- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/06/19 - 00318/00319 GBG02755 スマル お騒がせしましたが。スマル ( 2) 93/06/19 10:04 00310へのコメント ども、ややこしい病気のようでしたが、原因もはっきりしましたので。 お詫びかたがた、状況説明ですじゃ。 根本的な原因は、子供が運んでくれた「りんご病」という子供だけにかかると言われて いるウィルス性の伝染病です。 このウィルスは生まれたばかりの赤血球にとりつき、赤血球を壊すのだそうで、 症状としては、2、3日の微熱と、顔がビンタされたように赤くなることと、 四肢にレース様の発疹がでることです。 まあ、特別な治療もなく、軽いために、ふつうは医者にも行く必要の無い病気なんです。ところが、年老いたこの私にこのウィルスは何を思ったのか取り付いてしまったんです。物好きにもほどがありましょう・・・ で、私はこれらの症状がおもいっきり強く出まして、貧血とむくみになったのです。 血液検査も済ませまして、腎臓肝臓に異常はなく、2週間もすれば、新しい赤血球が 生まれるので、そのころには、元気になると言うことでした。 しかし、今日もむくみはひどいし、節は痛むし、力は出ないし、とほほ。 歳は取りたくない!! 2、3日は安静が必要だそうで、今日もうだうだやってます。 ま、恐い病ではなかったのが、嬉しかったな。 丈夫なだけが取柄の私なんですもの。 よかった、よかった。                       スマル 00319/00319 HFE02615 伊達邦彦 ドッペルゲンガー ( 2) 93/06/19 11:48 はじめまして。 ドッペルゲンガー、二重身というのものに取りつかれていまして といっても、自分が体験したとかではなくて、(正確に言うと 1回だけあるのだけれど)そういうイメージに取りつかれている んですよ。「少女」のドッペルゲンガーのイメージに。 ほかにもこういう方はおられるのでしょうか。 あるいは、ドッペルゲンガーを体験された方なんておられるので しょうか。 どなたか、体験など教えてください。 伊達邦彦 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/06/19 - 379/388 PDD03407 あっぷあっぷ スマルさん・めるくさんへ ( 7) 93/06/18 23:59 コメント数:1  スマルさん、めるくさん、こんばんわ  返事に時間がかかってしまい申し訳ありません。  また、まとめて返事を出す無礼を御許し下さい。 >>> 御二人へ      早速質問に答えていただき、有難うございます。     自分は、覚えが悪いので、御二人の方法と、「アリオン     の・・・」にあった方法を使って、います。      具体的には、外出しているときは、めるくさんの     方法で、家にいるときはアリオンの方法をつかいます。      ですが、昨日始めたばかりなので、何か感じる物は     あっても「俺はこういう奴なんだぜぇ」     なんて説明できません。けれどやってて楽しいです。            ・ 本分中の「アリオンの方法」とは、「アリオンの        世紀末書き込み寺」のP251、26行から32行        のことをさしています。 >>> スマルさんへ          「アリオンの・・・」と「カミ・コメ・ツチ・ヒト」      の二冊を買ってきました。上の文のように使っています。      幸せ感じてます・・・<−− 変な奴でしょ? >>> めるくさんへ      めるくさんの「自分を見る」方法は、ちょっとした時間      に考えることができ、便利ですね。ただ、考えた内容を      私は、忘れてしまうので少し不安です・・・      (だから、本当はめるくさんの様に考えた後、スマルさん       をまねてノートに写しておきたいのだが、難しいと       思ってしまう。)   最後に、わたしは自分を理解する(自分を知る)ことで、  自分以外の人も理解できるのかもしれないと思い、これを目標  に自分を理解して行くつもりです。今後もコメント等、よろしければ  どんどんアップしてやってください。                    以上、あっぷあっぷでした。 380/388 PDD03407 あっぷあっぷ 質も〜ん2 ( 7) 93/06/19 00:02 コメント数:2 こんばんわ >読んでくれているすべての生物に またも、おじゃまさせていただきます!!!  最近、自分は自分の中の「あまえ」について 考えています。辞書で調べると、「ねだったり、 じゃれたりすること」とありました。では、私は どのように感じているのか・・・ちょっと考えてみます ・「あまえ」には、以下の二つがあるとおもうのです      自分にあまえる   −> 自分のしたい事があっても、               その行為が面倒だったり、               難しいと感じた時、その行為自体を               やめてしまうこと。    自分以外にあまえる −> 自分のしたい事があっても、               それが、自分には無理だ、難しい               面倒だ、と思った時に、               その行為を自分以外の人に               やってもらおうとすること。  となります。私は以前の発言で「これってやっぱり、みんなに あまえているんだろうなぁ〜」などと書いていました。やはり、 「自分をみる」ことをみんなに代行してもらいたい。または、 みんなに私の「じぶんをみる」ことを手伝って欲しかったの だと思います。  今、私は非常に恥ずかしく思います。このことにもっと早く 気付いていれば、と情けない事を思ったりします。しかし、 このように、書き込みをしているのは、スマルさん、めるくさん のあたたかい書き込みのおかげです(反応がなかったら、もう 来なかったかもしれません。これ、ほんと)<−マダ、アマエテルミタイダ  けれども、私はこのような自分の「あまえ」を自分の中から 消し去ってしまいたいと考えています(心では、そう思って いない様だけれど・・・どうしたものか)  はいっ!!! ここで質問です。    1 みなさんは「あまえ」について、    どう思いますか。  2 「あまえ」は、無くすべきでしょうか  以上で今回の質問は終わりです。もしよろしければ返事ください ROMの人も気軽に、どんどん参加しようじゃありませんか! (ちょっと、心細いんです、実は・・・)  以上、あっぷあっぷでした。それでは、おやすみなさ〜い。 381/388 JBH00742 炎 三種の神器 ( 7) 93/06/19 00:05 コメント数:1        * 鏡について *    三種の神器には玉・鏡・剣のそれぞれがある。    (「器」は何度も繰り返すが、まず“玉”からである。)    ではそれらは単独でのみ使用が可能なのか。    ひょっとしたら併せて使用することは出来るのか。    例えば今日のハローメッセージにこうある。    「誰でも自分の後ろ姿は、鏡に映すことで見える」    これは鏡の使用方法の一例である。    ならば玉との組合せはどうなるのか。    玉を映し出すのは鏡ではないのか。                             炎 382/388 JBH00742 炎 動物、植物、そして鉱物 ( 7) 93/06/19 00:32      * 主観と客観 *    主観と客観は人間だけのものか。    それを人間だけのものということは傲慢ではないのか。    動物や植物に主観はないのか。    はたまた鉱物には主観はないのか。    果たしてARIONはどう言っているのか。    詩編でそのことに触れてるのか。    私は「触れている」と言う。    さて『至高の愛』の意味するところは…。                           炎 383/388 JBH00742 炎 恐れ多くも・・・ ( 7) 93/06/19 00:48      * 天皇を考える *    勉強中ではありますが…。    蘇我、藤原、平、源、北条、足利、織田、豊臣、徳川…。    彼らは奸臣、乱臣、逆臣だったのか。    では何に対する奸臣、乱臣、逆臣なのか。    そして天皇とは何か。    これは単なる歴史の勉強なのか。    