- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/06/07 - 00264/00267 HGC02325 ガッチャ 今日のハーロメッセージに ( 2) 93/06/07 02:08  心の海は全く揺れ動いていません。  いや表面は激しく揺れ動いているかもしれない。  けれど、深い部分は微動だにしていない事を知っています。  表面だけでは、すごい波や、荒れている様子だけしか見えないけれど。  当たり前の事なんだけど、深ければ深いほど全く変化しない。  心は海のようですね。  どこに注目するかで「荒れている」「落ち着いている」は、変わる。  とりとめの無い、波が打ち寄せる。                              ガッチャ 00265/00267 GBA01276 しまうま 藍色の海 ( 2) 93/06/07 05:41 :藍色の海を刻む白い牙のような波頭…しまうまさんの心の海も揺れている?  心の海が寄せては返すたびに、少しずつ削られて。  でもその削られたものはなくなったわけじゃなくて。  藍色に溶けこみ、刻み込まれていたときよりももっと深く、確実に存在している。 00266/00267 GBG02043 維/YUI 今日(6/7)のメッセージに ( 2) 93/06/07 12:47 >>藍色の海を刻む白い牙のような波頭…維/YUIさんの心の海も揺れている? (^_^)エッヘッヘーーーッダ!!! そうでもないんだなぁ〜、これが。 ガッチャさんや、しまうまさんの書き込みにも、うなずける・・・。 海が好きで、波が綺麗に思えると、荒れてる海にも安らぎみたいなものが 見え隠れしてる。 嵐は、いろいろなものを破壊するけれど、 そういうことが、いろいろなものをより強くさせている、 よけいなものをとりさって、よりよい状態を導きだす・・ってことも・・・ きっと、世の中ではよくあることなのね〜〜〜っ!! (^_^)V お気楽・・・よね・・ >>維/YUI。 00267/00267 JCA00652 旅人 錯誤行為1 パンツと家 ( 2) 93/06/07 21:44 あやまちは誰にでもある。 しかし、こんなあやまちは実におもしろい。こ れは有名な錯誤行為として語り継がれているものなので知っている人は多いと思う。 かのフロイト先生がある日、道を歩いていると2人の旅の女性と出会った。 旅は道連れというわけでフロイトさんもワイワイ話しにまじえてもらった。 「やっぱり美人といっしょに歩くのはいいもんだ」 と先生は思っていたはずである。 ところで、そんな話の途中でそのうちの一人が、日中、日の当たる中を歩くのは ほんとに大変ね、といいだした。 「ちっとも楽しくないわ。一日中、日の光が当たっている中を歩くので、 ブラウスも肌着も汗でびっしょりだわ」 さて、ここでかの美貌のご婦人は、ちょっと口ごもってからこういった。 「でもHose(ホ−ゼ)に帰って着替えをすれば……」 フロイトはこのとき、ほうこれはなかなかおもしろいと、間違いなく思った。 思わず顔が崩れそうになったが、そこは賢明に押さえて、威厳を保ちつつ、 「うむ」 と、いうだけで、ことばを失った。 なぜならHoseとはズバリ、パンツのことなのだ。 フロイトはこのとき、このいい間違いを分析しなかったといっているが、 そんなことはない。 ちゃんとしかも尋常よりも素早く分析しにきまっている。 ばかりでなく、後々までこれが心の中にかなり強烈にこびりついていたとみえる。 彼の本にはこの話が得意げに語られているので、知っている人もいよう。 フロイト先生によれば、この美人のご婦人は本当は、 「ブラウスも肌着もパンツも早く替えたい」 といおうとしたのだという。 しかし、さすがに「パンツも」とは婦人の身だしなみとしていえなかったので、 いい及ぶのをやめたのらしい。 しかし、この婦人のパンツを替えたいという思いはかなり強かったとみえて、 次にくることばの中で、いおうとしていわなかったことば「Hose]が 「Hause(ハウゼ=家)」に代わって類似のことばをいい間違える結果となった。 我々なら「おいパンツもべたべただ」というところであるが…… これは品の問題かな。 でもやっぱり女の子にはこんな場で、 「パンツまでべたべたよ」 といってもらってはいささかがっくりくるなあ。 笑ってごまかすしかなくなる。 しかし、やはり無理するのはいかんな。 私がフロイトの立場なら、 「ほう、そんな所に帰って着替えをするのかね」 といいそうな気がしてしかたない。 