- FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/07/07 - 00165/00165 JBH02324 なえ 見つけたMONO ( 3) 93/07/07 10:47 00134へのコメント そりゃもう最新号が出て間があるから、きっともう無いだろーと思いつつ近所の コンビニで例のMONOマガジンを探したの。で、やっぱ無い。 (フンッ! ダ!! 田舎でもコンビニ位あーんだわよっ(^^; ) 仕方無く帰ろうかな・・と思ったものの諦めきれず「おにーさん古いのないの?? ?」と白昼堂々と聞いてしまうおばたのあたし・・・って一体・・(^^; が、その効も有って、見事箱に収められた「売れ残り」の中にあったのでした。 (そりゃこのあたしに掛かったら倉庫の奥まで探してくれるご威光があんのよ) ワ ー ウソ デス ウソ デス ・・・・ゴメンチャイ  なえちゃんカンゲキー (^.^)v でもこれ暇潰しには持ってこいの雑誌だわ オエ ・・・ジブン デ チャン ダッテ ?? キボチ ワルイ ・・・ (^^; - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/07/07 - 01198/01198 JAE00201 竜人 まさに復活ネタ?(^^;) ( 6) 93/07/07 01:52   久々にぶったおれたような気がする。(^^;)  たまたま、知り合いが今日来てくれたもので、  日干し(^^;)に成らずに済んだ。   まぁ、一人でいると食事が面倒だとか言って  放っておくから?こうなるんだとは判ってる。(^^;)   それにしても、ボロボロの状態にも関わらず厭な夢を  見たせいで寝れなくなってしまった。(;_;)     人間なかなか楽になれないと知った?(^^;)竜人 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/07/07 - 00477/00479 GDB00064 オリハル RE:有り得ない偶然 ( 7) 93/07/07 00:20 00476へのコメント コメント数:2 オリちゃん、カンゲキー! 00478/00479 GBA01052 CHARAN 発言者削除 :奇跡のバーゲンセール ( 7) 93/07/07 10:44 00477へのコメント 00479/00479 GBA01052 CHARAN RE:有り得ない偶然 ( 7) 93/07/07 11:01 00477へのコメント あ、そうか。そうか。 やっぱり、冗談だったのね。 - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/07/07 - 001/005 MHD02672 TAO はじめに【巻頭言】 ( 9) 93/07/07 00:07 コメント数:3  皆様、ようこそ。この新しい会議室の司会係というか、世話役を受け持つ  ことになりました、TAOです。FARION創設時から参加して一年二ヶ月経ち、  ここに初めて会議室のボードオペを担当させて頂く訳ですが、何分初めての  体験なので、色々と不手際はあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願い  申し上げます。m(_ _)mペコリ なお、プロフィールは登録してありますので、  ご興味があれば、そちらもどうぞ。  ◆会議室の目的◆  タイトル通り、この部屋は「癒し=ヒーリング」を主な対象テーマとし、  それに関連する様々な問題を扱います。現代社会におけるヒーリングの実状や  課題、問題点などを検討するのにとどまらず、哲学・歴史学・社会学的な  視点においても、人間にとっての「癒し=ヒーリング」の持つ意味や意義を  認識(理解)しようとするのが、この会議室の目的です。  ◆会議室における注意事項◆  この会議室では、ヒーリングの実状や歴史に関わる考察の他に、体験記も  歓迎致しますが、本人の体験内容を出来るだけ客観的に述べて下さい。  −−−  宗教団体等における民間治療についても、治療者や患者による言説は考察  テーマの一つとなりますが、団体関係者による宣伝行為は禁じます。  −−−  引用やプライバシーの問題に関しては、パソコン通信上の一般的なマナーを  わきまえた上で、各々の良識で判断をお願い致します。具体的には、NIFの  会員規約およびFARIONのローカル・ルール(いずれも「1,お知らせ」に登録  してあります)をご参照下さい。  ◆会議室での議論対象および話題◆   ◎「病」および「治療」という概念の発生、由来、歴史   ◎意識と身体の関連について   ◎宗教における「治療」の位置   ◎オカルティズムにおける「治療論」   (※シュタイナーの『治療教育』やケイシーの治療リーディングも    この中に入ります)   ◎医療における生と死   ◎正統医学と代替医学  ◎植物や薬物による意識変容   ◎先天異常の問題   ◎憑依・除霊   ◎気功治療   ◎ウイルスと人体の関係   ◎遺伝子治療   ◎その他  勿論、硬い話題だけでなく、雑談も歓迎です。例えば、あそこの温泉は  良かった!(^O^)とか、ダイエット失敗談(;_;)とかいうのも結構ですよ。  ◆最後に◆  肉体というのは、人間にとって最も確実で強大な“現実”だと言えるでしょう。 誰もが、肉体という存在形態を通してこそ、この世界、この宇宙に存在し 関与しうるのであり、また、あらゆる喜怒哀楽も決して肉体から切り離せません。 誰にとっても、自分の肉体によって自分の人生が自ずと現れてくるのです。  病み、傷つき、苦しみ、なおかつそれを意識せざるを得ないのが人間の宿命  だとしたら、私達はいかなる処方をもって、「癒し」がいかに果たされるのか、 冷徹な視線と真摯な心情をもって探求して行くべきではないでしょうか。  「良心のない知は魂の廃虚である」という詩人の言葉がありますが、それに  「しかし知のない良心もまた、魂の怠慢である」という言葉をつけ加えて、  己への戒めとしながら、この会議室の運営に臨みたいと思います。  何やらお堅い感じの巻頭言となりましたが、要するに皆様の想うところを  忌憚なく語り合って頂き、そこから少しでも何か得るところがありましたら、  世話役としてはこれ以上幸いなことはない、と考えます。  最後になりましたが、この会議室の設置に対してご快諾下さった、みれさんを  はじめとする FARION 運営スタッフの皆様に深く感謝申し上げます。  では、<<★TAOのヒーリング・ルーム>>をオープン致します。m(_ _)mペコリ  TAO 002/005 GGA02514 KAZE RE:はじめに【巻頭言】 ( 9) 93/07/07 00:52 001へのコメント TAOさん、どうも。 いよいよ、オープンですね。 まずは、おめでとうございます。 しかし、7月7日の午前0時にオープンとは、 どこか意味ありげな感じもしますねえ。 今後は、いろいろ突っ込ませてもらおうかな、とも思っている(^^;)KAZEでした。 003/005 GGD02212 Soo {@}開室おめでとうございます。 ( 9) 93/07/07 01:33 001へのコメント  前略 こんばんわ。TAOさんが新しい部屋の議長に就くとの話に「おぉっ!」 (゚o゚)…と感嘆していたSoo.(スウ;旧ハンドル:Dr.Ray)でございます。  ヒーリングがテーマですか…。思い出すのは某宗教団体に属した経歴のある 女性が高校生の頃、猫で「癒し」の練習をしていたという話。(^_^;) …あ、 また別のも思い出した。ある日の早朝、病院の前を自転車で通りかかったら、 路上で十人ばかりの集団が病院の一角(たぶん小児科病棟)を見上げ、一斉に 微笑みかけながら「手かざし」をやっているのを目撃したこと。身をかがめて くぐり抜けるようにして間を走り過ぎた私でしたが、何だか縁起の悪いことを したような気がしてしまった。(^_^;)(間を遮りそうだったということ↑。)  ヒーリングに関して、心身医学的な観点からのコメントも、させて頂ければ とも思いますが、あまり↑期待しないで下さい(逃げ腰)。まずは議長就任を 祝うマッサージもといメッセージまで。〔Soo (スウ)〕 早々。 004/005 JBH02324 なえ おめでとうございます ( 9) 93/07/07 09:31 001へのコメント 晴れて議長就任おめでとうございます。 思えば後輩の上、若輩者のわたしが先に一部屋占領しちゃって(^^;;でかい顔 してました故、図らずも安堵しております。(^^; んで、ヒーリングの部屋とは、凄いですね〜。ぜひ面白いネタなんぞ紹介して 下さいませね。 あたしと言えば、お風呂大好き人間ですので、いつぞや紹介した「中国三千年 の秘湯」でころっとお夜尿症なんぞ快方に向かったなんてのも、一種のヒーリ ングなんでしょうね。そうそう、荒塩を一掴み程お湯に入れて入浴すると、芯 から温まって、冷え症には打って付け(^ー^; (でも循環式のボイラーはダメだよん。