- FARION MES( 2):【居酒屋1999】自己紹介・雑談--------<09> 93/12/08 - 01315/01321 GDB00064 オリハル RE:来るべきものが来た ( 2) 93/12/07 00:41 01305へのコメント /さはしさん、お誕生日おめでとうございます。 これからも楽しい話題を読ませて頂きます。                 オリハル 01320/01321 NBB01420 SUKE RE:来るべきものが来た ( 2) 93/12/07 20:37 01305へのコメント 遅ればせながら...(^^;)  おめでとーございまーっす!!(^O^)  30のビッグウェイブがやってきた!っていうやつね(^^)…☆ッテナモンダ Suke. 01316/01321 PXH01650 杉本英雄 遅くなりましたが:英雄 ( 2) 93/12/07 09:24 遅ればせながら> Happy day into 30's to Master.SAHASHI ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆!!さはしさん、お誕生日おめでとうございます!!☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ◇ ふっふっふ、 これであなたも われわれ”サ―ティズ(3X’s)”の仲間入り! ウルトラマン世代の申し子たちよ 今こそ その真価を 発揮するのだ〜!! ◇ (..何やら、〇ョッカ―的ノリのメッセ―ジですが...) 何はともあれ、男はやっぱり30代! ウチの社長(いわゆる団塊の世代)は: 「男の20代は、人格がないと思え、 30代になって、はじめて”同志”、対等になる」 との名(迷?)言をのたまわっています。 と、いうわけで今後のマスタ―のご活躍を期待します!!! ふた足早い30’sの:英雄: - FARION MES( 4):【宴会/オフ】プラン・レポート------------<02> 93/12/08 - 408/415 HGC02325 ガッチャ RE:忘年会の事です ( 4) 93/12/07 01:23 405へのコメント コメント数:1   現在の所の参加者さんは、みれさん、えるさん、アキラさん、SUKEさん、桂さ  んなどで、約7名です。えるさんには、お店探しをしてもらっていまして、有り  難い限りです。  みれさんみたいに、予定は立たなくても「やいやっ!」と参加するように頑張る  って事で、参加表明してしまえばいいのかも。このまま他に参加する方がいなく  ても、私は開催してしまいます(^^;)    締め切りは8日ですので、参加したい方はよろしくお願いします。                              HGC02325 ガッチャ - FARION MES( 6):・壁(1)=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・= 93/12/08 - 01880/01884 GBG02755 すまる 不安を抱えながら ( 6) 93/12/07 21:26 この道が間違っているのかどうか、それはわからない。 もし間違っていても、生きている現在その間違いに気づけないのだから、 とりあえず、ぶつかるまで、生きて行くしかない。 そして、間違っていると気づいたときは、躊躇せず、訂正すればいい。 自分がこれしかないと、足りないながらも、この頭と心で、暗闇を手探りしながらも、 見つけ出した道だ。間違っていても後悔しないだろう。 後悔などしている暇はない。 間違っているとわかったら、即座に訂正しなければならないのだから。 間違っているかどうか、それは本人のみがわかること。 本人にのみ、訂正できること。他人の判断は参考にはしても、 一つの意見に過ぎない。自分で責任をもつことしかない。 この道が間違っていないなどと、誰にも言い切れるものではないだろう。 不安は誰にでもある。 しかし、不安でも、自分の能力を最大に生かして、自分をとりまく環境を 理解して、自分の進むべき道を選ぶことしかできない。 他人の道、生きざまを間違っているなどと、誰が判断できようか? すべての人が、全く違い、それぞれの環境に生きているのだから、 間違いなどと決めつけることは出来ない。 常識などという、たった一つの物差しで、決めつけることは出来ない。 いや、常識すら、各自、違っているのだから。 自分の生きる道は、自分のものさしで計るしか出来ないと思う。                          すまる 01881/01884 JBH00742 スサノオ RE:あった方が面白いかも ( 6) 93/12/08 00:00 01874へのコメント  TAOさんへ  NoB氏の本当にやりたいことがいわゆるアカデミズムに基づく  宗教史であるかどうかは疑問に思います。  …と、本人不在のこの場で話しをしても失礼だとは思いますが  宗教を歴史で語ることの難しさを(私の推測ですが)  氏自身が痛感しておられるのではないでしょうか。  宗教に拘らず歴史は必ず勝者の元に語られてきたのです。  …で、結局何が言いたいかと申しますと  「NoB氏が適任なのでは?」と言うことなのでありました(^_^;)。                       スサノオ 01882/01884 PFA03563 YAHATA 痛みや痺れ ( 6) 93/12/08 00:00 コメント数:1  左半身のあちこちに痛みが走る。今日は左手にしびれが感じられた。  …また医者に行く。薬が増えただけだが、とりあえず病状の報告はすべきで あろう。  すぐに家に帰るのも気が引けた。車を止められる場所で午後を過ごした。 (モーテルではない。念のため。(-_-;))  ここでちょっと見られないものを見た。…1時過ぎだというのに、高校生の カップルがバイクで来たのである。飲食ご歓談、まあ微笑ましい姿である。