- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/11/08 - 01068/01094 HGB00715 MISORA 名も知らぬ貴方へ ( 2) 93/11/05 00:14  25回目の誕生日おめでとう  貴方の事は何も知らないけれど  どこかで会えたらよろしくね  ...ってわかるかなぁ  MISORA(HGB00715) - FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/11/08 - 00304/00305 PBA02422 さはし 映画「ヒルコ」 ( 3) 93/11/07 22:37 明日、WOWOWで9時から「ヒルコ」って映画やるそうですけど、 これって原案が諸星大次郎の「妖怪ハンター」なんですねえ。 ぼ〜っとテレビ見てたら、番組予告でいきなり驚いてしまいま した。 衛星放送といえば、先日も筒井康隆の「ジャズ大名」やってた し、驚きっぱなしです、ここ数日。                    今日は1日、カウチポテトだった さはし - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 93/11/08 - 313/319 JCC02647 とかち 私も名古屋に行きます(^○^) ( 4) 93/11/05 07:19 コメント数:1  って言っても12/2・3・4・5ですが(^_^;)  2日は徹夜明けで名古屋入りの為と4日は豊橋で用があるので  3日だったらフリーですよ(^_^;)(って誰も聴いてないって(;_;))  さはしさん、一度会いたいですね(^_^;)  それとこのフォーラムに入ってオフで人に会うのが好きになったので  名古屋の方ともお会いしたいです。  でも、当方は野獣みたいな男なんでどうかな?って思ってますが                        とかち 317/319 PBA02422 さはし こんちは、とかちさん ( 4) 93/11/07 10:03 313へのコメント 12/3ですか。金曜日ですね。パァッと行きましょうか、花金で。(^^)                           誕生日の前前夜祭だな さはし - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/11/08 - 01743/01756 GDB00064 オリハル RE:50 OFF ( 6) 93/11/05 01:14 01741へのコメント コメント数:1 /スサノオさん、どうも。  スサノオさんの文章、論理を見ていると、例えば、聖書を何回も読んでいるという、 「論理が出来上がった人」と同じ印象を感じます。彼らはこちらがどんなに論理的に明 解な説明をしても、まるでそれが何も無かったかのように楽しげに自分の話題を延々と しゃべります。このタイプの人はまず変わりません。何故なら、方向がちょっと違うか らですね。彼らは本質的なタイプではなく、表現的なタイプですね。ま、そういう訳で、会話そのものは続けて楽しむと思いますが、誠意を継続して持つことは徒労であろうと 推定しております。そのため、スサノオさんとの会話は単なる会話の継続という形にな るだろうと思われます。従って、以下に単なる会話の継続を行ないます。 | でも私は「晒し(さらし)」をお勧めします。 何故ですか? さらしとは何ですか? | オリハルさん、ウメボシではなく☆梅★です。お間違えの無いように。 ☆梅★とは何ですか? | 久しぶりに食べたのなら、それこそお腹に気を付けてください。 あ、どうも。 | ポストハーベストが怖くて(^^;)最近食べてないのです。 ポストハーベストとは何ですか?                         オリハル 01744/01756 JBH00742 スサノオ RE:50 OFF ( 6) 93/11/05 07:16 01743へのコメント  オリハルさんへ  いえいえ、こちらこそどうも。  お互い「心行くまで」楽しみましょう。  聖書は余り読んだことはありませんし  詳しくないのであなたが何を言っているのか  「さ〜っぱり♪」判りません。  ご質問の件ですが、晒しはこちらでは  (^^メ)こんな顔の人がよく腹に巻いております。  (↑顔が笑っているのが不気味ですね。)  ☆梅★は陰陽五行、藤原時平です(^÷^)。                     スサノオ 01745/01756 GBG02755 すまる 理解される必要はないんだけど・・ ( 6) 93/11/05 17:14 ねえ、あなた、お願いだから 人がどんな風にあなたを思おうと、 どんな風に批判しようと、 絶対に自分に恥じることだけは選ばないで。 世間に理解される必要なんてないし、 友人にだって理解される必要もないんだ。 自分が自分のことをわかっていればそれでいいんだから。 自分に恥ずかしいことを選んで行くとね、 だんだん、卑屈になってしまうの。 他人には恥ずかしくない自分でも、 そんなことを続けていると、 他人の前に出ても、卑屈になってしまうようになるんだから。 私も、随分、人目を気にしてきたわ。 誰も自分を理解しないだろうってことを悲しんで来た。 これから選ぶ私の人生もたぶん、理解者は0に等しいだろうな。 そう思っているのよ。 だけどね、私は私に誓ったの。 「嘘はつかない」「心のままに」「愛を生きる」「逃げない、負けない」ってこと。 これを突き詰めて行くと、どんなことが待っているかわかるだろうか? たぶん、これを生きてみないとわからないだろうと思う。 しかも私という個性を踏まえて考えてみないとね。 私が望んでいたものとはおよそ姿の違った人生が展開されてしまうのね。 私がかつて望んでいた人生を歩いている人をみると、嫉妬するのよ。 羨ましくてしかたないんだもの。 だけど、どうしても否定出来ないものを自分に感じてしまったら、 望んでいない人生も歩くしかないんだ。 しかし、望んでいるのは誰なんだろう。 かつて望んでいたのは誰? いま、歩いているのは誰? 人目ということで話し始めたけれど、 結局は、自分の中のもう一人の自分の眼差しなんだよね。 実際はそんなに他人は親切じゃないし、 冷めた目で、人を見ていたりするんだもの。 過去を振り返って、 あなたは過去の何を捨ててしまいたいんだろう。 そんなことをふと、思いついたら、 けっこう面白い発見があったわ。 あなたもやってみてね。                         すまる 01746/01756 GBG02755 すまる 愛してる>>あなたへ ( 6) 93/11/05 17:20 オンラインにて。 響かないものに、響きたくないわ。 だけど、響いてしまったら、とことん響きたいの。 この体のどこまで響いているのかわからないけど。 響いている部分まで、響きあいたい。 私のすべてではないのなら、 すべてではなく、 すべてに響いたのなら、すべてに響きたい。 すべて・・・それはいまもてるものすべてであり、        過去も未来も、何もかも全てのこと。 今だけの共鳴なら、それも私は響くってことよね。                          すまる 01747/01756 GDB00064 オリハル RES遅れます。 ( 6) 93/11/05 22:50 話の展開はまだ知りませんが、 この土日は、泊まり掛け名古屋なので、 帰って来るのは日曜日、RESは月曜日になると思います。                      オリハル 01748/01756 GBG02755 すまる 生きる力を信じて・・・ ( 6) 93/11/06 08:46 あなたはあなたを生きなさい。 あなたらしくではなく、 あなたそのものを本気で生きなさい。 本気で。 真剣に。 自分に甘えないで。 自分にもたれないで。 自分を生きることに必死になりなさい。 そこに自分らしくないものをみつけても、 信じられないような醜いものをみつけても、 どこまでも自分を信じて、まっすぐ生きなさい。 負けてしまう自分など想像すらしないで。 ただ、走り続けなさい。 一人で。 ただ独りで。 いつか、そんなあなたに心の底から響き合える存在が現われる。 本心で、本気で生きているあなたに、本気で愛し合える人が現われる。 本気、それはじぶんのもてるすべてを生かす力。 すべてに叶う人が現われる。 怯むことさえ忘れさせてくれる人が現われる。 そんな幸せをあなたのものにしてほしいから、 心の底から響き合える幸せを感じてほしいから。 あなたを生きて欲しい。 あなたの力を信じて生きて欲しい。 祈りを込めて、あなたにそれを伝えます。 愛しています。誰よりも。 悲しいほどにあなたを愛しています。 私の真実をあなたに心を込めて、伝えます。                         すまる 01749/01756 JCC02647 とかち いつも感動してます ( 6) 93/11/06 12:46  すまるさんの書き込みを見ていつも感心する。  これだけ多く心に溢れてきて言葉で表せるなんて。  溢れる想いは結構あるが言葉として表す事がむずかしい  想いを言葉で飾ろうと、見栄をはってる証拠なのかもしれない  自然に思った事を自然に言葉にできる事が大切なんだろうけど  変に身についた変な知識が自然体を邪魔する  飾られた言葉を並べてみてもイミテーションにしかならないけど  心のどこかに飾り付ける自分がいる  自然に生きるって難しい  まだまだ修行がたりないなーーーー                        とかち 01750/01756 JCC02647 とかち 初冬に思ふ事 ( 6) 93/11/06 12:49   寒中の梅の花(か)咲きたる2月の日、君と出逢った   寒暖の暖が勝りし桜咲く3月に友達以上の仲になる   暖かくなりつつ緑ふくらむ5月に君への想ひがつぼみとなる   長梅雨の季節に君の事ばかり考える   暑くなりぬ夏に苛立ち覚えた8月に君への想ひを疑い始める   紅く膨らむナナカマド君への想ひが熟した   寒暖の差が激しくなった11月、未練もなく君への想ひを断ち切った   人恋しき初冬の今、心に木枯らし吹きすさぶ  って書いてはみたが、別に心は暖かいんだよ  ただ、あなたに合わせていた時間がなくなるのにホッとしてるだけ  重荷が肩から落ちて楽になった  あなたは人と約束なんてしないほうがいいよ  私だからまだよかったかもしれない  約束する前に責任を感じなさい  出来ない事を軽々しく口にしないほいうがいいぞ  それさえなければ本当に素敵な人だったのに  約束はmust be ではないのだから言い訳しなくても  一言「ごめんね」って言葉が欲しかった  テープレコーダーで君との電話を録音してたほうがよかったの?  本当に信じて欲しかったの?  会話の証拠を突きつけてほしかったの?  「**時に**でね」って言った事をすぐに忘れるようじゃ  ろくな人間になれやしねぇーー  別に人を待つのは嫌いじゃないし、廻りで何言われようが  好きな人を待つ事程楽しいものはないって思っている  変な思考かもしれないが、長く待ってても  こっちが約束間違えてるって思ってるのよ  本当にお馬鹿さんだから  それだけ人の事信じたいのよ、何思われようが  でもね、君とはもうそんな事もできないし、我慢できない  「幸せに」って普段は言って別れるけど  あっさり、きつく言ってあげるね  「ずっとそんな事してなさい、ほんでもっと苦労しなさい   絶対いい事なんてあなたの上には来ないから、   苦労する人生を祈ってあげるね」って                          とかち 01751/01756 JBH02324 なえ ラジャスターン 2 ( 6) 93/11/06 14:35 不思議ね 貴方とは遥か遠い昔から、出会い続けて来た そんな気がする ラジャスターン 幾つもの星を数え、祈りに涙した日々 あたしは糸を紡ぎ、貴方は研ぎ出しの青銅色(ブロンズ)を気にしている 幾星霜の流転を経て再び巡り会う魂 砂漠は遠くかげろうは遥か 熱砂に焼かれたオアシスに雨は降らない 高い城壁の扉にもたれて、あたしはまた口ずさむ 小さな夢を再び見させて トゥルル・・・ ロウルル・・・ 砂の混じった熱い風に、あたしの声は遠く消え行く 不思議ね 貴方とは以前から、気を許し合えた大事な人 そんな気がする ラジャスターン 大海原の波間を越え 果ての無い大地を求めた あたしはランプの灯火を見つめ、貴方は魔法の様に弓を鳴らす 時間をすら超越し幾度でも巡り会う再び 潮の匂いは甘くけだるく マストに掛かる風は明日へと膨らむ 遠い海鳴りを子守歌に あたしはまた口ずさむ 小さな夢を再び見させて トゥルル・・・ ロウルル・・・ 潮騒のうねりに、あたしの呟きは儚く消え行く  ラジャスターン  今 貴方は何処に 01752/01756 GBD03557 シゲ 中華街は気違いばかり・・・ ( 6) 93/11/06 18:27 コメント数:1 まずはニュース速報で流れ、久米さんの番組でも報道され、今日の新聞でも (地方では知らないが)報道されていた「中華街警官殺傷事件」だが、 知らない人も居るかと思うのでちょい。 昨日の9時頃だろうか、維/YUIちゃと二人で家の隣のイタ飯屋さんに 居たら何やら厨房の方で店員が騒いでる。「何かあったのかなぁ?」と、 思うと外はいつの間にやらパトカーやら覆面やらが行ったり来たり。 ウェイトレスの人に聞いたら「北京飯店で男が女性を人質に取って篭城し ている」とのこと。早速道路にでてみる。 道路は警察の車ばかりだった。一般車は通行出来なくしているようだ。 現場の方をみるとサーチライトで照らし、犯人を説得しているようだ。 野次馬なうちらも現場方面に行く。当然のごとくロープで入れない。 裏にまわってみる。現場の近所にいけた。丁度犯人が捕まったところらしい。 人々が「まだ篭城してる」だの「もう捕まった」だの色んな噂を話していて 真偽のほどがわからないので自宅に戻りニュースを観る。 結局、北京飯店の前で火をつけてるという通報で駆けつけた警官が二人を ナイフで刺し、消化器を振り回し暴れた後、近くの観光客の女性を人質に 取り、北京飯店の前で何百人かの警官とやりあってた・・・と、いうもの。 ちなみに刺された警官は病院に運ばれたが一人は死亡。一人は重傷。 亡くなったお巡りさんは、うちの近所の担当で僕等が安心して暮らせるように 日々努めてくれていたお巡りさんなばかりに心苦しい。 殺されたお巡りさんに心から哀悼の意を捧げたい。 横浜の繁華街、それも観光地に住んでいるというのでしょうがないのかも しれないが、このあたりは変な連中が多い。 ジョギングや犬の散歩や写生、そんな一見平和な山下公園も夜になると ナンパ、麻薬、喧嘩・・・と、物騒になる。 中華街には30や40面下げたオヤジが酔っぱらいが女性に絡み付き、 地元民以外の車は(って、99%以上だが)我が物顔で歩行者を蹴散らし、 某S氏はそんな車に「バキャロー!てめえがバックしろ!