- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/03/23 - 770/780 GBA01276 しまうま 覚悟 ( 2) 93/03/23 07:19 コメント数:1 :しまうまさんが覚悟して選ぶ道ならば、何が起きても受け入れられる?  受け入れるということが、すべてに「それでいいよ」と微笑んでうなずくことな ら、僕はしない。  正面に対峙し、自分を殺さず、思いを至らせ、もしこの胸を貫いても抱くこと。 抱きつづけること。  この道を引き返さない。 771/780 GBG02043 維/YUI 今日(3/23)のメッセージに ( 2) 93/03/23 10:15 >>維/YUIさんが覚悟して選ぶ道ならば、何が起きても受け入れられる? 覚悟して選んだこと。 本心で選んだこと。 自分の心に問うて、恥でないならそれが自分の道・・・ではないの?? 何かが起きてしまうことを恐れて、心の求めるものをまげてしまうなら、 何度繰り返しても、そこからは抜け出せない。 私が数年前に望んだこと、もう同じサークルを巡りたくないと・・。 望んでもできてなかったこと、又できないかも知れないけれど、 それでもあきらめない。 間違うことも戸惑うことも止めたくなることもあるけど、 それでもあきらめない。 同じ道はあるきたくない。 負けてしまうこともあるかも知れないけれど、それでも。  何で生きるのかって・・・ずっと問い掛けてきた。  言葉にならないけれど、少しづつわかってきた。 それを求めることが、いけないというのなら、なんの為の生命だろう。 何が起きても・・・ね。 じゃあ、覚悟ができないまま歩く道では何も起きないの? ってこと(笑)。 何が起きようと本当に自分で選んだのなら、納得がいくはず。 私は、私の望む道を選びます。   維/YUI。 774/780 HFD01432 MAKO ハローメッセージに ( 2) 93/03/23 14:42 |MAKOさんが覚悟して選ぶ道ならば、何が起きても受け入れられる?  今まで自分で道を選ぶなんて怖くて出来なかった。  誰かが手を引っ張ってくれること、誰かが背中を押してくれることを待っているだけ  だった。  子供の時から何でも大人がお膳立てしてくれた。  母親の庇護の元、結婚した瞬間から配偶者の庇護の元何も考えず生活していた毎日。  「○○だから仕方ないじゃない」と言い訳しながら過ごしていた毎日。  結婚して9年目、初めて自分で生きる道を選択した。  初めて配偶者と本音を話した。  受け入れられるかどうか解らないけれど、正面から受け止める覚悟は出来ている。  私は強くはないけれど、私を支えてくれる強い愛があるから。  その愛を私に注いでくれる人の為に、決して逃げ出さない。 シングルアゲイン ::HFD01432 まこ 775/780 SDI00635 みれ RE:覚悟 ( 2) 93/03/23 16:03 770へのコメント  #770 しまうま さん  | 受け入れるということが、すべてに「それでいいよ」と微笑んでうなずくこと   なら、ボクはしない。  そうね、あたしもそういうことはしないと思います。  自ら覚悟して道を選ぶってことは…その先に何が起きようとも逃げ出さな いで、真正面から受け止めて対処を考える…これが覚悟して選ぶ、というこ とだとあたしは考えています。  だから、何か起きた時に「あの時、○○さんがこう言ったから…」とか、 「××さんがこうしろと言ったのに…」とかって考えは、万が一にも過らな い…ってことだと思っています。  人の人生って引き返せない…でも、自分にとってマズイ事が起きた時に、 後ろを振り返って他人のせいにしてなじったりする人も、珠に居るのよね。 (あ、しまうまくんがそういう事をした、と言ってる訳ではないのよ(笑))  他人が何か言ったとしても、その時点でその考え方を自分が取り入れて、 自分の意見として行動している、という事実を見ようとしない人が他人のせ いにしたがるのかも知れないね。でもさ、これって何だか変よねぇ…他人の せいでマズイ事が起きたと思うことって、つまり、そういう事が起きた責任 は自分に無いと言っている訳だよね?  自分の人生上で起きたことに関して、自分にとって都合の悪い事は他人の 責任にして、都合の良いことは自分の努力の結果だと思う…みたいな傾向っ て、もし自分の中にあったとしたら、徹底して排除してゆきたいって、あた しは思ってます。だって、これはとっても恥ずかしいことだと思うもの。 (※注※ 一部RTでの冗談は除く(笑))  自分の人生、何が起きても自分が選んだ結果として受け止め、一所懸命に 対処しようとする努力を惜しまないこと、その努力の結果がどうあれ、それ は自らの手で描いたものである、とシッカリ受け入れ見つめ、そこに生じた ことに対して責任を持つこと…これが自信をもって生きてゆくということに 繋がる、と思ってます(^_^)  しまうまくんにRES付けてるうちに、自分の言いたいことだけ言ってる みたいになってしまった(-_-;)…スンマヘン……オゲンキデスカ?…ナンテネ(^^;) ・:*:・みれ・:・。,★ 778/780 PBA02422 さはし 西遊記 ( 2) 93/03/23 21:08 766へのコメント 西遊記の三蔵法師というと、ドラマ化、映画化されると、大抵、とてもキレイな 少し色気のある役柄のことが多いですね。(夏目雅子さんり三蔵法師、よかった なぁ(;_;)) 本当は、まだ未開だった辺境を通って中国とインドを往復するくらいなんだから そうとう頑丈な人だったんではないかと思うんですけど、どうだったんでしょう ねぇ…。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/03/23 - 577/582 GCC03437 星也 生と死 ( 6) 93/03/22 23:06 明日 世界が滅びるとしても、(世界の事をほっておいて) 今 目の前で死にかけている生命を救いたい、と 思う事は、 刹那的なんだろうか? この手で、誰かを救えるなんて大それた事は出来ないと、 心のなかではわかっている。 でも、ほんの少しの何かなら出来るかも知れない。 その「ほんの少し」でその生命はこちら側に戻ってこれるかも知れない。 そういうふうに思う事は、傲慢なんだろうか? もしかしたら、そのまま逝かせてしまった方が、いいのかもしれない? そうすれば、明日世界が終わるところを見ずに終われる? そうかもしれない。 