- FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/03/21 - 568/570 PFA03317 Eddie JIBUNN WA DAREDAROU? ( 6) 93/03/19 23:41  ジブンハダレダロウ?  ふと、考える。いったいなんのためにここにいるのか。  私はだれなんだろう。(別に記憶喪失でない、念のため)  私を、「私」にしている自分は、どうゆう観念や、言葉なんであろうか。  「私」という自分が、悩んだり、怒ったり、わらったり、ふまじめに  なったり、まじめになったり、ごまかしたり、誠実になったりする。  恋に落ちたりもする。  「いったいなんのため」はいったいなんのため?  いつも同じように、人を好きになり、うまくいったり、いかなかったり  する。  そして、すこしずつ違ってきている。(みたい)  かけひきをしたくない、っていうのは、責任を取っていない証拠だろう  か?  でも、「かけひき」はしたくない。  「かけひき」を許容するほど大きい人間でないのかもしれん。  ただただ、愛したり、愛されたり、したいだけなのに。 ----------------------------------------------------  自分をみることよりも、実際に動くことのほうが重要に思えてきた。  自分にとってFARIONもあまりおもしろくなくなってきた。  なぜ、みんなはFARIONに書き込みをする?なんのため?  つまんない日常から、への第一歩?ハレとケの「ハレ」?  いたずらに、言葉で遊んだりする。  ただそれだけのため?  つまんないね。  気を悪くしたらごめんなさいね。  もう少しかんがえようっと。                            Eddie 569/570 GCC03437 星也 誰が歌っているんだっけ,これ ( 6) 93/03/20 10:43 最近,買い物などにいくと一度は流れる歌なんだな ちょっとかすれた女の子?の声で さびの部分以外はなんと歌っているのかもよく聞き取れない なのに,きがつくと,頭の中でメロディがまわっている・・・・・・   ・・・・・・もう 私は 自由・・・・・ レコード屋の店員さんに聞いた方が早いかなぁ しかし この頃のバイトにーちゃん・ねーちゃん ちびっと頼りないしなぁ もし,曲名とかわかる人いたら,教えて下さいませんか? なんだかわからないけれど,妙に気になってしかたないんで。。。                                 星也 570/570 VFB02711 シーヴ ひとりごと(しあわせについて) ( 6) 93/03/20 21:59 よくひとは、 オレハシアワセモノダ とか  ワタシフコウノドンゾコナノ とか とてもとてもかんたんにくちにするけれど いったい シアワセ だとか フコウ だとかって どういうものなんだろう 永遠にシアワセな状態って なんだか想像するだけでも気味が悪いな それって、なんだか成仏してると同じじゃん あ、仏様は、シアワセじゃないか。自分だけがシアワセでいられないものな。 自分がフコウだと思っている人間が一人でもいる限りは、シアワセではない。 みんなで ソクシンジョーブツ したら みんなそろって シアワセものになれる                   (ホントカナ??) でも、フコウってなんだろう 今、シアワセじゃない事 シアワセじゃないってことは、 シアワセになれるってことだよな。                 (ソノ ギャクモ マタ シン ナリ ッテカ ??) 時間が流れている世界なんだから 一つの状態が全く変わらないままなんて事があったら変だ と思うな けれど、それがそのときそこでそのものだった、というのも やっぱり確かな事だったと思うな 人からシアワセもん、といわれ祝されている「俺はフコウだ」と思っている奴と フコウな奴、と思われ哀れまれていてさえ、「俺はシアワセ」な気分でいれる奴 いったいどっちがシアワセものなんだろうな? え、俺はどうだって? 俺が今、俺をフコウだと思っているのなら 俺はシアワセになれるのだからシアワセものだという事もできる 俺はシアワセだっていえるなら、実はフコウな事かも知れない - FARION MES( 7):☆アリオン世紀末書込み寺(3/21削除)--<01> 93/03/21 - 996/999 TBE03167 ねずみ TO:たまごさん、彩瀬さん。 ( 7) 93/03/19 21:19 >たまごさん いつも御心配おかけしております。 また、バトルのお部屋でお会いしましょうね。 はじめまして>彩瀬さん かっこいい名前ですね。ローマ字より漢字のほうがずっと締まって見えますよ。 さて、ノイローゼは確かに辛い病気でした。思考が自分の意識でコントロールできな くなりますしね。でも、僕にとって、とても良い勉強になったことも事実です。ノイ ローゼのおかげで、僕は人間の心理の一部を垣間見ることが出来ました。こんなこと は正常な心理ではなかなか出来ないことだと思います。 人間というものは、人生に一度くらいはノイローゼに罹るべきだと僕は思うのですが ……。世の中は、忙しすぎて、それさえも思うように許してはくれないのです。残念 なことだと思います。 997/999 HGC02325 ガッチャ では、気楽に行きましょうね ( 7) 93/03/20 02:40 994へのコメント コメント数:1  私はARIONの事はね、  過去も未来も全てを知っている意識。  そして、すばらしい愛を惜しみ無く全ての人々に降り注ぐ意識。  たとえ、あと?