この手の錯誤行為は日常ちょくちょくあるので体験者も多いだろうが、 上の話は女性の目から見た場合にはどんな風にうつるのだろうか。 JCA00652 世捨て仙人 時の旅人 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/06/07 - 354/354 JBH00742 炎 人の手に負えぬ・・・ ( 7) 93/06/07 22:24      * 龍は人を殺すか… *    昨日の書き込みでも少し触れたが    人間がある行為を為して(例えば神様を祭るなどして)    “何か”を動かしたとする。    然るにその後人間が勝手に人間の都合で祭を止めた    あるいは祭りの方法を変えたとする。    さて動かされた方はそうとは知らずやってくる。    ところが祭りは行なわれてなかったり    祭りの方法が変わっていたとする。    するとやって来たはいいが戸惑ってしまう。    それどころか怒り出したりもする。    さて“眷族”という言葉がある。    私はその意味は全く知らないのだが    喩えるなら「神を守ること犬の如し」か…。                             炎 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/06/07 - 209/209 KFD00315 Sin 蒸し返すMCの話 (10) 93/06/07 04:36  初めまして!Sinと申します。以後、お見知りおきを。  私もよく夢を見るほうで、10時間越えたあたりから、首尾一貫した夢が見れるよう になったりします。だから途中から目が覚めても、続きが見たくてまた果てしなく眠り に陥っていったりします。年令が上がるにつれ、平均睡眠時間は減るそうですが、私は あんまり減ったという気がしないのですが・・・。まだ学生してるから眠れるという面 はあるようですが。  で、蒸し返したいマインド・コントロールの話。  #188でオーロラさんがコカコーラの擦り込みの話をされていますが、法律で禁止され ているといいながらも、形を変え、品を変え、現在のわれわれの周りには山のように溢 れている現実をご存じでしょうか?それはサブリミナル情報と呼ばれ、広告のテクニッ クとしてそういう分野では非常に有名です。  具体的な手段としては、性器の一部を影のような形にしたり、ぐたいてきにSEXという 文字を無意識にしか知覚できない方法で、広告のなかに埋め込み、広告を強く印象づけ させるというものです。  キイというアメリカの学者がその告発では非常に有名で、『メディア・セックス』、 『メディア・レイプ』(どちらもリブロポート)という本を書いています。その扉の写 真を見るだけで、なんとなく気分が滅入ってくるのですが、アメリカでは普通の広告だ けでなく、タイム紙やニューズウイーク紙でさえ、売上を伸ばす目的でそういうテクニ ックが使われていたりするのです。  アメリカの広告はじつに露骨なのですが、われわれのすむ日本にそういうものがない かと思えば、残念ながら注意してみると本当に山のようにあるのです。  例えば、ついこの前までながれていた、あの薔薇の花びらが飛び散るなかから車が浮 かび上がってくる”三菱ギャラン”の美しい広告の雑誌版です。週刊新潮かなにかに載 っていたものなんですが、花びらの散る形と、その後ろの字の空間にあるわあるわ” SEX”の文字!  われわれは普通それを知覚しません。そんな不謹慎な文字が一流会社の広告の中に入 っているなど信じられないからです。われわれはすでにそこで色眼鏡を付けて広告を見 ることになります。見た瞬間に、見たものを否定するのです。しかし、無意識(特に車 を買おうかと考えている人の無意識)はそれを感じ取ることができるそうなのです。  意識のうちに残るのはこの広告に体する強い印象だけです。    それで影響を受けるのはどのくらいの人なのでしょうか?もしかしたら、それほど大 きな影響はないのかも知れません。  しかし、企業にとって例えば、そのSEXの文字の混じった広告により5%でも売上が増 加したら、それは大変大きなことです。そのためにはそういう広告は増えていくので す。残念ながらわれわれの周りにはすでにそういうものが溢れています。われわれは何 らかの形で、すでに知覚をある程度歪められていると考えられます。  そうするとますますわれわれの前には本当に感じることができなくなっていく世界ば かりができていくのです。  