それでも。 たとえ、今、戻ってきても明日には別の理由で(世界が続いていても) 終わるかも知れない、生命だとわかっていても。 目に見える「形」としての生命にこだわっていると、 いわれるかも知れなくても。 その形として存在できるのは、やっぱり今しかないのだから。 あるいは、還ってこれる人は元からそういう定めにあったかもしれなくても。 生きるために、この世界に生まれてきたのだ、と、信じていたい。 ・・・・・・・・ BGM ブルーハーツ 終わらない歌を歌おう                                星也 578/582 HGC02325 ガッチャ Eddieさんへ ( 6) 93/03/23 01:37 コメント数:1  日々感じた事を書き込まれているのですね。  ここでは、Eddie さんの書き込みに合わせた、自分の場合の事を書きたいと思いま  す。  --------------------------------------------------------------------------  ジブンハダレダロウ?  つい1か月前に私もこのように考える事がありました。  自分はなんの為に生きているのか?そしてここにアクセスしているのか?  書き込みをする事にどういう意味があるんだろうか?  私もこの様に思っていた事があります。  昨日の(いや今日も)ハローメッセージの言葉  「★何気ない言葉の端々に、思いやりや優しさって見えるね…**さん」  ある日、この事に気が付いたのです。  「思いやりや優しさ」がある事に気付いたのです。  (もちろん、ただの思い込みかも知れません...)  --------------------------------------------------------------------------  実際に動く事と自分を見る事のどちらが重要か?  どちらも重要で甲乙付ける事なんてできないと思う。  むしろ実際に動く事が自分を見る事であると思う。  書き込みをするのは何の為でしょう?  私にも解りません。  ただ、自然にRESを書いているのです。  他の人の書き込みを読むと、何か言いたくなって、最初はメモ程度の事をエディタ  で書いてしまう、そしてRESの完成です。  ここまで書いてアップしないのも変だから、会議室にアクセスして「COMP」する。  最近はこんな状態です。  いたずらに言葉で遊んではいません。  言葉遊びは苦手です。  こんなふうに書くと気を悪くしているようですが、そんな事は全くありません。  私も少し前は Eddieさんのように思っていましたからね(^^)  書き込みをする事も、実際に動く事なのかもしれません。  皆、会話がしたくて書き込みをしているのかもしれません。  --------------------------------------------------------------------------  勇気とはなんだろう?  私にはまだ解らない。  「勇気」とは「信じる」という事の表現である。  なんとなくこんな事であるような気がする。  けれど、頭だけで解っていてもしょうがない。  心で解らなければ。  --------------------------------------------------------------------------  私の祖父は、父が小さい頃亡くなった(おそらく4歳くらいの頃だと思う)。  父は父という存在がどういう存在であるか、知らずに育ったと思う。  私は父がどいう人であるか、理解出来なかった。今でも良くは解らない。  私が小さい頃はやさしかったように思う。  飲んで周りを不快にさせるような事はするまい、と小学生が心に誓うような状態だ  った。(身内の恥になるので詳しい事は言えないが、星一徹状態も何度かあった)  そのせいかどうかわからないけど、私も寂しがり屋です。  でも、やさしさには弱くないみたいです。  (ここらへんが冷血のなせる技かな(^^;))  --------------------------------------------------------------------------  YESの愛はどのような愛と思います?                              ガッチャ 579/582 PFA03317 Eddie RE:Eddieさんへ ( 6) 93/03/23 03:28 578へのコメント  がっちゃさんへ  私の言葉にRESをつけてくださって嬉しく思います。  自分の言葉で語られているのが、すばらしいと思います。  どんな問にも、唯一の正解はありません。  何をいっても自分が(あなたが)そう言うから、そうなんです。  あなたは、その自分の言葉に本当の意味で責任が取れますか?  (批判ではなく、ただ、答える義務のない問)  私がいいたかったのはかっこ付きの「自分をみる」こと、とただ自分を  みることの違いです。  さて、あなたは、どんな「かっこ」をつけていますか?  (かっこはすでに付いています。その批判でなく、ただ、問です)  「頭でわかる」「心でわかる」っていうのも「言葉」だね。  本当は、頭も心もないかもよ。    >「勇気」とは「信じる」という事の表現である。  自分の言葉に生きて下さい。 ねっ。  -------------------------------------  いろいろ書き初めたのは、ある人を好きになったからです。  半分詩のようなつもりで書いています、他に適当な場所がなかったんで、  ここに書きました。    どんな自分も自分であることに責任を取りたかったからです。  私のコミットは、彼女との信頼関係です。  また、書きます。  失礼があったら失礼                            Eddie  ps  最初の「いったいなんのためにここにいるのか。」の「ここ」はFARION  のことでなくて、この生きている環境すべてのこと、自分の在り方のこ  とね。 580/582 GBG02755 スマル ハローメッセージより ( 6) 93/03/23 11:39 >>スマルさんが覚悟して選ぶ道ならば、何が起きても受け入れられる? 覚悟出来ない。 選べない。 でも、起きたことは、受け入れる? つもり。 ただ、心のままに。                       