- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/10/26 - 01001/01007 GDB00064 オリハル 千夜一夜物語 ( 2) 93/10/25 01:51 コメント数:1 千夜一夜物語を読みたいな。         オリハル 01006/01007 PBA02422 さはし 銀河鉄道999 ( 2) 93/10/25 22:57 01001へのコメント こんちは、オリハルさん。 #1001で千一夜物語ですか。(^^) #999を取った僕は、さしづめ 「銀河鉄道999」ですね。 そういえば、ディズニーのアニメ「アラジン」はとても好評だったみたい ですね。ご覧になりました? 01002/01007 JAB00735 ぱうわー RE:はじめまして ( 2) 93/10/25 07:53 00986へのコメント どうもはじめまして、ぱうわーといいます。私も同じくマックユーザー です。今じゃかなしいLCIIを持ってます。やっと買ってから1年と 4カ月ほどたちましたが・・・。 こうみえても(ってどうみえるのか)コンピュータの会社で紅一点で 楽しく働いています。だからといってコンピュータには詳しいとはいえ ませんが、よろしくお願いします。 ぱうわー 01003/01007 PGB01143 魔界のめーそん 有り難う 竹3号殿 ( 2) 93/10/25 08:38  竹3号 殿 お気遣い有り難う。        小生の糖尿を原因とする諸症の療養は既に5年余になり、       既に両眼とも人工水晶体です。        その昔BASICに凝って、しこしこと作ったソフトの       中で、糖尿管理ソフト(自分が糖尿に成る事を予測もしな       かった頃の作)だけが、今現役で活躍しているとは皮肉です。                           めーそん 01004/01007 KGB00212 たに 今では悲しい?LC「ユーザーさんへ ( 2) 93/10/25 22:13  ぼくにコメントをくださった、LC「ユーザーの「ぱ」なんとかさん〔すみませ んハンドル忘れてしまいました。(^^;))へ。ぼくのパワーブック165cな んかは、注文して4日後、手元に届く前に旧機種になってしまったんです〔┰ ┰)。 180cが出ることは前から分かっていたのですが、まさか165cと同じ値段で出 るなんて……。しかも、165cの価格改訂のおまけ付き。カルチャーショック!  これこそ、今では悲しい165cです(^^;)。とはいっても、180cと違って、 優等生ではないところがぼくと同じで愛着を感じます。なんだかんだいってとても気 に入っています。 01005/01007 PBA02422 さはし おめでとう〜>たまご ( 2) 93/10/25 22:54 01000へのコメント コメント数:1 祝!1000番!!! しかし、わたしゃ昔気質と言うか「999」とか「111」の連番の方が 好きなのでした。(^^;) 大昔、ニフの会議室が512までの発言しか出来なかった頃、色々なフォー ラムで、会議室全体を使ったお遊びが行われたものでした。簡単に言って みれば、会議室を使ったチャットみたいなもので。 大勢が一度に参加するので何番が取れるかなんて判らないし、フォーラム によっては、特定の番号(例えばトリプル)を取ると、ニフティ・グッツ などの景品が貰えたりして。(^^;) 新しいタイプの会議室ではこういう遊びもできませんねえ。。。。                              通信上の爺 さはし 01007/01007 KFD00473 たまご ありあとぉ>さはし ( 2) 93/10/26 00:04 01005へのコメント  さはしマスターが取っておいてくれたんで、1000番貰えたの。  常連には、いい酒を取っておいてくれるマスターみたいだね。  でも、これで居酒屋が新しくなるまでしばらく三桁がないってことは、 スリーナインも結構貴重だったのかも?(^_^;)  ま、いいや。   めざせ!フォーナイン&10000番 たまご - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/10/26 - 00283/00283 KGB00212 たに なんでしょね ( 3) 93/10/25 00:56 よく、わかりません - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 93/10/26 - 272/274 HGB02122 あもり RE:10/30連也さん初参加オフでーす(^^) ( 4) 93/10/25 12:44 265へのコメント  出る。 274/274 PFC02535 カナメ で、出るぅ。 ( 4) 93/10/26 02:37 265へのコメント  い、行くぅ。 