- FARION MES( 1):【お知らせ 】----------------------<01> 93/06/10 - 007/007 NAA02416 放浪惑星 サブシス辞任のご挨拶 ( 1) 93/06/09 20:47  報告が遅くなってしまいましたが、先月末日を持ちまして FARION のサブシ スを辞任いたしました。サブシスになって1年と1カ月、フォーラムオープン のための準備期間をいれると、プラス1カ月というところでしょうか。どうも 長いあいだお世話になりました。至らぬところも多々あったかと思いますが、 まぁ許してやってつかぁさい。  今後の FARION 並びにみれのフォローはアキラとガッチャに任せて、私は気 楽な一会員の立場に戻らせていただきます。今後もシスオペとサブシス、そし て各会議室議長さんたちを応援してくださるようお願いいたします。                       FARION 元 SUBSYS 放浪惑星 - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/06/10 - 00280/00293 JBH00742 炎 RE:MES(1) #007 ( 2) 93/06/09 22:15  ・放浪惑星さんへ  長い間サブシスのお努めご苦労様でした。  裏方でいろいろとお世話頂き有難うございました。  殆ど会話らしいことは出来ませんでしたがお礼申し上げます。  今後は一会員となられるということですが  何卒今後ともよろしくお願い致します。  ところで「つかぁさい」というお国訛りから察するに  放浪惑星さんのお国はこちら(岡山)方面なのですか。  …これは余談でしたね。では!                            炎 00283/00293 KFF03440 いりくん大好き 始めまして! ( 2) 93/06/10 03:48 コメント数:1 FARIONの皆さん始めまして、”いりくん大好き”です。 約1ヶ月前にMacを買ってから、Mac関連コーナーをうろうろしてます。 AutoPilotにも慣れ、他のフォ−ラムを覗いているうちにアリオンという名前 に惹かれて覗かせてもらってます。 peepingの趣味はありませんが、なんせ初心者なものでどうしてもそうなって しまいます。 ところで、このアリオンて言う名は2年程前に、ある本(I LOVE YOU 1&2 扶桑社)で、読んだことがありますが、なにか関係があるのでしょうか? チャネリングには少し興味がありますが、実際には、バシャールの公開講座に 一度だけ行ったことがあります。 その時は内容がよく判りませんでしたが、後になって、それらの本を読んで みると、なるほどと思わせるものがありました。 特に、ワクワクすることをしなさい!という名言には、自分の現在の状況を 確認する意味において、また、これから自分がやろうとしていることの 再確認をするうえでも、私の羅針盤的な意味をもっています。 チャネリングとは何ぞやと思う時もありますが、上記のような名言を聞いたり 本で読んだりしてると、どんな世界なんだろうと興味半分ででも覗いてみよう かなと思い、昨日からここのフォーラムのROMをしています。 Macもパソコン通信も初心者で、ROMが先行してしまいますが、気になる フォーラムですので、皆さんよろしくお願いします。 *** KFF03440 いりくん大好き *** 00284/00293 PEG02614 ト−ル はじめまして ( 2) 93/06/10 05:13 コメント数:1                                       ドモ はじめまして トール と申します                                                     以前はRTだけでしたが顔を出してましたので御存じの方は                                             お久しぶりです また復活しましたので、よろしくお願いします                                           これからは会議室などにも参加させていただきますので、その節は                                          可愛がってください(精ぶ話/バQあたりに出没する予定です)                                                                               それと遅れましたがガッチャさん 就任おめでとうございます                                            では短いですが ご挨拶とかえさせていただきます                                                                                                         **** PEG02614 / トール ****  00285/00293 GBG02755 スマル 鬼の撹乱?? ( 2) 93/06/10 10:32 コメント数:1 違う、おばんの撹乱じゃ!! 歳にはかてんわい。 とうとう、体壊した。 月曜日の午後、突然の偏頭痛、じんましん。 帰宅後、微熱。 特に腰から下の鈍痛?に悩まされ、今日まで至ってしまった。 2、3日前からむくんでいたからなあ、そういえば。ちと心配・・・・ ま、それでもこうして書き込みが出来る程度なので、心配はあるまいて。 今日は今から診察にいくのじゃった。 10年間、三食昼寝つきの楽な生活を送ってきた報いであろうか。 突然の学生生活に馴染めず、今ごろ疲れが出たと思われる。 母曰く、「まだ、当分動けないんじゃないの? 歳だからねえ」 ド!!!(_ _;) 母は昨日医者にあんたは若いと太鼓判押されて帰ってきたのだった。 担任の先生曰く「更年期障害は35才からよ・・・・」どどどどど・・・(;_;) まさか・・・?ナハハ そうなのです、今日はさすがに学校休んだじゃ。 そいでもやることはあるだで、布団ほさなきゃならんし、洗濯は山だし、 掃除もしないでいたから・・・・ ここ、FARIONにいるときは、なんとか傷みを感じないでいられるもんで、 浸っているのでした。 落込みが終わったと思ったら、体が沈んでいたじゃ・・・                                   スマル - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/06/10 - 01083/01087 TBE03167 ねずみ RE:気持ち悪〜〜〜い!!>ソニック ( 6) 93/06/09 21:49 01080へのコメント コメント数:1 そんな言い方はひどいじゃないかっ! ソニックに謝れよ。 > 純子。 01085/01087 MGH00465 アキラ RE:気持ち悪〜〜〜い!!>ソニック ( 6) 93/06/10 09:27 01080へのコメント コメント数:1 |PS 誰だか詮索しないように>ソニック  PROF HAF00716 で、誰だかわかります(^^;)  しかし、ジョークにも程があるよーな……(-_-;) - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/06/10 - 368/368 GGA02514 KAZE おんにこにこ はらたつまいぞや そはか (13) 93/06/10 12:17 364へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >僕はあやとりも好きなんですが、・・・ 「あやとり」っていうのも面白いかもしれませんね。 梶川さんのワークショップで使った教材は、基本的に立体の「辺」と「点」のあり方を 中心としてとらえられるようなものでしたが、 考えてみれば、「あやとり」というのは、それを拡大して幾何学的に展開していくと、 それをかなり柔軟にとらえられるものですよね。 「辺」というとらえかたが、ユークリッド幾何学的でないですから。 ロバチェフスキー幾何学では、三角形の内角の和が180度にはならないようにね。 折り紙やあやとりだと、とっても身近にそれが体験できるから、 ほんと、今後それらをつかっていろんなことを考えていければいいですね。 >自由と身勝手というのは本来別のものであると僕は思いたいのですが、どうもこ >のあたりのところがまだよくわからないところです。 