- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/10/25 - 01000/01000 KFD00473 たまご 祝☆1000番達成! ( 2) 93/10/24 22:57  いやあ、めでたい。  ともかくめでたい。  ね、マスター。そうでしょ!   1000番取ってめでたい  たまご - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/25 - 01685/01688 GEB00123 しょうる RE:富士山 ( 6) 93/10/24 00:49 01682へのコメント    富士山って本当に綺麗ですよねー。    また、朝日を頂上からみてみたい気もします。    絵の通りに朝日が出るときれいでしょうねー。(^_^)                    しょうる 01686/01688 GBG02043 維/YUI RE:続「だっせー」.....(^^;) ( 6) 93/10/24 09:18 01681へのコメント えっとね。 最後のところに・・・。 ダサイ・・・って、実際今の”若者”は、”運が悪い〜”とかって意味で使ってたり するようです。。。 言葉は、世につれ人につれ、変わっていくものなんですね・・・。 とはいえ、かなり普遍な意味を持ち続けるものもあるので、そのへんは使う人それぞれ が、意識して使わなければ、ぐちゃぐちゃになってしまいそうですね。                           維/YUI 01687/01688 HGE03563 SONIC 発言者削除 ( 6) 93/10/24 18:07 01688/01688 JBH00742 スサノオ ポン太の昼寝 ( 6) 93/10/24 22:11  今日は***まで日帰りの旅行をした。  そして何時も行く神社にお参りをした。  小さくて余り目立たない神社だが  私のお気に入りの神社の一つだ。  参道横ではおじいさんが銀杏を拾い集め  ミケ猫が境内の岩の上で昼寝をしていた。  猫はどうしたことか私が近寄っても逃げない。  首の辺りを撫でてやると「ニャー」と喜んだ。  薄桃色の首輪には「**神社ポン太」と書いてある。  私は猫のくせに首輪なんて何だか可笑しくなった。  お参りを済ませポン太を呼んだら  振り返ってこちらにやってきた。  その人なつっこい純粋な目でこちらを見つめられると  少し恥ずかしくなって思わず苦笑いしてしまった。  後で気が付いたのだが名前から察するに  ポン太は雄猫だったのだろうか。  願わくば雌猫であろうことを…(^^;)。                      スサノオ - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/10/25 - 01527/01534 QFH02012 アラミス 補足 ( 7) 93/10/24 01:53 Xさん宛てのRESで書き忘れていた事がありました。 ARIONにしている質問は既に回答されていると私は記憶しています(どこに UPされているかは私も忘れてしまいましたが・・・)過去のLOGを捜してみては いかがでしょうか。 01528/01534 QFH02012 アラミス RE:その「時」・・・ ( 7) 93/10/24 01:55 01508へのコメント コメント数:1 1507のみれさんの問いに対して1508で星也さんが答えているのを見て、 私も星也さん聞いてみたくなりました。 * みれさんは1507で「こだわりがあるなら是非聞かせて欲しい・・・」と言って いる。またそれが迷惑なら拒否してもいいとも言っている。 だが1508での星也さんの答えにはそれについて一言も触れていない(と私に は見える)・・・何故だろうか? 沈黙をもって拒否を示したのか? あるいは答えたくなかったのか? それ とも答えられないのだろうか? 何故ですか?>>星也さん 01529/01534 GCC03437 星也 RE:その「時」・・・ ( 7) 93/10/24 05:58 01528へのコメント コメント数:2  ーー 貴官 なぜ起立しない 「この国は自由の国です。  起立したくないときに 起立しないでよい自由が あるはずです」  ーー では なぜ起立したくないのだ 「答えない自由を行使します」                 ーーーー銀河英雄伝説 | 田中芳樹 という問答を思い出してしまいました。 (古本屋で手にいれて読んでいる最中なんです(^^;)・・・現在7巻目に突入) この問答のシーンとは当然、状況は違いますが。 反問:  あなたはなぜ、「何故?」と(〜があるという前提の元に、と思えますが)  星也に問うのですか? 01530/01534 KFD00473 たまご RE:その「時」・・・ ( 7) 93/10/24 06:35 01529へのコメント コメント数:1  ひょっとして、星也さんはヤンウェンリーになりたいのだろうか?  −ひょっとして、ローエングラム伯はルドルフになりたいのだろうか?  が正しい銀河英雄伝説にあった台詞だったと思うけど−  そういうのを思い出しました。  もし、ヤンのようになりたいのだったら、銀河英雄伝説の8巻を読み終えたら、 星也さんは何をどう感じるだろうか?そして、10巻を読み終えたときは?  なかなか、奥の深いものがあると思いますよ。銀河英雄伝説には。  (ちなみに8巻とは後半の山場となりますのでね)          たまご 01532/01534 GCC03437 星也 星の歴史 ( 7) 93/10/24 17:27 01530へのコメント コメント数:1  「他人に何がわかる・・・・・・」というラインハルトの呟きを、たまごさんに。