- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/08/07 - 00633/00634 NBB01420 SUKE お出かけしますの(^^) ( 2) 93/08/07 02:13 コメント数:1 9日の夜まで出かけてきまーす(^^)/ というわけで、しばらくアクセスしません。 とりあえずご挨拶まで... (うっ、既に未読が4日分ほど溜まっている...)                     (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 00634/00634 GBG02043 維/YUI RE:お出かけしますの(^^) ( 2) 93/08/07 10:25 00633へのコメント こわいぞ、こわいぞ〜〜〜!!未読がどっか〜ん!!と山のように・・・ふっふっふ (^_^;)おどかすつもりじゃあないけどさ。(笑) でも、たった1.5日見なかっただけで、何十もたまってるんだもんっ!! では、気を付けていってらっしゃいまし。                             維/YUI。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/08/07 - 01267/01267 GBG02755 すまる 差別はね・・・ ( 6) 93/08/07 10:41 01266へのコメント すまるが思うには、差別には、あなたの指摘どおり、優劣感っていうのが たぶんにあると思いますね。 障害者の人は、幸せにはなれない。って決めつけているんです。 自分は、体がちゃんと5体満足だから、彼らより幸せなんだって 思い込んでいるんですよ。 それが、差別の根本にあるんだと思います。 自分より不幸なんだから、助けてあげるってのは傲慢の何物でもない。 そういうものを人にみるとき、私は心が凍りますね。 ただちょっと私よりも不自由であるだけなんです。 それは、私が走るのが遅いのと差はないんですよね。 不幸でもなんでもない。 自分より劣るものに対しては、優しくする・・そんなのどっかにやってほしい。 人は、生きているだけで、上下はないし、平等なんです。 誰にでも幸せになる権利はあるし、なれる。 そういうことを根本から知ろうとしないのが、差別意識なんです。 人それぞれの幸せがあることも知ろうとしない、自分の幸せを人に押しつける、 これが、傲慢でなくてなんだろう。 そんな自分にすら気づかない輩が、変な運動をしているんですよね。 今回の差別なんたら申された方にも、そういうことが全然わかっていないんです。 どんなに傲慢で、人を傷つけているのかってこと。 心ないとは、こういうことなんですよね。 自分の幸せを世間常識で計って来てしまった人なんでしょう。 自分の本当の姿を見たことのない人の言うことだと私は思います。 だはは、ついに差別論をぶってしまった・・・・                         すまる - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/08/07 - 00899/00900 GHA01632 かんがえちゅう RE:re:MES 20 #102 ( 7) 93/08/07 03:23 00896へのコメント  それだけが問題ならば、お答えは簡単です。  どのワン・サンプルも大切にすべき、ということですね。私は「大切にしました」 し、「大切にしています」。  その上で、 | § 脳の無い子供や、瞳の無い子供が生まれるだろう。これはベトナムの枯 |   れ葉剤の結果では無く、神霊界での決定の結果だ。人間に対しての警告 |   の一つだ。 というARIONの預言を、他の方はどのように受け止めておられるのか、興味があ るわけです。  「腰抜け」呼ばわりでしたらご勝手にどうぞ。痛くも痒くもありません。 00900/00900 GBG02755 すまる はい。どうも。 ( 7) 93/08/07 10:44 00892へのコメント こんにちわ。Y.Sさん。 なかなか「自分」をしっかりみていらっしゃいますね。 私なんか、そういう自分の欠点なんか野放し状態なんですよ・・・ 「ま、いいか」ってなもんで。ぜんぜん参考になってない。 えっと、自分の思いをこうすんなり表現するっていうのは、 どうなんだろう・・・私は、ただ、自分はこうなんだ・・って思うだけで、 問題にもしてこなかったから。 参考になるかどうかわからないけど、 私は、自分と目いっぱい話をするようにしてます。 毎日平均大学ノートに4、5ページは何かを書いています。ひどい日は8Pにも。 だらだらと愚痴ってのもあれば、自分を励ますのもあれば、冷静に自己批判するのも あれば、思いついたものは欠かさずつけてます。 自分を一言で現わすことなんて出来ませんよね。 次から次からいろんな自分が現われて、問題の解決に行くには、そうとう時間も かかります。今回など、4カ月もかかっていますから。 嫌いな自分が存在するとき、どうして嫌いなのか、どうしてそんなふうに自分を 感じるのか、もう、そればっかり続けます。 やりすぎて、なんにも見えなくなったときもあります。 それくらいやっても、その時はまだ保留状態でした。 腑に落ちるまで、あらゆる可能性を拾い出して、照らし合わせるってことをします。 でも、ほとんど、答えは最初に出ているんですけどね。 理論的な人っていうのかな、頭の回転の速い人って、せっかちで、答えをすぐに どこからかみつけてしまって、簡単に自分を納得させちゃう感じがするんですよ。 一般論で片づける人も在れば、善、道徳、社会常識、習慣(俺はどうせ、こんな人間 なんだ)などで、くくっちゃうのね。でも、答えは絶対自分の中からみつけて、 本心から納得出来るものを見つけない限り、出してはいけないっておもうんです。 その途中で、いろんな自分に出会い、その時々の自分を大切にしてゆくって ことが、ありのままの、心の言葉で、自分を表現するってことじゃないかしら。 自分はこうなんだ、と決めつけるのではなく、まだ成長途中で、今はこうなんだが、、 と言うくらいの姿勢で表現してみてはどうでしょうか。 実際、成長し続けているんだし、明日の自分はすでに、今の自分ではないのですから。 表現は言葉の数の問題ではないし、まして、技法でもないし、 とにかく、自分はいまはこう感じているってことを、率直に書いて行くことだろうな。 人にどう取られようと、自分の言葉では、こうなんだ。嘘はないってことで、 十分じゃないでしょうか。 ええっと、こんなRESでいいのかな。 まだ、Y.Sさんの言っておられることをちゃんと掌握できてないような気が残るんです。 違っていたら、指摘してください。 また、改めて、考え直しますから。 ほんじゃ、また。よろしく。(^_^)                      すまる - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/08/07 - 00540/00541 GGA02514 KAZE 教育について (13) 93/08/07 01:35 00538へのコメント コメント数:1 隆ちゃん、どうも。 今日は昼間、車に乗ってCMのスタジオに行こうとしたところ、 クーラーがいきなり故障してしまい、いくら涼しい夏とはいえ、 汗だくになっていたのでした。 自宅にはクーラーがない貧乏生活とはいえ(^^;;、車にだけは必需品ですねえ。 考えてみればそれだってかなり贅沢ではあるのですね。 やはり現代文明の直中でそれを享受している自分というのを感じたのでした。 しかし、こうしてやっているパソ通をはじめとして、 さまざまな科学技術に乗っかって我々は生きているわけで、 だからこそ、それらを単に技術に終わらせず、魂を育む器の一部として、 位置付けていくということが、これからの最重要課題なのでしょうね。 >とりあえず僕がMAC買うまでの間、しかりフリーソフトウェアーを集めて、 >ノウハウを教えて下さいね。 はいはい、まかしといてください(^^)。 98と兼用で使っているFEPのWXIIの辞書も、しっかり成長させて、 (40万語まで拡張できるのです(^^))コピーさせていただきますので。 しかし、98ではVZというエディターを使っていたのですが、 どうやら、MACにはそれに匹敵するようなエディターは 今のところ見つかっていません。 まあ、成長著しいMACの日本語環境ですから、そのうちに改善させるでしょう。 今のところ98系にはまだちょいと及ばないような日本語入力ですが、 印刷のあがりについていうと、これがまったく反対で、 手軽にとても美しいプリントができる模様です。 幸い、会社にはレーザープリンターがあって、とっても快適なのでした(^^)。 >実に大きなお世話なのですが、KAZEさんは子供が欲しいと思った事はないのでし >ょうか?。 ううむ、これが物心ついて以来まるでないのでした(^^;;。 なぜか、物心ついてから、「自分の子供」というのはないはずだ、 となぜか半分確信のような意識があって、それがずっと続いているのでした。 これは、「血縁」というものの否定的な側面について意識せざるをえなかったのと 最初からそういうことについて「自分はちゃんと知っている」というような 不思議な意識があるのとが絡み合ってできているのだろうと思います。 もちろん、これは子供の好き嫌いとかいう問題とは関係のないことで、 そもそも物心ついたばかりの子供がそう思うのですから(^^;;。 ですから、子供はそれなりにかわいくて興味深いとは思うのですが、 それと「自分の子供」という血縁的なものとはどうにも結びつかないわけです。 それよりも、子供に関するさまざまはぜんぶ自分のなかのそれを ずっと見つめつづけていて、いまも何一つ消えていないと思われるものですから、 あえて、そうするだけの必要性を感じないといったらいいのでしょうか。 これは、相棒も僕以上にその感覚が昔から強いようですので、 そういうどうしがいっしょにいるというのも奇遇といえば、奇遇なわけです(^^;;。 そういう観点から見ると、自分のなかの子供をしっかりみないで、 「そういうものだ」というだけで、安易に子供を産んでしまうのって かえって信じられないというのが実際の気持ちです。 もちろん、それは子供を産むことを否定しているのでは決してなくて、 ある種の安易さと無自覚さというのはいやだな、ということなのです。 つまり、子供を産むことというのはもっと厳粛で、切実なものとして とらえなければならないということと、なおかつそれが、単に、 「血の継承」ということであっては決していけないということです。 