これは「体系」を語るうえでの“比喩”であるとも考えれないか。    (「体系」については19番会議室で少し触れました。)                                炎 384/388 GBA01276 しまうま 僕も書くぞっ ( 7) 93/06/19 01:20  炎さんの#371に触発されて、書きます。  思うところを書いてみようかな、と。  実は今、酔ってます。けっこう。でももちろん、この発言に関する責任は全人格 的に負いますので、お願い。言わせてくださいね。  それから・・・これから書くことは、僕が「常日頃」思ってることではない、という こと。今、というか最近思ったこと、です。  僕はこのフォーラム、好きです。なんの先入観なしに見ても、いいとこだなと感 じる。  でもさ、みなさん、酔ってないですか? 自分に。すなわち内側に。  でもって、外側に対しては、耽ってるという気がする。  無論、程度の差はあるけど。  と言えば、僕も思い切り酔ってるし、耽ってます。これは正直な感じ。  もう、集団の中でそれぞれの幻想に酔ってるヒマはないよね、きっと。  以下は自分自身に対してのみ思うことだけど、なんとなく、書いてみます。  自分を「主人公」にしてしまわないこと。演技に酔わないこと。  感情を美化しないこと。「いつかかなう夢」に希望を托さないこと。  自分の価値観に重きをおかないこと。「自分は間違えている」という感覚を大切に。  そして「間違えている自分」を認め、なおかつ「何も感じない」でいること。  たゆまない、なまけない、そして把握する。  以上のことを実践している、また実践しようとしている自分の馬鹿さ加減に気づ いていること。                          しまうま 387/388 GBG02755 スマル 甘えるってこと。 ( 7) 93/06/19 10:05 380へのコメント あっぷあっぷさん、こんにちわ。 このテーマもむずかしいなあ。 私が考えていることなんだけどね。 甘えるにもいろいろあって、私は甘えることすべてを否定していないの。 してはいけない「甘える」こともあるけどね。 自分が本来すべきことを人に押しつけること、それは甘えるっていうんだけど、 それは、本当の意味の「甘える」のじゃないのね。 それは、「ずるける」ってことなのね。 で、「甘える」ってことはどういうことかって言うと、愛をもらうってこと。 勇気や、頑張ろうって気持ちや、励ましや、そういう気持ちを外から得るってこと。 子供は、本来自分で出来ることは自分でやってみたいのね。 それを母親が先にやってしまうと、子供はやる気を失って、ずるけることを 覚えてしまうの。でも、母親が、子供の気持ちだけ支えてやろうとすると、 もっと自分でやりたいって気持ちが膨らんで、自分で何でもやろうとするの。 そういうのを甘えさせると言うんだと思う。 だから、私はあっぷあっぷさんの励まし役は出来るけど、あなたの仕事までは 出来ない。そういう関係?甘えの関係ってのは、前向きで創造性があるって 思うんだけど。 ずるけることには否定するけど、甘えることはどんどんさせてやりたいって 母親やりながら思ってる。 で、とうぜん自分もそうやっている。 私はここにきて愚痴こぼして、ときどき誰かを励まして、甘えさせてもらってる。 こういう場所を得られたってことはすごい収穫だと思うんだよ。 自分のことは最後まで自分で責任を持つという姿勢と、ほんの少し、 誰かから、「アマ」をもらって生きているという姿勢ね。 人は一人で生まれて一人で死んで行くけど、誰かのささやかな励ましも 感じながら「生きている」のよね。 誰かってのは、人であることもあれば、花1輪のこともあるわけで、 甘えて生きている。 「アマ」を得たって思えるとき、自然と感謝しているわね。 幸せが心に広がって行く。 でも、ずるけたとき、情けなくなる。 そういう違いがあるんだと思うな。 以上、スマルの「甘える」でした。            きゃほほ、会えてうれしかったよ>あっぷあっぷさん - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/06/19 - 212/213 GGD02212 Soo 人間は何処まで理知的か (10) 93/06/18 21:37 200へのコメント <#200>私たちは自分の感情がどのあたりに由来するものなのかを確認する必要が >あるでしょう。他者に対する好悪、偏見、評価、こうしたものがどのよう >に形成されるのかを考えることも必要な場面があるように思われます。  かなり遅いRES.となりますが、以上のMWさんの発言に関連してコメントします。  人間は「好きか嫌いか」という主観的基準でなく、何処まで客観的に「正しいか 正しくないか」によって判断しているものなのか、ということを考察してみたい。  人間の心が本質的に主観的であるのは自明であると思われる。(だからといって 客観的判断を放棄する事や、主観のみに従って生きる事を正当化したいのではない。 むしろ客観的な判断を妨げる偏見や自己欺瞞を如何に克服すべきかを考えたい。) 好き嫌いを露骨にせず、努めて公正な判断をしようとする人でも、究極的には判断 の拠り所となるのは主観的感情ではないだろうか。そもそも客観性を尊重する人は、 客観的で有る事が主観的に好き、もしくは主観的なのが主観的に嫌いなのだ。  好きか嫌いかの判断の材料は、普遍的先験的なものから個人的経験に至るまで、 極めて多様であり、闇は孤独感を深めるから嫌いとか、ある程度は合理的に理解が 可能ではあっても、理性的な判断よりは生理的な快不快が絡んでいることが多い。 そして、その材料となるのは、直ちに想起しうる感情や感覚、記憶ばかりではなく、 無意識に沈んだものもあるはずで、その中には、フロイトの言うような抑圧された 心的外傷体験も有れば、ユングの言うような元型的イメージもあるかも知れない。  いかに科学的に実証され数式で記述された理論であっても、その理論の提唱者の 思想や主観的な嗜好の反映である。科学者は持論を支持する実験結果ばかり偏重し、 気に入らない理論や実験の誤謬の指摘に躍起になるものである。例えば、相対論を 唱えたアインシュタインは最期まで量子論を好まず、「神はサイコロを振らない」 宇宙は確率で記述されるべきではないと主張し、誤った思考実験を提示さえした。  自然科学ですらこうなのだから、社会科学はなおさらである。例えばマルクスの 理論の本音は果たして人類の開放を望む愛であったか、権力への怨恨であったか… いかなる理論の背後にも、そう主張せしめる衝動、情念のようなものがあるはずで、 理論を受容あるいは拒否する側にも、必ずしも理性に基づかない感情が絡んでいる はずである。このような主張をする筆者にも、ポジティヴあるいはネガティヴな、 何らかの感情があるからこそキーボードを叩いているわけである。 Soo. 213/213 GGD02212 Soo 夢にみれさんが出た (10) 93/06/19 06:58  今朝がたの夢。 紀伊半島にある(香奈川とかいう紛らわしい地名の)町。 山間にある神社で、みれさんが神事のようなものを行っている。お社に向かい 右手前のあたり、木と木との間に四角く結界のようなものを張り巡らせてあり、 声をあげ祝詞というか祈祷を始める。木陰から盗み見していた私には、彼女の 声の質やイントネーションが随分と奇妙に聞こえるが、真剣な様子で、どうも カミとカミのネットワークのようなものを深めるための行いらしかった。Soo. - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/06/19 - 384/384 GGA02514 KAZE ウィンズ (13) 93/06/19 00:36 381へのコメント 岳同さん、どうも。 確かに、このところ遊戯団も「凪」になっているようですね(^^;)。 いろいろな忙しさに加えて、この暑さと蒸し暑さのせいもあるかも。 自分としてはこれまでと同じくマイペースでやってるつもりですけど、 たまには、こんな「凪」もいいのかもしれませんね。 「凪」というので思いだしたのですが、 つい先日、僕のハンドルネームのような「ウィンズ」(風(^^))という 映画の試写会に行ってきました。 会社のクライアントの主催するものでしたので、 サクラというわけだったのですが・・・。 ヨットのレースをテーマとした至極単純なストーリーのものだったのですが、 それなりに楽しめる娯楽映画でした。 