サビるから) でも、ヒーリングって今はブームなんでしょうか、あちこちで記事や特集を見 ますから・・。ただ、わたし自身としては、ヒーリングには、当然リスクも有 るし、自分が楽して他人が働いて、金さえ出せば解決する、それで治るという 図式だけはご面被りたいですし、そいうヒーリングは、どっか「いかがわしい」 印象を受けます。正真証明のお治しを、議論出来る場になれば嬉しいと思います。 005/005 GBG02043 維/YUI おめでと〜〜〜!!ございますぅ! ( 9) 93/07/07 09:49 TAOさん、がんばってくださいまし。 m(_ _)m 夜中からの豪雨は、この部屋のオープン歓迎のあいさつでしょうか???(^^)ね。 わたしは・・・いちどだけクリスタル・ヒーリングなるものを受けたことがありますが だからなんだ・・・ってことも、別になかったなぁ〜〜〜。 ・・・と、いうわけでとりあえず私が書き込むとすると、温泉リポートになります。                       ごあいさつまで・・・。                            維/YUI。 - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/07/07 - 216/216 NCP09537 中野大兄皇子 RE:中野 と申します。 (10) 93/07/07 05:32 215へのコメント ていねいな解説をありがとうございます。 ダウンロ−ドしてゆっくりよみたいと思います。 まずはお礼まで。     中大兄皇子 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/07/07 - 00428/00433 NBG00612 岳同 未来 (13) 93/07/07 00:28 コメント数:1 エドガーケイシーなどで有名なリーディングによって、個人の過去世や未来だけでなく 最近では、人類の変動に関しても様々な予告がなされているようです。 最近の子供は、これからの状況を承知した上で誕生してきているため、洗練された魂が 多いようです。 これから誕生するお子さんの使命や将来について、リーディングを取られるのも有意義 だと思いますよ>ゆずりさん。 地球の変動に関する予言の第一人者であるスカリオンという人によると、 マグニチュード10以上のカリフォルニア大地震がいつ起きても不思議ではないそう です。   92/12 から98までの間にカルフォルニア大地震が発生。   カリフォルニアが縦に裂けて沈没、太平洋の水が入る。   第1回目の変動後、何百万人のテントシティが出来る。しかし、変動は人々の予想   を裏切り更に追い打ちをかける。   アメリカの大変動は3段階に分かれて発生する。   五大湖がミシシッピ川に注ぐ。フェニックス( 現在は砂漠の中)が港になる。   すなわちアメリカの地形が変わる。アトランティスが浮上する。   これは、ナショナル・ジェオグラフィック誌による、7400万年前の恐竜の棲息して   いた時代のアメリカとほぼ同じ形である。      大変動後のアメリカの社会は無政府状態、貨幣制度崩壊し物々交換、小規模な集落   共同体( 群れ) を形成する。 またこの後、第3次世界大戦が発生し、   セルビア戦争にトルコが巻き込まれる。そこから、火種は飛び火する。   エジプトとイスラエルが火薬庫となる。スエズ運河が閉鎖される。   ヨーロッパとアフリカ( トルコ・イラン・イスラエル・エジプトなど) で核爆発が   発生する。これらは、十字軍の時のカルマである。   カルマは、同じ状況を作って当事者の魂が再度試されるのである。さらに言えば、   このたびの大変動もアトランティスと同じ状況の再現。   もはやアメリカは疲弊し他国を守れない。紛争により、日本やヨーロッパにも石油   はない。だから、船や自動車も使えない状態。 といった未来が予告されています。この大変動の転回点は、1985年だったと言うことで す。人類は厳しい大掃除の道を選択してしまったらしいのです。でも、この辺りはそう 感じている方も多いのではないかと思います。 さて、いたずらに悲観的な未来ばかりを並べていても、魂にとって良いことではありま せん。彼らは、このような未来予知の半面、それが外れるよう earth healing project (Matrix Institute)というのを結成して、集団で地球を癒す祈りを捧げています。 このことをトーニングと言っています。地球をおにぎりを握るように手のひらで柔らか く包みこんで癒しのメロディを口ずさみます(音階は最初ドー・ソーで始まり、やがて ドー・(1オクターブ上の)ドーに変わった)。この時、地球の波動と一体になったよ うな安らぎを感じました。これは、人に対しても適用可ということでした。 ただ、これは一人でやっても、その時のゾクゾクは感じられないようです。 集団で共鳴しあうような状況でなければ駄目なのかも知れないと思います。 大変動をどう捉えるか、というのは難しいところですが、   人類が地球生命体にとって異物となった。   地球の大掃除、掃除のための破壊 というような説明がありました。 これらのメッセージはメッセージとして受取り、一日一日を後悔のないように生きた い、と思います。いかに自分の周囲が生き延びるかにあくせくするより、いかに死すべ きかを考えた方が人間らしい生き方が選択出来るように思います。自分一人が生き残っ ても、自分の家族だけが生き残っても仕方がない、と思います。人々のために、備えを しておくのは有意義でしょうが、この時代をあえて選択して誕生したのなら、何かしら の役割もあるはずだし、自分がこの立場を望んで生まれてきているのだから、生に執着 するというより、生命をお預けして、淡々と有意義な生を全うする覚悟が必要であり、 また後悔しないための努力もそこから生まれるように思います。 何故か修証義の出だしの部分を思い出してしまいます。   生を明(あき)らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。   生死の中に仏あれば生死なし。但(ただ)生死即ち涅槃と心得て、   生死として厭うべきもなく、涅槃としてねごうべきもなし。   是の時初めて生死を離るる分あり。唯一大事因縁と究盡(ぐうじん)すべし。 00429/00433 GGA02514 KAZE 鏡は影見 (13) 93/07/07 12:01 00426へのコメント DIRACさん、どうも。 >いかに自分が自己中心的であるかは、自分ではわからないものです。 >鏡で映さないとないと自分の顔がわからないように、心の顔もそういう >わけでして、結局、自分のことはよくわからないのですね。 そうですね、ときおり自分のことばかりしか考えていない自分に気づいて、 深く恥入ってしまうことがあります。 そんなエゴの塊のような自分の心を鏡に映すことができたとして、 それを自分で見ることには到底耐えられないだろうな、とも思います。 「カガミ」から「ガ(我)」を取ったら「カミ」になるとかもいったりしますが、 鏡は曇っていたら自分の顔をちゃんと映すことができません。 我のない鏡で、せめてときおりは深く自分の心の底を映し出してみたいものです。 仏教なんかでよくいわれる「反省」、儒教(孟子)では「自反」といわれますが、 それは心の鏡を磨き直すということでもあるのでしょうね。 「鏡」ということでいえば、先日読んだ国文学関係の論文の中で、 「カガミ」とは「カゲミ」、つまり「影見」でもあるということがありました。 鏡に自分を映し出すということは、自分の見たくない「影」の部分を、 ありていに見つめてみるということでもあるのでしょう。 先の「反省」ということでもそうですが、 人間、自分の見たくない部分を見るというのは かなり大きな勇気をふりしぼらないとなかなかできるものではないのですが、 そうできない自分というのは、結局「自己中心」ということでもありますから、 やはり、恐いもの見たさでもいいから、時には自分のそんな影の一面と 真正面から向かい合ってみるのもいいでしょうね。 どんなお化けが鏡からでてくるか、 夏でもありますし、怪談よりもこわい、そんな影見で、 自分の百面相でも楽しんでみようかな、とも思うKAZEでした。 00430/00433 GGA02514 KAZE 伊達正宗の家訓 (13) 93/07/07 12:02 00427へのコメント 隆ちゃん、どうも。 沖縄から帰ってきました。 沖縄では、ビーチに寝そべって、青い空に白い雲が流れるのをぼんやりと眺めながら、 人の声や波の音などにひたすら身を任せ、いろんなことを考えていました。 やっぱり、という感じではありましたが、 つまるところ、なぜ僕はここにいるのだろう、 そして今自分はいったい何をしようとしているのだろう、という、 せつないまでの思いがいろんな流れになって、身体全体に駆けめぐっていました。 