スマル 581/582 SDI00635 みれ このごろのこと ( 6) 93/03/23 16:13  このごろ少し心が疲れてしまうようなことがあって…  外にはお日様の暖かさが溢れているのに、  胸が重いって感じだったの(-_-;)  人との繋がりって…特に、きょうだいって何なんだろう?  って思わずため息が出てしまうほどに、  意志疎通が困難で…あ、愚痴言ってら>あたし(笑)  響かないというより、相手の言葉に響くと自分が損する、と  思い込んで頑なになってしまう相手を見ていると、  何だか無性に悲しくなってしまって、  この頃、書き込みも減ってしまっていたけれど。  ええいっ!!  あたしは一所懸命に生きるんだいっっ★  ・・・と思い直して(笑)壁にごあいさつに来たのさっ!  をーをー、こんなにゴミ撒いてどうするんだ(笑)>あたし            かなり元気になってきた☆みれ・:・。,☆ 582/582 GBG02755 スマル 死んでも、生きても同じなら、生きてみよう ( 6) 93/03/23 17:30 死んだ方が楽だっておもえる時があるよね。 でも、死んでも本当に楽になるとは思えない。 生きていたいって思うこともあるけど、 生きていることは本当に辛いことが多いものだ。 生かされている。 そう素直に思えたら、たぶん、幸せなんだと思う。 けど、生きていたくないよ。 なのに、生きていることは、どうしてなんだろう。 死のうと思って、手首に刃物を当てたとき、 笑い出してしまった。 何がおかしかったのでしょう。 でも、それからだ、私は死なない人なんだとわかったのは。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/03/23 - 008/013 HGE03563 OZ弐 RE:#952へのRES ( 7) 93/03/23 19:05 003へのコメント コメント数:1 こんにちは、HVHYさん。 > 私の書き込みが“心理テスト”の状を呈してきたとしても、 > それが“私の趣味”ではないことぐらい、お解りになりませんか? > 質問に答えられなくなると、膨大な「言い訳」を延々と書きなぐる…。 > それがあなたの「至誠」の表現なのですね。 > このこと自体が“あなたの「至誠」がどの程度のものか?” > を既に証しているではありませんか。 ぼくは、即興でこの会議室へのレスを書きなぐって、 で、後から理由を考えています。 ぼくにとって、言い訳とは、「後からついてくるもの」なんです。 ぼくが、自分が非かな?と感じたら、その非を認め、 非でないと感じたら、何故かその言い訳を考えます。 「至誠」に関しては、 イマ、その「至誠」は自分が欲しいと感じていて、 求めているところです。ですからぼくの「至誠」はたいしたものじゃございません。 > >>> 従って、一般化された「幸せ」は、全くもって“空虚”である。 >  という意味合いが込められているのです。 > > さて、ここで述べたことは、 > あなたが言う“「至誠」に従う”ということと同じですね? > それとも、全然違うことなのですか? > あなたは言葉遣いに拘るあまり、 > 相手が実は自分と近いことを言っていることに全く気付かなかった。 > 或いは、「違い」ばかりに気を取られて、 > 「接点」を見出だす努力を全くしなかった。 > …そのように私は思います。 そうですか。そうですね。 ぼくはあまり他人の言っていることに理解力が働きません。 悪いと思っています。 > OZ弐さんは、「会話」というスタイルを取りながら、 > 実は「自説を延々と吹聴している」だけなのです。 > そういった点を指して、ひらがなさんは「お○○ー野郎」と言ったのです。 > そういうことが解らなければ、 > あなたがご自分で「既に自分を見ている」と言ったところで、 > 「自分を見ている」ことにはならないのです。 そうかもしれません。 自分を見ているところもあれば、自分を見ていないところもあると、 思います。 「自説を延々と吹聴している」ですか。上手いですね。 ぼくは自分に自己宣伝癖があることを知っています。 でも、「お○○ー野郎」といわれるのは心外だなぁ。 だってみんなも五十歩百歩じゃん。 あちこちに書かれているみんなの書き込みをみればね。 > あなたは「何か」を避けています。 > そして、あなたが主として今やっていることは、 > 「何か」を避けるための“頭脳上”の高等戦略に基づいています。 > 例え、戦略の展開が「身体修養」を中心とした事柄であったとしても…。 そうかもしれません。 さて、なんでしょう?知りたいです。 自分自信を侵害されるのを恐れているのかもしれません。 あと、誤解されたくないという気持ち。 話は変わりますが、あなたがぼくのことに興味を持ってきた原因・理由は、 何でしょう? スマルさんたちへの「助け船」が動機だったようにみえました。 いつのまにか、スマルさんの発した「あなただけの幸せ観」が、 HVHYさんの「あなただけの幸せ観」になってしまって、 戸惑ってしまいました。 ぼくからは、常連さんたちの固い結束がそこに感じとれます。 その中でぼくは新顔、一人エイリアンを演じています。 009/013 HGE03563 OZ弐 RE:れす ( 7) 93/03/23 19:06 005へのコメント こんちは、ひらがなさん。 >臆病な自分で満足できているの? >それが、本当の貴方なの? >相手に臆病者だなんて思われてていいの? ハイそーでーっす。 いいでーっす。 人によって、勇気の現れ方、臆病な面の現れ方が違ってもいいと思います。 >本音を吐ける友達はいますか? >ぼくは、正直言って、数少ないです。 >でも、多ければいいなぁ・・と思って勇気を出してやってます。 >したら、友達は増えて言っています。 >なれ合いではなく、本音の言い合える友達がね。 > >僕は、貴方も勇気ある人であると信じています。 ぼくも本音を言える友人は欲しいと思っています。 友人は少ないです。 でもぼくからみたそーゆう理想の友人って限り無くクールな性格で、 わかれがくるとアッサリとわかれてしまいます。 個人的情を介入させない性格の人には、 ぼくはなんでも話せてしまいます。 010/013 HGE03563 OZ弐 RE:MES(7)#998OZ弐さんへ ( 7) 93/03/23 19:06 006へのコメント ガッチャさんこんにちは。 > 「オイラは何言われても根に持たないからさ、オイラが何言っても根に持たないで > よ!