- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/04/02 - 868/881 GBG02043 維/YUI 今日(3/31)のメッセージに ( 2) 93/03/31 05:48 >>折り紙の様に少しずつ形作ってゆく先に、維/YUIさんの幸せが… 今日で1992年度が終わり。 なぜだか、ちょうど同じようなことをね・・・・考えていたの。 一気に、一息に、自分の望む幸せを手にすることも、ひとによってはできるの だろうけど・・・。 私には、毎日少しづつ手にしたことが、たぁぁぁくさんあわさって、あるとき ふと見えてきたりするって・・・そんな感覚。 (*^^*) 幸せがたくさんおとずれますように・・・                              維/YUI。 869/881 PGB01143 魔界のめーそん メッセージが思い出させた ( 2) 93/03/31 09:31  幾度か居酒屋の前まで行きながら、何となく入り辛くて立ち去る。 どのみちカウンターの片隅に寄り掛かって、グラス片手に人の話を ただ聞きながら時を過ごすだけなのに。  素面で帰っても、それで大人しく寝られる訳ではない。もうそろ そろ片付けなければならないこストーブに火を入れて、テレビを見 ながらの一杯。  新スタートレックを「前作の方がキャラクターが面白かった。」 などと愚痴りながら見ているうちに何時しか夢の中...  懐かしい夢だった。東京大空襲!!懸命に逃げ惑う人々に、恐怖 や悲しみよりたくましさを感じたのは何故だったのだろうか、その 中で一人の少女にあった。青い目に黒い髪の少女!この時代に青い 目の子が何故居たかと言うことは後日談として、これが小生の初恋 で有った。そして、それからのめーそんの生き方に、大きな影響を 与えたのだが...なぜ今、秘められた愛しい人を夢見たのか!!  テレビは未だスタートレックを映している。居酒屋の提灯の灯は もう消えているのかな..片付け物をしている「維/YUI」ねえ ちゃんの横で、今日の売上を整理している「さはしマスター」の渋 い顔が見えて来るようだ。                      魔界のめーそん 875/881 GED02746 りお ノートに200MB! ( 2) 93/03/31 21:09 857へのコメント  え〜っ、98ノートって200MBもハードディスクが入るんですか?私の Macなんか160MBしかありませんよ。しかもOSだけで30MBも使っ てるし。しかし200MBもあると、けっこう重くないですか? 879/881 PGB01143 魔界のめーそん 折り紙の思い出 ( 2) 93/04/01 09:20  幸せを呼んだかどうかは解らないが、折り紙を前にしたとき、それは 母への思い出につながる。  幼い頃に父を失っためーそんは、10年前に母が亡くなるまで、永い 母と子の生活が有った。そんな母が折ってくれたのは鶴でなくて宝船。  最後の一細工で平凡な折り紙が、突如として宝船に変化する不思議を 幼心に目を見張ったものだった。  今も折り紙を前にするとき、厳しかった母の或る一面を思い出す。子 にも折って見せた。孫にも折って見せた。  宝船の折り紙は、私の宝物、亡き母とを繋ぐ絆!!                        魔界のめーそん - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/04/02 - 635/638 GBG02043 維/YUI 風 心 ( 6) 93/03/31 20:28 悲しみの青い色に 透明な水のしぶき まあるいガラスの上を すべる光は、虹を軌跡に残す 渡る風はすでに、柔らかな春 萌え木色のグラデーション 土の香りがまためぐってくる 悲しみの青い色は 水彩絵の具の色 にじんで溶け込んでいく 夕暮れが染めていく ほんのりとやわらかに 息づく血の流れ そして、一番星 638/638 GBA01052 CHARAN 春に切られた桜の木 ( 6) 93/04/01 23:04 近所で家の建て替えが始まったのが、つい先日のことだった。 家がブルトーザーで倒され更地になった時、庭に大きな桜の木があることに 始めて気づいた。 大人が一抱え出来るか出来ないかくらいの幹の太さがあった。 もう3分ほど開いていた桜は、土ばかりの茶色い更地に映えて、 住宅街のただ中に美しい異空間を作りだしていた。 その後、雨が降り、強い風の日もあったが、桜はけなげに花を増やしつづけ、 もうじき満開と思われた。 ところが、たったさっきのことだ。 その家の前を歩いていた時、ふと桜のことを思い出し暗闇を見上げてみたら、無かった。何も無かった。 慌てて見回すと、暗い地面にほの白く並んでいるものがあった。 それは倒された木の枝に付いた花だと分かった。 もしかしたら倒されるのではないか、と危惧したこともあった。 しかし家のガレキが取り払われても、まだ木は残されていたので、 大丈夫だと思っていた。 あれだけの桜だから切ろうとも考えなかったのだろうな、それもそうだ、 なんて思っていた。 それは私の感傷にすぎなかったのだ。 せめて・・・と思い、倒れた桜から花の付いた枝を持ちかえることにした。 折ろうとすると、まだ生きている生々しい感触があり、そうすることさえ躊躇われた。 そんな木を、一体どうして倒そうなんて気分になれるのかと考えずにはいられなかった。 私には理解できないし、理解したくもない。 - FARION MES( 9):★猫が好き♪の宗教円卓会議----------<01> 93/04/02 - 118/118 JBE01051 言 RE:発想と論とBBS8 ( 9) 93/03/31 20:04 116へのコメント  言です。  いつも、有益なアドバイスありがとうございます。適切に指摘していただいて 感謝しております。私にとっては、このように忠言してくださることが最もあり がたいのです。自分だけの視点ですと、なかなか分らないことが多いですから。 > 「論」というものは、懐疑的な相手を対象として記すものだと考えます。 > ですから、自分にとっては矛盾無く説明しているつもりでも、相手が矛盾有 >りとした場合には、その「論」は、ある点から言えば、失敗作だということに >なります。 >「アザゼル論」の中の天使=人間説は、…懐疑的な読者に対して、 >その発想そのものに妥当性を与えることに失敗している  そうですね。「論」としての失敗という印象を受けられたということは肝に銘 じなければなりません。他の人でもそういう感想を持たれるかも知れませんから。 「論」に矛盾があるという見方をされる可能性があるのであれば、私自身がその 発想に自信を持っていても、それだけでは何の役にも立たないことになります。 次のように指摘してくださったことについても、よく心しなくてはならないと思 いました。 > 懐疑的な読み手の目にはどう映るのか? > もしも読み手が疑念を抱くのであればどのあたりの記述だろうか? > では、そうした疑念を解消するには、どのような書き方をし、どのような資 >料を提示し、またその資料を解釈するときにどの程度の解釈ならば許容される >のだろうか?  それで、読む側の立場になって書くことについて、もう少し考えるべきところ があるかも知れないとも思いました。確かに、まだ、改良の余地はありそうです。 その必要性もあるということだと思います。  ただ、論文の詰めはどこまで必要か、という問題があります。例えば、将棋の 詰めでは、あるルールの下での完全な詰めが要請されています。そのルールに 則っていなければ受け入れられないということですね。論文についても、ある ルールがあるのでしょう。読者の前提的な概念を完全に知り、それと同じ前提に 立たなければ、懐疑が生じ、完全に詰め切ることはできないという面もあるかも 知れないとも思います。ですから、読者としての対象を、キリスト教者とした場 合と、一般の無信仰者とした場合とでは書き方そのものをも変えなければならな いかも知れません。  どこまで信じているかによって、論証するべき内容は変えられるべきであるよ うにも思います。もし、神を信じない人に語るのであれば、神の証明から始めな ければならないでしょう。聖書そのものの信頼性をも証明しなければならないよ うな読者もあるかも知れません。天使という霊的存在を信仰というレベルで信じ ている人もあるかも知れませんので、それを覆すのは難しいという思いもします ね。  では、私の文章は、私が前提にしたことを始めから受け入れている人には完全 なものとして認められるのか、それとも、論理そのものに矛盾があるのか、考え てみなければならないようですね。