- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/11/15 - 01155/01157 PXH01650 杉本英雄 RE:こんにちは、秀雄さん。 ( 2) 93/11/15 18:31 01142へのコメント さはし さん、コメントどうもありがとうございます。 >静岡県て、どこまで走っても静岡から出れないなあ、と思うほど、 長大ですもんねえ。 マレいやあ、そういうもんですか。住んでいるとわからないもんですね。 今、浜松に「バベル(=バブル)の塔」が建設中です。高さが約200m、 屋上はヘリポ―ト、中はホテルとテナント、周辺は大ホ―ルやら博物館やら、 それらがム―ビング・ロ―ド(動く歩道)で結ばれている..という地方自治 体では途方もない野心的な建造物です。来年10月には完成予定なんですが、 不発弾やら談合やらでけっこういわくつき。バブルの全盛期に構想されたもん だから、今は入るテナントもないし、使用料が高すぎて運営も難しいし、ほん とうに中身は空洞になりそう... ちなみに、「うなぎパイ」が”夜のお菓子”と呼ばれる理由をご存じですか? :英雄 01156/01157 PXH01650 杉本英雄 RE:初めまして:英雄 ( 2) 93/11/15 18:32 01135へのコメント ぱうわ― さん、RESありがとうございます。コメントを読んで行くうちに 何となくイメ―ジが湧いてきました。今後ともヨロシク! >職業はプログラマ―ですか?すごいなあ。 いえいえ、とんでもござんせん。プログラマ―ってのは因果な商売ですよ。 はやくHAL9000(from A space odyessy:2001)みたいなのができない かなあ。 きょうは、アリオン世紀末書込み寺とKAZEの神秘学遊戯団の方へお邪魔 しますので、そちらの方もヨロシク!! あ、そうそう、>耳コピ― って何ですか? :英雄 01157/01157 PXH01650 杉本英雄 RE:はじめまして。あるがままに です。 ( 2) 93/11/15 18:33 01149へのコメント 初めまして、あるがままに さん。 >いないんですよね、まわりに。このフォ―ラムで扱う話のできる人間が。 やはり、そうですか。でも、20年前に比べれば(ううっ、年がバレる!?) ずいぶん、話題にしやすくなりましたよ。ウチの会社ってヘンな会社で、社長 以下、けっこうこのテの話をするし、積極的に認めてますよ。顧問の先生で、 方位学とか気とかを研究している人がいって、定期的にセミナ―をやっていま す。だいたい、社長が”気巧”に凝ってるんだね、これが。時々、社員も参加 させられていましたが... ところで、ウチの社員のほとんどが1999年で”終わる”というのを信じ ているんですよ。 >いま関心のあるのは、チベット密教ニンマ派のゾクチェンの思想です どんな点で魅かれたのか、そういう話なんかを気軽に話して下さい。書き込 みを楽しみにしています。 :英雄 - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 93/11/15 - 367/369 GBD03557 シゲ アレさんには勝てない怒涛の豪雨オフ ( 4) 93/11/15 16:36 358へのコメント >TAOさん : 盛り上がりましたが、本当、FARION にも“怪しい日本古代史”の部屋が : あったら面白いでしょうね。神社オタクの*/Y*Iさんもいるし…(^_^;)。 歴史フォーラムの古代史の部屋が閑散としているので乗っ取るってのが 手っ取り早くていいんでわないかと・・・ あの部屋ってどうせ話題ないしさぁ・・・(F歴史のスタッフが問題発言か) それとも維/YUIか七穂さんを議長にここで作ってくれるようにみれさんに 頼むとか。でも位置づけが微妙だべなぁ。 : 何やら、不穏な(?)某プロジェクトの発令の噂もあるようですが(ー -;)、 : まあ、それは無視しときましょう。んじゃんじゃ、RTで又。 いや、マジで似合ってましたよ。一回りくらい年齢差があるような気もするが 気にしないっと。 : お見かけしたことはありませんが(^_^;)。「淑女」は一、二人はいたかも : しれないが(^.^;)。 どこに淑女がいるんじゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!! : 実は、雨が降っているのを見て、結局シゲは参加出来なくなったのかな、と : 思い込んでいたんですよ。シゲは天下無敵の晴れ男でしたから(過去形)、 : (容疑者:あもりん)のせいか? しかし容疑者あもりん曰く「そうゆう日 : なんだって(みれ談)」とのこと。 前日に熱を下げる内気功をしてエネルギーを使い果たしたんですかね。 