- FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/03/17 - 962/967 GBG02755 スマル 不安があります。教えてください。 ( 7) 93/03/17 09:02 ARION、こんにちわ。 オンラインで失礼します。 いま、私の中には、漠然とした、不安、恐怖があります。 それが何なのか、教えて欲しいのです。 私の思い当たる範疇のものであれば、返答は必要ありません。 済みません。この不安のために、前に進めない感じがします。                   よろしく。    スマル 963/967 PEH01157 酷使夢想 あぶくの話 ( 7) 93/03/17 11:33   実に、つまらないことなのだが・・・      ある夜。ふと目がさめた。   すると、頭の中で、最近あった日常の情景を回想している自分に気がついた。   私は、腹をたててるし、あいつはわけのわからないこというし、あいつは無責任だ   し・・・。   すると、頭の頭頂のあたりで、ぶくぶくと泡がたっているようなかんじがして   「パッチン」と泡がはじけたんだ。で、いろいろなことがどんどん回想されて、あ   ぶくをどんどん ばっちん ばっちんと ふらんで はじけた。これ、本当だよ。   そこの君。信じてないだろ〜。本当なんだってば〜。      その時、私は、すべてを理解した。   結果は、あったり前のことだった。   誰でもが、いつでも言ったり、書いたりしていることだった。   だけど、私は、「パッチン」ととんでいった泡(アブク)が、邪魔をしていて   本当はわかっていなかったということにわかった。      で・・・ 最近の話題に私ものっかるんだけど、   嘘をつかないということと。自分のやりたいようにやる(欲望のまま動くとい   うこと)は、別ものであるということ。   言葉では理解できるんだが・・・   やっぱり これも あぶくがぶくぶくして、バッチンしないと わからないこ   となのかもしれない。   だけど、こうした、あたりまえのことを、 繰り返し 繰り返し いつも 頭   においておけば、いつも 悩んでいるれば、日常の生活の中で、きっと、あぶ   くがはじけるんだと思う。   嘘と欲望の相違について、本当にわかっている人がいたとすると、   その人が繰りかえし、そのことを話続けることによって、だんだん 本当にわ   かってくる人が増えてくるんだね。   あぶくがバッチンすると、心があらわれたようになるよ。   もっというと、その時回想に浮かんだその人の心の中のバッチンきたあぶくの   部分についてだけだけど、よく見通せるようになるんだ。   不思議だねえ。 964/967 HGE03563 OZ弐 RE:ちょっとだけいいですか(^^;) ( 7) 93/03/17 12:00 959へのコメント こんにちはMAKOTOさん。 >なぜそんなに自分の「言葉」の使い方に拘るの? それはですね、 理由はいくらでも書けるのですが、 メンドクサイので書きません。 直接的な理由はHVHYさんへのレスに書いた通りです。 そして、・・ですね、肝心な所は・・・、 ぼくもさっき気付いたんですが・・・。 うふふふっ(^_^)←(ほくそえんでいる腹黒い奴^^;) あの行為は、 柔道でゆーところの「崩し」にも相当するとだけ言っておきましょーか。 中心妙。                   預言者もどきのOZ弐 967/967 GDB00064 オリハル RE:ワンダーゾーン ( 7) 93/03/17 20:10 948へのコメント ワンダーゾーンのディレクターについての情報をありがとう(?)ございました。 私はそういうことはほとんど知りませんでした。 どうもでした。                      オリハル - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/03/17 - 601/604 GCC01413 HVHY RE:全ての愛する人々へ。 ( 8) 93/03/17 00:28 600へのコメント  >> みれさん  丁寧なコメントを有り難うございました。(^_^)  私も発言を続けてみたいと思います。  なかなか“言葉”では表現しずらい事柄ばかりですが、  この会議室では差し当たり“言葉”以外に表現手段もありませんので、  何とか“言葉”に頼ってみたいと思います。  但し、理屈や理論を展開するつもりは毛頭ございません。(^^;)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  そもそも「独占欲」というものは、  “これは「独占欲」である”と明確に認識出来る形で  いつも存在しているわけではありません。  つまり、みれさんが『それ』と指示した事柄が、  “「独占欲」では決してない”という保証は、  どこにもないのです。(※何だかディベート調だなぁ〜(^^;) )          『それ』         ←−→    『独占欲』   好きで尊敬してる相手と自分の関係を、   誰にも壊されたくないし、譲りたくない       (  ???  )   …って思うこと。  具体的に考えてみましょう。  自分の『それ』と相手の『それ』がバランスしている時は、  確かにそこに『独占欲』という言葉が使われる余地は微塵もありません。  ところが、このバランスが第三者によって崩されたとしましょう。  すると途端に、自分の『それ』が、  「相手に対する“押し付け”」の様相を呈して来ませんか?  即ち、昨日までの『それ』が今日『独占欲』に変わることは簡単なのです。  ここで注意したいのは、昨日までの『それ』と今日の『独占欲』は、  「同じ気持ち・同じ思い」を指しているということです。  気持ちが変化して『独占欲』になった…ということではないのす。  だとすれば、昨日までの『それ』は、いったい何なのだったろう?  という疑問が沸いて来ませんか?  そして、このことは、裏を返して言えば、  “『独占欲』も『愛』の一つの側面である”ということを示唆しています。  なぜならば、今日の『独占欲』を否定することは、  昨日までの『それ』を否定することに他ならないからです。  そもそも、双方の思いのバランスが完全に一致することは希ですしね…。  (※あれれ!香貫花mam のフレーズとは逆の結論になっちゃったよ〜(^^;) )        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  (※しかし、ここで終わってはディベートにならないのである!)  もっとも、仮に、 >>> “『それ』で示される気持ち・思い自体が既に『愛』ではない”  というのであれば、話は別になって来ます。  (※「仮に〜であれば」という構文)  実は、この辺りが議論の“核心”ではないでしょうか?  つまり…、仮に、 >>> “『愛』の基本は「相手を『尊重』すること」にある”  というのであれば、(※またもや「仮に〜であれば」という構文だ(^^;) )  いつでも『独占欲』に転化し得る『それ』は『愛』ではない、  という論理(?)が出て来ても何の不思議もないし、また、  その論理は“実感”としても(少なくとも私は)頷けるところがあります。  そういうわけで、私は、香貫花mam の言説に異議は唱えないのであります。  もう一歩進めてみれば、次のようなことが言えるのかも知れません。   『愛』とは・・・、*最大限の『尊重心』と最大限の『独占欲』が、  (異性愛)      “コインの裏表”のように重なり合ったもの …である。            (ホントカイナ〜?)            (でも、これって、エモイワレヌ気持ちですよね〜?)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  さて、これで漸く話の半分まで辿り着きました。  しかしながら、ここまでの文脈をご理解頂けましたら、  「関係性の在り方に関するパターン分類」の話もご理解頂けると思います。  |仮に、相手に自分を見つめていて欲しいと思う気持ちが独占欲であるならば、  |その気持ち自体に問題があるのではなくて、相手の気持ちを無視してその欲を  |表現し、従わせようとする事ではないのでしょうか?  |(※注意※ 仮に〜〜であるならばという構文です)  これはこれで“その通り”なのですが、  「相手に自分を見つめていて欲しいと思う気持ち」は、  それを相手が嬉しいと感じようが困ると感じようが、  「私の側の気持ち」であって、相手の『それ』ではないのです。  そして、偶然にも双方の『それ』がバランスしている時には、  私の『それ』が相手の気持ちを踏み越えてしまうことは有り得ませんが、  一度バランスが崩れれば『それ』は相手の気持ちを踏み越えてしまう、  そもそも『それ』は“そういう方向性”を持った感情(気持ち)ですから、  『それ』を『独占欲』と呼んだとしても、大きな間違いとは言えないでしょう。  従って、現在において、双方とも、  「相手の気持ちを無視してその欲を表現し、従わせようとする事」がなくても、  その二人の関係が「『独占欲』にウエイトの非常に掛かっている関係」である、  ということは“幾らでもある”のです。(※理論ではなく実感です)  もっと解りやすく言えば、そのカップルは、  『愛』を支える『尊重心』は欠けているのにも拘らず、  互いの『独占欲』のバランスの故に、成り立っているのですね。  (※こういった関係って、高校生ぐらいのカップルには意外と多いのでは?)  以上が、前回のUP(#596)のほぼ前半部分に対応した話です。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  |少なくとも、あたしは、「頭」でなく「心」で感じる「愛やそれに纏わる諸々」  |について言うとしたら「恋人」と「夫婦」は似てるけれど、「大切な友人」の  |場合には、心が「???同じかなぁ?」と疑問符を投げかけるのです。  さてさて…、実は、ここからが私の本論だったのです。(^^;)  即ち、一つは「関係性パターンの変化・成長」という問題。  もう一つは「パターン変化に無関係な『愛』の究極本質」という問題。  (※う〜みゅ。『愛』について語ることは、随分と骨の折れることだなぁ〜!)  というわけで、続きは次回のUPで…。(^^;)                                  HVHY 602/604 HGC02325 ガッチャ 発言者削除 :文章修正 ( 8) 93/03/17 01:46 603/604 HGC02325 ガッチャ RE:全ての愛する人々へ。 ( 8) 93/03/17 02:50  人格:その人の物の考え方や行動の上に反映する人間としての在り方。  敬意:うやまう気持ち。  |いついかなる場合においても、独占欲は愛から最も遠い処に存在する感情である。  |なぜなら愛とは相手の人格の全てに敬意をはらうところから始まるものだからだ。  愛とはその人の考え方や行動の上に反映する人間としての在り方、好きな点も好きで  ない点も、その全てをうやまう気持ちから始まる。  独占欲はこれと最も遠い所にある物。  こうして、細かく解釈してみると、まさにその通り!ですね。  相手の人格の全てをうやまう気持ちが無いとしたら、  そして、独占欲だけだとしたら、  それは「占領欲」とも言い替える事が出来るかもしれません。  また、ただ単に、独占という言葉を占領という言葉に置き換えてみると、愛とは全く  程遠い物である事が良く分かります。  (いきなり占領という言葉に置き換えるというのは乱暴なたとえですけど)  愛しているのに、相手の人格の全てをうやまう気持ちが無いとしたら、それは愛して  いるという思い込みでしかない思います。  (今ごろこんな事に気がつくとはあほーな奴だなぁ>をれ)  昨日のRTCで、HVHYさんに質問があり、答えて頂きました。  その後で、ここのLOGを読み直してみると、皆の言っている事や、この会議室に望  む発言者の姿勢、また会議室という物の本質が分かりました。  どうやら、HVHYさんの答えがヒントになったようです。  HVHYさん、どうもありがとうございました。  (何が分かったのか?なんて突っ込まないように(^^;))                              ガッチャ 604/604 GCC01413 HVHY 質問のようなもの。 ( 8) 93/03/17 12:15  実は、ちょっと頭を悩ませています。  と言うのも、現在やっている『愛』の話を延々と続けていくと、     ・近親相姦(インセント)の問題     ・同性愛(ホモ・セクシャル)の問題  を扱わざるを得なくなり、最終的には、  「遺伝子プログラミングと文化の意味」といった話にまで発展するからです。  これは問題の一般化ということでは決してありません。  具体性の背景にある事柄を追求すれば、必ず“そこ”に行き着くのです。  従って、“そこ”を避けて通ったのでは、全ての話が根拠を失います。  私はARIONに質問をすることはほとんどないのですが、  敢えて質問させて頂くとすれば、「インセント・タブー」の問題を挙げます。  様々な学問分野から、このことに関する学説が提出されていますが、  私自身は“どの説明も”不充分だと感じます。  “この質問”はARIONに対する「審神」の意味も合わせ持っています。  従って、私は“この質問”をいつ提出するか、迷っていました。  (※最初から「審神」は“この質問”と決めていたわけです!)  しかしながら、いつまでも保留し続けることの意味はなくなったので、  現時点で“この質問”を提出させて頂きます。    *「インセント・タブー」について、明確で簡潔な説明をして下さい。    *もし出来ない場合は、その理由について“示唆”して下さい。  以上。                                  HVHY - FARION MES(11):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<02> 93/03/17 - 985/992 MHD02672 TAO コミュニケーション・ツール (11) 93/03/17 00:14 982へのコメント  >NoBさん  どうもです(^_^)。今回のコメントは色々と興味深く読ませて頂きました。  グルジェフにしてもシュタイナーにしても、“神秘学”“ニューエイジ”と  いうような枠でとらえるよりも、Alternative culturesのような感じで  受けとめるべきではないかというお話には、あまり適切な比喩とは思えない  けれども、イメージとしては「表の文明」と「裏の文明」という表現を  思い浮かべてしまいました。  文明世界の異端とか辺境という、そういう限定されたイメージの中に  納めるのでなく、むしろ「裏返しの文明」というか、そういう感じを  持ちました。  グルというのは、やはりNoBさんがおっしゃるように、知識の伝授そのものより  伝授−受授行為に顕れる何かなのかもしれませんね。