- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/10/04 - 00885/00890 MXC00533 W.R. はじめまして-W.R.- ( 2) 93/10/03 22:57 コメント数:1 はじめまして・・・みなさま。 しばらく、コンピュータの世界から離れておりましたが 日月神示を読んで、なぜか通信を始めた私です。 これって、なんか違うのかな? 00886/00890 KFC03424 RYOJI はじめまして!!RYOJIです! ( 2) 93/10/04 00:21 コメント数:1 はじめまして!RYOJIです。 パソコン通信をはじめて、まだそんなに日がたっていませんがいろいろ教えて下さい。 趣味は作曲活動でバンドもしており、ドラムを担当しています。 家には3匹の犬と9匹のハムスターとひとりの妻がおります。 昭和37年12月4日生まれです。 どうぞよろしく!!(^_^)/~ 00887/00890 PBA02422 さはし はじめまして、藤田さん ( 2) 93/10/04 07:10 00882へのコメント こんにちは、藤田さん。 パソコンはドカンと置かれてあると、なんとなく威圧感を感じますよね。(^^;) でも、使いだすと便利な楽しい機械です。僕なんかはゲームから入ったもので すから、それほど恐くは無かったですけど、会社の女の子なんて会社のパソコ ンをおっかなビックリ使ってますもんねえ。(^^;) では、これから宜しくお願いします。                                 さはし 00888/00890 PBA02422 さはし 不幸な目 ( 2) 93/10/04 07:14 00884へのコメント 不幸な目と言えば、旧約聖書の「ヨブ記」のヨブは不幸ですよ。 使用人は四散するし、家族は死に絶えるし、自分は酷い病気に なるし。なんかの試練なんだろうけど、突然、なんの罪無く死 んでしまった家族の人がヨブよりも不幸だなあ、なんて感想を 持ってしまいましたが。(^^;)                            00889/00890 PBA02422 さはし こんにちは、W.R.さん。 ( 2) 93/10/04 07:17 00885へのコメント はじめまして、W.R.さん。 このフォーラムには本を読んで、それがきっかけで通信始めたって人が 大勢みえますよ。下の方に色んな会議室がありますので、そっちの方も 参加してくださいね。もちろん、肩の凝らない居酒屋もよろしくお願い します。                      ほとんど居酒屋だけの さはし 00890/00890 PBA02422 さはし はじめまして、RYOJIさん ( 2) 93/10/04 07:23 00886へのコメント こんにちは、RYOJIさん。 音楽出来る人って昔から凄いなぁ、って思ってました。楽器を操るって、難しく ありませんか? 見てて凄く器用に見えますし。(^^;) うちにも一匹、ハムスターがいます。とても元気な奴で夜中に勢いよく車を回し て遊んでいますが、時々、その音で目が醒めてしまうことがあり、一人苦笑する ことがあります。 全然関係ないですけど、僕は昭和38年12月5日生まれです。数字が近いです ね。 では、これからよろしくお願いします。判らないことがありましたら、遠慮無く この会議室で尋ねてくださいね。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/04 - 01535/01535 GCC03437 星也 新聞の片隅で見かけた言葉たち ( 6) 93/10/04 17:40 ・10/02(土) 日本経済新聞 朝刊 (1)面の左側 中段あたり     『Now&New さらば和の時代 激論で未来を開く』より  「マグロは魚です」 「魚は漢字です」 「だからマグロは漢字です」  詭弁だ!  「そう,正しくありません。でもこの間違いをどう論証しますか。   短い質問三つで私を説得して下さい」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  「ビジネスディベート体験セミナー」の一場面だそうだ。  それで,何を養うか・・・・・・「知的基礎体力」とでもいうものらしい。  「なぁなぁ」ではじめて,「ちゃんちゃん」で終わる時代は もはや過ぎた という事なのかもしれないなぁ・・・・と,読みながら思った。  よく似た言葉を利用した奇術,最近の新聞に載っていたが・・・・(ドレダッタカワスレタ)  『常勝のコイン投げ』とでもいう奴・・・・↓   【裏がでたらあなたの負けですよ (ポン) 表ですね,私の勝ちです】  うっかりしてると,ひっかかっちゃうね・・・・・(^^;) ・10/04(月) 朝日新聞 朝刊 (1)面 下のほう     『天声人語』より  「手前のつらがいびつなのに,鏡を責めてなんになる」     ↑  ロシアのことわざ という説明だった。  近頃の××は・・という前に,自分の姿をもう一度見直しましょう・・・(^^;) - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/04 - 01427/01433 GCC03437 星也 Re^X:納豆と生まれてくる子供の生命 ( 7) 93/10/03 20:41 01408へのコメント めるくさん ども。  野蛮だっちゅうのも、一つの見方で、感じない人/そうは思わない人ってのも 当たり前の話だと思うんで。ま、思おうが思わなかろうが、多くの(勿論すべて ではない)食べ物が何がしかの生命を素にしているであろう事に、変わりはない と思いますけどね。  別に「草木の手足」=「人間の手足」を想定しているわけではないですよ。 動物の手足だろうが同じでしょ?  根っこから引き抜いてしまう場合は植物も殺して喰う、という事もできるわけ ですが。種の部分を食べるなら、卵(有精卵)を食べると同じかな。  「共食い」だから「本能的に拒否反応を示す」のが当たり前だというのは疑問 ですね。少なくとも、「本能」というモノではないんではなかろうか? 相手の生命を奪わない食べ物については、Zap!さんがいわれてたと思います。                     →(#1394だったと思います) 01428/01433 GCC03437 星也 Re:RE:そのこのいのちはどこにいくんだろう ( 7) 93/10/03 20:41 01409へのコメント コメント数:1 骨折した事のない人は、骨折したときの痛みはわからない。 では、その痛みがどんなモノかを知るために、骨折してみる事は必要だろうか? しかし、骨折してみたとしてもその痛みは「自分のある骨が折れたとき」の痛み だし、痛覚の感じ方などその人によって千差万別だと思う。 誰も他人が感じる本当の痛みなどわからない、といってしまえばそれまでの事。 他人の痛みさえわからないのに人以外(#1)のものの痛みなど、ましてや・・だな。 そういって、終わらせる事は簡単な事かも知れない、という気もするけれども。 だが、それで終わってしまっていいんだろうか? 痛みをわかったからといって、何の役に立つわけでもないとも思う。 むしろ、お気楽に生きて行くためには邪魔になるだけかも知れない。 けれども「いま自分が生きてここにいる事」を考えるには必要かも。 もちろん、痛みだけが必要な事だとは思ってはいないけれども、ね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− #1:人以外といったのは「人をとりまく世界のすべて」という程度の意味。   