波の音楽というのは、身体に染み込ませていくと、 ある種の郷愁を含みこんだリズムに感情と思考を共振させる力があるようですが、 そんなリズムに亜熱帯の太陽のじりじりした熱射が加わって、 いろんなイメージが身体全体に一気にとけ込みながら ぐるぐるめぐっていたような、そんな時間が流れていきました。 日頃からすぐひとりになって、そういう時間を過ごしたがる僕ですから、 そうとりたてて新鮮に感じるというほどでもなかったのですが、 それでもちょっと環境の違った中に身をおくというのも、 時にはよかったのかもしれません。 波の音楽の中で読むのにいいだろうな、と思い、 音楽や言霊といったテーマの本を持っていって、 海の見えるベランダでそれを読んでたりもしたのですが、 なかなか考えさせられることの多い本でした。 ●武満徹・川田順造「音・ことば・人間」(岩波・同時代ライブラリー) ●中上健次・鎌田東二「言霊の大地/宇宙・神話・魂を語る」(主婦の友社) という二冊で、前者は昨年の暮れにでたもの、後者は新刊ですが、 先日来、少しずつ考え始めている音楽論に関連させて考えてみても、 なかなか得るところがたくさんありましたので、 それについては、今度別のアーティクルで紹介しようかなとも考えています。 ずっとつまらなくなっている音楽シーンについて、 なぜそうなってしまったのかを改めて考えるキーにもなるのではないかと思います。 しかし、このところ日本の音楽の独自性について少しずつ見ていくうちに、 その豊かな世界についても、今後いろいろ考えていきたい気持ちになっています。 ずっと以前に、日本人の右脳と左脳と西洋人のそれとの違いの研究でもあった、 「角田テスト」というのを紹介したのを覚えておいでですか。 日本人は、虫の音や日本古来の楽器の音などを、 言語脳である左脳で処理しているというのです。 上記の本の前者には、文化人類学者の川田さんが アフリカの「モシ族」の音楽に関して紹介しているところがあるのですが、 それによると、「モシ族」は、人間の受け取る音を 「コエガ」と「ブーレ」に分けているのだそうです。 「コエガ」はメッセージを含んだ音、 「ブーレ」は人間にとって意味のない音だということですが、面白いことに、 モシ族にとってモーツアルトやバッハなど音は「ブーレ」なのだそうです。 それとこのモシ族の言語には、日本語と同じく擬音語や擬態語がたくさんあるようで、 ひょっとして、このモシ族に「角田テスト」をしてみたら、 かなりの音を言語化して聞いてるがわかるかもしれません。 ま、そこらへんについては改めて、ということにしましょう。 さてさて、 >鼻づまり、喉痛、発熱の上に巨大な口内炎までできてしまって最悪です・・・。 >カミさんも体調を崩しているみたいですし、わが家は見入られたように病気の家 >に成り下がっております(^^;)。 ううむ、なかなか大変なようですねえ(^^;)。 確かに、今年のかなり派手な梅雨に対応するかのように、 僕や相棒の方も体調がイマイチ、という感じはありますねえ。 思い返してみれば、体調に限らず、ここ一か月ほど、 なんだか宙づりのような状態が続いているようなイメージがあります。 おそらく今、世界はいろんな意味で変化しようとしていて、 その変化に過敏に反応する方というのは、それでちょっとシンドイのかもしれません。 僕の回りを見回してみると、なぜか、精神的なことに理解のある方ほど、 このところいろいろ体調的にもアンバランスになっていることが多いようです。 ま、ここのところの変化を感じない方が、どうにかしているともいえるかも(^^;)。 >勿論、自分自身にある五毒の存在を認識できないなんてゆうのは論外ですけど、 >五毒を否定するばかりでも困るでしょ。近ごろ感じるのですが、たとえば「疑い」 >ひとつを取ってみても、良い側面と悪い側面とが同居しています。「愛」に関して >もそうでしょう。 もちろん、「五毒」というのは、そのひとつひとつの要素が、 「中道」的なあり方を逸脱して暴走する傾向性を言っているわけで、 そのひとつひとつの要素自体を否定しているのではないと思います。 ただ、仏教っていうのは、四苦八苦とかいうように、 この世を「苦」として見てしまう傾向性があるので、 「中道」という基本中の基本にもかかわらず、 「反面」を否定してるように見えたりするのかもしれませんね。 要は、いろんなベクトルの合力として「中」という発展的なあり方をもてる、 そんな方向性を自分なりに模索するというのが大事なのでしょうね。 そうそう、「良い側面と悪い側面」というので思いだしたのがあります。 伊達正宗の家訓なのですが、先日、おもわずなるほどと思ってしまったものです。 ちょいと紹介してみましょう。 仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂(へつらい) となる。智に過ぐれば嘘をつく。信に過ぐれば損をする。 気長く心穏やかにして、万(よろず)に倹約を用(もっ)て金銭を備うべし。 此の世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事うまからずともほめて 食ふべし。元来客の身なれば好嫌(すききらい)は申されまじ。今日の行(ゆ く)をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、しやばの御暇(おいとま)申す がよし。 ちなみに、徳川家康の家訓は次のようなものらしいです。 比較してみれば、なかなか面白いので、ついでに紹介しておきます。 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と 思へば不足なし。心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事 長久の基、怒りは敵と思へ。勝つことばかり知りて、負くる事を知らざれば 害その身に到る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされ り。 >「怒り」が感情として心に現れてしまったら、その時点でほかの何かに転化させる >のは難しいのではないかと思うのですが、どうでしょうという事なのでした。 ううん、もちろんむずかしいのは事実ですし、 そういう感情のエネルギーをスポイルさせてしまうというのは論外なのですが、 やはり、完全にはむずかしくても、やってみる価値はあるように思えるのですが・・。 問題は、「なぜ怒るのか」ということにあるのですが、 怒ったとたんに、それを無理に抑圧するのではなくて、 なぜ自分はそんなに怒っているのか、怒る「正当な理由」というのは何か、 また、その対象(多くの場合、「人」)はいったいどういうあり方をしているのか、 怒ることで解決できる問題と解決を遠ざけてしまう問題はいったい何か・・・、 ということが一瞬にしてピンとくるようになれば、怒りの本質が見えてきますし、 また、自分の怒っている心のあり方が鏡に映っているのをイメージできれば、 たいていの怒りは結構メタモルフォーゼしていく場合も多いのですが、どうでしょう。 >公憤に関しては怒らざるを得ない事だから、やっぱり違うぞと思うのです。 人間、公憤を失ってしまったら、それはダメだぞ、と僕も思っています。 私憤と公憤の大ざっぱな見分けかたを僕なりに自己分析していうとすれば、 私憤は頭でドヒャーですが、公憤は「胆」でウッシャー!って感じでしょうか(^^;)。 >世の中には訓練では克服できない能力の壁がありまして、ストレスにもその壁が >あるんじゃないかと思います。だから、その許容範囲は人それぞれで、単に「腹 >をくくる」事では解決しないと思います。 ううむ、もちろん、「能力の壁」というのはあると思いますが、 「克服できない」という認識が妥当かどうかは、うんにゃ(^^;)ですねえ。 これは、「運命」と「立命」についての傾聴に値する例の「陰隲録」ですが、 その壁を否応ない「壁」としたとたんにそれは「壁」以外のものではなくなりますが、 その壁を深く分析・認識することで、その「壁」は「課題」に変わっていきます。 「腹をくくる」というのも、ええい、しゃらくせい!っていうのでは決してなくて、 その「立命」っていうことを、単に知識や見識のレベルではなく、 「胆」でとらえられるほど、深く探求するということにほかならないと思うのです。 もちろん、人間には「できない」ということは山のようにあります。 でも、「できない」と「できないと勝手に思っていること」というのを、 イコールにしてしまう向きもかなりあるのはないか、というのが僕の考えです。 もちろん、僕も日々、「できないと勝手に思いこんでいたこと」にトンカチをふるって 自分に鞭をくれてやったり(多くは自分を甘やかし続けていますが)してまして、 そこらへんの境界については、再認識させられることっていうのは、かなりあります。 >ストレスもそれに打ち勝つ事を考えるよりも、それが起こらないようにする努力の >方が有効であると心身ともに虚弱な僕は思います。 