- FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/04/07 - 081/090 GBG02755 スマル RE:脈絡のない殴り込みだああ! 083/090 JBH00742 炎 RE:脈絡のない殴り込みだああ! ( 7) 93/04/06 23:37 081へのコメント  こんにちは、スマルさん! >>>米屋のせがれよ、はよ、米持ってこい!!  う〜ん、笑ってしまいました。  本当に、持ってくるといいですね。(^^;)  ところで、実は預言解読部屋で書き込んだ(#263)夢の中で  私の“対戦”相手は「武器」を持ってたんです。  何でも、その「武器」は相手の“背中”に影響力があるらしいのです。  格好は『5』本指の形をした「熊手」のようでした。  (#264の誠惇さんの書き込みも関係有るのかな…。)  何となく、この夢を見たあとでスマルさんのことを  思い出したので、UPしてみました。  では、またね〜! 087/090 JBH02324 なえ RE:教えて下さい ( 7) 93/04/07 20:59 082へのコメント ありがとうOZ弐さん 始めの4行に、やっと、あなたの本当の言葉を貰えた様に思います。 質問の :「自然界に病気は無い」という観念も、 :「病気は普遍的な現象だ」という観念を :そのまんまヒョイとひっくりかえしたにすぎません。 :あなたはどちらがより真理に近いと感じますか? :・・どちらも一面的な真理をついていると思いますよ。 わたしも表裏一体と思いますよ。ただ事実かどうかはわたしの知る範囲を越え ているので、単に観念としてしか答えられないですが。 さて、最近のARIONからのメッセージの中に、こういうのがありました。 :807/810 MHD02502 ARION 全てのこと、全ての者… :( 7) 93/02/18 02:49 コメント数:1 *一部略 : : 数ある言葉、戒め、教えなどの中から、自分の心に響くものを選びなさい。 : 周囲の評価がどうあれ、周囲の認定がどうあれ、あなたの心に響くものは、 : あなたにしか分からないものだから。 : :                       −−−ARION,O∴O−−− という事を考えていると、次のような言葉に出会う事が出来ました。  九十九という言葉。  人は生まれてこの方、身体や品物を我が物、従属物として疑問無く扱って来たが、  今一度、振り返って見たい。  わたしは、人は九十九で生まれてくると思っている。後「一」を足すと「百」であ  る。百は完全を意味する100パーセントである。だから、言い替えれば九十九とは、  不完全であり、無に等しいのだ。しかし「無」だからと言って何も無いというのと  は違う。人間の目で見える世界は「有」であり、見えない世界が「無」である。数  に言い替えれば、無は「0」であり、全ては「0」をこそ起点として始まり、ここ  から「有」である「1」は生まれる。そして、なおかつ「無」「有」お互いが有っ  て、この全ての世界は成り立っている。「0」から生まれた人は「1」とも言える。  では、九十九とは何であろうか。紛れもなく人間の身体そのものである。そして、  自然万物に等しい。人は、心という残りの一を育てる事で、限りなく100に近づ  いて行くのだ、向上心という姿で。向上という言葉は心の底から沸き上がる真実の  叫びである。或いは、身体不自由で、この世に生を受ける事も有るだろう。だが、  心までも不自由では、九十九から抜け出す事は不可能だ。己の姿に九十九よりも少  ない物を見たなら、心がそれを補って行けば良い。心は一であり、二であり、無限  である。ましてや九十九の身体で生まれて、これ以上の何を望むか・・。心を育て、  与えられる、あらゆる事に感謝せずして、向上という言葉もまた有り得ない。              エッセー  深谷 さんより抜粋及び簡略化と私見 ま、かく言うわたしも片方の目が見えないですから、こうして画面を見ながら、仕 事なり、通信なりする事自体、非情に苦痛なのですが、これも、我が身の不十分を いかに補う事ができるか、どんな可能性があるか、探る為にも、ここでこうして居 る訳です。 わたしが貴方の言葉を見ながら気が付いたのは、小さな頃から教えられた「教育」 という一つの有り方なんです。 目に見える物は正しい。見えない物には科学の物差しを当てはめて理論で解決し、 その姿がいかにも目に見える様に管理する。 例えば1+1は2だ。だから、答は2である。こういう割り切った考え方。見えな い物には答は無い。無い物には存在も無い。という、唯物主義的な発想ですね。 これを別に悪いと卑下する積もりは無いですが、この事を突き詰めると、お互いに 「幸せ」を求めて生きている前提には、その価値ある物が一体何であると思えるで しょうか。 お金があって、おいしい物が食べられて、良い車に乗って、一戸建ての持ち家に住 んで・・。それから・・それから・・。 それが当たり前の幸せで無くて何なの?とお聞きになりますか?。 私達は一人で生きているのでは無いですから・・。みれさんとARIONが言って くれた様に、きっと指の数だけの人達に依って自分は支えられ「生かされて」いる と思います。ならば、その人との接点に「自分本意」なんてのがあると、スムーズ に運ばないでしょ?。その基本は「心」ですから、しっかりした「こころづくり」 をして行くべきだと思うのです。 そして、どんな人でも、心で感じた事を身体で表現していく、行動して行くから、 ここでの会話も、自分の生活も成り立っているのではありませんか?。 だからこそ、わたしは「心」の使い方一つにこだわっているのです。 個人的な信念を殺していくと言うあなたの言葉は、とても寂しく感じます。 何故って、自己の純粋な理性は、理性の範囲を離れた時、どう対処するのか、どう 解決するのか、道筋が見えないからです。 ここのメインである「ARION」にさえ実体は見えないのですから。 その実体の見えないARIONを、貴方はどう理性で判断しますか?。 それとも、理性では判断出来ない事には目をつむって、見ない振りをしますか?。 #- FARION MES(12):★アキラのハルマゲドン探偵局--------<01> 93/04/07 - 529/529 NCD01751 しろおか こ、これは何かの間違いでは?^^; (12) 93/04/07 19:45 4月3日付けの読売新聞の夕刊、読書スポットの欄の中に『週間ベストセラ− (3月30 日 ト-ハン調べ)』という記事が載っていた。 「ノベルス部門」、ベスト10の中、10位に(何と信じ難い事に ^^;)平井和正原作 『黄金の少女 3』(徳間書店 ¥750円)がランキングされていた!。 [独白:これは、自称三文小説家としては堕落以外の何ものでもない!] さすがに新書版だと売れ行きが良い様です。一時期、ハ−ドカバ−で出版された時など、でっかい・重い・高値の三重苦に、この先どう成るか心配だったのですが。(^_^)                 誰だ!平井和正につまらん入れ知恵をするのは ^^; - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/04/07 - 109/114 GGA02514 KAZE 出口王仁三郎の神の活哲学●その3・上 (13) 93/04/06 23:18 ======================================================      ●十和田龍:出口王仁三郎の神の活哲学(御茶の水書房)● ======================================================         第3章●宇宙の成り立ち(上) ====================================================== ============================================================================  王仁三郎は「宇宙の実在は神であり、この世のあらゆる現象は神の意志の発作、神 の意志の表現だ。そして神の意志とはコトバであり、すなわち神は言霊である」とい う。だから神名に大国主命とか素盞鳴尊(すさのおのみこと)などとある命(尊)は、 「御言」「神言」の義だ。  また声は心の柄であり、嬉しさ、悲しさなどの思いはまず声に現れる。進め、退け、 起きろ、寝ろなど、人間の一挙一動、みな言霊の力によって左右される。 ============================================================================ ●王仁三郎の説く宇宙誕生●  天のもなく、地もなく、したがって時間も空間もない大虚空に、極微なる一点のヽ (ほち)が忽然と現れ、無形、無声、無色の霊物となる。  この霊物はついに霊気を産出し、澄みきり澄みきらいつつ次第に拡大して、一種の 円形を作る。円形は湯気よりも、煙よりも、霧よりも遥かに微細な神明の気を放射し、 円形の圏を描いて元の円形を包、◎(ス/実際は円の中に点を打った形)へと形を発 展させながら、寂然たる無音の虚空に初めてあるかなしかのスの言霊を発生する。  ◎すなわちスの言霊はかすかな声音のようだが、遠く、深く、強くどこまでもしみ とおってゆく。