ぁあ?歩道通れだとぉ? バッキャロー!歩道にバイクが駐車してんのに車椅子が通れっかってんだアホ!」 とか怒鳴っている。(^_^;) ああ、気違いに刺されないように気をつけなくっちゃだわ。(^^;) シゲ 追記:犯人はボディビルではかなり有名な人らしい。あのがたいで腕力なら 警官もかなわないだろうなぁ・・・ 01753/01756 NAA01730 九十九 乱蔵 Re:中華街は気違いばかり・・・ ( 6) 93/11/06 21:06 01752へのコメント 丁度彼女の所に電話をかけてた頃か〜、事件が有ったのは・・・・ シゲさんの家の近所だったから、大丈夫かな?と思ってたけど、 まさか野次馬していたとは・・・・・・(^^;) 以上 九十九 乱蔵 01754/01756 GBA01276 しまうま 日々是 Everyday ( 6) 93/11/07 01:22  今この瞬間、考えうる最良の選択。  それを1日にできるだけたくさん繰り返し、僕は生きていく。  自己否定でも、謙遜でもなく、 僕は僕だ。  誰のためでもない。  僕は、よりよい人生を歩もう。  太陽を見ると目がつぶれる。  これが運命、と考えると、人生じゃなくなる。  人目を気にしていると、自分がいなくなる。  人のことを考えないと、自分のことさえわからなくなる。 01755/01756 GCG01043 彩瀬 無邪気 ( 6) 93/11/08 01:40 コメント数:1 無邪気な自分がいなくなった。 無邪気に笑い、無邪気に怒り、無邪気に泣く・・・ そんな自分が姿を消してしまった。 身体を使って自分のものにしなければならない事を 経験を通じて身につけなければならない事を 頭の中だけで組み立ててしまったから。 心のどこかが そんな僕を哀しんでいるから、そんな僕に失望しているから、 無邪気な自分が姿をくらましてしまった。 そして僕はどこへも行けなくなってしまった。 どこにいるのかさえもわからなくなってしまった。 「迷宮」 いや、良く言って「行き止まり」「袋小路」・・・。 自分を知らなかったがために間違ってしまったプロセス。 結論に納得はしていても、ズルをした自分に得心していない。 スタートラインからゴールのテープの向こう側を覗き見て、勝手にレースを降りる。 そんなマネをしてはいけなかったんだ。 息が上がろうと足が吊ろうと、そこまで必死に走るべきだったんだ。 結果が「金」であっても「リタイヤ」であっても、 無邪気な自分は失望なんてしなかっただろう。 「くやしい」と思えば、もう一度スタートラインに立つ事を選ぶだろうし 満足できれば、また次のゴールをめざして走る事を選ぶだろう。 少なくとも今みたいに、トラックがどこにあるのかすら見失う様な事には ならなかったはずだ。 袋小路から抜け出すために・・・ 僕の弱さに僕が同情して膝を抱え込む。膝を抱えて座り込んでしまう。 そんな習性を早く(いや、今すぐにでも)捨ててしまわなければ。 血反吐を吐く事も、生命を落とすかも知れないギリギリの崖っ淵を歩く事も厭わずに、 無邪気な自分がいつも僕と共にある生き方を選ぶ努力を怠らない様にしなければ。 正直に言って、恐い。 これが、何も知らないが故の「無邪気」ではないから。 僕の弱さや脆さを見せつけられた上での「無邪気」だから。 出来る事なら、後戻りして別の橋を渡りたいと思う。 でも、もしかしたら、その橋は既に焼き払われて無くなっているかもしれない。 そう思うと、後ろを振り返る事さえ恐い。 結局、前へ足を出すしかないのかな。                                  彩 瀬                                  SAISE. 01756/01756 HGB02122 あもり RE:無邪気 ( 6) 93/11/08 08:46 01755へのコメント  こんにちは。彩瀬さん。  私も、このフォーラムに入り立ての時、非常に悩んだ経験があります。  ウソをついて虚飾していた自分を見るに当たって、まさに彩瀬さんと  同じ様な気持ちになっていました。    心がちらかってるだけだよ    迷路なんて悲しい...  かつて、新しく出来た友人にそう言われました。  あ、ナルホドなあ、と。  その後、単純に私は、心の中でちらかっていたり、隠れているものを、  手に取って、ひとつひとつ眺めました。  一まとめにしたり、箪笥の引出しにしまってみたり...  その作業は今も続いています。  片付き始めたものをどうしたらいいか?は人それぞれです。ただし、  捨ててしまう事はもっとも難しい作業になるでしょうね。  では、質問です。  失望している「僕」はどこにいるんでしょう?                           HGB02122 あもり - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/11/08 - 01574/01580 GDB00064 オリハル RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/05 01:14 01571へのコメント コメント数:1 /スサノオさん、どうも。 | 善良な市民のオリハルさんにご迷惑をおかけしました。 いえいえ。 | でも逆さ人間のオリハルさんなら笑って許してくれますよね。(^_^) そうですね。 | シュタイナーの事はただ本を読んだだけで全く何も知らず | 「あてずっぽう」で書き込まれていたのですね。 ただ、シュタイナーがそう言っているということです。 ですので、シュタイナーへの信頼の上での事であり、 私が「あてずっぽう」で書き込んだ訳ではありません。 | オリハルさんは石田さんに何か悪いことをされたのですか。 そうですね。RESをしてあげた方が良かったのかも知れませんが。 しかし、そのようにしたら、あの時点では、 敵と味方に分裂が生じるような感じがあったように思います。 | でもオリハルさんの場合はNIFTYに存在する、しない以前の | 問題になるので(^0^+)(←嘘泣き)これは関係ありませんね。 ちょっと論理が分かりませんが。                         オリハル 01575/01580 JBH00742 スサノオ RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/05 07:17 01574へのコメント コメント数:1  オリハルさんへ  オリハルさんのようにシュタイナーの本を何回も読んで  論理が出来上がった人に「あてずっぽう」という  本当のことを言ってしまい、大変傷付けてしまいました。  本当に御免なさい。m(_ _)m(←引力に頭が負けた図)  ギャハハ!のギャハハ!  私の論理が判りませんか???????  私は人に合わせてお話しているだけですよ。  これから「嫌でも」(^_^)判るようになりますから、ご心配なく。                         スサノオ 01578/01580 SDI00635 みれ RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/07 12:48 01575へのコメント コメント数:1  #01575 スサノオ さん  スサノオさん、更改されたローカル・ルールを読みましたか?  あなたの文章は、明らかにオリハルさんの発言を揶揄していま す。このような態度を続けられるなら、FARIONでの発言を止めて 頂くしかありません。警告しておきます。             ★世紀末フォーラム/SYSOP/SDI00635/みれ★ 01579/01580 JBH00742 スサノオ RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/07 20:29 01578へのコメント  世紀末フォーラムシスオペへ  私はオリハルさんを「揶揄」したつもりはありません。  折角オリハルさんからは私と「楽しく」付き合ってくださる  と解答して頂けたのに、二人の仲を壊すつもりですか。  もう少し長い目で会員同士の「会話」を見守って頂けませんか。  それともオリハルさんが私の発言に対して何かクレームを  直接シスオペ宛に連絡でもされたのでしょうか。  一方的に私のみを対象とする今回の「警告」は納得できません。               世紀末フォーラム会員スサノオ 01576/01580 NBB01420 SUKE SUKEよりARIONへ(無形の自分) ( 7) 93/11/05 22:30  こんにちわ、ARION  MES 7,#1552 (自分を支えること)  で書いたことに、ある方向が見出せてきたので、それを報告しようと思います。  方向というのは2つあります。1つは職場での考え、もう1つは私生活の考えです。 =======================================  職場においては、私が身につけた技術や知識は、役に立つ「道具」にしか過ぎませ  ん。そこで、それらの道具をどう使うかが私の本来の存在価値になるのではないか、  ということです。  例えば職場にある装置類を用いて、他の人が考えなかったような仕事をしてみると  か、既にあるものを組み合わせることで、新しい成果を挙げること.....こう  した独自の発想こそが実は自分という存在を位置づける「無形の価値」であるとい  うことがわかってきました。  私生活については、仕事以外の部分に自分の世界を広げることを、もっと本気です  るべきなのだと言われ、そうかなぁと思っています。つまり、一色に染まらずに、  様々なこと、様々な人との世界を持つということです。  これは多分、付き合いが広ければ寂しくならない、ということを言われたのではな  いでしょう。どの世界に在っても共通して存在する自分の本体というものが、まさ  に「無形の自分」なのではないでしょうか? ====================================  こうしてみると、私には技術や知識はいろいろあっても、肝心な自分というものが  ない、ということにはっきり気が付きます。そして仕事上と私生活上とでやり方が  違うものの、結局求めているのは、自分の発想や自分の感性といった無形の存在な  のだとわかります。  先行きの見えない暗闇に、かすかに光が見えてきた思いです。しかしまだ一歩も踏  み出せていません。  特に職場では、目先の苦しさが重く、惑わされます。一秒一秒が苦痛であるのに、  突然軽く抜けたりもします。そしていつまでも眠れず、朝目覚めては気落ちする、  という毎日です。  この目先の苦しさについては、何か意味があるのでしょうか?  無視するためには、私はある程度自分を殺さなければならないでしょう。沸き上が  る想いを冷徹に押し殺す精神力を持たなければならないのです。それは、果たして  自然なことなのでしょうか?  これでは私は無感動な機械人間のようになってしまいそうです。                                    Suke. 01577/01580 NBB01420 SUKE SUKEよりARIONへ(目先の苦しさ) ( 7) 93/11/07 01:44  MES 7 #1576 (無形の自分)  の最後で、目先の苦しさに触れました。  目先の苦しさの一つとして、失恋について考えてみたことを書きます。 =======好きになる傾向==============  私が今までに好きになってきた女の子には、傍目に見ると、ある傾向が見えるよう  です。  ではどんな人を好きになってきたのか?  私から見れば、きっと、"見抜けない"女の子です。  大抵の人間は、おおよそどういう人なのか見当が付くものです。しかし中には、特  に変人というわけでもないのに、何を考えているのかさっぱりわからないという人  間もいます。  どうも私は、そういったよくわからない女の子に注目してしまうようです。  友人には「SUKEさんはあぶない女の子を好きになるね」と言われます。  よくわからない、というのは、私が持っている価値観では説明できない、というこ  とでしょう。価値観の相違があることを問題にしているのではなく、全く価値観そ  のものがあるかどうかさえ、わからないタイプの人がいるわけです。  そこで、親しくなることによって、相手の価値観をなにがしか察知しようという気持  ちが働いているのかも知れません。 =======実際には.....========  失恋と言ってもお付き合いがあったわけではなく、むしろコミュニケーションを持  つことが殆ど出来なかったのですが、失恋を認めたそのときに感じたのは「悲しみ」  よりも「敗北感」でした。つまり相手の価値観を知ることが出来なかった、という  気持ちが心のどこかにあるのでしょう。  女の子の友人の中には、全く価値観が違うのに、その心根は信じていられるという  人もいます。それに比べて、この恋の相手を私は信じることが出来ませんでした。  こう気付いたときに、既に私には恋を実らせる資格が無かったのかも知れません。  しかし、本当に「好き」だったと言えるのでしょうか?  ある時には、笑顔で語らってくれたこともありました。しかし、そうなってみると  案外気が済んだように思えて、以前よりも興味を失った時期があります。  だとすれば、単に「気になる」のであって「好き」なのではないのでしょう。 =======好きということ.....========  過去、私が誰かを好きになってきたというのは、実は価値観を掘り当てたいという  興味から執着していただけではないか?  これは茫然自失するに充分な衝撃です。  では本当に「好き」というのは、どんなことなのか?  よく「こういう人って好きだなぁ」という言い方があります。このときの「好き」  は英語でいうLikeでしょう。異性に限らず、そう思える人はあります。そして中に  は失いたくない大切な友人もいます。それはLoveの意味で「好き」な人よりも優先  して大切にする場合もあり得ます。  LoveもLikeも実は非常に近いところにあるような気がします。  「好き」になるのに理由は要らないといいますが、それはLikeもLoveも同じです。  こう気が付いて周りを見回すと、今までとは違った気持ちで人を見渡すことが出来  ます。小説やドラマであっても、その中に語られる恋愛感情というものに、今まで  とは違った見方が出来るような思いです。 =======さて.....==================  私は本当に恋を失ったのでしょうか?  泥沼の中で血みどろになりながらも、思考する力が残っているのですから。  愕然とするような発見をし、自分の今までの気持ちを大きく覆す驚きにもまれなが  ら、むしろ恋という気持ちを改めて見つけたような気がします。  気が付いてみると、心の傷口の出血はどうやら止まってきたみたいです。                                   