年後に**が消滅しようとも、大丈夫なんだよ って、  そんな大変な事さえも、気付いた人の魂には関係ないんだよ って、  世界は自分の魂のなかにあるんだよ って、  そしてそんな未来さえも人々の魂で変える事が出来るんだよ って、  教えてくれた意識。  こんなふうに感じています。  「気づきの達人」という言葉だけでは、全然足りないように思います。  あっ、これは勝手な私の意見ですから、変に「宗教的だ」って皮肉らないでね。  でもこうして見ると、この言葉では、まるでARIONが神とイコールみたいに見  えますね(^^;)  ちょっと言いすぎかも知れませんけど、私はこのように感じているってだけです。  |ぼくは「目には目を」的な発想をしてしまいます。  |お金は借りたら返さなければいけない。  |貸し借りには感覚が敏感に働きます。  |でも、的外れな返し方では芸がない。  |合気道のように、  |相手の力をそのまま返せるようにしたいものです。  なるほど、カッと来たら「目には目を」なのですね。  怒りを感じた場合は「的外れな返し方では芸がない」なんて思いますね。確かに。  でも、それが固定観念を壊す皮肉ではストレートでは無いように思えます。  とくにここは会議室で、言葉の使い方が難しいですからね。  「なんだ、その書き込みは!!」って方がストレートで好感を感じてしまいます。  「あっ、この人は本気で答えてくれたんだな」って感じますから、その事がうれし  かったりします。また、それを期待して、RESを付ける人もいるかも知れません。  魂からの言葉に敏感になる為に、最初は怒って本気になってもらう事が「気付き」  への近道である場合もありますからね。  |それには自己を中立に保たなければならない。  |自己を中立に保つには、ウソをつくのは禁物だ・・・、  |・・・てな具合になっていきますね。  私が「怒ったのなら、素直にそれを表現した方が良い」って思っているのは、どう  してか?  |さらにその少しずつ動いている所の自己の根本である「不動の根っこ」を  |みつけたいと思っております。  |#992 より引用  それは、あなたが上のRESで書いておられるように、自分の「不動の根っこ」が  あなたの表層意識に出すサインに敏感になる事(つまりサインだという事が解る事)  の手助けになると思うからです。  たまごさんが、あなたに「自分をみていない」っていうのは「そのサインをあなた  が解っていない」っていう意味だと感じます。  (これは、たまごさんの意見を解釈した訳ではなくて、私が感じた意見です)  つまり...  怒ったのなら、どうして怒ったのか?  傷つけられたのは自分の何なのか?  自尊心? それとも、もっと親身になったRESを期待していた甘えを打ち砕かれ  た事? または、軽い気持ちだったのにっていう後悔の気持ち?  (ここでは、思い付く事をあげてみただけです。あなたの気持ちを察する能力は私  には、有りませんから。また、以上の事とは全く違う気持ちかもしれませんけど)  そういう事を自分の「根っこ」に問うてみる事、が、自分を見る事の始まりではな  いのか? と感じます。  さらに話を進めると、  そしてその「根っこ」が怒っていないのなら「今の怒りはどうしてなんだろう?」  って思う事でしょう。  あなたの場合は「これは中立ではないからかな?」って思うのでしょうか?  「中立を保つ為には嘘は禁物だ」といわれていますが、私はそうは思いません。  厳密に言えば、自分と外に対して中立である事は出来ないのです。  中立である事、中立であらねばと思う事は、すでに自分が判断している事ですから  ね。  だから、自分で判断するしか道は残されていないのです。  頭で考える事ではなくて、心 魂で感じる事に気がつく。  そしてそれをフィードバックする。  自分の「根っこ」を見つける事ってこの方法しかないのではないでしょうか?  ところで、話は逆になりますけど、感じた物が「怒り」では無くて「愛」や「敬意」  であった場合はどうしますか?  これは、個人的な社会生活での話ではなくて、会議室での場合での話です。                              ガッチャ 998/999 HGE03563 OZ弐 RE:では、気楽に行きましょうね ( 7) 93/03/20 13:16 997へのコメント ごんにちはガッチャさん。 > 「気づきの達人」という言葉だけでは、全然足りないように思います。 これは、もし人間だったら・・・「悟った」人だろうなーと感じたんです。 > なるほど、カッと来たら「目には目を」なのですね。 > 怒りを感じた場合は「的外れな返し方では芸がない」なんて思いますね。確かに。 > でも、それが固定観念を壊す皮肉ではストレートでは無いように思えます。 > とくにここは会議室で、言葉の使い方が難しいですからね。 > > 「なんだ、その書き込みは!!」って方がストレートで好感を感じてしまいます。 「なんだ、その書き込みは!!」ってのは、 相手のぼくに対する「思い」への非難にみえます。 個人の「思い」は自由であってほしいと考えています。 でも・・・、非難されたからって、そうそう怒りなんて感じませんよ〜。(^_^;) 電脳空間じゃあ、めったに怒る機会なんてありません。 直情径行型の人の非難、無礼には、ぼくは親しみさえ感じます。 でもね、・・・非難されるのはかまわないのだけど、 いつまでもそのこと根に持つというか・・・、 その相手がぼくのことを、「アイツは非難した内容の人物だな」と、 レッテルをはるといいますか、固定観念にとらわれるといいますか、 ・・そーゆーの、はっきりいってムカつきます。 非難するときは、「ビシリ!」