あー うらやましい。  YAHATAは手紙を書いていた。今週中に出さなければ…。こういうものの納期 は守れるのか?チトヤバイ。(-_-;)  Rayの曲データをダウンするためにアクセスしたら、未読メールが1通。 なんと、送信元は会社のIDだ。「8日の午後はいてください」ねぇ…。これ 見たせいで休んだらどうするかとか思わなかったのだろうか。…何を話せばよ いのやら…思い悩むとまた尻にくるなぁ。(+_+)キュー ユーリさんメールをありがとう YAHATA 01883/01884 JBH00742 スサノオ RE:痛みや痺れ ( 6) 93/12/08 01:50 01882へのコメント  YAHATAさんへ  ふ〜みゅ、身体の半身が調子が悪いとか。  私は医者ではないので良くは判りませんが  そんな時は何処かバランスが崩れているのではないでしょうか。  知らず知らずのうちに無理をして偏っていることもありますし  身体を動かすなどして旨くストレスを発散させる方法を  考えられては如何でしょうか。  いつもと違う新鮮なことをするのも良いかも知れませんね。                       スサノオ  追記 私はたまに「イーエイッ」と大声を出しています(^_^;)。     (こうすると何故だか不思議に力が湧いてくるんです。) 01884/01884 GBG02755 すまる 偽物?本物? ( 6) 93/12/08 17:45 何が本物なんだろう。 この心に感じたものが偽物であることがあるだろうか? 結果はいつも、思いも寄らないことで終わる。 まるで、それまでの道程が何の価値もなかったような結果で。 だが、それだからと、その道程が嘘だったなんて思えない。 思いたくない。 その道程が無駄だったなんて思いたくない。 無駄だったことにしてしまったら、 この私の命さえ、価値を失うように感じる。 あのとき、私は精いっぱい生きていた。 命を燃やしていた。 自分を信じて、ひたむきにその祈りを生きていた。 ・・・それがすべて無駄だったのか? ・・・それがすべてウソだったのか? そう思うことは、絶望である。 無駄であってもいい、 ウソであってもいい、 しかし、そのときの私は生きていた。 「生きている」という感覚に嘘はない。 何が本物?何が偽物? 「生きている」という実感が何よりも答えになっていると思う。 だから、私はこれからもやっぱり、「生きている」と実感出来ることを ひたむきに選んでいくだろうと思う。 それが「本物」だと信じて。                      すまる - FARION MES( 7):★アリオン世紀末書込み寺------------<02> 93/12/08 - 01764/01768 GBG02755 すまる 人間不信!? ( 7) 93/12/06 22:54 私に対して、または私へメッセージの中に「人間不信」いう言葉が現われる。 だが、いったいそんなものは世の中に存在するのだろうか? 程度問題であろうが、本当に「人間不信」ならば、人はとっくに その自分の命を抹殺しているであろう。 なぜなら、人間不信=自分不信であり、命への不信、神への不信に他ならないからだ。 つまり、人間への愛、信頼が深いほど、「人間不信」を意識しているだろうと思う。 「信じたい心」があるが故、信じられない自分に落ち込む、絶望しているのだ。 どうしたら、その堂々めぐりから、離れられるのか? 信じれば良い。信じると自分で決めればいい。 それだけのことだ。 なぜ信じられないか、それはその人それぞれだろうが、 信じた挙げ句に裏切られる、傷つけられる、思うとおりに事が運ばないことを 恐れているに過ぎないだろうと思う。 恐れ故に、信じたいという魂の願いを無視、または逃げているのだろう。 「人間不信」と言う前に、本当に人を信じたくないのか、じっくりと自分と語り 合ってはみてはどうだろう。 私には、ただ逃げているとしか見えない。 本心、命の叫びを真摯に受けとめて欲しい。 自分を最後まで信じて欲しい。 自分を信じること=人を信じること だから。 自分を本当にいとおしく、慈しみ、愛したい、信じたいと願うなら、 人を信じることだ、最後の最後まで。 諦めないことだ。 逃げるな、言い訳なんかするな。ただ行動しなさい。 逃げているから、人間不信がますます深くなり、心を蝕む。 自分を信じなくて何を信じると言うのか? 自分が信じたいと願った人を最後まで信じきることが 自分を愛すると言う行為なんだから。                            すまる 01765/01768 KHC01313 まるにちょん RE:苦しみは魂の砥石か? ( 7) 93/12/07 09:38 01763へのコメント #1763 しまうまさん  はじめまして。新参者ですが、これから宜しくお願いします。m(  )m  とりとめのない書き込みにRESしてくださり、ありがとう。(^_^;)  あ、それから、ARIONさんの詩篇を教えてくださり、ありがとう。  > 僕はなんとなく、「見込みのあるものほど厳しく鍛えられる」というよ  >りも、「厳しさから逃げ出さずに正面から受けとめ、また自ら向かってい  >けるかどうか?」という個体差ではないかなあと思っています。  しまうまさんの意見にナルホドと思いました。  思うに、自分の生命を燃やすのは自分自身でしかないのですね。だから、厳 しさから逃げ出さずに正面から受けとめるのも自分でしかないと。  特に、他に要因を見つけることのできる困難ならば、厳しさならば、マケル モンカと勇ましく立ち向かうこともできるだろうけれども、自分自身を正面か ら受け止め、それに立ち向かうことは、時には血を流す想いをしなければなら ないと思うのです。  いまだ、自分と対峙することから、巧みに逃れようとする自分に時にはウン ザリすることもありますが、やれるとこまでやってみます。  (突然ですが、#01760 七穂さん、粗削りな部分をさらけだす勇気を持ちた  いとゆう気持ちよくわかります。