「澄みきり澄みきらいつつ」スースースースーと極みなく延び広がり、 ふくれあがり、鳴り鳴りて鳴りなまず、ついに極まり達してスゥースゥーとウの言霊 が発生する。  ウの言霊はウーウーウーウーと透徹し、その活動を領分して上へ上へと昇りつめ、 その極みにアの言霊を生み、さらに降ってエの言霊、イの言霊を生む。  ここに天の言霊であるアオウエイの五大父音が完成し、次にカサタナハマヤラワの 九大母音ができ、キシチニヒミイリヰの火の言霊、ケセテネヘメエレヱの水の言霊、 オコソトノホモヨロヲの地の言霊、クスツヌフムユルウの結(神霊)の言霊が生成さ れ、さらにガゴグゲギ、ザゾズゼジ、バボブベビ、パピプペポの言霊が生まれ、つい に七十五声の言霊が完成する。 ============================================================================  七十五声の言霊があい和して大音響をとどろかせ、宇宙は震動して紫色に輝きはじ める。だが言霊の鳴り満ちて現れた世はまだ霊界のみである。それは次第に水火を発 し、虚空に光を放ち、その光凝結して無数の霊線を発射し、紫色に輝く紫微圏層を、 ついで蒼明圏、照明圏、水明圏、最後に成生圏の五層の断層を生じた。その高さ、広 さかぞうべきもない。まさにヽに発した言霊のビッグ・バンである。  紫微圏層の中にも五つの天界が次第に形成されていく。天極にある至厳至美(しげ んしび)、至粋至純(しすいしじゅん)の透明圏なる紫天界、続いて蒼天界、紅天界、 白天界、黄天界……光彩の渦は巡り巡る。天空には万の星座がきらめいて、その数を 増す。  大虚空に鳴りやまぬ霊力体の三元は、スの言霊の玄機妙用によって、紫微天界に大 太陽を現出する。ただしこれは物質界の太陽ではなく、霊界の太陽である。その太陽 の輝きは、物質界の太陽の七倍以上の強さだという。 ============================================================================  スの言霊の活動を称して宇宙の大元霊といい、古事記では天之御中主神、『天祥地 瑞(てんちしょうずい)』(『霊界物語』第七三〜八一巻をこう呼ぶ)では天之峯火 夫神(あめのみねひおのかみ)、スより発したウの言霊を宇迦須美神(うがすみのか み)、ウの言霊から現れたアの言霊を天津瑞穂神(あまつみずほのかみ)、オの言霊 を大津瑞穂神(おおつみずほのかみ)という。  このウの言霊の鳴り鳴りて鳴り極まるところ、上にのぼりては神霊の大原子である 霊素が発生、これを霊系の祖神高皇産霊神(たかみむずびのかみ)という。下に下っ ては物質の大原子である体素を醸成、これを体系の祖神神皇産霊神(かんみむすびの か)という。み ============================================================================  天之御中主神が万有一切をまきおさめてこれを帰一し、いまだ活動をおこさない宇 宙誕生の瞬間、すなわちその静的状態にある時は、むろん時間、空間を超越している。 時間、空間の観念が発生するのは、少なくとも天之御中主神の本体から霊と体との相 対的二元である高皇産霊神、神皇産霊神の二神が顕現し、活動をはじめてからのこと である。  天之御中主神をその静的状態から考察すれば、霊力体を帰一するところの宇宙の大 元霊である。一元の虚無、また絶対的実在といってもよい。次にその動的状態から考 察すれば、この神は随時随所に霊力体の微妙神妙なる配分をおこない、無限の時間、 空間にわかりて、天地、日月、星辰、神人、その他万有一切の創造に任ぜられる全一 大祖神である。  天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の三神を造化三神といい、古事記の冒頭に 現れる神名である。王仁三郎によれば、高皇産霊神は霊系、神皇産霊神は体系で、唯 一の実在なる天之御中主神の神格が二大系統に分かれたことを意味する。ゆえに三神 は別個の独立した神ではなく、宇宙の大元霊のそれぞれの働きにつけられた神名であ り、三神即一神の三位一体の関係にある。この神を称して三つの身魂、すなわち瑞の 身魂という。  高皇産霊神、神皇産霊神の神名にあるように、この宇宙には産霊(むずび)という 不思議な働きがある。産霊の産は産む、蒸すの意であり、日であり、命だ。産霊とは 単なる連結ではなく、酸素と水素の結びで水が産まれ、陽極と陰極の結びで電気が産 まれるように、陰陽二元の働きから霊を産む、すなわち命を蒸し出すことである。  言霊学では、霊はチまたはヒと読み、体はカラ、カラタマ。霊(チ)素と体(カラ) 素が結んで霊体(チカラ)、すなわち力が産まれる。霊素と体素が結び合うことによ って精気が発生し、この精気より電子が産まれ、電子が発達して宇宙間に電気が発生 し、動、静、解、凝、弓也(ち/コレハ一文字デス)、合、分の八力が完成する。こうして 霊力体の三元の活動により大宇宙、小宇宙が改正され、万物が造られる。したがって 宇宙間のありとあらゆるものは、真の神の霊力体で造られたといえる。 ============================================================================ 110/114 GGA02514 KAZE 出口王仁三郎の神の活哲学●その3・下 (13) 93/04/06 23:19 ======================================================      ●十和田龍:出口王仁三郎の神の活哲学(御茶の水書房)● ======================================================         第3章●宇宙の成り立ち(下) ====================================================== ============================================================================  「竜樹菩薩は空を説いた。空というのは神また霊ということである。目に見えず耳 に聞こえぬ世界であるから、空というのである。空相は実相を生む。霊より物質が生 まれてくることを意味する。無より有を生ずるというのも同じ意味で、神がすべての 根元であり、それより森羅万象を生ずるのである。霊が先であり、体が後である。家 を立てようという思いは外的にみて空である。けれどもその思いの中には、ちゃんと 立派な建造物ができあがっているのである。それがやがて設計図となって具体化する。 さらに木材のかい集となり、組立となり、ついに実際の大か高楼が現出する。空想が 実相を生み、無より有が生じたのである。  真如実相という意を聞くのか。真如は神、仏、絶対無限の力をいうのであるから、 前と同じ意味である。実相は物質的意味である」                          (『月鏡』「空相と実相」)  王仁三郎は、隠身(かくりみ)から現身(うつそみ)へ、無から有へと発展する過 程を、「幽の幽」「幽の顕」「顕の幽」「顕の顕」の四段階に分けて説明する。  宇宙は、目に見えざる世界の幽界(霊界)と現象の世界である顕界(現界)で成り 立つ。幽界にはもっとも内奥の世界である幽の幽界と霊的あらわれの世界である幽の 顕界がある。顕界もまた、顕の幽なる境域と顕の顕なる境域とがある。 ============================================================================  天之御中主神の神業は大別して四段階となる。 ●第一段「幽の幽」/天地初発の根本造化の経綸で、伊邪那岐、伊邪那美以前 ●第二段「幽の顕」/理想世界たる神界の経綸で、主として伊邪那岐、伊邪那美二神           の活動によって三貴神が顕現し、ひとまず大成する。 ●第三段「顕の幽」/他の神界の経綸で、天孫降臨から神武天皇以前のこと。 ●第四段「顕の顕」/現実世界での経綸  王仁三郎は「便宜上、四段階に分けて説明するが、これは単なる時代の区分ではな く、むしろ方面の区別だ」という。第一段階から順次経綸は進んだが、しかし一段階 の競輪が完成して次の段階へと移ったのではなく、四段階同時の活動であり、経綸だ。 そして現段階に至るもいずれも未完成で不整理、不整頓でり、また各段階の連絡も不 十分であり、この競輪は永遠に続く。 ============================================================================  天界には、天の数歌が不断に鳴り響く。  一二三四五六七八九十百千万  (ひとふたみよいつむななやここのたりももちよろず)  天の数歌は単なる数の順序ではない。幽の幽である大元霊が百千万の運化をへて生 成化育し、顕の顕としての宇宙を創造される順序をうたいあげ、その力徳をたたえる 言霊である。 ひと(一霊四魂)/大宇宙の根源に大元霊がましまし、一霊のもとに勇親愛智に四魂          を統べていられることを表す。 ふた(八力)  /真神のいつなみである陰陽二元の組み合せによって八力が生じる。 