- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/03/19 - 739/745 GBG02043 維/YUI 今日(3/18)のメッセージに ( 2) 93/03/19 03:20 >>維/YUIさんの瞳の奥に見つけたもの…それは、いつまでも変らぬ思い… 私の瞳の中に、見つけたの? そう・・・・。 (*^^*) 虹を渡り、霧の向こうに行くときにも、持って行く思い。 そして、とっても大切な想い。 目をそらさずに、見つめていこうって思う。                             維/YUI。 744/745 GBG02043 維/YUI 今日(3/19)のメッセージに ( 2) 93/03/19 17:38 >>★困った時は、心の奥でかすかに聞こえる声に耳傾けて…維/YUIさん ん。 そうする。 (^_^) 維/YUI。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書き込み寺----------<01> 93/03/19 - 990/995 HAH01367 なる はじめまして なるです ( 7) 93/03/19 10:28 コメント数:1 はじめまして はじめまして>ARION AND ALL はじめてここに書き込みます。なるという者です。この名前は自分の名前から取っ たものでもありますが、「なるようになる」または「夢はかなう、かなえたい」と いう意味でもあります。 さて、ここのボードは、OZ弐さんを中心として、白熱した議論(^^)が展開されて いるようですね。でも、少々不満があります。議論に「とげ」がある様な気がしま す。それはOZ弐さんに原因があるように思います。OZ弐さんの言葉の節々に他 人の言葉の揚げ足をとる風な様子が感じられます。そして、皆さんそれにまともに 反応しておられます。で、長い長いLOGを読んでいて、言葉の節々が胸につきさ さる様に感じます。敏感すぎるのかもしれませんが。 で、OZ弐さんに聞きたいのです。あなたは結局何を求めているのですか。幸せを 求めいるのではないのですか。それとも、自分が幸せを求めているのか、求めてい ないのか分からないほど混乱しているのでしょうか。(自分は幸福を求めていない と言ったりするのは、ただの強がりの様に聞こえます。) 幸せになりたいのなら、幸せになりたいと、はっきり宣言したらどうでしょうか。 そして、自分がいま受けている幸せ以上の幸せを得る方法がないのかどうか、探し てみてください。考えてみてください。真剣にさがしてみてください。もっといい 生き方、もっといい考え方がないのかどうか。 あなたは、自分の至誠に忠実でありたいというようなことを、おっしゃっています が、自分の心の中だけを見つめていては、答(もっと幸せになるための)が見つか らないからこそ、このボードに書き込んでいるのではないのですか。答は外にある かもしれないと思うからこそ、そうやって探し求めているのではないのですか。 であるならば、他人の意見に対して、もっと素直であったらどうですか。もっと、 心を開いたらどうですか。あなたは、他人の意見に対して、その表面だけをとらえ て、反論しているような気がします。少なくとも、あなたの皮肉っぽい性格がそう させている様に思います。 謙虚さは美徳です。もしそれがなければ、もうその人は向上することはない。何故 ならば、自分を越えたものを認めるという態度が、謙虚さにつながるからです。そ れは、イエス・キリストにしても、お釈迦様にしても、口をすっぱくしていい続け ていることのはずです。 あなたは、反論ばっかりで、人の意見を聞こうともしていない。自分の意見を変え ようという気は毛頭ない様に思えます。そして、あなたが、このボードに書き込ん でいる理由は、ただ反論をしたいから反論する、ただ自分の意見を押し通したいか らゴリ押ししている、そういうふうにしか、見えません。実際、自分は自分なんだ ーというような、発言もしておられますが、しかし、そういう態度を貫かれると不 愉快な感を拭えません。それはあなたのプライドがそうさせているのかも知れませ ん。(つまり、自分一人の力で道を切り開いて行きたいということでしょう。) それも、いいでしょう。「心の王国」の支配者は自分自身であるわけですし、自分 がどうう生きようと、他人に迷惑をかけなければ、どんな生き方でも許されると、 思っています。(他人に迷惑をかけなければですよ)。ただその結果は自分自身に 返ってくるはずです。この責任は自分自身でとらなければなりません。(だから、 もっといい生き方を探しているのでしょう。) つまり、あなたの信念、あなたの考えが現実に適応しているならば、原因結果の法 則により、あなたは幸せを得、あなたの考え方・生き方がよくないものであるなら ば、色々な所で現実と衝突し、不幸の感覚を得ることになると考えています。そし て、あなたの信念が現実に適応しているかどうかは、あなた自身が一番よく知って いるはずです。 結論はこうです。あなたが、現在の自分に満足しているならば、あなたはその身そ のままでいいのです。しかし、少しでも自分を変えたい、向上させたい、もっと幸 せになりたいと思ってらっしゃるなら、他人の意見を学ぶことです。そこにはすこ しは真実の光が含まれているかもしれません。他人の意見にケチをつけるだけなら 、ちっとも自分の学びにはなっていません。それに、まわりの人も不愉快です。 あなたは、これまでの議論によってなにを学びましたか。      #915のARIONの言葉に勇気づけられてUPしてみました。      少々傲慢な意見かもしれません。       皆様のRESをお待ちしております   なる - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/03/19 - 608/609 GBG02043 維/YUI RE:独占欲・・・・ねぇ? ( 8) 93/03/19 03:30 606へのコメント どうもっ!!HVHYさん。 m(_ _)m えっと、いつになく丁寧なのは、ちゃんと下書きを作ったからだよ〜〜〜っ!(笑) ちゃんと読んでから、またRESする予定です。                             維/YUI。 609/609 GBA01276 しまうま 独占欲など ( 8) 93/03/19 04:19 593へのコメント  自分について言えば、愛する人を独占したいという気持ちは、ある。誰よりも僕 に優しくあってほしい。誰よりも長く僕といてほしい。僕のことを思っていてほし い。少しでも長く話していたい。ここで抱き締めて2度と離したくない。  その気持ちを形にすることは、しなかった。「深入り」が嫌いだったからだ。  僕はよく、相手の虚像とつき合い、それで満足する。一線から踏み込まなければ、 相手も快く虚像を演じてくれる。踏み込めば面倒な本性と対峙しなければならない。 そして自分の本性もさらけだすことになる。もっと夢を見ていたいのに。  でも、そんな夢、まったく色あせてしまった。どんなに面倒でも、途中で辛いと 感じても、相手の本当の姿を見たい。そして自分を見せたい。諦めるとか諦めない とか、変わるとか変わらないとか、そういう言葉は関係がない。  対峙することは、互いを見透かそうとすることではなく、慈しみの目で見つめあ うことだと思う。ただ、慈しみは時に「厳(イツク)しさ」に通じることもある。ぜんぶ ひっくるめて愛しさ、だとも。  独占欲はある。その一方で、独占欲を感じない(表さない)、ということがある。  ひとつは、自分で押えつけている場合。