過去の時代はいざしらず、血縁にこだわることによる醜さというのは、 僕の倫理感からいえば、ちょっと耐えられない類のことです。 ですから、もし何等かの縁で自分の「血」とはまったく関係しない子供を もつことになったとしても、それはそれでその「縁」を大切にしたいとは 思っているわけです。 そして、子供を産み育てるということの積極的側面をさまざまに理解はしながらも、 なぜ僕にとっては子供を持つということに違和感があるというか、 そういう自分がどうしてもイメージできない、つまりピンとこないのです。 僕にとっては、子供を持つということは、それなりの必然性というか、 それなりの確信というのがどうしても必要ですから。 僕にとっては、結婚するということだけでも、 「そういうものだ」ということはこれっぽっちもなかったのです(^^;;。 これは妙な比較になりますが、シュタイナーは二度も結婚しながら、 なぜ子供がいなかったのでしょうか。 >これはシュタイナー教育にも通ずるところがあると思いますが、まさに肉体と >エーテル体へのアプローチが、子供(小学生以下の話です)には最も必要な事 >なのかもしれんと改めて認識したのでした。 そうですね、今の詰め込みふうの教育は、 子供の肉体もエーテル体を育んでいくどころか、どんどん閉じこめていくものです。 ただ、それに対する反動としての鳥山さんの教育方法は評価できますし、 とっても切実な部分を多くもっているとは思いますが、 「欠落」している部分というのもあるのではないかと思いました。 というのは、以前にもちょっとコメントしたことがあるのですが、 教育には「愛」の部分はもちろん、「敬」の部分が欠かせないからです。 その「敬」による自我形成の基盤づくりをしっかりしていなければ、 その「根」の部分がどうしても弱くなってしまいかねないと思うのです。 シュタイナーは、ある時期の子供には「権威」が必要だということを強調しました。 それは、鳥山さんなどの立場から安易にとらえてしまうと、 ものすごく否定的にとらえられてしまうのだけれども、 実のところ、最初の支えがあるかないかで、それ以降の成長が、 大きく変わってくるのだと思うのです。 ですから、「教育」ということを考える以上、それを「子供のこと」だとは考えずに 生まれてから死ぬまでの人間の成長のプロセスの問題として とらえなければならないと思うのです。 たとえば、仏教などの「十二縁起」などは、生まれ、死に、生まれ、死ぬ、 そのプロセスの原因・結果の連鎖を説明してあるのだと僕はとらえてますが、 そうした「死」とか「転生」だとかいうこともふくめて、 「教育」ということを考えていかなければ、不備だと感じるのです。 こうしたグローバルにとらえた「教育」というテーマは、 やはり、これもカルマ論の一部だというイメージを僕は持っているのです。 >北風と太陽の話ではありませんが、締め付ければ締め付けるほど反発するのが >当たり前の現象ですから、秩序を維持したければ締め付けるのをやめるべきで >す。子供だってバカではないですから、外圧や誘導がなくなったら、どうする >のがよいか自分達で考えて行動するようになるもんです。学校側はその時に若 >干の示唆を示し、跳ねっ返りの首根っこをつかんで、集団に帰してやるだけで >よいと思います。 北風と太陽の話は僕も大好きで、そこにはとっても大事なテーマがあると思います。 僕の通っていた高校は隆ちゃんのそれとは正反対の管理主義的学校でして、 そのあまりにアホな在り方にはいろいろ学ばせてもらった気がします(^^;;。 ただ、さきの「敬」ということを考えれば、理想的には、 学生が「抑圧」としてではなく、「理想」として受け入れることのできる何かが やはり必要なのではないかという気がしています。 今後、もっと人類が自覚的になった時代であれば別ですが、 やはり、「夜警国家」的な学校というのもどうかなあ、とも思います。 ここらへんのことは、状況によってさまざまな在り方が可能でしょうから、 一概にこうだとはいいきれない側面もあるという気がします。 >四柱推命のお話とテトラスクロールの輪読会の再開、近い内にUPします。 それはそれは(^^)(^。=)(^。^)、期待してますね。 僕の方も、そこらへんのテーマを少しずつ見直しとかなくちゃ。 ARIONも龍神がどうたら麒麟がどうたらと ちょっと気になることを言ってましたが、 この夏から秋にかけて、すごく印象的なことがありそうな、 そんな気がしているKAZEでした。 00541/00541 MHD02672 TAO デ・ジャ・ヴ (13) 93/08/07 06:06 00540へのコメント  >KAZEさん  割り込みコメント御免。  ううむ、以前から気になっていたのですが、KAZEさん達は一応社会的には  「夫婦」という形式を取っている以上、「子供」に対してはどう考えている  のかな、と思っていたのですが、何しろプライバシーに関わる事柄なので、  聞くのを遠慮していたのですが、そういうことでしたか。  物心ついてから「自分の子供」というのはないはずだ、という確信めいた  意識があったというのは、“あらかじめそれを知っている”という感覚が  KAZEさんの中にしっかりとあったからなのでしょうね。  かく言う私も「自分の子供の顔を見ることはないだろう」という予感が  なくはないし、それにいわゆる「普通の恋愛/結婚」というのは自分には  無縁らしいということを、実は心の底では知っていたのではないかという  気もしています。  ただ、上の話と矛盾するようだけど、この世にはまだ姿は見えないけれども、  自分の同行者がいる筈だ、という妙な確信めいた感覚もあります。居なくても  居る、そんな感覚ですね。客観的な根拠というのは全くないのですが(^_^;)。  この“あらかじめそれを知っている”という感覚、何故かこの頃になって  感じさせられる機会が多く、先日熊野に行った時も、妙な既視感覚が絶えず  付きまとっていました。  このデ・ジャ・ヴにも似た感覚、ここ一カ月で妙に高まって来ているし、  熊野では、これまでになく超存在というもののリアリティを感じさせられて  しまった。詳しくは9番会議室で書きますので。  今日は神奈川県の大雄山最乗寺へ足を延ばして行きます。最近、発刊された  鎌田東二氏の「人体科学事始め −気を科学する−」(読売新聞社)でも、  大雄山最乗寺のことが紹介されていましたが、だいぶん以前から行きたかった  寺なので、おやおや鎌田さんも…と思ってしまいました。  それではこれから出かけて行きます。 TAO - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/08/07 - 01000/01001 GBG02043 維/YUI RE:麒麟ねえ。 (14) 93/08/07 10:35 00999へのコメント コメント数:1 竜には、雄雌ありますよん!! 鹿のような広がる角をもったのが、雄。 牛の角のように短い先が1つのものが、雌。 ってようになっているそうです。                          維/YUI。 - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/08/07 - 170/172 NCP09537 中野大兄皇子 閉鎖性は解消できない (20) 93/08/07 01:54 どうも、ひさしぶり。 あいかわらずの閉鎖性でビックリ。 やはり、あなたがたは『いわゆるアリオン批判者』の意見がわからない様です。 わかろうとしていなのですね? そのかたくななところはまさに宗教ですね。 いろいろな意見が存在する・・・という事実を認めないようです。 『わかろうとしない』人々は一体ど地らでしょうか? まあ、どっちでもいいけどね。 『普通』の人は、傷つくだけかもしれないですから。 かかわりあわないほうがいいかもよ! ・・・『普通』の人とは『非アリオン教』の人・・と思ってくださいね。 不幸はクセになるからみんな気おつけて! 171/172 VFC02636 ぼんぼん RE:はじめまして (20) 93/08/07 09:00 162へのコメント コメント数:1  #162 みれ さん  こんにちは.  ふと思うことがあります. ARIONは, あなたに真理を伝えるために, また, その真理を「預言」として我々に伝えること選んだ. これが私には 興味深いのです. 絵画なり音楽なり, 様々な表現方法がある中から言語を 用い, 「預言」を与えられたということです.  言葉は, それを発する者, 受け取る者の間に差異を生じることは避けら れません. これは, 言葉を使う者達の最低限の認識です. そして言葉が, 発する者の想いを伝えるものである限り, そこには己の想いを伝えようと する力, 差異を越えて伝えようとするが確実に働いている. 言葉そのもの が, 権力的なものなのではないだろうか.  常識的に Sysop は, 権力者だと思います. Sysopにはフォーラムの適正 な運用, 維持を行う義務があるのですが, その義務を遂行するためにはな んらかのルールを作る必要があるはずです. ルールは一旦出来れば, 必ず 破られるものである限り, 強制力としての「権力」がなければ, ルールの 運用は不可能だと思います.   みれ さんは, これまでメディアにARIONの名と「預言」を出して きた. すでに, そこには, ARIONの言葉は多くの人に伝わっていると いう現実が生まれています. そしてARIONの言葉に真実を見出したり, 感動を読み取る人達も多くいるはずです. ARIONの言葉を伝えられる のは みれ だけであり, みれ さんにとっては《殆ど好きでやってるよう なもので》かも知れませんが, みれ はARIONの言葉を一点の疑いも なく, 真理として伝えているのでしょう. これらを認めれば, みれ の言 葉には一定の支配力としての「権力」が備わっていると私は考えます.  御質問の4点については, 私自身には仮定することも困難な質問です. 特に媒介者…については, 困惑さえしてしまいます. ただ, 感想として述 べることが許されるのなら, Sysop と媒介者を兼ねてやろうとは思わない でしょう. ただただ疲れると思いますから.  余談ですが, もしSysop と媒介者が別に存在していたならば, 今回の世 紀末フォーラムの喧騒も無かったのかもしれないと思ったりもします. 172/172 GBA01276 しまうま 割りコメです (20) 93/08/07 10:02 171へのコメント  ぼんぼんさん、はじめまして(^_^)。  