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  つまらぬ人間など この世にいない  人の運命は 星の歴史にひとしいもの  ひとつひとつが 常に非凡で 独特で  それに似ている 星はない                  パーム(8巻)星の歴史I | 伸たまき 01533/01534 KFD00473 たまご RE:星の歴史 ( 7) 93/10/24 21:39 01532へのコメント  「お前はいったい、おれのなんだ?」  「私は閣下の忠実な部下です、ローエングラム候」  この問いと、この答えによって、何か目にみえない貴重なものが、音もなく ひび割れたことを、ふたりとも悟っていた。               (田中芳樹・銀河英雄伝説第2巻より)  このシーンを星也さんに。            たまご 01534/01534 QFH02012 アラミス RE:その「時」・・・ ( 7) 93/10/24 23:20 01529へのコメント 何故問うたかと言えば、今までの星也さんの書き込みを見て来て興味を 持ったからです。 どこに興味を持ったか? ここに、あなたの心情らしきものを繰り返しUPし続ける事に対してです それが何故私の興味を引いたのか? 1)・・・(UPを読んで)なるほど星也さんの気持ちは良くわかった。 2)・・・(再び読み)おや、また同じ様な事を書いている。 3)・・・(再度読み)あぁ、まただ。もう何を考えているかはよくわかりました、   それであなたは何をどうしたいのですか?! 4)・・・それに、よく見るとARIONを非難している様にも(私には)見えるし、みれ   さんに対しては不信感をい抱いている様にも(私には)見えるなぁ。 5)・・・言いたい事があるならば、何故はっきり言わないで独り言の様につぶやく   のだろう? 6)・・・星也さんはひたすら同じ所をグルグルと回っている様に見える。何故そこ   から一歩外に踏み出そうとしないのか?・・・歯がゆい、見ていて歯がゆいん   だよ。 この様に私は思ってきた訳です。 そうそう15番会議室の362で松川さんが、実に上手い事を話してますね。 >>ただ長々と〈自己の感情の披瀝〉、つまり〈自己紹介〉をやっているだけなん >>ですから。大事なのは、〈あなたが何を考えているか〉ではなく、〈あなたが >>いかに考えているか〉ということです。 01531/01534 NBB01420 SUKE SUKEよりARIONへ ( 7) 93/10/24 12:42  最近のことを話します。  ここ10日ほど前から風邪っぽく、精神的にも不安定です。生活サイクルが狂い、  部屋は散らかり、何かに逃れようと散漫で不摂生になったりします。  こういうことは時々あります。  いつもしゃにむに作り笑顔をして仕事に励んでいる内に、体調が戻ったりします。  でも出来れば予防したい。  今、体を治して元気良くなろうとすると、どこか自分の内側に、それをためらう気  持ちが動くことがわかります。きっと何か落ち込みの原因を持ったままなのではな  いか?と思えます。  多分、何かに甘えたい気持ち、布団にくるまってすやすや眠りたい気持ち、そんな  疲れた今をそのままにして、治るだけ治ってしまって良いのだろうか? そう自分  が呼びかけています。  何が不本意なんだろう? ================================  とても寂しい時があります。誰からも意識されていない自分を知るときに。  親兄弟でさえ、常に私の存在を認知してくれているとは限りません。  例え恋人がいたとしても、同じことでしょう。  「他人からの保証によって自分が存立するしかないのであれば、IDカードや社会  的地位が欲しくなる。しかし自分で感じたことは自分が自分で保証していることな  のだ。」  そういう話を聞いたことがあります。  僕は自分の存在の意義を自分自身で保証出来なければならないのですね。  「この世で不必要なものなんてない。誰かが必要としているから俺はここに存在し  ていられるんだ」  という話も聞きました。でもこれは人生という物語で自分が主人公なのか悪役なの  か、という問いの答えです。  この瞬間に、世の中の誰とも通じず、たった独りきりという自分に気づくとき、そ  こには他の一切の人々がいないものと同じでしょう。  僕は生きる自信がないのだと思います。自分がこうして存在していることを、自分  で保証できていない。  いつも他人という存在との相対によって、誰かに認識されていることを望んでいる  ようです。ということは、他人が自分を意識してくれないときには、自分の中に何  もないということです。そこに自分の不在があります。  誰からも支えられずに、自分自身の目を持って、自分の存在は自分が保証する、そ  れを自信と呼ぶのかも知れません。腕っ節や何かとは違う、本当の強さって、やは  り「自信」なのでしょうか。 ================================  体調が晴れないままにいるのは、自分に自信がないから、甘えているのではないか  な、そんな気がします。  ではどうしたらよいのか?  それはまだ時間がかかるのでしょう。  でも自分の不在が見えてきたから、とりあえず体調を治し始めてもよいかな。  次には少し一人で、自分が生きる自信をどうしたらよいか、考えていきたいと思い  ます。                                  