- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/10/11 - 00918/00918 PBA02422 さはし 今昔 ( 2) 93/10/11 22:29 今日、用事があって実家に戻った。 その時に、もう何年か歩いたことのない道を辿ってみた。もちろん、今までも 車やら自転車では通ったことはあるけど、歩くのは十数年ぶりだったような気 がする。 その道々を歩いていたころは小学生の頃だった。 毎日通った学校、友達と走り回ったあぜ道。。。 そうした道を辿り歩いた。 「昔は遠く思えたのに」 そう自問した。歩いて10分たらずの距離だった。 大きくなるに従って、世界は狭くなるのだなぁ、つくづく思った。変わってい くのは人の姿、町の形だけではない。世界そのものの大きさが変わっていたの だ。 もう帰れない遠い世界なのだった。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/11 - 01605/01605 MHD02672 TAO RE:シゲ&維/YUI御成婚速報(^_^) ( 6) 93/10/11 19:10 01586へのコメント  御成婚速報(#1586)に追加です。  他に FARION からは、HVHY御夫妻が花束を抱いて来られました。  誰だったか、すぐ分からなくてすみませんでした(^^;) > ぎちゃう (そういえばぎちゃうとは初対面なのであった… ボソッ)  TAO - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/11 - 01463/01466 KHB03657 まとうど RE:自分をみる練習 ( 7) 93/10/11 21:05 01461へのコメント コメント数:1   >>智美パパ さんへ   はじめまして まとうど と申します。   幸せになりたいってことは   今、不幸なんですね?      今、不幸と感じる事そのものが   私からみれば幸福だと思うんですけど、   変でしょうか?      今   不自由を感じる自由があるって事が、   私には、幸福と言えば幸福なんで、   今 幸福なんです。      ヘリクツかな?               まとうど 01466/01466 PEH01157 智美パパ RE:自分をみる練習 ( 7) 93/10/11 23:02 01463へのコメント 特に不幸ってことはないです。はい。(^_^;) 01464/01466 JBH00742 スサノオ RE:鎮魂 ( 7) 93/10/11 22:41 01447へのコメント  Zap!さんへ  宮地厳夫の「本朝神仙記伝」では“自修鎮魂法秘訣入門”  と題して行法を述べているところがありますね。  いわゆる気功と言ってもおかしくはない内容ですが  私はむしろ「導引法」と表現した方が、  いわゆる気功と区別するうえで適切ではないかと思います。  “鎮魂法”と言われている行法も現在では  様々な人によって流派毎の主張があるようです。  ちなみに私の言うところの鎮魂は宮地氏のものとは異ります。  私が「本朝神仙記伝」で注目したのはその内容が  ニギハヤヒの記述を巻頭に持ってきていること  更に備前熊山と吉野の間の“天狗”のネットワークの存在  を下之巻でかなりのページ数を割いて述べていることの二点です。  熊山と吉野のネットワークについは本来「南北朝の問題」として  取り挙げられるべきだと思います。                         スサノオ 01465/01466 GBE02650 ユ−リ RE:自分に自信を持つ ( 7) 93/10/11 23:02 01229へのコメント  ソニック君(あ、今はSONIC君か…)、お久しぶり。  これは、ほぼ一か月ぶりのRESになります。  さて、ソニック君のRESは正直言って、なかなか奥が深いので関心しながら読ませ てもらいました。  読む度に様々な把握の仕方ができるものですから、そのうち、どれがSONIC君の 考え方だろう…とか思ったりして…(^^;  で、まあ、細かいことにいちいち細かくRESを附けたところで屋上に屋を重ねる結 果になりかねないので、僕も話の支点がずれるのを覚悟で言いたいことを勝手に言って しまおうと思います。(^^;  実は、SOINC君のRESを読んで一つだけ気になった事があるのです。  それは、SONIC君の「外の世界」の把握が、あまりにも完全でありすぎる…とい うか…何ていうのかな…完結しすぎているのではないかな…という気がするのです。  完結させてしまうというのは、それはそれで感心してしまうのですが、逆に言うと、 それによって自分の世界が限定されてしまうのでは無いかと思うのです。  そうなると、なかなか自分の持つ世界の外にある景色が目に入りづらくなるのではな いか…と思うのですよ。これは今更僕が繰り返す事では無いとは思うのですが。  まあ、それはさておき…  これは全然関係無い話なのですが、最近、言葉って何なのだろう…と思っているので す。  どれほど美しかろうが、また、どれほど論理的であろうが、所詮、言葉は言葉。  そして、言葉は本当にしばしば、それを言った本人を裏切るんですよね。  だから、それをして「嘘つき」と言われてしまえば、頭をかかえて「ああ、そうなの かなあ…」とか思うしかないですし…  やはり大切なのは、自分が喋った言葉では無くて、自分がどう考え、どう行動し、ど う生きてゆくか、という事ではないかと思います。  自分はいくらでも綺麗事を言えるんだ、て事は覚えておいて損は無いんじゃないかな あ…  まあ、それはあくまでも僕自身の事であって、その点SONIC君は正直だと思いま すけどね。                             ユ−リ - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/10/11 - 192/192 GGD02212 Soo 現代医学の弱点など(1) ( 9) 93/10/11 22:49 188へのコメント  こんにちわ>隆ちゃん。関西にお住まいだったんですね。何時か関西オフでも 開催して会いたいものです。(月に一度ぐらいは日本橋界隈を徘徊してます。)  病歴や処方を拝見致しましたところ、どちらかと言うと現代医学が苦手とする、 (色々と精密検査をしても異常所見に乏しく、せいぜい胃下垂か起立性低血圧、 頻脈等を認める程度で、内科であれば「自律神経失調症」としか診断されない) タイプの患者さんのようですね。内心困惑する主治医の顔が目に浮かぶ…(-_-;  当然の事ですが、現代医学は万能ではありません。言い訳がましい事を書いて 医療全般に対する信頼を損なったり、同業者の営業妨害?になりかねないような 誤解を招きたくないのですが、現代医学が苦手とする領域について若干の考察を 述べてみたいと思います。  医学のさし当たっての目的は、人間を『死から遠ざける事』だったと言えます。 これを満たすために多くの研究と資金が費やされた結果、新生児死亡・乳児死亡 の減少など、その恩恵を少なからず人類が被って来たことは否定できません。  この『死death から遠ざける技術』は、かなりの水準に達し、極限においては、 脳死患者(無脳児を含む)の生理的機能を維持するまでになりましたが、脳死は dying(死にかけ、半死半生)のまま生かされた状態と言えます。  death <1> dying <2> 病気 disease <3> 健康 health と、死から隔たる に従って(大雑把ですが)、四つのステージにまたがる三つの領域に区分すると、 現代医学は、例えば高血圧や高脂血症の患者が脳卒中や心筋梗塞を発症するのを 如何に遅らせるか等、やっと<2>の領域を克服しようとしている段階でしょう。  <3>の領域、どうやって降圧剤を必要としない体にするか等、に至っては、 まだまだこれから、の感があります。薬剤が要らなくなったら医者が流行らない から、という意味ではありませんよ(^_^;)。健康を保つには?と医者に尋ねても、 規則正しく過不足の無い睡眠と栄養など、当り前の答しか帰って来ませんね。  