- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/10/24 - 00987/00996 PGB01143 魔界のめーそん 久し振りです    ( 2) 93/10/23 09:24 コメント数:1 維/YUI殿 久し振りでござる。  気付かなくって御免なさい。維/YUI嬢とシゲ殿がお目出度だった のですね!!  如何に耄碌した酔いどれめーそんにしても、少々耳にするのが遅すぎ る。お祝いを言うのも、気恥ずかしい。一度OFLにでも出て...と 思いながらその機会も持てなかったものですから、お顔を拝見する事も お芝居を見せて頂く事も出来なかった内に!  さぞや美男美女の好カップルでしょうね。  改めてお祝いを申し上げます。唯今は決して酔っては居りませんです。 はい!  これからもまた、年寄りの戯れ言の相手をして下されることをお願し ます。                 京都より心を込めて 魔界のめーそん - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/10/24 - 00280/00281 QFG02515 めるく RE:煙草を吸ってみた ( 3) 93/10/23 16:23 00278へのコメント コメント数:1  こんにちわ、SONICさん。 >>気管がびりびりするだけで、肝心の頭に影響しない。 >>このアタマの思考を停止させたいのに・・。  そこいらのシガレット・タイプのものは、毒性が弱くて、  そういう目的には向きませんな。  ま、そういう目的においての吸い方としては、  まず、思いっきり息を吐いておいて、  それから、おもむろにタバコをくわえ、  息の続く限り、吸うべし、吸うべし、吸うべし!  ですな。  しかし、一番いいのはパイプで吸うことであろう。  よけいなフィルターがないからストレートなのだ。  やがて、めちゃくちゃ気持ち悪くなり、  頭がモーローとし、雑念が強制的に静まって来るであろう。  野外で風にあたりながら寝っころがり、  なにも考えずに空でも眺めるのが良いであろう。  なお、健康を害しても責任はもてまへん。                            め る く 00281/00281 HGE03563 SONIC RE:煙草を吸ってみた ( 3) 93/10/23 17:47 00280へのコメント いや、慣れてきたら効いてきました、煙草。 げ、うえ〜っこれはすごい・・。 肺に煙を入れると、アタマにクるのですね。 本をよんでて、煙草を吸い始めたら、いきなり読解力が停止してしまった。 晩飯食わないで5、6本吸ったら、次の日、腰にきた。 2、3本でもグラグラして膝にくる。 うーん、これは不健全だ。 でもぼくは、過食をやめる為に煙草を吸います。 胃腸のために、肺を犠牲にします。 総合で見てプラスマイナスゼロになればいいなと思っていますが・・。 しかし、なんで3番かいぎしつにレスがついてるんじゃろ? 6番に書き込んだつもりが・・。(^_^;) - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/24 - 01677/01684 GBG02755 すまる これが落書きってんだぜ! ( 6) 93/10/23 21:30 愛してる>>白い光の天使さま その美しいお姿、優しい瞳、 愛してる! 愛されてる!                           すまる 01678/01684 JCC02647 とかち 今日は変だな ( 6) 93/10/23 22:13 コメント数:1  今日は精神状態が少し悪いみたいだ。  なんかぼーっとして時間を無駄にしているだけのような気がする。  仕事してても気力がわかない。  TVみてもつまんない、CD聴いても歌詞とメロディがただ  流れているだけ。  ここ3日間、仕事で重い荷物持って1日中かなり歩き回り  体力が落ちてきただけの事かもしれない。  久方ぶりに線路際での仕事だったのも影響したのか  明後日からの同様の線路際での作業にすごい恐怖心を抱いているのかも  しれない。  昨日寝入りばなに隣室の輩に騒音を出され熟睡できなかったかも  しれない。  2・3日前に左わき腹が急に痛みそれが治まらない事を  不安になってるのかもしれない。  昨日親父に電話して里心ついちゃったのかもしれない。  なんか今日はおどおどしてる自分がいる事に気づく。  心が落ちつく気配がなく、いやに自分が情けなくなっている。  何故か頭の中では渓谷の事ばかり考えている。  澄んだ青い空、紺碧の渓流、青い山々。  ストレスが溜まっている様子が自分でもわかる。  なんだか都会の雑音に、あふれる情報に嫌気がさしてきたのかもしれない。  ただ今の自分にどうする事もできない苛立ちが今の精神状態に反映しているような  気がする。  今いちばんやばいと思うのは「死ぬかもしれない」って考えてる事。  これはまずい、どうにかして気持ちを切り換えようと  いつもと違うCDを聴いたり、本を読んだりしている。  