「ミラレバ」だったか、  そういう題名の映画を見たとき、グルが弟子に何度も石の塔を作らせ、何度も  取り壊させる、そういうシーンがすごく印象に残っています。  確か、「愛の嵐」という映画を撮った、イタリアの女性監督の作品でした。  この監督はニーチェの「善悪の彼岸」も撮っていますが、これに出てくる女優  ドミニク・サンダがいかにもヨーロッパの退廃の精髄という感じで、凄く好き  でした。おっと、余談でありました。  発音というか、人の喉が出す音=声には、確かに単なるコミュニケーション・  ツール以上の何かがあるような気がします。発音訓練で思いだしたけれども、  聴能訓練というのもやらされたなぁ。補聴器を付けて、発音を聴き分ける訓練  ですが、声の高低や大きさが判別出来るぐらいで、声のあ・い・う・え…と  いう違いは全然理解出来ませんでした。本当、聞こえる方が声を聴き分けると  いうのは、自分が実際にそういう知覚を持たない限り、全く想像も出来ない  世界ですね。生まれつき見えない方が色や形を想像出来ないように。  ただ、発音を多少なりとも意識的に訓練して感じたのは、発音は体に響きを  起こす、ということでしたね。オイリュトミーやシュプラッハというのは、  発音と身体感覚の響きあいを更に深化し、洗練させていったものなのかも  しれません。  (そういえば、KAZEさんは声楽家の方とも交流を持っていられるのでしたね。  そこらへんのテーマももうちょっと掘り下げたいところです)  手話については…、NoBさんはかなりお詳しい…。言語学が専門だった  (でしたよね?)NoBさんに対してお恥ずかしい限りですが(^_^;)、確かに 現在の手話は、ソシュール的に言えばまず日本語というラングがあって、  その次にパロールとしての手話がある、という状況が大部分を占めている  と思われます。  伝統手話の方は、ランガージュからそのまま派生して来たともいえるかも  しれません。かって、日本語の体系から逸脱した(させられた)聴覚障害者が  産みだした伝統手話は、ううん、何というかなぁ、コミュニケーション・  ツールとしては、「聴覚」という身体知覚と「声」という道具、そして  「文字」によって体系化されて来た言語とは、全く別個のものだ、という  ように感じています。NoBさんの「一種ラップなところがある」という感想は  面白いですね。NoBさんの手話についての論文、是非読ませて下さい(^_^)。  NoBさんが人類や地球の文明に対して感じていられる違和感というのは、  私の貧しい想像力では今一つ窺い知れないのですが、それは、地球人類に  対して「同類意識」を感じられないということでしょうか。  まあ、自分をエイリアンのように感じてしまうという方は、NoBさんだけで  なく、他にも結構いらっしゃるのではないかと思いますが…。  NoBさんが他の方々には意識されない“コミュニケーション・ツール”を  持っていらっしゃる(と私は思っているのですが)ことも関係してくるのかも  しれませんね。 でも、愛というのは、孤独を共有することだと考えていますから、NoBさんの  孤独を理解出来て、NoBさんも理解したいと思う「同伴する魂」というのは  絶対いると思いますよ。(※もしもう居るのでしたら、ゴメンなさい)  TAO 986/992 MHD02672 TAO 20日オフの場所地図です。 (11) 93/03/17 00:24 984へのコメント  >KAZEさん  お帰りなさい。お仕事お疲れ様でした。…と言っても、また東京に行くのです  から、大変ですね(^_^;)。さて、20日のオフについてですが、  ◆◇◆ベトナム料理店 「ブーゲンビレア」◆◇◆  夜7時〜  渋谷区道玄坂2−25−9 ロマネビル2F  TEL:03−3496−5537 \ \ / \   \ 東急本店 / / \ \ / / \ \ / / \ \ / / \ \ / /   ここらあたりです→→●\   \/ / ビル2階にあって、 |  | 目立たないところ | 東  | なので、ご注意を。 |  | 30人ほどしか | 急  |    入れない小さなお店 |  |    です。 | 本  | |  | \ \ −−−−−−−−−| 店  | \   \      |  | \ \   渋谷 | 通   | \ \ 109  |  | \ \   | り  | \ \   | |       \ \   | | \ \   |       |   \ \− | ↓ | 渋谷駅 「富永」の名前で予約してあります。小さなお店なので、飛び入りは出来る  だけご遠慮下さい(1〜2名ぐらいはなんとかなると思いますが)。 待ち合わせは、渋谷109前で6時50分まで待ちます。  TAO 987/992 HGB02764 EARTH WORK 遅ればせながらのオフレポート (11) 93/03/17 05:15 >岳同さん 幹事役ご苦労さまでした。m(--)m 非常に心地良いオフでした。 僕は最近7年位国分寺に住んでいたので、どこかで会ったような感じがし てとても初めてという気がしませんでした。国分寺でこの系統の本という と駅前の三成堂書店くらいしかないので、きっと顔を合わせているんじゃ ないかと思ったのでした。(^^) 渋谷駅での寄せ書きの時は、とっさに犬神のようななどということを書い てしまいましたが、家に辿り着いて岳同さんの山が好きだという話を思い 返して、犬神と山岳信仰のつながりを再び連想してしまいした。 機会があれば、またお会いしてマドカさんやミズホさんの話とかしたいで すね。 >kazeさん 次の日は缶詰状態で仕事ということでしたが、オフご苦労さまでした。 オリハルさんのビデオカメラに向かってのVサインなど、意外な側面を見 てしまった。(^^)Y 本や資料との出会いが偶然に手元に入ってくるという話、面白かったです。 宇宙の法の続編も発行の翌日に手にとっているというのも偶然なんかじゃ ないですよね。 ミズホさんとマドカさんの違いや類似点など、その他会ってみないと聞け ない貴重な話などありがとうございました。 岳同さんのポールシフトの話と地軸がずれる話などが妙にリンクして、ち ょっと怖い気がしますが。 20日は取材がドドーンとかさなり、オフの参加は無理そうです。m(--)m またお会いいたしましょう。(^^) >オリハルさん 帰りは苦労しましたね。高田馬場で「上石神井」止りの電車を見たときに は愕然としたものがありました。(^^;)僕が帰りついたのは1時半位でした が、オリハルさんはいかがだったのでしょうか。ご苦労さまでした。 ビデオの編集、CD、本等の収集など、勢力的な活動の一端に触れること ができました。ではでは、またまた。 >TAOさん 初めまして、これからもよろしくお願いします。 20日のオフは,取材が重なって参加はできそうもありません。残念で す。20日のオフの報告、よろしければお願いいたします。 >noBさん コーランの朗読のレコード僕も持ってます。(^^) 内容方は分かりませんがいいですよね。 聞いているだけで、情景が浮かんできそうな雰囲気が好きです。 >隆ちゃん オフで話に花が咲いているころ、テトラスクロールのレジュメがアップさ れていたり、ご苦労さまでした。 「フラーが僕らに話したこと」というのを買ってきて平行して読み始めた ので、合わせて取り組んでいきたいと思います。とにかくフラー輪読会ス タートですね。(^^) 写真送りますね。(大ボケして撮れてなかったりして) 988/992 GGA02514 KAZE テトラスクロール輪読会への展望など (11) 93/03/17 11:26 978へのコメント 隆ちゃん、どうもです。 やっと昨日帰ってきましたが、やっぱりちょっと疲れました。 