Suke. - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/10/25 - 203/203 MHD02672 TAO コンタクトレンズに変えて ( 9) 93/10/24 19:14  眼鏡からコンタクトレンズに変えて、一週間経った。  酸素透過性のハードレンズである。お店で、最初に試用レンズを  裸眼に乗せた時は痛くて痛くて、涙が止めどなくこぼれたもの  だったが、数十分も経つと結構慣れて来た。  初日8時間→二日目10時間→三日目12時間…と装用時間を延ばして  慣らしていき、今では一日中装用が出来るようになったが、  面倒なのは、風の強い日にほこりが入ると、痛みが強くて我慢出来ず、  レンズを再洗浄してつけ変えなければならないこと。これが外出中だと  喫茶店のトイレや公衆トイレを使わなければならなくなり、さすがに  気恥ずかしいものもあったりする(_ _;)。  私はど近眼+乱視であり、眼鏡を外せば数十cm先の他人の顔さえも判別  出来ない。それだから、眼鏡を外すと鏡に写った自分の顔さえもボワ〜ッと  して見えないのであるが(^^;)、コンタクトをつけて鏡を見ると、「オオッ  コンナカオ ダッタノカ ケッコウ シセンガ キツイナ」と改めて感心  したり(^^;)。 眼鏡との違いは、何と言っても視野が広がったってことで、それだけ情景が  クリアーに見え、映画や絵画を鑑賞する時などは、明らかに違いを感じる。  色彩も、一段と忠実に見えるような感じがある。  裸眼に直接物を乗せることは、やはり怖さもあるが、コンタクトレンズに一度  慣れてしまうと、やはり使わないでいられないな、というのが今のところの  実感である。  そんなこんなで、コンタクトレンズ装用感想でした。  TAO - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/10/25 - 00735/00738 GGA02514 KAZE 落ち込みから学ぶことなど (13) 93/10/24 00:49 00731へのコメント DIRACさん、ふたたびどうもです(^^)。 >原因不明の落込み。理由はわからない。 ありますねえ、いつまでもこりずに(^^;;。 直接の原因がわかっていたとしても、それだけでは説明のできないような、 そんな息苦しい「落ち込み」というのは、何度味わってもいやなものです。 おっしゃるように、それは「心の歪み」が一気に出てきているのでして、 それを解放するには、「自分をみつめる」しかないのですね。 >人の言葉−−いやなことでも−−よく聞く耳もって受け入れていくことが >自分の心を見つめることーーー運命改革につながることと信じます。 僕も「聞くこと」「耳を澄ますこと」の大切さを実感しています。 耳を開いていくと、そこにぽっかりと自分がいるのをみつけたりします。 逆接的に聞こえますが、語るよりも聞くことで自分が一番表現できたりします。 これも、与えることが与えられることという、 神秘学的な「非(超)合理的」な法則なんだという気がしてます。 >行ってみて感じる−−これが重要なのではないでしょうか。 そうですね、「行なってみて」というのがまず大事。 それでないと感じられないことというのはたくさんあります。 かちかちになった頭だけでいくら考えて見ても、 真に「感じる」ことはできませんよね。 行なって感じ、その上でそれをさらにいろんな視点から とらえなおしてみる、というのが、 真に調和の取れた深い認識を育てていくのには必要だと感じています。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00736/00738 PDD01611 CPUDOWN 病気の話 (13) 93/10/24 13:28 00729へのコメント 隆さん、ごぶさたしてます。お元気ですか。体の具合はどうです? 私のほうは、この8月末に結婚し(^^;)今、大阪の新居にいます。 ところが、結婚するしばらく前から体調が悪くなり、例の困った症状が日常 化してしまいまして、苦しんでいます。 常にからだのどこかが凝っていたり、血圧が上がって肩凝りやめまい、不安 感におそわれたりして、ちょっとまいりました。 病院にも何度か行ったのですが、あいかわらず「健康体」との診断。 妻にもさんざん心配をかけました。 で、結局妻が懇意にしている「霊能力者」に相談に行きました。(ついにそ ういうものに手を出してしまった(^^;)。苦しみに弱い私。) 料金これこれという形ではお金は受けとられないということで、(一応こち らの気持ちとしてお布施をいくらか出すことになっているみたいで、2〜3 千円包みました。)まあ、それなら良心的かなという気もあって行ってきま した。 山岳信仰かなにかの系統にはいるのかと思いますが、(ご本人は「なんでも やります」とおっしゃっていました)黙ってすわればぴたりと当たる、とい う感じで体のどこが悪いここが悪いということを指摘したのち、霊障とかそ んな話は一切なしで、結局「あなたが自分というものをしっかり持たずに生 きてきたことが原因だ」と指摘されました。 「ひとの意を汲みすぎて自分をないがしろにしている」「ひとにどう思われ るかばかり気にして自分を押し殺している」ということが原因で、(考えて みれば思い当たる節がいっぱいあって、おもわず唸ってしまったのですが) それが体に来ている(肉体の病気ではない)のだそうです。 他人への過剰な配慮というか、それは実は裏返しの利己主義(ひとに良く思 われたい)なんですが、そういうことが私の場合病気の原因になっていたよ うです。 自分の幸せがまづあって、始めて人のことを配慮することができるのだか ら、もっと「自分」というものをしっかりと持って、自分の主張を相手に分 かる形で出して行かないといけない。