- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/08/25 - 00716/00721 HGE03563 ソニック ゴキちゃん考察 ( 2) 93/08/24 22:19 コメント数:2       −−−−ゴキちゃんを真面目に考える−−−−− ゴキちゃんを見るといつも思います。 ゴキちゃんといえど、ボクと同じくボクの愛するカミさまが造られた同胞なのです。 ですからゴキちゃんも愛さなければいけないのです。それが「愛」の道なのです。 極めて真実に言うとゴキちゃんとボクは1なのです・・・(!)。 ・・んな訳がないっ!これは何かの間違いだっ。 あんなオゾマシイものが・・、きっとカミサマの失敗作だっ!! しかしっ・・・全知全能のカミサマは失敗するわけがない・・。 ゴキちゃんを見るとこうゆう問題を真剣に考えて夜も眠れないのです。 ゴキちゃんのカラダは確かに機能美に満ちております。 最近のクルマのデザインはほとんどゴキちゃんに似通って来ているそうです。 ゴキちゃんはいわゆる「完全体」と言ってもかごんではないでしょう。 この「機能美」はゴキちゃんの御先祖の如何なる行為によって得られたか? 1)「天敵」から「逃れる」ため、僅かのスキマにもぐり込めるような造形。 2)「暗闇」や「物陰」を、ゴソゴソはいまわるための機能美。 3)ひたすら目立たないことをモットーに、「陰へ陰へ陰へ・・」。 つまり、世渡りの「機能・手段」ばかり追求して究極の性能を究めたとしても、 「目的」がこうゆう類のものだと、行為の結果は、 ゴキちゃんの存在が体を張ってそれを証明しているのです!          ・・さて、どこから冗談でどこから真面目な話だったでしょう?                         (^_^)そにっく(^_^) 00717/00721 NAG02033 EX 333 ( 2) 93/08/24 22:53 夏ばてでふらふらしながらコピーを取っていた。 何気なく目に入ったデジタル時計の文字が3:33だった。 会社から帰るあたりからずっと右手の小指のあたりが痛い。 (・_・)? ″EX:NAG02033 ″ 00718/00721 GBG02755 すまる姫 だはは、笑ってくだせぇ ( 2) 93/08/25 15:31 コメント数:1 何を思ったのか、私にもわからないんだけど、 ハンドル変更なんだ。      《 すまる姫  》                にしちゃうんだなあ。 なに考えているんだか・・・我ながら、変! でも、どうしても変で、馴染まなかったら即座に戻すだろうな・・・ わらってくだせぇ。 本当の理由?そんなもんない。 ただなんとなく・・・・ もしかしたら、玉置山へ行った後遺症だったりして・・・ ねね、ちと呼んでみてくんない? 呼ばれて違和感があったら、変えるから。 でも、もし違和感がなかったら??? それ考える方が恐い・・・・私ってなあに?ってなもんだ。                       すまる姫 00721/00721 KFD00473 たまご RE:だはは、笑ってくだせぇ ( 2) 93/08/25 19:25 00718へのコメント  いいんでないのぉ?  どっかのフォーラムでは“異国の媛”なんて名乗ってるここの某アクティブ もいることだし.(^_^;)  お姫様願望は婦女子の皆様共通の願望ではないかと.   では,姫様.ご決断を!!<若干一名にだけわかギャグ(^_^;) - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/08/25 - 00223/00225 GDB00064 オリハル スパスシフィカ直観の歌 ( 3) 93/08/25 00:44 私の印象に特に強く残った歌を、 特に私を元気づけてくれた楽曲を以下に掲げたいと思う。 私の「スパスシフィカ」の観点から選ばせて頂きました。 つまり、SPARKING! です。            <<シングルCD一覧>> 美女と野獣    荻野目洋子  1991.06.05 ネオ・ブラボー  Southern All Stars 1991.07.10 Miracle Love   牧瀬里穂  1991.10.30 涙がとまらない   酒井法子  1991.11.07 この国に生まれてよかった   村下孝蔵  1991.11.21 ささげたい、あなたに・・・   牧瀬里穂  1992.05.08 Blue Moon Stone   The Checkers 1992.05.21 愛、とどきますか  和田アキ子  1992.05.25 生きてるって素晴らしい   西田ひかる  1992.07.24 ZERO   B'z 1992.10.07 メリーゴーランド         渡辺美里        1992.11.21 愛という名の勇気         益田宏美        1993.01.21 Cry For The Moon         浜田麻里        1993.01.27 愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない                  B’z         1993.03.17 Dolphin Ring           杏里          1993.04.07 大切なあなた           松田聖子        1993.04.21 終らないで I LOVE YOU       マリーン&玉置浩二   1993.06.16            <<CD一覧>> Eternal        松田聖子   1991.05.02 TRUST ME        荻野目洋子   1991.07.03 太陽       安全地帯    1991.12.11 BEST COLLECTIONS '92       荻野目洋子    1991.12.16 Miho's Select        中山美穂    1991.12.24 RUN              B’z   1992.10.28                               オリハル 00224/00225 HGE03563 ソニック ショックなできごと ( 3) 93/08/25 06:28 コンビニで、アクションカメラとゆう雑誌(^_^;)をぱらぱらとめくったら・・、 がーん!あの△沢なつきのあられもない姿が・・・そんな、シンジラレナイ。 みゃーざわりえのときよりもショックです・・・。(思い入れの問題です) たいへんうれし・・・いや、かなしいです。 2500円かぁ・・きっと買・・いや、こうゆうことはやめたほうがいいと思います。 まったく、さいきんのわかいもんは・・・。 ←ひとのことはいえない 00225/00225 JBH02324 なえ オリハルさんて ( 3) 93/08/25 09:36 どうでも良いけど、あのずらっと並んだCDの何に意味があるんだ?? あたしの好きなCDってタイトルで羅列したのと何等変わらない。 いちゃもん付けてると思うならそれも良いけれど、こう再度にわたると、 疑問符が付かざるを得ない。 とある雑誌で、ある霊能者が言ってたけど、例えば他人に認識できない事 を、誰かに話す場合、それが、現実に誰にも解る様に確認出来ているか、 自分で何度も作業をしなくては、他人にとっては、単に「思いこみ」です よと、言われて、卑下されても反論は出来ない。とのたもうてあった。 同感でした。 わたしが自分をどうかと問われても、いたしかたない部分はあるが、他人 に認識出来難い事柄を、ただ「こうでした」という事だけで、数回にも渡 り意味不明な事をUPするのは、多くの会員が見ているという前提に、少 なからず迷惑な事を否定出来ないので、マナーとして、控えているのは確 かだけど・・。 そいう、他人と自分という世間一般の執り行いを、ここだから許される、 ここなら、何をしても構わないと、勘違いしているのではないかしらん。 ARIONが言っているが、自分が他人にどう映っているのか、それを、 自分と比較検討して、どう差を取り払うのかというのが、先決であり、か つ命題ではないのか。 それはARIONが言ったからとか、誰それが薦めたとか言う次元では無 く、それに依って自分がより良く前向きに居られる事を確認しているから に他ならない。例えば、それが、現実に生かされる事かどうか・・とかね。 卑屈な自分と、明晰な他人から差を取るなら、まず、完遂出来ないまでも その現実的な経過を取り混ぜる事で、内容が現実味を帯びるのは明白だも の。それが、無いなら、ただの「思いこみ」だよと指摘されて、反論出来 る訳もない。 第一、スパスシフィカの観点や、どう関連するのか、例題一個も上げず、 そうだわ。なんて、ちゃんちゃらおかしいわ。(^^; この頃妙に反動的だ。 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 93/08/25 - 129/129 HGE02116 MAKOTO わ〜い(^^)(^^)(^^) ( 4) 93/08/24 21:35 122へのコメント きゃわきゃわきゃわ…(^^) 平日なのにもかかわらず、 歓迎OFF開いていただけるなんて、感激ですぅ(^^) ちなみに、21:00までって書いたのは、 21:00頃までは大丈夫だろうということで、 21:00ジャストに乗るってわけではございません。 帰りをどうするかについては、今だに悩んでおります。 寝台特急の瀬戸にするか、寝台急行の銀河にするか、 夜行バスを使うか…??? 特急なら、当然東京駅から乗るわけだし、 夜行バスの出発点は、新宿駅西口 安田生命ビル前と書いてある… 当日決めるって手もあるのだけど、切符売り切れってのは怖いし…(^^;) さてと、どうすべ…(^^;) しっかし、あと二週間ほどかぁ… ワクワクワク☆                      MAKOTO でした☆ - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/08/25 - 01325/01334 GCC03437 星也 二人の時計が刻む音 ( 6) 93/08/24 20:55 君に時間をきいたら、君はなんて答えるだろう?  