上記のことは、まさにその勇気を持つ必要  があるということなのです。)  しまうまさん、突然ワリコメしてごめんなさい。m(  )m  さて、追伸でお伺いの件ですが、あれは書き込み中にポッとでてきた言葉で す。あまり深く考えたものではありませんので、うまく説明できるかどうか分 かりません。 (ただし、ある人に教えられた事が、ベースになっていますが。)  >>時は12時を告げるが、惑星も12を現す刻がきたようだ・・・  自分なりに解釈すると、   ○「時は12時を告げるが」    =時計の針が、12(=0)から始まり、1、2、3・・・と    めぐってゆきますが、これと同じく、時代もめぐってゆく。    そう、時とともに、人や国や、そして時代までも輪廻してゆく。    いまや時は11を過ぎ、12(=0)に戻りつつある。    それが、現代であるように思うのです。    つまり、新しい時代へシフトするときが来た、とゆうことではないでし    ょうか?   ○「惑星も12を現す刻がきたようだ・・・」    =新しい時代へシフトする刻を告げるのが、12番惑星の出現であると     思うのです。     すでに、太陽の裏側に、12番惑星「ヤハウェ」はその姿を現しつつ     あります。(学研 ムー、1993年10月号参照)     日月神示に「裏が表にでる仕組み」とありますが、この事と関係して     いるのではと思ったりしています。     この惑星の名前にも意味深長なものを感じます。     12番惑星「ヤハウェ」は、単に刻を告げるのみでなく、僕たちに大     きな影響を与えるに違いないと感じるのです。  しまうまさん、分かっていただけましたか?  信じられます?こんな突拍子のないことをよく思いついたものです。(シミジミ)  (ウーム、自分でも理由分からんのに、人に理解を押しつけるのは、いかん  なあ。)  では、また。(^_^;) ゚  追伸;誰か12の霊数の意味を教えてください。m(  )m                             まるにちょん 01766/01768 JBH02324 なえ M42(^-^)v ( 7) 93/12/08 14:24 01754へのコメント はろー智美パパさん きゃほぃ。星好きなお方が居て嬉しい。お仲間だぁ。(^^; ねね、M42は冬の花形スターですよね。(あ、スターって当たり前だのクラッカー) 春はスピカ、夏は白鳥のアルビレオ。秋は指標のペガサスとアンドロメダ。 そしてそして、何と言っても冬はオリオンとスバル。ね。 学生時代って、友達とおしゃべりする時間より星とおしゃべりしてた時間の方が長 かった(^^; なえだした。(^^;;;; そうそう。天体関連の書では最近この星域で新たな銀河の発生が確認されたり(地 球型と同じ惑星の出来る可能性が高いとか。)新たなエネルギーの膨張で、異常な 高温域が発見されたりと話題に事欠かない所ですね。 01767/01768 JBH02324 なえ ○型ね。 ( 7) 93/12/08 14:25 01756へのコメント オリハルさんからRESを頂いて恐縮です。 あ、そいえばオリハルさんて血液型は○型ですか。 あたし小心者でくそ真面目なA型です。(嘉門さんが言ってただ(^^;) サービスと言えば、サービス過剰な包装がバブルの後遺症で簡易包装に なりましたねぇ。 01768/01768 JBH02324 なえ RE:O∴Oに関する質問 ( 7) 93/12/08 14:25 01757へのコメント みれさん。こんちゃです。 あたしもそんな詳しくは無いですよん。(^^; でも、簡単な事なら、何とか・・・。(^^; そうそう、おまけですけど、そのθ(シータ)1.2星って近所に行って (行けるわきゃ無いけど(^^;)見てみたら、青白く輝いているんでしょう ね。をを、サンマが焦げてまうわ(^^; ← ジョーク ダッテ  O∴O....って (ずっとバルタン星人のイメージ持ってたなえでした)(^^;;;;;; ゴメンネ - FARION MES( 9):★TAO のヒーリング・ルーム----------<01> 93/12/08 - 267/270 GGD02212 Soo 山はキモチ良い ( 9) 93/12/06 22:43 262へのコメント  森林の中を歩く「森林浴」は、樹木が発するフィトンチッド呼ばれる芳香の 成分が爽快感を与えてくれ、人間の心身の健康に好影響を及ぼすと言われる。 それだけではなく樹木の生育が良好な土地ほど(度々イオンの話で恐縮だが) 電位が高くて動植物共に生物の細胞を活性化する作用が強いのかも知れない。  大地のチカラがあふれ樹木が生い茂り「木持ちが良い」山は気持ちが良い。 樹齢ン千年の御神木を擁する神社がある霊山の空気が気持ち良いのも同様に、 そこが大地のパワーを地上に伝えやすい場所だからではないだろうか。  大地のパワーを地上に導くと言うか、山林のように木持ちが良く,気持ちの 良い環境を人工的に作り出す研究をしたのが#258で触れた楢崎皐月という人だ。  楢崎らによると、所々に活性炭や備長炭を埋めるなどの処置をするだけでも 農地が改良できると言う。静電処理した水を用いると無農薬で収穫倍増とか。 本当ならもっと普及して輸入米より安全なコメを沢山供給してもらいたい。  更に建築においても地盤や壁材に炭素質を埋設すれば静電気の作用で人間の 心身の健康に好影響をもたらすそうで、実際に導入している病院もあると言う。 これも本当ならもっと普及して「気持ちの良い」病院が増えて欲しい。 Soo. P.S.農作物にしても家畜にしても不自然に管理され無理矢理に肥やされた 生物の歪みが病害となって現れる。それに抗して用いられる薬剤がまた新たな 弊害を生んでいる…人体にも類似の現象が起こっているのかも知れない…。 268/270 MHD02672 TAO アロマテラピー(芳香療法) ( 9) 93/12/06 22:49 コメント数:1  最近閑散としているので、今回はアロマテラピーについて紹介したいと  思います。