と非難して、 その後は、もうそのことについてはパッと忘れてしまう、 って人っていーと思います。 > 私が「怒ったのなら、素直にそれを表現した方が良い」って思っているのは、どう > してか? 「怒り」にも、質があると思います。 ぼくは、禅でいう、「喝」が好きです。 「喝」は禅の達人(悟道の達人)の必殺技(?)のひとつですね。 「喝」は怒りではなくて、ただの「気合」です。 「気合」は、肉体の中心に心の中心が合致したときに発動します。 どろどろとした「怒り」の感情なんて・・・おぉ〜イヤダイヤダ、ゾッとする。 なるべくこんな感情にはさっさとオサラバしたいものでござんす。 「怒り」にはあまり関わりたくはないので、 やはりぼくは常に中立を保って、相手にそのまま返してやる方法を考えます。 「愛」や「敬意」も出来ればそのまま相手に返してやりたい。 999/999 MGH00465 アキラ これにて終了 ( 7) 93/03/20 15:43  アリオン世紀末書き込み寺<01>はこれにて終了です。  皆さん、どうもありがとうございました。  なお、この会議室は明日21日に削除して、月曜日(22日)より、この場所に 新しくオープンします。  その期間中は、暫定的に16番会議室の「退避所」をお使いくださいませ。 FARION Sub-SYSOP MGH00465 アキラ - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/03/21 - 169/170 HCA01717 オ〜ロラ RE:夢:光の天使の剣 (10) 93/03/20 05:20 168へのコメント 天使の夢とはなかなか洒落てますね(*^_^*) >*ねぎ*さん しっかし*ねぎ*さんの夢ワールドは登場人物に事欠かないですねー んガ、心理学の素人に夢の事で振らないでくださいね(;_;)トホホ  最近、禅定(ディアーナ)において新境地に入って来たので、楽しんでしまって こちらの書き込みをすっかりさぼって、ごめんなさい>ALL m(__)m ペコ                    陳謝モードのオ〜ロラ  PS. FSHISO(16)宗教・精神科学の部屋に出没するROMの方々へ    近々、「法華経信仰への素朴な疑問」パート3,パート4をあちらの部    屋に放ちますので、関係者の方は覚悟しておいてくださいね(笑) 170/170 GGD02212 *ねぎひさお* カイン・コンプレックス (10) 93/03/20 07:59 163へのコメント <#163>#159の夢に出て来る「兄弟対決」のモチーフは、    >旧約聖書にも重ねて現れるテーマ・・・ユングの    >唱えた「カイン・コプレックス」の概念・・・ ン?「ン」が抜けました。↑ごめンなさい。 コプレックスというと、387とかの浮動小数点演算用IC…  <そら、コプロセッサやがな!> コプロセッサっちゅうんは、トイレがつまった時に使う加圧ポンプ…  <それは、コンプレッサー!>(一人ツッコミ漫才でした。)  一般に「コンプレックス」というと、劣等感(inferiority complex)という 意味で使う人が多いですが、心理学でいうところのcomplexは、もっと広い意味 を持った概念で、優越感 superiority complex も含まれ、えーと定義としては 感情の葛藤を伴う複合的なナントカカントカ…うー、誰か助けてくれ゙(@_@;) 所謂マザコンとかロリコンなんてのもありますね。パソコンは…違います。(^^;)  フロイトで有名なのが「エディプス・コンプレックス」で母子相姦願望みたい なのが無意識に抑圧されてるんじゃないかってやつですね。一方、ユングのいう 「カイン・コンプレックス」ってのは、旧約聖書の失楽園の次の章に出て来る、 主に顧みられた弟・アベルを殺害した兄・カインにちなんで付けられた用語で、 人間に普遍的にそういう嫉妬から殺意に通じるような心理が流れている…ってな 感じのやつですね。(あんまり正確ぢゃない。また、誰か助けてくれ゙〜(@_@;))  旧約聖書には不思議と双生児とか兄弟の対決の話が何度も出て来るんですが、 そこから何を読み取るか、を考えたときに、憤怒と寛容、呪いと祈り、憎悪と愛 などをキーワードに、カインの咎かアベルの仇か…「白黒問題」にもリンクして くるのでは?…ってなことを仄めかしておいて結論を言わずに逃げて行く(((^^;) <RE:169>引っ張り出してスミマセンでした。>オ〜ロラしゃん。 FARIONから 消えたのかと心配してしまいました。ご覧の通り、当方も心理学はトーシロー なのでゴミ混じりコメントになってしまうのでござるよ。(;_;)トホホ  ほへ〜、禅定ですか。日蓮は「禅天魔」とか言って禅宗を批判したそうですが、 オ〜ロラさんの書き込みは、瞑想が趣味の人には珍しく(?^^;)明るい(ア、カルイ?) 波長が感じられて好感が持てます。これからも光明溢れる?世界の一端を紹介 してちょんまげ。 *ねぎ* - FARION MES(12):★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 93/03/21 - 516/516 GFH02347 ゾウリムシ 513,514に関して (12) 93/03/19 23:00  高橋信次氏の末期の言葉は、「人間として、生まれ出て、そして生きて、 本当によかった。」という意味あいで、 その、人生の味わいが、深かったためでしょう。 ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/03/21 - 008/009 TCC00116 NoB 雑 (13) 93/03/19 23:13 今日は笠井さんとこのシューレの人のオイリュトミーの発表会があって、見て きました。