- FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/09/16 - 01477/01478 GCC03437 星也 雑 ( 6) 93/09/16 18:50     あなたの前に壁があります。   それはどんな壁ですか? 高い 低い 見上げるほどの 跨ぎ越せるほどの 忍者返しつき(^_^;)  堅い 柔らかい 硬質の 脆そうな ぶあつい うすい やわそうな 頑丈な 鉄 漆喰 石 煉瓦 木 透明なガラス コンクリ 強化プラスチック  どこまでも続く 角で向こうに折れる 終る こっちに曲がる 勝手口がある なめらかな ざらざらの まっすぐな まがりくねった 穴が開いてる 鏡面仕立てのその壁は 世界の奥行きを倍に見せかけている。 間近に近づいて触れてみなければ 壁があるとわからない。 そこに映る世界は 鏡の曲面にあわせて うつろいゆく。 誰かの投げつけた石は 無数のひびをつくり その破片のすべてに 世界の欠片が映しこまれる 砕け散る鏡の向こうにあるものは いったい何だろう 崩れ落ちゆく壁           そして  あなたとわたしは  混じりあう 01478/01478 GCC03437 星也 月の時代 ( 6) 93/09/16 20:24 閏月のあった時代の頃をときどき考えてみたりする 満ち欠ける月の形で、一日を数えていた頃 夜が一日の始まりだったという話 今はない、13番目の月 闇月の夜は、太陽と月が睦みあう時間だという伝説 春の大潮の夜に現れる 蜃気楼に似た島 不死人の住むという かの仙境 水に映る影は 光 水のように流れ、紡がれ、月光の下で結晶化する数多の夢(セカイ) 青白く硬質の、凍てた炎にも似た、冷たく熱い宇宙(ソラ) ほのかに昏く赤味を帯びた、不安な幻(ウツツ) 夜明け前の空に溶けそうな細い弓 黄昏にかかるその爪痕 長い昼と夜の向こう岸で、銀輪は甦り続ける その裏側に隠されたもう一つの顔 求めてさまよう 狂気に魅せられた、魂たち あるいは彼らこそが 正気なのか 新月闇にまぎれて 此岸へと渡る泥舟がでる 淡すぎる燐光の水脈を曳きながら 月に住むのはうさぎばかりではない - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/09/16 - 00676/00682 GGA02514 KAZE 新たな可能性に乾杯! (13) 93/09/16 11:49 00675へのコメント EARTH WORKさん、どうも。 >しばらく冬眠を(夏眠か?)していましたが、またよろしくお願いします。 >マドカさんのパティオを閉じたことにも関連するんですが、 >自分のスタンスをもう一度考えるいい機会でした。 こちらこそ、よろしくお願いします(^-^)。 ひとは時折は、自分がそれまでとってきたスタンスを見直してみないと、 いったい自分が今「どこ」にいるのかが わからなくなってしまうことがあります。 そういう意味でも、「冬眠(^^;;」期間というのは必要なのかもしれませんね。 僕にしても、自分がいまいったいどこにいるのかが、 「わたしはだ〜れ、ここはどこ?」って感じで(^^;;、 わからなくなってしまうことがしばしばで、その度毎に、 自分のあり方を見直さざるをえないことがあります。 ただ僕の場合、生まれてこのかたつい数年前までほとんど冬眠してましたから その分、この遊戯団をたらたらとでも続けてられるのかもしれません。 >コンピュータは、今まで人が情報などを積み重ねるために使っていた時間や労 >力を代わって行なってくれるもので、これからの人はさまざまな情報をどう使 >っていくかということに、時間や労力を使うことができるようになる。そのた >めの機械だということです。 そうですね、僕もパソコンを使いはじめて長いですが、 特にこのパソ通を始めてから特に、その可能性について実感しています。 そもそも、こうやって地域をはなれた者どうしが出会え、 コミュニケーションしていけるのも、パソコンならではの特性です。 僕なんかもこうしたパソ通がなければ、こうしたことはほとんどできず、 あいかわらず今でも「冬眠」しつづけていたかもしれないでしょう。 ARIONがこのFARIONというフォーラムを作った(^^;;のも、 その可能性を生かしたネットワークを意図していたのだと思います。 >最近興味があるのは、神道以前の神々についてです。どうも、かなり巧妙に封 >じ込められているようで、先住族対侵入族という図式の中で、どんな神々が、 >どんな方法によって封じ込められ、時代が分断されたのか。 そうですね、そこらあたりは非常に興味深いものがあります。 そしてさらに、なぜそういう「神々の封じ込め」や「時代の分断」が なされたのかということについて、そのプラスの意味も見ていきたいと 思っているのです。 シュタイナーの宇宙進化論では、人間は自我を獲得し、 それによってすべてを霊化していくプロセスというのを重視していますが、 そうしたプラスの面と副産物としての破壊的な側面というのを ともに見ていかなければいけないと思うのです。 >現代に、人類が、節目を迎えてジャンプするときに、それがスムーズに行か >ないのは、何か封じ込めを促すものがあるのではないか、現在進行している >時代の流れと同じフレームが、縄文以前の時代に見ることができるのではな >いか、そんなことが、この縄文以前の神人々の間で行なわれた動きの中から >見えてくる気がするんです。 そうですね、そしてその「封じ込め」を「解放」していくということが 現代の最重要課題だと僕は感じているのですが、 そのためにも、「なぜ封じ込められたのか」ということを理解した上で、 その解放のためにどうすればよいのかを 模索していかなければならないようです。 僕の考えでは、あえてそれらの存在たちというのは、 封じ込められたというより、自ら供犠をささげたちであって、 それを「解放」するためには、封じ込めた存在が、その封印を解放し、 供犠をささげた存在たちと新たな高次の結びを行なうということが この時代のひとつの大きなポイントなのだろうと思っています。 >数霊もそういった時の流れを見るうえで、参考になる気がして、楽しみに >しています。 そうですね、なんかこの時期になって、 この会議室の参加者がのきなみあちらと交流をはじめた、というのも そこに重要なキーがあるということではないかと思います。 あの数霊というのは、時間論・空間論を含み込んだ「縁起論」ですから、 そういう意味でも宇宙進化論のダイナミズムを理解する 重要なきっかけにもなるのではないかと期待しているのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00677/00682 GGA02514 KAZE 13=4:風?(^^;; (13) 93/09/16 11:50 00667へのコメント ミラクル9さん、どうも。 >『5』−−−−『9』でもあります。 9は英知 ・智 ・認識 >つまり智の管理です。 (^-^) ううん、そうだといいんですが(^^;;。 ま、がんばりたいと思います(^^;;(^^;;(^^;;。 それはそうと、この会議室は13番なのですが、13というと「4」。 4の象意をみると、「基本的に風を象徴します」ということですが、 僕のハンドルネームのKAZEというのもそれに関係しているんでしょうか(^^;;。 >哲学かあ。梅原猛の『哲学する心』しか読んだことがない。^^;; >数理哲学だな。こりゃ。^^;; 梅原猛さんといえば、その活動の最初のきっかけになったのが 西田幾多郎の「善の研究」をよんだことだとか。 「数理哲学」といえば、ま、ピタゴラス以来の神聖幾何学の伝統の本流ですから やはり、新時代の哲学的基礎としても数霊は有効なのだと思います。 というよりもむしろ、時間論・空間論をふくんだ人間学・宇宙論として 成り立たないような哲学は今後必要なくなるからこそ、 新谷総合的な理念を構築していかなければいけないのでは。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00678/00682 GGA02514 KAZE RE:平成7年の大変動 (13) 93/09/16 11:51 00668へのコメント 岳同さん、どうも。 「カズタマ世紀末大予知」(講談社)については、 以前、新刊のころ本屋さんでふむふむとたち読みした記憶があります。 そのときには、なるほどとは感じたものの、 具体的な「予測」とかいうものにそんなに関心がなかったのもあって、 結局どうしようかと迷いながらも買いませんでした(^^;;。 早速、TAOさんの紹介されていた続編もあわせて、注文したいと思います。 (この田舎では、もう店頭にはありませんでした(^^;;) 「反キリスト」については、さもありなんという感じですね。 >恐らくこの時、人間界の混乱に輪をかけて、地球が怒り出し天変地異が始まる >のではないでしょうか。 そうかもしれないですね。 そのとき、「ぐれん」となって、一厘のカミシクミが働いて、 すべてが破壊と創造の一大ページェント(^^;;となるのでしょう。 ま、それはそれとして、 僕らは自分にできることをせいいぱいやっていくしかないのでしょう。 数霊もそのための重要な認識の契機になるものと思っているのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00679/00682 GGA02514 KAZE 新しい可能性に期待したいものです (13) 93/09/16 11:51 RE669 TAOさん、どうも。 >しかしFFORTUNEでは、かなり以前から数霊の部屋は続いていて、 >私もROMしていたのですが、この時期になって唐突に、こことの >クロスオーバー現象が現れたのには驚かされました。そういう時期 >なのかもしれませんね。 そういう時期なのかもしれませんね(^-^)。 僕としても、なぜこうなったのかはまだわかりませんが、 それがある種の必然であるようなことは感じています。 いよいよ、TAOさんまで、数霊会議室に参加されるということで、 ソラリス9さんの危惧通り、あそこがFARIONの植民地になるのも 間近なのではないかと思っています(^^;;(^^;;(^^;;。 ま、そんな冗談はともかく、今後ある種の重要なテーマに、 フォーラムの壁を飛び越えながら取り組んでいくというのは 新しい可能性なんだろうなと思います。 異なった視点の者がぶつかりあったときに生まれるものの可能性に 期待していきたいと思います。 ということで、あちらでもよろしく(^-^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00680/00682 MHF01227 ミラクル9 MRTに関すること (13) 93/09/16 12:50 00661へのコメント TAOさんよろしくお願いします。(^-^) 今日電話で確認しました。(^_^;) 初回料4000円。 治良代は4500円です。 一番最初に行った時の感想は、サービスというものは感じませんでした。(^_^;) 何回か行くにつれて理解できるようになったと思います。 マートの病気に対する理解の仕方です。 \ 片方の指で押さえる \ \ □ \      \  /−−−−−−− \/    | | 紙 | | −−− ←人| | |□ | 指| |  | | し| | | | 指| | | | | |−−−−−−−−-|   左の指で紙の角を押さえて右の人指し指で紙の真ん中を少し力を入れて押さえつけて 下さい。 そして右の人指し指を捩じってください。そうすると、紙に皺ができますね。この皺 が病気なんだそうです。  片方の指で押さえる \ \ □ \      \  /−−−−−−− \/    | | 紙 | | 〜     〜 人| | 〜  / \ 〜指| |   / □   し| | 〜/ /〜 指| | / / 〜 |  / / | /   /−−−−−-|   この場合、左指で固定するという行為は、体(精神)に何か障害が起こった(バラン スが崩れた)ことを示してます。