- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/06/14 - 00299/00299 GBG02043 維/YUI 今日(6/14)のメッセージに ( 2) 93/06/14 14:45 >>★準備が整ったら、維/YUIさん…心が満たされる瞬間へジャンプ! (^_^)/ ヤーヤー! また、どこかでこっそり見てたでしょぉ〜〜っ!やぁ〜ねえ〜。(笑) お気楽にプールで泳いで、温泉につかって、ぼ〜っとして帰ってきた維/YUIです。 一人旅好きなので、るんるんしてました。 一人だと、とりとめもなくいろんなことを、周りの景色やらそこに居る人々の行動を 楽しみながら考えていられるので、ひらめくことも多いしね。 暇つぶしにもってた本を読んでいて、心に留めたこと。 [全身全霊で本当に求めるものを求めていくこと]を忘れてはならない・・ということ。なんて書き方をすると妙に大仰なものいいだけど・・・(^^;;) 本来のものでない、途中にあるいろいろな便利なものやらきれいなものやら、 そういうものにより道をしていては、いけない・・・っていうよりも、 より道をしてもいいけど、より道している間に”あ?どこいくんだったっけか?” になってしまわないこと・・・。 たいしたことじゃないけど、日常暮らしているとわかんなくなっちゃったり するんだぁ〜〜〜〜・・・。 (- -;)ハンセイ で、わかんなくなっちゃったときは、ふらっと一人旅する・・・と。(^^;;) 維/YUI。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/06/14 - 00126/00126 GCG01101 アマデウス 最近感銘した本 ( 3) 93/06/13 21:46  出張の折り、空港の書店でふと見つけた本。  新しい本ではなく、ここでは既に話題になった事があるかも知れないが...      『パパラギ』  岡崎照男 訳  立風書房              ISBN4-651-93007-7 C0098 P750E  副題に「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」とある。  パパラギとはサモア語で白人のこと。  今世紀初頭のサモアの酋長の目から見た白人社会の描写を、人々に語って聞かせる  という構成だが、その内容は鋭い文明批判である。  「愛が大切」と言いながら、パパラギ達が本当に求めているのはお金と物である  ことを、酋長は的確に見抜いている。  当時のヨーロッパ白人社会について語っているが、当然現代の日本にも同じ批判が  向けられているのであり、我々も彼の言葉を噛みしめてみる必要があるだろう。  朴訥とした語り口なのだが、ときどきARIONの言葉とオーバーラップする  瞬間がある。(「私は言おう」というおなじみのフレーズも出てくるし(^^;))  訳者あとがきの更に後、最後のページに記された文章が心に残る。      熟せば ヤシは葉も実も落とす      パパラギの生き方は      未熟なヤシが 葉も実もしっかり      かかえているようなもの      「それはおれのだ!      持って行っちゃいけない      食べちゃいけない!」      それじゃどうして 新しい実がなる?      ヤシの木の方が      パパラギよりも ずっとかしこい                               アマデウス - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/06/14 - 01112/01117 GBG02755 スマル シゲちゃへ、公開メールといきましょうか。 ( 6) 93/06/14 17:19 コメント数:1 あのさ、あのあとね、やっぱり電話してよかったなって思ったのはさ、 私も、いつまでもグチグチしてないで、騎馬民族したいって思ったの。 女だてらになあんて思うけどさ、 私の気性からいっても、敵に後ろ見せてくたばりたくはないわけよ。 絶対前のめりで死んでみたいっておもう。 木曾義仲だっけの妾だったかな、巴御前ってのがいたでしょ。 私も、好きな男といっしょに戦いの直中におもいっきり生きてみたいのよね。 家で、子供女どもを守ってじっと待っているっていう気性じゃないのよ。 私は絶対、剣をもって相手を切りつけてみせるわ。 3月位から、落ち込んでいたけど、何に対して逃げていたのかって言えばさ、 まだ見ぬ未来が相手だったのよ。 そんなもん、見ないんだから戦いようもないんだけどさ、 やたらに恐ろしいモンスターに思いこんでいたのよね。 だけど、実際私には恐ろしいモンスターであっても、逃げているばっかりじゃ 情けないじゃない。 どこまでやれるのか、どこまで相手を見切れるのか、とことん相手してやろうじゃない、って思ったんだな。 私の敵はいつでも、私自身なんだ。 私が私から逃げてどうするっての! ・・・とかいってもさ、実際はとりとめもなく悩み続けてはいるんだけど。 とにかく、敵に後ろは見せない。 前を向いて頑張る。 ここまで人生を変えてしまったんだもの、後には引けない。 やるっきゃないぜ! はっきりいってこのまま自分の直感を信じてゆこうとすると、気違いのようなんだと 自分で思ってしまうけど、 狂気でもなんでも、しかたないっちゃよ。 この際、私は気がふれてしまおうと思う。 あぶない姉さんになるので、よろしくホロウしてくださいませ。                                                      スマル 01113/01117 GCC03437 星也(闇星) ひとりごと ( 6) 93/06/14 18:32 しばらく 忙しくて アクセスしないうちに ずいぶんと 未読がたまっている。。。 01114/01117 GBD03557 シゲ RE:SENDありがとです ( 6) 93/06/14 19:34 01111へのコメント コメント数:1 少なくとも僕は恥ずかしいSEND送ってないぞ。 噂によると渋滞巻き込まれたそうで。ご苦労様。 シゲ宅のすぐ近所に居て、連絡しないのがいけないんだよ〜〜っと。 片瀬県道通るなんてわざわざ渋滞にハマりにいくようなもんだど。 今度ナビしてあげやう。 01115/01117 GBD03557 シゲ スマルちゃへ、公開メールといきましょか。 ( 6) 93/06/14 19:34 01112へのコメント 敵に後ろ見せてくたばりたくないのに全面同意! 後ろから斬られる姿なんて絶対しない。 正面きって戦おーぜ。 そう、最大の敵は自分自身であって、それはまた、最大の僚友でもある。(C)1993 シゲ 助太刀、確かに頼まれましたぜ。(^_-)☆ ただ、張飛翼徳のように最後に自分の首を締めないように・・・。>スマル 男は趙雲子龍のようでありたい・・シゲ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/06/14 - 367/368 QFG02515 めるく RE:聞いた話 ( 7) 93/06/14 19:49 363へのコメント  こんにちは、炎さん。 >>   …イエスは神に見放されたのであろうか。 >>   私には人々に見放されたと思えてしまう…。  炎さんの言ってることとは、あんまし関係ない話だけど。  イエスさんは、それまで「死を恐れるな」と説いていたけど、  そういう自分は死んだことはなかったので、  それでは当てずっぽの考えを言っているだけになってしまう。  そこで、ためしに死んでみた。  という説もあります。  そしてその後、計画どおり仮死状態から復活し、  シルクロードをわたって、異国の地で元気に説教を続けた。  のかどうか、わしゃ知らんけど、そういう説もあるそうな。                       めるく 368/368 HGE02116 MAKOTO 読んでてふと思ったこと… ( 7) 93/06/14 20:26 362へのコメント  炎さんのメッセージを読んで、ふと考えたんだ。  あたしは自分が光の子だと思ってないみたいだ。  光の戦士だとも思ってないな。  なんとなく意識はしてるんだけどね。  へんに意識しちゃうとさ、  炎さんの言うような選民意識が芽生えちゃいそうだもんね。  その危険性、心のどこかで意識してるような気がする。  光の子だとか、光の戦士って言葉は耳に心地いいものだ。  あなたもそうだと言われるとドキドキする。  でもそれは、あたしの中に特別なものでありたいって願望があるからだと思うし、  選ばれたものでありたいって意識があるからみたいだから…  でも、それがどうしたのって囁きも聴こえる。  自分自身さえうまくコントロールできないというのに、  自分がなんなのかさえわからないのに、  それがどうしたのってね。  あたしは強くないし、使命感もないから、その「言葉」に捕らわれた時、  簡単に優越感の虜になりそうだ。  そして、すぐに思い上がっちゃいそうだ。  あたし、それが怖いんだよね。  あたし、「光の子」って言葉に振り回されたくないよ。  あたしの本質が光なのか闇なのか、そんな事はわかんない。  でも、あたしはあたしに忠実でありたいんだ。  なかなかうまくいかないんだけどね(^^;)  「光の子」「光の戦士」  この言葉を素直に受け止めて生きるならそれもいい。  この言葉そのままに生きられるならそれでいいと思う。  そう生きる人達を否定はしない。  でも、あたし素直じゃないもんで、  意識していながら、拒絶してしまう。  う〜むむむ(^^;)                      MAKOTO でした☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/14 - 717/721 GCC01413 HVHY RE:何が起こったのか? (14) 93/06/13 22:43 679へのコメント コメント数:1  *「合体策は旨くいったのか?…その11]  前回の[その10]は、  今までのストーリーに対する一種の“どんでん返し”であった。  即ち、これまでは、「応神・仁徳朝」に結実する「タラシ族」を、  《タカミムスビ系のシナリオ》上に直線的に結び付けていたのだが、  [その10]では、むしろ“これ”に対抗する勢力として位置付けたのである。  それはさておき、ここで注意したいのは、  “「アマテラス」と「スサノオ」の理想的協力関係”という問題だ。  多分にシンボリック言い方になるが、  「祭(まつり)」と「政(まつり)」の一致。…即ち、  「祭祀王アマテラス」と「政治王スサノオ」の一心同体の協力。  いわゆる“祭政一致”こそが、その理想の形態と言えるのである。  したがって、「アマテラス」(日向族)の系統というのは、  “そもそも”政治王には成り得ないはずであった…。  