- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/05/30 - 00224/00229 PGB01143 魔界のめーそん 挨拶にて候 ( 2) 93/05/30 06:16  やぁ!! PAYA殿 ようこそARIONへ  世紀末フォーラムに遊びながら、世紀末を騒ぐ人間共を横目で笑って 居るフォーラムのひねくれ者 魔界のめーそん と申し、京都は伏見 に隠居する爺居で御座る。若い諸君とはかけ離れた年寄りで御座るが、 宜しく....  Eddie氏の思考が小生に近いものを持って居られる事を知り申し たが、これは取りも直さずめーそんの正体を暴かれる恐れが有ると言う ことか!!  用心 用心...                         魔界のめーそん 00225/00229 PFA03317 Eddie 公開メールその4 Eddie -> あもり ( 2) 93/05/30 07:54 00222へのコメント  >>ALL  こんにちは。  公開メール続きです。  みなさんの意見、感想を歓迎します。  以下よりメール Eddie -> あもり その4 ////////////////////////////////////////////////////////////////////////// >TO:HGB02122 >SUBJ:あ、もうひとつ あもり殿 も一つ書き忘れていたことがあるので付け加えておきます。 あもりは以下のように言っているが、そのことにも誤解がある。 >そして、再び生命を0にして、僅かな確率をたどって、容姿は違えど、 >生命を知るものとして、生まれるだろうか? 俺は生命は0になると言っていないよ。 人間の力では生命を0にするのは不可能だと言っている。 私が言ったのは以下のとうり。 >地表の生物は死滅するだろう。 >だが、地球上には、とんでもない環境で平気で生きている生物が無数に >いる。 つまり、地表でないところに住む生物は生き残る。 何百度という温度の中でも生きている生物がいる。 物凄い環境の中でも生きている生物がいる。 >それらの生物が、地球上の生物の遺伝子を保存している。 もちろん、情報の欠落はあるだろう。 しかし、合理化されたなんらかの情報は保存しているだろう。 以上のことは、あくまでも、仮に努力して環境を破壊した場合だよ。 そのことを望んでいるのではなく、最悪の場合でもこうだと言っている。 てなわけだ。 ちと、はげしい文章になったようだが、気にせんでくれ。 またメールを待つ。 あと、知性に関しての問題があるが、このことはまたメールする。 (知的生命の定義はなんだろうか。意識とはなんだろうか。)                      By Eddie ////////////////////////////////////////////////////////////////////// メール引用終わり                                 Eddie 00227/00229 GBG02043 維/YUI 今日(5/29)のメッセージに ( 2) 93/05/30 10:05 >>月に兎がいないと知ってから、何が変ったんだろうね?…維/YUIさん え〜〜・・・(・_・;) うさぎ・・・いないの??? (;_;)シンジテタノニ・・・ 事実、うさぎは月では見られなかったけれど・・・。 でも、もしかすると見れないだけかもしれない・・。 事実、月は荒れた土が広がるだけだったようだけど。 本当はそうでないのかもしれない。 目に見えるものしか、わからなくなったのは、いつからだろう。 けどさ・・・思うんだ。 目に見えるものすら、本当に私達は分かっているのかってね。 宇宙がかわったのではなく、 私達の心がかわったのね・・・きっと。 そういや・・・あもりは、月を望遠鏡でみてたそうだけど・・・ うさぎ・・・・みえたんだろうか??? (^^;) 維/YUI。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/05/30 - 00074/00077 HGE03563 ソニック RE:アリオンの本の感想 その1 ( 3) 93/05/30 04:26 00071へのコメント コメント数:1 ユーリさんはじめまして。 