そうでないとオイラはムカつくからさ!」=「みんな自分にあわせてくれよ! > 」と言っているように感じますけど? こういう事が言いたいのですか? ちゃいますよ。 根にもつことも自由。 ただ、そうゆう輩は煩わしいので、自分から近づきません。 君子危うきになんとやら・・ってありますよね。 べつに気を使って合わせてもらわなくてもいいんです。 合わせなくてはならないときは、ぼくから合わせてあげますよ。(気が向いたら) > A氏とB氏が会議室(あるいはRT)で話をしていて、A氏が無意識に発言した言 > 葉をB氏がひどい事を言われたと感じたら、B氏はその事をA氏に表現しないと、 > A氏は気がつきませんよね。 > B氏は、怒りをストレートに表現する事を「大人げない事、みっともない事」と思 > っていて表現しなかった。そして、怒りを感じている自分を見つめない、怒りを忘 > れるようにする。   その、「ひどいこと」というのが、ぼくには想像つかないのですが・・・。 「怒り」なんて、日常で生活していてもそうそう感じないものでして・・・。 B氏は脅迫観念にとらわれているということですね。 それではB氏のお体に悪いと思います。 あなたのいわれるように、 「怒り」にとらわれているひとは、その「怒り」がどこからきているか、 第三者の目でみる必要があると思います。 じゃ、もともと怒らないひとは、どうすんでしょ? ぼくは、そーいう人を想定して前の発言を書きました。 > もし、あなたの書き込みにRESを付けた人全てに愛されているとしたら、どうや > ってそれを、返しますか? 作為しないでRES返すのが良いんじゃないかしら。 難しいのでよく分かりません。 011/013 QFG02515 めるく OZ弐さんへ、「自由」 ( 7) 93/03/23 21:01 こんにちは、OZ弐さん。 だいぶ遅れてしまいましたけど、#991へRESします。 >>>「強者」とか「王者」とかいうような状態になりたいのでしょうか? >> >>そーでーす。 実は私もなりたいですぅ。 私にとって、私という存在はまだまだ未知数なので、 これから少しずつ、自分の力を見極めていきたいなぁと思っています。 ひょっとしたら、たいした力は無いかもしれないけど、 もしかしたら、スゴイ力を発揮できるように、なるかもしれないからね。 なにしろ未知数だから。 せっかく生まれて来て、宝の持ち腐れのまま死ぬってのも、もったいないからね。 >>でも、理想を高くしようが低くしようが個人の自由だと思います。 >>「いやしくも向上の志を抱く者は真理と共にあり。」 >>の精神でいきたいと思ってます。 やるときはやる。やらないときはやらない。 個人の自由だとか、そんなの関係ないじゃん。 なにを根拠に個人の自由だなんて言うの? それが個人の自由かどうかなんて、私には分からないです。 生まれてきちゃったんだから、あとは死ぬまでは生きていくしかない。 そして、せっかく生きているんだから、そのイノチを活かさなくちゃもったいない。 それは活かすことができるから。 だから「生きていこう」って思えるんです。 誰でも、心のどこかで、そんなふうに思ってるような気がします。 それは「向上の志を抱く」ってことなのかもしれないけど、 「個人の自由だ」ってのはなんか変な気がします。 自由って何でしょうか? 生まれてから死ぬまでの期間を「人生」と呼ぶわけですが、 私達はもう生まれて来ちゃったのだから、 私達にとって「人生」とは不可避のものですよね? たとえ今すぐに自殺したとしても、 短くなるかもしれないけど「人生」は存在していたのです。 自由だ何だと言ってはみても、しょせん篭の中の鳥。 逃げられはしないのです。 存在は不可避です。 でも、私達のために与えられた篭は、けっこう広い。 やれることは色々ある。 自由も不自由も無い。 やるかやらないか、それだけ。 もしかしたら、「自由」というのは「成功」のことかもしれない。 >>アレがぼくの能力の限界です。(^_^;) >>なかなか人の心の中を察するのは難しいものですね。 >>あなたが言うように人をみる観察力を身につけたいものです。 私ももっと身につけたいです。 でも「限界」ってことは、ないんじゃない? 向上を望むなら、自分のポテンシャルを信じなくちゃ。 「限界だぁ〜」なんて思ってると、 出来るものも出来なくなっちゃうような気がします。 過大評価も良くないけど、過小評価も良くないんじゃない? それとも、 「限界なんだからしかたない。だから私は悪くない。出来ないものは出来ない。  そりゃ出来た方が良いだろうけど、出来なくたって私のせいじゃない。なにせ、  限界なんだから。もんくあっか?」 ってな、言い訳でしょうか? でも、わざわざ言い訳するほどのことでもないかな。 まあ、なんにせよ、頑張る気があるのなら、頑張って下さい。 >>>「心の軽さ」と「心の軽さ」が共鳴して、ほほえみの音が鳴るんです。 >>>それは軽くて、快い音です。 >>> >>>この説明で分かるでしょうか? >> >>全然わかんな〜〜い。(^_^;) まぁねぇ なんていうかねぇ 「悪くは思わなかった」っていうのはねぇ 大雑把に言えばねぇ 「悪いというよりは良く思った」ってことじゃないかなぁ まぁ どちらかといえばってことだけどさ まぁ あいつらも軽いやつらだからさぁ 私はさぁ 軽いノリってけっこう好きなのよ 言った言葉が何であったとしてもね ノリってあるでしょ う〜ん 「言葉」に注目するか 言葉を言った「人」に注目するかのちがいかな >>ここの部分も、ぼくにはよく理解出来ませんでした。 もっと勉強して出直してきますぅ。(マジで) でも、とりあえず解説を試みます。 私の言いたかったことは、簡単に言うと、  勘にさわったり、むかっときたりするというのは、  「相手に対して」あるいは「「相手の言葉や態度に対して」であって、  自分に対して勘にさわったのではないから、  >>自分自身に内在する悪いところを改善するための発奮、  ってのは、違うんじゃなかろうか。  むかっときた、勘にさわった、ってこと自体が、  もうすでに、謙虚に受け入れることが出来なかったということであり、  ことの本質は、  「嫌だ嫌だ、聞きたくなかった」  ってだけのことではないのか? ってなことです。 う〜ん、 簡単になったかどうか、自信がないけど。 >>改善の必要性を感じるか否かも、その人の自由だと思います。 う〜ん。 