- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/11/04 - 01065/01067 GBD03557 シゲ 以下のものは・・・ ( 2) 93/11/04 19:30 最近、以下の言葉が多々使用されています。 これは、 GBD03557 シゲの「登録笑標」なので使用の際は必ず 「(C)1993 シゲ」と、入れるようにしてください。 対象となる言葉 「FAYASHII」「FABUNAI」「FKIKEN」「FBINBOU」「FBUSAIKU」 シゲ 01066/01067 JAC03213 ぽん RE:ジンクス考 ( 2) 93/11/04 21:56 01051へのコメント  井の頭公園(吉祥寺のそばにある)でアベックでボートに乗ると別れるという話は 東京では知らない人がいないくらい(?)超有名です。  中学生の時、これを実証するべく一番仲の良かったカップルを実験台にした所 見事に別れてしまいました。(^_^)    ちなみに、私の友人Hは、彼女と海でボートを楽しんでいたところ、潮に流されて 沖合いで救助されたというおおばかものです。  (みんなからは”ボートの上で○○してるからそんな事になるんだ”と叩かれてた)              大学に入るまでは東京(の田舎)に住んでいた ぽん 01067/01067 KGB00212 たに ぱうわーさんへ ( 2) 93/11/04 22:44  前回はぱうわーさんのハンドルを忘れてしまい、「今じゃ悲しい」などとい う表現を使ってしまい申しわけありませんでした。あれ以来、ぼくにコメント をくださった方はいちいちメモをとるようにしました。  それからもうひとつ。知らず知らずのうちに、ぼくのパソコンの独特の記号 を使ってしまいました。ごめんなさい。「LC」の後の文字は、ローマ数字の2 です。これは、ことえりの文字パレットからひろったものです。「旧機種になっ てしまったんです」の後は、いわゆる泣き顔で、これもことえりの文字パレット からひろったものです。特に泣き顔などは、あちらこちらのフォーラムで使って  しまいました。多くの人が「なんじゃあ、こりゃあっ」と目をむいていると思う と冷や汗三斗の思いです(^^;)。今考えたら、こういうときのためにシフト JISコードがあるんでしょうね。 - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/11/04 - 00301/00302 JBH00742 スサノオ ターちゃん ( 3) 93/11/04 20:31 コメント数:1  ふと、人から本を紹介してくださいと言われたとき  自分が自信をもって薦めるような本があるのだろうか  そんなことを思い、辺りを見回してみた。  しかし机の周りには読みながら眉間に皺がよってしまう(~_~)  そんな固い本しか置いてないのだった。これは何と一大事である。  そこで脳味噌を柔らかくするために漫画(アニメ)を研究することにした。  …と、言い訳はこれぐらいにして(^^;)  時たま夕食を食べながら目に入るテレビのアニメに  「ジャングルの王者ターちゃん」がある。  私は大自然を守るために戦うターちゃんを応援しつつも  実は彼のお嫁さんのジェーンのファンだったりする(^^;)。  何と言っても番組の最後に彼女をバックに流れる曲は  何度聴いても胸にジーンと迫ってくる。  う〜む、こんなことを書くのはゴレンジャー以来か(^^;)。                           スサノオ 00302/00302 GBG02755 すまる RE:ターちゃん ( 3) 93/11/04 21:22 00301へのコメント ジャングルの王者ターちゃんは私も大好きです。 なんともいえない、優しさが伝わってくるんですよね。 アニメでお奨めなのが、古いですけど、 「パンダこパンダ」です。 じぇったい、元気になれます! おおらかな、優しさにあふれた、あどけない、素敵なアニメです。 あたまの硬くなった方にお奨めしてます。                             すまる - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/11/04 - 01739/01742 GBG02755 すまる ありがとう・・ ( 6) 93/11/03 20:43 ありがとうは別れの言葉。 あなたに心の底からありがとうが言えたなら、 あなたは私の中からいなくなる。 思い出の中に住む人となる。 短いような長いような、この一生の ほんのわずかな出会いなのかもしれない、 ほとんどを占める出会いなのかもしれない。 だけど、ありがとう・・・ そんな言葉があなたに聶けるとき、 きっとあなたは思い出の中ね。 そんな、短いような長いようなひとときの出会いに 私はあなたにすべての愛を惜しむ事なく伝えたい。 何一つ惜しむことなく、私の真心を尽くしたい。 あなたが私に下さる優しいひとときを ただただ、受け取ることだけを私の義務として、 喜び溢れる笑顔にしてあなたに返す。 甘えて甘えて、どこまでもあなたに甘えて、 心が満たされて、いっぱいになったら、 きっとあなたにありがとうって言うのね。 ささやかな優しさにありがとうって。                    すまる 01740/01742 GDB00064 オリハル RE:50 OFF ( 6) 93/11/03 21:35 01738へのコメント コメント数:1 /スサノオさん、どうも。 | 追記の意味は特に「逆カ・ナ・オ」に気を付けてください そのためには「ハラマキ」が必要でしょうか? | ☆梅★の食べ過ぎにも気を付けてくださいね。(^_^) と、突然、ウメボシですか。そういえば、ウメボシはここ2〜3年、口にした記憶が ないよ。今日は、全く久しぶりにウメボシを食べました。 スサノオさんもバナナの食べ過ぎに気をつけて下さいね。                               オリハル 01741/01742 JBH00742 スサノオ RE:50 OFF ( 6) 93/11/03 22:39 01740へのコメント  オリハルさんへ  「ハラマキ」は温かくていいですね。  でも私は「晒し(さらし)」をお勧めします。  オリハルさん、ウメボシではなく☆梅★です。お間違えの無いように。  ウメボシは美味しいですよね。私は良く食べます。  久しぶりに食べたのなら、それこそお腹に気を付けてください。  バナナですか。蠱(こ)れはまいりました。  ポストハーベストが怖くて(^^;)最近食べてないのです。                            スサノオ 01742/01742 GCC03437 星也 差別 という言葉 ( 6) 93/11/03 23:50  今日、折口信夫(オリクチ シノブ)の本(筑摩書房|ちくま日本文学全集)を 読んでいたら、「差別」という言葉に「けじめ」というルビが振ってあった。  なぜか、その響きが 妙に新鮮に思えた。 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/11/04 - 01569/01573 GBG02755 すまる ご褒美をありがとう。 ( 7) 93/11/03 20:44 ARIONへ   (だけど、独り言) 人を生きると言うことは、どんな理屈でもわからない「悲しみ」があるね。 