独占欲を剥き出しにするのはスマートじ ゃない、などと思ってすましている。  ひとつは、愛する人がほかの人といて、心から幸せそうなとき。よかったよかっ た、という気持ちが先に立つ。綺麗事だというやつは言え。本当にそうなんだ。  僕は、「偽りの」綺麗事ですまそうとしていた自分が嫌いだ。愛情から遠く、友情か らも遠い。利己心に近いくらいのものだった。  綺麗事も、ファンタジックな夢も、大切だ。ただ、それだけでは決して踏み込め ないところがある。 :自身の感情を押さえ切れないでいる。それが僕が僕である生き方。 :だけど、最後に大きな傷を負うのは僕だけでいいと思ってる。                             (#576)  僕はいつか自分を抑えることを覚えた。それが傷を負わないための知恵だった。  でも、もう抑えられない。そして抑える気もない。  傷については、わからない。 - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 93/03/19 - 110/110 JBE01051 言 アザゼルについて ( 9) 93/03/18 22:28 109へのコメント  岡さん、お答えありがとうございます。  さて、アザゼル論 1(#093)だけですと、私の天使観を示していませんので少 し、誤解される可能性がありますね。2(#103)においては天使は人間そのもので あるというようなことを書きました。しかし、それも結論だけです。その説明は その後に続くのですが、それについてはいずれしたいと思います。 実は、3/17に「アザゼル論」と題して、「データライブラリ 4【キャラ】編集済 ログ」に送信しておきました。まだ、登録されていませんが。これも一度読んで みてもらえますと、私の天使観等が分っていただけるように思います。  私は聖書に示されていることをそのまま事実としては信じていない部分があり ます。七日間の天地創造はもちろん、生物学的意味での人間としての始祖がアダ ムとエバであったとも信じていません。一部の見方として示された、複数のアダ ムという見方もできません。ノアの洪水によってノア以外の全ての人が死んだと も信じていません。私は、それらには解き明かすべき事実があると思っています。 私はこういう事実については科学的成果を信じる方です。 その他のことでも、非科学的であると証明されることは信じません。非科学的な ことを信じないとクリスチャンでいられないのであれば、私は失格でしょう。た だ、失格と思っている訳ではなくて、私は私なりの解釈を示すことが出来ますの で、教会には所属しないでいるのです。それで、いい場を見つけましたのでここ にたむろしようと思った訳です。(^_^)  今回のアザゼル論は、「へび」という存在について、解明しようと試みた文章 です。他のことも私としては、全て解明できるという自信はあります。それゆえ、 自分の都合の良い部分だけを取り出したのではなくて、論理的展開に必要な部分 のみ取り上げたと受け取っていただきたいと思うのです。 「へび」という存在については、事実として、動物を示していると見ることはで きません。人間に語りかけ、人間を堕落に導くような存在は人間と対等な存在に しかできないことです。それで、天使か人間をたとえたとしか見ることができな いのです。聖書の多くは解釈しなければ受け入れることもでいないようなことで す。楽園のへびを動物のへびと見るのであれば、その動物がどうして話しをする のか説明がいるでしょう。それゆえ、私は「へび」は天使であると見るのです。 聖書に記されたことには必ず、核になる事実があったのであろうと信じておりま す。アダムとエバとに語りかけた存在(「へび」)は確かにいたのであろうと思 います。その存在についての証言を求めるとアザゼルという天使に至るという訳 です。 ただ、一種の仮説ですので、完全な論理性はないかも知れません。しかし、その 解釈で説明がつくのです。科学的真理でも、当初は仮説であることが多いようで す。それが後で仮説を証明する事実が発見できたり、あらゆる場合に妥当であれ ば真理と認められるようです。このアザゼル論もそういうような仮説であるよう に思います。アザゼルなんて見たこともありませんし、聖書自体に、彼が堕落天 使だとも書いてありません。ましてや、それが人間であるなんて書いてありませ ん。しかし、本質的なものを追及していくのであれば、アザゼルが天使であって、 天使は人間そのものであり、彼自身についてのエノクの証言通り、アダムとエバ とを堕落に導いた者である可能性は高いと見ています。いずれ、証明されると信 じています。  ユダヤ人が他の民族を獣扱いしていたことは、旧約聖書に見られます。すなわ ち、ユダヤ教では、自分達は人間だが、他の周辺民族は獣だという見方をするこ とがあるということです。それについては 岡 さんもご存じだと思います。聖 書の黙示文学にはそういう手法が使われています。ここが重要で、ユダヤ教記者 が、「自分達神の民以外の人間」はへびや獣にたとえて聖書に封じ込めたと見る ことが出来るということです。 創世記の「へび」という存在も、神の民でない悪い人間を、獣にたとえたと見る ことができると思うのです。その「へび」に例えられた悪人がアザゼルであって、 それは現代まで天使とか魔神のように思われてきた存在であった可能性があると いうことです。そのアザゼルとは、神に相当するような魔神でもなく、天使と呼 ばれるような霊的な存在でもなく、ただ単なる堕落した人間であることについて 論証しようとしたのがアザゼル論です。  次に、英雄誕生神話についてですが、それは単なる英雄ではなく、神の民に反 する人々だったように理解しています。そうでなければ、それらの人々まで、直 ぐ後のノアの洪水で滅ぼされた人達の内に入れられるはずがありません。恐らく、 それらの英雄(有名な人々)が滅ぼされた人達の内に入れられたのも、悪をはび こらせ、その心に思いはかったことがいつも悪いことばかりであった人々であっ たからではないでしょうか(創6/5)。  カインが神にしるしを付けられて、「守られた」ことは承知しています。しか し、善なる人として守られたのではありません。アベルを殺している訳ですから、 本来なら、当然、審判されるところです。神がカインを審判することをためらわ せた理由があるはずです。それはカインの子孫の行状を見てみれば納得できるよ うに思っています。凶暴な性格が示されています(創4/23-24参照)。そういう人 達ですので、悪支配の世で審判ができるはずがないのです。それゆえ、審判が可 能になる時まで、その犯した罪すら見逃すことを公に表明されたのが、神のしる しの件だと思います。  神と反対で、かつ対等という見方については、私は、実質においてはそのよう には見ていません。その否定証明をするのが、このアザゼル論の目的なのですか ら。ただ、レビ記においては、見掛け上は神と反対で、かつ対等に示されている というくらいの意味です。本質的には、比べものにはなりません。神は宇宙全体 の創造者ですが、アザゼルはアダムやエノクと同時期に存在した人間であって、 天使として神に仕える立場にあり、かつ、アダムの僕でもあるべき人間でしたが、 その使命すらまともに果たせず、しかも、堕落して、自分が神的立場に立とうと して神に対抗し、また、アダムをも見下した存在でしかないと思っていますので。 