み(三元)   /八力の複雑微妙な結合により、剛、柔、流の三元ができ、ここで          霊(一霊四魂)、力(八力)、体(三元)の三大要素が揃ったこ          とを表す。 よ(世)    /ついに泥海のような世界ができる。 いつ(出)   /日月星辰や大地が現れる。 むゆ(燃)   /草木をはじめ諸生物が萌えいでる。 なな(地成)  /人類が生まれ、地上の世界が成就する。 や(弥)    /その世界がますます発展する。 ここの(凝)  /充実安定をあ表す。 たり(足)   /完成の域に達する。 もも(諸)   /さらにもろもろのものが生まれる。 ち(血)    /大造化の血が宇宙をくまなく巡り、生命力が満ちる。 よろず(夜出) /生成発展の光明世界が永遠に開けていく。  この天の数歌の言霊によって、大太陽は百雷の一時にとどろく大音響を発し、左旋 しはじめた。紫の光は四辺を包み光輝燦然とし、光と熱は千万里を照らして炎熱熾烈 である。  時にア声の神霊が西南の空にはたらいて高地秀(たかちほ)の峰に現れ、生言霊( いくことだま/その言霊のもつ力を十分に発揮できるような生き生きとした美しい言 霊)を発生する。それは凝ってついに大太陰と顕現し、右旋を始める。たちまち水の 霊能が現れて、霧となり、雲となり、雨となって潤し、宇宙は清涼の気が満ち、火水 和合して炎熱を鎮めた。  大太陽界に鎮まる厳(いづ)の御霊天道立神(みたまあめのみちたつのかみ)、大 太陰に鎮まり守護される神を瑞(みづ)の御霊大本顕津男神(みたまおおもとあきつ おのかみ)とたたえる。 ============================================================================ 112/114 GGD03030 《 隆 》 テトラスクロール輪読会レジュメ STONE3 (13) 93/04/07 18:39 ************************************************************************** ************************************************************************** ********** ********** ********** テトラスクロール ********** ********** R.バックミンスター・フラー(めるくまーる社) ********** ********** ********** ********** STONE3 ********** ********** ********** ************************************************************************** **************************************************************************    ゴールディは、熊たちに<シナジー>の意味を説明する。  システム全体は、その一部だけを見ていてもとうてい考えつかないような動き方  をするものだ。シナジーとはそんなシステムの全体としての振る舞いを指す。    ゴールディは三角形を3つ取りあげた。そして1つの頂点を決めて、三角形の辺  同士をくっつけてみた。すると、今までなかった第4の三角形が、新たに底辺と  して生まれてくる。つまり彼女は、1たす1たす1が4になることを発見したの  だ。  「ねえ、ウィー。あなたのWのなかには三角形が3つあるでしょ?。それを折り  曲げると三角形がもう1つできて、四面体になれることよ。あなたはシステム。  シナジーができたわ。」  彼女は、システムのなかでシナジーがつねに再生することを見出す。四面体のど  の頂点をとっても、それだけしか見ていなかったら、四面体がもっとも無駄のな  い相互関係を表す6本もの線をもっているなんて誰にわかるだろう。    ゴールディは三脚を持ちだした。これを見ると、三脚の3本の足が重力によって  お互いに離れようとしているのがよくわかる。しかし同時に三脚の足は、やはり  重力によって地面のほうにひっぱられてもいる。そして地面の上には目に見えな  い三角形が生まれる。この三角形のために、三脚は四面体のようにしっかりと固  定され、3本の脚がバラバラにならないのだ。  (この記述は少々わかりづらいですね。最初の重力の影響は純粋に地面から引っ  張られ、三脚の脚を下に落とす力、次の重力の影響は三脚の脚が重力によって地  面から受ける抗力とそれに伴う摩擦力と解釈するととりあえず理解できますが、  フラーの意図はどうだったのでしょう。以下に底辺の三角形によってマイナスの  性格の3本の脚がプラスの性格を持つ6本の脚に変化するという記述が続きます  が、三脚の脚が固定するから三角形ができると考えるか、三角形ができるから三  脚が固定するのかついつい考えてしまいます。実はそういう主客はどうでもよい  事なのかもしれないのですが・・・/隆ちゃんの独り言)    三脚の3本の足には互いに離れようとする力が働いている。つまり3本の足は離  れよう離れようとしているわけで、みんなマイナスの性格だ。ところがここでシ  ナジーが現れて、マイナスの性格を持った3本の足をとどめおこうとして、さら  に3本の目に見えない足が地面の上にできあがる。そして全体としては、プラス  の性格を持つ6本の足になってしまう。3−3=+6。辺が6本あれば構造体が  生まれる。    ゴールディは、自分の母さんはシステムだと言う。父さんもそうだ。2人とも、  それぞれ「うち」と「そと」を持っている。そして母さんと父さんはシナジーを  現わす。    1つのシステム+1つのシステム=3つのシステム    1つの「そとにあるもの」と、1つの「うちにあるもの」が、もうひとつの「う  ちにあるそとのもの」→ゴールディを生み落とす。    ゴールディは3匹の熊たちに言った。  「わたしの言葉がわからないときは辞典を引くといいわ。」  するとウィーが応えた。  「ここじゃ、ぼくらは宇宙思考コミュニケーションをしてるんだ。言葉の辞書な  んか引くことないさ。ぼくらが使うのは『宇宙思考辞典』だよ。もちろんゴール  ディたちのいろいろな言葉で書かれた辞典にも、この思考辞典にのっている概念  は全部見つかるけど、それは特別な民族なまりで書かれている。山とか星とかニ  ュアンスといった概念は、どんな言葉を使おうが同じような経験を心のなかに生  みだすものだろう?。そう、ぼくらは完全にきみの言うことがわかるよ、ゴール  ディ。」  概念がつくるシステムはシナジー的だ。この物語宇宙は概念ではないけれど、私  たちは経験というものをそこから引きだしてくることができる。そして、そうで  きるのは時間があるからにほかならない。概念のシステムは、時間によってのみ  抜きだされてきた。頭のなかにある、相互に関連し合った経験記憶の集まりのこ  となのだ。    ========================================================================    今回はシナジーという概念が登場して、いよいよ本格的にフラーの世界に入るの  かなってな雰囲気でした。細かい事はまあ、置いとくとして、システムの中にあ  って1+1が必ずしも2になるわけではないというところが興味深いところです。  これは非常に重要な概念で、過去にすばらしい発見をされた方々は少なからずこ  ういった概念を許容する人格の持ち主でしたし、偉人ならずともダイナミズムだ  とかフレキシビリティーなんてものを考えると大切な事柄のように思えます(特  に子供達には)。  最後の概念と時間の関係も言い得手妙です。時間とは何ぞやといったような問は  さておき、我々の思念が時間に左右されているのはどうやら事実のようです。と  ころが、このことを普段から意識しているかというと、実は忘れちゃってること  が多くて、ひょっとすると誤解の種になっている場合が多いんじゃないかと思い  ました。最終的な目標はには時間を超越する事にあるのかもしれませんが、とり  あえず、現状を認識するという事で心に響いた一節でした。 114/114 MHD02672 TAO 我と汝/出合いの哲学 (13) 93/04/07 23:26  >KAZEさん  どうも。しばらくご無沙汰しておりました。  王仁三郎関係なんかもすっかりお任せしちゃって…(^_^;)。  ここ最近は何かバタバタしておりましたが、やっと落ち着いて来たようです。  そのさなかでも、読書は欠かさなかったのですが、その中で感動させられた  のをちょっと。  それは、イスラエルの宗教哲学者、マルティン・ブーバー著「我と汝・対話」  (植田重雄訳・岩波文庫)で、今までは拾い読みしていたぐらいでしたが、  じっくり読み直してみると、はっとさせられるような箇所が散りばめられて  います。  ブーバーはかってドイツに在住していたユダヤ人で、ウィーン・チューリッヒ・  ベルリンの各大学で哲学と美術史を専攻した後、フランクフルト大学で  宗教哲学と倫理学を教えていたといいます。1933年にナチスの迫害に遭い、  諸国を転々としながら、大戦終了後にはイスラエルのヘブル大学社会哲学科の  教授に着任し、「我と汝」の関係を基調とする独特の宗教哲学的な説を唱えて  来た人です。  