273/274 GGD02212 Soo 10/30,仕事はオフになった。 ( 4) 93/10/25 22:13 269へのコメント  オフが仕事、という意味ではない。(^^;↑off duty: 当直を交代する事になったので、行けないこともなくなった。 初対面の人(特に女性)に大勢会えそうなら、行こうかなぁ…。  MOLYXさんが出るのなら、納豆の御礼に紀州の梅干し… 梅酒の方が良い?え?みれさんも欲しいって(^^)? Soo.(スウ) - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/10/26 - 01689/01691 JCC02647 とかち 少しは楽になりました ( 6) 93/10/25 01:05  昨日はとても嬉しかった。  入って半年にもならない自分にこれだけ心配してくれる人がいたなんて  今までの生活では考えられない事だった。  両親と兄弟の事で対人恐怖症になってたのかも知れない  だから最近のRTでの会話に違和感を覚えていたのかも知れない。  確かに今までと違うリズムで何かが動きだそうとしてるのがわかる。  今まで一人の人間にしか気を許してなかったが、  ここのRTでの会話で、素直に人と接する気持ちができる気がする。  確かにまだ大切なものは見えてこないが、昨日のRTの前より  大切なものがすぐに見つかると信じれるようになった。  昨日のRTに参加してくれた人に感謝したい。  感激しすぎで、CRTがみずらいが本当にありがとう。  なんか、心の中の重たいものが軽くなっているみたいで  そこにみなさんのあたたかい気持ちがとどまって  それが溢れて涙にかわったような気がする。  一部悩みはあるが、此処でみんなと話してると  簡単に解決しそうな気がして、後少し頑張ろうと思えてくる。                      とかち 01690/01691 GHF01210 Zap! RE^2:富士山 ( 6) 93/10/25 05:00 01685へのコメント 「竹取物語」が書かれた頃は、富士山は活火山でした。 01691/01691 GBG02043 維/YUI ごめんしてねっ!>九十九さん。 ( 6) 93/10/25 22:14 01668へのコメント いや〜〜〜、せっかく襲撃していただいたのに、返り討ちにもできませんで・・(^^;;) こんどは、”あんぱん”と”月餅”の交換でもしませう〜〜 (^^;)(^^;)(^^;) お菓子かえたかな?(笑) 維/YUI - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/10/26 - 204/207 GBD03557 シゲ RE:コンタクトレンズに変えて ( 9) 93/10/25 22:17 203へのコメント 僕はもう19年コンタクトをしています。 当時はソフトレンズが出て間もない頃だったので小学生には勧められない とのことでハードです。今はTAOさんと同様に酸素透過性のハードです。 : 面倒なのは、風の強い日にほこりが入ると、痛みが強くて我慢出来ず、 : レンズを再洗浄してつけ変えなければならないこと。これが外出中だと : 喫茶店のトイレや公衆トイレを使わなければならなくなり、さすがに : 気恥ずかしいものもあったりする(_ _;)。 コンタクトをしてる人は多いのですからそんな気にしなくていいと思いますよ。 誰もがやってることですから。 ちなみに僕はゴミが入ると外して口に入れ、唾付けてまた目に入れます。(^^;) 参考までにゴミが入ったら痛いのを我慢して目をつぶり、眼球を左右上下にぐるぐる すれば治ります。但し、目に良くないかもしれませんが19年間やってて大丈夫 なんで平気でしょう。わはは。 : して見えないのであるが(^^;)、コンタクトをつけて鏡を見ると、「オオッ : コンナカオ ダッタノカ ケッコウ シセンガ キツイナ」と改めて感心 : したり(^^;)。 長年コンタクトやってて、裸眼で0.02のシゲちゃんとしてはメガネをかけて 鏡に向かうと変です。メガネの部分だけ顔が小さく見えるんですもの。 視野は狭いですしね。画像は歪むしクラクラするし・・・ コンタクトはシゲちゃんの必需品の一つです。 でわでわ。 205/207 GBD03557 シゲ ケツに電極ぶっこんでよぉ! ( 9) 93/10/25 22:18 コメント数:2 まぁ、今月の10日にめでたく結婚したんだけどさぁ、そうも浮かれてられない訳だ。 何がって、アレも当然麻痺してるから子供が作れるかどうかわからないんだよ。 勃起はするけど射精はしないんで病院で検査しないとなんないんだわな。 その検査っていうのが、肛門から電極突っ込んで刺激して精液を抽出するって訳だ。 幸い僕は感覚不全で前述のように勃起するから(って、頚髄損傷の場合、脊髄損傷よ り受傷部位が上で、体の自由が利かない割には支配神経の関係で勃起するのは当り前 なんだけど、他の頚損よりも健常者っぽく普通だってことだよ)まぁ、精液は残って るんだろうけど確定は出来ないし、当然数も少ないし、精子の元気さも普通の人より は大幅に落ちるのは当り前だわな。 