7時32分49秒  7時半、ちょっと過ぎ  だいたい 8時30分前  そろそろ晩ご飯の時間(^^;) たぶん、君の持っている時計とぼくの持っている時計を見比べたら 何秒か何分かわからないけど、違う時刻を示しているんじゃないかな。 そして、おそらく僕達の時計の二つともが、 いま僕達のいるこの場所の時間を 正確に示しているわけではないんだろうね。 でも、違っていたからってそれが何だっていうんだろう? ときどき時報にあわせて狂った時間を直していたら、 ほんの少しずつ僕達の時計が刻む秒針の音がずれていても、 構わない、とぼくは思うんだけどな。 そうやって時間をあわせていても、定刻通りに始まらない物語もある事も、 それはそれで仕方ないとも、ぼくは思うんだ。 01326/01334 TBE03167 ねずみ 迷える子羊。 ( 6) 93/08/24 20:56 コメント数:3 質問です。 ボクは、自分でも変人だと自負しておりますが、しかし、どのくらい変人なのか、客 観的な考察ができておりません。 10点満点で評価するとすれば、ボクは何点ぐらいでしょうか。 ただし、1はノーマル、10は超変人とします。 私は、自分の人生に一種の自信とプライドをもってこれまで変人の道を邁進してまい りました。 しかし、最近、不安でならないのです。 ひょっとしたら、変人は、社会に対する罪悪なのではないか、などと考えるに至った のであります。(人によっては、これを「進歩」などと罵る人もおります。) 変人がいったい何をしたというのでありましょうか。 確かに、私のせいでつぶれかけたフォーラムもあります。 私に揚げ足をとられてこけていった参加者もおります。 このあいだも、S某HPに出かけていって、G氏と旧交を温めようとしたら、明らか にイヤガラれてしまった。 私は、人生このままでよいのか、という危惧を徐々に感じるようになってしまったの です。このまま、世間から「変人」と冷たい目でみられ、罵られ、その度に抗いがた い快感を感じるこの生活を続けていてよいのか。ケッコンできなくてもよいのか。出 世街道を外れてよいのか。そんなことを考えているうちに、ケッコンがなんぼのもん じゃ、出世がなんじゃ、とつい自暴自棄になってしまう自分が恐ろしいのであります。 変人扱いされるこの喜び。一度知ったらやめられないのであります。 01327/01334 HGE03563 ソニック 「目的は手段を美化せず。」 ( 6) 93/08/24 23:28 コメント数:2 自分の向こうに見えるビジョン(目的) 自分の行動=自分の手段。 自分と目的をつなぐ手段=手段の先にあるのが目的。 手段なくして目的あらず。 目的が提示される。そこへ到達する手段は?? 誤解されても非難されても、 潔白の手段を選びたいもの。(理想です・・) 01328/01334 TBE03167 ねずみ RE:「目的は手段を美化せず。」 ( 6) 93/08/24 23:58 01327へのコメント 目的さえはっきり見えているなら、手段なぞあとからどうにでもなるもんだよ。 01329/01334 GBG02755 すまる RE:迷える子羊。 ( 6) 93/08/25 00:11 01326へのコメント 私からみると、ねずみさんはすごい平凡なおっさんです。 変人と思われたいのはどうしてなのかなあ。 というすまるも実は他人は変人だと思っているようです。 でも本人はいたって普通の女であると思ってます。 これって????                          すまる 01330/01334 HGE03563 ソニック RE:迷える子羊。 ( 6) 93/08/25 07:08 01326へのコメント コメント数:1 変人のソニックです。(^_^) 自分に関して言えば、 ここの場では姿が見えないので気が緩んで自分の性格の異常性が素直に 現れてしまいますが、現実世界では自己表現の方法が異なります。 なるべく性格の異常性がバレないように気を使っております。 一般論で言えばたいてい、自然と親しむひとはもじどおり自然児で、 コンクリートに親しむ都会人は変人が多いです。 人間社会の動物としての常人ならば、 人と良く交流して他人との差取りの代謝する人は常人で、 しない人は差取りの機会を失って変人にかぎりなく近くなってゆくと思う。 ねずみさんに関していえば、 ねずみさんの過去は僕はよくしらないし、 ここでの印象はふつうです。 01331/01334 HFC00771 Y.S RE:「目的は手段を美化せず。」 ( 6) 93/08/25 17:42 01327へのコメント 目的があって手段がある(選ぶ)! でも意外に、手段が先にありき、っていう事もあったりね(私の場合ですよ) 与えられた手段や、気に入った手段をいろいろ試して、 これで何ができるかなんか考えると、結構おもしろかったりする                                   Y.S  01332/01334 KFD00473 たまご RE:迷える子羊。 ( 6) 93/08/25 19:26 01326へのコメント  >>ねずみさん  まず,自分は変人と思われる点を10点,具体例を挙げて説明して下さい.  とりあえず,それを元に評定することにしましょう. 01333/01334 KFD00473 たまご RE:迷える子羊。 ( 6) 93/08/25 19:26 01330へのコメント  え〜っ!?  ソニックさんてば,変人なのね¢(..)メモメモ   ほとんどRT状態(^_^;) たまご 01334/01334 GBG02755 すまる姫 ね、難しいもんだ。愛ってさあ・・ ( 6) 93/08/25 20:07 愛とは・・・ 探している間はみつからないものであろう。 愛とは・・・ 思いもかけない形をしているものであろう。 愛とは・・・ 探さなくても、ここにあり、 恐れても、ここにあり、 思いもかけない時に現われるものであろう。 愛とは・・・ 失うことはいともたやすく、得難いものでありながら、 失うことに傷み多く、いともたやすく得るものであろう。 愛とは・・・ いたわりと、傷つけあうこと、 喜びと、悲しみ、 奪うことと、与えること、 が同時に起こり得るものであろう。 愛とは・・・ すべてを包み、含み、育み、 すべてを破壊し得るものである。                      すまる姫 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/08/25 - 01119/01122 PAF02400 湖の鷹 RE:信仰的世界観 ( 7) 93/08/24 21:04 01118へのコメント  #01118 HVHY さん :“「安定した生活」なんてものは「脆くも崩れ去るもの」である”ということ。 日本って国はこの辺は結構しっかりしているようにも思えます。例えば徳川幕 府300年とかを見てもね。見方を変えれば現代物質科学文明も240年を数 える今に至って、そろそろ潮時かなぁ、と思わないでもありませんが(おいお い(^^;))。 で、本題、『安定した生活』なるものの定義をしてみるならば、次のとうり。   『毎日を大した問題にもぶつからずに過ごせる生活』 まぁ、なんのことはない、会社から帰って来て毎日のようにパソ通していられ るのも『安定した生活』の範疇に含まれるのでは無いかと考えております(^_^)。 (そうそう、『規則正しい生活』というのも当然ここに含まれますね) さてさて、人間として過去を振り返る時『本当の自分が居た』と自信を持って 言えるのは、「なんの問題にもぶつからずに安穏と過ごしてる時」、「問題に ぶつかって必死こいて対応してる時」、のどちらでしょう?。で、後者を取る 場合に忘れちゃならないのが「善戦虚しく散っていった人達」なのですね。彼 らは希望を持って戦っていた、・・・自らが夢見た世界を勝ち取るために。に も関わらず、最後まで勝ち残った人々というのは余りに少ないように思えるの です(今すぐにそのような人々を思い付かない位に少ない(^^;))。う〜ん、 だけど結局そのどちらも厭だというと「甘え」になるんだろうな(^^;)。 *********************************** : 多分、湖の鷹さんは、『希望』について感じるところもあるが故に、 これについて、興味がお有りでしたら私のPROFをどうぞ。最近これを読み 直して「俺ってこんなこと書いてたのか」と自分でも驚いてしまうものだった りします(くすくす)。まぁ、結構気に入ってるので、そのままほっぽってた りするのですが。(ただ一つ気掛りなのは、あんなもの書いとくと色メガネで 見られるのでは無いか?、という恐れがあるのも確かなんだけど(^^;)) 今のところ私自身、会社という名の組織に取り込まれておりまして、あまりに 居心地がいい故に抜け出せないでいたりするのですが、もし仮に・・・、もと い・・・、いずれ、私自身が私自身の希望を実現すべく動き出す時には今の 『安定した生活』とはお別れですね。そして、多分、『希望』を持つというこ とは、少なからず『安定した生活』を代価として支払うものなのでは無いか?、 という思いを、諦めを持って実感するのでありました(う〜む(^^;))。                              湖の鷹 01120/01122 GDB00064 オリハル RE:信仰的世界観 ( 7) 93/08/25 00:40 01116へのコメント /湖の鷹さん |ということで、まぁ、言ってしまえば『世の中にはその調和が出来無い』部類の |人間がいるように見える(ある意味では私もそう)。にも関わらず、全ての人間 |は一様に『物質的生活と霊的生活の調和』を目指さねばならないのだろうか?。 つまり、「人が何を肯定しているか」を常々見て行くことは大きな要素だと思います。 