「ベルリン・天使の詩」・・ですか。 ううむ、おもしろそー、見たいけれど、レンタルビデオ屋さんにあるかな? 早速行ってみよう!(^_^) > ええと、それから高校生を口説いてうんぬんについてですが… ”立場上”って・・・??(^^;) そうですね、・・でもカノジョって、顔が中学生並・・・。 ・・・デモ、オシリハオトナ・・・←(ゲヒン!!ゲンテン50!!) メイク・ラブなんかまだしなくったっていいんだ。 そーです、あれは忘れもしない3年前、 あのとき、職場のウエの人が銀座に遊びにいくっつーのに ひょこひょこあとにくっついていかなければ・・。 愛の無い肉体関係がどんなにむなしーものか。 あのとき、ぼくの女性に対するユメはガラガラと崩れたのでありました・・。 ぼくの道程・・もとい、童貞を返せ〜っ!! (お金はウエのひとがおごってくれたのだけれど・・。) ・・・・・あのことは無かったことにしましょう。(;-"-;) ・・うん、そーだ!・・ぼくはまだ童貞なのです。 ・・そう、あれはユメだったんです。←(現実逃避) そんなことよりっ、イマの話っ! カノジョと話すきっかけがつかめないっ!う〜〜っ! まわりの目も人も気になるし・・。 会話しない恋愛なんて成立するんだろうか。 恋愛はお互いの理解を深める為にも話し合いしなくちゃいけないだとか、 アリオンの本にあったよーなきがする。 しゃーないからアルバイトの雇用者ファイルなんかでカノジョのデータをこっそり 調べるのだ・・。←(なんてネクラな・・。) '77年1/18生まれか・・山羊座かぁ、山羊に4つの星を持つオンナ 地のエレメントのつおい娘。カラダつきはずんぐりなのでサソリかな。 ・・・あ、ヨードも持ってるわ。太陽も月も死んでる・・・。 こんな陰でコソコソやるなんてやるもんじゃないと思っていたけれど、 やらずにはおられない・・。ういーっ。 ・・ぼくも牡牛座で地がつおいから合いますですね・・うへへ、でへへ。←(お下品) ・・いやゼッタイ合う!ウン! 実は同じ'77年1/18生まれの子が同じバイトの所にもう一人いたんだ。偶然だなぁ。 やっぱりそのコにも以前にチョット引かれたんだ。 この二人の体型はぜんぜん違うけれど。 ・・今日はあのコ、めずらしくスカートはいてたっけ。 ・・意外に足が太かった・・。・・着痩せするんだ。やっぱりサソリかな。 ・・お、らっきー、このコ、誘惑しやすいタイプかも・・いや、 土星が効いているから上手くいかんかしら、うーんうーん・・・・・ ・・ってこんなネクラなことばっかやってるからおれはイカンのじゃ。 このままぢゃ一生胴亭もとい・・、、か。イヤダそんなの! ・・・・・・・・あかん、ビョーキだわ。←(皆さん相手にしないで下さい--;)             アリオンの本の感想だったハズがいつのまにやら・・。                   びょーきモード・SONIC・OZ’2 00075/00077 HGE03563 ソニック RE:アリオンの本の感想 その1 ( 3) 93/05/30 04:27 00072へのコメント コメント数:1 アリオンの本、 ぼくも買ってたまごさんも買ってURDさんも買って・・ なんて同時期に集中するなんて偶然かしら・・?(^_^) 00076/00077 HFC01344 URD RE:アリオンの本の感想 その1 ( 3) 93/05/30 06:48 00075へのコメント   ソニックさん はじめまして   同時期に集中するなんて 不思議ですね。 私もそう思います。   でも 偶然かどうかは別にしても 入手したということは事実なんですよね。   何が言いたいのか私も判りませんが(^^;) 同じ本を読んでいる人がいると   思うと 何だか嬉しくなります。                           URD 00077/00077 GBG02043 維/YUI (^◇^;) ( 3) 93/05/30 09:53 00074へのコメント やっぱし・・・ソニックさんって・・・そ・ゆう人でしたかあ・・・シミジミ ただの普通の真面目な青年だとは、始めから思ってませんでしたけれど・・・。 彼女の件、がんばって!!!!!!                             