「身勝手」というのは、本来の自由の向かうあり方ではないのは確かですが、 その「身勝手」を不可能にさせるというのは、自由を奪うということになりますから、 そこらへんのことは、とってもむずかしい問題です。 自由の行使というのは、必然的に自我相互の相克ということをはらんでいますから、 どうしても他者の自由を侵害してしまうことになりかねません。 人間であるということは、「選択の自由」「創造の自由」を持つということであり、 それに対して、「自己責任」の原則を持つということであり、 それがなければ人間であるということができません。 だから、基本的に、カルマ論という原因−結果の時間論的空間論的あり方を 深く考えていくしか、その自由についてのグローバルな視点を持つのは 基本的に困難なのではないかと僕は考えています。 シュタイナーは、社会有機体三分節論で、 「精神における自由」、「法における平等」、「経済における友愛」というのを 提示したわけですが、この「精神における自由」ということについて やはり深く考えてみなければならないのだと思います。 自由ということを「法」や「経済」という側面に持ち込んだりしない、 というのが現実的には大事なことなのでしょうね。 さて、自由の相克ということに絡めて善悪ということもでてくるのではありますが、 その善悪ということは、それを判断する視点によって、 一見「善」に見えたものが、グローバルに見れば、実は悪、 一見「悪」に見えたものが、グローバルに見れば、実は善、 ということになりかねないのが、更に混乱するところではあります。 「悪」というのは「時やところをわきまえない善」であるという視点をとれば、 やはり、どれだけ幅広くかつ深く物事を的確にとらえているか、 ということしかそれを判断できる基準はないのですが、 これまたその「幅広くかつ深く」という基準について考えていくと、 その判断をめぐって泥沼になりかねませんから、 結局は、その判断について、「それが間違っていたとしても、それについて、 自分は全責任を負う覚悟がある」というふうに「腹をくくる」ことしか 神なる存在でない以上、できないのかもしれません。 >人間って平等なんでしょうかね。基本的な部分というのは同意できるのですが、 >全く平等かというとそうではないように思えてなりません。 月並みな考え方ですが、「平等」というのは神の前での平等であって、 この3次元的なあり方だけを近視眼的にみると、 「平等」ということは有り得ないことだと思います。 ま、「平等」で一番問題になるのは、「結果平等」を要求することで、 「がんばった人にはNCAA」的なあり方を否定してしまいます。 やはり、「平等」というのは、あくまでも「機会平等」であって、 「結果平等」という無差別的なあり方は制限されるべきなのでしょう。 >平等を逆手にとって不条理な要求を突きつけたり、 >はたまた逆に弱者を置き去りにするような行為を見るとムカムカします(^^;)。 どちらのあり方も、「思いやり」に欠けた自己正当化で、 結局、「自由」ということをはきちがえているのでしょうね。 どちらにしても、カルマ論的な原因−結果の時間・空間的連鎖を考えると、 最終的には「平等」に処遇されることになるわけですから、 結局、現実的には、これも「自由」の問題と同じく、 各自が自覚的なあり方をとるしか、仕方のないことなのかもしれません。 >僕の場合は試練があるとなんだか無性に腹が立って「一体何なんだ、バカヤロー >!!」てな具合になることが多くて(^^;)、そうなると何もかも放っぽり出して自 >堕落になるというのが常だったんですが、何があっても腐らずに日々頑張りたいも >のです。 そういう「無性に腹の立つ」方のために、「腹を立てぬ呪文」をお教えしましょう。 おんにこにこ はらたつまいぞや そはか なかなか、味わいのある呪文でしょう(^^)。 これは、明治の初め頃ある禅者がつくったものだそうですが、 人間のすべての病は「怒り」に端を発するということは、 中国の最古の医書の「素問霊樞(そもんれいすう)」の開巻第一章の 「上古天真論」にも論じられているくらいなのだそうです。 液体空気で冷却したガラスの管に息を吹き込むと、 その中の揮発性の物質がかたまるのだそうですが、 怒りながら発した息のそれを、ネズミに注射すると、必ず神経過敏になり、 激しい怒りだと、数分で死んでしまうそうですので、 人間、いつも「にこにこ」でいたいものだと思います。 >「恋」というプロセスのない「愛」がニセモノというのはどうでしょう。 まあ、「ニセモノ」というのは言い過ぎかもしれませんが、 僕の趣味でいいますと、恋のない愛というのは、 「上から下へ」というような妙に取り澄ましたイメージがあるのです。 「〜してあげる」というような、自分を相手より一段上に置いた感じでしょうか。 「恋」っていうと、「乞う」ということでもありますから、 一度切り放されたものがもう一度結びつきたいと「乞う」というあり方で、 自分と相手をまったく同じレベルに置いているイメージがあるのです。 「キリスト衝動」とか「大乗」とかいうことについても、 それを「上から下」という感じでとらえたくないな、というのがありまして、 あえて、「恋」というプロセスの重要性をコメントしたわけです。 「恋」というのは、宇宙進化という、 一度神から流出したものがもう一度神へと還っていくプロセスと通じるものであって、 「個」が「個」であるが故の悲しみを癒してくれる契機でもあるのだと思います。 人間は「自由」で「平等」であるが故に、 「忍耐」と「努力」、「恋」、そして「にこにこ」が大事だと思うKAZEでした。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/10 - 686/693 GCC01413 HVHY 発言者削除 :一部訂正再褐のため。 (14) 93/06/09 21:50 679へのコメント コメント数:1 687/693 GBG02043 維/YUI 難しくても。 (14) 93/06/10 00:28 685へのコメント やるか、やらないか・・・です。 失敗しても、あきらめずに自分をさがします。 自分すら信じられない自分自身があまりに悲しくて、 自分を本当には大切にできなかった >> 私。 いまでも、できてるのかどうかは・・・???だけど(^^;;)、 それでも気がついた時点で逃げずにいようっていう努力は、したいなって・・ その程度のことは、思ったりします。 (^^;)オー、 ホトンド イイワケッポイワァーー 信念ってのに一種の嫌悪感を感じたりするときがあって、それは ある一定のわくを創り、そこの中のもの以外は理由を問わず排除する・・みたいな 力をその言葉から受け取っていたからだと、思えます。 なんであれ、盲目的に過信するところからは、本来の信念ってものはみえて来にくい ように思います。                            維/YUI。 688/693 GCC01413 HVHY RE:何が起こったのか? (14) 93/06/10 00:28 679へのコメント コメント数:2  *[合体策は旨くいったのか?…その5]  相続争いによって雀部臣は、第8代考元天皇として即位した。  この雀部臣は「イワレヒコ」の息子の一人であった「八井耳尊」の孫である。  この相続争いをバックアップした穂積連は、第8代〜第9代と皇后を出すものの、  第10代崇神天皇になると、皇后は「ニニギ」の系統の「八坂振大海姫」。  第9代開化天皇の皇后は「イカガシコメ」。  第10代崇神天皇の宰相は「イカガシコオ」。(※いずれも同じ穂積連だろう)  「イカガシコオ」の息子も第11代天皇の宰相を務めた。  第12代景行天皇の時代になると、自分は西国の“帰属しない連中”を平定。  長男の「ヤマトタケル」には東国の“帰属しない連中”を平定させる。  この景行天皇の皇后は「ニニギ」の系統の「八坂入姫」。  雀部臣に皇位を奪われた考安・考霊(第6・7代)の直系に、      ・「百襲姫」(大神神社斎主)      ・「彦伊勢利王」(またの名を「大吉備津彦」)      ・「伊予国造」(後の「越智氏」「河野氏」「井門氏」)  などがあった。(※これらの人々は“どういう立場”の人たちか?)  第13代成務天皇より、宰相は「武内宿禰」。  その「武内宿禰」は、第8代考元天皇(即ち「雀部臣」)の子孫とされる。  つまり、「武内宿禰」は「八井耳尊」の子孫である。  一方、穂積連は、第13代成務天皇に皇后を出すものの、  第14代天皇には、成務天皇の兄(長男)「ヤマトタケル」の息子が即位。  これが“非業の死”を遂げる仲哀天皇である。  (※この時点で穂積連の系統は天皇と切れてしまったわけだ…)  第12代景行天皇の息子に「ホムダワカ」(=「ワカタラシ」?)。  もちろん、成務天皇と「ヤマトタケル」の兄弟に当たる。  