左<1>に近いほど知識や技術が発達していて、その実践には若い頭脳と体力 が要求され、右<3>に行くほど老練さ・経験に依存する傾向があるとも言え、 当然、夜間の救急医療などでは<3>の領域に十分対応できるドクターに出会う チャンスは乏しくなる、という次第です。           (続く)Soo. - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/10/11 - 113/114 NCD01751 しろおか 人間との絆(自業自得編) (^◇^;) (11) 93/10/11 18:26 一年ほど以前に遡りますが。 神道関係の本に載っていた「三代豊国:岩戸神楽之起顕」、「神宮微古館蔵」といった 天照大神の画を見ているうちに、その余りのオカメ顔に思わず吹出してしまった(プッ!)。もし本当に「天照大神がこんな顔をして高天ケ原に鎮座していたら!」などと創造力を たくましくして笑ってしまいました(^ ^;)。 その日の晩には神罰が下りました。歯茎が炎症を起こし、翌日には頬がパンパンに腫れ 上がりみっともない下膨れの顔に面変りしていました。(; ;Э ヒイィ〜ッ! ヒイィ〜ッ しかもESP能力を駆使した予告メッセ−ジ付きでした!!『天罰覿面』、『天網恢恢、 疎にして漏らさず』・・・恐ろしいものです。 114/114 HGE03563 SONIC RE:神秘体験日記 (11) 93/10/11 18:33 112へのコメント その発狂する心理的苦痛、 よく分からないけれど分かるようなきもする・・。 僕は神秘体験とか霊的なものには縁は無いが、 "日常の身の回りに"自分が2つに分かれてしまう物が沢山ある。 真剣に打ち込む対象ほど分裂し易い、 僕は「凝り性」なのにその凝る対象が分裂してしまう。 パソ通←→日常もその一つだけれど・・ 自分は「2」に悪い(?)縁があるのだす。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/11 - 01387/01389 HGE03563 SONIC RE:常識を捨てると (14) 93/10/11 19:20 01386へのコメント 僕は小さい頃から、 周りの人と考え方がズレていて、 よく孤立する思いをいたのですけど、 少し成長したせいか、 世間の常識にピントが合うようになってきて、 自分が常識的行動をとっては、わーパチパチよくやったと 自分を褒めてあげて自己満足におちいっているという変態です。 「常識」とは、法律と同じ、 思想も生い立ちも違う、個人それぞれが、 「社会」という同じ場で円満に生活を営むための最低言語である、 と僕は判断しています。 「答えが出ない」、というと、 「真理は2つの相反する要素の同一象面である」とかいう言葉を 聞いたことがありますが、 「総て」は総てを包含し「総て」は総てを拒絶する・・とゆう言葉の意味に 近いものがあるのかな? 考えれば考えるほど言葉を失う、「響き」の感覚が起こればよいと、 ARIONは述べているが・・。 こういう答えの出ない問題を無理矢理考えると発狂してしまうのかもしれない。 世の中って難しいな・・。 2とゆうとタロットのTHE HIGH PRIESTESS をイメージしてしまいます。 (自分が妙に親近感を感じるカードです) タロットに描かれている彼女はまだ判断は出せずに 「響く」のを待っているような気がする。 イツノマニカ アブナイハナシニナッテシモタ・・ 01389/01389 KFD00473 たまご 自分をみるという常識 (14) 93/10/11 23:03 01386へのコメント  さて、ここで話は急にかわりますが、このフォーラムにも『常識』が あるのです。それは『自分を観る』という『常識』です。それは最初は 『常識』ではなかったのですが、今やそうなってしまっているようです。  この『限界』を突破するのは並大抵ではありません。  何の『常識』にでも言えることですが『常識』を捨て去ることは簡単では ないからです。   ……続く(らしい)  たまご 01388/01389 GCC01413 HVHY 神宝とは何だったのか? (14) 93/10/11 21:48  〜 神宝の行方は? 〜  RTで聞いたSUBUDHさんの仮説は、大胆かつ誠にシンプルなものであった。  ご自身も未だ完全に検証するまでには至っていないとのことなので、  ここで中止半端に披露するのはどうかとも考えたのだが、  その内容の興味深さを鑑みて、中間報告という形で述べてみたい。  細かい背景はともかく、SUBUDHさんは出雲族に縁のある方のようである。  その一方、私は出雲族と言うよりは、日向族に縁がありそうである。  但し、私の言っている日向族は、「追いやられた日向族」を指す。  いずれにしても、このことが全体の話の前提となることに注意しておきたい。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  SUBUDHさんの仮説の骨子は極めて単純である。        *神宝と言えばそれは正に十種神宝のことである。        *それは出雲族が東南アジア経由で日本へ伝えた。        *日向族は元々神宝に当たる物は持ってなかった。  この仮説は解りやすいが、日向族の立場から見れば、信じられない内容である。  少なくとも、古事記や日本書紀の記述からは凡そ想像がつかない。  その一方、ニギハヤヒ軍団があの人もこの人も(?)連れていた、  とする先代旧事本紀の記述が、俄かにリアリティを帯びてくるではないか。  しかし、それでは、ヒミコの行った鬼道とは何だったのか?…という問題が残る。  ここでSUBUDHさんは、十種神宝に含まれる4つのカテゴリーについて検討する。  「剣(1)」「鏡(2)」「ヒレ(3)」「玉(4)」という4つの中で、  前三者はそれぞれホワイトマジック、後者はブラックマジックの体系だとする。  私が思うに、「玉(4)」は“非常時自己護衛用”だったのではないか?  つまり、それは、積極的に使う類いのものではなかったのである。  ところが…、(ここが現段階では想像の域を出ない部分だが)、  このブラックマジックに当たる「玉(4)」が何らかの理由で日向族へ流れた。  例えば、出雲族の反乱分子が東南アジアから大陸へ渡って日向族に合流した。  或いは、日向族が「玉(4)」を奪った。…このようにSUBUDHさんは考えるのだ。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  とにかく、大胆な仮説だと言わざるを得ない。しかしながら、  SUBUDHさんはご自身の東南アジアにおける呪術体験からこれを導かれた。  頭の硬い文献学者の研究ではないだけに、妙なリアリティがあるのも事実。(^^;)  そして、最近の話題(忌部が云々)とも、実は大いに関連しているるのである…。  と言うのも、祭祀を司る忌部は玉作りの集団を抱えていた。(※遺跡がある)  つまり、忌部の行う祭祀には「玉」が用いられたのだ。  このことは、古語拾遺の次のような記述でも確認することが出来る。   > 又、天富命をして、斎部の諸氏を率て、種々の神宝、   > 鏡・玉・矛・盾・木綿・麻等を作らしむ。櫛明玉命が孫は、   > 御祈玉[古語に美保伎玉といふ。言ふこころは祈祷なり。]を造る。   > 其の裔、今出雲国に在り。年毎に調物と共に其の玉を貢進る。   > 天日鷲命が孫、木綿及麻并織布[古語に阿良多倍といふ。]を造る。〜  ここに登場する櫛明玉命(忌部の一派)は、既に述べたように、  アマテラスとスサノオの約誓(ウケヒ)に一枚噛んでいた。  (※この時アマテラスに献上された「玉」は二種神宝には含まれていない…)  また、アマテラスの石窟幽居の段においても、櫛明玉命は、  「八坂×五百筒御統玉」を造る役割を担っている。(※“×”は漢字が出ない)  さて、注意しなければならないのは、アマテラスを呼び出すための儀式で、  太玉命(フトダマ)が祈祷に用いたのは、玉・鏡・和幣を懸けた真賢木であった。  つまり、この段階ではまだ草薙剣は登場しておらず、  主要な祭祀の道具は「鏡」と「玉」であった…ということである。  (※「鏡」を作る役割は作鏡の祖である石凝姥神(イシコリドメ)であった…)  にも拘らず、後に二種神宝とされたのは「鏡」と「剣」であった。  重要であったはずの「玉」の位置付けが曖昧になってしまったのは何故か?  このことは、忌部の凋落という事柄に関係あるのだろうか?  もっとも、記紀では「玉」を含めて三種神宝とされているのだが…。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  神宝については、やはり、まだまだ検討するべきことが多いようだ。  そもそも、神宝とは何を指すのか?…という基本的疑問もあるだろう。                                  HVHY - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/12 - 01606/01609 TBE03167 ねずみ RE:お引っ越し/ノイローゼ/レ超猫#275 ( 6) 93/10/12 07:12 01604へのコメント さんきゅ>すまる 子供のころから、他人との付き合いがヘタな人間だからさ、すまるにそう言っても らえると、心の底からほっとする。(←ガキみたいなこと言うとる(笑))。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/12 - 01467/01470 GDB00064 オリハル 自己認知と社会的認知 ( 7) 93/10/12 02:10 コメント数:1 あなたはいつも次のような思考法を行なっていると思う。 「なぜ〜〜〜しなければいけないのですか?」(A) これは、誠実な人がよく陥る落し穴である。 人は社会的認知を常に求めている。 そのためには、人に従う形を取らねばならない。 自己の正当性を主張するときは、まず被害者にならなければ認知されない。 これらの思考形式があなたの内部に侵食して、ついにはあなた自身の思考法として 上記(A)の思考形式が定着する。 しかし、よく考えてみましょう。 上記(A)の思考形式が定着してきた背景には「許し」が何処にも見当らなかった ということが見て取れる。そうなのです。私達の社会は「許し」が極端に少ない 社会なのです。これは日常的に観察されることである。 例えばちょっと視線を向けただけで「非難した」と心の中で断定されたり、 あるいは、「大人」とか「子供」とか言いながら非難する。 そのような社会の中では、上記(A)のような、「非難を内に秘めた」言葉や思考が 出て来る。これが社会的認知の欲望が生み出す偏った世界です。 周囲の人も皆そうなので、それらが重なりあって、この傾向を強化している。 では、社会的認知の欲求から離れてみましょう。 つまり、「純粋な愛」という、 制度にならない制度をあなたの内に打ち立てたとしましょう。 そうすると、どうでしょう。周囲の人の言葉を正確に把握できるのです。 人は、誰かが何か発言すると、それを「自己主張欲求である」と秘かに断定し、 疑わない。このような傾向が蔓延している。 そんなに誰もかもが自己主張欲求に動かされているのですか? しかし、今やあなたの内部には「純粋な愛」という制度が打ち立てられているので 何かがあっても、その真意をすぐ見抜き、「許す」のです。あなたは社会的認知の 欲求がないので、その行為を表明しないでしょう。心の中で秘かに許しているために、 加害者になろうとするかも知れません。つまり、要所要所でわざわざ罪をかぶって行く のです。あるいは、偏見を持たないように勤めるでしょう。この社会では、わざと 誤解したり、偏見を持ったりする傾向のある人が沢山います。そういう人は、こちらの 中に欠点ばかり見ようとするでしょう。正しい動機により、自分の欠点をわざと見せる ことになりますが、その「見せてある欠点」を周囲の人々の中で誰が突っ込み、利用し ようとするかを観察すれば、そういう傾向のある人が誰だか段々と分かってきます。彼 らは「社会的認知教」を心の底から信じて切っておりますので、「わざと欠点を見せて いる」という事など思いつくことは決して無いのです。 さて、社会的認知も自己認知も実は一つである。だからこそ、偏らない世界観や自分が 私達には必要だと思う。                                 オリハル 01470/01470 HGE03563 SONIC 発言者削除 :きがかわった・・ ( 7) 93/10/12 19:02 01467へのコメント 01468/01470 JBH00742 スサノオ 音韻考 ( 7) 93/10/12 15:34  言霊(ことだま)と言われるぐらい日本人は音韻を大切にしてきた。  同じ漢字を発声しても清音と濁音では似て非なるものと化すであろう。  では最近のハローメッセージではどうか。            清音      濁音      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−      狭槌    さつち     さづち      大禍刈り  おおまかがり  おおまがかり                           スサノオ 01469/01470 HGE03563 SONIC RE:自分に自信を持つ ( 7) 93/10/12 18:28 01465へのコメント レスどうもです。ユーリさん。 ユーリさんの指摘鋭いですね。 やはり、僕の示したのは、無限に在る中の「一つ」の理論でしか無いと思います。 あの文章全体からは、「周りを目隠しされて一方しか視界の無い馬車ウマのキモチ」を 連想すると思います。自分の世界を構築する道、とゆーか、職人の道とゆーか 悪くいえばおたっきーの道です。(^^;) 僕の性格はどちらかというと職人気質だと思うんだ。 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/10/12 - 00722/00722 GGA02514 KAZE 運命の多次元的観測 (13) 93/10/12 16:24 00721へのコメント 隆ちゃん、どうも。 ここんとこ仕事がまたまた修羅場を迎えたのもあるのですが、 どうにも気分がすぐれなくて「破壊数」の気分です(^^;;。 こういうときには感情がとても不安定になるので、いやですね。 しかし、先週末のイベントをはじめとしてトラブルや不測の事態の多いこと! めげそうになりながらもひとつひとつ解決していったのですが、 なぜか解決後のすっきりした気分が訪れなくて、鬱鬱が続くのでありました(^^;;。 こんなことって最近なかったのですが、やはりこういうときもあるのですね。 MRTの治良ですが、いい変化が訪れるといいですね。 僕も近くにあれば、一度覗きに行ってみたいところですが、残念。 確かに、病院のかわりにMRTが増えていくといいでしょうね。 「病気」という概念がそれで根本的に変革されていくといいのですが・・・。 ここんとこ、MRTに関する本は取り寄せて読んで見たのですが、 その「中心感覚」ということをはじめとして、なかなかすぐれた視点ですね。 ただ、カズタマの部屋でもコメントしたようなことは感じていますので、 今後、それについてはもうちょっとちゃんとアプローチしてみたいと思ってます。 >若い女の子は神戸の方が好きらしいですが、僕は訳のわからん活気に溢れた大阪 >の街の方が生にあっています。 大阪といえば、先日から一緒にイベントをしている方々が大阪のスタッフで、 僕にとってはこうした大阪のノリっていうのは相性がいいようです。 いっしょに話しているとこちらにも大阪弁が移ってしまうのが面白いです。 そのスタッフのなかにはここ数年いろいろつきあってる方がいて、 この方も実はMACを使っていまして、 先日はPDS情報で盛り上がっていたのでした(^-^)。 >「こだわり」にすらこだわらない(変な表現ですね(^^;))事が、中道の第一歩と >いうか、ひとつの壁のような気がします。ただ、僕の場合はまだそこまでも行っ >ていなくて、とりあえず「変なこだわり」を持たない事から始めなくてはなりま >せん。 もちろん、僕も「こだわり」をできるだけ意識化するところで躓くことが多いです。 