今度の出張までの数日間にしなければならない仕事の山の上に、 歓送迎会(人事移動の季節なのであります)があったり、 ちょいと個人的なことであたふたさせられそうだったりして、 今年に入ってからのドタバタはいまだ収束しそうもないです。 この調子で今年の最後までいくと、どうなっちまうんだろうかと、 やれやれなのですが、ま、がんばるしかないようであります。 「テトラスクロール」のレジュメ、ご苦労さまです。 思ったより大変だったのではないでしょうか。 さりげなく書かれているようでいて、ひとつずつのことが、 驚くほどの内容をはらみ、示唆にとんでいますよね。 できれば、今後もレジュメのUPをお願いしたいところですが、 ご迷惑でしょうか(^^;)? さて、昨夜、ひさしぶりに、この「テトラスクロール輪読会」のきっかけになった、 「シナジェティクス・ワークショップ」に誘っていただいた シュタイナー医学のM先生と長電話で、この輪読会をはじめたことや 「かたち」の不思議について、いろいろお話をしました。 僕の方も、ゲーテのモルフォロギー(形態学)や色彩論なんかのつまっている 「自然科学論文集」や、そのゲーテの形態学などの延長線上にある、 三木成夫さんの「生命形態学序説/根源形象とメタモルフォーゼ」(うぶすな書院) なんかを東京の書店でやっと手に入れることができたことでもあり、 そうした「形態」に関する基本的なコンセプトと 「テトラスクロール」なんかで紹介されている幾何学などのコンセプトが、 根底ではつながっているのではないかとお話したところ、 M先生も同感!ということでして、それらをリンクさせるコネクターが シュタイナーのアントロポゾフィーのコンセプトにあるのではないか、など あることないこと、いろいろ盛り上がったのではありました。 できれば、今後は、僕のアプローチとしては、そこらへんのことを基軸にして 想像力を羽ばたかせていければと思っています。 今回のSTONE1で、特に興味があったのは、 >生命、結局それは<意識>ということだ。生命は、相手を意識する当のシステム >と、はじめてそれを意識される最小の「他」とから成り立つ。だから生命は、そ >もそも多面的なものなのだ。この「他」は、それを見る当のシステムの中に取り >込まれていることもあるれば、そのそとに分けられていることもある。 >見るものと見られるものはともに点であり、これらを結ぶ意識の線が、無という >「全環境」からこの両者を分かつ。 というあたりと、 >「心は探検するように考え、分類し、組み立てていくもののだ。ひとつの思考、 >そう、思考というものも非物理的(メタフィジカル)な概念のシステムだが、そ >の思考も結局のところ、四面体になっているんだよ。それは、この時間と空間に >深く関わった非同時的な宇宙の中でバラバラに存在している4つの出来事を、互 >いに結び合わせていく。だから、思考はいつだって四面体だ。(1)思考する本 >人、(2)今ある「他」、(3)過去にあった「他」(4)未来にあるだろう「 >他」、思考システムの四面体は、いつだってこんな4つの事柄を含んでいる」 というあたりで、 <意識>としての生命というコンセプトと、 その展開として、四面体としてとらえられる「思考」というコンセプトは、 思考を幾何学として考えていく場合のもっとも基本的なものだと思います。 もちろん、生命の形態そのものも、生成する幾何学的原理(とでもいっておきますが) に基づいて、根源なる「かたち」をメタモルフォーゼさせていっているのであり、 それと意識形態、思考形態との関係を考えていくのもとってもスリリングですよね。 シナジェティクス・ワークショップで、梶川さんが、 DNAの螺旋構造のモデルも、シナジェティクスで説明できるというようなことを 興味深くお話されていたのですが、 生命形態のメタモルフォーゼ、思考形態のメタモルフォーゼ、 そして、宇宙進化としてのメタモルフォーゼなどということを 幾何学的にアプローチしていく可能性について考えていくと、 そこには無限の可能性が開けてくるのではないかと思われるのです(^^)。 テトラスクロール丸がやっと出航して、 いろいろ面白くなりそうだなと期待しているKAZEでした。 989/992 TCC00116 NoB 雑 (11) 93/03/17 11:42 コメント数:1 TAOさん、どうも。なんかメールノリになってしまって、あ、Earhworkさん、 CDお持ちでしたか、では、どっかイスラム圏の場で聞かれることを……けっこ ういいもんですよ。 代替文明を求める、というか、僕は、なんかこの時代が好きではないです。過 去に好きな時代があるわけでもないですが、この違和感、人間たちへの違和感 はなんだろうと思います。人間嫌いということではなく、その思念や形態は美 しいと思いますが……、ま、心理的な外傷があるのかもしれません、僕の中 に、その意味では個人的なことかもしれません。 「愛」というのもわからないですね。「女性」もわからない。たぶん、僕は一 生、「女性」をわからないんじゃないかと思います。ちょっと恥ずかしいけれ ど、僕は、安定した性関係を持ったことはないです。生体としての性の最潮期 は終わっているから、性欲とかに悩むこともないせいか、そういう自分から は、他の人間は、よく性行為というものに対して訓練されている、という印象 を持ちます。(ただ、ほとんどの人間が肥満や痩せすぎなどで身体が正しく発 達していないから、どういう性行為というか行動が取れるのかは疑問です が。) このあたりは、自分でもとけない問題です。性に関連する「愛」、ま、その逆 でも、そこに個体性はないように思えるのです。性の関わりというのは、ある タイプ化した行為の遂行のように感じられる。というのも、多くの人間が、あ る人に惚れる、好きになる、というのは、一見特定の個体に集結しているよう ですが、実は、類型なんではないかと僕には思えます。 べつに気どるわけではないけれど、そういう類的な行為遂行が僕にはうまくで きません。たぶん、身体のなにかの部分が十分に発達しそこねたせいだろうと 思いますね。 ちなみに、『愛の嵐』は好きな映画です。ああいうキンク(倒錯もの)はけっ こう好きなクチでしたが、最近は、さしてそうでもないかな。 言語学、ええ、専攻です。ラング/パロール/ランガージュま、けっこう細か く議論できます。このあたり、きちんと理解している人はほとんど見たことあ りません。コード/シーニュ/シニフィアン/シニフィエ……、ま、けっこう めんどちい概念です。 が、そんなことを抜きにして、手話で重要だなと思うのは、手話のサイン(記 号)性ではなく、その動きの質だと思うのです。手話の形(サイン)は動きの なかにある。だから、動きの質感なくして手話はないと思うのですが、そうい う質感の差異のある手話はなかなか我々は見ることができません。 あれは、まさにオイリュトミーと同じで、ま、僕なんぞが言うことばではない けれど、霊的なものに由来しているんだろと思います。 一例を上げれば、まさに、話会う、コミュニケーションという手話があります ね。右手と左手を向き合わせて交互にぱっぱと開いたり閉じたり。あのとき、 僕もうまくできないんですが、ほとんど人が手首とてのひらの運動が分離して いて、ひとつのムーヴメントになっていないんです。ところがあれは、ほんと うは滑らかな運動になり、両手にまさにシュプラッハが宿るようになる。 オイリュトミーの楽しいところは、可能なムーヴメントが体系的に整備されて いることです。BとP、NとMの動きの違いとか、あのムーヴメントの差異のなか に、なんというか、臭い言い方ですが、音楽の源泉たるなにかがあるのだろう と思います。