そして人指し指で紙を捩じるという行為は、バラン スが崩れたために(中心がずれたために)仙骨が中心を保つために、回転するという 事を示しています。その結果出来る紙の皺が体に病気として現れるわけです。 ですから、病気になるということは仙骨が生命の全体のバランスを保つ作用なんです。 薬や手術によって、その病気を取り除くことは、せっかく仙骨が全体のバランスを保 っているのに、バランスが崩れてよけいにおかしくなるわけです。   そのいい例が、朝のテレビの『ええにょぼ』です。              あれほど元気だった源太郎(坂東英二)が医者である娘の検査によって癌だとわ かり、抗癌剤を投入されることによって、だんだん精気がなくなって最後は死ぬ わけです。−−アホかと思いますね。 ですから病気になることはいいことなんです。メデタシメデタシ(^-^) とは言うものの、これでは不便です〜〜(;_;)。 ではどうしたいかということなんですね。 で、指を元に戻せば皺は無くなるわけですね。つまり仙骨を元に戻してあげれば、い いわけです。この場合、本当に戻してもいいかを直に体の細胞に聞くわけです。 方法は、リーディングペンシルという回転する磁石を使って、仙骨に微量な磁気を与 えるわけなんです。そうすると仙骨が足の長さを変化さす(足の長さが微妙に変わる) ことによって答えを伝えてくれます。それをマートのリーディンガーが読んで判断す るわけです。 あとは、治良台にのって、ドンと仙骨を回転させるわけてすね。(この時間は1秒で す。)そうすると、実際にエネルギーか昇っていく事が分かります。悪い所が原子転 換するわけです。 00681/00682 MHF01227 ミラクル9 Re:再考します (13) 93/09/16 12:50 00672へのコメント 隆ちゃんどうも。 数霊盤よくできました。(^-^) ところで神経症ですか。ハテ?これはちょっとよく分かりません? 考えてみますね。 生命質はかなり強いものがあるはずです。(^-^) 00682/00682 GGA02514 KAZE 理解と愛 (13) 93/09/16 15:05 RE671 隆ちゃん、どうも。 >国家さえ作れば、そして国力さえつければ「エルサレムは攻め取れば良いの >だ」というような思惑があるように感じられてしかたありませんでした。 おそらく、この力と力の競い合いというのは、 最終的にはどちらかが破壊されるまで続き、 結局はどちらもが破壊されることになるような気がしてなりません。 ここには、「理解」も「愛」もなくて、あるのはただかけひきと競争だけです。 もちろん、そのこと自体はあるいみでは必要な部分もあるのでしょうが、 それしかなかったときには破壊へと向かうしかないように思えるのです。 これは教育というテーマにもあてはまる問題で、 競争のみが正統化する場合にどうなるかは、現状をみればわかるでしょう。 スポーツにしても、勝つことだけを目的に、エスカレートしていけば、 またあのようになるしかないのでしょう。 >結果として悲惨な末路を辿ったとしても、悔いの残らないような自分であり >たいです。 そうですね、やれるだけやった、と自分で思えるようなプロセスを、 たとえ、それが結果的に間違っていたとしても、辿りたいものです。 >社会性を考えると、ルールというものが必要になりますから、それに伴う抑 >制は仕方がありませんが(僕なんかはこの抑制にアップアップしていたりす >る(^^;))、人は一人一人みんな違うという認識が大前提としてなければ、社 >会性そのものの存在価値がなくなってしまうのではないでしょうか。 問題は、ともすれば、ルールが、ルールのためのルールというように 自己目的化しがちだということなのでしょうね。 社会システムというのは、最初は必要悪にしろなんらかの必然性があるのですが それがいったん確立してしまうと、そのうちにその当初の目的が忘れられ、 システムそのものを信仰してしまうことになってしまいます。 やはり、すべてに「なぜ」という問題意識をもてれば、 そういうアホなことも少なくなるのでしょうが、なんともはやです。 ひとりひとり人間が違っているということにしても、 ルールが自己目的化することによって、 そのルールが個々の人間に対応できなくなります。 そのとき、そのルールは非常に冷酷なマシーンと化してしまいます。 前回もお話した「石と笛」に、裁判のシーンがあるのですが、 そこで、被告と原告と裁判長の間のありかたについて、 非常に考えさせられることが描かれてありました。 つまり、「罪を憎んで人を憎まず」といわれますが、 さらにこれを進めて、罪を理解し、愛し、人を理解し、愛するということが 裁判する者の基本的条件だというのです。 ルールがあって、それに違反する者はこれこれこういう罪に問われるべきだ! というのは、ルールのためのルールの考え方のような気がします。 「法」というのは、理想的にいえば、人と人が互いに理解し愛しあうための ものでなくてはならないはずです。 最近のいろんな裁判を見ると、なんだか憎むための場、 お金をせびるための場、と化しているようで、どうにも哀れです。 これって、どうにかならないものなのでしょうか。 やはり、いくら被告と原告が憎みあっていても、裁判する者であれば、 そこに理解と愛をもたらすような深い人間学が必要だと思うのですが。 >昔の武道の道場などでは、師匠が弟子の中から技術的にも人格的にもある域 >に達した人物を師範とするのが一般的だったのだと思いますが、学校の先生 >というのはそういう過程が無い様な気がします。 15番会議室で、松川さんが「教師擁護論」というのをUPされてましたが、 もちろん、今の教育の現状は、教師だけが云々ということではもちろんなくて、 管理的な指導要領や父兄、マスコミなど諸々のことの総合としてでてきています。 