ここ数日間も、トラブル→こだわり→意識化→不測の事態→こだわり→意識化・・・ という無明の循環を繰り返してほとほと疲れていたのですが(^^;;、 ほんと「こだわりにすらこだわらない」っていうのは難しいものです。 しかし、そのことが最終的には必要だとわかっているのとそうでないのとでは、 やはり大きな違いだと思って、日々その必要性を意識化していたいと思います。 >運命を考える上で自分の意志がどのようなレベルで反映されるのかが、いまいち >はっきりしません。運命学をさほど深く勉強してきたわけではありませんが、理 >屈ではなく、感覚として自分の意志の及ばない何かがあるようにも思います。 カズタマの部屋でもふれましたが、運命をどうとらえるかというのは、 その運命を「観測」する視点によってその見え方が異なってきます。 それは「時間」ということをどうとらえるかという問題とも関ってくるのですが 時間を物理的な流れとしてとらえてしまう視点しか持てないと、 運命というのは宿命のように見えてしまうんですよね。 ただ、この宇宙を貫く「縦の時間」というか次元構造ということを考え、 その縦の時間をどんどん高次の方向にシフトさせた視点では、 運命というのは、おそらく自分で自分に役割を与えているストーリーではないか、 なんていう視点もとれると思うんです。 で、運命を超えるというか立命するということは、 仏教的にいえば「輪廻を超える」という「解脱」ということで、 (僕は、「解脱」というのはもう生まれ変わらないとかいうことではないと思う) 自分の自覚によって自分の役割を決める、演出家兼役者のような 多次元的な視点をとれるようになるということだと思うのです。 つまり、自分はあくまでも役者で、ある台本にのっとって役をこなしながらも、 その台本を自分で書くことを同時にしていくということが「立命」で、 そのためにはどうしても多次元的な時空構造をおさえた宇宙論を背景とした 「自由な意志」をベースとした人間学が必要だと思うわけです。 「自分の意志が及ばない」部分というのは確かにあって、 それに「流されている」ように感じざるをえないのも確かですが、 それは本来多次元的に存在している自分が 「目覚めてない」ということだと思うのです。 目覚めていようが目覚めていなかろうが、どちらにしても 自分の運命というのはカルマ論的にいうと自分で創造しているわけですから、 問題は、いかにして目覚めてストーリーを書くかということに尽きると思います。 ま、言うはやすし、行なうは(ほとんど)難しなのですが、 さきほどの「こだわり」と同じく、それをちゃんと意識しているということが まずはなによりも大切なことだと思うのですが・・・。 >僕自身は世界のレベルが上がる過程で、何かの役割を果たせれば、最終的に落ち >こぼれても構わないと思っていますが・・・ ううむ、そこらへんも僕と隆ちゃんってのは似てるんですよね。 僕も自分で納得できる役割が果たせれば、落ちこぼれても仕方ないと思ってます。 そもそも学校いってるときもそうでしたし、 今いってる会社でも出世したいとか思ったことなど決してありませんから、 必然的に落ちこぼれるタイプでしょう(^^;;。 ま、そんなことはどうでもいいのですが、要は自分で納得いく働きができるか、 そうでなくても、そういう方向性にいるということだけは「こだわり」たいですね。 おちこぼれなくない!と思っているのかどうか知りませんが、 「解脱」をめざして水にもぐったり、火を渡ったりのような行をしたり、 はたまた超能力を駆使して云々・・・というのは、 僕にとっては、「アホ」でしかありませんから、 そんなことには関りあわないでマイペースでいきたいものです。 >この悪平等を主張する方々を「排他」しようとしている傾向がまだ強くあって、 >なんとかならんものかと思うのですが・・・ いいえ、とりあえずは、悪平等主義は 「排他」「攻撃」する必要があると思います(^^;;。 (これは、僕自身の自己弁護でもあるかもしれませんが(^^;;(^^;;) まずは、相手の無明を打ち砕くという大いなる偏見的エネルギーがなければ 変革ということはなされないのだと思うからです。 もちろん、いつもそれに対する「自覚」はなくしてはいけないのだとは思いますが。 「ぶつかる事は決して悪い事なのではなくて、自分にも他人にもプラスにつながる」 ということを信じて、お互いがんばりましょうね(^。=)。   ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/12 - 01390/01392 PEH01157 智美パパ タイトルメッセージ (14) 93/10/12 11:16 コメント数:1  >大三角の合わさる所、白黒の交点、そして白黒の溶ける所    ARIONのメッセージは幾通りにも解釈できる。  という話を書籍から会議室からRTから何度も耳にした。    その真意というものに、またひとつ実感してきたという思いが強い。  そもそも、こうした人の頭では理解できない、人知を越えた表現でのみ  メッセージや預言は語ることができる。    例えば、このメッセージは、占星術では、    グランドトリンの感受点、白黒の交点、そして白黒の溶ける所    が、メッセージの書き込れた日のホロスコープをみると、グランドトリンはない。  しかし、必ずなにかが秘められているという確信はある。  今の私には読めないが、ホロスコープになにかが記されているに違いない。  白と黒は、たとえば、海王星と天王星かもしれない。  そして、海王星と天王星は今、空の同じ場所に重なってみえる。  布の裏と表でもいい。  今度はがらっと視点をかえてしまう。(実は最初におもいついたのは下の解釈)    大きな三角形を、出雲、大和、日向とよむ。  黒と白は、アマツカミとクニツカミ またはニギミタマとアラミタマ  話をここまでおとすと、またさまざまな解釈ができることがわかる。    まだまだ,抽象的なレベルですら、数通りに読みとけるだろう。    そして、その抽象的な会社は、さらに具体的なレベルにもおとせよう。  預言は雛型であり、すべては型であるのだから。    まもなく、大きな変化があらわれる。   01391/01392 PEH01157 智美パパ タイトルメッセージ (14) 93/10/12 11:28 01390へのコメント  >大三角の合わさる所、白黒の交点、そして白黒の溶ける所    例えば、政治問題に目をむけると(ほんの1例だが)    自民(保守)、連合政権(保守)、連合政権(反保守)                  自民 (保守)             社会党           公明党/新生党      こういう構図が整理されてしまう。  二大政党に動くかどうかまではわからないが、自民党と社会党は崩壊してしまうと  いうことが示唆されているというような印象がある。  これは、望ましいことではない。  二大政党は、望ましい日本の政治のありかたではない。  まだ、時期が早いのだ。    他にも,こうした三角形をたくさんあつめると、いろいろなことが予言できるかも  しれない。そして、その交点の白と組合せを付くる。●●○とか●○●とか・・  いくつかできるだろう。その全てが正しい。  めんどうなので、私は三角形は集めないが、世なのかの事象をみて、ああこれだっ  たかということはみていこうと思う。 01392/01392 GCC01413 HVHY 辻褄の合う話。 (14) 93/10/12 13:22  *[印波国造に関する考察]  古語拾遺では、玉作りの集団が櫛明玉命に当てられている。  そして、櫛明玉命は天太玉命に率いられていた、と記述されている。  これに対して、鏡作りの集団は石凝姥神(イシコリドメ)に当てられている。  そして、石凝姥神と天太玉命(忌部の祖)との関係は語られていない。  ところが、倭姫命世記によれば、忌部氏が石凝姥神裔と天目一箇裔を率いた、  と書かれている。(※天目一箇命については古語拾遺も率いたとしている…)  このことから、最初からそうだったかどうかはともかく、  玉作りの集団も鏡作りの集団も、忌部氏が統率した可能性が充分ある。  