「打ち勝つ」ようなスタンスは、ストレスをかえって際だたせてしまいますから、 「それが起こらないようにする努力」っていうのは、大事でしょうね。 ま、問題はストレスが現象化してきたときのことで、 そのときも、無理にストレスと対決しようとしない方がいいかもしれません。 あとは、忍耐、信じて待つということでしょう(^^;)。 >ちまたで臆病と呼ばれている方々はたいてい自分が臆病であるという自覚がある >わけですが、傲慢と呼ばれている方々はえてして自覚がない(だから傲慢なので >しょうが(^^;))。世の中弱者の方が色々考える機会が多いのかもしれませんね。 傲慢と自覚は相入れないものなのは確かでしょう。 ただ、僕の場合、きわめて臆病なくせに、よく傲慢になったりもするので、 よけい始末におえないところがあるので、二重の意味で気をつけたいと思います。 「弱者」ということですが、自分を「弱者」であると思うってのは、 結構傲慢な認識なのかもしれない、とも日頃から感じることが多いです。 「被害者」っていう表現も、それと似てるところがありますが、 僕は臆病者ではありますが、「弱者」にも「被害者」にもなりたくない、 というか、自分をそういうふうに規定してとらえる傲慢は避けたいなあと思います。 しかし、そうした傲慢っていうのは、えてして視野の狭さとエゴの 合体ロボであることが多いようですねえ(^^;)。 >翻訳というのはその外国語と日本語の両方に秀でていなければならないわけで、・・ (^^;)(^^;)(^^;)(^^;)、どちらにも秀でていないくせに、 あえてそれを「できない」としないで、挑戦してはいるのですが、 なかなか苦しいものがあります。 ま、質と量の転化というのもあるかもしれませんから、 そのうちに、少しはましな訳ができるようになるかもしれません。 で、そのうち、ましな日本語も使えるようになるかもしれませんので、 この遊戯団でも、今後も作文のお稽古を続けていきたいなあ、と思っておりますです。 >近くまでいらした時は連絡して下さい。うちに来ていただいてもよいですし、 >どこかでお茶でも飲みながらよた話ってのもいいですしね(^^)。 まだ、全然予定は立っていませんが、 ぜひ一度はお会いしてみたい隆ちゃんですので(^^)、 いっしょにヨタ話オフなど、やってみたいものですね。 まだ雨のあがる気配は見えませんが、 気分はからりと晴れ上がっていられる日々をおくりたいと切に思うKAZEでした。 00431/00433 GGA02514 KAZE いかに死すべきか (13) 93/07/07 14:18 00428へのコメント 岳同さん、どうも。 これから来るであろう大変動は、 もはやかなりの部分避けられないのは確かなように、 いろんなところで聞かれることですが、 問題は、その大変動を破壊のためのそれとしてではなく、 「創造の苦しみ」としてとらえるということだと思います。 >地球をおにぎりを握るように手のひらで柔らかく包みこんで癒しのメロディを >口ずさみます(音階は最初ドー・ソーで始まり、やがてドー・(1オクターブ >上の)ドーに変わった)。この時、地球の波動と一体になったような安らぎを >感じました。 確かに、地球のバイブレーションと共振するということは、 地球と人間のヒーリングにいいのかもしれませんね。 祈りというのは、ある意味で「結び」だということもできますので、 多くの人がそうした祈りに参加していければ、 少しはいい方向に行くのかもしれません。 >いかに自分の周囲が生き延びるかにあくせくするより、いかに死すべきかを考えた >方が人間らしい生き方が選択出来るように思います。自分一人が生き残っても、自 >分の家族だけが生き残っても仕方がない、と思います。人々のために、備えをして >おくのは有意義でしょうが、この時代をあえて選択して誕生したのなら、何かしら >の役割もあるはずだし、自分がこの立場を望んで生まれてきているのだから、生に >執着するというより、生命をお預けして、淡々と有意義な生を全うする覚悟が必要 >であり、また後悔しないための努力もそこから生まれるように思います。 そうですね、「愛とは決して後悔しないこと」というのがありましたが(^^;)、 結局のところ、何が起こってもせいいっぱい自分の役割を全うできるように、 後悔しないよう、心構えをしておくということに尽きるのでしょう。 おそらく、「その時(^^;)」には、自分が生き延びることばかり考えて、 「いかに死すべきか」ということなど考えてもみない方が わんさとパニックになるのではないかと予想されます。 この世だけではなく、何十億という方が一気に亡くなって、 自分が死んだことさえわからないで、うようよしてるのを想像してみると(^^;)、 霊界も混乱どころの騒ぎではなくなってくることでしょうね。 僕の会社関係をふくめた方々を見てみるだけでも、 そのほとんどがパニックになることは目に見えるようで、 ほんとうにやれやれ、というところです。 ま、せめて自分がこの世を去るときには、 それまでに自分の役割をきちんと果たし、 あとは、さらばじゃ!とさわやかに挨拶して(^^;)、 死んで後もあの世の方々にできるだけ迷惑かけないように、 自分の赴くべきところにすみやかに行って修行を続けたいものです。 さて、あとは自分の役割について はたと思い悩むところが多いKAZEなのでした(^^;)。 00432/00433 GGA02514 KAZE シュタイナー●霊的存在の働き/第11講■概観 (13) 93/07/07 18:14 懲りずにやってるシュタイナーの翻訳ですが、前のにつづいて、 今回訳したのは、以下の通り。 ●ルドルフ・シュタイナー「霊的諸存在の人間への働きかけ」/第11講 その内容を簡単に説明しておきましょう。 前講(10講/未訳)で、ジルフィー、サラマンダー、グノーム、 ウンディーネといったエレメンタル存在についていろいろ講義されていたのを受けて 本講がはじまります。 で、以前、「神智学の門前にて」の輪読会でも説明されていた、 動物や植物の集合魂について、人間と比較しながら説明されます。 人間の自我というのは、アストラル界からこの物質界へと降りてきた集合自我ですが、 そのあり方というのは、以前はそうではなく、時代を追うにつれて、 そうなってきたのだということが詳述されていきます。 人間の魂は、集合魂的なあり方から個人的な魂のあり方へと進化してきたのです。 そして、人間は今後、今日のような自由意志のある個人的性格をもった魂のあり方から それをベースに新しい自由な集合意識関係をもった魂へと進化していきます。 それは、現在の地球紀期から木星紀への進化でもあります。 簡単にいえば、以上のような内容なのですが、 この講のテーマは、人間の意識の進化という興味深いものであり、 「私たちはどこから来て、いったいどこへ行こうとしているのか」 という問いへのひとつの答ともなっている部分があります。 前回に紹介した講も、なかなかに訳が下手くそなのもあって(^^;)、 とっつきにくい部分もありましたが、前回にくらべ、 内容的にも少しはわかりやすい部分も多いのではないかと思います。 今回も前回と同様、いくつかに分けて紹介することにしたいと思いますが、 それぞれのアーティクルごとに、その部分のおおまかな内容を簡単に 見出しとしてつけておくことにしたいと思いますので、参考にしてください。 では、どうぞ(^^)。 00433/00433 GGA02514 KAZE シュタイナー●霊的諸存在の働き/11講■第1回 (13) 93/07/07 18:19 ●ルドルフ・シュタイナー「霊的諸存在の人間への働きかけ」/第11講/第1回 ************************************************************************** >進化の歩みから逸脱したエレメンタル存在の重要な役割。 >人間の自我はアストラル場から物質場へと降りてきた集合自我である。 >同じ形態の動物は、集合自我をもち、 >個体としては物質場において肉体、エーテル体、アストラル体をもっていて、 >個々の動物は死んでも、集合自我は生きている。 >集合魂の中へと送り返されない動物形態がエレメンタル存在となる。 >ジルフィーなどという名で呼ばれているエレメンタル存在は、 >動物領域と植物領域との接触の起こる場所にいる。 >蜜蜂が花から摂取するときに生じる美的なオーラ。 ************************************************************************** さて、前回扱ったのはいくらか思いきった領域のことでしたが、そこでは、私たちの 現実の内で霊的諸存在としてそれを貫いて存在しているけれども、確実に進化の規則 的な歩みからは脱落しているような一定の霊的諸存在に注目してみました。しかし、 その本来の意義こそ、まさに確実に進化から脱落するということにありました。現代 の開けた感覚では当然のように最悪の迷信とみなされてはいるものの、まさに宇宙の なかで占めている位置を通して私たちの霊的進化の遠からぬ時代において重要な役割 を演じるであろうエレメンタル存在に注目したわけです。