人を愛して、人を憎んで、喜んで、悲しんで、 一生の間にささやかだけど、いっぱい思い出詰め込んで。     後悔しない人生を!     ありがとうの言える人生を!      そう祈りながら、毎日を過ごして行くよ。 いったい何人の人を傷つけ、悲しませ、喜ばせ、いたわって行くのだろう。 明日、私は誰と過ごしているのだろう。 その人はこの私を喜んでくれるだろうか? この私の喜びを運んでくれるだろうか? ときめきと、不安を抱きながら、待ちこがれているよ。 どんなときも、ただ、この私の心のままに、 この心に届いた愛のままに、命を生きるしか出来ないね。 明日、悲しみが私を待っていようと、 のたうち回る苦しみが待っていようと、 私の命のわけを信じて、生き続けることしか出来ないね。 愛しているよ、心から。 そして、あなたの愛を誇らしく抱きしめているよ。 いつまでも、あなたの希望で有り続けたい、 そう祈って生きているよ。                      すまる 01570/01573 GDB00064 オリハル RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/03 21:36 01567へのコメント コメント数:1 /スサノオさん、RESどうもです。 | 面白い話ですね。(※全然面白くもないが。) なるほど、表と裏の心理がよく表現されてて好感が持てます。 でも、善良な市民にそんなこと言うと、突然怒り狂うかもよ。 最近、ストレス社会だからさ。 | でも「門」は潜ってこそ「門」です。 | ひょっとしてそれは偽者の仏陀でしょうか。 さあ、シュタイナーの体験だから、私には分かりません。 | しかし「鳥居」は横の柱があってこそ「鳥居」です。 なるほど。そういえば・・・。ところで、何故「鳥居」と言うのでしょうか。 | 霞返しは三倍返し。 この諺(?)はどういう意味ですか? | 今後ともよろしくね。(^_^) 私は、個人的にはスサノオさんには否定的な感覚は何もありませんです。 今後とも、よろしくお願いします。 丁度、去年の今頃、石田直樹さんという人がいて、かなり直観的な人だと思っていたの ですが、ニュートンの書き込み以後でしたか、表われなくなってしまいましたね。 彼のIDを調べてみると、既にNIFTYには存在しないのでした。なんか悪いことを してしまったような気が。深読みしない私もちょっと気になるところです。                               オリハル 01571/01573 JBH00742 スサノオ RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/03 22:42 01570へのコメント  オリハルさんへ  善良な市民のオリハルさんにご迷惑をおかけしました。  でも逆さ人間のオリハルさんなら笑って許してくれますよね。(^_^)  シュタイナーの事はただ本を読んだだけで全く何も知らず  「あてずっぽう」で書き込まれていたのですね。  早めにシュタイナーに謝ったほうがいいと思いますよ。  オリハルさんは石田さんに何か悪いことをされたのですか。  悪いことをしたら閻魔様に「舌」を抜かれますよ。  でもオリハルさんの場合はNIFTYに存在する、しない以前の  問題になるので(^0^+)(←嘘泣き)これは関係ありませんね。                          スサノオ 01572/01573 GFH02347 ゾウリムシ 魂の行く末 ( 7) 93/11/03 22:58 宇宙の元素 空、風、火、水、地、 人間の魂は、どの水準でつくられているの だろうか。 分解された魂は、何の支障もなく、新しい魂の原料となりうるのだろうか。 悪霊の魂が分解された場合、その原料は、元の特性を残すことは、ないのだろうか。 進化の階段を下に降りていくと、底の方に、魑魅魍魎( ちみもうりょう) の世界が あって、その下にはもう階段はないと聞くが、その下は、全き宇宙の元素の海なので あろうか。 魑魅魍魎を楽しむだけの、魂の力がない私は、人間世界の中で日々苦悩しているのだが 人間には、自分への甘さから来る思い込みの強さがあるようだ。 いや、人類にとって、都合の良い解釈ができるうちは、都合の良い解釈を選ぶだろう。 これからすると、人類の行く末も危うい。 現在私は、惑星の構造、単に物質的な構造というのではなく、タマネギ状の振動層 を持った星としての構造。特に、霊達の足場としての場に関心を持っている。 かつて、火星と木星の間に惑星があって、今は小惑星帯になっているそうだが、 そこに住んでいた霊達は、どうなったのだろうか。                ・・・・・ゾウリムシ・・・・・ 01573/01573 KGH02737 弥沙 弥沙の独り言 ( 7) 93/11/04 22:44    未来の記憶   私は何処へ行くのだろう  霧の向こうに隠された   未来の記憶を抱きながら  終わらない悲しい夢を   再び繰り返すつもりか   全てを忘れて    自分だけの幸せを  追い続けることもできるのに   決められた運命を選び   自ら飛び込んで行くのか  今にも泣きだしそうな   空を見上げては   霧に隠れた  最後の言葉を描いている  たったひとつの勇気を手にして  どうか…  風にのる祈りを受けとめたい                  弥沙  - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/11/04 - 237/237 JBH00742 スサノオ 季節の変わり目に ( 9) 93/11/04 23:25  TAOさんへ  お留守の間お邪魔します。  そろそろ寒くなりストーヴが恋しくなってきました。  このような季節の変わり目には手足のマッサージを  すると良いそうです。(血の巡りが良くなります。)  身体が季節の変化について行けないため引き起こす  手足を中心とした事故を防ぐ意味合いがあります。  癒しの部屋で身体の直接の部位についてのことを書くのは  大変気が引けるのですが思い切って書き込みます。                    スサノオ - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/11/04 - 121/121 HGB02122 あもり 聖地から帰りて (11) 93/11/04 13:39  玉置山の現状  さて、当会議室で玉置山の話を幾つか見受けますが、現状について  知っていることをお話し致します。  私は今年6月より約3ヵ月の間、紀州に居を構えておりましたが、  諸々の関係者に話を聞くところによりますと、今年始めより、玉置  山の荒廃が始まっているとの事です。  実際に参拝してみますと、鳥居よりの参道は駐車場に変化しており、  舗装、土留め、伐採などが、進行しておりました。  類い稀なる神域は、某かの新興宗教の的にされ、山腹に鎮座されて  おります玉石周辺には、百数十の生卵が埋められ、腐臭を放ち、蝿  蚊などが大量に発生しており、祭祀取り行った陶器の破片、炭殻、  菓子屑、宗教者による立塔などが無作為に散乱している次第です。  かつて畏怖の念を抱いて登ったかつての玉置山は、人間どもの理不  尽な行いを睥睨し、不気味に沈黙しているといった風情を有してお  ります。  