その意味で、本当の手話もまたそこに源泉を持っている。霊的な 次元で実在しているものが、別の次元に移行したものだろうという感じがしま す。(ただ、以前から疑問に思っているのは、オイリュトミーでは手が身体に 従属的なところですね、何故なのか? この点、手話のムーヴメントから学ぶ ことがたくさんあります。手だけでのオイリュトミーが可能に思えるのです が。) このあたり、太極拳の動きなんかも面白いんです。たいての人はあれは、ゆっ くりやればいいとか武道とかで見ているけれど、ムーヴメントの質で見ること も大切なんです。 ま、この手の話をしても関心ない人にはつまらないと思うので、これにて。た だ、このように、現代文明が見えなくしている霊的な次元が別の文明を十分に 構成できるという実感はあります。(だんだんと、人の固有の存在振動のよう なものが感じられてくる。) NoB 990/992 GGD03030 《 隆 》 オフ、お疲れさまでした(^^) (11) 93/03/17 18:35    みなさんのお話を聞いていると、とっても楽しいオフだったようでちょっと羨ま  しくもありますが、なによりでしたね(^^)。    >>岳同さん  幹事さん、お疲れさまでした。EARTH WORKさんのお話だと山がお好きだとか。登  山はされますか?。僕も山は大好きで病気をする前は毎年登っていました(^^)。  そのうち機会があったら、奥さんや子供さんたちも誘って温泉オフとかキャンプ  オフなんてのはどうでしょうか。KAZEさんのおっしゃてた白山にも温泉がたくさ  んありますし・・・。ジブンノシュミニハシッテシマッタ(^^;)    >>KAZEさん  ハードスケジュールで大変そうですが、楽しいオフだったようで、よかったです  ね。ちょうどKAZEさんたちがバーで盛り上がってるとき、カミさんと「今ごろみ  んなでオフを楽しんでるのかなぁ」などと話していました。カミさんは「月曜日  仕事なんでしょ。もうみんな帰ってるわよ。」と言ってましたが、予想通り(^^;)  盛り上がっていたわけですね。    >>EARTH WORKさん  電車がなくなったみたいで大変でしたね。「上石神井」止りの電車というと東京  に出てまもなくの頃(大学生で練馬に住んでいました)を思い出します。西武池  袋線は終電が早くて、よく野方で降りて環七を歩いて帰ったものです。でも、武  蔵村山と渋谷って・・・遠い(^^;)。写真楽しみにしています。    >>オリハルさん  初めまして(かな?)、ビデオカメラは8mmですか?。どんな場面を撮られた  のか興味があります。僕も旧式の8mmVTRで競争馬(^^;)や子供達をこまめに  撮影しています。みなさんはオリハルさんのことをアンパンマン(^^;)と評してお  られましたが、EARTH WORKさんの写真が楽しみです(^^)。オリハルさんのビデオ  も機会があったら見せてくださいね。    >>TAOさん  テトラスクロールは良いですよ、なかなか楽しめます(^^)。KAZEさんがお忙しそ  うだったので、ものは試しでレジュメを作ってみたのですが、僕はどうもああい  うのが苦手で・・・(^^;)。  今度はTAOさんが幹事のオフですね。オフ・レポートを楽しみにしています。東急  本店通りというのも懐かしいなぁ。昔、宇田川町のあたりでよく遊んでたんです。  あんな所にベトナム料理店があったとは・・・。ベトナムリョウリッテ、タベタコトナイナァ                               by 隆ちゃん 991/992 GGA02514 KAZE 宇宙を踊る (11) 93/03/17 19:13 968へのコメント TAOさん、どうも。 >そういえば、KAZEさんは声楽家の方とも交流を持っていられるのでしたね。 >そこらへんのテーマももうちょっと掘り下げたいところです 先日もお話しましたが、声楽家のOさんといっしょに、 もちろん相棒もいっしょですが、 「声の秘密」に関するシュタイナー関連のドイツ語の原書を 気長く読みながら、そのテーマについて考えていこうと思っています。 で、できればその本の訳とか話し合った内容などについて、 今後、この会議室で、不定期にはなりますが、一年くらいかけて 少しずつ紹介していきたいと思いますので、参考になれば幸いです。 このOさんは、シュタイナー医学のM先生とウィーン時代に知り合って それ以来、アントロポゾフィーに声楽の観点から興味を持つようになったそうです。 さて、「声」というのは、「振動」であり、それが形成する「かたち」だと思います。 言語形成やオイリュトミーというのも、つまるところ、 宇宙の根源的なあり方でもあるそうした「声」を「かたち」そのものとして ダイナミックに表現することを通じて、 宇宙の秘密を体験することではないかという気がしています。 ここらへんのことに関連しそうな宇宙のシンフォニーなどについて、 ゲーテの形態学やL.クラーゲスのリズム論などの関係で、 三木成夫さんは「生命形態学序説」(うぶすな書院)の中でこのように述べています。 ・・・無数の天体からなるこのかたまりは、悠久の時をかけて渦を巻きなが ら自らはさらに大きな渦巻きの一員となり、そしてこの渦がもうひとつ上の 渦に入り、やがてこうした渦巻きのまた渦巻きのひとつの極限にかの「宇宙 球が成立しているという。われわれの視界からしだいに遠ざかりついに類推 されるよりなくなったこの大宇宙の成り立ちも、しかし自転しながら太陽の 周りを公転する、この地球の軌跡----ラセンの形そのもの----をひとつの「 原形」として考察することが可能であろう。一方また、この極大の世界の“ 相似象”として極微の世界が開かれてゆく。そこでは電子がふたたび自転し ながら原始核のいわば微星雲の周囲を無限の速度で周行するものと思われ、 これらの実証は今後の課題として残されるとしても、しかし、この宇宙の根 源現象としての「渦巻」は、ますますその姿を明らかにしてくることであろ う。 ・・・  ゲーテの“蔓”からクラーゲスの“波”へ、われわれは宇宙の原形を求め て視線を移してきた。前者が、より空間的な“ラセン”の渦であるとすれば、 後者はより時間的な“リズム”の流れということになる。そこでいま、この 後者を見る眼で、あらためてこの宇宙の森羅万象を眺めると、ここでもまた われわれは百花繚乱のリズムのシンフォニーに接することになるであろう。 しかもそこには大きな“二つの流れ”の交錯が見られる。  そのひとつは四大すなわち地・水・火・風の奏でる壮大な自然リズムのハ ーモニーである。すでに述べたように、それは宇宙の無数の天体が描き出す ラセンの渦巻模様からなる。・・・  さて宇宙リズムのひとつが、このような四大のリズムであるとすれば、他 のひとつは、いうまでもなく植物・動物・人間の奏でる生物のリズムでなけ ればならない。われわれはそこでもまた、これらの膨大なハーモニーに接す ることになろう。・・・ 「声の秘密」を明らかにするには、 こうしたマクロコスモスからミクロコスモスまでを貫いて見られる 宇宙リズムとしての「かたち」を明らかにしなければならないのではないでしょうか。 そこには、「言霊とは何か」という興味深いテーマも当然絡んできます。 ですから、声を「かたち」として表現することは、 まさにみずからが宇宙のひながたとなって そのリズムを踊ることであるともいえるような気がします。 ここらへんのことについて、少しでも理解を進めていきたいというのが、 「声の秘密」の読書会の大きなテーマのひとつでもあると思うのですが、 どれほどのことが理解できるか、ま、やってみることにしたいと思います。 