まぁ、カミゴトでみれさんがどっかに行く時は雨って決まってるようですから 一介の小市民の僕にはとてもとても。小市民ねぇ・・・7番の部屋に居た (ってカラオケボックスのね)連中だけがわかる笑うに笑えない出来事ってか。 365/369 GGD02212 Soo RE:残念だわぁ…(^^;) ( 4) 93/11/15 03:03 361へのコメント  #339は上京する直前に#336を見ての思いつきUPで、 #340(駅西口…)や#342(メールの件)は読めなくて、 じ実は12:35に新幹線を降りて豊橋駅で昼食しまして、 12:50頃から中央出口付近をうろついてたんです(^_^; 詳細を聞いて無かったのでスレ違っちゃいましたか…。 顔だけ見せ(させ)てもらって消えるつもりでしたし、 「世紀末フォーラムのスマルさん、スウさんが…」など という怪しい構内放送までには至りませんでした(^_^; 後は名鉄・近鉄・南海と乗り継いで帰っちゃいました。 (豊橋が名古屋からけっこう遠いこともしらなかった) 水臭いマネのハンパ野郎ですいませーん m(_ _)m Soo. 366/369 GHF01210 Zap! 七穂さん歓迎オフから生還 ( 4) 93/11/15 05:02 七穂さん歓迎オフは、朝からしとしとと降つ てゐた雨が、滝のやうなドシャ降りに変はる 中で、遮二無二行はれ、我々善男善女は、皆 水も滴るいい男に、美女美女に、なつたので あつた。もとからさうか。午後五時二十分に 駅に着いた時は、それらしき集団の、影も形 もなく、集合場所を間違へたか、集合時間を 誤つたかと、狼狽した。ポツポツと遅れがち に、人が集まつて来たので、一安心。一次会 の会場は、横一列の長いテーブルに長椅子の 設定。膝詰め合はせ顔突き合はせてテーブル の上は酒と料理の最過密充填状態。七穂さん は可愛いかつた。2次会のカラオケ会場を探 しに豪雨の中を著美さんと一緒に歩き回る。 どうにか見つけた場所は歌舞伎町、何と遠い のだらう。全員が場所を移動するのに一時間 以上は確実に掛かつた。ここでも最過密充填 状態になつた。シゲさんは歌ひまくり、TAO さんはノりまくり、EXさんの喉は披露しても らへず、自分は悪人だから声が小さかつた。 とても狭かつたので、それだけ親密になれた かも知れない。その他諸々の事は省略する。 幹事様は御苦労さまでしたm(_ _)m 368/369 MGH00465 アキラ つーこって、 ( 4) 93/11/15 17:38  ラスベガスからのアクセスだす。ただいま、深夜12時半。  シゲが貸してくれたノートパソコンで、無事アクセス成功だす。どもありがと >シゲ  例の件だけど、あのメールした直後に発送したんだけど、だいじょぶでしたで しょーか?>シゲへの私信  んでまぁオフだけど、さんざんでしたな(^^;) このさんざんさにどーゆー意 味があったのか、そのうち解答をいただきたいもんです(言葉である必要はない んですが)(^^;)  こう、なにもかもタコだったオフも珍しいんで、いよいよまたまた玉置の復活 かぁ?(^^;)  とゆーことで、皆様ご苦労様でした。                          MGH00465 アキラ 369/369 NAG02033 EX RE:新宿オフ雑感 ( 4) 93/11/15 19:14 357へのコメント  #357 Soo さん、他 えらいどうも 自宅のモデムが故障してアクセス不能なんで、会社からです。(^^;) | 次の初対面はEXさんかな、と思った人は都会向けにイメージチェンジした? |あもりさんだった。本物のEXさんは眉毛が八の字だった。他にコメントは…(^_^; あもりさんのような外観を連想させるアップ(どういうアップだ・・・) を私はしているのかなぁ・・・ 「眉毛が八の字になってるよ」と、ときどき人に指摘されます。(^^) あもりさん うんこ座り「春夏秋冬」どうも シゲさんたくさんうたってましたね。隣でデュエットしてたのは、 著美さんでしたか? ZAP!さん奥の席取ってごめんなさいおよびカラオケ苦手でさぁ・・・(^^;) 帰りは丁度タッチの差で東西線に乗れず、東京行き電車は雨で四谷で止まって しまい(外堀があふれた)、飯田橋で待つも痺れを切らし、タクシーで帰った のでした。おわり。 v(^_^)v P.S. なはは>小市民>想いだした>シゲさん &またいぢめてくれてどもども(^^;)>える ではでは EX (NAG02033) - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/11/15 - 01792/01794 KFG01743 情報経済学研究室 発言者削除 ( 6) 93/11/15 10:35 01793/01794 GBD03557 シゲ RE:猫を文学する。 ( 6) 93/11/15 16:36 01791へのコメント CHARAN でも僕と似たような悩みを抱えるかと思うと僕は嬉しいぞ。 01794/01794 GBG02755 すまる 白い杖の人 ( 6) 93/11/15 18:03 私は、10月17日から、普段ほとんど見ることのない「白い杖」の人を 立て続けて見ている。白い杖の人とは盲目の人ですが・・・ とにかく、とても気になって仕方が無い。 この盲目の人が何を言おうとしているのか、私は今日まで、考え続けている。 盲目の人とは具体的なある人物を指しているのか、それとも状態なのか・・・ 最初の出会い、私は歩道橋の柱にぶつかりそうになっているその人を思わず、 助けそうになった。しかし、彼はしっかりとした足どりで、その柱に気づいて、 回避した。 それ以降のその人は、階段をそれも通勤時間のラッシュの中をやはりしっかりと 憫いていた。 ある日、その人は、人の手を借りて歩いていた。 〈その人とは全部、別人ですが・・・k〉 私は、自分の状態を言われているのか?と何度も問い返した。 確かに私は未だ、何も知らないのかもしれないが、 だから、いま、全くの盲目であるとは思えなかった。 ある程度、見え初めていると感じている。 いや、いろいろ反省しなければならないことは山ほどあることは自覚しているが。 この件は未だに、検索中。 では、私の外に盲目同然の人がいるのではないか? 見たつもりになって、目隠し状態の人。 でも、やっぱり私の助力は必要ないんだ。その人の問題で、目が見えなくても、 自分の意志で、目的地を目指しているのだから、私が余分なことはしなくても良いと 言うことを言っているのではないか・・・ 目隠し状態の人、、、そう見える人は確かに存在するが、そう判断することすら、 傲慢である。と自分でそう思う。そして、そう見えたからといって、お節介するのも やはり、傲慢であろう。 私は自分の盲目状態もチェックしながらも、 盲目の人をお節介するのは止めようと判断した。 だから、もう白い杖の人は見なくていいだろうとも判断した。 と、思っていたら、またもや、白い杖の人・・・ しかも、昨日、神様にご挨拶に伺ったところ、私になんか文句の有る様子。 ・・・わたしにどうせぇっていふねん。 私は、じぶんの傲慢を人に押しつけるのはいややねん。 確かに盲目の人を見ると、手助けしたくなるよ。 だけど、その人は自分の人生を自分の能力のままに楽しんでいるのだから、 じゃましたらあかんやないの。 と、思うだよ。 その人がほんまの困ってるのやったら、手は貸す。 けど、困ってない。 困ってないのを困っていると思い込んで助けるのは、傲慢や。 そんなことできん。 盲目だから、不幸だなんて思いとうない。 何をさせたいの?>>神様 何を知らせたいの?>>神様。 すまるは、ずっとこんな問いかけを自分の中で繰り返しているんです。 1年前の夢にも、何度も身体障害者が出てきたし・・・・ その前には処刑されそうになった人を助ける夢をみているし・・・ なんなんだろう・・・・                        すまる - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/11/15 - 01612/01613 HGC02325 ガッチャ #1607 発言を削除、再アップしました。 ( 7) 93/11/15 02:55 01607へのコメント   #1607 の 峰岸 ミヤ さんの発言は文章の間「[B[D」などが入り読みにくい為、  一旦削除して編集し、ここに再アップ致しました。 |01607/01607 KHC01466 峰岸 ミヤ アリオン様へ |( 7) 93/11/14 17:17 | | アリオン様 | |  初めまして。どうぞよろしく。ミヤです。 |  何年か前、誰かのために生きていたときは、とても充実していたし、 |  生きているっていう実感があった。でも、しばらくの間、誰かのために生きていな | かった日々は、抜け殻のような状態に、なってしまった。 |  今、また新たに自ら、誰かのために生きれるような状況の中に、 |  入りたいと動いているのだけれど、実際また、そういう風に生きていくことが、 |  できれば、この抜け殻状態から、脱出できるかな。 |  少し、不安な日々を、過ごしています。 |  アリオンの声が聞きたいです。お願いします。 |/E 01613/01613 PXH01650 杉本英雄 こころは青空:英雄 ( 7) 93/11/15 18:34 みなさん、はじめまして。 わたしの発言が何かの参考になれば、と思います。 こころは、どこまでも広がる青空。 