例えば、Aさんが「しがらみの否定」について言ったとき、その否定の言葉の裏で何を 肯定しているかと言いますと「自由」だったりします。相手はしがらみの否定ばかり口 にしますが、それにつられてしがらみにばかり目が行ってしまうのではなく、「自由」 に目を向けながら聞くことですね。このように見ていると、人間の本性に於ては肯定し かしていないことが分かってきます。ありとあらゆるその種の観察を通して本質的な部 分が見えてきます。  さて、本来ならば、霊的な生活だけで生きられればそれに越した事はないのです。し かし、この世に生き、物質体を身にまとって生きている私達はどうしても地上的な諸力 と一緒に生きて行かざるを得ません。例えば、不意に訪れた心の平安(霊の側)を乱す ような騒音(地上の側)がすると、心がかき乱されます。この様になってしまうのは、 人間の内部には外的な事象に対応するような力があるからです。これらは、霊的には、 「感覚を乱し、平安を乱す原因」になってしまいます。一方、地上的な観点からは、例 えば、思考能力とか感覚器官によって、地上的、物質的な対応が取れ、物をつくり、極 端な厳しい自然環境(寒暖、風雨、害虫等)から人間を保護することが出来るようにな ります。つまり、考えたり、知識を持ったりすることは、この世で使用するべき道具な のであって、霊的な事柄を理解するために使用するようには出来ていないのです。霊的 な事柄は「自明の理」となって本人に開示されるのです。とても自然で、自分自身で分 かり、証明が自明で、不要です。キーとなるのは、感覚の浄化です。これは当り前の事 なのですが、体験するまでは「何か不思議なこと」というイメージを持ってしまうので す。しかし、それはまた、確かに物質的な世界を越えた事柄であるのもまた事実ではあ るのですが。そういってる私も普通の人間なのであります。                                   オリハル 01121/01122 GDB00064 オリハル RE:割り込みコメント ( 7) 93/08/25 00:41 01117へのコメント >星也さんへ コメントをどうも。喜捨の精神に厳密な定義はないと思うんですけど。 自然な感謝の心から、喜捨するから「喜捨」ではないのですか? 私に関しては、あまり固有名詞的な発想をしないようにしています。                               オリハル 01122/01122 GDB00064 オリハル RE:信仰的世界観 ( 7) 93/08/25 00:42 01118へのコメント /HVHYさん | オリハルさんは“「心」の問題である”ということで片付けた。 あ、いやなに、そのぉー、もう少し詰めてみたいなぁーなんて思いが頭をよぎっていた りさせていただいたりしてたわけです。(^_^;) | 『世界中に「安定した生活」がほとんど無いのは「希望」が失われているから』 | | つまり、「安定した生活」と「希望」とは、 | “相反するものであるはずがない”ということです。 さすがですねー。 普通は、こういう優秀な意見は誉められることが無いのですが、私は逆人間なので、 この論旨は秀逸だと思わせて頂くと表明するのです。                                 オリハル - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/08/25 - 00591/00596 NBG00612 岳同 RE:奈良方面ドライブ旅行から帰ってきまし (13) 93/08/25 06:33 00575へのコメント コメント数:1 KAZEさん、こんにちは。 隆さんとのミニオフ、奈良方面への巡礼?の旅おつかれさまでした。 次回予定されている吉野、天河方面も面白そうですね。 石上神宮は思っていたより境内地が小さいなあと感じた記憶があります。 しかし、麓の天理の街の不可思議さ(現代からどこかへトリップしたような)と 建物の壮麗さの方が印象に残っていて…。 かつて全盛の頃の大本の綾部もこんなであったろうと勝手に思ったりしました。 でも、悪い印象ではなかったです。 三輪神社は、山を取り囲むように無数の摂社や寺があるようですが、 それらをゆっくり巡ると本殿とはまた違った響きが感じられるかもしれません。 何かの拍子にふっとたどり着いた展望台から夕暮れの霞んだ町並みにニョキッと 大鳥居がそびえ、その向こうにまるでピラミッドのようになんとか山がぽつんぽつん と並んでいる光景は不思議だなと思いました。 石上〜三輪〜桜井へ抜ける山野辺の道をレンタサイクルで走破してみたいものだ と思っています。 00592/00596 NBG00612 岳同 供養について (13) 93/08/25 06:34 00579へのコメント KAZEさん、隆さんこんにちは。 うまく言えないんですが、どうもKAZEさんの先祖供養には欧米のキリスト教圏的(?) な雰囲気がします。カラッとしているんです。初めに個人ありきというような…。 この辺りは、家庭環境なども影響しているかもしれませんね。 >とにもかくにも、ご先祖に感謝し、供養を捧げるというのは、その気持ち >がちゃんとあって、習慣になってしまえばごくごく当たり前の事になって >しまうもんですから 私もこの隆さんの感覚がいちばんしっくりくるのですが、家庭の健全さからいくと 色々問題を今でも抱えていますので、それに自分なりにけじめをつけることが やはり必要でした。 母親は離婚したがっているようですが、父の定年で一つの結論が出るでしょう。 家庭がばらばらというより崩壊しているのは、何故なんだろうという疑問が 先祖供養などの気持ちの大きな部分を占めていることは否定できません。 自分の人生はその前提の上にたって、何を世の中に加えられるかだと思います。 人間というのは個人という絶対的な存在ではなく、自分という本体と場のなかに 存在するものだと思うのです。 こう書くと、おそらく逃げに見えるかも知れませんが、もっと柔軟に自分の運命を 受け入れて生きるという感覚です。 神という大いなる意志が存在し、私は生かされていると感じる心 先祖を含めた霊が実在するという気持ち、そしてそのような異次元の 世界を受け入れて、共に生きて行こうという気持ち。 それが、端的に言った私の先祖供養です。 四柱推命には、その人の持っているカルマや使命、そして先祖のカルマが色々表れる そうで、そうした諸相を分析してみるとこのあたりの話しの幅が広がるような気が しますね。隆さんの推命講座はいまから楽しみです。(^^) 00593/00596 TCC00116 NoB RE:奈良方面ドライブ旅行から帰ってきまし (13) 93/08/25 15:48 00575へのコメント 石上神社では、鶏さん、見ました。あれ、かーいいですよね。あの 地理と天理の関係は、車よりもやっぱし足でとか思うのだけどな。 三輪山も足で登ると感慨ありませ。途中、お滝があるんで、みずごり の用意なんかしてもいいと思う。 吉野側から熊野に入ると道がいりくんでけっこうたいへんですよ。 西側からのほうが……。 とかなんとか。 オンラインにて失礼。 NoB 00594/00596 GGA02514 KAZE かたちのオデッセイ (13) 93/08/25 19:04 00587へのコメント ミラクル9さん、どうも。 シナジェティクスについて考えていく場合には、 もっとひろく「かたち」ということを見ていった方が、 その根本的な問題についての認識が得られるのではないかと 僕はずっと考えているのですが、 その際、最近僕のひとつのガイドとなっているのが、 中村雄二郎「かたちのオデッセイ」(岩波書店)で、 それについては、この会議室でも何度か紹介しているのですが、 それは、次の目次のように、 哲学、物理学、生物学、色彩論などなど、 さまざまな角度から「かたち」の問題に迫っているものです。 第1章 ホログラフィと共振 第2章 六大に響きあり/宇宙リズムと形態形成 第3章 形象の誘惑/モルフォロギアと怪物曲線 第4章 色の領界/かたちの分身 第5章 迷宮と原型/渦巻と螺旋の驚異 第6章 幾何学と混沌/形象の彼方・根底にあるもの 第7章 美と力と崇高のはざま 第8章 場所とリズム振動/空白と充満のダイナミズム 第9章 色のある世界・色のない世界/脳髄と宇宙の接点 第10章 振動のひらく世界/H・イェンニの周辺 補遺  形態共振と視覚の自明性 これらのアプローチは、神秘学的にみると、かなり物足りない側面はあるものの、 「かたち」に関する基本的な視点のいくつかが浮き彫りにされているという意味では かなり注目すべき著作のひとつだと思われますので、 機会があれば、ぜひ一度ご覧いただければと思います。 ここには、シュタイナーのこともゲーテの自然科学論などに関連して 少しばかり登場します。 たとえば、第10章には、イェンニの探求している「振動の世界」が 次のように紹介されています。   この「振動の世界」では、さまざまな周波数の波動により振動を加えられた水   滴、石英粉、ヒカゲノカズラの胞子などによって、多角形などの幾何学図形、   動物の内臓や耳のような形、地球生成を思わせるような動的形態が次々と出現   した。   (イェンニの流れを汲む女性ビデオ作家スーザン・ダージェスのビデオ作品の   「カイマティカ」「ヘルメティカII」について/KAZE注)前者は、水面いっぱ   いに張られた金粉がチベット密教僧の発する<声明>の振動によってマンダラ   的な千変万化を繰り広げるものであり、後者は水銀滴に低周波の振動を掛けた   ときに現れるさまざまな形態の八つの段階(二角形、三角形、四角形、五角形、   七角形、等々から円に近い多角形に至るまで)を円環をなすように一緒に並べ、   移行の様子が見えるようにしたものである。 また、特にシナジェティクスに関連したところでは、こういうのもあります。   <調和学>は初期のギリシア哲学の主要な基礎理論であった。とくにピュタゴ   ラス学派の基礎的な教えは、算術、幾何、天文学、音楽及び倫理学はすべて数   とその比(ratio)によって説明されるということであった。