ぼんぼんさんのご発言を、僕のようなぼけナスにもわかりやすいように、簡単に まとめてみました。 1 媒介者編 1) みれさんはARIONの預言を言葉で伝えている。 2) 言葉は権力的である。 3) よってみれさんは権力的である。 2 シスオペ編 1) シスオペはルールを運用する。 2) ルールの運用には権力が不可欠だ。 3) よってシスオペは権力をもっている。 3 ???編 1) ARIONの言葉は多くの人に伝わっている。 2) みれさんはARIONの言葉を真理として伝えている。 3) よってみれさんの言葉には「権力」が備わっている。  1に関していえば、2)の断定に無理があるように思われます。また、もしこの断 定が正当なものだとすれば、文字要素のみでコミュニケーションを行うこのネット ワークでは、誰もが「権力的」でしょう。  2についていえば、「ろくすっぽ権力もないのに、よくこの波風荒いフォーラム を運営してるなあ」と僕は常々思っているのでした。また、一握りの権利を持ち山 のようなの苦役(例えば僕のようなぼけナスの相手をしたりとか(^^;))を背負う人 を権力者とは呼ばないと思います。シスオペ業務についてはよく知らないのですが。  3は意味が把握できませんでした。  えーと、誤解を避けるために言っておきますと、僕は「抽象論はやめて具体的な 例で話してください」と言いたいわけではありません。  ただ、どうしてみれさんを権力者に仕立てあげることに情熱を持っていらっしゃ るのかな??と疑問に思ったので、しゃしゃり出て来たのでした。 : 余談ですが, もしSysop と媒介者が別に存在していたならば, 今回の世 :紀末フォーラムの喧騒も無かったのかもしれないと思ったりもします.  もしみれさんがシスオペでなかったら、今日の世紀末フォーラムの隆盛はなかっ たと僕は思っています(^_^)。                    しまうま - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/08/07 - 01268/01268 PFA03563 YAHATA 山中湖BQの怪リポート2:現地PART1 ( 6) 93/08/07 11:51 01258へのコメント  人々が荷物を搬入するのを横目に、YAHATAは自分の車を置く場所を探す。適 当な空きを見付けて止めた。…さて。ちょうど中から男性が出てきた。  「すいません、楠井の名前で10人予約を取ってるのはここですか?」  「そうですが…」  「あーよかった。…YAHATAです」  しまうま氏を除く全員が集まっていた。「暗くなるまでに着くなんて言って たけど、『明るくなるまで』じゃないのかなぁ」(笑)と言っていたのは維/ YUIさんである。しかし何より印象的だったのは、笑うかわりに「わらい」 と口走る ぼー さんであった…。音声言語に"(笑)"を入れる人がいるとは驚 いた。(笑)  それにしても夏の昼は長い。 「…バーベキュー始まるまで何してようかぁ」 「ぼちぼち飲む(笑)」 「それじゃ食べられなくなっちゃうー」  …しかし。飲み始めてしまったのはアキツ氏の行動からであった。そう、か のAKITSU=☆=ALPHA氏。今回はPC−VANからメールで連絡を取り参加の運び となったのであった。  AKITSU「冷凍庫に入れといたビールはもう冷えてるかな」     (キッチンへ引っ込む)     「よさそうだなぁ、あんまりほっとくと凍っちゃうし。さあ試しに飲      んでみよう」     (グラスまで持って来る)  注がれたグラスが、それほど冷たくない。  「ぬるそうだなぁ」 と口々に。そしてとりあえず飲んでみたが、  「…やっぱり冷えてない。冷たかったの缶の表面だけだ」 と苦情の嵐。ここで一言  シゲ「中国のビールなんか、あったかいよ。あれに比べりゃよく冷えてる」  YAHATA「それは比較対象がちと極端なんでは…」(・・;)  AKITSU「まあ開けちゃったものはしかたがないからどんどん飲んじゃって」 とか言いつつ、これで終わらなかった。「もういいかな」と次の缶がやってき た。(笑)後にAKITSU氏は自腹で20本ほど買い足すという暴挙に出た。  明るい内から酒が進んでる時に、竹 3 号氏が写真を撮った。左手を腰に あて、右手でグラスを掲げているの図。  YAHATA「なんか飲んでる物を誤解されそうなポーズ…」  AKITSU「飲尿療法?」  スーパーとかち「それじゃやっぱり一番絞りでしょう」(笑)  (注:そのとき飲んでいたのはラガーだったように記憶している) いつの間にやら枝豆もゆでてあったらしいが、あっと言う間に鞘の山となった。 しばし離席していた維/YUIさんは、  「もう飲んでる…あー、枝豆まで出してる」 と手を伸ばしたが、  竹 3 号「そっちは殻です」(笑)  維/YUI「両方ともまともな皿に乗ってたら絶対間違えるよこれ」(~_~) 実際、他に何人かが鞘の皿に1度は手をつけた。(笑)  ようやく日も暮れ…まだか。(^_^;)でも焼肉の準備を始めることとなった。  ちなみにしまうま氏であるが…明るい内に到着した。 つづく P.S.  シゲ氏のカオスな横浜の話は割愛させていただきます。[ピー]な表現が多かっ たもので。 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/08/07 - 00542/00542 GGA02514 KAZE 恋愛の本質の探求(宮澤賢治) (13) 93/08/07 12:56 00541へのコメント TAOさん、どうも。 ここらへんのことは、僕にとってはかなり自明のことなのですが、 もちろん一般的とは程遠いのでしょうねぇ。 「結婚する」だとか「子供を持つ」とかいう半ば制度的なレッテルを貼るのが 容易なことについては、僕には実際にそんなに関心がわかないし、 それこそ、そんな制度とは離れたところにいたいなと思っています。 ただ、TAOさんもおっしゃるように >この世にはまだ姿は見えないけれども、自分の同行者がいる筈だ、という >妙な確信めいた感覚もあります。 この感覚は僕にはわりと強くあって、「同行二人」ではありませんが、 制度とは無縁のところで、すべてを理解しあえる「同行者」への確信や、 いずれともに手を携えて何かをしていく仲間たちへの確信は、 心の隅に確かにいつでもあったと思います。 僕は、そうした 方を「友人」、そういう方との交感を「友情」と呼びたい、 そうずっと思っているのです。 これは、ふつういうような「友達」感覚とはほとんど無縁で、 この「友人」「友情」は、すべての愛や恋などを含み込み さらにそれらをメタモルフォーゼさせた高次の在り方を指しています。 つまり、個としての「独」、言い知れぬ「孤独」を通じて、 決してそれを否定せず絶対的な自由意志をもった つきあいかたということでもあります。 ま、そういう自分なりの考え方から、僕は相棒のことを 最上の「友人」としてとらえているのです。 こうしたことは、これまでいくら説明しても誰にも理解されませんでしたが、 僕にとっては、それ以外の在り方は考えられないのです。 そうした「同行者」が見つからないとしたら、 いつまでも「独」でいる、というのは、僕にとっては当然のことなのですが・・・。 おそらく、こうしたことはTAOさんにはご理解いただけるというか、 かなりTAOさんの考え方に近いのではないかと思っています。 鎌田東二氏の「人体科学事始め −気を科学する−」ですが、 僕も数日前購入して半分ほど読んだところなのですが、 「恋愛の本質の探求」というところで紹介されている 宮澤賢治の「小岩井農場パート9」のなかの次のような一節がとっても印象深く、 僕の考え方、感じ方に非常に近いと思いました。   この不可思議な大きな心象宙宇のなかで   もしも正しいねがひに燃えて   じぶんとひとと万象といっしょに   まことの福祉にいたらうとする   それを一つ宗教風の情操であるとするならば   その願いから砕けまたは疲れ   じぶんとそれからたったもひとつのたましひと   完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする   この変態を恋愛といふ   そしてどこまでもその方向では   決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を   むりにもごまかし求め得ようとする   この傾向を性欲といふ   すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従って   さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある   この命題は可逆的にもまた正しく   わたくしにはあんまり恐ろしいことだ   けれどもいくら恐ろしいといっても   それがほんたうならしかたない では、TAOさんのお部屋での旅行記、楽しみにしています。 ☆KAZE☆ - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/08/07 - 173/174 SDI00617 英理庵 シスオペの権力 (20) 93/08/07 13:40 162へのコメント  RE #162 みれさん  一般的なフォーラムであれば、最終的な権力はすべてシスオペひとりに集中 します。個別の例として、シスオペがどうしても逆らえない一般会員なんての がいるかもしれませんし、またある会議室をボードオペに任せたとしたら、そ の会議室内ではボードオペのほうがシスオペよりも指揮系統が上、てなことも あるかと思います。が、基本的にはシスオペひとりに最終的な権力が集まる構 造となっています。いい悪いは別にしてね。  で、よくわからないのですが、なぜみれさんは「シスオペは権力ではなく義 務である」という考え方をしているのでしょうか? もちろん義務もあります が、同時に権力もあるわけですよね。「シスオペになることにより多くの権力 や権利も獲得するが、同時に義務も負う」ということ。ここから先は、シスオ ペがどのような権力や権限を持っているかを充分自覚したうえで、ではその権 力をどう行使するか、という段階に話が進むのではなかろうかと思うのですが。 174/174 SDI00617 英理庵 言葉の権力 (20) 93/08/07 13:40 172へのコメント  RE #172 しまうまさん  「1 媒介者編」へのコメント。「言葉は権力的である」というのはいささ か抽象的なんでコメントしにくいのですが、言葉自体にある種のパワー、他者 に与える影響力があることは否定なさらないと思います。