- FARION MES( 3):【めでぃあ室】本/映画/音楽 etc----<01> 93/11/25 - 00314/00315 PFA03563 YAHATA 「ら」抜きの何が悪いのだ? ( 3) 93/11/24 23:16  「〜られる」は2つの意味にとられる。「可能」と「受動」である。  可能の方を「〜れる」にしているのが最近の風潮であり、これを言葉の乱れ と見る向きがある。しかし、はっきり区別がついていいではないか。とは思わ ないか?  その昔、「新しい」は「あらたしい」であったが江戸時代あたりに「あたら しい」になったという。「縁起」をひっくり返して「ぎえん」(これがなまっ て後に「げん」とも言われるようになる)なんて言うようになったのもこの頃 である。でも江戸時代には国語審議会はなかったからそのまま残った(そうじゃ ないって…)。  「…じゃん」も注意するらしい。立派な甲州弁だぞ、これは。 そんなにこだわるなら いっそ平安期の古語まで 戻せばいいのだ YAHATA P.S.  この手の話には本田勝一氏がうるさい。 - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/11/25 - 01813/01815 GDB00064 オリハル RE:「部下の叱り方」を平社員が読む ( 6) 93/11/25 00:30 01806へのコメント /YAHATAさん、こんにちは。 YAHATAさんらしくていいのでは、と思いました。 別に仕事だけが唯一の価値ではないですし。 私は周囲で仕事をしないで楽しくしている人がいると安心します。もし、そういう人が いないと、職場は「しーん」と静まり返って、「必要な事だけを口にする」という不気 味な職場となります。多分、皆さん、「仕事教」なのでしょう。 私の職場に、仕事に関しては冷酷無比の人が多かったのは、多分、古い時代の価値観の 名残だと思ってます。人間的な触れ合いを持とうとしても、ほとんど無視され、つっぱ ねられて来た結果、私が落ちついたのは、「仕事時間中には仕事だけをやっていれば安 全である」という経験則です。私の場合は、という意味です。 でも、最終的には、そういった人達も、実は、純粋に仕事をしていたわけではないこと を知りました。私は「なーんだ」と思いました。 YAHATAさんは、職場の雰囲気にもよるでしょうが、きっと、周囲に安心を与えているの ではないでしょうか。と思いました。          仕事時間中には仕事などすべきではないと思っているオリハル 01814/01815 SDI00635 みれ RE:今日突然明けたのは何だろう? ( 6) 93/11/25 16:44 01803へのコメント  #01803 SUKE さん  フムフム…抜けたのね(^_^)ニッ  ほんとうに23日は雲一つない良い天気でした。  私も友人と大宮氷川神社に出かけて、懸念されていた挙式のこと などを、ようやく決める気になり行ってきましただよ(^_^;)  あの日は、きっと何か次のことに向かう準備の日だったに違いあ りませんよ…ウンウン…(^_^)  余談ですが、あたしも目の前を「白い鳥」が過ることがあると、 いつも何かしら良いことが起きるんです…ほんと(*^^*) ・:*:・みれ・:・。,★ 01815/01815 JCC02647 とかち 変な文章だけど ( 6) 93/11/25 16:52  山深き所に一粒の水滴が生まれる  数粒の水滴が集まり小さな水の流れになる  幾つものほんの小さな水流があつまりせせらぎにかわる  山肌をすべるように、地中にしみこむように流れていく  ほんのひとにぎりの今にも渇れそうな水流がいくつもあつまり  小さな川になる  人目につかないところを流れたり  人目に触れるところをながれたりしながら  流れていく  小さな石や砂を押し流しながら  勢いをましていく  大きな石をも動かし、角張った石を丸くしたり  少し昇ったかと思うと下がってみたり  時には滝のように急落下し  滝壷でじっとしてみたり  緩やかな淀みに身を投げてみたり  時には凍てつかせ、時には雪解けのように  時には暖かく、時には物悲しく流れていく  長い時間をかけ回り道したりうねってみたり  そんな水流がいくつもあつまり大きな川となる  人工的に堰止められたり、迂回させられたり  上水から下水に変えられ、汚されながら流れていく  生まれてからいくつもの時間がたつのだろう  もしかすると数分の事かもしれないが  じきに母なる大海へと流れつく  大海にくるまで幾多の困難があったにしろ何もなかったかのように  流れていく  ただ母なる大海に姿を写しはするが・・・                      とかち - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/11/25 - 01721/01729 QFG02515 めるく 一ヶ月ごしのレスRESです>星也さん ( 7) 93/11/25 00:10 01525へのコメント コメント数:1  こんにちわ、星也さん。  1ヶ月もたっちゃいましたね。  いくらなんでもルール違反? ま、でもアリオンよりはマシかしら。  (って、アリオンのマネしてる訳でもないけど)  沈黙というレスポンスを選んだ訳じゃなくて、  ちょっと、パソ通から遠ざかってたの。  もし気にしてたら、ゴメンね。 *** |「鯛の生け作り」や「海賊焼き」をみて「きゃーかわいそう!」といってた人が |食膳に配されると「んーおいしー!」って食べてしまうのを不思議に思ったり、 |(食べなければ食べないで、残飯として豚さんとかの餌にするならともかくも) |(ゴミとして廃棄して燃やしてしまうなら、無駄死にになるのかなぁ、とか・・) |「鯨」とか色々な生き物を食べるために猟をする行為を「野蛮!」といいながら |趣味のために「狐」を狩るのは「紳士のたしなみ」的に思っているのは、随分と |矛盾しているなぁ、という思いが基本。  生き物を殺すところを見ると可哀相だと思い、  料理されたものを見れば喜んで食べる、という矛盾。  これはある意味で、無理からぬことじゃないかな。  美味しいものを美味しく食べるのは、全く自然の理にかなったことだし、  調和のとれた行動だと思う。  生き物が死ぬのを可哀相だと思うことも、悪いことじゃない。  たとえばさぁ、  赤ちゃんはすごく自己中心的だったりするけど、  それは自然な事でしょ?  ようするに、成長すればいいんだ。  まず最初に力がある。  それは始めは、完全にはコントロールできなくて、振り回されたりする。  でもそれから、  意識を一歩高いところに持っていくことが出来れば、  その力を自由処理することが可能になってくる。  それが人の成長のしかただと思う。  力に振り回されるのは、好ましい状態ではないかもしれないけど、  でも、その力を持たないままだったら、成長もない。  たとえば、思春期になると、性欲が目覚めたりする。  始めはそれに振り回されたりする訳だけど、  そのおかげで成長もできる。 ***  で、生きるために他の生き物を、殺す殺さないの話だけど、  そもそも「生き物」ってなんなんだろうね。  たとえば、こんな考え方があるよ。  ひとりの人間、たとえば私や星也さんは、本当に、  「生き物」として、一つの「個体」なのかな?  ミクロのレベルで見れば、体細胞の一つ一つも、  それぞれ「一個体」として活動しているようにも見えるよ。  体細胞や、大腸菌や、小さな侵入者たちにとっては、  私や星也さんの身体は、一つの「森」のようなものかもしれないね。  原子という森。  細胞という森。  めるくという森。  星也さんという森。  アリオンという森。  FARIONという森。  地球という森。  宇宙という森。  じゃあ、どっからどこまでが、「個体」なの?  