その中の「凪」のシーンで、対戦相手と海の上で にらみあいながらだれてるところがあったのですが、 そんな「凪」からでも、わずかな「風」をキャッチして、 相手に一歩先んずることが大切だということを感じさせるところがありました。 「凪」のときのスタンスというのも大事なのだなあ、と思いました。 また、他の興味深いシーンに、「相手の風を盗む」(^^;)というのもありました。 ヨットのレースでは、「風」をできるだけ多く受けるということが、 もっとも大切なことで、対戦相手との「風」の盗みあいのかけ引きが、 勝利への重要なキーになっているようでした。 映画の話しはともかく、僕の方は、先日来の「凪」に、 ここしばらくの間に自分なりに考えてきたことなどを振り返ったり、 最近あまり読んでない類の本を読んだり、 それから、まだ訳されてないシュタイナーの書籍の中から、 いくつか重要なテーマのものを訳してみようかと思い、少しずつ訳しはじめています。 このシュタイナーの翻訳というのは、 この会議室がオープンしたときからの課題のひとつで、 いつかはスタートしなけりゃと思っていたのですが、 やっとなんとか少しは進みそうです(^^)。 ま、なれないドイツ語で、訳もこなれないままではありますが、 少しずつこの部屋にでもUPしていこうかな、とも考えています。 シュタイナーは1925年に亡くなってますから、 死後50年という著作権の問題もあまりないようですので。 >核になるのは、内的な生命力で、そのエネルギーが充実しておれば >その場その場に応じて己が己の主宰になれるのだと思います。 >生命力と言うと日の出の太陽を思い出しますが、 >あんな存在が理想だと思っています。 そうですね、そんなありかた、理想ですね。 それとある部分で共通するありかたというのは、 東洋では特に重要なありかたとされている 「愚」や「素」ということでもあるように思えます。 それについては、先日買いこんだ安岡正篤さんの 「三国志と人間学」(福村出版会)に非常に納得のいく説明がありました。 東洋では、愚だとか、素だとか、樸(ぼく)だとか、拙だとか、こういう人間 内容を非常に尊重します。近代的末梢化、つまり人間として枝葉末節に走るこ とを厭うからです。人間はより多く生命、すなわち実在の根本を守ろうとしま す。枝となり、花となり、実となり、葉となるような末梢化を避けて、より多 く幹となり根となって、常に全体性、永遠性、無限の創造性を尊重し、それを 体現しようとします。愚、素、樸、拙などは、こういう思想信念、したがって 見識、風格を表す言葉なのです。 太陽という与えきりの存在というのは、 考えてみれば、もっとも「素」になりきっていますよね。 僕もそんな「素」であり、「愚」であるような「風」を目指して、 日々、「実在の根本」に根を張って生きていきたいなと思っています。 「凪」のとき、「風」はいったい何を考えているんだろうか、 なんて、映画をみながらぼんやり考えていたKAZEでした。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/19 - 752/756 GCC01413 HVHY 外に目を向けよ! (14) 93/06/18 21:54             〜 いろいろなニュース 〜  北朝鮮がミサイルの試射をしたことは既に報じられた。  その続きに当たる情報を書いておこう。    国際軍事筋は16日、5月29日に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が    日本海に向けて行ったミサイル発射実験について、実験直後に    米・ロシア両国の軍事当局が接触していたことを明らかにした。    同筋によると「労働1号」とみられるミサイル発射を    米軍事偵察衛星がキャッチ、情報の分析を米軍当局が開始した。    ほぼ同じころロシアの軍事衛星もミサイル発射をとらえ、    カムチャッカのレーダーサイトで調査を始めたという。    その後、米・ロシア軍事当局者が接触し、    情報の分析・判断などについて意見を交換したとしている。  国際軍事筋ということで、ニュース・ソースがはっきりしない。  さて、日本が北朝鮮ミサイル試射の情報を知ったのは、  確かアメリカ経由だったと思う。(※6月に入ってからのはず…)  つまり、日本にとって極めて身近な事柄に関する情報を、  日本はダイレクトに取る力がないどころか、  アメリカとロシアはこの情報を持ち寄って仲良く分析・検討していた。  これは一体どういうことになっているのか?  (※イリジウム計画など持ち出すまでもなく現在ですら“こう”なのだ!)                                 HVHY 753/756 GCC01413 HVHY 「夢」か?「幻」か? (14) 93/06/18 22:50 コメント数:1              〜 飾り付きの夢 〜             「夢」は確かに与えられた。             然して…、その「夢」には、             「飾り」が付いていると言う。             いったい何を指しているのか?                      HVHY 754/756 GCC01413 HVHY 「夢」の“表裏” (14) 93/06/18 23:18               〜 ニュースの焦点 〜    新ラウンドは秋には農産物の関税化問題に決着をつける方向に動いており、   日本も政治決断を迫られる可能性が大きい。そのときに政府・与党の体制が   不安定であれば「交渉に臨む方針が決まらなくなる」(政府筋)。    焦点のコメ開放問題では、農林族幹部の羽田孜前蔵相の解散をめぐる動向   がポイントになりそう。羽田氏が自民党を去った場合、「自民党内にまとめ   役がいなくなる」(農水省幹部)ことになり、開放絶対反対派と開放容認派   の調整がつかなくなる可能性が出てくる。    東京サミットにおいても、解散中の場合は、宮沢首相の議長としての権威   は著しく低下し、事実上、日本は「カヤの外」という事態にもなりかねない。   新聞は淡々とこのように報じているが、「カヤの外」では困ってしまうぞよ!                                 HVHY 755/756 QFH02012 アラミス RE:「夢」か?「幻」か? (14) 93/06/19 00:39 753へのコメント >>617 夢を辿る者に「飾り付きの夢」が提示される。 まぬけな事に私はこのMSGを憶えていたが日にちを勘違いしていた為に17日 の夢を注意していなかった・・・(見た様な気もするが、憶えていない) このMSGは他のものに較べると最もわかりにくく意味が不明である。 さて、ここで言う夢とはどの「夢」を指すのか? 飾り付きの夢とは? 又飾りが付く事は何を意味するのか? 756/756 GCC01413 HVHY 政策不在? (14) 93/06/19 11:26         〜 何を改革するのか? 〜      改革派は改革派で良いだろう。      現在、「改革」と言えば、 *腐敗防止                   *選挙制度                   *政界再編      これらの観点に話題が集中している。      これらは全て“政治の枠組”の話であって、      “政治の中身”に関する話ではない。       ・「枠組」>>>「機能論・組織論」       ・「中身」>>>「実態論・運用論」      “政治の枠組”はもちろん大切である。      しかし、「改革」の論点が、      「枠組」に留まっているのは不思議だ。      例えば、国際貢献について、          農業問題について、          市場政策について、          改憲論議について、      それぞれの改革派はどう考えるのか?      「改革」という言葉のイメージ…。      それだけに流されては何にもならない。                     HVHY - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/06/19 - 340/340 TBE03167 ねずみ RE:つまんないこと言ってごめん。 (17) 93/06/19 01:02 336へのコメント #336 こちらこそ失礼いたしました > しんちゃん様 一番悪いのは私ではないか、とつらつら考えているところなのです。 