さきにルールについていったように、システムが自己目的化していることと、 それを容認し奨励する大衆の認識の低さからすべては産み出されてきます。 やはり、ここでも「なぜ」ということが忘れられて、 自分で考えながら作り出してくことができなくなっているのでしょう。 要は、教師だけではなく、父兄も含めて、「なぜ」を、 権威や競争などからではなく、「愛」と「理解」から浮上させることが 必要なのではないかと思うのですが、現状はやれやれのようです。 システムは、ひとりひとりが自分で考えられないようにし、 各人は自分で考えることを放棄しているのだから・・・。 >進化の過程というのは、ある種量子的なのではないでしょうか。ある次元でな >だらかな進化の過程を辿り、その次元で完成された存在になったとき、次の次 >元にピョンと飛び上がる。そしてまた、その次元でなだらかな進化の過程を進 >んで行く。 僕にもそのイメージがあります。 次元がシフトするところまでいかなければ、 一見そのシステムには変化がないように思われるのですが、 実は、着々と準備しているのです。 コップにビールを注ぐのにしても、溢れだしてあわてておっとっとというように なるのですが、それまでだってちゃんとビールは注がれているんですよね。 ある時点のシフトにむかって、確実にプロセスが進んでいる。 >カミさんが先日買った「日月神示」の本を今読んでいます。その中に「清貧な >どというのは負け惜しみだ」とかいうくだりがあって、「良い事書いてあるわ >ねぇ」などと言いながら笑っておりました。 この日月神示の革新的なところは、よく読むとどんなありかたにしても なにも切り捨てないで、それをプラスの方向にむかわせるあり方が 基軸になるということだと思います。 経済行為にしても、もちろんそのマイナスの部分はあるにしても、 それを生かすも殺すもその用い方次第ということなんです。 よく宗教的なあり方では、経済行為を罪悪のようにいう向きがありますが、 問題はそれをどう用いるかであって、そのものの価値判断を云々ということは 必ずしもできないにもかかわらず、です。 ということで、富むも富まぬも、自分の心掛けしだいということなので、 お互い、いつかは「清富」になれるように、がんばりましょうね(^-^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/09/16 - 01223/01231 PEH01157 智美パパ 9月16日 (14) 93/09/16 03:38 コメント数:1   占星術では新月と満月の日に興味深い現象がおきることが多い。今日9月16日   は新月。少し分析をしてみたい。新月は11時半頃におきるが、この日の興味深   い時間は15:30頃である。      ・ 土星を除き、星が空にすべて並ぶこと(ホロスコープの上半分に集まる)   ・ 1室に土星、天王星、海王星がはいること   ・ 冥王星が蠍座で天頂にはいること。蠍座の守護星は冥王星自身であること   ・ 8室に太陽と月がはいること(新月で)   ・ 7室にポツン金星があること   ・ 金星と冥王星と土星がTスクエアというシビアな星の関係を作ること   ・ 以下の星が重なること     天王星と海王星(山羊)、太陽と月(新月/乙女)、木星と火星(天秤)   ・ 水元素と火元素が弱く、風元素と地元素が強いこと     その弱い水宮に冥王星がいること   ・ 活動宮が強いこと   ・ ある特種な技法(サビアン)を使うと宗教的なシンボルが多いこと   ・ ハーモニクスなどの技法を使うと、天王星と海王星、冥王星と土星と金星     冥王星と天頂(MC)などの関係が繰り返し登場すること   ・ ハーフサムで冥王星と天頂(MC)、金星と冥王星の関係が繰り返される事      などがあげられる。   長文化をさせたいので、早速私的な分析を試みたい。   星には馴染みのない人も多いと思うので、結論めいたことをいきなり話していき   たい。この日の15:30のホロスコープに関心がある人は、分析して、コメン   トをつけていただけるとありがたい。   人の心の底の欲望が社会の中で顕在化する。その欲望は社会の変革や破壊を目指   すが、その企ては失敗するだろう。その企ては固めることができないのだ。      では、人の欲望とは何か? それは見せかけの宗教的な和解であり、家に帰るこ   となのだが、平和も関係している。しかし、人々のこの欲望が成就してしまうと   その裏の目的も達成されてしまう。      この人の欲望と裏の目的は水を汚し、火を汚す。この日の水と火と弱い。水と火   が作るものはチカラ、人の血。人の血を汚すのである。麒麟は、血が汚れること   も阻止しようとしているのだ。火を汚すのは愛。女性? 個人的な快楽かもしれ   てない。水を汚すのは、人の深き心の欲望である。その欲望と愛の力で、社会に   圧力をかけていくのだろう。      意識と無意識の結合が進んでいる。このことが、こうした汚れなり、事の目的の   成就を促進するだろう。しかし、麒麟は、この目的の成就を阻止しようとしてい   る。それは、我々ひとりひとりの「イノチ」に直接働きかけてくるだう。      愛が広がろうとしても、社会がこれをつぶそうとする。愛を犠牲にしても社会を   維持しようとする働きが強い。しかし、本当の神の愛、神聖な愛に触れるチャン   スでもある。愛を通じて、人生がガラッと変わってしまう。神の愛。神聖なる愛   。この愛だけが唯一の抜け道なることを知る人がいるだろう。      限界を突破しようとする力の顕現。それがかなわない場合は、実に無意味でつま   らない人生を歩んでしまう。何か、大きな邪魔がはいるとか、思う通りにならな   いことがあったら、それが限界を越えるきかっけとなるだろう。我々が本当にや   りたいことは何か、じっくり考えてみる良い機会かもしれない。      チャートは強い風と地を生み出している。風といえば麒麟。この麒麟が大地にな   んらかの影響力を行使する。麒麟は先の北海道の地震もひきおこしたものと思わ   れる。