さて、石凝姥神は、古事記では、伊斯許理度賣命と表記されている。  ここで思い出すのは、初代印波国造とされる伊都許利命(イツコリ)であろう。  伊都許利命は、霊夢に従って、杉の木の下から“7つの玉”を掘り出し、  これらの玉を鏡と共に奉った。それが麻賀多神社の由来なのである。  印旛沼の辺りに勢力を持った印波国造の一派は、  忌部氏の一派に率いられた石凝姥神の末裔だったのではないか?  彼(彼女)らは「玉」と「鏡」に縁があり、「剣」との縁はなかった。  これは、アマテラスを呼び出すための儀式とも旨く対応している。                                 HVHY - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/10/13 - 00920/00921 PBA02422 さはし 季節は移り ( 2) 93/10/12 19:58 >大三角の合わさる所、白黒の交点、そして白黒の溶ける所 もうすぐ冬になる。たぶん関係ないだろうけど、大三角というと「冬の大三角」を 思い出す。偶然の配置なのだろうが、あの奇麗な正三角形を宵の空に見掛けると、 冬が来たのだなぁ、と思う。 00921/00921 JCC02647 とかち シゲ&YUIさんの結婚式の写真ですが ( 2) 93/10/12 22:16  先日永福町の大宮八幡宮で静粛に行われたシゲ/YUIさんの写真が  できあがりました。  シゲさんはとっても凛々しく(少し緊張してたみたいだが)  YUIさんはすごく綺麗で写真を眺め羨ましく思ってます。(早く結婚したい!!)  で、当日式場でお会いしたTAOさん、SONICさん、HVHY、パタさん  彩瀬さん、えるさん、アキラさんそしてシゲ&YUIさんの写真を  撮りましたので、希望の方メール下さい。  焼き増ししてお送りします。  シゲ&YUIさん以外でシゲ&YUIさんの写真が欲しい方はそちらも  明記して下さい。  竹ちゃ、しまうまさん、今回は写真撮ってなかったので  是非とも次回のOFF会では撮りますね。  特に竹ちゃは絶対に撮りますよ。  で、7年前の写真と並べて遊ぶのも酔狂な考えかなと思ったりします。  P.S.彩瀬さん、夢に私がでてきませんでしたか?      それともまだ現像に出してないとか?      絶対悪夢に襲われますよ、あんなにアップで写すと。      私なんか竹 3 号さんの悪夢をよく見ますから・・・f^^;)                          とかち - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/13 - 01610/01613 HGE03563 SONIC AYASIIハナシ ( 6) 93/10/12 22:10 うげげ、なんかしらんが、 10/10を境に全然落ち込まない体質になってしまったようだ・・。(^^;) ・・・ヘンダ??? とゆうより、以前の自分に戻ったというのが正しいのか? 僕は本来、無神経性楽天性(?)で「キズ」つき易くても なかなか「落ち込まない」性格なのだ。 数カ月続いた落ち込み体質のときには、今までけっして体験出来なかった、 ドン底のトンネル状態とか感傷的な詩心がわく心理状態を経験しました。 でも、そのうちまたこのドン底が何時再発するかもしれない・・。(^^;) そんなわけで木星の加護??を感じる久し振りの「舞い上がる気分」の今日でした。 この状態は、自力で、理解で、力で、努力して手に入れてそうなった訳じゃない・・ ・・(と感じた)。 何か、外部から舞い込んできたようなきがする。 まるで掌でもてあそばれるように。自分がすごく無力に感じた。 また分からなくなってしまった・・・「幸せ」ってなんだろう?? 「自分の力」で手に入れるものじゃなかったのか?? 01611/01613 HGE03563 SONIC RE:大渋滞の中央高速 ( 6) 93/10/12 22:38 01609へのコメント 旅!いいなぁ旅! とかちさんのドライブの様子読んでたら、 胸が高鳴って無性に何処かに行きたくなってしまいました。 一人旅ですか? 僕はさびしがりやなので、一人旅は無理かな? なにしろ帰省ツーリング以外は行ったことが無いのだ。 一人だと寂しくて映画にもいけなかったりする・・。(^^;) 就職先が歩いて10分の所に変わってから、 めっきりバイクに乗る機会が無くなってしまった。 昨日は一週間目ぶりにエンジンに火を入れたが、かからない。(^^;オシガケシマシタ) このばいく、そのうち腐っちゃうんじゃないかしらん。 ・・ちなみに何故か僕の周りにはBIKE友達がいないのら・・サミシイ。 (ねぇ〜じばう○ざ〜ん、ごんど暇な時、づーりんぐ行ぎばひょうよぉ〜。) 01612/01613 GCC03437 星也 かえってきました。 ( 6) 93/10/12 22:51 01575へのコメント  ど〜も、なえさん(^_^)v 01613/01613 JBH00742 スサノオ ジャンヌ・ダルク ( 6) 93/10/12 23:55  オルレアンの処女、ジャンヌ・ダルクは  とても不幸な女性だと思う。  まるで過って神事に手を出した現代の巫女の様だ。  確かに巫女の素質は充分にあったのだろう。  しかし神(霊)なるものが訓練無しに突然懸かる訳がない。  懸かったとすれば、およそ邪霊が如きものであろう。  第一、戦争で勝ったと言って何になるというのだ。  神の国を戦争に見出すのなら、  とっくに世の中平和でなければおかしい。  盟友のジル・ド・レエ(青髯)が戦後何をしたというのだ。  過ちを繰り返すのは止めにしたまえ。                    スサノオ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/13 - 01471/01479 JBH00742 スサノオ 発言者削除 ( 7) 93/10/12 20:20 01461へのコメント 01472/01479 JBH00742 スサノオ 発言者削除 ( 7) 93/10/12 20:24 01461へのコメント 01473/01479 JBH00742 スサノオ RE:自分をみる練習 ( 7) 93/10/12 20:30 01461へのコメント  智美パパさんへ  新約聖書でもかなりマイナーな存在のトマスのことが  智美パパさんから伺えたのは以外でした。  ところで取り上げられた説話はどの書物からの引用ですか。  (トマス行伝ですか。)  新約聖書ではヨハネ福音書に  「デドモ(=双子)と呼ばれているトマス」として登場します。  DOUBTING THOMASと呼ばれるようにイエスの復活を  実際に手で触ってみないと信じないとして描かれています。  また不思議なことにヨハネの第一の手紙の冒頭には  「よく見て手で触ったもの」という記述があります。  トマスはヨハネと深い繋がりがあったのかも知れません。  さてヨハネ福音書に戻りましょう。  私が特に注目するのは、なぜトマスのみがイエスが戻ってきたとき  他の弟子達と一緒に居なかったのかということです。  (まさかわざと席を外していたとは思えませんが…。)  更に注目すべきはイエスが戻ってきたときの次の記述です。    イエスはまた彼らに言われた、    「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、    わたしもまたあなたがたをつかわす」。    そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、    「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、    あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのままで残るであろう」。  ヨハネ(の一派?)は“水による洗礼”を行ないました。  イエスは“聖霊による洗礼”を弟子たちによって現しました。  しかし私はこの二つの洗礼の他にもあと三つぐらい(合計で五つ)  イエスは洗礼の手段を持っていたという話を聞いたことがあります。  