祭祀者であられたN氏もまた、歩を遠のかせ、管理する宮司らも、  手をこまねいている次第。  私も東京に戻って以来、現在の玉置山に対する、かくのごとき非情  なる人間の振る舞いに、無念さを覚え、血心に憂慮しております。  玉置山に限らず、聖地に御参拝する方があれば、もう一たび、「何  の為に」参拝するのかをよくよく己れに問うてみて、手の平一つの  ゴミでも拾って頂きたく存じ申し上げます。                           HGB02122 あもり - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/11/04 - 00757/00758 NBG00612 岳同 トドカヌコトオオモフナリ (13) 93/11/04 01:01 00755へのコメント DIRACさん、こんにちは。 十年位前、わたしは非常に苦しい時期初めて白山に登る機会が有り、その山頂で昇る 朝陽を見たとき心打たれました。心の底から有難うございますと言えたのです。 こんな自分にも、自然は恵みを与えて生かせていただいている。 光も水も空気も無条件奉仕ですよね。それが本当の心なのではないでしょうか。 ここ数年、今くらいの季節になるとそのまま時間にとけ込んで行きたくなります。 季節の中で自分が透明になって行くのが分かります。 特に朝、柔らかく力強い太陽と清々とした空の色を眺めながら、しみじみ 有難いなあと思います。理屈抜きです。 祝詞の中にも「事を取らば得べからず、皆花よりぞ木の実とはなる」 という言葉があるように、高次元ほど理屈抜きです。一瞬一瞬の心の入れ換え 心構え、それが全てだと思います。 >嬉しいときならともかく、気に入らない相手に怒鳴られても−−それでも >感謝−−なかなか出来ないことです。反省が必要なときは、感謝が出来にくい >状況である場合が多いんですね。 恥ずかしながら、私も上司にこのあいだ怒鳴られきつい事もいわれたのですが その瞬間はきわめて冷静でした。相手の言葉の重みを感じて、「これは相手の口を 借りて何かを教えようという機会なのかもしれない」と感じられたからです。 経験からすると、気に入らない相手というのはとても重要で、冷静に考えれば 一番足りないところを教えてくれたり、対立を通しての成長もあるのです。 良薬ほど口に苦いのです。 今、言霊を少しかじっています。ホツマツタヘという古伝を中心に読んでいますが、 アマテルカミがアメナルミチの理想達成の道の遠さに思わず詠嘆された「トドカヌ コトオオモフナリ」という言葉が記されています。 このホツマツタヘを読むと不思議と心が安らぎ、宇宙的なリズムを感じられます。 アメナルミチについては、人間として常識的なこと・単純なことなのですが そこに一本の芯があるかないかが問題なんだと思います。 それでは。 00758/00758 GGA02514 KAZE 質量とエネルギーの変換体 (13) 93/11/04 18:37 00753へのコメント YUIさん、どうも。 <「生命」とは、「質量とエネルギー」の「変換体」のことだ!>についてですが、 これに関する考え方のポイントを、東晃史さんの 「アインシュタインの悩みとファインマンの悩みの解消に向けて」(技術出版) からの引用でちょっと説明しときますと、こういうことになります。 ・・・このような発想は、アインシュタインの関係式である「E=mc2」に おいて、「誰が、エネルギーを質量に換え、質量をエネルギーに換えるか?」 という発想と、「全く同じである」、ということを知るべきであろう。このよ うに、「誰が?」という、「主語を置くか、置かないか」の「違い」が、「宗 教」と「科学」の「違い」になっているのである。  このような指摘が、「いかにも、奇抜」に見えるのは、「アインシュタイン の悩み」であった、「時間とエネルギー」の「関係」に対する、真の「解答」 を知らないからであろう。「ファインマンの悩み」も、「時間とエネルギー」 の「関係」に起因している。「時間とエネルギー」の関係が、記述できない限 り、「物理学」は、「観測者」にとっての、「対象物」だけの科学として、「ヨ コの因果」だけの推論に、「限定される」ことになる。いわば、「タテの科学」 である「階層の因果」には、言及できないわけである。 ということで、キーになるのは「階層」ということになります。 シュタイナーなどの神秘学などでも、 その認識の根本には「階層」的な視点があります。 「アインシュタインの悩み」や「ファインマンの悩み」というのは、 「階層」ということを排除してしまったことにあるようです。 同時に、現代科学が宗教的な視点を排除してしまう根本原因もそこにあります。 質量とエネルギーの変換というのも、階層間にまたがるものであって、 その「確率の振幅」というのは、生命=意識としてとらえ、 その「観測の階層」の「結合」という視点によって開けてくるように思われます。 >エネルギーは生命体という変換体によって変容され、「気」として現れるのかも >しれません。 そうですね、生命体=意識体というのは、エネルギーを変容して、 さまざまな「かたち」として発現させるものであって、 そのひとつが「気」であるというのはいえるでしょうね。 もちろん、「気」だけではなく、「物質」というのもそのひとつだと思います。 >矢というのは実際のところ、発射の後回転運動をして的の中心へと到ります。つ >まり、「私」の生命体は「私」のエネルギーを、渦巻く矢へと移すための変換体 >と考えてはどうでしょう。そのために、武術では「呼吸をとめて」まで「死」に >接近し、生命体の活動を表面化させるのではと思います。「変換」という意識を >持ってみれば、「気」も物質的な側面を持っていると考えられます。 ううむ、すごい指摘ですが(^^;;、そうかもしれませんね。 弓道というのをそういうエネルギー変換としてみる視点も面白いでしょうね。 別の視点でそれを表現すれば、みずからを「無」とすることで、 矢と的をふくみこんだ「時空」をエネルギー変換の「場」とするわけで、 そういう意味で「死」に接近する、ということが行なわれるのかもしれません。 そういう「場」では、「矢を放つ」という「因」と 的に当たるという「果」というのが、通常の「ヨコの時間」ではなく、 「タテの時間」におけるエネルギー変換として連続することになるのでしょう。 そういう意識を創造するのが「達人の極意」ということかも。 >渦巻くものというのは結局中心はないのですが、そこには「気」若しくは高次の >エネルギーが収束する場所だといえます。誤解が出ないように付け加えますが、 >エネルギーの収束というのは中心への意識的な収束ではなくて、内側への遠心力 >だという事です。 「内側への遠心力」というのはすごい表現ですね(^^;;。 確かにエネルギー変換装置としてのシフトポイントというのは、 そういう言葉で表現できるようなイメージもあります。 高次のエネルギーが収束する場所というのは、階層間の結合する場所で、 それは中心でありながら、「空」であり、そこからエネルギー変換され ある種の「かたち」として発現するようになります。 その発現のあり方が、「遠心力」でありながら、 「空」としての「中心へ投げ出される」ということなのでしょう。 >ゆえに、原子という極小さなものから宇宙という非常に大きなものまで動かすチ >カラは渦・回転だと思います。また、逆にいえば中心がないからこそ原動力が集中 >する、集中する環境が生じるとも表現できるわけですが。 