自分と他人は違うのだから、違いをお 互いに出し合った上で認めるべき所は認め、同意出来ない点は分かれるとい うことが大切だと。 そして、人がどう思おうが自分の人生は自分で生きて行くしかないのだか ら、自分の人生をどうしてゆくか?仕事でもなんでも自分はどうしたいかと いうことの計画をしっかりと持ってゆかなければいけない、ということでし た。 その「霊能力者」に教えてもらった方法で、妻と一緒に(妻は以前からやっ てましたが)先祖供養というものもやりはじめていますが、それはそれとし て、まづ自分の心を自分で改革してゆくことが大切なようです。 症状のほうはまだ顕著な変化はありませんが、原因らしきものがはっきりし て精神的には楽になれました。 隆さんのケースにはあてはまらないかもしれませんが、何か参考になればと 思います。 はやく元気になりましょう。(お互いに(^_^)) PDD01611 CpuDown 00737/00738 GGD03030 《 隆 》 銀杏 (13) 93/10/24 18:46 00732へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    昨日、大阪で拾ったぎんなん(MRT梅田のオフィスは新御堂筋に面していますが、  これがいちょう並木なんですね)を今日焼いておやつに食べました。季節の味と言  うんでしょうか、美味しかった(^^)。昔はぎんなんに限らず、栗や胡桃を拾ったり、  柿や松茸を盗んだり(^^;)したものですが、自分で採らない事には実りの秋も実感で  きませんね。    >それは、「心貧しいのはそれだけでなにもしなくても意味がある」という変な理  >屈で結局、その現象の原因を探し、反省することをできなくするんです。  なんとも情けない話ですね。僕の宗教観というのは、現在の日本の社会的コンセン  サスからはかけ離れていると感じていますが、人が百人百様であるのと同様に宗教  も個々人でそれぞれにあり方が違うはずだという思いはあながち間違いではないの  ではないかと思ってしまいます。ある一つの教義で万人に救いがあるなんてどう考  えても???です。逆に万人に救いがあるように作ると「心貧しい・・・」のよう  に変てこな教義が生まれたりするんじゃないでしょうか。    >それこそが、神のご意志なのでしょう(^_=)。  >それと、シュタイナーのいうような「ルシファー」の働きです。  以前にNoBさんへのレスで書いたような気がしますが、僕はこの「ルシファー」とい  う響きが非常に好きで(なんでかはわからない)、キリスト教の絵本なんかに出て  くる「魔王」みたいなイメージをどうしても持てませんでした。僕にとっては非常  に美しいものであり、心地よい響きなのですね。これってなんかあるんでしょうか  ねぇ。単なる好みの問題かもしれませんが・・・。  ルシファーが自由の象徴だとしたら、僕は潜在的にそういうものを欲しているのか  もしれません。    >つまり、神は自分の姿が見たかった(^^;;わけです。  これはなんとなくわかる気がします。うまく言えませんけど、人間が神様(宇宙)  の鏡であるというより、僕の意識はこの世の全現象の鏡であるというか、僕の心の  中に発現する感覚こそがその鏡であろうと思われます。そして、他の人もきっと同  じように宇宙を反射する鏡としての心を持っているのでしょう。    >ですから、まず「因果」という意味も、直線的にとらえられない場合もあります。  >そういう視点でいうと、台本を書きながら同時に演じている、とか演じた後に台  >本を書く、とかいうこともあり得ます。  う〜む、僕はやっぱり直線的にしか現象をとらえられないのかも・・・(^^;)。確か  に視点を変えればとは思いますが、自分がそういう視点で考える事ができるかとい  うと、ちょっと難しいなぁ・・・。  例えば、天に唾するとそれが自分に降りかかる訳ですが、唾する前に降りかかる事  (因果の因と果が逆になる事)があるのだろうかと思います。もしあるとすると、  唾する事が最初から決まっていて、あらかじめ先に降りかかってしまうとしか僕に  は理解できなくて、それこそ「運命」の影を感じてしまいます。そのへんの視点と  か次元は少なくとも僕にはまだまだうかがい知れない世界なのでありました。    >うむ、結局、融通無碍、っていうことですね。  >「今を生きる」っていう禅的な境地でもあり、老荘的な境地でもあります。  え〜と、言葉は難しいですね(^^;)。そういう意味あいも少しは有るでしょうが、そ  こまで極端ではなくて、まあその、悔やまないというのも、無駄な事で悔やまない  と言うべきでしたか、要するに諦めによって無駄なものが切りとれるから「楽」な  のだという事です。愁いとか悔やみとかを全部切ってしまうのは、まずいですもの  ね。    >ううむ、これはたぶん「諦め」という言葉の意味の  >捉え方がちがっているのだと思います。  >隆ちゃんは「足ることを知る」的な意味で使い、  >僕は、この場合、「人事を尽くして天命を待つ」的な意味で使っています。  なるほど。そういえば僕の場合「人事を尽くして天命を待つ」という「諦め」は頭  の中に無いですね。人事を尽くすほど努力をしない(^^;)というか、天命を待てるほ  ど腹が据わってないというか・・・。イヤハヤ    >やはり、自分に納得のいく「人事を尽くして」、  >破壊数の沙汰(^^;;に自らの成長を託したいと思います。  そういえばKAZEさんと僕は生年数が同じだから、今年は仲良く破壊数の歳なんです  ね。