さてさて、東京遊戯団オフ第2弾は、ベトナム料理だとか、楽しみですね(*^^*)。 楽しい有意義な時間になることを期待しているKAZEでした。 992/992 GGA02514 KAZE 雑戯談 (11) 93/03/17 19:14 989へのコメント NoBさん、どうも。 オフは残念でしたね。 もしご都合がつけば、20日にもありますので、ぜひ。 コーランのCDですが、僕も聞いてみたいですね。 最近、コーランにふれる機会がなぜかありましたし、 NoBさんもおっしゃってた「シェルタリング・スカイ」のシーンに使われてる 音楽を聞いてから、なぜか気になっていたのでした。 できれば、どこから発売されてるのか、お願いします。 >・・・僕は、なんかこの時代が好きではないです。過去に好きな時代がある >わけでもないですが、この違和感、人間たちへの違和感はなんだろうと思い >ます。人間嫌いということではなく、その思念や形態は美しいと思いますが・・・ おそらくNoBさんとは違った意味なのでしょうが、 僕も今僕がここに存在していることに対する違和感はいつもあります。 そもそもこの僕という身体ということに対する、 「なんか違うんだなあ」という感じが小さい頃からずっとあります。 なぜなんだろうか、とは思うのですが、説明のつかないものかもしれませんね。 ただ、三木成夫さんの形態についての研究にあるように、 「かたち」のもつ不思議については、小さい頃から興味がありました。 魚や植物、昆虫、はまたま鉱物などの形態にはずっと興味があって、 ずっと図鑑マニアのような感じでしたし、収集マニアでもありました。 そういえば、鉱物のサンプルで部屋の床が抜けそうになり、親に叱られて、 そのほとんどを捨てられてしまった、という悲しいことがありました(^^;)。 それなのに、自分の肉体ということになると、 どうにも実感がわかなくて困ったもので、その実感を持つためもあって、 病気で長期入院して、「ほら、肉体っていうのはあるだろ!」と諭されたのかも。 >「愛」というのもわからないですね。「女性」もわからない。たぶん、僕は一 >生、「女性」をわからないんじゃないかと思います。・・・ ここらへんのNoBさんの話などを聞いてると、 NoBさんの探求している姿勢と通じるものがあるのかもしれない、と思ったりします。 そこらへんのことがベースとなって、NoBさんと僕の考え方の違いがあるような、 そんな気もするのですが、それはNoBさんなりの実感に裏打ちされた すごく一環した真摯なあり方なんだろうと思います。 僕はNoBさんほどの知識は持ち合わせていないし、 僕にはNoBさんのようなある種の実感も欠けているとは思うのですが、 なぜか「わかるような気がするなあ」と思うことがあります。 で、僕は「女性」というの、そんなに違和感がありません。 自分の中にある「女性」の部分が切り放されずにあるようです。 というよりも、自分が「女性」から隔絶した「男性」であるという感覚が あまりないといった方が適切なのかもしれません。 それは別に肉体的にあれこれというのとはかなり違うのですが、 なぜか、自分のなかの両性具有的なイメージの方が強いですねえ(^^;)。 以前にも何度か言ったことがあるのですが、 僕にとっての理想的な「愛」は、「友情」に近いものがあります。 そうでない愛については、僕は「欲望」という表現の方が近いと思っています。 多くの方のいう「愛」は、ほとんどが「発情」に過ぎないと思うのです。 それはほとんどいわゆる生物的なホルモンの分泌で説明のつく類のことです。 別にそれを否定する気持ちもなくて、それはそれでいいうのだけど、 それは「愛」とは違うんじゃないかという気持ちが強いだけです。 ま、そんなとこですか。 えっと、NoBさんがいろいろ体験されているオイリュトミーなどのこと、 結構興味があって耳をそばだててたりしています。 NoBさんって、いろんなそういうこと、体験されてますよね。 それに比べて、僕はまるでそういうとこがなかったりするんです。 そこらへんの違いっていうの、おもしろいなあと思ってます。 NoBさんのいろんな考えの背景には、そういった一連の体験があるんでしょうね。 やっぱり、僕はそこらへんのこと、欠落しすぎてるところもありますので、 ちょいと反省しなくちゃあ、と素直に思っているKAZEなのでした。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/03/17 - 101/107 PEH01157 酷使夢想 RE:平成維新の会について (14) 93/03/17 16:40 099へのコメント   さて、プレイボーイ4月号を読みました。   常温核融合の記事に魅かれましたので、そちらの方から。      この問題は科学的な関心と人間模様とエネルギー問題の3点から関心がある。      第一に、科学的観点からの関心。      時は19世紀にさかのぼる。   この時代。イギリスビクトリア王朝時代に完成した物理学や工学は、いよいよ   頂点に達して、当時の帝国主義的な資本主義経済との蜜の時代でもあった。   当時の物理学会の重鎮トンプソンだった思うが、こういう発言をした。19世   紀末の欧州的価値観の成功を誇る発言である。物理学は頂点に達した。人類は   自然の神秘を解きあかした。3つの謎を除いて。   この3つの謎とは、電子の重量の増加、光速度の測定問題、黒体副射である。   このうち先の2つは、20世紀のごく初頭に登場した特殊相対性理論によって   解決した。最後のひとつは、1899年のまさに世紀末の12月に登場した量   子論によって、解決をみた。この量子論は、20世紀の最初の30年で量子力   学として完成し、その応用理論と技術に発展して、現在に到っている。      さて、再び世紀末。物理学は、完全に行き詰まっていると言われている。細部   に到るまで研究しつくされているという。しかし、何かわりきれないものが残   されている。それは、量子力学と特殊相対性理論の融合という課題が放置され   たままなのだ。そして、人類は、再び3つの謎を抱えている。      ひとつは常温核融合。もうひとつは高温超伝導、最後に統一場の理論または宇   宙論である。この3者に共通している基盤は、量子力学の限界。問題の解決の   糸口は量子力学と特殊相対性理論の融合にあると感じているのは、私だけでは   あるまい。人々が避けてきた問題。この問題に直面しなければならない。      この限界の越えていく、ひとつの鍵は、この記事にもでている半導体だろう。   そして、人類は重力波の制御や重力波による超超高速度スイッチング機能を持   つ半導体が登場する時も近いだろう。   つまり、重力波というものが、こうした一連の未解決の問題で重要あ役割を示   していることが明らかにされるに違いない。そして、この時、熱力学的から発   展的に解釈された統計力学上のエントロピーと呼ばれる概念とエネルギーと質   量の等価性が明らかになり、代数幾何的ないみづけがなされて、フリーエ変換   という数学者がやっかいものに扱いする分野の数学の根源的な意味があきらか   にされていくだろう。      第二の興味は人である。   企業エゴと政治エゴと学者のエゴから離反して、これから一人だちしていく山   口氏は、どんな人生が待っているのだろう。記事の内容が事実とするならば、   ぜひ1度 お会いしたいものだ。   それにしても、学者のエゴはすざましい。有馬教授は東大を退官されたと思う   が、一体どんな責任を彼と負えるのだろうか。もし、常温核融合が事実ならば   本当に有馬教授がすべてを捨てて坊主になるかどうかだけは見極めたい。山口   博士は職をかけた。