つまり“水による洗礼(1)”から“聖霊による洗礼(4)”へ  一足飛びに洗礼を行った(現した)ということです。  では他にはどの様な手段が有ったのかこれが問題となります。  またトマスについてはシリア教会や大乗仏教との関連で  注目すべき点が幾つか有るようですがそれはまたの機会に。                           スサノオ 01474/01479 QFG02515 めるく さよならは別れの〜言葉じゃ〜なくって〜 ( 7) 93/10/12 22:15 01460へのコメント コメント数:1  どうも、SONICさん。  あ、言っとくけど、あれは必ずしも「私の感性」ってわけじゃないですからね。  さいきん読んださくらももこのエッセイ「たいのおかしら」に、  死ぬということは、居なくなるということだって、あったけど、  その通りだと思う。  ただ、気持ちの切り替えが、出来るか出来ないかってことだと思う。  それは必ずしも忘れるってことじゃないけど、  新しい生活が始まるかどうかってこと。  それが出来ないと、  心の中の亡霊を引きずりながら、生きていくことになったりする。  たとえばさ、  ある日に友達と会って、そして「バイバイ」って別れるでしょ?  それと、ある意味で同種のことなんだ、死って。  ただ、相手が死んだ場合だと、  もう二度と会えないということを確信するってだけ。  それは、「またいつでも会えるさ」って思える時に比べると、  めちゃくちゃ「もったいない」んだ。  この違い、この差を、お金に例えてみると分かりやすいかな。  (人の死をお金に例えるのは不謹慎だと、お怒りを受けるかもしれんが。^_^;)  たとえば、十円なくすのと、10万円なくすのでは、  お金をなくすという意味においては同種のことだけど、  気分はゼンゼン違うでしょ?   それがあれば得られたはずのものを、得られなくなるから。  も〜のすごくもったいなくって、なかなか割り切れなかったり。  そういうことなんだと思う。  で、なぜ、  前回私が書いたような例に対して、違和感を感じるのかというと、  「もったいながらない」=「執着が薄い」=「人の情がない」  っていう連想によるものだと思う。  う〜ん、でもさ、  死んだらもう会えないっていうのもさ、一つの常識に過ぎないわけだし。  私は、そんな常識は信じちゃいない。気分的にね。  じゃあどうやって会うのかってのは、できれば聞かないで欲しいけど(笑)。  でも、未来の可能性は無限大だよ。時間制限がなければだけど。  ま、私は、霊魂とか生まれ変わりとかも、「たぶんあるだろう」と踏んでるし。  ところで、  「地に足が付いていない」  って、どういうことなんでしょうか。  なんとなくイメージはあるけど、  いまいちハッキリした意味が分からない。                           め る く 01479/01479 HGE03563 SONIC RE:さよならは別れの〜言葉じゃ〜なくって ( 7) 93/10/12 23:36 01474へのコメント めるくさん > どうも、SONICさん。 > あ、言っとくけど、あれは必ずしも「私の感性」ってわけじゃないですからね。 そりゃぁもう・・。 めるくさんの眼差しは悲しみ涙を知っている目・・。ナンチャッテ。 (-_-)ここでの展開はあくまで言葉の上の議論?です。 > う〜ん、でもさ、 > 死んだらもう会えないっていうのもさ、一つの常識に過ぎないわけだし。 > 私は、そんな常識は信じちゃいない。気分的にね。   死後の世界を直観したり、信じている人はそうかもしれません。 じつは僕も、ウチのアパートの大家さんのバーサンが死んだ時、 びっくりはしたけれど、悲しくはなかった。(ちょい寂しかった) 数回しか顔合わせていなかったし、もうかなり歳だったし、人は良かったけれど・・ 「そっかー、ああ、遠くにいったんだなぁ」という実感だけ。 まぁ、死なんてそんなものだと思う。 でもさーもし自分の弟とかが死んだりしたら・・・、 「思い出」をふっきるのに時間がかかると思うんだなぁ。 苦楽を長く共にした者ほど。 過去をふと想起してつい感傷的になって涙があふれる・・っての、 とても自然なことだし、こうゆう自然な状態って大切にしたいと思う。 > ところで、 > 「地に足が付いていない」 > って、どういうことなんでしょうか。 > なんとなくイメージはあるけど、 > いまいちハッキリした意味が分からない。 「足が付く」状態ってのは、う〜ん、非常識人間を自負する者の場合にかぎり、 社会の常識が理解出来るようになって、それを受け入れて、 外の常識世界と、自分の非常識世界の2つ世界の間の葛藤・摩擦が無くなった状態。 ・・というふうな状態をイメージして表現しました。(あまり自信が無いケド) 01476/01479 GCC03437 星也 Re:RE:Re:RE:そのこのいのちは・・・・ ( 7) 93/10/12 22:53 01458へのコメント  あのさ、「同情すべき」っての、表現からして妙だと思うんだな。  確かに、めるくさんのいうような「テクニック」も存在するかも知れない。 でも、だからといってその行為すべてが否定されるものではないでしょう?  その人の助けになる事が何かは、その人にさえわからないものかも知れない けれど、何なのか考える最初の動機は、その人の心に共感(共鳴)するところ から始まるんじゃないのかな。  痛がっている人に「痛そぉだねぇ、大変だねぇ」って声をかける事が同情で はない。でもって、自分も同じような痛みを経験していたなら、そういう時に 何が嬉しい(なんか変な表現だな)かは、わかりやすいかも知れないけれど、 自分がそう思う(思った)何かと、その人が必要としている何かは違うかもね。  そばで手でも握ってついてて欲しいと思う人もいるし、逆にひとりでそっと しておいて欲しいって思う人もいるかも知れない。他にも、色んなパターンは あるだろうね。・・・・・・裏目になる事も、もちろん。  むかし読んだ本に載っていた、あるたとえ話を思い出したよ。 | ある暗い夜道を、傷ついた男が歩いていました。男の身体は数え切れない |傷が付き、足どりも弱々しく、男の通ったあとには血が滴り落ちていました。 | 通りすがった女がその姿に見かねて、思わず手をさしのべました。 | しかし、女に触れられた男は、傷の痛みにうめき声をあげて、女を非難し |ました。「あなたは、なぜわたしに触れるのです。触れる事で、この傷を癒 |せると言うのですか? そうでないならばわたしに触らないでください。」 | 女は顔を伏せて囁き声で答えました。 |「いいえ、わたしにはあなたを癒す術はありません。少しでも、倒れそうな |あなたのお役にたてるのではないかと思ったのです。」 | 男は苦しげな顔で答えました。 |「あなたの手はわたしの痛みを増すばかりだ。わたしに触れないでください」 | そうして、男は再びよろよろと一人で歩いていきました。  もぅ、10年以上も前に読んだ本だからうろ覚えだけれど。  どうあれ、同情ってものは、「しなくちゃいけない」と思ってするものでも ないし「するべきだ」と思ってするわけでもないと思う。  同じ本に出ていた、別の話。 | ある家のパーティに招かれてどんちゃんと騒いでいた。ふと、外を見ると隣 |(ダッタカナ)の家で、これから葬式が始まるところのようだった。そこの家の子供 |が、パーティで浮かれているこっちの家を睨みつけている。パーティの招待主 |に、少しどんちゃん騒ぎの音を下げようよ、と提案すると「他人の家の葬式な |のに、どうしてこっちが気を使わなければいけないんだ?葬式なんて、隣だけ |でなく、世界中のあちこちで今までの時間にも行われているのに」と答えて、 |逆に余計に浮かれ騒ぎのボリュームを上げようとする始末。 | そして、「葬式の事は知っていたけれど、だからといってうちのパーティを |止める理由なんてないじゃないか、関係ないのに。」とも、言う。 | 思わず、「ばかやろーっ!」とそいつを殴って家を出たけれど、その家から |出たところで隣の家の子と目があってしまった。悲しみとも憎しみともつかな |いその子供の視線を感じながら、言い訳する事も出来ずにその子に背を向けて |逃げ出してしまった。