奥深く、果てしなく、澄み切って、 どこまでも、どこまでも広がっている... その中心は輝く太陽だ!! その光は、温かく、慈しみにあふれ、只々与え続ける.... その空も、時には雲に覆い隠されよう、 厚く厚く、黒く覆われて、 光も輝きも失われたかのように思える事もあるだろう。 だが、友よ、兄弟姉妹よ、 悲しむ必要はない、嘆くことも、絶望することもない。 どんなに厚い雲であろうと、それは必ず、消え去ってしまう、 どんなに覆われようとも、太陽は輝き続けているのだ!! なぜなら、雲は限りあるものだが、 太陽と空は無限なるものなのだから。 :by 英雄 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/11/15 - 00772/00776 GGD03030 《 隆 》 一週間のご無沙汰でした(^^;) (13) 93/11/15 00:48 00764へのコメント コメント数:1  KAZEさん、こんにちは。    なんか「ロッテ歌のアルバム」の玉置宏みたいですが(^^;)、先週の土曜日あたりか  ら、かなり厳しい逆行(だと思っています)が出て大変でした。その上、今月は妙  に予定がたてこんでいましてあたふたしています。12・13日はそんな中、かね  からの希望もあって、お伊勢さんへ行ってきました。結構遠い(270kmくらい  でしょうか)ので身体は疲れましたが、なかなか楽しめました(^^)。伊勢うどんの  美味しいお店も発見しましたし、赤福は相変わらずの美味しさでした(伊勢で食べ  る赤福とキヨスクやデパートで売っている赤福はどうも違うようです)。    今年は式年遷宮の年ですし、行楽シーズンが重なってかなり人出が多かったので神  社参拝は今一つでしたが、やっぱりお伊勢さんはすがすがしい所です。あいにくの  雨模様でしたが、参拝中は小雨で晴れた日とはまた違った趣でした。ただ、帰り道  が滝のような雨で目が点になってしまいましたが・・・(^^;)(^^;)(^^;)    >確かに学ぶことはどっさりとあってありがたいのですが、  >早くオアシスを見つけて、ひとときの休息に身を委ねたいものです。  そうですね。僕なんかもぐうたらしているのですが、どうも落ちつきません。これ  はひとえに、住む場所が定まらないからなのですが、どうなることやら・・・。  忙しいのはそれほど苦にならないのですが、落ち着けるところがないとやっぱり厳  しいものがありますよね。    >はやく、自然な気持ちで感謝できるような心境に近づきたいものです。  これが本当に難しくて、頭では理解できても心ではなかなかうまくゆきません。現  状は、自分で自分に言い聞かせているという状態です。苦しいものはやっぱり苦し  い(^^;)というのが正直なところですが、いつかは抜け出せるのでしょうかねぇ。    >ま、僕はひとに嫌われる、というのもほとんどありませんでしたが、  >その反対というのもそんなにない(^^;;ようで、  >常に距離をとって生きてきましたから、そこらあたりに、  >自分で破壊数を仕掛けはじめたのかもしれませんね。  「ひとに嫌われる」のと「ひとに好かれる」と言うのは表裏一体なのかもしれませ  んね。僕はひとに嫌われたくないという気持ちが強くありますが、これは自分が好  きな人に限るわけでして(^^;)、そうでない人には逆に嫌われた方がややこしくなく  て良いなどと思っています。実に傲慢という気もするのですが、このあたりは感情  が絡んでくるので、いかんともしがたい部分です。ただ、以前と比べると非常にお  となしくなってきたそうですし(本人はよくわからない)、少しは進歩しているよ  うで、もっと歳を重ねれば違った感情が芽生えるのかもしれません。    カミさんはますます日月神示にのめり込んでおりまして、なんとか原文を手に入れ  たいと申しております。僕としては住処が落ちつくまで、大事な本は購入したくな  い(引っ越しすると本が痛む)のですが、そろそろ我慢の限界みたいです(^^;)。  僕も読んでみたいですし、なんとかしようと思っています。    >でも、ああした新書のかたちで出す以上、ああいうスカスカの書き方をしないと  >多くの読者が獲得できないということかもしれませんね。  そういう事なのでしょう。僕は中矢伸一さんの本を一冊しか読んでいません(カミ  さんが何冊か買ってきましたが、まだ読んでいません(^^;))のでなんとも言えませ  んが、彼のお役目(?)を考えるといたしかたない部分もあるような気がします。  みんながみんなある程度のレベルにあれば解説書や紹介の類は必要ないでしょうし、  不特定多数の興味をひく為にはそれなりの方法論しかないようにも思えます。