平河出版社刊の「20世紀の神秘思想家たち」という本でも、シュタイナーや  グルジェフ、クリシュナムルティ…といった顔ぶれに混じって、「ユダヤの  預言者」としてブーバーが紹介されています。  ブーバーは、ハッシディズム(ユダヤ教の一種で神秘主義的な宗派)に多大な  影響を受けていたようで、ハッシディズムに関する著述でも有名です。  (TAO/私個人は、ハッシディズム自体をよく知りませんが…)   「すべて真の生とは出合いである」 これは「我と汝」に出てくるフレーズですが、この簡単明瞭な一言にブーバーの  思想の核がこめられているのではないか、と思えて来ます。     ============================================================      恵みによって<なんじ>がわたしと出合う、−−−<なんじ>は     求めることによって見出されない。しかし、わたしが<なんじ>に     向かって根源語(TAO 注/<われ−なんじ>の意)を語るのは、わ たしの存在をかけた行為、本質行為である。      <なんじ>がわたしと出合いをとげる。しかしわたしが<なんじ>     と直接の関係にはいってゆく。このように関係とは選ばれることで     あり、選ぶことである。能動と受動とは一つになる。なぜならば、     全存在をもって行う能動的な行為は、すべての部分的行為の停止で     あり−−ただ部分的行為の限界に根ざしたものにすぎぬゆえに、−−     すべて能動的行為という感覚が消えて、受動と似たものとなってし     まう。      根源語の<われ−なんじ>は、ただ全存在をもって語り得るのみ     である。全存在への集中と融合は、わたしの力によるのではないが、     またわたしなしには生じ得ない。<われ>は<なんじ>と関係には     いることによって<われ>となる。<われ>となることによってわ     たしは、<なんじ>と語りかけるようになる。      すべて真の生とは出合いである。 ============================================================ 「我と汝・対話」19頁より  KAZEさんのお好きな西田幾多郎にも、「私と汝」という小論があるのですが、  その中から引用をば。     ============================================================      私は汝の表現に没入することによって汝を知るのでもない、所謂     感情移入によって汝を知るのでもない。私は汝が私に応答すること     によって汝を知り、汝は私が汝に応答することによって私を知るの である。私の作用と汝の作用とが合一することによって私が汝を知     り汝が私を知るのではなく、互いに相対立し相応答することによっ     て相知るのである。(中略)私といふ人格が汝といふ人格に直に応     答することによって私が汝を知るのである。(中略)汝の応答なく     して私は私自身を知ることはできない、又私の応答なくしては汝は     汝自身を知ることはできないと云ふことができる。 ============================================================ 「西田幾多郎全集」第六巻より  人間とは究極、「他者」=“鏡としての他者”が存在しない限り、自己が  “在る”ことを意識できない生きものなのでしょう。「出合い」そのものに  人間の生命が息吹き、表現を求めようとする契機がこめられている。  「汝自身を知れ」という有名な言葉も、我を映す“鏡としての他者”との  出合いがない限り、果たし得ないことのように思えます。  世界、宇宙というのは、神と人の出合いそのものなのかもしれません。  この幾多の生命が息吹いている地球、そして無数の生命が息吹いている宇宙、 それらを自分の意識の中に認めることによって、様々な出合いが可能になる。  もう一つ、「我と汝・対話」の中で不思議に心引きつけられた箇所を引用します。     ============================================================      上と下は互いに相接している。神に語りかけることなく、ただ人     間だけに語りかけようとするものの言葉は成就しない。しかし、人     間に語りかけることなく、ただ神だけに語りかけようとするものの 言葉は、誤りにおちいる。      一度神に酔うと、人間は、被造物の領域から出て、広漠たる広野     におもむくといわれている。彼はここかしこ放浪したのち、ついに     神秘の門にたどりつき、扉を叩く。すると中から声がした。<おま     えはここへ何しに来たのか>と。彼はいった、<わたしは人々の耳     に向かってあなたの賛美を発しました。しかし彼らは聾でした。そ     こで、あなた御自身がわたしの語るのを聞きとって下さり、わたし     に呼びかけて下さるようにと、あなたの許に参ったのです>と。す     ると中から声があった。<帰りなさい。ここにはおまえの声を聞く     耳はない。耳が閉ざされている死すべき人間の中においてこそ、わ     たしの言葉をきく力が埋めてあるのだ>と。      真の神の語りかけは、生きた言語を語る領域にいる人間に証しさ     れる。そこでは被造物の声が互いに手探りしては行きちがい、失敗     を重ねているうちに、永遠の伴侶にたどりつくのである。 ============================================================ 「我と汝・対話」197〜198頁より 「我と汝・対話」の翻訳者による解説では、ブーバーは一時ドイツの神秘主義に  没頭したことがあったそうですが、やがて「神秘主義の陶酔や神との交わりを  棄却して、人間の生きている生命、現実の生存の中に神の魂を実現し、充実する  ことに向かった」といいます。  ただ、ブーバーは神秘主義を完全に棄却した訳でなく、むしろ「神秘的陶酔に  甘んずることなく、それを直接人間の世界の<なんじ>との交わりに現実化する  ことを志向する実践的行動的神秘主義」ともいうべきスタンスにあったようです。 私自身も、「神秘」とは日常とかけ離れたところにあるのではなく、むしろ  日常の何気ない一瞬一瞬に対して、ふと“畏怖”という感情を感じる瞬間にこそ、  「神秘」はいつでもそこに遍在している…と感じさせられることがありますね。  そして、人間にとっての世界とは、生きた人間同士が言葉を取り交わすその場に  しか生成し得ない。人間というのは、人と人(言葉と言葉)の間でしか産まれず、  “出合い”でしか産まれ得ない。  人間は「共存者」とともに、人間として生まれ、人間になり、人間として終わる。  このこと自体が、最も神秘的な「コミット」なのでしょう。  TAO - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/04/07 - 262/273 GCC01413 HVHY 関連するのか?しないのか? (14) 93/04/06 22:34               〜 もう一つの夢 〜  “あの”寺山茉莉子さんが、  「常世の長鳴き鶏」という詩の続きに当たる夢(?)を見た。  それは、4月3日の朝のことであったと言う。    病に伏した鶏3羽(1羽は雄/2羽は雌)を竹篭の中へ入れて、    直してもらいに病院(獣医だろう)へ連れて行った。    ところが、行く途中で古老に出会い、次のように示唆された。   >>> 鶏の病気を直すためには、   >>> まず月(他の星かも?)へ行き「宝珠」を取って来て、   >>> その「宝珠」を鶏に与えなければならない。    意味も分からず、道を彷徨っていると、    「笹川」という店の小母さんに、突然、耳元で“何か”を大声で叫ばれた。    そのリアルな声で目が覚めてしまった…と言う。    (※残念ながら、叫ばれた内容については記憶が飛んでしまったらしい…)  何だか出来過ぎの観もあって、“ホントカイナ”という感じもするのだが、  夢は“何でもアリ”だから、こんな夢もきっとあるのだろう。  差し当たり解読しないで、夢の元型のみをUPしてみた。                                  HVHY 263/273 JBH00742 炎 RE:久しぶりの夢。でも... (14) 93/04/06 22:51 259へのコメント  こんにちは、HVHY議長!  夢の話で盛り上がってますが、  私が#254でUPした「戦いの時」と言う書き込みも  私が見た夢を元にしたものです。  内容は、もっと複雑なものでしたが  混乱を来すといけないので、アレンジして書き込んでみました。  準備は既に終り、『「本当に」戦いの時はやってきた』という内容でした。  因みに、夢の中で強調されていたのは『5』の数字でした。  何かのご参考になれば…。 264/273 RGE01147 誠惇 大丈夫でッか? (14) 93/04/06 23:04 258へのコメント コメント数:1    星也さん、こんちゃ!  