僕の経験と先日の岳同さんの指摘から考えると、破壊数の翌年に大きな転機が  やってきています。なんとか今年を乗り切って、お互い来年の新しい展開に期待し  ましょう(^^)。                                by 隆ちゃん 00738/00738 HCB00374 DIRAC DIRACちゃんでーーす。 (13) 93/10/24 21:32  KAZEさん、どうもいつもコメントをありがとうございます。 感謝しております。今回のコメントをみて非常にびっくりいたしました。 というのは、なんとまあよくいろいろご存知で、また的確にコメントされて いるのかと。 >自らが「受け入れる器」になるためには、自分を滅さなければなりません。 >そして、その器に新たな可能性が注ぎ込まれるわけです。 全くその通りなんです!!!。似たような表現をよく耳にしていますよ。 >自らを生かすためには、自らを他に投げかける必要があります。 本当にその通りなんです!!!。まあ、覚悟っていうところでしょうか。 >「徳」というのは、そういう「法則」を通して自らを高めていくことで >得られる宝のことをいうのでしょう。 そうなんです。補足すれば、徳が運命を作るといっても言い過ぎではない らしいということです。お金みたいなものでしょうか。ただし、あの世へ もっていけるらしいですが。 私は、「人生とは徳と因縁の戦い」という言葉をよく耳にします。 カルマは、徳で軽減することが出来る−−−−−−−。 運命−−−実は、そういうことらしいのです。  ただ、残念なのは、この考えの確証を持つのが難しいということです。 体得が難しいのです。まあ、 徳を積むと何が得なのか? という疑問が、 あって、行動するまでに至らないのです。たいていは、これを疑問のままに して一生を終えてしまうようです。 信仰で疑問をねじふせて、行動へ移せる方々もいましょう。 しかし、自分よくなりたい−−の行動ならば、徳にはならないでしょう。 大乗利他ではないですから。また、疑問をねじ伏せるための信仰であった なら、いかがなものでしょうか? 徳をつむのは、容易でないのです。 我々の様な凡人には、「徳を積むと何が得なのか」を現象(状況) として実証して頂かないと納得できないんですね。 言い直すと、ある種の力(神秘的な実証する力)が顕現されないと なかなか、大乗利他の生き方に踏み出せない部分が大きい−−という ことになりましょうか。  宗教的言葉で対応させれば、ある種の力とは、救いの力といえましょうか。 ですから、救いの力が大きい程、大乗利他の実践が出来るはずだという結論 になります。つまり、大乗利他の実践は、救いの力でさせて頂くものなのだ ということになります。させて頂く大乗利他であるなら、実践してそこに感謝が 出て来る、嬉しくなる。−−−境涯が上がり、運命改革。 理屈はそうなんです。随分偉そうなことを書いてしまいましたが、 私自身、少しも体得していないんです。私、ぜんぜんわかっていないんです。 だから日常生活が修行なんです。知っている、わかっている−−と思うのは 一つのとらわれなんですね、自分の我を立てたい心ですね。 その思いにとらわれたら向上の道はないと思います。これが、「謙虚」 ということだと思います。 私は、おこりっぽいそうです。自分では、全くそんなことおもっていなかった。 気づいていなかった。本当かな??? と疑問に思うんです。 でも、多々そうおっしゃる。だから、そうなんでしょう。 鏡に映った自分の姿。謙虚にうけいれよーーーと。 −−いづれにしても、考えたり、思ったりしている自分では、まだまだ です。感じる自分にならせていただかなくては−−と日々楽しく修行 させて頂いているDIRACちゃんでした。 ありがとうございました。   - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/25 - 01475/01476 GDB00064 オリハル RE:あのう・・・削除してくださいよ。 (14) 93/10/24 00:44 01468へのコメント /みれさんどうも。 |望ましいこととは思えませんので、今後は個人情報の公開を会議室上 |で要請したりしないようにお願いします>オリハルさん ええ、勿論、基本的に同意します。 | よって自分自身の個人的な情報にも、他人の個人的な情報にも気を |付けて扱い、自分の個人情報を大事に扱うと同様に他人の個人情報も |大事に扱っていただきたいと思います。 私は気をつけてますので御安心下さい。十菱麟氏の個人情報公開に関しては、全く問題 ないことを何度も氏自身が自ら公言しております。何せ、まあ、ここでは書けないよう な内容の文章を100人近くの人に郵送して送りつけたり、ド外れていますし。また、 私が個人的に自費出版した「愛の奇蹟」という本に名前を使用する許可も得ています。 今ごろ、済みませんです。                                 オリハル 01476/01476 GDB00064 オリハル RE:シバ神とスサノオ (14) 93/10/24 02:01 01471へのコメント /どうも、EXさん、聞いていただいてありがとうございます。 EXさんに助けられて私は、以下に、オクターブの法則を示します。 これは、グルジェフが世界へ公開した情報です。  ■ ■ ■ ■ ■     ←黒鍵 ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド      まず宇宙の全ては振動です。 振動は、絶えず進化して行きます。(物理的な振動は減衰して行きますが) それがピアノの鍵盤にも込められています。 