自己葛藤ばかりで、何も出来ない自分を見つめ  諦めてしまうか、悩み抜いてどう言った結論が出せるのかわからないが  今回はとことんまで悩み抜いてみる気になった。                         とかち 01680/01684 GBG02755 すまる RE:今日は変だな ( 6) 93/10/24 00:05 01678へのコメント すまるに会うだしょ? 待ってるだからね。 今日はね、私も変なんだ。 どうしようもない悲しみがきてる。 きてるっていうのは、私の感情ではないから。 背中が痛いくらい、悲しい。 誰が悲しんでいるんだろうと想う。 愛してるよ>>とかち                     すまる 01679/01684 GEB00123 しょうる 富士山 ( 6) 93/10/23 23:30 コメント数:1   夕空に富士山を見た。   遠くシルエットのみ映す。   美しい。   電車に乗っていたある少年が、母親に向かって「うわー、絵みたいだ」   と言っていた。   今日は空気が澄んでいて、夜空に星が瞬くのが見えている。 遠い昔にも今のような光景はあったのかもしれない。   その頃も、富士山は美しくそびえ立っていたのだろうな。   日々を生きる人間たちが、彼方の富士山を見て同じような言葉を   喋ったのかもしれない。   日本っていいなー。                               しょうる 01682/01684 JBH00742 スサノオ RE:富士山 ( 6) 93/10/24 00:24 01679へのコメント  しょうるさんへ  その少年はこれ迄本物を見たことがなかったのですね(^^;)。  ちなみにこれは「朝日」の昇る富士山です(^^;)。     α(アルファ)     ヒ     ↑          / \     |         /   \     |        /     \     β(ベータ)  /       \              ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄              早く富士山に昇りたい(^^;)スサノオ 01681/01684 NBB01420 SUKE 続「だっせー」.....(^^;) ( 6) 93/10/24 00:18 01662へのコメント  維/YUIさん、レスどうもです(^^;)  飛び込み自殺については「他人の迷惑考えろ」とかそのほか、いろいろな意見があ  りますね。また、自殺一般については、たとえ逃げではない何かの理由があったに  しても、生きることの放棄に変わりはないのですから、誉められたものではないと  いう気はします。  私個人的には、実は懇意だった人が飛び込み自殺した経験がありますので、一概に  本人の苦しみ抜きに話は出来ないなぁ、というのが正直なところです。  =================それはさておき(-.-)y=゚゚゚   MES(6) #1597 で連也さんが書いたように、私も「ださい」という言葉を使う場所  ではなかったように思いました。  少なくとも私が中学生だったころに流行ったこの「ダサイ」という言葉は、相手を  馬鹿にする言葉でした。  電車の中で男の言った言葉が、けが人に向けられたものだったとすれば、事故か自  殺かといった事情さえも知らずに、自分の不利益だけに根拠を置いて、相手を卑下  したものに相違ないと思うのです。  これは如何にも自分中心の不平であることは明白なのですが、反論出来なければ正  当化されてしまうという某国民気質的価値観と、思いやりのない人物像とが、男の  この言葉の中に垣間みえていたように思います。  ところが、さらにその上、女が如何にも頼りにしてる風に体をもたせかけるところ  など見て、この女はこの男のどこに利他的一面を見出すのだろうと驚いたのです。  直後、他から聞こえてきた「だっせー」は、そうした自己中心的不平を正当化して  しまう男の二番煎じでしかないことに、言った本人は気づいていたでしょうか? ============(-_-;)ツイツイマジニ...===============  ところで、数日前に新たな意見が見つかりました。  あのときの「だっせー」は遅れる電車に運命的にも乗ってしまった自分に向けて発  せられたものだった、というのです(^_^;)  言うなれば、まぁよほどに自分の未来軌跡に自信をもっている御仁であったので  しょうか。  思い返すと、世の中の常識的ノリに疑いを抱いてしまった、というのが本旨だった  のですが、他人の指摘ばかりしていないで、自分を顧みることをした方が良いので  は...などと身につまされる今日この頃です。                         (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 01683/01684 GEB00123 しょうる 世界 ( 6) 93/10/24 00:38    この世界には様々な人々がひしめきあう。    