- FARION MES( 2):【居酒屋1999】雑談・自己紹介--------<07> 93/04/02 - 882/883 GBG02755 スマル 暖かな日溜りのように。。。 ( 2) 93/04/02 08:01 おはよう。みんな元気してるだろうか。 いつでも、人は辛いけど、なんだか、特に近頃辛くない?? でも、もうすぐ峠は越せるよ。 頑張って!! 私もね、やっと、生きててよかったなって思えるようななった。 やっと、仲間に感謝出来る自分に戻った。 みんなありがとう。 そこにいてくれるって思うだけで、心が暖かく、優しくなれる。 そうなんだ。やっと、感じることが出来るようになったんだ。 私の場合、ほとんど、背中が心なんだけど。 背中が、ほっとしてるんだよ。 素直になれている。 みんな、ほんとにありがとう。                         スマル 883/883 GBG02043 維/YUI 今日(4/2)のメッセージに ( 2) 93/04/02 16:36 >>遠い空から星々の瞬きに紛れて…維/YUIさんを見守る瞳に気付いて… ふふ・・。 星々の瞬きに紛れて、きらきらの瞳がウインクしてるわけねっ!!(笑) 見守っていて。 私が生きるっていうことを。 (^^;) と・・・、見守るのに耐えうる生き方しなきゃなんないのねぇ〜〜〜 維/YUI。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/04/02 - 639/642 JAE00201 竜人 意味不明(^^;) ( 6) 93/04/02 02:16 コメント数:1     古い翼、新しい翼  ずっと前から、翼がある事を知っていた  でも、羽ばたいても飛ぶ事の出来ない物だった  ふと、気が付くと、新しい翼があった  これなら、今を飛べそうだと思う  古い翼は古い時の中でこそ、飛べる物・・・  今には合わない  新しい翼が何故有るのか?とか理屈は判らない  ただ、有れば飛べる。そう思った  あとは、飛ぶだけ・・・   (何なんだろう、この文章は(^^;))竜人 640/642 JBH00742 炎 RE:意味不明(^^;) ( 6) 93/04/02 06:36 639へのコメント     元気出して!     がんば、がんば!!!                   炎より 641/642 GBD03557 シゲ 昨日は散々 ( 6) 93/04/02 11:17 昨日はエイプリルフールだったのだげど、シゲの「こりゃおぢさんやられたわ」等。 朝からCNNのデイブレイクでキャスターが「今日は3月32日」なんてやってて、 「あぁ、今日は4月馬鹿だからだなぁ・・・」なんて思いつつ観てたんだ。 で、だいたい自分も誰か騙してやろうと、3月末からシコシコともっともらしい 悪戯をつくっていたり、ここや色んなフォーラムで騙そうと思ってファイルを作って いたりしたから絶対自分が騙されるとは思ってなかったんだ。 しかし、蓋を開けて見ると・・・(-_-;) フォーラムの巡回しているとF歴史ではシスオペが辞任するという噂が流れている。 僕はシスオペの人柄が気に入って、F歴史の三国志部屋やらせて貰ってるんだけど、 シスオペが変ってフォーラムのカラーが変ってしまったら嫌だなぁ・・と思って、 言葉を選んで丁寧に辞めないでほしい旨の文章を書いてUPしにいったんだ。 UPして未読を落としたら、げげん、4月馬鹿の謝罪文章が載ってる・・・(-_-メ) 僕の午前中はなんだったんだぁ。 午後になって昔居た会社から電話があって、僕が以前描いた図面とほぼ同一の図面を 描いてほしいとの事。前に描いた図面っていうのがブラジルに粉ミルクの工場を作る 図面だったんだけど、配管のフランジ(接続)部分なんかで研究所の評価が良くて、 パテントも取ったりして、稼動し始めた工場でもトラブルなしだから(←3行事実) 今度バンコクに作る工場から僕が描いた図面を基本フォーマットにしていくから CADデータとして新しく描いてほしいだって。 もちろん二つ返事でOKしたよ。だって一度描いた図面だからすぐに描けるし、 設計費だけで2000万は動くんだもん。それからバンコクに仕事半分とはいえ 遊びに行けるし・・・ そうしたら「そんな仕事があればいいね」だって。(-_-メ) これって大手食品会社のプラントエンジニアリング部門の課長のする事かぁ? 