「自分」が生きるために、「他」の生き物を「犠牲」にしているという考え方は、  「自分」と認識している範囲を「一個体」と仮定して、  「独立した部分」として捉える考え方に基づいている。  いわば、アトム的な考え方であって、  量子力学的じゃない、って事かな。  う〜ん、  こういう問題について考えていくと、やがて、  精神や意識は、たんに脳などの「物質的個体」の中で生まれた機能なのか、  そして、脳の破壊とともに無に帰するのか。  それとも、「物質的個体」を超えた「全体性」の中に生まれたものなのか、  という、現代科学を超えた話になってしまう。  まあ、長くなるから、ここではやめとくけど。 ***  ひとつの生命としてみれば、野生種も育成種も同じ。  私もそう思います。 |「野生の動植物を採取するのは自然界のバランスを乱す」が、「家畜や農作物は |それを採取する事を目的に飼育したモノだから構わない」という理屈の事を想定 |していたんだ。  私は逆の考え方をしていました。  野生のものは、はなから食べつ食べられつだから、  人間にとっても、野生のものを食べること自体は、  自然界の作法にのっとったことで、自然と調和している。  どっちかというと、家畜や農作物のほうが、  もとは自然の一部だったものを、自然界のシステムから切り放してしまう訳だから、  不自然で不調和なことだって。  (農業の全てが不調和だとは思わないけど)  ま、問題は人工ですかね。  人工が多過ぎるから、もうその時点で、  自然界の調和を乱さざるを得ない状況に、あるような気がする。                               め る く 01729/01729 PXH01650 杉本英雄 RE:一ヶ月ごしのレスRESです>星也さん ( 7) 93/11/25 17:17 01721へのコメント 初めまして、めるく さん。 食べる/食べられる、という事について、前から考えていたので、ちょっと コメントさせて頂きますね。 >じゃあ、どっからどこまでが、「個体」なの? そうだよね、こう考えると、宇宙全体で一つの「個体」とも言えるね! 人間が食物を「食べる」、スケ―ルをミクロにすれば、細胞も養分を「食 べる」、もっと小っちゃくして、原子もエネルギ―を「食べる」....んじゃ、 細胞が養分を取り入れるとき、残酷かあ、というと?? 以前、聞いた話し。例えば、いちごを食べたとする。もし、いちごが、人 間に食べられなかったとしたら、そのいちごは、いちごとしてのレベルでし か「生きなかった」事になる。しかし、人間に食べられ、人間と「同化」す る事によって、そのいちごは、数段高いレベルで「生き続ける」事になるの だと.... ってことは、食べる/食べられるというのは、いのちの交流と進化という ことかしら? 自然界のバランスを乱すのは、必要以上に採取する事と、摂取した「いの ち」を生かさないことじゃないかなあ。 :英雄: 01722/01729 GDB00064 オリハル ARIONへ謝罪? ( 7) 93/11/25 00:29 ちょっと前に、私はARIONの日替りメッセージに対する変なコメントを付けました。それは、「天使の頭には、どのような人類の歴史が去来するのだろうか?」といったよ うな文面だったと思います。実は、私もこの自分の文章は気になりました。 あの時、日替りメッセージの内容は「★カインの剣は振り降ろされたまま…アベルの両 手は虚空を掴む」だったと思います。FARIONという小さな場の中に壮大なる人類 の歴史の記憶が蘇るという存在にあるARIONとはいったい、どのような境涯の意識 に在るのだろうか? 実に、これは全く想像がつなかいことではないか。という感想を 持ちまして、それで、上記の表現になった訳です。 確かに、この表現は変だなと自分でも気が付きましたが、しかし、ARIONならば、 このままでいいやと思って、UPしたのですが、5日後に「人が人である事を辞める時、人は人の掟で神を裁こうとするだろう」と来ましたので、自意識過剰の私はヤバイかな と思いました。 まあ、一応、ARIONを裁くような意味ではなかったのです。 今になって訂正をすみません。 この訂正は、もしかして、ARIONへというより、 そのように解釈した人へ有効なのかも。 それと、先日、「神以外に神は無く」との表現を使いましたが、ARIONを否定する 意図はなかったのです。これは、いわば、人間として目指すべき考え方の基本であると いう認識を私は持っているからです。 ARIONが気にしているかも知れないので(^_^;)、 一応、訂正発言をさせて頂きました。 ところで、ARIONとみれさんは不可分と認識しておりますが、 行動においては別であると思っています。 その時、明確なる区切りはあるのでしょうか。 多分、ARIONは、みれさんの感情というか感性的な面を最大限考慮(?) してメッセージを下しているのだと思っていますが。                                 オリハル 01723/01729 GHF01210 Zap! RE^2:みそぎ ( 7) 93/11/25 05:01 01701へのコメント コメント数:1 》現代文明は人を排除することを必然的なシステムとして組み込んだ 》歪(いびつ)な形でこれまで進んできたのでしょう。 江戸時代にも「所払ひ」や「島流し」の形で人を排除する仕組みは 有りました。従つてそれは近代に特有のものではありません。 「古代の神道政治以外」の意味でお使ひでせうか? それから人を排除することが必然的であると言ふ結論は どうして出てきたのですか(^_^; もう少し論旨を述べていただきたいものですがm(_ _)m 大変さうだから強要はいたしません。 01726/01729 JBH00742 スサノオ RE:RE^2:みそぎ ( 7) 93/11/25 17:01 01723へのコメント  Zap!さんへ  私は刑務所という機関に対してそれが共同体を維持するために  必要不可欠なシステムとして組み込まれていると言った訳です。  江戸時代がいわゆる近代になるのかどうかは時代区分論として  歴史学者に任せるとしても「所払い」や「島流し」が  絶対的に対象者の生命を奪ったり自由を拘束することは無かったと思います。  「排除が必然的にシステムに組み込まれた」ということは  言葉を換えれば「必ず外部を欲した」ということになるでしょうか。  その外部が人であれば異端者と呼ばれたのでしょうし  あるいはその外部が他の共同体として存在することも考えられます。  今朝みれさんが「権力」ということについてUPされてましたが  私は権力というものは共同体が持っている深層の無意識により  規定されるのではと思います。  そしてその共同幻想を破ろうとする者があれば  それが“本当のことを言っている言っていないに拘らず”  それを抑えるために「法(規則)」を作ったり文字で補強する訳です。  (う〜む、神霊とはかけ離れた極めて人間臭い話ではある?)  『法』の言葉が意味するものは規則(ルール)の他に「法則」  という側面も有ります。  出来れば今後は「禊(みそ)ぎ」と「法(法則)」について  論議したいのですが…。                          スサノオ 01724/01729 GBA01276 しまうま RE:もう一歩足りない ( 7) 93/11/25 07:47 01718へのコメント コメント数:1  杉本さん、どうもはじめまして(^_^)。  コメントありがとうございます。 : 相手と争うことは、自分自身と争うことだと、痛感します。わたしたちは、 :”自分の影”というまったく実体のない力に恐怖し、それと争っている人生を :送っているような気がします。  そう・・・僕はよくやってしまうのです。