この「ホムダワカ」の娘(景行天皇の孫娘)に「オキナガタラシヒメ」。  即ち、第14代仲哀天皇の皇后(いわゆる「神功皇后」)である。  そして、(この部分は確定的には言えないが)、  「武内宿禰」と「神功皇后」との間に生まれたのが「ホムダワケ」。  これが第15代天皇として即位した「応神天皇」その人である。  その“別名”を「八幡(ヤハタ)大神」とも言う。  この辺り(三韓征伐の頃?)で、大陸から儒教が入り込み、  (既にやや崩れかけていたが)末子相続から長子相続へと切り替わる。  最初の長子相続者となった第16代仁徳天皇の陵墓は、  誰でも知っている(?)日本最大の“前方後円墳”である…。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜¬ユ5RP  さて、ここで一つ気付くことはないか?  つまり、ここに書いた“考元天皇に矢ワって応神天皇で完成する流れ”には、 ゚ 『八・・・』(=『ヤ・・・』)という音韻が付きまとっているのだ。  但し、この『八』は、八切止夫氏言うところの『八』とは意味が異なる…。  何代かの世代を経て、「イワレ」〜「イスケヨリ」の線が、  「八井耳」〜「八坂入」の線に“入れ替わって”しまった。  その完成形のシンボルが他ならぬ『八幡』ということになる。  そして、ここまでを“《「タカミムスビ」系シナリオ》の第一次完成”と見る。                                  HVHY 689/693 MAH00652 アリオンしんちゃん RE:何が起こったのか? (14) 93/06/10 00:40 688へのコメント あのぉ,素朴な質問なんですけど,HVHY様はなにゆえ 皇族の先祖の方々のお話を続けていらっしゃるのでしょうか? 私のような歴史に疎いものにもわかるような参考書(HVHY様が使って いらっしゃる)がもしあったら教えてくださいませんか. あと,古代史と[数字]をくっつける試みというのは,何か 意味があるのでしょうか? まったく門外漢のくせになんとかこのフォーラムの流れをつかもうと 必死なのですが,上2点どうしても疑問なので教えてくださいませ. 690/693 GCC01413 HVHY RE:何が起こったのか? (14) 93/06/10 10:45 688へのコメント   一部訂正です…。   全体の文脈に影響するかも知れない大切なところを、   “ウッカリ”(じゃ済まないけれど)間違えてしまいました。   |この「ホムダワカ」の娘(景行天皇の孫娘)に「オキナガタラシヒメ」。   |即ち、第14代仲哀天皇の皇后(いわゆる「神功皇后」)である。   この部分を以下の通りに訂正して下さい。↓↓↓↓   |この「ホムダワカ」の娘(即ち景行天皇の孫娘)を、   |第15代応神天皇(「ホムダワケ」)は皇后に迎え入れた。   全体の文脈にどの程度影響するかについては、   アーティクルを改めて検討してみることとします。                                HVHY 691/693 GCC01413 HVHY RE:発言者削除 :一部訂正再褐のため。 (14) 93/06/10 10:57 686へのコメント  *[合体策は旨くいったのか?…その4](#686の一部訂正版)  皇統符を見る限りでは、次のような“世代差”が想定される。     (1)    (2)    (3)    (4)    (5)   アメノミナカヌシ   タカミムスビ   イザナギ  アマテラス  オオクニヌシ ニニギ   カミムスビ    イザナミ  スサノオ          ホホデミ                                フキアヘズ                                イワレヒコ  しかしながら、原田常治氏の本に基づいて考えると、  次のような“異なる系統”が、ある時代には“ほぼ並列して”存在した。   *「タカミムスビ」系          >>  『  ???  』   *「イザナギ・イザナミ・アマテラス」系 >>  『いわゆる日向族』   *「スサノオ」系            >>  『いわゆる出雲族』   *「オオクニヌシ」系          >>  『  ???  』  そして、「ニニギ」〜「イワレヒコ」の系統は、  「アマテラス」系に「タカミムスビ」系が“入り込む”ことによって、  出来上がったグループだと考えられるのである。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  「アマテラス」系と「スサノオ」系は、しばしば“対立図式”で捉えられるが、  実際には、中央アジアより発したAMA族(アメ・クモ族)の二派であって、  通ってくる“ルート”によって異なる文化的発展を遂げながら、  いずれ(それぞれの土地で)合体して、より大きな花を咲かせるはずであった。  日本の場合について言うと、  「アマテラス」系(日向族)が先に到着して原始稲作祭祀文化を伝え、  その後「スサノオ」系(出雲族)が“別の進んだ文化”を持ち込んだようだ。  そして、これらの勢力は、同じAMA族として“手を取り合う”はずであった。  “はずであった”だけではなく、「オオクニヌシ」の時代までは、  (※この「オオクニヌシ」がどういう存在かは別として…)  日向・出雲の「オオクニヌシ」〜大和の「ニギハヤヒ」というラインで、  出雲族と既に先に入っていた日向族は“旨くまとまっていた”と思われる。  ところが、「タカミムスビ」系が、まず、  「アマテラス」系(日向族)に接近して、これを巧妙に“取り込んで”しまう。  即ち、「アマテラス」系が“「タカミムスビ」系の傀儡”と化したのである。  そして、この傀儡化した「アマテラス」系(日向族)が、  “手始めに”出雲族の正当後継者「タケミナカタ」を追放する。  その後「ウマシマヂ」を抱き込んで「イハレヒコ」を大和へ乗り込ませる。  しかし、この段階では未だ「タカミムスビ」系のシナリオは完成していなかった。  それでは、《「タカミムスビ」系のシナリオ》とは何であったのか?       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  磯機県主を務めた「ウマシマヂ」の系統は、その後しばらく皇后を出していた。  (※第2・3・4・6・7代…但し第2・3・4は一世代)  ところが、第8代になると、  「イワレヒコ」の子供だが天皇にならなかった兄弟の系統の雀部臣が、  「ウマシマヂ」の傍系と“自称”する穂積連と結託して皇位を奪う。  (※雀部臣も「イワレヒコ」の直系ではあるから皇統の断絶ではない…)  その第8代考元天皇(雀部臣)と第9代開化天皇の皇后は穂積連から出る。  ここで、開化天皇の皇后の名を「イカガシコメ」と言うことに注意しておく。  ところが、次の第10代崇神天皇では、皇后が、  「フキアヘズ」の兄「ニニギ」の系統の山城国造の娘へと移ってしまう。  そして、「ウマシマヂ」直系と“される”磯機県主「イカガシコオ」が  宰相(今で言えば総理大臣?)に任ぜられるのである。  この「イカガシコオ」の子供のうちの一人は、  「イカガシコオ」に続いて第11代垂仁天皇の宰相となり、  他の一人は第11代垂仁天皇から「物部(モノノベ)」の姓を賜って、  これが「物部氏」となっていくのだが…。  ここで想像されるのは、  「ニニギ」の系統は、「フキアヘズ」の系統(天皇を出す直系)と比べて、  「タカミムスビ」系の血を強く保存していたのではないか、ということ。  一方、崇神天皇の宰相「イカガシコオ」は、  「ウマシマヂ」直系ではなく、本当は穂積連と同系統なのではないか?  その穂積連は「ウマシマヂ」の傍系を“自称”しており、  旧事紀でも姓氏録でもそのことは確認出来るのだが、  にも拘らず、本当は「ウマシマヂ」の傍系ですら“ない”のではないか?  因みに、第13代成務天皇の宰相は、一説には物部氏。  また一説には、考元天皇(雀部臣であった)の子孫とされる武内宿禰。  そして、第12代景行天皇の時代とは、  その長男「ヤマトタケル」による日本(ヤマト)平定の時代であった…。  景行天皇の息子に「ホムダワカ」(=「ワカタラシ」?)。  その娘を皇后とするのが「ホムダワケ」即ち第15代応神天皇。  「ホムダワカ」の母(皇后)は「ヤサカイリヒメ」と言い、  崇神天皇の皇后と同じように「ニニギ」の系統であった…。  この辺りで《「タカミムスビ」系のシナリオ》が見えてきたか?                                  