私たちは、そうしたエレメ ンタル存在がどのようにして集合魂のほとんど逸脱し分離した部分であることによっ て形成されるのかを見ました。前回の考察の最後でお話したことを思い浮かべるだけ でいいのです。そうすればすぐに目の前にそうしたエレメンタル生物の本質を見たこ とになります。わたしたちはこのエレメンタル存在の最後に形成された種類を指摘し ておきました。動物の形態のひとつひとつがどのように、あるいは大まかな意味で言 うとすれば、同じ形態の動物存在の総計にどのように集合魂が対応しているかという ことを指摘したわけです。私たちはこう言いました。「これらの集合魂というのは、 −−自我を持っている限りにおいての−−物質界における私たち人間の魂のように、 ある程度アストラル界において同じ役割を演じている。」と。本来、人間の自我とい うのは、アストラル場から物質場へと降りてきた集合自我です。それを通して個人的 な自我になったのです。動物の自我は今日ではまだアストラル場で規則的なありかた をしていますが、私たちがこの物質場で個々の動物個体として持っているものは、物 質場においては肉体、エーテル体、アストラル体だけを有しています。しかし、アス トラル界においては、同じ形態の動物がいわばその動物の集合自我の一部であるよう に、自我を有しているのです。そのことを通して私たちは、人間の生において誕生と 死と名づけられているものが動物にとっては同じ意味をもっているのではないことも 思い浮かべることができます。というのは、個々の動物が死ぬとき、集合魂または集 合自我は生きているからです。それが可能であるとすれば、まさに人間が手を失って また手を継ぎ足す能力を持っているようなものです。その自我は、「私は手を失って 死んだ」とないわないで、一部分を再生したと感じるでしょう。個々のライオンの個 体が死んで、別の個体に代わるときには、ライオンの集合自我がその部分を再生する のです。このように、動物の集合魂にとっての誕生と死は、今日の進化周期の人間の ような意味をまったくっもていないというように理解することができます。動物の集 合魂は変化、メタモルフォーゼを知っていますし、そのときに物質界に差し伸べられ る諸部分の分離、この部分の喪失、その再生を知っています。  しかし私たちはこう言いました。つまり、「切り離すことでどっかへいってしまい、 物質場へ持って来たすべてのものをアストラル場に送り返すことのもはやできない一 定の動物形態が存在する」、と。というのは、ある死んでいく動物の場合には、そこ にとり残されるものは、周辺世界へとすべて解消しなければならないのです。それに 対して、動物が精神や魂を通したものは、集合魂の中へと逆流しなければなりません し、それからまた新たに差し伸べられ、新しい個体へと成長するのです。さらに、集 合魂の中へは二度とすべては送り返すことのできない一定の動物形態が存在していて、 集合魂から縛られず分離もされないこうした残留したものは、エレメンタル存在とし ての個々の存在となります。そして、私たちの進化が非常にさまざまな形態と進化を 通過し、すべての段階でそうしたエレメンタル本質がきり離されたときには、きっと こう思い描くことができまをす。「私たちをとり囲む超感覚的な世界を名づけたもの において、私たちのまわりをとり巻くとてもたくさんの種類のこうしたエレメンタル 本質を持つ。」と。 たとえば頭のいい人間が、「ジルフィーや死霊と名づけているエレメンタル存在のこ とをいうひとがいるが、そんなものなど存在しない!」と言ったとすると、ともあれ 異常で逆説的に聞こえるこんな答えをしなければならないでしょう。「君は、この存 在たちを承認するであろうその認識器官の発展を拒否しているから、こうしたことを みていないのだ。蜜蜂または、他の言葉でいうと、蜜蜂の巣の魂に聞いてみなさい! 蜜蜂はジルフィーまたは死霊の存在を拒むことはできないだろうに!」。というのも、 こうした名前で呼ばれているエレメンタル存在たちは、特に動物領域の植物領域との 一定の接触が起こる特定の場所にとどまっているのです。ただ、だいたいどこでもと いうのではなく、こうした接触が確かな関係のもとで起こる場所ということなのです が。牡牛が草を食むときには、確かに動物領域の植物領域との接触も起こります。し かしそれは、規則通りの進化が継続するなかの実際的で規則的な接触なのです。宇宙 進化のまったく別のカードには、蜜蜂と花の間で起こるあの接触があります。厳密に いえばそれは、蜜蜂と花とは組織としてはずっと離れているけれどもあとでまた出会 うが故に起こり、また蜜蜂と花が接触するときには−−もちろんオカルティストにと ってだけですけど−−まったく驚異的な力が発展させられるが故に起こるのです。− −表現をする必要があると「オテトも、こうした微妙な事柄にとってもちろんほとんど適 切な表現というのはできないでしょうが−−霊的超感覚的世界を興味深く観察すれば、 蜜蜂や他のそうした昆虫が花から摂取するときには、あの独特なオーラのヴェールが いつも生じているのがわかります。花から摂取するときに小さな蜂がもつ特有の独特 な体験は、たとえば咀嚼器官の中や蜜蜂の身体の中にだけあるのではなくて、そうし たものは、味覚の交換として蜜蜂と花の間で生じるのであり、たとえば小さな美的オ ーラのような何かを広げていくのです。小さな蜜蜂が摂取するときにはいつでも、こ うした小さな美的オーラが存在します。そして、そうした何かが超感覚的世界で生じ るときにはいつも、そうした何かを必要とする存在がやってくるのです。その存在は、 それによって引き寄せられるのです。それをまた大ざっぱに表現しようとすれば、そ の存在はそこに食物を見つけたということなのです。 (つづく) - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/07/07 - 00841/00848 GCC01413 HVHY 批評を超えるもの。 (14) 93/07/06 23:10  *[楳図は何処へ行く?]  楳図かずおの現代文明論(?)は、いま思い出してみれば、  「漂流教室」あたりから始まったのではないか?  それはともかく、「私は真悟」はスケールの大きな傑作であった。  続く「神の左手・悪魔の右手」はこれに比べると“こじんまり”としていた。  とは言え、「私は真悟」にはなかった“より突っ込んだテーマ”が扱われていた。  そのテーマとは端的に言って「生物学」である。  この作品は意表を突いた結末によって“ある種の余韻”を残していたが、  その“余韻”を引き継いでいよいよ登場したのが現在連載中の「14歳」だ。  楳図かずおの最近3作は明らかに一つの糸に貫かれている。  妙に浮遊感のある現代小説。それもまた時代精神を反映したものに違いない。  しかし、それらが“どうでも良い”と思われるのに対して、  彼の最近の漫画は、“どうでも良くはない”何かが感じられるという意味で、  「同時代性」をもっとシビアーに反映していると言える。  いずれにせよ、「14歳」の今後の展開には期待するものがある。                                  HVHY 00842/00848 GCC01413 HVHY 「迷宮」 (14) 93/07/06 23:55  *[現代のオカルト?]  R.ドーキンスの「利己的な遺伝子」は、  やはり発想の転換を迫る一種革命的な著作であった。  人間はついつい人間に都合の良い勝手な考え方をしてしまいがちだが、  そういった傾向に一定のブレーキを掛ける役割も果たした。  進化の系統図にはよく知られるようにミッシング・リンクが存在する。  その謎は未だに解かれていない(…と私は記憶している)が、  例えば、シュタイナーの進化論ではその辺りをどう解説しているのか?  Nob さんがしばしば指摘するように、科学こそが現代のオカルトなのである。  生物学の著しい発展によって解ったことは、  要するに、生物というものが、地球という「場」の中で、  “もの凄く壮大で複雑・緻密なシステム”によって存在している、ということ。  問題はそうした存在のシステムと「魂」がどのように関係付けられるかだ。  楳図かずおは「14才」の中で、  本来人間になるはずだった種は恐竜の時代に滅ぼされてしまったのであって、  現在の人間は恐竜(チラノザウルス)が進化したものに他ならない、としている。  そうしてみると、石油資源の大量消費は“シナリオ通り”だったわけか?                                  HVHY 00843/00848 GCC01413 HVHY “UN-CONTROLABLE” (14) 93/07/07 00:18   *[旨く行けばそれで良い…?]   いま、世界を支配しているのは、   「コントロールの思想」或いは「棲み分けの思想」である。   もちろん、このような思想がいまに始まったわけではない。   