Suke. 01580/01580 HGB03731 二木 聡 直感 ( 7) 93/11/08 02:27 ハローメッセージに出てくる[船]というのは [地球]のことであろうか? だとすれば、メッセージの宛先は我々全員ということになる。 勿論、地球に棲む人類全体をさしているのであろうが 我々全員とはいっても、当フォーラムの存在を知らぬ人たちには 届けようもないから、その役目は当フォーラムの会員が担うべきなのであろうか。 これは、大変なことだ。 - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/11/08 - 238/240 JAC03213 ぽん 気功ってふしぎだ ( 9) 93/11/05 22:50 コメント数:2  ちょっと古い話題で恐縮なのですが、10月初旬に北海道で開催された 応用物理学会といったお硬いところで、気功についての発表があったそうです。  発表者は某F通研究所(^_^)のグループで、気功者数人に手の前にオゾン検出機を 置いて気功をやってもらったところ、半分以上の人の手からオゾンが出ている事が 確認され、そのうちのひとり、”が”さんはものすごい(らしい)量を出したとの事。  発表に居合わせた友によると、質疑応答の時間では、気功が電場に影響を及ぼし、 その結果オゾンが発生したのではないか、等という議論がなされたらしい。  北海道に行ってじかに討論に加わりたかったな。  (ちなみに私は新潟より北に行った事がない)  しっかし、オゾンて人間には有毒なんじゃなかったでしたっけ。  早大の大槻教授は10/24放送の”ドラキュラが狙ってる”の中で、超能力、 UFO、幽霊等と同系列に気功を置き、「そんなものは存在しない」と豪語されて ましたが、彼はこの事実をどう理解されるのでしょうか。  ほとんどの方はご存知だと思うが大槻教授を知らない方へ  大舞家の人々というパスタのコマーシャルで、父親役をやっている人がそうです。  知ってた?                                     ぽん 239/240 JAA02535 竹 3 号 RE:気功ってふしぎだ ( 9) 93/11/05 23:14 238へのコメント  >しっかし、オゾンて人間には有害なんじゃなかったでしたっけ。 そそ、独特の匂いがしますよね。  学生時代、先生に聞いた事がありますが、高圧の実験の最中、短絡させてしまい、 キュービクルはこわすは、実験室の配線が燃えて火花をちらし、空気が分解したのか 異様に臭い匂いがした、という。どうもそれがオゾンだったらしい。  でも、最近トイレにオゾン脱臭器というのがついているのがあるけど、 それこそ大丈夫なのだろうか?                             竹 3 号 240/240 KFD00473 たまご RE:気功ってふしぎだ ( 9) 93/11/06 17:08 238へのコメント  >>>ぽんさん  はじめまして。実は私は札幌在住ですが、その学会が行なわれたのは札幌 だったんでしょうか。そうだったら実際に現場で話を聞けたかもしれなかった けど。  気功でオゾンが発生するということを検出したという事実より、オゾンを 測定しようと思い立った研究者の発想に感心しました。でも、オゾンが発生 したことによって何なんだっていう話になると、ううむ(-_-;)と唸るしかない ですよね。まだ何もわかってこない。  大槻教授と言えば、超常現象ファンの敵(^_^;)じゃなかった、立派な科学者 なので、プラズマで原理を解明してくれるような気が(^O^;)します。おもしろ いですよね、教授の話は。ただ、仮定と偶然ばかりで出来ている説に思えるん で、ホンマにそんなことが起こる得るのかいな?といつも思うんですけど。  >>>竹3号さん  オゾンって強力な酸化作用があるからそれで、匂い物質を参加して匂わなく するんじゃないの?よく知らないけど。  でも、確かに酸化剤は匂いの元と人間とを区別してくれないような気もする。    まとコメしてしまった たまご - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/11/08 - 122/129 NAA03530 三平 RE:聖地から帰りて (11) 93/11/05 22:18 121へのコメント コメント数:1 どうも、あもりさん、初めまして。 私は、10月24日玉置山に行ってきました。 ちょうど着いたのが3時30分位で、やけに山を下ってくる車が多いので変に思って いたら、駐車場にも車がいっぱいでどうやら祭りのようでした。ただ、もう終わり かけで鳥居の周りに出ていて屋台もぼちぼち店じまいにかかっていました。 あもりさんも御指摘のとうり以前来た時より伐採が進んでおり、あちこちに切り 倒された杉の木が山の様に積まれていました。また、白い陶器の蛇や狐の置物が 以前にも増してたくさん祭られていました。 玉置山は、開かれたのではなく閉ざされたのでしょうか? ただ少し気になったのは、玉石が以前より地中より出てきてる様な気がするんです。 ほんの僅かですが、大きくなったようなのです。勿論誰かが玉石の周りの白い石を 少し取り除いただけかもしれませんが?柵をよじ登って中にはいりその様なことを する輩が居るんでしょうか、もしそうだとすると嘆かわしいことですね。 PS 皆さん、それと現在手に入るもので、玉置山に関する文献が何か有りましたら教えて 頂きたいのですが、宜しくお願いします。 三平 123/129 MGH00465 アキラ RE:聖地から帰りて (11) 93/11/05 22:51 122へのコメント コメント数:3  #122 三平 さん  こんにちは。玉置山の文献については、酔狂生さんが詳しいので教えてくれ るでしょう(ただし、図書館でないと入手できないかもしれません)。  平井さんが言っていた、浜本末造さんの著作は、もうお読みになりましたか?  そうそう、キ****さんからいただいたメール、お返事しないままずるず るとしてしまいました(^^;) 以前のときは、とても素晴らしい参詣だったよう ですね(^_^) MGH00465 アキラ 124/129 GEH01636 酔狂生 玉置山関係文献 1(長文注意) (11) 93/11/06 09:16 123へのコメント コメント数:1  アキラさんから話を振られましたので、玉置山関係の文献をいくつか紹介し たいとおもいます。(ほんとは、平井先生が「玉置山は封印された」とおっし ゃっていたので、こんなことすると、バチがあたるのではないかと(^_^; 今も ためらったりしてるのですが…)(なお、浜本末造の本は省いてあります)  データの記述形式は [番号]執筆者名「論文名」(『収録図書名』もしくは「掲載雑誌名」発行所 発冊s年)  簡単な内容紹介  です。もれや間違い等ありましたら、ご指摘ください。では、どうぞ。 [1]佐藤虎雄「玉置山」(地方史研究所編『熊野』地方史研究所 昭和32年) 小生のみた中では、玉置について一番くわしい論文。なお、この『熊野』という本は、 初版が昭和32年で、藝林舎から昭和49年に復刻版がでている。また、増補新版が 原書房から昭和57年に発行されている(ただし、いずれも絶版)。いずれにせよ、 熊野に関する総合的な調査報告の本として、他の箇所も参考になると思う。 [2]佐藤虎雄「玉置山の神佛分離」(「大和文化研究」3巻5号 昭和30年10月) [1]と同じ著者によるもので、内容も多少重複している。 [3]「玉置山権現縁起」および同解題(『山岳宗教史研究叢書 18 修験道史料集 2』名著出版 昭和59年) 玉置山に保存されていた同山の縁起。本文より解題の方がありがたい? [4]「玉置山権現縁起」および同解題(『神道大系 神社編5 大和国』神道大系編 纂会 昭和62年) [3]とほぼ同じ内容。なお、この本には天河神社の縁起も収録されている。 [5]「玉置神社」神社解説、神社一覧(『奈良県史 第5巻 神社』名著出版 平成 元年) 玉置神社の概説。 [6]「玉置神社の石造物」(『奈良県史 第7巻 石造美術』名著出版 昭和59年) 玉置神社境内の宝篋印塔と地蔵、五輪塔の解説。 [7]玉置神社(谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 4 大和』白水社 昭和60 年) 玉置神社の概説。ついでに天川神社の概説もあり。 [8]「玉置山」「玉置神社」(『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店 平 成2年) [9]「玉置山」「玉置神社」(『日本歴史地名大系 第30巻 奈良県』平凡社 昭 和56年) 地名辞典による玉置山の解説。 [10]「大和名所図会」「吉野郡名山図志」(『日本名所風俗図会 9 奈良の巻』角 川書店 昭和59年) 江戸時代の名所図会による玉置山。「吉野郡名山図志」の方は、著者による玉置山来 訪記になっており、地図をみながら地名をあてはめると面白い。なお、折立から登る 道に大蛇がでたという記述が、なにやら暗示的。 [11]「紀伊国名所図会」(『日本名所風俗図会 12 近畿の巻2』角川書店 昭和 60年) これも名所図会。こちらはいささか堅苦しい。 [12]南方熊楠「小児と魔除」(『南方熊楠全集 第2巻』平凡社 昭和46年) 狼を魔除にする例として、玉置山が神狼を使い者としていることなどをあげている。 なお、「蟇目を行う」とは、弓弦を打ち鳴らし、鏑矢を射ることによって、その音で 妖魔を追い払うことらしい。 [13]雑賀貞次郎「牟婁口碑集」(『日本民俗誌大系 第4巻 近畿』角川書店 昭和 50年) 雑賀貞次郎は、晩年の南方熊楠の秘書のようなこともしているので、[12]となんらか の関係があると思われる。なお、玉置山のことは、奈良県の本と和歌山県の本の両方 に出てくるので、調べるのがメンドクサイ。この民俗関係や民話・伝説関係について も同じ。 酔狂生(GEH01636) 127/129 NAA03530 三平 RE:玉置山関係文献  1 (長文注意) (11) 93/11/07 01:11 124へのコメント 酔狂生さん初めまして。 貴重な文献の数々の御紹介、身の危険も顧みず?有り難うございます。 やはり予想どうり入手困難そうな物ばかりですね! 早速、図書館と古本屋巡りをしてきます。 三平 125/129 GEH01636 酔狂生 玉置山関係文献 2(長文注意) (11) 93/11/06 09:16 123へのコメント #玉置山関係文献 1 のつづきです。 [14]「玉置」(太田亮著『姓氏家系大辞典 第2巻』角川書店 昭和38年) 玉置氏の由来に関連して、玉置山についても触れている。なお、玉置神社の紋は洲浜 で、玉置神社の棟飾りにもこの紋がついている。ついでにいうと、洲浜は蓬莱山の形 を型どったものだそうな。 [15]……(横井金谷著、藤森成吉訳『金谷上人行状記』平凡社 昭和40年(東洋文 庫37)) 横井金谷は江戸時代の僧侶。金谷は、文化元年(1804)に三宝院門跡である高演 の大峰奥駈けに参加し、一行とともに玉置も訪れている。玉置の御玉石で如法の御法 楽をしたとあるが、具体的にはどのようなことをしたのだろう。それはともかく、江 戸時代にも玉石社が礼拝されていたことがわかる。 [16]……(宮家準著『大峰修験道の研究』佼成出版社 昭和63年) 修験道関係の本では、たいてい奥駈けの行場として玉置山が登場している。たとえば 同じ佼成出版社の『日本の聖域 修験道場大峰山』とか、前田良一著『大峰山秘録』 (大阪書籍 昭和60年)、あるいは「芸術新潮」平成元年9月号に載った「山伏見 習 大峯奥駈けに挑む」というグラビア記事など。花折塚では花を摘んでいいとか、 そこからは無言の行とか、宝冠の森で護摩を焚いて般若心経をとなえるとか。 [17]須山高明編「熊野関係研究文献目録(1)」(『紀州史研究 3 総特集熊野1』 国書刊行会 昭和63年) 文字どおり熊野関係の文献目録。玉置を調べるには、まず熊野を調べる必要があると おもうが、その足掛かりの一つとして。 [18]吾郷清彦「玉置古文書とタマキマチガタ」(「さすら」32号 昭和48年7月) 玉置神社がかつて所蔵していたという、神代文字でかかれた文書の紹介。これによる と、玉置神社には、兆形(マチガタ)の説明を記した、慶応2年5月の奥書きの、黄 薇桃園の筆になるアヒルクサモジの文書があったという。(浜本末造『万世一系…』 183〜184ページ参照) 吾郷はこのほかの本でもこの文書を紹介しており、たとえば ・吾郷清彦著『日本神代文字』大陸書房 昭和50年 ・吾郷清彦著『日本超古代秘史資料』新人物往来社 昭和51年 ・吾郷清彦著「図説日本修験道秘録」(「歴史読本」22巻11号 昭和52年9月) ・吾郷清彦著『超古代神字・太占総覧』新人物往来社 昭和54年 などがある。それにしても、なぜこんな古文書が玉置神社にあったのだろう? [19]埋蔵されたソロモンの宝 四国・剣山(柞木田龍善〔たらきだ・りゅうぜん〕著 『日本超古代史の謎に挑む』風濤社 昭和59年) 高根正教によると、四国剣山にはソロモンの宝である「アロンの杖」が、また玉置山 には「黄金のマナ壷」がかくされている、という話がかかれている。このうち、黄金 のマナ壺は、浜本末造の本の中にも出てきたと思う。 なお、ソロモンの秘宝関係の書物としては、以下のものがあるという。 ・高根正教著『四国剣山千古の謎』自費出版? 昭和27年 ・山本英輔著『真理の光』善行会 昭和26年(再版:千代田書院 昭和29年) ・高根三教著『ソロモンの秘宝』大陸出版 昭和54年 ・高根三教著『アレキサンダー大王は日本に来た 黙示録に秘められた古代史』シス テムレイアウト 平成2年(※高根三教は高根正教の息子) #スサノオさんが#107で紹介しておられた「心霊研究」誌は、小生未見のため  リストから省いてあります。 #資料の収集には、ほとんど図書館と古本屋とコピー機の世話になりました。 #それにしても、よくもまぁ集めたもんだ(^_^; 酔狂生(GEH01636) 126/129 NAA03530 三平 RE:聖地から帰りて (11) 93/11/07 01:10 123へのコメント コメント数:1 アキラさん、こんばんわ そうなんです、初めて行った時余りに素晴らしかったのですぐに2回目を 計画したのですが、諸般、諸々の事情で駄目になり、その次も駄目と言う事 を何度か繰り返し半ば私たちにはやはり縁が無いのかと思ったり、その内 計画を立てること事態何故か怖くなってきたのです。その矢先、新聞広告 に奥吉野の別荘地の案内が入ってきたのです。私たちは老後は吉野でと思って いましたので何故か玉置山に呼ばれているようなきがして(勝手な解釈) 10月24日の朝、急遽御参拝というふうになったのです。 別荘地も坪15、000円と言う値段に引かれて見に行ったんですが、人が立って 歩けない位の急勾配で整地もされておらず、まるで原野商法?みたいなもん でした。