自由だからなんだって言うの? なぜ、そんなことでいちいち自由を主張するの? ミもフタもない聞き返し方かもしれないけど、 ほんとに分からんのです、私。 ということで、また。                          め  る  く より 012/013 QFG02515 めるく 海江田さんへ(#986へのRES) ( 7) 93/03/23 21:03 こんにちは、SHANA 改めの めるく です。 返事が遅れてしまい、申し訳ありません。 マイヤー氏の書籍を読みたいとのこと、嬉しく思います。 マイヤー氏の書籍は書店売りではないので、 購入方法については後程メールでお知らせしたいと思いますが、 徳間書店のTOKUMA BOOKSから、              バイブル 「宇宙人がくれた21世紀の聖書」 大高良哉・著 という、マイヤー氏に関する本も出ていますので、まだ読んでいないのでしたら、 こちらの方も読んでみてはいかがでしょうか。 情報的な面では、たぶんミスか何かで、マイヤー氏の本とはいくつかくい違いがある ようですが、いちおうマイヤー氏の本の日本語版を出しているグループの人が書いて いるので、読む価値はあると思います。 ちなみにこの本(21世紀の聖書)は、以前韓国でも出版され、ベストセラーになっ たそうです。(でも、その後出版した本は売れず、その出版社は倒産したらしいです) さらにマイヤー氏の書籍の日本語訳を読んでみたいというのであれば、 連絡先をお教えするのは構いませんが、 そのまえに、できれば、「なぜ読みたいのか?」など話してくれると嬉しいです。 一応その本に関する連絡先は、たぶん個人情報でもあるので、 全然知らない人にそれを話すのは、少し気が引けるのです。 (商業目的のグループではない。もちろん本はタダではないが) もちろん、メールでも構いません。 そうそう、 ところで、私が書いた#768での「セムヤーゼ」シリーズについての書き込みは、 少々茶化した感じで書きましたが、 ドイツ語からの逐語訳ということもあって、 本物はもっとずっと、かたい感じの本です。 嘘を書いたわけではありませんが、受ける印象は少し違うかもしれません。 買ってみてから、「何だこりゃ、ハナシが違うじゃないか、だまされた」 ってことになっても私は責任はもてませんので、 一応そのつもりでいて下さい。 「宇宙人がくれた21世紀の聖書」を読めば、 だいたいどんなもんか、分かると思います。 「セムヤーゼ」シリーズからの抜粋も載ってますし。 ということで、返事待ってます。                            め  る  く 013/013 GBG02755 スマル OZ弐さんへ ( 7) 93/03/23 22:23 008へのコメント お久しぶりです。あなたへのRESを途中で諦めてしまってごめんなさい。。 少しだけ、あなたに話したくなりましたので。 私へのRESは不要です。読んでくださればそれで充分です。 >>いつのまにか、スマルさんの発した「あなただけの幸せ観」が、 >>HVHYさんの「あなただけの幸せ観」になってしまって、 >>戸惑ってしまいました。 >>ぼくからは、常連さんたちの固い結束がそこに感じとれます。 >>その中でぼくは新顔、一人エイリアンを演じています。 私の言う、「あなただけの幸せ」とHVHYさん、それからたまごさん、 ひらがなさん、ガッチャさんの言っていることは、すべて同じことなのです。 今は私も常連ですが、私がここに至るまでには、今のあなたのように、 みんなからいっぱいRESをもらって、誰も私を理解してくれないと、 一人で泣いていたものです。(あなたが泣いているとは思っていないけれど。) で、私は、HVHYさんに辛いところをつつかれて、もう厭だから、RES 出来ないって、断ったこともあるんですよ。 今ではとても素敵な思い出になりましたけれど。 だから私はあなたにRESしてくる人がどんなにあなたを好きなのかわかるの。 あなたの悩みや、思い込みをどうしたら軽く出来るのか、真剣に一緒になって 考えてくれている。 結束は堅いかもしれない。だって同じように一緒に悩んでくれた仲間ですもの。 でもね、間違ったことを言えば、常連だろうがきつい言葉はやっぱり飛んで きます。常連だから余計にきつかったりするんだ。それにこんなに親切じゃ ないぞよ。 新顔も、常連もないんだよ。ここを訪れてくれた人は、その瞬間に仲間だもの。 こんなにきついことを真剣に書いてもらった経験ありますか? あなたもRESを返していれば気付くだろうけれど、すごい時間かけて、 言葉をあなたのために吐いているんだ。 そこには、あなたを傷つけようとか、常連だから片棒かつごうとかそんなこと 考える暇なんてないよ。 裏とか、作為とか、ないと信じてほしい。 あなたを傷つける人はいない。 私をやさしいと松川さんの会議室で話してくださったこと、今も変らなかったら、 私を信じて下さいませんか? あなたを仲間だと思った私を、信じて欲しいな。 あなたは本当に一生懸命RES返して下さいます。 その努力だけでもあなたは素敵です。 それに、あなたはとても正直だと思います。 だからこそ、あなたに今も言葉を続けています。 私は、匙を投げてしまったけれど、他の人は信じて欲しい。 私は、言葉にならないけど、あなたを今もみつめ続けています。 たぶん、ここに書かなかった人にも、あなたへ愛を感じている人は いっぱいいるはずです。どうぞ、素直に、ありのまま、受けとってください。 ここでの会話があなたに届かなくても、人間関係がどんなものか、 不思議な空間での体験があなたにいずれ役立つ日が来ると信じています。                 生意気言ってすみません。   スマル - FARION MES( 8):★香貫花mam の愛と自由で一晩中!----<01> 93/03/23 - 610/610 SDI00635 みれ RE:質問のようなもの。 ( 8) 93/03/23 16:03 604へのコメント  #604 HVHY さん  ええと…ここは部屋違いなので(^^;) ARIONからの伝言をお伝えしま すね(ARIONは、HVHYさんの部屋と自分の部屋以外では、現状に於 いては自分のIDで発言しないつもりだそうですので(^^;))  『INCEST・TABOO(インセスト・タブー)=近親相姦について   私を審神しようと思うことは構わないのだが、   このインセスト・タブーについての考え方をもって審神しようとする試みには賛成しかねる。  