ところで、朝鮮半島の「アマテラス」(=「タラシ族」)が、  本拠地を日本へ移した時、日本の中央政権は「天孫出雲族」(崇神朝)であった。  即ち、地方の各地には元々の「日向族」「出雲族」がまだまだ沢山居たとはいえ、  中央政権に残っていた「AMA族」は既に“全く傍系の出雲族”のみであった。  (※「出雲族」の主流派は随分以前に既に東日本へ追いやられている…)  日本には既に、政治王に成り得る「AMA族」の系統の者は居なかったのである。  したがって、「オキナガタラシ(神功皇后)」は、  自分たちの系統(=朝鮮半島の「アマテラス」)から政治王をも立てた。  この王(「応神帝」)は、言わば「スサノオ」の系統ではなかった。  それにも拘らず、「AMA族」から見れば、  政治的統合の長たるに相応しい存在であった。なぜならば、  「天孫出雲族」はもはや「AMA族」の血をほとんど絶やしていたからだ。  さて、「オキナガタラシ」の勢力(朝鮮半島の「アマテラス」)は、  当時の中央政権を握っていた「天孫出雲族」(崇神朝の系統)  である「押熊王」(仲哀天皇の子・皇位継承者)を破って大和へ入った。  この時の戦いで、大和中央政権の部隊の先頭に立たされたのは、  “イワレヒコ東遷”以来の「佐伯氏」(日向族)や、  “ニギハヤヒ直系”の子孫である「尾張連」(出雲族)だったようだ。  「オキナガタラシ」の勢力は、「天孫出雲族」を破るために、  有力な“本物の「日向族」”と有力な“本物の「出雲族」”を失ったのである。  「越智・河野・安曇氏」と「佐伯氏・尾張連」が戦ったとすれば、  これは「AMA族」同志の“同志討ち”ではないか?  (※さて不思議なのは「大伴氏」「物部氏」の位置付けである…)  このようにして急激に出来上がった「応神・仁徳朝」は、  “AMA族の政治的統合の長たるに相応しい存在”として期待されたとはいえ、  そのスタート地点において既に“波乱含み”だったのである。  即ち…、*そもそも「スサノオ」の系統ではなかったこと      *各地に居た「AMA族」間の亀裂を更に深めたこと      *結果的に「タカミムスビ」系の日本への流入を促したこと  これらの“不安要素”が大した時を経ずして日本の世を混乱に陥れた…。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  少し脱線してみよう…。     *「赤幡」=“「赤」+「幡」”・・・“「日向」+「応神」”     *「白幡」=“「白」+「幡」”・・・“「出雲」+「応神」”  つまり、「幡(ハタ)」の勢力が入ってきた時、  既に虐げられた立場にあった「日向族」「出雲族」にとって、  「幡(ハタ)」は一種の“救世主”として映ったのである。  しかし、この「幡(ハタ)」の勢力は、  正確には「幡(ハタ)」ではなかった…。???  (※この点についてはもう少し詳しい考察を要するが…)  それ故、“後の渡来勢力”に簡単に駆逐されてしまう。  この段階において、「幡(ハタ)」は、  「日向族」「出雲族」と共に虐げられる立場へと転落するのである。  そして、『日本のAMA族にとっての“統合のシンボル”』  として語り継がれることとなったのである。  したがって、「サンカ」の場合にも、  「縄文系」「日向系」「出雲系」「八幡系」というバリエーションがあり、  もっとも新しいAMA族の渡来者であった「八幡系」が、  “最後に来た統合者”として語り継がれた…と想像される。???                                  HVHY 718/721 GCC01413 HVHY RE:何が起こったのか? (14) 93/06/14 10:13 717へのコメント       誤植です。(^^;)       「押熊王」→「忍熊王」       …と訂正して下さい。              HVHY 719/721 GCC01413 HVHY 一応チェックしておこう…。 (14) 93/06/14 10:23    *[一連の話に関係あるか?]    清流として有名な四国の「四万十川」は「幡多郡」にある。    “だからどうした?”の観もあるが、    テレビCMでクリップが出ていたので…。    そう言えば、宮崎県の西都も、CFで使われていたなぁ〜。                             HVHY 720/721 PFG01325 MINT RE:アヤシイのがお好き(^^;) (14) 93/06/14 11:52 707へのコメント  >>HVHY さん    RESをありがとうございます。    ほんとうに、お久しぶりですね。(^^;)    なんだか、盛りだくさんの毎日なので、せいぜい壁に落書きするのが    関の山なのでした。(今までだって、そんなにマメに書込みしてない    けど(^^;))    訳あって、この2ヶ月ほど、生活に追われております。(^^;)    最初、悲壮感でいっぱいだったんですが、慣れると、これが楽しくて    楽しくて・・・(負け惜しみではないつもり(^^;))    学生時代に培った(?)サバイバル術を思い出し、すっかり忘れてい    た知恵を思い出し、自分に惚れなおしています。(^_^)    相変わらず、夢は不思議なメッセンジャーですね。  >>みれさんが言ったこと。  >>  >>          *まず「カネ」に集まる。  >>          *それから「呼ばれる」。    「カネ」といえば、少し前、議長が話題にしていた「オモイカネ」を    思い出しますけれど、私。    そして、「オモイカネ」と言えば、星野之宣さんの「ヤマタイカ」と    いう漫画を思い浮かべます。(途中までしか読んでませんが・・・)    記憶が薄れていて、内容までは、説明できません。ごめんなさい。  >>いずれにしても、謎は増えるばかりのようです…。    その通りでございます。(^^;)    とりあえず、パズルのピースをかき集める作業を続けましょう。        MINT@集めないで、バラ撒いたり、混ぜっ返したりしてるかも 721/721 QFG02515 めるく ナウシカ・レクイエム (長文108行) (14) 93/06/14 19:57  こんにちは、めるくです。  さて今回は、アニメ映画「風の谷のナウシカ」に挑戦したいと思います。  これはレンタル・ビデオででも観れるでしょう。  なお、原作漫画のほうは、今回は対象としません。  ナウシカは、緋色の女=花嫁、です。  ナウシカは異国の赤い服を着ます。  ここに緋色の女とのつながりがあります。  その後、その服は王蟲(オーム)の血で、青く染まります。  これが藍のローブに対応します。  ナウシカの青き衣は、彼女の自己犠牲的な愛によるものです。  そしてこれは、  ナウシカの心が、怒りから悲しみ(慈悲)へと移ったことを暗示しています。  緋色の女は言っています。 >> 「わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、 >> 悲しみをしらない」  ナウシカはただ優しいだけのお姫様ではなく、  激しい面も持っており、高貴な者としてのプライドもあります。  風の谷が侵略され、病気の父王がトルメキア兵に殺されたとき、  ナウシカは烈火のごとく怒り、  その場にいたトルメキア兵を皆殺しにしてしまいます。 >> 緋色の女は、藍のローブを纏い、緑のおしろいを身体に塗り準備している。  黙示録において緋色の女を殺すのは赤い獣ですが、  ナウシカを死にいたらしめたのは、(直接的には)  目が赤い攻撃色になった王蟲です。  ここで注意しなければならないのは、破壊者である王蟲は、  悪ではないということです。 >> 王蟲の怒りは大地の怒りじゃ  王蟲の怒りは天災であり、カミの怒りであり、地球の怒りなのです。  それは個人的な感情の類ではなく、  人間がしたことがそのまま自分に跳ね返っているのです。  したがって、王蟲は鏡であり、  自分自身を裁く、人類の無意識を象徴しているということになります。  それによって、自らを浄化するのです。  また、「風の谷のナウシカ」において注目すべきは、  ナウシカと王蟲の同一性です。  色が赤から青になること。  それから、怒りから悲しみ(慈悲)へと変化すること、などです。  赤い服を着たナウシカは、王蟲の怒りから人々を助けるために飛びます。  苦しんでいる王蟲の子を見たナウシカの心に、怒りが現れます。  しかし、その王蟲の子に触れたナウシカの服は、その王蟲の血で青く染まり、  ナウシカの心は、怒りから悲しみ(慈悲)へと変わります。  そしてそのナウシカの死によって、王蟲の目の色は赤から青へと変わり、  その青い目の王蟲によって、ナウシカは蘇ります。  ここに心の交流があります。  これは、小羊と花嫁との婚姻です。  そして、 >> その者 青き衣をまといて >> 金色の野に降り立つべし >> 失われし大地との絆を結び >> ついに人々を 青き清浄の地に導かん  青き清浄の地は、イシスの再臨でしょう。  そしてここに示されていることは、  小羊と花嫁との婚姻=王蟲とナウシカとの婚姻は、  大地と人との婚姻でもあるということです。  以前、小羊は精神面であり天、花嫁は物質面であり地、  というようなことを書きましたが、それとこれとは矛盾しません。  ユダヤ・キリスト教的視点と、農耕民族的視点の違いであり、  見た目は違っても本質は同じでしょう。 ほふられた小羊 = 失われた精神的価値、死せる大地、秘教、エデン、十字架。 緋 色 の 女 = 堕落した世界、物質的繁栄、現代、限界、飽和、人間、薔薇。 赤 い 野 獣 = 天災、公害、裁き、カルマ、怒り、呪い、独裁者、孤高、死。 小羊 の 花嫁 = 新世界、生まれ変わったもの、清浄、夜明け、ヒト。  腐海の森は、人が大地を汚したことから生まれました。  そこは死の森であり、異形の存在が棲む異世界です。  火の七日間以前の世界はエデンに相当し、  腐海の森が生まれた以後は、小羊がほふられて以後の時代であり、  魚座時代、死の世界の神オシリスの時代です。  そして現代は緋色の女であり、その人間の世界を背負っているのがナウシカです。  彼女は人間であり、神様ではありません。  キリストはもう世界の罪を背負ってくれません。  すでに、ほふられてしまっているからです。  そして腐海の森に棲む王蟲は、小羊であると同時に赤い野獣でもあります。  王蟲は恐ろしい存在であると同時に、高貴で神聖な存在でもあります。  小羊が野獣となってしまうのは、人間が彼に呪いをかけたからです。  呪いが解かれる方法はただ一つ。彼に呪いをかけた者、すなわち人間が、  彼の手にかかって彼のために死ぬことだけです。  小羊の花嫁は、もちろん、青き清浄の地であり、  ヒトとツチの絆が回復した世界です。  