- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/10/17 - 00955/00957 GHF02164 こまんち中佐 RE:ぐっとたいみんぐ ( 2) 93/10/17 04:32 00950へのコメント コメント数:1 ★★どーも、こまんち中佐です。★★ ポケベルと言えば・・・。 最近、私もポケベルを導入したんですが、・・・・ ♪ポケベルがならなくて〜 状態です。 フリーとして仕事を展開しようと思い、なけなしのお金はたいて見たのですが、 ポケベルが入ったと同時にほとんど電話が入らなくなってしまいました。 かなしぃ・・・(;_;) 00957/00957 PBA02422 さはし ポケベル ( 2) 93/10/17 10:09 00955へのコメント なるほど。ポケベルが鳴らなくて…状態ですか。(^^;) 名刺に番号を印刷して配りまくるとか。やっぱり稼働率が上がるには、時間が かかるんですかねえ。 ポケベルといえば、女子中学生とか女子高生に普及しているとか。特に用事も ないのに「おはよー」とか「やっほー」とかメッセージを送ってコミュニュケー ションしているって話を聞きました。それ聞いたとき、これはパソ通に共通す る特徴がありそうだなぁ、なんて思ったものです。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/10/17 - 00273/00274 GHF02164 こまんち中佐 RE:続・牛がデュエット(-_-;) ( 3) 93/10/17 04:45 00272へのコメント ★★どーも、こまんち中佐です。★★ 追伸。 コンピューターは、魔界の機械です。 そもそもエニアックの開発に携わった中に、熱心な悪魔教徒が いたという事実はご承知の通りです。 現在氾濫しているCPUのなかに、獣の数字―666―が 隠されているということを心に留めておいてください。 バーコードが666だっていうことは知っていますよね。 00274/00274 PBA02422 さはし RE:続・牛がデュエット(-_-;) ( 3) 93/10/17 10:15 00272へのコメント 僕のハンドルには悪魔が隠れています。 「さはし」を変換にてみてください。「左派氏」「差波氏」…「差端」と いろいろ変換してくれるはずです。「差端」=「サタン」な〜んちゃって。(^^;) 昨日の定例RTではハンドルを「ダミアン」に変更して遊んでしまいまし た。                   「悪魔のようなアイツ」と呼ばれたい さはし - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/17 - 01633/01635 KFD00473 たまご RE:健全な生活をしようかな ( 6) 93/10/17 17:25 01628へのコメント  >>>SONIC くん  妙ながんかけだなぁ。  しかし、がんかけって妙な方が効くって噂を聞いたことがあるような、 無いような、やっぱりあるような。      たまご 01634/01635 KFD00473 たまご RE:一貫性 ( 6) 93/10/17 17:26 01630へのコメント  >>>SONIC  猫に小判、豚に真珠、ソニックに一貫性。  そういうことにしとけばよろしいかな。 >>でも、エリツィンの心はぜひ安定してください。  エリちゃん(<こういう呼び方をすれば、かわいいだろう)は、きっと元来 気分屋さんなのか、あるいは公式の場でもウオツカに酔っていて記憶がないのか のどちらかだろうと、最初から頭に置いておけばいいのではないかなと思う。  今回の訪日のことも、エリちゃんはきっと記憶を無くしているだろう。  (それって怖いことだが)  ソニックが酔っているのはウオツカでは無いようだけど、そういう意味では、 エリちゃんも、ソニックくんも愛すべき気分屋さんだね。              たまご 01635/01635 TBE03167 ねずみ 通信ソフトについて質問です。 ( 6) 93/10/17 17:50 あにょー、farionとは関係ない話なんですけど、ちょっとお聞きしたいことがござ いまして。 私、この間、VC TERMを買ってきて使ってるんですけど、MREコマンドを使って読み 出して、途中終了するための方法(えと、break信号送出っつうのかな)をご存じ の方いらっしゃいませんか。 それと、Nifty内で、VZ Editor,VC TERM関係の話の詳しいフォーラムがあったら教 えてくださいまし。よろしくお願いします。 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/10/17 - 00726/00726 GGA02514 KAZE メビウスの輪と幾何学的投影 (13) 93/10/17 01:48 00725へのコメント 隆ちゃん、どうも。 