HVHY 692/693 GCC01413 HVHY RE:何が起こったのか? (14) 93/06/10 12:49 679へのコメント コメント数:1  *[合体策は旨くいったのか?…その6]  まず原田常治氏の作った系図によると、   [第1代]  皇后は「ウマシマヂ」の妹「イスケヨリヒメ」   [第2代])   [第3代]) 皇后は「ウマシマヂ」の孫娘たち。   [第4代])   [第5代]  皇后は「ウマシマヂ」の弟「アマノカグヤマ」の孫娘。  この頃“「八井耳尊」の息子たち”が主要なポストを占める。  (※「八井耳尊」は「イハレヒコ」の次男とされている…)  この中の長男が「意富(オオ)臣」であり、その子孫に、  古事記を編纂した太安万呂(オオノヤスマロ)が居る。  長男の他に、次の代でクーデターを起こした「雀部臣」も居た。  因みに、この時代になって、  「アマテラス」の娘「トヨウケ」に統率されていた日向は、  “「八井耳尊」の息子たち”の配下に入る。   [第6代]  皇后は「ウマシマヂ」の曾孫「大目尊」(磯城県主)の妹。   [第7代]  皇后は「大目尊」の娘。(その兄はやはり磯城県主)  この頃「八井耳尊」の系統に加えて、  “「彦天帯国押人尊」の息子たち”が台頭してくる。  (「彦天帯国押人尊」は第6代考安天皇の兄とされている…)  この中の長男が「春日臣」であり、その子孫は、  第10代崇神天皇が石上神宮を祀ったとき初代宮司となった。  長男の他に、小野妹子を出す「小野臣」、柿本人磨呂を出す「柿本臣」が居た。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  原田常治氏が言う通り、  “「八井耳尊」の息子たち”の一人である「雀部臣」が、  その子供の代になってクーデターを起こす背景は、  既に、[第5・6・7代]の頃に揃っていたようである。  ところが、[第2・3・4代]が一世代だとすれば、  「イハレヒコ」と「イスケヨリヒメ」の“合体策”は、  その孫の代において早くも崩れかけていたわけである。  つまり…、「イハレヒコ」と「イスケヨリヒメ」の政婚は、  「日向族」と「出雲族」の合体の“誓い”であったはずなのに、  実際には(同時に既に)《別のシナリオ》が動き始めていたのである。  この考察から考えると…、  第8代・第9代(考元・開化)(実は「雀部臣」)の皇后、  第10代・第11代(崇神・垂仁)の宰相を出すことになる穂積連は、  (※「イカガシコオ」軍団とでも言っておこうか…)  「ニギハヤヒ」直系「ウマシマヂ」の系統ではない(!)と類推される。  即ち、「ウマシマヂ」の系統が皇后を出していたのは、上記の第7代まで。  この結論は、先代旧事本紀・新選姓氏録の内容に、  “既に作為が含まれている”…ということを主張している。  したがって、その後の歴史を考える上で、  “「物部氏」をどう捉えるか”という問題が極めて重要となってくる。  もう一つは、「社(建物)としての神社」を祭ったことの意味合い。  これについても“大きな盲点”が潜んでいるのだ…。                                  HVHY 693/693 GBG02755 スマル RE:何が起こったのか? (14) 93/06/10 16:00 692へのコメント モノノベさんは、私の御先祖であらせられます。。。 だから、どうってことはないが。。。。?                      スマル - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/06/10 - 308/308 JBH02324 なえ 親分てぇへんだぁ! (17) 93/06/10 13:30 この!くっそ暑い最中に、ずぇいム所(税務署とも言う(^^;))のおえらいさまか ら、資料の提出を求められってさーーー・・・・。(;_;) んで無くても忙しい毎日のあたしに、何を聞こうってんでぇ・・。(^^; まぁ・・法人の宿命でしょう。いたしかたない。だから、ちょい書き込みが、 遅れがち・・・あ、でも、その方が、みんな気楽に出来て良いかなぁ・・。(^^; ま、つこって・・。ROMモードにちょい徹してしまう無責任議長のなえです。 どーーーしても書きたい時は、法の目をかいくぐり・・・(^^; 書いてしまおう という事で・・。 であであね。(^-^)/~~~ - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/06/10 - 004/009 QFH02012 アラミス 発言者削除 :書き直し (19) 93/06/09 22:51 005/009 QFH02012 アラミス 発言者削除 (19) 93/06/09 22:52 006/009 QFH02012 アラミス あなたはどうだったのだろうか? (19) 93/06/09 23:06 Q&Q・・・答えを期待してはいけないのかもしれないが、質問してみよう。 所謂、精神世界とかオカルトとかカミゴト等々(本当ならこれらを一括りにしては 良くないのだろうが)・・・この様な事に足を踏み入れている人は確かにいる。(おま えもそうだろう?と言われれば、そうだと答える。もっとも私は単にうわっつらを 見ているに過ぎないが)中には日常生活とそれらとの主従が逆転してしまっている 人もたまに見られる・・・ 勘違いしてもらいたくないのだが、私はその様な人達を否定したりするつもりは全 く無い、それぞれ個人的な背景と出来事が有り、その深度を深めていったのだろう というのはよく理解できるのだ。 だが一つ疑問がある。今あなたに身に起こったその不思議な事、驚くべき出来事が 自己の妄想や勘違いでなくて真実であるかどうか、どうやって見極めたのですか? その判断は正しいのでしょうか?。又その後の対応として何かしましたか? * これはそういった事に心当たりのある全ての人への質問ですね。(つまりその中に は私自身も含まれている訳だ(笑)) 007/009 QFH02012 アラミス 変わる事はできないのか? (19) 93/06/09 23:07 コメント数:1 代わってこちらは質問らしい質問である? 「人は32才前後で精神的成熟を完了する・・・」という話を聞いた事がある。 つまりこれで人の「成長」が終了すると言う事らしいのだ(肉体の方がもっと 早いのは言うまでもない) ではこれ以降はどんな事があっても人は変化(成長)する事は無いのだろうか?。 008/009 HGC02325 ガッチャ RE:変わる事はできないのか? (19) 93/06/10 03:28 007へのコメント  どうなんだろう、終了するのかもしれないね。  でも、それじゃ困った事になってしまう。  困った事を解決する為に、それ以降も成長が可能(いや、いくらでも出来る)と  思おう!  でないと悲しいじゃない。  すでに32才以上の人は手遅れだなんてさ。  ちなみにあたしゃ、32才だ。                            ガッチャ 009/009 GGD02212 Soo RE:霊体と霊界について (19) 93/06/10 18:47 003へのコメント  伊豫〆さん、ですか。伊豫銀行を思い出して愛媛大学へ通った頃が懐かしい。  本当に「霊」って何でできているんでしょうねぇ?!「霊質」「霊素」とか 「霊子」(サルノコシカケではない(^^;)みたいなものがあるんでしょうか?   同様に「物質」って何で出来ているんでしょうね。 素粒子、クォーク、スーパーストリング?…究極的には「?」になってしまう。  我々が馴染んでいる「物質」というやつも、可視光の波長域は限られている とかの話を持ち出すまでもなく、不透明な物体の裏側や内部は見えないように、 肉体の五官を通して認識できるのは、ある側面のごく一部に過ぎないですよね。  現代物理学(量子論)が描く、超微視的な物質の構成要素の振る舞いたるや、 ココと思えばまたアチラ、ココにもアソコにもと神出鬼没でほとんどオカルト みたいで、日常的な時空の概念がブッ飛んでしまいます。  "Seeing is believing."とは言え、見える「物質」でさえ、一皮剥けば「霊」 のように、得体が知れない ってな事は、そのスジの人にはもう聞き飽きた話 だったかな? 私も今更…って感じですが…(^_^;) Soo(Dr.Ray) - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/06/11 - 00294/00294 JAA02535 竹 3 号 虹のリングと雲のカーテン ( 2) 93/06/10 22:03 TITLE:虹のリング  今日昼飯の後、外へでてみた。