やがて、ナウシカは人々を青き清浄の地に導くでしょう。                              めるく - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/06/14 - 252/253 GFD00204 松川 貴     RE:個と集団 (15) 93/06/13 19:17 251へのコメント コメント数:1  ねずみさん  人間の命なんてたいしたもんじゃねえ と誰かが叫んだとします。現代の多くの日本人は「こんな危ない奴は今のうちにつぶ しておかなければならない」と連想するんじゃないでしょうか。  でも論理というのは奇妙なものです。 (1)人間の命なんてたいしたもんじゃねえ。だから、そんなつまらないものをどれ ほどぶち殺したってかまうものか。 (2)人間の命なんてたいしたもんじゃねえ。だから、そんなつまらないものをどれ ほどぶち殺したって意味なんかねえ。  ある人が「人間の命なんてたいしたもんじゃねえ」と叫んでいます。でも、上の二 人の人間は「人間の命なんてたいしたもんじゃねえ」と叫びながら、まったく違うこ とを考えています。(2)番の人は結局殺人の否定者なのかもしれません。この二人 がこのような言葉を発するにいたる思考過程そのものは表面には現れていません。し かもその思考過程の中には多くの感情が潜んでいます。  論理は道具です。よく検証すれば、そこ(思考過程)には多くの論理的な穴がいっ ぱいあいていることが分かるでしょう。その穴を感情が埋めるんです。  いったい何が人間の論理化(あるいは合理化)行為を起動させるんでしょう。単に 知的な論理で詰めていけば、「人類は絶滅させるべし」という結論だって可能です。 何かが論理を曲げるんです。重力が光の進路を曲げるように、いつも感情が論理をど ちらかに曲げようとしています。自分の手を使って、つるつるした金属の球体の表面 の、ある決まった場所にもう一つのつるつるした小さな金属の球体を載せて静止させ ようとしているようなものです。どんなに努力してもうまくいきません。  普通の日本人が現在世間に流通しているような言語を用いて、あれこれ議論するよ うになったのは、いったいいつ頃からのことなんでしょう。ですが、誰も、そのこと 自体(どのような言葉を用い、どのように思考しているのか)を問題にすることはま ずありません。  人間は多くの迷妄を撲滅してきたはずでした。自分が進歩的で開放的な考え方の持 ち主だと思っている人は、何によってそのような確信を得たのでしょうか。このこと を自分に問うてみるとよいのです。自分はただのオートマティックな言語機械になっ ているだけではないのだろうか、私はただ黒い線で枠取りされた〈論理の塗り絵〉に 色をつけているだけではないのだろうか。できたものはなるほどカラフルで美しく見 える。ある場合には見たこともないほどに美しい。けれど、それはそのように見える だけなのかもしれない。その証拠に依然として絵の形自体には何の変化もないではな いか。  目の前にぶらさげられたおいしそうに見える〈思考の仕方〉を、深いところで自分 の感情表現に利用しています。始めは深い内的な衝動に突き動かされて、ですが終わ りはいつも深い自己欺瞞によって。このようにしていつももとの木阿彌に帰ってしま います。ですから、今このように語っている私自身も多くの嘘を交えて話さざるを得 ないのです。  私は、私たちの用いている論理は──実は人々は〈論理そのもの〉ではなく、〈論 理的な態度〉を装おうことを〈善〉である、そういう態度をとれば人類にとって何か よいことがあるに違いないと無意識に思いこんでいるだけなのかもしれませんが── もしかしたら迷信ではなかろうかと疑っているのです。人間はかつての人類がそうで あったように、いまだに多くの迷信の上に立って、空中に楼閣を築こうとしているだ けなのかもしれないと。しかもその迷信を生み出す母体は、文化人類学者たちの取り 扱う領域(多くは未開人の文化を対象にしているようですが)とは違う領域(あるい は次元)を支配しているだけに、学問として言語化しようがありません。  私が口ごもりがちなのは、自分がいつも違うことを言っているような気がするから です。自分も含め誰もが何かを──肝心な何かを──誤魔化してしゃべっているよう な気がするのです。  多くの前提がおおっぴらに疑われることもなく、世間の言論の基底部を形作ってい ます。しかし、それを問えば現代の安定した世界が崩壊するかもしれません。内心そ れを恐れるがゆえに、人々はいつもつとめて違うことばかりしゃべっているのかもし れないのです。  さて、ねずみさんにいろいろと書いていただいたのに、どうも抽象的な話ばかりに なってしまい申しわけありません。もしかしたら私がいったい何を問題にしてしゃべ っているのかよく分からなかったかもしれません。もしそう感じられたとしたら、そ れは私の責任です。実は私にもよく分かっていないのです。ですが、今回はこのへん にて。                                   松川 貴 253/253 TBE03167 ねずみ RE:個と集団 (15) 93/06/13 23:57 252へのコメント >松川さん。 もし、私の文章が松川さんの神経をいらだたせていたらお許しください。 私自身、私の文章を読んでみて、いかにも血の通わない冷たい文章だなあと思ってい ます。これは、実は私がノイローゼを患っているからで、もうだいぶよくなりかけて いるものの、感情的な部分でまだ幾分おかしなところが残っているからです。ちょっ と、アブナイ奴でして……(^_^;)。 ******************************************************************** さて、私は論理というものを二番目に重要だと考えています。 今仮に私が何かをしたいという「想い」を持ったとします。 「想い」を持つ以上は、当然それを実行したくなってきますね。 その想いが簡単に実現できるようなものであれば−−例えば、ハラが減ったからラー メンでも食おうとか−−であれば、その想いをほとんど無意識的ストレートに実行に 移せばいいわけです。誰もそのことに対して文句を言う人はいません。 しかし、そうではなく、想いが抽象的すぎて具体的な実行プランが立たないとき、あ るいは、実施が困難な想いであるときには、その想いというものをもう一度反芻しな おしてみて、本当に実現したいものは何なのか、どのようにすれば実現が可能なのか、 ということを意識的に検討しなおす必要が出てきます。この時に論理的思考が必要に なるのです。 そう、松川さんのおっしゃるように、論理は(思考のための)道具にすぎません。 何かの行動を起こす原動力は「想い」である。「想い」こそ人間の行動の根源なのだ。 そういう観点からすれば、「想い」こそがもっとも重要であると考えてよいと思いま す。(この「想い」が、松川さんのおっしゃるところの「世間の言論の基底部」に相 当するべき部分だと思います) しかし、その「想い」を実行する時には、それを具現化するために、論理的思考で、 より具体的で実施可能なアイデアにまで煮詰めなければならない。それを怠ると、 >始めは深い内的衝動に突き動かされていた はずのものが、いつのまにか最初の自分の想っていたものではない別の何かにすりか わってしまいますね。 まず第一に目的としての「想い」があり、第二にそれを具現化する方法論として「論 理」がある。 したがって、「論理」は「想い」の次に重要なものだと考えています。 ******************************************************************** うーん、なんだか調子がでません。どうしたんだろ? ああ、困った困った(;_;)。 今やってる話というのは、私の本当に言いたいこととはまるっきり違うんですよ。 私は「個の論理の重要性」という話をしたかったのであって、「論理の重要性」など という話をしたいのではなかったのに……。 まだ、修行不足なのかなあ……。 そのうち体制を立て直して、また反撃にやってきます。ではまた!! - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/06/14 - 056/066 HGC02325 ガッチャ RE:いろいろレスっぽく (19) 93/06/13 20:09 052へのコメント  突然ですがRESします。  |かと思います。先にも述べましたが、それを、どう他者とわかちあい同意して  |いくのでしょう。僕は、その同意の過程というものをしめしました。僕にコメ  |ントされるかたは、僕の代替案を提示するべきではないですか?  |#052より引用  代替え案を提示する必要は全くないと思います。  あなたがここの会議室に書き込みをしたあなたの動機をあなたは以下の様に述べ  ていますね。  |ないなぁ、と、思ったのです。いつも思うのです。くだらないなぁと。で、い  |つもは、だから、黙っているのです。では、どうして……今回はね。  |  |実は、よくわかりません。ただ、こう思っていたことはあります。我々は、も  |#053より引用  私はそのよく解らない事を、知りたい、つまりあなたを理解したいと思いました。  このような動機でのRESは否定しますか?それとも無視しますか?  「会議室にある提案をした人がいるからには、その提案にそって、あるいは代替  え案を出して、対話するのが普通のフォーラムの普通の会議室の在るべき姿だ」  とでも答えるのでしょうか?  |実は、よくわかりません。ただ、こう思っていたことはあります。我々は、も  |うちょっとマチュアー(成熟)してもいいのではないか。もうそろそろ古い  |ゲームを脱してもいいのではないか。そして、その提案を伝えることが可能か  |もしれないと。  |#053より引用  確かにあなたは、成熟する為に書き込みをしているんだと感じます。  ちゃんと誰にでも熱心に長いRESを書き込んでいますものね。  |あと、これは、言葉のうえでは残酷だけど、僕は、「真摯な生き方」を肯定し  |ないんです。一生懸命生きていること、全力を尽くしていること、そういの  |を、僕は、それだけでは是認できないんです。ナチスに賛同したひとも、千人  |針(今の若いこ子は歴史しらんかな)を縫った女性も、真摯で、まじめで……  |でも、それは駄目なんです。  |#052より引用  ナチスに賛同して、その為に真摯な生き方をした人は戦争は終わった後に何を得  たと思いますか?  あなたは、真摯な生き方をして、もたらされる結果が自分の欲望にそぐわない物  であった場合を危惧しているあまり、「真摯な生き方」を否定しているんではあ  りませんか?  あるいは、失敗を恐れている様にも見えます。  最初から全く失敗無しで、あなたはどうなりたいのですか?  