訳して芳香療法と言い、香りが人間の心身にもたらす影響を  利用して、病気治癒や健康増進を図る療法のことを指します。  アロマテラピーの歴史は、現在の精油を使う方法は16世紀のドイツから  始まり、今世紀まで発展の途を辿っていますが、紀元前にも浸出液を  使う方法が約5,000年前に行われていたといいます。当時は、後に  「医学と治療の神」と呼称されることになる、インホテップという  エジプト人が、芳香療法における名声を得ていたということです。  古代エジプトにおいては、芳香療法が盛んだったといい、エドフ神殿で  発見されたパピルスおよび碑板に刻まれたヒエログリフには、その多様な  処方や製法が残されています。戦闘意欲をかき立てる香水や、瞑想用の  香水など、特定の感情を喚起する為の香水をも数多く調法していたという  記録もあります。ミイラ作りでも、人体を保存する為に、薬草や香料等の  芳香物質を多量に利用したようです。  何故、香りが人体に心身的な影響を与えるのか、ということについては、  私達自身が日常生活の中で、様々な体験を通して実感出来ることでは  ないかと思います。身近な例を挙げれば、香水やハーブ等の良い匂いが  意識をリラックスさせることもあれば、悪臭や腐敗臭が精神的ストレスを  招き、肉体面にも悪影響を与える(吐き気等)ことは、皆さんも頻繁に  体験されていることでしょう。  匂いや香りが持つ心身的影響力は、大昔からよく知られており、例えば  デルフォイの神殿の巫女は、“ローレル”の葉を焚いた煙を吸うことで  神がかり状態になり、神々との交流を可能にしたといい、また古代エジプト  では香料の“キピ”は「人を寝つかせ、不安を鎮め、夢を明るくする」と  されていました。西洋でも東洋でも、宗教儀式において、意識を拡大して  霊感を研ぐという意図のもとに、様々な香りが使われて来ています。  ドワイト・ハインズ博士(メイン大学心理学哲学博士)は、匂いの心理的  効果について「…意識の感情的な、忘我状態、個人個人を宗教的な経験に  もっと影響されやすい状態」を作り出すことが出来ると説明しています。  嗅覚と記憶はしばしば結合すると言いますが、実際、大脳辺縁系において  嗅覚と記憶を司る中心は、どちらも同じ領域にあるのだそうです。また、  視覚記憶は時間を経るに従って不鮮明になって来ますが、嗅覚記憶は殆ど  弱まらないというデータもあります。  精神病者に対しても、不快な匂いよりも快い匂いの影響下におかれると、  症状の改善において著しい効果を表すという発見もありました。匂いに  対する感情的反応は、実に多種多様にわたっていて、例えばある種の  芳香物質が、性的に刺激する「催淫剤」として使われていることは、  周知のことです。  芳香療法家によれば、芳香精油は「免疫機能を刺激し、細胞の活動と  成長を促す」効果があるということですが、その証明については今後の  研究課題となるでしょう。  実際の芳香療法においては、どんな効果が期待され、試されているか、  例をちょっと挙げてみます。  【ラベンター】  最もポピュラーな芳香植物(シソ科)であり、これほど幅広く使われている  ものはないでしょう。用途としては「不眠症、火傷、湿疹・皮膚炎、神経の  緊張(不安)、消化不良、偏頭痛、咬傷・刺傷(昆虫による)…」と多様な  限りです。ローマ人は、入浴時によくラベンターを用いたといいますが、  リラックス、精神鎮静によく効いたからではないでしょうか。  なお、“ラベンター”という英語名は、ラテン語で「洗う」という意味の  「ラワーレ」から来たといいます。  ラベンターは火傷の症状によく効くといわれますが、それは新しい皮膚の  形成をスムーズにする作用があるからではないか、とされています。  【ローズ】  大変高価なのが玉に傷ですが、ラベンターと並んで、もっとも有効な精油の  一つとされています。薔薇ほど、遠い昔から愛され、讃えられ、その香りが  求められて来た花はないでしょう。薔薇の蒸溜技術は、古代ペルシャで創始  され、薔薇はペルシャのシンボルとされました。中国では薔薇の一種である  ロサ・ルゴサ種が、古くから医療に使われており、「肝臓のあらゆる疾患に  使用され、腫瘍を散らすのに使われ、血液の病気一般に用いられる」と  記録にあります。現在でも、その肝臓と胆嚢への効果が確認されています。  用途としては「肝臓・胆嚢の障害、二日酔い、不安症、抑うつ症、便秘、  性的機能不全(インポテンツ/冷感症)、多くの感情的な障害…」とされて  います。  実際、薔薇の華麗な容姿と官能的な香りは、それだけでも充分人の心を高揚  させますね。  アロマテラピーの文献については、「フレグランス・ジャーナル社」という  会社が、外国文献の翻訳を精力的に発行しています。また、ケイシー関連の  著書を数多く発行している「中央アート出版社」からも、ヒーリング・  ブックス・シリーズの一冊として「香りの療法 〜精油を使った美と若返りの  秘密〜 アロマテラピー」(ダニエール・ライマン著/林 陽訳)が発行  されていますが、巻末に日本全国の、精油を販売している店のリスト(住所、  電話番号)が載っており、便利です。  TAO 269/270 NBB01420 SUKE RE:アロマテラピー(芳香療法) ( 9) 93/12/07 20:38 268へのコメント コメント数:1  アロマテラピー(芳香療法)なのかな?...私の体験談をちょっと(^_^;)  この夏に清里に行ったとき、「もえぎの里」という広場にある花香店?に入りまし  た。  中には女の子がいっぱい!!(^o^)  香水やポプリが司法の棚やテーブルの上にいっぱいに並んでいて...  その香りったら凄いのなんのって、香水の蓋など開けるとプゥーンと臭う...じゃ  なかった...匂う刺激の強い香りが...でへ...