また、天使=人間ということが有り得るとし ても、それを証明するのに必要十分な論証事項が満たされているのか、あるいは、 どこか不足しているのかどうか調べなければなりませんね。まだまだ、作業が必 要ということかも知れません。 >  原罪とは何か? >  メシアとは何か? >  メシアがいるのか? > というような事柄を投げかけていたのではなくて、自称メシアの真偽性を問 >題にされていたというように受け止めました。  この点は、誤解があるかも知れないと思いました。真偽性だけではなく、上の 全てに言及しています。先ず、これまでの原罪論の間違いは、それを血統的に遺 伝するもので、且つ、自称メシアの超能力や根拠の無いパワーによらなければ決 して切り取ることが出来ないものとされていることで、それが多くの罪の因に なっていることを述べました。 そして、私の原罪論は、原罪という何ものかがあるのではなく、罪の行いを促さ ざるを得ないような悪い言葉が、すなわち、原罪だという結論なのです。イデオ ロギーや宗教理念の間違いにそれが現れております。間違った理論を示し、悪い 行いをさせる悪い言葉自体が罪の根なのです。それを切り取ることがすなわち、 原罪からの解放を意味するというように論理を展開しています。簡単に言えば、 正しい認識を持つことの必要性を訴えている訳です。 具体的には、共産主義とか、統一原理とか、新興宗教の教義とか、それらが良い 結果をもたらさず、悪い行いに導いているという事実を見て、そこから解放され るためには、その思想、イデオロギー、教義自体の間違いを原罪だと見て、それ を改めさせる以外には無いだろうと思う訳です。 「原罪」を抽象的な何かと捉えるのではなく、「悪い行いを促す悪い言葉」とし て捉えるのが私の原罪論なのです。従って、原罪から解放されるには、どれが悪 い言葉であるかを知り、それを捨て、善なる言葉を選んで、その言葉が命じる善 い行いをすることでなければならないという結論になる訳です。 そして、それを説明するために、試験のたとえを示しました。人間が選択する行 いは常に、最低二つあります。するかしないか、この二つです。善か悪かの選択 を要請されている訳です。人が束縛や原罪から解放されるためには、あるイデオ ロギーを信じて実践すれば理想社会が到来するとか、ある教祖の思想を受け入れ れば原罪がなくなるというものではなく、ましてや、儀式とか、献金の額である とかは関係は無く、ただ、善悪の基準を知り、悪を捨て、善を選ぶことだけだと いうことなのです。 神の言葉の正しい理解ができることが善を知る第一歩です。それで、私は黙示録 始め、聖書に示された内容を正しく解釈することを手掛けました。神の御旨に従 うことが善であるのであれば、それを知ることが善を知る最も善い方法だと思う からです。 1993/3/31                言 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/04/02 - 086/093 GGA02514 KAZE カインとアベルの話 (13) 93/03/31 01:07 079へのコメント カインとアベルについての、シュタイナー関連の記述が見つかりましたので、 早速、その部分をまとめて紹介しておくことにします。 シュタイナーの講演録の中では、「霊的観点から見た宇宙の進化」 (「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)所収)にも、「月紀」のところで、 神への供犠が拒否されたカインについての説明もありますが、 まとまって紹介してあるのは、「秘儀参入の道」(平河出版社)の 訳者(西川隆範)による「あとがき」ですので、そこから、 「薔薇十字の秘儀」の基盤をなす神話の内容を紹介してあるのを ちょっと長めですが、引用することにします。  昔、神々の一人が人間を創造し、エヴァと名づけた。エヴァと神は結ばれ、 カインが生まれた。その後、ヤハウェがアダムを創造し、アダムはエヴァと結 ばれ、アベルが生まれた。カインとアベルが成長したとき、アベルがヤハウェ に捧げた受け取られたが、ヤハウェの血を引かないカインの捧げた供犠は受け 取られなかった。カインはアベルを殺し、ヤハウェの共同体から追い出された。 アダムをエヴァの間にはアベルのかわりにセツが生まれた。  カインの系統からは芸術と科学が発生していった。このカインの系統から建 築家ヒラムが生まれ、セツの系統からはソロモンが生まれた。カインの系統は 人間の苦悩から生まれた叡智を担い、セツの系統は神から受け取った叡智を担 っていた。  ソロモンは神殿を造ろうと思い、ヒラムを呼び寄せた。その頃、シバの女王 がエルサレムにやってきて、ソロモンもヒラムも彼女に心をひかれた。こうし て、ソロモンとヒラムの間に緊張が生まれた。  神殿は完成に近づき、「青銅の海」の鋳造を残すばかりとなっていた。とこ ろが、ヒラムに建築家としてまだ修行が足りないとされた三人の男たちが、そ の恨みから、「青銅の海」の完成を妨げようと計画した。ソロモンはこの計画 を聞き知ったが、ソロモンはヒラムへの嫉妬から、三人の男の計画を中止させ はしなかった。  三人の男たちは青銅のなかに混ぜものをし、その結果、溶液は燃え上がった。 この炎の前に立つヒラムに、祖先の一人であるトゥバル・カインが現れ、「心 静かに火の中に入ってきなさい。火はおまえを焼きはしない」といった。ヒラ ムは火の中に入っていき、地球の中心まで達した。トゥバル・カインはヒラム をカインのところに連れていった。カインは神々しい姿で地球の中心にいるの だった。ヒラムは火の秘密、青銅鋳造の秘密を教わり、槌と黄金の三角定規を トゥバル・カインからもらって地上に帰り、「青銅の海」を無事完成すること ができた。  このような神話の意味でカインの子である者たちにとって、キリスト教の象 徴は十字架に架けられたキリストではなく、薔薇で飾られた十字架であった。 アベルが「月の子」として認識の木に結びついているのに対し、カインは「太 陽の子」として生命の木に結びついていた。ヒラムは後にラザロとして再受肉 することになる。 こうしたカインとアベルの関係を スサノオをめぐるさまざまな神々と比較してみると、 かなり興味深いことが見えてくるのではないかと思っているKAZEでした。 087/093 NBG00612 岳同 RE:出口王仁三郎の神の活哲学●その1 (13) 93/03/31 07:31 065へのコメント KAZEさん、王仁三郎のレジュメの預言についてコメです。 >王仁三郎によれば、予言とは、「予め言う」予言ばかりでなく、「神が言を預かる」 >預言の意を含む。神は出口直の口を通して警告したが、あとは時節がくるまで、神自 >身の吐いた言葉を神が預かる。もし人類がどうしても改心できねば、万策つきて返さ >ねばならぬ。だがそれに気づいて目ざめれば、人類の未来は希望に輝く。 人類の天数を軌道修正するヒントの模索という意味で、アトランティスに興味を持った のですが、今の感覚では「もう手遅れだなー」です。 (^^;) ピッチャーが振りかぶって、今まさにボールが手を離れようとしている瞬間だと 感じます。 事態を避けようとか助かろうとかいうことより、自分の覚悟を決める時期なんじゃ ないかと思います。 この世紀末は、色んな見方があると思いますが、地球意識の波動が変化するというのが 自分では一番しっくりきます。 この地表の、生物や陸地というのも地球意識に合わせて衣が変わるように 変化していくのは、私にとっては自然な感覚です。 かつて、恐竜が突如絶滅したのも同様な地球意識の変化があったのではないかと 考えています。 それが、どのような形で訪れるかは、色んな預言があって必ずしも明確になっては いませんが、人類としてのカルマを清算する事態が今後押し寄せてくることは 間違いないと思います。そこで、悪と悪が共食いのようになっていわば、古い服を 脱いで祓禊が済んでから新しい服を着る、という流れであることは、どの預言でも 共通だと思います。 088/093 NBG00612 岳同 RE:「一」と「二」など (13) 93/03/31 07:32 060へのコメント KAZEさん、どうも。 実は出勤前なんであせってます。 さて、創造者・被創造者の2元論、いわゆる唯一神の概念では、 この2者が全く別個の存在と区別されているにもかかわらず、 被創造者たる人間は、向上を目指すほど創造者に近付いてしまうと思います。 人類の歴史、なかんずく西欧の歴史は人間が絶対者を目指して努力していく 過程なのではないかと思います。だから、科学文明が発達して、もう神は要らない という思いが生まれるのだと思います。そしてまた、自己を絶対者と見なして 「われよし」の考えが一般化するのだと思います。 