それらが痛みを感じるかどうか・・? という疑問がないわけではない。   しかし、それについては肯定する材料も否定する材料もない、わけだ。   ならば「痛みなど感じはしない」も「痛みを感じるだろう」も正しい。   ついでにいえば、「痛みを感じない」としても「何をしてもいい」では   ないとも思っているが、これは個々の考え方いかんだろう、とも思う。 01429/01433 KFD00473 たまご RE:場・縁・絆 ( 7) 93/10/03 21:09 01425へのコメント  お見事!  鋭い洞察ですね. 01430/01433 HGE03563 SONIC RE:場・縁・絆 ( 7) 93/10/03 22:24 01425へのコメント コメント数:1 関係無いかもしれないけどTAOさんの「絆」についてのアップ読んだら、 ながぶちつよしの「乾杯」がフイと頭で流れました。(^^)〜♪ ・・ジャナクテ、自分に思い当たることがあって、ドキッとした。 そういえば、 自分に(個人的な)トモダチがなかなか出来なかったのは、 「縁」に流されるままの受動的な人間関係を続けてきたせいとも言える。 例えば職場の切れ目が縁の切れ目みたいな、 新学年のクラス換えが縁の切れ目みたいな・・。 自分が主体的になれないのは、やっぱり人間が恐いせいだと思う。 人の自分に向けられるちょっとした「否定的感情」には敏感で、 それを感じると胸に突き刺さる思いがする。 しまうまさんが書いていたけど、相手の否定的感情を受けると、 「そっちが冷たくするんだったらいいよいいよ。  こっちだって冷たく扱ってやらあバカヤロー」(←ひと言多い)というふうに ついつい開き直ってしまう。嫌われても愛するという行為に心臓が耐えられない。 ・・つまり「弱い」んだ。 「燃えるような愛」とか、「戦いながらの愛」って 熱く情熱的なもの、欲しいなぁ。 やはり自分は人間的でありたいと思うんです。 01431/01433 HGE03563 SONIC RE:Re:RE:そのこのいのちはどこにいくんだ ( 7) 93/10/03 23:11 01428へのコメント 人は同じ傷を持つ者どおし寄り添って生きて行くのだと思う。 言い方を変えると、 感受性が似ているとか、価値観が似ているとか、趣味が合うとか・・。 胸のおおきな杉本彩さんは、 カップルには、価値観が同じカップル、価値観は違うけどそれを楽しむカップルが あるとか言うておった。 後者は、「自分の価値観を他人に押しつけるタイプ」には向かないとか。 心の弱い自分は、お互いの気持ちを共有し合う、前者になるかな・・? 自分と違う別世界に行くには、 疑いもせず理解するでもない、子供が未知の世界に目を向けるときのような、 >>「痛みなど感じはしない」も「痛みを感じるだろう」 という虚心の気持ちが必要なんだと思う。 今、人が傷つきながら生きているのは、 自分の知らない痛みを感じられるようになるため、 とも言えないだろうか? 当然、その別世界にはきっと、そこでしか感じられない新しい喜びもあるんだと思う。 01432/01433 NBA02045 岡 感想と質問です ( 7) 93/10/04 02:49 01421へのコメント   オリハルさんへ   岡 です。   #1418−#1421を拝見させていただきました。   おそらく、オリハルさんご自身の手で、原本の真偽性、およびダンジェロ  なる方の証人としての適格性をお調べになっていらっしゃるのだとは思いま  すが、岡 としましては、内容は、フィクションだと感じております。   と申しますのは、まず第一に、いま誰がその日記を所有しているのかが明  確にされていない事。   第二に、その日記の内容がいつどこでどのような形で、最初に公に紹介さ  れたのかが記されていないこと。*1   第三に、その日記が教皇ヨハネス23世の手によって記されたものである ことが、どのような専門家、機関、方法によって明らかにされたのかがわか  らないこと。   第四に、ジューゼッペ・ダンジェロなる人物のプロフィールが明確にされ  ておらず、実在し、かつまたヨハネス23世の側近であったかどうかを調べ  る手がかりを、読み手に提供していないこと。   つまり、そのような事実が存在していたのかどうか、という点について、  たとえ日本在住のローマ・カトリック教会関係者が調べようとしても、調べ  るための手がかりが記されていないことになるのです。      通常、ある情報を流すさい、流した人間以外の者が、その情報ソースに接  近可能な人間に対して、真偽性を調べるための手がかりを与えないように情  報加工を施していたなら、これは内容的に信頼できないものだと判断するの  が、慎重な姿勢だと考えております。   とはいえ、この一連のUPをされるまえに、オリハルさんは、教皇の日記  の事実性について、それなりの裏付け調査を行われたのだとは思いますが。   おしむらくは、その裏付け調査の詳細を同時に掲載していただけなかった  ことです。   加えて残念な事は、下記のような書き方では、UP内容の事実性を物語っ  ていると言うよりも、むしろ流言飛語の類であるかのような感じを与えるこ  とになろうかと思います。 | 教皇ヨハネス23世は、その後1年して死去したので、彼が受けた預言を |発表するチャンスがなかった訳です。専門家の鑑定によると、その日記は1 |00%真正のものだと証明されているのです。来世紀の「新しい出発」の前 |に来る苦難の時期を迎えている私達は、真剣にあらゆる準備をせねばならな |いと、教皇庁周辺の人々は全世界に呼びかけています。                      ( #1421 オリハル )   まず、「専門家の鑑定」と表現される場合、鑑定に当たった専門家の名前、  略歴、現在の連絡先に関する情報を付帯していないのなら、そのような鑑定  をした専門家はいない、というのと同値であるように解釈しておくのが、無  難だと考えております。   また、「教皇庁周辺の人々」と表現される場合、これもまた人物、機関の  特定が可能なような情報を付帯して下さらなければ、教会としては全く関知  していないのだなぁ、と読み取るのが、メディアに踊らされないように生き  ようとしている現代人としては、妥当な解釈でしょう。   つまり、上記の文章は、岡 の目からみれば、事実性については、内容的  に空虚なのです。   そして、その空虚な内容を紛らわすために、ある特定宗教の指導的立場に  あった人物の名前を持ち出し、また同特定宗教の指導機関の名前を利用した  りしているように思えてならないのです。      ところで、今回のUPの語っていることを、日本の大司教座に尋ねれば、  真偽性がすぐにわかるのでしょうか?   また、教皇庁のどの窓口に問いただせば、明確な答が戻ってくるのでしょ  うか?    *1 AIDSの発生後、あるいはベルリンの壁崩壊後に、その数十年前に記さ    れたものとして、AIDSの発生やベルリンの壁崩壊に関する預言的文章を    書くのは、誰にでもできることですから・・・。                       困惑している 岡 でした。 01433/01433 GBG02043 維/YUI 私の場合・・・(^^;) ( 7) 93/10/04 19:57 01430へのコメント >>「そっちが冷たくするんだったらいいよいいよ。 >> こっちだって冷たく扱ってやらあバカヤロー」(←ひと言多い)というふうに ってね、開き直ると自分の気持ちがゆがんじゃって、結局辛いのだわ。 んで、わたしとしては・・・開き直るにしても、 「そっちが冷たくしても・・・でも気に入ってるんだもんっ! いいじゃんかぁ!!!!!」 というような・・・(^^;)(^^;)(^^;) 維/YUI。 - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/10/04 - 172/173 GGD02212 Soo RE:MRT… ( 9) 93/10/04 07:29 153へのコメント コメント数:1  こんにちわ。ちょっと遅いですがMRTについて…  MRTテーブルって、脚を載せる部分が開くと、星也さんの職場で使う道具 に似てるかも知んない…(^^;  MRTの『何だか気恥ずかしい題名』の本、二冊とも購入して読みました。 骨盤の中心である「仙骨」や頭蓋骨底の「蝶形骨」(いずれも急所と言える) に着眼しているのがユニークで、その仙骨やら蝶形骨のバイブレーション云々、 8の字を3重に重ねたようなMRTのシンボルマークにもパワーがあるとか、 「マート」の言霊も効くとか、いささかブッ飛んだ内容もありましたね。  著者は幽体離脱等の体験から仙骨の秘密を知ったそうで、唯物的な観点だけ からは仙骨が人体の自衛機構の中枢である事を検証するのは困難でしょうね。 私には仙骨の側面の形状が胎虫(まだ尻尾が取れていない段階の胎児)に見え、 仙骨は人体の雛型なのかも…なんて想像すると、何だか仙骨が「いとおしい」 ものに思えてくる私って変?(^^; (以下はDr.Ray独自とも言える理論なのですが、)生体には心身の歪みが脊椎 〜骨盤の歪みとして現れ、呼吸の位相、自律神経系、内臓の機能に影響すると いった、ダイナミックなメカニズムがあって、そのような歪みの現れるのが、 歯の噛み合せ、足の裏(靴の片減り)、脚長の左右差、仙腸関節だったりして、 仙骨は、そのような全身の歪みが集約的に反映される部分なのかも知れません。 原因と結果が循環するサイクルになっている生体メカニズムにおいては、ある 病気の結果的現象面の修正が巡り巡って本質的原因の修正を導くこともあり、 仙骨の調整が内臓機能も含めた全身の矯正に通じるのかも知れません。  仙骨ばかりを御本尊として祭り上げる事がどこまで妥当なのかはともかく、 MRTで注目すべきは、言わば、「病や痛みを必要なものとして受け入れる」 という思想でしょうね。これはワザワザ病気を迎え入れよというのではなく、 病気は歪んだ状態から直ってゆく過程であり、病気に伴う苦痛も、より歪んだ 状態に陥るのを防いでくれる警告と見る考え方、と言えるでしょうか。  痛みは逃れようすればするほど苦になるものです。(逃れようとしなくても 痛いものは痛いのですが…(^^;)薬剤でゴマ化してばかりいると却って痛みを 慢性化させたり好ましくない副作用が出たりします。極端な例が麻薬中毒です。  誰しも苦痛から逃れたいのは当然ですが、忌避するのではなくて受容する、 (苦痛の役割を認めてやって早くその努めを果たしてもらう)ことが結果的に 解消への早道、というのが逆説的な真実かと思います。『苦痛』を『悪魔』や 『病魔』に置き換えてみたらどうでしょう…。(言うは易し、…ですが。) Soo. 173/173 GCC03437 星也 Re:RE:MRT…(ゴミコメです(^^;)) ( 9) 93/10/04 17:40 172へのコメント Sooさん | MRTテーブルって、脚を載せる部分が開くと、星也さんの職場で使う道具 |に似てるかも知んない…(^^; おもわず、うぷぷ・・・・(^^;)   (苦笑しつつ、やっとテーブルの姿が朧気ながら想起可能になった 星也)           ・・・・・・道具って。。。あれの事だろうなぁ。。 - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/10/04 - 104/104 GHF02266 カンチャン パソ通デモの成果は… (11) 93/10/03 22:00 どうも、カンチャンです。 『犬神 vol.2』の”クリスタルチャイルド”中で、ヒロイン後藤由紀子が ”教授”の指示により”ミスマル”ネットなるものを作っている。FARION みたいですね。これが、以前アキラさんが書いていた、平井さん宅でのパソ コン通信デモの成果でしょうか? 私はてっきり、『幻魔宇宙』の時のように、近況報告でパソコン通信のデモ を見る平井さんの写真が見れるのかなと想像していたのですが…… ”クリスタルチャイルド”は、平井さんお得意(?)のパラレルワールドの様 相を呈してきて、単なる漫画化ではない別物語として今後の展開が楽しみで す。 最近の平井さんの小説中で気になるのは、”トリックスター”の存在です。 こんな人物が私の”眠り”を覚ましてくれると有り難いのですが……(^^; (これって”他力”ですよね。反省。m(__)m) もっとも平井さん自身が、この現実における”トリックスター”なのかもし れませんが……                     GHF02266 カンチャン - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/10/04 - 00713/00713 GGA02514 KAZE 数霊縁起論など (13) 93/10/04 00:37 00712へのコメント 隆ちゃん、どうも。 仕事の方は、一難去ってまた一難という感じですが、 僕はけっこうしたたかにできてますから(^^;;、ま、なんとか無事であります。 世の景気がかなり冷えこんでますから、その分だけでもちょいと気を引き締めて がんばらねば、という感じですね。 それにこのくらいのことでへたばっていては、肝心のライフワークの方が おろそかになってしまいますから、なおのこと、頑張らねば!です。 >「やれやれ」状態は確かに必要なのかもしれないと、病気を境に思うようにな >りましたが、やっぱり極力避けないと凡人はつぶれてしまいます。 そこらへんのことは、やはりしたたかさというか状況判断は的確にして、 危なそうなときには、スタコラサッサと逃げるのもまた必要でしょう。 たとえば、夜の街でヤーサンに会って逃げないわけにはいかないようにね。 そうしたときに、立ち向かうのはやはり無謀というか、アホですから(^^;;。 僕なんかは、かなり臆病にできてますから、機敏にすり抜けるようにしてまして だいたいそこそこの課題あたりで、レベルアップをはかるようにしてます。 もちろん、破壊数的にぎりぎりの状況もありますが、 そういうときにはわりと腹さえ据えてれば、なんとかなると信じています。 >苦手の原因がわかればそれなりに我慢もできますが(例えば母の場合)、なん >だかちっともわからない(静岡県(^^;))のは大変です。 そうですね、結局のところわからないことの方が多いかもしれませんが、 単に自分の方に「こだわり」がある場合だと、セルフコントロールで なんとかしながら、そのそもそもの原因を反省・分析できる場合もあります。 どちらにしても、原因は浅い深いはあるものの、自分の中にあるわけですから、 いつかは克服できるんだ!と脳天気にかまえるのがいいのかもしれません。 そういえば、アランという哲学者のエッセイのなかに、 自分で自分の影におびえる馬をそれから解放する話や、 赤ん坊があまりに泣く理由がわからなくて困っていたところ、 よくよく調べてみると赤ん坊の寝床にピンがあって、それが痛かったのだ、 という話などがありますが、原因というのはかなり単純なものなのですが、 それが現象化すると解決不能のような状況に見える場合があります。 そうした「ピンの発見」のために努力してれば、 そのうちにきっと原因はわかるのではないかと、信じることなのでしょう。 >問題はプロセスをプロセスとして認識できるのかどうかで、プロセスを終点だ >と勘違いしているのが現状なんじゃないかと思います。 そうなんでしょうね、結局すべてのトラブルはそこらあたりの認識の不足によって 起こってくる場合も多いんでしょうね。 