何十億という人々がこの地球に住んでいるということは    まさに驚きをもたらす。    一つの場所に集めたら、きっと凄いのだろうな。    その人々が、毎日、愛し、憎しみ、騙し、喜び、笑っている。    凄すぎる。    一度も会うことのない人間が何十億も存在することは。    やはり、知ってはいても驚きを禁じえない。    仏陀の中に世界はあるという。    今、生きている人々の思いが、存在が仏陀の中にあるとは。    やはり、驚きである。    仏陀はかくも深い心を持ち、何十億の悲しみ、また喜びを    内に持つ。    すごいなー。やはり。                      しょうる    今日は、こんなのばかりだな。(^_^) 01684/01684 GEB00123 しょうる ふと思った ( 6) 93/10/24 00:39     遠い昔、彼の人は自らの生を通して神秘を体現した。     そして自らの身をして世界の罪を背負ったという。     はりつけとなり、血を流した事によって。     その流された血は、またたくまに世界を覆い、人々を覆った。     御陰で、世界とそこに住む人々は、しばしの猶予を与えられたという。     彼の人は未来を見通す目を持ち、世界の先行きを知っていた。     故に、彼の人は世界を思い、一人涙したという。     いずれ訪れる運命を知っていたために。     その事を思い、彼の人の心は耐えがたい悲しみに覆われて、     涙が溢れ落ちたのだろう。     だが、彼の人は知っていながら諦めもせず、その生を働き通した。     きっと人々の可能性を可能性を信じていたかったのだろう。     いや、信じていたのだろう。     今を生きる我々一人一人は、彼の人の努力を無駄にしてはならない。     また、今生きている事を大切にしなくてはいけない。     ふと、彼の人の事を考えた時、そう思った。                           しょうる - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/10/24 - 00732/00734 GGA02514 KAZE 自由とルシファー (13) 93/10/23 03:19 00729へのコメント 隆ちゃん、どうも。 >MRTに通いだしてから、自分が今までいろんなものに依存していたのだという >事が、色々見えてきました。 いい方向にいっているようですね(^-^)。 MRTに限らず、自分の依存していたり、執着していたりするものを 気づかせてくれる機会をできるだけたくさんもてればいいですね。 多くの場合、そうしたことを見せられると逃げ出したくなるのですが、 そこをよいしょっ、とどれだけ踏ん張れたかで成長の度合が決まるようです。 僕などは、小心ものですから、すぐに逃げだそうとする傾向にあるのですが(^^;;、 最近ではなんとか少しは踏ん張れるようになったかなとも思っています。 お互い、そこらへんは特にがんばりたいものです。 >心の歪が病気として現れるのは正常な事だと思いますが、病気のままでいるのはち >っとも正常な事ではなくて、それを糧として心の歪を矯正しない事には何にもなり >ませんからね。 以前にもお話したことがあるように思えますが、 「病気などの苦難、困難というのは、それだけでカルマの消えていく姿なのだ」という 教義を持っている宗教団体があります。 それは、「心貧しいのはそれだけでなにもしなくても意味がある」という変な理屈で 結局、その現象の原因を探し、反省することをできなくするんです。 そういう考え方って意外に多くの方が陥っている落とし穴なので、 気をつけたいものですね。 >僕は今まで、(たりない)頭でうんうん考える傾向が強くて、最近になってようや >く「耳をすます」事の大切さを知るようになりました。 僕だってそうです、小賢しい知恵が「耳を澄ます」ことを如何に疎外していたことか。 今でもなかなかに難しくて、いつもいつも反省させられることが多いです。 その「耳を澄ます」というのは、コミュニケーションでいえば「ひとの意見を聞く」 ということで、そのことを意識しているだけでも随分違うように思えます。 >「自由な思考」をできるのは何故?と問うてしまうのですね。意志に衝撃を与え得 >る思考ができるかできないかにも、原因があるはずだと思うのです。 それこそが、神のご意志なのでしょう(^_=)。 それと、シュタイナーのいうような「ルシファー」の働きです。 シュタイナーによれば、アトランティス時代の初期には、 人間はみずからを「私」ということができなかったといいます。 自己意識のない人間は、集合魂の一部だったのです。 それが次第に自己意識を発達させてくることになります。  個々人はまだみずからの自我を意識していませんでした。共同体のなかに消滅 しないように絶えず戦い、人間を血縁関係から抜け出させ、人間を自立させるた めに働いた衝動がなかったなら、人間は共同体のなかに没入していたでしょう。 