同僚が排球をやっていたので仲間にくわわって 球の打ち合いなんぞしていた。と、空をみあげると、太陽の周りに丸い虹が かかっていた。なんて綺麗なんだろう。日輪を囲むようにその虹は光の中に かがやいていた。こんなに綺麗な虹はたしか飛行機から見えた機体に反射して 雲に写った丸い虹以来だ。 夕方、仕事の合間に煙草をくゆらし外をみると、光のカーテンが雲間から のぞいていた。それが妙に私の心のモヤモヤをけしさるがごとく、ゆらいでいた。  ただそれだけなんだけど、妙に気分の良い一日だった。                              竹 3 号 /PSOT - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/06/11 - 00117/00118 PEC00710 空空 本の紹介・チベット仏教関連 ( 3) 93/06/10 21:54 チベット仏教関連の書籍が連続して出版されてます。 『チベット密教』田中公明著(春秋社) “専門家による初めての総合的概説書”と銘打たれたチベット仏教の 鳥瞰図的入門書。 これまでチベット仏教の紹介というと、日本仏教こそを基準にするため 変な先入観が付きまとっているものか、或いは専門的過ぎて一般人には 歯が立たないものが殆どだったが、本書では初心者にも判りやすい形で チベット仏教の全体像が俯瞰できるように構成されている。 同著者の「曼茶羅のイコノロジー」と併せ読むと更に理解が深まる。 『改稿 虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』   中沢新一 + ラマ・ケツン・サンポ共著(中公文庫) この著書が最初に世に出てから、もう10年程経つが、大幅な加筆を 施した形でいよいよ文庫化された。 チベット仏教の知識が深く抱え込まれているが、読者が特別な予備知識を 持たずに読んでも、それなりに導いてくれる。 チベット密教の思想と実践をカバーする必読の手引き書。 『原典訳 チベットの死者の書』川崎信定訳(ちくま学芸文庫) 「チベット密教」がカタログで、「虹の階梯」がマニュアルなら、本書は さしずめチベット密教のテキストだろうか、実の所この本だけを幾ら 読んでもチンプンカンプンだ。 でも、この世界に興味を持つなら、やっぱり手元に置いておくべきだろう、 いつか来る日(死?)の為に。 ・・・・さて、この調子で「秘密集会タントラ」やロンチェン・ラプジャムパの 哲学書等が翻訳されないかな・・・・。 00118/00118 GGD02212 Soo 3Dログで〜す。 ( 3) 93/06/11 00:03 00115へのコメント ミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイ ヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイム フミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨ イムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナ ミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイム ヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナ フミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイ イムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤ ミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイ ヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコト フミヨイムナヤコト フミヨイムナヤコトヒフミヨイム フミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨ イムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナヤコトヒフミヨイムナ  遠い目をして眺めれば■が浮かび上がります。  見えた?つまんなくて御免ね。(C)Soo G.Ray - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/06/11 - 369/370 NBG00612 岳同 ご結婚の儀 (13) 93/06/11 00:49 358へのコメント KAZEさん、こんにちは。 昨日の浩宮さまと雅子さまのご結婚の儀、こちらに居ると2週間位も前から 山の手線内交差点至るところに、警官だらけ。前日からはJRのホームにも、 見張りが居たり、駅のごみ箱も使用停止になるなど、厳重な警戒でした。 みんなの願いが届いたのか、パレードは奇跡的に雨があがって良かったです。 何だか、雨で清められたみたいですね。もし、朝から晴れていたら、恐らく とんでもなく多くの人達がパレードを見に集まっていたでしょう。 確か、天皇陛下と美智子さまの時もやはり雨だったのに、パレードには雨が上がった とテレビで言っていました。 私は、テレビを見ながら昨今の結婚式と、古式ゆたかな、一面ではきわめてシンプル なご結婚の儀を比べてみて、凛々しさや崇高さを感じました。恋愛に対する真面目さ についても、やはり学ぶべきことがあると思います。 KAZEさんと隆さんで恋愛談義が続いてましたが、 考えてみると、男は小さいときから肉体的に大きな変化はないように思います。 HEARが生えたり薄くなったりはあっても、あまり肉体を意識したことはないと 思います。 それに比べると、女性は脱皮と言うか、花が咲くというか、肉体が変化し、そのことに ついて否応無く彼女達自身が意識させられると思います。女性の身体はどこをとっても 神秘的と言えるでしょう。女性心理の解り難さは、この彼女たちの内に向けた神秘的な 憧憬にあるのかもしれません。 男性については、やはり精神の面に於て神秘的というか、夢みる働きを与えられている のかもしれません。やりたいこと、夢見ることが、生活の板について初めて一人前と 言えるかもしれません。 さて、尾道の話しが出ていましたが、私は大林監督の映画のイメージが焼き付いて しかも一度も行ったことがないので、勝手に想像していますが、KAZEさんが、尾道に 渡るときはよく映画に出てくるフェリーを使うのでしょうか。一度、夕暮れに乗って みたいなと思っています。瀬戸の夕暮れは、沖の島々がうすもやに幾重にも重なって 穏やかな気持ちを思い出してしまいます。 370/370 NBG00612 岳同 スカリー (13) 93/06/11 00:49 355へのコメント NoBさん、おひさです。ご明答、早川書房「スカリー」原題 "ODYSSEY" です。 この本は、この手の技術系の内輪ものにしては珍しく、ビジネス書として評価の 高い本です。スティーブ・ジョブスやアラン・ケイなどの伝説的人物が、夢を追い かけて熱く燃え上がって行く、そして現実の中でお互いが少しずつ離れていく... 一気に爽やかに読んだ憶えがあります。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/11 - 694/696 KFD00473 たまご RE:難しくても。 (14) 93/06/10 22:19 687へのコメント >>なんであれ、盲目的に過信するところからは、本来の信念ってものは >>みえて来にくいように思います。  ううん(^_^;)  ちょっと違うかもしれないなぁ.  信念ってやつは,あくまで排他的で,自分勝手で,思い上がりで,維/YUI さんが感じるそのままなのじゃないかって思えてきたんだよね,私には.そう, 嫌悪感を感じるほどの強い心の動き,力とか波動と言ってもいいかな.  そして,  『信念は本質から来たものである以上,他人にどう言われようが,信じられ  ようが疑われようが,確かにそこにその人の信念が「在る」としか言えない.』  その人の本質そのものから現れ出るものなんだから,つまりはそれだけ動かし 難いものなんだろう.  だけど,今度わかったことはそれだけじゃいけないということなんだ.  『自分のしている事が自分の意識と宇宙の意識つまり潜在意識とに照らし合  わせて正しいと思えるなら,自信を持って進むべきだ.』  正しいと思うならならやってみろ!  それが答えだったのかもしれないってことなんだ.  正しいかどうかは自分で判断する,ここもポイントだよね.