で、来月の11日にその検査するんだけど今オロオロしてるんだわさ。 もちろん[子種がなかったらどうしよう...]っていうことですわ。 これでも親馬鹿パパ予備軍なのは間違いないから(誰だよ、そこで笑ってる奴は) パパになれないなんていったらマジでノイロ−ゼもんなんだろな。ノイロ−ゼになる くらいで済めばいいけど...ってくらいかな。 と、まぁ、憂鬱の今日この頃なんだよね。 これで無事に精子があったらヘラヘラ気持ち悪いんだろうね。 なんせプリプリのパパ(プリンセスプリンセスのパパという唄)を聞くだけで目が ウルウルしちゃうもんでねぇ。 おっと、TAOさんの部屋向けの発言がただの愚痴になってきちまったんでこの辺で。                                                                           シゲ 206/207 JAA02535 竹 3 号 RE:ケツに電極ぶっこんでよぉ! ( 9) 93/10/25 22:54 205へのコメント  確かに肛門に刺激を与えるという事は、恐ろしい事でして、気絶するくらい な気がします。  私とてその付近のオペを受けたときは、もうとびあがらんばかりの激痛で、 そりゃもう、「なったひとでないとわからへん」でした。(^^;)  だから、シゲさんがアセっているのもわかります。 でも・・・・・・・・・、それって一時だけ我慢すれば言い事。痛いと感じるのは、 生きている証拠。それに、パパになろうとしているのなら、その痛さは 「生みのくるしみ」位と思わないと。(女性ってすごいよなぁ)                              竹 3 号(ミーモ) P.S 写真とどいた? 207/207 KFD00473 たまご やっぱりここは病気自慢部屋!? ( 9) 93/10/26 00:05 205へのコメント >>これでも親馬鹿パパ予備軍なのは間違いないから(誰だよ、そこで笑ってる奴は)  笑わないけどさぁ、  親になる前の前の前くらいの段階で親馬鹿やってるって、(注1)  なんだかソーゼツなものがあるなぁ。  で、子種が少なかった場合は、流行の人工授精とか、けんび授精(字がわからん)  とかするのかなぁ?  しかし、当人が深刻なほど喜劇となってしまうのは、世の常であるから、  致し方ないでしょう。           たまご 注1:前の前の前とは、当然、することするとか、妊娠だとわかるとか、    妊娠期間に様々なドラマがあるとか、実際に出産があってパパの    実感を持つとかの一連を言う。 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/10/26 - 00739/00742 GGA02514 KAZE 因果の階層的視点など (13) 93/10/25 17:15 00737へのコメント コメント数:1 隆ちゃん、どうも。 「ぎんなん」といえば、僕はこの時期になると「椎の実」が恋しくなります。 たくさん拾ってきて炒って食べるんですが、この香ばしい味は格別です。 残念ながら、もう十年以上も食べる機会がないですねえ。 季節の恵みというのは、こうした毎年のさり気ないことのなかで 実感できるものなのですが、それが年々乏しくなっていくのは、悲しいものです。 >人が百人百様であるのと同様に宗教も個々人でそれぞれにあり方が違うはずだという >思いはあながち間違いではないのではないかと思ってしまいます。 「真理」というのは、富士山がひとつであるように、ひとつなのですが、 その見方、登り方、描き方というのは多様なもののはずです。 僕は日頃から、多くの論争というのは、自分の見方を絶対化しているだけのことである と感じていまして、狭い視野をそんなにさらけだしてアホいうんじゃない! なんて憤ったりすることもありますが、 また、どう考えても、富士山ではない山を富士山だと勝手に呼んでいる方もいて それについても、どうにかならないものかなあ、と思っています。 もちろん、視野がそんなに広いともいえない僕からみてさえそうなのですから、 そこらへんの状況というのは、やれやれ、というもののようですね。 >僕はこの「ルシファー」という響きが非常に好きで・・・ そうですね、僕もルシファーというの、かっこいいなあ!と思ってます(^^)。 シュタイナーの出していた雑誌に、 「ルチフェル=グノーシス」というのがあったのですが、 そのルシファーの意味というのを単に「悪魔」のように見てしまうのは 悪い意味での宗教的ドグマなのだという気がします。 シュタイナーは、真のキリストのことを「光のルシファー」とも呼んでいます。 問題は、「光の」というところにあるのです、 「光のルシファー」がいるということは、「闇のルシファー」がいるわけです。 