結局、既に僕の図面はあちこちのプラントで利用されてるらしい。 ばーろー、人が描いた図面でパテント取ってるんだから手土産の一つ持って来るなり 仕事を外注で出してもバチはあたらんだろうが・・・それがこの悪戯かぁ。 と、まぁ、障害者フォーラムいけば「健常者フォーラム」になっていて、 オープニングメッセージで健常者が「なんで障害者にこき使われなくてはいけない んだぁ」と逆上してるし・・・シャレにならんがな。 今回のエープリルフールで分かった事。 シゲは実は素直な純真な心を持つ、騙され易い人間だということ。 これからのシゲの進むであろう道。 えーい、ヒネくれてやる、ヒネくれてやる。 結局3月に作った悪戯ファイルはどこにもUPする事はなかった・・・ これじゃ気力なくすよなぁ・・・ブツブツ 642/642 HFD01514 NAE 夢の信憑性 長くてゴミよ ( 6) 93/04/02 14:49 夢を見た。草原から玉石を幾つも見つける夢だった。俗に言う「ラピス」であるが 金を含んだ、角の無い柔らかい形だった。しかも、研磨されている様に球体では無 く、只の石ころの様に、それぞれが皆違う形だった。わたしは、いとも簡単に、そ れらを見つけては幾つも掴んだ。 そして3日後、いつも出かける時計店に、修理の終わった時計を返して貰いに出か けた。店のウインドの中に、何故か「ラピスのネックレスのトップのみ」が、格段 の安さ「\4,000で7-8ミリの大きさ」で展示してあった。 以前、雑誌の通信で、やはり一個だけラピスを買った事があるが、その半分の大き さで、一万弱を考えると、何故こんなに安いのか不思議だった。 ま、その店では以前にも中古の指輪を半値で買ってるから、その類ではあるだろう (中古は気後れしたので、他の宝飾店で磨きなおして、不要な刻印は消して貰った) 夢とは内容が違うが、実は、その石に出会う事を予感させる夢だったと、今になっ て思う。 また、昨日には何故か、みれさんが、本の中で登場した。(^ー^;) わたしは現実に逢った事が無いにも関わらず、何故かこれまで本で見た以外のアン グルで写った写真を見ている。また本では無く本当に逢っているような感覚である。 それ以外にも、これ又不思議な事に、旧ソ連の有名な霊能者と共に、他に5−6人 のやはり同じ様な人が一団になって椅子に座り、他の3−4人が、それぞれ後ろの 空いている所に立って、正面を向いて写った写真が、本の挿し絵の様になって見え る。ソ連の彼女は向かって一番右端で椅子に座ってこっちを向いている。 わたしは、実は、みれさんよりも、そのソ連の霊能者の方に、気をとられている。 そのまっすぐな眼の、しかも眼のそばのシワの一つ一つさえもリアルに、感じて、 少し異様な雰囲気になっている。その霊能者は、先日日本に来て、富士山の霊視を して、TVに紹介され、雑誌ムーにも2ヶ月連続で出ていた彼女である。 その時感じたのは、普通霊能者同志というか、霊的メッセージを受け取る人達は、 横のつながりには希薄で、あまり親交が無いというか出来にくく(その霊的存在が 出来にくくしている??)なっているハズなのに、これ程、みれさんとソ連の霊能 者が、親交を深めているのは、不自然ではないのか、わたしは疑問視している。 そして、ソ連の霊能者の眼をまっすぐに見ていると、(見させられている??)そ の眼の奥にソ連に居ながらに、日本を即座に理解できる能力が彼女にはある事を、 直感的にわたしは知った。 そして、眼が醒めた。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/04/02 - 057/059 SDI00635 みれ RE:MAKOTOさんへ ( 7) 93/04/02 02:13 051へのコメント  #051 MAKOTO さん  突然の割り込み、ごめんなさいね(__;)  実は…あたしも、ここのところ同じ様な問題を抱えていたもので、ついつ い話をしたくなったんです(^O^;)  本当に身近な(或は身近だと思っている)人達のことって、結構見えてな かったりしますよね。普通に友人と接する時のように、接することが出来な かったりもしますね(自戒せねば(__;))  でもって、本当に難しいと思われる「身近な相手」と、「他人(=身近で ない相手)」と接する時の礼節を心のどこかに置きながらも、且つ他人以上 に親しい部分を殺さないように、甘えないように接することって精神の鍛練 としては、とても優れモノかも知れないなぁ…と、思ったりしています。  