とはいえ、徹底の度合いは現在“最高度”に到達しているのでないか?   その具体例については、改めて述べてみたい…。   ところで、何故コントロールしなければならなくなったのか?                                 HVHY 00844/00848 GCC01413 HVHY 現実を直視する。 (14) 93/07/07 13:57  *「内的自信/外的自信」  ARIONのアイ・ラブ・ユーには、  「自信」について触れられている部分があった。  ARIONは正に「本当のこと」を述べていると思う。  それはそれで良いのだが、敢えて反論のようなものをしてみたい。  人間は社会的動物だと言われる。孤立無援では生きて行けない。  また、アイデンティティーとは自己像と他者像の一致であると言う。  これらの事柄も一つの真実を示しているに違いない。  とすれば、「内的自信」とこれらの事柄はどう結び付くのか?  私は、結局のところ、リアクションがなければ「内的自信」は崩壊すると考える。  もちろん、リアクションはどんな小さなもの(こと)でも構わない。  しかし、「小さくても確かなもの」でなければならない。  そして…、「確かなもの」とは、これ即ち『証し』である。  人間は社会的動物であるが故に、鼓舞し合って生きている。  どんな小さな集団にも、「鼓舞し合う」というシステムが働いている。  ところが、このシステムは、本来無意味なものにも大きな意味を与えてしまう。  人間はそんなに賢い動物ではないので、この意味空間の中に安住する。  「気付く」ということは、ある意味で“過酷”なことであろう。  なぜならば、「気付く」だけでは済まされなくなるからだ。  ここで必要になってくるのが『信念』に他ならない。  しかし、大概の人間は『信念』に生きるほど強くはないのである…。                                  HVHY 00845/00848 GCC01413 HVHY 現実を直視する(その2)。 (14) 93/07/07 15:12  *[生き残りの知恵とは…?]  現実の一つの側面について述べている。  「要領のいい奴」というのは世の中にいる。  「要領」と言えば、それは聞こえの良いものではない。  しかし、「要領」も一つの「知恵」であるとは言えまいか?  しかも、「頭」に属する知恵ではなく「体」に属する知恵ではないか?  即ち、それは“生き残りの本能”なのである。  ここで最後に問題となってくるのは、  「動物としての人間」という側面と「動物ではない人間」という側面だ。  “生き残りの本能”について言うならば、  その“生き残りの本能”がもはや生き残りの方向に働かない  という事実認識こそが重要なのではないか?  「動物ではない人間」。  「人間」を特別な存在であると言うつもりは決してない。  しかし、「人間」を多くの動物と分け隔てる側面があるのは間違いない。  もちろん、それとて、遺伝子のプログラミングに還元される事柄かもしれない。  ではあるが、いま問題にしているのは“そういうこと”ではない…。  やはり人間は人間のことを一番知らないのだろう。                                 HVHY 00846/00848 GCC01413 HVHY 現実を直視する(その3)。 (14) 93/07/07 15:52  *[筋の通った欺瞞]  既に述べたことがあるが、  「定常流」が「非定常流」へ移行すると、  二度と「定常流」に戻ることはない。(不可逆)  このような現象が“一つの方程式”の下に起こる。  つまり、「かつてはこうであった」という語り口は、  現実には通用しないどころか、事実認識にすら到達していないのだ。  例えば、人口増加の曲線にしても、大きく捉えれば、  最初からロジスティック曲線としてプログラミングされているかもしれない。  とすれば、「傾き」が減少に転ずるいわゆる「変曲点」において、  無造作な人口増加を食い止めるような事柄が起こるべくして起こる。  そのような生物学的機構が最初から備わっていると考えられるのである。  このような視点に立つと、確かに妙な人道主義が陳腐に思えてくる。  しかし、人間ひとりひとりにとって大切なことは、  人間という種全体を時間と空間の中で客観的に俯観することではないだろう。  むしろ、「いま」「ここ」というポジションに立っている自分。  その偶然性と必然性にこそ、“思い”を馳せるべきだ。  プログラミングそれ自体には失敗も成功もない。  第一、人間はもともと種全体のことを考えて生きているわけではない…。                                  HVHY 00847/00848 GCC01413 HVHY 現実を直視したら…。 (14) 93/07/07 16:39  *[繁栄のモデル]   表面的な繁栄であろうが、本質的な繁栄であろうが、   「繁栄」という概念には何らかの「モデル」が伴っている。   ところが、「モデル」は常に“相対的”である。   であるが故に、現在の状態はやはり「繁栄」に他ならない。   大多数の人が望むこと。その力が大きければ、   世界は必ずそちらの方向へ動くはずだ。してみれば、   現在の“この状態”は大多数の人が望んだ結果なのである。   つまり、一つの「繁栄」に到達したわけだ。   人間がよほど“オマヌケ”でない限り、   どんな「モデル」にも見るべき部分が含まれている。そして、   先人に対して謙虚であるならば、もう考えられる「モデル」は出尽くした。   しかし、全ての「モデル」を放棄してしまう…という道が残されている。   ところで、「思う次元」と「成る次元」ではタイム・ラグがある。   したがって、新しい「モデル」を求めたところで、   全ての「モデル」を放棄したところで、取り返しの付かないこともある。   それでどうするのか?…という問題なのだ。   「モデル」を持ったこと自体が間違っていたのだ、   と言ってみたところで、問題は何ら解決しない。   もはや、結果については「神様に任せるしかない」という段階ではないか?   であれば、次のような方向のほうが“より可能性を残す”と考えられる。   《一人一人がもう一度、結果は別にして、本当に好きな「モデル」を選ぶ》。                                 HVHY 00848/00848 QFG02515 めるく 水の時代 (14) 93/07/07 18:18  美少女戦士セーラームーンの解読第1回です。    セーラーマーキュリー 水野亜美  水星の戦士。天才少女であり、主人公の月野うさぎと最初に出会った仲間。  戦士としての力は一番弱いけど、オペレーター的なこともする。  アニメでは一番人気。(ちなみに原作では、うさぎの方が人気がある)  くわしくは、アニメや原作をチェックしましょう。  さて、今回のテーマは、彼女の象徴性と、なぜアニメでは、一番の人気なのか。  そして、それにはどんな意味があるのか。といったことです。  彼女はセーラー戦士中、攻撃力は一番弱い。  なんだか、「自分の意志」のようなものも、雰囲気としては一番なさそう。  しかし時として、言うことはきっぱりと言う、ツッコミ役でもある。  また、受験勉強に精をだすあたり、セーラー服美少女ス撤oン戦士たちの中で、  もっとも、非不良的で現実的。  彼女はある意味で人形的であり、機械的、非感情的である。  彼女は水のエレメントなので、現代の表層をはっきり映し出している。  マーズが未来を知覚するのに対し、彼女は現在(小過去)を知覚する。  そして彼女は、アニメで一番人気なのである。  セーラー戦士たちは皆、現代の女神たちであるが、  では水野亜美はなんであろうか。  現実の世界を見渡してみると、彼女に近い概念が見つかる。  それは、「アイドル」である。(スターとは違う)  アイドルとは偶像、人形であり、意志なき者であり、入れ物である。  大衆というオロチにいけにえしとして捧げられたクシナダ姫である。  したがって、水野亜美は、いけにえとして捧げられる乙女、  ということができる。もちろん、それが全てではなく、一面という意味で。  だから彼女は、聖なるいけにえを求める飢えた大衆によって、  一番人気になったのである。  しかし、特質すべきは、それでも彼女は戦士であって、  守られる立場でも救い出される立場でもなく、  逆に人を守って戦う立場にあるということである。  現在のアイドル界がどうなってるかは知らないが、  この背景には、いわゆる「頼りない軟弱な男と、働く強い女性」  という構図がある。(このことはセーラー戦士全員に言えるが)  「いけにえに捧げられた乙女」という傾向をもつ彼女が、  (ちなみにこの傾向はうさぎにもある。エレメントである四守護神たちは、   みなうさぎの一側面を代表する存在だからである)  本来なら自分を助け出してくれるはずの勇者に、頼ることができず、  自ら戦わなくてはならない、という点に、一つの悲劇がある。  