神道では、神を複数と見なしそれぞれが役割の違いを持っていますから、 人間も広義で、神の役割の一部を分担しているわけです。 つまり、神と人間は対立しない。人間が神に包含される形とでもいいますか。 結局、人間は神の概念に自らを無意識のうちに近付けるのですね。 明治から敗戦までの間、西欧文明が入ってきてその防波堤として?天皇制が 日本人の心の拠り所とされたと思います。 しかし、あの天皇制は今の視点でみると、とても唯一神的で中世のカトリックのような 権威主義が横行したように思います。 面白い現象ですね。 093/093 GGA02514 KAZE 出口王仁三郎の神の活哲学●その2 (13) 93/04/02 00:06 ======================================================      ●十和田龍:出口王仁三郎の神の活哲学(御茶の水書房)● ======================================================         第2章●真の神とは ====================================================== ============================================================================ 「生、病、老、死、これを四苦といって、人生で一番苦しい。生まれる時の苦痛が一 番ひどく、人はその苦しみによって自分の前生をすべて忘れてしまい、何もわからぬ ようになる。次が病の苦しみ、これはたいていの人が大か小か味わわないものは少な い。次が年をとってゆく苦しみ、だんだん苦痛が軽く、死が一番、苦痛が小さい。」 (『水鏡』「四苦」)  肉体が灰になった後にも魂は残るなど、それが科学的に立証されたわけでもないの に、死後の世界についてあれこれ頭を悩ますのはむだじゃないかという考えの人もあ るだろう。しかし神や死後の世界があるかないかわからないとして、もし死んで霊界 に行ってから「しまった」と思っても、それこそ「後悔先に立たず」だ。「濡れてか ら衣を乾かすより濡れぬ間に傘さしかざし広き道ゆけ」と王仁三郎は教える。  神や霊界の存在を信じて、人生にどんなむだがあるだろう。それを信じることで人 生に本当の生き甲斐を見つけられれば、こんなすばらしいことはない。しかし、信じ るにしても、神や霊界についての正しい判断力をつけておく必要がある。 世の中に死後の世界を知らぬほど寂しきものはあらじと思う 人生における一大問題は死後の世界の有無にかかわる 生前に死後の備えのなき人は死期せまるとき無限の悔あり 人間はこの世を去ればそれぎりと思へる人の驚く霊界 おおかたの人のあわれは死してのち天国あるを悟らぬことなり 人の世は死ぬにましたる憂いなしと葬式(とむらい)のみ待つ坊主の汚さ 苦しみの中にも神の恵みあり悩みなき身を幸とな思いそ ============================================================================  人間が全幅的に身も魂もゆだねるに足る神を、かりに真の神と名づけよう。では真 の神とはいったいどういう存在なのか。  王仁三郎は「天地万有の創造主」、さらに加えて、真の神とは「無限絶対無始無終 の宇宙の大元霊」といい、「宇宙の本源は活動力にして、即ち神なり。万有は活動力 の発現にして、即ち神の断片なり」という。つまり、神とは宇宙を活かす不断の力、 造化の働き、生成化育の妙である。 天帝は霊力体の三元をもちて一切万有をつくれり 主の神はあまつ日月を生みまして森羅万象をそだてたまえる 父母のほかには親はなきものと誠の親神わするる世の中 ============================================================================  神と人間とは次元の違う存在だから、ふつうでは神との交流は不可能だ。そこで神 社や家々の神棚を受像器とし、宇宙の本源なる電源につなぐ。真剣に祈るという行為 は、スイッチを入れ神と向き合うこと。ここで初めて神との感合が可能になるが、チ ャンネルの合わせ方を間違えると、地獄界の想念を受け止めかねない。要注意だ。 「祈りは天帝(真の神)にのみすべきものである。他の神さまには礼拝するのである。 私はそのつもりでたくさんの神さまに礼拝するのである。そはあたかも人に挨拶する のと同様の意味においてである。誠の神さまは一柱しかおわさぬ。他はみなエンゼル である。」(『水鏡』「祈りは天帝のみ」) いのるとも心に曲のあるときは神の救いのいかであるべき 礼(いや)なくて黒(きたな)き心持つひとのいのる言葉にしるしあらめや もみじなす幼き児らの手を合わせ神に祈る様いじらしも ============================================================================  宇宙なる言葉は純理的、学理的、形式的であり、ひややかな体を思わせる。そこに 霊がこもってこそ、力を発揮する。  神の実体を宇宙の活動力と断言する王仁三郎は、その活動力に深奥な神の意志を感 じ、広大無辺、壮麗きわまる霊力を観る。その感動をこめて表現するには、「宇宙の 活動力」という用語説明では血が通わぬ。他に適当な日本語がない限り、やはり神と いうほかはないのだ。 神は世に無きものなりと賢しげに物識人が世迷言宣(よまよいごとの)るも 一匹の虫の研究に一生を費やす学者の神知るべきかは 五官もて究めも得ざる大宇宙造りし神をいかで知るべき 無神論反宗教論に没頭し魂殺す人をあわれむ ============================================================================ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/04/02 - 186/209 JBH00742 炎 I NEVER SHALL RETURN, BUT・・・. (14) 93/03/30 23:18 コメント数:1    闇とは何か。    光とは何か。    力とは何か。    闇の中に神はいないという。    神は力であり、光という媒体を通して闇を照らすという。    神よ願わくば…。 187/209 GGD02212 Soo RE:アナタハ、カミヲ シンジマスカ? (14) 93/03/31 06:55 178へのコメント コメント数:1  しょうるさん、コメントをどうも、です。  いきなり脱線のようですが、筋肉少女隊の大槻ゲンヂという人は 超常現象とかに関心が深くて、「UFOを信じるか、と問う前に、 そもそも何を指してUFOと呼ぶか?」というような話を始めると 止まらないんだそうで、オモシロイやつです。(友達じゃないけど)  「神を信じるか、と問う前に、そもそも何を指して神と呼ぶか?」 というふうに「UFO」を「神」に置き換えることもできますね。 #173で、「神を信じるか?」との問いに"No"と答えたクリスチャン の中にも、例えば、伝説的な擬人化された神は信じないが、宇宙の 根源的なエネルギーのようなものは存在する、というふうに思う人 も含まれていたかも知れませんね。  アメリカでは、クリスチャンと言っても、近所づきあいで教会へ 行き、引越しすれば、教派が変わるというのも珍しくないそうです。 たぶん、聖書をそのまま信じている教派は、そうでない教派よりも 熱心に活動するから目立ってしまって、一般の日本人のキリスト教 に対するイメージを偏らせていることもあるのでしょう。(それが 別に悪いとは言いません。) Soo. 189/209 GCG01101 アマデウス VR(ヴァーチャル・リアリティ) (14) 93/03/31 22:04 コメント数:1   私は、電気メーカで映像関係の仕事をしています。   職業柄、新聞や雑誌などでAV業界(アダルトではないですよ(^^;))の  将来予測記事を目にすることが多いのですが、未来の大型商品候補の一つとして  VR(ヴァーチャル・リアリティ=人工現実感)があげられています。  ご存知の方も多いと思いますが、要するに究極のコンピュータシミュレーション  で、CG(コンピュータ・グラフィクス)による3次元世界に自分が入り込んだ  ような感覚を作りだそうとするものです。 初歩的な段階のものは既にシステム  キッチンのデモ用に実用化されていますが、本格的VRはまずゲームマシンに使  われ、劇場・立体電話・体験学習装置などさまざまな分野に広がって行くと言わ  れています。   しかし、シミュレーションは所詮作りもの、偽物でしかありません。  