あたしは常々、他人の言葉や行いで傷つくことも、身近な相手の言葉や行 いで傷つくことも、「傷つく」という意味では同じだろう、などとタカをく くっていたのですが(笑) これが中々…(^-^;) やはり身近な相手にたい しては、胸襟をより開いているせいでしょうか…同じようなことを言われて も、身近な相手に言われるとこたえますね。身近な人同士だから深く傷つけ 合うことは、あまり無いだろう…などと、これまたタカをくくっていたのか も知れませんけどね(^_^;)  で、結果的に(当たり前のことですが…)、身近であろうと無かろうと自 分とは違う個体であるからして、感じ方も知識の繋げ方も問題意識の方向性 も全て違うんだ!ということを、再認識してしまったというわけです(笑)  この「如何にも当たり前のこと」というのが曲者で、身近な間柄ではこの 「当たり前」の基準がお互いに異なることが、しばしば忘れられてしまうの も齟齬の理由の一つかな、と思います。  「如何にも当たり前」にしていることって、意外に沢山あったりもします けど、百人居れば百人の「如何にも当たり前」があるんだという、当たり前 のことを考えつつ… ウウッ ヤヤコシイ(^。^;) 百人の「如何にも当たり前」の共通 部分や異なる部分について、お互いに納得の行くところまで話したり、接し たり…ということが出来れば、本当にいいのにね…と考えているあたしです。  お互いに齟齬があって、それでも諦めないで心から相手を理解したい、自 分も理解して貰いたい…と願う人が、このフォーラムに沢山集まって来てい るように感じます(^_^)  MAKOTOさん、       一生懸命の木には必ず美味しい実が成りますよ!                (…と自分にも言い聞かせております) ・:*:・みれ・:・。,★ 058/059 HGE03563 OZ弐 RE:教えて下さい ( 7) 93/04/02 04:22 054へのコメント えーと、 進化の過程で、人間的な心がくっついてきたので、心のエネルギーより 肉体エネルギーのほうが強いといった発言には根拠がありませんでした。 スミマセン。「心」という言葉に自分でしっかりした定義が成されていないうちの 発言でした。 まず言っておきたいことは、ぼくもNAEさんと同じように、 「身体と心もその接点に依っての相互作用が免れない・・・」という 方針でいってます。 でも、身体に干渉する物理的な面、化学的な面と、 心に作用する心理的な面を一つ一つ丁寧にたどっていくと、 その接点がより確実に分かるという確信を持っています。 「個人的なライフスタイル」というのは、ぼくが言った生命リズムとは、 ちょっと違います。 もっと化学的、物理的につっこんで考えた、 どういう状況のとき、どれくらいの量、何を食べたか? 運動量は?睡眠は? といった、「事実」を問題にしています。 たとえば、白米を偏食していると、 化学的な生命エネルギーの燃焼に必須なビタミンB群が不足なため、 不完全燃焼を起こし、それだけで既に酸毒が蓄積されてしまいます。 前に読んだ本に書いてあったことなので、記憶が曖昧ですが、 ある病院の進行ガンの患者で、白米を食べていた人は、 全員死亡したが、玄米を食べていた患者は全員生存していた、という記録を 読んだことがあります。 この事柄は自然食だからどうのこうのという論点の問題でなく、 単純に自然の摂理に従っていたか、従っていなかったかの違いを見るべき。 白米は、コメを人間の手で精製した、化学的なデンプン粒の塊ですね。 また、一日の食べたものの総エネルギーと、運動量が合わなくても、 身体に異常が起きます。生理機能が純化されている人ならば、 「食欲がわかない」という反応によって問題は解決しますが、 普通の人はみな「習慣的食欲」というものに振り回されて、 また、自然界には存在しないような味つけをして、胃腸に過剰な食物を つめこみます。自然破壊の様子をみれば、過剰な有機物を分解するのに 肉体にどれだけの負担がかかるか想像がつくと思います。 一説によると過食はタバコよりも身体に悪いそうな。 このように普段意識されないが、日常の生活をよく観察していれば、 食の面だけでも「自然の摂理」に従っていない事柄がゴロゴロみつかります。 