昨日は新月、ここんとこ星のめぐりもあまりよくないようで、 そのせいか、僕のほうも、なんか気だるくてどうもしゃきっとしない毎日です。 僕は、もともとお医者も薬もほとんどやっかいにならない方なので、 「薬切れ」というのはあまりぴんとこないのですが、大変そうですね(^^;;。 僕にとっては、この春から夏にかけての歯医者通いがここ数十年で、 一番お医者さんにご厄介になったことになるのですが、 ま、これはほとんど外科のようなもんですから、 お医者さんにかかったという感じではないですね。 僕は小さい頃、病気で死にかけてから、身体や食事のことについては、 普通のひとよりは気にせざるをえませんでしたから、 その分、身体との対話ということができてきているのかもしれません。 それで、絶対必要以上に無理をしない、バランスを崩さないということが 自然と身についているような気がしてます。 こういうことは、「自分は強いんだ!」と信じこんでる方には ほとんど身につかないようで、いろいろ無自覚に無理をした部分が なんらかの形で一気に出てとりかえしがつかなる場合も多いようです。 僕の行ってる会社でも、まわりをみまわしてみると、 みんないろいろ持病を持っていたり身体をどこかこわしている方ばかりなのですが、 僕が見てると、ほとんど自分でわざわざバランスの悪くなる方向に ふらふらと寄って行ってるようにしかみえないんですが、 それが自分にはどうにもわからないようなんですね。 で、それが何らかの「病気」という形で出てしまってから、あたふたと慌てて 病院や薬の過度なやっかいになって、それがもとでまたバランスを崩すんです。 こういうのは、結局のところ、身体の病ではなく、「心の病」なので、 <心の歪み→「気」の歪み→身体の歪み>というプロセスで現象化するのです。 つまり、真にバランスを取り戻すためには、自分の心の歪みがどこにあるのかを 発見しなければ、対症療法をいくらしても、真に解決しなくて、 それは別の形をとって必ずまた現象化してこざるをえなくなります。 >MRTの善し悪しは、結局身体で感じるしかないような気がします。好き嫌いや >向き不向きがあるかどうかはわかりませんが、身体の声を聞いて判断するよりし >ょうがないと思います。 そうですね、「身体の声」を聞くことによって開かれるものは大きいでしょうね。 ただ、人間は肉体、エーテル体、アストラル体、自我といった要素で 構成されていますから、それらすべての要素とその関係ということが 少しでもよく理解できていたほうが、「身体の声」ということも より奥深く聞くことができるのだと思います。 >相当ヘロヘロになっているのですが、それでも頑なに薬を服用せずに僕を頑張ら >せているのは一体何なのか?。 それが、主体的な自由意志、ということなのでしょう(^-^)。 そのがんばり、というのは、自我が肉体やエーテル体、アストラル体を 統御しているが故に可能になっているはずです。 そして、それこそが人間が人間であるというキーの部分でもあります。 もちろん、それが単なる「痩せ我慢」であるとしたら、「破壊」につながりますが、 そうでない場合、その意志は何かを「創造」しているはずなのです。 MRTは、おそらくエーテル体に直接働き掛ける仕方で、身体の内なる叡智を 発現させていこうとするものでしょうから、 隆ちゃんのなかからその叡智の部分が出てきているのかもしれませんね(^-^)。 >僕にとってはこの「時間」という概念がとんでもなくややこしい存在で、物理的 >な流れとしてさえもとらえきれずにいます。 そこらへんの問題について、一気に目を開くためにこそ、 ミラクルさんに紹介してもらった東理論に一度目を通されてはいかがでしょうか。 僕も先日から東晃史さんの著書をちょっとずつ読んでいるのですが、 これまで整理されないまま僕の頭の中をただよっていたものを、 一気に言葉にしてくれているというもので、すごいですよ。 すごいというだけではなんのことかイライラするだけですから、 「ポスト『不確定性』文明の曙」(技術出版)からいくつかさわりを。 ただ、これはイメージできれば、スラスラといくのでしょうが、 イメージできないとしたら、なかなかやっかいかもしれませんねぇ(^^;;。 ・・・「時間や空間」に言及する場合の「相対性」とは、「対等」な、2つの 事象間の相対的な立場ではなく、対等ではない「異なる階層」が「結合」した 場合の、「上位側−下位側」の関係の中での「相対的な立場」である、という 観点が不可欠なのです。  「階層」とか「全体と部分」という視点は、誰でも持っているのですが、 「階層の中味」の物理学的な記述法や、「階層をつなぐ」記述法は、誰も知り ません。・・・  物理学者や一般のヒトが、「行き詰まり」の原因について、確かな感触を得 るための一つの方法は、「投影」の概念に注目することではないか、と思いま す。