宇宙の意識とい う大きなものとの照らし合わせという作業でもって,それはわかるだろうって ことなんだと思う.  自分が正しいのかどうかもわからないようなことへは,進んじゃいけないん だ.自分で正しいかどうか判断できないことは,信念という強力な力を使っちゃ いけないんだということだと思う.  だから,まず自分から,自分を見なさいとARIONは言うのではないかな.  『信念がないと,他人の心ない言葉や行動に影響され自分の道を見失う.』  自分が正しいと判断できるとき,初めて信念は本当の力を発揮するんだと思 う.そして,そのときには自分を他からガードしてくれるのだろう.信念に本 来備わっている強力な力でもって.  実に複雑,実に難解.  ARIONの言葉は簡単なようでいて全然やさしいものじゃないねぇ.  信念ひとつでもこんなにも深い.(^_^;)  それから,維/YUIさん,ヒントをありがとうね.  ナイスアシストでした.   シリーズ2回目にして先行きに不安を感じている(^_^;) たまご 695/696 GCC01413 HVHY RE:何が起こったのか? (14) 93/06/10 22:39 679へのコメント  *[合体は旨くいったのか?…その7]         「ニニギ」   『イワレヒコ』  「ウマシマヂ」           ・       ?|?       ・           ・      「八井耳」      ・          ???       |       ???           ・      「雀部臣」      ・           ・        |        ・           ・     8『考元帝』===「内色許姫」(皇后)           ・        |        ・        穂           ・      「開化帝」===「伊迦賀色許姫」(皇后)           ・        |        ・        積   (皇后)「八坂振大海姫」===「崇神帝」〜〜〜「伊香色男尊」(宰相)           ・        |        ・        連           ・      「垂仁帝」〜〜〜「彦新川尊」(宰相)           ・        |     (皇后)「八坂入姫」===「景行帝」                    |                  「成務帝」)        “どこから?” ?   |  )〜〜「武内宿禰」(宰相)        「気長足姫尊」=?=「仲哀帝」)  “どこから?”                ?   |                 15『応神帝』        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  ここで、第5・6・7代を再褐すると、                 『イワレココ』                    |              +−−−−−+−−−−−+              |           |           4「綏靖帝」       「八井耳」              |           |           5「考昭帝」       「雀部連」              |           |           6「考安帝」      8「考元帝」              |           |           7「考霊帝」      9「開化帝」                          |                       10『崇神帝』  大雑把に世代を比較してみると解るのだが、 >>> “「考元帝」のクーデターは「第5・6・7代」の時代に用意されていた”  という言い方も(既に述べたように)もちろん出来る。  その一方で、次のような見方も出来るだろう。 >>> “「考霊帝」から皇位を奪ったのは『崇神帝』である”  この考え方は一般の歴史学でも“崇神王朝説”として行き渡っている。  ひょっとすれば、「考元帝」や「内色許姫」あたりは“実際には居なかった”  ということも考えられるだろう…。(※「開化帝」についても怪しいか?)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜               9「開化帝」      8「考元帝」                  |           |                  |        「布都押信尊」                  |           |     「葛城高額姫」   「気長宿禰王」        |        |         |           |        +−−−−+−−−−+           |             |                |          『気長足姫尊』          『武内宿禰』  これは日本神話に書かれている系図なのだが、  これを正しいとか正しくないとか議論することよりも、  ここから“何が読み取れるか?”…それが重要だ。  まず、「気長足姫尊」は、後の“「気長氏」の系統”であるのは言うまでもない。  次に、「気長宿禰王」が「開化帝」に本当に連なる者か、  「布都押信尊」が「考元帝」に本当に連なる者か、それは解らないが、  いずれも“クーデター後の天皇”に結び付けられている点は重要と言える。  しかも、クーデターが実際には「崇神帝」の行ったことであったとすれば、  「考元帝」「開化帝」のあたりは“繋ぎに付け加わった”可能性があるわけで、  そういった“繋ぎの部分”に結び付けられているとすれば、  「気長宿禰王」や「布都押信尊」の出自はまさに“闇の中”である。  もう一つ“絶対に見落としてはならない点”がある。  「布都押信尊」の「布都(フツ)」は、  「スサノオ」の父(先祖?)である「布都御魂」の「布都(フツ)」と同じ。  つまり、「武内宿禰」は“「スサノオ〜ニギハヤヒ」の直系”  …であるかのごとく“イメージされる”ということだ。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜          「イワレヒコ」   「天香山」(=「高倉下」)             |        |             |      「尾張連」             |        |          5「考昭帝」−+−「余曽多穂姫」                 |            +−−−−+−−−−+            |         |         6「考安帝」   『彦天帯押国人尊』  この『彦天帯押国人尊』の息子たちは、  「第6・7代」あたりでそれぞれに有力者となったようだと既に書いた。  そして、“それらの事柄”が既にクーデターへの道筋を内包していたと見る。  ここで『彦天帯押国人尊』は「イワレヒコ」(日向族)の直系である。  母方も「ニギハヤヒ」直系「天香山」の孫娘とされているのだが、  「穂積連」が「ウマシマヂ」(皇后の系統)に結び付けられていたとすれば、  こちらは(どちらかと言えば)“「イワレヒコ」直系であること”に力点がある。  つまり、クーデターの準備は、  「ウマシマヂ」の直系であるように書かれている「穂積連」たちと  「イワレヒコ」の直系であるように書かれている「彦天帯押国人尊」の息子たち  によって準備されていたことになる。  もちろん、“遠い所から起こる内乱”と“近い所から起こる内乱”がある。  したがって、「考元」(或いは「崇神」)の内乱も、  正に当時の政権の内部中心点から起こったかも知れないし、  そうではなくて、全く別の出所から起こったことかも知れない。  但し、「アマテラス」系が「タカミムスビ」系の傀儡と化していたのなら、  “内部中心点”にこそ既に“別の出所”が内包されていた…と言えるわけだ。  さて、最後に「彦天帯押国人尊」の名前の構造に注目してみたい。  「彦〜」という形は、「ニニギ」〜「フキアヘズ」を匂わせる。  「天〜」という形は、「アマテラス」系であることを匂わせる。  「帯(タラシ)」という部分は、「オキナガタラシ」を匂わせる。  「押」という部分は、『武内宿禰』の先祖「布都押信尊」にも含まれている。  「ヒコアマタラシオシクニヒトノミコト」…実に旨く作ったものだ。                                  