まあ値段からしてまともな物件とは思っていませんでしたが・・・ まだ浜本氏の著書も読んでませんので御紹介頂けましたら有り難いんですが 宜しくお願いします。 三平 129/129 MGH00465 アキラ 浜本末造の本 (11) 93/11/08 02:30 126へのコメント  酔狂生さん、文献リストありがとうございました。この文献、神道・歴史関 係に疎い私などが読むより、他の人に読んでいただいたほうがいいような気が しますんで、興味のある方はぜひぜひ読んでみてくださいませ。  そうそう。いま、名古屋オフの話が出ていますんで、もし読んでなかったら、 オフの部屋を読んでくださいませ>酔狂生(わたしゃ出れませんが)  で、浜本さんの本で、書店で入手可能なのは以下の通りです>三平さん 『万世一系の原理と般若心経の謎』 『終末の世の様相と明日への宣言−裏が表に出る仕組み』 『人類は生き残れるか−日本に秘められた真言を解く』 以上、すべて霞ケ関書房。本体価格1500円、です。  酔狂生さんのリストに載っている文献と比べ、かなりぶっ飛んだ内容です(^^;)  キ****さんからいただいた玉置山に行かれたお話のメール、とても自然 体で、非常に感銘を受けました。「そうそう、これなんだよ、これじゃなくち ゃ!」といった感じ。  玉置山は、もうまったくわけのわからない山で、私などはただ息を潜めて成 り行きを見守っていることしかできないんですが、また何か動き出すのでしょ うか……。  別荘地、どのへんなんでしょうか? あのへんの土地が坪1万5千円なら心 が動きますね、どんな土地であっても(^^;)(ま、30坪くらいだけ買うなんて わけにはいかないんでしょうが……) MGH00465 アキラ 128/129 NCD01751 しろおか 思索&独話 (アブネ〜ヤツ!!^^;) (11) 93/11/07 09:14 【 〜 前略 〜 【末梢の感覚受容器が刺激されると、その神経細胞は興奮しインパルスを発生する。発 【生したインパルスは軸索内を伝導し、感覚として認識される。つまり、ある感覚受容 【器で発生したインパルスが伝わって最後に興奮させられる大脳の特別な部位で、どん 【な感覚であったかということが決定される。とすると、もし感覚受容器と中枢神経系 【の間で、その経路が興奮させられたら、本当は刺激はないのに、それを感覚として感 【じるだろうか。たとえば、左腕を肘の部分から切り落とした人が、左の親指が痛いと 【訴えることがある。切り落としてもう存在しないはずのところが痛いと。これは、切 【断面にある、痛覚受容器から中枢神経系にいく神経軸索の断端が刺激されたことによ 【る。つまり、大脳皮質の痛覚を感じる神経細胞は、痛覚受容体が刺激されたのか、あ 【るいは、切れたところで神経が刺激されたのかを区別できないためにおこる(幻肢症 【という)。 『脳 100の新知識』講談社 (私)フ〜ム!!。なるほど、なるほど。(-_-ゞ ポリ ポリ (私’)おっ!。これはもしかしたら。この「幻肢症」という生理的現象は、金縛り体     験に屡々ともなう触覚(圧覚)の説明にも摘要できるのではないか?(゚゚) (私”)フン!!(平井和正 風に^^;)。そんなものはただ単に経験的事実を現象的に説     明しているだけで本質的な問題に対しては何の説明にもなってはいないな! (私)・・・・・。 (私’)なるほど、先決問題要求の虚偽というわけだ。しかし、その問題はモラトリア     ムとして一先ず棚上げにするしかないだろう?、かなり冒険的な推論の域を出     る代物ではないから、安易な結論に飛び付くのは何としても避けたい。     それよりも、平井和正さんの持病である狭心症だけど、幻肢症の一種とは考え     られないか?。私自身も何度か心臓に異常を感じたことがある、まるで目に見     えない誰かの手で心臓を鷲掴みにされ絞め上げられているような感じだった。     母方の祖母が心臓にペ−スメ−カ−を埋める手術をした時と時期的に一致した     りするのだが真の原因は分らずじまいだった。 (私”)いゃ、彼のばあい不整脈の問題があるそうじゃないか!。 (私’)なるほど、単なる痛覚だけの問題では無いということか。イデ・フォルスであ     る可能性もある。 (私)もしかしたら、「狂信症」を捩った神様のジョ−クだったりして!(^ ^;)。 (私”)確かに狂信的だね。『幻魔大戦』など犯罪に近いね!、恐らく主人公の東丈は     高橋信次さんをモデリングしているのだろうけど狂信もあそこまで行くとね!? (私’)そう言えば感覚という言葉で思い出したけど。『真創世記 地獄編』の中の「     地獄めぐり」の箇所には内容的にどうしても釈然としないものがある。 (私)‥私には「アストラル・プロジェクション」の体験は全く無いのだが?。 (私’)つまり私が言いたいのは。外的な事象を認知する手段として、いかなる感覚を     用いているのかということだよ。あの文脈を読む限りにおいては、生身の感覚     (五感)を用いているとしか理解できない、いかなる意味においても「超感覚     的知覚」は機能してはいない、可笑しいではないか?。"超感覚的知覚"は純粋     な知覚としてダイレクトに認知される、外界からの心理的影響を多分に受ける     はずではないか、心理学的には「転移・逆転移」の心的現象が"超感覚的知覚"     では瞬間的に生じる、精神的に無傷でいられるはずがない。あの文脈の中には     そういった精神的な実害に対する叙述が抜け落ちている、そんなことは超心理     学的にも心理学的にも絶対にありえない。 (つづく)かな?(。_゚;)?? - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/11/08 - 00759/00763 GGA02514 KAZE 遊戯団も2周年(^^) (13) 93/11/05 00:28 00756へのコメント コメント数:1 隆ちゃん、どうもです。 11月といえば、この神秘学遊戯団がオープンして2周年です(^^)。 もう2年もとも思えますし、たった2年とも思えるのですが、 どちらにせよ、この2年間に学んだことというのはいろいろあるなあと 少しばかり振りかえって感慨があったりします。 これからも今までのように、無理せずあせらずに、 この会議室を続けていきたいものだと思ってますので、 今後ともいろいろよろしくお願いします(^-^)。 >辛いながらも、割と冷静に自分の身体の状況を観察できるようになりました >し、感謝まではいきませんが、「一体これは何のサインかしらん?」とは思 >えるようになりました。 いい方向に向かっているようで、がんばってほしいと思いますが(^^)、 身体的状況ではないにしろ、ふりかえって、全然余裕のなかった昔の 自分自身の精神状態をを思い返してみると、 過酷な状況が示している「サイン」について考えて見よう、なんて なかなかむずかしいことなんですよね。 でも、やはりそういうかなり破滅的な状況を体験しているのとしていないのとでは 気付いた後のいろいろがたぶん大きく違っているのでしょうね。 教育的効果(^^;;とでもいえるのかもしれませんが、 やっぱり最初は歯茶目茶でわけわからなくなっていて瀬戸際まできているからこそ 納得できはじめたときの「強さ」というのは大きいなあと思うのです。 身体に対する考え方も、一度はかなりひどい目にあってみないことには、 なかなか根本的には変わらないし、ひとの気持ちもわからないものですから、 そういう意味での「ひどい目」というのもありがたいものなんですよねぇ。 首がまわらないことについてですが(^^;;、 >それって視野の狭さを教えてくれていると言うよりは、逆にあまり周りを見な >い方がよいっていうサイン(少しは休みなさいという意味です)かもしれませ >んね。 ううむ、「休みなさい」というサインの割には、ぜんぜん暇になりません(^^;;。 それよりもたぶん、忙しい上に身体的不調になるというのは、 「おまえさん、いいかげんに開き直んなさい!」ということかもしれません。 おかげさまで(^^;;、一昨日、この温厚な僕が(^^;;、 あまりにわがままな先輩に向かって怒りをぶちまけてしまいました(^^;;。 僕の記憶するところでは会社に入ってはじめてのことです。 そのせいか、その先輩が驚いてやさしくなるは、その他の方々も理解を示すはで、 怒りをぶちまけたわりには、事態がなぜか好転しているようなのでした。 ま、たまには言いたいことをぶちまけるのもいいわいと、これからも怒りを 有効に活用していこうというセコイ気持ちになっているのでした(^^;;。 そのせいか、昨日から首がちゃんとまわるようになりました(^^)。 >断定できる事というのは断定した本人がその事の責任を十分に負えるときに限 >ると思うのですね。 僕も自分で明確に責任が負えるかどうかがあやふやなままで、 断定!を強行してしまうことがあって、反省することしきりです。 でも、責任は負えなくても、負わざるを得ないわけですから、 その苦しさ、痛さ(^^;;を反省の鞭として、少しは成長しなくちゃなあ、 と思いながらも、なかなか人間は成長できないのでありました(^^;;。 ま、一気に成長しまってはおもしろくありませんから、 楽しみながら苦しんでいこうかなあという感じなのであります(^^;;。 >逃避のおっかない所は、逃げて逃げて逃げまくったあげく、結局逃げきれずに >大きなショックに遭遇する事だと思います。結局、光にこだわりすぎると、か >えって闇がきわだってしまうとも思いますし・・・。 そうなんですよね、逃避っていうのは逃げないよりもずっとおっかないんです。 試験前にちゃんと勉強して、お叱りや追試や落第などを避ける方が楽なのに、 人間というのは愚かなもので、わかっちゃいるけど逃げたくなるのが人情。 あまりに「勉強しなさい!」ってやりすぎると、 「勉強なんてしてやるもんかい!」というように闇に逃げたくなります。 いつかは一気にツケがまわってくることになるのですが、 それをうすうす気付いていながら光と闇がきわだってきて、結局闇に向かい、 そのツケが限度を超えてしまうともう収拾がつかなくなる、というわけです。 で、闇の恐さをしって「おおこわ!」っていう段階を過ぎると、 今度は闇でなければ生きられなくなり、そのうち光がこわくなってしまいます。 霊的にみると、悪魔さんだとかサタンさんだとかいうのが 実際にいるようですが(^^;;こういった方はやっぱり、 (日月神示によれば「お役目つらいぞ!」ということですが、それはともかく) 闇をきわだたせすぎた存在なんでしょうね。 ま、ということで、光と闇というのはとってもむずかしいですね。 >宇宙は果たして進化するのか?というのも考えるところです。ある秩序・法則 >に沿って起こる変化は進化と呼べるのだろうかとか、呼べないとしたらその秩 >序・法則が進化(変化)するのだろうかなどなど。 僕の趣味では(^^;;、宇宙は進化するし、神はさらに進化していると思います。 もちろん秩序・法則というのはあるでしょうが、 数学的体系というのもかならず破綻しているところがあり、 生命世界も非対称であるように、 そういう進展のためのキーをみずからがつくりだしているのだと思うのです。 光と闇でもいいでしょうし、神と悪魔でもいいのですが、 最終的にはそれらすべてが大宇宙に抱きかかえられているとしても、 その大宇宙そのものがそれによって大きく進化する可能性を有しているというのが 僕の宇宙観なのであります。 「神は自分を見たかった!」というのですが、 自分を映す鏡というのは、いくらその鏡がピカピカでも、 そこに映った姿は鏡像でしかないように、完全に見ることはできません。 だからこそ、鏡と鏡を無限に並べていくように、 この宇宙は、次元を変えながらどんどん照らし合い進展していくわけです。 ですから、「秩序・法則」というのはそのままでも、 その「秩序・法則」そのもののなかに進化への爆弾が内臓されていると考えると 話はなかなかおもしろいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。 神の分け御霊としての人間の意識にしても、 意識構造それ自体が鏡面の反射構造のようになっているように、 つねに「ズレ」をつくりだしながら、意識がみずから反射させています。 おそらく、人間の意識のあり方を深く探求していくと、 それが宇宙のダイナミズムをそこに内臓させているのが わかるのではないでしょうか(^^)。 >運命に流される云々の話ですが、僕はやっぱり結果的には流されるのだと思い >ます(^^)。勿論懸命に泳ぐのですが、どうしても流れに勝つ事はできないであろ >うと・・・。 そのたとえでいうと、流される川のあり方は決まっているとしましょうか。 その同じ川を「流される」というか、むしろ船で川下りするとしましょう。 川を流れていくと、岩がごろごろというところや、始末の悪いことに 流れが急なところや渦を巻いているところなどがあったりします。 そこで問題になるのが、船頭さんの力量なわけで、 下手な船頭さんや、「ま、流されるんだから同じことさ!」といってる方は やっぱり座礁したり、岩にぶつかって木っ端微塵になったり、転覆したりと、 ちゃんと川を下って河口に出るまでにオシャカになってしまうわけです。 つまり、運命の川は同じにもかかわらず、結果はさまざまなんですよね。 この世での運命はほとんど決まっているのは確かなようですが、 それをまっとうできずに沈んでしまう船もかなりあるようで、 たとえば、死んで迷うことを前提にして生まれてくる魂はいないそうですが、 現代では死んで迷う方が半数以上いるとききます。 もちろん、死んでまよったりするのも本当は予定のうちともいえるのですが、 もしそれらがすべて予定のうちだとすると、動物化してしまう人間や 消滅してしまう魂もいるそうですから、なんだか悲しいですし、 最初から消滅するために生まれてくる魂はいないと僕は思いたいんです。 >流される事と泳ぐ事は違う次元の事柄のように思うのですが・・・。 違う次元でもあるし、同じ次元でもあるでしょうね。 おおきく見れば、流されるということは泳ぐことに含まれるともいえるでしょうし 泳ぐということは、高次の視点だということもできると思います。 ま、捉え方はいろいろでしょうが、 どちらにせよ、人間はいっしょうけんめい努力しなくちゃいけないのは確かで、 おそらく神の意志っていうのはどちらにしてもつかみきれませんから(^^;;、 各自があくまでも謙虚でありながらも自分で自分の責任をとっていく、 という意志をもって生きるということが問題なんでしょうね。 ま、それはともかく、たぶん隆ちゃんの運命観というのは、 生かされていることを実感し、「おまかせ」していくような謙虚さをベースにして おおらかに生きていきたいということが背景にあるというのはわかります(^^)。 >そうして考えると「お気楽主義」というのはある種、達人の域ですねぇ。非常 >に魅力的でもあります。なかなかに難しそうですけど頑張りたいと思います(^^)。 