(127〜128P)  投影図は、「ついたて」に写された「線や面」の「影法師」です。従って、 我々は、「影法師」の性質から、「空間に実在」する「厳密な実体」を、推 定する「能力」を持っていることになります。  「影法師」から、「実体」を推定する場合、我々は、必ず、「影法師」の上 を移動する「運動体」というものを設定している、ということを知る必要があ るでしょう。この視点が、「肝要」なのです。(158〜159P) ・・・「表裏・左右・上下・前後・内外」という局面を、全て「合わせ持って いる」のが、・・・メビウスの面(輪)です。(160P) ・・・物理学者は、メビウスの面に対する、正確な解答を知らないのです。・ ・・この解答を得るには、東洋流の、「階層の視点」が、不可欠です。 (165〜166P) メビウスの面(輪)の理解には、紙の表面に沿って運動する「闘牛士の設定」 が必要でした。これは、「空間の認識」には、まず、「運動体」の設定が必要 である、ということを意味します。これに加えて、さらに、運動体を見ている 「観測者」の設定が必要なのです。いわゆる、「認識論」は、これらの」2つ の結合関係」、つまり、「運動体」と「観測者」の「結合関係」を解析するこ とから出発せねば、「論」になりません。(191P) ・・・東洋流の「円・循環・ラセン・渦巻」という視点は、西洋流に表現すれ ば、「量子の階梯」に成るはずです。そこで、「階層の間をつなぐ理論」、つ まり、「万能量子論」は登場すれば、東洋流は、西洋流の中に、完全に包括さ れるはずです。(195P) こういう感じで、実際に図を多用しながら、 メビウスの輪と幾何学的投影を使って時空連続体の謎を解明していくわけですが、 先日から、カズタマに関連させてあちらの部屋であれこれと言っているのは、 この東理論、シュタイナーの神秘学 、そして禅などの仏教などの視点を使って、 運命論などについて考察しようとしているものなのであります(^-^)。 >現世の台本が書き変わるのかと言うとそれは「無い」という事が書かれてあって >それはそれで「そうかもしれないなぁ」と思ったのでした。 そこらへんは、たぶん僕はMRTの考え方とちょっと違っているんですよね。 もしそうなると、この宇宙は展開していくことができなくなるからです。 つまり、神は、完全でありながらもさらに展開しているからこその神であって、 そうでなければ、非常にスタティックにならざるをえないのです。 MRTがそういう視点をとるのは、おそらく自我という働きよりも エーテル的な働きを基盤とした視点だからだと思うのです。 もちろん、運命が決まっているとか決まってないとかいうのは、 それをどのレベルで「観測」するかということだけのことですから、 ま、決まっているか決まってないかを云々し過ぎるのは 言葉の遊びになってしまいかねませんから、ほどほどにしときましょう。 ただ、台本を書くのも演じるのも自分であるならば、 台本を積極的に書き直すこともできるし、はたまた、 台本さえ演じきれないで舞台の上で立ち往生(^^;;ということもある、 ということだけは言っときたいと思うのです。 >僕にとっては人生が決まっているという事が「愉快で楽しい」につながってしま >うのですね。 ううむ、そこらへんが僕と隆ちゃんの違い(^^;;かもしれませんね。 僕は、「人生が決まっている」というの、どうも好きになれませんねえ。 僕の運命学に対する基本スタンスは、「運命はあるけどない」ということです。 つまり、決まっている決まってないということを超えて、 運命は選びとっていかないといけないということなのです。 ですから、たぶん僕はこれまで通り、占いの原理は理解しようと思うが、 自分のことはほとんど占わないだろうと思います。 僕は物心ついてから、底知れぬ「恐れ」というのをずっと感じてきました。 それがいったいなんなのかはわからないのですが、 自分で自分をどうすることもできないという観念が自分を縛っていたようです。 それがぷっつりと消えたのは、自分の未来は良くも悪しくも自分で創る! ということを自分のスタンスにしたときからではないかと思うのです。 例のインシツ録の教訓というのは、非常に大切だと思います。 決まっているが故の「安心」というのは、 その底に大きな諦めにもにた「恐れ」を内在させているような、 そんな感じがしてしまうのは、僕だけなのでしょうか。 >ぶつかって良かったと思うときと、アチャーと思うときがあるんですよね。 僕などは、そもそもひとと関わる事をできるだけ避けてきたタイプだから、 ぶつかってよかった、なんて思うこと、いまだにほとんどありません(^^;;。 そのくせ、修行だ!修行だ!とばかりに、 最近ではよく、アチャー!と思いながらも、その必要性を実感しています。 