1993/3/18                 言 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/03/19 - 167/168 GDB00064 オリハル (ひねくれ=意地)の心理について (10) 93/03/19 00:30 《(意地=ひねくれ)の心理》 35L/1P  以下の文章は、あなたが本当の自分に近づくためのみちしるべとしてタイプされたも のであります。(無駄に対する怒りを持とう!!) 1.全ては自分がこの世に生きていることによって生じて来るものです。  「問題」とは、天的な力を秘めた人間が、地上的な諸力をおさめるために学ぶ機会で  ある。 2.肉体に宿った魂は、「自分光線」を放射している。肉体に備わっている地上的な諸   力は、「自分光線」に照らされて、「自覚」を得、活動を始める(ここらへんは、   アリオンの世紀末書き込み寺の#622を参照お願いします)。 3.人間は、地上的な諸力と「関わり」を持ち始める。そのため、物質世界に興味を持   ち、物質性、植物性、動物性、人間性に興味を持ち、追求する(一概にレベルを決   めることは出来ない)。つまり、人は、自分自身に、神に関心があるのである。そ   のため、周囲の事柄に「関心」を持つ。なぜなら、すべて「自分」だから。 4.まさに、このために、人間は、周囲に関心を持つ。   そのため、人間は、「自己主張」がしたい。 (自己主張欲求=「社会との関わり」) 「自己主張」がしたい。しかし、社会から        ↓           「正しい」と見られたい。 (「被害者」=「正しい」) 「社会」に「正しい」と見られるためには、「被害者」       ↓       である必要がある。 (「被害者」=「受け身」) 「被害者」になるためには、「受け身」である必要があ       ↓       る。 (「受け身」=結果) 「受け身」であることを「社会」に示すために、自分の行動、         行為、表情等々は結果であり、実は、誰かの行動や言動がその         理由になっている必要がある。(あなたはこう言ったはずだ!、と) 《人は、こんなにすごいことをして「自己主張」がしたいのです》  さて、「自己主張」がしたいあなたは、「ひねくれ」て「意地」になってしまった。 と、仮定してみましょう。 この時、あなたの第1目的は「自己主張」=「自分は正しい(という主張)」である。     ~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、「相手」は自分を認めようとしなかった。             ↑←ここが「運命」の分かれ道です。 あなたは次にA、Bのどちらを洗濯、いや、選択するだろうか。 A:明らかに正しいことを「相手」に示すために、「ひねくれ」て「意地」を通す。   その原因は「相手」にある。確かに事実ではある。  (自分の人生のシナリオは自分で描きましょう。C:新沼謙治の歌) B:「意地」の心理=感覚をよく観察する。   Bの結果、自分は「自己主張」したがっている事を知る。これは言い換えれば地上  的な諸力の傾向ではある。つまり、地上的な諸力の執着の傾向に引っ張られているこ  とを知る。「意地」から自由になるためには、「自己主張」の執着から離れ、あきら  めるのも一方法ではある。あるいは、そのように執着しているのは魂の「自分光線」  に照らされて活動している地上的な諸力(≠自分)であることを見抜き、実は「本当  の自分」は、そのことに捕らわれてはおらず、「早く解放されたい」と思っている  ことを思い出す。まあ、簡単に言えば、「自己主張したがる自分をあきらめる」=  「本当の自分を知る」事です。 あなたは以下のどちらのタイプに近いですか。 1.自らの真心に魂の笑顔を1回でも向けてくれた人に対し、その後10年でも忠誠を   誓い、実行する。 2.ただ1回、自分に損失を与えた相手に対し、今までの10年間にも渡る当人の奉仕   を無に帰す。  さて、あなたの「魂の本意」はどちら側にあるのでしょうか。あなたの第1に肯定し ていることは何でしょうか。                (イタリア人) 推薦図書:二千年前の出来事をマリア・ワルトルタという下半身付随の女性が幻視させ      られて書き上げた、「あらゆる方面から検証しても、誤りを見つけだすこと      が出来なかった」本である。(ノートに1万5千頁の分量である) 「聖母マリアの詩(上)」     あかし書房  ¥2500 「聖母マリアの詩(下)」     あかし書房  ¥2500 「マグダラのマリア」       あかし書房  ¥3000 「イエズスに出会った人々(一)」 あかし書房  ¥3000 「イエズスに出会った人々(二)」 あかし書房  ¥3000 「イエズスに出会った人々(三)」 あかし書房  ¥3000 「イエズスの受難」        あかし書房  ¥3000 「イエズス−たそがれの日々」   あかし書房  ¥3000 全てフェデリコ・バルバロ訳 オリハル 168/168 GGD02212 *ねぎひさお* 夢:光の天使の剣 (10) 93/03/19 04:07 毎度まいど夢の話です。月曜AM3:00頃、非常に浅い睡眠中に見た、幻のような夢。  夜。西北西・仰角60度ほどの上空を青白い発光体が駆け昇って行く!見ると それは十字形をしている。「あれは伝説の…だ!(どんな伝説なんだ?(^^;)」 という思いで更によく見ると、翼を広げ剣を持った天使の後ろ姿が見える。その 天使はM永キャラメルのエンゼルみたいな(^^)幼児の格好をしていて、その体は 光で出来ている、といった感じで、我々の肉体とは明らかに質感が異なっていた。  (光=霊ってなことを、こんなふうに直感的に認識する人がいるんだろうなあ。)  天使は剣を手放す。すると剣は見る見る物質化し、3次元の物体として空中に 忽然と浮かび上がり(天界から見れば『沈み込み』か)、目の前に降り落ちる。 それを拾って手にすると、次から次へと天空に石斧や棍棒や岩石が浮かび上がり、 こちらをめがけて飛んで来てはドスンドスンと降り落ちる。私は落下物から身を かわすことができるが、家を壊されかねない。私はその物体を自分のものにする のを諦め、天空に投げ上げる。それは夜空に吸い込まれ、空からの落石は止んだ。  このテのUPには、久しぶりにオ〜ロラさんのコメントを期待してしまう。*ねぎ* - FARION MES(11):☆KAZEの神秘学遊戯団(満員御礼)----<02> 93/03/19 - 998/999 MHD02672 TAO 声の神殿 (11) 93/03/19 00:29 991へのコメント  >KAZEさん  どうもです。さて「声の秘密」とやら、やはり興味をかき立てられますね。  ドイツ語の原書を随時訳しながら、紹介されて行くとのこと、楽しみです。  :さて、「声」というのは、「振動」であり、それが形成する「かたち」だと  :思います。  そうですね、喉で振動を産みだし、口型を次々に変え、息や舌と絡めながら、  様々な「かたち」の“音”を奏でて行く。もし「声」や「音」が目に見えると  いう特殊な能力を与えられるならば、それはえもいわれぬ「色」と「かたち」の  ハーモニーとして見えるのでしょうね。  音楽というのも、音や声を通して意識の中に構築される“詩”だな、という  気がします。聴覚が働かなくとも、音の響きを触覚で感じ、あるいは頭蓋骨に  直接響かせると、音の動きに従って身体の何かが震える、それが快い、と  感じることもあります。  人間の声というのも、「言霊」に見るように、機能を最大限に働かせれば、  凄いパワーが出るだろうなと考えますが、それは、今後の展開において様々な  見方が提示されるだろうことを期待しています。  