自分が努力をして、その結果何を得たかという事は当人しかわかりませんよね?  真摯な生き方のなかに、どのような欲望や、どのような自己欺瞞があるか、最初  に発見しておく事が、最も重要な事ではないですか?  あなたの場合はどうですか?  ここの会議室を「くだらない」と言い放った裏には、どのような嫌悪感がありま  したか?  その嫌悪感を、いくら尤もらしい言葉で飾っても、言い訳にしか見えないのは私  だけでは無いと思いますが。  はっきり言うとあなたの書き込みはくだらなく見えません。  何かに行き詰まってどうしようもない、あなたの声が聞こえるように感じてしま  いました。                              ガッチャ 057/066 TCC00116 NoB いろいろ (19) 93/06/13 21:26 コメント数:2 ■どうも、消え去る機を逸しつつあります。うまくレスを続けられる自信はあ りません。どっかで言葉もなく消えてしまっても許してくださいね。ただ、 Fmisty Mes(13)、Frekishi Mes(12)にはいつもいます。ただ、そこでは、この ような話はしないだろうと思います。 ■ソニックさん、コメントありがとう。人と話すことは楽しいことです。みれ さんと話すこともそうでしょうし、アリオンさんとも。ただ、このとき、アリ オンさんを精神の意味で「背の高い人」にしてしまうのは、よくないと思うの です。この理由は前回にも触れましたが、彼のためにもよくないでしょう。 「高次意識体」(とかりにしておきますが)それらが無条件の愛を持っていた としても、我々への関与においてなお思慮が足りないことがありえます。ま た、我々が必ずしも低次でもないでしょう。 ■話はそれますが、「身体」、「霊」、「魂」という三分法は、ちょっとこ まった考えだなと思います。「身体」を安易にとらえすぎています。「身体」 は我々にはまず「身体イメージ」として存在しており、それは、「イマジネー ション」と「空間」の関わりのなかにあります。この構造をほったらかして、 「身体」と総括してしまうのは、我々の「身体」具現化の意味を取らそこねて しまう。というか、そのあたりのことは、アリオンより我々の存在形式のほう がよく知ることができるだろうと思います。「身体」自体の英知の意味あいと でもいいましょうか。「霊」や「魂」に出るまえに、「身体」の可能性の意味 を十分に理解できるはずだろうと思うのです。むしろ、それをバイバスするた めに「霊」は「魂」を持ち出すべきではないとすら思えます。 ■ゾウリムシさん、コメントありがとう。私は、実際のゾウリムシが大好きで す。あの核の交換に我々の性のエクスタシー以上のものがあるかもしれません し。 ■冗談だよっていう出口があるなら、ちょっと私のチャネリングでもやってみ ようかと思うことはあります。ただ、やっぱし、やめておきます。チャネルと かぎらず、テレパシーも元来は、言葉ではない。脳に直接言葉が喚起されるこ ともあるのですが、基本的な形式はそうではない。と、ま、断定ではできない かな。女性のチャネラなどを見ていると言葉が直に来ているみたいですしね。 ちなみに、バシャールは英語しかわからないというのも滑稽ですが。ま、そう いう微細なことはどうでもよいとして、いずれ、これを他者に伝えるときは、 言語化を行ないます。その時、どうも、脳にある種の負担とゆがみを強いるよ うです。(言語という存在自体が問題を抱えているのです。) ■語学を十代の内に脳に基礎ができた人なら、2言語間の変換の脳の働き具合 いの感覚のバランスのとりかたを身体感覚的に知っているだろうと思うのです が、その2言語間には、言語ではない、中間のある特殊な感覚の領域がありま す。そこには、言語以前のようなものがあるんですが、そのあたりをうまく共 鳴させ、チャネル・ソースをうまくキャッチできれば、チャネルメッセージの ようなものを引き出して言語化できるでしょう。現代にこうしたテクニックを 教える人はいるのかどうかわかりませんが、それは、語学学習に似たような技 術のように思えます。誰でもできるようになると思います。うまい下手はある でしょうが。 ■問題は、そうした技術が必要なのか? 本質的には不要だという話はしまし た。今回言うのは、それを「言語化」するという意味です。 ■もう、前提の検証が明確ではないですが、ずばり言ってしまえば、言語表出 は不用意な抵抗を産みます。そもそも、「我意識」そのものが、脳の全体性の なかから、排除による自己同一化と言語の結託としてできるので、そこにト ラップしてしまいます。言語は駄目なのだとまで言い切れませんが、このあた りの、「我意識」と言語の抵抗を生み出す構造をよく知っていないと、伝える ことはできないのです。だったら、テレパシーでもということになりますが、 これも、ずばり言ってしまいますが、むしろ我々は通常それを行なっている (完全に行なっているのではない。ある人が愛すると意識しても存在の全体は 愛をテレパシーしないことがある)ので、むしろ、通常言われるテレパシーは 言語化されたテレパシーにすぎません。むしろ、こっちがイレギュラーです。 (イレギュラーなものは補完として現れてくるのです。それは、障害の補完で す。) ■どうもこの手の話をすると長くなりますが、いずれにせよ、言葉で、誰かか ら知るよりは、その人と直接対話したしたほうが、あなたの人生の意味になり ます。対話の時間こそがまさに我々の人生の時間であり、意味そのものなので すから。そうした、人生を賭ける時間の外部に非時間的な言語メッセージがあ るというのは、間違った考えだと思います。 ■「高次意識体」(とかりにしておきますが)と物化の問題は、イエスの問題 とも関連しているので、展開するとむつかしい、そんなの我々にはどうでもい いことではるように思います。アリオンだって、それなりに考えているので しょうから。ただ、イエスを考慮しても、アリオンが正しいわけではないと指 摘はしておきます。 ■ガッチャさん、コメントありがとう。まず、私は、パソ通信の対話におい て、他者の文章を分断して、ビックマックふうに引用とコメントをサンドイッ チにしたものにはお答えしたくないのです。この形式は、パソ通では、論点が 煩瑣になるばかりで、揚げ足的な問題になりがちです。よろしければ、論点を ポイント化して、どうしても私の文章の引用が必要なところだけに絞ってくだ さい。 ■ただ、簡単にコメントします。真摯に生きること、情熱的に生きること、さ らに善を生きることすら、実は、否定されるべきことなのだと思うのです。愛 を知る人は愛せはしないという比喩で前回は語りましたから、今回は別の言い 方をしましょう。 ■人は善を生きるべきではない、と。というか、そもそも、「善」をそこで規 定しているのは、それを実践していると思っている当人かその集団でしかあり ません。その集団であれ、それは限定されており、分断化されてます。誰もが そうだということには到らないのです。そして、そのように限定された善は、 限定されていない場所で、ある効果(エフェクト)をもたらします。言い方が 拙ないので、わかりづらいかと思いますが、善だと思っいること、したこと、 その結果は、同一ではありません。善の結果は善を生み出すわけではなく、悪 の結果が善にならないとも言えません。では、英知はどうこの構図をとらえる かというと、自己の限界と効果を見るのです。そこでは、むしろ、己の思い込 みを捨てることが必要になります。だから、効果として善をもたらすために、 意図的に悪が行なわれることすらあります。 ■どうやらうまく説明できてないかもしれません。いずれにせよ、この問題 は、自己内部のとらえかたの問題には帰着しないのです。 ■レスを離れて。 ■私のこうした言葉がどのような効果を持ち得るのかについて、私は正しく了 解してかかるべきかという思い、まさに「言い訳」のような思いはあります。 もうすこし率直にいうなら、私の言葉に対する否定コメントがどうもパターン 化してるし、このパターンは予想可能であり、どうも、既視的であって、新し い対話が成立しているようには思えないのです。 ■その意味で、私は、こうした私の伝達の行為に、誤りがあるようにも思って います。その意味では、この行為自体に「行きづまって」(ガッチャさんの表 現)いるようには思います。自分から奴隷であることを選択していく傾向もま た人間の自然なありかたにすぎません。それはそれで私はほっておくべきなの だとも思うのです。これは、嫌味で言っているわけではありません。私の限界 と私の責務とに関わりないことには口だしせず慎むべきだろうとも思うので す。 ■私には私のための人はあまり必要ありません。私の言葉がわかる人だけに語 るというスタンスを取りたくはありません。前回の物理学の比喩ではありませ んがわかることが可能な言葉で語り、不特定の人との対話から、私自身が十分 に人間の全体を知覚できような会話(という言い方はむつかしいですが)がで ればいいなとは思うのです。 NoB 058/066 JBH02324 なえ RE:いろいろ (19) 93/06/13 22:35 057へのコメント はじめまして。RESするのも初めてですね。 んと、あたしも、ARIONとのチャネルが有意義か無意味かというのは、 その言葉に出会った(本でもLOGでも)時の気持ち一つで、変わるもんだと 思います。ただ、貴方の文章からじゃ、イエスの言葉を重きに感じるのに、A RIONの言葉と合い入れない部分に、惑っている様に感じましたが、違って たら御免なさい。 生き方は成長と共に常に変化し続け、しかも、それは日々の生活やまたは、出 会った本や、信じている事柄から形成されますけど、それが永久に一ヶ所に留 まるという事は無いと思います。 行く川の流れは絶えずして留まりたる試し無し。 見た目は同じでも、流転や変転を繰り返す人の生き方は、きっともう明日には 今とは違っているのでしょう。それを敢えて止めるのは、更な苦痛かも知れま せんね。 あたしはイエスを良くは知らないですが、好きな言葉が有ります。 神はこの一輪の花でさえ愛している。故に、貴方がたをして愛さない筈は無い でしょう。 それはイエスだから出た言葉なのでしょうか、あたしは大いなる存在を知る者 は誰でも、その言葉を胸に刻むと思います。私達自身が、有って有る存在なら ば。人は宗教を始めたのでは無いと思います。人とは違う愛の存在から、受け たメッセージを、ただ伝えたいという思いに、言葉を押さえなかったのだと思 います。 059/066 GGD02212 Soo RE:いろいろレスっぽく (19) 93/06/14 07:52 052へのコメント コメント数:1  前略 NoBさんへ 「消え去る機を逸しつつ(#057)」あるようで、御愁傷様です。 …などと、私の文体は人をおちょくったようなスタイルかもしれませんが悪気 は無いつもりだから堪忍してね。 