「自然の摂理」には、特異の例を除いて自然界には病死は無いという法則があります。 人間は自然界の一部であるし、自然界の生物の中でも最も精妙な肉体を持っています。 ですから極論すれば、本来、人間というものは病死しません。 この大前提を念頭に置いた上で、物事を考えるべきだと思います。 自然科学の粋の粋は「自然の摂理」に合致します。 病気・健康問題は、ほとんどこの自然科学からのアプローチだけでも解決できるので、 ぼくは心理面は正直言ってついつい軽視してしまいます。 でも、なかには俺は癌じゃないかという思い込みだけで死んでしまう、 信じられない人がいるからなー。楽天家のぼくにそういう人の心情が分かりません。 ひとつ言えることは、人間ネガティブな発想になればおしまいじゃないのかなー。 人間は本来病死しないのに、その常識(?)を打ち破って死ぬことが出来る ナントモ凄まじい理性を持っている。・・・という解釈も可能ですね。 ぼくのエゴの発言については、あれはぼくのエゴ観といえばいいんでしょうか、 ぼくの個人的エゴの解釈の仕方は、習慣性ということとつなげて考えているので、 ちょっと(かなり)偏見にみちているかもしれません。 もちろん、習慣も時とともに形も変わってゆきます。 ************************************** 心っていったいなんでしょうか。 心の本質に思いをよせるとはたと考え込んでしまいます。 感情でしょうか。感情なら動物にもあります。 理性でしょうか。理性は心そのものではありません。 「〜すべき」の理性と、「〜したい」の感情との摩擦が、 心の本質でないかなと、今の段階では考えています。 059/059 GBG02755 スマル RE:脈絡のない殴り込みだああ! ( 7) 93/04/02 17:25 055へのコメント >>ねずみさん。(^_^) 気にいったところですか。うむ。 えっとはっきり覚えているのは、バスチアンが恐ろしいと言われる門を 通ってゆくところですね。 鏡が自分の本当の姿を映し、普通の人ならその恐ろしさ、醜さに、 自滅してゆくところ。 私も実際に自分の考えも及ばない醜さを突き付けられて、 苦しんだ覚えがあるものですから、思わずその場面を思い起こしました。 コンプレックスの強い人は、最初から自分を卑下していますから、 以外に醜くなかったりするんでしょうが、 私は、コンプレックスと言うものを感じたことのない人間なんですね。 今まで、大凡優等生で来てしまいましたから。 自分で、優等生だとも意識したことはありませんでしたけど。。。 つまり、私はぜんぜん自分を知らずに生きてきたんですね。 だから、自分のありのままを見たとき、逃げ出したくなってしまったんです。 でも、目を背けず、恐ろしさに目をつぶらずに、歩き続けたから、 いま、ここにこうしているんだと思えます。 それと、バスチアンは、どんどん自分を失って行きますね。 そこの場面をもう1度読みたいと思っているんですが。 実は、つい最近まで、私は私をどんどん裸にする作業をしていたんですが、 方向を間違えまして、とんでもない迷路に迷い込んでのです。 自分を裸にすることは、私の望みなのですが、捨ててはいけない領域が あることに、気がつきました。 たぶん、果てしない物語にも、そこらへんが描かれているのではないかと、 思っているんですが、なにしろ記憶が怪しく、確認していないのです。 強く印象に残っているのはその2点ですね。 それから、物語を襲う虚無には、やはり関心を持っています。 アリオンが感動する心を大切にするようにと何度も言っていますが、 虚無とは、何も感じ無くなった心を言うのではないかと思います。 現代人は、あまりに知識に振り回され、本来感じているものを 感じてはいけない、感じているはずがないと思い込もうとしていると 思います。そういうことを繰り返していると、そのうちに、本当に 何も感じ無くなります。心に空間=虚無がうまれてしまう。 そこらへんに、警告を発しているという点にも、この物語には、 共感を抱いています。 私が迷い込んだ迷路は、まさに、何も感じたくないと言う迷路だったのです。 その迷路にはまると、完全に希望を失います。 そして、自分が誰であるのか、愛する人が誰であったのかさえ見えなくなります。 そして、虚無に落ち込むと、そこから這い出ようとする気力すら失います。 とても恐ろしいことなんですね。 