相手の行動を、自分の行動基準に合わせて 判断して、その行動の源の心根を推測する、ということを・・・。だからたとえば「恋 愛」とか「嫉妬」とかいう感情も、ナルシシズムや自己嫌悪の一変形に過ぎなかっ たりします。スマートに生きたいと思うあまり、自分と他人の醜い面から目を背け 続けてきたおかげで、ほとんど自家中毒寸前です。  もともと人の人生に踏み込むのも、人に踏み込まれるのも嫌いだったのですが、 このままじゃ寂しいよなぁ・・・と思っています。 : 本当に楽なのかどうかは、わたしにはわかりません。結果として、あらゆる :意味でごまかしの人生を送ることになるのではないか、と思います。  ここの「楽」という言葉は、皮肉な意味で使ってしまいました。皮肉なんて本来 的に必要ないはずなのに、ついつい安易に使ってしまう・・・(^^;)反省。 : 大人は、自分より高いものに対して、敬意を払い、追いつこうと努力する : 小人は、自分より高いものに対して、自分の座に引きずり降ろそうとする : : わたしたちは、”大人”でしょうか?  大人でありたいものですね。僕には今、仕事の上で追いつくべき対象があります。  お互い、頑張りましょう(^^)/オーッ!!           しまうま (GBA01276) 01727/01729 PXH01650 杉本英雄 RE:もう一歩足りない ( 7) 93/11/25 17:16 01724へのコメント しまうま さん、 こんにちは。 >もともと人の人生に踏み込むのも、人に踏み込まれるのも嫌い ぼくも、そういう所がありましたよ。NHKの朝の連ドラ「ひらり」で、み のりに対して2人の男がプロポ―ズした時のコトバ、参考になるかもしれない。 (両方共、男の名前を忘れちゃったのでA,Bとします) みのり「わたしは、今、どぶの中に入ってるのよ!」 男A(渡辺いっけい):「ぼくが、どぶの中から引き上げてあげウるから、一緒 になろう!」 男B(大阪の男や!):「わしも、いっしょにどぶの中に入ったる!な、一緒 になろう!!」 だいたい、こんな意味やった、と思います。結果は、大阪の先生に決まりや ったけど... でも、なかなか大阪の先生のようには言えへんって、ホンマに。女性の方々 はどう思いますやろな? :英雄: 01725/01729 SDI00635 みれ RE:あのね > みんな ( 7) 93/11/25 09:22 01713へのコメント コメント数:1  #01713 ねずみ さん  こんにちわ〜。  興味深い方向へと会話が出来そうですね(^_^)ニッ  私の考えでは、ノイローゼに罹ろうが罹るまいが、正常であろうがあ るまいが、卑怯なことは卑怯だし、まっすぐはまっすぐ…通信上で普通 に会話できるなら、同じように話し合える…だと思うので、そのつもり で話します。黄金仮面氏が架空の存在であったとしても、それを作り上 げたのは人間なんです、ここんとこを忘れちゃ駄目です。  ところで、あなたが指摘した「レッテル貼り問題」について、私は興 味があります。今までも何度か議論の中で「レッテル貼り」だと指摘し た方々がいましたが、その「レッテル貼り基準」に付いて興味があった からです。  そこで今回のことをモデルに、私は少し考えてみました。以下に、私 が考えた経緯を記し、ねずみさんに聞きたかったことを明らかにしたい と思います。 ここでは便宜上、以下のように分けてみました; ----------------------------------------------------------------------  ●(FARIONの流れに沿っているように見える人)  ■(FARIONの流れに沿っていないように見える人)  ▲(FARIONの流れに沿うでも沿わないでも無い人) ねずみさんのケースでは; +--------------------------------------------------------------------+ |  今回の「●アラミスさん(FARION の流れに沿っているように見える人)| | の発言に対して、レッテル貼りをしているかも知れない■不動さん(FARI | | ONの流れに沿っていないように見える人)の発言には疑問を持たず、●た | | まごさん(FARIONの流れに沿っているように見える人)の発言には疑問を | | 持つ…。また、私●(FARIONの流れに沿っている人)についての記述にし | | てもレッテル貼りかも知れない、と疑問は持たれなかったようだ。    | +--------------------------------------------------------------------+  何故●の人がレッテル貼りをしているかも知れないと疑問を持たれ、 ■の人は持たれないのか? ねずみさんは▲の人なのだろうか? …と、これが私がねずみさんに聞きたかったことでした。 ----------------------------------------------------------------------  で、ここでちょっと話が飛ぶけれど、私が今までに感じたことを正直 に記します(あ〜あ、ねずみさんへのRESが思わぬ方向へと…(笑))  ねずみさんは、FARION運営陣をいわゆる「体制」だと考えているので は無いのだろうか? ならば、FARIONの運営方針(ローカル・ルール)に従って いる者は「体制側」、従わない者は「反体制」となるわけで、いつも若 い世代には反体制の旗手がもてはやされるわけだし、若い頃は誰しも「 反体制」的な考え方をして当然だから、以前から何度か現れては消えて 行く人々のしていたことも理解できるわけです(その方々が若いかどう かは別にして(^_^;))  一般的に言われる「体制側」は「レッテル貼り」をして、体制に従わ ない者を排除する傾向にあるから、不動氏の言っていた「排除」という 言葉も、やっとここに来て分かるような気がするわけです。SYSOP は権 力者である、従ってそのSYSOPに率いられるフォーラムは、体制である、 みたいな考え方をしているのでは無いだろうか?  このフォーラムで「すれ違いの議論」が珠に起きるけれど、もしかし たら、この「体制」認識の相違が原因では無いのだろうか?と思うので す。  このフォーラムで、●の人はARION派などと呼ばれているようだ けれど、私の識る範囲ではFARIONを体制だなどと思っている人はいない し、権力者を頂点にした組織だなどと思っている人もいないわけです。 むしろ「組織無きネットワーキング」を目指している人が多いので、ま ず「体制側」だなどと感じている人はいないと思います。  ところが時々、いわば殴り込みのような形で「FARIONの存在意義がど うとかこう」とか「FARIONの運営方針は…云々」といった提議をする人 達は、どうやらFARIONを権力構造組織だと思っているのでは無いのだろ うか? だからこそ、■の人となってFARIONのルールを逸脱する事も厭 わないのでは無いのだろうか?と思い当たったわけです。  体制側、権力側とそれに反抗する側という構図が無いままに、何故か そのような構図を勝手に作り上げた上での議論なんて、噛み合う筈が無 いんですよね……シミジミ…  ARIONは父親的な厳しさを隠そうともしないので、体制的な感触 を受ける人もいるんだろうなぁ、とも感じます。ARIONを擬似父親 にして、甘えたり反抗したりしている人がいるんだとしたら、それはそ れでとても興味深いことではありますが…。 ・:*:・みれ・:・。,★ P.S. 私はSYSOPはNIFとの契約上での役割であると認識しています。    この書き込みは、役割としてのSYSOPの書き込みではなく、私みれ    という個人の意見として書きましたので、その辺をご理解下さい。 01728/01729 PXH01650 杉本英雄 RE:あのね > みんな ( 7) 93/11/25 17:16 01725へのコメント みれ さん、初めまして。 