NoBさんは私なんかより真摯な態度で人生に 対峙しておられるようで、敬服に値すると思っています。ただ、何か権威的な モノへのコンプレックスみたいなものが基調になっているのでは?と何となく 勘繰ってしまいました。気に触ったらゴメンナサイ。m(__)m  #044の内容がよく解らなかったですか。米国式のカミとヒトとの関り方とか 自分でもよく解ってない所があったし、欧米流のフランクなディベートはまだ まだ苦手なせいもあって、#044では雑談混じりに印象を述べただけだったので、 「主張の体をなしてない」と言われれば、その通りです。(^_^;)   「代替案」も無い訳でもないですが、あまり饒舌なコメントは書きたくないし、 自分が教祖様気取りになってしまいそうなので控えたいのですが、要約すると、   タテの人間関係は本来あるのが自然だ。それは、上の者が下の者を見下す  とか搾取するとかでなく、逆に上の立場の者が下に奉仕する、知恵ある者は  知恵の無い者のために、力のある者は力がないもののために仕える、無論、  状況によって上下は逆転してよい。(但し、現実の人間は、このような理想  社会を築くまでに成熟していない。むしろ上の立場を利用して我欲を満たす  方向に流されがちである。これを克服するためには「戦略」が必要である。) ってな感じになります。肝心な所は一遍には述べられないので、別の機会に… Soo. 060/066 MHA01114 シュメ−ル ノブさんへ (19) 93/06/14 08:18 のぶさんの その2 に感動しました。なぜかオンラインがばぐるのでまたあとで。 061/066 GGD02212 Soo 追伸:#59 (19) 93/06/14 08:55 059へのコメント  #057で「真摯に生きること、…否定されるべきことなのだと思う」と おっしゃっている人に「真摯な態度で人生に対峙しておられるようで、」 などと言ってしまったのは、皮肉になってしまいますか。不用意でした。  それでも実際、そう感じたのです。よほど真摯に生きたのに挫折したか、 或は裏切られた経験もしくはカルマのようなものをお持ちなのでしょうか …などと思ってしまった。ぜんぜんフォローになってないか。m(_ _)m Soo. 062/066 QFG02515 めるく RE:あなたはどうだったのだろうか? (19) 93/06/14 20:03 031へのコメント  こんにちは、みれさん。 >> 「真理」って、私には分かりませんし、きっと人間には「分かる」こと >>の出来るものでは無いのじゃないかな?と感じています。ただ私達には、 >>「真理」の映し絵である、「事実」は分かると思います(^^;)  「分かる」という部分にどういうニュアンスを含ませているのか、  はっきりは分からないけど、  私は真理は理解可能なものだと思っています。  だって、  誰が見ても、どこから見ても、どこまで行っても、  理解不能な、ワケノワカラナイ、得体の知れない、正体不明のものが、  どうして存在しうるの?  そんなものが、果たして存在することは可能なの?  宇宙というのは、マクロでもミクロでも、  法則的な振る舞いをしているのだとは思わない?  宇宙ははたして、理解不能な神秘な振る舞いをしているのかな?  どうして得体の知れないものの映し絵を、分かることが可能なの?  源に法則性のようなものがなければ、  そこから発生するものだって、法則的にはならないんじゃないかな?  もし真理というものが、理解不能な神秘であるとすれば、  その映し絵であるという真実というものも、  やっぱり理解不能な神秘だということにならない?  だとすると、なにもかも全ては理解不能な神秘でしかないということになり、  それはつまり、  人にとって全ては無意味なものでしかない、  ということになると、私は思います。  真理だの何だのを、理解不能な神秘だと定義づけるのは、  自己進化を拒否した者の言い訳である、とまでは言わなくても、  けっきょく何かから逃げていることだと思う。  今の私には真理は分からない。それはいい。  でも、だからといって、人にはしょせん分かり得ないものだ、とするのは、  変だと思う。おかしい。脈絡がない。  真理が分からないのなら、  それが理解不能な神秘なのか、それとも理解可能なものなのか、  ということも、分からないのでは?  真理は誰にも永久に分かれないものだ、  と思っている必要はどこにあるの?  ヒトリヨガリにならないため?  それなら、今の私には分からない、ということで十分だと思う。  人間には真理なんてしょせん理解出来ないのさ、  という考え方はちょっとサギっぽい気がする。  小学校の先生が言う「やればできる」というのと同じくらい。  それとこれの共通点は、  ろくな根拠もなく、人々をヒトククリにしているんじゃないか、  ということ。  真理を、理解不能な神秘だと定義づけることは、  真理を分かれない今の自分を慰める、あるいは、  真理でないものを真理だと思い込んでいるらしい人に、  それは真理ではないのだと、論破して強引にでも認めさせてしまう、  という部分があるのではと考えます。  「感じている」といっても、  けっきょくは納得できるかどうかだと、私は思います。  真理というものは人間には永久に分からないものだ、  という考え方は、上に書いたようなところから、私には納得できないことです。  みれさんは納得している、ということでしょうか?  だとしたら、どのようなところから納得できたのでしょうか?                               めるく 063/066 QFG02515 めるく RE:ちょい (19) 93/06/14 20:05 040へのコメント  こんにちわ、NoBさん。 >>ライアルワトソンもウスペンスキーもうすうす言っているけれど、超常現象が >>現れることは、マルファンクション、つまり、失敗なんです。  そういえば、以前こんな風に考えたことがあります。  もし人に霊力か何かがあるのだとすれば、  それは普通は、思考したり元気に活動したりという、日常的なことに、  費やされているエネルギーなのではないか。  そして、  そのエネルギーが何かの原因で「あらぬ方向」に向いたとき、  超常現象のたぐいが起こるのではないか、  と。  ところで、  チャネリングとかに、権力的な部分の問題というのは、あると思います。  でも、それは、受け手の問題が大きいと思います。  (権力指向の欲望的なチャネラーもいるかもしれないけど、それはおいといて)  凡人同様の目立たない人が、何食わぬ顔で良いこと言ったとして、  その発言にどれほどの人が耳を傾けるか、という問題。  受け手の質によって、伝達方法も違って良いと思う。  誰も耳を傾けなかったけど、自分は清く正しく美しくやったんだ、  ということで、自分は満足できるかもしれないけど、  他の人に対しては、役たたずだった、ということにはならない?  そこに、愛はあるのかい?                                めるく 064/066 QFG02515 めるく RE:日米/縦横 (19) 93/06/14 20:07 044へのコメント  こんにちは、Sooさん。 >> 私個人の主観として、確かに縦の権力構造は腐敗の温床になりがちですが、 >>ヨコの関係ばかりで、タテの関係が全く排除されてしまうのも、もの足りない、 >>不自然な感じがするし、ここからそんな権力を生む危惧は無用かとも思います。  猿だって何だって、  群れをなす動物はけっこうリーダーがいたりするもんだ。  リーダーがいなきゃ、まとまらなくてやりにくいしね。  だいたい、民主主義だって、  西洋封建社会における人間不信が増大した結果、  「もうオマエなんか信用できるか! 多数決でなけりゃ納得しないぞ!」  となって生み出されたもんではないか、と少し思う。  いいリーダーなら、いていいと思う。  え? 「いいリーダーばかりとは限らないだろ」って?  だからぁ、それが人間不信なんだってば。  (もちろん、人間不信にもそれなりの根拠はあるんだけど)                            ミ  めるく 065/066 QFG02515 めるく RE:アマリ RE サレタクナイカモシレマセンガ・・・ (19) 93/06/14 20:08 046へのコメント  こんにちは、みれさん。  あんまりしつこく口説かれて、ついに観念してしまったというわけね。  まるでジャンヌ・ダルクの話みたい。  そういえば、ジャンヌ・ダルクの所に現れたのミカエルだから、  手口が似ているのもうなずけるな。                           めるく 066/066 GBG02755 スマル RE:いろいろ (19) 93/06/14 20:30 057へのコメント Nobさん、はじめまして。 今までの書き込み読ませていただきました。 最初は、よくわからなかったんだけど、 #57は納得っていうのかな、 うん、そうだね。ってうなずいていました。 自分と同じ考えのひともいれば、全く理解不能なんて思えることもあります。 でも、やっぱり、少しでもいいから、この不便な言葉しかない私たちだけど、 判り合いたいって思います。 これからも、いろいろな角度から話をしていってくださったらって思います。                 スマル - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/06/14 - 00300/00301 KGD00020 落下生 はじめまして ( 2) 93/06/14 21:59 コメント数:1 はじめまして.私は鹿児島に住む29才の会社員です. もともと出身は福岡の筑豊で,就職してから転勤で鹿児島へ来て早5年がたちました. 大学の時にサ−クルで心理学をほんの一寸かじっただけで,フロイトやユング等全く わかりませんが,最近もっといろいろなことを学びたく思うようになりました. パソコン通信も全くの初心者ですがよろしくおねがいいたします. 00301/00301 GBG02043 維/YUI RE:はじめまして ( 2) 93/06/14 23:09 00300へのコメント いらっしゃいませ、落下生さん。 29歳!!辰年ですか? 兎年? 心理学をやってたと・・・、私専門学校の生徒だったころに、なぜだかユング関係の 本だとか話とかに縁がありましたっけ・・・。 基本的に”学問”って苦手なので、ほとんど頭の中にはのこっていませんけれど。 パソコン通信初心者!!! 頑張ってくださいね〜〜、ここのアクティブの人には、 おたくなノリで(^^;)詳しい方もいますので、気軽にわからないことは質問してみては? (注: おたくなノリというのは、とっても信じられない程・・・って意味です。) とつぜんへんなRESをつけてしまいましたが、気を悪くしないでくださいね〜。 