アリオンが自分を見なさい、嘘は止めなさいと言うのは、 本当のことだと、実感して、ここに返ってきました。 自分を見ていたからこそ、ここに戻ることが出来たのだと思っています。 でなければ、今ごろ廃人になっていたかもしれませんね。 チト、オオゲサダッタカナ(^_^;;) 長くなりましたが、私はこんな風に感じているんですよ。                                            スマル - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/04/02 - 210/212 RGE01147 誠惇 太陰歴、太陽歴 (14) 93/04/02 01:28 185へのコメント  こんにちわ、星也さん。  > あと、、、太陰暦じゃないかなって。    面白いんじゃないでしょうか。  太陽歴(新暦)は、お日様の動きから、  太陰歴(旧暦)は、お月様の動きから出来ている暦(こよみ)ですよね。  日読み、月読みなんて解釈も出来そうです。  そうして見ると、片方の歴だけではなく両方の視点が必要な感じがします。  表と裏という関係かもしれません。  私も以前から旧暦に興味があり(特に新月と満月)、  旧暦の記載されているこよみを買っています。  ちなみに、新暦3月23日は旧暦3月1日(新月)でした。  逆に、旧暦の3月23日に当たる日は新暦で4月14日(と5月14日)です。  (5月のほうは閏月のようです)  数霊の知識はありませんが参考までに      新 4月14日 … 4+1+4 =  9                4+14  = 18      旧 3月23日 … 3+2+3 =  8                3+23  = 26  >>議長  新暦と旧暦の捉え方について議長の考えをお聞きしたいのですが、  コメントいただけませんか?        By 誠惇 211/212 JAE00201 竜人 最近、何かがおかしい?? (14) 93/04/02 02:13       最近感じた事  最近実家に戻った時の事です。元々の住人の土地で 後から来た人達の暴挙(言い過ぎかも(^^;))を目の当 たりにした。  以前は、休耕田から、自然に生えた物を持って行くだ けだった。  今は、畑の中から持って行っている。(泥棒と何処が 違うのだろう?)彼らには罪の意識が無いのならば、こ れはかなり恐い事だと感じた。  それだけです。                        竜人 212/212 JAE00201 竜人 返事が遅れました (14) 93/04/02 02:14  ども、こんにちわ誠惇さん。返事が遅れて 済みません。(^^;)  感覚が似ているという事は私にとっても嬉 しい事です。(^^)  「ヒスイ」の色に付いて、YUI/維さん の発言、確かにありました。(^^;)   関係者の方々、申し訳有りません<(__)>  お騒がせしました。                   竜人 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/04/02 - 144/145 JCC00626 ナガト RE:男であること (15) 93/04/02 01:59 139へのコメント  一輝さん、はじめまして。ナガトです。  以前から一輝さんのご活躍拝見しておりました。今回はじめてコメントさせていただきます。今後とも末永くよろしくお願いします。  また、今回は117の松川塾長の発言への139の一輝さんのコメントに割り込むようなかたちになりましたが、ご両人とも失礼をどうかお許し下さい。   一輝さんや塾長の一連の議論は 男であること や、勇気ということ、をめぐってのもののようですね。あるいは維新論や幕末の志士の生き様を巡る議論がその根底にあるようにも感じます。  今回私がお話ししたいのは「勇気」という言葉を聞いた時に、私がすぐ連想するある映像についてです。139での一輝さんの発言にも関連するようにも思いますし ひょっとしたら全くの的外れな独善かもしれませんが、以下しばらくその映像に関する記憶をお話しします。  1989年6月、中国・北京、天安門広場へと通じる大路・長安街での映像です。  その春に異常な盛り上がりを見せた民主化運動が、6月4日に「反革命暴乱鎮圧」の名のもとに行われた人民解放軍の武力弾圧によって一挙に影をひそめた天安門事件から数日後。