ものごとはすべて実体ではなくて、縁起によって起こるのだという 仏教の思想がありますが、その縁起というのはものすごくダイナミックな 宇宙進化論的なビジョンなんですよね。 すべてはプロセスだということは、すべては縁起によって生じているということで だからこそ、その現象についてダイナミックな見方ができるのですが、 そうした見方ができないでいると、「無明は尽きることなし」なのでしょう。 そうそう、「縁起」といえば、数霊というのを一種の縁起論としてとらえるのも おもしろいんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。 そのうち数霊のことがもそっとわかったら、そこらへんのことについても コメントしてみたいと思ってます。 >一人一人が自由であり、なおかつきちんとした自覚を持っていれば、それなり >の(あるレベルの)組織は勝手にできるものだと信じたいですね。 僕もそう信じたいのですが、一人一人が自由で自覚をもつということには なかなかならないように思えますので、やはりそれまでは、 「徳」のある方が仮に組織を束ねなければ仕方ないのでしょうね。 でも、「徳」のある方、というのもなかなかいないから、事は困難で、 混迷はまだまだ続いていきそうな感じがします。 しかも、組織というのはおそらくその成員の総和としての自覚によって その全体のあり方が決まるのでしょうから、 やはり全体の自覚のレベルアップしかないのでしょう。 ・・・なんだか、出口なし、って感じですが、やっぱりやれやれですね(^^;;。 >現状で使われている「平等」は本当の意味での「平等」ではなくて極端に言え >ば「強制」でしかありません。 強制としての平等っていうのはファッショということですよね。 多くのひとが試験で0点だから、みんな0点であるのが平等だ、 というのと同じことです。 平等というのは、基本的に「愛」の表現のはずだのに、 わがままの表現になってしまうと、どうしようもなくなります。 自由だって平等だって、そこに「愛」がなければ、無意味なんですよね。 愛がないからすぐに破綻してしまうようなあり方になってくるのでしょう。 >差別、差別と騒ぐやからこそが差別を作っている。 これも同じで、愛の思いから「差別はいけない」というのであれば、 それは真に差別をなくするための一歩になるはずだのに、 差別を創造し増殖させる「やから」に、愛はこれっぽっちもなくて、 さっきの例でいうと、100点をとったやつは差別だからいけない! というわけのわからないわがままを言い立てているのとおんなじなんですよね。 >振幅は減衰してもエネルギーは変わりません。周波数が高くなるだけです。 >そして周波数が高いほどその波動は上質になるのだと思うという事を言いた >かった訳で、たぶんKAZEさんのおっしゃる「メタモルフォーゼさせた高エネ >ルギー状態」とイメージは同じだと思います。 そうですね、同じイメージの表現の仕方が違っただけのようです。 僕のちょいとしたはやとちりの誤解でした、ゴメン(^^;;。 >「敬」というのを僕に求めるのは酷というものですが(^^;)、恐いお父さんでは >あるようです。 いえいえ、僕の見たところ、「敬」されているような印象がありました。 どうみても、単に「恐い」だけには見えませんでしたから。 隆ちゃんとこは、奥さんもふくめてとってもバランス感覚があって、 どうみてもお子さんが変になりそうには見えませんでした。 ま、僕の言うことですから、あてにはならないかもしれませんが(^^;;(^^;;。 >占いの吉凶を現世利益にあてはめてしまうのは、なんとも悲しい事ですが、 >「破壊数」に関しては吉凶以上のものを感じています。 そうですね、数霊については、僕もものすごい可能性を感じているからこそ、 あっちへいって、学ぶ気になったんです。 そういえば、これまでそんな気になったことって、 パソ通をはじめてなかったんです。 僕はかなり直感的に動いたりする方なのですが、 その直感がかなりビンビンきたわけなのでありました。 それに、ミラクルさんにしても、ソラリスさんにしても、 とっても言霊がきれいというか純粋なんですよね。 「人間を奴隷化してしまうような占い師」っていうのは、 その言葉遣いをちょっと気を付けてみてみると感じ取れるものです。 言っていることがなんだかすごそうにみえても、 自分のなかで分裂している方の言う事は、腹がすわってませんし、 かなり自分にも他人にも無責任なことが多いのです。 真の運命学を探求する方だったら、自分も他もともに生かす言葉を 使っているはずなのですから。 最初に、数霊は縁起論として考えてもおもしろいといいましたが、 この縁起論こそが真に人間を成長させるビジョンでもあります。 人の成長ということをビジョン化できる運命学こそが、 真の運命学であるとそう思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/10/04 - 350/352 JCC00626 ナガト 勇気について (15) 93/10/04 00:53 コメント数:1 松川塾長。 何やら、出来の悪い生徒の居残り勉強にお付きあいいただいているような 形で、どうにも恐縮です。 書き込んでみたのですが、どうも文章力がないため長いものになって しまいました。二回に分けてUPします。冗長さ、どうかお許しください。 まずここでは、太平洋戦争で繰り広げられたガダルカナル島の戦闘に 関わる、あるT個人的経験Uについてお話します。 >戦争体験者たちは「食べ物がなくて苦労した」というようなことばか >りしか言いません。「何かが違う、みな違うことばかりしゃべっている」 >そのような感じがいつも漠然とあって、それで彼らの戦争話を聞くのは >あまり好きではありませんでした。「ああまたあの精神訓話か……、 >忍耐について話すなら別に戦争話でなくてもいいだろうに……」                              #340 という類の話ではありません。 今は確か絶版になって入手は難しいのですが、昭和17年から18年にかけて 遥か南洋の孤島で繰り広げられたあの日米の激戦について、生存者の証言と 記録をもとに書かれた、こんな本があるんです。 「ガダルカナル戦記」亀井宏著/光人社 一巻凡そ400ページの三巻本ですので、相当膨大な量の作品です。 ここで書かれている内容をとても一言でいうことは難しいのですが、 敢えて要約すれば、作者の着眼点は次のようなものです。 1・日本軍は、なぜ兵要地誌も持たない南方の孤島で戦わなくてはならな   かったのか。 2・半年にわたる戦闘の間、東京の大本営も含め当時の軍はどのように   機能したか。 3・最終的に撤退をするという判断は、どのような経緯で決定されたのか。 そして、論の展開では、塾長の批判する「精神訓話」の傾向は一切排されて います。 ガダルカナルという地名は、今は専ら「撤退を転進と言い替えた場所」として 記憶されています。あるいは、その後の米軍の島伝いの反攻を許し、戦局を 逆転させるきっかけとなった戦場、または補給を断たれ、日本軍将兵が飢餓と マラリアに苦しむ「餓島(ガ島)」となった悲惨な戦場、といった意味で 記憶される方もいるかもしれません。 しかし作者はそうしたイメージをいたずらになぞって「戦争の悲惨さ」と いう感情を呼び起こそうとしているのではなく、先の3点を軸に、淡々と 生存者の証言や記録を集めながらあの戦場に関わっていた当時の日本人が どのように振る舞い、何を考えていたのかを追跡しようとしています。 その結果浮き彫りにされているのは、半年の戦闘の間、実は当時の政府/ 軍が組織として全く機能できなかった、という事実なんです。 