「渦・回転」というのはつまるところ「螺旋運動」に他なりません。 その螺旋運動が多次元的に複合していくことそのものが、 宇宙におけるすべての現象の「動き」なのだと僕は考えています。 「中心がないからこそ・・・」というのを言い換えますと、 空としての中心こそが、ダイナミズムをふくみこんだ充実そのものである、 ともいえます。 仏教で「中道」ということがいわれますが、 それは、矛盾そのものを螺旋運動の契機としてとらえたダイナミズムです。 「内側への遠心力」という意味でのダイナミックな「空」としての「中心」の あり方を説いたものだともいえるかもしれません。 >「二系の、確率の振幅」はそれぞれをあくまで別のものとして考えるにしても、 >観念の上では「渦」のように見る事も可能ではないでしょうか。 可能だと思いますが、それにもっと説明を加えますと、 ひとつの螺旋運動を一本の「糸」としてイメージし、 その糸が一要素となったもっと大きな螺旋運動となっていくことそものが エネルギー形態の「変容」そのものでもあり、 その変容をおこさせるのが「生命=意識」ということで、 その「タテの時間」という階層の視点が不可欠になります。 以上、YUIさんのおっしゃりたかったと思われることを、 僕なりに説明させていただきました(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/11/04 - 01487/01490 GBD03557 シゲ RE:<ログに残さないで下さい> (14) 93/11/03 20:53 01486へのコメント コメント数:1 本人削除出来ないようにしてあげるね。って、もう3時間経つのに 削除しないってのは残しておく気かぁ。 01488/01490 GGD02212 Soo ログに残さないで…っていうのは (14) 93/11/03 22:37 01487へのコメント 自分で削除するつもりはないけどDOWNした人はFILEに残さないでという意味でSoo. 01489/01490 PAG03543 NOISE クロマンタ・蛇女神 [1] (14) 93/11/04 01:00 △神奈備のクロマンタ▼ 以前、秋田県鹿角(かづの)市十和田大湯のストーンサークル (大湯環状列石) 近くの黒又山、通称・クロマンタの学術調査のことをアップした。 簡単に振り返ってみると・・・ クロマンタは人工の山・ピラミッド説が伝えられる古代からの信仰の山。 標 高280メートル、稜線の角度26度、大和三山の耳成山とほぼ同じで、二つの山 の写真を合成するとピッタリと重なりあうのには驚かされる。 「鹿角根元記」によれば、黒万太は近在で一番古い村・草木の長、黒沢万太を 神に奉って造りあげた墓であろう、としている。黒沢万太は後世に作られた架 空の人物だと思うが、古墳を示唆している点は興味深い。 クロマンタの麓、昭和7年にストーンサークルが発見された野中堂には、文字 どおり野の中に一軒のお堂がある。お堂は木花咲耶姫命を奉る浅間神社。東北 には稀な浅間神社がどんな因縁でこの地に勧請されたのかは定かでないが、ク ロマンタを霊峰富士に見立てて崇め奉っていたことをうかがわせる。野中堂か ら遥拝する三角形のクロマンタは美しい。 山頂に鎮座する本宮神社 (薬師堂) の床下には、ストーンサークルと同質の河 原石を使用した、石棒型、石皿型をふくむ、ストーンサークルの残骸が残され、 神社周囲からは続縄文期の土器、石器、などが見つかっている。 GPS (全地球測位システム) による精密な計測ではクロマンタ山頂から東西・ 南北の延長線上に四つの神社 (古来の聖地) が、また、冬至と夏至の日の出、 日没のラインにも神社が確認され、高度な天文知識を持っていたことをうかが わせた。 △「ヒ」のメンヒル▼ 今年4月に行われた第2回学術調査では、地中レーダーによる構造解析の結果、 山頂の西側斜面、地表の下が10メートル間隔で階段状に10段にわたって下って いることが判明した。一段の高さは 7〜10メートルほどで、段の幅は下に行く ほど広がっている。階段状の固い部分に表土が押し付けられた状況であること から、急な傾斜を緩くして、山の形を整えるための土木工事であった可能性が 高いようだ。  山頂の本宮神社周辺の試掘では、神社西側、地表から約40センチ下から横倒し になったメンヒル (立て石) が発掘された。メンヒルは研磨加工されたストー ンサークルとは異なり、烏帽子状の自然石で、側面にはカタカナの「ヒ」のよ うな線刻模様、底部には放射線状の模様が描かれ、周辺にはメンヒルを囲むよ うに20センチほどの石が敷かれていた。さらに、山頂の中心から半径約5メー トルの範囲に30〜60センチほどの石が配置されていた。 ストーンサークルの残骸、または「ヒ」のペトログリフ (古代岩刻文字) が刻 まれたメンヒルは、神が天降る「磐座」(いわくら)、周囲に敷かれた石は神域 の境界「磐境」(いわさか)、この神聖な場が後世には神社になる。 近辺の神社などの御神石にも山頂のメンヒルと同様の文様が確認されている。 学術調査を主宰した日本環太平洋学会の見解によれば、クロマンタは自然の山 を人工的に整形した山岳祭祀遺跡であり、続縄文期にできた環太平洋型ピラミ ッドの源流ではないか、としている。 クロマンタは今年7月文化財保護法に基づく宮野平(みやのたい)遺跡として認 定された。 さて、立て石に刻まれた「ヒ」とは一体何を意味するのだろうか? つづく 01490/01490 PAG03543 NOISE クロマンタ・蛇女神 [2] (14) 93/11/04 01:03 △キの女神▼ さて、クロマンタ山頂のメンヒルに刻まれた「ヒ」とは一体何を意味するのだ ろうか? 歴史言語学者・川崎真治氏は「ヒ」の起源をメソポタミアの豊穣の女神で大地 母神である「蛇女神・キ」に求める。シンボルが蛇の女神「キ」は、シンボル が牡牛の男神「ハル」と一対で、中国神話でいえば蛇女神の女禍 (じょか・ 「か」の本当の文字は女へん) と牛首の炎帝神農に相当し、日本神話ではイザ ナミ・イザナギが近い。 川崎氏の説によれば、紀元前4000年紀末のメソポタミアの男女両神が中国を経 由して縄文後期の日本に伝来したという。中国で「キ」は甲骨文字 (中国殷代 の象形文字) の「ヒ」に置き換えられる。これが日本のカタカナ「ヒ」の原字。 もう一対の「ハル」は甲骨文字で牡牛を表す「ψ」(これに似た形)に置き換え られた。 メソポタミアのウルク市から発掘された円筒印章には、蛇を背にした「蛇女神 ・キ」と牛頭の「牡牛神・ハル」が、右に三枝、左に四枝を持った「七枝樹」 を中心に向かい合って座っている。このため「七枝樹二神」とも称し七支刀の 起源という。 同様に、日本でも縄文後期の配石遺構や神社の磐座、御神石などに、「ヒ」と 「ψ」の一対、または単体で線刻されたものや、縄文後期から弥生にいたる土 器には「ハル・キ」両神を表す七枝樹が多数発見されている。今回のクロマン タ山頂のメンヒルも縄文後期と推定され、昨年の調査では「ψ」のペトログリ フも確認された。 「蛇女神・キ」の「キ」は「カ」と変化し、中国では「禍」(女禍 のカ)の字、  そして日本では「鹿」があてられたという。鹿角 (かづの) という地名の本当  の源語はここにあるのではないだろうか。 鹿角には蛇や龍に関する伝説が多い。気になるのが四体の蛇を奉る「貴宮 (き のみや)神社」 。