体調不良だそうですが、大丈夫ですか?  私も、3月22日ころから26日頃まで微熱が続きました。(7度5分)  一時平熱に戻り、治ったなと思ったのですが、  この金曜(2日)にまたおかしくなり、土日は、熱が一気に8度5分になるわ、  左膝間接に奇妙な痛みを感じるわ(半月板を損傷したような痛み)  で、苦しいウイークエンドでした。  ところが、5日にはかなりすっきりしてしまいました。  (一応会社は休みましたが)  何なんでしょうね?この変調は、(変というよりあきれている私)  この前、体調不良のとき、MINTさんから元気パワーを送っていただきました。  今度は、誠惇から星也さんへ、送ります。  >> ラミパス、ラミパス、ルルルルー。  んじゃなくて。  >> 星也さん。元気にな〜れ!  これは、  (北海道)たまごさん→(東北)MINTさん→(信州)誠惇→(東京?)星也さん  と続く元気ネットワークです。(勝手に名付けたのだ)  元気ネットワークを広げて、みんなで元気になろう! (^^)/(ワケワカランヤツ)  (**の手紙ではありません)(^^;;)  元気になったらまたいろいろ話しましょう。   By 誠惇 265/273 GCC01413 HVHY 夢三話。 (14) 93/04/06 23:27   〜 3つの夢 〜      ・MINTさん  −−− 「朱い星の夢」      ・なえさん    −−− 「手毬歌の夢」      ・寺山茉莉子さん −−− 「鶏を救う夢」    何故だか同じ時期に見られた“それぞれ”の夢。    これらは、やはり、何かしら関係しているのであろうか?    (※因みに、寺山茉莉子さんは鹿児島県の出身なのである…。      寺山茉莉子さんの母方の祖母のお祖父さん(?)も、      母方の祖父のお祖父さんも、西郷隆盛と一緒に西南の役を戦ったと言う。      ところが、前者は最後まで戦って死んだらしいが、      後者は刀を捨てて(逃げて)百姓になってしまったらしい。      百姓と言っても、大地主になったわけだが…。)                            HVHY 266/273 GBG02043 維/YUI 祈り・・・誓い / 契約 (14) 93/04/07 00:22 最近、なんとなく思ったことなのだけど・・・。 神社などにお参りする人の多くは、”どうかXXがかないますように”とか ”どうぞXXしてください”とか、願いに(お願いしに)いくみたい。 けれど、私が心に響いたと思う祈り方というのは、誓いに近いものなのね。(久々の 語呂合わせ・・・) 本来、かみだとか・・・なんといってもかまわないのだけど、宇宙をつかさどる 源に対したとき、やはり、自分はどう生きる、どう行動するってことを誓う・・って のが、祈りだったような気がするわけ。 お願いごとでなくてね。 よくある話で、”私はこれをささげますから、XXしてください”ってのが あるけれど・・・・なんか変。(^^;) 気持ちがわからないんじゃなくてね。 それって契約じゃない・・・取引じゃない・・・。 かみと取引しようなんて、どして思い付くのだろか??? ってさぁ・・・・なんとなく感じてさぁ・・・。 祈りが祈りでなくなったとき・・・ 誓いが誓いでなくなったとき・・・ 契約を結んだ者達は、いったい誰と契約したのだろう・・・ なんてことを桜のはなびらが舞うのを見ながら、ぽーっと考えていたのでした。                           維/YUI。 268/273 PFG01325 MINT 4月3日夜の夢でした>議長 (14) 93/04/07 16:34 259へのコメント HVHY議長、こんにちは。 >> 今回もまたまた注目すべき夢を見て頂き有り難うございました。(^^;) 夢を見て、お礼を言われてしまうなんて。あはは(^^;) >> まず、4月3日(かな?)の晩に夢を見たこと。 はい。4月3日の晩です。 居間で、仕事してたら、そのまま寝てしまっていて、朝になって、目が覚めて、 FARIONを覗こうと、パソコンに向かったら、「なんか、夢見たよな〜」と 思って、アップするためのファイルを作り始めたのでした。                         MINT 269/273 PFG01325 MINT RE:大丈夫でッか? (14) 93/04/07 16:35 264へのコメント 誠惇さん、こんちゃ! >>これは、 >>(北海道)たまごさん→(東北)MINTさん→(信州)誠惇→(東京?)星也さん >>と続く元気ネットワークです。(勝手に名付けたのだ) >>元気ネットワークを広げて、みんなで元気になろう! (^^)/(ワケワカランヤツ) >>(**の手紙ではありません)(^^;;)  この発想って、いいかもしんない。(^_^)  日本地図の上で、みんなが手を繋いでいる絵を思い浮かべてしまった。(^_^;)  パワーは、どんどん増幅されていくのだろうか?  最後にパワーを受ける人は、超元気になれるに違いない。(^_^)  星也さん、お大事に!                          By MINT 270/273 PEH01157 酷使夢想 改革団体の罠 (14) 93/04/07 22:03      最近、勤務先の会社でゴタゴタがありました。その関係で私は人事異動上の対   象になるようです。私は組織の本流から離れ、営業的なポストに移ることにな   るようです。わが社には営業という専門職は存在しないんですね。一般的な当   社の社員の価値観からいうと、この人事異動はショッキングなものですが、私   の構想を実現するにはまたのない機会になるでしょう。これは、ひとつのチャ   ンスです。もちろん失望もありますが、ある1面では背伸びしなくてすむので   ホッとしていますし、より私の能力というものを生かせるでしょう。   どうも各種の改革団体にムシの好かないので、これに対抗できるカラクリを作   りたいと願っています。その意味では、既存の改革団体はいてもらわないと困   ります。彼らには反面教師という側面と、私が作りたい組織が人々の関心を集   めるためにも相手の改革団体が必要です。      しかし、残念ながら私自身の中にどのような日本にしていきたいかというスケ   ッチがあるわけではありません。構想は、しくみの枠をでておらず、骨があり   ません。いろいろな人の影響をうけていて本当の自分の心からの理念のような   ものが沸き上がっているわけではありません。少しだけわかってきたことは、   「日本をうれう」という気持ちがまだ自分の中には育っていないということで   す。      平成維新の会などの改革団体には 欲望の刺激はあっても 愛はありません。   このような形の改革は望みません。 271/273 GBG02043 維/YUI ひさびさのっ、独り言。 (14) 93/04/07 22:08 命を授かりここに生きているということ、 それをどう活かすかは、そのものの心一つ。 ただ生命を維持するためにのみ日々をすごすことも、 生命を輝かせ、新たなるものを創り、生みだす日々をすごすのも、 その命を受けた者の責任と意志による。 どう与えられた全てを活かすのかを 折に触れ、語り心に誓うのが、私にとっての祈りのもと。 たとえ人から見てたいしたことできなくても、 なににも恥ない心根で生きることが出来れば、 それでいいと・・・。 ・・・・だってぇ・・・・それしか出来ないんだもん。 しかたないじゃん。                  と、開き直るのでしたっ!!(^_^) 維/YUI。 272/273 GCC03437 星也 ちょっと元気になりました(^^;) (14) 93/04/07 23:00 誠惇さん、元気パワーをありがとう(^^;) MINTさんも、ありがとう(^_^)Y やや、復活の兆しの星也です。 3/29あたりから、どうも不調かなぁ、と思っていたんですが、 4/3〜4は完璧に死んでいました。 ひたすら、寝ては悪夢の中、覚めては吐き気と腹痛。。。 随分と面白い(^^;)夢を見たような気もしますが、 残念な事に記憶が朦朧としています。 (なんか、どっかの惑星攻略をしていた奴だけ覚えているなぁ(^^;)←アブナイヤツ) 今日は少し元気も戻り、気分良く仕事帰り 車を運転しつつ 月がとても明るくて、夜桜もほぼ満開だなぁ、 などと思っていたら、 ラジオからは どこかの核再処理工場の爆発事故のニュース。 一気にキナ臭い世界を感じてしまいました。 あーぁ。 PS.星也は大阪です。 PS2.>HVHY議長 居酒屋ふうのノリのアップですみません。m(__)m 273/273 GCC01413 HVHY 振り返るな! (14) 93/04/07 23:08                〜 黒白の猫 〜   仕事から帰ってアパートの階段を登り切ると、   捨てようと思って置いてあったダンボール箱の中に、   “黒白の猫”が丸まって寝ていた。(※4月6日の晩のこと)   寝心地が良かったせいか、猫は逃げて行こうともしなかった。   ところが、後から家の者が食べ物を持っていくと、   もう猫はどこかへ行ってしまって居なかった…。   “黒白の猫”と言えば、古い話だが、“あの”源氏山の猫を思い出す。   ちょうど世紀末フォーラムがオープンした頃の話だ。   そう…。