ガ島戦は、日本政府や軍が既に実質的に壊滅していた、戦争後期の戦闘では ありません。ドゥーリットルによる僅かな空襲以外にはまだ本土への攻撃も なく、日本政府も軍もまだ健在であF突撃を繰り返しては敗退していきます。 損耗がいくら膨れ上っても、東京の大本営は「何とかなるだろう」という根拠 のない盲信から一歩も出ることがありません。 ラバウル、ガ島の現地派遣軍では、陸海ともに、さすがに奪還は不可能だ、と いう認識が広がっているのですが、なぜか誰もそれを口に出しません。 当初この本を読んだ折に、私にはあまりにもこうした当時の軍の姿が、奇妙に 思えてなりませんでした。 最も奇妙でならなかったのは、結果が判った後世からの後知恵でなく、同時 進行の現実を見て「奪還不可能」と多くの人間がみなしていながら、なぜ その判断が現実の行動にならなかったのか、ということでした。 私は、実際に自分で確かめることとしました。 当時の事情をよく知っている陸海の参謀や元兵士に会って話を聞くことに したのです。 会っていただくまでに相当時間がかかりましたし、またフランクなお話しを していただけるようになるまでにも、もっと長い時間がかかりました。 ある大本営・元参謀が語った話  「実際に撤退するのより3ヶ月も前に、私はもうこの作戦は駄目だと考えて   いたが、それを口にすることはできなかった。当時の大本営では、作戦   への疑義を唱える者はT弱気Uと看做された。これは軍人失格の烙印を   押されたのに等しいことだった。とても言えなかった」 ある現地派遣参謀のこと   この方は、現地の実情を見た上で「撤退やむなし」と考え、それを報告   書にして派遣軍の作戦会議で提出した人です。   しかしその報告書はすぐに回収を命じられ、意見具申も封じられました。   私がお会いしたとき、もう80に近い高齢の方でしたが、しかしその際の   ある痛切な心情を、彼ははっきりと覚えており、目に涙を浮かべて、   何故あの時に身命を賭してもっとはっきり撤退を主張しなかったのか、   その想いばかりは数十年たった今でも悔いが残っていると語られました。   私は何も彼等を告発に行ったのではなく、戦史を調べて腑に落ちない事   を聞こうとしただけでした。高齢ではあってもまだ実社会の重鎮として   活躍なさっていた方が、孫のような年の若僧の前でなぜこれほどまで   赤裸々に心情を吐露されるのか、率直なところ驚いた記憶があります。   こうした「悔い」は、どうやら戦争の結果が出た後世からの後知恵による、 何か機械的な感情の発露なのでしょうか。 あるいは(一時期私はこんな風にも考えたのですが)「所詮、当時のことは 当事者でなくてはわからぬ。こんな若僧は適当にあしらうに限る」という、 いわばT老人特有のずるさUだったのでしょうか。 先の戦争に関する多くの場合自らの行動が結果として「失敗」であり「過誤」 であったことをもって当時の自分を全否定する、というのは、戦後非常に多く 見られた光景です。「一億総懺悔」というのが、その最たる例でしょう。 しかし、私がお話しを聞くことのできた二人の「過去の自分への総括」は、 どうやらそんなステレオタイプな自動感情でも、また若僧を舐めてかかった 狡猾さでもないようです。 彼等が抱いている「後悔の念」は、かつて、自分がある選択肢の前に立った 時に、一切の雑念をふりはらって当時の自分の判断を全うできなかったこと、 信念を貫徹できずT何かUに負けてしまったことに対するものなのでは---- 私は、彼等の言葉を、そう受け止めるています。 松川塾長。 私がここでお話ししているのは、 >>現代の人間はすべての分野で、無意識の分野においても、虚偽を通用させ >>ないために、識閾下のものを知の明るみにもたらす義務を負っているので >>す。 #328でのルドルフ・シュタイナーの引用 といった時のまさに「識閾下のものを知の明るみにもたらす」ために欠かせ ないもの----そう、いわば「勇気」のことなのです。 先のお二人は無論こうした言葉は用いていませんが、しかし彼等が戦後も つきまとわれている後悔とは、かつて自らがこの「勇気」を持てなかったこと に大きく関わっているのではないでしょうか。 「弱気」と見られることへの怖れ。 これが彼等の識閾下にうずくまり、そして口をつぐませてしまったT何かU だったのではないでしょうか。 当時の自分が、そうした識閾下のものと直面することができなかったこと。 おそらくは、それが戦後も連綿と彼等を苦しめている、癒し難い心の傷なの です。 これは、当時のこの二人だけの特別な例でしょうか。 どうも私にはそうは思えません。 日本軍が総力を挙げて臨んだ戦場で、この二人のようにではなく振る舞った 者がどれだけいたでしょうか。 改めて、冒頭の書を読んで見れば、それが殆ど皆無に近かったこと、大多数 は、自らが「識閾下のものを知の明るみにもたらす」どころか、その必要さえ 感じずに、或いはただ保身のために、あるいはただ自らの美意識を全うする ために、振る舞っていたことがわかります。 たとえ当時において何者かに屈服したとしても、それが自分の恥辱であり 汚点だったということを見据え隠そうとはしない、先のお二人の態度---- 実はこれもまた、非常な勇気の現われなのではないか、と、今では私はそう 考えています。しかし、どうやらこのような人間は極めて少ないようです。 前掲書の著者・亀井茂は、後書きでこんなことを言っています。  ここに露呈している事大主義、独善、些末主義といったもろもろの体質は  果たして当時の政府指導者および軍部だけのものなのだろうか、といった  不安が私の中につねにある。昭和20年8月15日を境にして、われわれ日本  人の体質は一変しただろうか、という疑問である。 先日、闇献金を行っていたゼネコンの幹部が「上司を庇い罪を被るのは部下 の義務だ」などと言って物議をかもしましたね。或いは、疑獄事件などが起 こる度に、証言を求められた小役人や下っ端の職員が自ら命を断つ事件が 必ず起こります。 先の亀井の危惧は、まさに正鵠を射ている、と私には思えます。 昭和20年8月15日を境にしても実は何も変ってはいないのでは。そんな気が してならないのです。 >そんな俗論の是非を論じ合うような暇があるのなら、私たちはまず旧世代の >便法(たとえば左翼史観)を使ってではなく〈自分自身の脳みそ〉を使って >先の戦争へと至たるアジア百年の歴史の再考を行うべきなのです。そして、 >戦後、日本人の精神から何が奪い去られ、代わりに何がもたらされ、その >結果日本人の精神に何が起ったかを正しく語っていく必要があります。                                #340 ご指摘のように、私は足りない〈自分自身の脳みそ〉を使って四苦八苦しな がら考えているつもりです。 その結果、足りないながらも考え至ったのが、 >旧世代(父母の世代)のような自動感情の持ち主たちこそが、このような >悲惨な現代日本を作ってきたんです。                                #343 という「自動感情の持ち主」は、「旧世代(父母の世代)」(これは、戦後 日本で教育を受け、戦後日本を築いてきた世代、という理解でよろしいです ね?)だけではなく、実は戦前の日本にもフンダンに居たのではないか、と いうことでした。 塾長にお伺いしたいのは、私がこれまで使ってきた「勇気」ということと、 塾長が「敗戦によって日本人が失ってしまった」とする「勇気という徳」が、 果たして同じものなのでしょうか、ということなんです。 もっと違う別のものであるのなら、それでは戦後の日本が失い、戦前には 確かに存在した「勇気という徳」とは一体どのようなものなのか、 是非語ってはいただけないでしょうか。 