へへへ...  などと、SUKEはいつの間にか小気味の良い笑い声を漏らしながら、棚から棚へ、次  から次へと瓶を開け、嗅いで回っていました。  頭にきゅーんとくる感じがいい(^_^;)  遠くにつれていってくれるよーな感覚(^.^;)  そのうち床がまっすぐでないような気分になり...(-_-;)  友人達は何ともないようです。  「これは危ない!」と思い、香りの瓶への未練と戦いながら、揺れる壁や床に耐え、  人混みをかき分け、やっとの思いで外に出ましたが、立っていられません(^^;)  外で「非行少年」よろしくしゃがんで、地面に片手をつけ、下を向いて...   ...ムフフフフッ♂♀(゚_-;)℃£☆   ...ドゥフフフフッ◎◆(^p^)※〒△!  と声低く独り笑いが止まらなかった私です。(^^;)  以来その日は、車に酔うわ、まっすぐ歩くのにもターミネータみたいだわ、教会の  鐘の音は頭に響くわ、散々でした(-_-;)           これって何の療法だったのかしら (^^)…☆ッテナモンダ Suke. 270/270 MHD02672 TAO 急性アルコール中毒ならぬ、急性芳香中毒? ( 9) 93/12/07 23:21 269へのコメント  ↑そんなものが本当にあるかは知らないけど(^^;)、嗅覚はダイクレトに脳に  伝わる感覚ですから、強すぎる刺激臭が脳神経を惑わせるというのは充分に  有り得ますね。  しかし、その時のSukeさんって、はた目からは「変なおにいちゃん」と  疑惑の白い目を向けられなかったのだろうか(^^;)。  オンラインにて  TAO - FARION MES(11):★アキラの《平井和正*異界漂流》----<01> 93/12/08 - 144/144 NCD00736 Fact'in Hygiene 発言者削除 :この会議室向きでナカッタト ハンセイ (11) 93/12/07 02:01 - FARION MES(13):★KAZEの神秘学遊戯団----------------<03> 93/12/08 - 00863/00868 GGA02514 KAZE 生活にうとい教師・欲・子供のような心 (13) 93/12/07 19:38 00856へのコメント 隆ちゃん、どうも。 今年のこの遊戯団関連のニュースをふりかえってみると、 一応、第3期へと入って相変わらず淡々とやっているのと、 岳同さん、EARTH WORKさん、オリハルさんなどと東京渋谷オフをしたこと、 神戸の隆ちゃんちに僕と相棒がお遊びにいっておじゃましたこと、 それから、ミラクルさんがいらっしゃったのをきっかけに、 臨時リゾートのような感じで、FFORTUNEのカズタマの部屋で 遊びながらいろいろ学んだことなどがありましたね。 そうそう、ちょっとごたついて、HPをつくったりした MIZUHOメッセージなんていうのもありましたね^^;。 (ま、その後もいろいろがんばってますので、 これについてはまたそのうちご報告できる機会もくると思います(^^)。) ま、いろいろ振り返ってみれば思い出すこともいろいろありますが、 そうしたいろいろなことが参加者に方々にとっての 「すきとおったほんたうのたべもの」になれれば幸いだと思っています。 さて、雪の名前が「ニコニコ」ということですので、 今度は、ちょっと手前味噌にはなりますが^^;、 先日の「空の名前」の本の「風の章」から、そこに納められている「風の名前」、 (最初は「春一番」からはじまりますが)をご紹介させていただくことにします。 気のついたものに、ちょっと説明をいれておきますね(^^)。 「東の風(あゆのかぜ)」(日本海沿岸で吹く東よりの風のこと) 「東風(こち)」「くだり」(松前船が上方から戻るときに利用した順風) 「出風(だしかぜ)」(舟をだすのに都合の良い風)「風光る」 「真艫(まとも)」(風が舟の後部からまっすぐに吹くもの) 「涅槃西風(ねはんにし)」「比良の八荒(ひらのはっこう)」 「春嵐」「春疾風(はるはやて)」「旋毛風(つむじかぜ)」 「薫風」「ようず」(この風に当たると人畜が病気に罹るという) 「凱風(がいふう)」(和らいで吹く風)「花信風(かしんふう) 「流し」(梅雨の前後に吹く湿った南風)「青嵐」「真風(まじ)」 「南風(はえ)」「山背」「スコール」「日方」(南から吹いてくる風) 「いなさ」(台風の季節に吹く南よりの暴風)「やまじ」「台風」 「野分」「嵐」「風巻(しまき)」(激しく吹く風)「雁渡し」 「ミーニン」(沖縄で新しい北風)「木枯らし」」「颪(おろし)」 「空風(からっかぜ)」「ならい」(冬の季節風)「乾風(あなじ)」 「玉風」(もともとは魂風)「虎落笛(もがりぶえ)」「風の色」 「鎌鼬」「静穏」(気象庁風力階級0の状態)「至軽風」(風力階級1) 「軽風」(風力階級2)「和風」(同3)「疾風」(同4)「雄風」(同5) 「強風」(同7)「疾強風」(同8)「大強風」(同9)「暴風」(同10) 「烈風」(同11)「颶風」(同12) >ふてぶてしい方は少数派なのかもしれません。それが、ひとりでもそういう方に >出会うと、それが教師の印象になってしまう。 それだけ、子どもにとって教師は非常に印象に残ってしまうんですよね。 そういう前提で教師という職業を選ぶのが最低条件ですから、 自覚のできない方はやはり教員の資格を与えるべきではないのだと思います。 それに、最低の社会的認識の欠落している方もそうです。 以前、松川さんの部屋でもお話にでたことではありますが、 シュタイナーが「現代と社会に生きるのに必要な社会問題の核心」(イザラ書房)で 次のように述べていることというのは非常に大事なことなんです。 反社会的な状態が出現するのは、教育によっては社会感覚が養成できなくなっ たからである。社会感覚をもった人は、社会感覚をもって指導し管理する教育 者からしか育たない。教育問題、精神問題は、社会問題の本質的部分のひとつ である。それがわからなければ、社会問題そのものがわからなくなる。