なんか、お寒い気分ですね。自分の考えていること、選んでいるもののなかに、自分 の知らないうちに他人の都合の良い意志が混入されている。  私は正確な選択をする自分をなるものを信用していません。       と、なると私はどこにいるんでしょうね。  私は原理のビデオセンターなるところにいって、ビデオ講習を見に行ったことがあり ますが、正直言ってつまんないですよ。彼らのやっていることも多分こういった広告を ながしている会社と同じことをしているのではないでしょうか。そういった感想を持ち ました。今日びの時代、お金の集まるところにはMCはついて回るのではないのか、な んとなく私はそれを当たり前だと思ってます。  それではユングの言う本来倫理的な無意識の活動する場はないといえると思います。                                Sin - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/07 - 659/669 GCC01413 HVHY RE:発言者削除 (14) 93/06/07 12:49 658へのコメント               〜 問題点の整理 〜  例の丹生都比売神社(天野大社)について。        一宮  丹生都比売神        二宮  天野祝の遠祖神        三宮  気比大神        四宮  厳島大神  「気比大神」「厳島大神」については、  >土帝御門天皇の承久2年(1208年)になると、  >高野山の行勝上人が霊夢を感得したことを北条政子に訴えて、  >ニウヅヒメの社即ち丹生・高野の社内に、更に気比・厳島の両明神を勧請した。  >このことによって、丹生・高野の両明神社は、現在のような四明神社となった。  とのことである。(※「丹生の研究」より引用)  但し、あたかも二宮が高野明神であるかのごとく書かれているのは気になる。  >高野山は、はじめ丹生氏の重要な基地の一つであり、  >ニウヅヒメ祭祀の一中心地であったとする私の考えが許されるならば、  >弘仁7年に空海は丹生氏の生活圏に割り込んで金剛峰寺を開いたことになるが、  >その結果、丹生氏は祖神を奉じて天野の地に退いたと認めねばなるまい。  >後に天野の側では、この事件を強調して、  >空海に神領を奪われたと号しているが、これは後人の評語にすぎない。  >事実、弘仁時代にはかつての丹生氏の勢力がかなり減退していたこと、  >つまりこの方面における水銀鉱業がやや下火になっていたことを考慮して、  >丹生氏と空海との妥協を理解すべきであり、妥協が成立したからこそ、  >天野におけるニウヅヒメが、高野山のそれと同様に、  >高野明神を易々と受け入れたのではあるまいか。  この記述からも、当初の天野大社は丹生・高野の両明神であった、と読み取れる。  松田寿男氏がフィールドワークをしたのは昭和30年代なのだが、  その段階では、二宮は高野明神だったのであろうか?  だとすれば、その後(つまり比較的最近になって)、  “割り込んできた高野明神”を排除して自分たちの祖神を奉ったことになる。  但し、13世紀に付け加わった二柱は“そのまま”生かされた…。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  いずれにしても、丹生都比売神社は、  丹生氏の本拠地の移動に伴って建てられた神社であり、  その段階(9世紀前半)で丹生神に高野神が付け加わり、  更に後世(13世紀初期)になって気比・厳島の二柱が付け加わった。  このように考えても良さそうである。  以上で、#658に提示した観点のうち、  一つ目と三つ目はおおよそクリアーされたのではないか。  そして、残された問題こそが、  イワレヒコの大和平定以後の大和・紀伊方面を考える上で、  重要な視点を提供しているのである…。                                  HVHY 660/669 GCC01413 HVHY 混線模様 (14) 93/06/07 16:44 コメント数:2              〜 「丹生」と「隼人」 〜  #659においては、 >>> 「丹生」は「気比」「厳島」と“そもそもは”関係がない  ということを示したのであるが、にも拘らず、  「丹生」が[第1群]ではなく[第2群]に置かれたことも故なしとしない。  その理由は(非常に細い線なのだが)「佐伯」という接点にある。  