ところで、 >「明治維新によって日本が刷り込まれた価値観----生き残るためには何を >しても許される、という価値観」というナガトさんの過激な発言(カマし >過ぎです、ナガトさん) という指摘ですが、カマし過ぎと聞こえたのであれば、申し訳ありません。 おそらくは私の物言いが間違っていたのでしょう。 「生き残るためには何をしても許される」というのは、別の語彙を使えば、 要は「不断の闘争による優勝劣敗の論理」「進化している者が、進化して いないものを吸収し同化する」いわば覇道的な考え方です。 確か明治期の北一輝の著書(国体論及び純正社会主義、だったでしょうか) や、出口なおのTお筆先Uなどに、それぞれ表現は異なりますが、 当時の日本はこれによく似た価値観に支配されている、という指摘があった ように記憶していたのでこのような言い方をしたのですが。 ◆ガダルカナルに関わる話はここまでです。  次番では、T戦後日本の左翼Uについてお話しします。    351/352 JCC00626 ナガト 戦後日本の左翼について (15) 93/10/04 00:56 ◆#350の後半です。関心の無い方はどうぞスキップを。 最後に、私が左翼の思想についてどう考えているかをお尋ねですのでお答え します。 これは塾長の、 >左翼的思考から発した独特の思考形式とそれに伴う感情形式で私たちは >しゃべるようになっていると言っているのです。敗戦ショックと先の戦争に >対する日本人の自責の念がその土壌を提供しました。日本の左翼人たち >自身はこのようなことに気づいておりません。それは彼らの意識上の政治 >意志とは何の関係もないのです。                               #349 というご指摘に関わりながら、----つまり、戦後日本に刷り込まれた左翼 思想って一体何だったのか----という観点でお答えしてみようと思います。 とどのつまり、「共産主義」の本に何が書かれていようと、私は余り重要とは 考えていません。 以前(といってももうだいぶ前のことですが)お話ししたかと思いますが、 私はかつてマスメディアの片隅で働いていたことがあります。その頃、幾度か 仕事のため共産諸国へ取材に行きました。 そこで私が見聞したことによれば、「魂なぞない、物がすべて」のはずの 共産国家で、物資が足りなければ人力で補う、人力で補えないのは愛国心が 不足しているからだと強制収容所送りになる、などの精神主義が横行している のは日常茶飯事なのだ、という現実でした。 左翼の本質はインターナショナルという観念をまとったナショナリズムでしか ない、国によってはナショナリズムでもないただの個人崇拝のシステムになっ てしまっている。 私はそう考えています。 左翼、と聞いて私がすぐに連想するのは、以上のような「その現実の在り様」 です。そしておそらくは、この現実が----「インターナショナルという観念 をまとったナショナリズム」というのが、左翼思想の本質なのです。 では、戦後日本は、この「左翼思想」をどのように捉えていたのでしょうか。 >私は先程「敗戦以来ずっと日本人の精神を抑圧し続けてきた二つの重い蓋」 >と言いましが、一般的に日本人はそうは感じておりません。それは普通 >人間が気圧を意識しないのとおんなじです。初めの7年間にアメリカがその >下塗りをし、そのあとでソ連(さらには中共)の息のかかった人々がその >上塗りを行いました。今そのメッキが剥がれかかっているのです。                              #340 という指摘は、興味深く拝見しておりました。 ここに私が敢えて付け加えるならば、「アメリカ、そしてソ連・中共」が 塗込めた「重い蓋」を、戦後日本はきわめて日本人の流儀で受け入れた、と いうことですね。 おそらく共産国家の現実については、当時の日本にも伝わってはいたことで しょう。しかし本ばかり読んでいた人々は、「まさかそんなことが」とか、 「それは現象と本質をすり代えている」とか、あるいは甚だしくは、「それは 反共のための米帝と日本帝国主義の情報操作だ」としか、考えませんでした。 皆、自分が信じているものと、全く異なる現実があることに目をつぶったので す。 そして、中ソ対立など現実の共産国家がまさにナショナリズムによって喧嘩を 始めると、いきなり青ざめてその現実をどう解釈するかを考え始めます。 行って曖ワことは結局は、中国につくのか、ソ連につくのか、というだけの ことなのです。が、彼等自身は、そんなことをしているつもりはない。 なぜかと言いますと、そこに必ず、 「どちらが正しいインターナショナリズムか」 という「深刻な大命題」がまとわりついているからです。 現実に起こっているのは中共とソビエトのナショナリズムの発露でしかない のですが、その現実はこの命題によって一切棚上げされてしまいます。 何が正しいインターナショナリズムかを問うことは、自分はナショナルな レベルで悩んでいるのではない、という盲信を、つまりは自分は手を汚しては いない、という免罪譜を与えることでもあったのでしょう。 Tインターナショナルへ至るためのU無数の世界観(それは免罪譜の数だけ 存在したことでしょう)が主張され、誰にも記憶されずに消えていきました。 本と違う現実に苛立った少数の人間は、再び勉強し、改めて精緻な世界観を こしらえましたが、気の毒なことに飽きやすいT気分の人々Uはもうそれを 読んではくれなかったのです。彼等は免罪譜を欲しがっていただけで、本心 では中国やソ連によって実現されたインターナショナルな世界に住みたいと は考えてはいなかったのですから。 この当り、実際に日本を捨ててソ連なり中共なり北朝鮮なりに亡命した人間 が数えるほどしかないことを想起して下さい。 T真面目な共産主義者Uにしても中ソ対立だけならまだマシだったのでしょ う。しかしカンボジアでポルポトが出てくるは、統一ベトナムからボート ピープルが逃げ出すは、という段階になりますと、もう全く錯乱状態に陥り 現実についていくという努力自体を放棄してしまいます。 そして、後に残ったのは、「インターナショナルなものが至上の価値」という ただの気分だけでした。 私は思うのですが、戦後日本のT左翼的な人々Uは、実は本質的な共産主義の 理念に帰依してなどはいず、ただこのTインターナショナルなものに憧れるU 気分だけで動いていたのが、大多数だったのではないでしょうか? 実態はどこにもないTインターナショナルな調和の世界UT世界的な平和U という「気分」に安らぎを感じていただけなのではないでしょうか。 気分を裏付ける実態はどこにも存在しない。 だから誰も責任を負うことはないんです。 そもそも戦後日本の「左翼勢力」なるもの自体が幻だったのではないですか。 これは日本共産党、日本社会党までもふくめての話なのですが、ついにどの 「左翼勢力」も、共産国家・日本の具体像を、あるいは、米ソがしのぎを削り アジアで民族主義と共産主義が入り交じった混沌が続くなかで、自分たちが どう振る舞うべきかのビジョンを描けずに、ただ「どうか世界よ平和であれ かし」と祈るだけに終ったのですから。 これは別に本に書かれた共産主義の教義とは何の関係もない話です。 また共産主義国家の実態、という意味でも関係ありません。 いわば、戦後日本を覆っていたT妄想Uの話です。 ただ、日本人とは何かを考える上では、極めて示唆に富んでいる、と、 私には思えます。 ※ちなみに、国際政治という文脈では事情は異なります。  海外の共産国家からの日本国内への洗脳・買収工作は確かに存在しました。  それは今も一部で続いています。  しかし、ここが最も奇妙なことなのですがそうした工作は、ついに日本人の 「左翼的気分」に決定的な影響を----つまり彼等に共産主義革命を起こさせ  るまでには至らなかったようですね。  