そうなんですよ、生の達人でしか得られない境地なんです。 できれば僕もそうありたいと思っていまして、 そこらへんの理想というのは隆ちゃんとほとんど同じわけです。 ま、明日のことは明日考えるとして(^^)、 今日のことはやはりいっしょうけんめい今日考えながら、 何があっても、真に日々をおおらかに生きていきたいと思っています。 たとえ、今自分がいったい何をしようとしているのか、 なんて途方にくれていても、ね。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00761/00763 GGD03030 《 隆 》 もういくつ寝るとお正月 (13) 93/11/06 15:33 00759へのコメント  KAZEさん、こんにちは。    おお!、2周年ですか、何はともあれオメデトウゴザイマス。僕もボケ〜っとし  ながらもう一年以上もウダウダと雑談ぶっこいてるんですねぇ(^^;)。その間、進  歩があったのかどうかはわかりませんが、考えてみれば、色々と学んだ事は多く  て、あっちこっちに感謝しなければなりません。これからもお付き合いのほど、  よろしくお願いいたします。m(_._)m ペッコリ    >身体に対する考え方も、一度はかなりひどい目にあってみないことには、  >なかなか根本的には変わらないし、ひとの気持ちもわからないものですから、  >そういう意味での「ひどい目」というのもありがたいものなんですよねぇ。  そういう事ですね。「ひどい目」に会わねばわからないというのは、なんか情け  ない気もしますが、これもいたしかたない現実です。大抵の場合はわかったつも  りになっているだけだという事が身にしみたりします(^^;)。身にしみるという事  は、裏をかえせば「ありがたい」という事なのですよね。僕としては、そういう  体験を通してまだ未体験の「ひどい目」も実はわかっちゃいないんだという事を  理解したいと思うのですが、実際はなかなかに難しい訳で理想と現実のギャップ  は大きいのでした。    >そのせいか、その先輩が驚いてやさしくなるは、その他の方々も理解を示すは  >で、怒りをぶちまけたわりには、事態がなぜか好転しているようなのでした。  う〜む、首はきっとガマンガマンで固まっていたんですね。何はともあれ回るよ  うになって良かったですね。  ちなみに、普段温厚な方が怒るというのは非常にインパクトが強いものです。い  つも怒っている人よりもずっと恐いですしね。先輩もさぞや驚かれた事でありま  しょう。仕事というのは得手してマンネリに陥るものですから、そういう刺激も  たまには良いのではないでしょうか。ヒトゴトダトオモッテ、カッテナコトヲイウ(^^;)    >で、闇の恐さをしって「おおこわ!」っていう段階を過ぎると、  >今度は闇でなければ生きられなくなり、そのうち光がこわくなってしまいます。  なるほど、そうなるとやっかいですね。恐いだけで我慢できれば良いのですが、  恐い=排斥という構図が結構ありますから困りものです。  ところで、日月神示といえば、最近カミさんが一生懸命関連の本を読みあさって  います。非常に気に入っているらしく「禅も心理学ももういい。とりあえず私は  日月神示の原文を(解釈付きで(^^;))読みたい」のだそうです。ちなみに、食事  の仕方なんかもあるようで、一口づつヒフミを心で唱えながら49回噛んで食べ  るとか、穀物が一番波動が細かい食べ物だというのを読んで、ニコニコしていま  した。僕は元来早食いなのですが、やっぱりよく噛んで食べるというのは大事で  すね。カミさんも便秘が嘘のように良くなったと言ってます(MRTの効果もあ  るのかもしれませんが・・・)。ただ、慣れない事をするとアゴが痛くなります  けど・・・(^^;)。    >数学的体系というのもかならず破綻しているところがあり、  それはそうですね。そもそも数学は言語と同じようなもんですから、言語で世界  を現せない様に、数学も実世界とはかけ離れたものだろうと推測します。誰だっ  たかが「数学で現される事は真実ではない」と言ったとか言わないとか・・・、  僕自身の感覚で考えると、これは当たっているような気がします。    >その「秩序・法則」そのもののなかに進化への爆弾が内臓されていると考える  >と話はなかなかおもしろいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。  なるほどね。そしてその爆弾を爆発させる使命を人間は持っていると考えると楽  しいですね。なんか妙に納得してしまいました(^^)。  僕は相変わらず直線的な因果関係しかイメージできないのですが(^^;)、原因と結  果が織りなすダイナミズムだけでも相当なもんだと思うのですよ。少なくとも僕  が認識している因果関係というのは全体のごくごく一部であって、大部分は未知  の世界です。そう考えるとそれだけでもわくわくします。まあ、もっとイメージ  が膨らめばより以上にわくわくできるのでしょうけど・・・。    >川を流れていくと、岩がごろごろというところや、始末の悪いことに  >流れが急なところや渦を巻いているところなどがあったりします。  その渦巻が破壊数だったりするのでしょうね。    先日、娘が幼稚園でみんなで遊びに行ったという神社に連れて行ってくれるとい  うので、夕方に家族揃ってのそのそと歩いて行きました。天満神社というくらい  だから天神さんなのだと思うのですが、本当に小さな小さなお社でした。多分こ  こらあたりの氏神様なんでしょうが、山の中ですし、娘が教えてくれなければわ  からなかっただろうと思います。しかしながら、境内にある木は非常に大きくて、  その木(4本くらいあったでしょうか)がしっかりと結界を結んでいるようでし  た。これといってめぼしいものは何もないのですが、なんとも言えない不思議な  雰囲気でした。夕焼けを眺めながら「もうすぐ年も暮れるのだなぁ」などとジジ  臭く呟くのでした。                               by 隆ちゃん 00760/00763 NBG00612 岳同 神のものさし (13) 93/11/05 01:46 00757へのコメント 世の中というものは、世俗的な成功や富や欲を中心に考えれば、どうしても解せない 不公平な世界だと思うかもしれません。人間にしてみれば一大事なそれぞれの自分も、 神の目からは何等違いはないと思います。神は意志であり、感情ではない。 世間的にどうであろうと、その存在である生命を全うするところに価値が有る。 今、生きていること。即ち、生かされていることです。 神は私達が生命なるがゆえに無条件で慈しんで下さっている。 そこには、神の無限の慈しみがあります。 人間のものさしと、神のものさしは全くスケールが違っている。 生命を灯して、挫けずに自分の持てる精一杯を果たすこと。 神はきっと、それを見ていてくださっているのだと思います。 そして、そこに運命を回天させる力もあるのだと思います。 人間のものさしと神のものさしを両眼で捉える心掛けによって こころのカガミが生まれ、そのこころのカガミを曇らさないように、 真面目に生きて行くことが正道だと思っています。 「リクツ抜きの感謝」というのは、そういうことです。 00762/00763 JCF00616 YUI 呼吸の停止について (13) 93/11/06 23:14 00754へのコメント   >武術で呼吸を(一時)停止することと「気」ということは >大変重要なポイントだと思います。 >取り合えずの基本は呼吸を止めることにより >“「内気と外気」を知る”ことでしょう。 >この場合心臓に負担がかからない様にしなければなりません。 >たぶん武術では最初にこれを教える人はいないと思います。  スサノオさんへ コメントありがとうございます。大変気になった言葉が見受け られたので少しばかり書かせていただきます。 ”「内気と外気」を知る”とはいったいどのような事でしょう か?つまり、内気と外気という言葉の意味を知りたいのです。 生成される気と放出される気を感じ取れ、という意味でしょう か?今この「気」の問題については毎日どのようにすれば良い かと悩んでいるところです。是非御説明をお願いします。 「心臓に負担がかからない様に」 確かにこれは重要な指摘であると感じます。というのも武術と いうのはほとんど筋肉に負担をかけるような動作は禁止されて いるのです。なぜなら「筋肉」即ち「欲望」ですからできるだ けそれの発露は避けねばならないからです。  それに関してたとえば弓道の場合、こんな良い事実がありま す。−弓の達人は弓を手にとらずして的を射る− つまり自分のからだを利用せずに的を射るわけです。通常では 不可能に思われるような事ですね。しかしこの言葉を真に受け てしまうのは間違いで正しい意味を理解せねばなりません。  要するに自分のからだ=筋肉=欲望を完全に、完全に活動さ せずに弓を引く、それは弓をひかないということに等しいので すね。完全に、という域に達したその瞬間、その人は達人であ るのです。 P.S 最近射形も安定してきてますます弓には魅せられていくば   かりです。飽くなき探求を続けるYUIでした。 YUI 00763/00763 JCF00616 YUI 「階層」から観る世界 (13) 93/11/06 23:14 00758へのコメント  KAZEさん、こんにちは。  私の言いたかった事を丁寧に整理してくださって本当に感謝しています。 >「アインシュタインの悩み」や「ファインマンの悩み」というのは、 >「階層」ということを排除してしまったことにあるようです。  たしかに、それは十分考えられるでしょう。というよりもまさにそのもので  ある気がします。彼らはとてつもなく簡単な視点を見つけることができなか  ったのですね。その「タテの科学」の世界を体験できなくても視点さえ見つ  けるべきだったのに、と思います。  こう嘆いてしまうわけですが、私達の身の回りを見渡してみてもそういう人  がほとんどです。多少の関心があるとか、興味はあるけれどもどうも「超能  力」や「魔術」などのいかがわしい(?)ものが念頭にあるらしく通常の人  達にとってはかなりとっつきにくい対象であることは確かです。  どんなにこの世界のことを紹介してもたいてい真剣に関心を示してくれる人  は皆無で身近に話し相手がいないのは残念でなりません。  現代物理学は自ら根本的に潜んでいた視点の誤りを自覚する段階に入ってい  るのですから時間が人々にその解決策を与えるでしょう。例えそれがどんな  形でなされるにせよ、私達は無理に抵抗せずに自然に受け入れるのがもっと  も良いことだと思うのです。 >高次のエネルギーが収束する場所というのは、階層間の結合する場所で、 >それは中心でありながら、「空」であり、そこからエネルギー変換され >ある種の「かたち」として発現するようになります。  その「結合する場所」というのは弓道の場合をとってみると身体的には手の  親指の付け根にある間接の骨、弓道用語では「つのみ」にあたると思います  。そこはまさに弓本体と身体(=生命体)との接点であり、会(弓を大きく  ひいて矢が放たれるのを待つ状態)に至るすべてのプロセスの総和であるの  です。生命体を通じて変換されたエネルギーはその「つのみ」を接点として  身体から弓、矢、そして的までの物理的現象に帰結するのです。すなわち、  それがあらわす意味というのは「精神」←=→「物理」の構図なのです。  ゆえに弓道はエネルギー変換の方法の一種でありまたそれを引き起こすため  の精神的ダイナミズムだということができるでしょう。   私的な例を以っての考察というのは皆さんにとって大変わかりづらいこと  と思います。なるべく一般的な例をとってみようとは思いますがたいして深  みのあるものにはならないでしょう。  (すでにお気付きのように私はなにか体験したことから意味を探るという 方法で考察します(^^; なにしろ、この会議室は私にとっては的の前に立っ ているようで自分に嘘をつくことができないからなのです(^^;; YUI - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/11/08 - 01491/01494 KFD00473 たまご RE:ログに残さないで…っていうのは (14) 93/11/06 17:08 01488へのコメント  全然関係無いところにコメントリンクしてしまったんだけど、ぎちゃうが 消えてしまったのは確かにそうですね。  そういえば、以前にもそんなことがあったような。>ねぇ、副議長。  ひょっとして、ぎちゃうの正体は渡り鳥なんではないの?    前回はぎちょう召喚呪文ごっこが流行ったんだっけか    今回はどうなるんだろう              たまご 01492/01494 PAG03543 NOISE むすびの国 (14) 93/11/07 00:16 01490へのコメント コメント数:2 倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるはし    「マホロバ」=[目・共同体]=[目]=[日・月]=「日月同盟」  「日」--[イザナギ][アマテラス]--------[天津][天神]--「天・あめ」         \  (左目)                \          \            あめつちのムスビ「マホロバ」           \ (右目)                /  「月」--[イザナミ][ツクヨミ=スサノヲ][国津][地祇]--「地・つち」 マホロバの大和の国は、ムスビの地だったのか。 天津と国津の再会の地だったのか。 マホロバの大和の国は、はかなくも消えた幻だったのか。 「カリマホロバ」を「マホロバ」とするためには 「あめ」と「つち」を再び結ぶためには イザナギとイザナミはもう一度愛の歌をうたわなければならない。 ほんとうの天地のムスビのために。 天変地異は新たなるムスビのための メンケン(好転反応)ともいえる。 とどまることのないムスビにつぐムスビ、 生成化育の弥栄のムスビこそが神道の神髄。 むすんでひらいて てをうってむすんで 回せ 回せよ 回転灯籠 巡り 巡る 炎の輪 まことに移ろい易きは 人の心 この日をもって 心と別れよ 愛の炎だけを武器として戦え 戦うのは 全ての人々 全ての自己 最後に残るのは 自己 己れ 自己と戦い 勝ったとき カリマホロバ マホロバとなり 輪廻の鎖は解かれる ・・・・・・・            ARION 純粋無垢、無私の愛こそがやまと心     敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山さくら花 宣長 うるはしく、清く匂やかな心     心の色うるはしからざれば外に言葉を巧む 芭蕉 01493/01494 GBG02043 維/YUI RE:むすびの国 (14) 93/11/07 00:51 01492へのコメント NOISEさん、こんばんわ。 