それにつりあうだけの責任をとっていただきたいものだ。      第三の興味はエネルギーである。   核融合は安全であるという話をよく聞くが、それは嘘である。   常温核融合が人類にとって、本当に福音なのか?   エムクギー危機の救世主なのだろうか?   常温核融合は、生物体の中でもおきているという噂を聞く。   ひょっとすると、常温核融合は人類を破滅させる火のエネルギーかもしれない   のだ。      実は、光の黙視録には、常温核融合について 記された詩があると思っている。   例の、火と水がまわると・・・ のくだりである。   あの記述は、一種の数学でいう「変換」またはベクトル解析やテンソル解析な   どでいう「回転」を表しているのではないかと思っていた。   そういう視点から、もう少し、この問題を考えていこうと思っている。    102/107 RGE01147 誠惇 スサノオ+ヒスイ関連情報 (14) 93/03/17 17:50  ビデオで、「スサノオ、オロチ伝説」を見ました。  いくつか面白い情報がありましたので、アップしておきます。  A.スサノオは製鉄技術に関連している。  B.ヤマタノオロチを退治した剣(つまり天叢雲剣を取り出すための剣)は、    朝鮮半島(当時の新羅)からもたらされた。  C.新羅と出雲との交易においては、新羅の剣と、出雲の勾玉が交換された。  D.勾玉はヒスイより作られた。  Aは目新しいと感じなかったが、BCDは新鮮な感じがした。  以前のYUIさんの情報とは若干異なるのですが、  当時の新羅はヒスイが取れなかったため、交易の対象になったそうです。  ヒスイの色はやはり、薄白緑(緑多き土地の水辺の色BY YUIさん)でした。  新羅の金の王冠に、ヒスイの勾玉がいくつもぶら下がっている画面が出た、  単純な交易品以上の意味を込めて、当時用いられていた、事が分かる。  過去は現在とつながっているのは確かだ。       By 誠惇 105/107 PEH01157 酷使夢想 RE:平成維新の会について (14) 93/03/17 18:12 099へのコメント   プレイボーイ4月号を読みました。感想を書きます。   カンという方が、ICU関係者だと伺い、一体誰だろうと思っていましたが、   どの方かわかりました。熊本出身者だったんですねえ。かくいう私も、幼少の   頃は熊本にいました。   さて、1読した全体的の印象を3つ述べます。      第1に、カン準教授の政策の主張やビジョンがみえません。準教授が、どうい   う「からくり」をイメージしているのかみえない。平成維新の会なり日本新党   などの政策にかわるカン準教授のビジョンなり「からくりの雛形」に関心があ   ります。代替案がない限り、主張としてのインパクトはありません。(かくい   う私もビジョンも代替案も持っていないのだが)      第2に、これは第一の視点と関係するのですが、カン準教授の視点は、やはり   アカデミックなものだということです。学者として研究者としての視点です。   これは、皮肉でいっているのではありません。最近、マスコミに登場する学者   の方々や評論家とよばれる方々は、うすっぺらな学識をひろげたジャーナリス   テックな煽動が多いのですが(人のことは言えないが)、その中においては、   異色な方でしょう。研究者としての誠意を感じます。      第3に、HVHYさんが指摘するように、全体的には同じ主張をしているとい   う印象は持てませんでした。危険だぞ〜。よくみておかないと危ないぞー。と   いう主張は一致していますが(笑)      詳細の感想は、いづれまた。やるかもしれない。やらないかもしれない。   平成維新の会に係わる一連のこの書き込みは、準教授にみせてもいいですよ〜。   あるいは、このフォーラムに連れてくればいいじゃない。   あたしゃ、準教授の弟子ではないから、遠慮なくいわせていただきました。   ただし、あの論客で情報力があり頭のきれるカン準教授と、まともに議論でき   るとは思えないないので、何か反論がある場合には、お手柔らかにとお伝え下   さい。 106/107 PEH01157 酷使夢想 RE:平成維新の会について (14) 93/03/17 18:14 099へのコメント   マッキンゼーは、いわゆる戦略コンサルタント集団である。   マッキンゼーの日本支社は金融関係のビジネスをひとつの柱として着実に売上   を拡大してきた。      マッキンゼーは、その戦略立案のスタンスとして、その企画が社内で生かせる   かどうか無頓着である。彼らの言い分は、現場のしがらみにしばられて企画す   ると、オリジナリティやクリエイティビティが損なわれるからだという。彼ら   に作った企画を使いこなせないのは、客先のスキル(能力)が低いせいだと公   言する。私は、彼らのこのスタンスを聞いた時、失礼ながら、文字通り爆笑し   てしまった。創造性? 独自性? どっこが。米国の方法論などにのっかただ   けのコピーじゃない。次に,あきれた。ちょっと、自分で企画しておいて人を   無能よばわれるするのは無責任じゃないの。最後にむしょうに腹がたった。こ   ういう人々に日本や自分の会社のことを、なんでとやかくいわれなければなら   ないの。米国のコピーのくせに。馬鹿にするな。      米国では、筆算教育を軽視し、「考える数学教育」に力をいれているという。   その結果、筆算よりは電卓で計算させる教育があるという。そういう数学教育   が、米国民の数学能力を落とした。   仕事でも同じことがいえる。熟達した戦略家になるためには、伝票整理からは   じまめなければならない。コンピュータに依存してはいけない。そうすると、   仕事の全体像やカンがにぶる。実際、会計システムをいれたがために、まとも   な会計ができなくなった会社がいくつもある。そのような視点にたつと、私は   まだ、ドラッガーの主張の方が好きだ。   マッキンゼーの仕事のスタイルは、こうした土方仕事を無視している。   土方仕事は内蔵や骨格と同じで、生きていくための基本中の基本なのだ。      彼らは、税制など特権を一度全部キャンセルして、再度、新しい税制などを   構築すべし。すべての人間が痛みわけをという主張をする。こういうもの考え   かたを スクラップ&ビルトといったと記憶している(スクラッチ&ビルトだ   ったかもしれない)。   これは、米国の方では比較的ポピュラーなものごとの進め方の方法である。   (日本にもないわけではない。) 勿論、米国系のコンサルタント会社は、し   ばしば、この概念を主張する。    この考えた方の延長に、日本人に馴染み深い維新という概念を作った。彼ら   は、一度、全部ぶっつぶして、新たに世界を構築するというのだ。このような   ことを本気で考えているのだろうか? ウルトラマンに変身するわけじゃなし   ・・・。なんか、自己啓発セミナーのような麻薬的印象をもっちゃうなあ。      平成維新の会が、マッキンゼーのように、企画はした。これを生かせない日本   人は無能なのだと言わないように、自ら実現にむけて、汗と血を流すことを期   待したい。自ら、伝票整理したり、役所の関係書類を書いたり、帳簿をつける   たりする土方仕事をやって欲しい。そうでない限り、私は、この会を信頼しな   い。少なくとも、親分にしたいとは思わない。そういう土方を小馬鹿にする人   々についていきたいとは思わない。      まず、その基本的根性からして、私は平成維新の会を支持できないのだ。      