現在でさえ、頭で考えた理屈・体験の伴わない知識に振り回されがちだというの  に、こんなものが実用化されてしまったら、人間の感覚はどうなってしまうので  しょう。  これは私の直感で立証はできませんが、人間の感覚・知覚系統の破壊に結びつく  可能性もあり、核兵器に匹敵する危険性を内包した「危ない火遊び」かもしれな  いのです。 少なくとも、「洗脳」の有用なツールにはなりそうな気がします。   企画会議のときなどに、「VRは危険なシロモノだから、開発すべきでない」  と発言しても、周囲の人から「こいつ、何言ってんだ」と冷たい視線を浴びるだ  けで、誰もまともに取り合ってくれません。   あ〜あ、私のほうがおかしいのかな...   ちなみに、VRの基本特許はすべてアメリカのベンチャー企業が握っているの  ですよ! > 酷使夢想さん                                 アマデウス 190/209 GCG01101 アマデウス 改革のシナリオ? (14) 93/03/31 22:05  平成維新の会に潜り込んで、会員と接触して得た情報。  (1)各地で、一般会員による(本部スタッフを含まない)小規模ミーティング     が開かれ、それぞれ活発な議論がなされている。本部もそのような自主的     な活動を推奨している。  (2)一般会員の半分は、大前氏の言うことを全面的に信じて、それを具現する     ことに使命感を見いだしている。     残り半分は、大前氏は単なる火付け役であり、活動場所として選んだ所が     場所がたまたま平成維新の会だったという意識を持ち、できるだけ自律的     に動こうとしている。  (3)各地の地域リーダとして活躍している人は、それなりに頭脳明晰でリーダ     シップのある人のようだ。  (4)本部から一般会員への情報伝達は全くと言っていいほど不足している。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   以下、これらの情報とわずかではあるけれでも他の会員との会話の感触から、  私が感じたこと・考えたことを書いてみる。(あくまで私個人の推察)   (2)の会員のうち、どちらの方が始末が悪いか?  それは後者だと思う。  なぜなら、それこそこの改革劇を仕組んだ者 (必ずしも大前氏であるとは言え  ない)の思うツボのように感じるからだ。  おそらく首謀者はそういった自律的な人々が出てくることを計算済みだと思う。  残念ながら首謀者の方が何枚も上手で、人々がいくら彼らなりに自律的に動いた  ところで、首謀者の手の中で踊らされているに過ぎないように感じる。  もしかすると、いま矢面に立っている大前氏自身も踊らされている持ち駒の一人  なのかも知れない。   (4)について、本部は「スタッフの数が不足しているので、きめ細かなサポ  ートができない。申し訳ない」と言っているが、6万2千人(プレジデント3月  号による)もの会員に対して数十名のスタッフでは足りないに決まっている。  そもそも旗揚げ時から会員数100万人を目指すと言っているのだから、相当の  スタッフが必要であることぐらい最初から分かっていたはずである。   そうした事情を反映して、各地方での会員同士でのグループ討議では、本部の  動向と目指すべき国としての全体構想がわからないので、 それぞれの地方での  改革のあり方を議論せざるを得ない状況である。 そして、そうした地方拠点に  優秀な人材がいればいるほど、その地方での議論が進む。   ここまで考えを進めると、だんだんシナリオが読めてくる。  つまり、派手に宣伝を打って人々を扇動して集めた上で、意図的にかれらを情報  日照りの状態に追いやる。その状態に耐えられない優秀な会員は、自分達で改革  プランを作り始める。 その結果、各地方でそれぞれの地方にとって都合の良い  計画が出来上がってくる。しかし、もともと国としての基本理念がまだまとまっ  ていないのだから、各地方の計画は「独立色」の濃いものにならざるを得ない。  それらがだいぶ煮詰まった後で「さあ、国としての政策を考えよう」と乗り出し  たところで、まとまりのあるものが出来るわけがない。  かくして、平成維新が成就した暁には、自分の地方の権利・利益ばかりを主張す  る道州の「寄せ集め国家」が出来上がる...というシナリオである。   それに気づいてブレーキを掛けるべき本部スタッフは、オーバーロードで目の  前の仕事を片づけるのに精いっぱいで、とても流れの矯正に動く余裕はない。  そうするためにわざとスタッフ数を抑えておく。  集まる会員はもともと一般の人々よりも「改革」へのボルテージが高い人達ばか  りだから、誰かが音頭を取ればすぐに地方改革プラン作成へ向けて動き出す。  それは、はた目には「草の根活動」「市民運動」と映るから、非難はされない。  かといって、余り放っておくと制御不能になってしまうから、ときどき大々的な  イベントを打って人々の平成維新の会への求心力を保つようにする。  なんと巧妙なシナリオではないか。  4月11日、会旗揚げ以来最初の大イベント「全国大会」が開催される....                      考え過ぎだろうか?  アマデウス 191/209 GEB00123 しょうる 人生の思い (14) 93/03/31 22:51  そういえば、昨日の宜母愛子さんの番組に出ていたものにもう一つ面白いものが  あった。  骨である。  番組中ではノストラダムスの骨だと言っていたものである。  なるほど、確かに普通の骨とは違う感じだった。  宜母さんも言っていたが、普通、骨を見た時には気持ち悪いとか、陰鬱な感じを  受けたりするものだがあの骨は確かに違っていた。  一見、綺麗な骨だなという感じである。  やはり、骨にはその人間の日常に持っていた想念が記録されているのだろうか?  血液を造りだしている部分であるから、想念が残るのも当然のような気もする。  後から、なるほどなーとうなずく私であった。  それを考えている時に、パラマハンサ・ヨガナンダの死んだ時の話をふと思い出  した。  ヨガナンダは死んだ後、何日も腐らず芳香が漂っていたそうである。  そういえばもっと不思議なものを思い出した。  ルルドの聖女ベルナデッタは、いまだに生きている時と同じで腐っていない。  密経の伝説によると、空海の肉体も腐らず今もあるという。  他にも聖なる精神を体現した存在は、このように腐らないとか芳香が漂うとか  いう話が伝えられる。  たいへん不思議なことである。  精神の表現として肉体が変成したと、やはり思わずにはいられない。  しかし、人間とは無数の表現があるものだ。  まったくそう思う。  世界の様々な人生を思う時、感動したり、驚きを覚えたり、怒りを覚えたり  これまた様々である。  誰もが自分の思う通りのものを収穫しているのだから、平等なのではあるが。  やはり、人間の一生というものには、はかり知れないものを感じるのである。                           しょうる 192/209 GEB00123 しょうる RE:アナタハ、カミヲ シンジマスカ? (14) 93/03/31 23:08 187へのコメント SAY Sooさん、そうですね。 神という言葉に抵抗があっても、大いなる摂理とか宇宙の根源的なものは 存在すると思っている人は多いですよね。 質問が自分より偉大なものはあるか?というものであったら、 もっと違うものになっていたかも知れませんね。                           しょうる 193/209 JBH00742 炎 RE:予言詩(?) (14) 93/03/31 23:39 160へのコメント       長鳴き鶏はもう一度鳴く       長鳴き鶏が長鳴き鶏であるために       たとえもう一度吊されようとも 194/209 JBH00742 炎 雑 感 (14) 93/03/31 23:40       〜 燃 焼(やきつくす) 〜      伝えたい思い      伝わらない思い。      壊したくない思い      壊さねばならぬ思い。      一言も言わないのではなく、      一言も言えない事もある。      そういう愛し方もある。 195/209 PBC00367 Q・ka・ka RE:VR(ヴァーチャル・リアリティ) (14) 93/03/31 23:44 189へのコメント 私はVRの普及には賛成できません。 人工現実体験をする前に、現実体験とは何かを解きあかす方が大切だと思います。 人工現実は、現実をシフトダウンさせたものなので、それに捕まってしまうと わたしたちの意識が退化してしまうのではないかと思います。 