「レッテル貼り」という言葉で、気が付いたことがあったので、ちょっと 流れからはずれるかもしれませんが、コメントしてみたいと思います。 よくよく考えてみると、わたしたちは、レッテルなるものを貼るのがすご く好きな種族ですね。いわく「あの人は”共産主義者”だ」、いわく「彼は ”体制派”だ」、いわく「アイツはしょせん”犬”さ」等々... 人間は、とても一言では表すことのできない、複雑な存在ですが、レッテ ルを貼ることによって、もうそれだけのものとしか見なさなくなってしまう んですね。そうやって、「区別」(あるいは「差別」)を行い、「アイツと オレは違うんだ」「わが国とあの国とは相入れないものだ」と、敵対・排除 するようになっていきます。 つまり、レッテルを貼るという行為は、自他を分離させる事はあれ、調和 に導くことはできなのではないか、と思うんです。 レッテル、すなわち「名前」―――人間は、名前の付いていない事物は、 未知なるものとして恐怖する習慣を持っているようです。 ある人が山の中で、山猫に出会いました。彼は、その「名前」を知りませ ん。訳のわからないものに直面した彼は、恐怖します。その時、連れ合いが、 「あれは”猫”というものだ」と言いました。彼は、”猫”なるものの正体 は知らないのですが、「ああ、”猫”っていうものか」と、ひとまず安心し たのでした。 ――日常の中で、わたしたちはこの”彼”と、似たような行動を取ってい るのではないでしょうか?未知なるものに対し、既成のレッテルを貼って、 真実に直面する事を拒否しようとする態度を無意識の内に取っているような 気がします。 ARIONの問いかけ(#1692)は、そういう点をも含んでいる気がします。 :英雄: - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/11/25 - 00801/00807 GGD03030 《 隆 》 お手本にならない教育者たち (13) 93/11/24 23:55 00794へのコメント コメント数:2  KAZEさん、こんにちは。    お墓参りも無事終わり(別に今ごろ行く必要もなかったのですが(^^;))、ちょっと  一息ついております。それにしても、琵琶湖周辺というのは風向明媚な所で、いつ  訪れても気持ちが良いです(^^)。  昨日・今日と非常に寒くて、「冬だなぁ」と顔がほころぶのでありました。    先日の学校関係の爆発は、まあ些細な事なのです。多分、他の方々はなんとも思わ  ないのでしょうが、ちょっとへそ曲がりな僕はプンプンなのでした(^^;)。  学校だから何をしても許されるとか、多少のルーズは目をつぶれというような臭い  がぷんぷんしていまして、「子供達に時間厳守を言う奴が、20分も人を待たすと  は何事か!」と思ったのでした。  別に20分待つのが嫌だというわけではないのですが、そういう連中が教師をして  いると思うと無性に腹が立ってきたのでした(^^;)。    教育の原点は、手本を見せる事だと思うのですが、ガミガミとヒステリックに子供  を叱るだけで、自分達はうだうだしているのを見ると「こいつら、ちょっとしめた  らにゃならんなぁ」などと思います(^^;)。「うちの子はお前らの奴隷でもペットで  もない!」と叫びたくなってしまいますね。なんか、段々と親バカになってくるよ  うな気もして、僕自身が反省すべき部分もあるようですが・・・。まあ、我が娘は  親がびっくりするほどのマイペースですから、本人は全然気にしていないのが救い  ですが、環境に過敏な子供の事を思うと教育はもっと気を配って行われなくてはい  かんなぁと思います。    >あまりにも教育に関するまともなビジョンがないのに  >半ばあきらめに近いものを感じてしまいました。  一番まずいなぁと感じるのは、現在の教育に人間としての最も基本的な部分が抜け  ている事ですね。大きなビジョンを掲げる前に、最低限の所をしっかり押さえてい  るかをもっと考えて欲しいです。しかしながら、こういう風潮を作っているのは現  在を生きている我々そのものだという事を考えると、しっかりしなくっちゃなぁと  改めて思うのでした。    >もちろん、全国でも有名なK塾などは、2歳でも字が読める!なんていうことを  >誇らしげにうたっていますが、なんともはやですね。  ははは、うちの上の娘も幼稚園に入る前、しばらく行ってましたよ。何でも、お友  達が行くから自分も行きたいとかで・・・。ちなみに彼女は全然字を覚えませんで  した(^^;)。お手本をなぞる行為は面白かったようで、シコシコやってましたが、肝  心の字は覚えられなかった(覚える気がなかったのかなぁ?)ようでした。最近に  なって、いろんな人に手紙を書きたいという欲求から、字を覚える努力をしている  ようです。  子供といえども、本人の意欲がないと学習も意味がないですし、それなりの必要が  あれば勝手に自分で学ぶものなのだとこの頃思います。まあ、このあたりも賛否両  論なのでしょうが、大人が変にアプローチしなくても子供は勝手に学ぶものだと僕  は考えています。    >僕がMRTの本を読んで感じたのも、その適用範囲のエラーにあります。  結局はその範囲の判断は自分でするしかないのですよね。人間は一人一人違います  から、MRTから受ける影響も違うはずです。それに、問題が解決するというのと、  プラスになるのとは根本的に違いますから、そのへんも勘違いしないようにしなけ  ればいけない事かもしれません。    MRTとは種類が違いますが、いわゆる神秘行や民間療法などの話を聞く時も、こ  の「人間はみんな違うのだ」という観点が抜けると、大やけどをするように思いま  す。ある人に取っては最高の方法も、他の人には最低だったりすることもあるので  すから・・・。    >クレヨンしんちゃんのキャラクターといえば、  >今日はちょっとしたイベントでそのキャラクターショーを使いました。  KAZEさんがキャラクターショーを指揮している姿は、どうも想像できませんね(^^;)。  でも、子供達は本当にこの手のショーが好きです。そして、クレヨンしんちゃんと  セーラームーンは非常に人気があるようですよ。    >やっぱり曲そのものにもあるのでしょうが、それよりも編曲がうるさくて、  >ごちゃごちゃしすぎているというところにもあるようです。  >そう考えてみると、ゲゲゲの鬼太郎の主題歌は効果音をふくめ名曲だったなあ、  >なんて昔のアニメ曲をいろいろ思い出していたのではありました。  クレヨンしんちゃんの主題歌も、今のバージョンのもの(パワフルパワフル〜)よ  り、最初のもの(ゆ〜めのエンドはいつも〜)の方が好みでした。まあ、どちらも  アレンジは薄っぺらで少々いただけませんけど・・・。  昔のアニメ主題歌は確かに品があったというか、大したものだったなぁと思います。  大人が一生懸命作っていたという感じがします。サイボーグ009しかり、レイン  ボー戦隊ロビンしかり、鉄人28号しかり。自分の郷愁で美化している部分を差っ  ぴいても、今のものは足元にも及ばないと思います(^^)。    >死んだら、即消滅するのがベストで、そうでなくても、  >すぐ灰にして迷惑のかからないところにの捨ててしまってほしいと思っています。  そうですね。そして、その迷惑のかからない所というのがお墓だと思っていたので  すが、最近はそうではないのでしょうかね。ハテ?  ちょっと思いだしたのですが、例のレーニン廟。あれって、すごくむごい事をして  いるような気がするのですが、どうなんでしょうかね。共産党の人たちの考え方は  わかりませんが、何だかさらしものみたいでぞっとしませんけど・・・。    >ま、カルマ的にみれば、自分の克服できないような状況は  >原則として現れないはずですから、それを信じてへこたれないで  >おたがいがんばりましょうね^^;。  どうもそうらしいと、この頃やっと思えるようになりました。まあ、それでも相変  わらず「勘弁してくれ〜!」とか思いますが(^^;)、頑張りたいものです。    >菜食といっても、輸入物などを食べてるとあんまりよくないようですから。  そうですね。生活している場所の食べ物が一番良いという事もあるのでしょうが、  何といっても、輸送に関わる農薬が恐いです。できる事なら、自分で作ったものを  食べたいのですが、どうなりますことやら・・・。    最近はカミさんと二人で野菜や穀物・豆類を使った料理を色々考えて作ってみたり  しています(日月神示を読むと四つ足の動物は食べる気がしなくなってしまいまし  た(^^;))。これが結構楽しくて、野菜の味の多様さに改めて驚いたりしています。  最近のヒットは大豆の醤油漬けでしょうか。炒った大豆をお醤油に漬けるだけとい  う、非常に簡単なものですが、香ばしくてとっても美味しいです(^^)。    >そうですかあ、たぶん意識を下にもっていけないというのが、  >たぶん隆ちゃんの定期的な不調の原因になっているのかもしれませんよ。  そうなんだろうなぁと思います。バランスが悪いと言いますか、どうも落ちつかな  いのですね。いつ頃からこうだったのだろうかと考えていますが、どうもよくわか  りません。まあ、これも一つの課題だと思って気長に考えて行きたいと思っていま  すが・・・。                                by 隆ちゃん 00804/00807 PXH01650 杉本英雄 RE:お手本にならない教育者たち (13) 93/11/25 17:20 00801へのコメント 隆 さん、初めまして。 >「人間はみんな違うのだ」という観点が抜けると.... ホント、そう思います。教育でも同じですよね? >昔のアニメ主題歌は確かに品があった 郷愁を抜きにしても(!?)、やっぱ、いいですよ。KAZEさんも書いていた と思いますが、ウルトラセブンの音楽は秀逸ですよ。特にULTRA7のコ― ラスのかっこいいこと!! 食べ物に関しては、もう開き直っちゃってて、大元の水や空気・土壌が汚染 されているんだから、何食べてもいまさらおそいっ!てな具合です。10年前 に、空気には、物質科学が発見していない精妙な成分が含まれているのだけれ ど、大気汚染によってその成分がどんどん破壊されている、という事を聞きま した。このままで行くと、わたしたちの子どもたちは、もう大気を呼吸するこ とができなくなる、とも警告していました。 これからもよろしく:英雄: 00805/00807 GGA02514 KAZE 十種の神宝など (13) 93/11/25 18:09 00801へのコメント コメント数:1 隆ちゃん、どうも。 >「冬だなぁ」と顔がほころぶのでありました。 そうですね、すっかり寒くなりました。 わが家もこの寒さでとうとうこたつのごやっかいになるようになりました。 先日まであまりに暖かすぎましたから、やっと季節感がでてきてほっとしてます。 やっぱり、四季は春夏秋冬それぞれがそれらしくないといけませんよね。 この夏は、夏が居眠りして、「夏を返せ」なんて広告のコピーもでてましたから この冬も、「冬を返せ」なんかにならないようであればいいと思います。 先日23日には、古楽器を使ったバロックのミニ・サロンコンサートが、 なぜか季節外れの海沿いのリゾートマンションのラウンジであったのですが、 風と雨の中、中はコンサート・外は寒い嵐・・・という 僕にとってもなかなか好きな景色^^;を見ながら音楽が聴けて楽しかったです。 自分が寒い中を風と雨にみまわれるのはいやですが、 窓の外のそうした景色は僕にとってはなぜか親しみがもてるのでした。 僕は冬生まれだから、かもしれませんね(単に、暗い性格なだけかも^^;)。 >「子供達に時間厳守を言う奴が、20分も人を待たすとは何事か!」 そのときに、子どもとその親が、声をそろえて、 「約束を守れないひとは、そこにバケツをもって立ってなさい!」 なんて言えるようだといいのにね(^.^)。 なぜ遅れたのかはわかりませんが、隆ちゃんに納得がいかないとみると 全然いいわけにならないような理由だったんでしょうね。 しかし、大人の世界だと、やはり時間厳守は大切なルールだと思うのですが、 子どものときからそんなに時間で縛らなくてもいいと思うのに縛り、 ルールを守るのが当然の大人が守らないというのは変ですよね。 ちょっと前に読んだ本には、現在のチャイムなどで厳格にしきった時間を 子どもに無理矢理当てはめようとする愚についてや、 その他の子どもを型にあてはめようとする愚について書いてましたが、 なんだかやっぱり「教育の現在」っていうのはどうにもはや、っていう部分が 山ほどあるようですね。 そういうシステム指向の教育について思うたびに、 あの宮沢賢治の教育に関する姿勢にはたくさん学ぶことがあるといつも感じます。 たとえば、「生徒諸君に寄せる」という詩にはこんなところがありますよね。 諸君はこの時代に強いられ率ゐられて 奴隷のやうに忍従することを欲するか むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ 宙宇は絶えず我らに依って変化する 潮汐や風、 あらゆる自然の力を用ゐ尽くすことから一歩進んで 諸君は新たな自然を形成するにに努めねばならぬ 新しい時代のコペルニクスよ 余りに重苦しい重力の法則から この銀河系を解き放て 先生方が、そういう考えをもって生徒に対するどころか、 生徒をさらに重苦しいものへと閉じこめようとし、 親さえもがそういうのを望むような状態は、 やがて新しい時代を創る主体としての子どもにとっていいわけがありませんよね。 ま、そういう時代だからこそ、そういう状態を反面教師として、 そこになにか新しいものが生まれるのかもしれませんが^^;。 >まあ、我が娘は親がびっくりするほどのマイペースですから、本人は全然気にし >ていないのが救いですが、・・・ やっぱり、大物になるかもしれませんね。 「その後」を楽しみにしていたいと思います(^^)。 >「人間はみんな違うのだ」という観点が抜けると、大やけどをするように思いま >す。 人間にとって普遍的な部分と個別的な部分というのを ちゃんと見られないようなら、治療などはするべきではないですし、 治療を受ける方も、そのあたりは最低限勉強すべきなんでしょうね。 現代は、あの鎌倉仏教が興隆しはじめたような食うや食わずの状態ではないから ひとりひとりが「弥陀にすがる」ような姿勢は許されないのだと思います。 妙な新興宗教が流行るのも、それ以上に害の多い科学信仰も、 ひとりひとりのあまりの無自覚に由来するものですから、気をつけたいものです。 それと、やっぱり自分のことを、心も体もひっくるめて、 ちゃんと見て、感じとれるようにする必要がありますね。 それは教育でもフォローしなければならないと思うのですが、 学校の体育という代物は、自分を見せないシステムであることが多いようです。 やはり、「スポーツ」という考え方がどこかいびつなのでしょうね。 >KAZEさんがキャラクターショーを指揮している姿は、どうも想像できませんね ^^;^^;^^;、ううむ、自分でも似合っているとは思えないんですが、 立場上、仕事ならなんでもこなしていますから、割り切ってやっています^^;。 先日は、ファッションショーのディレクションをしてましたし、 CMの撮影などでは演技指導などをしてたりしますし、 人間、なせばなる・なさねばならぬ・何事も、ということなのでしょう。 空を飛べ!というような無理難題意外は、人間「できない」ことはないようです。 そこらへんのことは、グルジェフの本などを読んで参考にしたこともあります。 