「佐伯」というのは、  イワレヒコの東遷に同行した五伴緒神の一人「久米(来目)」の子孫である。  ところで、「丹生川上の顕齋」は大和平定の途上で行われた。  そこには「道臣命」(=「天忍日」=「大伴」)だけではなく、  (記紀には書かれていないが)いつも一緒の「久米」も同伴していたはずである。  (※それにしても祭祀係の「太玉」=「忌部」は何処へ行っていたのだろう?)  日本書記では、大和平定に当たって、  「道臣命」が「久米」を率いていたように書かれている部分があるが、  実際に活躍したのは“どちらかと言うと”「久米」であった、  と読めなくもないことに注意しておきたい。  一方、イワレヒコの一行はその途上吉野で、      ・「イヒカリ」     =「吉野首部の祖」      ・「イハオシワク」の子 =「吉野の国巣部の祖」      ・「ニヘモツ」の子   =「阿太の養鵜部の祖」  の三者に出会っていることは既に述べた。  「阿太の養鵜部の祖」と書かれている「ニヘモツ」の子については、     >水(かは)に縁(そ)ひて西に行くに及びて、     >また粱(ヤナ)を作(う)ちて取魚(すなどり)する者あり。  と日本書記に書かれているのだが、  これは今日で言う「サンカ」の一つの典型的描写と言えまいか?  それにしても、「阿太(アタ)」とは、  ニニギノミコトが娶った「アタツヒメ」の「アタ」と同じである。  ここにいわゆる隼人族と当時の吉野の古くからの“縁”が読み取れる。  (※少なくともイワレヒコ東遷以前に吉野に隼人族は入っていた???)  この三者は(記述を素直に読めば)イワレヒコたちに全く抵抗していない。  このことも何かを意味しているだろう。  さて問題は、丹生(水銀)に関わる「丹生川上の顕齋」を、  “実際に行った”のは誰か?…という点だ。  少なくとも“この神事”は王権祭祀(稲作関連)に連なるものではない。  どちらかと言うと、土着の呪術の要素が色濃い。  だとすれば、丹生(水銀)を操った「イヒカリ」たちこそ、  「丹生川上の顕齋」の“実際の主役”だったとは考えられないか?  その「イヒカリ」たちを仕切ったのは、  「天忍日」「日臣命」と「日」を冠して呼ばれる「道臣命」ではなく、  もともと同じ隼人族である「久米」(後の「佐伯」)ではなかったのか?  ここに“「丹生」と「佐伯」の繋がり”が見出だされるわけだ。  ところで、この説を発展させて考えると、  “「丹生(水銀)」に関する技術そのものを「隼人族」が持ち込んだ”  というところまで進みそうである。  しかしながら、このように考えると一種の混線を招く。  「サンカ」というのが「縄文人」の文化をその典型とするならば、  「サンカ」の道筋であると言われる「丹生」に関する技術は、  「縄文人」が既に獲得していた…としないと辻褄が合わないのではないか?  それとも、“「丹生」は「サンカ」の道筋である”とは、  “もう少し複雑な事柄”を表現しているのだろうか…?                                  HVHY 661/669 PFG01325 MINT アヤシイのがお好き(^^;) (14) 93/06/07 17:02 640へのコメント  >>なえ さん   >>うーーにゅ。これ見たらMINTさんが、やっぱ、アヤシイ人だったのねぇえ・   >>と思うだろうなぁ・・。あやしけりゃ何しても良いとは言えないけど・・・・。  なえさんってば!!(^_^)  今、さ、ら、何を言ってんですか!  ふたりして、妙な夢を見た仲じゃあないですか。  あっ、そーか、MINTのお墨付きが欲しいのね。(^^;)  「なえさん、ってば、アヤシイ人だったんですね...」  はい、これで、なえさんも解読部屋で、何を言ってもだいじょぶ(?)な、  アヤシイ人の仲間入りです。(ほんとかなあ...)                           MINT   P.S.    夢といえば、2〜3日前、会社で仕事している夢を見ました。    電話で、お客様と話している夢だったのですが、電話の声が、    HV議長の声だったと思うんですよね。    議長、私に電話くれました??(^^;) 662/669 GBG02043 維/YUI 明け方に・・・ (14) 93/06/07 17:11 コメント数:1 夢を見た。 なぜだか、サンカの話がでていた。 サンカの島がみつかった・・・という話・・。 