人間、やっぱり苦手なことに一番の糧があるんですよね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/17 - 01418/01423 GDB00064 オリハル RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/17 01:46 01416へのコメント コメント数:2 /すまるさん、どうも。 同じテーマで2回繰り返しました。次は3度目になるので、何かの変化があるはずです。3度目は過渡期であり、過渡期には神の御意志が介入します。                                 オリハル 01419/01423 GBG02755 すまる RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/17 03:24 01418へのコメント そういう不気味なことは発言しないでほしい。 迷惑です。 01420/01423 HFC00771 Y.S RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/17 12:17 01418へのコメント コメント数:1 もしかして、オリハルさんは、すまるさんに「術」をかけようとしている??? 別に他意はないのですが、何となくそんな気がしたものですから・・・・・                  変な割り込みですみません(^^;)  Y.S PS. 「居候、3杯目にはそっと出し・・・・」 これって3度目の変化に関係ありますか? 01421/01423 GBG02755 すまる RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/17 12:59 01420へのコメント 神様なら、もうしっかり私を動かしていますよ。 いまさらって感じですね。                    すまる 01422/01423 KFD00473 たまご RE:常識を捨てると (14) 93/10/17 17:26 01387へのコメント  >>>SONICどん  ソニックさんの行動は常識と敵対しているように見えて、実は常識の範囲を 逸脱できないでいると考えてみたいのだがどうだろう?  円滑な社会生活を営むための常識というのは、常識を自分の外側にあるもの として眺めているけど、それは自分の内側にあるのかもしれない。  つまり、たくさんの個人の思想や行動様式の重なり合う部分、共通域を常識 と見ているつもりであっても、その思考自体がすでに共通域から何らかの影響 を受けているのだろう、という考え方をしてみる。  すると、ソニックさんが社会にいくらはむかってみたところで、それは予定 調和であり、常識の範疇を一歩も踏み出していないのだ。一見反抗的でも常識 を絶えず気にしている自分というものをそこに見つけられるからだ。そして、 それだからこそ、実は社会から自分が完全に孤立していないという安心感が 生まれる。  では、何の問題もないのだろうか?  常識という鎖に繋がれていれば、すべて安心、うまくいくのだろうか。  それは何だか違う気がする。  何か重大な見落としがあるような気がする。  この何だかわからないがそんな気がするということが重要な鍵かもしれない。  それは常識の中から出てこないのだから。  そしてそれは、常識を捨てるとか、常識に抵抗するのでは無くて、常識から 自分が独立することかもしれない。  ところで、響くのには自分の音を持っていなければだめなんだ。  自分の音とは固有の振動を持っているということだろう。そのためには、 その音を出す部分は独立していないとだめなんだろうと思うよ。        たまご 01423/01423 KFD00473 たまご RE:発言者削除 :預言定理…ミス (14) 93/10/17 17:26 01413へのコメント  <カホウ定理>の解釈とかも見てみたいですねぇ。    とリクエストカードを出す   たまご 01424/01424 GDB00064 オリハル RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/17 18:06 01418へのコメント /すまるさん、どうもでした。 いえいえ、この良からぬ関係は次の第3回目に好転するかも知れないと思いついた だけです。                             オリハル 01425/01427 GBG02755 すまる RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/17 20:45 01424へのコメント あのね、そういう簡単なことを、どうして わかりにくくするの? そういう態度が嫌いなのよね。 