キリストは、愛をこの地に降ろす者ですが、その前提として、 人間に真の自由を与える必要がありました。 それを表わ%烽「るのが「ルシファー」ということなのです。 ィもちろん、「自由」には「光」の側面と同時に「闇」の側面があります。 通常のキリスト教でいわれるルシファーは、その闇の部分だけでしかありません。 もちろん、その自由にともなう危険性の部分に対する宗教的配慮が高じたのでしょうが それだと、宗教から「認識」がなくなって、「阿片」になってしまうんですよね。 >人間が神様(宇宙)の鏡であるというより、僕の意識はこの世の全現象の鏡である >というか、僕の心の中に発現する感覚こそがその鏡であろうと思われます。そして、 >他の人もきっと同じように宇宙を反射する鏡としての心を持っているのでしょう。 それが、ミクロコスモスとマクロコスモスの照応ということでもあるのですが、 この宇宙は、大宇宙と小宇宙が相照らし合いながら発展している、というのが 僕のいちばん基本的なイメージでもあって、 カズタマの部屋でいろいろお話しているのも、そこらへんの展開なんです。 僕のカズタマに対する基本的な考え方も、そこらへんを基軸にした 「階層」的な「反射」ということなんです。 >例えば、天に唾するとそれが自分に降りかかる訳ですが、唾する前に降りかかる事 >(因果の因と果が逆になる事)があるのだろうかと思います。もしあるとすると、 >唾する事が最初から決まっていて、あらかじめ先に降りかかってしまうとしか僕に >は理解できなくて、それこそ「運命」の影を感じてしまいます。 そうしたことを考える場合にも、やはり「階層」的に考えないといけないんです。 「天に唾する」前には、そうしようという「思い」があるんですよね。 ある意味では、その「思い」の世界では、実際に唾する前に、 すでに降りかかっているともいえます。 この3次元的な現象世界では、時間というのは物理的な進行しかもたず、 直線的ですが、たとえば、「思い」というのは、物理的な制約を離れたものです。 「身・口・意」というのも、運命を多次元的に創造するという視点でみれば ちょっと面白い視点が得られるんではないかな、と思います。 「天に唾し自分に降りかかる」というのは「身」の世界ですが、 それを「言葉」で行なう場合と、「心」で行なう場合というのは ある意味では違った次元で、その違った次元のすべてを 自分の真我でコントロールできれば、「果」というのは、創造可能です。 また、異なった視点でいえば、映画のフィルムをイメージしてみてください。 映写されるフィルムは1秒何コマというコマでできています。 真我というのは、映写されるフィルムを創っている者のことです。 自分で創造した映画を自分で映しているのですから、因果というのは、 それを見る視点で異なりますが、因果の「場」というのは変わりません。 コマの順序はあれこれ見る順番を変えることができるということですし、 気にいらなければ映画を撮りなおす自由も「真我」にはあるわけです。 ですから、「運命はあるけどない」というのは、 その視点次第で、どっちにしても創造的にとらえられます。 ついでに言っておきますと、いわゆる世で大きな仕事をすることになっている人ほど その「運命」というのは自分でかなりの部分まで決めてから生まれているそうで、 その反面、なんだかわからないでこの世に輪廻の輪として放り出された方ほど、 そんなに決めてでていないから、自由度が高いということを聞いたことがあります。 もちろん前者の方を「真の自由」といい、後者の方を「わがまま」というのですが(^^;; >悔やまないというのも、無駄な事で悔やまないと言うべきでしたか、要するに諦め >によって無駄なものが切りとれるから「楽」なのだという事です。愁いとか悔やみ >とかを全部切ってしまうのは、まずいですものね。 もちろん、最初から隆ちゃんのそうしたスタンスはわかってて、 僕自身の「諦め」に対する自戒という意味で、ちょいとこだわってみたのですが、 そういう隆ちゃんの「楽・観」というのは、僕の「脳天気」というのと同じですよね。 悔やんでも仕方ないことを悔やむのは、無駄だ!ということで、 「明日できることを今日するな」ということもそういうお気楽観のようです(^^)。 ただ、ここんとこ不調だった自分のことを振り返ってみても、 本当にいろんなしょうもないことを悔やんでいたようで、 なかなかそれをちゃんと実践するというのも難しいようです。 ここんとこの不調な感じも、おかげさまでやっと今日あたりからいい方向にいきそうで 今日は幸先よく、先日CMフェスティバルに出品していたCMが、 運よく優秀賞に選ばれているという通知がきたりしていて、機嫌をよくしています (^^)。 話は極端で、ここんとこトラブルづくめの仕事が、 今日はうってかわってスムーズに進んでいるなど、 「運」の流れというのはあるんだなあ、と実感しています。 