「社会参加」という、僕にとっては未だに苦手なことも、 人間のそうした「魂の力」^^;を磨くためにはとっても役に立つようです^^;。 >昔のアニメ主題歌は確かに品があったというか、大したものだったなぁと思いま >す。大人が一生懸命作っていたという感じがします。 アニメの主題歌に限らず、以前のほうが、「魂がこもっていた」という気がします。 これは、単なる郷愁ということではなく、確かにそうだと思うのです。 問題は、最近はどうにもなんでもコピーすればすむというような、時代で、 なんでもかんでも一種の編集作業のようになってしまっていて、 なにかを「創る」ということがほとんどなされないようになっていることなのかも。 文学などについても最近感じるものがあって、 このところ夏目漱石や森鴎外、中島敦などのような昔のものを読んで、 「腹のある文章」に感動していたのであります。 しかし、最近のなんでもかんでも水増しのような状況、 なんとかならないのでしょうかねぇ^^;。 >その迷惑のかからない所というのがお墓だと思っていたのですが、・・・ ま、僕の場合は、「墓無用論者」のような考えですから、 自分を「墓」に納めるとか納めないとかいうことはよしにしたいのですが、 一般には、今までよりももっと納得のいくような新しい「お墓」のあり方を 模索していく必要があるのでしょうね。 「レーニン廟」は確かにぞっとしませんし、「さらしもの」はアホだけど、 レーニンも、ヒットラーより格段すごい、数千万人レベルの人間を どんどん殺していったわけですし、仕方ないのかもしれません。 ま、そもそも死んで大々的に痕跡を残している方が問題なのかもしれません。 お釈迦さまも、遺言に自分の骨をガンジスに流せといったようですし、 その遺言に逆らって残された骨のまつられたストゥーパにも、 そこには足の跡や車輪といった象徴的な形しかつくられなかったようで、 やはり、理想的には、死後は、人々の記憶だけに残るようにして、 忘れ去られたときにはそれで痕跡なし、というのが僕には理想ですね。 僕の尊敬している安岡正篤さんも、自分を持ち上げるような「形」をきらっていて 「ひとは必要であれば覚えているし、必要がなければ忘れられればいいのだ」 と弟子たちには繰り返し繰り返しそう諭していたそうなのです。 >生活している場所の食べ物が一番良いという事もあるのでしょうが、 >何といっても、輸送に関わる農薬が恐いです。 そうそう、国内だってそうなのに、輸入物になると、 どれだけ農薬がばさばさかけられたり注入されてるかわからないから、 僕も、きわめて危ない食品については極力避けるようにしてるのですが、 外食するとどうしても自分でそれを選別しがたいですから、やれやれです。 ただ、そのうち、農薬云々以前に、世界中に飢餓が襲うようになりそうな気配で やはり最近注目されている無農薬無公害の画期的な栽培方法などに期待したいです。 そこらへんの最新情報については、船井幸雄さんの著書などを 気をつけて読んでますと、時代の最先端のすごい状況がわかりますよ。 >最近はカミさんと二人で野菜や穀物・豆類を使った料理を色々考えて作ってみたり >しています。・・・これが結構楽しくて、野菜の味の多様さに改めて驚いたりして >います。 確かに、野菜類は、加工の手間さえ惜しまなければ 食品のなかで一番味も質もとっても豊かな世界です。 たとえば、簡単に食べられるものでも、この季節になると 白菜の漬け物なんかは、たくさん漬け解いて、ごはんといっしょに がばがば食べても飽きないおいしさがありますよね。 意識を下にもっていくことについてですが、 確かにどうやってもっていくかは難しいかもしれませんね。 呼吸法と発声法がキーになるんでしょうけど、それに加えて、 イメージ訓練と実習を兼ねたものなどをば無責任に^^;ご紹介しましょう。 両足を大きく広げて立ちます。 それから、両手を上にあげて、足と対称的になるように広げます。 そして、軽く目を瞑り、ひふみよいむなや・・・とひとつひとつの言霊を できるだけゆっくりと、自分がその言霊になるようなイメージで口に出します。 それが終わると、直立し、体の前で併せて合掌し、目を瞑ったまま、 「十種の神宝(とくさのかんだから)」を唱えます。 つまり、「澳津鏡(おきつかがみ)辺津鏡(へつかがみ)八握剣(やつかのつるぎ) 生玉(いくたま)死返玉(まかるがえしのたま)足玉(たるたま) 道反玉(ちがえしのたま)蛇比礼(へびのひれ)蜂比礼(はちのひれ) 品物比礼(くさぐさのもののひれ)」です。 イメージとしては、自分が神殿というか神社そのものになったような 感じでいればいいと思います。 ま、最低、体に悪いことはないですから、騙されたと思ってやってみてください。 たぶん、気の流れが体中を経巡ってくれると思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00807/00807 JBH00742 スサノオ RE:十種の神宝など (13) 93/11/25 19:04 00805へのコメント  KAZEさんへ  割コメ失礼します。  十種の神宝の訓練法?は何処かの文献に書かれてあったのですか。  もしよろしければ出所を教えて頂けませんか。                           スサノオ 00802/00807 GGA02514 KAZE 佐野清彦「音の文化誌」など (13) 93/11/25 12:08 00800へのコメント コメント数:1 杉本英雄 さん、どうも。 >シュタイナ―の表現は、他に類を見ないほど、鮮烈な印象を与えるものが >多いですね。 それに加えて特にシュタイナーの表現とその内容というのは、 それを読む者が準備ができていなければ すり抜けてしまうというところもあります。 このところ以前読んだものを読み返していて特に感じるのですが、 以前はまったく素通りしていた内容がぐんぐんと迫ってくるものがあります。 よくよく考えてみると、以前には僕自身の準備ができていなかったようです。 もちろんこれはシュタイナーだけに限るわけではないのですが、 最近になって特にその言葉が真の言霊かそうでないのかということが、 以前に比べ、実感としてわかるようになったような気がします。 >「死」に向かい合わないまま生きている、といえましょうか。ですから、 >「生」もよく理解されず、ましてや「自由」などは、おして知るべしです。 「生」についてつきつめて考えていくと、 「死」について考えざるを得ないんですよね。 「諸行無常」で、死なない人というのは絶対いないのに、 「死」について語るのが半ばタブー視されているのはおかしいと思います。 もちろん回りの方が死ぬのは悲しいことですが、その肉体の死よりも 魂のあり方の方にもっと目がむいてくればいいのですが、 最初から疾にわかっていた「死」に直面してあたふたしすぎるというのも、 考えてみればおかしなことなのかもしれません。 「未だ生を知らない。ましてや死について知るなどとは。」 という内容の名言を残しているのは孔子ですが、その言葉にかえて、 それは「未だ死を知らない。ましてや生について知るなどとは。」 というように神秘学的な視点での言葉にしてもおもしろいと思います。 結局、「死」も「生」も「自由」も、輪廻転生していく存在としての人間と それが生き生き生きて、死に死に死んでいくドラマとしての 神秘学的な意味をみていかないと何 もわかったことにならないんだと思います。 >この「自覚」というものは、ものすごいもので、いかなる努力や勉学等は、 >まったくおよびもつかないものだと思います。 僕の尊敬している哲学者の西田幾太郎は「自覚」と「反省」ということを なによりも重視していたように思えます。 なぜか最近のARIONのメッセージが、 その「自覚」と「反省」という色合いを深めていますが、 結局、それは、単に自らを鏡にうつして見よ、というだけにとどまらず、 その見ることによって自分はどうすればよいのか、ということを 深い意志で受けとめるということだと思うのです。 