もっとシンプルにしたら! 好転したかったら、本音で、ありのままでいこう!                         すまる 01426/01427 GCC01413 HVHY ファイバーの考え方(例) (14) 93/10/17 22:02           〜 ファイバーの考え方(続き) 〜  ひょんなことから大学の入試問題を見ていたら、  先に説明したファイバーの考え方を用いて解く問題に当たった。    2次関数 f(x)=xx−2ax+b の    区間 0≦x≦1 における最小値を m とする。   (1) m=3 となる点(a,b)の軌跡を求め、ab平面上に図示せよ。   (2) 2つの不等式 aa−4ab+4bb−4≦0,|a|≦2 で       表される領域 D をab平面上に図示せよ。   (3) 点(a,b)が領域 D を動くときの m の最大値・最小値を       求め、そのときの点(a,b)を求めよ。    [早稲田大学]  この問題において、(2)は「領域 D を単に定義している」に過ぎない。  その一方、(1)こそが「(3)を解くための“糸口”」を与えている。  (※(1)と無関係に(3)を解くことも出来るけれどもスマートではない…)       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  問題のように定義された m は点(a,b)の関数である。  つまり、関数記号 g を用いて、m=g(a,b) と書ける。  その定義域(domain)が領域 D であるときの値域(range)を求めるわけだ。  (1)を解くと、結果は“一本の曲線”であり、そのb切片は 3 である。  (※これは簡単なので各自の宿題です…???)  また、この曲線を L。とすれば、m=k となる点(a,b)の軌跡は、  「曲線 L。に平行で、y切片が k である曲線」となる。  この曲線は k の値によって一意に定まるので、L(k) と書いてもよい。  (※このとき、言うまでもなく、L。=L(3) と書ける…)  もう少し整理しながら改めて説明すると…、  曲線 L(k) 上の任意の点(a,b)について、g(a,b)=k である。  このような L(k) を、k のファイバーと呼び、  関数 g の逆関数の記号 g# を用いて、g# (k) と表す。  このとき、g# (k) は“点ではない”ことに注意しなければならない。  さて、(1)の結果から、領域 D を“単なる点集合”と見る代わりに、  “ファイバー g# (k) の束(たば)”と見做すことによって、  領域 D 上の点(a,b)に対する関数値 m を、  「点毎に」ではなく「ファイバー(今の場合は曲線)毎に」計算出来る。  実は、この事柄こそが、当該入試問題の眼目なのである(!)。  以上のことから、曲線 L(k) が定義域 D に、  上側から接する場合の k の値が、m=g(a,b) の最大値であり、  下側から接する場合の k の値が、m=g(a,b) の最小値である、  ということが容易に解る。したがって、後は具体的に計算すれば、  定義域 D に対する値域 g(D) が求まる。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  このような「単射でない写像」に対するファイバーの考え方は、  剰余系とか、商空間とか、ファイバー束とか、へ発展する内容を含んでおり、  高校数学の中では最も重要なトピックスの一つと言えるのである…。                                  HVHY 01427/01427 HGE03563 SONIC RE:常識を捨てると (14) 93/10/17 22:38 01422へのコメント レスどうもねたまごさん。 > ソニックさんの行動は常識と敵対しているように見えて、実は常識の範囲を >逸脱できないでいると考えてみたいのだがどうだろう? そうですね。 実は、常識という社会体制の壁にさえまだ手が届かないというほうが正しい。 自分の内部感覚が、まだ、世間で通用する常識感覚に程遠い。 いわゆる、「世間知らず」というやつです。(^^;) でも、常識・権力に従うのは大嫌い。自分の内部感覚のほうを大事にしたい・・が、 その内部感覚だと思っていたものが実はスジが通っていない偽物で、 それに従った場合自分は、自由の勇士でなく、ただのワガママ野郎になってしまう、 ・・・という葛藤が、自分の内部で繰り広げられております。 > 円滑な社会生活を営むための常識というのは、常識を自分の外側にあるもの >として眺めているけど、それは自分の内側にあるのかもしれない。 > つまり、たくさんの個人の思想や行動様式の重なり合う部分、共通域を常識 >と見ているつもりであっても、その思考自体がすでに共通域から何らかの影響 >を受けているのだろう、という考え方をしてみる。 