クロマンタの話、どうもです。 マホロバのけんですけど・・・。 本当は、大和で2つの力は一つとなり、次なる世代へと続くはずだったのに、 それができなかった・・・っていうのが、古代からの歴史のようですね。 それを今回はやりとげる・・・ということが、預言のカナメであるように 思えます。 そこかしこを読んでいてね。 2つ・・・というのは、それぞれによっていろんなとらえかたができる、 それこそ、ひな型としていろいろな形があるのでは、ないかと・・。 また、思い付いたら、コメントしたいと思います。 維/YUI 01494/01494 SDI00635 みれ RE:むすびの国 (14) 93/11/07 12:49 01492へのコメント  #01492 NOISE さん  NOISEさんのハンドルを見つけたので思わずコメント(^_^;)  ひさしぶりに「NOISE節」を見て、聞きたいことがあった事を 思い出しました。  ARIONを頭に12聖霊からなるARION12の意向通 りに、私はカミゴトを行ってきたわけですが、本来「火水(カミ )」となる筈のものが、今回は何故か「水火(ミカ)」という逆 序であり、しかも「水(ミ)」と「火(カ)」の間に「タタラ・ アタタラ」というコトノハ=カミゴトが入ると聞いております。  で、お聞きしたいのは「火水(カミ)」が逆序の「水火(ミカ)」 になることについて、NOISEさんが何か気付かれることは無いか ?ということと、「タタラ・アタタラ」という言葉が「水(ミ)」 と「火(カ)」の間に入ることで何か気付かれることは無いか? ということです。  何故、NOISEさんに尋ねるか?なんて聞かないでくださいね 殆ど、直観だけでRESしてしまったもんですから(笑) ・:*:・みれ・:・。,★ - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/11/08 - 382/387 GFB00026 一輝 AMA族の系譜・外伝<10> (15) 93/11/05 15:50              <AMA族の系譜・外伝10>                …かごめかごめ7… インドネシア・バリ島では、70年代末に長老たちが、 ニューエイジ思想の流入に付いて回った薬物の使用に、 いち早く民族文化の危機を感じ取り、早急な攘夷運動を展開した。 大麻を始めとする麻薬の徹底撲滅キャンペーン(全て終身刑・日本人も服役中)や バリ全島を挙げての民族祭典を毎年催すことを決め、 若い人たちがアメリカ発のニューエイジ思想ではなく、 自分たち自身のバリ民族文化へ関心を深めることに成功した。 さて、対抗文化(カウンターカルチャー)┳ニューエイジ思想┳ カルロス・カスタネダ┳アメリカインディアン文化崇拝┳ アメリカインディアン保護┳先住民族保護┳先住民族文化崇拝┳ 縄文文化崇拝┳弥生(農耕)文化批判という図式がある。 また、この図式にはコメの自由化問題も関連している。 これらの手順が、チャネリング・ブーム同様に アメリカ西海岸経由で輸入されたことに気付いて欲しい。 やがてアメリカ西海岸経由の先住民族文化崇拝は、本来の目的から外れ、 「ネイティブ・カルチャー」という名で商品化し、様々な縄文グッズが販売され、 誇り高い彼らの民族文化を地に落とそうとするだろう。 大衆は、彼らの取り組み方に反発を覚え、やがて無関心となってゆく。 農耕(弥生)文化を征服・支配・差別・抑圧文化と決めつけたところで、 一人一人の中にある征服欲や支配欲、差別を促す心が、消えるわけではない。 また、先住民族を虐げられた弱き者たちと一方的に捉え、 彼らの立場に立てば、己の持論が正当化されると早合点するのも、 戦後に輸入された「自由・平等」思想のあまりに単純な回路の誤用であり、 彼ら先住民族の尊厳ある文化に対して無礼であるように思えるのだ。 イシヤは、大衆が単純な思考の範囲で選び易く、 同時に一度選んだ思考の枠の範囲から、簡単には出て行かぬように、 分かり易い二元論的に対立した餌を、常に二つ一組セットでバラ蒔いた。 「共産主義」vs「資本主義」、「帝国主義」vs「自由主義」、 「軍国主義」vs「民主主義」、「平和」vs「戦争」、「戦前」vs「戦後」、 「右翼」vs「左翼」、「保守」vs「革新」、「体制」vs「反体制」、 「差別」vs「被差別」、「抑圧」vs「解放」、「破壊」vs「保護」、 「ネガティブ」vs「ポジティブ」、「モダン」vs「ネイティブ」……。 これらの語句に、どちらかが悪玉であり、どちらかが善玉である、 という印象を持ってはいないだろうか。 一方の語句を使いながら、単純な二項対立を当然のものと受け止め、 絶対観を感じて拘泥する者は多い。 最近では、どちらもどちらだと、無関心を決めている者の数の方が上回っている。 双方ともイシヤの仕掛けた罠に陥っているという点では同じだ。 あまりにも分かり易いこれらの単純化した図式の中での思考では、 世の中で本当に起きていることが一体何なのかを見抜くことは出来ない。 そして、ちょうど今、ニューエイジ思想の使者によって、 日本の真の古代史復活に新たな楔を打とうと、 「弥生文化」vs「縄文文化」という餌が蒔かれたところだ。 この餌に飛びつく者は、必ず上記の二元論的語句を多用するだろう。 60年代にアメリカ西海岸で起こったニューエイジ思想は、 地球上のどの国でも成功した試しがない。 にも関わらず、麻薬に溺れ判断力の鈍った彼らは、 繰り返しタールで朽ちたユートピアの夢を見続けている。 少しずつ全身を蝕む後遺症の顕れには気付かずに……。                                    つづく 383/387 GFB00026 一輝 AMA族の系譜・外伝<11> (15) 93/11/05 15:52              <AMA族の系譜・外伝11>                …かごめかごめ8… 出雲族や日向族と同じように、 縄文(ツル)族もAMA(カメ)族、そのどちらの血も、 私たちの体の中を流れている。 たとえ片方しか流れていなくても、お互いの生活様式と表現行動は、 永い時を経て融和している。 出雲族と日向族という縦軸、縄文(ツル)族とAMA(カメ)族という横軸。 どちらも日本を支える重要な二本の柱なのだ。 歴史の封印が解かれつつある今、片方が片方を潰すようなことがあっては、 過去の日本史に起きた悲惨な同士討ちの繰り返しになってしまい、 これでは、いつまでも霊性を高めることは出来ないだろう。 闇雲に自分の外部に敵を立て、手の届かぬ相手と戦うことよりも、 イシヤが私たちの心の中に蒔いた餌をひとつひとつ拠り分け、 本当に必要なものと必要でないものをしっかりと吟味した上で、 自分の中の敵と戦い抜くことが近道である。 土台の脆い楼閣は、小さな衝撃で崩れる。 歴史の嘘という封印を解いたからと言って、 私たちの中にある小さな嘘で固めた封印が解かれた訳ではない。 嘘を排除した後に残る本当の自分とは、いったい何なのか。 後ろの正面が誰なのかを、一人一人が自力で識るべき時期が来たのだ。                              かごめかごめ…了 384/387 GCC03437 星也 古代幻想/SF的展開(ナガクナッチャッタ) (15) 93/11/05 18:14 コメント数:1            --------- 民俗学関連の本をかじりながら・・・・・・・  わだつみには竜王(or わだつみの神)が住まうという。そこは「異界」 であり後には「常世の国」にも重なる。海の無い地方では「異界」は山や湖 に変化するが、基本的に「遠くて近い隣の世界」であり、人界と時間の流れ /空間の構造が異なる次元である。(SFでいう多元宇宙構造・・・・かな)  それら異界との境界は曖昧で、また、境界の曖昧なところはすなわち異界 に通じる場所でもあった。そのため、人は境/辻など境界の曖昧なところに 結界を敷き「塞(サエ)の神」などを祭り、或いは鳥居などをたて、異界と人界 を分けた。うっかり人が異界に迷い出ないように。異界の諸々のものが人界 に紛れ込まぬように。  しかしそれらの結界は「異界」との交流を絶つものではなかったと思う。 (次元間にたくさんの通路があって、大きな通路は固定ゲートとして「扉」 が設置されたりそのゲートの管理者がいたりしたが、小さな通路はあちこち に存在し、偶然に仮設通路ができるときもあった、という見方もできるな)  「異界」は「神」の住みたもうところであり、「鬼」の棲みかでもあった。  神と呼び、鬼と名付けられる諸々のものは人の手で御する事のできない力の 総称/総体である。その力がたまたま人に幸をもたらせば「神」であり、災い ならば「鬼」と呼ばれたが、「鬼神」/「疫神」という呼び方もあるように、 「鬼」も「神」である事を古来の人はその直観によって知っていたようだ。  その「異界」の地の力(幸)を人に(個人的に)もたらす存在は、多くは 女性の姿で現れたようである。・・・・古来から伝わる異族婚姻譚である。  男神は「夜這い」はかけるものの、人に化生して人界に住み着く という パターンはあまり見られなかったように思う。逆に「神隠し」などの伝説が 残すように、人を「異界」側に引き込む事の方が多かったのではないか。 (もちろん、これも「異族婚姻譚」のバリエーションの一つではあろうが)  「異界」からの訪問者である彼女達は、「人」の姿をして男の元に嫁ぎ、 (もっとも、羽衣伝説のように無理矢理 嫁にさせられた例もあるが・・・・) 「人」の姿になりながらなおも失わぬ「異界における本性の力」を、男には 隠して発揮し、男の様々な災厄を防ぎ/彼に知恵と富を分け与えた。  が、この婚姻は、人(男)側がルールを破る事により破綻する。彼女達は 人界に残していくわが子の行く末を案じつつ、約束を破った男に離縁を言い 渡し、自分が使った「界の扉」を閉ざして生まれ故郷に帰っていってしまう。  地上に残された彼女らの子の末裔は、身体のうちに流れるわずかな血に、 見知らぬ妣(ハハ)を感じ、妣の国である「異界」に郷愁を持つのであろう。  「異界」:人界と隣り合わせに存在する「どこか」。なだらかな水平方向に 位置し、混じりあう事も可能だった処。通じる道のどれかが塞ぎられても、別 の扉はそこかしこに存在し、また塞(サエ)そのものも永久封印ではなかった。 (もっとも、開けた扉の向こう側が 必ずしも「人」が行きたいと望んだ場所 (であったかどうかは、定かではないが・・・・・(^^;)) (昔から、「女は魔物」とはいいえてみょう、なのかもしれないな・・・(^^;)) (そういや、嫁さんの事を「うちの『山の神』」という言い方もあったっけ) (本性を見られた「女」が異界に戻っていってしまうのは、「男」が彼女を) (もはや彼の「同族」とは見ず「異族」として見る事によって、「女」では) (なく「女の持つ力」を欲するようになる事を厭うのかも・・・・とも、思う。)  換言すれば、これは自然と人とが互いの領域を犯さぬように棲み分けしつつ 人も自然の一部を成すものとして、自然とつかずはなれずといった半融合生活 であった、というようにもいえるだろうか。  この生活観念は、日本が温帯に位置し、自然と十分に共存していける環境で あったという背景が大きな影響を与えているのかも知れない。  しかし、日本の気候はその頃と比べ大して変化しているわけではないはずだ。  にもかかわらず、これらの状況が変わっていたのは、いつごろの事だろうか。 (日本以外の話はまだ、情報収集/考察中なので とりあえず パス・・・(^^;))  この「異界」に見られる他界の水平分布的発想に対して垂直のものがある。  「天界」−「地上」−「地下」に区分けされる世界観、ともいえるが。  これらの話においては、「天」はすでに人の行きうる場所ではない。  「天」から降りてきたもの/その「力」の継承者が、地を制する構造である。  「鬼」は駆逐される対象であり、自然は征服の対象となっている。  そして、人は地上に「天界に存在する父なる神」の為の「神の国」をつくる。  それはもはや「人の国」ではない。考えられた「天」の地上投影図である。  「異界的世界観」にみられた、自然との共存/半融合的な生活圏ではなく、 「天界の超越者」の力によって地をも恣意的に動かすという意志の表出、とも いえるだろうか。  断絶した「上−下」の位置関係と、それに応じた組織的階層構造化。  ここでは「力(武力)」による征服と支配の思想が強くみられる。 (異界がもたらす「(よき)力」は「幸」「守護」「知恵」だったと思う。)  この垂直構造の世界では、人界は「天」により創造されたものであり、よって 「天」に従属する存在であり、「悪」もまた「必要悪」として仮の存在を許され 最終的には永久に封印されるものとして扱われている。いいかえれば、いつでも コントロール可能な/あるいは駆逐可能な存在ではあるが、とりあえず「必要」 (それが「何のため」であるか わかっているのは「天」のみであろう・・・・・・) なために、存在を黙認している状態、であろうか。  この思想の根底を成すものは、「天」は絶対・唯一・至高かつ無謬である、と いう揺るぎない「確信」である。人はその「天」の使役者として存在し、「天」 の意志すなわち自己の目的、とすることで世界内部に安住する事が可能となる。  また、垂直型の世界はそれ自身が自己完結しており「異界」/「他界」はその 意識に存在しない、といっていいのかも知れない。  垂直型である「天」世界観には「外」は存在しない。  その世界に存在しているのは、   従うものと従わぬ者(「天」世界に住みながら「天」の意志に従わぬもの)  という区分のみである。 (「従わぬもの」を「完成以前の世界」の部分として最初から内在せしめておき (それを統制/管理/平定/駆逐していくという発想は 「信長の野望」etc.の (ゲームの類をなんとなく連想してしまうのだな・・・(^^;))  異界的な見方をすれば、そのような「天」世界もあって然るべくもの、かも しれない。「他次元」に通じる「扉」/「通路」/「穴」の観念がない閉鎖世界 というものであるだけなのかもしれない。 -----------------------------                 --------  かなり、極論的な見方、かもしれないなぁ。。。という気はする。  だから何だっていわれると・・・・・・オチもない・・・・・(^^;)  「アマ族」の話を読みながら、ふと気になっただけの事である。  別に話をジェンダー論に持っていくつもりはないけれど、書いているうちに それっぽくもなってしまった。  専門にやっているわけでもないので、つめの甘さはご容赦下さい・・・(^^;) 385/387 GCC03437 星也 父と母と子と/一国一城の主 (15) 93/11/06 11:00 384へのコメント  さて、前ファイルでは    「異界」:母性回帰 「天」:父性支配  という考え方を含めさせてしまったわけだ。  