少な  くとも、日月神示の存在を知らせてくれたという事には感謝せねばならないでしょ  うし、あの本の目的はそこにこそあるのだろうと僕は思っています。あとはカミさ  んや僕自身の問題ですよね(^^)。    ところで、桑田次郎さんの漫画ってどこから出てるんですか?。カミさんが読んで  みたいと申しておりました。よかったら出版社を教えて下さい。    >でも、その反面で、数学も言語も、高次の諸世界がこの世界に射影したものでも  >ありますから、それはそれなりに重要なものなんです。  ここらあたりになると、僕にはよくわかりません。ちなみに僕が数学とか言語とか  言うときはあくまで人間の創作物としてのという条件がついています。っで、重要  な部分というのは、もっと根元的な事だと思うのですが、なかなかイメージできな  いのです。例えば数学でも発見されるものというと、高次の世界の射影かしらんと  思えますが、方法論になるとどうもね。勿論これも人間を媒体にして投射されてい  ると考えられますが、そのへんがなんとも曖昧なんですよね、僕の中では・・・。    15日は下の娘の七五三、17日はインド人のお友達の息子さんの誕生日、18日  はMRT、20日はおふくろの土地探しのお付き合い、23日はお墓参り・・・な  んだかどうでもよいような予定ですが、まだまだ忙しいのでありました(^^;)。頭の  方も(本当は頭ではなくて肝というか心という気が最近してきましたが)フラフラ  で、なんだか先が見えませんが、なんとかマイペースでこの時期を乗り切りたいと  思います。                                by 隆ちゃん 00775/00776 GGA02514 KAZE 「伊勢型セラピー」もたまには必要かも (13) 93/11/15 17:03 00772へのコメント 隆ちゃん、どうも。 「かなり厳しい逆行」ということで相変わらず大変そうですね。 相棒も、先日お会いしてから、隆ちゃんはとっても繊細そうだから、 それでいろんなことがたまりにたまって体調にでるのかもといってましたが、 おそらくそういう部分を「ためない」方向にいくのがベターかもしれません。 MRTなんかに平行して、感情部分でも、いろんなことをソフトに受けとめるような そんなことを心がけるようにすれば、かなり安定してくるような気がします。 僕の(勝手な想像ですが^^;)MTRだと、自我に関連した部分が欠落してるから、 そこらへんを補強する必要があるように思えるのです。 変なたとえでいうと、神道はわかるが仏教はまるでわからないというのと同じです。 >お伊勢さんへ行ってきました。 いいですねえ、うらやましい。 本場の?赤福だって食べてみたいし・・・。 伊勢神宮といえば、ちょっと前に「太陽」という雑誌の10月号で特集してまして、 中沢新一さんが記事を書いてました。    ひとはなぜ「伊勢」へ向かうのか。現在に至るまで多くの日本人が特別な感情を 抱いてそこを訪れる、伊勢神宮の神秘的な力。世界でも稀なる宗教空間の核心を 五つのキーワードから読み説く。 ということで、その五つのキーワードはといえば、 「森」「太陽」「二つの中心」「米と魚」「お伊勢参り」なのですが、 今回の隆ちゃんに関係した「お伊勢参り」の項目でちょっとおもしろかったのが、 伊勢は、深刻な悩みをかかえた人を癒すための場所ではなく、人間が本来もって いる能力や欲望を、率直にのびのびと解放する場所であり、その意味で、日本の 巡礼地としては特異なのである。熊野型セラピーと、伊勢型のセラピーとがあっ て、現世がいちばん大切と考えて、あの世のことをちゃかしたりしがちな、江戸 時代の庶民には、お伊勢参りは自分たちの精神にぴったりくるものとして、ひと つの発見でもあった。そのために、抑圧された感情を爆発させたり、窮屈な気持 ちを思いっきり解放したりするのに、お伊勢参りはたびたび利用され、しばしば 大きな社会的な力さえ持つようになった。 というところで、熊野型セラピーと伊勢型セラピーというのは、 ほほうと思ったのでした。 確かに、人間、たまには解放的な伊勢型セラピーなどがないと、 たまったエネルギーが毒に変わってしまうのかもしれませんね。 そういう「装置」はちゃんと自分で把握しときたいものですね。 >忙しいのはそれほど苦にならないのですが、落ち着けるところがないとやっぱり厳 >しいものがありますよね。 「落ちつけるところ」ですかあ、ううむ。 僕などは、あまり移動癖がないわりには、「仮の宿り」からあまり動きませんねえ。 そもそも自分の家などというものを持ちたいと思ったことがないのもありますが。 そういえば、シュタイナーも、「カルマ論」の講義の中で、 「私は自分の家が持ちたいなどとは思ったことがありませんがね・・・」 などという皮肉を言っていました。 ただ、やはりある程度「落ちつけるところ」はほしいですね。 