20日オフはKAZEさんと私だけになりそうですが、その方が遠慮なく突っ込んだ話や  キワドイ話が出来るかもしれませんね(^_^;)。ま、ベトナム料理をたしなんだ後、 お酒を飲みながらやりあいませう。当日は「九鬼神伝全書」をお楽しみに。  TAO - FARION MES(12):★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 93/03/19 - 513/515 NCD01751 しろおか 誓いと細やかな願い m(^ ^;) (12) 93/03/19 04:57 コメント数:1 ★ #512 シゲさんへのコメント。 ど〜も!お久しぶりですシゲさん。(^_^) 【僕もしぶとく生きる事を自分に誓いました。ただそんだけ。シゲ わ〜ぃ!はっきり言ってお仲間です(ダキ ダキッ ^^;) 《会議室15(#108)                            》《:死神を身近に感じたい。本来的に身近なはずなのに、遠いものに思えます。隠さ 》《:れているなら、行ってひっぱがしてやる。                  》【                                      】【このフォーラムには自ら死神に近づいた人も多い。かくいう僕は不可抗力によって 】【棺桶に一度は寝た男だ。失礼な言い方しちゃうけど、今まで平々凡々と暮らして来た】【人間に限ってそういう事をいうような気がする。死に直面した事のない人間が死の本】【当の怖さを分かっているわけないんだ。また生きる事の辛さも喜びも分からないんだ】 確かに「死の恐怖」ほど恐ろしいものはありませんが、「霊的な世界」もそれに匹敵す るほど恐ろしいものがありますよ(キッパリ)。地獄の深淵の様な底なしの恐怖を体験す ることがあります。かつて、GLAの設立者で高橋信次(春雄)という人がいて。その 超絶的な超能力を示し、他の追随を全く許さない宗教家がいたそうです。己れの死すら 予言し、その予言のとうりに他界してしまった。 その彼ですら末期の際に漏らした言葉が「人間として死ねて本当によかった!」だそう です。私は嘗てこれほど恐ろしい意味を含んだ言葉を聞いた事がありません、恐らくこ れからも無いのではないかと思います。(正直、ビビリ捲りました __;) そんな分けで私の神様に対する細やかな願いは。もしその時が来たなら成る可く苦しめ ないで欲しい …。実際、人間ほど肉体的にも精神的にも苦痛に脆い生物は他にいませ んからね! 【シゲは「騎馬狩猟民族であれ!」と言いたい。食う為、食わす為に狩りをしろ。 【狩りにくる敵から女を守れ。 女性というものを甘く見、分不相応な過大評価を与えないほうが賢い男性!と思うのは 私だけでしょうか?シゲさんは本当にロマンチストだ〜。                         シゲさんに m(__;)m 脱帽! 514/515 GBD03557 シゲ RE:誓いと細やかな願い m(^ ^;) (12) 93/03/19 16:27 513へのコメント :その彼ですら末期の際に漏らした言葉が「人間として死ねて本当によかった!」 僕もある種の戦慄を覚えました。 死する時の苦痛は、その人がどのような人生を送って来たか・・ということのような 気がしますので、僕は今を精一杯しぶとく生きるだけです。 515/515 JBE01051 言 DLへの登録ありがとうございました。 (12) 93/03/19 18:16  アキラ様へ  「黙示録解読01(七つの封印)」と「アザゼル論」をデータライブラリ4キャラ に登録していただきましてありがとうございました。先ず、お礼申し上げます。  さて、この会議室には始めて書き込みますが、ハルマゲドン探偵局という名ほ ど、そういう話題が多いという訳でもないのですね。私は、聖書の話しでもちき りかと思っていたのですが。私はこの頃入ったばかりですので、よく分らないの で、まだ、発言もあまりできませんが、こちらにも時々、寄らさせていただけた らと思いますので、宜しくお願い申し上げます。 世界がこの先、どうなるのか、見つめたかったですので、私なりに解釈してみま した。もし、宜しければ、DLにUPしたMSGを読んでみて下さいませんか。 しかし、こんな解釈をキリスト教会の人に言われますと、ぶっ飛ばされてしまい ますよ。(^_^) それでは、宜しくお願いします。 1993/3/19              言 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/03/19 - 001/007 GGA02514 KAZE 第3期オープン! (13) 93/03/19 10:37 コメント数:1 神秘学遊戯団のFARIONでのお店も いよいよ第3期を迎えることになりましたが、 特に方針などが変更になったわけでもありませんので、 最初にお店開きしたときの「巻頭言」などをちょいとアレンジして、 以下に、再掲させていただくことにします。 神秘学遊戯団もいよいよ新設「世紀末フォーラム」での活動も第3期の活動開始です。 第3期といってもこれまでの方針(そんなものあったかな?)と 特に変更するところはありません。 これまでと同じように、いやこれまで以上に、 限りない神秘を、限りなく自由に、限りない理想をもって、 マイペースで、戯れるように、そしてあくまでも気軽に探っていきたい。 そう思っています。 世界という神秘は、つまるところ、世界が存在し、 私たちが存在するということ、そのものの神秘に他なりません。 神秘学遊戯団は、その神秘と戯れるようにダンスしながら、 その神秘のさまざまな側面にさまざまな角度から迫っていくものです。 そのアプローチの窓口は、シュタイナーであり、ケイシーであり、グルジェフであり、 儒教であり、神道であり、仏教であり、キリスト教であり、イスラム教であり、 幾何学であり、形態学であり、言霊論であり・・・と さまざまにありますが、それらの多くの窓口を通して そうした多様性の向こうにある共通点という視点を手放さないように しっかりと「見て」いきたいということなのです。 KAZEの考える神秘学は、一見全然関係しないか、またはまったく相入れないかのような さまざまな事柄の背後にある必然的な共通点を見いだしながら、 さらにそれらがどのように全体として生成発展しているのかという 宇宙進化論的アプローチということです。 こういう風にいうとちょっと堅苦しく聞こえますが、 そこはそれ「遊戯団」ですから、気軽に楽しく、和気あいあいとやっていきましょう。 主役は参加者(遊戯団員と呼ばせていただきますが)全員。 参加したそのときから、あなたもこの遊戯団の演じるドラマの登場人物であり、 しかも全員が主役。そして、その配役はあなた自身が選ぶことになります。 もちろん、全員が脚本家でもあります。 「脚本家多くして遊戯団ストーリーを失う」という諺(?)は当てはまりません。 先ほどもいったように、あらゆる戯れの背後にある共通部分を しっかり見ようというのが「神秘学」なのですから。 さあ、本番開始のベルが鳴り響いています。 <神秘学遊戯団・第3期>の演じる今回の出し物は何でしょうか。 なんだか、ワクワクしてきました(^^)。 このワクワクをみなさんと共有できればこれに優る喜びはありません。 風はその動きを止めてしまえば風ではなくなりますから、 KAZEもマイペースながら、この世紀末を絶えず駆けていきたいと思っています。 時には気まぐれに、時には優しく、 時には嵐のように駆けめぐりたいと思うKAZEでした。 002/007 NBG00612 岳同 こぶしの花が満開です (13) 93/03/19 12:53 ここ武蔵野の小金井の駅前では、こぶしの木が並んでいて、それはもう・・・ 朝、時間があれば、ずーっと眺めていたい位です。 