いつまでも「瞼の母」に郷愁を抱いて、妣の国に行きたい(帰りたい)と 駄々をこねるのも「子ども」であれば、  「天の父」の忠実かつ親孝行な子どもとして、父の目的に従う、というのも やはり「子ども」ならではの事ではないか、とも思う。  あるいは、異界もので「女」が「男」の元から去るのは、母子癒着を断つため であるかもしれず、天界が「反対者」の存在を内包するのは、父親殺しの可能性 を暗示しているのではないか、とも。  大人になる、ということは    自らが自分自身をただ一人の国民とした、一国一城の主  になるという事かも知れない。 ----------------------     究極のナショナリズムかな、これは・・・(^^;) 386/387 KFC04000 伊達邦彦 「旬」が過ぎようとしている国 (15) 93/11/06 15:43 コメント数:1 お久しぶりです、松川塾長。 いやあ……、アクセスするのがためらわれるなあ。 みつき見ぬ間のFARION、そんな感じだな。旅行と音楽 関係のフォーラムにはまってたんですけどね。 最近よく考えるのですが、日本はどうやら「旬」を過 ぎつつあるのではないかという気がしてるんです。 その兆候があちこちに現れているような気がしてなら ないんです。 表層的には、土建関係のスキャンダルやら景気動向の ニュースにそれが感じられるけれど、どうもオモテに 出て来ない部分で、「終わり」が始まったという気が してならない。 例えば、通勤の電車に乗ると、2つの「群れ」がある ことに気がつく。 半分は半死人のようで表情がない。ネクタイを巻いた 人や、高そうなスーツと装飾品で飾り立てた女性なん かに多い。 もう一方は、痴呆的な表情で、大声で話していたり、 ヘッドホンステレオのイヤホンから耳障りな音を漏ら しながら、ゆっくり難聴になって行く若い人達。 このワカモノたちは、集団で往来を塞いで、ぼーっと 立っていたり、地べたに座り込んでいたりもするので、 通行のじゃまでもあるけれど。 どっちにしても未来を感じさせない、希望が見えない 顔ばかりだなあ、などと思いながら前を見ると渋面を 作った無残な表情の男。(自分の顔だと気がついて、 うんざりするのだが) ああ<熱>が去ったのだなあという思いがする。 一抹の寂しさを禁じ得ない。餓鬼の時分から、祭りの 終わった後の寂しさが嫌いだった。それが嫌でいやで とうとう祭りそのものが嫌いになった。 見たことじゃない。浮かれてても、《祭り》は必ず、 終わるんだから。 待てよ。 いったい、どうして浮かれていたのだ? 《高度成長》とか《バブル》って、だれのための祭り だったのかな。 モノをたくさん手に入れることが幸せなのだと信じて、 徒な費消に耽溺して、あげくの果ては、カネとモノの 多寡で階層のようなものができかけたあの日々。 家を建てるとか、自動車を所有することが「目標」に なったかに見えた日々。 モノのために生きて、働いた。働きすぎて、絶命する 者さえいた。 つい最近まで「過労死」が騒がれていたと思ったら、 どうやら「大量失業時代」が目前だという。少なくと も、マスメディアは周到にその日のための《予告》に 余念がないようだ。 経済の世界では、「成熟社会」というものになってい くというらしいが。 内装だけは立派な、高くてまずい飯屋とか、飲み屋で のバカ騒ぎももうとっくに流行らなくて、「清貧」な どと言いながら、屋台だとか食べ放題の店だかに人が 集まっているようだ。 「ブランド」を求めていた人々は、「激安」のお店に 足しげく通うらしい。 何なんだろうな。 これも、何も考えていないせいかな。 だってぇ、テレビでぇ、流行ってるってゆーからぁ。 「テレビで言ってる」というのは、やはり影響力があ るようで、ニュースの終わりに薄笑いを浮かべながら 余計な一言を言う人に感化されたりするようだ。 いったいどうしたものか、「日本は最高!」だなどと 言っていた人はどこかに行ってしまって、「やっぱり 日本はダメだ」という声が大きくなっているようにも 思う。(精神世界関係者はその限りではないみたいで まー元気なもんですがね) 本屋に足を運んで、オヤジご用達の、経済関係の平台 の売れ筋を眺めてみれば、アメリカの学者が書いた、 「日本ダメ論」と「それでも日本は大丈夫だかんね論」 が仲よく並んでいる。 相も変わらず、ソトの人のご託宣をありがたがる性癖 は直らないようだ。 「日本人」はなにも考えられないのかな。 ここで話は半死人と痴呆的ワカモノに戻る。これらは 《虚脱》がもたらしたものかも知れない。 明日が今日の続きだと思っていたのに、肝心の明日が 怪しい、どうしよう。社長とか親とか、どうにかして くれるのかしらん。 あれは思考停止の表情だ。 働けばいいことがあるぞ、そう言っていたエライ人の 同じ口から、働いていてもいいことがあると限らない んだぞ、そう言われて呆然としてるのだ。 子供の代まで続くローンと、昼の時間を過ごす《場所》 の心配が時として脳裏をよぎるが、コワクなって深く 考えたりしない。 ワカモノはもとより考える方法を知らないので、呆然 としてるのだ。(誰も「考える方法」なんて教えてく れないもんね、ほんと)呆然として、コンビニエンス ストアの店頭に座り込んでジャンクフードを食ったり、 お化粧をしてサッカーを見に行ったりしている。 今まで書いてきたことは、あるいは思い過ごしかもし れない。 単純に、《不況》が私の気分にも影響を及ぼしている のかも知れない。 景気が回復すれば、このような気分が吹っ飛ぶのだと 言う人もいる。 おおいに疑わしい。 私は広告関係の仕事をしていて、消費のお先棒を担ぐ 立場にいる。仕事をしている時は、自信たっぷりに、 「景気は来年には回復します」と言いながら、客の財 布を開かせようと努めるのだった。 けれど個人としては、消費の狂乱には縁がなかったし、 これからも関係ない。 裏方が舞台に出て踊ってはいけない。少なくとも私は そう思うからだ。 踊る連中を横目に、いつだって次の飯のタネを探して きたのだ。蟻とキリギリスの蟻みたいに。 (一部の「広告代理店」の人などと一緒にしないでほ しい。世間的なイメージでは、広告マンは軽薄の徒と いうことになるが、すべてがそうではないのだ) 日本はこれでいいのか。 何も考えない日本人はこのままでいいのか。 なんてことは、私にはどうでもいいことだ。6年ほど 前に「日本人」は辞めているから気にならない。 (京都くんだりの酒屋が、東北は熊襲の土地だから、 文化の程度が低いと言った頃だったな) 気分はバカボンのパパだ。 これでいいのだ。 ビートたけしと同様、私は不景気を大歓迎する。 少しはいい思いをしたんだし、嫌われたままで衰えて いくのも悪くない。 戦争が終わって以来の、悪運を使い果たしただけじゃ ないか。半世紀もしないうちに、みんな日本という国 があったことさえ忘れるだろう。 で、話は急に中国のことに及ぶ。 半死人と痴呆的ワカモノを強く意識するようになった のは、上海の雑踏を歩いてからだ。 魅かれるところがあって上海に何回か旅をしてみたの だが、そのたびに《人》に魅かれている。 生き生きとした表情、目の光。笑顔。 上海は人を眺めていて、一向に飽きない街だ。 上海の街を日本人の倍近くの速さで歩いている人は、 みんな強烈極まりないエネルギーを放っている。 そのエネルギーが集まって、街じゅうに充満してる。 人がどういうかは知らないけれど、前向きなパワーに 満ちた街は実に気持ちがいい。 おまけに上海は、緊張感をもって対峙できる。メシも うまい。女もきれいだ。 上海人の振る舞いは、どうみても日本人より伸び伸び して見えるのだが、それは一介の旅行者の無責任な見 方なのだろうか。 発展する様がまぶしくってそう見えるのだろうか。 今の中国を、「万国博覧会当時の日本」と評する人が いたのだが、確かにそんな感じだ。 台湾やシンガポールがそうだったように、中国は「開 発独裁」によって発展していくだろう。 やがて、北京政府が恐れる、「和平演変」もゆるやか ながら実現するだろう。 で、上海が、ひいては中国が発展すれば、日本なんて 誰も気にしなくなるだろうな、そう思った。 街を歩いていて、肯定的な空気を吸っていながら、そ のような事を考え続ける。 日本人は中国のことを全然気にしていないからなあ。 チャンスが転がってても「コワイ国」だとか言って、 ほとんどの奴らは近づきもしないんだろう。 白人と一緒になって「アジアの人々は」などと言って みたりするからなあ。てめえは「アジアではない」と 思っているらしい。 何のことはない、私自身がそうだったのだ。それが、 自分の目で上海の発展ぶりを見て驚いたのだ。 私の貧しい知識からすると、確か赤い本を持って暴れ 回っていたはずの人々が、揃って金儲けに走っている。 大声で怒鳴り、すごい勢いでメシを食ってる。 レストランに行って、うーむ、旨い料理を食っている 国は大丈夫だぞと感動したりする。 実に単純な精神構造だ。 それと、中国人の利己主義的な立ち居振る舞いに感動 した。均一化を強いる、じめじめしていて押し付けが ましい日本の人間関係というものに辟易していたので、 うらやましかったのかも知れない。 私は、自立した利己主義者同士の付き合いを理想にし たいものだと思っていた。 大薮春彦の小説のヒーローのように、セルフ・インデ ペンデンスを備えた人間になりたいと思ってきた。 中国人は、国とか政府とか言ったものを信じていない。 で、日本を疑い出したのだ。 日本人は無自覚に政府などを信じているが、それでい いのか、と。 繰り返すが、我ながら実に単純な精神構造だ。 日本が滅びたら、日本人も滅びるが、中華人民共和国 とか中華民国が滅びても中国人は滅びないのだ。 (先の戦争の終わりに「日本」とかいうものは滅びて、 今や似て非なるものがあるだけかも知れない) 上海に行くと、ホテルのロビーなどで台湾人のオヤジ が小姐といちゃついているけれど、あの人たちは国民 党政府のいうことを聞かずに金儲けにやってきたのだ なあと感心してしまう。それも敵対するはずの共産党 政権の大陸に来て、ばんばん会社とか工場を建てて、 金を儲けて愛人まで囲ってるのだ。 彼らは、「政府の援助」などというものを頼ることな く自力更生で頑張っているのだった。 (当初は、教科書的知識でもって中国を旅して、行く 先々で台湾人に出会うので随分と驚いたが) 顧みて日本というところは、温厚な《家畜》を育てる のに成功したのかも知れないなあ、と思う。 誰も言わないのに、均一化してきっちりと型に収まっ てる。目立ちたい連中でさえも、均一化してる。詳し くはジュリアナ東京のお立ち台を見よ。 でも、どうでもいい事だ。知ったことか。 間もなく(おそらくは)日本を必要としない《大東亜 共栄圏》、台湾人が唱えるところの《大中華経済圏》 が浮上するだろう。 そのころの日本は、「旬」をとうに過ぎて何者でもな くなるかも知れない。 できれば、発展と変化を大陸の片隅で眺めて生きてみ たいものだ。そんなことを、漠然と思いはじめてる。 伊達邦彦 387/387 GFD00204 松川 貴     RE:「旬」が過ぎようとしている国 (15) 93/11/07 07:12 386へのコメント  どうも、伊達さん  「中国は明日にも目覚めるだろう」というケイシーさんのリーディングを思い出し ましたよ。  〈ナショナリズム〉と聞くと日本人は、またまた催眠術に陥ってしまうようです。 被催眠術者が〈ある特定の言葉〉によって自動思考感情に移行し始めるように日本人 は自分の前に用意された思考感情世界に自動的に移行し、そこで自足します。けっし て自己のよって立っているところの全体像は俯瞰されることはありません。日本人の 悲しさは自分たちの思考がたえず極端から極端へと走っているということに気がつか ないという悲しさです。本当は〈民族主義〉と〈国際主義〉という日本人の持つそれ ら二つの衝動に正しいバランスを与える必要があるのです。  現代日本人はまず〈自分のために生きる〉と言います。ですが、日本人は〈自分の ために生きられる〉基盤を何が用意してくれたのか、ということについてはまったく 考えようともしなくなりました。しかし以前には日本にもそのような社会感覚がまだ 残っていたのです。日本の職人さんたちがきっぷよく働けた時代までは。  以前にも伊達さんに書きましたが、〈共同体の力によって自己の救済を図ろうとす る〉のは悪しき行為です。それが半世紀前に世界を席巻しました。私たちは半世紀前 に生じた大事件によってその苦い教訓を得たはずでした。  しかし、私たちがこの現代日本という特殊な時空において〈ナショナリズム〉と言 う言葉を発するとき、識閾下でどんな感情が蠢いているんでしょうか。それは以前の ものとは違うのです。新しい要素がつけ加わっているのです。その要素が日本人とい う〈人の弱さを増そう〉としています。私たちは現在まで日本独特の戦後思想の影響 力を空気のように吸い込んで生きてきたのだということを意識化する必要があるので す。何が〈日本人はいかに考えているか〉という思考の枠組を支配してるのかという ことを意識化する必要があるのです。  〈ナショナリズム〉という〈言葉〉を捕らえて、それについて学者的評論家的な対 応をするのではなく、自分たちが〈ナショナリズム〉という〈言葉〉を発するとき、 自分は本当は何を腹の中に抱え込んでそのようにしゃべっているのかということを分 析してみる必要があります。  ここで少しシュタイナーの──どうか「えーっ、またですかあ」とおっしゃらずに ──話を聞いてくださいませんか。    ──私は自分が社会有機体とどう関わっているか、社会有機体が私とどう関   わっているか、それを私は自分で意識できるような生き方をしている。──け   れどもすでに述べたように、今日の人間は社会人として、このような実感を無   意識の領域の中でしかもちたいと思っていません。    今日の画家が絵を描くとき、もちろん次のように言う権利があります。──   この絵はしかるべき値で売れるだろう。私はこれだけ努力して自分の芸術をこ   の絵の中に込めたのだから。    画家の芸術とは何なのでしょうか。それは社会有機体が彼のために可能にし   てくれたところのものです。たしかにその画家の芸術性はカルマ的に、彼の以   前の地上生活に依存しています。けれども、誕生を通して高次の領域から降り   てくる個性のこの能力を除外すれば、私たちの芸術性はまったく社会有機体に   依存しているのです。しかし近代人はこのことを意識しておりません。そして   意識の領域においては、社会感覚の代わりに、この四百年間、ますます利己的   反社会的な思考方式が生じました。人びとはまず自分のことを考え、可能な限   り社会有機体から抜け出たところにいようとします。「私たちが社会有機体か   らいただいたものは、すべてふたたび社会有機体にお返ししなければならない」   という感情は、今日ではごく少数の人の中にしか見られません。特に支配的な   市民階級の場合には、精神生活に関する、考えうる最大限の利己主義が支配す   るようになりました。そして精神的なものの享受をまったく当然の権利と見做   すようになりました。