振動がドレミファソラシドと進化する途中、進化の足がかりとなる黒鍵が無い箇所が 2箇所あります。ミーファ間と、シード間です。振動はまずドに始まってレに到ります。これが進化の第一段階です。第二段階はレ→ミです。次の第三段階の進化の時に、進化 の足がかりが無いからこの時期には困難が予想されます。より多くのエネルギーが必要 です。この時期を過渡期と言います。振動はこの時期、その方向、強さ、性質を変えや すくなります。 宇宙の全てを経験的に振動と見なせるのが面白いところです。例えば、仕事を始めて終 るまでを1オクターブと捉えられます。あるいは、食事を始めてから終るまでとか、も っと大きく考えると、仏教が始まって終るまでとか。仕事中にでもオクターブの法則を 観察してると面白いです。上記の2つのインターヴァルを観察できます。さらには、現 在の自分の位置を知ることが出来ます。そのため、受ける被害を最小にする事も出来ま す。なぜなら、「もうそろそろトラブルだな」と予測できているからです。 どうもでした。                                オリハル - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/10/25 - 361/366 GDB00064 オリハル RE:ある右翼の死に思う (15) 93/10/24 00:44 358へのコメント /松川さん、どうも。 | 中には、こちらが思わず問い返すくらいの左や右という思想軸からは意外な対 | 象もあった。 そうでしたか、そんな記事があったんですか。これがパソ通のメリットですね。 いずれ、この気になる部分が明らかになるだろうと予想して待つことにします。                                オリハル 362/366 GFD00204 松川 貴     RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/24 00:52 359へのコメント コメント数:2  スサノオさん >自分が負けることにより、他者を巻き添えにしてしまう勝負の場合、 >“絶対に”負けが許されない。これにどう答えるのか。 あなたが行っている思考方式はかつてのOZ弐さんがやっていたのと同じです。  「下手に勇気をふるわれて迷惑をこうむる我々市民の苦しみが分からないのか」っ てやつですよ。あなた御自身は自分がそのような思考をしているとは自覚していらっ しゃらないでしょうが、〈薄められた左翼思考〉ってやつが──これは西部邁氏の用 語ですが──ここにもひょいと顔を出しています。(以前から、あなたの書く文章に はこの手のニュアンスがずっと付いて回っております。)  あなたの文章には、あなた自身がこれを是として顧みない──つまり自明なものと しているところの──いくつかの価値意識(前提)が紛れ込んでいます。まず、それ を自分自身で探し出してから、〈自己対話による思考訓練〉を始めてみてはいかがで しょうか。実際あなたはそこから思考形成の訓練をやり直す必要があります。今のあ なたは、ただ長々と〈自己の感情の披瀝〉、つまり〈自己紹介〉をやっているだけな んですから。大事なのは、〈あなたが何を考えているか〉ではなく、〈あなたがいか に考えているか〉ということです。                                   松川 貴 363/366 JBH00742 スサノオ RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/24 01:50 362へのコメント コメント数:1  松川 貴さんへ  私があの書き込みをこの部屋に書き込んだのは  この部屋のテーマに相応しいと思ったからです。  例えば武士たちは、恐らく多かれ少なかれ  自らの生命を懸けて生きていたのではないでしょうか。  それは民衆たちを思ってのことでもあり、  自分が仕える殿様?を思ってのことでもあったでしょう。  (代官様が民衆を苦しめるというのは明らかにステレオタイプですね。^^;)  それは空想の世界の出来事ではなく、実際にあったことなのです。  自分の右に行くか左に行くかの決定で全てが変わってしまう。  その時高度な判断力を要求されたはずです。  そして実際に彼らはどのように行動したのか。  そこから学ぶことも多いのではないでしょうか。  武士道が未だ日本に生きていることを願います…。  日本の武(士)道が命懸けの勝負の中で見いだしたことの一つに  ぎりぎりまで「相手を生かす」ことがあるように思います。  「勝負にこだわり、かつ勝負を越える」                        スサノオ 366/366 GFD00204 松川 貴     RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/24 23:23 363へのコメント  スサノオさん >自分の右に行くか左に行くかの決定で全てが変わってしまう。 >その時高度な判断力を要求されたはずです。  あなたの口が、このように呑気な問いを発するのは、畢竟あなた御自身が〈自分の 人生〉において〈真の試み〉に出会っていないからですよ。人の話を聞いたからとい って──どうせそのような話は、単なる小知識となって自分の脳みその引き出しにき れいにしまわれてしまうだけですから──別段〈現実のあなた御自身のその場に応じ た正しい決断力〉が増すわけではないということを知るべきです。  これから、もっともっと〈御自分の人生上〉において自己の感情をずたずたにする ような嫌な目に遭ってみればいいんです。まだまだ足りませんよ。