僕らがパソコン通信 という新しいツールを手にいれたことにより、その「言葉のパワー」は飛躍的 に増大しました。発言者の立場にもよりますが、そのパワーが権力的に見える こともあるかと思います。これはま、チャネラーとかシスオペとかに限りませ ん。一般会員のかたでも同じです。TPOにもよりますが、「仲間内の気楽な 井戸端会議」のつもりで発言したことが思わぬ波及をして批判される可能性っ てのは、意識の隅に置いといたほうがよろしいかと。  パソコン通信から少し離れますが。最近関西のラジオ番組のDJが山本リン ダのヌード写真集をけなして問題となりました。これなど、そのDJが自分の 言葉の持つ影響力を過小評価していたのが最大の原因ではなかろうかと考えて ます。  「2 シスオペの権力」については、僕のひとつ前の発言にて。 - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/08/07 - 175/175 SDI00635 みれ RE:閉鎖性は解消できない (20) 93/08/07 14:14 170へのコメント  #170 中野大兄皇子 さん  こんにちわ。  あなたのご発言を読んでいて、首を傾げる部分が多いので、ちょっと 質問させてくださいね。 |あいかわらずの閉鎖性でビックリ。 |やはり、あなたがたは『いわゆるアリオン批判者』の意見がわからない様です。 |わかろうとしていなのですね? | |そのかたくななところはまさに宗教ですね。 |いろいろな意見が存在する・・・という事実を認めないようです。 |『わかろうとしない』人々は一体ど地らでしょうか?  あなたのおっしゃる「閉鎖性」とは、どのようなもので、このフォー ラムのどの辺りの発言にそれが現れているのでしょうか?   「閉鎖性」があると批判するなら、その「閉鎖性」が現れている対象 を明確にし、そのどこがどのように「閉鎖的」であるか?を、説明しな ければならないのではないでしょうか?  あなたの意見に沿わない意見を「頑な」であると決めつけるための根 拠は示されていますか? 根拠を示さずに「頑な」である、「閉鎖的」 であると決めつけるとしたら、それは中傷であっても批判ではありませ んね。これでは、論議の対象を「閉鎖的だ」「頑なだ」「宗教だ」と決 めつけているように見えますし、あなた自身が、頑なであるような印象 を受けますが、如何でしょう?  いろいろな意見が存在する…だが、あなたはARIONを支持する意 見は認めることが出来ない…これでは、ただのワガママでしょう。  フォーラムに参加し、色々な人の意見や情報に接し、また自分の意見 や情報を提供する、という形での人間関係をより良くしてゆこう、とい う気持ちがあるならば、単に中傷や非難だけしていたのでは成り立たな いことはお分かりかと思います。          ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ(北川恵子)★ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/08/07 - 00901/00903 KFD00473 たまご RE:re:MES 20 #102 ( 7) 93/08/07 15:54 00864へのコメント  >>>かんがえちゅうさん  恐らく,かんがえちゅうさんには“とんでもない”と思われることが, 預言解読の方法論として14番では試みられています.(^_^;)  たとえば,数霊による解読,直観的な解読,日常生活からのフィードバックに よる解読,はたまた,ただの語呂合わせなどです.(詳しくは,ご面倒でも14 番でどうぞ)  これらの方法論は,かんがえちゅうさんが述べられた説得力があればという条件 を満たすことの出来る方法論ではないだろうとわたしは確信します.(^_^;)  つまり,かんがえちゅうさんが説得力を持つと考える解釈は,かんがえちゅう さんのやり方でかんがえちゅうさんが納得されるということが必要条件であろう と考えられるからです.(^_^;)  当り前の話ですが,かんがえちゅうさんが説得力が無いと判断すれば,それは 説得力の無いものになってしまうのです.かんがえちゅうさんは緻密な思考を積 み重ねることが好みな様子ですので,かんがえちゅうさんを唸らせるような弁論 でなければ,納得することは無いだろうと思うからです.  ところで,かんがえちゅうさんは説得されることを望んでいらっしゃるのでしょ うか,それとも望んでいらっしゃらないのでしょうか,あるいは自分以外を説得 することを望んでいらっしゃるのでしょうか.    三分法にしてみた(^_^;) たまご 00902/00903 KFD00473 たまご RE:ひとりあるきする「ことば」 ( 7) 93/08/07 15:54 00826へのコメント  “ひとりあるきする「ことば」”というタイトルを一人歩きさせると……  言葉とは自分の意図と違う一人歩きしてしまうものであるからこそ, 自分の意図と関係なく勝手に解釈されないようにしなければならない. (自分の意図と違う解釈をされるとあまり気持ちのいいものではない と感じるらしいからか?)  そこで,意図を誤解されない方法論として,余計なことはしゃべらない, 明確にしゃべる,定義を最初にするというようなものがある.  しかし,対話においてはその大部分を発言者の意図を確かめることに 費やさすという方法論もある.(どちらがより暖かい方法だろうか?)  だから,たとえば,差別用語は差別行為そのものであるという発想や, 表現にガイドラインを作ってそこで線引きしようという考えは,発言者の 意図を考慮しないという点で,言葉の一人歩きを認めてしまっていること になるのではないか.(言葉の一人歩きを意図せずに認めている人が, いまさらそれを認めないというのは?(^_^;)しかし,それも意図しない ことだからいいのか?)  構造だけをターゲットにして,その心(意図)を見ようともしないので あれば,心無い世の中になってしまうんではないか.(そもそも心の存在 など必要ない?)   わけわかめ(^_^;)  たまご PS:夏木さんへ    ARIONがあなたがたというときは,それを読んでいるすべての    人に対していっていることが多い.だから,社会的コンセンサスの    話についてもこの会議室で発言した人を問題にしているという狭い    範囲ではなく,人間すべてに対する問いかけと捉えられるだろう. 00903/00903 GCC01413 HVHY RE:re:MES 20 #102 ( 7) 93/08/07 16:13 00899へのコメント  かんがえちゅう さん  |どのワン・サンプルも大切にすべき、ということですね。  |私は「大切にしました」し、「大切にしています」。  このような答しか返って来ない。ということは、  貴方は現在ですら「大切にしよう」という気持ちが微塵もないわけだ。  「記憶にございません」というロッキードの証言を思い出しましたよ。  “開いた口が塞がらない”とは正にこのことです。  |というARIONの預言を、他の方はどのように受け止めておられるのか、  |興味があるわけです。  既に、14番会議室には、  何人かの方の“受け止め方”が書き込まれています。  興味が本当にあるのなら、そちらへどうぞ。  (まさかROMもしてなかったなんてことはないでしょうね?)       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  堂々巡りになるので、ここで止めようと思いましたが、  もう一度“2つの質問”を繰り返します。 [1] 貴方は「精一杯の努力」をなさっているのですか?     貴方のお知り合いに「精一杯の努力」をしている方がいらっしゃいますか?     そのお知り合いの方の「受け止め方」についてヒアリングなさいましたか?  お答え頂き易いように回答例を示しておきます。    ・私は「精一杯の努力」をしていると言い切る自信はない。     しかし、私より遥かに献身的な努力をしている友人が何人か居る。     その何人かと今回の件について話をしてみた。     彼らの反応は概ね「無責任な預言は止めてくれ!」という怒りであった。     私も「第三者」ではあるが、実は同じように感じていた。     それ故、「決して少なくない人たちの努力を踏みにじる行為だ」と書いた。     この「決して少なくない人たち」の「精一杯の努力」について、     ARIONは何と思っているのか、是非聞いてみたいものである…。云々  さて、残りのもう一つの質問です。 [2] 「そのような子供を産んだ母親」には、     「〜〜〜〜〜〜〜〜?」と問う権利が当然ある、とのことですが、     「当事者」ないし「当事者に準ずる者」の声(反応)を、     貴方は一人でもヒアリングなさいましたか?  こちらも上記の回答例に倣ってお答え下さい。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  もし「当事者」の声(反応)を全く聞かずして、  “彼女らには「〜〜〜?」と問う権利がある”などと強弁するならば、  それは(壁でスマルさんが書いていた通り)単なる「傲慢」です。  そして、「無視して決め付けている」という意味で、紛れもない「差別」です。  「腰抜け!」と言われて「痛くも痒くもない」のなら、  「おまえ****ついてんのか〜?」と言ってあげましょう。  いずれにしても、「預言の解釈」にご興味がお有りならば、14番へどうぞ。                                  HVHY - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/08/07 - 01002/01004 PEH01157 酷使夢想 本当のこと (14) 93/08/07 16:24      はじめに      (1) 開題      平成維新の会や日本政府核兵器開発疑惑を検討していたときのことである。この   過程で奇妙な思いが浮かんできた。「UFOや宇宙人情報はほとんどデマかもし   れない。いや、UFOや宇宙人は存在しないのかもしれない」。すると、突然ひ   らめいた。UFOの情報や平成維新の会や日本政府核疑惑などは、すべて同じ意   図からつくりだされているのではないだろうか。このとき、すべてのジグゾーパ   ズルがとけたという印象があった。そう。すべての社会現象は、作られているの   ではないだろうか?      (2) UFO(外的知識)      複数のUFO XX説は真実だろう。心理的な現象として存在するUFOはあり   うるだろう。UFOが米国やロシアの秘密兵器だという可能性もあるだろう。し   かし、すべてのUFOが自然現象であるということはないだろう。すべてのUF   Oが心理的現象であるというとこともないだろう。すべてのUFOが人類が作っ   た秘密兵器だということもないだろう。つまり、UFOは「分類」できるのだろ   う。   また、複数のUFO XX説真実ではないだろう。部分的に正しく、部分的にた   だしくないUFO XX説もあるだろう。   どのUFO XX説からも1歩距離をおいてみるとどのようなことがみえてくる   のだろうか。      表からみえる現象として、たくさんのUFOに関する情報がある。なにゆえUF   Oに関する無数の情報が存在し、混迷しているのだろうか? ある人は、UFO   を否定するし、ある人はUFOを肯定する。なぜなのだろうか? おはなしとし   ては面白いが、どれもこれをうさんくさいところがある。      (3) 社会運動(外的知識)      政治腐敗防止、核兵器廃絶、差別反対運動、環境問題反対、男女同権運動、平和   運動がある。しかし、こうした運動に実際に参加する人は少ない。このことをう   しろめたく思う人もいるし、無関心な人もいる。多くの人々が期待する政治改革   生産者ではなく生活者のための政治をというスローガンがある。規制撤廃に関す   る世論や地方自治体への分権論がある。平成維新の会があり、政治改革がある。   細川首相が誕生したりする。   どの社会感動からも1歩距離をおいてみるとどのようなことがみえてくるのだろ   うか。      表からみえる現象として、誰もが反対できない社会運動がある。しかし、政治は   腐敗し、核兵器はなくらならず、差別は存在し、環境は破壊され、男女同権では   なく、戦争がある。社会運動の団体の中でも衝突がある。そして、こういう運動   や団体と少しでも接触した人間は、何かを感じる。どこか妙だ。うさんくさい。      (4) 外的知識と内的知識      「これらは外的対象に関する外的知識及び情報であって直接体験から生まれてく   る情報ではない(光の黙視録54P)」。「外的情報・知識から得た理性・徳性・知   性などを一時引き出して(光の黙視録56P)」。しまわなければならないのかもし   れない。「非日常生活の中で、まずは自らも外部情報・知識から切り離す努力を   (同58P)をしてみよう。「最初のうちは完璧にできなくても心配することはな   い(同58P)」という。今回のひらめきは、一種の衝動から発生した。「衝動が   おきた後に分析する方法をとる(同58P)」。      UFO情報がなんらかの意図に基づいて、操作され、利用され、あるいは捏造さ   れ、演出されていたとしたら?   今回の選挙とその後の政界の動きは、多くの人を失望させた。この失望を与える   ことがが本来のねらいだったとしたら?   一見、無関係なこのふたつの点。もっと、たくさんの点。こうした点が、限られ   た少数の意図からすべて生じているとしたら?   点と点をむすぶもの。線、そして面。そして立体。これを探し、つくり出す努力   をしてみよう。   この努力を「本当のことをみる練習」というタイトルをつけて、今後、ときどき   書き込みをすすめていこうと思う。 01003/01004 PEH01157 酷使夢想 本当のことをみる練習(1) (14) 93/08/07 16:29 RE:1003 SUB:本当のことをみる練習(1)   UFOは存在しない?      まず、最初の議論の枠組として、UFO自然現象説や心理現象説や大国の兵器説   をUFOのカテゴリから除外したい。UFOを宇宙人の乗り物または道具説につ   いてのみ焦点をあわせておきたい。これから書くことは、無数に流布されるUF   O XX説のひとつだと思っていただいてかまわない。      第1に、あるUFOの情報を提示し、これを正しいと仮定しよう。次に、秘教に   伝えられている情報を真実とみなす。これは外的な知識のひとつである。ある種   の「UFO情報」は「秘教の教義」に矛盾する。よって、ある種のUFO情報は   間違っているということがわかる。   「秘教」の教義は謝っていると思う人もいるだろう。残念ながら、この発言の弱   点は、ここにある。「秘教」が真偽に係わる内的知識はもちあわせていない。こ   れは外的知識だ。この弱点を承知の上で、議論を進めたい。論理や知性というも   のが、いかにはかないかというものがわかっていただければそれでいい。      第2に、これらの議論の枠組から得られた結論を、あらためて他のUFO XX   説とすりあわせてみよう。その結果、新しい結論が得られるかもしれない。      第3に、第1の議論の枠組を捨てる。その上で、もう1度、第3の議論で得られ   た結論から、表でみえる現象をひとつづつ検証してみよう。      第四に、UFO情報の本当の深層にせまってみよう。   すべてをかたりつくすことはできないが、ひとつのテーマを与えることはできる   だろう。      1 第一の論点   (輪廻を正しいとすると)      UFO XX説のひとに、宇宙人は人類を滅ぼそうとしているという話がある。   この情報を真実としよう。一方、輪廻が真実とする。すると、宇宙人が滅亡する   という話と矛盾する。よって、宇宙人が人類を滅ぼすという説は誤りであること   が証明できる。      その矛盾を検証してみたい。   ただし、以下の仮定を残念ながらおかざるをえない。(ここの仮定を批判し、よっ   て私の結論は過ちだとするしても、私はその通りだと答える。ただし、「論理的に   は」という条件付だが・・・。だから、私のだした結論に私自身が理論的に納得し   ているわけではないことも補足しておこう)。      a 宇宙人も「輪廻」が真実であると知っている。   b 宇宙人は「我々のいう肉体」をもっていない。   c 宇宙人は「肉体」を欲しがっている。      第一に、輪廻が存在するので、全人類を壊滅させても、人類の魂はほろびない。   人類は、また生まれてきてしまう。だから、人類を滅亡させることは無意味であ   る。(この論点の難点は、宇宙人が別の目的じ人類を滅亡させる場合が除外され   る点にある)。      第二に、宇宙人は「我々のいう肉体」をもっておらず、宇宙人は「肉体」を欲し   がっているとすると、輪廻するための肉体として人類の肉体は必要となる。肉体   の数は多い方がいい。不幸な環境に生まれる可能性も大きいが、人類として生ま   れる可能性は大きくなる。よって、我々をほろぼさない。つまり、人類の肉体が   欲しいならば、ほろぼす必要はないのだ。      第三に、宇宙人は地球を滅ぼさないことを支える他の論点もある。   さて、ARIONを含む神霊族は我々人類が滅亡することを望んでいない。なぜ   彼らは我々の滅亡を望まないだろう?   「5万年前、私の意思を伝える種子(趣旨、主旨)を地球上に蒔いてから・・」   それは何の意思だったのだろう。「宇宙の可能性と個人の可能性」、それはどう   いう可能性なのだろうか。      では、なぜ宇宙人は地球をほろぼすという話が伝聞されるだろうか。   このことは、世紀末に地球がほろびるという話に良く似ている。   どうも、ここに伝聞の秘密ありそうだ。   直観が教えるものは2つある。   ひとつは、UFOは存在しないが、宇宙人は存在していて、地球への転生を考え   ているか、自分たちの存在にきずいて欲しいと思っている。   もうひとつは、そもそもUFOや宇宙人は存在しないということだ。      2 第二の論点   他のUFOXX説とのすりあわせ      宇宙人は友好的であるという情報がある。地球も守ろうとしているという情報が   ある。人々は宇宙に関心を持つ。UFOや宇宙に関して意識がむかう。すると、   a 人類全体の意識の流れにより、宇宙人は地球に転生しやすくなる。   b 例えば、宇宙人や超越者の存在を想定することで、広義の新しい「宗教的     形態」として、人類を洗脳する土壌ができる。     つまり、コントロールしやすい人間を生み出すことができる。     (人類の羊化現象)   c マイミュートアーテ?からの人類へのアクセスが容易になる。      これらの論点の類似性に注目して欲しい。この3つが同時に存在しうるとすると   3点とも同じ「やりかた」をつかっている点である。「道具」は似ている。これ   は本題からはずれるので、ここで議論を止める。   ポイントは、人類の羊化にある。      a 人類全体の意識の流れにより、宇宙人は地球に転生しやすくなる。       この説明には、秘教的な知識が必要なので、説明を補足しない。(とってもわ   かりににくい話につきあいたい人は別なので、要望があれば、書き込みをしても   いい。しかし、この論点は重要ではない)。      b 人類の羊化計画   さて、人類を滅亡させようとする団体がいるという。彼らに秘教的な知識がある   とすると、人類の滅亡がナンセンスであることがわかっているはずだ。人類をほ   ろぼして、自分たちは天国にのぼるという思想もあるようだが、しかし「彼ら」   はそのようなことはでたらめであると確信しているだろう。なぜならば、人類は   輪廻するし、彼らは自分を支える「羊のような召使」が必要なのだ。そのために   は宇宙人の存在は新しいツールとして、彼らには適切であろう。つまり、宇宙人   は作られた情報であり、宇宙人は存在しない考えることもできる。   そもそも聖書で人々をまよえる羊と呼んだのはなぜなだろう。この部分は作られ   たのか? それとも神は人類を羊と思っているのか?      c マイミュートアーテ?からの人類へのアクセスが容易になる。    これについては,私は多くを知らないので、何もわからない。      ここで、bの羊化計画に注目してみたい。      3 第3の論点   羊化計画とUFO      UFOには、さまざまな話題がある。この世界に関心がある人は、誰でも知って   いることだが、どれもが自分の理論の正当性を主張し、他人の理論を罵倒する。   こういう精神主義やUFOやフリーエネルギーといった話には、こうした激しい   議論が少なくない。(この表現はかなりひかえめの言い方である)。それは、F   ARIONの世界でも同じことである。そして、多くの人々は、ただUFOとい   う話を「お話し」として面白いと思っているだけである。