武力鎮圧のために地方軍管区から北京に投入された解放軍の戦車や 兵士が、北京の街を我がもの顔で走り回っていた頃です。  その時も広場へと向かう戦車隊が上下8車線の長安街を縦列行進していました。  歩道では無数の市民が、数日前に突如一般市民やハンストをしていた学生たちを轢き殺し、無差別発砲で殺害した「人民軍」戦車の行進を黙然と見つめています、  ふいに一人の若者が歩道から飛び出し戦車隊の前に立ちはだかりました。  丸腰の若者は、何かそこらで一杯引っかけた帰りでもあるかのようにふらりと、轟音を響かせて行軍する戦車隊の前に立ったのです。  誰もが次の瞬間、最悪の事態を直感しました。  しかし何故かその時戦車隊は停止しました。  長い時間が過ぎていきます。それでも戦車は動きません。若者は、直立不動で立ち続けます。  やがて戦車は動きだし、目の前に立つ若者を迂回しようとします。若者はそうは させじとまた前に立ちます。戦車は、また停止します。戦車が自分を轢きはしない、と見極めた若者はやがて戦車によじ登り、ハッチを叩いて中の兵士を呼びます。兵士は出てはきません。  結局、歩道から飛び出してきた数人の男達が若者を戦車の前から除去して、この 命懸けの「通せんぼ」は終わります。そしてその一部始終は、通りを遠望できるホテルの一室にカメラを据えていたアメリカのテレビクルーによって記録され、全世界に配信されました。  この映像を初めて見た時、私は凝然となりました。  勇気という言葉を聞く度に、私はこの映像を思い出します。  若者が戦車の前に立った数十分の間、二つの勇気がそこで交錯しました。  一つは、無論、若者の勇気。彼を除去した男たちは公安警察の私服だといわれていますので、若者がその後どんな運命を辿ったかは想像するに余あります。  もう一つは、彼を轢き殺さなかった戦車隊の中の某の勇気。上意下達がレーゾンデートルである軍隊組織の末端にいるであろう某-----彼にとって反革命分子を排徐せよ、とい う党と国家の命令は絶対であったはず。若者を轢き殺しても罪になるどころか「業務達成の中での不可避な事故」あるいはそれ以下で済んだことでしょう。しかし「彼」はそうはしませんでした。戦車の中でその時何が起こっていたのか、彼、はその後どうなったのか・・・・・。  そして何よりも私は戦車の前に立てるのだろうか?  もし立てるとしたら、私は何のために立つのだろうか?  以前この部屋で話題になった台湾の映画監督・候孝賢は、この若者についてこんな感慨をもらしています。彼が「非情城市」でベネチア映画祭のグランプリを受けた折旧友の香港の映画監督のインタビューに対して答えたものです。   この映画(非情城市)は天安門事件の前に撮ったけれど事件とはつながって   いる。   それは中国人の悲壮感だ。中国人の状況を考えればその深刻さがわかるだろう  。でもそこから力が湧くんだ。   中国人は本当に目覚めたと思わないか?彼等に覇気を感じないか?   戦車を止めたあの青年のように、恐れることなくあたりを駆け回り、撃たれれ  ば逃げ、また戻ってくる。弾丸など、まるで石ころのようだ。不思議だろう?   自分の中で何かが燃え上がり自分を抑えられない。   それは中国人の根につながっているんだ。その時中国人は勇敢になる。   ・・・・天安門事件後、もう逃げられないと思った。大陸の事件は恨んでも   仕方がない。だがあの政権の構造は中国の伝統そのものだ。中国人はこの泥沼   から脱け出せない。   台湾は繁栄しているがみな不安なんだ。どの階層も必死に金を稼ぐ。何かを   恐れている。中国人には恐怖感があるんだ。とにかく稼いで手があれば外国へ   出る。家族を外国に置き、また台湾で稼ぐ。そして台湾ではあれこれ批判ばか  りする。でも連中は外国からたまに帰ってくるだけだ。   私は水の中に入ってこいよ、と言ったんだ。みな中にいるんだ。外で見ていて  も役に立たない。   天安門事件も同じだ。大陸がどうなってもそれは私の根だ。運命づけられた中  国人的なものが、心を打つ。これが私の映画創作の根っこの力なんだ。                                                   *候孝賢・インタビュー     覇気と、候孝賢が呼ぶ何ものかが、一輝さん他皆さんの求める勇気であり、 そして泥沼にずぶ濡れになっても、なお語ろうとするものであるのではないでしょうか?私の語彙でいえばそれは「侠気」とでもいうべきものです。  水に濡れること。  自分の家族と財産を避難させてから、郷里を批判しないこと。  >深く吟味などせず形で判断したほうが、あれこれ自分で考えなくて楽である、  >いつもそう選んでしまうのは、為政者ではなく我々ひとりひとりなのです。      >指を切らずとも、責任を取ることに対して、積極的になれば、それだけでも  >何かが変わるように思います。職場でも、責任から逃げ出さず、自ら責任を  >背負う者のほうが、年齢や性差を超えたところで周囲から一目置かれ、脚光  >を浴びてきています。  >問題があれば、みな蟻の子を散らすように右往左往逃げ出す状況の中、これ  >からの時代は自ら進んで責任を背負ってゆく者がヒーローとなるのでしょう  >ね。                   *いずれも139での一輝さんの発言  それにしても、よう似てますね、候孝賢と一輝さんは。  幸いなことに私たちを目がけて突進してくる現実の戦車はありません。しかし目に見えぬ形で、私たちをスポイルし、内側から私たちを占領しようとする力は、確実に存在します。  私たちの日常いたるところに私たちを轢き殺そうとする戦車がいます。私たちは知らず知らずのうちに、その戦車とどう戦うかの選択を強いられているようにも思えます。あるいは上からの命令を守ろうと懸命になる余りに、知らぬ間に誰か轢き殺そうとしているのかもしれません。いずれの立場にいようとも、自らの立場を知らぬままでは耐えられないものです。  この戦いは、若者がそうであったように決して勝算の見えないものです。 戦うに当たって戦略的であろうとするのは当然です。しかし戦略の限界をもっとも良く知るのは戦略家だ、というのもまた事実ではないのでしょうか。    私もまた自らの根を探し、いまなお迷子である者です。  責任のリスクを進んで負うべきだ、とい一輝さんの意見、胸がすく思いでした。  これからも一輝さんの卓見、楽しみにしています。  今後とも宜しくお願いします。  割り込み失礼いたしました。              *今回のネタ元:1990年3月18日放送のNHKの番組                NHKスペシャル「SUNLESS DAYS」                            ナガト 拝       145/145 JCC00626 ナガト RE:松川塾長の発言121について (15) 93/04/02 04:19 142へのコメント  侠気とは狂気なのだろうか。  そんな言葉を松陰か、西郷南州だかが言っていたような気がします。 >おれは妾の子で、ははおやがおやぢの気にちがつて、おふくろの内で生まれた。夫  を本たうのおふくろが引き取つて、うばでそだててくれたが、がきのじぶんよりわ  るさ斗りして、おふくろもこまつたといふことだ        *松川塾長発言142の勝小吉「夢酔独言」からの引用 その孫引き  「おふくろ」と「ははおや」の違い。  困ったもんです。つらいなあ、やはり。  酒の酔いも手伝い、様々な思念が消えては騒ぎ、騒いでは消えていきます。  勝小吉なんざ、やはり侠客ですよね。  ・・・・やはり侠は狂なのか。  わが身を振り返れば、それはやはり狂でもあるようです。しかし厄介なことに  狂は決して=侠、ではない。 >ははおやがおやぢの気にちがつて  しょうがないもんなあ。惚れちゃったんだから。でも子供は辛いよな。  男は志士だとかいって理屈を大事にする。(私もそうですが)でも、 しょせん根っこは理屈ではなく、狂であったりもする。  女はどうなんだろう?女に狂→侠の道はあるんだろうか。  幾松(古いなあ)とか、菅野スガ、最近では重信房子とかいるけれども  「メドゥーサ」はいまいちピントがずれてるし(雑談です)・・・・。   おやぢの気にちがった「ははおや」---これはやっぱり狂だよな。だから  男は女に惚れんだしね。    男も女も、やはり狂で生きている。  侠気への道は、まだまだ遠い。  というわけで思わず前言までと違った感慨を書いてしまいました。  妄言鬼語、お許し下さい。                *今回のネタ本はありません。                              ナガト 拝