あれからもう1年が過ぎようとしているのである。   その間に変わったことは何で、変わらなかったことは何だろうか?   私自身を振り返ってみても、分かるようで分からないようで…。   ただ言えることは、大したことは何も出来なかったということ。   この1年間に為した一つ一つの判断や選択にしても、   それが正しかったか間違っていたかを問うことは野暮だろうが、   少なくともベター(better)であったかどうかは問題にされて良いはずだ。   そういった意味で自分を振り返った時、果たして及第点が与えられるのか?   いずれにしても、現時点ですら、やりたいことばかりが先行している。   「何々をやった」などと胸を張って言えることなど一つもない。   それなりに走って来たつもりではあるが、   目の前には未だにスタート・ラインが横たわっているのである…。                                 HVHY - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/04/07 - 167/174 JCC00626 ナガト RE:奇妙な話4 (15) 93/04/06 22:02 150へのコメント コメント数:1 #150の「奇妙な手鞠唄」へのコメント/2 偶然の一致のたまものですが・・・・今日、旧友から久しぶりの 電話がありました。かれこれ3、4年ぶりの連絡でした。 こいつがそれこそ奇妙な人物でして、小沢昭一に惚れ込んでやれ大道芸 だ、やれバイオリン演歌だ、覗きからくりだ、とわめき、一時期浅草で 芸人の弟子入りまでしたという変人です。 ピンときましたね、思わず。 「実はいまパソコン通信でこんな手鞠唄の話題が出ているんだが・・」 「あれ、その唄最近何かに載ってたぞ」 あまり当てにはしない私が馬鹿でした。電話からしばらく経って、 届いた一通のFAX。そこには紛れもなくあの手鞠唄が・・・! 友人のコメントによれば、これは右田伊佐雄という人が書いた 「手まりと手まり歌」(東方出版)という昨年でた本で読んだとの こと。 旧友の読書傾向が昔と変わっていないことに感謝しつつ(進歩が ないともいえるが ←他人のことをいえるか!・・以上独白(^_^)) 以下、そのFAXの内容をご紹介します。 ------------------------------------------------------- 「一かけ二かけ」   一かけ二かけ三かけて 四かけて五かけて橋をかけ   橋の欄干腰かけて はるか向こうを眺むれば   十七八の姉さんが 片手に花持ち線香持ち   姉さん姉さんどこ行くの   私は九州鹿児島の 西郷隆盛 娘です   明治十年戦争に 討たれて死んだ父上の   お墓詣りに参ります   お墓の前で手を合わせ 南無阿弥陀仏と拝みます                   (全国各地) さらに同書によれば、広島県豊田郡豊町大長では 「拝みます」の後にこう続くそうです。   もしもわたしが男なら   師範学校卒業し イギリス言葉を習わせて   梅にうぐいすとまらせて   ホーホケキョーと鳴かせます この唄の旋律はなんとフランス人のルルーが作曲した「抜刀隊の唄」 の旋律をベースにしているそうです(!) 友人はさらに「こんなのもあったぞ」と言って以下のような ものも送ってくれました。こちらは岩波文庫「わらべうた」に 載っているそうです。 ---------------------------------------------------- 「一かけ二かけて」(お手玉唄/熊本)   一かけ二かけて三かけて   四かけ五かけて六かけて(→「橋をかけ」とも)   橋の欄干(に)腰かけて   はるか向こうを眺むれば   十七、八の小娘が(→「ねえさんが」/愛知・兵庫)   片手に花持ち線香持ち   お前はどこかと問うたれば   私は九州鹿児島の   西郷の娘にござります(→「西郷の娘でございます」/佐賀               「西郷隆盛娘です」/愛知・兵庫)   明治10年戦争に   討ち死になされた西郷さん   (→「切腹なされた父上の」/鹿児島     「討たれて死なれた父さんの」/山形     「討死なされし父様の」/愛知 )   お墓参りもせにゃならぬ   (この後 「一段のぼれば母の墓 二段のぼれば父の墓         三段四段は血の涙」と続く) (岩波注)熊本県の阿蘇郡阿蘇谷一帯や宮城・山形・福島・兵庫      香川・佐賀などでは手鞠唄。      石川県白峰村・岡山市等で手合わせ唄に用いる。      歌詞内容からも明らかなように、明治中期以後の      新わらべ唄に属する。全国共通の唄。 ------------------------------------------------------  奇妙なものです。  この唄の原旋律が薩軍討伐のための「抜刀隊の唄」だったこと。  そしてその旋律だけを保ちいつのまにか、内容が正反対の  ものになったこと。  そしてこの唄が、様々な形に変わり、九州だけでなく、  戊辰の際には「賊軍」として西郷に討伐された東北地方にも  流布していること。  う〜む、想像が広がるなあ!  広島県のバージョンも面白い。「もしわたしが男だったら  英語を学び、それをウグイスに仕込んで英語でホーホケキョ  と鳴かせてやるのに・・」と願う少女。  そこには何か冷たい悪意が感じられますね。  「勝てば官軍」の維新、そして功利主義が幅を利かせる明治の  御代。立身出世の最大の道具である英語を、ただウグイスに  仕込みたいがために学ぶという少女。これは「復讐」を忘れ  出世に走る男たちへの痛烈な皮肉ではないでしょうか。何やら  現代にも通じる話のようにも思えます。  ところでこの手鞠唄の構成は、「橋の欄干」に腰掛けた誰かが  「はるか彼方」を眺め、そこに「西郷隆盛の娘」を見つける、  というものですね。もし西郷の娘に、墓参り=恨みを忘れない、  という心情があるとすれば、橋のこちら側にいる「語り手」は  どんな立場にいるのだろう。彼(男だろうなあ、やはり)は、  橋を渡らないのだろうか。彼は娘を眺めているだけなのだろうか。    生きのこるための凶器    明日のないフランソワは橋をわたる                石原吉郎「橋を渡るフランソワ」より 太平洋戦争後、抑留されたシベリアで8年間強制労働させられた 体験を持つ虚無の詩人・石原吉郎の詩の一節を思わず想起しまし た。 いずれにしても、奇妙な、そして興味の尽きない手鞠唄です。                   ナガト 拝 PS と、ここまで書いてアップしようとアクセスしたところ    166までの皆さんの証言を拝見し、何やら異様な胸騒ぎを    覚えてしまいました。    もしこの唄が、日本の近代の地下水脈を流れるある情念を    吸い取るものならば・・・・    まだまだ何か出てきそうですね。 168/174 JCC00626 ナガト RE:松川塾長・ナガトさん他の皆さんへ (15) 93/04/06 22:04 157へのコメント #157 あおば通勤さんへの返信 さっそくのお返事ありがとうございます。 私のアップするものなど、ただの妄言、世迷言でしかありません。 それを認めていただいて本当にありがとうございます。 (何やら照れ臭い感もありますが・・・・) 「日本へのこだわり」は大事ですよ、やはり。 そして、この部屋でのコミュニケーションが、発言したり読んだりしている 人それぞれの実生活へ、何かのエールになればいいですね。 パソコン買って本当に良かったと感じているこの頃です。 こちらこそ今後も宜しくお願いします。(^_^) 169/174 GFD00204 松川 貴     RE:奇妙な手鞠歌 (15) 93/04/07 13:37 162へのコメント  MINTさん、歌詞のUPどうもありがとうございました。 >それとも、私は、誰かと話し、誰かは、なえさんと話したのかな?  MINTさんは違う感触を持っていらっしゃるんですね。私の勇み足でした。                                   松川 貴 170/174 GFD00204 松川 貴     RE:奇妙な手鞠歌 (15) 93/04/07 13:39 166へのコメント  いらっしゃい、誠惇さん >不思議なことですが、1ケ月ほど前に知り合いの婦人から、 >この歌を聞かされました。(私も婦人も信州生まれ、信州育ちです)  えっ。ナガトさんの友人の件といい、もはや絶句です。  情報ありがとうございました。 >日本と桜がいつの時代結び付いたのでしょう?  すみません、分かりません。なさけないです……とほほ。  コノハナサクヤヒメといえば、『古事記』ではニニギノミコトの嫁さんのアタツヒ メの別名でしたね。岩波文庫版の『古事記』の注には「美人を木の花の美しさにたと えた名」とあります。でも、その「木の花」は何だとは書いていません。やっぱり誠 惇さんのおっしゃるように桜の花なんでしょうか。  一説には、もう一人コノハナサクヤヒメと呼ばれていたヒメがいます。オオクニヌ シノミコトの嫁さんのタギリヒメです。ヒミコの娘だということです。でも、これは 原田常治氏の説ですから確証はないんですが。  それでは誠惇さん、今後とも宜しくお願い申し上げます。                                   