そのあたりの映像は、河のような流れの中に、飛び石のように幾つか岩がおかれていた。                       それだけ・・・。 維/YUI。 663/669 GCC01413 HVHY ますます混戦模様。 (14) 93/06/07 20:54              〜 佐伯氏の系統 〜  > 今なお高野山の霊廰で生きるが如く眠っているという弘法大師は、  >朱に埋もれているが、朱の効用を知っていたからこそ、  >金剛峯寺を創建したとき、丹生都媛を祀る天野大社を鎮護の地と定めた。  >ところが、社伝ではヒコホホデミの創祀だという。  >山幸彦が高野山へ来る筈もなく、ホホデミを祖神と仰ぐ海人族が、  >高野山で朱砂を採掘し、朱砂を神として祀っていたのが真相だろう。  > そのような人々を丹生氏族というが、  >大師が金剛峯寺を建てるに当たって土地を提供したといわれている。  >じつは、この氏族が海人である。  これは「海人族と鉱物」という小田治氏の近著からの抜粋である。  実は応神天皇も「ホホデミ」と呼ばれる場合があるので、  “天野大社の創祀が「ホホデミ」だから”という理由だけで  丹生氏を海人族と結論づけているとすれば“危ない”かも知れない。  しかしながら、この書き振りでは“それ以外の根拠”が当然ある様子だし、  今までの私自身の一連の考察からも「丹生氏=海人族」説は十分うなずける。  (※もちろん海人族は海人族でも南方系であろう…)  > 紀州熊野の果無山系に国巣(くにす)と呼ばれる人々が住んでいる。  >古来ホホデミを産土神として崇め、  >本地垂迹説でホホデミとされる如意輪観音を拝んでいる。  >多分この人々も、熊野川・十津川を遡って行った海人族の子孫で、  >古くから何かの鉱物を掘っていたのではないだろうか。  ここで言う“熊野の国巣”が“吉野の国巣”と同類であることは明らか。  そして、小田治氏は、「国巣」と「丹生氏族」を、  アナロジカルに見立てているわけである。  但し、熊野は出雲系の色濃い土地であるから、  “熊野の国巣”を隼人族と推定するのは困難であろう。  さすれば、“熊野の国巣”は出雲系海人族で、  “吉野の国巣”は南方系海人族(隼人族)だったということか???  > 「佐伯」は「遮る」が語源で、次第に順化した蝦夷(エミシ)が、  >国境の防衛や宮門・宮衙の警備に任ぜられた。  >そこからこの名が生じ、統率者を含めて佐伯部という。  >中には、安芸の宮島へ宗像の神を勧請した佐伯鞍職(くらもと)があり、  >(歴代大祝家は佐伯氏)弘法大師もまた佐伯氏の出である。  >『姓氏家系総覧』に、「佐伯」を「種族名で蝦夷の一種」といい、  >「佐伯部」を「異人種部」としているが、  >弘法大師の祖先は景行天皇で、その裔は讃岐国造であった。  >厳島神社の大祝家もその一族だろう。  > なお、弘法大師の母は阿刀氏で、アトは阿曇。讃岐や安芸の佐伯氏も、  >海人を統率し安曇氏と親しい関係にあったと考えられる。  >安芸の佐伯氏が航海の神を勧請した理由でもあろう。  >とすれば、瀬戸内海の海人に蝦夷の子孫もいたに違いない。  どうもこの人の本は考証と記述が“ラフ”な感じがする。  「佐伯」を「蝦夷(エミシ)」に関連づけて語るにはもちろん理由もある。  (※即ち“然るべき典拠”が存在するという意味…)  しかし、一方では、    *弘法大師は「佐伯氏」の出であり、その祖先は景行天皇である    *厳島神社の大祝家も、弘法大師と同様に「佐伯氏」であった  としているわけである。  もし、これら全てを認めるならば、  「景行天皇」と「蝦夷(エミシ)」が同族ということになってしまう。  さもなければ、「佐伯」に“全く異なる二系統”があったとせざるを得ない。  その辺りに検討を加えずに“するするっと”記述されている。  しかも、「瀬戸内海の海人に蝦夷の子孫もいたに違いない」と結論している。  流石にこの結論は“妙”な感じがしないだろうか?  であるにも拘らず…、  「夷(エビス)」と「蝦夷(エミシ)」を“もしも”オーバーラップさせれば、  この一見“腑に落ちない”結論も筋が通らないわけではない。  謎が謎を呼び、段々グチャグチャになってきた…。                                  HVHY 664/669 JBH02324 なえ お告げ (14) 93/06/07 21:22 660へのコメント 実は関係あるのか無いのか・。単に「感」が言いなさいと言うもので、言ってし まいますが。