だって、いったい何を言えばいい? PS.・・・#01455:SONICさん宛の奴のコメントへの割り込みコメント。  一人で笑うのは勝手だと思うけどさ。悲しいと感じている人の耳に聞こえる ところで馬鹿笑いするのは、止めたほうがいいと思うな。  悲しいフリをしているだけの人もいるかも知れないけれども、本当に悲しい と思っている人だって、いるかもしれないからね。んで、顔では笑っていたっ て、悲しみを表に出していないだけ、の人も、いると思うし。 01475/01479 GCC03437 星也 Re:RE:Re^X:納豆と・・・・・・・・・・ ( 7) 93/10/12 22:52 01457へのコメント  別に殺しちゃいけないとか、死を否定するとかって事は、 いってはいないんだけどな。  たとえば、「野蛮だね」という事は、その行為の否定の意味だろうか?  もしも、そういうふうに関連づけるとしたら、そう感じる(あるいは) そう考えている自分が心の中にいるんだろうね。ヤバンはイケナイってね。  ところで、人間がある特定の種を滅ぼしたってこともあるんだよな。 なんで象を保護する方向に動いたか、って事まで考えてみてね。  それに、食物連鎖なんて言葉は、こういう話題向きじゃないと思うけど。 人間はとりあえず今のところは、補食される立場ではない。食べる事にしても 世の中ダイエットが流行っている飽食の地域と、餓死者が出ている地域があるけ れど、こういうのはどう考える? 食物連鎖では説明つかないと思うな。  だいたい、人間が食べているもののほとんどは、野生種ではないからね。  んで、どうして星也が「むっとしていた」のか、どうもめるくさんにはまだ 伝わっていないような気がするから、説明するよ。  星也は「死」っていうものは、生まれたものにはみんな付いてまわるものだと 思っている。だから、「死」そのものが悪い事とか、酷い事だとかっていうのは 考えていない。肉体の死と、魂は別のものだとも思っているしね。  でも、肉体の死という状況は、一つの別れでもあると思う。  出会ったら、別れる。・・・・出合いは別れの始めってね。  魂は、またどこかで生まれ変わるかも知れないし、どこにいくかは知らない。  けれど「その肉体を持っていた時のその魂」という状態は、もう二度とない。 つまり、その身体を持っていたときのその魂、とは、もう会えないのだと思う。  その別れを悼む事は、おかしいだろうか?  生まれ変わって還ってくるとしても、還ってきたときにはその経験を経てきた 魂として還ってくるわけだしね。同じだけれども、同じではない魂だと思う。  その意味で言えば、細胞が生まれ変わって生きているこの身体は、一瞬ごとに 小さな死を経験し、生という流れを保っているとも言えるけど。  そういう生死に絡んだ話題だと思ったんだな、あの預言は。  でも、めるくさんの「納豆嫌い」のたとえ話は好きか嫌いかの次元だと思う。 前にも書いたけど、納豆なんて喰わなくても生きていけるもんだろう? けれど 脳がない子は生きてはいけない。その子の死によって、誰かの生が成り立つわけ でもないと思う。警告だと言うけれど、警告が警告として理解されなければ無駄 に死んでいっただけだ。警告として機能しても、たとえば「危険」と書かれた区 域に立ち入ったものが死んでしまう事によって、「ほら、危険だといっただろ」 という事を見せつけているような印象があった。みせしめ、という感じかな。  もちろん、これは星也の印象だから正しいかどうかはわからない。  ・・・・・わかるかな、どうして星也がむっとしたか、が。  ところで、死んでくれない細胞がガン細胞と言うわけではないよ。  好きかってに増殖して「本体」を呑み込んでいく奴の事だ。     (これも正確な定義ではないけれども)  で。  人の場合、共食いの禁忌はモラル的な要素が強いんじゃないか?  それが何の肉であっても無駄にしないという考え方、戦いで強敵だった相手の 肉を喰う事でその力も自分に取り入れる、という考え方もあったと思う。   (その方面に関しては、さわりしか知らないから、断言は出来ないけど) それと、病死の個体の肉は、自然界でも食べる対象にはならなかった気もする。  まぁ、共食いという行為は自然界の中で自分の属する種の個体数を減らす事に なるから「本能的」に敬遠される、というのはあるかもしれない。  しかし、こういう見方だと、めるくさんのいう     「理性的」という形容の反対の言葉として、「本能的」 というのとは違ったものになるね。 01477/01479 JBH00742 スサノオ RE:音韻考 ( 7) 93/10/12 23:25 01468へのコメント コメント数:1  例えば「気にするな」と言われたとする。  すると人は可笑しなもので、気にするなと言われれば  逆に気にしてしまうものなのである。  つまり幽的な個我がそこに介在するからだ。  これを使用すれば人を動かすことも出来る。  まあ、使用するのはろくな存在ではなかろうが。                     スサノオ 01478/01479 JBH00742 スサノオ RE:音韻考 ( 7) 93/10/12 23:35 01477へのコメント  三角形がどうかしたのだろうか。  彼らはまた同じミスを繰り返すのだろうか。  三角形を使用し、裏を動かすのも勝手だろう。  訓練も無しにやりたい放題すればいい。  本人は人助けのつもりなのだろうし、  好きにすれば良いが、責任は取ってもらう。                   スサノオ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/13 - 01393/01394 PEH01157 智美パパ 守護神さがし005 (14) 93/10/12 23:51  不動明王は私の好きな仏のひとりである。  不動明王を初めて成田山でお参りしたとき、一目で恋をしてしまった。    昨年の11月頃不動明王を成田山にお参りしたしたとき、この方はARIONに似  ていると思った。あ、この方はARIONだ。と思った。体の青がARIONの目  の色に似ていた。剣もARIONが持つ剣に似ていた。  その後、聞くところによると、不動明王はARIONの仲間だということである。  不動明王は大日如来の化身だという。みれさんは、光の黙示録によると弘法さまと  お会いしている。弘法さまは大日如来が守護仏だから、ARIONは大日如来とも  関係しているのだろう。    ・・・・・・・・    さて、私は不動明王の側にお仕えする火炎童子と関係しているということなので、  火炎童子を調べてみた。  しかし、不動明王の側には火炎童子という童子がいなかった。私の調査不足もある  と思うので、ある特定の童子の別のよびかたを火炎童子というのかもしれない。    しかし、新しい発見があった。  不動明王にお仕えする童子はクマーラという。クマーラはサンスクリットで王子と  いう意味がある。全部で8童子。または36童子。童子の役割も意味は不明で、諸  説ある。私は、ARIONのいうクマーラにとてもひかれている。    ヒントは体が青いということだ。体が青い童子は2人。シトク童子とウクバカ童子  シトク同志の体の色は虚空のようにということ。どちらかというと黒い青である。  私の顔色は黒めの青である。そういえば、家の近所には虚空地蔵もあった。なお、  この童子は3目だという。私の夢想にででくる童子は目が3つない。だから、この  つながりは少し無理があるかもしれない。  ウクバカ童子は、暴悪な相をもつ童子。頭髪が赤くさかだっているという。  私は、何か大きな気配などを感じるとき、髪が逆立つ。髪が赤いところは火炎を連  想する。だから、この方が私が礼拝するべき童子かもしれない。  また,不動三尊像のうち2像も童子で、セイタカとコンガラという。このふたりも  青い体をしているらしい。この場合、セイタカ童子が私の守護童子に思える。    どの童子が私と関係しているのか不明であるが、今度時間のあるとき、成田におま  いりして、この目でみてこようと思う。私の父は成田と深く関係した。このへんも  無縁ではないという印象が強い。また、気配は必ず左からくる。