何故ならば、この問題は公の場で語り得る問題ではないからだ。   人間一人一人の感受性や読解力、更に認識能力も異なる公の場で、   人間界での掟について神霊界の掟を説明する訳にはゆかない。   ただ、これだけは言っておこう。   人間界でのインセスト・タブーの掟が、そのまま神霊界に当てはまる訳ではない…と。                       −−−ARION,O∴O−−−』 - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 93/03/23 - 112/112 JBE01051 言 RE:アザゼル論を読んで(約200行) ( 9) 93/03/23 21:57 111へのコメント 岡さんへ  アザゼル論を読んでいただきまして、ありがとうございました。  一面で、楽しんでもらえ、興味ももっていただけたことを伺えましてうれしく 思いました。他面、厳しく評価していただけたことも、それもまた感謝しており ます。  さて、私には、常に、結論が先にあるということは確かなようです。考えてみ ますと、これまで書いてきたものは皆、結論を補強するためのものだったかも知 れません。ただ、その結論は聖書から感じ得た最終的なもので、勝手な論理とい う訳でもないとは思ってはいますが、それを人に説明する時には恣意的な感じを 与えてしまうのかも知れません。 それは説明不足もありましょう。説明に使った聖書の言葉が不適切であったりす ることもあるでしょう。しかし、結論として示しましたものは、それらの不備が あっても全体的には正しいと頑固に思い込んでおります。矛盾無く、説明できる からです。私の感性が狂っていなければ、感じたものについては間違いはないと 信じております。  私には先に結論が見えているようです。私は直観(直感)によって、結論が先 に見えてくるのです。また、見えて来なければ論理を展開することもできないで しょう。私の「論」は、私が聖書から感じ得たままを表現したものなのです。鏡 に映すようにして真実を心に映してみようとすると、そうなるのです。聖書は十 分読んだつもりです。その結果、感じたものを書き表したとでも言えばいいで しょうか。論理よりも感性が先に立っていることは確かでしょう。私が直観的に 感じたものというのは、説明が不十分でも、私にはそれを否定することができな いのです。  私の論旨の聖書の根拠は次のようなものです。 1.(黙示録21/17)<城壁を測ると、百四十四キュビトであった。これは人間の、 すなわち、御使の尺度による> 2.(黙13/18)<その数字とは、人間をさすものである。> 3.イエスが弟子を天使になぞらえて使徒と呼んだこと。 4.復活にあずかるに相応しい人達は天使に等しい者達であるという証言。 (マタ22/30)<復活の時には、…。彼らは天にいる御使のようなものである。> (ルカ20/34-36)<…復活にあずかるにふさわしい者たち…。彼らは天使に等し いものであり、…神の子でもある。>  1.については、私の勘違いも含まれておりました。岡さんには、私が、天使 とは人間であるという命題の証明の根拠として聖書から引用した言葉が適当でな かった可能性を指摘していただきました。私は確かに、勘違いしておりました。 これで私が一冊の聖書しか読んでないことがばれてしまいましたね(^^;)。まして や、英訳聖書なんて積んであるだけです(^^;)。ここは潔く、私の挙証例が、この 件に関して、適当でなかった可能性があることを認めなければならないのでしょ うか。そうでもないと思います。引用自体は間違ってはいなかったのではないか とも思います。 そこで少しだけ、取り繕っておきましょう。黙示録21/17の件ですが、確かに、天 使は人間であると、直接的に、この聖句が述べている訳ではないかも知れません。 しかし、この聖句の重要な点は、これまで、天使と人間とは、霊において隔たっ ていて、天使が上、人間が下と決め付けられていた状態が、神の国においては、 人間も天使も同じ尺度を使う存在になることを示唆している点です。 それまでは、天使の尺度と人間の尺度とは異なっていました。それは人間の堕落 に原因があります。キュビト(ペキス)という尺度にしても、神聖な尺度を1と すると普通の人間の尺度は1+1/6でした。たとえ、尺度においてであっても、イ エスが、天使と人間とは等しいものを使用するようになることを証言されたこと は重要です。それはあらゆる面でも同一であるべき存在であることを示唆するも のである可能性が高いからです。そういう証言をされたことは見逃してはならな いと思います。  イエスは弟子を天使(使徒)にたとえましたが、当時の一般的な見方としては、 人間と天使を同一視することはしませんでした。イエスだけがそういう特別な見 方をしていたと見ることができるのです。旧約聖書や弟子達による解説を読むだ けでは、そういう捉え方もできないでしょう。しかし、イエスは確かに、完成に 至る者には天使と同じ扱いをしようとする意図があったと見做されます。  聖書記者の記述だけに頼って、天使とは人間だということを証明するために聖 書から引用するのであれば、ある意味では、少し、無理があると思っています。 なぜなら、聖書記者にしても、天使が人間だとは信じていない可能性が高いから です。元々、聖書というのは、天使とは人間であるという見方で書かれている書 物でもないからです。天使は神と共にいる聖なる存在で、堕落した人間とは異な るという見方で書かれているからです。 しかし、イエスの言葉を調べていきますと、いわゆる、聖書記者の理解とは隔 たっている部分が見られるのです。そこでは、イエスは、天使を人間と同次元の 存在であることを意識しておられただけでなく、同じ存在であることまで、示そ うとされたようにも思うのです。 イエスの真意は、人間が堕落しなかったならば、天使と同じ基準にあるというこ とを示され、神の国が成就する時には、人間が理想の状態に戻るようになること を示されたと思うのです。それゆえ、天使とは、架空の存在であって、本来ある べき人間の姿であると言うこともできるでしょう。  恐らく、聖書記者自身も天使という存在を見たことのある人はいないでしょう。 ガブリエルが夢の中に現れたという例はあります。また天使が現れたという記述 もあります。しかし、いずれも、現実とも思えませんし、幻の中での出来事のよ うです。 