なかなかよかったです。すごいうまい人もいた。でも、あれだけ、 普通はできなよなとか思いました。でも、ま、僕ががんばろっと。レッスン着 も知り合いの子に特製をたのんでるところです。 イヴォは、僕は、ショパンのプレリュードが一番いいと思います。ショパンコ ンクールときのころの味と洗練とともにあって、これは、LDもあるようです よ。CMでも使ってましたね。 僕は音楽家ではラベルとか、リムスキーコルサコフとか好きなんです。ま、オ イリュトミーのせいかベートーベンとかに感動するようになりましたが。で、 イヴォのギャスパール、ま、イヴォらしいんですが、いまいちかな。チャイコ スフキーとかもいいのでしょうが、僕がチャイコフスキーについていけない。 ボディワーク関連では、同じころからGとの関心もあり、Gの忠告を僕はけっ こうきちんと守っていたんです。つまり、功罪の「罪」についてですね。 KAZEさんは、ウスペンスキやGは読まれたことありましたっけ? (関係ない けれど、実感としてエーテル体は感じられるけれど、僕はそういうの前提に考 えてないんです。この点もKAZEさんとまさに逆ですね。) あと、なんか言うだけ、誤解されるかもしれないけれど、僕はそんな「知」の 人ではないんですよ。いろいろ、なんとかしないと生きられないようなトラウ マもいっぱいあたったしね、なんせ、この地球文明がそれほど好きじゃない し。アジア的なものなんかうんざりするとこあるな(そのわりにはヨガやって いるが)。KAZEさんとか、隆ちゃん、ほか、そういうやっかいなものを抱えて いない、みなさまが羨ましいですよ。 明日のブーゲンビリア、行くつもりだったのでが、すんません、私事でコケま した。またの機会に。あの店知ってますよ。ちょっと狭いですよね。 NoB ps 会議室サイクリックにしないのぉ? 009/009 HGB02764 EARTH WORK 写真できましたよー (13) 93/03/20 23:43 隆ちゃんこんにちは。 現像に出していた写真が上がってきました。よろしければお送りします。 昔、練馬区に住んでいたとか。 僕も大学時代は、練馬区の南田中、駅では西武池袋線の富士見台駅に住 んでいたんですよ。もしかすると、同時期にかなり近い所にいたにいたの かもしれませんね。 練馬には、大ラクダ館があって、(ラクダという字が出てこない) グルジェフの映画を最初に見たのもそこでした。 最近はとんと練馬方面に足を運んでいないので、懐かしいです。 「フラーが僕らに話したこと」も手に入れ、テトラスクロールと共に読み 始めました。 この本は、フラーによる子供向けの解説書になっていて、イラスト入で、 こちらも分かりやすくなっている本です。 数学に疎い僕向けと言うわけです。(^^;) とりあえず写真ができましたよというお知らせまで。 ps kazeさん、岳同さん、オリハルさん。 送り先教えていただければお送りします。 オフ以来、ハンドル名の変更を検討しているearth workでした。 (町中で呼ばれても恥ずかしくないハンドル名を考えているのですが)(^^;) - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/03/21 - 116/119 GBG02755 スマル RE:「花の咲く頃」 (14) 93/03/19 23:12 115へのコメント 光は溢れる。 しかし、溢れる光の影にあるものは見えない。 しかし、見えない影にあるものの 本当の姿をみなければ、 光も影も、愛も憎しみも、力になりえない。                      スマル 117/119 JAE00201 竜人 今更の事だとは思いますが (14) 93/03/20 16:11   今更かも知れませんが、最近実感した事。(^^;)   ARIONからの預言風メッセージを見ても、普通は  何が書いてあるか良く判らないという感じではないのだ  ろうか?   だけれども、ある日、ふと感じたんです。日々の生活  の中にその答が散りばめられているのでは?と。   見当違いかも知れませんが、散りばめられたものは人  により見え方が変わる。そして、パズルを組んでいくよ  うにすれば・・・。(最もこれはHVHY議長の言葉に  も、同じ様なフレーズがありましたよね?確か?(^^;))   とにかく、怠惰な生活の中に埋もれ掛けていた時に、  この事が頭?に浮かんだので、気を引き締めて生きなけ  ればと感じました。   もう一つ今更の事(^^;)「ひすい」の色なんですが、  火と水 紫では無かろうか?                         竜人 118/119 GCC01413 HVHY 最新詩篇の解読(続き) (14) 93/03/20 18:39             〜 #916の解読・その2 〜  |さそりの誘惑に乗る者が増え、悲しみの壺には癒しの玉が帰るだろう。  |  |苦しみは、しかし、まほろばの国人を倒すことは出来ない。  差し当たり、関連する詩篇をUPしてみよう。  > 苦しみの星 第二天界に在り  > 其の朱き光と力 血にも及び  > 悪しき種を民の上に撒く  > 見極めよ 其方の炎の血で               「光の黙示録」  > 愛と哀を以て                      第20章より  > 蟹星の夜に降りる星  > 朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星  > これが 私達の * の星  > これが 私達の暁の星  > 真空の空に風が起こり  > 胎児は 再び私達の手の中に  > 死か生か                       「光の黙示録」  > 三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる           第21章より  > 冥府の王が、全知全能の名前の許を過るときに、掛かる影を気にする忽れ。  > ダイアナは、その手の中に嬰児を抱いている。  > 真空の空に風が起こる時、蟹星の赤い夢が破れる。  >  > 黒い噂は白い羊からもたらされるだろう。  > 押し黙った湖から、財宝を得る者は誰だ?  > 山羊の首をはねるな。                  当会議室[1]  > 既にあった形は、今、取って代わられようとしているのだ。 #604より  > 銀色の舟の娘は、葦の夢の中に分け入る。  > ゴーマは、星の形を散りばめた布の国から。  > 暗い日々の夜明けは、黒い羊の葬られた所へ。  > 「見よ」と声がする。  > 叫びは鳥の鳴き声と共に、夜明けの町にこだまする。  > 人は赤い月の表面に、メイオウの影を読み取る。      91・3・4  > その時、隠されていた嘆きは壺の中から出てくる。      詩篇の一部  > 苦しみは 夜明けと共に、霜の様に頭上に  > 降るであろう                      「光の黙示録」  > 川を渡る時に 川のおもてを見てはならない         第2章の六  > 銀の御舟が過ぎる時 影の頭を留めよ  > 月型は しかし 使ってはならない            「光の黙示録」  > 心の鋳型を当てはめよ                   第2章の八  > 影を色濃く落とした泉の中に 壺は投げ捨てられた     「光の黙示録」  > 命の剣を携えた 命を刈るものによって           第2章の一  > 黄泉の裁きを侵すことなかれ  > 黄泉の壺を手にすることなかれ  > 英知は黄泉にも等しく与えられ  > 神の御業に等しく映り その対を             「光の黙示録」  > 成す様に 定められたからである              第2章の十七  さて、「さそり」とは、  “「赤い月の表面」の「メイオウの影」”のことだ。  或いは、「蟹星の赤い夢」に対応しているとも言える。  この「さそり」の強い影響力によって、  「悲しみの壺」には「癒しの玉」が「帰る」…というわけだが。  「帰る」と言う以上、「玉」は元々「壺」の中にあったのだから、  「玉」が「壺」に「帰る」こと自体は、問題が無いどころか、  むしろ“必要なステップ”なのではないか?  ただ、「黄泉の壺」に「帰る」だけに、“苦しい”わけである。  この過程については、実は、    〜「暗い日々の夜明け」をもたらす「ゴーマ」は、     「星の形を散りばめた布の国から」「黒い羊の葬られた所へ」〜  という形でも既に詳しく表現されていた。  そして、こういった「苦しみ」をも「まほろばの国人」は耐え抜くらしい。  但し、「苦しみ」の様相については、  当初の予言と現在の予言で“ズレ”が生じている。(シナリオ変化?)  このことに関しては、     > 今年の前半6ケ月の内、半分は「予め知ること」だが、     > 残りの半分は「予め知ることの出来ないこと」だ。  という#807のフレーズにも表れている。  具体的には、下記のような比較によって“そのこと”が解るだろう。     <かつての予言>   ←−→     <今回の予言>  ・「見よ」と声がする。       ・7月13日〜17日には、   叫びは鳥の鳴き声と共に、      朝告鳥に夜が訪れる。   夜明けの町にこだまする。            ↓  ・人は赤い月の表面に、       ・さそりの誘惑に乗る者が増え、   メイオウの影を読み取る。      悲しみの壺には癒しの玉が帰るだろう。  ・その時、“隠されていた”            ↓   嘆きは壺の中から出てくる。    ・8月には、                     隠されるべきでないものが隠される。  つまり、「悲しみの壺に癒しの玉が帰る」こと自体は“シナリオ通り”なのだが、  “「朝告鳥」の異変”によって「さそりの誘惑に乗る者が増え」、  「メイオウ」の影響力について“意識的”であることが出来なくなり、  次のステップで「壺の中から出てくる」べき「嘆き」が「隠されて」しまう。  なかなか“すんなり”とは行かない…というわけか?  いずれにしても、更に検討を要する。                                  HVHY 119/119 GCC01413 HVHY 日本分割のシナリオ? (14) 93/03/21 01:19               〜 道州制の狙い 〜    物事には、表も裏もあるし、良い部分も悪い部分もある。    従って、一面的な見方というのは厳に慎まなければならない。    以上のことを前提とした上で、かなり強引な論を展開してみたい。    「道州制」の眼目は“日本の分割”という事柄そのものにある。    では、“どういう意味”に於いて、そうなのか?    例えば、原子力発電を例にとってみよう。   >>> 原子力発電そのものには必ずしも反対しないが、   >>> 自分の地元に原子力発電所が建設されるのは絶対イヤだ!…    というタイプの人は、果たして日本に多いだろうか?    「道州制」が導入されることの意味の一つは、    日本のような狭い国家でありながら、    国民が“もっと小さい範囲”のことしか考えなくなる傾向が    今まで以上に促進される…ということ。    