そして、おおくの人は   実はUFOの存在を本当は信じてはいない。政府の陰謀が隠されているという話   しは興味をそそるが、あまり本気にしている人はいないだろう。すると、本当の   意図が隠されてきたとしても、こうしたケンケンガクガクの議論が興味本意の野   次馬根性によって、本当の意図はみえてこないだろう。意図を隠すこと。これが   UFO情報のすべての謎の理由であったとしたらどうだろう。   プラズマUFO説は正しいだろう。しかし、すべてのUFOがプラズマというわ   けではないだろう。心理的な理由からUFOや宇宙人体験をする人がいることも   事実だろう。あるいは、心理的な理由から本当にUFOや宇宙人体験をつくりだ   すことだってありうるだろう。本当にUFOは宇宙からきているかもしれない。   そういう話を全部まるごと抱き抱えても、隠されているものがある。隠すために   UFO情報があるとしたら・・・。      カンでは、大きくわけて3つのソースから情報が流れていると思う。   2つの勢力の均衡、そしてARION関係から。   そのすべてをはっきりみつめて、本当のことを知りたいと思うわけである。   少なくとも、今回と3つの勢力のうち、ひとつの勢力の意図はわかってきた。残   りの2つの勢力について、いづれかの機会にまた発言してみたい。今は、自分の   意見をもっていない。 01004/01004 PEH01157 酷使夢想 本当のことをみる練習 (14) 93/08/07 16:39 練習 RE:1005 自分が書いた文章をよおかえすと、支離滅裂であることがよくわかる。 混乱している。 それは理論的であろうと努力するがためにかえって理論的ではなくなっている。 だから、ポイントだけをいいたい。 宇宙人は地球をほろぼさない。 宇宙人は肉体をもっていない。 宇宙人が搭乗しているUFOは我々の考えるような乗り物ではない。 実に彼ら自身の体といってもいい。 (もくろんプラズマUFOもある) 輪廻があるので、隠れた意図も人類をほろぼしくたくない。 これは、ARIONも同じ しかし、逆に輪廻があるから、ARIONが人類の滅亡を放置したとき 神は人類の魂の一部を輪廻できないようにするだろう。 これが黙示録に書かれた「世紀末のふるい分け」である。 - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/08/07 - 176/176 KFD00473 たまご あまのじゃくしてみる (20) 93/08/07 15:55 170へのコメント  だってね,ここはここでのテーマ(いや,そんなエラソーなもんではないなぁ) に沿って話をしようって人達が集まってその話をする同好会ですし,他の場所では 他の考え方や意見があるのは当り前すぎて,取り上げるのもヘンですしね.  ここに来た以上はここでの考え方をまず理解してから,自分の意見を言うのが筋 ではないかしらんと思います.  いきなし通りすがりの人に,ここは外とは違うだから閉鎖的だぁっ!とか言われ ても,何いってだろここと外とは違うのは当り前じゃん(同好会なんだから)と思 うから,どうしてそう思うのかしらって訊ねたら,そんなことをみんなで一斉に同 じように聞くのは不自然だって言われて教えてもらえずに,ただ非難され続けてい れば,そんな人に対してはあなたはいったいここで何がしたい訳??といぶかしく 思ってしまいます.  ここは外と違うから外と同じにしなくてはならないということが開放的なのだっ たら,閉鎖的で悪いか?そんなことは大きなお世話だ!なんてあまのじゃくな気分 にもなります.  ここではここの常識があるのだから,ここと違う常識を示すのには説明を要する という手順を抜きにして,社会的コンセンサスだの普通の考えだのを拠り所にして 話をするのはちと無謀かもしれない.ここでは,常識こそまず問い直すという気風 があるかもしれないから.  ちなみに,いわゆる“普通の人”を自認する人達は,日本の閉鎖性の証拠として 横並び意識だとか,島国根性だとかさんざんに非難される材料になったりしている ので,ここでの現象はスケールが違うだけの同じ話なんだろうなぁってな気もしな いでもないでもないのです.  んだば,わたしと違うあんたが悪いのよっみたいな話し方をしても,労多くて実 り少ないだろうから,まず,お互いが相当違うらしいという認識に立って理解を深 めようというのが,まっとうなやり方ではないかしらん.  もっとも,ここを変革して外と同じにしたいとか,わかってないようだから啓蒙 活動をしたいとか,自分と同じでなきゃゼッタイやだということが目的なら,そう いう手法はとりようもないでしょうがねぇ.    まぜかえしてしまった(^_^;)  たまご - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/08/07 - 00635/00635 PEH01157 酷使夢想 しつも〜ん ( 2) 93/08/07 20:05 発言番号が1000番を越えたとき、うまくコメントがつけられません。 発言番号が1000番こえたとき、1000番未満または1000番以上の発言に 対するコメントのつけかたを教えて下さい。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/08/07 - 01269/01269 HFC00771 Y.S 「論理」について ( 6) 93/08/07 21:14 「論理」について少し考えてみました 「論理」ってなんだろう? 他人を攻撃するのも「論理」だし、 自己を防衛するのも「論理」だし・・・・・ 物事を考えるにも「論理」を使う 自分の気持ちを表現し、相手に伝えようとするのも「論理」を使う 単なる自己表現の道具の場合だってある それに、相手を説得しようとする時にも使う どっちが正しいかを決めるにも「論理」にゆだねられる事が多い・・・・ 「論理」って、いろんな使い方がある だから、相手が「論理」を使ってきた時、それだけじゃ、相手の意図はわからない 相手が「論理」を使う意図を読み違えた時、そして、相手が意図を隠して「論理」 を使ってきた時、議論がかみあわなくなる それに、議論の途中で「論理」の使い方がスリ代わることもある? そんな気がしてならない                   やっぱりここが一番書き込みやすい Y.S - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/08/07 - 00904/00905 PEH01157 酷使夢想 自分をみる練習 ( 7) 93/08/07 17:54      昨日のぶざまな自分の姿を惨めに思っている。   ある会社のある部門の人Aとある業務の計画を立案した。   立案した計画は妥当性が高いと判断していた。   私は、その計画の内容をもう一方の部門(事実上の全プロジェクト)の総責任者   Bに報告した。Bは、その計画の一部を納得しなかった。      Bは中々の論客であって、社内に対する影響力を強い。しかし、Bの主張は理論   的であり、論理的であり、彼の質問は本質的であり、根本的であり、答える窮す   る場合が多い。しかし彼の論点の多くは、スタンダードではない。むしろ、偏狭   であり、自分勝手であり、実務的ではなく、現場指向性が低い。と私は判断して   いる。      一方、Aの主張は、スタンダードであり、オーソドックスであり、実務的であり   現場指向性が高く、現実的である。ときどき、過度にスタンダードであり、オー   ソドックスであり「すぎる」場合がある。しかし、概ね、彼の計画は妥当である。   と私は判断した。      しかし、私はいうなればBとの討議に負けてしまった。例えば、普通の常識では   絶対必要な計画の要素をおとしてもいいと答えてしまった。さらに、ある書類の   書式について、厳格にその書類の存在の正当性を説明することができなかった。   そのような書類があることはいわば「自明」であって、私には「説明」不可能な   ものだった。情け無いと思う。自分が馬鹿にされることを恐れた。私は、AもB   も正しいとした。Bと、そういう答え方は納得できない。どちらが正しいかはっ   きりいろとせまった。そこで、この書類が作られる過程について、私はBの見解   もありうるとしたが、この書類を全く不要であるとするBの見解には最後まで抵   抗した。彼は、結果的に折れたが、不満は残ったようだった。   Bには、かなり半年前から、大枠の話はしていたが、どたんばにきて、大枠と異   なる意見をだした。なぜ、そのような意見をだしたかは理解できるが、やはり私   は不愉快である。      私は、今 猛烈に自己嫌悪している。   私の本音はAの話を通したかった。Aにも、できる限りAの話を通す努力をした   いと話した。しかし、全体のバランスからいうと、Aの話しをすべては通せない   と思っていた。そのことはAには話しておいた。しかし、私は必要以上にBの話   にのまれてしまった。今は不安で一杯である。その不安の正体はAにもBにも信   頼を失うであろうとする外的な評価の心配である。私は、ふたりの人間にいい顔   をしようとし、その結果怪我をすることになるだろう。これから、大変な苦労を   することになる可能性も高い。      なぜ、このようなことがおきたのだろうか。それは、Bのとっぴょうしもない疑   問にうろたえたこと。彼のとっぴょうしもない論点が、ある意味では正しいとわ   かっていること。私は、自分の意見というものをもっていなっかったこと。そし   て、自分が正しいと思っていたものが、すべての人には正しくないということ。   そういうことに混乱し、自分の自信を喪失したことである。そして、ふたりとも   にいい顔をしようとしたことである。なぜ、そのようなことになったのだろう。      決めた。第一に、Bの書類の疑問をといてあげよう。その書類の必要性を再度、   話しあってみよう。そのとき、私の立場の話もして、AとBとで話しあってもら   おう。そのとき、私はBを支援できないとはっきりはなそう。Aの見解は、納得   できるものだった。理由は説明できない。と明言しよう。しかし、Aも支援しな   いと思うと話そう。これは、私の問題ではなく、私は一方の話を納得し、整理し   たのだと話そう。あとは、社内の問題であることをはっきり明言しよう。それは   自分たちの問題であるということをはっきり断じよう。私は、この会社の社員で   はないのだから。