せいぜい「××はこの世の理想郷」などといった、すぐばれる嘘を喋らせる  のに成功しただけのようです。でも喋った人間も、いつのまにか----  自分でその実態を検証してもいないのに----忘れてしまったのですね。 ※また、「政策としての社会主義」という面でも事情はやや異なります。  「個人の生活や生命を保証するために、国家がある程度個人に関与して  様々な規制や保護を行う」という社会主義的政策は「社会民主主義」とい  う形で、医療制度・年金制度など戦後日本の多くの政策に組み込まれて  います。  しかし、その全てが戦勝国から刷り込まれた政策なのではありません。  戦時中の統制経済の中で、すでに準備の出来ていたものも数多いのです。  昨今話題になることの多い、食管法などその最たる例でしょう。  このような、戦中・戦後の継続性に、私は相当関心があるのですが、  一連の話題から離れることになりますので、これ以上は触れません。  もし関心がおありならば、ご質問下さい。    松川塾長 これで答えになっているでしょうか。 冗慢になってしまったことをお許し下さい。 なお、 >孫の時代もずいぶんと精神の錯乱状態にはありますけれども、彼らの >大部分は父母の時代のような強烈な政治的思想的精神錯乱体験が── >それは彼らを覆う時代状況の悲しさでもありましたが──ほとんどない >ため、まだ一縷の望みがあるのです。                                                      #340 という意見には賛成です。あくまでもT一縷の望みUなのですが。                                                         ナガト 拝 352/352 JCC00626 ナガト RE:勇気について (15) 93/10/04 02:57 350へのコメント 私の#350「勇気について」の中で、一部、通信ソフトの不調による UPミスがありました。 改めて本来の該当部分だけをUPします。 ガダルカナルでの戦闘を巡る、当時の日本の状況について述べた 部分です。 不手際を心よりお詫びいたします。 ******************************************************************** ガ島戦は、日本政府や軍が既に実質的に壊滅していた、戦争後期の戦闘では ありません。ドゥーリットルによる僅かな空襲以外にはまだ本土への攻撃も なく、日本政府も軍もまだ健在であった時期に戦われた戦闘です。 しかし、現実の経過で起こったことはまことに奇妙なことの連続でした。 ガ島奪還を目的として上陸した派遣軍は、先遣隊の失敗の教訓をくみ取ること なく、何度も同じ肉弾突撃を繰り返しては敗退していきます。 損耗がいくら膨れ上っても、東京の大本営は「何とかなるだろう」という根拠 のない盲信から一歩も出ることがありません。 ラバウル、ガ島の現地派遣軍では、陸海ともに、さすがに奪還は不可能だ、と いう認識が広がっているのですが、なぜか誰もそれを口に出しません。 **********************************************************************                              ナガト 拝 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/04 - 01536/01537 GEB02033 Szp これって詭弁? ( 6) 93/10/04 20:19 01535へのコメント  #01535 星也 さんへのコメント  こういうのも詭弁かな?  「 マグロ は サカナ です」「 サカナ は カタカナ です」「だから マグロ は カタカナ です」  理屈はとーってないようで、とうっているきもするしー (^_^;)  アハッ、はずしたかな  (^_^)( ^_)( ^)( )(^ )(_^ )(^_^) イッカイテン 01537/01537 GED02746 りお マグロの御主人(意味不明) ( 6) 93/10/04 21:16 01535へのコメント  問題自体は面白いんだけど、 >> 「ビジネスディベート体験セミナー」の一場面だそうだ。 てのがなあ。  そんなことやってる暇があったら、仕事しろよ、仕事(笑) - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/04 - 01434/01434 GDB00064 オリハル RE:感想と質問です ( 7) 93/10/04 20:47 01432へのコメント /岡さんへ どうも、長文の御質問と感想をありがとうございます。 実は、あの文章は、全体が『 』でくくられておりまして、 十菱氏から送られてきた文章をそのままUPしたのです。 というのは、貴重な情報だと思ったからです。 私は自分で調査してません。そのために、情報源に問い合わせできるようにと 十菱氏とHELEN SOLEM女史の住所を掲示しておきました。 ですので、情報の詳細については経由されてきた上記2名に直接お問い合わせ下さい。                                オリハル - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/04 - 01435/01435 GBA01276 しまうま RE:0921の日 ( 7) 93/10/04 23:03 01426へのコメント  #1426 オリハルさんへ(^_^)  毎度さんでーす。 :どひゃひゃひゃ。私はしまうまさんに冷たくしているつもりは無いですが。  そうだろうと思います。僕の場合、「あの人はこう思っているに違いない」とい う推測は、独りよがりであることがしばしばあります。それは嬉しい思い過ごしだ ったり、悲しい思い違いだったりします。今回は嬉しい思い過ごしの部類でした。 :「この人とは距離を詰めていきたい!」と、もし、仮に私が思ったとしたならば、 :その動機が正しい場合に限り、相手に接近します。私はダイレクトな人なので、失 :礼がない範囲で直接発言、直接行動あるのみだと思います。 : もし、動機が正しくない部分がある時は、ウそれをそのまま相手に言葉で明確に伝 :えて、相手がそれを承認した場合に限り、相手との関係に入ることを自分に許しま :すが。  いつもながら真っ正直なご返事、ありがとさんです m(__)m。  この場合の「正しい/正しくない」というのは、何を基準にしていらっしゃるの でしょうか。  ほとんど“ヤジ馬根性”でおたずねしちゃってます。もしよかったらご返事くだ さい(^_^)/。   しまうま (GBA01276) - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/10/04 - 174/178 JAA02535 竹 3 号 RE:Re:RE:MRT…(ゴミコメです(^^;)) ( 9) 93/10/04 22:06 173へのコメント コメント数:1  ウプププ、私も見た事があります。何故って?あはは、昔バイトで、 そういった所へ行った事があるので・・・・・・・・・・・。 でも、アレって座ってみたけど、屈辱的な感じがするねぇ〜(男の私でさえ)                           竹 3 号(ミーモ) 175/178 GBG02043 維/YUI RE:Re:RE:MRT…(ゴミコメです(^^;)) ( 9) 93/10/04 23:16 174へのコメント そ〜なんですかね〜・・・やっぱり。 