今度は、麒麟は何をなさんとするのだろうか。風が強くふいたとき、何か   がおきるだろう。それは、今日、この日か明日中におきるに違いない。では、麒   麟の叫びに、我々は答えることができるのだろうか? これはひとつのチャンス   である。      占星術に明るい人のコメントを待っている。    01224/01231 PEH01157 智美パパ RE:9月16日 (14) 93/09/16 12:44 01223へのコメント コメント数:1 本日16日。3時30分でまではしばらく間があるので、引き続き書き込みを続けたい。前回の書き込みは抽象的なので、具体的な書いてみたい。 ・・・ 人々の深い底での欲望が社会を動かすが失敗するという話題を提供した。 この欲望の正体は重要に思われるので、少し詳しくみてみよう。 この深い心の底に欲望は、崇高な話を日常生活の中で生かすことを望んでいる。 しかし、崇高な話を日常生活の中でいかせなかったとき、人々は精神的に混乱し、逃避癖をつけてしまう。そして、この欲望が生み出す結果は、何も破壊しないし、何も創造しない社会だ。そもそも、この欲望は人々の情動や衝動から生まれている。底が浅い。 ・・・・ さて、経済新聞を読むと、今日16日に規制緩和に関係する発表が行われるという。 一方で、独占禁止法に強化の発表も行われるらしい。 また、1ドル100円時代の経済のありかたも論じられている。 この3つが消費者物価を押し下げるということらしい。 そして、その実体は。 消費者・生活者のための時代と企業・業界エゴ 規制緩和に関する官僚の抵抗と企業のエール その底には人々の欲望がうごめいているようにみえる。 しかし、ものごとの本質はもっと深刻である。消費者の時代に背をむけることこそ重要ではないだろうか? 物価が下がるということはデフレになるということである。 経済は大きくデフレ基調であり、このデフレはこれから何十年と続くだろう。 (今までが長いインフレだったように) 時代が望むのはデフレ。しかし、デフレはインフレより辛いのだ。特に、現金以外の資産を持つ人と借金がある人はデフレの時代に生きることはできない。 もたざるものも安心できない。給料が長期的にジワジワとさがり、専門家の試算では2千万人が失業者となるともいわれている。 こうした痛みを覚悟して、消費者の時代というものをむかえる腹づもりが、人々にはあるのだろうか? 現金だけがデフレの時代には強みとなる。デフレの時代こそ、金持ちの時代であり、すべての富が金持ちに集中する時代なのだ。しかし、デフレは破壊のプロセスであり、あらたの創造をうむ機会でもある。その唯一の道は貨幣経済の終焉かもしれない。 ・・・・ 16日は、ひとつの時代の節目になるだろう。 この日の星の動きを今後の目にみえる事象で確認していきたい。 時間が許せば、もうひとつの重要なテーマ。血の汚れをみていきたい。 01225/01231 GBG02043 維/YUI くりかえし (14) 93/09/16 13:41 かつて、スサノヲさんは、静まらぬ神々とその世をなげいていた。 けっしてスサノヲさんが泣き暮らしていたから、世の中が荒れたのではなく、 ちっとも言うことを聞かず、好勝手にしている者どもとその世のいく末を思い 悲しんでいたのだ。 こんなことではいけないのに、海原=地球が荒れてしまう・・と。 ふと、現代の様子をみて思う。 また、くりかえしているのではないかと。 また地球の想いを忘れてしまうのだろうか。 また過去の過ちをくりかえすのだろうか。 こんなにも辛抱強く、あたたかく見守っていてくれたのに。 無償の愛や恩恵を仇で返してしまうのだろうか。 ひとがそんなどうしようもない存在ならば そんなイノチがなんの役にたつのだろうか。 いいかげんに、みえないふり、きこえないふりは止めなければ。 それとも、自分の首をしめていることにすら気がつかないほど、 幻によってしまっているのだろうか・・・ 世の中、そんな、甘くない。                             維/YUI。 01226/01231 GBG02755 すまる 午後3時半過ぎに・・ (14) 93/09/16 17:09 01224へのコメント 友達と話していたこと。 それは、絶対妥協したくないってこと。 自分が納得できないことは、一見それが平和な解決であっても 「嫌だ」と思うということ。 自分の夢が叶わなくても、一生果たされなくても、 だからと言って妥協できない。 どこまでも、本気で生きたいってことだった。 細く長くなんてちっとも好きじゃない。 わがままいっぱい生きたいってこと。 ワクワクすることを生きてみたい。 どんなに苦しいことを予想させる選択でも、 自分を押し殺して生きて行くなんてまっぴら。 また、そう感じてくれる存在を友達にしたい。 そういう人を愛したい。 負けて怖気づいて、逃げてしまう人なんてもう見たくない。 回りがそんなつまらない人ばかりになって、 愛せない人だらけになっても、 私は自分の欲しいものを追い続けるって。 少なくともこの友達だけは、こういう話が本気で出来るので、 一人は確保出来たわけだけれどね。 血が騒いでいた。怒っていた。 そんなやつばかりに出会うことに腹立ててた。 二人で、うんざりしてしまっていた。 むかつくのよね、そういうやつ見てるとさ・・・ ・・・・これが麒麟ちゃんの声かどうか知らないけれど・・・                         すまる 01227/01231 GCC01413 HVHY 確実に流れる「時の砂」。 (14) 93/09/16 17:26  *[その者達とは誰なのか?]   > 狭間より来る者は、印を持っているだろう。   > 夕刻と朝陽の光を文字に、その者は話すだろう。   > 今まで聞いた「聖なる言葉」は、彼の足元に崩れ、   > 人々は、彼を怖れるだろう。   > まことに陰なるものは、まことに陽なるものとしての印を   > 人々の目につくところに掲げるだろう。         (92.08.30)   > さて、人の裡より果てることの無い欲が解き放たれた   > 人が人であるために、夢が夢であるために、命が命であるために、   > 深い海より現れる「文字にならない言葉」を読み取りなさい   >   > 鎖の跡を見せて女は言った、   > 「虐げられたのは、私です。ここに印があります」   > さて、鎖は何を繋ごうとしたのか?   >   > 「やはり…」と男は言った。   > 「やはり…」と男は答えた。   > そして、女は黙っていた。               (93.08.04)  去年の預言における「狭間より来る者」=「まことに陰なる者」=「その者」は、  今年の預言における「その者達」であろう。  「彼」は、言うまでもなく、「かの人々」とは別物である。  表現が多分に下世話になるが、“偽救世主”の類いではないか?  今までに私たちが聞いたこともないような「聖なる言葉」を、  「彼」は“吐く(垂れる)”のだろうか?  「その者達」は「印」を持っており、それを公衆の面前に“掲げる”という。  一方、「女」は(本当の?)「印」の在処(ありか)を知っている。  にも拘らず、「やはり…」という「男」たちの“問答”に掻き消されて、  「女」は黙っている(海の底に眠っている?)しかないのである…。  (※しばしば預言に登場する人魚姫のイメージか?)  私たちが読み取るべきは、  「深い海より現れる文字にならない言葉」であって、  「男」たちの“問答”ではない。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   > そして、「その者達」のために「時」は流れ…。  これはもちろん“由々しき事態”である。  どうもステレオタイプな解釈になってしまったが、  事実は事実として受け止めなければならないのではなかろうか?                                  HVHY 01228/01231 GCC01413 HVHY 歴史の証言。・・・? (14) 93/09/16 18:21  *[イスラエルとは何か?]  > 冥府の王が、全知全能の名前の元を過るときに、掛かる影を気にする忽れ。  > ダイアナは、その手の中に嬰児を抱いている。  > 真空の空に風が起こる時、蟹星の赤い夢が破れる。(*)  >  > 黒い噂は白い羊からもたらされるだろう。  > 押し黙った湖から、財宝を得る者は誰だ?  > 山羊の首をはねるな。  > 既にあった形は、今、取って代わられようとしているのだ。(**)  >  > 緋色の女は、藍のローブを纏い、緑のおしろいを身体に塗り準備している。  > 黒鉛の嘆きは、人々の知らぬところで埋葬されるだろう。  > 目に見えるものだけを信じる人々が、大きな男に連れて行かれる。この男は、  > 片目だけしか開けていないのだが、両目が開いているように見える。(***)  以上は[92.08.30]の預言の一部である。  いつも述べている通り、一つの預言にも、  様々なダブル・ミーニングが込められていることが多い。  したがって、単純な未来予知としての側面ももちろん含まれている。  引用した部分については、既にハイジン先生の指摘もあったが、  占星術的シンボルを読み取ることが出来よう。  ここで改めて注目するべきは、「白い羊」が「火星」を、  「山羊」が「土星(サターン)」を、それぞれ示唆している点だ。  「火星」は「軍神」であるが、その一方で「性(SEX)」をも表している。  更に、「山羊(悪魔のシンボル)の首をはねるな」とは、  「悪魔(と言われていたもの)を排除するな」という意味であろう。  「押し黙った湖」とはズバリ言って「死海」ではないか?  そして、「緋色の女」=「イスラエル」である。  但し、「イスラエル」という言葉には、  イスラエル一国を表す以上の意味が含まれていることに注意したい。  これはん聖書の“読み方”という問題にも繋がっている…。                                  HVHY 01229/01231 GCC01413 HVHY ええじゃないか? (14) 93/09/16 19:54   *[リアリティとしての虚構]   とある雑誌で“慶応パワー”の台頭について触れていた。   つまり、東大・早稲田コンビの時代は終わったと言うのである。   なるほど現在の一万円札は福沢諭吉であったりもする…。   多分にシンボリックな話なので、真に受けるのもどうかとは思うが、   ある時代の流れ(ムード)を確実に表していることは間違いなかろう。   細川首相は上智出身だけれど、広告批評のインタビューを受けたり、   チャート式のパネルで記者会見したり、そういった“身のこなし”も、   それが演出されたものかどうかはともかく、同一の文脈から捉えられる。   いろいろ大きな事柄が起こっているが、最近になって強く感じるのは、   「世の中すべてが妙に“上滑り”している」ということである。   ARIONは、命の「裏」は私たちの意識のコントロールを受けないと言う。   そして、命の「裏」に“人間の総意で望むこと”が存在すると言う。   であるならば、いま起こっていることは“望むこと”が実現しているだけ…。   つまり、「法則(宇宙法則)に適っている」のである。   何が危機的かと言って、これほど危機的なことは無いと言えまいか?   私たちは精々が“奴隷としての幸せ”を求めることしか出来ないのか?                                 HVHY 01230/01231 GCC01413 HVHY 奴隷制度の完成。 (14) 93/09/16 20:19   *[奴隷人の幸福/自由人の不幸]   別に、奴隷人が幸福で自由人が不幸だ、と言っているわけではない。   「奴隷になっても構わない」という人が多過ぎる、と言いたいのだ。   「進んで奴隷になろう」という人が多過ぎる、と言いたいのである。   