょう。  ところで、あなたは、いざとなったら積極的に「地獄」を引き受ける覚悟はおあり ですか。                                   松川 貴 083/087 GFD00204 松川 貴     RE:祝辞の桜 (15) 93/03/04 02:49 076へのコメント  ぷぐぷがんさん、いえ一輝さん、ほんとうにおひさしぶりでございました。ずっと どうされておられるのだろうと思っておりました。  私こそ今後とも宜しくお願い申し上げます。                                   松川 貴 084/087 HGE03563 OZ弐 RE:ニホン人論など (15) 93/03/04 04:26 082へのコメント ぢゃあということで言ってしまう非情なわたし・・。 え、と松川さんの言ってること、ボクには支離滅裂に見えて良くわかりません。 勇気の話をしていたんじゃなかったんですか。 なぜそれが「情念の編」の話に飛んでいくのですか。 ボクのどこが「情念の編」書いてあるような、「善人になりたがっている男たち」 なのですか? まさかホントにここで、動物的な「身体的な精神的なエネルギーの爆発」を語る おつもりですか。 もしそうならば、生理学的、精神物理学的な話になってしまいますよ。          (↑はやい話が、武道的な話です。^^;) それならば、精神修養的な話になってしまいますね。 ボクはそれでもかまいませんけど。 んで、なぜここでトフラーの話になるのでしょう。 ボクが言ったのは、勇気には知恵がともなわないといけない、ということなのですが。 松川さんは引用ばかりして、逃げているんじゃありませんか。 085/087 GBG02755 スマル あなたの言いたいこともわかるけど。 (15) 93/03/04 15:06 078へのコメント コメント数:1 >>責任とか原因を外にばかり求めようとする根性が・・。 >>だいたい花粉ごときでハナが異常になるほうがおかしいのであって、 >>その人は、人のせいにする前に、 >>まず自己の虚弱さを恥じて体質の改善に専念すべきだと思う。 そう言いたくなる気持ちもわかる。 でも、本当に辛いんだよ。 訴訟を起こしたくなるほど辛い。 体質改善、簡単に出来るものなら、訴訟する前にやってると思う。 でも、きっと出来なかったんだ。 努力して出来ることと出来ないことがある。 あなたは、そうは思わなかったのですか? 何もかも外に責任を求めることは、間違っているだろう。 でも、苦しみや、辛さをそうして叫んで、形にすることは、 他人がみたら馬鹿げているだろうと知っていても、そうしなければ 自分を支え切れなかったんじゃないだろうか。 小さな、馬鹿げた、行為。 でもそれが投げかける波紋は、あなたの想像を越えたところで力になるだろう。 幕末の志士は、正しかった、かっこよかった。 だけど、たぶん、最初はあなたのように馬鹿にする人の声を 何度も聞いて、くやしがったいただだろう。 心のままに、小さなささやきを行為するということは、 頭で善悪判断することから遠いことなんだよ。 わたしは、訴訟を起こした人を、馬鹿にはできない。 無駄に思える行為、理性では理解出来ない行為、 それをするには、勇気が必要だよ。 衝動とも言える勇気がね。 理論に裏付けされた行為など、勇気ではない!!                            スマル 086/087 HGE03563 OZ弐 RE:あなたの言いたいこともわかるけど。 (15) 93/03/04 16:58 085へのコメント スマルさんどうも。 >でも、きっと出来なかったんだ。 >努力して出来ることと出来ないことがある。 >あなたは、そうは思わなかったのですか? 本当にそうだったのだろうか? 至誠は天に通ずといいます。 努力の仕方が足りなかったのではないでしょうか? >小さな、馬鹿げた、行為。 >でもそれが投げかける波紋は、あなたの想像を越えたところで力になるだろう。 ホントにそうですね。彼の行為から、ボクも沢山のことを学びました。 真剣に物事に打ち込む人の姿を見たら、(たとえそれが間違っていると感じていても) 心打たれて、とてもその人を馬鹿にはできない。 でもボクはこの例で、この人の行為に心打たれなかったのです。 彼は、「どんな体質でも改善できるのだ」という知識を持っていなかったにすぎない ってことは察しています。 でも、そのことと外に責任を求めることは、意味が違うのではないかなと感じます。 >無駄に思える行為、理性では理解出来ない行為、 >それをするには、勇気が必要だよ。 >衝動とも言える勇気がね。 >理論に裏付けされた行為など、勇気ではない!! 自分で方向をコントロール出来ない勇気。 ボクはそれを「無謀」とよびます。 自己の行為に対して責任を持っていれば、 社会をいたずらに騒がす無謀な行為など出来ないはず。 いったいそれを小善人と呼ぶのか?!?! 自己に責任を持つことも勇気です。 理論よりも理論を使いこなす知恵が必要だと思います。