196/209 GCC01413 HVHY VR(ビデオリサーチではない) (14) 93/04/01 00:43               〜 VRについて 〜  VRと言えば、“あの”武邑氏が、ここのところ盛んに研究している。  (※**省の外郭団体が実施している研究プロジェクトのコア・メンバーの一人)  なぜ、武邑氏がバーチャル・リアリティに取り組んでいるのか?  この辺りの文脈からですら、読める人には見えて来ることがあるかも知れない。  武邑氏の話には、得体の知れない魅力がある。  今でも彼が精神世界分野のカリスマの一人であることは間違いない。  それにしても、なぜ、バーチャル・リアリティなのだろう…?  因みに、武邑氏は“あの”八幡書店とも繋がりを持っているようである。  氏と交友のある広告代理店の“とある”社員は、彼に八幡書店へ連れて行かれて、  八幡書店がVRグッズ(?)を販売しているだけでなく、  神道関係の訳の解らない本を一杯出版していることを初めて知ったという。  なるほど…。八幡書店もいろいろな顔を持っているわけだ…。  いずれにしても、VRに関する動きも明らかに「要チェック」である。                                  HVHY 197/209 GCC01413 HVHY “仮想”ではない現実。 (14) 93/04/01 01:05           〜 VR(仮想現実)を取り巻く現実 〜  バロウズの「裸のランチ」と言えば、ビートニクの代表作品とされている。  その「裸のランチ」が去年映画化され、そのサントラを、  フリー・ジャズの創始者と言われるオーネット・コールマンが担当した。  そのオーネット・コールマンが来日した時、“あの”武邑氏のプロデュースで、  VRを導入したコンサートが催されたのは記憶に新しい。  さて、このような文脈からも、“臭う”ものがありはしないか?  TM瞑想が流行ったりした頃…。LSD等のドラッグが持て囃された頃…。  チック・コリアはサイエントロジーを信奉。キース・ジャレットはグルジェフを。  そして、今、武邑氏がVR(バーチャル・リアリティ)に入れ込む…。  ヒトラーはチベットから魔術を導入し、それに負けじと連合軍も…。  一体、この50年間(或いは100年間)に起こって来たことは何だったのか?  知ろうが知るまいが、世の中は変化しつつあり、人間も変化しつつある…。                                  HVHY /R 198/209 GCC01413 HVHY 静かに行われること。 (14) 93/04/01 01:26                〜 一つの解釈 〜   93年は“仕組み”の年と言われ、“雛形”についても云々されたが、   「東の風が吹く」と宣言されていた春分の日も過ぎ去った今、   “(第一次の)雛形”は既に完成したようである。   (※「完成していなければならなかった」と言った方が適切だろうか?)   因みに…、“(最後の)篩い分け”という事柄も、   「もう終わった」のではあるまいか?   本当に劇的な事柄は“忍び足”のようにやって来る。   形を見ていたのでは、本当に起こっていることの万に一つも知る由はない。                                 HVHY 199/209 QFG02515 めるく RE:伝説とシッタカ (14) 93/04/01 16:02 153へのコメント コメント数:1 はじめまして、しょうるさん。こんにちは。 コメントありがとう。 >>   確かに、「知ったかぶり」という状態はあるのかもしれませんね。 >>   それはやはり、自分自身を知らないということから生み出されるの >>   ではないでしょうか。 >> >>   実際に自分を知っていけば、より自分が知らない事に気付いていくと >>   思います。 >>   その時、より多くの事を学べる状態になるのではないでしょうか。 私もそうだろうと思います。 ARIONのいう「自分を見る」というのも、 ひとつには、そういうことがあるのでしょうね。 自分を知っていくことによって、 いま、自分が何を知っていて、何を知らないのか、 自分には何が必要で、何が必要でないのか、なども、 だんだん分かってくるのだろうと思います。 そうなれば、「帰依すべき宗教」も必要なくなるのかもしれません。 また、宗教には帰依していなくても、科学的情報に帰依していたり、 あるいは、マスコミ情報に帰依していたりするかもしれません。 そういうものも、基本的には同様の問題だと思います。 自分が見えていない場合、自分で判断をするのを避けたくなるのでしょう。 そのほうが楽に思えるし、自分の判断では不安だから。 でも、自分が見えている場合には、 自分で判断するほうが楽なのでしょうけど。 たとえば、 不安があって未来を知りたい人は、権威ある占い師に、お伺いに行ったりします。 彼らは自分の行動が奇妙なおかしなものであるとは思わないでしょう。 しかしたとえば、 自分の指が何本かということを知るために、わざわざ権威ある人に尋ねたりする必 要はない、と考えるのは普通でしょう。 それと似たようなことだと思います。 人に頼ってばかりでは、自分で学ぶことなんて、できませんよね。 判断を何かに頼りたくなった時には、 「私はこの点に関して、自分が見えていないのだ」と思って、 頑張って自分を見る努力をするようにすると、 良いかもしれませんね。 ところで、 宗教に対する不信感の話ですが、 私は「高度情報化社会」というやつが、一役かっているのではないかと思います。 生まれてから死ぬまで、ひとつのものしか、 たとえばキリスト教しか、 知ったことがなければ、疑う余地はなかなか生まれませんよね? ところが、いろいろな情報に触れて育つと、 それらの情報を判断しようとします。 一種類の情報しかなければ、判断する必要はあまり感じないものですが、 複数の異なる情報が、最初から示されている場合には、 どうしたって判断をしたくなるでしょう。 そうすると、何かを疑わなくてはならなくなります。 しかし、やみくもに信じるのが知ったかぶりなら、 やみくもに疑うのも知ったかぶりと同類でしょう。 「本当は、自分の指は30本あるのではないか。それとも50本かもしれないぞ」 などという疑いが頭から離れない人は、自分では知的に思考しているつもりでも、 周囲からは賢い人間には見られないでしょう。 結局、真理は一つなのでしょうが、 それを表現しようとすると、人によって違った表現になってしまう。 それはとりもなおさず、 どれもパーフェクトではない、ということでもあるでしょうが、 そのどれか一つだけを信じて、他は信じなかったり、 あるいはどれも信じなかったりするのは、 結局それをちゃんとは分かっていないということなのでしょう。 ちゃんと見えていれば、信じる必要も疑う必要もないでしょう。 自分の指の数は本当に20本なのか、なんてことをわざわざ疑う必要などないでし ょうが、それと同じくらい、 自分の指の数は20本である、ということを、わざわざ信じる必要もないでしょう。 不信感が高まっている、というのは、 「結局みな人は無知だった」ということが、 だんだん表面化しつつあるということかもしれません。                 め    る    く 200/209 QFG02515 めるく RE:聖書に関するARIONのコメント (14) 93/04/01 16:04 172へのコメント Sooさん、こんにちは。コメントありがとう。 ちょうど私は、マイヤーの本も読んだことがあるので、その視点も活かして、 コメントしたいと思います。 私が思うに、あの応答においてARIONは、質問者の心の在り方、情報の受け取 り方を問題にしているのではないか、と思います。 一見、「偽造されてはいない。そのマイヤー情報は誤りだ」と言っているようにも 聞こえるけれども、必ずしもそうではないと思います。 「偽造されてない」と、はっきり書かれてはいませんよね? ARIONは質問者の心の鏡になっただけであり、情報販売機になったのではない、 と思います。 ARIONは、「嘘は言わないが、方便は言う」とも言っています。 また、さらに言うなら、 マイヤー情報と、ARIONの言うこととは、実は情報的には矛盾していない、と いう見方もできるのです。表現、あるいは態度が、違うだけかもしれません。 マイヤー情報において「偽造」とは、必ずしも、 「故意に」「わざと」「意識的に」「悪意から」やったことを意味するのではない ようなのです。 「無意識に」だろうが、「ミス」だろうが、「勘違いによるもの」だろうが、 あるいは「善意から」「良かれと思って」やったことであっても、 「偽造」と表現されるようです。 