維/YUI。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/05/30 - 01041/01041 GBG02043 維/YUI そうだよね〜 ( 6) 93/05/30 00:57 もう1年以上会ってない友達からの電話 でも、時の隔たりはなかったよ なんだか、このまえ話したときより 近くに感じてた・・・ ほんの少しお互いに どことなく傾いてた 話すごとに、もとの位置に もどってきた気がする そういうもんだよね、友達って 折にふれ、手を貸しあって あたりまえのように 必要なこと教えてくれたりね 相手が完璧じゃなくても ・・・完璧じゃないから ことばがあふれてきても、 受けとめていける そうだよね〜〜〜、 日常のなかに、キラっと光る一瞬がいいよね。 その一言が、響いてたよね。                           維/YUI。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/05/30 - 320/321 JBH02324 なえ m(_ _)m ありがと炎さん ( 7) 93/05/30 13:36 318へのコメント 岡山でその刀が発見されたというニュースを初めて見た時、まず、炎さんを 思い浮かべてしまいました。(^^;) そして、UPしたら、炎さんにRESが貰えたら嬉しいな・・と思っていま した。ありがとう。 わたしは刀というと、妖艶で、生気や精気を吸い取る、ムラマサのイメージ が有って、どうも好きになれません。(^^;)ゞ オホホ・・ でも、正しい事と間違いを切り分けるという役割を持つなら、これも大事な アイテムの一つと言えそう・・ですね。 炎さんに頂いた鞘無しの宝剣は、大事にしまってあります。(^^;) なにか解った事が有りましたら、ぜひ教えて下さいね。 であであ。(^-^)/~~ 321/321 TBE03167 ねずみ 今日のオープニングメッセージに寄せて。 ( 7) 93/05/30 20:22 >月に兎がいないと知ってから、何が変ったんだろうね?…ねずみさん ついに、人々が迷信や因習の呪縛から解放されたのだ。 - FARION MES(11):★アキラの平井和正部屋(仮)--------<01> 93/05/30 - 041/041 GGD02212 Soo 新・煙魔対戦(世界禁煙デー用) (11) 93/05/30 19:30  何時ものように朝の電車を降りると、また何処からか煙草の毒臭が漂う。 「こんなところでタバコを吸うなあ!この人殺しぃ!」 そう大声で叫びたくなる衝動を噛み殺しつつも、俺の顔面は異様に歪みかけ、 声にならない呪詛を抑えることができない。 「こんな不特定多数の人間の中で空気を汚染する奴は法的に罰するべきだ。」  なるべく不快な臭気を吸い込まないように、ゆっくりと息を吐き続けながら、 駅のホームを早足で駆け抜けようとする俺だったが、いつもと何かが違った。 「このところ夜更かしが続いたから…しまった、おまけに今日は満月だ…。」  毒煙に対する生理的な嫌悪感が昂じて、押さえがたい情念が膨張してゆく。 それに反比例して自制心が萎縮を始め、妄想が生んだ別の人格が憑依する。 「物質文明と人口増加は既に飽和点に達した。人類は淘汰を受ける時が来た。 自らを汚し、他者を害する『喫煙人種』こそ『間引き』を受ける義務がある。 今こそ審判が行使されるときである。」 こんな声が脳裡に響き、俺の精神と肉体は変容を起こす寸前に違いなかった。  咄嗟に俺の右手が自分の後頭部へと回った。そこにあるはずの皮膚や頭蓋 骨の感触を覚えることなく、俺の右手は確かに自分の延髄あたりを掴んだ。 手掌に触れたのは豆腐のように脆弱な、髄液に浸された脳髄ではなかった。 俺は"それ"を掴み、力任せに引き出した。何かがスルスルと脊柱を擦り抜け、 自分の脊髄を引き抜いたかと錯覚した。自分のすることを理解できないまま、 これらのことを無造作に行った俺は、日常とは異なる時間の流れの中にいた。  俺が掴んでいた"それ"は、尾の長いイタチのような動物の姿をしており、 全身が金色の獣毛に覆われ、顔つきはキツネザルのようでもあった。 「こんな奴が俺の脳髄に寄生していやがった!」 