ちなみに、こぶしの花は、近くで見るとチューリップみたいな真っ白の花が 木一面にびっしり咲いて、そこだけ雪化粧したようになります。 清楚っていう言葉がぴったりです。 KAZEさん、EARTH WORKさん、オリハルさん、オフの感想どうも有難うございました。 EARTH WORKさんやオリハルさんは、帰りが大変だったみたいで、どうも済みません でした。 m(__)m RE #990 《 隆 》 さん >そのうち機会があったら、奥さんや子供さんたちも誘って温泉オフとかキャンプ >オフなんてのはどうでしょうか。KAZEさんのおっしゃてた白山にも温泉がたくさ >んありますし・・・。   う〜ん、そいつはいいアイデアですね。 薪の光というのは、ゆらゆらゆらめいて幻想的ですよね。 山の冷たい水で飲むウイスキーもまた、格別な味でしょう。 TVのムーミンの古いの(最近のは見ていないから)は、とても好きで、 特に風来坊のスナフキンに憧れてました。ちょっと醒めていて、木の枝かなんかで ギターをかき鳴らす自由な雰囲気がよかった。 前からやりたかったのが、「山」と「絵」でした。 これから、のめり込みそうな気がしています。 KAZEさんの紹介されていた「宇宙の法<革命編>」を読みました。 随分、前とは趣が違っていて、正直に言うと、前ほど乗り切れなかったように 感じました。この辺は自分でも意外だったのですが、内容が「意識的」になった分 「宇宙的意志」への感じるアプローチが取り辛いということなのでしょうか。 どうも、KAZEさんと、自分とでは微妙に響き方の対象に違いがあるようですね。 でもきっと、ひとりひとり多かれ少なかれ、ずれがあるのでしょう。 その意味で、神道的アプローチのNOISEさんには、非常に親近感があるのですが、 また、顔を出してくださいね。>NOISEさん。 RE #993 NoBさん。 ジョージ・ウィンストンやレオンラッセルが来日するのですか 行ってみたいな。 映画:ON GOLDEN POND(邦名「黄昏」)の音楽なんかが印象に残っている、デイブ・ グルージンなんかも好きです。 今、ちょうど St.GIGA でジョージ・ウインストンの曲が流れてきました。 じゃあ、また。 週末は、ちょっと留守をします。 003/007 NBG00612 岳同 RE:第3期オープン! (13) 93/03/19 13:35 001へのコメント コメント数:1 KAZEさん、こんにちは。 神秘学遊戯団、第3幕開演おめでとうございます。 >さあ、本番開始のベルが鳴り響いています。 >神秘学遊戯団・第3期>の演じる今回の出し物は何でしょうか。 >なんだか、ワクワクしてきました(^^)。 >このワクワクをみなさんと共有できればこれに優る喜びはありません。 そうですね。今度はどんな話題が飛び出すのでしょうか。 新しい新学期が始まるように、春の陽の中に新しく誕生した新しい遊戯団に ワクワクしながら飛び出して行きたいと思います。 最後に詩を一編・・・    新学期の始まるのが    息苦しかった君は    一年が終りに近づいて    みんなと別れるのを    人一倍寂しがっている人だった    やがてくる明日もまた    君の素敵な思い出となりますよう    (1982,12,19) 004/007 GGA02514 KAZE おかげさまで(^^) (13) 93/03/19 14:11 NoBさん、どうも。 (前会議室の#993のレスです) コーランのCDの紹介ありがとうございました。 明日からまたお登りさんなので、そのおりにでも早速探してみることにします。 「スーフィーの神秘の笛」というCDはどっかで見た覚えがあります。 これもついでに探してみたいと思います。 ジョージ・ウィンストンは、いろいろ聞きはしましたが、 そんなに関心があるというほどではありません。 むしろ、レオンラッセルなんての方が、懐かしい感じもして興味がひかれます。 音楽のことでいうと、以前ポゴレリッチのお話がでましたよね。 NoBさんはたぶんポゴレリッチものはほとんど聞いていそうですが、 NoBさんのおすすめはどれですか、参考にしたいと思いますので、 よろしかったら推薦盤などお願いします。 しかし、最近感覚の洗練の方向はそんなに追求してないとはいえ、 先日買ったスカルラッティものは、聞くほどに感動してしまいます。 三木さんの本ですが、もちろん随所にはてなというところはありますが、 いろんな基本的な観点をひろいだせるというだけでも、なかなか参考になります。 ちょうど、シュタイナー医学に取り組んでる方からの示唆もあったりして、 三木さん関係では今後いろいろ勉強させてもらえそうです。 ボディワーク関連ですが、NoBさんの経歴はほんとに多彩ですねえ。 僕にはどうにもまねができそうにないし、僕にむいてるやり方でもないでしょうけど、 ま、いろいろなあり方を知ってるということの利点というのは大きいでしょうね。 もちろん、その功罪の「罪」の部分てのは気をつけないと大変でしょうけど。 シュタイナーなんかも、そうしたことをやりすぎると、 肉体とエーテル体に亀裂ができて、とっても不安定になる、 てなことを言ってたように記憶してます。 超能力とかオカルトとかいう類のことは僕もどうにも好きにはなれません。 「宗教」だってどうにもこうにも違和感が強いですしねえ。 やっぱり、縁側でお茶でもすすりながら花見でもしてる感じが好きです。 僕の興味のある神秘学ってうのは、特別なことでもなんでもなくて、 みんながわざわざ目をつむってしまってることを、 そんなワザトラシイこともうやめて、もっと気楽に楽しめばいいのに、 とかいうくらいのノリでお勉強でもしましょ!てな感じですか。 でも、NoBさんのやってることや考えてることは多彩で、けっこう複雑で、 僕なんかにはなかなかわかんない世界が多いけど、 NoBさんとお話するようになって、おかげさまでいろんなことが意識化できて、 とっても助かっていて、感謝感謝であります、のKAZEでした。 005/007 GGA02514 KAZE 次元の「折り畳み」など (13) 93/03/19 14:12 隆ちゃん、どうも。 (前会議室#996へのレス) >年度末という事で、世の中はあわただしく動いているようですが、僕は相変わら >ずぐうたらしています。・・・ 僕もそのうちぜったいぐうたら生活を送るぞ!と心に決めてるのですが、 どうにも今はそういうわけにもいかないようで、 泣きっつらにハチという感じのあわただしさです。 でも、人間にはそういうときもあれば、ぐうたらしてるときもあって、 多くの人は全体としてはけっこうバランスがとれるようになるのかもしれません。 それと、「ぐうたら」っていうと何もしてないように思えるけど、 そういうときこそ、貴重なヒントだとかきっかけだとかが訪れがちで、 そういう「ぐうたら期」をいかに過ごすかということが、 一転して訪れる多忙期での成果(のようなもの)の質を 決めるんではないかなと思います。 ぐうたら期には、ひとつひとつのことをじっくりと確かめたり実感したりする 余裕が生まれやすいので、僕も今度訪れるであろうぐうたら期を 有意義に過ごすためにも、こうした多忙期にできるだけのことはやっておこう! なんて、今は思っています。 「テトラスクロール輪読会」ですが、 >レジュメの件ですが、忙しくもないですし、あの程度のものでよければUPします。 それはそれはで、助かります(^^)。 僕のつくってたレジュメよりははるかにちゃんとしてるので、 あれで十分だと思いますので、気楽にしばらくやってみてください。 