「キの宮」とは古に「蛇女神・キ」奉った名残ではないだろ うか。そして「角」は「牡牛神・ハル」、つまり鹿角とは「七枝樹二神」なの では・・・、などと馬鹿な連想をしてしまう。 ちなみに県内で「鹿」のつく地名に「平鹿」があり、先日、縄文時代草創期 (約一万年前) の石匕 (せきひ・石匙) が発見され話題になった。 これは前にも書いたが、秋田県では昔話の結末は「トッピンサライのフィ〜」 「トッピンハライのプゥ〜」、または「トッピンパラリのプゥ〜」、鹿角では 「ドット、ハラエ」といった謎の言葉で終わるのだが、川崎氏によれば、これ はシュメール語の「ドゥブ・サル」、バビロニア語の「トゥプ・サル」からの 転じた言葉で「粘土板・書く」=「神話・伝説・物語」という意味があるのだ という。 △カの蛇▼ 脱皮再生の呪力と飲まず食わずでも生き抜く生命力、蛇は恐怖の対象である反 面、神の使い、大地の主としても崇められた。 蛇は穀物をネズミから守る大切な動物でもあった。一年の稲の作柄を占う年始 の綱引行事は水神の祭り。綱は蛇・水神を表し、行事の前に並べられた綱は、 さながら蛇がトグロ巻いた姿。 聖なる渦巻文様は水紋でありトグロ、そして太陽。蛇神・大物主神の三輪山は 蛇がトグロを巻いている聖なる三角錐。三角錐のクロマンタもまた縄文の蛇神 信仰の山だった。 「カカ」の言霊 ○「山楝蛇」(やまカガし)   朝鮮半島・中国・台湾に分布する有毒の蛇 ○「蟒蛇」(カガち)   うわばみ、大蛇。 ○「鏡」(カガみ)   鏡の語源は蛇の眼の異様な輝きからきているらしい ○「輝き・赫き」(カガやき)  「赫き」という字は蛇のカガヤク赤い眼を連想する ○「酸漿」(カガち) 鬼灯「ホオズキ」の古語   古事記に「彼の目は赤カガチの如くして」とあるように蛇の眼 ○「篝」(カガり)   篝火の炎は チロチロとうごめく蛇の舌、太陽にも通じる ○「母・嚊・嬶」(カカ・カカぁ)   母を「かか」と呼んだのは「蛇女神・キ」が地母神であったためか インドに眼を転じると、龍神「ナーガ」と龍女「ナーギ」 ナーギの「ギ」は蛇女神キからきているという。 △キの日月▼ 「日月神示」には「キ」がしばしば登場する。 >>息とは初のキであるぞ、気であるぞ このように「息」「気」、または「生」といったニュアンスで使われている場 合は判りやすいが >>元のキのことは、元のキの血統でないと判らんのじゃ   となると何のことかさっぱり判らない。 「キ」には多重の意味合いがある為に、訳者はあえてキをキのままにしたのだ ろうが、「元のキ」とは「蛇女神キ」ではないのか、とまたしても馬鹿なこと を連想してしまう。 ちなみに山口志道の「キ」の言霊解によれば  「キ」 体 影の火の霊 氣 (いき)     活用 世の極素極元の真 世を子に持つ 限り極まり帰る        人心一切此れに帰する 神霊魂の極元府 極母 「世を子に持つ」「人心一切此れに帰する」「極母」とくれば、まさしく大地 母神のイメージ。 △マホロバ▼ クロマンタの話しがあらぬ方向に展開してしまったが、最後に川崎真治氏の 「マホロバ」解読が面白いので、そのさわりを紹介して終わりにしたい。 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母礼流 夜麻登志 宇流波斯(やまとは くにのまほろば たたなつく あをがき やまごもれる  やまとしうるはし)                       古事記 シュメール語 マフ・ウル・ビ---バル・ウタラー・イツ・ムル (目・共同体-----輝く・ 日 ・月 ・天体) 転訛 マフ・オロ・バイ---バ・ウタラー・ツ・グヌ マホロバ---パ・タ・ナ・ツク マホロバ---タ・タ・ナ・ツク 変遷 ウル・ビ(シュメール語・共同体)→オロ・バイ(古代インド)→オロ・バ(日本)        ↑ 船員マラ (麻良) カンナ (貫那) 漁民シュクア (須賀) シカ (志賀) らによっ て、インド、馬来、インドネシア、インドシナ・・・を経て日本に持ち込まれる。 「マホロバ」とは目の共同体、「日月同盟」。目とは日と月。 イザナギの目から生まれた、アマテラスとツクヨミを連想する。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/11/04 - 375/381 GFB00026 一輝 AMA族の系譜・外伝<6> (15) 93/11/03 22:39              <AMA族の系譜・外伝6>                …かごめかごめ3… 「日ユ同祖論」と云うと、「キリストは日本で死んだ」という伝説や 「ワシ鼻の白人が、日本にやってきて多民族と混血した」 というような短絡的なイメージを思い浮かべてしまうが、 AMA族の血の系譜を辿ってゆくとそれは逆で、 聖書の民であるセム族は、中央アジアに端を発するモンゴロイドであり、 彼らが中東地域を去らざるを得ない状況を迎えた後に、 新たな人類の発展を担う目的を持って、 。か東方の日本を目指したということになる。 上記に沿って思考を深めれば、 あのイエス・キリストもアジア人であったという事実を想起する。 これは、私の聖書に関して蓄積されたあらゆるイメージを 粉みじんに壊してしまうものである。 イエスがアジア人種であった検証を試みようと美術史を調べてみると、 ローマ帝国がキリスト教を国教とした313年以前のイエス像は、 存在しないことが分かったのである。 つまりイエスがアジア人種である証拠も、白人である証拠も存在しないのだ。 異教徒による弾圧や偶像崇拝が禁じられていたからというのがその理由だが、 私は、これを当時のローマ帝国の意図的な計略だったのではないかと考えている。 ローマがモンゴロイドであるイエスを磔刑にした後、 盛り上がりを見せたキリスト教を白人種が都合良く利用するには、 イエスの出自がアジア(AMA族=セム族)人であっては困る。 ローマ国教としてキリスト教が正式に認められた時点で、 大がかりな歴史的事実のスリ換え作業が行われたものと考えられる。 そして、イエスはおろか12使徒、そして旧約聖書の民であるユダヤ人まで、 出自を白人種とする必要があった。 一方、旧約聖書の民、セム族王朝の美術を調べると意外なものが出てくる。 紀元前2350年、メソポタミアにセム族系国家アッカド王朝を樹立した アッカド王もしくはナラム・シンの肖像とされる青銅像頭部の顔は、 鼻の一部を何故か削がれてしまっているが、白人種ではなくアジア人種だったのだ。 大戦後、ナイル川上流のメロエで、壁に描かれた不思議なイエス像が発見された。 歴史学者は、1世紀頃の作であると判断した。 そこに描かれたイエスは、これまでに見たことのない様相を呈していた。 イエスの顔は、褐色であった。                                    つづく 376/381 GFB00026 一輝 発言者削除 :誤字修正の為 (15) 93/11/03 22:44 377/381 GFB00026 一輝 AMA族の系譜・外伝<7> (15) 93/11/03 22:54              <AMA族の系譜・外伝7>                …かごめかごめ4… 次にAMA族(セム族)を起源とするユダヤ人種について述べてみよう。 聖書という文献を残したにも関わらず、ユダヤ人種の歴史と起源には謎が多く、 ユダヤ教そのものも、古代から何度も変容を迎えている。 