そして、大枠の話しをもっと早く、そのやりかたはきにいらな   いと言ってほしっかた。遺憾であるという話もしよう。自分としては、不愉快だ   とという意思もはっきり伝えよう。妥協しすぎた機能のおとしについては、もう   1度謝罪して、やはり必要だといおう。ただ、ひたすら謝ろう。流されてしまっ   た自分を詫び、この機能は必要だと話そう。その理由も話そう。その上で、それ   でもその機能が不要だとするならば、どのような方法があるか、AとBと私とで   話しあうことを提案しよう。私にはわからないとはっきりいおう。その結果、私   が無能であると思われてもいいではないか。私の信用がおちてもいいではないか   会社の信頼を落としてもいいではないか。私は自分に誠実であることを選択した   い。 00905/00905 HFC00771 Y.S RE:遅ればせながら ( 7) 93/08/07 20:11 00893へのコメント 隆さん、こちらこそどうぞよろしく(^^) コメントどうもありがとうございました マイナスをプラスにかえるとは、まさに「逆転の発想」ですね! :っで、展開が開けないときにどうするかというと、自分のプラス面、マイナス面 :(これは前述のように表裏一体だと思うのですが)にとらわれているよりも、自 :分に欠けている事はなんだろうかと考えるのが、効果的だと思っています。 自分に欠けているものを考えよ、ですか コ結論を急がずに、ゆっくりと考えてみることにします :ちなみに「人間学」みたいなお話がお好きでしたら、ぜひ13番会議室をのぞい :て見て下さい。団長のKAZEさんはそのあたりの事に真剣に取り組んでおられます :ので、参考になる話題もあると思います(僕は雑談かましてるばっかりですけれ :ども・・・(^^;))。 私で、わかるかな? でも、シュタイナーは以前から興味がありますので(特にシュタイナー教育)、 いずれ、お邪魔したいと思います、その時にはどうぞよろしく                                   Y.S - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/08/07 - 080/080 NCD01751 しろおか 現代に残る神秘の地 (11) 93/08/07 21:02 私も、一度は熊野詣でに行ってみたいと思っています。熊野三山・奥の院「玉置山」に 熊野大社(熊野本宮・熊野速玉・熊野那智)。天河弁財天にも行ってみたいし。 そして、我が家は代々『真言宗』の家系なので高野山にも訪れてみたい。前田利長(加 賀藩主)の墓にもチョイと挨拶したりして ^^;。 高野山観光協会に申込めば案内人付きで、全山で4時間 6千円、奥の院・壇上伽藍方 面各2時間 3千円 と書いてあります。 地獄の沙汰も金しだい (^ ^;) - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/08/07 - 177/180 VFC02516 かんな 違いと言うこと (20) 93/08/07 17:17   こんにちわ、最近7番にご挨拶したかんなです。こちらの会議室への  書き込みは初めてです。どうぞ、よろしく。   最近、差別の事について話題になっていますが、私も自分なりにあれこ  れ、今までのこと振り返って見ました。   私は週に2度程近所の病院の精神科へ遊びに行きます。俗に言うボランテ  ィアです。その事を初対面の人が知ると「大変ですね」「えらいですね」と  言われます。これ私にはそれこそ大変困るリアクションです。私にとっては  ちっとも大変な事では無いし、えらい事もしていない。単に私は以前その  精神科に入院した事があって、その時やはり遊びに来てくれていた人たちに  とっても慰められた体験があったので、今度は私が元気になったから、その  立場が変わっただけなのです。でもそう説明しても、あんまり理解してくれ  ません。人間って、自分の理解を越える事はどうしても受け入れられないの  ではないでしょうか。けっして「そういう事もあるのだ」と、理解できない  事を心の片隅にでも置いておいて、保留にする事が出来ないようです。  外に捨ててしまう。   新聞等で殺人事件とかの記事が出てその犯人が以前にノイローゼで病院に  通院していた。と書いてあると、納得してしまう。きっとこんな大事件を、  犯す人はやはりどこかおかしい人なのだ。と合理化してしまう。決して、  自分にもその可能性があるかもしれない、とは考えない。そう考えると、  自分が不安定になってしまうから。。。と私は考えました。  おもしろいのはその人が風邪を引いていて以前に病院に通院していた。  なんて記事を私は読んだ事がない事です。   でも、その理解をするとか理解出来ないまでも保留にして置く事の基準  ってどこにあるのだろう、と思います。やはり数の多さでしょうか?多い  方に基準の決定権が生まれるのだろうか?登校拒否というのにしても、  みんなが学校に行くから、行かない子がおかしいと言われる。じゃ、みんな  が行かなければ、今度は毎日行っている子がおかしいと言われるのでしょうか。  私には、日本全国の子どもたちが、毎日決まった時刻に一斉に学校に行って、  決まった時刻に帰宅する事の方が、なんだか信じられない。   なんだか、自分の考えを整理するつもりで書いたのに、全然整理が出来な  くなってしまいました。こういうのを墓穴を掘るというのかな?(^^;;  もうすこし、考えてみたいと思います。 ★かんな☆ 178/180 VFC02636 ぼんぼん RE:割りコメです (20) 93/08/07 19:29 172へのコメント #172 しまうま さん しまうまさんが《1 媒介者編》としたのは私の意図とは異なっており, これは, コミュニケーション上の言葉が持つ権力について述べたものでし た.わかりにくくて申し訳ありませんでした. 私は言葉を使う人全てが「権力的」だと思っています. 発信者の持つ十 分に認識されていない確信から生まれる言葉を, 同意されているものとし て, 受け手側に送る行為は, 権力的ではないでしょうか.  言葉は同じであっても, あなたの「愛」と私の「愛」は異なるものでし ょう. どんなに厳密に定義付けたとしてもね. 一旦, 両者の間で「愛」と いう言葉が交わされれば, 「愛」という言葉はスレ違いながら二人の間を 通うわけです. そこに在るのは, 一方的な意味の交通とその差異を埋めて いく発信者と受け手の変化です. この変化は互いが「変化させられるもの」 です. これらは, 私にとって「権力的」なのです. みれ さんを権力者にすることに情熱などもっていません. 私は, 誰も が言葉を使う上では権力を行使していると思っているのですから. ただ, 言葉の権力なり支配力について, 誰もが十分な自覚を持つ必要があると考 えているだけです. 《3 ???編》については, 媒介者 みれ の言葉は多くの人に支配力 を及ぼしている可能性はないかというそれだけのことでした. Sysopみれ さんに対するあなたの感想は了解いたしました. それについ ては私の方から特に申すことはありませんが・・・ あなたは, Sysop が権力を持っているのに何か不都合をお感じなのでし ょうか? 179/180 GCC01413 HVHY RE:はじめまして (20) 93/08/07 21:03 171へのコメント  >> ぼんぼん さん  ちょっと面白い話に発展していますね。  [#175]を丁寧に読み返してみたのですが、  5つの全く異なる意味合いで「権力」という言葉が使われています。   1.「言語コミニュケーションの権力性」(或いは「言語の権力性」)   2.「組織と組織内ルールに伴う権力性」(或いは「組織の権力性」)   3.「メディアの影響力としての権力性」(或いは「媒体の権力性」)   4.「独占的媒介によって生ずる権力性」(或いは「巫女の権力性」)   5.「ARIONの絶対性による権力性」(或いは「神様の権力性」)  以上の5種類の「権力性」について、以下に検討してみたいと思います。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [1] 今回の件(預言の差別性云々)で、私が最終的に確認したことは、     「確かに言語はそもそも権力性と差別性を備えている」ということでした。     (※このことに関しては改めて14番でも触れるつもりです…)     そして、この問題を発展させていくと、     「なぜ人類は言語を獲得したのか?」という所に、更には、     「なぜ生物は個体として存在しているのか?」という所にまで辿り着く。     もう少し卑近な所へ引き寄せて言うならば、        *「なぜ私たちは会話するのか?」        *「会話と言っても色々な種類があるのではないか?」     といった事柄を考えてみざるを得なくなる。     ところで、ARIONの預言の場合は、     確かに「言語」を使って表現されていますが、     その表現は時として詩情に満ちており、(それ故「詩篇」とも呼んでいる)     どうも「音楽」のように訴え掛けてくることがある。     ARION自身もしばしば「響き」の大切さを強調しています。     つまり、ARIONの言葉の使い方は“何だか普通とは違う”。     「差異を越えて伝えよう」という感じではないのです。     こんなことを言ったところで“通用しない”のかも知れませんが…。     私たちは現代社会にポンと生まれ落ちて、     その社会における言葉の使われ方を学び、それに従って生活しています。     しかしながら、少し時代を遡ってみるだけでも、     言葉の使われ方が大きく変化してきたことに気付きます。     (※例えば「歌垣」などについて14番で触れましたが…)     そういった意味で、ARIONは、     埋もれてしまった「言葉」の可能性を掘り起こしている、とも考えられる。     そして、この場合の「言葉」は、もはや、     「権力性」という文脈を超えているのではないでしょうか?        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [2] これに関しては、どのように緩やかな組織であろうと、     (※いわゆる「柔らかいネットワーキング」と言われるものも含む)     不文律を含めたルールが存在し、それを維持しようとする限り、     「必要と判断されれば行使されることが認められる権力」     を持った立場を担う人間を、便宜的にであれ、積極的にであれ、     組織の中に設けておいた方が、組織の運営が円滑化する、という意味で、     SYSOP或いはSYSOPである みれ さんは「権力者」ですね。     