ただ、地道にちゃんとがんばることがなければ、いい方向にいきませんから、 やはり、一歩一歩山道を歩いている感じでがんばっていたいものです。 >そういえばKAZEさんと僕は生年数が同じだから、今年は仲良く破壊数の歳なんです >ね。僕の経験と先日の岳同さんの指摘から考えると、破壊数の翌年に大きな転機が >やってきています。 ううむ、確かに今年は超大変な年ですが、 自分のがんばった分だけは、確実に成長できているかもしれないと感じています。 破壊数に限らず、見た目ではなく、自分の納得できるという意味で、 どれだけがんばれたか、その後の進展のあり方を決めるのでしょうね。 振り返ってみれば、こうして、日々、隆ちゃんとやりとりを続けるなかで、 僕もいろいろ着実な歩みがあったなあ、と思いますねぇ。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00741/00742 JBH00742 スサノオ RE:因果の階層的視点など (13) 93/10/25 21:19 00739へのコメント コメント数:1  KAZEさんへ  こんにちは。こちらに書き込むのは久しぶりになります。  KAZEさんは椎の実がお好きなんですね。  以前椎の木の花について書き込んだのを覚えていらっしゃいますか。  松山城趾の勝山の森には椎の木があるそうです。  (私は学生時代二度ほど行きましたが記憶にありません。)  何でも黄淡色の花に朝日の輝く様子はとても美しいそうです。  やはり美しい「花」からこそ豊かな「実」が成るのでしょうね。  また伊予の松山には伊予小富士と呼ばれる山があるそうですね。  よく考えてみれば富士と名の付く山は全国各地にあって  夫々がやはり個性を持った美しい富士なのですね。  もちろん日本の象徴としての物理的な富士(山)はあるのでしょうが  朝日は分け隔てなく夫々の富士に注がれます。  シュタイナーの「ルシフェル=グノーシス」説は興味深いですね。  原始キリスト教団ではグノーシス(知慧)が生きていたのに  神学を主流とする派がこれを追い出してしまったと聞きます。  常に歴史は敗者を異端とし知慧は埋もれてしまったのかも知れません。  ところでこの間弓道について話があったと思います。  ついコメントするタイミングを逸してしまったのですが  小笠原流などの弓道には矢で的を居抜くのに  「矢叫びの声」という技法があり「太平記」にも記されているそうです。  蛇足ながら、何かの参考まで。                            スサノオ 00742/00742 GGA02514 KAZE 光明荘厳としてのルチフェル=グノーシス (13) 93/10/26 00:50 00741へのコメント スサノオさん、おひさしぶり。 椎の木の花の話は覚えているような気がします。 でも、僕は椎の実は大好きですが、食用にするのに気をとられて、 椎の木の花はそんなに覚えてないんですね、残念。 この季節になると例年、山などにいかなくても、 実りのイメージがいっぱいになるはずなのに、 今年は太陽の恵みが少なかったせいか、実りっていう感じが希薄ですね。 先日から、どうも太陽の光も普通とは思えなくなりましたし。 ものの話によると、今は、日月地のうち「地」が情けない状態らしくて(^^;; シュタイナーの宇宙進化論でも、太陽紀は「強さ」、月紀は「叡智」、 そしてこの地球紀には「愛」というテーマがあるそうですが、 やはり今は「愛」が、「与える愛」ではなく、 「むさぼりの愛」になってしまっているのかもしれません。 悲しいことに。 >原始キリスト教団ではグノーシス(知慧)が生きていたのに >神学を主流とする派がこれを追い出してしまったと聞きます。 >常に歴史は敗者を異端とし知慧は埋もれてしまったのかも知れません。 なぜ、「グノーシス」ではなく、 「ルチフェル=グノーシス」なのかというのが大事で、 グノーシスというのは、古代の秘儀としての叡智なんですね。 ですから、一度そのグノーシスは追われる必要があったわけです。 そして、追われたそれが、変容してまた現れなければならなかった。 智慧は埋もれて、それから単に発見されたのでは無意味で、 それをまったくあらたな衝動として蘇らせなければならなかった、 というわけです。 シュタイナーによれば、キリスト事件以降、 この世を牢獄、物質世界を不浄のものとする叡智のあり方から変容し、 物質世界そのものを「霊化」しようとするのが、 新しい秘儀の道として開かれるようになったのだそうです。 つまり、仏陀はこの世を「苦」の世界としてとらえ、 そこからの解脱という意味での悟りを説きましたが、 その叡智は、キリスト事件以降、光のルシフェルとしての愛の働きにより この物質世界そのものを光で満たそうという衝動へと変容したのです。 諸行無常、諸法無我による涅槃寂静だけではなく、 大乗的な光明荘厳という方向性が現代の課題として与えられている、 というわけなのです。 