煙草への生理的な嫌悪感に共鳴しては増幅し、喫煙者への憎悪を煽りたて、 心魂にまで呪詛と怨念を注入する、そいつの習性を俺は直感的に悟っていた。 先刻まで自分を支配していた憎悪と呪詛の念が嘘のように解消したことで、 そいつが俺を精神操作マインド・コントロールしていたことを瞬時に理解したのだった。  そいつは俺に首を後ろから鷲掴みにされ、逆さまにされている格好だった。 こいつをどうしたものか、くびり殺せるものなのか、などと逡巡するうち、 下手をすると噛みつかれはしまいか、という懸念が一瞬の隙を生んだのか、 そいつは虚をついて俺の右手を擦り抜け、前腕を伝って肘へと飛びついた。 慌ててそいつを俺の右腕から振り落とそうとした時には既にそいつは後脚で 俺の右肩を蹴っていた。振り向いてもそいつの姿はもうなく、獣毛が触れた 手から腕と、蹴られた肩の不快な感触だけが残り、背中に冷汗が走っていた。  気が付くと俺は日常的な時間の流れの中に戻っていた。群集は何かに気を 取られる様子も見せず、立ち止まった俺を追い越しては改札を抜けて行く。 希薄になりかけていた自分の肉体の重量感を確認し、大きく溜め息をつく。 喫煙者ならば一服やりたいところなんだろうな、と想像して苦笑する。だが、 まだ緊張感が覚めない。あいつが何時戻って来るか解らないという不安感と、 あんなやつを寄生させ養っていたという罪悪感めいた思念が俺から離れない。  不意にまた不快な臭気が俺を襲った。周囲を見回すと、くわえ煙草の中年 男性が目に留まる。俺を捕らえたのは、その男への憤怒の情ではなく、その 後ろを歩く若い女性の、嫌悪感に満ちた表情と視線への驚愕だった。さっき 見た寄生体アイツ の、冷酷で狂気を帯びたような眼差しに酷似して見えたのだ。 俺は呟いていた。「金色のサル・・・金・猿・・・キン・エン・・・禁・煙」  なん・ちゃ・って。<これはフィクションです。> Soo.(*ねぎひさお*) - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/05/30 - 317/320 GGA02514 KAZE シュタイナーの音楽論ノート●2 (13) 93/05/30 00:38 ●人間の音体験−音楽教育の基礎(1) 現代と古代とを比較してみると、音楽に関して現代という時代の特徴を、「現 代は、二つの音楽感受のあいだに立っている」と述べることができます。ひと つの感受はすでにあり、もうひとつの感受はまだありません。 現代、多かれ少なかれ高度に達成されているのは3度の感覚です。音楽的感性 において、5度感覚から3度感覚への移行がいかになされたのかを、歴史的に 追っていくことができます。3度感覚は新しいものです。現在、オクターブ感 覚はまだ存在していません。この感覚は将来、現れます。7度までの音の感覚 を、私たちは区別できると思います。1度と7度の違いを感じることができる のに対して、オクターブを聞くとまったく異なった体験が現れます。1度と区 別することができないのです。オクターブは1度と傘なります。5度や3度に は区別がありますが、オクターブにはそのような区別がありません。たしかに 私たちはオクターブの感覚を持っています。しかし、その感覚はまだ形成され ておらず、将来達成されるものです。将来、オクターブ感覚は音楽体験を非常 に深めることになるでしょう。音楽作品においてオクターブを通用させるに際 して、人間は「私は新たに私の自我を見いだした。私はオクターブ感覚を通し て高まった」と、感じることができます。 音やメロディーやハーモニーは人間全体で体験される。私たちが通常考える音 は、空気を媒体とします。しかし、私たちが音の中に体験するものは、まった く空気と関係ありません。耳は、音体験のまえに、空気を音から分離する器官 なのです。ですから、音を体験するとき、私たちは反響を受け取っているので す。耳は、空気の中に生きる音を人間の内面に反響させる器官なのです。私た ち聴く音はエーテル要素の中に生きるのです。 音楽体験については、「神経人間、律動人間、四肢人間」といわねばなりませ ん。感覚知覚は付随現象として除外されます。 アトランティス時代の本質的な音楽体験は7度でした。まだ5度は知られてい ませんでした。