が、セーラー戦士たちはシャクティでもあり、  創造力の原点である。  世界の、失われた創造力は、彼女たちを通して復活する。  彼女たちの悲劇は、世界の産みの苦しみなのである。  また、  「いけにえに捧げられた乙女」そして、世界を映す鏡ということ、  これらは、じつは「象徴天皇」という概念にも通じるものである。  紀子様にしろ雅子様にしろ、アイドル的な面はある。スターよりアイドルに近い。  「いけにえに捧げられた・・・・」という点に関しては、  終戦のさい、昭和天皇がマッカーサーに対した時の、  マッカーサーに「神を見た」と言わしめた、  あの自己犠牲的な態度を思い出してもらいたい。  あれによって天皇は実は、支配者である王から、  カミの鏡である現人神へと近づいたとも言えるのである。  人は、水を通して神を見、火を通して神を召喚する。  アイドルの魅力というのは、ひとつには、  いったい何を考えているのか分からない、という神秘的な魅力というのがある。  それはアイドルはウンコしない、という言葉に集約されるだろう。  神とは、目に見えない全て、である。  アイドルは偶像であり崇拝対象であって、大衆はアイドルを通して、  現代の神を見るのである。  飢えたオロチはなぜクシナダ姫を求めたのか。  じつは彼女の放つ聖なる光を求めていたのである。  クシナダは奇稲田であるが、田は水のエレメントと深い関係があり、  そこから芽ぶき成長する稲は、やがてカミの恵みであるコメとなり、  人は、そのコメを通して、カミの聖なる光を帯びることが出来る。  終戦とともに、水の時代を迎えた日本であるが、  火の時代を迎えるには、もう少し時間がかかりそうだ。                          め る く - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/07/07 - 440/448 GDB00064 オリハル 発言者削除 :雨が降ってきたので削除 (17) 93/07/07 00:22 422へのコメント 441/448 SDI00635 みれ 七夕祭り…(*^^*) (17) 93/07/07 02:50 コメント数:3  昨日、今日の七夕祭りの為に笹と色紙やら、何やらを買い込みました。  笹は近所の生花店で¥200ナリ。  色紙は…¥120で、キラキラのを買って(普通のは持ってるのでね)  色紙は文房具店で買ったんだけど、お店のオバサンが素敵なプレゼントを  くれたのでした(^_^)  オバサン 「七夕?」  アタシ  「え? あ、そーですけど〃^_^〃」  オバサン 「これね、私が作ったんだけど一緒に飾ってくれるといいんだけど」  アタシ  「わぁ!可愛いっ。ありがとうございます」  貰ったのは、オバサンの作ったミニ千羽鶴(7羽ね(^O^;))でした。  オバサンは七夕祭りの折り紙を買う人に、自分で作ったミニ千羽鶴を贈呈し  ていたのでした。  7月7日の、たった一日の為にミニ千羽鶴を幾つか作っておいて、折り紙を  買ってゆくお客さんに渡すという小さな行為に、何だか暖かい心を感じて、  あたしは、一日中素敵な「しゃ〜わせっ★」気分で居たのです。  持って帰った笹に、色とりどりのお飾りを付けて、色短冊に「天の川」とか  「織り姫」「彦星」「七夕」とか書いて、お願いゴトを家族でそれぞれ書い  て(^-^;)吊るしました。  日本には色々な行事があり、子供の頃は皆、学校や家でその行事に触れた事  だと思います。  大人になって…私は、未だにそうした行事が好きで辞められないでいます。  若かった頃(一人暮らしの頃)は、こうした行事を一人でしていました。  結婚してからは旦那さまと、そして子供が出来てからは家族でしています。  色々な行事に纏わる難しいことは分からないけれど、そうした行事を行う事  って、人生の絵日記に色を付けてゆくような素敵な気分になれるので、とて  も好きなのです。  それに、こうした年中行事を通して日本の文化の一端を継承しているんだな  という実感もあります。これからも出来るだけ色々な行事を、行ってゆきた  いなとあたしは思っています(^_^) ・:*:・みれ・:・。,★ 442/448 PFA03563 YAHATA 田舎に嫁が来ぬ (17) 93/07/07 05:02  あ、「きぬ」じゃありませんよ、「こぬ」ですから。(-_-;)  YAHATAもいつの間にか「四捨五入したら30」な年齢になった。悠長に構え ていると周囲にせっつかれる。そういうのは気分的にいやなものである。優柔 不断な自分は「せっかく勧めてくれるのだからしかたがない」なんていう選び 方をしそうで怖いのである。それはそこで出会った両者にとって不幸である。  「結婚したい時が適齢期」などと言うのはよっぽど心に余裕のある方と思わ れる。「今はそれどころじゃない」と言う人もいるけど、私はそれが不思議で たまらん。それもまた余裕があるということか?羨ましいやねぇ。  さて、本題に入る。YAHATAの住処は「視界の7割は山」みたいな農村である。 大体、この辺に住む娘達が外へ行きたがる(と言うより親が外へ出したがるの だが)のに外からわざわざ来るのか、というのは大問題である。大規模な専業 農家と違って何から何まで機械でできるというものではない。嫁はまず人足と ならねばならぬ。軽トラだって運転してもらうから、AT限定免許しかないな んてことは許されない。無免許などは論外である。できたらタイヤの交換とか チェーンの脱着も自力でできた方がいい…おっと、閑話休題。まあ、日曜百姓 の家に嫁ぐというのは一種の冒険である。とてもじゃないが黙ってても来るな どということはないし説得しても余計嫌がられるのが落ちであろう。ハエも蚊 もいる。ヘビも出る。田んぼにいればブヨにくわれるし昼間働けば日焼けだっ てする。「自然の真っ只中」とはこういうことである。…え、そんなことは言 わないで連れてきちゃえばいいって?あとで「詐欺だ」って訴えられるかも知 れないじゃないの。 結婚は愛の結果では断じてないのだ YAHATA 443/448 GBD03557 シゲ 七夕祭り…(-_-メ) (17) 93/07/07 09:14 441へのコメント コメント数:2  昨日、今日の七夕祭りの為に笹と色紙やら、何やらを買い込もうとしました。  笹は近所の生花店で¥200ナリ。  色紙は…¥120で、キラキラのを買って(普通のは持ってるのでね) その帰り道の途中で青い制服を着たおじさんが素敵なプレゼントを くれたのでした(−_−メ)  オジサン 「明日は七夕だねぇ」  ボク  「え? あ、そーですねぇ〃^_^〃」  オジサン 「手に持ってるのは七夕に使う笹?」 ボク 「そうですよ(^_^)」 オジサン 「この紙ねぇ、それと一緒に飾ってくれる?」 ボク 「わぁ!ひど〜いっ」  貰ったのは、親方日の丸で発行してくれて、おじさんが書いてくれた 青い紙きれでした。  オジサンは七夕祭りで浮かれてる人に、自分で書き込んだ青い紙をを贈呈し  ていたのでした。  7月7日の、たった一日に限らず、浮かれてる人々を呼び止めては 青や赤の紙切れを渡すという小さな行為に、何だか冷たい心を感じて、  ボクは、一日中険悪な「ざけんじゃねーぞ!」気分で居たのです。  持って帰った笹に、色とりどりのお飾りを付けて、貰った紙に「14km/h超過」とか  「シートベルト着用義務違反」とか書いあって、これからはもうしない・・・と、  願って(^-^;)吊るしました。  日本には色々な悪事があり、子供の頃は皆、学校や家でその悪事に触れた事  だと思います。  大人になって…私は、未だにそうした悪事が好きで辞められないでいます。  若かった頃(一人暮らしの頃)は、こうした悪事を一人でしていました。  婚約してからは婚約者さまとやってます。そして結婚して子供が出来てからは 家族でしようと思ってます。  色々な悪事に纏わる難しいことは分からないけれど、そうした悪事を行う事  って、人生の絵日記に色を付けてゆくような素敵な気分になれるので、とて  も好きなのです。  それに、こうした年中行事を通して日本の文化の一端を継承しているんだな  という実感もあります。これからも出来るだけ色々な悪事を、行ってゆきた  いなとあたしは思っています(^_^) ・:*:・シゲ・:・。,★ (七夕記述ソフト”みれエグゼ”使用)(尚、これはフィクションです(^^;)) 444/448 JBH02324 なえ 発言者削除 :ががん誤字ら (17) 93/07/07 09:32 441へのコメント 445/448 JBH02324 なえ 七夕だわ (17) 93/07/07 10:05 441へのコメント でも雨になりそうね。残念だけど、ま、シゲちゃとYUIちゃんでも呼ぼうかなぁ (^^; 七夕の願い事を書いて付ける短冊、時代の流れなんでしょうね・・。 「両想いになりますように」 なんちゅーふとどきな子供だ。