「仮」とはいえども、今あふれかえっている本の収納できる場所で、 落ちつける環境の家などがあればいいのですが・・・。 でも、たぶん僕なども一生落ちつけずに、お気楽なヤドカリでいくんだろうな、 と思っていますが、どうなることやらです。 ま、根無し草というのもそれはそれでなかなかいいものだという気もします。 >苦しいものはやっぱり苦しい(^^;)というのが正直なところですが、いつかは抜け出 >せるのでしょうかねぇ。 苦しいものを苦しくないというのは、やせ我慢か偽善でしょうから、 苦しいものは正直に苦しむしかないのでしょうが、 問題はその受けとめ方なんでしょうね。 「必ずこの苦しみは自分をプラスに向かわせてくれるはずだ。 そのためにもその苦しみを自分の磨き砂として使おう。」 と思えれば、とりあえず今の苦しみの終わるときには、感謝できる場合もあります。 僕も先週は、僕の一番苦手な類の仕事で、 ファッションショーのディレクターなどをしてたのですが、 無事成功して終わるまでは、苦しいのなんの大変でしたが、 終わってみると確かに得るものは多かったようで、一応感謝できました(^^)。 が、もう二度とこういう類の仕事はするものか、と思ったのではありました^^;。 >「ひとに嫌われる」のと「ひとに好かれる」と言うのは表裏一体なのかもしれませ >んね。 そのようですね。 ゚「かわいさ余って憎さ百倍」とかいうのもありますし、 信頼していた人に「裏切られる」と、今度は「不信感」でいっぱいになる、 というのもよくあるようです。 こうした「かわいさ」や「信頼」というのは、嘘ではないものの、 やはりどこか自分のご都合主義でそう感じているだけのような気もします。 キリストのように「右の頬を打たれたら左の頬を差し出す」というような、 「好き」と「嫌い」が表裏一体ではない「愛」というのが必要なのでしょうが、 やっぱりなかなかそういう感情は僕にとっても困難をきわめるものでして、 とっても好き嫌いが激しい自分がそこにいるのでした^^;。 ただ、以前に比べて少し自分でも進歩したかなあと思えるのは、 好き嫌いは好き嫌いとして変わらずあるのですが、 なぜ自分は今そういう感情を持たざるを得ないのかな、という冷静さが ある程度いつも意識的にもてるようになったことでしょうか。 >カミさんはますます日月神示にのめり込んでおりまして、なんとか原文を手に入れ >たいと申しております。 確かに、日月神示の言霊というのは腹を据えて読むと なかなかにすごいものがあります。 でもあの「原文」というかは、1万円ほどしますよね。 僕も欲しかったのですが、あまりに高いので買うのはやめにしています。 ま、参考までにですが、以前アップしたMIZUHOメッセージなどを 読み比べていただくと、なかなか興味深いと思いますので、お試しあれ(^^)。 >僕は中矢伸一さんの本を一冊しか読んでいません・・・のでなんとも言えませんが >彼のお役目(?)を考えるといたしかたない部分もあるような気がします。・・・ >少なくとも、日月神示の存在を知らせてくれたという事には感謝せねばならないで >しょうし、あの本の目的はそこにこそあるのだろうと僕は思っています。 そうですね、中矢さんの「役目」というのは以前の丹波徹郎のようなものでしょうから そこにあまりちゃんとした霊学を期待するのが間違いなのかもしれませんね。 たぶん、隆ちゃんがまだ読んでないのは正解ですから、読まなくてもいいと思います。 相棒などにも中矢さんの言い回しというのはどうも受けが悪いようで、 僕も持ち前の節操のなささえなければ途中で読むのをやめたと思います^^;。 >桑田次郎さんの漫画ってどこから出てるんですか?。 えっと、今手元にないのではっきりしてはいませんが、 例の日月神示のダイジェスト版がでている「コスモテン」か そうじゃなければ「潮出版」あたりだと記憶してます。 同じような装丁なので、たぶんそこらあたりでしょう。 桑田次郎さんの漫画シリーズは、廣済堂出版の文庫などでもでていまして、 般若心経や観音経、古事記シリーズなどどれもワンパターンの良さがグッドで、 とっても楽しみながらためになると思います。 >ちなみに僕が数学とか言語とか言うときはあくまで人間の創作物としてのという条 >件がついています。っで、重要な部分というのは、もっと根元的な事だと思うので >すが、なかなかイメージできないのです。 これはYUIさんへのレスでも書きましたが、 数学や言語がどういう「部分」なのかということを考えるようにしながら、 その上で「重要な部分」について少しでも突っ込んでアプローチできれば、 というふうに僕などはとらえています。 >頭の方も(本当は頭ではなくて肝というか心という気が最近してきましたが)フラ >フラで、なんだか先が見えませんが、なんとかマイペースでこの時期を乗り切りた >いと思います。 