・・・   プラトンは、彼のこの教えにもとづいて、1、2、3、4というイデア数が世   界創造の原理になるような、秩序だった体系をつくり出した。プラトンの宇宙   論的な対話篇「ティマイオス」のなかにも、ピュタゴラス学派の考え方が反映   している。というのも、ティマイオスという人物はピュタゴラスの徒であり、   彼は、どのように世界つまり土、水、空気、火が、三角形から作られ、また、   どのようにこの三角形がさまざまな規則正しい立方体になるのか、説明してい   るからである。   すなわち、四つの正三角形が合体されるとき、それぞれの三つの平面角の結合   から最初の立方体が得られる。これが正四面体である。同じようにして、八面   体、六面体、二十面体、十二面体が得られる。これらが有名な<プラトンの正   多面体>である。 このように、宇宙の根源にある振動がリズムとなり、 さらに幾何学的なかたちを形成していくということが、 シナジェティクスの最も基本的な考え方となっていくように思われるのですが、 これらを神秘学的に、言霊論や宇宙進化論というテーマへと 推し進めていくと、非常に興味深いと思うのです。 例の、「秘数7の驚くべき謎」は、 かたちや振動といったものを神秘学的にとらえていったときに現れてくるもので、 おいおいその謎については明らかにしていきたいと思っていますので、 お楽しみに。 (実は、これをどうやって説明しようか、今のところ思案中なのです(^^;;) KAZEでした。 00595/00596 GGA02514 KAZE 守破離の思想など (13) 93/08/25 19:06 00589へのコメント 隆ちゃん、どうも。 やっとこさこのところ青空が戻ったようですが、季節はもう夏の終わり。 あれだけ続いた雨の影響はなかなか補いきれないものがあるでしょうね。 野菜だってその影響で、ずっとべらぼうな金額がついているくらいですし(^^;;。 >最近の冷害というのは忘れた頃にやってくるのではなくて、しょっちゅう起こって >いるのだから、それなりの対策というのを考えなくてはいけないのではないかと思 >います。人工太陽ではないですが、日光に代わり得る(完全でなくても良い)装置 >を準備する事ぐらいはできるかもしれんと、またまたお金にならない開発目標が一 >つ増えてしまいました(^^;)。 昔、鉄腕アトムかなんかの漫画で、人工太陽の話がありましたが、 やはりそんな感じのものを開発していく必要があるのでしょうか。 それと、これは自然派の方などには反発を食いそうだけど、 食料の安定供給のためには、野菜などを工場でどんどんつくっていけるような 技術を開発していくことが必要なんじゃないかと僕は以前から考えています。 もちろん、それは形だけの野菜ではなくて、農薬づけでなく、 しかも、さきほどの人工太陽によってできるだけ健全に 育てられたものでなければいけませんけど。 おそらく、これからますます異常気象や天変地異、世界紛争などが 激しくなっていく可能性は強いと思いますので、 そこらへんの技術開発はことは急務だと思うのですが、どう思われますか。 もちろん、これらの異常気象などは、「天災」ではなくて「人災」ですから、 根本的には人間の思いと行いを正していかなければならないのですが、 それはそれとして、科学の立場から貢献できることはあるはずだと思います。 >次回は、吉野方面から天河、熊野方面へとの事。その時はぜひご一緒させて下さ >い。天河、吉野は行った事がありますが、熊野へは行った事がありません。 そうですね、次回はいつになるか、まだ全然わかりませんが、 そのときにはぜひごいっしょしましょう(^^)。 しかし、知人の話によると、最近の天河はとみに波動が荒れているようで、 僕も以前ほどにはそんなにいきたいとは思えなくなっています。 むしろ、天河に行くよりも白山に一度登りたいという気持ちになっています。 先日の石上神社は、今思い返しても、波動のきれいなところで、 たぶん今回のドライブ旅行のメインテーマはそこだったようです。 昨日、知人に石上神社の写真を見せたのですが、 特に七支刀の納められている宝物殿(?)は、特別な波動を持っているようでした。 ミラクル9さんへのレスでもちょっとふれた「秘数7」ということが その七支刀とも関係しているようなのです。 先祖供養ですが、 >要するに思いやりがあるかどうかなのですよね。   そうですね、早い話がそういうことなのでしょう。 自分が今こうして存在していることへの感謝の気持ちの一環なのだと思います。 仏教でいう「縁起」というテーマの儒教的展開とでもいいましょうか(^^;;。 最近では、この「縁起」ということが、理論物理などの考え方との関連でも 注目されているようですが、この「縁起」というのは、 時間的にとらえたカルマ論や先祖供養的な観点と、 空間的にとらえた理論物理的な観点とがあると思いますが、 どちらにせよ、自分が時間的にも空間的にも「生かされている」ということを 深くとらえることのできるなんらかのきっかけが要るのだと思います。 >「守・破・離」という考え方は「守」から「破」、「離」へのリニアな思考では >なくて、相互に関連し合う状態遷位を表すものなのだという事がすこしわかって >きたように思います。 ゙メ饐そうですね、その方がダイナミックになりますね。 守→破→離というプロセスの循環による螺旋状の向上は、 Oそれぞれのフmメ:が相互に関連しあうことによるダイナミックな在り方によって、 さらにその原理が生きてくるのだと思います。 「守・破・離」とそれに関連した日本の思想については、 最近わりといい解説書がでました。 ●藤原陵三「守破離の思想」(ベースボールマガジン社) この藤原さんという方は、武道評論家で、この本におさめられているのは、 「月刊空手ジャーナル」に連載されたものなのだそうです。 この本の最終章は「現代人と守破離」というもので、 その原理を現代に生かすことなどについて書かれていますので、 そこから少しばかりご紹介させていただきます。   「守」は、物事の基本を学び、それをしっかり身につけることであるから、こ   れを基礎知識の取得過程と考えるなら、現代の基礎学習と変わるところはない。   違う点は、教える側と、教わる側の精神の内容である。「三つ子の魂百まで・   ・・」という諺は、三歳の幼児にも、心のあることを示唆した教訓だが、本来   的には澄明な心も、外界の影響を受け易く、善にも悪にも染まり易い性質をも   っている。その移ろい易い心を鍛練し、精神と呼ぶ骨格を与えるのが、諸能諸   芸の道を磨く稽古に他ならない。「稽古」とは、行為を通して、古の精神を学   ぶことであるから、「守」の作業行程と同じものである。昔も今も、この作業   行程を経ずして、一個の社会人として自立することはできぬわけである。「破」   は、磨き抜かれた古い精神を活用し、新しい時代に適応させる知恵のことであ   る。・・・   ・・・日本人の伝統的な感覚に従えば、「守」は、先人の教えを習い覚えるも   の、「破」は、習い覚えたものから離れて、一途に己自身を磨き叩くもの、   「離」は、真理を気得・体得した心魂の姿ということになろう。「離」の心は   軽々に蝶々すべきものではなく、説明や解説によって、その実体を学び得る知   識でもない。漠然模糊としたものでありながら、それを体得した人は、その存   在を厳然と万人に示すことができるのである。「離」は、技術や知識から抜け   出たものであり、精神安定剤としての宗教とも違う。神や仏に頼らず、己自身   の努力によって、真理それ自体と化すことなのである。その意味において、   「離」は「禅」となり、「禅」は「離」となるのである。    ・・・   「守」と「破」は、自力覚性のベースとなるものであるが、その活動行程とい   えども、「離」の棲息地へ一直線に繋がっているとは限らない。「守」「破」   と「離」との間には、雲泥万里の距離が横たわっているからである。一定の理   念に基づく、「守」の行動規範を徹底的に克服し、「破」の独自性と縦横性を   一段と止揚した人でない限り、その距離を埋めることはできない仕掛けなのだ。   この雲泥万里の距離を埋めるのが、日本の伝統技芸の世界で行われている稽古   である。つまり、熱心な稽古の中で、一つ一つ真理を体感し、体得する作業を   続けることによって、覚性への距離を縮めていくわけである。 僕の考える「離」(「考える」というのは形容矛盾だけど(^^;;)というのは、 天へ向かう自由、真の神へ向かう自由を、自らが選びとっていくことです。 できれば、そういう選択をできる自分という可能性を少しでも獲得するために 今後も「守」と「破」を繰り返しながら格闘していきたいなと思います。 >仏陀の教えを本来の仏教と仮に呼ぶならば、日本の仏教はそれとは全然違うもの >ですよね。いろんなものが習合してある意味では非常にけったいな(^^;)形にな >ったのかもしれません。僕はこのダイナミズムに溢れる日本仏教が実は好きなの >ですが、最近はすべからく「守」にこだわる傾向があるようで、本来のダイナミ >ックな姿を取り戻すために「破」が必要なのではないかとふと思いました。 そうですねえ、仏教は本来、偶像崇拝は一切しないはずでしたし、 死者の肉体を拝んだりすることは、まったくもって仏教的ではないんですよね。 拝むのは「仏性」を拝むのであって、偶像や抜け殻を拝むのではない。 そもそも現在のお墓の形ができたのが、親鸞以降のようですしね。 ただ、そうしたことは否定的にだけ見ることはできなくて、 あまりにクールにやってしまうと、「生活」からかけ離れてしまって、 たとえば、インドなどでは、一種の学者集団のようで、民衆から切り離されてしまい、 僧団がまとめて殺されてしまた後、民衆から消えていかざるを得なかったようです。 その反省からか、仏教を中国に根付かせるにあたっては、 その本来の教義をつくりかえて、 「ご先祖を大切にし、父母の恩を何よりも大切にする仏教」というのを 盛り込んだお経が盛んにつくられていったようなのです。 