一度と言わず死ぬ 寸前まで行ってみるといいんです。そうすれば、あなた御自身の現実の人生が、あな たに決断を迫るような事態に至ったときに、あなたのそのような問いかけそのものが 如何に馬鹿げたものであったかが分かるでしょう。自分の人生においてさえそのよう な自己の魂を焼き尽くすような深刻な事態に遭遇した経験もないあなたが、天下国家 を論じようとは笑止の沙汰です。  実際にサムライをやっていた人は何と言っていたでしょうか。   おれの見たところでは、今の書生輩は、ただ一科の学問を修めて、多少知恵が  つけば、それで満足してしまって、更に進んで世間の風霜に打たれ、人生の辛酸  をなめようというほどの勇気をもっているものは、少ないようだ。こんな人間で  は、とても十年後の難局に当たって、さばきをつけるだけのことはできまい。お  れはこんなことを思うと心配でならないよ。   天下は、大活物だ。区々たる没学問や、小知識では、とても治めて行くことは  できない。世間の風霜に打たれ、人生の辛酸をなめ、世態の妙を穿ち、人情の微  をきわめて、しかるのち、共に経世の要務を談ずることができるのだ。小学問や  小知識を鼻に掛けるような天狗先生は、しかたがない。  (勝海舟『氷川清話』角川文庫 P267-P268 )  「私はこれからも他人を自分の人生に巻き込まず、ずっとよい人間でいることを第 一としたい。自分自身を快適なものとして感じ続けていたいから」などというような ことばかり気にかけているような男には、とてもとても世間の大事を任せることなど できませんよ。  勝海舟は言っております。   ただただ一切の思慮を捨ててしまって妄想や邪念が、霊智をくもらすことのな  いようにしておくばかりだ。(前掲書P154)  その時は「腹かっさばく」だけの心持ちだけ準備しておればよいですよ。あなたの 心にはまだそれすらも準備されておりませんから。  あのマキアヴェッリも言っているでしょう。   天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。   (新潮文庫『マキアヴェッリ語録』塩野七生 P244) と。                                   松川 貴 364/366 HGE03563 SONIC RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/24 15:06 362へのコメント う、何故か昔のハンドルが出たので割りコメを。 僕の以前の 「下手に勇気をふるわれて迷惑をこうむる我々市民の苦しみが分からないのか」 ってのは、一点伸びようとする力(勇気)は平たいもの(社会)によって 潰される・・という意味あいで使った記憶があります。(自分が平たいものの立場で) ちなみにこの思考法(感情?)は今でも変わっていません。 ・・というか、 この排他的な思考法は、僕の思考法の中の低部の一部分(左?)を誇張した表現であり、今の自分の全体の考え方のベースとなっています。 こういう考え方は、例えばギリギリの「勝負時」には必要でないかと思います。 365/366 GCC03437 星也 RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/24 19:42 359へのコメント 負けない事  戦って勝つか 戦わずして勝つか。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 24時間という猶予であればそれは既に過ぎ去り、 明日一日という意味であれば過ぎざる時間に。。。 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/10/25 - 651/654 TBE03167 ねずみ 僕って天の邪鬼かなぁ…… (17) 93/10/24 10:51 コメント数:1 昔、僕が、NiftyのIDとってから初めてやってきたのが、このfarionだった。 で、そのころってのは、他の人から「てめー、もう書くな」みたいな怒号がいっぱ い飛んできて、そうなるとこっちもやたらムキになる性格だから、余計ムチャクチ ャ書きたくなってくる。マジで、ID削除されるまでムチャクチャ書いてやろうと思 ってたもん。 ところが、他人から親切に、書きなさいよ、などと勧められると急にアタマがほわ ほうぇあほわぁのぱっぱらで、「え? 書くって? 何を……書くの?」と悩みこ んだりする。 この間、なえさんからsend頂いたのだよね。(さんきゅ>なえ) 彼女から、なえ部屋にもタマには来てね、なんて言われてとても嬉しくなってしま って、よし、何か書くぞ、と気合い入れてパソコンに向かったら、何を書いて良い のか全然思いつかない情けない私 ^^; 昔からそうなんだよなあ…… 子供の頃、母親から、もっと他の子みたいに普通のコトしなさい、と言われたモノ なのだけれど、普通にやろうとすればするほど、一体何をやればいいのか分からな くなって、行動が段々普通からかけ離れていくとか、他人から誉められようと思っ て良いことやろうとするほど、他人に迷惑をかけてしまうとか……。 自分がこう進みたいという方向の必ず正反対へ進んでしまうんだよね。いやんなっ ちゃう。タメイキの人だわ、俺って。 652/654 JBH02324 なえ おひさしでしたねぇ。 (17) 93/10/24 22:16 651へのコメント コメント数:1 あたしは、ずっとずっと思い続けている事の中の一つに「誰でもどんな人でも、 その見えている事が全てぢゃ無い」という事を常に念頭に置きながら、出来るだ け「相手」の、そいう別な部分と、出来るだけ沢山、会話から引き出して、いろ んな面を知って、更に楽しい会話へと進めたら良いだろうね。