HVHY 696/696 HGE02116 MAKOTO つれづれなるままに… その四 (14) 93/06/11 00:27 678へのコメント 天使 〜対談〜 対談部分の中で、みれさんがARIONを紹介してるとこは、 物語でも読んでる気分だった。  ま、そんなものなのかってね。 読んでて、心に引っかかったのは、 遺伝子の書き換えの時期だってところ。 外からの働きかけがどうであれ、 人は自ら自分のありかたを選んでいくんだね。 良いとは思えない選択であったとしても、 それが種としての総意であるならばどうしようもない。  なら、結果が出たとき「ひと」はどうなるのだろう? それって不幸なのか? その頃の「ひと」に取って、変化した形がごく普通の状態となれば、 不幸にはなり得ないのではないか… エイズとアレルギーってのが気になるな。 これって先駆けか? どちらも免疫異常、ものの裏表みたいだ。 大地に拒絶されるのか、大地を拒絶するのか… 環境に適応するのではなく、環境を適応させようとする、 そういう生き方を選んだのはあたしたち。 今度は、その変化した環境に適応しなければならないのだろうか? そして、その先に待っているものはなんなのだろう…? 変化はもう始まっている。 結果として、より毒性に強い種が生まれるのか? 肉体という形を失ってしまうのか? SFなんかでは、よく取り上げられる題材だけど、 どんな形に変化していくんだろうね…? そして、どこまでを「ひと」と呼べるのだろう…?                     MAKOTO でした☆ - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/06/11 - 011/018 JAA02535 竹 3 号 蛇の守護神 (19) 93/06/10 21:55  ぶっとんだ話かどうかはしらないけど、私が母から聴いてそれをみせてもらったもの がある。  それは、母が昔来ていた着物で染め直して黒一色にしたものだが、染め直したときは なにも付いていなかったのに何故か、群青色のシミのような後が付いていた。 それも、蛇がはっている模様。(ちなみに母は大の蛇嫌い)  ある夜、夢に大蛇がでてきたそうな。それはどうも母の母つまり私から言えば 義理の祖母が蛇としてあらわれた、と母はいっていた。そしてその夢の後に、 蛇の模様が・・・・。蛇嫌い故最初気味悪がっていたが、その夢のこともあり、 いまも大事にしまっているという。私もその着物をみせてもらったけど、たしかに 蛇の頭と胴体がはっきり見える。きっと守護神として祖母が見守っているよ、と でてきたのかもしれない。(でもびっくりしたなぁ)                           竹 3 号 012/018 VFC00244 伊豫〆 RE:あなたはどうだったのだろうか? (19) 93/06/10 21:59 010へのコメント 突然ですが「真理」とはなんでしょうか? 誰が、それを「真理」と決めるのでしょうか? 「神」が真理ならば、「神」によって真理が違うのはなぜなのでしょう? 私は、本当には「真理」というものがあるのかわかりません。 それは人それぞれ都合の良いように「真理」をつくることができるからです。 もし神が人間を作ったのならば、なぜわざわざ「○○教」などと遠まわし なことをするのでしょうか? そんなことをせずとも、初めから従うように作れば良いと思います。 神が、あえて人間に選択の余地を与えているのならば「真理」神に あるのではなく、人それぞれ自分の「真理」を持てるはずです。 ・・・と思うのですが、いかがでしょうか?皆様(^_^) 013/018 GBE02650 ユ−リ RE:あなたはどうだったのだろうか? (19) 93/06/10 22:42 006へのコメント コメント数:1  ええとですね…折角の機会だから答えてみましょう。(しかし、さしものアラミス君 も、よもや僕から答えが帰ってこようとは思わなかっただろうな…(^^;)  ええと、白状すると僕にも時たま「自分でも思いもしなかった答え」が出てきて、「 これはひょっとしたら神様の思召しかしらん」と思ってしまうことが、ごくタマ〜にあ ります。(本当かどうかは僕も知らない。多分間違いなく勘違いでしょうが。(^^;)  でも、そんな時でも、「この考えは『自分』で出した答えなんだ!!」と言い聞かせ ることにしてます。  それが「善いこと」にせよ「悪いこと」にせよ、その答えから引き出される結果を神 様のせいにするのは、少なくとも僕にとっては卑怯なことですから。 014/018 QFH02012 アラミス RE:変わる事はできないのか? (19) 93/06/10 22:48 008へのコメント コメント数:1 そうですね、それでもう頭打ちであるなんて決定されたら悲しいですよね。 でも今まで見て来た人達を振り返ってみると、「やっぱり駄目なのかな・・」とも 思ってしまうのです。やはり基本的な部分は固まってしまうのでしょうか・・・  私は今年で30才です。(_ _) 015/018 QFH02012 アラミス RE:あなたはどうだったのだろうか? (19) 93/06/10 22:49 010へのコメント 以下の一行を除いてオリハルさんの書き込みに違和感は有りませんでした。 >>こういう源流的な事柄を「社会的なものとして“結果的に”扱うべきではない」 >>と思う。  私は敢えてこれにこだわりたいです。 * 引き続き他の人の意見も聞いて見たいと思います。 私の(6)の質問をどう思いますか?>該当者の方々 016/018 QFH02012 アラミス RE:あなたはどうだったのだろうか? (19) 93/06/10 23:17 013へのコメント 確かにユーリさんから答えが返ってくるとは思いもよりませんでした、 予定外の出来事です。イヤハヤ(^^;) ・・・・ なるほどユーリさんは他者のせいにしない、という訳ですね。 それももっともな事だと思います。 017/018 GBG02043 維/YUI RE:変わる事はできないのか? (19) 93/06/11 00:46 014へのコメント コメント数:1 やっだぁ〜、アラミスさんったら・・・ (^^;) 今まで見て来た人達は、人達。  アラミスさんは、アラミスさんじゃないですか。 本当に変わることが自分の願いなのだとしたら、変われるんじゃない?? 少しづつでも。 若いころの方が、適応の早さとかは早いけれどね・・・。 30過ぎには30過ぎなりの、若いときにはもてないゆるぎなさ・・とかね・・・ そういう意味の強さをもった変化があるんではない??? それに・・・いままでで培って来た”基本的な部分”が否定的なものだってわけでも ないでしょうし・・・、そう思えてもそれは”活かし方”がそういう方向なのかも しれませんよねっ!!!                          維/YUI。 PS: アラミスさんって・・・若いんだぁ・・・・ボソッ 018/018 HGC02325 ガッチャ さすが維/YUIさん (19) 93/06/11 00:54 017へのコメント  さすが副議長だけの事はある。  (ええっと、変な意味じゃないですからね(^_^))  ううむ、言い得て妙。  私もそんなふうに感じます。  過去を全て否定する事ではないんだもんね。                             ガッチャ 019/022 TCC00116 NoB いろいろ(長文ですよ) (19) 93/06/11 01:23 コメント数:1 ■ふーむ、この手の話題に参加するのはひかえていたんだけど、遊びがてらに ちょいと。ちなみに遊びがてらでない考察については、FMISTY MES(13)をご参 照のこと。 ■以下、とういて要領よくまとまっていません。ごめんね。ルール違反かな。 ■みれさんの話、ええと、僕にはつまらなかった。面白いと思う人もいるので しょうからそれはそれでいいと思うのだけど……。ようは、そういうふうに、 つまらない、おもしろいと受け取ったとき、実は、今回のみれさんのような言 説のありかたは、受け側の人を選別することを、先験的にして書かれている。 簡単に言えば、、読む人を限定している。 ■それは、はたしてコミニュケーションというものの原型だろうか? と、疑 う。 ■人は、チャネリング・メッセージにかぎらず、言葉にならぬ、また伝えるこ とに絶望とも思える、「思いのようなもの」を抱えて生きている。 ■それが、そこまで、隔絶されたかのように思えることのなかに、その思いの 本質がある。どうしても伝えがたいものを伝えたいと思うことのなかに、その 意義性がある。