ですから、日本でも、真言宗系に比べて浄土真宗などが栄えるようになったのは、 そうした民衆の生活に根付いたということが大きかったと思います。 >ところで、我が家で一番の困ったちゃんは父方の祖母でした。祖父のお葬式に自 >分の都合(探すのがめんどくさかったらしい)で宗旨を変え、祖父の意に反して >長男である父を家から追い出し(彼女は弟の方がかわいかった)、家紋まで自分 >の実家のに変えてしまいました。 ううむ、宗旨替えが問題であるとは僕なんかは思えないけど、 問題は、そのやり方なのではないでしょうか。 死者にとってというより、生きてる人の問題なのではないかと思います。 (これには、異論があるかもしれないけど(^^;;) 要するに、今までご飯だけを食べてた人に、 「これからは主食をパンにします!」と、 自分の趣味だけで強引にそうしてしまったということなのでしょう。 たぶん、その「父方の祖母」は、エゴでそうしたから問題だったのでしょうね。 そういう無茶苦茶なやり方でなくて、 必要性があっての宗旨替えというのは、それなりに意味のあることかも。 そもそも、仏教の各宗派の開祖たちっていうのは、宗旨替えの代表ですよね。 お釈迦さんだって、バラモン教へアンチテーゼをぶつけて、 まったくそのシステムを度返ししてしまったわけだし。 ちゃんとした根拠がない場合は、 無駄な軋轢を作り出すだけですので、やめといた方がいいのでしょうね。 ま、僕なんかは「宗旨」なんかないわけだから、変えようがないし、 別に死後は、死体を灰にでもして、どこかに捨ててしまってほしいと思ってますし、 まつって欲しくもないんだけど、 そうじゃない死者には、それなりの権利があるといえばいえるのかも。 やっぱり、「思いやり」ってことに尽きるということでしょう。 >神社と仏閣との雰囲気の違いというのも、関連があるのでしょうか。 あるのかもしれませんね。 最近は、どうもお寺というのが、波動が粗雑に感じられて あまり足がそっちをむかなくなってしまいました。 もちろん、お寺にもいろいろありますし、神社にもいろいろあるわけだけど、 全体としてみて、お寺ってかなり重苦しい感じ、しませんか。 それにくらべて、神社の方が、からっと明るい感じがすると思うんです。 たぶん、その空間というのは、そのポジションということも含め、 在り方が基本的に異なっているのでは、というのが最近の僕の印象です。 実は、先日、奈良公園にいきながら、東大寺には行かなかったんです、なぜか(^^;;。 >先日、教えていただいた「人参ご飯」をさっそく作ってみました。 それはそれは(^^)。 え〜っと、ちなみに先日話し忘れていたことがあるのですが(^^;;つ、、 実は、最初にお酒をちょいと入れておくと、ちょっと味がよくなります。 今度つくられるときには、入れてみてください。 >カミさんは「じゃあ、そういうシチュエーションに持って行けばいいわけね」 お手柔らかに、とお伝えください(^^;;。 な、な、なんかこわそうだなぁ。 KAZEでした(#^.^#)。 00596/00596 GGA02514 KAZE 「独」からの出発という背景 (13) 93/08/25 19:06 00591へのコメント 岳同さん、どうも。 >石上神宮は思っていたより境内地が小さいなあと感じた記憶があります。 >しかし、麓の天理の街の不可思議さ(現代からどこかへトリップしたような)と >建物の壮麗さの方が印象に残っていて…。 石上神宮はほんとうにきれいで清々しい印象でした。 あんなに澄んだ感じを受けたことがなかったので、ちょっと感動したのでした。 途中、天理大学などの横の道を抜けていったのですが、 そのけばけばしさにもかかわらず(^^;;、意外にきれいな波動を感じました。 >どうもKAZEさんの先祖供養には欧米のキリスト教圏的(?) >な雰囲気がします。カラッとしているんです。初めに個人ありきというような…。 >この辺りは、家庭環境なども影響しているかもしれませんね。 ううむ、カラッとしている、というのはあるかもしれませんね。 ただ、普通の意味でのキリスト教的ではないと思うんですが・・・。 どうにも、僕は相変わらず普通の意味でのキリスト教っていうのは 感情的に受け入れがたいものがあるくらいです。 おそらくそれは、小さい頃からそういう環境が 全然なかったせいもあると思います。 ただ、先祖崇拝的な血縁的儒教っていうのもダメだから、 そこらへんのことが出ているのかもしれませんね。 もちろん、それらを理解できないといえばそうでもなくて、 最近、一番勉強してるのが、キリスト教や儒教関連でもあります。 ま、僕のスタンスが一番近いのが、薔薇十字というか 人智学なものですから、「キリスト教圏的」なのかもね。 それと、血縁や共同体などに対して、僕があまり入れこまないのは、 小さい頃からその面でほとんど肯定的な印象がないからかもしれませんね。 両親はずっと前に離婚しましたし、 そこらへんでいろいろな醜さも見せつけられましたからねぇ(^^;;。 それに、物心ついてから、そもそも性格的に共同体や血縁などを 必要以上に重苦しく感じていました。 そういうところから出発して、初めて、ある種のそれらを超えた在り方を 最近になってやっと見出すことができるようになった、ということです。 それが、シュタイナー的な人智学の理念と非常に近かったわけです。 >神という大いなる意志が存在し、私は生かされていると感じる心 >先祖を含めた霊が実在するという気持ち、そしてそのような異次元の >世界を受け入れて、共に生きて行こうという気持ち。 >それが、端的に言った私の先祖供養です。 そうですね、「生かされている」と僕も深く感じています。 ただ、僕の場合、「先祖」という感覚ってやはり希薄で、 もっと、何というか、宇宙進化論的なビジョンの方に、 親近感を感じるといえばいいでしょうか。 おそらくそれは、言葉の表現というか、 それがイメージさせるものの違いだけなのでしょう。 その違いは、それぞれの人格形成にあたってのバックボーンに かなり依存しているのかもしれませんね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/08/25 - 01126/01127 GFB00026 一輝 RE:「絡み合う糸」 (14) 93/08/24 19:40 01123へのコメント >HVHYさんへ  割り込んですみません。  出雲族はニギハヤヒ崩御の後、  出張中の日向でも大和でも、地元出雲でも分裂したのだと思いますよ。  (原田説だと、西都に出張中で日向側についた出雲族出身の猿田彦もそうですね)  巨大なカリスマ亡き後の混乱は、歴史に繰り返される現象です。 藤原氏の先祖である中臣氏の祖先は、先代旧事本紀によると  出雲から大和へ向かうニギハヤヒのお供として従った32人の武将の一人、  天兒屋命(アマノコヤネノミコト)です。  天兒屋命が大日霊女貴尊の信頼を受けていた  日向族の武将であるという原田説をここでは脇に置いておきます。  先代旧事本紀と原田説との大きな矛盾点は、この部分なのです。  つまり、藤原氏は出雲族出身なのです。  日向族の手に天皇(スメラ)の栄光が帰した持統天皇の時代、  出雲族出身の藤原不比等は、日本書紀編纂に都合の良くない家系図を没収しました。  この中に自分の一族の家系図も含まれていたのは、  上記の理由が含まれていたからと考えられます。  藤原氏興隆の世になると、それまで中臣を名乗っていた者までもが、  一斉に藤原と改姓しようとし始めたので、改姓に規制が敷かれました。  出雲族と日向族の確執、そして各々の部族内部での内紛は、  いずれも権威を巡る複雑に絡み合った劣等感に端を発し、  覇権争いにまで発展したものでした。                                     一輝 01127/01127 NAG02033 EX 渡辺美里 (14) 93/08/24 22:53 のビッグ・ウェイブってテレビのCMで使われてますね。元気でひたむきな 感じでいい曲ですね。 ″EX:NAG02033 ″ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/08/25 - 316/319 GFD00204 松川 貴     光と暗黒の力の衝突1 (15) 93/08/25 01:48  日本の古代を考察する時、かのエドガー・ケイシーのリーディングを眺めてみるこ とでなんらかの連想を得ることは可能でしょうか。  実は私にはひとつひっかかるケイシーのリーディングがあるんです。  1941年の春に取られたリーディングでケイシーはこう述べています。   占星学的に異常な状況が4月29日から5月12日までの2週間に現れて、地  球のすべての魂に影響力を与え、人々は「様々な衝動を持って」「違った考えを  もつ」ようになる……。このような衝動があって以来800年以上経過した。当  時起こったような霊的生活の暗黒さを考えなさい。そして、この経験を通し、多  くの魂が通り抜け、人と人との関係をもって私達もこの時期を通っていく意味を  理解しなさい。(『エドガー・ケイシーの予言』たま出版  P269-P270)   1941年4月29日から太陽、月、木星、天王星、金星のすべてが黄道帯の  一つの天宮の中に並ぶだろう。この現象が最後に起こった時も地球のすべてが混  乱と争いに陥った。現在の世界的争いの1600年前、地球はやはり同じ徴候の  もとにあり、ちょうど、十字軍遠征や第二次世界大戦の時代のように、光と暗黒  の力の衝突が起こっていた。   今日の世界情勢はこのような時代と同様な状況になっている。国と国との争い、  殺人や破壊、自己本位の理想や主義を次々と挙げていく人々の心に、破滅という  不安感が近づいてきていることを、私達は見い出すのである。(前掲書 P270)  筆者のカーターさんは西洋人ですから、「現在の世界的争いの1600年前」、つ まり西暦340年前後に起こった世界史上の事件として、   ローマの民主主義は東洋の専制君主の政治にその座を奪われた。最初はディオ  クレティアス治世であり、後はコンスタンティヌスが支配した。──1941年  から1600年前の事であった。