松川 貴 171/174 GFD00204 松川 貴     RE:奇妙な話4 (15) 93/04/07 13:40 167へのコメント  ナガトさん  「奇妙な手鞠歌」は、MINTさん、なえさんの「奇妙な夢の話」という挿入歌を はさんで、ナガトさんの書き込みでひとつの収斂をみたと思います。ナガトさんの書 き込みの価値はほんと大きいです。(友人はこの情報をナガトさんに知らせるために それと自覚せずに数年ぶりに電話をしてきたんでしょうか。)   >と、ここまで書いてアップしようとアクセスしたところ   >166までの皆さんの証言を拝見し、何やら異様な胸騒ぎを   >覚えてしまいました。   >もしこの唄が、日本の近代の地下水脈を流れるある情念を   >吸い取るものならば・・・・  いまだ意識化されていない生き物のごときものがうごめいている感じですね。  話がこのような展開になるとは思いもよりませんでした。   >まだまだ何か出てきそうですね。  こわい。                                   松川 貴 172/174 JCC00626 ナガト 妄言鬼語 〜手鞠唄異聞〜 (15) 93/04/07 19:31  発言者・注   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄       __  *この発言は「手鞠唄」の起源をめぐる話題とは何の関係もありませんので、   適当に読みとばしてください。   では、はじまり はじまり・・・・ 何かが捻れている。 明治政権は西郷の反乱に心底からの恐怖を覚えたはずだ。自身、士族である 為政者たちは、農民兵で組織した新しい国軍が日本最強の誉高い薩摩士族に勝利で きるとは思わなかったはずだ。だからこそ農民兵には潤沢な最新兵器を与え、 さらに薩摩士族に対抗するに同じような士族集団をもって当てた。 「警視庁抜刀隊」と呼ばれた、いわば特攻部隊。 その多くは戊辰の戦の折に、賊軍の汚名を着せられた佐幕諸藩の出身者であった。 であるがゆえに、別名を「弾避け部隊」ともいう。下って昭和の御世でも2/26の 関連部隊を満ソ国境に追いやり、ガダルカナルに投入した精兵を「転進」の真相が 流布することを恐れて即座に最前線に転用する。いつもの、あの手・・・・。 とはいえそんなお上の思惑など、賊軍士族には何の関わりもない。彼等の多くは 戊辰の復讐のみを念じ、敢えてかつての仇・維新政権の禄を食み、反乱軍の首魁・ 西郷隆盛の首を狙った。  元・会津藩 京都周旋方 佐川官兵衛  元・仙台藩 からす組組長 細谷十太夫  元・新撰組 副長助勤 斎藤一  元・京都見廻組 今井信郎       等等等等等・・・ 平成の今に名を留めるのは、徳川の世にそれなりの地位にいたものばかり。だが 彼等の背後には、数千数万の「元・賊軍」がいたことだろう。 中には、あるいは志願した戦で何の功名も立てられず、その後路傍で剣戟をご覧に いれる見世物渡世で日銭を稼ぐ者もいたことだろう。 さらにはそれでも食いつめて、昔は攘夷に焦がれた異国の地へと流れた挙句に 碧眼の興行師におだてられ「れでぃーず あんど じぇんとるめん でぃす いず  ざ HARAKIRI SHOW !! 」などとの前説にのって幼い頃に父から 学んだ切腹の作法をかたちだけ演じて見せたりする。外貨は貯まるがもはや帰る 郷里はない。そんな自分が情けなく、花の都パリ・ロンドンの下町でアル中になり 新日本の留学生に国辱呼ばわりされる。 「お前ら若僧のどこに侍の気骨があるか・・・」などと口ごもっても、日本では 侍は、もうとっくに消えてしまっていた。 そんな 「元・賊軍」も、あるいは、いたかもしれない。 維新政権は、抜刀隊を薩摩に送り出すにあたり、実に皮肉な儀式をセットした。 欧州式の軍隊を模倣し新たに導入した軍楽隊の洋式軍歌演奏で、彼等を送ったの である。   「抜刀隊の歌」(シャルル・ルルー作曲 外山正一作詞)     吾は官軍わが敵は 天地容れざる朝敵ぞ     敵の大将たるものは 古今無双の英雄で     これに従うつわものは ともに剽悍決死の士     ・・・・・・・ 新設の軍楽隊が奏でるこの歌など、旧賊軍の諸士にはちゃんちゃら可笑しかった ことであろう。佐川の同輩は、今なお極北の流刑地で飢餓と酷寒に苦しみ、 斎藤・今井の朋友の多くは、すでに捕えられ斬首となった。 何よりも戊辰の折に、勝利の鍵は至誠でも思想でも政策論でもなく、ただ権謀 術数によりいかに「玉(=天皇)」を握ることなのだ、と骨の髄まで味わった彼 等には、自らを官軍と呼ぶことに、何かシニカルな思いがこみあげたのではない か。そういえば彼等が狙う西郷こそは、じつは彼等自身が守ろうとする旧時代の 価値・武士道の最大の擁護者なのでもあった。 この皮肉を押し殺し、彼等はただ復讐の一念のみを胸に刻んで戦い、そして勝利 した。あるいはそれは実は彼等「弾よけ部隊」の力などではさらさらなく、先端 兵器で武装し、命令のままにひきがねを引き続けた農民部隊の功績であったかも しれないが。ともあれ「仇は討った」はずだった。 だが、この勝利によって彼等の恨は消えただろうか? やがて歳月がたち、年老いた彼等の前で、幼い孫娘が町で覚えてきた手鞠歌を 口ずさむ。  >もしもしあなたはどこへゆく  >私は九州鹿児島の西郷隆盛 娘です  >明治10年3月10日 切腹なされた父上の  >お墓まいりをいたします            #150 明治日本は近代化の道をひた走り、時はすでに金が万能の世の中である。   ああ金の世や金の世や 地獄の沙汰も金次第 笑うも金よ泣くも金   一も二も金 三も金 親子の仲を割くも金 夫婦の縁を切るも金   強欲非道と誹ろうが ガリガリ亡者と罵ろうが   痛くも痒くもあるものか 金になりさえすればよい   他人の難儀や迷惑に遠慮していちゃ身がたたぬ                      (日露戦争後のはやり歌) 日本で生き延びた「元・賊軍」の家も、平穏であったとは思えない。 金色夜叉になった息子、朝鮮まで出張り人倫を忘れて傲慢の限りを尽くす孫、 かつての領民の娘をこき使い紡績工場長に収まった弟、社会主義にかぶれて家出 した一番可愛い孫娘 等々が、いたる家にいたことだろう。 そんな家庭の長たる「最後の侍」世代は、どんなことを子孫に語ったのか。   いいか。この世には正義などない。力を持ち、運の良いものだけが生き残るのだ。   と、訓示したか。それとも、 これからの日本はおまえ等が支える。旧時代に拘わらず信念のままに生きよ。   と投げやったか。それとも、 ・・・・・・・・・・・・・・・・。   黙して何も語らなかったのだろうか。  >切腹なされた父上の お墓まいりをいたします すでに侍のいない世に、自分の志を継いで菩提を弔う者もいない。身は故国に あっても、内実は異郷に彷徨う同輩と何の変わりもない。元・賊軍の侍たちは、 とうとう勝利できなかったのだ。 そんな自分に気がついた時、恨みはさらに屈折の度を深めたことだろう。 彼等 老いた侍の耳に、手鞠唄はどれほど無残な響きで聞こえたことか。 そんな唄を歌ってはいけない、と孫を叱ることのできた者が、はたしてどれだけ いたか... 少女たちは成長し、大正デモクラシーに青春を過ごし、昭和恐慌の時代に嫁ぎ、 あるいは身売りされ、そうでなかった者もやがて学徒兵として少年飛行兵として 出征していく息子を黙って見送ることになる。それぞれの修羅の中で唄だけは 人々の恨を吸い取りそれぞれの意味を加えられて口伝されていく・・・・。  かくして手鞠唄は全国に伝播した・・・という何の根拠もない妄想の一幕、  これにて大団円(?)でございます。     *文中の引用歌などは 山田風太郎「警視庁草紙」(文春文庫)から    引用させていただきました。   *講談社現代新書の品切れ本の中に「西郷伝説」河原宏 著 なる本が    あるようです。一度読んでみたいものですね。 173/174 JCC00626 ナガト 幕末太陽伝が始まるよ! (15) 93/04/07 21:16 コメント数:1 <急告!> 本日まもなく(22時から)NHKのBS衛星映画劇場で、 「幕末太陽伝」が放映されます。 古今亭志ん生の落語で原作の「居残り佐平次」は知っていたけれど この名画はずっと見逃してきたもの・・・・ あと1時間たらず。うーむ胸が弾む! (ご連絡が直前で本当にごめんなさい!)                        ナガト 拝 174/174 JBH00712 桂 桂 RE:幕末太陽伝が始まるよ! (15) 93/04/07 23:43 173へのコメント  ナガトさん、川島雄三のファンでしたか!!  ぼくは衛生放送はみられないのですが、実は「幕末太陽伝」 のLDをもっているんですよ(^_^)  この物語は、幕末に肺結核を患う主人公が「さよならだけが 人生さ」とうそぶくように、品川遊廓の下郎をしながら当時の アウトローであった志士達と触れあい、そして最後には自分の 人生からも逃げ出すように逃げ出していくと言う話です。  監督の川島雄三自身が進行性の筋萎縮症に犯されていて、ど うも自分自身の生き方と、主人公を重ね合わせていたようです。      「さよならだけが人生さ」  会うは別れのはじめと言いますが、でも会うときが短い生き 方だからこそ、其の一時一時を充実させて会えるのではないの か・・・・そうでなければ、坂本竜馬も高杉新作もあんな高ら かに笑って死ねるわけもないでしょう(劇中では石原裕次郎と 二谷英明が演じています)。  