僕もわりとフラフラなときは、「腹をしめる」ようにしています。 「肝」といってもいいのですが、「意志」をクリアにして重心を落とすんです。 それと、そういうときはできるだけ感情を安定させることで、 その二つのバランスがとれれば、なんとかなります。 つまり、「頭がフラフラ」なときには、重心が高すぎて不安定なのですから、 重心を逆さピラミッドから安定型のピラミッドにしてやるわけです。 こうしたイメージングだけでも、僕の場合は少しは効きますのでお試しあれ(^^)。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00773/00776 GGA02514 KAZE YUIさんは「結」さんでもあったんですね(^^ (13) 93/11/15 17:01 00768へのコメント YUI さん、どうも。 >距離をおく、というのは新しい人間関係を築くことから離れるということでは >なくて、むしろ自分とういうものに、不要な偏見・誤解を植え付けるのを避け >る機能を果たすと思っています。だから私はどんな種類・人格の人間とも接触 >することができますし、そういう意味では私のハンドル、「YUI」は「結」の >意味を包含していると考えることもできるのですね。 僕も以前はいろんなひととの接触がかなりシンドかったのですが、 長年の仕事の経験から、少しずつ改善してきていまして、 今ではなんとかたいていのひとと「接触」できるようになっています(^^)。 「YUI」さんというハンドルネームは、「結び」という意味もあるのですね。 僕のハンドルネームは「KAZE」というのでもおわかりのように、 「結び」というよりも「とらわれのなさ」のようなものを表現しています。 ま、僕の場合、ひとと「接触」すると妙に意識的になりすぎて^^;、 かなり疲れてしまうので、いつも「さりげない」つかいあいになってしまいます。 できれば、これから「結び」という方向も積極的にしなくちゃあと思っていますが このものぐささはなかなか直らないようです^^;。 数学や言語についてですが、 >確かに、高次の諸世界がこの世界に射影したものでもあるのですが、あくまで >もそれは「全体」の「部分」ですよね。世界を理解する上でのひとつの「道具」 >ではあるけれどもそれだけで全体を包括し、納得のいく説明はできないので >はないでしょうか。 もちろん、その通りです。 だからこそ、数学や言語などが「どの部分なのか」を できるだけはっきりと位置づけていかなければいけないのだと思います。 つまり、どの部分について有効なのかがはっきりしてないと、 誇大な期待がかけられたり、反対に貶められたりしてしまうというように、 極端な方向にいってしまいかねないということです。 話はちょっとずれるかもしれませんが、 たとえば僕は仕事で広告のコピーを量産^^;しているのですが、 そのときの「言語」のもつ働きというのも、 その有効性とそうでない部分というのがけっこう明確なような気がします。 たとえば、同じ「言語」でもその置かれるシチュエーションで その意味がある方向に限定される、というようなことも当然あります。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00774/00776 GGA02514 KAZE 「常識」は臆病の表現であることが多い (13) 93/11/15 17:02 00769へのコメント YUIさん、どうも。 >私が精神世界の説明をすると彼はこう言うのです。 >「そういう方面の話には近づかないようにしている」と。 そういうシチュエーションっていうの、多いですねぇ^^;。 そして、そういう方に限って、「そういう方面」に無智なだけに、 あるきっかけで、「そういう方面」に無批判に没入したりします。 単に無智なだけなのに、それを正当化することが正しいと思っているから、 なにが「正当」なのかがまるでわからななくなるんですよね。 >「でも、それが正しいという証拠はないから」 というのも、結局は臆病さを表明してるだけなんです。 「正しいという証拠がない」というならば、 現代、「常識」だとされていることだってほとんど、 「正しいという証拠」なんてありはしないんですよね。 何もかも無節操に受け入れるっていうのも危険だけど、 自分が今信じている世界しか受け入れないというのも、 結局「悪しき宗教」ということとまったく変わらないのが、 そういう方にはわかっていないのでしょう。 僕の知人に、僕の地元では有名なお寺の副住職がいるのですが、 この方はお金しか信じていない唯物論者で、 つい先日も、NHKで放送したチベットの死者の書の番組を見て、 「もしこれが本当だったらこれまで自分のやってきたことが無意味になるから とうていそういう世界観を受け入れるわけにはいかない」 ということでした^^;。 