結局、誰も完全に天使を見たという人はいないのではないかと思う訳です。しか し、神と人間とを繋ぎ、神と堕落した人間との間にあって、その仲保をしてくれ る神聖な存在が必要だったことは確かです。そうでなければ、人間は神と無関係 になってしまうからです。そういう存在の必要性があるから便宜的に作り出され た架空の存在が天使なのではないかと思っております。  次に、黙示録13/1からの獣の姿ですが、<この獣はひょうに似ており、その足 はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。>(黙13/2)と示され たのは、そのような生物がいるというのではないと思います。明らかに、そのよ うな心を持つ獣のような悪行をする主体者をたとえたものだと思います。人間の 心の中の性質について、獣を使って形容しているのであろうと思っています。 ひょう、くま、しし、いずれも凶暴な動物です。その獰猛さ、小羊や草食獣にた とえられる聖徒達を襲う獣的性格を形容しているものと理解するのが最も整合性 があると思います。その人物が王になっている国の全体をも獣と見ることができ ます。その王の国という意味で。 記述のどの部分が「たとえ」であり、どの部分が「事実」であるのかを仕分ける 基準を明確にしなければいけないでしょう。たとえと事実が混ざっていて、「… のようで」とあるものばかりではないので、難しいこともあります。しかし、よ く読めば、自ずと見えてくるのです。 詳しいことは、いずれ致しますが、人格的存在であると見做せる「獣」は歴史的 人物です。また、その形容のほとんどはたとえです。なお、そういうような人格 的存在としては、第六章の四人の騎士、第九章の一つの星にたとえられた者、四 人の御使い(底知れぬ所からのぼって来る獣、海からの獣、地からの獣含む)等 がおります。しかし、歴史的事件の中心者と見做せない御使いには人格ある特定 の存在とは見做しません。こういう基準でいいですか。  クリスチャンの中には、聖書は信じても黙示録が現実の歴史的人物や事件を象 徴している訳ではないと思い込んでいる人もおられます。それは信仰を増すため の励ましの言葉でしかないと思う人もおられるでしょう。聖書は見方によってど うとも解釈することが可能な部分もあるからです。しかし、科学的真理を受け入 れ、黙示録は「起るべきこと」(黙1/1)であることを信じるのであれば、歴史的 事件と中心人物とがその性格等をも示しつつ、たとえを用いて示されていること を受け入れざるを得ないように思います。  次に、洗礼ヨハネについてですが、岡さんが挙げられましたように、洗礼ヨハ ネは再臨のエリヤでした。また、イエスが洗礼ヨハネを当時の世界にあって、最 大の預言者であると評価していることは知っています。私もその通りだと思いま す。しかし、当時の宗教指導者層はこぞってイエスを殺そうとした人達ばかりで す。そんな中で彼らより偉大だと言われても、本質的に、神の国でもその使命を 全うした栄光あるエリヤであったかどうかは疑問です。むしろ、イエスの後半の 言葉から判断すれば、そのように見做すことは不可能だという結論になると思い ます。  私は「キリストから、天国に入る資格もない者と言明されたに等しい人」と言 いました。ここは正統のキリスト教とは見方が違うかも知れません。しかし、天 国に入れないと断定した訳ではなくて、入れないと言明されたに等しい、という 意味の言葉をイエスから受けたという事実について述べているのです。どんな子 供でも天国に入るのだとするなら、それ以下の者と評されたのですから、エリヤ としての完全な使命を果たした人物とは見做せないし、見做してもいけないので はないかと思う訳です。その使命を完全には果たしていないという意味でです。 事実、洗礼ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って、次のように言った と記しております。(使徒行伝13/25)<…わたしは、あなたがたが考えているよ うな者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつ を脱がせてあげる値打ちもない』。>、と。最後になって初めて、自分の使命を 証し、自分がその使命を果たさずに終えることを後悔しているのです。  原罪について。 >よーするに、メシアであるためには、原罪を贖う能力が不可欠なのです。 これはその通りなのです。しかし、正統のキリスト教でも、原罪が何であるか明 確でないのですよ。どのように購われるのか、具体性がない訳です。もっとも、 それだけなら罪はありません。 私が問題だと思っているのは、原罪の意義やその購いに至る道について、具体的 に正しいものを示せずして、メシア(キリスト)を称する多くの偽預言者が現れ ていることです。そういう事実を憂慮して、私は「原罪論」という名で原罪の意 義、そこからの解放について私の意見を述べました。 その際に、論理学のようなものを使って説明しようとしたことが、説明にもなら ず、理解を困難にしているということが分りました。しかも、岡さんのご指摘の ように、 > 例えて言えば・・・宇宙を自力航行する物体のことを指して「宇宙船」と名 >付けたからといって、「宇宙船」以外に宇宙を自力航行することが不可能であ >ることを証明する必要がないのと同様に、原罪を贖う存在のことを称して「メ >シア」と名付けたからといって、「メシア」以外にそれが不可能であることを >証明する必要はないのです。 確かに、そうですね。私の言わんとした意図とは別の命題を論じるような格好に なったようです。この部分は、思い切って、書き換えましょう。あっさりと、認 めてしまうのでした(^_^)。簡単に、その自称メシアのメシア性に疑義があるとだ け言っておいた方がすっきりするように思いました。 結局、次のようにしようと思うようになりました。 (データライブラリ「アザゼル論」の4.原罪論 a)原罪の意義 (1)の後半を次 のように変更します。)  『多くの教団で、原罪はメシアによらなければ決してぬぐうことのできないも の、また、メシア以外に切り取ることができない「罪の根」である等と規定して いますね。確かに、メシア以外にはそれは不可能でしょう。しかし、それらの教 団は、それがその自称メシアに可能であることを証明する根拠を示せないでいま す。具体的に何が原罪であるのか示せないのです。