ゆっくりとしていってください、お気に入りの部屋が見つかりますように。                    兎年の    維/YUI。 - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/06/14 - 066/066 MGH00465 アキラ パソコン通信のデモ (11) 93/06/14 23:34  ということで、先日の土曜日、平井さんのお宅にマシンを持ち込んで、パソコン 通信をデモってきました。 (余談ですが、なんとパソコン本体のACケーブルを、本体から外して、自宅のコ ンセントにはめっぱなしのまま持っていくのを忘れてしまいまして、藤沢中の電気 屋を探し回るハメになってしまいました(^^;) 平井さんには藤沢放浪のお付き合い までしていただいて、どうもありがとうございます。あぁ、平井さんの貴重な執筆 時間を奪ってしまったぁ(^^;))  で、デモの目的ですが、平井さんをパソコン通信に引き込もう、ということでは ありませんで、これは9月になってからのお楽しみ。  平井さんご自身は、パソコン通信をやるつもりは絶対にない、そうです。  理由は、なにしろアホなファンレター等に相当苦しめられた過去を持つ人ですか ら、通信をしたらどういうことになるかは想像がつくから、といったところでしょ うか。確かにパソコン通信は得るものは多いメデイアですが、そのために傾けなけ ればならない労力や、一部の困った人たちのお相手のことを考えれば、とてもじゃ ないけど手を出せない、といったところでしょう。  また、平井さんは凝り性の人ですから(^^;)、もし手を出してしまったら徹底的に 始めてしまって、小説を書く時間がなくなってしまうのを恐れているのかもしれま せんね。  ま、私としても、もしそんなことになってしまったら、平井さんの小説を待って いる全国の読者に申し訳がたちませんので、決して平井さんに薦めたりはしないわ けです。  ちなみに、FARIONにもアクセスしまして、平井さんはこの部屋のタイトルにも気 付いたのですが、あえて書き込みを読もうとはされませんでした(私も表示させな かったですし(^^;))。これって、もしかして、読んでしまったら、気になってしま って、続きも読みたくなってしまうことを恐れてのことではないか、と……(^^;)  で、カンチャンへのお答えですが、会議室への書き込みのことについては、結構 話題にはしています。ログ自体はお見せしてないのですが、こんな書き込みがあっ たとか、これに対するこんな反応があったとか、こんな人が玉置山に行って、こん な体験をしてきたようですよ、とか、そんな感じですね。平井さんも喜んで聞いて くださってます。  ダウンジングについては、平井さんは一時期大変に凝っておられて、いつもペン デュラムを持ち歩いて、何かというとお伺いをたてていました(^^;) 最近はあまり やらないようですが、子供のように熱中していらっしゃいましたね(^^;)(もう2年 以上も前のことですが)  ウルフガイの次回作については、ちらっと構想をお伺いしましたが、またまたとて つもないものになりそうですよ!                              MGH00465 アキラ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/14 - 722/724 GBG02043 維/YUI 吹く偽聴の、いいかげんなサポート (14) 93/06/14 22:46 妙なタイトルをつけてしまったわ・・・。(^^;) このごろ耳にした目にしたことなどを、書くだけですので、心配しないでね。 * 八幡船っていうのは、海賊船のことなのだそうです。(どこかの辞書) * 古八幡とか、元八幡とかって・・・わりとありますけど、   ただ単に八幡さまの社をうつしただけなのでしょうか??                       もうひとつあったのに・・・思い出せない。                           維/YUI。 723/724 JBH00712 桂 桂 八切オタクは誰だ?(^_^;) (14) 93/06/14 23:34  私のサンカ異伝承シリーズは、手元にある八切の本(サンカ瀬ぶり 物語、サンカ民族学、サンカの歴史、日本原住民族史)などえおベー スにして、レポート形式にしてかかれています。  そういう意味でこれはもしかしたらペナルティに近い書き方なのか も知れません(著作権には触れていないものだと思うのですが)(^_^;) 。孫引きの孫引きを重ねているわけでして、でスカラ本当の意味では、私は サンカの事も八切の事もよくは分からないと思っています。ただ、サ ンカの歴史が、議長の言われているような事実と深くか浅くか、どち らかで接触はしているだろうと思って、書いております。内容がやや 煩雑なものに成りつつあるようで、不特定多数の方が読みづらいもの になるかもしれませんが、こうした「事実」の列挙が(それらが誤り であるにしろ)、何等かの答えを導き出すに相違ないという確信を抱 いて書き続けて行きたく思います。  と、言うわけで、分からなくても暫しお付き合いしていただければ、 幸いかと存じ上げまする(^_^)  メーソンに関しての事なのですが、サンカの歴史を調べていく中で どーにもそれらしきものが出てきているようなので、いずれ、(その 4)もしくは(その5)当りで、ふれようかなと思っております。  いづれにしろ、しばしお待下さいますよう、御容赦の程をお願いい たしまする m(__)mペコリッ   桂 桂(JBH00712) P/S 引続き(その3)をアップさせて戴きます。 724/724 JBH00712 桂 桂 サンカ異伝承 (その3) (14) 93/06/14 23:39  引続き「八切史観」について語ろう。  この国には、4つの血筋が流れているのだと彼は説明する。  それは、「源」「平」「藤」「橘」の4種族であるとされる。  源は「元」つまりモンゴル地方から白系ロシア人までも含む、韓 半島から流れてきて裏日本から東日本まで行き渡った山人族、白山 信仰を発祥させた百済人である。  平は「ペルシア」古代スメラ(シューメール?)地方、中東バビ ロニアからきたフェニキア人も含むこの国では血族的に一番多い。 というのも十字軍遠征による避難民がぞくぞくと後々にも東海地方、 もしくは紀伊半島に流れ着いているからである。故にサンカのコトツ (言葉)は古代バビロニア語に極めて近しいという。鉄を最初に持 ち込んだのもこの平氏の祖先である。故に八幡神は鉄と武道と、そ して平氏の守護神となるわけである(これはユダヤの十支族と関係 あるのだろうか?)。  藤は「唐」つまり中国の大唐帝国のことであり、彼らが日本最大 の侵略王朝を気づき上げる藤原氏の祖先、言い替えればこの国の運 命を変えた元凶となる存在である。  橘はややこしいのだが、「契丹」、一度は大唐を滅ぼすものの二 度取って返られ日本においては藤原を倒そうと思ってきたのがミイ ラ取りがミイラになってしまう悲劇、そしてサンカに混じったもの の、その大陸の知識を利用してその後のサンカのリーダーになった 物多数と言うことである。  八切は大陸から民族が渡来する前にも原始日本人はいたとする。 それはエの民と呼ばれるものであって、彼らが征服された後に、被 差別階級としての「エッタ」が出来たのだという。武内宿弥は西暦 96年新植民地へと東日本を巡察の結果先住民狩り。縄文人はこれ に対抗、一部は奴隷、しかし一部はレジスタンスとなって山にこも る。雄略帝、武烈帝の時代には過酷なサンカ狩りを行う。サンカの 首領平郡真鳥を惨殺(ここのところは日本書紀にも記されている)。  天智、天武天皇が額田王を美人だといって奪い合ったのは、正確 には額田王が海人族の女王で、海の利権を取り合ったためである。  西暦645年=7世紀、源こと騎馬民族である八の民蘇我氏は、 大陸から防人と呼ばれる大群を率いてやってきた藤原鎌足と一戦を 交えなければならなかった。つまりこれが百済からの陰謀であり蘇 我氏が滅ぶことになった、蘇我王朝が消えた、歴史の教科書では 「大化の改新」と呼ぶ事件である。  この戦いの敗残により、騎馬民族の白化け(平氏、海人族のこと) サンカは海人族に大いに混じる。崇神帝は八ヨリ姫と結婚、その孫 に当たる景行帝もアマの八坂姫にヤマトタケルを産ませている。共 に武内宿弥、藤原鎌足に負けた敗残者同士である。  西暦780年=8世紀、桓武帝の時代、元は源氏の百済人であっ た奴隷監督がもうがまんならぬと一斉に革命戦を仕掛ける。古代日 本にあった富士王朝を復活させ富士川を挟んでの決戦になるも再び 敗退、また奴隷に戻る。  サンカは闇に潜んだ。だが、一族を根だやしにしようとする暴虐 な侵略者の恨み、一族郎党を殺された恨みは消えるものではない。 日本人は島国民族故「水に流すという」が。実はそうではない。サ ンカの一族は永遠とも言えるこの戦いを始めたのだ。  サンカは女性上位社会である。それは子孫をけして絶やさないた めでもある。 北条政子はサンカの女神、頭領である。  今までの恨みとばかり北条氏が天下を取ってからは、天皇や上皇 を皆島流しや土牢に閉じ込めてしまい、公家(藤原氏)もいずれも 暫首。あまりの不敬にその後のサンカはこのことは皆口にしないそ うである。  北条氏は桓武帝の時代と同じように国内の歴史書を次々と燃やし てしまったという。これは何故かというと、源の頼朝を落馬同然で 暗殺し、その情報が源氏の大本である「元」に流れて2度に渡る元 の侵略(実は復讐戦)が行われた。北条は源氏を根絶やしにしよう とし、そしてこれを阻止しようとしたのがあの「げんこう(漢字が 出ないよー)」と呼ばれる物だったのである。  滅ぼされた源氏の方といえば、自ら「ミナモトノ」と己を呼び習 わし、思い上がったのが敵を大勢作った。せっかく打倒藤原を成し たというのに、大江山の同族を征伐したりするものだから後が良く ない。ちなみに義経はなんとか生き延びて故国にもどってジンギス カンになったという話があるのだがあれは本当だかどうだかよくわ からん。  足利氏は明国と折衝したときことさらに自分が源氏出身であるこ とを強調したと言う。これは北条氏の二の舞を踏まぬが為、という のが八切の説明である。  役子角は葛木の民である。土グモとも言う。  葛木は土地柄からして(紀伊半島大峰山脈)赤化けサンカとも白 化けサンカとも見分けがつかないのだが、楠正成はどちらかという と、契丹人で血筋ではなかったかと思える。  これは私が勝手に思えることであるのだが、契丹と八切が(ある いは勝手に言ってる)呼ぶ血筋は、いわゆるハタ氏、太秦の事では ないかと思ってる(いわゆるユダヤ人のこと)。いわば、大陸、そ れに韓半島からやってきた帰化人である。そう、忍者の起源でもあ る。高度の技術者集団と言うことでは、八切の言う契丹人のイメー ジとも符合する。