なお,マッキンゼーは、「米の輸入の自由化」を明言した集団のひとつである   米は作らず、少なくとも首都圏の農地は宅地にすべしなどの論点を展開したこ   とを記憶している方々も多いだろう。   米の問題は、ARIONも繰り返し主張してきたことを思い出して欲しい。    107/107 GCG01101 アマデウス 今なすべきことは何か (14) 93/03/17 19:26 081へのコメント 詳しい説明ありがとうございます。 酷使夢想さんの言われる恐怖感の一端が理解できたような気がしました。 引用すると長くなってしまいそうなので、酷使夢想さんが指摘された内容を、 真偽はともかく要点をまとめると、 (1)大前氏が役員を勤めるマッキンゼーは、日本の政府関連市場への参入を 目指している。 (2)大前氏はマッキンゼーの手先であり、純粋に国の行く末を思ってではなく、 あくまでもマッキンゼーの事業戦略の一環として平成維新を推進しようと している。 (3)そのため(自社の事業展開のため)に、「日本の改革」を隠れ蓑にして、 日本企業や一般大衆をうまく利用している。 といったことであるように読みました。 >>  だけど、なぜ平成維新の会で危険かという理由も理屈も書けたわけではない どころか、既に書いておられるように思います。この改革が成就した暁に、日本の 政策がマッキンゼー(というよりアメリカ政府?)によって決められてしまうよう になることを恐れているのではないですか?  今回指摘いただいた内容は、私にとって驚きに値するものでした。 率直に言って、私は漠然とした不安は感じるけれども、大筋においては平成維新に 共感するところが多かったからです。 考えてみれば、私が平成維新に関して得た情報はほとんどが大前氏の数冊の著作 及び「プレジデント」誌の記事でした。大前氏は「単行本はプレジデント社にしか 書かない」と公言していることから、「プレジデント」誌も平成維新の会の広報誌 に近いものと思われます。ということは、私を含め多くの人が、例えは良くないで すが「喧嘩の仲裁をするのに片方の言い分しか聞かなかった」ことになってしまい ます。 >>  彼の政策の本質は、実はひじょうに安易で軽薄でなるということ。論理的?かも >>  しれないが、レトリックと欺瞞に満ちていること。ああいうのもアジテーション >>  というのだろうか。それとも、ジャーナリスティックというのだろうか? >>  (嘘だと思うなら、まともな経済学者の意見を聞いてにるといいだろう。私と同 >>  意見だと思う) >>  そのこと自身をマッキンゼーは、よく承知しているのではないかということ。 >>  (軽薄とわかりながら、執筆した本であるということ) >>  彼は、ビジネスマンに人気があるそうだけど、日本のビジネスマンは、そこまで >>  思考する力を失ったのかしら・・・。しかも、知性を自認する方々ほど、その傾 >>  向が強いから、情け無い。 という指摘が真実なら、私は正に「思考する力を失ったビジネスマン」です。  さて、詳細について疑問を感じる点もあるのですが、本質的な問題ではないので ここでは問いません。  マッキンゼーの陰謀云々の問題がなかったとしても、日本の国家運営システムに 抜本的な改善が必要であることは否めない事実であると思います。  そのためには現体制による小手先の政治改革ではなく、日本人のものの考え方 (「お上」意識、政治無関心体質など)にまで踏み込んだ大がかりな改革が必要で あることも、間違いないでしょう。  そして、抜本的な改革は現体制にはほとんど期待できず、その実現のためには新 たな推進集団が必要になるというのは、自然な結論であると私には感じられます。 そして、そのような改革の動きが実際に出てきたとき、それに参画して日本をより よい国にするよう微力ながらも貢献したいと考える人は少なくないと思うのです。  酷使夢想さんも、少なくとも改革の必要性には賛否を表明されていませんので、 問題としているのは「それを現在やろうとしているのが大前氏である」ことと解釈 しました。確かに、本当に大前氏がマッキンゼーの市場食い込みのために改革に乗 りだしたのだとしたら、それが招来する結果を考えると恐ろしいものがあります。  では、私達は今どういう行動をすべきでしょうか?酷使夢想さんは平成維新の会 のやり方に強い恐怖感を表明されていますが、それに対する対抗策として、どうい うことをされていますか?  現実に目を向けると、日本新党の支持率はすでに社会党に次いで野党2位になっ ているし、一時の華々しさこそないものの平成維新の会も着実に活動を進めている ようです。この勢力の前に立ちはだかってそのあり方を否定するのはきわめて困難 です。  といって、日本新党と平成維新の会が今すぐなくなったとしたら、今まで通りの 体制が残るだけで、日本が抱える問題の解決は図られません。既存政党による改革 という線もないわけでは有りませんが、ちょっとやる気のある若手議員自身が日本 新党・平成維新の会の方を向いているようです。  私が思うに、私達がやるべきことは大前氏がマッキンゼーの手先であるか否かを 暴き立てることではなく、今動きだそうとしている改革を望ましい方向に向けるよ う努力することではないでしょうか? 平成維新の会が提唱するビジョンが望まし くないのであれば、それを議論すべきです。日本の意思決定がアメリカの操作下に おかれてしまいそうなら、そうさせないよう問題提起して議論に参加すべきだと思 います。  私は、意見を述べるために平成維新の会に入会しました。入会したときは、何と なくムードに乗せられて、ただ単に「意見を言うこと」を漠然と考えていただけで したが、今回酷使夢想さんのファイルについてよく考えてみて、「改革を正しい方 向に向けるように意見を言う」ことが大切なのだと気づきました(何をいまさら、 と言われてしまいそうですが)。  大変なことだとは思います。めげてしまうかもしれません。ですが、今大切なの は、批評家的態度ではなくて、行動を起こすことだと思うのです。  もし何か気づいたことが有れば、適宜いずれかの会議室でご報告したいと思います。                                  アマデウス PS  HVHY議長     この会議室にはそぐわない内容になってきましたが、「今起こっている     こともリアルタイムのテクスト」っていうことで、勘弁して下さい。     このことって、以前議長が書いていた「フリーメーソン=記号」と同じ     ことだと思うのですよ... - FARION MES(17):◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 93/03/17 - 274/275 MHF01607 える PANDORAさんのライブ情報☆ (17) 93/03/16 22:28 242へのコメント  以前この会議室で紹介(?)した、八木啓代(NIFハンドル'PANDORA')さん が、東京で近々またライブをなさるそうです。 スパニッシュで歌う フォルクローレ系の歌です。 すっごく響くいい声で思わず痺れちゃう事 うけあいなので、お暇がある方はぜひぜひお勧めです☆   3月19日(金)6:30 開場、  ところ、狛江"BE FREE" 03-3430-7328 3月21日(日)6:30 開場 ところ、渋谷”ジァンジァン”3462-0641  ついこの前、南米まわりから帰国されたばかりなんで、ライブトークも 期待できそうなのだ(^o^)。。。                      MHF01607 えるっ >−HDA02171 のユーザーからのメッセージです− (ひら)こんばんわ☆>オリハルさん☆ (挨拶のみ失礼)