そのくせ、この方は「先祖供養は大切だ」と説くのですから、 始末に負えません。 ま、この方はこういうことをビジネスとしか考えてないそうですが^^;。 >体験というのは通常生活するぶんには隠されているけれども一度視点を >獲得してしまえば生活自体が体験と化すのですね。 そうなんです。 多くの方は生活そのものが神秘体験だというのがわからないのでしょう。 空の青さや木々の葉の色、風のそよぎ、すべてが神秘そのものですし、 日々のこまごました生活の体験もほんとうに無限の宝庫そのものです。 ひとと話すことだって、かなり魔術的な体験なんですよね。 神秘学っていうとなにか特別なことだと思って敬遠する方が多いですが、 結局、いかに最高度に生きるためのビジョンを獲得するか、 ということを身近なところから実感していくことなんです。 それを離れて、妙な行なんかすることじゃないと思うのですが。 >”階層間の「接点」”、弓道の認識を深めれば深めるほど如実にイメージが >浮かんでくるようです。 そうしたことが体験的に理解されるというのはすごいですね。 やはり、武道のすごさというのはそこらへんにもあるのでしょう。 「武士道は死ぬことと見つけたり」という有名なことばも、 「生」と「死」のエネルギー変換の場に、自分を置くほどの境地が 要求されているということなのかもしれませんね。 ちなみに、シュタイナーによれば、そのエレメンタル存在については、 神秘学などでもシュタイナー以前は注意深く隠されてきたのだそうです。 というのも、それが不用意に使役され、「破壊のための破壊」ということが その存在によって促進されかねなかったからだそうです。 この世紀末に起こるといわれている「大異変」も、 そのエレメンタル存在の働きと深く関わっているように思われます^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00776/00776 PXH01650 杉本英雄 ア−カ−シャ年代記より:英雄 (13) 93/11/15 18:37 初めまして。流れから外れているかも知れませんが、発言させて頂きます。 先日、地元のデパ―ト内の書店で、シュタイナ―の書籍の特集を行っていま した。シュタイナ―については、教育の面ではよく知られているようですが、 その人智学的側面についてはどれだけ理解されているのでしょうか? わたしがシュタイナ―を知るきっかけになったのは、「アカシャ年代記より」 でした。最初に読んだ時は、その異様なまでの描写(火の霧に受肉した人間とか、 太陽と月との分離とか)に度肝を抜かれました。その当時は、”幻想文学”とし て出版されていましたが、無理からぬ事と思います。しかし、一緒に掲載されて いたシュタイナ―自身の写真や、その描写の精密性と迫真性から、これはモノホ ンだぞ、度偉いコッチャ、等と感じたのです。 確かに、「アカシャ年代記」で述べられている事柄の内には、現代科学で証明 されたものもありますね(ひょっとしたら異論があるかも知れませんが)。 シュタイナ―の書籍は、それを読むことによって魂の力が養われる、と感じて います。例えば「アカシャ年代記」の内容について言えば、信ずる/信じないと いうより、何度も繰り返して”読む”につれ、次第に地球進化のイメ―ジが自分 の身内に鮮明になってくる――頭でわかってくるというよりも、魂に表象が力強 く形成されてくる――という気分を感じてきます。別な見方をすれば、実際の「 アカシャ年代記」と自分の魂が”同調”してくる、ともいえるのでしょうか。 (注)ここでいう”魂”という用語は、厳密な意味で使っていません。正直言 って、感受魂・悟性魂・意識魂とエ―テル体等の諸体との関係を、まだ 正確に把握していませんので...誤りがあったらご指摘下さい。 なにはともあれ、こういった事柄を話す事ができるというのは、こうワクワク してきますね(あれっ、どこかで似たような表現があったな...)。チョット 固かったデスカ? :英雄 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/11/15 - 391/391 GFD00204 松川 貴     RE:国と山河と人と (15) 93/11/15 01:44 390へのコメント  どうも、星也さん  星也さんがいろいろ考えていることは分かります。  別段反論する点もないように思われます。  しかし、一方でこう言いたい気もするのです。  おめえ、ナニ、モゴモゴ言っているのだ。  失礼があったらお許しください。                                   松川 貴