(`_`)/~~~~~~~ピシ そういえば、そうね、織姫様と彦星様はきっと今日だけ逢える事、いつまでだって 信じていたい気もするのね。それは、歳を取っても忘れたくない大事な心のオアシ スかも・・・。  夜のひととき・・・・・僅かでも空が見えますように・・・。 m(_ _)m 446/448 JBH02324 なえ 発言者削除 :ががんまた誤字ら (17) 93/07/07 10:06 443へのコメント 447/448 JBH02324 なえ 七夕祭り…<(゚o゚;)> (17) 93/07/07 10:14 443へのコメント コメント数:1  昨日、今日の七夕祭りの為に笹と色紙やら、何やらを取ってこようとしました。  笹は近所の竹薮でタダナリ。  色紙は…畑で鳥脅しに使うカラーテープをちぎって(普通のは持ってるのでね)  そしていつものお部屋を通りかかると見慣れたお兄さんが書き込みをしてました  オニイサン 「明日は七夕だねぇ」  アタシ  「え? あ、そーですねぇ〃^_^〃」  オニイサン 「手に持ってるのは七夕に使う笹?」 アタシ 「そうですよ(^_^)」 オニイサン 「この紙ねぇ、それと一緒に飾ってくれる?」 アタシ 「わぁ!きゃわいい」  貰ったのは、幸せ一杯で今にも燃え出しそうな勢いで写った二人の、  写真プロマイドでした。  オ兄サンは七夕祭りで浮かれてる人に、さらに追い打ちをかけるように、自分の  写真をまき散らしているのでした  7月7日の、たった一日に限らず、浮かれてる人々を呼び止めては 幸福の紙切れを渡すという小さな行為に、何だか初々しい心を感じて、  アタシは、一日中ほのぼのとした「良いわねぇ」気分で居たのです。  ****中略**** (七夕記述ソフト”シゲエグゼ”使用)(尚、これはフィクションです(^^;)) - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/07/07 - 156/157 HFC01214 SKEWB おしえて下さい。 (19) 93/07/07 14:03 コメント数:1  はじめまして、SKEWBともうします。  この部屋で質問していいのかわかりませんが、  どなたかパイウオーターについてご存じの方  どんなことでも結構です。教えて下さい。  よろしくお願いします。 157/157 GGD02212 Soo RE:おしえて下さい。 (19) 93/07/07 17:05 156へのコメント  はじめまして>SKEWBさん。<スキューバ・ダイビングでもなさるんですか? それもパイウォーターの中でやったりして。  <πウォーター>同じH2Oでも水の分子※が細かい?ので生体に吸収され 易く健康に良い…とか。ハゲにも効いたとかいう話も…ホンマカイナ。  ※厳密には「分子クラスタ」のことかな?よく知りませんが、ミネラル等の アルカリイオンが多い方が水分子のクラスタ(塊)が小さくなるそうで、逆に 有機酸などの陰イオンが多いと、その周囲をヒドロニウムイオン(H3O+)が 取り囲んでクラスタを作ってしまうから、そういう成分の少ない ミネラル・ウォーター みたいなものかな? <誰か補足・訂正あったらお願いします。>  そういえば、ARIONがこんなことを言ってた。(詩的メッセージの8) | 一日に なるべく最低1リットルの出来るだけ清浄な ただの水を摂取する事 | 日没後六時間以降は 多量の水を摂取しない事   <光の黙示録より> (但し、心臓弁膜症とか心筋梗塞の方は、一度に多量の水を飲むと、心不全で 呼吸困難を起こす恐れがあります。) Soo(スウ/Dr.Ray). 健康に関係した話ということで、新しくオープンしたMES(9)でやっても 良いかもしれませんね。そいえば 隆ちゃん なんかも愛用してませんでした? - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/07/07 - 046/051 HGE03563 ソニック RE:オトナの意見 (20) 93/07/07 01:54 043へのコメント コメント数:1     ・・ ・ 329=そにっく ・・とゆうたんなるごろあわせだったりします。 意味・・は??・・ぼくも知りません。ダッテフザケテルダケナンダモノ・・(^^;)                                オリハルさんの359のマネしてるのですけれど・・・、いったいどういう意味に なるのでしょう??・・詳しい人教えて下さい。 ぼく、占い好きだから「数字」には自分で勝手な 解釈をつけてはいるのですが、 正統なものとか、ぼくの場合そんなの一切無視してるからなぁ。 ・・そんなわけで、 コレっていったい・・?? 「悟り」を「差を取る」トカ、天使様も語呂合わせを楽しんでいますが、 語呂合わせなんかに重要な意義があるのであろうか??ソレトモヤッパリタダノゴロアワセカ? (腑に落ちないなぁ↑) 047/051 HGE03563 ソニック RE:オトナの意見 (20) 93/07/07 01:54 042へのコメント コメント数:1 へ〜んだ、いいも〜ん。(-_;) ぼかぁ、1人でも生きていけるからいいも〜ん。 048/051 VFC00244 伊豫〆 RE:オトナの意見 (20) 93/07/07 06:31 047へのコメント コメント数:1 「人」というのは、お互いが支えあっているからこそ・・・と 金○先生のようなことをいうのは、やめておく(笑) ちなみに「伊豫」を数字にすると14だな・・・(-_-;) 049/051 GGD02212 Soo RE:オトナの意見 (20) 93/07/07 07:51 046へのコメント  こんにちわ>329。:さらに窮する?(^_^;) |■コレっていったい・・?? |「悟り」を「差を取る」トカ、天使様も語呂合わせを楽しんでいますが、 |語呂合わせなんかに重要な意義があるのであろうか??ソレトモヤッパリタダノゴロアワセカ? |(腑に落ちないなぁ↑)  確かにARIONは冗談は言わないけど「語呂合せ」は好きみたいですね。 「道」>「未知」だとか、「考える」>「勘変える」だとか。これには私も 腑に落ちないというより、面白いなあ、と思っていました。駄洒落としては 「なーんやそれ、しょーもない」と突っ込みたくなるようなギャグですね。 頭の固い言語学者のオヤジが見たら、「音読み訓読み、湯桶読み重箱読みが 混在していて、とても語源としては考えられない。」とでも言いそうです。  神道家なんかも似たような語呂合せをするようですね。言霊が言霊を呼ぶ、 とでも言うのでしょうか。もともと全く関連の無い言葉でも、音韻的に類似 するだけでも言葉のイメージとイメージが響き合うようになると言えます。  もともと我々の言語中枢における言語の体系は、論理的には必ずしも系統 だてて構築されてはおらず、かなりルーズな連想や類推に基づいています。 受験勉強なんかでも、論理的思考よりは直感的把握の容易な「語呂合せ」を 用いた方が記憶しやすかったでしょう。  駄洒落みたいなことが思いがけず新しい発想を引き出すこともあります。 笑いをとるためというより、(私の場合はウケ狙いだったりしますが、(^^;) それが論理的であろうと無かろうと少しでもより豊かな意味を言葉に見出し、 有効に活用できれば採用してしまう、それはそれで正解と言えるでしょう。  ARIONも、より深い印象を与えるというメリットが誤解を生む語弊の デメリットを上回ると判断される時には語呂合せもアリヨン、なんでせう、 「ありよーん」は359さんも使ったことがあったっけなあ。(^_^;) Soo. 050/051 JBH02324 なえ まったく変だわ (20) 93/07/07 09:32 038へのコメント こんにちわ酷使夢想さん。 どーも談合だの入札だのという内容にはRESしてしまうわたしです。(^^; あたしも入札の透明化を計っても、正当な入札が出来るとは思えません。 更に言うなら、それを行う事で結果的には更に独占企業を作り出すだけでしょう。 元々地方入札とは、国が集めた(税金や資金)お金を効率良くばらまく最善策で す。この入札に依って地方の経済は潤され経済の安定化は計られて来たのに、そ の某氏の言われる事を鵜呑みにしてしまうと、即座に困るのは地方経済なんです が・・。その実体は現実に居合わせて見ないと理解出来ない内容かも知れないけ れど、事が起こってから、困ったわ。では遅すぎます。入札自体の制度を変える 政策はすべきでは無いし、変革もやるべきでは無い。問題はその土壌を利用して 自己利益に変えようとする一集団にあるのだから。 それは言ってみれば何処の世界にも通用する事で、取り立ててここだけ悪いなん てのは矛先を別な視点に向けようとする意図さえ感じます。マスコミの攻撃には ウンザリだけど、やはり視点の方向転換を無意識にコントロールされる不安は、 つきまといますね。 でも・・・・変だと言っても声を出しても、いつかどこかに消えてしまうのが、 悔しいですよね。 小さい者、弱い者は静かにしてろ図式が存在するんでしょうか・・・。(;_;)