そういう意味でも、「真のスサノオ」は、この物質世界を 「愛」の光で貫き、真に霊化されたものとしなければなりません。 スサノオさんも、そのハンドルネームを使う以上、 愛の光明荘厳で叡智をメタモルフォーゼさせることを 課題にされているのだと、そう感じさせていただいています(^^)。 僕も微力ながら、「KAZE」として光を少しでも運べればな、 と、そう感じている今日この頃なのであります。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00740/00742 GGA02514 KAZE 「汝自身を知れ!」ということですね。 (13) 93/10/25 19:10 00738へのコメント DIRACさん、どうも。 >私は、「人生とは徳と因縁の戦い」という言葉をよく耳にします。 >カルマは、徳で軽減することが出来る−−−−−−−。 >運命−−−実は、そういうことらしいのです。 「運命」というのは、表面意識ではどうあれ、 結局のところ、自分で創造しているわけなので、 問題は、それを神に向かう方向性で創造するか、 それともそれに反する方向性で創造するか、なわけです。 神に向かう方向性が「天の倉に徳を積む」ということで、 そうでない方向性が、マイナスの意味でいう、カルマの累積なのでしょう。 カルマというのは、「果」を生みだす「因」の基盤のことですから、 プラスのカルマというのが「徳」だともいえます。 要するに、「善因善果」ということですね。 「因縁」というのは、単に原因と結果の連鎖のことですが、 それを否定的にとらえるというのは、それが「立命」ではなく、 「宿命」として否応ないものとしてとらえる場合でしょう。 「徳」というのは、そういう意味では、「立命」によって 自分のあり方を創造うるということと深い関係を有しているようです。 >「徳を積むと何が得なのか」を現象(状況)として実証して頂かないと >納得できないんですね。 ううむ、これは自分の足元から、善因善果を実感していかないと、 なかなか納得できないのでしょうね。 僕は、以前、短期的カルマの実験と称して、 「悪い想念で悪い行いをして悪い結果を得る」こととその反対というのを かなり意識的に現象を観察したことがあるのですが、 これが思ったより以上に、悪因悪果、善因善果ということが実感できました(^^;;。 けっこうこれは、壮絶な結果が出まして、悪いことはできないものです(ーー;)。 ですから、わざわざ神秘的な妙なことを試さなくても、 日々実感できることというのはかなり多いと思います。 問題は、その善因善果、悪因悪果ということを反省的に、 ちゃんと感じられるかどうかということなのだと思います。 そういうことがわからないから、妙な超能力でしか実感できなくなるでしょう。 結局のところ、「大乗利他」というのは、ちゃんと「利自」の部分に 基礎がないと、妙なマゾになってしまう可能性もありますから(ーー;)、 日々の実感から大乗利他へという方向の大切さを忘れたくないものです。 >私は、おこりっぽいそうです。自分では、全くそんなことおもっていなかっ >た。気づいていなかった。本当かな??? と疑問に思うんです。 >でも、多々そうおっしゃる。だから、そうなんでしょう。 >鏡に映った自分の姿。謙虚にうけいれよーーーと。 つまりは、正しく自分をみて、謙虚に反省できるということが ちゃんとできるかどうかということなんですね。 「大乗利他」なんていう前に、自分の足下を見つめよ!ということなんです。 もちろん、僕もそのことの大切さを実感しはじめたのはつい最近で、 いまだにぜんぜん実践できていないんですが、 とにかく、「汝自身を知れ!」というのが先決だということは 忘れてはいけない、と自分に言い聞かせている毎日です。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/10/26 - 01477/01480 GGD02212 Soo RE:Re:RE:★カイン… (14) 93/10/25 10:45 01469へのコメント  かまってくれてありがとう。(^_-;>星也さん  #01469に対して特に異論はありません。  私が関心があったのはカインのように神から不平等な扱いを受けている (と思い込んでいるかもしれない)人が抱くであろう心理、人生観です。  例えば、無脳児の親は(こんな処でまた蒸し返してすいませんがー_ー;) 憤って神を怨むのだろうか?最初から神を信じない人は怨みようが無いか …自分にだけ都合の良い神様を信じてた人が怨むんだろうな…とかね。  悲劇の当事者になった人の感情は、理知的にコントロールできる場合と、 そうでない場合がありますよね。・・・  #01467に「神のすることには理不尽さ不可解さは付き物」と書きましたが、 (絶対的な)神を信仰する人にとっては、神様のなさることを理解できるか 否かを問題にすること自体、罰当たりなことなんでしょうかね…。  