(前掲書P271) と書いています。  ここで視点を日本に移してみましょう。4世紀中ごろ、西暦340年前後の日本は どんな様子だったでしょうか。  日本史の教科書を見ると、こんなふうに書いてあります。  大和政権の成立  これは現在日本史上の定説になっており、公教育の場でもしっかり教えられていま す。  ケイシーは「地球のすべてが混乱と争いに陥った」と言っていますから、その── つまり〈光と暗黒の力の衝突〉の──影響力は4世紀中頃の極東の地にも及んでいた のではなかろうかと解釈し直すことも可能ではないでしょうか。  〈光と闇の力〉がそれぞれ地上の個々の民族の成員たちに働きかけ──つまり〈意 識〉という戦場で戦い──それが私たち人間の側から見たとき、〈歴史〉として語ら れてきたものに転写(可視化)されたということでしょうか。  奇妙にも、西暦340年前後の150年ほどの間、なぜか中国は自国の史書に日本 のことを記述していません。  高校の日本史の教科書(山川出版社)にはこのような記述があります。   中国東北部からおこった高句麗は、朝鮮半島北部に領土を広げ、313年には  楽浪郡をほろぼした。半島南部では、韓族が馬韓・辰韓・弁韓(弁辰)という小  国の連合をつくっていたが、4世紀の中ごろ、馬韓から百済、辰韓から新羅がお  こり、それぞれ国家を形成した。   この間の倭人の社会については、文献でははっきりとしたことがわからない。  しかし、おそらく東アジアのこのような情勢を背景にして、大きな古墳の集中し  ている大和を中心とした畿内の豪族たちが、連合して大和政権をつくり、4世紀  半ばすぎには、九州北部から中部地方にかけての地域にその勢力をおよぼしてい  ったものと思われる。(平成3年版 P22)  大和政権成立時から数えて、800年の周期を2度重ねた、約1600年後にアジ アで戦われた大東亜戦争が、以前と同様の地球に対する星の影響力のもとで行われて いたことを考えると、私は何やら因縁めいたものを感じるんです。                                   松川 貴 317/319 GFD00204 松川 貴     光と暗黒の力の衝突2 (15) 93/08/25 01:51  中国の史書が150年もの間無視し続けた日本の空白の4世紀、ところが先に見た 通り、この〈空白時〉から大和政権が始まると日本の歴史学は教えているわけです。  その理由について、高校生用に出版された資料集はこのように説明しています。  (1)巨大な古墳が大和で発生  (2)3世紀の朝鮮は分裂、4世紀に統一  (3)370年頃加羅諸国を支配下に入れ、391年百済・新羅をやぶっている                   (『最新増補 総合資料日本史』浜島書店)  (3)については、これは〈好太王碑文〉から──空白の4世紀を知る中国以外の 国による貴重な資料です──読み取った話でしょうか。(とはいえ、最近では、この 碑文は日中戦争中に改竄されたものであるという見解もあるようです。どなたかこの 改竄説について──何をどのように改竄したのか──よい資料を紹介していただけな いでしょうか。私は今のところ何を調べたらよいのか分からないのです。)  私の使用している高校用の日本史の教科書(山川出版社)の巻末についている年表 と先に引用した資料集に出ている年表から4世紀の出来事を取り出すと、   266 倭の女王(壱与?)、晋に遣使(『晋書』)   300 ─────────────────────     このころ大和政権、統一進む   369 倭、朝鮮に出兵、半島南部を勢力下におく   391 倭軍、百済・新羅を破る(『高句麗好太王碑文』)   400 ─────────────────────   413 倭国、東晋に遣使(『晋書』) となります。  さて、ここで話の角度を少し変えてみましょう。  皆さんは『日本書紀』が、神功皇后(じんぐうこうごう)、つまり応神天皇の母親 である気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)の時代に、日本が朝鮮出兵を行っ たという記事を伝えているのをご存じでしょうか。  しかし現在では、日本の歴史学は神功皇后の事績について否定的な見解を出してい ます。例えば以下の通りです。   神功紀は、新羅征討の物語が主要なテーマとなっており、事実性のうすい物語  で色どられている。これらの伝承や物語の背景には、なんらかの史実の投影のあ  ったことはみとめられるにしても、(中略)神功などは、後世につくられた物語  上の人物とみなしてよい。(中公バックス『日本書紀』解題 佐伯有清 P139)  残念ながら『日本書紀』では、事件の起こった本当の年代が分かりません。『日本 書紀』に書かれてある通りに年表を作成すると、神功皇后の新羅征討は西暦200年 ということになってしまうからです。(前掲書 巻末年表参照)  ところが……、   4世紀の中ごろ、馬韓から百済、辰韓から新羅がおこり、それぞれ国家を形成  した。(『日本史』山川出版社 P22) とある通り、3世紀初頭にはまだ新羅や百済という国は存在していません。どうして 存在しない国を、神功皇后が〈西暦200年〉に討つことができるでしょう。ですか ら、神功皇后を実在の人物だと考えるならば、彼女は4世紀中ごろ以降に活躍した人 物であるとしなければなりません。  高校の日本史の教科書(前掲書)にはこのような記述があります。   高句麗の好太王の碑文には、倭が朝鮮半島に進出し、高句麗と交戦したことが  記されている。(P24)  その〈好太王碑文〉にはこう書いてあります。   百残(百済)新羅は旧是属民なり。由来朝貢す。而るに倭、辛卯の年(391  年)よりこのかた、海を渡りて百残□□□羅を破り、もって臣民と為す。  さて、私は辛卯の年(391年)に朝鮮にやってきたのは神功皇后の息子の応神天 皇の率いる軍隊だったと考えているのですが、それにしても、ケイシーの言う340 年からは30年も隔たっています。  ですから、ケイシーのリーディングをここで生かそうとすれば、結局私は、これら の事件を〈西暦340年に発した衝動〉の流れの先に位置づけざるを得なくなってし まいます。  〈好太王碑文〉にある辛卯の年(391年)に縛られずに済むならば、また、話も 違ってくるんですが。これは〈好太王碑文改竄説〉の内容とその真偽いかんによりま すね。しかし、いずれにしても、4世紀のある時期に、神功皇后と息子の応神天皇が 朝鮮出兵をしたというのは──ケイシーのリーディングと照らし合わて考えてみる時 ──事実ではなかろうかと私には思えてくるのです。                                   松川 貴 318/319 GFD00204 松川 貴     光と暗黒の力の衝突3 (15) 93/08/25 01:54 コメント数:1  ここでまた話は屈曲します。  日本の歴史学の成果は4世紀の中ごろに大和政権が成立したと語ります。『記紀』 を開くと、〈初めて国土を支配した天皇〉と呼ばれる人物が二人出てくるのに気がつ きます。初代神武天皇と15代崇神天皇です。  ここでは4世紀という時代の精神衝動に関連を持ちうる可能性が高い崇神天皇につ いて見てみましょう。  崇神天皇は、原田常治氏によればクーデターで立った八代孝元天皇の孫に当たりま す。『日本書紀』によりますと、彼は自分の居所に二柱の神(天照大神と倭大国魂の 神)を同時に祭ろうとして、一方の神(倭大国魂の神)から拒絶されるという事件を 起こした天皇です。この顛末については以前この会議室で紹介しました(#232並びに #233参照のこと)。  先程ちらっとほのめかしましたように、崇神天皇には、神武天皇と並んで〈ハツク ニシラススメラミコト〉という称号がおくられています。〈ハツクニシラス〉とは本 (中公バックス『日本書記』)の説明によりますと、「国土を最初に支配した」とい う意味だそうです。ですから、奇妙にも「国土を〈最初に〉支配した」と呼ばれる天 皇が日本には二人いるのです。  この点については学者の間で以下のような説明が存在します。  1. この称号は、本来崇神天皇に与えられたものであったのが、神武天皇にも及 ぼされ、皇室の起源を古くするため神武天皇を造作した。 2. この称号は、国土の創設者という観念的な呼称にすぎないから、もともとそ れに類する物語の持ち主である両天皇に対して与えられたもので、特定の呼称が 他の者に移されたものではない。( 前掲書 P454)  崇神天皇は四人の将軍を用いて国内平定を大いに行いましたが、一方では疫病が流 行り、天変地異の多く起きた時代でもありました。  私は、ケイシーのリーディングを読んで、20世紀の前半が世界的な激突の時であ ったように、西暦340年前後の日本も、当時の東アジアの政治情勢の中で、奇妙な 精神衝動の渦中にあったのではなかろうかと考えるようになりました。  1941年、ケイシーは「星が人類の精神に影響力を行使するだろう」というよう な内容の予言を行い、事実、世の東西で戦争はさらなる拡大の方向へと走り始めたわ けですが、だからと言って、1941年の天体の影響力がすべての原因であったとい うわけではないのもまた事実です。人類はすでに第一次世界大戦という破局を経験し ていたのですから。  話が逸れました。日本の古代に戻りましょう。  原田常治氏は『上代日本正史』で、仲哀天皇、神功皇后、武内宿禰、応神天皇の四 人を取り上げて「上代日本史の上で最大の問題である(P160)」と述べています。  氏はさらに続けて、こう書いています。   ところで、問題の仲哀天皇、神功皇后、武内宿禰、応神天皇の四人の関係であ  るが、実際いろいろと調べてわかってくるにつれて、だんだん私としては、この  関係にあまり触れたくない気持ちである。これは太安万侶が素佐之男、大日霊女  の関係を避けて天御中主神から書き出した気持ちと同じかもしれない。とにかく、  この関係をあまり掘り下げて書くことは、まことに気が重いのである。