このへんも何か関  係しているだろう。  不動明王に仕える火炎童子が、どの方なのかわかる方がいたら教えていただきたい    ・・・・    ARIONは弁財天さまとも関係しているようだが、弁財天と弁天さまは同一神で  あろうか? どなたか教えていただけないだろうか。    弁天さまは、さまざまな神さまが重ねられているが、もともとはインドの神さまで  サラスバティという河の女神である。ブラウマンが水から創造された神さまで、日  本では、さまざまな御利益があるらしい。    智美ママは弁天さまが守護仏らしい(厳密には守護神)。彼女の家の実家の氏神さ  まのいらっしゃる神社の裏手には弁天さまかお祀りされている。方角は、彼女の実  家の彼女の干支の戌の方位にあり、彼女の守護仏は間違いなく弁天さまだろう。彼  女の実家の側には有名なねむり弁天さまもいらっしゃる。この弁天さまはとてもき  れいな方で、私はこの方も好きである。  私がARIONとかかわったのは、どうも智美ママの関係ではないかと思われてし  かたがない。    以上  智美パパ 01394/01394 PEH01157 智美パパ 智美ママの夢 (14) 93/10/12 23:52  2日前,私が妙を気配を感じていたとき、智美ママは夢をみていた。  山奥にたくさんの人とはいり、そこにある古い木の柵があって、皆でお茶の出し殻  で、木の柵を磨く。すると、あっとうまにきれいになったという。  すると、そこには今生天皇がいらっしゃって、皆と同じように、木の柵をみがかれ  ていたという。  この夢の解釈をとける人がいらっしゃったら、夢ときをしていただければ幸いであ  る。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/10/13 - 00268/00268 GCC03437 星也 ぼくの・稲荷山戦記 ( 3) 93/10/13 00:48 ◆ぼくの・稲荷山戦記 | 講談社(児童文学)  たつみや 章       ▼(星也による独断的要約(^^;)・・・・サワリのとこだけ、ね)  主人公:守(マモル)=中学2年生。先祖代々、裏山の稲荷神社の巫女を勤める家系 で、ばあちゃんは時々「お告げ」をしたりする。その家に、ある日和服の似合う 長髪の美青年、守山さん が下宿人としてやってきた。守山さんは某大学院生で、 考古学をやっているというふれこみ。裏の稲荷山には古墳がある、という。  んで、稲荷山を某商社がレジャーランドに開発しようとしているのを阻止する のが目的だ、といって、市民運動家に協力を求めたりお役所をまわったり、その 古墳を発掘するよう持ちかけて、その一体を保護区指定にしようとしたり。。。  しかし、現実は厳しい。(肉を切らせて、骨も切られる・・・ってか(^^;))  せいぜい、古墳を史跡公園としてレジャーランドの一角に残すのがせきの山。 稲荷山の自然を「そのまま」の形で残す事が出来ない。しかし、守山さんは「そ のまま」残す事にこそ、意味があるのだ、と。。。。。。。  さて、この守山さんの正体は・・・・・・?  彼はなぜ、「稲荷山を手付かずで残す」事にこだわったのか・・・・・・? ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ◆気に入った台詞をいくつか、抜き書き。   (・・・・・・・・詳しくは、読んでみてください、というこって。。。(^^;)) 「信じるとかそんな次元じゃなくて、山に木が生え、海に魚がいるように、あの 方は存在しておられる。そして幸運にも、ぼくは出会えた。そういうことです」 「信ずればすべては真(マコト)、うたがえば、すべては模糊(モコ)の混沌におちいる。 なにが現(ウツツ)でなにが虚夢(ユメ)か、きめるのはおまえの心ぞ」 「あるものをあるままにみとめられぬなら、あるものがあるがままにいられる時 をよぶことはかなうまいよ」 「守ってやろうなんて・・・・・・人間が自然を守ろうとか世話しようなんて考えは、 思いあがりってもんなのかもしれないよ。どこまでいっても、人間は自然に守ら れて生きている存在で。  たとえば、人間が滅びたとしてーーーーーーたとえばそれが、核戦争みたいな自然も 道づれにするようなものでも、この草のように、自然はよみがえるんじゃないか な。たとえ、ありさまは変えたとしてもね。しかし、自然が滅びたら、人間はい っしょに滅びるしかない」 (*この草・・・・コンクリで固めて石畳になった道に半年で生えてきた草を指している)  ともかく、ぼくらは稲荷山をわすれてないし、なにもあきらめてません。  未来っていうのは「これから」ってことでさ、だから、とりかえしがつかない 「すぎてしまったこと」とはちがうんだから。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  このあいだから、児童文学の紹介がこれで2冊め、かな。  話の語り口は軽妙で、扱っている素材=環境保護(・・・ダケデハ ナイガ(^^;))に ありがちな、妙に説教じみた調子はない。  でも、とっても大事な事をいっていると思う。  で、この本を読んだ子供達(児童図書だからね(^_^;))のうちの一人でもが、 「草や木や山や海や、虫や鳥や魚や獣たちがいきいきと住んでいる世界」って、 いったいどんな世界なんだろう、と思って捜しはじめるようになったらいいな。  都会だと、まずそこから始めなければ、いけなくなってきているもんね。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/13 - 01480/01480 JBH00742 スサノオ 使徒行伝 ( 7) 93/10/13 01:01  さて、今日は久しぶりに新約聖書を手に取る機会があったので  福音書以外の個所にも少し目を通してみたところ  使徒行伝の第三章に興味深い記述があった。  それはペテロの発言であるが、以下に引用する。     (前略)このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、     昔から預言しておられた万物更新の時まで、     天にとどめておかれねばならなかった。(後略)  私はイエスの役目は既に終わったと思っているのだが、  気になるといえば、気になる記述ではある。  万物更新の時とは一体何を指すのであろうか。                          スサノオ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/13 - 01395/01396 MHE03665 みんず RE:守護神さがし (14) 93/10/13 00:16 01367へのコメント はじめまして。 伊X諾尊は伊弉諾尊(イザナギノミコト)のことだと思います。 以前、密教美術の講義の席で虚空蔵菩薩の曼荼羅に北斗七星の絵が描かれているのを 見たことがありました。そしてここから先は一部の方々の推論ですが、それによると 白山の菊理媛女は北斗七星と密接的な関係があると言われています。 それと、北柏駅当たりに北斗七星神社とかってあったような・・・。 北柏も取手の近くでしたよね。 あまりお役にたてず、すみません。 01396/01396 GDB00064 オリハル RE:智美ママの夢 (14) 93/10/13 01:11 01394へのコメント /こんにちは、智美パパ様 解釈させて頂きます。 エドガー・ケイシーのリーディングに基づきますと、「山奥にたくさんの人と入る」と いうのは、自我の奥深くに分け入ることを意味するようです。「木」というのは「精神 状態の象徴としてよく表われる」とのことです。それが柵なのは、色々な自分を全体か ら見ているということだと思われます。それを「お茶の出し殻で磨く」というのは、「 手近なありわせのものを使っている=日常の中で」という意味だと思います。そこに天 皇も一緒になって磨いているというのは、神がそこに参加しているという象徴だと思い ます。特に「今生天皇」に関しては、どのような意味があるのかは解りません。                                 オリハル