だから、 「その語り手の感情や心情が加えられている」というのは、 マイヤー情報においては、「偽造されている」と表現されるかもしれません。 ちなみに、マイヤー情報においても、 「聖書には多くの真理が含まれている」としています。 しかし、そうであっても、 「最も許されざる偽造がなされているのであり、それゆえに最大の邪教である」 というようなことを、言われているのです。 つまり、その部分が多大な悪影響を及ぼすので、 たとえ多くの真理が含まれているとしても、聖書は決してお勧めできない、 ということなのです。 もちろん、 マイヤー情報における、「偽造」というのは、やっぱり違うのかもしれません。 それはわかりません。 しかし、どちらにしろ、 「情報を受け取る時には、あまり鵜呑にしないように気をつけたほうがいい」 ということは言えるでしょうね。               め   る   く 201/209 GEB00123 しょうる RE:伝説とシッタカ (14) 93/04/01 16:54 199へのコメント   めるくさん、なるほど。   みんなが無知だったという事に気付いてきたというのは、   確かにそうかもしれませんね。   私も自分自身を思う時、たいへんそう感じます。   今の時代、多くの情報が行き交いなんらかの比較もすることが出来ます。   それで、自分の今いる位置を確認しやすいのかもしれません。   自らをみることが出来易い環境なのかもしれません。   ふむふむ・・・   めるくさんのご意見、大変興味深いものでした。   私も、宗教にしても、   科学にしても体験することによりその真実を認識していくのが   良いのではないかなと思います。   その時に、その知識を理解し、   意識に浸透させることが出来るのではないでしょうか。   自分自身を研究する為にはまず、自分を見なくてはならないように。   そして、自分の内的世界がどういうふうに構築されていて、   その中にはどういう力関係があり、個々の我同士の約束ごととか、   それが外的にどういうふうに表現されているかとか。   結局どれも、最後は自分がどうしたいかになり、   その時選択するのは自分ですから、責任は自分にあります。   人間の一生というのは、このように日々の選択の積み重ねなのかも   しれませんね。   い、いかん乱文だ。   こ、これは外の雷のせいだー。(^_^;) なんて。   しかし、春先の雷とは風流な・・・                        しょうる 203/209 PAG03543 NOISE あやしげな団体? (14) 93/04/01 20:28 最近「ワン・ネットワーク」なる団体から、ダイレクトメールが送られてくる。 この団体の本社はアメリカにあり、東京と大阪にオフィスを構え、例の「ヴォ イス」と同様に、公開チャネリングを始めとして、各種ワークショップを主宰 している、直輸入ニューエイジ・ムーブメント企業だ。 今回のメールには副社長であるダニー・マンハイムのメッセージが載せられて いるが、その最後は次のような文章で締め括られている。  ……ぜひ、私達と手を取り合ってより良い個人、より良いONE WORL  Dを築いていこうではありませんか。 あの、メーソンの理念である「ONE WORLD」………、「ワン・ネット ワーク」という社名もこれから発生したのだろう。ここで言われている「より 良い個人」とはメーソンにとって「より良い個人」なのではないか。 いずれにしろ、このような団体に関わってONE WORLD主義者にとって 都合の良い、魂の抜けた「より良い個人」になどならないように。 204/209 GCC01413 HVHY 例え力尽きても…。 (14) 93/04/01 23:27               〜 雛 形 〜     …に関連して次のような章句もあったのが思い出される。       > 雛鳥は嵐の晩に逃がしなさい。(ARION)     東京について言えば、3/28の晩、かなり強い風が吹いた。     「第三の門」は、一週間遅れて開いたのだろうか?                             HVHY 205/209 GCC01413 HVHY 位相。 (14) 93/04/02 00:01               〜 どうりる博士 〜   手元にログがないので、どなたの発言であったか定かでないのだが、   突然“どうりる博士”という名前を出されていたように記憶する。   この人関係の書物(翻訳本)は全て霞ヶ関書房から出版されており、   精神世界コーナーの有る書店においては、しばしば見掛けられる。   その数ある書籍の中で、私が最も注目しているのは、   実は「秘教真義」という一番薄っぺらい(?)本である。   この本の中には注目すべき事が幾つか書かれている。    * セートンがチベットで教えを受けた存在は「ゼロン」という名前。    * その「ゼロン」達のリーダー(?)は「ゼダス大師」という名前。    * このグループ(宇宙連合の一つ)の本拠地は蠍座の「アンタレス」。   この他にも見落とせない事柄が幾つも出て来るのだが…。   さて、この場で比較宗教学や比較宇宙人学を展開するつもりはない。   しかしながら、「秘教真義」に書かれていることと、   ARIONが言っていることを注意深く比較してみると、   それなりに“気付くこと”はあるはずである…。   (※その具体例については後述としたい)                                 HVHY 206/209 GCC01413 HVHY スタート台。 (14) 93/04/02 00:30                 〜 死 〜   「今すぐ死んでも構わない」という気持ちになれる時。   それは“どういう時”だろうか?   このことについて、私はあまり難しくは考えていない。  >>> 自分が今この瞬間に愛されていると実感される時。   それは“神様の微笑み”にも似ている。いや、   大多数の人にとっては、それこそが“神様の微笑み”に他ならないのである。   もちろん、別の道筋もないわけではない。   しかし、別の道筋は薦められないし、私自身、進みたくもない…。                                 HVHY 207/209 GCC01413 HVHY モード1 (14) 93/04/02 00:59                〜 奇跡 〜          わたしとあなたは、          時を同じうしてこの地球上に生きている。          それは偶然という愛しき奇跡である…。                        HVHY 208/209 GCC01413 HVHY モード2 (14) 93/04/02 01:00                〜 感謝 〜           もしもあなたが感謝しているのなら、           あなたの心と体を生かし切りなさい。                        HVHY 209/209 GCC01413 HVHY モード3 (14) 93/04/02 01:01             〜 あなたとわたし 〜          なぜ、わたしはあなたではないのか?          なぜ、あなたはわたしではないのか?          なぜ、わたしはわたしなのか?          なぜ、あなたはあなたなのか?          わたしがわたしでなくなる時、          わたしはわたしになる。          あなたがあなたでなくなる時、          あなたはあなたになる。          わたしからあなたへ。          あなたからわたしへ。          わたし。そして、あなた…。                       HVHY - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/04/02 - 139/143 GFB00026 一輝 RE:男であること (15) 93/03/31 21:45 117へのコメント  >松川さんへ  |伝統を目に見えるもの、形となったものだけではかろうとするのが現代人の悪し  |き思考習慣です。右翼を自称する人たちもまたそのような思考態度から自由であ  |るとは言えないでしょうねえ。考えてみると随分息苦しい話です。  私も、同じことを考えていたところです。  本質を掴むことなく形でしか判断しない傾向は、昨今の悪習ではないでしょうか。  「平成維新の会」も、そういった形で判断する大衆の傾向を利用して、  ”維新”という言葉に便乗して展開しているものの、  所詮は米国マッキンゼー仕込みの「本物に似た偽物」です。  