よく考えてみれば、私のとった行動というのは、一見正義の味方を装いながら、実は 単に私怨をはらしていただけのことなのですね。 私から私怨をはらされた方だって、その発言の動機としては、戦争に反対しようとす る誠意が根底にあったはずです。 ただ、そこにたまたまあった、ささいな論理的欠陥を私がめざとく見つけて、それを わざと大声であたりにふれまわることで、彼をいかにも悪者のように見せかけ、私が 正義の味方であるかのような印象を周囲に与えようとしていただけなのではないでしょ うか。(ただ、それはほとんど無意識からでた行動なのですが)。 正義とは往々にして錯覚の産物のように思います。 万物は流転する。 人間なんてものは正義も悪もなくみな似たようなものではないのかと私には思えてな らないのです。 絶対に矛盾のない論理などない、もしくはあったとしても、そこに到達するまでには 様々な失敗を経なければならないように私には思えます。 失敗を乗り越えていかねば、そこへたどり着けないのなら、恐れず失敗することこそ が本当の誠意であると言ってもいい状況もあるのではないでしょうか。(詭弁で申し 上げているのではありません)。 ならば、私は、失敗した人をさらに陥れるのではなく、そこから助けだすような行動 をとるべきだったのです。 それをしなかったが故に、私は悪い人間なのです。 さて、この訳の分からない論理は、戦争肯定論者にも案外あてはまるのかも知れませ ん。 つまり、彼らが戦争を肯定しようとする動機としては、「もし、実際に日本が戦争に 巻き込まれたとき、日本が丸腰でいたら、日本はすぐに負けるだろう。それを回避す るためには、今のうちに憲法を改正して、正規の軍隊を作り、軍事大国にしておく必 要がある。それがもっとも愛国的行為であり正義なのだ」と考えているのではないで しょうか。 戦争肯定論者も、彼らなりの正義の信念からそのような発言をしているのだから、そ れに対して、否定論者が「お前の言っていることは悪だ!! お前は社会の害虫だ!!  死んじまえ、馬鹿野郎!!」と決めつけても何ら効果がないわけです。 むしろ、戦争をすることがなぜいけないことなのか順に説明していく努力というもの が重要でしょう。例をあげます。 1.もし、戦争になれば、あなたやあなたの愛する者が殺されるかもしれない。 2.日本は国土が狭いので、現在の近代兵器の前では、数分で滅ぼされる可能性   もある。 3.日本は貿易によって成り立つ国家である。戦争で貿易が阻害された場合には   かんたんに滅びる運命にある。 4.貿易が停止した場合、食糧自給率の低い日本を兵糧攻めにすることは簡単だ。 などの論拠を挙げれば、日本が軍備拡張をすることの無意味さを理解させることがで きるのではないでしょうか。もし、彼らが理解できなかったとしても、彼らに同調す る人間を減少させる効果ぐらいは期待できるでしょう。 要は、日本が戦争をしてはならないというのは、恣意的な正義の味方的精神論による ものではなく、それ以外採るべき手段がないからなのだ、というふうに説明すれば話 は比較的簡単に決着がつくように思います。 そして、それでもなお、外国から侵略される恐怖が捨て切れないと彼らが言うのであ れば、それは諸国の友好関係を緊密にし、共生関係を高めるという方法によって戦争 を回避することの方が合理的なのだと説明すればよいと思います。 結局、つきつめていけば、戦争などというものは、誰も好きで行う人はいないのであっ て、戦争を積極的に肯定している人にしたって、よく話をしてみれば、それは案外思 い込みの産物である可能性が高いように見受けられます。だから、恐れず充分につっ こんで話をすれば、反戦論が勝つのは自明ではないでしょうか。 コツは揚足取りをせず、本質論で攻めることにあるような気がしています。 訳の分からないことばかり言ってすみません。 - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/06/20 - 00321/00338 KFC03006 PONNNO はじめまして、初回から大ボケPONNNOでーす ( 2) 93/06/19 14:10 コメント数:3  はじめまして、PONNNOと言います。私自身のプロフィールについては、申し訳  ありませんが、PRコマンドを参照ください。(その方が私の本性が分かり易い  と思いますので・・・)  こちらのFARIONに入会するきっかけはと言いますと、ほぼ100%興味本位で  して(^.^;)(うーんこんなことを書いたら袋叩きに会いそうだ。)パソコン通  信誌でこちらのフォーラムの「バトルのお部屋」の紹介があったのを思い出し  て観戦に来た次第ですが、どこだどこだ・・・?おやーーーー???(笑)  ひょっとしてこれが[聞いてないよ状態]でしょうか?(笑)  「ほけーーー」  「ま、いいかあ。他に面白そうな会議室あるし、覗いてこよー」  こんな私ですがどうぞよろしく。          ID KFC03006  PONNNOでした。 00323/00338 GBD03557 シゲ PONNNO さん、いらさい ( 2) 93/06/19 16:36 00321へのコメント コメント数:1 「バトルの部屋」残念でした。例のパソ通誌が発売される以前になくなったんですよ。 まぁ、僕には無縁の部屋でしたが。キッパリ と、まぁ、PROF 拝見させてもらって、獅子座のO型ということでレスしてしまい ました。(当然僕も獅子座のO型。しかし年齢は18歳だから僕の方が若い) と、いうことで、書き込み、及び、PROF、獅子座のO型ということで貴女の性格は だいたいお察しすることは出来ました。 純真で、シャイで、しかし、脳天気な貴女にはここFARIONはとても居心地の よい場所になるでしょう。 何でかって? それは怖くて僕の口からは言えません。(^^;) 誰だっ!そこで笑ってるのわっ! 嘘吐き シゲ 00324/00338 MHF01607 える いらっしゃ〜い>PONNNO ( 2) 93/06/19 16:51 00321へのコメント  はじめまして☆  きゃほほいっ てなノリでんな〜(^◇^;) あんさんのPROFILE じっくり読ませて、わらかせて頂きましただ(^▽^; おかげで読んだ後も わたくしの いつものお上品な言葉遣いに後遺症が・・・。。。(ジョークラッテバァ)  100パーセント興味本意で結構結構、大歓迎でしゅ☆ 私だって去年の今頃 興味本意どころか、暇潰しに入会したよーなもんだ(きっかけはシスオペさんと 別フォーラムのオフでお隣に座って、印象が超強烈だったからだけども(^_^;))。  バトルの部屋は5月始めのフォーラム一斉リニューアルで、無くなったけど その代わり(?)19番に新しい会議室もお目見えしてますんで、遊んでってちょ☆                        MHF01607 えるっ 00325/00338 HFE02615 伊達邦彦 RE:ドッペルゲンガー ( 2) 93/06/19 18:04 00322へのコメント コメント数:1 RE:お返事ありがとう。 ふーむ。ドラッグですか。私のはひょっとしてですね、 トラウマかもしれないとも思うです。私が生まれる前に「兄」になる ハズの赤ん坊がなくなってまして。 しかし、取りつかれているのは「少女」のドッペルゲンガーなんです。 少女が自分と同じ姿かたちをしたもうひとりの自分と一緒にいる 情景が頭に浮かぶといいますか、まあ、妄想するわけです。 妄想が高じて「ドッペルゲンガーもの」のビデオやなんかも 作ってしまっています。 ヘンタイではないよ/伊達邦彦 00327/00338 QGA00162 香貫花mam 会議室オープン中止のお詫び。 ( 2) 93/06/19 18:16 FARIONへアクセスしているみなさまへ。 こんなにスケジュールがおしせまって、とてもとても申し訳ないのだけれど 会議室のボードオペができなくなってしまいました。 実は突然、とてつもなくでかい個人的トラブルをかかえこんでしまって そちらへ集中せざるをえない状況になっています。 自分から言い出しておいて、とてもとても心が痛むのだけれど、はじまった とたんに放り出すよりはまだマシかしら、ということで、直前のキャンセル お願いをすることにしました。ほんとうに、ごめんね。 会議室を楽しみにしていてくださったみなさまには、お詫びのしようもないと 思っています。ちょっと私の手には余るトラブルなので、そちらに全精力を 費やしたく、会議室のオープンは中止とさせていただきます。 