反社会 的要素が生み出されるのは、経済制度よるばかりではなく、人間が経済制度の 中で反社会的にふるまうからである。若者を教育する誰かが、外部からの教育 指導要領を押しつけられ、それによって生活にうとい人にされてしまうとした ら、そのこと自体極めて反社会的なことだと言わねばならない。 (中略)  しかしいずれにせよ、精神生活の分野には、それぞれの立場に立って実際生 活を行う人びとがいなければならない。単なる「実務家」によって設立され、 生活にうとい人によって授業されるのではなく、自分の立場から生活の現実を 理解する教育者が教育するときにのみ、教育内容が実際生活の中で生かされる。 こんなあたりまえのことがあたりまえでなくなってることが、 教育環境では一番の問題なんだと思うのです。 「生活にうとい人」というのは、人生にうといということです。 つまり、人間学を拒否しているということなのです。 やはり、教師に一番必要なのは人間学であることを強調したいところです。 特に小さなころは、子どもは教師から知識を教わるのではなく、 その教師から伝わる感覚や感情の部分を教わることを忘れてはいけないと思います。 ですから、特に小学校の低学年などは、「生きることは楽しい」ということや 「学ぶことは楽しい」などという感じだけを 教師から伝えてくれさえすればそれでいいのだと思うのです。 >普通の人は子供を持つ事で始めてそれを思い出すのではないのでしょうかね。 ううむ、ちょっと悲しいけど多くの方はそうらしいですね。 大学のころ、友人と話していて、自分の小さかったころのことを思い出して、 言語習得などのシミュレーションをしてみたのですが、友人たちは、 なぜ僕が本も読まずにそういうことができるのか不思議そうにしていました。 僕は、(生まれて2・3年ほどは別としても)人間というのは、 小さい頃からのことをどんどん積み重ねて、それらを踏まえて育っていくと 思っていましたから、そういうのってかなり???なんですよね。 もちろん、そのときどきに感じていた強烈な印象などはそのときとは違いますが、 今の自分というのは、そういういろんなことを積み重ねながら、 そのつどそれらを必要に応じてメタモルフォーゼさせているだけのように思えます。 ですから、僕は幼稚園を登校拒否したころのことだって鮮烈に覚えていますし、 いろいろ学んだことはあるけど、そんなに変わってない感じがあります。 もちろん、そういうのはひとそれぞれなんでしょうし、 昨日のことさえ「そんな昔のことは忘れた」という境地^^;や、 前後裁断して生きる禅のような境地もありますからねえ。 ま、子どもを見て自分のことを思い出すというのも、貴重な体験ですよね。 >僕も本当は早寝早起きをしたいのですが、現状では難しいものがあります。最近 >ではよっぽど人里離れた田舎か、とびきりの防音装置がないと早寝はできません ううむ、僕はほっとくと昼と夜が逆転してしまうタイプで^^;、 早寝早起きというと、耳が痛いのですが、確かに大事なことですよね。 しかし、以前、精神状態がひどかったころは、眠りが浅くて、 なかなか寝付かれず、ほとんど朝まで寝られないままにいたときもありましたが、 妙に開き直ってから、いついかなるときにでもすぐに深い眠りに入れるようになり、 本当にアホのようにぐっすりと眠れるからうれしい限りです(^^)。 僕は、最近、そういう部分はほんとうに「お気楽」になってしまったようです。 >とにかく「欲」を見きわめるのは非常に難しいです。ましてやコントロールする >事の意味となると、何と言っていいのか僕にはわからない。 そういうためにもシュタイナーがとっても参考になります(^^)。 ま、それはともかく、欲っていうのは、基本的にアストラル的なエネルギーで、 それがないと人間は生きていけないのですが、先日もちょいコメしたように、 物質やエーテル体ほど最初からリズムをもっていないんですよね。 ですから、それを暴走させるととんでもないはちゃめちゃなリズムになり、 よくコントロールすると、高次なものを創り出していけるようになります。 つまり、欲を宇宙のリズムにあわせた音楽のようにしていければ、 それが一番理想的なわけです。 先日から読み返していたシュタイナーの「オカルト生理学」(イザラ書房)には、 この地球上で人間は何のために生きているのかについて、 非常に感動的(だと僕には感じられました)語っているところがあります。 一体、霊的=魂的なものの中で何がもっとも美しいでしょうか。人間の魂の力 によって、生体の働きが魂的な働きにまで変化させられ得ることということこ そ、もっとも美しく、もっとも崇高なことです。人体組織の働きによって生じ るものはすべて、それが熱になった後で、人間によって正しく変化させられま すと、魂的なものとなり、共感、同情、または他者に対する関心という内的体 験に変化します。生体のすべての過程を通して熱過程という最高の水準にまで 達するとき、私たちはいわば人間の生理過程の門を通過し、血の熱過程によっ てつくられる最高の高みにまで到るのです。そこではすべての存在に対する生 き生きとした関心、周囲を取り巻くすべてに対する共感の世界にまで、私たち は歩みを進めるのです。・・・ 熱は、地球の果たすべき使命の中で、共感情に変化するのです。 これこそが地上における存在の意味です。人体はこの地上の過程に組み込まれ ています。そしてすべての物質過程は、最終的には人体組織という王冠の中で 再び出会うのです。人体組織のすべては、一切の地上過程の小宇宙として、新 しく花開きます。そして人間の魂が変化を遂げて美しく花開くとき、地球生命 体はすべての存在に対する人間の生き生きとした関心、共感情を通して、その 目標に達するのです。その目標のためにこそ、熱が地上の人間の生体に与えら れたのです。他者への生き生きとした関心を通して、私たちはますます魂のい となみを大きく拡げることができるようになるでしょう。 