あんまり似てないけどなぁ・・・。(^^;) 屈辱的かしらね? あまり、ぴんとこないけどさ。(笑) あ・・・こんなこと書きにきたんではなかった。(爆笑)                           維/YUI。 176/178 MHD02672 TAO メタ・ホメオスタシス ( 9) 93/10/04 23:31 172へのコメント  >Sooさん  どうも。現役の医師さんからコメントを頂くというのはとても参考に  なりますね(^_^)。  二冊とも読まれたのなら、もうお分かりのことと存じますが、MRTの  創設者である内海氏自身の霊的体験から、MRTという思想と実践が  生まれた訳ですね。不思議ですが、霊的体験から身体鍛錬術とか治癒術が  生まれ、体系化されてくるという例は結構あるみたいです。  肉体の秘密とは、物質的肉体の解剖や分析に留まっている限り、そう容易に  解きあかされない「法則」に満ちているのかもしれませんね。  MRTのシンボルマークですが、先日のオフでみれさんに見せて感想を  伺ったところ、「地空合一のマークのようだ、地空が合一した所に  神鏡と人鏡の二つの合わせ鏡があるように見える」とのことでした。  他の霊能者の方々にも見せたら、もっと色々なコメントが出るかも。  しかし仙骨を「胎虫」にたとえ、人体の雛型と見るというのも面白いです。  そう言われてみれば、そう見えないこともない。  MRTの「病や痛みを必要なものとして受け入れる」という思想は、ある  意味ではラディカルですね。病や苦痛を人間に必要不可欠な反応と認識し、  その上で病や苦痛という「シグナル」から、仙骨に集約される肉体の要求を  読み取り、アジャストしていく。病や苦痛そのものを消すのでなく、むしろ  人間そのものを存在ならしめる“メタ・ホメオスタシス”の現れとして理解  するというか。 MRTでは、アレルギーなども免疫系の故障として見るのでなく、むしろ  「排毒作用」として現れなければならない、と見ているようです。その  「排毒作用」が必要なくなるようにアジャストすれば、自然にアレルギーも 消えるというのが、MRTの解釈だとか。  あまりMRTばかりを話題にしても何ですが、とにかく興味深い内容である  ことは確かですね。  TAO 177/178 MHD02672 TAO いらっしゃい(^_^)。 ( 9) 93/10/04 23:34 173へのコメント  >星也さん  この会議室には初めてでしたよね。ま、ま、お茶などどうぞ。  いったんいらっしゃって下さった以上は、今度も又お寄り下さいね〜。  TAO 178/178 GBG02043 維/YUI 十字式・・・の治療 ( 9) 93/10/04 23:44 十字式・・・っていう治療があると、某常連さんからしつこく聞かされた私は、 あるとき吉祥寺にある会場をおとずれました。 朝八時から、やっているそうでしたが、朝になると腰から足にかけて痛みがひどい 私は、ゆっくりゆっくり支度をして出かけたので、1時ぐらいに着きました。 会場のビルには、車椅子で来た人の為に、エレベーターがある2階までいくリフトが ついています。 会場にはいりましたが、明るくて広い待ち合い室になっています。長椅子がたくさん 置いてあって、順番まちのひとが20人ほどはいました。 受付は、なんかカルチャースクールとかの受付みたいなノリで、初めてきた人用に 名前や住所などを記入する紙と筆記具がおいてあります。 それにかいて、提出。 低いカウンターには、十字式を開発(?)した阿久津先生の 本とか、十字式をやっている他の先生の本が売られていました。(英文のものが あったので、こんど買おうかな〜〜と思っています。) きれいな部屋で、居心地はわるくありません。 その日は平日だったこともあり、おじいさんおばあさん、おばさんが大半でした。 壁には、その月のスケジュールがはってあります。 20人は先生がいるので、 シフトを組んでやっているようです。 (きっと、阿久津先生がくるときは、やたらと 混むのでしょうね・・・。こんどいってみようっと!) いったい何をやるのかも、よくわからないまま、長椅子にすわっていたのですが、 その間にも、「はい、男の方。 皆さん、お入りください。」と、呼びに来た女の人が いって、ぞろぞろ男の人は隣の部屋へはいっていきます。 部屋の片隅の壁になにやらはってあるので、そちらへ移動して見てみました。 女の子の絵が書いてあって、上半身は脱いでください・・とのこと。 ブラウスなどをさかさにして着るといいでしょう・・とも。(^^;) で、スカートと下着も、治療のための椅子に移ったときは、尾底骨がみえるところまで おろすように・・・・・。(これが、抵抗ある人、いるんだろうなぁ・・結構。) ちなみに、そのとき私はさかさに着れないトレーナーをきていました。(^^;)ソウイウモンヨ・・ネ。 しばらくして、さっきの女の人が、こんどは名前を読み上げて、女の人を20名ほど 連れていきました。 私もそのうちの一人。 ここまで、待つこと・・・45分くらいでしょうか・・・。 さて、部屋に入ると一角がカーテンで仕切ってあって、そこで脱衣するんですね。 そこはいくつかに仕切られた棚になっていて、手荷物や衣服をおけます。 私はトレーナーだったので、呼び出しの女の人がシャツをもってきて貸してくれました。 ・・・って、どうでもいいことだけかいて、今回はおわります。                            維/YUI。 PS:前振りしとかないと、忘れちゃいそうだから・・・。(^^;) - FARION MES(10):★MWの深層心理研究室--------------<01> 93/10/04 - 230/230 QFG02515 めるく かっぱっぱ〜 (10) 93/10/04 22:32  今朝、  巨大なカッパのような姿をしたエビス神が、  隣の部屋で、ビールを飲んでるという夢を見た。  場所は我が家であったが、内部構造は架空のものであった。  いったい何なんだろーか。                    め る く - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/10/04 - 105/106 NCD01751 しろおか まとコメ! (11) 93/10/04 22:31 (#103)オリハルさんへのコメント。 恐縮です(-_-;)。私は絶対に苦労が身につくことのない筋金入りの単細胞生物であ ります(^^^)エッヘン (単純さは美徳 ナノダ!!) (#104)カンチャンへのコメント。 ギャッハハハ!!(^◇^)。平井和正さんは『トリックスタ− (ペテン師、詐欺師、 悪戯者)』ですか。その種の才能は豊かに持ち合せているかもしれませんね〜。 106/106 NCD01751 しろおか リバ−スのインディアン・デスロック (11) 93/10/04 22:33 泉谷あゆみさんの描く『クリスタル・チャイルド』は中々いいですね、素人ぽさの中に 新鮮さがあります。しかし、余り平井和正さんに感化されすぎて玉置山のことばかり書 いていると、他の神社の神様が妬むあまりに非円滑化現象とか仕事上でのトラブルといった妨害工作を陰で行っているやもしれません。神道の神々は皆、非常に個性的でアグレッシブな性格を持っていて、やたらと人間にちょっかいを出してくる様ですから。 私などは完全に面従腹背です(^ ^;)。「拠るべ無き身であり、右も左もわからない迷 える子羊を迫害して何が楽しいのか」などと陰で悪態をついて気を紛らわしています。 もっとも逆に言えば、啓典宗教の唯一神のような絶対的な存在と違いかなりフランクに フレンドリ−に付き合えるのかもしれませんが。お国が違えば神様も随分と変わるもの です。