であるなら、あらかじめ、「霊」や「魂」といった、受け取り ようによってはどうともでもなる言葉を前提に語られた言説は、無意味なので はないか? ■「霊」と言えて、通じる、ある人には通じる、ある人にだけ通じさせたいと いうことは、そもそも、「霊」の意味なのだろうか? ■別の言葉で言ってみよう。精神世界と呼ばれる分野の文章の大半が、人を選 別して、否定的に選別された人によって、面白くもないのは、それは、そうし て用語なりが、自明であるという前提を疑えないというルールの上でのゲーム に過ぎないからだ。もっと露骨にいえば、アリオン(?、よく知らない、ごめ んね)として語られるメッセージは、いずれにせよ、「言葉」でしかない。 ■では、それはどのような言葉なのだろう? ■言葉が発せられるというのは、どういう機能を持つのだろうか? ■それを理解できると称する一群の人を選別することがその機能なのだろう か? どうやらそのようだ。 ■しかし、言葉とは、自分にとって「異」なるものにむけられたものではない か。そうでなければ、言葉を発する本質的な意義性なくなる。 ■話を、昨今のチャネリングとチャネラーについていえば、バシャールとダリ ルが同意しあうように、なぜ同意してしているのだろう。なぜ、その「言葉」 はチャネラにとって「異」なるものして現れないのだろう。 ■「異」なるものとはなにか?  ■たとえば、旧約聖書の預言者たちにはたびたび神の言葉が及ぶ。それがほん とうかどうかはわからんが、彼らにはそうだったのだろうか。ま、どうでもよ いよ。だが、預言者の多くは、その言葉が受け入れられないのだ! 自分が思 いもせず、受け入れることもできない「言葉」が投げられている。旧約聖書が たまらなく面白いのはここだ。ここに言葉を交わす本質が見える。 ■僕にとってチャネリングが本質的につまらんなと思うのは、そこだ。なぜ、 「異」ことばと向き合い、生きようとしないのだろう? なぜ、アリオンよっ みれさんは、だまされないのか。これは、非難のつもりはない。旧約聖書を読 まれたい。エレミヤは神にうらみつらみを述べている。あなたは私をだました と、彼は神に語っている。そのような、エレミアと神との関わりから、言葉と 生きることの本質をかいま見ることができるのだ。 ■そして、チャネラーの多くが、生きること言葉の関わりのうえで、なぜ、あ る調和を予定してしまうのだろう。これも疑問だ。これはもっと露骨にいう と、「異」なる言葉はそれに従ってもなお、どこにも調和にはいたらないかも しれないからだ。イエスですら、最後の叫びは、神に従ったのに、神に見捨て られたのだった。では、それは、神ではないのか? 「神」なんて言葉どうで もいい、イエスの生きた姿とその意味は失われたのか? おそらく失われては いない。それは、キリスト教という宗教を越えたある普遍性をもっている。 ■話変って。いかにして真理であるかを知るか? ■真理とはなにだろう? 真理とは、同意だろうと思う。そのことが同意でき るなら、その同意者の間でのみ真理だ。 ■しかし……と思う、それはどっかおかしい。そのおかしさは、つまり、誰も が同意できる、ということを「真理」が含み込んでいるからだ。 ■ようは、どうしたら、誰も同意できるのだろうか?  ■すくなくとも、先のみれさんによるアリオン見解は、その同意は得られない だろう。であれば、それは、どうやら真理ではないようだ。 ■「同意」とは何を意味するのだろう? 主観だろうか? 自由意志によっ て、ええい、いいでっせぇと同意すればいいのか? ■そうでは違う。なぜなら、我々は、他者というものを本質的に同意できない 「異」なるものとして認識しているからだ。つまり、同意というのは、本質的 な不可能性を持っている。 ■この不可能性とは……、自分の思いが、他者と同値しないことなのだ。それ は、他者にとってもそうだ。じゅんぐり。 ■であれば、我々は、同意のための「手順」を、同意のための第3者として、 そこで根源的に同意する。どうすれば、同意できるかという手順において、そ れぞれの自己を相対化させる契機を持つのだ。 ■すると、真理とは、真理という同意のための、特定の手順を満たすものであ ると、言える。 ■では、その手順はどのようなものか? その手順は、同意に到る両者を相対 化する、未知なる、「異」なるものであるに違いない。 ■我々現代人は、その同意を科学に置く。法の体系もこれに依存している。で は、科学とはどのような手順なのだろうか? ■科学とは、仮説し、実験し、検証することだ。 ■すると真理とは、仮説から、実験を経て、検証されるものを言う。 ■2者のうち一人は、仮説に不服を言っていた。しかし、仮説は検証された。 ならば、いやいやながらも、それに同意してもよいと、自己を相対化できる。 そして、それが、「真理」になる。 ■すると、みれさんの「霊」についての見解は、どのように実験されるのだろ う? どう検証されるのだろう?  ■より厳密にいれば、仮説=言説は、つねに、反証可能性としてのみ提出され ていなければならない。 ■真理の言説は、だから、それが、否定される条件を明瞭に抱えながら、この 宇宙のなかで実験検証できるものであるといえる。 ■「幸福の科学」というのを考えよう。どうやら同じ名前の宗教団体があるら しいが、それには触れない。もし、「幸福の科学」があれば、それは、仮説を 提出し、実験し、検証する過程をとるはずだ。 ■仮説はどのような奇妙キテレツなものでもよい。ジョセフソンは瞑想から超 伝導の仮説をえたが、これは、実験をへて検証された。 ■だから、真理に値する言説は、その言説の内部や由来とは、まったく関係な い。アリオンでもバシャールでもかまわない。問題は、どう実験されただろう かだ。どう、反証の契機を持つかだ。 ■しかし……、そもそも実験できない領域があるのではないか? ■そうだろうか。とすれば、その領域にそもそも、真理を問うべきではないの ではないか。僕は、カスタードクリームが好きだが、それは真理だろうか?  それは、真理とは関係のないことだ。 ■と以上の、考察には、たったひとつ、大きな間違いがある。それは、実験と は、反復される時間が必要なのだということ。 ■たとえば、シアン化合物は毒薬なのか? という仮説は、動物実験によって 検証できる(かわいそうだけどね)。ところが、それは、実験に使用される特 定の動物の命の時間を反復させているわけではない。(毒薬とは生命体にしか 意味を持っていないのにかかわらずだ)。 ■時間は、実は、反復しない。すると、反復するだろうという曖昧な同意の上 でのみしか、実験は成立しない。 ■では、真理とは、どうなのだろうか? ■真理は、反復される時間性を先験的に含みこんでいる。だが、我々は、そ の時間を生きているわけではない。 ■我々は未来を知らない。未来を知ることはできない。知られたものは、未来 ではない。サイコロの目は明日からつねに3が出るようになるかもしれない。 確率にはいかなる基盤もない。実験は、生命のような不可逆の時間を扱うこと はできない。では、どうなるのか。 ■真理とは、我々が、今日まで生きてきた、確信の表明に対する同意であり、 希望のことだ。あす、生きよう、そのために、これまで生きてきた表明を信じ ようと。そいうことだ。それだけのことだ。 ■だが、明日のことはやはりわからない。明日生き延びることのできるもの は、実は、真理に従ったものではないだろう。時間は均質に反復はしないのだ から。 ■明日生きるものは、なんだかわからない非真理に従ったものだろう。そし て、生き延びたものが、それを真理とするとしてもだ。 ■とすると、「私」が生きるために未来の指針とするものは、真理ではありえ ない。社会の人への同意のありかたにおいて真理を確定するとしても。 ■繰り返す。「私」が他者と生きるためには、真理を必要とする。だが、その 真理によって、「私たち」が生き延びているわけはない。 ■生きているためには、真理ではない、なにかが必要だ。そして、それは、た だ、「私」のみ確信されるものであり、その確信において他者との関わりのな かで、他者とともに生きていく情熱のようなものを形成するなにかだ。 ■宗教の言説は、この情熱のようなもののパロディなのかもしれない。なぜな ら、言説によって我々は、確信を得るのではない。おそらく、他者を「愛」す ることで得るのだ。愛は、非真理を他者とともに生きる、ということが含まれ ている。 ■おそらく、そのような関わりを生み出すものを「愛」と定義すべきなのだ。 だが、それによって、「愛」の本質が知られるわけでもなければ、その行為が 生み出されるわけではない。 ■だが……、すくなくとも、「愛せよ」という言説は、「愛」ではありえな い。「愛」が命令可能なら、それは、「命令」なのだ。これが「愛」と知って いる人間は「愛という言説」の命令を遂行しているだけにすぎない。 NoB