彼らのいう”維新”は言葉だけであって、憂国の魂が欠如している。  マッキンゼーが推進するコメの輸入自由化など、もってのほか。  深く吟味などせず形で判断したほうが、あれこれ自分で考えなくて楽である、  いつもそう選んでしまうのは、為政者ではなく我々ひとりひとりなのです。   『日本人の致命的欠陥は空間的思考能力に乏しい点であろう。通常日本人は    思考したり行動を起こす場合、図の如く、AからBへの直接的因果関係し    か視野に入らない。Aを実行すれば結果としてBになる。しかし、同時に    この行動はCという副次効果、又は副産物を生じ、しかもその過程にはD    なる影響力が潜在的に介在していることがどうしてもわからないのである。                    D                    ┛               ----------------------               A    →    B              ----------------------                    ┛                    C    日本人の文化や行動様式、意思決定はAとBの単純な関係式でのみ構築さ    れ、C及びDの存在は一切考慮されることなく行われることになる。Cや    Dの存在が明らかになるのは、AとBの原因結果において多大な不都合が    生じたり、大きな事故にみまわれ事態が深刻化した時にのみである』          …………「最後の強敵・日本を撃て」ヤコブ・モルガン著より  日本人の文化や行動様式と言っても、最近の傾向であって、  過去から全て日本人はこうであった、とは思えないのですが、  操縦されやすい羊の群れとしての日本人をとらえた場合、  この短絡思考についての記述は、かなり当たっているように思えるのです。  マスメディアに提示されたものを、そのまま吟味もせずに受け取ってしまう、など、  「A→Bにだけ関心を寄せれば、あれこれ考えなくて楽だ」というのが、  我々が無意識に行う”見えない洗脳”による判断です。  これは、恐ろしいことですね。  |ヤクザは指を切り、大衆は責任から逃げ続けます。  |なるほど大衆がヤクザを恐れるわけですね。  指を切らずとも、責任を取ることに対して、  積極的になれば、それだけでも何かが変わるように思います。  職場でも、責任から逃げ出さず、自ら責任を背負う者のほうが、  年齢や性差を超えたところで周囲から一目置かれ、脚光を浴びてきています。  問題があれば、みな蟻の子を散らすように右往左往逃げ出す状況の中、  これからの時代は自ら進んで責任を背負ってゆく者がヒーローとなるのでしょうね。  さて、ヒーローとなるべき男性が逃げているのは、責任からだけではないようです。  今度は、そのことについて皆さんと語ってゆけたらと思っています。                                     一輝 140/143 GFB00026 一輝 RE:悲情城市 (15) 93/03/31 21:55 125へのコメント  おかえりなさい。  COOLさん、ハンドルを「炎」に変わられたのですね。  いい名前です。気に入りました。  COOLさんが台湾に行かれて、炎になって帰ってきた。  これからが楽しみですね。                                     一輝 141/143 JCC00626 ナガト 松川塾長の発言121について (15) 93/04/01 01:34 コメント数:1 どうも。ナガトです。 なるほど、勝小吉はビートたけしですか!なぜか、納得しますね。私の好きな芸事の話題が出たのでここらで閑話休題。 最近、たけしの「浅草キッド」を読んだばかりですので妙に納得できるものがあります。そういえば古今亭志ん生なども同じですね。 志ん生は明治維新で没落した元旗元の両親のもとに生まれましたが、十代にしてグレ親元を飛び出して芸人となった男。その後生来の博打好き、女好きが災いし高座の稼ぎもすべて遊蕩につかってしまうので家族はどん底の暮らしを強いられました。(因みにいまをときめく古今亭志ん朝は志ん生の子供、女優の池波志及は孫です)  長年芽が出ずにいたものの、もう50代となった戦後になぜか急に人気が沸騰し、やがて昭和の名人と言われるまでになりました。  私が好きなのはそのいい加減なイメージの反面、こと芸に関してはとことん執念を燃やした志ん生の姿勢です。  自分が好きなように生きること、それは望んでもなかなか実行に移せるものではありません。実行に移した場合のリスクはとてつもなく大きいものだからです。志ん生はそういったリスクを全部背負い、そして50才過ぎになってようやく世間に認められ、芸で食っていけるようになりました。  とはいうものの志ん生には、戦後日本の作り上げた苦労自慢-ワイドショー的な「私の 不遇時代」の口調は一切ありません。彼にとっては芸で生きることは男として当り前のことだったのでしょう。     あたしはちょうど、うちにおったなめくじみたいに、切られようが突かれ   ようがケロンとしてものに動ぜず、人に頼らず、ヌラリクラリと、この世   の中の荒波をくぐりぬけてやっとこさ今日まで生きてきたんですよ。                    志ん生の自伝「なめくじ艦隊」より  奇妙なもんですが、私はここにも一人松川塾長のいう(あるいは坂口安吾のいう)「いつでも死ねる」男の姿を感じます。  それは一見「志士」の大言壮語とは正反対のものに見えますが、しかし内実は同じではないでしょうか。どれほど世間から認められず、また家庭が崩壊の危機に瀕し、他人からは嘲られ、努力しても報いられない。それでもなぜ一つ事にこだわるのか。それは志ん生にとっては芸が生きている証だったからではないか、と私は思います。 >死をどのように意味づけるかで生の価値もまた異なって見えてくるということでし >ょうね。しかし、たえず死を意識している人間が傍目にも悲壮感のかたまりのよう>に見えるかといえば、どうもそうとばかりも言えないようです。                           *121での塾長の発言    おそらく勝小吉も同じ様な心境だったのではないかと思います。  自分にとって大事なものは何か。そしてそれを守るために譲ってはならないものはなにか。それは決して大義名分の話でも「政治好き」な特殊な人間のトラウマでもなく、ファイティングポーズをとらなくては淘汰されてしまう人間社会の性(さが)であるように思えます。だからこそ「悲壮感」などあっては長続きしないわけです。( 誰も悲壮でありたいがために、懸命になるわけではありません。世間にはよく悲壮であることを売り物にしている人間がいますが)  松l川塾長は以前、スマルさんへのエールを送っていましたね。そういう視点、私は好 きだなあ。やはり主戦場は各自の日常です。日常で様々な壁や疑問にぶちあたるからこそ、現体制への疑問や、それを形づくった過去への疑問を持つ。ある場合にはそれが同志を募っての公の行動となることもあるでしょう。    というわけで、毎回妄言を重ね失礼しました。(^_^)   なお、今回の発言を読んでいただいて、もし古今亭志ん生について関心を持たれた方のために、私のネタ本をご紹介しておきます(誰も関心を持たなかったりして・・・・)      *「志ん生一代」上・下 結城昌治著 朝日文庫      *「なめくじ艦隊」古今亭志ん生著 ちくま文庫      *ちなみに立川談志の「あなたも落語家になれる」三一書房の中の       志ん生論をなかなかいいです。  最近この部屋の議論があまりないので思わず勝手なことを書いてしまいました。  どうか笑って許してね。  PS::松川塾長はひょっとして子母沢寛のファンですか?私は東京日々新聞の記者     時代の彼の仕事を非常に尊敬しています。一度その辺の話でもどうですか?    まもなく保守のため時間切れです。今読んだ一輝さんの139にはまた改めて・・・ 142/143 GFD00204 松川 貴     RE:松川塾長の発言121について (15) 93/04/01 13:19 141へのコメント コメント数:1  ナガトさん  志ん生さんの話有り難うございました。 >松川塾長はひょっとして子母沢寛のファンですか?私は東京日々新聞の記者時代の >彼の仕事を非常に尊敬しています。一度その辺の話でもどうですか?  実を言いますと、子母沢寛の全集版の『父子鷹』は、今年の1月に宮崎市に行った 折り、古書店で買い求めたものなんです。ずっと探してたんです。なぜか店の入口の 本棚に全集の第4巻の『父子鷹』がバラで一冊ありました。