つまり、「欲」の意味は、地上の小宇宙としての人間が、 魂を美しく花開かせるための重要なエネルギーというわけです。 もちろん、それを使いそこなうとそのエネルギーは、破壊へと進みます。 だからこそ、それを芸術的に美しく咲かせなければならないわけです。 そういう意味でも、いつまでも「子どものまま」というのではなく、 「子どものような心」をなくさないように生きていければ、と願うばかりです。 誰でも一度は子どもの心をもっていましたが、 大人になり、年を重ねていくたびに、ひとは「子どものような心」を ずっと育て続けなければならないわけです。 とってもむずかしいことですが、それこそが人の「使命」だとも思うのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00857/00868 JCF00616 YUI RE:暗い過去を生かす・・・なんて^^; (13) 93/12/06 23:45 00848へのコメント コメント数:1  KAZEさん、こんにちは。 >まず、自分の今ある人間や学校や家庭などの環境について、 >少しずつでもいいですからもう一歩掘り下げて考えるくせをつけていくと >視点が確実にひろくなってくるというだろうということと、  そうですね、私も昔から頑固で保守的な部分がありましたから、つくづく気を付  けているよう心掛けます。また、「一歩掘り下げて考える」ことはやはりそれな  りの知識が必要ですから、そちらの方にも努力しなくては、と思います。受験で  染みついた癖なのか、どうも物事でも文章でもエッセンスだけを抽出してしまう  ところがあり、それに至るプロセスをないがしろにせずにできるよう精進したい  と思います。  「視点」というのは作為的に「ひろげる」もでのはなく無作為的に「ひろがる」  ものだと思います。つまり、自分が何かを求めていると、自然と広がって行って  しまうものです。少なくとも私の場合はそうでした。リスクを伴うものも多々あ  りましたが、それで得られる恩恵ははかりしれないものです。 >そして、いつも知識と行いとができるだけズレないように心がけると >ひとつひとつのことがすごく生きてくることを実感できると思います。  私みたいに不安定な立場に置かれた人間にとってこれが一番の問題で毎日悩まさ  れています。自分に嘘をつかない、これは実践していますがその反面、自分の汚  い所や性格の実態が表面化され、正面から見据えることとなり自分を疑ってしま  います。  ちなみに私は反省する時、「果たして〜でいいのだろうか」「〜したことで誰か  が傷ついたか」などと自問を試みます。こんな時、自分が頭だけで行動している  のにはっと気付きます。そんな自分を発見するたびに、他人への迷惑・痛みを感  じてはそんな自分に愕然とします。  他人を見る時、私の場合はまずすべてを受け入れます。そしてそれからよい所、  悪い所などを吟味して、そのひとがその人であるような態度で接します。崩して  はならない。だけど直す所もあるのだと。未だに後者の方は達成できずにいます  が(^^;。 >いろんなことを積み重ねながら、しっかりと自分を見つめるということを >してこなかった証明のように思えます。  現代の若者は将来その様になるだろうと危惧される人間が大勢いるように感じら  れてなりません。私の友人でもそんな人の数は滅法少なくて大体が学校の勉強の  みに生きているようで、テストがどうこうと騒いでいます。それが悪いというわ  けではありません。しかしそれだけで他に何も勉強しないのは問題があるのでは  ないでしょうか。学校の他の「勉強」への道はたくさん与えられているにもかか  わらず、なじったり馬鹿にしたり…そんな調子なのです。  「死して成れ!(Sterb und werde!)」という言葉に重みを感じますよね。 >進め方は無理のない方法をちょっと考えてみますので、 >それがまとまったらまたお知らせすることにしましょう(^^)。  そうまでしていただいて、本当に心から感謝します。”知っている人がいる”、  ”分かる人がいる”というのはとっても心強いものですね(^_^) >それでも、高橋厳さんのお話をお聞きしたことや、 >オイリュトミーの公演などには行ったことがあります。  うーん、羨ましいですね。自分をきちんと見つけだし、はっきりとした目的を意  識できるようになったら、その様なものも見物したいものです。  ところで、神秘学などの世界でも人智学出版社や「第三の道」を見ても対立は起  こっているようでそういった意味では「組織なきネットワーク」というコンセプ  トが生きてくるのだと思いあます。  なにはともあれ、この会議室を作ってくださったKAZEさんに感謝ですね(^-^) YUI 00864/00868 GGA02514 KAZE 視点・反省・生きた勉強 (13) 93/12/07 23:06 00857へのコメント YUIさん、どうも。 >「視点」というのは作為的に「ひろげる」もでのはなく無作為的に「ひろがる」 >ものだと思います。 模索しながらおのずから広がっていけばそれが一番いいのかもしれませんね。 山道を一歩一歩踏みしめながら歩んでいき、気がつくと、遠いところまで はるかに見通せるような高みまできているようでありたいものです。 しかし、視野の広さの他にも、できるだけいろんな立場で物事をとらえられる 多視点的なあり方なども必要ですし、物事を「深く」とらえることも必要ですから それなりの「意志」や「志」が必要になってくるでしょうね。 山道を登っていくにもそれなりの足腰が必要なように。 >ちなみに私は反省する時、「果たして〜でいいのだろうか」「〜したことで誰か >が傷ついたか」などと自問を試みます。こんな時、自分が頭だけで行動している >のにはっと気付きます。そんな自分を発見するたびに、他人への迷惑・痛みを感 >じてはそんな自分に愕然とします。 反省というのはどこまでいっても非常に難しいもので、 僕なども「頭」だけの反省に流れていってしまうことが多いようです。 