それは、半ば逃避的にしか働かない単なる努力や勉学では、 決して得られないような魂の鍛錬なのだと思います。 >ある筋からの話によると、最初はすべて「円」であり、この「円」から様 >々な幾何図形が生まれる、そうです。 そうですね、日月神示では「まるちょん」ですし、 カバラでは「エイン・ソフ」ということになるでしょうか。 おそらく霊の「数霊」の宇宙把握も、 そういうところに基盤があるのだと思います。 それについての神秘学的幾何学ということを壮大に^^;展開したいのですが、 なかなかまだまだそこまでは手が回りませんが、 僕のライフワークとして取り組んでみたいテーマのひとつですね。 「音楽」についてですが、 この会議室でも、シュタイナーの音楽論をご紹介したこともあり、 そのレジュメなどを幾度かにわけてUPしたこともあります。 FCLAは、実は僕ものぞいています。 特に最近では古楽に興味があってその部屋などをのぞいたりします。 ただ、宇宙論としての音楽ということになると、 確かにあの参加者の方々には、ちんぷんかんぷんだと思います。 ちなみに、あの会議室の参加者のひとりと、同じ地元に住んでるのもあって 知り合いになりまして、シュタイナーの音楽論についておそらく 今後少しずつお話ができるんじゃないかと期待しています。 実は、その方を紹介してもらったのが、 いっしょにシュタイナーの音楽論などを勉強している声楽家のOさんで、 その方のおかげで、シュタイナーの音楽論が実践的に、 実感できるようになったのです(^^)。 参考までに、先日偶然みつけた音楽に関する本で、 これはと思うものがありましたので、ご紹介しておきます。 ●佐野清彦「音の文化誌/東西比較文化考」(雄山閣) この本は、「文化誌」というように神秘学的な音楽考察ではないのですが、 なかに二度ほどシュタイナーがでてくるように、 内容的には、僕がずっと音楽に対して考えてきたことを 代弁していただいた(^^)という感じの内容になっています。 ちなみに、帯にはこうありました。 ゆららに鳴り響く鈴の音に魂の波動を感じとった古代の人々。地球的規模 で広がる音の洪水の中で磨滅しかかっている現代人の音感覚に生命の躍動 を見、現代の音をめぐる状況を検証する。 できれば、この本を少しずつ紹介しながら、 音楽についてお話していけたらな、と思っています。 >「色彩の秘密―秘教編」を読み始めました (^^)(^^)(^^)、なかなかおもしろいでしょう。 その色彩論についても幾度かコメントしたことがあるのですが、 音楽とともにやはりゲーテとも関連してシュタイナーの色彩論についても ほりさげていければいいですね。 読まれたらぜひ感想などをお願いします。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00803/00807 PXH01650 杉本英雄 RE:佐野清彦「音の文化誌」など (13) 93/11/25 17:18 00802へのコメント コメント数:1 こんにちは。 >その肉体の死よりも魂のあり方の方にもっと目が.... ああっ、ここの部分は声を大にして言いたいですね!!「死」を知らずして 臓器移植や体外受精の問題は、解決しませんよね。 >「自覚」と「反省」 そうです、そうです、「反省」をなおざりにしてはなりませんでした。 >それについての神秘学的幾何学 実はこれについて、既にあるグル―プの手によって、構築されつつある、と いう事を聞いています。何でも、その初歩的な数学だけでも、世界の教科書を 書き換える事になるそうです。 >佐野清彦「音の文化誌/東西比較文化考」(雄山閣) ご紹介ありがとうございます。早速探してみます。 :英雄: 00806/00807 JBH00742 スサノオ RE:佐野清彦「音の文化誌」など (13) 93/11/25 19:04 00803へのコメント  杉本英雄さんへ  割コメ失礼します。  神秘学的幾何学を構築しつつある「あるグループ」とは  具体的にどの団体を指すのでしょうか。  もしよろしければ教えて頂けませんでしょうか。  もちろん直接私宛にメールを下さっても結構です。                       スサノオ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/11/25 - 01525/01528 QFG02515 めるく あめふって、ぢ、かたまる。 (14) 93/11/25 00:15 01494へのコメント  初期状態はカオスであり、図にすると以下のようになります。    火水水火水火火火    水水火水火火水水    火火水火水水火火  そして、火は高きへ、水は低きへ。    火火火火火火火火    −−−−−−−−    水水水水水水水水  でも実際には、火は一点に集まり、水は八方に広がろうとしますから、  以下のようなピラミッド型になります。       火       火火      火火火      −−−−     水水水水水     水水水水水水    水水水水水水水  これは秩序の世界の図です。  西洋は火的で、東洋は水的です。  たとえばキリスト教は一神教だし、神道は八百万の神様がいます。  昔も今も、小数の力あるものが、他の大勢のものを支配していますね。  でも!  実際には、図のようなきれいなピラミッド型には、世界はなっていません。  火的といっても、完全ではなく、水的な要素もあるし、  水的といっても、完全ではなく、火的な要素もあるし。  火は分裂を繰り返し、  水は流れ広がることを拒む。  世界は今だにカオスです。  太極の状態を求めて、渦巻き続けているからです。  太極の状態というのは、火と水が結婚することです。  さて、どうすれば良いでしょう?  火は高きへ、水は低きへ。  という性質を利用してはどうでしょうか。  火を地に集め、水を天に集めれば、  中間点において火と水は合体するでしょう。  世界は、ほうっておけば、だんだん、  さっきのピラミッドのようになっていきます。  まずこの状態を、ある程度作っておいて、  それからひっくり返せば良いわけです。                          め る く 01526/01528 QFG02515 めるく イシヤの正体は? (14) 93/11/25 00:16  「日月神示 とどめの戦」によると、  イシヤの最高位は、世界大棟梁といい、12人いるらしい。  そしてこんな事が書いてある。  「この12人という数は不変で、欠員が出ると直ちに補充される   仕組みになっている。   12人が打ち揃い、ある秘教的儀式を行なうと、その12人に、   別の、一個の人格が発生するという。」  彼らが世界を支配している黒幕の人たちだというのだが、  これを読んで私は、マイヤー予言の一節を思い出した。  「復活祭のマルコの日になり、   反ロゴスの数666が7つの暗黒の力の中に成就するとき、   そして12番目の椅子が3倍の力に満ちる時、   邪悪な、破壊すべき地球の大惨事が地球人の上に起こる。」  これには、マイヤーによる解釈がそえられている。  それを簡単にまとめてみよう。  (カッコの中は、「めるく」による)  7つの暗黒=7つの反ロゴスの権力の力        (おそらく、ある権力が7回、とっても悪いことをやるという意味)  12番目の椅子=絶対的破壊。          ある名前を持ったローマ法王の椅子。          破壊的役割を演ずる星座。  3倍の力に満ちる=反ロゴスの政治権力による仕業。           その権力には1〜12の椅子がある。特別な場合には13にな           る。           12番目の椅子の時に、その権力を活用する。           (ようするにバチカンの権力が、戦争か何かをやらかすという            事だ。それはたぶん第三次世界大戦)  3重の666=絶対的破壊そのものを意味する。         1998年、復活祭マルコの日の夜。4月25日。         (この日時についてマイヤーは不確実な日時計算であるといってい          る。なんの日時かというと、要するに第三次世界大戦の勃発する          日時)  というわけだ。  う〜ん、バチカンの権力システムがどのようになっているのか、わしゃ知らないけ  ど、ひょっとしたら、イシヤのトップはバチカンなのだろ〜か。  有り得ないことじゃない、ような気がするが・・・・。  どんなもんだろうか?  似ているけど、ちょっと違う?  でも、最初のイシヤに関する引用の部分は、霊能者の霊視によるものらしいから、  細かい部分が違っている可能性もある。ようは「匂い」なのだ。                              め る く 01527/01528 GCC01413 HVHY 古代人の色彩感覚は? (14) 93/11/25 15:19   *[装飾古墳の世界]   一輝さんも紹介されていた歴博の企画展示を見に行った。   期間終了までに、考えてみたら、昨日しか行ける日が無かった。   それで、慌てて行ったわけなのだが…。(閉館スレスレの時間!)   後でニュースを見ていたら、天皇・皇后両陛下も昨日行ったらしい。   それにしても、国立の博物館だけに、実に立派で驚かされた。   さて、明白だったのは、有名な高松塚古墳以降の壁画が、   唐(あるいは高句麗)の影響を明らかに受けているのに対して、   それ以前の装飾古墳は、全く別の意匠を持っていたこと。   もちろん、これとて、何処かからの文化流入によるだろう。   では、それは何処から来たのか? この点については謎のままだった。                              HVHY 01528/01528 GCC01413 HVHY 装飾古墳の「青」 (14) 93/11/25 15:47    *[進化と退化]    赤も青も、いわゆる原色ではなく、    かと言って、パステル色でも極彩色でもない。    私は、赤についてはともかく、青という色は好きでない。    かつて学習机の椅子を選ぶ時も、親に逆らって赤色を選んだ。    ところが、セーター等の服の色で、唯一つ好きな青色があって、    その青色が正に装飾古墳に描かれている青色だった。    この青色は、強いて言うならば、「暖色の青」である。    周囲を見回してみると、現在この色はほとんど使われていない。    妙な話だが、ひょっとしたら古代において、    現代を超えた色彩感覚の花開いた時期があったのではないか?    つまり、文化というものは、単純な進歩観では語れない。    当たり前のことだが、意外に見落とされている。                            HVHY - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/11/25 - 689/689 JBH02324 なえ 元気録ぱわー《感謝》 (17) 93/11/25 11:03   《 感謝 》  大根の美味しいシーズンになりましたね。  お膳の中でアツアツに湯気をたてているのは本当に嬉しくなる。  でも、見ている内は、まだ自分と大根は別物です。他人です。  そこで食べてみる。  大根は口を通り気が付かない間に段々とこなされ、いつか私と同化しました。  そうして血や肉となり、一体となったのです。  もう大根と言えども他人ではありません。  とても不思議な出来事です。  自分でどんな事も出来ると思う人は多いけれど、  この寸分違わぬ自然の起こりは人間の力でどうこう出来る物ではありません。  そこに古代の人達は「不思議」を見、畏敬の思いを募らせたのでしょう。  何でもないアタリマエの世界に、いつも変わらず働きかける。  これに感謝という言葉無くして、どういう事が言えるでしょう。  そして大根は大根だけれど、自分を大根に見立ててみれば、  何か大事な事が、見えて来そうな気もします。 - FARION MES(19):■精神世界ぶっ飛び話/バチアタリQ&Q--<01> 93/11/25 - 219/219 GGD02212 Soo 母が霊能者に相談/困ったもんだ (19) 93/11/24 21:52  ウチの母親が、とある霊能者を訪ねた。あるお寺で、早朝から順番を取り… 入るなり相談内容を霊視するそうだ。母の相談はズバリ「息子の結婚」(^_^; 私の恋愛遍歴など、そこの坊さんの霊視は八割がた当たっているようだった。 で、結婚は近いうちに決まり、相手は既に会ってるはずだ、と言ったそうだ。  母が帰宅した次の早朝、我が家にある二台のTV受像機が誤動作を起こした、 という怪奇現象のオマケ付きであった。(寝ぼけただけなのかもしれんが(^^;) 静電気のイタズラだろう、とか某教授のような説明でゴマ化しておく。  真偽のほどはともかく、中途半端に霊視され、それに振り回されて自主性を 喪失すると困りものだ。迷信深い母親なんかは余計に、だ。そこの霊能者には 一回五千円支払うのが相場だそうだが、悪い方に転んで、霊感商法の'被害者' みたいになりかねない。(単に'霊感商法'と言わないところがミソ。)  他人の過去・現在の秘密を読み取ったり避けがたい近未来を予見する能力を 有する人の多くは、「霊的存在」と表現されるような意識体とのコンタクトを 持っているらしい。高い所に登れば遠くが見渡せるように、時空を隔てた世界 を見透すことができる、より高い次元の意識があって、いわゆる「霊能者」の 意識とが連続しているのか独立しているのか、一方が他方に従属しているのか 否かはともかく、彼(女)ら意識が高次元に通じていると仮定しよう。  ある霊能者の視野が最高次元からのものであるという保証は無い。より高い 次元から見れば、卑近な日常的視野と五十歩百歩だろう。どの程度の高次元に まで通じているかを凡人たる私が測ることは困難であるが、金をもらって見る ような(金を払って見てもらうような)霊視は底が知れているのではないか?  かと言って、自分勝手な判断に基づく視野は、もっと低次元的だったりする。 (^^;謙虚になるべきところは謙虚に、冷静になるべきところは冷静になって、 その鑑定結果をいかに受容するか、いかに拒絶するか、より高い視野から見て、 どうすることが最も望ましいのか探り求めて行こう、というのが私のスタンス。 (最後の段落はいろんな置き換えができるなぁ)ナンダカ ツマンナイ マトメカタ シチャッタカナ ? Soo. - FARION MES(20):■世紀末ウォッチ:これって…!?----<01> 93/11/25 - 509/509 HGB00715 MISORA もう一つの地球にいるあなたへ (20) 93/11/24 21:48  お元気ですか?  そちらはもうすぐ夏ですね  今は新緑がとても目に鮮やかでしょうね  こちらはもうすぐ冬です  初雪の便りも聞こえてきました  ところであの計画は順調に進んでいるでしょうか  うまくすれば出発から半年後には会えますね  こちらの方はそこまで科学が進んでないので  そういう計画は聞こえてきません  情報に疎い私のことですから  もしかしたら聞きのがしているかもしれませんが  もう何年かでこちらは21世紀になります  世紀末から新世紀への準備は  私もみんなも一生懸命に取り組んでます  でもアンドロメダのあの惑星のように  滅びないために少しは知恵を貸してくださいね  では体に気を付けて  いつか会えますように  もう一つの地球にいるあなたへ                  MISORA