そうであるのに、その教祖に だけは、原罪を切り取り、人を完全に救う力があるかのように吹聴しています。 真実でしょうか? もし、その具体的な根拠を示せないのであれば無責任ですし、 真理性を疑われても仕方ないでしょう。』 これについて、もし、対偶を取るなら、「罪の根」を切り取る根拠を示せないの であれば、その自称メシアはメシアではない、また、メシアであれば、「罪の 根」を切り取る根拠を示せる、ということになるでしょうか。 これなら、意味が分りますか。 1993/3/23                 言 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/03/23 - 023/023 MHD02672 TAO グルジェフ・神聖舞踏 (13) 93/03/23 21:46  >EARTH WORKさん  今週末からグルジェフ関係の映画が、レイト・ショーで公開されます。  「グルジェフ 神聖舞踏」という題名で、劇場は渋谷ユーロスペースです。  連日夜9時から(土日は8時)で、上映時間は1時間弱ほど。  何でも、「注目すべき人々との出会い」のラストに出て来た「神聖舞踏」の  リハーサル風景を収録したものらしいですね。作中、舞踏を指導するのは  グルジェフと30年間にわたって共に活動した、愛弟子のJ・ド・ザツルマン  とか。  ということで、初日に見に行くことに決めたのでした。  P.S. KAZEさん、出張お疲れ様でした。  TAO - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/03/23 - 126/129 GBG02755 スマル RE:「ヤマト」 (14) 93/03/22 23:11 124へのコメント 関係ないだろうけど。 ヤマトタケルノミコトと聞いて。 私が4月から通う学校のきわには、星の神社がある。 ヤマトタケルノミコトがこの地を治めたときに、3つの星が 降りてきたのが縁で出来た神社だった。 景行天皇の時代だそうである。 私がヤマトタケルと御縁はこれが初めてなんだなあ。 だからどうだって言われても困るが。 以上、業務報告でした。                      スマル 127/129 PEH01157 酷使夢想 道州制 (14) 93/03/22 23:15 道州制に係わるHVHYの見解。 むむむ。先に書かれてしまった。 残念無念。ということで 多くは語るまい。 128/129 QFG02515 めるく RE*2:「花の咲く頃」 (14) 93/03/23 21:05 116へのコメント  夜の王は死に、光の子に王位を譲る。  光の子は戴冠し、朝の世界を征服する。  移り変わり、そして受け継がれるイノチ。  夜のあとには朝が、  無知のあとには英知が、  親のあとには子がある。  子はやがて親を超え、そのまた子供はさらにそれを超えてゆく。  果てしない時の流れと、渦巻く力。  変転を続けながら紡がれる、時の歴史。  暗闇よ、ありがとう。そしてさようなら。  過去に栄光あれ!  未来に栄光あれ!  そして、イノチの花が咲く。                      め  る  く 129/129 GBG02043 維/YUI 矢車草???? (14) 93/03/23 21:35 えっとですね・・・ 澄んだ明るい青い花ですね・・・。 よくポプリだとか、ドライフラワーなんか置いてあるお店でみかけます。 コーンブルーってと、ピーンときれいに鏡面のようになった真っ青な湖を 思い浮かべます。 ほほろぎってなんなの??? たいまつみたいな赤かな??                               維/YUI。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/03/23 - 119/119 GBA01052 CHARAN 発言者削除 :内容を変更し、再アップします (15) 93/03/23 16:39 099へのコメント - FARION MES(17):◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 93/03/23 - 280/281 PFA03563 YAHATA 昔のRESで恐縮ですが (17) 93/03/22 23:14 259へのコメント  #259 みれ さん 》か…なんだかとっても胸に響いたんですよぉ。(それにネーミングも素敵よね、 》『竜虎の交わり』を思い出しちゃう)  私はどっちかと言うと某格闘ゲームの「竜虎乱舞」という必殺技を連想して しまいましたが…。だって3文字とも入ってるでしょ(-_-;)  冗談はさておき、まじめに解析して見ましょう。しばらく頭の中で寝かせと いたら、こんな連想が出てきました。 トラブリュー → TROUBLE YOU(あなたを困らせる) 一応意味が現れて、…やっぱり物悲しいものがある。 私ゃ最初「こぶりゅう」だと思ってたもんなぁ YAHATA 281/281 GBA01276 しまうま 金丸と統一協会(教会だっけ?) (17) 93/03/23 01:13 週刊ポストに、金丸んちから出てきた金塊の記事が載ってるらしい。 なんでも刻印のない金塊だそうで、それに統一協会の文鮮明がからむとのこと。 テレビで見ただけで、自分では未確認なのだけど。 昔ARIONが「財界(政界?)と新興宗教の関わりが明らかになる」とか 言ってたのを思い出して、書いてみた。 だけ。 - FARION MES(18):◆冗談パロディ症候群----------------<01> 93/03/23 - 399/400 PFA03563 YAHATA クイズ天の邪鬼・1 (18) 93/03/22 23:14 コメント数:1  「罪のない子供に手をかけて…」などと言う方がいますが、 Q.では、前科のある未成年(罪のある子供)になら何をしてもいいのでしょ   うか? バトル部屋に持ってかないでね(^_^;) YAHATA 400/400 HFC01344 URD RE:クイズ天の邪鬼・1 (18) 93/03/23 02:19 399へのコメント   A.「罪を憎んで人を憎まず」だから やっぱり変なことはしてはいけないのでは?                 答になってますかぁ? > YAHATA さん(^^;)                    URD(酔っ払いモード) >