意識を消滅させない衝動を与えた霊的存在が、アストラル体のなかに住みついた のです。この存在はルシファーです。ルシファーはキリストが地上に出現する以 前の時代に、規格化に対抗して働いた存在です。人間は自分が自立し、人格を形 成してこられたことをルシファーに感謝しなければなりません。共同への努力は ヤハウェに負っており、分離への努力はルシファー的な存在たちに負っているこ とを洞察するのは大切なことです。 こうした問題は「善と悪」というマニ教的な問題にも繋がってくるのですが、 単純にいうと、「悪」というのは、人間に堕落さえでできる自由を与えた、 という神の大きな愛の一部としての供犠なんです。 悪がなければ自由はなく、人間が「私」という可能性もなかったかもしれません。 意識というのは「反射」ですから、自分を鏡に映す行為です。 宇宙進化というのも、神が自分を照らしだすために反射できるものを 自分でつくりだしたことで生まれた運動なのではないかと思うんです。 つまり、神は自分の姿が見たかった(^^;;わけです。 >よくよく考えてみると、僕はこの台本を因果律の因として考えているので、アドリ >ブは存在不可ですね。 ま、ものは考えようですが(^^;;、 問題はその「因果律」を「観測」する視点なわけです。 自分というのは、多次元的に存在していますから、 同時多重存在であって、直線的ではないんです。 ですから、まず「因果」という意味も、直線的にとらえられない場合もあります。 そういう視点でいうと、台本を書きながら同時に演じている、とか 演じた後に台本を書く、とかいうこともあり得ます。 ただ、そうした視点というのは、観測する視点による捉え方の違いに過ぎず、 それと同じように、運命というのも宿命ともとれるし、立命ともとれるわけです。 このことは、カズタマの部屋でもちょっと前に説明した通りなのですが、 説明がうまくなかったんでしょうね、やっぱり。 「運命はあるけど、ない」というのもそういうことなんですよね。 >KAZEさんは「運命」という言葉の持つ束縛感を僕よりたくさん感じていると思い >ます。 結局のところ、そういう僕の趣味の反映だというの、わかります(^^;;。 確かに、おっしゃるとおり「束縛感」というの、好きでないんです。 僕が認める「束縛」というのは、自分が自由意志で選び採った「束縛」だ! ということになって、いつも自由意志が登場するので堂々めぐりになるのですが(^^;;。 ま、そういうことで、ほとんど「言葉の受け止め方の違い」なんでしょう。 >僕が「楽」だと感じるのは、もっと下世話な話でして、例えば過去を悔やむ事もな >く、未来を案ずる必要も無い事だったりします。 うむ、結局、融通無碍、っていうことですね。 「今を生きる」っていう禅的な境地でもあり、老荘的な境地でもあります。 別の言い方でいえば、猫の暮らし(^^;;ということもできそうですが。 僕もそれにはあこがれますが、なかなかそういう境地は見えてきません。 こういうのってやっぱり性格の問題っていうのが大きいのかもしれませんね。 僕のような小心ものはどうも案じる事も悔やむこともなかなか少なくなりません。 >限界の努力の上にのみ「諦め」は許されるというのはちょっと極端だなぁと思い >ます。諦めたからといって、努力を放棄するなんてことは無いのですから・・・。 ううむ、これはたぶん「諦め」という言葉の意味の 捉え方がちがっているのだと思います。 隆ちゃんは「足ることを知る」的な意味で使い、 僕は、この場合、「人事を尽くして天命を待つ」的な意味で使っています。 で、「放棄」という意味で使う場合は、その両者の意味をもたないで、 安易に自分をあまやかす場合のことをいっています。 隆ちゃんのいう意味では、確かに「足ることを知る」ことによって、 「努力は新たに始まる」というのは確かですよね(^-^)。 さて、ここんとこどうも不調が続いておりまして、 なぜかなあとも思うのですが、足ることを知りながら、 やはり、自分に納得のいく「人事を尽くして」、 破壊数の沙汰(^^;;に自らの成長を託したいと思います。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00733/00734 GGA02514 KAZE 大乗利他の精神 (13) 93/10/23 23:02 00730へのコメント DIRAC さん、おひさしぶりです(^^)。 >自分の限界を受け入れたとき、その限界が取り払われる! これは言えてるかもしれませんね。 「自分の限界を受け入れる」というのは、 ある意味では宗教的諦念とでもいえる姿勢なのかもしれません。 自分の現時点での限界が見えてくるということは、 それを超える可能性への道が見えてくるということでもあるのでしょう。 それは、「死して成れ!」ということとも 共通するところがあるのかもしれませんね。 自らが「受け入れる器」になるためには、自分を滅さなければなりません。 そして、その器に新たな可能性が注ぎ込まれるわけです。 >これからは、合理性の上を行く不合理がひつようである。 >これを非合理性と呼びたいものです。(3RDSTEP) >この非合理性とは、「大乗利他」の精神だと思っています。 自らを生かすためには、自らを他に投げかける必要があります。 与えたものが与えられるというのは、神秘学的な基本法則です。 それは、不合理でありながら、超合理でもあるわけですよね。 「大乗利他」の精神は、利自が即、利他であることを受けいれる自覚でもあります。 ですから、「むさぼり」もエゴを暴走させるのも、 みずからを破壊する行為にほかなりません。 結局、「大乗利他の精神」というのは、DIRACさんのおっしゃるような 「非合理性」を天の法則として受け入れて生きる考え方だともいえます。 「徳」というのは、そういう「法則」を通して自らを高めていくことで 得られる宝のことをいうのでしょう。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00734/00734 HCB00374 DIRAC 諦めは弱い! 前進!前進!の強さを!! (13) 93/10/24 00:29  またまた、こんにちは。 いままでの補足として、つらつらと。 1:「おまかせ」の心境の合理的発展と運命改革   NO.729に、運命に関して、人間として精いっぱい努力した後の、  結果は御任せと言う意味で、「神仏におまかせする−−」という表現が  ありました。せっかく、そこまで考えるのならばもう少し発展させて  みるといいと思います。          −−  神仏の意に沿っている自分なのか?     −−  反する自分なのか?    神仏に反するような自分(願い)で、よりよい結果を期待できるのでしょうか?  神仏に嫌われる存在か? 好かれる存在か? でおのずと結果が違って来る  と思いませんか?  言葉にひっかかる方は、「神仏」を「真理」の人格的側面とお考えになったら  いかがでしょう。   この辺りに、世間一般よりも一歩踏み込んだ、運命改革のヒントがあると  感じています。なんだかんだと言っても、最後は自分のあり方なんですね。  しかし、「自分のあり方」を教示するのは、神仏であり−−真理であるわけ  です。    ありがとうございました。 - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/24 - 01471/01474 NAG02033 EX RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/23 11:29 01428へのコメント  #01428 オリハル さん  オクターヴの法則ってなんですか? あと、オリハルさんは「ミカエル」について何か言いたかったのかな? と感じました。 EX (NAG02033) 01472/01474 QFG02515 めるく RE:「たわごと」 (14) 93/10/23 15:50 01470へのコメント コメント数:1 補足1 おーうそこきまろ?  ROMERの健全な精神と、関係者の名誉のために書いておきますが、  ザインの思想は必ずしも悪魔じみたものではなく、  したがって、「ザイン思想には、そのようなものはない」というのも、  はんぶん嘘です。あしからず。 補足2 ニンゲンの像  私は「緑の領域には、狂気と正気の境がない」と書いたが、  緑風大王であるピッコロ大魔王の「ピッコロ」とは、  ナメック語で「出入口」という意味である。  もともとピッコロ大魔王とは、神に内在していた悪の要素が、  外に出て顕現したものであった。  風のエレメントは、どこへでも赴き、全てを攻撃するが、  自分の意志というものはない。  高次のエレメントによって動かされるのみである。  火と水のエレメントは、より純粋なエネルギーを持つが、  風のように自由に動くことはできない。  そこで、そのエネルギーを風に託し、動いてもらうのである。  だから「出入口」なのである。  風には、自分の意志と、他者の意志とが区別できない。  風は深淵の出入口である。  なぜ緑の領域に、我々が「一線」と呼ぶ境界が存在しないのか?  緑の領域こそ、境界そのものであり、中間地点だからである。  したがって、緑風大王は、ミレニアムとミレニアムの境に立つ。  なお、ここからさらに別種の解釈も展開できる。  中間地点にいるものとは人間であり、  悪魔すなわち堕天使も人間である。  神とは無意識的領域である。  緑の領域に迷い込んだものは皆、  血の気を失って、歩く植物人間と化してしまう。  彼らには我慢とか躊躇とかいうものが全くない。 補足3 ネオ・キリスト  ピッコロ大魔王は、神を自分に融合し、レベルアップした。  ピッコロがザインで、神がキリストであるとすると、  一見おかしなことになってしまう。そんなバカなである。  説明しよう。  神とピッコロとは、もともと同一人物であった。  しかし、神は歳をとったが、  ピッコロはドラゴンボールによって若返り、さらに生まれ変わったりした。  生まれ変わりに伴い、邪悪さの抜けて来たピッコロに、  神は融合し、ピッコロはさらにレベルアップしたのである。  