つまり、精神的な“日本の分割”という意味合い。    このことは、諸外国勢力にとって、誠に都合が良い。    なぜなら、ブロックの利益というものを誘導しさえすれば、    いとも簡単にそのブロックに“入り込む”ことが出来るようになるからだ。    つまり、「国際秩序」どころか、    「国益」という発想すら日本から消えてしまうわけである。    そして、もしも日本攻勢に加わる諸外国が裏でリンクしていれば、    このリンクした勢力によって、    日本は本当の意味で“解体”されてしまうだろう。    “日本の分割”は、まず「精神」から始まるのである…。                               HVHY - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/03/21 - 113/116 GBA01276 しまうま RE:割り込み歓迎 (15) 93/03/20 02:11 112へのコメント  死を知りたいとは思わない。死を覚悟したいと思っている。 :やがて来る死に対して今を生き抜く事。  死がやがて来る。いざ来たとき、あるいは自分から向かわなければならないとき、 逡巡しないために、僕も今を生き抜く。  育むことについて。  植物を育てていると、花を咲かせ、葉を繁らせるために僕がしてやれることの少 なさを感じる。思いきりできるのは、愛でることだけだ。  ポリアンサスの、小さい方の鉢は今満開。大きい方の鉢は、つぼみが開こうとし ている。とても愛しいと思うんだ。                 しまうま 114/116 GFB00026 一輝 RE:男であること (15) 93/03/20 12:14 107へのコメント >しまうまさんへ  |一輝さんは、自分が男であることをどのように思われますか?  |僕は今、自分が男であることにこだわっているのです。  興味深い話題ですね。「男であること」、私もフッと考えることがありますよ。 「男らしさ」という言葉がありますね。20年くらい前に森田健作が海に向かって 「俺はぁ〜、男だぁ〜!」と、青白い声で叫んだ、あれですね。   以前その言葉に疑問を持ちまして、いろいろ調べたことがあるのですが「男らし  さ」という言葉は、戦前には無かった言葉なんです。何故なら、「戦前は男は男で  あった」からです。   「男らしさ」という言葉は、男が自らの脆弱さに気付き、女性には無い自分の粗  野な態度で強調し、慌てて精神の脆弱さを繕おうと、戦後になってから編み出され  てきた言葉のようなのです。「逞しい男」という表現もそうです。しかし、精神の  脆弱さを基盤にした粗野な態度としての「男らしさ」というのは、いざ窮地に追い  込まれた時には、責任逃れという形で砂上の楼閣の如く崩れてしまうものです。   「男らしさ」は本物ではなく、あくまでも「紛い物としてのらしさ」でしかない。   そこで「男である」ということは、「責任を取ること」でもあるのではないか、  と思うようになりました。   古来、切腹は男である武士の「責任を取ること」に於ける最高形態の儀式です。   任侠の世界でも、「ユビツメ」という責任の取り方が残っていますね。   「死」を天秤に置くことによって裏付けされる信念に基づいた行動。   結果に対する責任を、自ら背負って行動することに、喜びを感ずる生き方。   情感や繊細さを失わずして、精神の強さを基盤とした生き方。   では、何故今の男性は責任逃れをするようになったのか。この原点は何なのか。  それは、敗戦時に於ける進駐軍(GHQ)のプロパガンダにあるのでは、と考える  ようになりました。「国民は軍部によって騙されただけであるから、戦争の責任を  取らなくてよい」という宣伝です。「自分以外の者に責任を全て押しつけることで、  ”あらゆる状況は自ら選んだのだ”という事実を覆い隠し、ありのままを見ないよ  うにする」ことになった訳ですね。   それからというものの責任を逃れることを恥としない風潮は、現在ピークに向か  いつつあるように思えます。自国の文化に対する自嘲的な評価や欧米文化に対する  卑屈な態度。それを煽るマスメディア。   やがて、男でありながら、嫌なこと・面倒なこと・しんどいことは全部女性に押  し付けることを良しとする風潮が、ますます盛んになってしまった。「俺には関係  ない」という暗黙の表現行為。あるいは「男の甲斐性」としての身勝手な行動……  などなど。結局は責任を女性に押しつけてきた分だけ男の側が弱くなっていること  に気付かない。自分の限界に挑戦するチャンスを自ら捨ててしまっている。80年  代に入って男たちが社会に出る幕を自ら失って行ったのは、単に女性進出が推進さ  れたことが原因なのではなく、「責任を取らないのが男である」という戦後に育ま  れた暗黙の了解にあると思えてならないのです。   「男にとって都合の良い世界」というのは、結局は子供じみた了見の狭い世界で  す。私も戦中派である父の、このような生活態度を最近まで踏襲していましたので、  よく分かるのです。   男であるということは、自ら信念に基づいて決断すること、自ら決断に基づいて  行動すること、自ら選んで行動したことを絶えず自覚すること、行動によってもた  らされた結果に対し自ら責任を取ること……でもあると、今考えているところです。                                     一輝 115/116 GFB00026 一輝 素晴らしいライバル関係 (15) 93/03/20 12:17 >シゲさんへ  はじめまして、一輝です。  