人びとは社会有機体によって提供される精神的なものの   享受を得たとしても、別の機会にそれに対応すると等価物をその社会にお返し   したい、とは願わないのです。(『社会の未来』イザラ書房  P48-P49)  自分自身の肉体的感情的満足に供するために──それは彼や彼女には明確には意識 されてはおりませんけれども。なぜなら彼や彼女は自分たちのことを〈善人〉だと思 い込んでおりますから──みずから社会の天蓋を支える柱をもぎ取りながら、〈抑圧 からの解放〉や〈人間の自由〉を叫ぶ人々が沢山おります。ですが、いつかその天蓋 を支えてきた柱はそれを支えきれなくなる時がくるでしょう。そして〈利己的に振る 舞える自由〉をさえ失う時がやってくるでしょう。もし人々が自分自身の心と本当に 真実な対面をしようという勇気をもたない限り。  シュタイナーの言う社会有機体とは、いはば私にとっての〈公〉なのです。それは 〈国家〉や〈民族〉とは完全には一致しません。それは、それらを飛び越えて存在し ています。私の言う〈公〉はそれらをすべて包み込んでいるのです。ですから、まだ まだ私は簡単に〈日本人〉をやめるわけにはいかないのです。〈日本〉は私のとって 〈公〉の一部です。だから〈公〉にはお返しをしなければなりません。  考えてみれば、人として生きていく限りまったく当たり前のことです。ですが当た り前のことを当たり前に〈考える〉ことも〈行う〉こともできないほどに現代日本人 の精神力は衰弱しきっています。  いずれ日本が滅びようとも、人が生きていく限りその人の背後には〈公〉がついて まわり、その人の利己心をも支えてくれます。そのことをちゃんと意識できないでさ らに今後も生き続けていくつもりなら、その時こそ、天はその人の魂をも滅ぼしてし まうことでしょう。  伊達さんの書き込みのお蔭で、また言いたいことが言えました。どうも私は人の言 葉を利用するくせがあります。ですが、どうかそこはご容赦を賜りたく思います。                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/11/08 - 664/664 JBH02324 なえ 昨日ね (17) 93/11/06 14:36 久々に出かけました。一人で出るのは随分無かった様な気がします。 大抵誰か共に出る事が多いですけど。 一人でデパートの屋上に駐車して、そこから一階の出口まで、商品の 色々を見ながら・・。本当に沢山の品物が溢れていて、その量の多さ と彩りの豊富さに圧倒されてしまいました。 ああ、これが現実の社会なんだなぁ・・。と妙に納得したりして(^^; そういえば、義父も義母も、そいう物の無い時代に生きて、暮らした。 そいう事と現実のギャップというのは、どいうんだろうなぁ・・・。 結構難しい所あるよね。 価値観てさー、やっぱ人それぞれじゃない??。ただ、どうも自分が 正当でありたいという意識は持っていて、だから違う価値観とぶつか ると、もう当たり前だけど面白くは無いのね。でも、つい自分の生き 方を人に教えるのは正当だよ、と思う。例えばそれが「相手の為」に なるんだから。という大儀名文の建て前で。 物が無い時代に、無い事を我慢して生きるというのと、有る時代に、 あるけれど上手に取捨選択して生きるというのは、きっとどちらも正 しいのだろうね、けど、その「ものさし」がちょっと違う。だからさ、 人が人を変える。という事は出来るのだろうか、出来ないのだろうか。 現実に生き方が上手だってのが有るとして、そいうの見て「感化」さ れる。というのと「命令」されてそいう生き方をする。というのは、 一見同じ様に見えて随分違う。 それは「心」があるからね。 では、人の心を「自由に操る事が出来るか」というのは、人が人を変え るというのと同義として語られるのだろうか。 そうして、さらに、自分の「ものさし」とは、一体何なんだろうか。 今日は素朴だけど、大事な疑問を、少しだけ考えてみました。 答は????            まだ。見えない。 - FARION MES( 1):【お知らせ 】----------------------<01> 93/11/08 - 013/013 MGH00465 アキラ シゲ&維/YUI結婚式写真DL登録 ( 1) 93/11/08 17:01  先頃めでたくご結婚されましたシゲ&維/YUIさんの結婚式の写真が、 目立ちたがりやの新郎自らの手によってライブラリ7番に登録されました。  画像形式はGIF形式です。対応の画像ローダーが必要です。  みなさん、とくとご覧になって、ひやかしてやってください。  おめでと>ご両人                 FARION Sub-SYSOP MGH00465 アキラ - FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/11/08 - 01095/01099 JBH02324 なえ 画像データ ( 2) 93/11/08 21:15 コメント数:1 をDOWNしたの、保土ヶ谷PAだけ画像がまっしろけっけ・・・。なして?? (;_;) (;_;) エンエン 01098/01099 PBA02422 さはし 真っ白けの画像… ( 2) 93/11/08 21:29 01095へのコメント コメント数:1 これが直接カメラで撮った写真なら、 「おー。心霊写真じゃ〜」 と騒ぐとこなんだけど…。(^^;) えーっと、なえさんの機械とかは何ですか? たぶん、その当たりに謎があるような気がしますけど。 01099/01099 JBH02324 なえ RE:真っ白けの画像… ( 2) 93/11/08 21:42 01098へのコメント だってさー、他の写真が写るのにね、保土ヶ谷PAだけダメなんてさー(^^; おっかしいよねえ。いちお98のFAだけも(^^; (あ、ちゃんとGIFローダーで見たんだよ(^^;) - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 93/11/08 - 320/321 GBD03557 シゲ 七穂さん口説きオフ参加っ! ( 4) 93/11/08 19:36 297へのコメント あれ、タイトルなんか変? まぁ、妻帯者であるけれど、七穂さんが愛しくてしょうがないシゲとしては 無理をしても参加せねばなるまい・・・(^^;) 小桜さんが来るとなれば尚更のことである。うんうん。 と、馬鹿ばっか言ってるとみんなに相手されなくなってしまうので・・・ みれさんのシスオペ命令により参加致します。>シゲ&維/YUI 足がないので参加を躊躇していたのですが、さっき丁度、みれさんと 維/YUIが電話していたときにアクセスしたらアキラさんがいて SENDでお願いしたら気持ち良く迎えに来てくれる旨だったので参加 できそうです。ありがとう!!!>アキラ ってことは、アキラ&えるちゃも参加になるのねん。 321/321 HGE02116 MAKOTO おしいなぁ… ( 4) 93/11/08 21:37  あらぁ、最近は名古屋づいてる方が多いようですねぇ。  かくゆう私も、今週末に名古屋に行く予定だったりして(^^)  で、シゲ&維/YUIの新婚さんペアは、11/19〜21で、  とかちさん12/2〜5ですか…  で、私は11/13〜14…  みごとなすれちがい…(^^;)  なんか、残念だなぁ…  そだ、すまる、日曜日に豊橋まで出向くからデートしようねぇ(^^)  っと、ごつごうはいかが?  あはははは、これって、メールにすればよかったかしらん…  どうも、おじゃましましたぁ!                   MAKOTO でした☆ - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/11/08 - 01757/01759 GDB00064 オリハル RE:50 OFF ( 6) 93/11/08 17:54 01744へのコメント /スサノオさん、どうも。 | お互い「心行くまで」楽しみましょう。 まあ、スサノオさんの相手をしてあげましょう。。 | 「さ〜っぱり♪」判りません。 「さ〜っぱり♪」とは38理のことざぞ。 | (^^メ)こんな顔の人がよく腹に巻いております。 そうかい、そうかい。それはおっかない事で。 | ☆梅★は陰陽五行、藤原時平です(^÷^)。 よくわかぁんなぁーい。                  オリハル 01758/01759 GDB00064 オリハル 発言者削除 ( 6) 93/11/08 21:18 01759/01759 GDB00064 オリハル 発言者削除 ( 6) 93/11/08 21:23 - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/11/08 - 01581/01583 GDB00064 オリハル RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/08 17:55 01575へのコメント /スサノオさんへ | オリハルさんのようにシュタイナーの本を何回も読んで | 論理が出来上がった人に「あてずっぽう」という | 本当のことを言ってしまい、大変傷付けてしまいました。 | 本当に御免なさい。m(_ _)m(←引力に頭が負けた図) 私のようにシュタイナーの本を何回も読んで論理の出来上がった人に 「あてずっぽう」という、本当でない事を言われてしまい、 大変傷つけられませんでした。はっはっはっ。 | ギャハハ!のギャハハ! | 私の論理が判りませんか??????? | 私は人に合わせてお話しているだけですよ。 | これから「嫌でも」(^_^)判るようになりますから、ご心配なく。 少し深読みしたら、分かりました。要するに、私という人間と周囲の社会との 調和関係について言ってるのですね。                                オリハル 01582/01583 GDB00064 オリハル RE:FARION活性化計画? ( 7) 93/11/08 17:55 01579へのコメント /スサノオさん | 私はオリハルさんを「揶揄」したつもりはありません。 今までの私の失敗は、こういう事を無制限に許してきたからでしたので、 今度のスサノオさんにはもうそういうことをしません。 スサノオさんの発言は客観的にみて、椰揄した表現になってると思います。 他の誰かだと怒るだろうなと想像できます。 | もう少し長い目で会員同士の「会話」を見守って頂けませんか。 いえ、私はシスオペの方にクレームをつけてませんが、クレープ食べたいなと。 それに、一方的にスサノオさんを「警告」したことは納得できませんと おっしゃいますが、私は、「警告」したことで納豆が食べたいかな、と。                              オリハル 01583/01583 GBG02755 すまる 傲慢について。 ( 7) 93/11/08 18:13 まだまだ、発展途上の私が、言葉にするにはおこがましいものがあるけれど、 私の経験した範囲で理解することが出来た、「傲慢」について、 お話させて下さい。 「傲慢」とは、一言で言って、「自分の成長を止めてしまうこと」と言えます。 そして、「自分を見る」を行なっているもの、「悟り」を目指すもの、「自己向上」を 目指すものが簡単に落ちてしまうものだと言うことです。 その罠の周到さは、ものすごいものがあります。 どんなに気をつけても、落ちない保証は出来ない。 「謙虚」を心がけていると思っているものにも、それは容易に訪れるものです。 こういった「傲慢」について、人前で話すことも、実は傲慢ではないか・・・ という疑いは当然、この私自身の中にもあります。 しかし、私の知る範囲での、「傲慢」については、ここで学んでいる人たちに、 最低の知識として知っておいてほしいと思います。 ARIONが「傲慢」になることだけは止めて欲しいと、私に言われたことがあります。その時は、さして大切なことには感じなかったのですが、 「傲慢」になることは、回りの人間の不快感を呼ぶだけではなく、 その人間の可能性を奪うことだとわかってきました。 「傲慢」は自分の外からの影響から訪れることもあるし、 また、自分の中の「自分を忘れる」ことからも訪れます。 外から・・・ 人から誉められる場合、人から尊敬される場合、人から認められた場合、 または、チャネリング等不思議な現象が起きた場合などですね。 そこで人は安心してしまうようです。 内から・・・ 「新しい自分を見た」「自分を見る作業がわかってきた」 「何かをしっかり理解出来た」「自分が変化してきた」 「感受性が豊かになってきた」 等々数限りない・・・ 自分が1ランク上がったなと感じたとき、または人よりも進んでいるなと感じたとき、 すかさず訪れるのが傲慢です。 傲慢になるとしっかり現われる症状というのがあります。 それは、人にこの知識、学び、智恵を分けてあげようとしだす事です。 また、いろいろなものが「パターン化」し始めることです。 いろいろなもの・・とは、言動、行動、思考、感覚、、、、、 同じ回路をぐるぐると回り出すのです。 そして、そこから出ることに苦痛を感じるのです。 とにかく、居心地がとてもいいものですから。 せっかく新しい自分に出会っても、その新しい自分に固執するようになります。 次なる新しい自分が存在することすら、念頭に浮かばない状態になります。 いや、ちょっとわけ知りの人間だと、そういったことを「知識」としてもっています から、「謙虚」「違う自分をまだ求めなければ・・」と言うことを意識してしては いますが、この思考さえ、パターン化してしまって、空洞化してしまうのです。 傲慢の罠は至るところに用意され、いつでも落ちることが出来ます。 では、いったいどうしたら、傲慢の罠から逃れることが出来るのか・・・・ とにかく、「パターン化」しているかどうかチェックすること。 人からの忠告を謙虚に聞くこと。それはどんなに謙虚でもいいと思います。 それから、自分の言動に小さな嘘がないかということにも気を配ることです。 傲慢に落ちると、その心地よさから出たくないために、「嘘」が始まります。 自分の感情と言葉の小さな違和感を見逃さないようにすることです。 1ランク上がった自分を意識してしまったら、いままで以上に、謙虚になる必要が あります。そして、もっと精度をあげて「自分を見る」ことが必要です。 今までと同じ方法ばかりでなく、どんどん新しい方法を取り入れること、 そのためにはどこまでも貪欲であることです。 本当に傲慢の罠に落ちると、居心地いいんですよ。 そこから出たくないのが当り前なんです。 でも、「自分を見る」ことをやっている人は、「傲慢」になることだけは どんなことをしても、避けなければなりません。 自分をどこまでも、どの方向にも成長させることができなければ、 何の意味もないからです。 ではでは。       フミミ、傲慢になっていないかな?嘘はないかな?    すまる