(^^; ある時、神宮の柱も傷んで古くなったので、この際新しい社殿に作り替え、出来 れば新しい地へ移転し、活気の溢れる神社にしようじゃないか。と、話しはまと まった。 そこで、新たに築いた社殿に散在していた他のミタマサマと合幣しアラミタマを 勧請申し上げた。処が、世情は一変、またたく内に飢饉となり、病人が多数苦し む事態となった。これは如何に。早速伺いをたててみると、新たに造営した社殿 にミタマは入らぬとの仰せにて、元の場所にすぐさま返すよう。との事。あわて て元にお帰り頂くと、厄災は嘘の様に消え去ったという。 これは昭和の始めにて、当方の住むとある神社のいわれでございますが、真偽の 程はいざ知らず、どうやら「カミサマ」は、社殿の場所・同時に奉られる相手・ 奉られ方を選択する事が出来る様でございます。 時にカミサマは思いも寄らぬ出来事をなさる様。(^^;ゞ MINTさんのお墨付きも貰ったので、書き込んでみました。(^^; 665/669 GCC01413 HVHY RE:明け方に・・・ (14) 93/06/07 21:36 662へのコメント コメント数:1             〜 「サンカの里」再考 〜  #662によれば、維/YUIさんは「サンカの島?」の夢を見た。  「河のような流れの中に飛び石のように幾つか岩がおかれていた」と言う。  これで私自身が思い出したのは、高尾山に登ったとき、  その帰り道に“谷伝いの道”(名前は忘れた)を選んだわけだが、  途中で川の中に飛び石が置かれていて“それ”が道だった…ということ。  昔の山奥の谷沿いの道には“そんな所”が結構あったのだと思われる。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  それはさておき、「サンカ」の夢は、私も見たことがある。  もう随分前に「サンカの里」というタイトルでUPしたように記憶する。  その「サンカの里」は、何故だか里全体に囲い(塀ではない)があって、  里への入り口としての「門」があった。  そして、“内”と“外”を厳格に区別していた。(※“出入り”が簡単でない)  私は“そういう里”を実際には見たこともなかったので、  どうして里に「門」があるのか?…と不思議に思っていた。  ところが、“そういう里”は(今は残っていないが)存在したのである。  大和の国に特徴的に見られる宿村(シクムラ)が“そういう形態”だったそうだ。  さて、詳しいことは稿を改めて…。                                  HVHY 666/669 GBG02043 維/YUI RE:明け方に・・・ (14) 93/06/07 22:07 665へのコメント HVHYさんの書き込みを読んでいて、ふと思い出した村がある。 天川村ですの・・・。 私が行ったときは、すでにかなり観光地的な要素をもっていたけれど・・・。 それでも、肌に感じる空気は、しっかりとよそものとみうちを分けていた。 観光地として、たとえば天河神社をみにくる人に対しては、かなり厳しい気持ちを 持っているようなところが、あった・・・。 ところが、橋をわたって外に出たすぐのところの喫茶+お土産やさんは、そんなこと ないのでした。(あたりまえだよね〜、客商売だもの) あとは・・・、温泉浴場ぐらいかな〜〜〜。 村の中でも、観光派と非観光派ってのがあるのかなぁ〜〜〜。 そこの人のくらしってことも考えたら、観光を受け入れるのもしかたないのかなって 思いつつ、かってなわがままをいえば、そういう天川にはならないで・・・って、 思うのでした。 サンカのこととは、関係ない書き込みになってしまったけど・・・。                                  維/YUI。 667/669 JBH02324 なえ 門 (14) 93/06/07 22:22 660へのコメント さて、関連事項に水を差すのか、倍加するのか・・。混迷に新たな波紋か、 呼び水か・・。(^^; 神社の門には幾種もの形がある。また紋にも同じ事が言える。 で、先のイツクシマとケヒは両部鳥居であり、他の門とは趣を異にしている。 (日本三景のひとつだから形は知っておられましょ?) さらに紋の代表格が三巴であるが、八幡系、大神神社、丹生川上神社、気比神 社等である。また、宇佐神宮もそうであるが、実は宇佐の奉神は、応神天皇と いわれている。かく言う出雲大社は亀甲紋なんですね。 亀甲結構こけこっこお・・。