割り込みありがとう。  シゲさんとしまうまさんのやりとりには、快いライバル関係を感じます。  男同士のライバル関係に、女性は憧れると聞きます。  人間同士のライバル関係は、決して同じステイタスを目指して食い合ったり、  同じ対象へ向かう相手の足を引っ張り合って競うものだけ、とは限りません。  例えば、こんな素晴らしいライバル関係もあるのです。  どれだけ、人を愛せたか、というライバル関係。  それは、同じ人間に向かって愛を競うものではなく、  「各々の周りの人々に向けて、どれだけ愛することが出来るか」を競うのです。  一人で密かに誰かをライバル視してもいい。  誰もが、こんなライバル関係になったら、いいですよね。                                     一輝 116/116 GCG01101 アマデウス 激情の澳火 (15) 93/03/20 22:05  こんにちは。 この部屋では初めて書き込みさせていただきます。  少し前に「勇気」についての話がありましたね。 (OZ弐さんは最近ARION部屋で忙しいようですが) あのときの話と、松川塾長の開塾の辞(情念の編)を重ね合わせて、思い出す話が あります。今さらアップするのも気恥ずかしいものがありますが、最近みなさん他の 部屋で盛り上がっていてこの部屋が静かなので、ひとつ書いてみましょう。  高校2年生になりたてのある日のことでした。 物理の時間に練習問題が出されました。まだ習いはじめで、皆物理的思考方法に慣れ ていない時期で、大半の者は解けない、というより最初から解こうという意志がない ような状態でした。 私は当時素直で正直だったので(^^;)、一生懸命考えて悪戦苦闘の末に、回りくどい 方法で何とか答をひねり出すことが出来ました。その時の先生は、生徒同士で議論さ せる方針の人だったので、解くのをあきらめていた友人Aに私の解き方の筋道を説明 したのですが、彼はなかなか理解できません。 その時、そのやりとりを見ていた、物理にかけては素晴らしいセンスを持つ別の友人 Bが、「そんなややこしいことをしなくても、こうやればすぐに答が出る。」と言っ て、スマートな手法でいとも鮮やかに解いてみせたのです。Aは、Bの解き方も理解 できなかったのですが、あろうことか「こんなに簡単に出来るのにわざわざ回りくど いことしやがって」と私を馬鹿にし始めたのです。 Bが私を馬鹿にするのなら許せる。しかし、最初から問題に取り組もうともしなかっ た奴に馬鹿にされるのは断じて許せない。そう思った私はAと喧嘩になってしまいま した。「文句を言うんだったら、自分なりの答を自力で出してみてからにしろ!」  これだけの話です。 他愛ない話ですが、このことを思い出すにつけ、「馬鹿にする奴を、誇りを持って はね返すことが出来るほど、今の自分はものごとに真剣に当たっているだろうか? やるべきことにチャレンジしているだろうか?」と反省させられます。  開塾の辞(情念の編)の、    「その時はみごとにこの腹かっさばいてみせよう」 には目眩がしました。「酔っぱらわないように」との松川塾長の注意がありました が、てきめんに酔っぱらってしまいましたよ。  私は今、「やらなければいけないが、やるには非常に勇気がいること」に直面して います。正直言って、面倒臭い・逃げ出したい・やりたくない。 >> たとえ、ある人がこの部屋で一言も発言しなかったとしても、その人がこの部屋 >> からある種の力を得、それを持ってこの部屋から出ていくことができさえすれば >> それでよいと考えております。                         開塾の辞(情念の編)より  今後の展開に期待しています。       何だか開塾の辞へのコメントみたいになってしまった...  アマデウス - FARION MES(16):★アリオン世紀末書込み寺(退避所)---<1.5> 93/03/21 - 001/003 GBG00331 涌井 幸康    始めましての挨拶に代えて (16) 93/03/20 21:31 はじめまして。 って かいても会議室はすぐ変わっちゃうのですね。:-) 主観、的会話が続いているところを、客観的な 感想を述べさせて 頂きますと、、、 (^_-;)  人の振り見て我が振り直せ、 って いう言葉がやたらと頭に響いてます、最近。 始めまして 涌井 です。 ROMモードに 戻ります。(^^;) 002/003 GCC01413 HVHY #952へのRES (16) 93/03/20 22:13  >> OZ弐 さん  ちょっとお尋ねしたいのですが、  あなたは会話する時に、   「相手に自分の思いを理解して欲しい」とか、   「相手の思いを知りたい・理解したい」とか、  そういうことを思って会話しているのではないのですか?  あなたは「会話」しながら「会話」することを拒否しています。  なぜ、あなたが“そう”なのか、私には解りませんが…。  |個人的問題につっこんできて、  |意味不明な答えが返ってくるのは決して変なことではありませんよ。  |そんなことに戸惑っていては、  |アリオン・カウンセラーは失格ですね(これは冗談)  意味不明とは一度も言ってません。戸惑ってもおりません。  ついでに、私はアリオン・カウンセラーではありません。  「皮肉屋」であることを直したい…と言っておきながら、  未だに「皮肉」を“連発”するのは何故ですか?  |あなたは人の心の低部をさぐろうとしたわけですから、  |(そしてぼくはそれに馬鹿正直に答えましたが・・)  |最後には「個人的信念」にぶつかって当然ではありませんか。  それは違いますね…。  