陶器を作り、法隆寺ミロク像も残している。忍者 の里として有名な三重の鈴鹿、上野は彼ら帰化人の村でもある。で は何故そこに追いやられたのか?  結局時の権力者に取っては必要なのは時代を先取りする技術であっ て人ではなかったのだ。日本人が彼らの技術を吸収してしまえば、 後は用無しである。忍術は彼ら外国の土地で生き抜くために生み出 した、まさにサバイバルテクニックであり、時代を生き抜く知恵、 そして攻撃とは最大の防御と成り得る武術であったのではないだろ うか。実際に藤原道長の時代、藤原純友、平将門と並び称して、謎 の反乱劇「藤原四鬼党の乱」が発生している。これはまったくの謎 の反乱事件で、何しろ、天地火水の4つの鬼を操る妖術使いが朝廷 に挑戦したのだ(最もまともな内容ではないので、歴史書に記録さ れていても学者はまともに相手もしてくれない。実際三重の上野市 にこの碑銘がある)。  雄略天皇の時代、葛木の土グモは大量虐殺されている(日本書紀 より)。楠正成は悪党と呼ばれ、時代を変えた。源氏が大活躍する きっかけと成ったのは、頼朝の活躍、だがその背後には「富士武士 団」という謎の存在がいたことは知られていない(私もよくわから ん)。南北朝時代、富士山麓には南朝の隠れアジトがあったという 伝説もアリ。  ちなみにサンカののコトツに「クズシリノカミ」というのがある。 案外クズは葛のことかもしれない。  八切は日本の原住民族は、いったい誰か問い事に対して、決定的 なことは記してはいない。書いている本によってその記述する内容 が違う(!!)という変則的なことをしている(但し、微妙なニュ アンスによってなので、一概にそういう様なことも言えないのだが)。  従来の皇国史観とも違い、日本歴史の始まりは天孫族と縄文人の 戦いから始まるというのも間違いであるという。「天の朝」を日本 列島に築き、「天ノ」と上に「八」のつく名前を持った人々、「天 孫<アメウマ>」と称された部族は、「皇孫<スメラウマ>」とよ ばれる崇神帝に天つ日嗣を譲った時から体制側に追われ、反逆の部 族とされてしまったいわば「日本原住民こそはその第一号たるや天 孫民族」なのだそうである。  これは一つのパラドックスであるか?  今回の天皇に関する記述、議長の皇族史と照らし合わせれば如何 なる結果が生み出されか? 桂 桂                 桂 桂(JBH00712) - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/06/14 - 067/072 TCC00116 NoB レスっぽく (19) 93/06/14 21:13 ■性分ということなのか、レスをせずにはいられないような気質があって、 ま、レスもどきに。ソニックさんにはレスしたっけ? ■Sooさん、レスどうも。誰だったか(ごめん、都合の悪いことは忘れる…… いやいや、あまり関心ないことは忘れちゃうのです。無視しているわけじゃな いです。)、私にご愁傷さまみたく言っておれたかたがあったけど、たぶん、 明白な皮肉なんだろうけど、私はあんましどうとも思わないのです。一般的に 言って悪意的なものは、意図の底が浅いから、たいした問題ではありません。 ま、かく言う私もそれに免れているわけでもないでしょうし。 ■めるくさん、はじめまして。私の文章はややこしいから読みにくいのでしょ うが、真摯にやっても無益なことあるよと述べています。だから、そんときは 愛があるか……? あると思います。不毛な愛がですね。これに対して、イエ スは聖書では、「蛇のように(ずる)賢く、鳩のように素直であれ」と言って います。ま、でも、なかなか日本人はそうもいきません。 ■日本人にとって、「誠実」とか「誠意」というのは対人的な意味しかないか らなのです。具体的な対人関係のなかで、その対話者に迎合しちゃうんです。 ま、そんなものだなということでしょう。それに「日本人」すべてそうだとい うことでもないんですが。 ■この世界にあって「愛」が無力に思えるというのは、つらいことではありま すが、ま、そういうもんですから、そこに留まってもしかたないし、愛の思い が現実に変るみたいな信念にいるよりは、現実を見に外に出たほうがいいので しょう。 ■そういえば、上下関係、権力、リーダーというのを取り違えているという か、日本の風土ではしかたないのかもしれませんが、そういう印象をいくつか のアーティクルから印象を受けました。簡単にいえば、リーダーとは機能で す。集団は基本的にゲゼルシャフトですから、リーダーとは統率機能であれ、 集団目的から演繹されるものです。と、いう言い方は親切ではないですが、ゲ ゼルシャルトとゲマインシャルトくらいは関心あるかたは勉強してください。 ■スマルさん、感想どうも。ただ、この手の問題は、わかる人にわかればいい とも、わかりやすく語ろうとも私は思ってないんです。なんとか、科学的な議 論ができないかと思うのです。それは、Fmistyのほうで、進めています。 ■とくに、「霊」や「魂」っていうふうに言うと、これっていうのは、各人各 様な理解と誤解で、さっぱり意味不明な文章ができてしまいます。わかる人が わかればいいとか、体験的に知れとかすると、結局その言明者を特別なものに してしまうわけです。相対性理論なんか誰が解いても別に特別にはならないに もかかわらず、精神世界的な言説はそういうワナに陥ります。 ■それに、「身体」がもっと重要なんですよ。というか、「霊]や「魂」はな んだかわからんちん概念ですが、仮に「心」や「思い」というのは、もうすこ し多くの人が納得できます。で、人の心というのは、身体の特殊な表れなのだ ろうというのが私がいま追究している問題です。心を変えるのではなく、身体 (イメージ)を変容させるというのですか、そういうふうにして、変化した心 =身体の可能性から、我々の存在形式の可能性をさぐるべきだろうと思いま す。 ■すでに「高次意識体」という曖昧な言葉を使ってしまいましたが、思念は、 この宇宙に生き残り、それ自体が、アリオン?、ま、バシャールとかの存在に なりえるのでしょうが、それらは、それらの存在形式と「言葉」に限定されて いるのです。ですから、彼らが我々の存在形式を包括するわけではないので す。おそらく、美のエクスタシーの意味やある種のエネルギーは我々のほうが 強度でしょう。ま、この手のことを仮定的に考えるよりも、身体の可能性から 考えたほうがよいように思います。身体は、地球生命の進化のログでもありま すし、このログを読み取ることで、そのメッセージが了解できるはずです。 ■とま、なんだか、書いてしまいましたが、ここにいつくつもりはありませ ん。 NoB 068/072 GBG02043 維/YUI RE:あなたはどうだったのだろうか? (19) 93/06/14 21:55 062へのコメント わりこみ〜〜・・・です。 真実って、なんなの?? ってきかれたら・・・具体的に答えられない。 でも、真実って”ある”と、感じている。 人のまえにとりだしてみせられることではないから、証明なんてできない。 もし、自分の中に真実があるとして、それは一枚の布を織るときの1本の基本の糸 みたいなもんじゃないかって、イメージ。 人間としてあるときは、一枚の布だから真実だけをとりだすなんてことは、 できようがない。 やりはじめたら、布が布でなくなってしまうかもしれないし。 でも、わかることができるなら、わかってみたいな・・・と、半ばおっかなびっくり 思ったりします。                          維/YUI。 069/072 TCC00116 NoB お遊びがてら…… (19) 93/06/14 22:07 コメント数:1 チャネリングなんかくだらないよみたいな話をちょいしました。こんなのは技 術だから誰でもできるんだよとも言いました。 言ったついでに……、やりかたでも書いておきます。この部屋らしい趣旨か な? ま、それが「本当」とか「真理」とか抜きにして、ごく、遊び程度に、やりか たのコツみたいのも、書いてみましょう。 できる人もいるだろうし、できない人もいるだろうと思います。算盤の暗算の ようなものですね。原理はわかって、イマジンできても習熟は難しいかもしれ ません。 それと、前もって注意しますが、チャネルできたときにはある種の危険性もあ ります。危険に遭遇しないように。そのためには、あまり真摯に、まじめにや らないこと。悩みとか抱えてするとろくなことないですよ。それにうまくチャ ネルできても、マスメディアのほうでもチャネラーじゃもう食っていけないの じゃないかな。だから、気にしないこと。 さて、ポイントは、言語化過程の細分的な知覚です。逆に、以前も言いました が、言語化に大きな問題があるんで、チェンリングなあんてアテにならないの ですが……。 精神集中とか呼吸法とか瞑想とかしないほうがいいです。ボケっとやるほうが いいのです(そのほうが安全)。 まず、意味と言葉の切れ目を知覚するようにします。といっても、「時計」の 意味は、目の前にあれば、「これ」と指させますが、言葉しかなければ、「時 計」と言うだけになり、言葉が循環します。ですから、日常は、意味と言葉の 切れ目が知覚できません。ですから、一つの意味のコアをもつ複数の名称のズ レの知覚からやるといいでしょう。「私」、「あたし」、「俺」、「我」な ど、それらの意味の差異の知覚と、名前の間の移行の瞬間の意味の知覚です ね。ま、詳しくは書きませんが、そんなふうにして、言葉が発生する意識を微 細に分解して、言葉なく意味のただよう空間を作ります。これが、チャネルの 受け皿です。 次は、チャネルソースを探すこと。 これには、探しかたと対象の訓練があります。 まず、対象からですが、我々は後ろの世界を見ることができません。視野は限 定されています。ところが、意識を背景に向ければ、そこに「存在」の感覚を 持っています。後ろに誰かが立っているのを一度見れば、その感覚は保持され ます。このような、不定型な存在の知覚感覚を養います。その訓練は、いろい ろ工夫してください。詳しくは書きません。 次に、目の前にいない人をいく人も思い浮かべます。そのいく人を、ほんと、 いく人も素早く想起してみて、その人をその人と知覚する存在の感覚を養いま す。 そして、そのとき、実は、その人の「名」を心で呼んでいることに気が付いて ください。「名」なくして呼べることもありますが、そのときは、名に代る表 象を使っているものです。ま、そういうわけで、「名」の力が、その存在の感 覚を凝縮していく感覚もつかんでください(実はここが一番難しい)。 それから、探すの訓練ですが、目を開けても閉じてもいいですから、どこか好 きな場所にいる感じを持ってください。そこにいる感じを掴みます。これが空 間。次は時間。過去の自分に移ります(未来や生誕以前に向けないほうが安全 です)。そうして、時空が、今現在のなかに凝縮され、しかも自由に動けるよ うな感覚を養います。 