(^^; 668/669 GBG02043 維/YUI RE:気になるテキストVOL.2 (14) 93/06/07 22:51 638へのコメント 妙な話だけども・・・。 この数年、たまごさんの書き込みの前半を 実証体験するようなことばっかり、あったようなきがします。 ん〜、よおく考えてみたら、生きるってことのある部分は、自分への本当の 信頼をとりもどすことにあったのかもね・・・ >> 私。                       このところ、落とされることが このところ、落とされることが多いな・・ボソッ (イミフメ) 維/YUI。 669/669 GBG02043 維/YUI なんの関連もないこと。 (14) 93/06/07 22:55 江ノ島 >> えのしま >> よいしま >> >> >> ?? 厳島 >> いつくしま >> 居着くしま >> >> >> ??餾サセサキロラ ル ァ"i擣yネ]兼嚠ラ}S椁K礼驕@  ほら、まただわ。                          維/YUI。 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/06/07 - 294/294 HGE02116 MAKOTO ねぇ、聞いて聞いて(^^) (17) 93/06/07 20:22 は〜い、またまたお騒がせのMAKOTOだよぉ(^^) けさ洗濯しながら、取り止めのないこと考えてるとさ、 ふっと気づくものがあったの。 ARIONは、「満たされている、欠けているものなどない」って スマルに言ったそうだね。 この前は、納得いかないって書いたけどさ、 本当はそうなのかも知れないって事に、ふと気がついた(^^;) 私が虚しいとか、欠けているって感じている時、 どこかで回りと比較してるんだよね。 もしかして、何も比較する対象がなければ、 虚しくなったり、欠けてると思ったりしないのかも知れないってさ。 家族が助け合って、当然のように生活してる人がいる。 なのにうちはどうだ? 軽々と他人と接する人がいる。 なぜ、あたしは躊躇うんだろう…? なぜ、必要以上に壁を作ってしまうんだろう…? その人の内面なんてわからないのに、 外面だけを見て、いろんなことを比較してる自分がいるんだ。 で、勝手に取り残されたような気になって、落ち込んでる…(^^;) ARIONのいうように、本当は、満たされているのかも知れない。 ようは、それに気づくかどうかなんだ。 他人の上っ面の幸せそうな姿と比較する必要なんてないんだよね。 ほんと、惨めにしているのは自分だ。 「ほんとは元気なのに、それを見ようとしてないだけ」 その言葉の意味は深いよ。 他の人にどう見えようと、物事自体には幸不幸ってないもんな。 ようは、それをどう捉えるか。 もちろん決めるのは私だ。 不幸のどん底気分の時には、そんな単純なことにも気づけない。 で、不幸だ、虚しいって、ひとり芝居を演じちゃうんだね。 苦しいのは事実だし、哀しいってのも嘘ではなくて、本当に辛いのだけど、 隣の芝生の楽しそうな様子、満たされた様子を見て、 勝手に焦って虚しくなって…なんてさ、馬鹿みたいだね(^^;) 今はね、疑問を感じた時に、答もすでに自分の中に用意されてるような気がしてる。 そして、答に繋がる鍵の方も、外側にいくらでも転がってるみたいだね。 本の中の一節やら、マンガの一こま、ドラマのワンシーン、日常のなにげない一言… そんなものが妙に心を引き付ける時はチャンスなんだろうな。 でも、その為には受け止める準備ができてる事が必要なんだ。 準備ができてないと、それに気づけないんだものねぇ。 見落としてる鍵って随分ありそうだなぁ…(^^;) な〜んて、もったいない事だろ(^^;) ただ、「人は満たされているもの」なら、なぜ悩むんだろう…? なぜ、つまづくんだ??? 普通の暮らしの中に散りばめられている、 本当に大切な事に気づくために必要な事なのかなぁ…? 知らないから幸せな人がいる、知って不幸になる人もいる。 悩みの中で大きくなる人がいる、縮こまってしまう人もいる。 いろんな人が、いろんなものを抱えてるんだろうね。 ならば、私はどうしようか…??? 性格的に目も耳も塞げないなら、どう生きたらいいんだろう? あららん、ちょこっと抜けたと思ったら、 また課題が増えてしまった…(^^;) やっぱ私、押し潰されそうな重荷でさえ、 どこかしら楽しんでるのかしらん…(^^;) それってなんだかなぁ…(^^;)                     MAKOTO でした☆