7度の体験において、人間は地上との結びつきから解放される のを感じました。当時の人間は、「私は自分が霊的世界の中にいるのを感じる」 という意味で、「私は音楽を体験する」ということができたのです。 人間が肉体の中に入り込み、自分の肉体の中に座を占めようとするに従って、 7度体験が苦痛なものと感じられはじめたのです。そして、5度体験に大きな 満悦を感じはじめました。音階は当時、ニ音、ホ音、ト音、イ音、ロ音、そし て、ふたたびニ音、ホ音というふうで、ヘ音とハ音感覚はなかったのです。 3度への体験の移行は、アトランティス時代後の第4文化期まで待たねばなり ません。3度体験はまだ完全にはなく、5度体験があるのです。中国人は現在 でも5度体験を有しています。3度体験への移行は、音楽が自分の肉体組織と 結びつくのを人間が感じ、3度を体験できることによって自分を地上の人間、 音楽家と感じるということを意味しています。それ以前は、5度体験に際して、 「天使が私の中で音楽家になり始めた。ミューズが私の中で語る。」といわね ばなりませんでした。 「私は歌う」といえるようになるためには、3度体験が必要だったのです。3 度体験は音楽感受全体を内面化するのです。3度体験が現れたことによって、 主観は自分の中に安らうのを感じ、人間は自分の通常の生活の運命感受を音楽 と結びつけはじめたのです。5度の時代には、長調、短調は、まだ意味を持っ ていませんでした。長調と短調は人間の主観、地上的身体と結合した人間の感 情のいとなみと結びついています。 オクターブに関して、私たちは内面−自我、物質的に生きる内面−自我から出 発しました。そして、エーテル体とアストラル体を通って、7度まで上昇しま した。いまや、オクターブにいたることによって、感受する自我に直接移行し なければなりません。 「7つの音の中に人間は生きている。しかし、私たちはそのことについて何も 知らない。ハ音、嬰ハ音において、私たちは揺さぶられる。ヘ音あるいは嬰ヘ 音を聴いたとき、ハ音、嬰ハ音から人間はエーテル体、アストラル体に突き当 たるのである。エーテル体は震動し、アストラル体にむかって突進する。つい で、私たちは7度までの音にいたり、アストラル体験を有する。しかし、私た ちはそのように正確には知らない。私たちは、それをい感じるだけである。オ クターブ感覚は、高次の段階における自己発見をもたらす。3度は私たちを内 面に導く。オクターブは私たち自身を、もう一度感じさせるのである」といわ ねばなりません。 ●人間の音体験−音楽教育の基礎(2) 5度体験は広い宇宙に出ていくことであり、3度体験は自己組織の中への帰還 であり、その中間に4度の体験がある。 4度体験は、まさに人体の境界に存在します。しかし、人間は4度において物 質的な外界ではなく、霊的世界を感じるのです。4度体験において、人間は外 から自分自身を見、神々の下に自分を感じるのです。 人間の原初の歌にさかのぼると、人類の原初の歌は神々の語りであり、神々の 下の経過を語るものでした。7つの音階の中に12の5度があるということは、 5度のインターバルによって、人間の外に音楽による動きの可能性が存在する ということを照明しています。人間は音楽とともに、4度とともにはじめて自 分にいたるのである。 今日、人間は5度に際して空虚を感じ、その空虚を楽器の素材で満たさねばな りません。古代の音楽的人間と楽器とは高度に一体のものであった、と考えね ばなりません。古代には、人間は自分の中に音の輪を持っていると感じていま した。その輪の下方は最低音域の音には達せず、上方は二重加線の付いた音に はいたりません。ひとつの閉じられた輪です。 今日、音楽(歌が器楽ではなく、音楽全体)にとって中心にあるのは、ハーモ ニーです。ハーモニーは、人間の感情を直接把握します。感情は人間の体験全 体の中心にあるものです。感情は、一方では意志に伝わり、他方では表象の中 に伝わります。 メロディーは音楽を、感情の領域から表象の領域の中へと導きます。メロディ ーの主題の中には、私たちが表象の中に有するものはありませんが、表象が存 在する領域に少々するものがあるのです。人間の頭を感情に到達させるものが 人間の本性の中にあるというのが、メロディー体験の大きな意味なのです。メ ロディーを通して、頭は感情にいたることができるのです。 