そうなんですよね。 自分の内部感覚と、外界の常識が融合すると、「常識感覚」という、 内部感覚の一つとして自分の中に取り込まれる(?)のだと思う。 僕はまだ、「常識感覚」が身についていない、まだ「途上」なのです。 「常識感覚」が自分の内側にある人は、その人が自由意志を発揮したときも、 ちゃんと外側の常識にそっているから不思議だ。 こんな話があります。 音楽には一定の規律がある。だか音楽家はその規律は頭に置かず、全く自由に音楽を 造る。しかしその音楽は、規律から少しも外れてはいない・・。 始めに飛行機だの蓄音機だのを発明した人の独創性は素晴らしい。 だが、その独創性も化学・物理など科学で示されている規則からは 一歩も外れてはいない。 自分の音を響かせるには、 ARION流に言えば、その独立したものが宇宙生命潮流とやらにそっている必要が あるのでしょうね。魂のこえに忠実になるというか・・。 魂の「判断」を第一にもってこれば、 その「判断」の結果が、常識的行動として現れるのか?常識を逸脱した行動として 現れるのか?は、大した意味を持たないのかもしれない。 01428/01429 GDB00064 オリハル RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/18 00:02 01425へのコメント /すまるさん、どうも。 |あのね、そういう簡単なことを、どうして |わかりにくくするの? それは、グルジェフの言っていたオクターブの法則を多くの人に知ってほしいからです。 |もっとシンプルにしたら! 私はシンプルですが。事実があるだけです。 |好転したかったら、本音で、ありのままでいこう! どのように本音ではないですか? 何でも本当の事を言いますよ。                               オリハル 01429/01429 GCC01413 HVHY 「たわごと」 (14) 93/10/18 00:52  *[緑風大王の登場?]?  翻訳物はともかく、日本人が書いた神智学関連の書物となると、  シュタイナー関連などに比べて圧倒的に少ない。そんな中で、  セブン・レイズ・サイコロジーという本が何年か前に出版された。  その本の著者である小島露観(現在は万師露観)氏が、  最近になって妙な内容の本(?)を久し振りに出したと思ったら、  それからほど経ずして、奥さんである万師緑姫女史の著作が出版された。  そのタイトルが、何と「美しき聖騎士たちの黙示録」というのである。  善い/悪い、本物/偽物といった区別はひとまず保留にして、  彼ら(彼女ら)の主張(?)に耳を傾けてみることにしよう…。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  いや、その前に、何故ここで取り上げるのか?…について述べたい。  一言で言って、“引っ掛かる”部分があまりにも多いのである。  *万師緑姫女史は、グリーン・フラッグという組織を運営していた。   その組織の守護神として、「緑衣観音」(※)を戴いていた。   (※ギリシャ神話のダフネー即ちアポロンの被った月桂樹の冠であるという…)   緑姫(りょくひ)という名前も、そこから採ったと思われる。  *来たるべき二千年期の新皇朝(?)を築き上げる女性戦士たちを、   「聖騎士(ホーリー・ナイト)」と呼び、ジャンヌ・ダルクを範としている。   「霊統と血統の一致」とか、「古代帝国・部民制の復活」とか、   「不正蓄財者から資産を没収する」とか、言っていることが過激である。  *ドイツ語の「sein」という語を連想させる「Z(ザイン)」。   これを全ての活動の“キー・シンボル”としている。   この「Z(ザイン)」は、「ワン・イニシエーター」であり、   「最強の宇宙エルルギー」であり、「時霊(ときたま)」であるという。       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  アクティブ・ロマーにとっては、これらの事柄だけでも十分であろう。  かつて「緑風大王」という言葉を使ったことがあったが、  万師夫婦の言う「Z(ザイン)」こそ「緑風大王」に他ならない。  しかし、この「緑の領域」には、既に何度も解読したように、  理解に苦しむ(抜き差しならない)二面性がある。このことに注意したい。  あまりにも荒唐無稽だから…と言って排除するのは簡単だが、  「キョシンタンカイ」に一旦は受け入れ、その後に玉と石を見分けても良かろう。  具体的な主張については全く触れられなかったが、  それはアーティクルを改めて。(※何時になるかは解りませんが…)                                  HVHY