個人的なわがままを申し上げてとてもとてももうしわけありません。 事情の許すかぎり、通信そのものは続けていきたいとおもっておりますので どこかで出会った場合は、ぜひお声をかけてくださいませ。  暑い日と肌寒い日が交互にやってきています。 風邪などひかれませんよう、ご自愛ください。 香貫花mam 00332/00338 GFE01205 テラ(寺園) はじめまして、よろしくお願いします。 ( 2) 93/06/19 23:19 コメント数:1 はじめまして、39才の酔っぱらいの独身男性です。 学生のころは、哲学を専攻していました。 3年位前、まじめに1999年ハルマゲドン説を信じて、酒、煙草を止め、まじめ に、労働していました。ちょっと、ものみの塔の人と接触していた影響とバブル経済 の影響だったのかな。一昔前のピューリタンのつもりで、しん言と新約聖書を読んで いました。  2年前から、仕事が、暇になり、学生時代読み残してていた哲学書を読んでいたの ですが(半分は、キルケゴール著作集です。どちらかというと、左翼系シンパだった 私には、この哲学者の本を読み進める勇気がなかった。勇気と言うより、学生時代、 聖書も読んでいなかったので、とにかく、やばさを感じてしまった。こんな本読んで しまったら、青春を謳歌できない。)、とにかく、もう一度しっかり、考え直さなく てはならない。金しだいで、自分の意見さえ、代わりかねない。(思想は、金に強い のですが、宗教は、今の世の中では金によわい。)  13、4年前、ちょとした霊的体験をして、一年位、統一教会のお世話になり、何 とかサラリーマンしています。(その前、創価学会のお世話にも、なっているのです が・・)11年間、労働してきたもので、今更、自分のことを、人間の屑だなどとは 思っていません。昔は、死ぬ事をよく考えていたのですが・・・・。  ユングとか、フロイトとかが、話題になっているようですが、若いころは、ユング の方が好きだったのですが、今は、フロイトの方が、好きです。だからといって、天 皇制廃止論者ではありません。  どなたか、私に興味をもってくれれば、幸いです。  ギガの上のテラ、アブラハムの父テラ、地球のテラ (GFE01205)  若い人(精神的に)、特定の政党・教団に属していない人なら、もし、メールを貰 えれば、まじめに返答します。  よろしく。 00338/00338 GDB00064 オリハル RE:お〜い、お二人さん! ( 2) 93/06/20 00:35 00314へのコメント 遊技連絡 −−−> 炎さんの#3/14へRES GCA00301の人は、 2766番の「坂本冬美」さんです。 「富士 朝日」さんという名前も、面白いですね。 ARIONがおっしゃったことが現実になってきたのかな。                     オリハル - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/06/20 - 01147/01147 GBD03557 シゲ RE:向い合えば、光が! ( 6) 93/06/19 20:12 01144へのコメント スマルちゃ 世の中に偶然はな〜〜〜い!っていうのはシゲの常識でもありまして、 自分に都合の悪いときだけ偶然ですましてしまいます。(^^;) で、酔っ払っててなんだかよくわからない状態なんですが、 戦いこそ人生最大の遊びなんですが、その駆け引きを楽しまなくてはなりません。 と、いうのは理性で押さえてる言葉なんですが、 戦いは経過はどうあれ勝てばいいのです。 戦いにフェアもアンフェアもないのです。勝てばいい。 遊びの要素を交ぜることが敵に隙をみせることにつながります。 つまり実生活に於いて戦いの場は常にある訳ではありませんが、 戦いに縺れ込んだ場合には細心の注意をはらって挑め・・ということ。 家族を・・愛する人々を守るために if は許されないんです。 塗装のピンホールから見えない所で錆が広がるように、 ほんの小さな事がゆくゆくの敗北につながります。 好戦的・・・僕は否定します。 なんでも戦いに持ち込めばいいというもんでもありません。 そこは駆け引きです。無理に戦いに持ち込む必要はありません。 出来ることなら戦いは避けるべきです。 しかし、万が一戦いになったとき、尽力をつくして戦います。 その為の日々の細心の注意をはらった行動であり、 心と身体のメンテナンスリハビリなんです。 「いざ」というとき動き、勝てばいい・・・ それが僕の流儀です。 シゲ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/06/20 - 389/391 GBD03557 シゲ 甘えること。注:長文 ( 7) 93/06/19 14:39 380へのコメント >あっぷあっぷ サン (長いから以下”あっぷさん”とさせてね) □一般的に辞書で定義されてる「甘える」っていうのは、あっぷさんの言うところの 「自分以外に甘える」なんだと思います。 ■僕自身の言葉に置き換えると、「愛情や好意に頼りきってしまうこと」と、いった とこでしょうか。 □ちょい僕は口が悪いんでそれを許してもらうとして書かせてもらうと、あっぷさんの 言う「自分に甘える」っていうのは論外なんじゃないかと思ってる訳です。 ■自分に甘えてしまった結果っていうのは、例えば塞ぎ込んでしまうことであったり、 現実逃避してしまうことであったりと、色々あると思います。 □つまり前に踏み出せない状態です。後ずさりしてしまうかもしれません。 □もちろん、生きている以上傷つき塞ぎ込んだりするときもあります。でも僕は常に 前を向いていたい。だから前に踏み出せないでいるときは激しい自己嫌悪に陥ったり します。それでも踏み出します。踏み出さなくちゃいけないんです。 ■だから、自分に甘えることは論外なんです。 □次にあっぷさん言うところの「自分以外に甘える」です。 □これが僕の考えるところの「自分に甘えてる」状態でしょう。 ■他人に甘えてるんだけど、利益を被る(得する、楽する etc.)のは自分なんですから これこそが自分に甘えてる状態。#387でのスマルさんの「ずるける」(標準語ではない ような・・・?>スマル)とか、#388の維/YUIさんの「なまけ」なんでしょう。 ■こういう状態は堕ちるとこまで堕ちてしまうもんです。 □とするとあっぷさんが書いてない甘え、僕が思うところの「自分以外に甘える」が あるのは想像に易いですね。 ■これはスマルさんが書いてくれてますので関連してることを後述しますがここで 書く必要はないでしょう。 : となります。私は以前の発言で「これってやっぱり、みんなに :あまえているんだろうなぁ〜」などと書いていました。やはり、 :「自分をみる」ことをみんなに代行してもらいたい。または、 :みんなに私の「じぶんをみる」ことを手伝って欲しかったの :だと思います。 □例えばそれを甘えとするならば、その甘えは構わないのではないでしょうか。 ■パソ通っていうのは相互扶助の場でもあると思います。例えば情報交換しかり。 まぁ、ここ FARION っていうのは NIF の FORUM でも異色の場だから情報の交換 っていうのはもしかしたら比較的少ないのかもしれません。 ■今この状態で言うならば、あっぷさんが自分をみることに対してのレスを返した (参考になったかどうかは別としても)スマルさん、維/YUIさん、僕にしても あっぷさんのアーティクルが、それぞれ「もう一度自分をみつめること」の問いかけ になってる筈です。だからこれも相互扶助であっぷさんに感謝してる出来事です。 □で、前述の他人に甘えるに絡めて #387 スマルさんのレスより :覚えてしまうの。でも、母親が、子供の気持ちだけ支えてやろうとすると、 :もっと自分でやりたいって気持ちが膨らんで、自分で何でもやろうとするの。 :そういうのを甘えさせると言うんだと思う。 □ここで察するにお母さんは子供に「気持ちを支えてやる」という「場」を与えて います。 □僕は自分の婚約者に「もっと甘えていいんだよ」って言ったことがあります。 だけど「甘えられる場」まではつくってあげませんでした。 #388 維/YUIさんのレスより :  ありますよね。 たしか一番はじめのところで、社会のなかで戦ってきた :  人達が、しばしその部屋で愚痴ってみたり、くつろいでみたりして、元気に :  なってまた社会へとでていく・・・みたいなことが書いてあったと思うのです :  けれど、 そういうことが、なくしてはいけない”あまえ”なのではないかと :  思います。 ・・ □例えば、もしも自分の婚約者が、戦いに本当に疲れたとき、深く傷ついたとき、 そんな時は僕自身が「甘えられる場」「安らげる場」をつくってあげることでしょう。 ■しかし、自らが恋人の許に「場」をつくっていく事が大切なんじゃないかと思い、 僕は婚約者の為に「場」をつくらなかった。 ■つまり「場」をつくろうとする気持ちを支えてやることです。 ■結局、ここでも回帰するのはスマルさんの言うことと同じです。 ・・・それが甘えで、その甘えを受け取ることは大切なんじゃないかな・・・ っていうのが僕の考え方です。 ■最後になりましたが、甘えを消し去ることって、とても寂しいことじゃないですか? 甘えも人間が生きて行くことの大切な要素だと思います。 □おまけ。 ■アキラさんに「オフ連れてってよぉ〜〜!」って言うのは「甘え」を通り越して こりゃ「わがまま」だね。はんせーいっ!(-_-;) (^^;)(^^;)(^^;) シゲ 391/391 KFD00473 たまご RE:質も〜ん2 ( 7) 93/06/20 00:01 380へのコメント  >>>>あっぷあっぷ さん  二つの質問の答えを併せてわたしなりの考えをちょびっとお話しさせていただき ますです.(^_^;) ●“自分を見る”こと,これは誰に手伝ってもらっても,どんなやり方をしてもい いと思います.難しい作業ですからね.(具体的なやり方はすでにスマルさん他の アップがあったので省略(^_^;))  しかし,その結果をとらえる時に甘えてはだめです.厳しく見つめないと何にも なりません.また,厳しくあるためには,自分が本当にそうしたいと思っていない とできないことだと思います.というのは,なまけ心はきびしい心にたいていの場 合勝ってしまいますから,これはもう,自分が本当にしたくて,どうしてもそうあ りたいときでなければ,そうならない訳です.  では,自分がそうありたいのに,そうできない,しないのはどういう事か.  これはもうズルイと言うしか仕方ありません.(^_^;)   やりたい   >> やる   やりたくない >> やらない  基本的にはこういう簡単な構図を思い浮かべていただければいいでしょう.  だが,しかし,世の中はそんなに甘くない.やりたいのに出来ない,やりたくな いのにやらなければならないという状況がありましょう.  このとき,自分は“ホントウ”はどうなのか?  これをしっかり見つめるのがまた“自分を見る”ことでしょう.  自分が本当にやりたいのなら,万難を排してもやるであろうし,また逆に本当に やりたくないならやらないといいのです.  (以上がまず最初の一歩!!) ●さて,そうなると“あまえ”ですが,あっぷあっぷさんのおっしゃるような“あ まえ”は,ズルなのです.自分がやらなければいけないことは,あくまで自分でや らなくてはいけませんから.そして,それが自分が出した答えならなおさらです.  しかし,人間は辛いとき,悲しいとき,ダメだと思ってしまうときは,必ずある でしょう.そんなときは,“甘え”ちゃうのが一番です.  “休息”と言った方がより適切かもしれません.  再び活力を得るために,上手に甘えるなら,それは可としたらよいのですよ.  がんばってくださいね.        たまご - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/06/20 - 385/388 VFB03236 ゆずり RE:ご結婚の儀 (13) 93/06/19 16:49 373へのコメント コメント数:1  岳同さん,KAZEさん,みなさま,お久しぶりです.  先月末に書き込みをして「よし,頑張って勉強するゾ」と  意気込んでいたのですが,それから体調が優れず,  MACの前に座るのがおっくうで仕方なくなりました.  なんでこんなに体調が悪いのかと自分でも訝っていたのですが,  妊娠してたんです.  このあいだ,岳同さんとKAZEさんの間で「女性の肉体の神秘」みたいな  話題が出ていましたが,わたしは今それを実感しています.  わたしの場合には「神秘的」っていう感じじゃなくて  「カエルの観察」に近いんじゃないかと思うけど.  まあ,自分自身の体の変化や成長を「神秘的だ」と思うのは  そうとうナルシスト(ロマンチスト?)かも知れないですね.  だから普通,変化の渦中にいる女性は神秘的なことを「カエルの観察」の  ようにとらえたりしていて,  女性が妙に現実的だったりするのは,こんなことも原因なのかも.  でも,本当は神秘的なことなんでしょうね.  わたしはタバコもコーヒーもファミコンも大好きだったのに,  いまは全然する気になりません.添加物がたくさん入った食品や,魚肉  ソーセージ,塩分の強い食品も大好きだったのに,これもダメです.  体が受け付けてくれないんです.  KAZEさんがおっしゃるように憑依状態だとすると,操られているような  気がします.決して自分の意志でこれらのことを自制できてるとは  思えませんもの.  でも,タバコやめたのなんてちっとも神秘的じゃないか・・・・ははは.  ほんじゃま,そういうことで自分のコトばかり書いて恐縮なんですが  岳同さん,KAZEさんにご報告まで. 386/388 VFB03236 ゆずり RE:おっとりした娘の事など (13) 93/06/19 18:49 383へのコメント  隆ちゃん,こんにちは.  また聞きなのですが「書道家の娘が小学校に入学して,漢字の書き順が  ぜんぜん違っていたので漢字のテストが0点だった」という話を聞いて  「ああ,かわいそうに」と思わずにはいられませんでした.  彼女は「中」という漢字を,くるっと円を描くように書いてからスッー  っと中心線を書くというような,親と同じ自由な表現をしていただけな  のに,0点という評価になってしまうんですね.  先生はその採点方法が必ずしも正しいとは思っていなくても,  それを5点にするとか,そういうことはなかなかできないのでしょうね.  行政という単位で考えてみると,ある程度規格化された評価しか用意で  きないのは仕方のないことだと思います.  やはり最終的には親が「学校の下す評価は,あなたの人格を評価してい  るものではない,部分的なものでしかないのよ」という気持ちと信念を  持っていること,そしてその考え方を家の中だけではなく,他者に対し  ても恥ずかしがることなくきちんと表明できることなどが  大切なのではないかと思います.  そういう時に「意志の力」「感情の力」「思考の力」なども大切だと  教えてくれるシュタイナーは親にとっても支えになるように思います.  また人間の能力分類で「知性・理性・感性・悟性」という分け方がある  そうです.これで見たら,学術的な知性は人間の能力の1/4でしか  ないんですよね.    自分が規格に合わない,評価してもらえない,というような悲しみは  どんな子供であれ,多かれ少なかれいつかは経験すると思いますし,  その悲しみはいい経験になるのでしょうけれど,  親として「学校の評価は部分的なもの」という姿勢を見せてあげられた  らいいなあと,わたしは思っています.  ・・・というのは今の所の理想論で,  実は今お腹にいるのが第一子なので,育てた経験はなく,実際には  いろいろ悩んだりするだろうな〜と思います.  隆ちゃんのお話にはふたりのお嬢さんのことが出てくるので,  とってもとっても楽しみなんです.  今日はママ予備軍として理想家肌のことを書きましたけれども,  ほんとうは「もし自分と似てるのが出てきたらどうしよう」と  ビクビクしてるのが現実です.  隆ちゃんのお嬢さんたちはどちらに似てるんですか? 387/388 MHD02672 TAO 生成するいのち (13) 93/06/19 21:53 385へのコメント  >ゆずりさん  初めまして。先日初めていらっしゃった時、歓迎レスをつけられなくて  失礼致しました。かっては副長なぞやっていましたが、今はちらほらとしか  顔を出さないTAOと申します。ドウゾ ヨロシク  ご懐妊された(^^)とのことですが、妊娠、出産という体験だけはどうしても  男には不可能な領域ですから、想像だけでしか言及出来ないのですけれども、  女性というのは、自らの体内で「いのち」が生成して行くのを“体験しうる”  存在ですね。男性は、女性の身体に妊娠という現象を引き起こすトリガーでは  ありますが、自分自身とは別な“異なる生命”が自分の体内で育つのを、正に  「リアルな」感覚で感じ取るというのは、男性にはどうしても想像しがたい  ですね。  …それだけに、男性は女性の生理を神秘的に感じたりするのかもしれませんね。  ゆずりさん自身にとっては「カエルの観察」って感じということですが(^^;)、  当事者にとってはそんなものなのかも。  身体感覚が鋭敏になって、食物に敏感になったということですが、私の周囲の  妊婦さんたちも同様なことを言っていられますね。現在の日本の食糧事情は  かなり荒廃しているものがありますが、胎児の生物としての自己防衛機能が  母体と無意識的に共謀して、出来得る限り汚染されないようにコントロール  しているのかも。それを憑依状態に近いと形容するのもむべなるかな、ですね。  祥伝社から「胎児は見ている−最新医学が証した神秘の胎内生活」(トマス・  ヴァーニー著、小林登訳)という本が出ていますが、実に興味深い内容です  から、もしご未読でしたら、是非目を通してみて下さい。意識が無いように  見える胎児にも、特異な“精神生活”が存在するという可能性を模索し、その  神秘性を探求している好書です。 私は独身だし、将来の配偶者に会えるかも分からないので(^^;)、あまり縁が  ない話なのでありますが(トホホ)、女性の胎内で「いのち」が生成して行くと  いうのは、やはり最も身近な“神秘”なのかもしれませんね。FARIONにも  結婚を控えているカップルが何組かいるのでありますが(^^)、果たして、来年  何人生まれることやら。(オギャ オギャ オギャ) なにやら話がとりとめなくなって  まいりましたので、これにて。  TAO 388/388 GGA02514 KAZE 鎮守の森のことなど (13) 93/06/19 21:55 383へのコメント 隆ちゃん、どうも。 世の中は衆議院の解散、総選挙でいろいろ大変そうですし、 新聞によれば、昨年のGNPの成長率は0.8%とかいう戦後2番目の低さだとか。 おそらく、今の世界情勢などをどうひいきめに見ても、 これからますます世の中は、混乱していくのだろうと、 少し暗い気持ちになったりもしているのですが、 一番気になるのが、これだけ自然破壊や人間の精神の破壊的状況が進行しているのに、 職場にいる人間などを眺めてみると、まだ相変わらずの鈍感さで、 このまま見せかけの平和がずっと続いていくかのように感じているらしいことで、 これが腹をくくったのんびりでは決してないところが、悲しいです。 いろんな予言などにあるように、世紀末にポールシフトなどがあったりして、 大陸が沈んだり、地震、津波などが起こったとして、 そのときにそういう方々は何を感じるのだろうか、なんて考えたりすると、 何とかしないといけない、なんて切迫した気分になるのですが、 ほんとうにやれやれの93年も、やっと前半戦が終わろうとしていますね。 人の意識というのは、妙な慣性の法則が働いてというか、 自分の理解できないところは耳をふさいでしまうという 悪しき怠惰を常としているようで、 そのためにも、何か大事が起こらざるを得ないということなのでしょうか。 ま、できるだけ暗い気持ちにならないで、 明るい前向きの姿勢でこの世紀末を風のように吹いていきたいものです。 >神社というのは気持ちの良いところがたくさんあって、我々夫婦は神社仏閣めぐり >が好きなのですが、あの気持ち良さは自然に作られていると思っていました。それ >なりの考慮がなされているんですね。 神社というのは、もちろんいろんなタイプがありはするものの、 基本的に「鎮守の森」ということで、産土神や氏神を祭る神社とその境内には、 縄文的な自然がちゃんと残されているんですよね。 そうした神の宿ることのできる場所を確保し、 しかもそこにかなり意味のある配置をおこなっているのは確かでしょう。 最近とみに注目されている南方熊楠は、明治政府の神社合祀令に反対して、 「神社合併反対意見」を書いたりして、鎮守の森が失われていこうとすることに、 ことあるごとに大反対していましたが、以前にもご紹介したことがあるように、 熊楠は、単に自然破壊の反対、つまり生態のエコロジーという意味だけで それをおこなったのではなく、人間の主観性の生存条件としての精神のエコロジーや 社会生活の条件としての社会のエコロジーという、非常に注目すべき視点で、 鎮守の森を守ろうとしたのだそうです。 これについては、中沢新一さんの「森のバロック」に紹介されているとおりです。 ちなみに、ちょっと前に僕の住んでる愛媛県の主な神社と鎮守の森を まとめて紹介してある本が出版されまして、さっそく買いこんでしまったのですが、 やはり自分の住んでいるところの自然と精神の重要なキーポイントとしての 神社という視点というのは、とっても大切なのではないかと思います。 その本に紹介されてるのだけを見ても、鎮守の森には、 もうその場所にしか残っていないような植物などもたくさんあるようで、 これからもそんな鎮守の森をなくさないようにしなけりゃなあ、と思う事しきりです。 現在、日本の森林率は67%で、世界の文明国を称する国のなかでは、 圧倒的に森林が国中を埋めているといってもいいそうなのだそうです。 おとなりの中国なんかは、森林率が10%程度といいますし、 日本の森林の内、自然林が54%も残っているということですから、すごいですよね。 梅原猛さんの講演録に「『森の思想』が人類を救う」(小学館)というのがありますが それによると、日本の神道にはもともと神殿はなく、森そのものが神であり、 また森の高い木に神そのものが降りてくると考えられていたりしたようで、 日本の森羅万象に対する伝統的なスタンスというのは、 これからもう一度再認識していかなければならないのだろうな、と思います。 >わかるという事は確かに「光明」なのですが、だからといってわからないのが「無 >明」なのではない。わからない事を自覚しない自分こそが「無明」なのであって、 >わからない事があるのは「光明」へのステップなのではなかろうかと最近・・・思 >うようになりました。 それは結局、「無知の知」ということなんでしょうね。 いろいろつきつめて考えていくと、結局のところ、 そうした、「自分は結局何にもわかっていないということしかわからない」、 という原点にいつもいつも立ちかえっていかざるをえなくなります。 それがないということは、まさに自覚のない「無明」をまわりにふりまいているだけ、 ということなのかもしれません。 僕も、いつもそうした「光明へのステップ」を自覚していたいものだと思います。 >自分を見つめるために外を見る事は必要ですが、自分の事をよく知らずして外界を >論ずるのは早計ではあるまいかと思います。 よくよく考えてみると、自分を見るためには、他を見る必要もあり、 また、他を見るためには、自分を見ることが前提として必要になってくる、 というように、その両者というのは、どちらが先ということもないようです。 ま、自分を見られない人っていうのは、えてしてまわりが見えていませんし、 まわりが見えてない人っていうのは、自分を見てるはずがないようですよね。 神秘学的にいっても、自己認識と世界認識というのは、つまるところ同じことで、 「与えたものが与えられる」っていうようなカルマ的な法則も、 そういうことなのだそうです。 >嫌いなものを好きにはなるのは難しいですけど、理解はできるのではないかと思う >のです。 そうですよね、少なくとも理解しようする努力だけはできると思います。 ただ、好きになるのがとっても難しいように、 どれだけ相手の気持ちになったつもりで「共感」するということも難しいもので、 好き嫌いの結構激しい僕なんかにとっては、これからの大きな課題でもあります。 そこらへんのことについては、「共感」の得意な僕の相棒からは いつもいろんなアドバイス(^^;)を受けたりするのですが、 まだまだなかなかなようです(^^;)。 >人間が感情的になるのは自然な事で、僕も偉そうな事は言えませんが・・・、 >感情を抑えられない人は議論をする資格がないと思います。 感情というのも、抑えるべきものは抑え、 有効に機能する部分は潤滑油として活用していくというように、 感情的なのがすべて悪いということもないのかもしれません。 ロボットのように、冷たく議論するというのも、気持ち悪いですから(^^;)。 以前、僕は会議なんかして議論するときには、 かなりクールに(これも感情の一種ではありますが)やってましたが、 いろいろ反省して、いろんな方の感情の部分をできるだけ受けとめて、 それをある程度自然な形の感情として出していくようになりました。 もちろん、「抑えるべき感情」というのを抑えるのは、基本的なマナーです。 >自分の娘を見ていると最近は少々不安です。下の子はまだよくわかりませんが、 >幼稚園に行きだした上の子は少々物覚えが悪く、運動能力も???なのです。そ >のかわりといってはなんですが絵を書くのが好きで(好きなものはうまくなる)、 >まあ優しい子なので僕は「結構、結構」と思っていたのですが、・・・ 人間にとって一番大事なのは、物覚えがいいとか、 人より優った能力を身につけるとかいうことではないのだと僕は思っています。 それよりも、花を見てきれいだと感じるか、 ご飯をたべるときの「いただきます」とかいうことの方が、 ずっとずっと大事な事だと思います。 それに、そうした人間の基本ができていれば、 そしてそれを親がちゃんとわかっていて、子供にもそれが伝わっていれば、 最初はいろいろあっても、それぞれの個性は結局花開いていくのだと思います。 小さいころの妙な規格的な英才教育というのは、 最終的には、なにもかも潰してしまう可能性の方が大きいのではないでしょうか。 「信じれば救われる」というのは、こういう場合は、真実なのだ!と確信して、 のびのびとやっていくのが一番だと思います。 ま、先日拝見したビデオから察するに、心配はいらないのではないかと思います。 ただ、子供を育てた経験のない僕のいうことではありますが・・・(^^;)。 >僕としては高い山のてっぺんでお昼寝したいなぁ。 そうですね、山の上というのは、僕も大好きです。 冬場は登れない山へのツアーだとかいうのも計画してみたいものです。 どれだけ夏休みがとれるかいまのところわかりませんが、 少ない休みを縫って、今年はいろいろ行った事のない山などを経巡ってみようかな、 なんて思っているKAZEでした。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/06/20 - 757/759 GBG02043 維/YUI RE:政策不在? (14) 93/06/19 13:11 756へのコメント コメント数:1 そうなんですよね〜〜〜〜〜〜〜〜(- -;) 昨日、TVでいろんな人が都議選挙のこともあって、 いろいろ御託をならべていたのですけれど、 インタビューアーが、”具体的に”ってゆうてるのにから、 ぜんぜん”具体的な”こといわんひとばかりで・・・。 改革だとか、一新だとか、クリーンだとか・・・んな言葉いくら並べても なんにもなりまへんがな・・・ったくよ〜〜〜っ!!!! んなこっちゃから、あんなにごちゃごちゃになるまで、なんの手もほどこせなかった んと、ちゃいますかぁ??? いまだって、なんか手を打てているのかってと、???ですしね。 せいぜいが、解散がきまったときに、しばしの空白のあとほそぼそとおきた、 万歳の声と一緒に聞こえた”拍手”ぐらいでは??? ・・・(・ ・)アレ? んな言葉いくら並べてもなんにもなりまへんがな・・・って・・・ しばし昔に、”問題はどう行動するかだ”なんて話をしていたのに似てますよね。                           維/YUI。 759/759 GDB00064 オリハル RE:遊びに来て下さい。 (14) 93/06/20 00:36 733へのコメント 遊技連絡 −−−> HVHYさんへ HHF01127の人は、 2333番の「三役根回し」さんです。                 オリハル - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/06/20 - 343/349 MAH00652 アリオンしんちゃん RE:つまんないこと言ってごめん。 (17) 93/06/19 17:44 340へのコメント コメント数:2 ガラガラッ(玄関の戸を開ける音)!! 「ごめんよっ!!」 (しばらくして) 「えー、ごめんよっ!!」 「誰でぇ、人ん家の玄関で謝っている奴ぁ!」 という古典的ギャグをなぜか思い出してしまった私です。 ********** *ねずみ様へのレス* **********  それは、さておき、繰り返しますが、どうか必要以上に私に謝らないで ください。ねずみ様の過去に何があったのか事情がわからないまま、しか も、どんな私怨を晴らされたのかわからないまま、懺悔されるは謝られる は、いったい私にどうしろと言うのでせうか。私は教会(最初に変換した ら、「協会」って変換されてしまった。やべー(^_^;))の神父さんではな いので懺悔しても良い事などありません。とにかく御手を御上げください 。  話題は代わって、要するにねずみ様の今回の書き込みは、どうしたら、 戦争肯定論者を説得できるかという合理的反戦論についてですね。そして それをねずみ様が使っていらっしゃる独特の表現である 恣意的な正義の味方的精神論 にもとづいて反戦論を展開していらっしゃる方に実践していただきたいと 、こういう訳ですね。 で、私が良くわからないのは、「恣意的な正義の味方的精神論」にもとづ いて反戦論を展開している人々というのはいったいどういった層を想定し ていらっしゃるのか(層にこだわる私)、そもそもその言葉の定義は何か ?ということです。私が、ねずみ様の書き込みから想像したイメージとし ては、「教条主義的に反戦論」を唱えるとか「狂信的に反戦論」を唱える といったイメージが湧くのだけど違うかしら? あ、これはあくまで私の 想像上の産物であって、こんな人達が現実にいるということではないです >反戦論の方々(へのケアー)  それから、ねずみ様の書き込みから私が想像するに、確かに戦争肯定論 者に反対する人の中には、 「お前の言っていることは悪だ!! お前は社会の害虫だ!!  死んじまえ、馬鹿野郎!!」 とねずみ様が表現された「ようなこと」を言っている人達は確かにいると 思いますが、PC通信人口における割合ってのはそんなに高いとも思われ ませんが。確かに「罵倒好き」な方はPC通信に多いみたいですが、 反戦かつ罵倒好き の層というのはかなり薄いのでは?というのは私の楽観論に過ぎ、 「まだまだおまえはにふてぃさーぶの恐ろしさを知らな過ぎる」 と、もしねずみ様から御指摘いただければ、 「ぜひぜひ御教授ください!!」 とお願いしたい私です(今日も改行が多くてすみませんね)。  実際そんなに多いのでしょうかねぇ。  あと、第二次世界大戦といった明かな過去の愚行と、現代日本における 軍備の必要性ってのはわけて考えないといけないのではないかしら。それ こそ、主張している層が微妙に違うことが考えられるわけだし。微妙に重 なりあっていることも事実でしょーが(^_^;) しかし、ねずみ様との意見交換も段々、 「反戦論とは何かについて考える会議室」 に近づきつつあり、世紀末フォーラム、しかも「パワフルなえのおふくろ 通信」などという”ほんわかムード”の会議室で、農業の話題等をサンド イッチにしつつ展開しているこの議論というのは、読んでいる人にとって も、書いている当事者としても シュール ではないかなぁと思います。  しかし、こういう時のためにペアレントリンクがあるからいいのかなぁ ?  それはさておき、ねずみ様がご指摘されたような「正義とは何か」につ いて考えるテキストとしては、知識社会学を展開したマンハイムの「イデ オロギーとユートピア」を私は御勧めします。「それぞれの観点から見れ ば正義じゃん」といった価値判断を排除したマックスウェーバーの「価値 自由」という考え方に対して、「それじゃー我々は何にも行動できないじ ゃん」という問題意識から、実践するためにはどうしたら良いか、一歩前 進しようと試みた書物であります。決してその試みが成功したとは言い切 れませんが、「正義」という言葉が出ると度々繰り返されるプリミティブ な議論をするよりも一冊の本で済ませたいという、横着者の私です。かっ たるい書物ですので、お疲れでしたら読もうなどと思わないでくださいま せ(なーにを言ってんだか>私)。 以上 アリオンしんちゃん 349/349 TBE03167 ねずみ RE:つまんないこと言ってごめん。 (17) 93/06/19 23:41 345へのコメント 僕は別にバトルを目的として議論をしているわけではありません。 > シゲ。 僕の心の中には、あまりにも多すぎて始末のつかない偏見や思い込みがあって、それ を解消するのにやっきになるあまり、結果的にバトルのような形態をとってしまう。 ただそれだけのことなのです。 気持ちとしては、最大限まじめなのですが……。そうは見えませんでしょうか? なお、僕は、議論の相手をしてくださった、しんちゃん氏を始めとする、全ての方に 感謝をしています。