ハーモニー表象への傾向を有しうるように、意志への傾向も持ちえます。しか し、ハーモニーは意志に下降することはできず、意志の領域に絡まります。リ ズムによってそのようなことが生じるのです。メロディーがハーモニーを上方 にもたらす、リズムがハーモニーを意志にもたらすのです。 リズムは意志の本質に類縁であり、人間は意志するとき、まだ内的に意志を活 動させねばならないので、リズムは本来、音楽を解放するものなのです。 人間全体を人間精神として音楽的に体験しつつ表彰してみてください。旋律的 に体験することができるために、みなさまは精神的な頭を有しています。和声 的に体験できるために、みなさまは精神の中央器官でありう胸をもっています。 律動的に体験できるために、みなさまは手足を持っています。 こういうことによって、私はみなさまになにを叙述したのでしょうか。人間の エーテル体を叙述したのです。音楽的体験を正しく持てば、人間のエーテル体 を生き写しのように自分の前に有することになります。ただ、頭というかわり にメロディー、律動体験というかわりにハーモニー、四肢人間というかわりに リズムというのです。こうして、人間全体をエーテル的に目の前にします。そ して4度体験において、人間は自分をエーテル体として、その合成として形成 するのです。4度体験においては、メロディー、ハーモニー、リズムのすべて がたがいに織り合わさっており、もはや区別できません。 「7度、6度、5度という3つの段階を人間は忘我の状態で聴いた。4度にお いて、人間は自分の中に入る。3度において、人間は自分の中にいる「という ことがわかります。オクターブの音楽的意味を、人間は将来になってはじめて 完全に体験することになります。今日の人間は、2度の力強い体験にまだ達し ていません。それは、未来に可能になるものです。さらに人間が強く内面化す ると、2度が感受され、最終的には個々の音が感受されるようになります。 5度は真正なイマジネーション体験です。5度を正しく体験する人は、なにが 主観的にイマジネーションであるかを、すでに知っています。6度を体験する 人は、なにがインスピレーションかを知っています。7度を体験する人は、な にがイントゥイションなのかを知ります。7度体験における魂の状態は、イン トゥイションのように霊視的なものだ、と私は考えています。 ですから、古代の秘境の学院で受け継がれている伝統の中で、霊視的認識は音 楽的認識、霊的−音楽的認識と名づけられたのです。 人間の音楽的発展は、そもそもどのようなものでしょうか。霊的なものの体験 から発するものです。楽音の中に霊的なものが現存することから発するのです。 のちに人間は音を、霊的なものの名残りとしての言葉と結びつけ、かつてイマ ジネーションとして有した楽器を物質的素材から作ります。楽器は、すべて霊 的世界から取って来られたものです。楽器を作るとき人間は、もはや霊的なも のが見えなくなったことによって空になった場所を満たしたのです。その空の 場所に楽器を据えたのです。 318/320 NBG00612 岳同 土曜の夜のひとりごと (13) 93/05/30 01:19 生活の中でどれだけ「〜しなければならない」ではなく「〜したい」で生きているか を数え上げてみると、本当になんて貧しい暮らしをしているのだろうと思われて 来ます。 自然と触れ合って静かに省察しつつ、友人と交歓する動的な活動の両方を充実させて いきたい、と思います。 かつての地方の都市生活は超便利で、食べるものから飲むものから、レジャーから ショピングから何でも生活圏内にあったけれど...。 しかし、しっとりした情が足りない、やはり土の見えないコンクリートとアスファルト の暮らしは乾燥していると感じました。 便利や気軽さを満喫しつつ感じていたフラストレーションは、植物と交歓する という面に欠けていたのではないかと思います。 しかしながら、土があると言っても実家のある河内の丘陵地帯は、地力に乏しいと 感じます。そこに比べて、地力のある多摩の便利な環境と機会に恵まれていることに 今はまだ、気がついていないのかも知れないと思いました。 もっと、植物との共栄を都市づくり・町づくりに生かしていったなら...、 と思います。