さて、チャネリングですが、時空のなかで、ある人を探し出します。時空を動 く感覚のなかで、そして、誰かを求める感情をコンパスにして動きます。する と、なにものか存在が感じられます(これは、向こう側からやってきます よ)。それの感覚を増幅します。そこで、その名を聞きます。このあたりは、 むつかしいかもしれません。名を語らないこともありますから。しかし、名に 存在が凝縮されたら、その存在の発する感覚を先の意味の空間に引き込みま す。 そして、言葉に移すわけです。ホースの先から水でもまくように言葉に押し出 すわけです。 ま、この程度。カリキュラム的にこまかくは説明しません。やってみるとごく 簡単なことだとわかると思います。というか、あえて簡略して書いたのは、無 理してやる人ほど危険がともないますし、無理してやるほどのことじゃないで すかから、この程度の説明でいいでしょう。 そんなのは無意識とのコンタクトだとか、もっと簡単なやりかたがあるとか、 ま、いろいろあるでしょうが……、ま、そうまじめにならないこと。 そして、チャネルができて、ほほぉ、というメッセージを受信しても、これ も、それほど、まじめに受けとめないこと。「月日は悲しんでおるのじゃぞ」 とか聞いても、そうマジに受けとめないこと。あまりマジ聞いて、パソ通信で 公開してもしょうもないんですよ。 先にも言いましたが、こうした心的な操作は危険性がありますから、下手する と発狂します。やばいなと思ったら、歌を聞いて、胃が重くなるようなアイス クリームパフェでも食べて、寝ちゃうこと。これは、冗談じゃなくて、音楽 で、意味なし空間を整理して、あと、身体生理の負荷を脳から引き剥すので す。 あ、なるほど、チャネリングなんて誰でもできるんだぁ、と、いうだけでやめ てくださいね。どってことじゃないのだから。 ま、以上、おしまい。誰でもチャネリングぐらいできるんだから、と言った手 前、ちょいとサービスで解説です。 NoB 070/072 GBG02043 維/YUI RE:お遊びがてら…… (19) 93/06/14 22:55 069へのコメント (- -;)(- -;)(- -;) NoBさんって・・・ (- -;)(- -;)(- -;) 普通の人ですよね・・・(^^;)ドウイウ、シツモンダロカ・・・・・ チャネリングかぁ〜〜〜、友達増えるのはいいけどね〜〜。 でも、素敵な友達以外は・・・やだしなぁ・・・。 FMISTYのNoBさんの部屋も、以前ちょこっと読ませていただきましたが・・・ なんだか、???なので、それ以来みてないけれど・・・(^^;) FREKISHIのNoBさんで、UPを読んでるせいか、そっちの印象の方が強いのですね。                 ひとりごとと思って聞き流してください・・・・・。                   失礼しました・・。  維/YUI。 071/072 GDB00064 オリハル RE:いろいろレスっぽく (19) 93/06/14 23:43 052へのコメント >思っているのですが、「霊」とか「魂」とか、そういうのを前提に語るのはや >めよーよ、分かる人だけの会話、つまり、誰だっけ、「体験的にわかる」だけ >の会話はやめようって思うのです。 「やめる」ことは必要ないと思う。  人間は幸せを求めています。苦しみをなくしたいと思います。そこから、人間という システムを葛藤や突出による苦しみ(エネルギーの消耗)を抜けて、調和した本来のシ ステム状態を取り戻すための理解、つまり、「自分を理解する」ことを「体験的にわか る」と言っています。このこと(自己探求)を突き詰めて行くと、肉体を越えた自分を 発見してゆき、肉体を越えた体験をして行くのです。全てが自然のことです。 >相対理論ってありますね。これは、誰もがわかることではない。でも、これ >は、きちんと学習すればわかるんです。体験はいらないんです。おなじよう >に、「霊」とか「魂」について、語るべきなんです。僕が、Fmisty MEs(13)で >やっているのはそれの試みの一つです。 ・物質科学的な試みはいずれ、行き詰まると思いますよ。一二三神示にもそのことが出  ているからです(ウメの巻、第二十三帖等)。 ・NoBさんは社会的承認と自己承認とどちらを目指してますか。  ARIONによれば、今年は、篩分けがあるそうですよ。選択の時です。 ・それは、「体験的にわかる」=人間というシステムを理解することと矛盾しません。 ちょっと脱線しますが、ウイリアム・ハーマンでしたか、宇宙船に乗せられたときに、 「どうすればこのようなものを作れるのですか」と質問しましたら、「あなた自信のこ とをちょっと考えてみればすぐ分かることです」と答えましたことは興味深いことです。全宇宙を動かす、常に新しい創造的な力は、愛の力ですが、これは卍で表わされますが、渦が生じるためには1:3の原理と言うものが必要なんです。台風なんかも暖湿重3に 対し、冷乾軽1によって渦が生じます。この1は高次の法則の事であり、それが低次世 界では3つが一つとして表われるのです。KAZEさんの部屋でもフラーの話題をやってま したけど、正四面体がそれを表わします。4つの頂点の内、一つを高次の1とすると、 残りの3を低次世界に出現する回転ととらえられます。実は、水晶が意識エネルギーと 関わりを持つのは、まさにこの4面体の結晶構造によっています。高次の創造的力を多 段階の低次可によってこの物質世界で使用できるエネルギーとして取り出せるわけです。(しかし、神の力に対して、このような発想をしていたこと自体が間違いであった) モレイのエネルギー装置も多段階の増幅を経てエネルギーを取り出します。霊とか魂と かいうのは各自が自分の中で、内的に理解して行くものだと思います。それが先人達を 理解することにもなると思う。宇宙は神の力=愛=創造的力が運行しています。実は私 はこういう事の研究家です。研究家の立場から書いてみました。研究家としての「断言」であることにご注意下さい。「こういう試み」を行なっても、人類自身が意識の向上を しない限り、その知識を使用するのは不可能であるというのが私の結論です。ポール・ ソロモンもそのリーディングで言っています。 『宗教が統一されることによって「一の法則」が人々に伝えられてゆき、破壊に基づい た科学を変えて行くのだ。皆で目的を達するための具体策を練りなさい。[中略]なら ば、新しい技術を世界にもたらしてくれるジョンが出現する環境が出来上がるだろう。』             (「ヒーリング コンシャスネス」たま出版、¥1200)  ここで、「ジョン」というのは、ポール・ソロモン、及び、エドガー・ケイシーのリ ーディングに基づき、イエス最愛の弟子の聖ヨハネであることが知られています。既に、この預言されたジョン・ペニエルは、イスラエルで「777」と題して英語で本を出版 しています。 (詳細は、〒185 国分寺市東恋が窪3−12−16−101 国際ニューエイジ協会) >あと、これは、言葉のうえでは残酷だけど、僕は、「真摯な生き方」を肯定し >ないんです。一生懸命生きていること、全力を尽くしていること、そういの 否定する必要はないと思う。NoBさんは人の「必然性」を理解した上でおっしゃっている のですか? それともその人の「必然性」を理解せずに言ってるのですか。  あるいは、このような実体的とらえ方ではなく、虚像的=社会的ディスプレー行為と して「真摯な生き方」と表現し、それを否定してるのですか。  人間は崇高な気持ちになれるときがあります。高次の力が目覚め、感覚が「自己」に よって統合されている状態に近い時です。霊的な世界に近い人間はメルヘンの世界を理 解できます。  しかし、低次の諸力によって感覚が占められていると、高次の世界が理解できなくな ります。そして、「くだらない」と感じる様になります。それは、その人にとっては存 在しないに等しいからなのです。こうなるとメルヘンの世界を理解できなくなります。 (対比的表現) オリハル 072/072 GDB00064 オリハル 自己感覚 (19) 93/06/14 23:44 自分の「所有物」によって「自分」を感じる人。(物質的) 自分の「成果」によって「自分」を感じる人。(植物的) 自分の「能力」によって「自分」を感じる人。(動物的) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (ハラレロレロ ト、ヨム) 上記の3つの感覚は、人間がこの世で使う地上的な力との対応があると思う。 地上的な力とは、すなわち、「他との」(地上的な)関係で作用するものである。 つまり、これら3つの感覚が「社会的自己感覚」を生み出す。 「社会に於て“自己”」を感じるためには、相対的である必要がある。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (ドチラデモ ヨロヨロ ト、ヨム) しかし、「本当の自分」とは、地上的な力の一切の拘束から自由に、天的な真実を地上に もたらそうとする。イエスも、出口王仁三郎も、地上的な力に左右される事なく《真摯》であったのには誰もが感動すると思う。これを「人間本来の姿」と言っています。つま り、感覚が、「地上的な諸力を使う」という振動数に達している状態です。我々はなる べくこのようでありたいものです。この状態の人は、自己感覚が(例えば)利己的では ない。自分を神の道具と認識しているのです。「神という実際(NOT 概念)」に基づい た感覚を生きているわけです。 一つ、「くだらない」という「感覚」はどういう状態かといいますと、感覚が「他との 関係性」=「地上性」の中にあり、それに準拠している時に、それを越えたものを「意 味が無い」と感じてしまうのです。感覚が地上的な力に満たされている場合、一番近く に感じるものは、「他との関係性」=「社会性」です。この状態の時は、霊的な事柄に 何の意義も感じられなくなります。だから、イエスは地上に来て、霊性の意義深さを実 地で示されたのだとも思っています。よく注意して下さい。ARIONの言葉は「体験 的」「感覚的」です。G(グルジェフ)も言っているではないですか。(例えば)同じ レベルにある者同志ならば、たとえ使う言葉、単語が違っていても相互に理解しあえる と。(「レベル」という言葉を使ったことについて、どうですか?) 実地に道を歩む (ARIONは「辿る」と言う)に於て、ARIONの言葉は大変に示唆に富んでいま す。しかし、論理的に扱うとなると、ちょっと物足りないかもしれない。このようにし てARIONがもたらしてくれた情報を地上的な動機で逆使用することはよくないと思 った。相手が好意的に与えてくれた、相手に関する情報を、そのように利用することは、一言で言うと何と言いますか。私は、そういうことは言いたくない。 NoBさんは、どのように感じますか。                                  オリハル