ARIONは自分のことを「絶対とか相対とかではなく『ただある』のだ」 とか言ってたなあ…。(「自分が神だ」とは言ってないよ>誤解したがる人)  「…相手が 本物 と知っていたからこそ彼は憤った…」(#01467)は、 カインの供え物を顧みなかった神が 本物 であることが前提になって いました。「…本物と思っていたからこそ…」と書けば十分でしたが、 口が滑ってしまった。~~~~~~(私はどちらでも良かったのだけれど、 旧約聖書そのものを信じない人には『思って』と解釈してもらおう。) (聖書が文字どおり『事実』であろうと無かろうと、そこに描かれた 『真実』を読み取ろう、という立場から述べさせていただきました。) Soo. 01478/01480 GGD02212 Soo 朝靄 (14) 93/10/25 10:45  早朝田舎から市街へドライブの途中、霧が視界を遮る。 朝靄モヤ…霞…次の一節を思い出した。(以下三行引用部) | 九、 櫛型の木立の三番目 波形の光の向こう |    岸に近く 葦の立つところ |    水際に たなびく霞を見つけよ  詩的メッセージには詩的解釈と洒落てみたくなる。 *   川は浄化の磁場 龍の道   岸に立つ葦は洗礼者の標   霞の微粒子一つ一つに、大地の精霊を宿し   歩む者を誘うのか 歩まぬ者を惑わすのか *  木は地から天を仰ぐもの(人)  櫛型の木立:奇し方の子達? クシ=94=13=36の第三子?  その者が現れるのは、  波形の光の向こう…ナミ=73=10=21の年・月・日以降?  霞たなびく川岸に立っていたのは葦ならぬブタクサだった。クシュン! Soo. 01479/01480 TBD00623 SUBUDH 「ヒ」 (14) 93/10/25 17:21 「ヒ」で思い出すのは半村良氏の「ムスビノヤマヒロク」だ。                          SUBUDH 01480/01480 GBG02043 維/YUI ぬりかえられていくもの (14) 93/10/25 22:15 横浜に引っ越しして。2週間が過ぎて・・・。 (・ ・)ョ オヒサノ、メッセージデショ? 世田谷区・杉並区と、住宅街に住み慣れたせいもあって、横浜のビルに囲まれた 大通りに近い鉄筋コンクリートのかなり上の階というのは、かなり異質です。 まず街中を歩いていて、明らかに「土の臭い」がしない。 公園があったりするし、 木も街路樹というのが、かなりたくさん植わっているけれど・・・。 土がみえるところでも、とても希薄な感じで土自体が街になじんであなあような イメージです。 が・・・しかし・・・。 そんな中でも昔より会った場所、少し離れた町角には、「土の臭い」あります。 たとえアスファルトで道路がおおわれていても・・・。 ビルとビルの間にも、そういう所は時々あるのです。 なんなのかと、想いをめぐらしていました。 思い付いたのは、もともとのそこの土と、その上に生きてきた人々のつながりが あるとないとでは、違うだろうこと。 昔からの横浜とかの姿と、その上に波に乗って創られていった街の姿。 昔からの 流れとは別におおいかぶさってきたようなものがあるのではないかと・・・。 言葉は悪いけれど、”乗っ取られた”というようなイメージ。 そういえば東京についても、昔から代々東京に住んでいた人々の東京に対する感覚と マスコミやら雑誌やらに載る東京にはギャップがあるという話もありましたっけ。 土とそこに根付き生きる人とのつながり。 かなり薄くなっているのかなぁ〜〜〜、もしかして。 横浜に縁あって住む事になった私は、できるだけその土の声をきいて生きていきたい なぁ〜って思ったのでした。 (たまたま、家の近くのあやしいバイク屋さんで出会った人と話をしていて、 思い付いたのでした。) 維/YUI - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/10/26 - 367/369 JBH00742 スサノオ RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/25 12:48 366へのコメント コメント数:1  松川 議長へ  う〜ん、これは参った。  天狗の鼻がポキリと折れた。  ところで私には心から尊敬する師がいます。  その師がもし私に「死ね」言われれば  「喜んで死にます」と心に常々誓ってきたつもりでした。  ところが数日前に師が私に「死ね」と言われた時  私は非常に戸惑ったのです。  私は師の言葉を疑っていませんし  死そのものに対する恐怖もないのですが  やはり肉体を持つ身である以上、苦痛が予想されたからです。  これはもう自害用の短刀を買わなければいけないと思いましたが  辺りを見回してもお金がない(^^;)。  そこで「魂(こん)」で刀を作り肌身に付けることにしました。  ところで議長は人生の試練や苦しみについて言及されましたね。  私はそれらは人にとって必ずしも必要であるとは思いません。  