(P161)  さらに原田氏は神功皇后と武内宿禰について、このような趣旨のことを書いていま す。  1.神功皇后の出身が、誰の娘であるのか、今のところ調べがついていない。古事  記では第九代開化天皇の曽孫としてあるが、私の調査が進んでいないので、系図  はこのままにして伝えておく。一説には、尾張連の娘ともいわれる。あるいはそ  うかもしれない。そのくらいの家系でないと、皇后にはなれないであろう。  2.武内宿禰の祖先は、天皇家の血統であろう。宇摩志麻治尊か、あるいは天香山  尊か、そっちの系統かもしれない。現在のところ、はっきり突きとめることがで  きないが、誰か徹底的に、この武内宿禰が天皇家の血統であることを調べてもら  いたい。  さらに氏は、神功皇后と武内宿禰と応神天皇の関係について、驚くべき話をしてい ます。   応神天皇と武内宿禰の二人は、常に一体となって歩いていることから考えて、  軽々には言えないが、(応神天皇は)武内宿禰の子供だったのではないかと考え  られる。(P184)  大和にはすでに応神天皇(誉田別尊)とは母親を異にする仲哀天皇の子供が二人お りました。忍熊王と香坂王です。仲哀天皇が神功皇后を伴って九州征伐を行い、その 地で亡くなった後、神功皇后の息子の誉田別尊(応神天皇)が生まれたのです。  原田氏は応神天皇の父親は仲哀天皇ではないかもしれないと言っています。応神天 皇の本当の父親は武内宿禰であり、その武内宿禰自身は、宇摩志麻治尊か、あるいは 天香山尊(つまり饒速日尊の血筋)から出たのではないかと言っているのです。  もしそうであるなら、神功皇后と武内宿禰の間に生まれた誉田別尊が天皇として立 つことによって、雀部氏と穂積氏によるクーデターで擁立された八代孝元天皇以降順 順と薄められてきた大和出雲系の饒速日尊の血統が──それはまた出雲の素佐之男尊 の血にも繋がるわけですが──再びここで反転し息を吹き返したことになります。  原田史観を用いてこれらの事件を眺めるなら、仲哀天皇の血はそこで絶えたことに なりますが、とはいえ、応神天皇は景行天皇(孝元天皇から数えて五代目に当たりま す)の孫娘を自分の皇后としていますから、クーデターで擁立された孝元天皇の血そ のものがまったく絶えてしまったというわけではありません。  まとめると、つまり、こういうことになるのです。かつては日向系の男子から天皇 を立て、大和に進出した出雲系の饒速日尊の子孫から女子の皇后を立てていたのです が、八代孝元天皇のクーデターによってそのルールが壊れ、十五代の応神天皇に時代 に至って、今度は男女の立場を入れ換えて、日向系の女子から皇后を立て、大和出雲 系の男子から天皇が立つというような奇妙な逆転が起こったということです。  しかし、そうなるためには、大和にいる仲哀天皇の血を引く二人の息子たちの側と 誉田別尊をかつぐ九州にいる神功皇后の側とが文字通りの戦争をしなければなりませ んでした。そして、原田常治氏によれば、結果「応神天皇が九州で生まれてから十一 年間続いた大和対九州の対立と、大和側の敗北は、全国の豪族分布や、大和朝廷内部 の人脈を根本から変える結果になった(『上代日本正史』P185)」わけなのです。  奇妙にも血統と地理上の関係がここでも逆転しています。なぜなら、本来なら日向 系と関係が深い九州に、武内宿禰によって大和出雲系の血の再注入を受けた誉田別尊 (後の応神天皇)がおり、かつては出雲系と関係の深かった大和に日向系の血を受け た仲哀天皇の二人の息子(忍熊王と香坂王)がいたからです。  この事件以後、『記紀』が編纂されるまでの間、大和朝廷の内部でさらに何が起こ ったのか、私は関心を持って調べたことがないので、今のところ何とも言えません。 これは今後の──ただし私の気が向いたらの話ですが──課題です。  これまで書いてきたことは、原田氏の説を土台にして、これを私が敷衍したもので すから、どれほど真実と符号しているのか分かりません。原田氏の言っていることは すべてたわごとだという可能性だってあるのですから。そういうわけですから、読者 の方は、私がこれまで書いてきたことを一つの仮説として受け取っていただくと有り 難いです。  最後に武内宿禰について歴史学者がなんと書いているか紹介いたしましょう。   三百歳の長寿を保ったとされるこの人物(武内宿禰)の実在性は、否定されて  よい。武内宿禰をめぐる説話が成立したのは、七世紀前半ごろで、蘇我氏の手に  なったものとする説が有力で、内廷に近侍する忠臣として歴代の天皇に奉仕した  とするのが、原初的な属性であったと考えられる。(中公バックス『日本書記』  補注 P455)  さてさて真実はいかに……。  『日本書紀』にはなぜ天皇でもない神功皇后の事績が特別に──歴代の天皇と同格 の扱いをもって──載せられているのか。しかし、その理由を追うのは今回のテーマ から外れます。そういうわけでありますから、今回はこの辺で終わりとするのがちょ うどよい頃合いかと思われます。                                   松川 貴 319/319 GBG02755 すまる姫 お久しぶりですぅ。 (15) 93/08/25 15:32 318へのコメント えっと、なんら根拠はないのですけれど、 8月20日になんとなくその時代らしき夢を見ましたので、 参考にはならないでしょうが、一応UPしておきます。 夢の流れとは関係なく、まず言葉がありました。 「アラヒトガミ ホフル」 私はある武将?の妻であったらしい。 結構身分の高いものだったように思う。 住む地は高句麗か、朝鮮。 その地で、私は愛する夫と親を失い、悲しみにくれます。 そして、この地を離れ、日本に戻る?向かう?船出の準備をしているのです。 その荷造りのとき、死に別れたものたちの衣装を、 そのものたちとの生きた時間を定めと思いつつ、抱きしめていました。 その夜の高句麗の山、川、を眺めていました。 たぶん、私は夫、親や子供とともに、この高句麗に住み、 戦いを見てきたのだろう。だが、無事に日本に付く前にいとしいものと わかれなければならなくなった。死んだから日本に行くのか、戻るのか、いや、 日本に向かうことは予め決めて合ったことであるらしい。 だが、愛するものたちと同行できなかった。 これが夢の解読です。この夢をみて、本当に胸が熱く悲しく、 私はヒロインになりきっていました。もしかしたら、前世かもしれませんね。 ・・・なんも参考にはならんなあ、ゴミでーっす                           すまる姫    P.S やっぱ、このハンドル変だろうか? - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/08/25 - 556/559 JBH02324 なえ 良い子の農業講座 (17) 93/08/24 22:18 555へのコメント しかし・・・・畑には(作業目的では)滅多と入らないあたしの講座だから、 単に受け売りだったりするですが、某、農キョーの出版物からの抜粋だもで、 信頼性はあるぞ。(^^; んとね、連作障害が話に出たので、ちょい調べてみたんだ。以下はその内容。 連作障害の出る野菜  エンドウ・スイカ・ナス・ピーマン・トマト・メロン・キュウリ・シロウリ  ソラマメ・サトイモ・ゴボウ・クワイ・カリフラワー・ホウレンソウ・レタ  ス・セロリ 連作障害の出難い野菜  サツマイモ・カボチャ・ニンジン・ダイコン・タマネギ・ネギ・ニンニク・  ミョウガ・フキ この内、輪作(同じ場所に植える野菜の内容を代えながら回転させる)して、 その結果が好ましいもの。  トウモロコシ−ダイコン−ナス−キュウリ−ネギ−インゲンマメ−ダイコン  −ホウレンソウ−キュウリ− 或いは  ナス−カブ−ホウレンソウ ついでだから、野菜の肥料が不足する事で起きる現象ね。  チッソ(窒素)(N) 葉色が悪くなり葉が小さくなる。  リン酸 (P)    葉にアントシアニンが発生して、葉が紫色になる  カリ(K)      葉の周辺が黄褐色に枯れ死する  石灰(Ca)     新しく出来る葉の葉先きが黒く変色する(トマトの             果実の一部が黒変する)  鉄(Fe)      若い葉の部分の緑色が発現しない  ほう素(B)     葉がもろくなり、果実はヤニを吹いて軟化する(キ             ュウリ)  モリブデン(Mo)  花蕾が出来ない(カリフラワー) 逆にやりすぎるとどうなるか?  (N)        柔らかくなり、風や病気に弱くなる。葉ばかり繁っ             て肝心の実の部分が出来ない という事ですね。また、これ以外にも、害虫対策や病気に対して、農薬を使用 しますけど、適正な内容と、適量が守られているのか、言葉を替えれば、家庭 菜園に作られる野菜という物は、安全な食糧となり得る。という事です。まぁ 以前にも言った、農薬の薬効期間と対処する農薬の適正ですね。 ちなみに、出荷用の野菜は運ぶ間の病害虫の事まで計算に入れて散布しますか ら、当然ながら残留農薬は存在します。しかし、それを事だてて騒ぐ方も、も う一歩踏み込んだ検討が出来ないのか、それが不思議ではあります。(^^; (つまり、何故必要以上に遠くから運ばなくてはならないか・・とかね。) という事で、なにか参考になれば幸いです。 ゴミかも知れ無いけど、ゴミにならなきゃ嬉しいなぁ。(^^; 557/559 JBH02324 なえ ぷろぐらむぅ (17) 93/08/24 22:19 555へのコメント 何というその抜きん出たお言葉。(@o@;) わらしには夢のよふな内容ですわ。 何せ、パソコンって、ただ出来合いのソフト動かしてるだけなの、わたし(^^; うるるるる・・・・。MINTさんって・・凄いのねん。 しかし、過去のやり直しなどを迫られるというのは、或る意味では、幸せな事 だわなんて思うのよね。だって、過去の二の轍を踏まないで通れるもん。 がんばってね。 - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/08/25 - 364/369 HFC00771 Y.S 宗教と社会の関係 (20) 93/08/24 20:15 335へのコメント 「宗教と社会の関係」か・・・・(^^;) 気軽に議論しませんか?