いろいろ話してみたが、奴隷制度はもう完成していることが解った。                             HVHY 01231/01231 GCC01413 HVHY 「時」 (14) 93/09/16 20:48    〜 宇宙のトポロジー 〜    「砂」は“零れ落ちている”と言う。    「時の砂」=「時」=「クロノス」=「サターン」。    「山羊の首をはねるな」とも言われる。    「時」が動かなければ、「時の分岐」も起こらない。    つまり、“神のみぞ知る…”ということか?                       HVHY - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/09/16 - 329/330 GFD00204 松川 貴     教師擁護論 (15) 93/09/16 01:40 コメント数:1  KAZEさんの部屋で、日本の教師たちがずいぶんとやり玉に上がっているようですか ら(665・671)、ちょっと彼らの擁護をしてみたいのです。なぜなら、現代の教師たち もまた近現代人の行ってきた〈思考態度〉の犠牲者なのですから。 シュタイナーは『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』(イザラ書房) において、このように述べております。    国家が教育制度を管理することは、人類の進歩にとって望ましい、と以前か   ら思われてきた。そして、社会主義者は、社会が個人を社会のために、社会の   基準に従って教育することを当然だと思っている。    人々は教育の分野で、今日どうしても必要な洞察を得ようとは思っていない。   以前正しかったことが後の時代には誤りになる、というのは、歴史の発展を考   える上での必要な洞察である。教育制度並びに公共の精神生活が中世において、   それを占有していた人の手を離れて、国家の手に委ねられたのは、近世の社会   状況の成立にとっては必要だった。しかしこの状況を今日も維持しようとする   ことは、重大な社会的誤謬である。(P16)  現在の教育状況の自縄自縛ぶりは、国家とその国民の〈教育に対する考え方〉から 出てきているのです。現在公教育に携わっている教師たちは自分たちの手ではどうに も動かしようのない〈国家の管理する教育制度〉そのものによってがんじがらめにさ れています。それなのに、市民の側はそのことに対して洞察の目を向けようとはせず に、安易な教師攻撃にばかり走っています。     教育者は生活にうとくて、非実際的な人間である、という無意識の思い込    みから、そのような偏見が生じることが洞察できるなら、この偏見の中に反    社会的な精神を認めることができるであろう。もしこのような偏見がまかり    通れば、人生の実際分野に正しく仕えるべき教育制度を教育者自身で用意す    ることが期待できなくなる。そしてその諸制度は、実際生活の中にいる人の    手で作られることになり、教育者は与えられた指導要領によって働かねばな    らなくなる。(P18)  教員採用試験に合格し──これに合格するために大学を出た20代前半の若者たち がどのような教条を覚えさせられているか、一度ご父兄の皆さんも調べてみるといい のです──、現在、〈公〉に仕えているはずの教育者たちは、国家によって〈与えら れた指導要領によって働かねばならない〉状況下で仕事をしているのです。ですから 日本の公教育に携わっている教師たちは、依然、戦前と同様に〈公ではなく、国家に 仕えている〉という点ではなにも変わってはいないのです。  江戸時代の私塾の教師たちは、国家のいいなりになぞなってはおりませんでした。 現在のような意味での〈国家〉はまだ日本には存在していなかったからです。ひたす ら〈公〉に──それは漠然とした感覚ではありましたが──思いをいたしていたので した。  もちろん一方では、自由な私塾によって育てられた志士たちが今度は一転して教育 の国家集中という戦略を取らざるを得なかったのは歴史の皮肉というものです。明治 維新以来始まった、かつての日本が行った教育の国家への集中的態度は、〈東亜百年 戦争〉の前準備のための必然だった、ということも、『大東亜戦争肯定論』を書いた 林房雄氏のひそみにならえば、言うこともできるでしょう。しかし、〈地理的には〉 すでに所期の目的は達せられています。ですから、今は状況が違うのです。  どうして現在このような状況下にある教師たちが〈公〉のために〈個的な創造力〉 を十全に発揮することができるでしょうか。自分のことを〈世間のことをよくわきま えた実際家〉だと思い込んでいる教育に熱心なご父兄方の、その〈現状維持的実際家 ぶり〉が、いかに教育の内実を破壊してきたかに一度思いをいたしてみればよいので す。  シュタイナーは、教育者が与えられた指導要領によって働くのは当然であると考え ている人──つまり国家が教育を管理するのは当然だと考えている人──に対してこ のような批判を行っています。    それでいい、と考える人は、大きなことにも、小さなことにも自分で判断が   下せない教育者がそれによって本当に生活にうとい、非実際家になってしまう、   ということが分からない人なのだ。(P18)  そして、実際、私たち自身が手を取り合って〈生活にうとい非実際家〉を生み出す 手助けを行っているのです。    そうなったときの教育者は、一見非常に実際的だと思われる人たちが与える   要領に従っていればいいのだが、そのような教育者では真の実際家を社会に送   り込むことができないであろう。    反社会的な状態が出現するのは、教育によっては社会感覚が養成できなくな   ったからである。社会感覚を持った人は、社会感覚をもって指導し管理する教   育者からしか育たない。教育問題、精神問題は、社会問題の本質部分のひとつ   である。それがわからなければ、社会問題そのものがわからなくなる。