とりあえず、みんなレンタルビデオに急げ!! - FARION MES(20):■バトルのお部屋--------------------臨時 93/04/07 - 539/540 NBA02045 岡 UP場所を見失った為、ここに掲示。長文 (20) 93/04/07 03:32 コメント数:1   岡 です。   「ナチスは社会主義の変種か?」   思うのですが、ナチズムは絶対君主制の一種ではないのでしょう  か?    指導者原理や中央集権的な経済体制や議会制民主政治の否定、あ  るいは人間を単なる道具としか見ていないところなど、ヨーロッパ  の絶対君主政治と酷似しているように感じます。   ドイツという国家そのものが元々君主制国家でして、君主制と産  業資本家との結びつきをみて、カール・マルクスは構造的に社会制  度を捉えようとする発想を思いつき、階級闘争の理論をものにし、  のちにロンドンに渡って「資本論」を著したのだというように考え  ることも可能でしょう。マルクスの思想には3つの源があり、ドイ  ツの古典哲学(ヘーゲルの弁証法とファイエルバッハの唯物論)、  イギリス古典経済学(スミス、リカードの労働価値説)、空想的社  会主義(オーウェン、サン・シモンやフーリエ)から多大な恩恵を  受けていると言われております。     さて、ナチズムは、ファシズムの範疇に属するものだと捉えるこ  とができると考えます。   ファシズムは、政治体制を分類する際に用いられる用語でありま  すが、その特徴として、  1:個人主義・人権などの<人間の尊厳>を忌避し、個人の存在意    義はその属する共同体を介してのみ認められる。  2:集団には、集団に参加するのを拒否するすべての個人に罰を与    える権利があり、裁判の目的は個人の権利を守るものではなく、    集団の保全を維持することであるとし、自由社会を忌避する。  3:理性(実証主義的論理性)に基づく行動よりも、行動それ自体    を賞賛し、暴力を肯定する。  4:国家が最高至上のものとされ、国家の最高指導者の独裁を認め    る。  5:国家の分裂を生み出す要因を許さず、階級闘争を肯定する社会    主義者(過激派であれ穏健派であれ)を弾圧する。  6:労働組合を解体し、国家が資本家と労働者との間で仲介を行う。  7:言葉の上での革命主義(社会主義)と、実質上の保守主義。  8:強力な軍事機構の創設とそれに対する価値付与(拡大主義?)  9:私企業を基本とする経済体制。経済政策の主要路線の国家統制。 10:民族主義の高揚と民主主義の否定。    上記の10項目を見れば、ファシズムの原則として、国家の意   志=最高指導者の意志という権力の一点集中構造は明らかだと思   います。    これは、国家の意志=王の意志という絶対君主制とほぼ同じ集   中権力制度を採用していることになります。    社会主義が最終的に目指す、国家の消滅とはかけはなれた制度   というわけですし、また有効に機能している場合の議会制民主政   治とも対立するものです。      さて、ナチズムの特徴は、  *人種差別と反ユダヤ主義    そして、ナチスの提携相手は、  *大産業資本家と金融資本家、そして軍    また、ナチスの敵対者は、  *社会主義者(共産主義者)および自由民主主義者    なお、ナチスの党員のうちで多数(人口比を尺度とした場合   の割合として)を占めた階級は、  *中間層と呼ばれる中小自営業者・教員・公務員、および農民   ここで、社会主義なる名称について概略説明をします。   いわゆる社会主義は、産業資本家と労働者との階級対立、ことに  労働者の失業と貧困の問題を解消するものとしての性質を有してお  り、社会を一つの構造体とみなし、その上部構造を政治・法律・宗  教・芸術、その上部を支える下部構造として生産関係の総和体とし、  上部構造(社会体制)は下部構造(生産体制)によって規定される  としております。   ですから、資本主義制度は、労働者が生み出した剰余価値を資本  家が搾取することによって成り立っているわけでして、労働者に支  払われる賃金は、生産物価格をはるかに下回ることになるのです。   このような資本主義制度は、いわば生産手段の私有から生じるも  のなのですから、経済制度において資本主義と社会主義が対立する  部分は、単純に言えば、生産手段の私有を認めるか、認めないか、  というあたりに出てくるわけです。   ということは、いわゆる社会主義思想というものは、民営企業と  いうものを認めず、土地の商品化も認めず、究極的には対立しうる  階級そのものの解消を促すという点では国家そのものを消失せしめ  しまう(笑)という、まことに驚くべき考え方なわけです。(マル  クスの思想においては、特出した二大階級、つまりブルジョアジー とプロレタリアードの階級闘争の結果、プロレタリアートによる生 産手段の確保されて、搾取関係を基礎とする階級的国家は消滅し、 労働者階級は抑圧され、疎外されていた状態から解放される、とし ていると理解しております)   社会主義は、その理論の経済制度の分析面においては評価できる  部分が多々あるのですが、権力制度の分析、たとえば官僚機構と主  権者群との対立、あるいは人間の心理面の分析などが抜け落ちてい  るという重大な欠陥を内在させていると考えます。   とはいえ、搾取関係を基礎とする階級的国家を解消することで、  社会的な不平等を無くそうとうしようとした点では、自由・平等な  どの理念を実現化しようと試みた社会改革運動だと受け止める事が  可能でしょう。(19世紀、20世紀初頭の、自称資本主義国家に  おいては、労働者の福祉や政治参加というものは、ほとんど省みら  れなかったわけでして、自称資本主義国家が福祉政策なるものに本  腰をいれて取り組み始めたのは、自称社会主義国家が誕生しはじめ  て自国内の労働者階級の不満を懐柔する必要性を痛感したからだと  思います)      さて、ナチスは、産業資本家および金融資本家と提携することで  資金源を確保し、大胆な飛躍をとげることができました。これは、  絶対君主が財政上の必要性から、重商主義政策をとって国内の商工  業を保護・育成したことを思い出させます。   また、ナチスは、社会主義を思わせるスローガンを掲げることで*1、  不況にあえぐ中間層の不満を吸収することができました。これは、  王の恩恵を用いてブルジョワジーと大衆を引きつけ、王権に対抗す  る貴族や僧侶の力をそごうとした、絶対君主制の成立過程期を思い  起こさせます。なお、王は、自らの国家統治に対抗しうるような貴  族や僧侶などの勢力を押さえつけたり、都市の自治を制限しようと  しながらも、荘園における領主の農民支配や都市のギルド制度など  を廃止せず、むしろそれらを再編成しつつ集権的な統治機構に組み  入れようとしました。このような旧勢力を吸収再編成するという点  でも、ナチスは類似の手法*2 をとっていたと考えます。      ・・・社会主義が、労働者による政権奪取と生産手段の確保を求  める思想であるのなら、これは実際にナチスが実行した動きと異な  る面が多すぎます。   むしろ、ナチズムは、産業・金融資本社会の中に、装いを変えて  復活した絶対君主政治だと捉えるほうが類似点が多数見受けられる  ように思いますが、いかがなものでしょうか?   注1:初期ナチスの唱えた綱領の中には、社会主義的要求が織り      込まれておりましたが、それらの要求は、ナチスが権力を      獲得するために、窮迫していた下層中層階級の大衆を組織      することを目的としていたと考えることができます。       このように、ナチスの社会主義的要求が、権力奪取の手      段にすぎなかったと推測するのは、綱領の中にそれらの要      求を盛り込む事を強く主張したと言われているフェーダー      とドレクスラーがナチスの中で次第に力を失っていく事、      およびナチス内部の社会主義傾向のある幹部が脱党するこ      と、および党内の綱領の中の社会主義的要求条項が資本家      よりに変更されていくことなどを根拠とします。          注2:1933年1月、ヒトラーはケルンの大銀行家シュレーダー      の家で、大資本家たちに対して、「社会民主党と共産党の      根絶、労働組合の解散、私企業の自治、大規模の再軍備に      よる景気の回復など」を約束し、代わりに大資本家たちに      ナチの抱いている巨額の負債の肩代わりと運動資金の提供      を承知させたと言われてます。   参考文献    「ヒトラーの抬頭」 山口定 朝日文庫    「ファシズム論」 R・デ・フェリーチェ            訳 藤沢道郎・本川誠二 平凡社選書    「ファシズム」  アンリ・ミシェル 訳 長谷川公昭 白水社 540/540 NBA02045 岡 RE:UP場所を見失った為、ここに掲示。長 (20) 93/04/07 03:35 539へのコメント  #539は、つらつらと駄文を連ねただけのものです。  なお、記載事項に事実誤認などのミスがありましたら、ご指摘下さい。 >