と言った割には、大きな問題に首を突っ込んでしまった ようです(情報交換をしようとした題材が少し悪かったかな?) と前口上はこのぐらいにしまして、さっそく本題に入ります HVHYさんのコメントで私がなるほどと注目したのは以下の部分です (注目部分A) :「宗教は過去において社会に矯正させられていった」のではなく、 :「強い宗教が弱い宗教を駆逐して現在の社会を作った」のだったとしたら、 この点については確かに見逃していました(^^;) この部分を私は、  「社会による矯正」の背後には、宗教(宗派)同士の覇権(?)争いが隠されている というように読みとりましたが、それでいいでしょうか? (注目部分B) :「宗教は過去において社会に矯正させられていった」という「現実認識」は、 : *「現在の社会は大筋において肯定出来る」という認識。 : *「過去より現在の社会の方が真当である」という認識。 : つまり、素朴な進歩観(?)を背景にしていることに気付かれていますか? この点についてなら、私でも「ある程度は」わかります(わかる気がします) 「矯正」という形で宗教の圧力をかけて現状を維持しようとするのは、現在の社会が 歴史的にみてベターだという考え方に基づくものと理解しています (ううっ、堅い表現だなあ) (注目部分C) :>>>「(真当な)宗教は過去において(俗悪な)社会に矯正させられていった」 : : どうですか? この場合の「矯正」は「矯正」ですか? やはり「矯正」という言葉が問題なのでしょうか? それでは、私があえて「矯正」という言葉を使った理由をお話ししますと、 宗教に対して圧力をかける側は「矯正」という形でそれを正当化している事を強調 したかったのです HVHYさんの言われるように、それは「矯正」とは名ばかりのものだとしても、 圧力をかける側はそれを「矯正」と考えているのは一つの現実ではないか 私が、先の発言で述べた「現実認識」における現実とは、 「矯正」しているという現実ではなく、「矯正」だと考えているという現実なんです (鏡さんもそう思われているかどうかはわかりませんが・・・・) それでは何故、○○と考えている現実(主観的な現実)にこだわるのか? それは、人間は結構、主観的な現実に縛られているじゃないか、と思うからなんです 主観的なものを客観的なものとしていつの間にか受けとめてしまう 「現実認識」に潜む危なさの原因はそういう部分に由来すると思うのですが HVHYさんはどう思われますか? PS. 話が変な(?)方向に進んでしまいましたが、 この手の話題は、「自分を視る」こととも関係が深いと思うので、 コメントを頂ければ幸いです Y.S 365/369 GCC03437 星也 答を得るための過程 (20) 93/08/24 21:31 363へのコメント コメント数:2 たまごさんのなかには、 膨大な知識の蓄えと 無意識の論理回路とでも呼べるようなものが 存在しているようですね。 それが出した答の正誤判断機能も、きっと備わっているのでしょうね。 それともたまごさんの答は絶対に間違っていないというわけなのかな。 星也は解答が張り出されたとき、その解答にいたる過程を自分で もう一度検証してみる事も大切だと思うんですが。 366/369 GBD03557 シゲ RE:どうでもいいんだけど (20) 93/08/24 22:30 360へのコメント コメント数:1 >HVHYさん つまり#360でのHVさんの引用方法に問題があるのです。 僕の文章とHVさんの引用では論旨が根本的に違くなると思う んですがね。まあいいけど。 それにラフでもどうでもいいんです。 要旨や論点がみえてなくても構わないのです。 367/369 GCC03437 星也 つけたし (20) 93/08/25 01:10 365へのコメント たまごさんは、幾つもの答のある問いの場合はどうするんだろう? ピンポイントに答があるものばかりでもないと思うんだけどな。 限られた分野では正解でも、範囲を広げたらそうともいえないものは どうするんだろう?(これは、時間的/物理的 etc.いろんな意味だけど) 星也は知れば知るほどそれまで知らなかった事っていうのがでてくるし、 これまではそれが正解だといわれていた事がひっくり返る事もよくあるんだな。 そこから更に新しい何かが見つかっていく事もあるよ。 それに、解答にたどりつく方法にしたって、一つじゃないんだしね。 たまごさんは、答がわかっているから答への道に悩んだりしないんだろうけど。 最初っから「この問題の答はこれだ、これは明確であって考える必要もない」 なんていってたら、そこから先のどこにも行けないんじゃないのかな。 まぁ、それはそれでいいと思うけど。 星也からみると、それがたまごさんの「考え方」じゃないかなって気もするよ。 368/369 GCC01413 HVHY RE:どうでもいいんだけど (20) 93/08/25 01:22 366へのコメント  >> シゲ さん  全体の趣意は理解しています。(※常に前提となる)  私が言いたいことは発言の注意深さ(丁寧さ)です。  「言い放った部分は無い」と言い切れますか?  「まあいいけど」みたいな表現は申し訳ありませんが嫌いです。  「何がどう“いい”のか説明してみろ」と言われても仕方がないでしょう。  幾ら面倒臭くても次の程度の表現は期待される、ということ。 >>> 本心から差別について考えようとしている一部の人も居るとはいえ、 >>> 多くの人は“どうもそうではない”ように(私には)見えるのです。  (※文体の問題を言っているわけではありませんよ…)  一番気になった点は、(こっちから指摘するのは野暮だが)、  『どっちもけっこう楽しんでるようだから』という部分ですね。  「(観察が)ラフでもどうでもいいんです」についても疑問を感じます。  要するに、書くのなら書くで、  もう少し具体的にいろいろ書いて欲しい。そういうことですね。                                 HVHY 369/369 KFD00473 たまご RE:答を得るための過程 (20) 93/08/25 19:27 365へのコメント  >>>星也さん  ふむふむ,なるほどな意見ではあります.  しかし,なんだかオカシナところもあります.  まず,先に示した意見は“わたしにとって”の意見です.  そう書いてありますよね.  したがって, >>星也からみると、それがたまごさんの「考え方」じゃないかなって気もするよ。  というのはその通りなんです.  そして,わたしから見ると星也さんの意見は“あなただけの考え方”です.  これは当り前の話ですが,この会話をするに当たっては当り前の確認が必要な ようです.  と,いうのも, >>限られた分野では正解でも、範囲を広げたらそうともいえないものは >>どうするんだろう?(これは、時間的/物理的 etc.いろんな意味だけど)  というのが星也さんがひっかかっている(?)疑問のようだからです.  星也さんは範囲を広げると一口にいいました.  しかし,その範囲とはどこまでなのでしょうか?  それを考えると“無限ループ”にはまってしまい先に進めなくなるのではない でしょうか.  たとえば,範囲を無限にして,時間的に無限の過去から無限の未来まで妥当性を 保つ“考え方”というのは有り得るでしょうか?  たぶんないですよね.(わたしとしては絶対ないと言いきってもいいのですが それはこの会話を完了するまで保留して置きましょう)  ないならば,星也さんの言っている範囲とは有限ということになります.  では,有限のどの範囲でしょう?1年?10年?100年?1000年??  星也さんが保障できるのはどの範囲ですか?  上に挙げた時間の範囲に関する考察は,範囲に関するごく一部の考察です. しかし,星也さんがetc.としたように,その他にも範囲はたくさんありそうです.  困りましたね.(^_^;) >>星也は解答が張り出されたとき、その解答にいたる過程を自分で >>もう一度検証してみる事も大切だと思うんですが。  検証するとこれも一口におっしゃいました.  しかし,その検証はどのような有効範囲において行われるのでしょう.  もちろん,有限の範囲ですよね.(^_^;)  そうでないと,困りますよね.  わたしが言いたいことは,どんな“考え方”も有限の範囲で成立しているに すぎないのではないかということです.  思考>検証>行動の繰り返しは,検証方法が妥当であるという仮定において, 有意となります.そもそも,万全を期するのであれば,検証方法が妥当かどうかの 検証をしなくてはなりませんし,その検証が妥当かどうか,またさらに検証しなくて はなりません.  この繰り返しをするならば,いったいいつ行動するのでしょう?  行動できませんよねぇ.いや,行動できないはずです.(^_^;)  つまり,検証が大切というのは有限の範囲で,言葉を悪くすると思い付いた 範囲で,あるいはいいかげんな範囲で大切という意味になります.検証を本当に 完璧にするには,どの範囲が有効かも検証しなければなりませんからね.  では,こういった検証の数々を繰り返していくということが有限の人生しか ない人間にどの程度有効なのか?無限の範囲で答えを出して下さいというのは 意地悪ですね.(^_^;)  “検証”なんてものはできるもの,あるいはできる見込みがあるものをすれば いいのです.なんでもかんでも検証できるはずがありませんし,またその必要も ありません.検証するという方法論には向き不向きがあると言い換えてもいいで しょう.  たとえば,  “人生をどう生きるべきか”とか,  “人を愛するとは何か”という命題には  検証は不向きではないかと思われます.  では,最後に残った問題ですが. >>それが出した答の正誤判断機能も、きっと備わっているのでしょうね。  これはまだ先へ持ち越しますね.  いままでの部分でも,恐らく星也さんから疑問質問がでるでしょうから.     たまご