反社会   的要素が生み出されるのは、経済制度によるばかりではなく、人間が経済制度   の中で反社会的にふるまうからでもある。若者を教育する誰かが、外部から教   育指導要領を押しつけられ、それによって生活にうとい人にされてしまうとし   たら、そのこと自体極めて反社会的なことだと言わねばならない。(P18-P19)  ここでちょっと話が飛びますが、小沢一郎氏の『日本改造計画』(講談社)という 本の最後には「新・教師聖職論」という短いコメントが出てきます。  発言内容を見てみましょう。    教師が、真に教育者として子供の教育に当たるには、労働者意識を払拭する   意味でも、労働三権は認めないようにしたい。その代わり、特別職の国家公務   員として身分保障を十分にすべきだ。これらの問題は、今後、十分に検討する   つもりだが、これが私の基本的な考え方である。(P257)  公教育に携わる人々を〈地方公務員〉から──これとて、すでに内実は国家の管理 下にあるわけですけれも──〈国家公務員〉にするということは、結果的に教育にお ける国家の管理を強化するということです。これからの教育(精神生活)はますます 国家の手から自由になる必要がある、という考え方から見るならば、これはまったく 時代の流れに逆行する発想です。とはいえ、小沢氏も「これらの問題は、今後、十分 に検討するつもりだ」と述べていますから、今後の氏の考え方の変化に期待したいも のです。  さて、ながながと書いてきました。教育問題ひとつとっても問題はあまりにも巨大 過ぎて私の小さな脳みそではとても対応しきれません。とはいえ、今後も何か思いつ くようなことがありましたら、教育問題についても触れていきたいと考えています。                                   松川 貴 330/330 GGA02514 KAZE 父兄と教師とマスコミの教育呪縛システム (15) 93/09/16 11:52 329へのコメント 松川さん、「教師擁護論」をどうも(^-^)。 松川さんのおっしゃることは、とっても大事な視点だと思います。 おそらく、僕の教師批判というのは、僕の受けて来た教育と教師に対する ある種の「怨念」(^^;;(^^;;のようなものもあるのかもしれませんね。 ま、ろくな思い出がないのであります、情けないことに(^^;;。 >現代の教師たちもまた近現代人の行ってきた〈思考態度〉の犠牲者なのです >から。 その要素はかなり大きいのは事実だと思います。 そして、現代の父兄というのも同じくその<思考態度>の犠牲者でもあります。 >現在公教育に携わっている教師たちは自分たちの手ではどうにも動かしようの >ない〈国家の管理する教育制度〉そのものによってがんじがらめにされていま >す。それなのに、市民の側はそのことに対して洞察の目を向けようとはせずに >安易な教師攻撃にばかり走っています。 そうした「思考態度」が教育制度を巨大な管理機構にし、 それに基づいて父兄の側もまた、その管理機構に淵源を持つ「思考態度」を マスコミなどとともに醸成し、結果的には、そのシステムを市民も教師も 手を携えて強化しようとしているのが現実だと思います。 では、そのシステム強化からどうやって逃れるのかといえば、 はてさてどうやったものか、具体的には途方に暮れるしかありません。 このマスコミや洗脳された衆愚によって強化される教育システムが、 もし、「管理的」なものでなくなってしまったとしたら、 一番途方に暮れるのが、洗脳されてしまった方であることは確かで、 そのときに、彼らが行なう「破壊」ということを想像すると、 ちょっと背筋が寒くなるものがありませんか? そのシステムに頼りきったあり方を少しずつでも改めていかなければ どうしようもないのに、問題点を解決するために、 また新たなシステムをどんどん付け加えていくことになりかねません。 >教育者は生活にうとくて、非実際的な人間である、という無意識の思い込 >みから、そのような偏見が生じることが洞察できるなら、この偏見の中に反 >社会的な精神を認めることができるであろう。もしこのような偏見がまかり >通れば、人生の実際分野に正しく仕えるべき教育制度を教育者自身で用意す >ることが期待できなくなる。そしてその諸制度は、実際生活の中にいる人の >手で作られることになり、教育者は与えられた指導要領によって働かねばな >らなくなる。(P18) 指導要領のあほらしさから自由になるためには、 教育者自身が「創造的」でなければならないのですが、 果たして、現在の教育者に「人生の実際分野に・・・用意する」ことが どこまで可能かということになると、僕にはよくわかりません。 本来、教育者に対する上記のような「偏見」はもつべきではないというのは 十分に理解できるのですが、それが果たして「偏見」なのかどうか 一概にいえない部分が多々あるのも確かではないでしょうか。 >どうして現在このような状況下にある教師たちが〈公〉のために〈個的な創造 >力〉を十全に発揮することができるでしょうか。自分のことを〈世間のことを >よくわきまえた実際家〉だと思い込んでいる教育に熱心なご父兄方の、その〈 >現状維持的実際家ぶり〉が、いかに教育の内実を破壊してきたかに一度思いを >いたしてみればよいのです。 ご父兄方というのも、ほとんど母親で、 それが<世間のことをよくわきまえた実際家>であることは ほとんど期待できないのが実情です。 そして、マスコミの影響をもっとも強く受けているのが この母親なのかもしれないのです。 ここに、最初に挙げたような教師と父兄とマスコミとの 三位一体が浮かび上がります。 この三位一体の作り出す魔術はすごいパワーで、 その魔法をどうやって解くか、検討もつかないように思えます。 では、その魔法を解くべく「自分で考える」勇者たちが必要とされるのですが、 果たして、その勇者が続々と現れてくるのかということになると、 結局、やはり途方に暮れてしまいます。 いい機会ですから、少しずつでもその可能性について 僕も考えていければと思っています。 ☆☆☆KAZE☆☆☆