しかし、この意味における「権力者」としての立場を得た者が、     この意味での「権力」を行使する場合にも、“二通り”あるでしょう。     組織を構成する人間の大半が「その行使は妥当である」と考える場合。     組織を構成する人間の大半が「その行使は妥当ではない」と考える場合。     そして、後者のような状況にも拘らず、     上記の意味での「権力」が行使されるとすれば、     それは「権力の不当な行使である」と糾弾されて然るべきでしょう。     (※この手の議論は私の本意ではないのですが…)     さて、本当の問題は“こんなこと”ではありませんね。     ARIONが妥当性に関するジャッジメントに関与してくるのか?     ぼんぼんさんも、実は、そこが知りたいのではありませんか?     単なる民主主義の論理を超えた判断をARIONがした場合、     もしも媒介者でありSYSOPである みれ さんが、     その判断を「一点の疑いもなく」受け入れたら、     組織のおよその合意を超えて「権力」が不当に行使され得るからです。     (※この場合の「不当性」はもちろん絶対的な意味は持っていません…)     そして、その「不当性」に対する責任は、     少なくとも現在の社会システムでは、ARIONに及びようがなく、     SYSOPである みれ さんに全面的に及んでしまう…。     そうなってくると、次に問題になってくるのは、ARIONが、     媒介者でありSYSOPである みれ さんの立場を守るために、     或る種の“妥協”をすることもあるのか?…といった点ですが、     中心的論点を既に外れてきましたので、このあたりで留めたいと思います。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [3] さて、次に「メディアの権力性」について。     これは、(言うまでもないことですが)、     ARIONや みれ さんに由来する問題ではありません。     そして、ARION自身も みれ さんも、     「メディアの権力性」ということは理解していると思います。     とすれば、そういう性質をどうしても持ってしまう「メディア」に対して、     ARIONはどのようなスタンスで関わっていくつもりなのか?     …といったことは問題になってくるかも知れません。     このことを考える上で、     確かにマス・メディアへの露出もあるけれど、     一方において、量的な意味での伝達効率が悪いパソコン通信に、     ARIONがその本拠地(?)を置いている、ということは、     重要な観点を与えると私は思います。     もちろん、パソコン通信とて、     “疑似マス・メディア”として機能してしまう面もある。     しかし、そこまでの話になってくれば、もはや、     「それぞれの人々の参加の仕方が大切だ」と言わざるを得ません。     因みに、最近のRTにおいて、     「今後マスコミに期待出来る面があるか?」との質問に対して、     ARIONは「ある」と明言しております。     私たちはマスコミ或いはメディアを“一括り”にして語るのではなく、     もっと微視的(マイクロスコピック)に語るべきなのかも…。     (※例えば「ゴーマニズム宣言」などをどう評価するのか?)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [4] 段々と難しい領域に入ってきました。     ここで「巫女」の歴史を振り返ってみると、     確かに或る時代において、「ヒメ・ヒコ体制」とでも言うべき形態で、     「ヒメ(巫女)」が「権力」と言っても構わないものを持っていました。     しかし、その時代における「ヒメ(巫女)」の「権力」が、     今日的な意味における「権力」と同質であったと見なすのは早計です。     と言うのも、今日的な意味における「権力」が台頭してきたのは、     「ヒメ・ヒコ体制」が何らかの理由によって崩れ、     日本の王権が父系主義(男性中心社会)に毒されたからであり、     それが証拠に、かつて頂点にあった「ヒメ(巫女)」の地位も、     中世を向かえる頃には、既に蔑視の対象とされるまでに落ちていたのです。     (※その一方で天皇の妾になったりするケースもあった…)     どうも、斜めから入ってしまいましたが、     みれ さんが「巫女」であることを宣言するということは、     現代の社会においては、むしろ「異なもの」と見なされ、     無視・蔑視・抹殺の対象となる可能性を自ら引き受ける、ということです。     例え一方で「ヒメ(巫女)」としてのカリスマ性を持ったとしても…。     尚、私は、「自然に崇拝される」ことは悪いことだと思っていません。     なぜなら、学ぶべきことの多い相手に対して、     「自然な敬意」が沸くのは、人間として当然のことだからです。     私は、みれ さんには欠点もあると思っている。しかし、     いろいろな話を聞くにつけ、“なかなかスゴイ”と思わざるを得ない。     ところで、肝心な「媒介の独占」という問題。     「言語化されたメッセージ」によるARIONの顕現ということになれば、     それは正に媒介者である みれ さんが「独占」しているわけですが、     (※正確にはARIONが みれ にその役割を独占的に与えている…)     「ARIONが実際には何であるか?」ということを考えれば、     「ARIONは誰にも独占出来ない」ということが解るはずです。???     (※何の話だか訳が解らなくなってきましたが…)     仮に、みれ さんが「独占」しようと思ったところで、     “土台それは無理な話”なのですよ。     もっとも、みれ さんは、「あっちへ行ってくれ!」とばかりに、     「悪魔払い」したこともある…とのことですが。(^^;)        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 [5] [1]〜[4]の「権力性」が存在するとすれば、     それは[5]の「権力性」によって更に“倍加”されます。     或いは、[1]〜[4]が特に問題になるのも、     [5]の「権力性」が前提にあるから、と言えるかも知れません。     もちろん、ARIONの存在そのものに疑問を感じている者はとっては、     この5番目の「権力性」は問題にならない。     つまり、ARIONの存在なりその「言葉」を信ずる人が、     その数が多かろうが少なかろうが存在する。その故に、     この5番目の「権力性」が有効に機能する余地が生ずるわけです。     そして、その余地がある所では、     [1]〜[4]に対する注意も普通以上に向けなければならない。     さて、現在の状況では、     ARIONの「言葉」を信じている者など僅かであって、     社会の全体から見れば、「何処で何をしているか解らない」程度です。     したがって、この「権力性」から来る“間違い”が起こったとしても、     それを一般的な社会問題と捉えるならば、     極めてローカルな問題として片付けられるでしょう。     しかし、問題の本質はもちろん別のところにありますね。     ローカルであろうがグローバルであろうが、     何度も繰り返された「宗教の形骸化」を今また“ここ”で繰り返すのか?     もしも“ここ”FARIONが何らかの可能性を抱えているのなら、     そのことはやはり厳しく問われるべきだと思います。     では、実際問題としてはどうでしょうか?     私も一時期は「SYSOP兼チャネラー」という在り方に疑問を持った。     しかし、蓋を開けてみると、これで良かったと感じています。     なぜなら、運営の判断上、もし深刻な葛藤が生じたときも、     最終的に「ARIONと みれ さんの調整」に委ねられることにより、     多数の人間が絡むことによる“混線”を避けられるからです。     仮に「ARIONには誤りがない」ことを前提とすれば、     これが最もシンプルでトラブルが起こりにくい、と私は思います。     もちろん、媒介者としての みれ さんに、     何らかの理由があって“異変”が生じた場合、     それに対するチェック機能はどうなるのか?…という問題はある。     この意味での「人間の側からの監視機構」は必要か否か?     私について言えば、ARIONに任せるという立場です。     “ここ”FARIONがこれから問題を孕んでくるようなことがあれば、     ARIONは自らの手で“ここ”を潰して、別の方策を実行するでしょう。        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  最後になりましたが…、  一気に書いたために、最後のあたりは、  筋が通っているのかどうか定かでありません。いずれにしても、  自分自身としては、「預言解読」の部屋を持った立場として、  これらの項目について何時も考えていますし、  これからも考え続けていくつもりです。  全体として、ぼんぼんさんは、みれ さんに、  「現在既にFARIONが置かれている状況」について、  確認すると共に一定の注意を促しておられるようにも感じられます。  そのような意味であれば、みれ さんも有り難く受け取られることと想像します。  長くなりましたが、今後もどうぞ宜しく。                                  HVHY 180/180 GBA01052 CHARAN RE:閉鎖性は解消できない (20) 93/08/07 21:58 170へのコメント #18 >いつも時代にも、気に入らないやつは存在するようです。 > >もし、あなたが何かを考え、精神的な世界での謎ときが好きなら、 > >それ以外のことに目くじらを立てるのは辞めたほうがいい。 と、まあこんな事をのたまわれるお方ですから、少なくとも 何かを考え、精神的な世界の謎ときが好きで、それ以外のことに目くじらを立てない お出来になった方かとばかり思っておりましたが・・・・・ じぇ〜んじぇん違うんですね。