同時に同じ筆者になる新 潮文庫版の『勝海舟』全6冊も手に入れることができました。それで最初に延岡の古 書店で手に入れていた講談社文庫版の『おとこ鷹』と併せて、子母沢寛さんの海舟三 部作が揃ったんです。ずっと欲しいと思っていた末のことでした。ですから、うれか しかったこと。  今から一年ほど前、司馬遼太郎さんの『明治という国家』を読み、それで勝海舟と いう人物を好きになったんです。それまでは勝海舟と言えば、「挿絵に西郷さんと一 緒に登場する幕府側の役人(西郷さんと談判している絵がありますよね)」というく らいの知識しかありませんでした。  延岡の古書店で昭和49年1月発行の『歴史読本 勝海舟』という雑誌を手に入れ て中を見ると、当時NHKで子母沢寛原作の『勝海舟』という大河ドラマがあって、 それで勝海舟が大変なブームになっていたことを知りました。ですから、子母沢寛と いう作家の名前は、この『歴史読本』という雑誌で知ったんです。  「いつでも死ねる」という勝小吉に関する引用は、CHARANさんと一輝さんの書き込 みを読んでいるうち、以前に読んだ『父子鷹』の〈あとがき〉をピンと思い出したの で、それを使わせてもらいました。でも、実をいいますと、まだ三部作のどの一冊も 読んでいないんです。他にも現在読んでいる本があって、なかなか手が回らないでい るものですから。  そういうわけで、私は子母沢寛さんについては一言も語れません。ですから、むし ろ、ナガトさんに氏に関していろいろと語っていただけたら有り難いです。  最後にまた『父子鷹』の〈あとがき〉から『夢酔独言』の出だしを孫引きさせてい ただきます。当時文章といえば、文語体で書くのが当たり前のところを小吉は口語体 で書いています。「言文一致運動」なんてもちろん小吉が知るわけもありません。   おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ。故に孫やひこのた  めに、はなしてきかせるが、能よく不法もの、馬鹿者のいましめにするがいいぜ。  おれは妾の子で、ははおやがおやぢの気にちがつて、おふくろの内で生まれた。夫  を本たうのおふくろが引き取つて、うばでそだててくれたが、がきのじぶんよりわ  るさ斗りして、おふくろもこまつたといふことだ、と。夫におやぢが日きんの勤め  故に、内にはいないから、毎日毎日わがまま斗りいふて、強情故みんながもてあつ  かつた、と用人の利平次と云ぢぢいがはなした。  自分の子孫に「いましめにするがいいぜ」と書き残す小吉という怪おやじ。でも、 世の中こんな人ばかりだったら、やっぱり大変です。  ちなみに『夢酔独言』ができたのは小吉42歳のとき。その後、小吉は49歳で没 しています。海舟28歳の時でした。                                   松川 貴 143/143 JCC00626 ナガト RE:松川塾長の発言121について (15) 93/04/01 17:36 142へのコメント  松川塾長 さっそくのお返事ありがとうございます。 >実を言いますと、子母沢寛の全集版の『父子鷹』は、今年の1月に宮崎市に行った折り、>古書店で買い求めたものなんです。ずっと探してたんです。なぜか店の入口の本棚に全集>の第4巻の『父子鷹』がバラで一冊ありました。同時に同じ筆者になる新潮文庫版の『勝>海舟』全6冊も手に入れることができました。それで最初に延岡の古書店で手に入れてい>た講談社文庫版の『おとこ鷹』と併せて、子母沢寛さんの海舟三部作が揃ったんです。ず>っと欲しいと思っていた末のことでした。ですから、うれかしかったこと。                          *142の塾長の発言より     そうですか。その嬉しさは判るような気がします。古書店で思いもかけずに探し求めていた本を見つけた時の喜びは格別ですよね。不思議なもので絶対欲しいのになかなか手に入れられない本のことは何年経っても覚えているものです。10年以上もたって偶然そんな本を見つけた時には、往々にして自分が本当にその本を必要としている時であったり・・・・。何か不思議な偶然というか、縁を感じます。  さて子母沢寛です。  私が彼に関心を持つようになったのは新撰組への興味がきっかけでした。もうだいぶ前のことですが、民放で鶴田浩二が近藤勇を演じるドラマ「新撰組」というのがありまして、そのドラマへの関心から原作の司馬遼太郎の「新撰組血風録」や「燃えよ剣」へと走り、さらに司馬遼太郎さんを介して、実は新撰組発掘の第一人者が子母沢寛であることを知った次第です。  子母沢寛は北海道石狩郡生まれ。彼の祖父は幕末には彰義隊に参加して破れ明治になって北海道に入植した人物です。そういう出自もあるのでしょうが、大正時代に上京して東京日々新聞・読売新聞の社会部記者となった子母沢寛は、半世紀前の敗者たちやその遺族を丹念に探しあてて聞き書きを行い、そしてやがて「新撰組始末記」などの記録文学にまとめ上げます。  内容としても、彼の祖父と同じように北海道に入植して余生を送った元隊士・永倉新八の気骨あふれる生き様など面白いものが多いのですが、私が一番 興味をひかれるのは、ある時代の歴史観に拘束されずに自分の目と足を使って事実を掘り起こそうとした「ジャーナリスト」子母沢寛の姿勢です。    明治維新を成し遂げた薩長政権のもとでは、新撰組や見廻組などは憎むべき権力の走狗、悪魔の手先にほかなりませんでした。まあ幕末は薩長は権謀術数と武装闘争を繰り広げ、対する幕府側側は新撰組などを使って無差別な白色テロでそれに応じた血生臭さい時代ですから、情報を徹底的に自分に有利に統制した明治政府の姿勢も当然といえるかもしれません。  そのような価値観が支配する時代に、新撰組の人間群像を発掘しようとした子母沢寛に、私はある種の「勇気」を感じます。実は私自身かつてメディアの末端で取材活動に携わった経験がありますので、その時代の特定の価値観や情報統制・管理洗脳システムから真に自由であることが、いかに困難であるかを痛切に感じます。それだけに子母沢寛のような仕事ぶりに、心をひかれるのかもしれません。  余談ですが、先年のルーマニア・チャウシェスク政権の崩壊の動乱の際、 最後まで革命軍に抵抗した旧体制の残党に、孤児だけで編成された治安警察部隊がありました。そのニュースに接した時、私には思わず彼等の姿と戊辰の折の新撰組や奥羽列藩同盟の姿が重なって見えました。これは迷妄でしょうか・・・・・。  この部屋では維新の志士の「志」の話題なども多く登場しますね。今後も、 時代を超えて特定の価値観をふりきろうと悪戦苦闘する議論にどんどん参加 させていただこうと思いますのでよろしくお願いいたします。    毎度のことながら長口舌、失礼いたしました。以下、今回のネタ本のご紹介です。    「戊辰物語」  東京日々新聞社会部編  岩波文庫    「新撰組始末記」 I    「新撰組遺聞」  I子母沢寛著  中公文庫    「新撰組物語」  I                                      祈念健勝    ナガト 拝 - FARION MES(17):◆メディアレポート(本/映画/音楽 etc)--<01> 93/04/02 - 285/286 JBH00742 炎 最近の一冊 その2 (17) 93/03/30 23:15       「遊女の江戸」−苦界から結婚へ− (下山弘 中公新書)      副題が示す通り江戸時代の遊女(売春婦)の結婚に纏わる      話を集めた一冊。      勿論それに関わる男達の話でもある。      以下、印象に残った一文を抜粋してみよう。      …いや、そうは行かない。遊女特有の決定的な難点が無視できない。      「いろいろな男に肌を触れさせている」      この一事が全ての長所を帳消しにしてしまいかねないのだ。                         (同書 P.83〜84)      彼女達が苦界に身を沈めたのが運命だとすれば      彼女達の涙は誰が拭くのか…。 286/286 JBH00742 炎 フィリピンを知るなら (17) 93/03/30 23:15       「熱帯の闇市」(篠沢純太 太田出版)      私がこれまで読んだ中で最も忠実に?      フィリピンの人達のことを表現している本。      フィリピンのガイドブックとしても使える。      イラストも味があって色々と想像力を掻き立ててくれる。      本の表紙には下町の明るい笑顔の子供達の、      裏表紙にはジープニーに乗った好奇心でこちらを見つめている子供達の      写真が使われている。      さて本の内容はと云うと…。      フィリピンは「闇」なのか…。