南北イスラエル王国の末期、南のユダ王国のダビデ王は両王国を統一し、 その子ソロモン王の時に栄華を極めたが、 沢山の妻の中に異教徒がおり、その妻の影響によって偶像崇拝を始めたので、 神との契約を破棄したものとみなされ、 ソロモンの死後、皇太子レハベアムの即位時に聖絶が起きて両王国は分裂した。 このことは、預言者エレミアによって予め知らされていたが、 ソロモンや人々は耳を貸そうとしなかったのである。 イスラエル王国崩壊後、北王国はアッシリアに攻められ滅亡、 北王国の10部族は、東方へ追放された。 彼らは、海路と陸路の二手に別れて日本へと向かったのである。 一方、南王国は北王国より小国としてさらに140年生き延びた。 しかし、アッシリアを倒したバビロニアによって攻められて滅亡の後に連行、 これが「バビロン捕囚」である。 預言者エレミアは、「神の民の不従順による裁きであって滅亡はしない。 神は、70年経ったら捕囚の地から帰還させる。 一方的に民によって破られた契約は、新しい神との契約によって改新されるだろう」 と伝えて没した。 ところが、南王国の2部族は、 バビロニア捕囚時代に白人種優位主義の強い影響を受けて毒され、 非ユダヤ人を「ゴイム(豚)」と呼称するなど、 徐々にユダヤ選民志向による教義が旧約聖書に添えられることになった。 これが悪名高いユダヤ教典「タルムード」の始まりである。 タルムード出現以前の原始ユダヤ教とは、はっきり区切りを付ける必要があるのだ。 そして、折角の新たな契約の為の使者イエスを偽物と断定し、 彼らは十字架へと送ってしまったのである。 また宇野正美氏が著書『古代ユダヤは日本に封印された』で指摘する、 8世紀末に東欧で崩壊したカザール帝国の末裔が、 現在のユダヤ人を名乗るようになったという事実がある。 イスラム教とキリスト教の双方から圧迫を受け、 両者の根源であるユダヤ教に改宗して帝国の保身を図り、 後にモンゴル帝国によって滅ぼされ、 欧州全土にジプシーの如く流浪したのがカザール民族だ。 彼らは聖書の民とは何の血縁も無いが、イスラエル建国に執念を燃やし、 ユダヤ人として預言の契約を果たそうとしている。 しかし、10部族以外の民が行ったソロモン時代の聖絶やイエスの虐殺によって、 神との契約が破棄同然となった今、 何を成すのも人間側の勝手な都合によってでしかない。 今ユダヤ人を自称する人々がカザール帝国出身であるという話をすっぱ抜いたのは、 ニューサイエンスのバイブル『ホロン革命』の著者で有名な、 アーサー・ケストラーだった。 彼自身、自らを聖書の契約の民であるユダヤ人と信じて疑わなかったので、 熱心にシオニズム運動に参加し、 やがて自分たちはパレスチナの地へ帰らねばならないと固く信じていた。 彼はイギリス王立文学会特別会員となり自分のルーツを調べていた。 するとカザール帝国が出自であるという事実にゆきあたってしまった。 カザール帝国の末裔をアシュケナジーユダヤ、 もともとパレスチナの地に住んでいた者をセファラディユダヤ、 と呼ぶことを突き止め、自分のルーツがアシュケナジーであることが判明した彼は、 1977年暴露本『第十三部族』を著し、一大センセーションを巻き起こした。 1983年、彼は謎の死を遂げるが、 古文献や遺跡の発掘によってカザール帝国の存在は徐々に明らかにされていった。 多数の研究書が出版されると、日本人ジャーナリストによって、 カザール帝国の首都が発見されるという事件も起きた。 そもそもが以上の如く嘘なのであるから、反ユダヤも親ユダヤも無く、 ありのままの歴史の上に、お互いを理解し合い共存出来る関係が望ましいだろう。 むしろ、反ユダヤや親ユダヤの宣伝に乗って、 自らの欲望を達成しようとする輩が内外に存在することに留意されたい。 中矢伸一氏は、最新著書『日月神示・艮の戦』(P184)でこう述べている。 『こうしたユダヤ人の実態を知らずに  「ユダヤ人の謀略」とか「ユダヤの国際支配戦略」などと  短絡的な反ユダヤ論を唱える人々に、私は憤りを唱える。  ユダヤ人をスケープゴートにし、世界謀略をはかるイシヤの一部は、  セム系のセファラディ・ユダヤ人ではなく、  アーリア系のアシュケナジー・ユダヤ人の中に潜んでいる。  彼らこそが、パレスチナ・アラブを駆逐し、 己の欲のためにイスラエルを建国し、中東に緊張をもたらした元凶である。  この事実に世界中の人々が気付かない限り、本当のユダヤ人に平和は来たらず、 世界に真の平和と安定は訪れないだろう』 『日月神示・艮の戦』(徳間書店刊)では、 イシヤの仕組み・日本攻略の巧妙な手口などについて 大変丁寧な解説が成されているので、ぜひ精読されたい。 このようにかつて聖書の民であったAMA族の歴史と軌跡は、 白人種によって歪められ変質し、当初の目的を大きく逸脱していった。 今のユダヤ人は、かつての私たちのぬいぐるみを着ているにすぎない。 ぬいぐるみの中身も既に東方の島人と混血して存在しないのだ。 私の調べた範囲で言えば、弥生風俗をそのまま残し、 AMA族特有の親族結婚を頑に守るインドネシア・バリ島タガナン族が (『カミ・コメ・ツチ・ヒト』P245-251写真参照・ARION+北川恵子著・扶桑社刊)、 イスラエル時代のAMA族の面影を最も強く残していると思われる。 タガナン族は、現地では先住民として丁重に扱われているが、 誇り高い民族なので、イシヤが世界各地の先住民族に対して仕掛けた戦略による、 征服・被征服の関係などによって安易に過保護を語られることはない。 火山性土壌に育まれ、芸術性に優れて直観力豊かな縄文人との人種的融合によって、 AMA族は人類の霊性進化の為に「日本人」として歴史を開始した。                                    つづく 378/381 GFD00204 松川 貴     魂への道 (15) 93/11/04 11:59  ┌─────────────────────────────────┐  │そして多数派公衆は、生きているというただそれだけの理由によって、正│  │当性を付与されている。(西部邁『リベラルマインド』学習研究社 P41)│  │                                 │  │裏を返せば、それだけ軽くしか生きていけないということだよ。    │  │(ビートたけし『やっぱり私は嫌われる』新潮社 P24)        │  └─────────────────────────────────┘  西川隆範氏によれば、1917年にシュタイナーは『生の変容としての死』の中で 次のようなことを述べているそうです。   日本人が形成したような霊的な思考は現実のなかに侵入していきます。それ  がヨーロッパ─アメリカの唯物論と結びつき、ヨーロッパの唯物論が霊化され  ないなら、その思考はヨーロッパの唯物論を凌ぐことは確かです。ヨーロッパ  人は、日本人が持っているような精神の可動性を持っていないからです。この  ような精神の可動性を、日本人は太古の霊性の遺産として有しているのです。  (『いま、シュタイナーの「民族論」をどうよむか』イザラ書房 P76-P77)  私はこの箇所を「日本人の思考はヨーロッパ─アメリカの唯物論と結びつき、いず れ本家のヨーロッパ─アメリカの唯物論を上回るものになってしまうだろう。もしも 彼らが〈それ〉を霊化しないまま自己の文明を押し進め続けていくならば……」と理 解しました。  