そんなに急いで進める必要もないですから、 テーマに関連したことをいろいろああだこうだとひっぱりだしながら、 つまり、道草を中心としながら、ゆるりとやっていきましょうね。 >・・・子供の頃から虫や草花を見て不思議だなぁとはよく思っていました。 >この感覚は今でも続いていまして、ひょっとすると僕にとっては霊魂がうん >ぬんよりもよっぽど神秘的なジャンルなのかもしれません。 僕も小さい頃、どどど田舎で過ごしたせいもあって、 森羅万象の不思議はかなり感じていきてるんではないかな、と思います。 あの四万十川の付近にはいろんな虫なんかも多くて、 そういえば、今あそこには「トンボ王国」とかいうのもありますね。 虫といえば、「ファーブル昆虫記」にははまってた時期もあったりしました。 なぜかその同じ時期に、フォン・ブラウンなんかの 宇宙開発などや宇宙のことなどにも関心がありましたが・・・。 虫と形というテーマでいえば、現代思想の昨年の11月号の「形とはなにか」に 池田清彦さんと奥本大三郎さんの「虫に学ぶ色と形」という対談がありました。 その中から、おもしろそうなところをいくつか。 池田 ・・・形というのは本当によくわからなくて、どこに形があるかとい うのが僕なんかにはわからないですね。対象にあるのかわれわれのところに あるのかっていうのが。そういうことがまず非常に不思議ですね。  それから虫の場合はとにかく多様性がいっぱいあって、恐らく自然の中に でてくるありとあらゆるパターンっていうのは虫の中にあるんじゃないかと 思われるくらい、いろいろありますね。 奥本 たとえば人間がいろいろな機械をつくったりすると、それと同じ形は 全部虫にありますね。つまりボートのオールみたいなものをつくると。水の 中を泳ぐゲンゴロウなんかの脚やマツモムシなんていう甲虫の脚がまったく ボートのオールなんですよ。それから地面を掘り返すショベルカーがありま すでしょう。あのショベルはオケラの手なんですよね。・・・ ・・・・ 池田 日本の大学の生物学教室では、虫が好きだと言うと、入れてくれない んですよ。昆虫は材料なんですね。昆虫学者ではあっても、虫屋ではないん ですね。 奥本 昆虫学者の中には虫のことをなんいも知らない人がいっぱいいる。知 ってるのは研究材料のカイコやショウジョウバエぐらい。昆虫が好きな人は、 耽溺して研究が進まないんです。好きな人は医者になったり、会社員になっ たり、ほかのことをやってますね。 ・・・・ 池田 ・・・さっきタマムシの話をしましたね。あれは同じところに住んで いるやつはみんな色とか形とか同じようになるでしょう。収れんっていうん ですけれども、あれはどうしてですかね。誰に聞いてもよくわからないんで すけれども。 ・・・ 池田 ・・・虫の形ということですが、僕なんかが思うには虫の形ってなん だろうって考えれば考えるほどよくわからないですね。たとえば写真で見る と輪郭があって、カブトムシならカブトムシの形がありますよね。それをま た顕微鏡で見ると違った形に見えるし、輪郭だってよく見るとたとえばギザ ギザになっていますね。そのギザギザをさらに拡大すればさらにギザギザに なってね。  フラクタルってやつですけど、そうすると自然の中には直線や円はなくて、 あるのはフラクタルだけっていうんだけど、フラクタルだって本当に自然の 中にあるかといえばありっこないわけで、どんどん拡大していけば最後は原 子になりますね。原子っていうのは何かといえば、原子核と電子でしょう。 原子核の外縁っていうのはどういう形をしてるのかだいたいよくわからない し、電子の周りがどういう形をしているのかとどんどん分解していけば、最 後は素粒子になりますね。そうなると形というのは何かというのが非常によ くわからない概念ですね。だから形というのはたしかに物はありますよね。 物があって、物をわれわれが見ている。するとわれわれがいなければ形なん ていうのはないんだよね。そうなると形とは、われわれと物の間のコミュニ ケーションそのものだっていう気がするわけです。 >四面体としてとらえられる「思考」というコンセプトは、はっきり言ってまだうま >くイメージできないのですが、とりあえず頭で理解して考えると、世の中の事象が >すべからく四面体の構造で理解できるということなのだと思うのですが、重要な事 >は四面体は単に最小の単位であるということで、次元は無限大に広がっているとい >う事です。 この「四面体」っていう概念なんですが、 例の梶川さんは、こうした形を「点」と「辺」によって説明しようとしていました。 ですから、「四面体」っていうと、4つの点と6つの辺をもつ形になります。 で、こういう考え方をもっと複雑な形に適用させていくと、 複雑な形が、点と辺を「折り畳む」ことで、いくつかの類型にわけれるというのです。 例のワークショップで実習していたのは、点と辺をもつ大きな図形を どんどん折り畳んで単純な形に次元を下げていくということで、 この3次元世界というのも、もっと高次元世界の「折り畳まれた」形なのではないかと 僕なんかは実習をしていてなんとなく感じていたのでした。 このことは、ちょっとわかりにくいように思えますが、 実際にモデルを使って実感してみると、 なんとなくわかるような気がするから不思議です。 もちろん、梶川さんがそうした次元のことを示唆していたというのではないのですが、 いろいろイマジネーションを広げてみると、いろんなアイデアがわいてきて、 とってもワクワクしてしまったのではありました。 >・・・幾何学が与えてくれるイメージが頭にかかっているもやもやをはらしてく >れるかもしれません。僕は形というものはそうあるべくしてあるものなのだとな >んとなく感じています。その「あるべくして」の部分が少しでもわかればいいな >ぁと期待しています。   先ほども話したように、この3次元というのは、いろんな形の折り畳まれた形として、 多次元宇宙のひな型として成立しているのだとしたら、 人間がいくつかの構成要素の多重構造になっていることだとか、 はたまた、ちょっと話を飛ばしてしまうと、 出口王仁三郎が大本をひな型として現象化したことだとかいうことが、 なんとなくイメージされてくるように思われるから不思議です(^^)。 ですから、「形」というのが「あるべくしてある」ということを そうした角度から検討していくというのは、 とっても興味深いのではないかと思うのです。 ここらへんのテーマはまだまだアイデアの段階にしか過ぎませんが、 いろんな仮説をつくり、それをさまざまに検討していくと、 この宇宙の謎のひとつにでも迫ることさえできるのではないかと ファンタジーの翼を大きく広げているKAZEでした。 006/007 GGA02514 KAZE 世界は言霊的多重構造のシンフォニー (13) 93/03/19 14:13 TAOさん、どうも。 (前会議室#998へのレス) 「声の秘密」の読書会は、Oさんもとっても気合いが入っているようなので、 ひょっとしたら思いがけないような実りが期待できるかもしれませんから、 遅々とした歩みかもしれませんが、気長にがんばってみたいと思っています。 先ほどの隆ちゃんへのレスの中で、 次元が折り畳まれたものとしての「形」ということについてふれましたが、 このことは、「声」「音」「言霊」ということにも同じく考えられることです。 最初に神から発せられた「言霊」が次々と次元を折り畳みながら、 こうして3次元のわれわれの世界を構築するところまでくるとすると、 世界はすべてがその言霊的多重構造をもっているということになります。 つまり、この世界そのものが神の声の創造するシンフォニーということになるのです。 