・・・何て考えて います。 カゲキな部分も優しい部分も「相手」の単なる一面で、それを見ただけで「こい う人なんだぁ。」というレッテルを貼るのはイヤダと思います。 それは何故かって言うと、同時に「あたし自身も限定」する危険を内包している から、そいう自分に成りたくない。という事なんです。これは一見「自分の欲望 や理想」の為に他人を使っているの??という偏見に見られる事が有るかも知れ ないですが、実は、まず「相手をそいうレッテル貼りをして見ない」という現実 から、「自分を限定しない生き方」が導き出されるので、「あたしが」の為では 無いんですね。 結果として自然に「限定自分」から脱却出来た。というダケなんです。 面白いですよねぇ・・。 他人に対しての見方を「努力」っていう形で「良い方向に見る」のは、結構難し いですけどね、それに依って「喜び」も有るんです。解り会える可能性が高くな るって事ですから。 一杯書いて、一杯グダ巻いて、一杯グチって、それで、それで、相手の気持ちと 自分の気持ちが理解出来合えるなんて・・、とても良い。ねぇ。 イヤな時はイヤって気持ちを書けば良いし、別に気負って無くて良いんですよん。 自然と気持ちから湧いて出る言葉がシンプルで好き。 普通って言うものだって、実は凄い普通ぢゃ無い事が、折り重なっているかも知 れない。(^^; 更には、普通なんて「普通」は存在しないんじゃないかな。??普通もレッテル の一種かもね。 気持ち一つを書けば良いです。書き込む事が無いのよぉ。・・と、これで良いん です。 そこから、自分だって知らない「わたし」が見えるかも知れないもんね。(^ー^) 654/654 JAA02535 竹 3 号 RE:おひさしでしたねぇ。 (17) 93/10/24 23:23 652へのコメント  「もっと他の子みたいに普通のコトしなさい」・・・・・・・・・・・・・・・・ いったい何が普通なのだろうか?と。  私が小学校の頃、いや学生時代に至るまで、その普通のコトってあまり やっていなかったように思う。自分の波長に有ったコトばかり・・・・とまでは いかなくとも、それなりには遊んだりした。モノをこさえたり、どこかブラッと 一人旅にでたり、と。  他人から誉めて貰おうと、普通の事なんてどうだろう? ねずみさんは「ねずみ」さんであり、それ以外のものでもない。 別に肩に力まなくてもいいんじゃないの?自然体ですよ、自然体。 (それが一番難しいってか?!)  ヤツアタリも出来るうちが花だよって。クダ巻くのも結構。 (と勧めてどうする?<私)  「普通」という名の言葉に埋もれさせないで、心の曇を拭き取って、 その心眼を常に研ぎ澄ます事。難しいなぁ〜<私  なんだか自分に対して言っている様になってしまった。すみません。                      竹 3 号(ミーモ) 653/654 JBH02324 なえ 久しぶりのお出かけ (17) 93/10/24 22:17 いつぞやも言ったかどうか・・。今年は婦人会の支部長と言う「役職」を無理矢理 受けてしまってアセアセしている昨今のあたしではありますが、好運にも婦人研修 と銘打って、団体でお出かけしてしまいました。(^^; そりゃ堂々と昼間から出歩 けるなんて、久しぶりだも。シアワセ(^ー^)v なのよぉん。 (まぁ、でも、端から見たら、もろ「オバタリアン軍団」だったろうなぁ・・) 無論ではあるが、その一員をドードーと、こなしているあたしって・・一体(^^; あ、あたしの体格は「何れがダンプかブルドーザー」という格言には該当しないの で、あしからずご了承下さいまし。(^^; ホントカイナ?? さて、一路向かったのは「鞆の浦」という景勝地。広島の福山は南へ1時間という 歴史も古い港街でございます。 さて、こちらにはン年前も行っている「対潮楼」。知る人ぞ知る「有名な坊様」が 変??な言い回しで、延々としゃべるは「四季折々の日の出と月の出の移り変わり」 等など・・・。(言い方が爆笑もの) ただ、めっきりとお年を召されて「語り口」には少々の震えが・・。もう、今度来 る時には、いらっしゃらないかも・・。と(らら既に殺してしまった(^^;)感無量 ・・。(;_;) それが済むと、やおら沼名前神社を通って歴史民族資料館に。実は沼名前神社の祭 神はスサノオのミコト様なんです。八坂神社もそうだけど、実は、本家がこちらだ そうで、延起式(こいう字だっけ?)にも記載された古〜〜い神社。七五三のお祝 いを受ける家族連れが楽しそうに歩いていました。 そこから山道を登って民族資料館に、ここでは宮城道雄展の開催中で、使っていた 琴や爪や楽譜が展示してありました。そして外を見渡せば秋の夕凪・・・。お日様 に海面がキラキラして・・本当に「春の海」ってこの海を見て感じた事を唱ったん だなぁ。と感慨しきり。 そして、午後からは「広島県立歴史博物館」に。実は、最近、こいう風に、無意識 に興味をそそる事に触れる機会が舞い込んでくる事が多いのよねぇ。その展示物の 数々が・・・あ、よだれ ポタ・・ キタネェ! 古墳時代から現代に至る出土品と埋蔵物が所狭しと並ぶ展示場には唖然とするばか り・・。中でも圧巻は、金属性の刀や土器等など・・。手で触れる位に近い場所の ガラス一枚隔てた向こうにあるなんて・・・。感激。 (あ、お客様展示用のガラスに、その様に指紋をお付けにならないで下さい。)ベタベタ (あ、お客様、こちらでの写真撮影は禁止されております。ご遠慮下さい。)パシャパシャ らら・・奥様、先ほどから注意ばかりされてますわ・いやだわ・・おほほほ・・。 て事で、感動と、どとーの一日は終わったのでありんした。ヤレヤレ