OZ弐さんは、私との会話の中で、  「最初から話したかったこと」を“効率良く”話しただけです。  OZ弐さんは、最初から、自分の「個人的信念」をここで話したかったのですよ。  もし、そうでないならば、今からでも遅くないので、  「個人的信念」の話は止めて頂けませんか?  そんな話は少しも聞きたいとは思いませんので…。  それより、OZ弐さんの恋愛経験とか女性観について、是非伺いたいですね。  因みに、あなたの「個人的信念」に対する“私の意見”は、既に述べてあります。  (※但し、その部分に対するあなたのコメントはありませんでしたが…)  |あなたは何を期待していたのですか?  何も特別には期待していません。  ただ、「会話」を望んでいるだけです。  以上は本題ではありませんので、RES不要です。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  |あなたはぼくの至誠がなんたるかを  |いかなる心理テストを駆使しても、  |永遠に知ることはできません。  私の書き込みが“心理テスト”の状を呈してきたとしても、  それが“私の趣味”ではないことぐらい、お解りになりませんか?  質問に答えられなくなると、膨大な「言い訳」を延々と書きなぐる…。  それがあなたの「至誠」の表現なのですね。  このこと自体が“あなたの「至誠」がどの程度のものか?”  を既に証しているではありませんか。  |スマルさんの言葉に含められた「幸せ」の質は、  |ぼくには「空虚」だと感じました。  何故、突然“振り出し”に戻ってしまうのでしょう。  あなたが「空虚」だと感じたことを私はそもそも否定していません。  “本当に「空虚」がどうか?”という再考の機会を提供してきただけです。  そのために丁寧な説明を重ねたつもりでしたが、  あなたには全く解って頂けなかったようですね。  私が「YES/NO」を回答肢として最後に提示した問題は、  「YES/NO」で答えられるように作ってあります。  あなたは答えられなくなって逃げただけです。  素直になったらどうですか?  仕方がありませんので、  「あなただけの幸せ」という表現の意味合いについて、  私の言葉で補足させて頂きます。  「あなただけの幸せ」という表現には、 >>> 一般論として語られる「幸せ」はあなたにとって全く意味がない。 >>> あなたが本当に望むことに正直に従っていくこと…。 >>> これ以外のどんなことも、あなたにとっての「幸せ」では有り得ない。 >>> 「幸せ」の“在り方”は、生きている人間の数だけある。 >>> 従って、一般化された「幸せ」は、全くもって“空虚”である。  という意味合いが込められているのです。  さて、ここで述べたことは、  あなたが言う“「至誠」に従う”ということと同じですね?  それとも、全然違うことなのですか?  あなたは言葉遣いに拘るあまり、  相手が実は自分と近いことを言っていることに全く気付かなかった。  或いは、「違い」ばかりに気を取られて、  「接点」を見出だす努力を全くしなかった。  …そのように私は思います。  OZ弐さんは、「会話」というスタイルを取りながら、  実は「自説を延々と吹聴している」だけなのです。  そういった点を指して、ひらがなさんは「お○○ー野郎」と言ったのです。  そういうことが解らなければ、  あなたがご自分で「既に自分を見ている」と言ったところで、  「自分を見ている」ことにはならないのです。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  あなたは「何か」を避けています。  そして、あなたが主として今やっていることは、  「何か」を避けるための“頭脳上”の高等戦略に基づいています。  例え、戦略の展開が「身体修養」を中心とした事柄であったとしても…。  あなたはきっと「避けていない」と言うでしょう。  しかし、あなたが“そう”言い続けているうちは、  あなたは自分を何ひとつ見ていない…と言わざるを得ません。  あなたは何も避けていないのか?  それとも、「何か」を避けているのか?  避けているとすれば、「何を」避けているのか?  ゆっくり考えてみて下さい…。                                 HVHY 003/003 GCC01413 HVHY #954へのRES (16) 93/03/20 23:50  >> OZ弐 さん  こちらにもコメントします。  |あなたが使っている「至誠」という言葉は「虚」だ。  |実質が伴っていない。  ??? 面白いことを言いますね〜。  私はあなたとの会話をスムーズにするためにこそ、  「至誠」という言葉を使っているのです。  ハッキリ言って“きょとん”としてしまいました…。  |キリストが説く「愛」には実質が伴っている。  |キリスト信者が使っている「愛」という言葉には、  |実質が伴っていない。即ち「虚」だ。  あなたの言うことは段々エスカレートしてますよ。  キリスト教信者の何人の方と会ったことがお有りですか?  あなたは自分がキリストの説く「愛」を理解しているとでもお思いなのですか?  そんな“恥曝し”な書き込みがよくも出来ますね。 全く恐れ入ります…。  「でもぼくにはまだ「愛」が理解できていないけどね」などと言うのなら、  なぜ、このような書き込みが出来るのですか?  |敏感な人にはこの違いが分かるはずだ。  へ? いったい、だれが“敏感”なのですか?  私には、あなたが“鈍感”に見えますよ。  どこが“鈍感”なのか説明致しましょうか?                                  HVHY