New Yorkにだって、広々と寝っころがれる公園が高層ビルのただ中にある 訳ですが、でも、ちょっとした密林が都会のそこかしこに点在すると物騒かも知れませ んね、やっぱり。 近所に安らげる森林が無いと嘆いているのは、贅沢なことなんだろうか...。 そんなことを考えていると、以前話題になった「魂のネットワーキング」の中の一節を 思い出してしまいました。    都市のコンクリートや鉄骨やエレクトリックというのは、またそれはそれでひ    とつの森であり、ジャングルであるとぼくもおもう。たとえば昔、新宿あたり    でぼくがよく行ったのは、歌舞伎町の先のほうに建築中のビルなんかがあって    ね、そういうガランとした建築中のビルに、夜の夜中入っていって、その中に    しばらくいてぼうとしていたりするの。別に瞑想なんかしないのに、それでも    そこは、自分にとってすごく落ち着く、いい気持ちなるような場所だったんで    すよ。 p.100 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/05/30 - 251/253 JBH02324 なえ 自分と腑の事(長文55行) (17) 93/05/30 16:08 あ、さて・・、わたしの話題で、恐縮なんですけど、今日久しぶりに、先日 7番で話した「たたら地蔵」のある場所に行って、メダカを買いました。 実は、そのたたら地蔵の出た場所は、前から「めだかの里」と称する、ミニ 公園で、お年寄りのボランティアで運営しているメダカ販売所だったのでし た。 最近では「メダカ」なんて野生ではまず見つからない。結局養殖モノで業者 から買ってきて、魚を「小川」に見立てた人工池に放して、お客を入れて遊 ばせるスタイルを採っているのです。 そこでわたしも小さいながらも水槽を持ってるので、少し補充するかな?? ・・と、買いに行った訳です。 面白いのは、偶然見つけた野生のメダカは、幾ら水槽に入れて飼っても、約 1割程度しか生き残らないのです。しかし、その養殖メダカは、9割が、ち ゃんと生きて、簡単に卵を産んで、2代3代と続いてくれます。 どうしてこいう結果になるのだろうか・・。ずっと考えていたのですけど、 最近ちょっとだけ、こうじゃないかな??と思う節があったのでした。 魚と人間を混同してはマズイですけどね、ま、まんざら遠く離れた事でも無 い様にも思ったりして・・。 野生のままのメダカは、その環境に馴れていて、狭い場所に入れられると、 ちょっとした音にも敏感に反応して辺りにぶつかったり、ストレスで、生き られない。養殖メダカは、卵の時から狭い場所で管理され、当然の様にエサ を与えられ、それで自然に生きている。だから養殖を自然界に放しても、過 当競争に耐えられず落ちるだろう。 ようは、長い間の環境に依って、身に付いた習慣というのは、少々では変わ らないと思うのね。でも、それは自分じゃ気が付かない。(多分だけど・・。) ちょっと、おこがましい言い方かも知れないけど、自分を見る作業と言い、 腑に落ちるという事を前提とした生き方とか、白黒の話しを真剣に思うと言 うのは、結局自分を知る。自分の世界の中の位置を知る。自分の生き様を知 る。という事に通じる様に感じたのね。 世の中には「野生」で生きる事をなりわいとする人も居れば、「養殖」で生 きる事をよしとしている人が沢山いるんじゃなかろうか。 言葉の使い方に不満もあるかも知れないけど、「野生」だからとか「養殖」 だからという見方をしたいと言うのでは無いの。それぞれがまず、自分の位 置をよく知る事から始めても、良いではないかな??と思うのね。 「何の為に生きてるの??」という問をいつも抱えながら、自分をなんとか 世界の一部だと認めて貰い、自分の居場所を探す中に、生きてて良かったと いう事をこの手に掴みながら、がんばれる。 自分の今いる場所は自分に一番ふさわしく、わたしらしく生きる為の舞台な の。そして、精一杯に生き抜く事を観客(おおいなる存在)は待っている。 まずは野生なり、養殖なり、自分はどいう生き方をしてきたのか、そしてこ れからどう生きる事が出来るのか・・。自分に甘いと、ちゃんと良心は冷静 見ていたり、腑は落ちないのよという形で忠告してくれそうな・・と言う事 を考えてみても良いな・・。と思うのでした。