ヨーロッパが戦場と化した第1次世界大戦中にシュタイナーは日本についてこのよ うな予言じみた発言を行っていますが、シュタイナーの発言から76年経った現代の 日本の精神状況を見てみると、事実日本は彼の予言した通りの国になってしまってい るようです。  実は現代日本にもこのことをはっきり指摘している言論人がおります。ここで彼の 言い分を聞いてみましょう。   アメリカ文明はもともとヨーロッパ文明の上澄み液を純粋培養して出来上が  ったものといえるが、そのアメリカニズムをさらに純粋化するかたちで戦後日  本がはじまったのである。いくぶん断定的にいうと、戦後日本のなした良かれ  悪しかれ大いなる社会的実験は、ヨーロッパ文明の表面をアメリカ以上の激し  さで模倣したということである。それゆえ、産業的成果において、そして階級  社会の絶滅において日本が世界のトップランナーであるということは、何ら驚  嘆にも賞賛にも値しないのだ。ヨーロッパは、そして少々だがアメリカも、産  業化と平等化を掲げはしたが、しかし陰では、それにブレーキをかけようとも  してきた。ヨーロッパでいえば階級社会を温存しようとしたり、アメリカでい  えば個人主義によって平等化を制限しようとしたりした。そういうチェック機  構が欧米の裏がわでは働いていたのであるが、日本ではそれが、とりわけ戦後、  はずされた。敗戦のショックとしてアメリカへの過剰適応が起こり、産業化と  平等化が過激に押し進められたのである。   したがって産業制と民主制の競争において日本が勝利を収めるのはある意味  で当然である。欧米においては、近代化にたいする自己懐疑が多かれ少なかれ  育成されていたのにくらべ、戦後日本はアメイリカナイゼーションとしての近  代化をひたすら軽信した。懐疑なき近代化が高速で展開されるのは当然であっ  て、それゆえ日本はアメリカ化もっと広くいうと近代化の競争において、半世  紀足らずのうちに世界の先頭に出た次第である。(『戦争論』日本文芸社 P24  -P25)  西部さんはこのように言っています。そう、シュタイナーの言う通り、今や「日本 人の思考は、ヨーロッパ─アメリカの唯物論と結びつき、それは霊化されないまま、 本家の唯物論をも凌いでしまっている」のです。しかしそれは、決して世界に誇れる ような〈美徳〉なんかではありません。  ┌───────────────────┐  │生命尊重のみで、魂は死んでもいいのか。│  └───────────────────┘  三島由紀夫はこう叫んで自決しました。これは日本人の犯した罪に対する彼の恐る べき告発です。日本人の犯した罪とは何だったのでしょうか。日本人が決してそれを 知ろうともせず、また、認めようともしない罪とはいったい何だったのでしょうか。  それは〈真の生命〉たる〈魂〉の殺害行為だったのです。少なくとも三島由紀夫に とってはそうでした。彼は〈命〉というものを普通の戦後日本人とは違うように見て いたのです。単なる生命状態を指してそれを〈尊く命あるもの〉とは見做しませんで した。  しかしすでに唯物論的な生命観にどっぷりと浸りきってしまっている大部分の日本 人に〈彼の言葉〉が理解できるはずもありません。実際彼の同胞たちは彼を理解した くとも理解できなくなっていたのです。  現代日本人の意識世界を感じ取ろうとしてみると暗澹たる気分に襲われます。とは いえ、私はシュタイナーのような霊能力はまったくありませんから、何かが見えたり 聞こえたりするわけではありません。ですが、そのように感じるのです。なにかとて も無残なような感じがします。もの言えぬ〈真の生命〉のうめき声のようなものを感 じます。  私たちは〈魂〉の殺害行為をやめられるでしょうか。そしてもう一度〈魂〉を見い 出すことができるでしょうか。それがどれほど困難に見えようとも、それこそが私た ちの見い出すべき新たな道なのではないでしょうか。今私はそのように感じているの です。                                   松川 貴 379/381 GFB00026 一輝 AMA族の系譜・外伝<8> (15) 93/11/04 22:14              <AMA族の系譜・外伝8>                …かごめかごめ5… 最近、少数民族、特にアイヌの人々を弱者と見立て、 保護することに陶酔する者が現れた。 先住民族保護や縄文文化崇拝を隠れ蓑にニューエイジ思想を吹き込み、 日本の民族文化の基盤に亀裂を入れる(縄文文化と弥生文化を対立させる)という 大変紛らわしい戦略が、これらの思想の発信源であるイシヤにはあるのだが、 この頃は、これらのライン上に引っ掛かる者多しと聞く。 アイヌ文化や縄文文化に学ぶことや、それらを保護しようという考え方自体は、 私自身も大いに関心を持つところであり、大変好ましい事であると言える。 しかし、稲作文化も狩猟文化も両方あっての日本文化であるのに、 片方の全てを是として、もう片方を批判することは、 自分の右脚で左脚を蹴るようなものであり、 私たち日本人が歴史の中で育んできた生活習慣や文化基盤そのものを、 否定してしまうことになりはしないだろうか。 縄文文化と弥生文化の対立関係を作為的に作ることは、 出雲族・日向族が歴史の中で繰り返した相剋と同じ結果を生むだろう。 つまり、嫉妬や被害者意識、自己中心的な考えを強め、 同士討ちや小競り合いが拡大するということである。 どの国でも、この先住民族を保護するイシヤの戦略に引っ掛かると、 逆に民族としての誇りを失い、折角統一されたグループも分裂してしまうのだ。 これが、国家規模に拡大すると民族紛争となる。 紛争が起きて、誰が一番喜ぶのかを考えてみるといいだろう。 紛争状態が持続すれば国力が衰弱し、 調停を理由に国連が介入し易い状況が出来、和平交渉とは名ばかりの、 兵器産業の重役を兼ねた国連大使らによる裏取引が行われ、 紛争は、収拾するどころか益々拡大してゆく。 イシヤ傘下の多国籍企業にとってはオイシイ利益となるのだ。 国連は、イシヤの出先機関として世界各地の少数民族保護に力を注いでおり、 日本のアイヌ民族にも関心を持ち始め、 最近では国連会議での演説にまで彼らを担ぎ上げた。 さて、イシヤの編み出したニューエイジ思想とは何だろうか。 それは、60年代にアメリカの若者から起こったカウンターカルチャー(対抗文化)と CIAの開発した洗脳技術との結合によって、 マルクス主義的ワンワールド思想の次の革命理論として発明されたものだ。 「全ての人間は、物質的欲求によって自己実現が果たされると、 次に自己を超越することによって自己実現を果たそうとする欲求に発展する。 誰もがこの欲求に目覚めれば、やがて精神性の高いユートピアがやって来る」という 安直なワンワールド思想だった。 当初この思想が一部の支配層によって作られたとは、誰も気付いてはいなかった。 「飢えた眠れる羊に餌をやれば余裕も出来、やがて天国の夢も見るだろう」 という為政者の作った、オイシイ理論とも言えるだろう。 人々が目覚めることで、意識の自由や平和がもたらされると信じたのは、 カウンターカルチャーから生まれる新しい音楽や文学などの芸術に心酔する、 知性的で純粋な若者たちだった。 そのバイブルだったチャールズ・A・ライクの著書『緑色革命』は、 苦戦を続けるベトナム戦争によって、 ヒーローとしての自己イメージを見失ったアメリカの若者に 新しい時代を予感させることとなった。 