人は苦しみに打ち勝つほど強いものでしょうか。  肉体の存在を抜きに苦しみを語ることは不可能でしょう。  もし肉体がないのなら、食べなくても済みますし  寝なくても済みます。またセックスしなくても済みます。  やはり本来人は喜びを表現すべきではないかと思うのです。  これは大変危ない言い方かも知れませんが  私は苦しみというものは人自らが作り出した  「ある種の規制」により存在していると想像しています。  その規制が解除されるまでの間、自ら苦しむべきは  「長(おさ)」の付く人間だけで結構だと思うのです。                         スサノオ 368/369 GBG02755 すまる RE:勝負(しょうぶ) (15) 93/10/25 17:14 367へのコメント おさの名のつくものだけが苦しめばいいのかぁ。 そりゃあ、楽だよね。 で?あなたは苦しまない方の人間?                     すまる P.S そんな悠長なこといってらんないでしょうが・・・ 369/369 GFB00026 一輝 寸評:勝負について (15) 93/10/25 18:47  寸評:  他者との戦いは、時と共に過ぎ去りゆくものを対象としていますが、  私にとって本当に戦うべく困難な相手は、この自分自身ですね。  自分に負けたから嫌だと、どこへも逃げられないし、負けたまま放置もできず、  誰が慰めの言葉を懸けても、これだけは自分自身が納得しません。  逃げても逃げても、勝負の全てを知っている私は一緒に居ます。  その場だけうまく取り繕おうと、他者と旨くやり過ごしても、  本当の私は、「ふふふ、まだ私との勝負は終わっていないだろう…」と、  後でムクムクと目を覚ましてきてしまうのです。  勉学での敗北、仕事での敗北、恋愛での敗北…、  一見他者との相剋に見える戦いの結果が、実は自分自身との葛藤の顛末であった、  ということはないでしょうか。  自分がこうしようと決めたことを翻したり、  相手との約束であれ、自分自身と約束したことを裏切ったり…、  を少しずつ繰り返しているうちに、  いつの間にか自分自身に敗北してはいないでしょうか。  それを認めたくなくて、自分の都合勝手に戦うべく対象と仕立て上げた他者へ、  事の責任を覆い被せておいて、自分自身と直面する戦いから逃げる…。  良くないことだと、心のどこかで思っているものだから、正当化を試みようと、  無理やり言い訳がましい理屈を周囲の人々に弁明してみたり…。  誰も何も言っていないのに「私は万引きなんかしていませんよ…」と、  釈明しているようなもの。  こういった日常を、曖昧にしがちな自分自身の中によく視るのです。                                     一輝 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/10/26 - 655/655 JBH00742 スサノオ RE:久しぶりのお出かけ (17) 93/10/26 00:13 653へのコメント  なえさんへ  らら、こんにちは(^^;)。婦人会ご苦労様でした。  FARIONも掛け持ちされているのにそのパワー!  いやはや私共軟弱な男性陣は只ひれ伏すのみでございます。m(_ _)m  ところでスサノオの名前が見えたので調べてみたのですが  私の資料には沼名前神社の祭神は大綿津見命となってました。  スサノオは一緒に合祀されているのでしょうか。  (ちなみに登録されている書物の名前は「延喜式」です。)  ハンドルがスサノオだけにちょっと気になったもので(^^;)。                         スサノオ - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/10/26 - 195/196 JBH00742 スサノオ 呪法について (19) 93/10/25 22:20 コメント数:1  道教、陰陽道の霊的系譜は現在日本では  かなり間違った取り扱われ方をしている。  本来人間を霊的向上に導く為のものであるのに  何故かそれらの本は呪法とか霊符の記述で一杯だ。  信じたくないがそれだけ需要があるということなのか。  それは面白半分にやっても必ず自らに返ってくる。  某かの個性を動かしたからには代償が必要だ。  つまり蒔いた種は刈り取らねばならぬのである。  繰り返すが絶対に呪法に近寄るべきではない。       ^^^^^^^^^^^^^^^  通常霊符を作成する際は特殊な「茶墨」で行うらしい。  また人形(ひとがた)を用いるとこともあるらしい。  (※詳しくは知らない…。)                      スサノオ 196/196 UPP00362 連也 RE:呪法について (19) 93/10/25 22:39 195へのコメント スサノオさんは近寄ってないの?