地球には危機が迫っていたが、老いぼれた神にはそれを解決する力はなかった。  それよりもピッコロの「力」を必要としたのである。  しかし、神は必要だったので、  ピッコロや神の故郷であるナメック星から、  幼い子供のナメック星人・デンデが、新しい神として招かれたのである。  したがって、デンデはネオ・キリストとでも呼ぶべき存在である。  2000年の間にすっかり老いぼれてしまった古いキリストにはご引退願い、  新しく若々しいネオ・キリストが降臨するのである。  ネオ・キリストは子供の姿によって象徴される。  したがって、童神ホルスとイコールとなり、  また、クマーラ(童子)でもあるということになる。  さらに、高天原を追い出される以前、  子供のように泣き叫んでいたスサノオとも関係有りと言えよう。  また、深淵の嬰児とも関係ある。  深淵の嬰児は、風に乗って降臨する。                         め る く 01473/01474 GBG02755 すまる RE:「たわごと」 (14) 93/10/23 16:11 01472へのコメント ドラゴンボールの中でも、 ピッコロはじぇったい大好きなキャラなのよねぇ。 ベジータも好きだけど・・             ゴミ蒔だじぇ  すまる 01474/01474 KFD00473 たまご 自分を見る症候群 (14) 93/10/23 17:11 01399へのコメント  あなたがあなたに答えなければならない。(光よりの光、P38より)  結局のところ、これがすべてのはじまりで、すべての答だってことに 今更ながら気が付いた。  それが出来ていないと、自分を見る症候群にかかってしまう。  この症候群は、その名のとおりさまざまな症状が存在する。過激に何かを 求め続ける人、落ち込む人、自分のすべてを肯定してしまう人、その他もろ もろ。すべて自分を見ているだから大丈夫なのだという錯覚、そして、白黒 の決着を早くつけたくなる。それは深刻な症状だろう。  白黒をはっきり付けたいと思った人は、もう少しそれを見続けることに専 念したらいいだろうと思う。そうしたら、別の答が見つかるかもしれない。 そうでないかもしれないが。  そして、これらすべての過程が自分を見ることなんだというのは、本当の ことだろう。だから、症候群にかかっていて、自分を見失っている人には、 それはだめだよって言えない。   ……続く(らしい)  たまご - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/10/24 - 359/360 JBH00742 スサノオ 勝負(しょうぶ) (15) 93/10/23 19:15 コメント数:1  勝負ということについてあらゆる状況を考えてみる。  その場合単なるお遊びのゲームということもあろうし  命を懸けた戦(いくさ)もあるかもしれない。  自分独りが負けて済む場合もあれば、  自分意外の誰かを巻き添えにすることがあるかも知れない。  勝負に負けることにより、ただ独り野垂れ死にする場合もあれば、  百人、いや一万人を巻き添えにすることがあるかも知れない。  さて、どうする。  おのれ独り死んで事が済むのであれば、これは簡単。  自分が負けることにより、他者を巻き添えにしてしまう勝負の場合、  “絶対に”負けが許されない。これにどう答えるのか。  しかも答を明日までに出さねばならぬとする。  さて、どうする。  誰か答を出せるかな?  有効期限は明日まで。                          スサノオ 360/360 NAG02033 EX RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/23 20:06 359へのコメント  #359 スサノオ さん 問題が良く解らないので答が出ません。 究極の勝負は既に着いている、だからこそ、個人の運命に思い悩むの ではなく、運命の導くままに戦えという話がギータにありましたね。 EX (NAG02033) - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/10/24 - 650/650 KFD00473 たまご RE:つれづれなるままに〜! (17) 93/10/23 17:11 649へのコメント  >>なんで勝ち負けなのかな・・・って思う。  きっと勝ち負けが好きなんだろうねぇ。  なんてね。    勝ち負けの評価って単純でわかりやすいってこともある。  例えば、人生を降りようとすれば負けで、頑張り続ければ勝ちだ。    でも、これって誰が見てもそういう評価になるとは限らない。状況に よって人によって異なるだろうね。勝ち負けってのは単純な判断だから、 きっと深い意味なんてないんじゃないかなぁ。  たくさんある価値観の中のひとつ、だろ?  そして、勝ち負けにこだわるのは(勝ちにこだわるひとも、負けに こだわるひとも)その人の人生だよ。        たまご