この革命を遂行するには、人間があらゆる差別や抑圧を無くし、 国家の枠を超えて自由で平等に在らねばならない。 それには「全ての人間が同じような自由と平和を平等に望んでいる」という 矛盾を含んだ前提条件が必要だった。 前提条件そのものに既に無理があるのだが、 60年代当時アメリカはベトナム戦争の真っ最中で、 反戦を心から望んでいた若者にとっては、自明の定理として、 誰も疑問には思わなかったのだ。 そこで、ニューエイジ思想を広める洗脳ツールとして、 イシヤが管理し易い羊の群れを量産すべく、 「誰もが覚醒するメソッド入り」という触れ込みの商品が売り出された。 瞑想スクールや先住民族の知恵に関する各種セミナーやワークショップ、 それらの効能書として付随する関連書籍、グッズ……、 そして「即時に目覚めへと誘う」と、 大麻・LSD・メスカリン・コカインなどの 麻薬が世界各地から集められ、内外へ向けて商品化されたのである。 かつての若者たちは就職せずに、精神世界流通業者として、 ベンチャービジネスに乗り出した。 これらの商品を扱いだすと、精神性を高めるという当初の目的を外れ、 売り上げを伸ばすことで、あたかも自分の精神性が高まったと倒錯してゆく。 「飢えた眠れる自分に餌をやる為に、覚醒という名の眠りを売る」のだ。 例えば、セミナーのインストラクターの中には、 また自分が眠ってしまうのではないかという不安から、 さらに目覚めようと上級コースのセミナーを受ける者も多い。 セミナーやワークショップとして、これらが盛んに売り出されたのは、 アメリカ本国では70年代に入ってからのことだった。                                    つづく 380/381 GFB00026 一輝 AMA族の系譜・外伝<9> (15) 93/11/04 22:22 コメント数:1              <AMA族の系譜・外伝9>                …かごめかごめ6… 日本国内に於いてニューエイジ思想は、80年代に入って本格的な広がりを見せた。 この思想セールスマンには、ねずみ講式に会員を広げたセミナー業者から、 興行的チャネリング企業、入院するほどの事故があっても保障しようとはしない ワークショップ企業、怪しいニューエイジ商品の販売業者など、 ピンからキリまである。 また、ニューエイジ思想を国内へ広める為の翻訳業者も忘れてはならない。 彼らは、「誰でも目覚めることの可能な、アメリカからの新しい思想」という 美辞麗句で幻惑し、アメリカ文化やアメリカ経由の先住民族文化に対する劣等感を 刺激された者を言葉巧みに集めている。 片仮名表現ばかりで体裁の良いニューエイジ思想は、在りのままのアメリカを隠し、 見せ掛けだけのスマートな生活に憧れる、脆弱な日本の若者たちを心酔させた。 欧州や他のアジア諸国のように宗教的制約や戒律の少ない戦後の日本は、 彼らの思想を移植させるには格好の土壌だったのだ。 この思想は、人々が物事の本質を見失い、偽の目覚めへと誘う危険な飴である。 彼らのセミナーやワークショップは、東洋の伝統に満ちた精神修養技術や アメリカ先住民族の知恵を巧みに採り入れている。 体伝口伝による苦悩や葛藤を排除して、 料金を納めれば誰でも同じ体験が出来るように、形だけ切り取ってシステム化し、 全行程を終えることで習得したと思い込ませるものが多い。 この思想の流入には「本当に似た嘘」が、ふんだんに盛り込まれ、 若干遅れて大麻・LSD・コカインなどの麻薬が付いて回ると言われている。 業者の中には、既に麻薬の売買や密輸による検挙歴を持つ者も存在すると云う。 巷で噂になっているニューエイジ・ドラッグ・コネクションだ。 先日、コカイン所持容疑で逮捕された角川春樹氏の事件背景にも、 今まで述べてきたことが恐らく関連するのではないだろうか。 中でも「大麻は化学的でないので健康に良い」と勧めるのが、 彼ら思想セールスマンのお得意キャッチフレーズだが、 決して常習性とタールで真っ黒の歯と肺については語ろうとしない。 この説は、イシヤが60年代末にメディアへ流布した誤情報であり、 麻薬で犯罪天国と化したアメリカでは、誰にも相手にされていない。 大麻は、他の麻薬への憧憬を喚起させ、現実逃避への扉の役目を果たす。 かつて、少数民族や失われた文化に於いて意識変容の為に麻薬を使用したからと、 形跡だけ都合良く切り取って追体験したとしても、 時代も価値観も異なる我々の世界では、危険な玩具でしか在り得ないのだ。 1968年カルロス・カスタネダは、 メキシコインディアンの師ドン・ファンの指導による 幻覚植物ペヨーテ(主成分はメスカリン)を使った意識変容の技術を 最初にアメリカ国内へ紹介した。 それは、あくまでも命懸けで道を探究するカスタネダの 頑固な価値観に凝り固まった日常意識を打破する為の模擬体験であり、 師の責任の範囲内での体伝口伝による薬物体験であった。 ニューエイジ思想の諸先生方は、自らの革命の正当化の手段として、 好んで彼の著作を引用し、幻覚性植物などの「薬物による覚醒」を礼讃した。 このことは、カスタネダ自身が望むところではなかったので、 25年近くに及ぶ著作活動のうち、 最初の2冊で幻覚性植物の記述をピタリと止めてしまった。 アメリカ国内に於いてニューエイジ思想を広める者たちの放った薬物は、 一部の有識者から一般家庭に拡大し、小学生にまで常用者が増え、 膨れ上がる麻薬経済と、それを巡る犯罪増加によって、 アメリカを世界で最も危険な国に仕立て上げてしまった。 30年後には麻薬後遺症による奇形児(クラック・ベイビー)の数が、 爆発的に拡大した(例を上げるとアトランタ市だけでも年間約300人)のである。 アメリカ国民全員が、求道者カルロス・カスタネダではなかったのだ。 アメリカの大多数の人々は、現実離れし、 いかがわしいベンチャービジネスと化したニューエイジ思想などに、 本気で取り組もうとはしなくなった。 時代の変遷とともに徐々に忘れられ、麻薬だけが残った。 チャールズ・A・ライクの『緑色革命』は見事に失敗したのである。                                    つづく 381/381 JBH00742 スサノオ RE:AMA族の系譜・外伝<9> (15) 93/11/04 22:51 380へのコメント  一輝さんへ  こんにちは。またまたお邪魔します。  カスタネダの件ですが、やはり失敗は失敗ですから  彼の責任は大きいと言わねばなりません。  (私は「根本的に」ドラッグを否定します。)  一輝さんはARIONに肯定的なのは判りますが  ゴイム(豚)の事に関してもARION自信が  自分で(豚の)写真を選んでいるのですから  もうそろそろ真実に目覚めたほうがいいと思いますよ。  (そう言えば「高尾山の豚」というのもあったですね。)  やはり現実は厳しいと言わざるを得ません。  余談ですがユダ王国をイエスを裏切ったユダに置き換えてみると  十二部族の位置付けが面白くなると思います。                       スサノオ - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/11/04 - 207/207 TBE03167 ねずみ こあいHPやのお^。^ (19) 93/11/03 22:49 俺、今さっき、例のHP見てきたけど、あれはおとろしい規則や。 初めて書き込みが、いきなりルール違反で叱られるという……