そのシンフォニーは、限りない多様性をもって、 時には淀みながら(それを「悪」と呼んだりするのかも)、 全体として大きなハーモニーをもって展開しているのです。 そういう意味で、すべてを神の芸術作品としてとらえることもできます。 われわれは、そのシンフォニーのひとつの楽器なのです。 ・・・なんていうファンタジーは、僕にはとっても刺激的なのですが、 どうでしょうか。 さて、オフはいよいよ明日になりましたね。 いろいろ実りの多いことを話せればいいですね。 楽しみにしています。 今日はとってもさわやかな青空が広がっていて、 昼休みに近所の田圃で遊んでいた鳥たちに 思わず投げキッスを送ろうとしてしまったKAZEでした。 007/007 GGA02514 KAZE やがてくる明日のために (13) 93/03/19 16:02 003へのコメント 岳同さん、祝辞をどうもです。 おかげさまで、無事(なのかな?)第3幕を開演することができました。 僕としても少しずつ学ぶことによって 少しでもうまい役者になりたいと思っていますので、よろしく(^^)。 そういえば、僕は大学の頃、少し演劇部などに所属してたのでした(^^;)。 唐十郎や別役実、つかこうへいなどのものをやってたりしましたねえ。 さて、#2の >どうも、KAZEさんと、自分とでは微妙に響き方の対象に違いがあるようですね。 >でもきっと、ひとりひとり多かれ少なかれ、ずれがあるのでしょう。 についてですが、僕のアプローチ法のベースには、 基本的にシュタイナーのような近代西洋的なあり方があるので、 それともっともあいいれない(かのようにみえる)神道的なあり方と 「ずれ」ができてくるのかもしれません。 僕もMIZUHOさんのこと以来、その「ずれ」については いろいろ考えさせられることが多くて、その点で、 その両者の「むすび」とまではいかないまでも、 両者の認識のあり方の相違とめざすところについて、 少しは理解が進んだのかもしれないと思っています。 こうした「ずれ」というのは、「学ぶ」ということにおいては とっても重要な契機になるようで、 その「ずれ」を大きな「中」なる総合へと高めることが、 おそらくこの地球世紀末の大きな課題だと思いますので、 お互いその「ずれ」を大事にしていきたいものですね。 オフのときにもお話しましたが、 僕自身の認識のあり方は、正直いいまして、「結論」が先に来ることが多いです。 ただ、その結論にいたるプロセスを追うことを大事にしていきたいというのが 基本的なスタンスです。 その意味では、近代的な認識とはいえないのですが、 プロセスをできるだけ追うことによる、「経験」の質の多重化ということが、 近代西洋的な認識と神道的なそれとの橋渡しになるかもしれないなあ、 とかバクゼンと感じています。 今度の「宇宙の法<革命編>」については、 もちろん岳同さんのような印象も強くあるのは確かですが、 その認識の適用という側面に、プラスの部分を感じたというのが、 正直なところなのです。 つまり、「宇宙の法」は、現実の社会論としての性格を持たないと、 結局、あのバシャール風の自己実現論の域を越えられないと思うのです。 ですから、あれでOKというのではなく、もっと詳細な論を もっと具体的に展開していく必要性を感じているといった方がいいかもしれません。 そうしてこそ、近代的知と神道的知(?)の総合ということも その両者をともに高める形で可能になるのではないかと思うのです。 さて、「詩」を寄稿していただきましたので、僕も久しぶりに返歌などをば(*^^*)。 やがてくる明日のために 花はその精を 空の青にむけてとき放つ 思い出は白い羽根を広げて 花たちのほのかな色を集めようとするが それは大いなる希望の青の中へと溶けてしまう それを悲しんではいけないよ 別れは道を行く者にとって 一瞬一瞬の呼吸にも似ているのだから 新たな希望を胸に満たすためには それまでの時の重さをせいいっぱい放たねばならない そしてそれを思い出としなければ やがてくる明日のために 花はほんのひとときの華やぎを持つのだ それがみずからの使命であるかのように しかしそれを虚しいと思ってはいけないよ 花は思い出と戯れあうことで 心のキャンバスに新たな希望を描くのだから やがてくる明日を思い、青い空に祈るKAZEでした。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/03/19 - 113/115 GCG01101 アマデウス RE:どういたしまして (14) 93/03/18 22:37 108へのコメント こんにちは。毎度どうも。(^_^)  酷使夢想さんが、現時点ではご自分のプランを公表できないこと、そして欧米の ものを全部否定しているわけではないこと、了解しました。 私も、欧米の制度を全て肯定しているわけではありません。 >>  行政や法というものは、理念があります。それは、その国に土着の精神が、よ >>  かれあしかれ埋め込まれています。時には、その国民の良心が埋め込まれてい >>  ます。こういうものを見失ってはなりません。そういう精神は輸入によって、 >>  日本的合理主義によって進化させるべきものではなく、我々がつくりあげてい >>  ものなのです。  全面的に賛成です。 日本人にオリジナリティがあることにも、全く異論はありません。 >> 最後に、改革についてですが、自己啓発セミナーにも似たようないいまわしが >> ありましたよね。改革するなとはいいません。しかし、すべては自分の中に、 >> 日本の中にあります。みせかけの変身だけは、さけて下さい。 >> じっと、自分の心と日本の心を見据えていく必要がありますね。 >> キカイダーの良心回路は作動していますか? 笛のために苦しんでいるのでは >> ないですか? キカイダーも、笛に勝った時、本当に変身できますよね? >> そうでないと、改革したとしても、新しい利権構造を作っただけに終わりかね >> ませんよ。  まさにそれをもっとも警戒しなければならないと考えます。  ひとつ言っておきたいのは、私は今示されている平成維新のビジョンに全面的に 賛成しているわけではないのです。 「意見を言うために平成維新の会に入会した」なんて言ったもんだから、酷使夢想 さんには、私が平成維新の協力者のように思われてしまったかも知れませんが、 むしろ「変なことやられちゃかなわんから、言いたいことをきちんと言っとかない といかんな」というのが本音です。  例えば、酷使夢想さんも別ファイルでふれていた米問題。 大前氏の言説によれば、  「”一粒たりとも入れさせない”か”全面開放”かという両極端の議論ではなく、   もっと地方の実状に応じたデリケートな議論をすべき。首都圏の農地は宅地化   するが、米以外に目ぼしい産業がない地方は逆に何としても守らなければいけ   ない。」 ということです。これをぼーっと聞いていて「なるほど、その通りやな」と思って しまう人が多いと思います。しかしこの言説には、    ”守る地域と開放する地域の線をどこで引くか”  とか、    ”国全体としての食料自給率をどうやって確保するのか” といった重要な点が抜けてしまっています。 こういう問題を脇に置いたまま突っ走らないよう、ガンガン意見を述べて行かなけ ればならないのです。  例のPB誌でカン準教授が指摘していた、 :  国家の権限をこれ以上大きくすることもなく、しかも市場の「悪魔の挽き臼」 :  の犠牲も極力押さえ込みながら「持続可能な成長」を達成して、それぞれの :  地域の個性と調和のある発展を達成するためには、どのようにすればよいの :  か。「改革派」の青写真もよく注意してみる必要がある。 これを常に頭に置いておきたいと思っています。 >> 早く、圧力がかかってくるだけの人間にならないと、動かせるものも動かせな >> いよな。  同感です(^^;) 痛切にそれを感じますね。  平成維新の会や日本新党とは行動を共にせず、独自の道を歩まれるとのこと、 厳しい面もあるかとは思簔ワすが、良い成果の報告を期待しています。 私もがんばらなくっちゃ....(^^;)                     単なる一小市民(^^;)  アマデウス 114/115 RGE01147 誠惇 だ〜い感謝 (14) 93/03/19 08:30 103へのコメント  >>MINTさん 本当にありがとう。  実は、今まで、すっごく気を使って書き込んでたんですよね。  こんな事書くとどう思われるだろうとか、いろいろ考えてしまい、  1つ書き込むと、猛烈に疲れてたんです。  だけど、MINTさんとの会話をしていく中で、自分の肩の力が取れていく  ような気がしました。これからは、自然に会話するように書き込みが出来る  ように思います。とても感謝しています。  今やすっかりMINTファン。(*^^*)  (すぐにファンになるミーハー野郎なんです)  それでは、これからもよろしく!!(^^)ゝ By 誠惇  PS  以前”黄色はないの?”書き込みしましたよね?  実は#76の図はそれに対する、せっしゃの考えでもござんした。 115/115 QFG02515 めるく 「花の咲く頃」 (14) 93/03/19 14:00  今、光が見える。  暗闇は去った。  さあ、愛を込めて彼を見送ろう。  三日間祈り、そして川に流そう。  火を焚いて讃歌を歌おう。  彼を讃え、  そして光を讃えよう。  今、一輪の花が咲く。                 め  る  く - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/03/19 - 109/112 GBA01276 しまうま 割り込み歓迎 (15) 93/03/19 02:38 108へのコメント コメント数:1 :失礼な言い方しちゃうけど、今まで平々凡々と暮らして来た人間に限ってそういう :事をいうような気がする。死に直面した事のない人間が死の本当の怖さを分かって :いるわけないんだ。また生きる事の辛さも喜びも分からないんだ。  失礼じゃないからどんどん言ってくれ。僕も言う。  シゲの生きてきた人生は、確かに人並はずれたものだと思う。死神の肌に接した こともあっただろう。でも死の本当の怖さ、生きる辛さ、喜び、が、「平々凡々」 な人間にはわからないというのは納得いかない。  シゲのように、駿馬で駆ける人生もある。なめくじのように這う人生も、その間 もいろいろある。そしてそれぞれの人生に辛さと喜びがある。死は誰の横にもいる。 :シゲは「騎馬狩猟民族であれ!」と言いたい。食う為、食わす為に狩りをしろ。 :狩りにくる敵から女を守れ。  守ること。そして育むこと、だよな。 110/112 GFD00204 松川 貴     RE:未来の日本について (15) 93/03/19 15:08 064へのコメント  ゾウリムシさん >ひふみ神示には、裁判所も、牢獄も、法律もいらない。働かん者食うべからずと申 >す事理屈で、働かんでも食べさしてやれよ。 とあるが、はたして、そういう社会 >は、可能なのだろうか。(#064) 裁判所も、牢獄も、法律もない場所。愛の紐帯のみが人を生かす場所。そのような 場所はすでに存在しています。かつての日本にもそれはいたるところにありました。 あのエドガー・ケイシーさんが思いを込めて発音した場所、homeです。  都会から逃げ帰ってきた穀潰しの息子や娘に「働かざる者食うべからず」などと小 言を言いはしても、そんな馬鹿息子や馬鹿娘のために、ご飯をよそってくれた人が世 界のあちこちにいました。そして今もなお、ご飯をよそってくれる家族という名の人 々があちこちにいます。  家族制度とか家族解体とか、私には難しいことはよく分かりません。しかし、現代 日本の世相を反映してか、御多分にもれず両親の不和とそれに続く家庭崩壊を経験し た私にも──そうであればなおさら──よき家庭は尊いものに思われます。  ですから、ゾウリムシさんの書き込み(「ひふみ神示」)を見てすぐに思い浮かん だのはケイシーさんの「家庭(home)」に対するリーディングでした。ケイシー さんはこう言っています。   全ての面において美が表現されているような家庭、芸術的な家庭をつくるという  ことは、個々のどんな霊魂にとっても偉大な仕事である。これは人間の物質の世界  への登場という体験の中に顕わされているところのものを、よりよく表現するもの  なのである。(『家庭と結婚』上 P12 )   家庭にはどんな音楽があるのか? すでに指摘されたように、それは天国の家庭  をうつした雛形である。そしてこれら(の体験)は調和のとれた体験にされ、それ  は結びつきとなり、またある者と他の者とが一緒に営む活動の中に宇宙の音楽をも  たらす。そしてそれは地球上における人間の行動の中のもっとも高貴なものの中に  おいて結び合わされるものとならなければならない──それが家庭だ!(同書P18- P19 )   家庭を築くに当たっては、それを天国の家庭のパターンがそうであるように造れ  。寝る所、憩う所であるだけでなく、そこに入る全ての人が家庭の神聖さの中で、  それぞれの者がつくるその命の波動によって他者のために役立つこと、家庭の周囲  の空気の中にある有用性などを感ずる場所とせよ……。あなたの家庭、あなたの住  む所を、天使もそこを訪ねてそこの客にならんと欲するような場所とせよ。(同書 P20-P21 )   家庭とはどんな霊魂にとっても大いなる発展のきっかけである。なぜならば、家  庭は、「我その場所を用意せん。我がそこにあり、また汝もそこにあるような場所  を」という言葉が示すものにもっとも近いものだからである。(同書P224)  ケイシーさんの言う「天使もそこを訪ねてそこの客にならんと欲するような場所」 ──なんと素敵な表現なんでしょう──そこはまた、「美しき音楽が鳴り響く場所」 であり、また「天国の雛形」でもあります。しかし、現代日本人はそこにいったい何 を見てきたのでしょう。  あとは寝るだけ  昔こんな題名のテレビドラマがありました。母親も父親も子供も外から帰ってくる と「あとは寝るだけ」。これでは天使も降りて来られません。 (ちなみに、テレビドラマ自体は家庭問題を扱ったものではなかったと思います。実 は一度も見たことがないんです。番組の題名が「咳をしてもひとり」みたいな自由律 俳句のように聞こえるので面白く感じたのでしょうか、なぜか今まで覚えていたので した。)  あの硬派の西部邁さんが今月(4月号)の『婦人公論』に登場して「男たちよ、家 庭を守れ」と呼びかけています。西部さんと婦人雑誌の組み合わせは私の予想だにで きないことでした。『THIS IS 読売』などの月刊誌における西部さんの火の 吹きぶりを知っている私としては、これこそ大いなる驚きでありました。  『家(うち)へ帰ろう マイ・スイート・ホーム』と呼びかけているのは何も竹内 マリアだけじゃなかったんですね。                                   松川 貴 111/112 GFD00204 松川 貴     RE:男であること (15) 93/03/19 15:09 108へのコメント  いらっしゃい、シゲさん  シゲさんの当意即妙ぶりにはいつもニンマリさせられております。                                   松川 貴