反省というのは、シュタイナー的にいえば、アストラル体の浄化ですから、 感情の深みにまでずっと降りていき、感じとる必要があります。 それは、釈迦の八正道というのがあるように、 さまざまなレベルでのチェックが必要となります。 それをまとめていうと「心・口・意」ということになりますが、 それに加えて福音書などにもあるように「生活」面でのことも大切なようです。 つまり、実際の行動だけではなく、易思ったことまでが射程に入りますし、 自分ひとりだけでのあり方ももちろん反省の対象となるということです。 しかも、さらにいうと、その上に、人をもっと生かすことができたのではないか、 とかいう努力目標までが反省の対象になりますから、 どこまでいっても反省は限りがないという感じです^^;。 ・・・とまあ、言うは易し行いは難しで、 僕などは、そうした反省という山の麓あたりで寝ころんでいますから^^; もっと怠けないでがんばっていきたいと思っています。 >私の友人でもそんな人の数は滅法少なくて大体が学校の勉強のみに生きている >ようで、テストがどうこうと騒いでいます。それが悪いというわけではありま >せん。しかしそれだけで他に何も勉強しないのは問題があるのではないでしょ >うか。 僕のように途中からドロップアウトして、肝心な勉強を放り出して 自分の関心のあることばかりに目が向かってしまうのも考えものですが、 それはそれとして^^;、秀才たちの多くは驚くほど「それ以外」のことに無知で それがどれほど視野を狭めて、実際の現実的な生活から目を遠ざけることになり 世の評価以外のものがずり落ちてしまうことになるんです。 僕などはこの世的にみて、「成功」という言葉とはほど遠い生き方をしてますが^^; 僕の今こうやってお話していることは、ほとんどが学校とは無関係なところで 自分なりにどろどろと悩んだ末に得られたものや、 少しずつ自分なりに勉強してきたことの積み重ねなわけです。 一番大切なことは、自分で血と汗を流して勝ち取ったもので、 テストのための勉強のような決まった問題と答えなのではないと思います。 同じような問題にみえても、それはひとの数だけのあり方があるし、 その答えも同じだと思うのです。 >神秘学などの世界でも人智学出版社や「第三の道」を見ても対立は起こっている >ようでそういった意味では「組織なきネットワーク」というコンセプトが生きて >くるのだと思いあます。 人智学にしても、シュタイナーの生前からいろいろ対立などすでにあったようで、 多くの方は、それを一種の権威的なブランドとしてとっているようです。 一種のカルチャーサークルのノリでしょうか^^;。 肝心なのは、ブランド化ではなく、人智学の理念を生きることなわけです。 シュタイナー学校云々というのも、ほとんどが形式的なブランド化のようで その形式のなかで、生きたものがそっちのけにされかねません。 それに、多くの人智学関連の方は、総合的な視点が少なくて、 妙にオカルティックな側面を持ち上げたり、教育だけしか知らなかったりで、 基本的な精神科学としての神秘学とそれの応用としてのさまざまな分野の関連が ほとんどそっちのけにされているようなんです。 そういう意味で、最初に話にでたような、視野の広さや視点の多様さ、 それから深さなどが必要だし、さらにそれらを総合した統一的な認識が どうしても必要だと思います。 そういう意味でも、このささやかな部屋が そういう道への途上で少しでも参加者の役に立てればといつも思っているのです。 僕自身が自分へのひとつの試みとして、こうした日々のさまざまなことを 積み重ねて行こうとしているのはご理解いただけますよね(^^)。 PS 例の東理論については、もうちょっと時間をくださいね。 僕にとってもほとんど未消化のところばかりですので^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00859/00868 PXH01650 杉本英雄 RE:暗い過去を生かす・・・なんて^^; (13) 93/12/07 09:27 00848へのコメント コメント数:1 KAZE さん、こんにちは。 諸般の事情により、RES が追いつかず、多少すっ飛ばしたコメントかもしれま せんが、ご了承下さい。 クラウス・シュルツは、もちろんドイツのミュ―ジシャンです。 70年代から、ALL シンセで独自の音世界を構築してきました。 最初は、タンジェリン・ドリ―ムでドラムを叩いていましたが、すぐ独立し て発表したのが、 シンセサイザ-とオ-ケストラによる「イルリヒト(狂光)」。 そして、 「サイボ―グ」「ブラック・ダンス」「タイム・ウインド」 と続きます。これらと、傑作「ミラ―ジュ」「ボディ・ラブ」までは、レコ― ドで出ていました。 残念ながら、日本では、一曲が長大であり、商業主義的音楽ではないので、 ほとんど知られていないようです。 (ちなみに、’87年の「バベル」は、一曲で60分!!)。 ヨ―ロッパでは、ドイツ神秘主義的系列にあってワ―グナ―の流れを引き継 ぐ音楽家として高く評価されています。 (ジャンルとしては、ロックになっていますが...) ・・曲のタイトルがけっこういいんですよ・・ 「イルリヒト」 1.地の章 2.火の章 3.生成流転の章 「サイボ―グ」(2枚組) 1.神秘の扉PART1 2.神秘の扉PART2 3.知覚律 4.万華鏡 「ブラック・ダンス」 1.大いなる変転 2.ヴェルベットの位相 3.時の声 etc.... >バッハとモ―ツァルト わたしは、バッハはもちろん、主にブルックナ―とかが好きです。 最近ではロシア物も好きになりました。 スクリャ―ビンやラフマニノフなんかいいですよ。 **やはり、音楽も神秘主義的傾向になっちゃいますね。** >キ―スジャレットのもいいですね 「ケルン・コンサ―ト」は、お聞きになりました? いま、自分で弾こうと、奮闘しています(!何年もかかりそう!)。 >学校というところに肯定的な感情をもったこと わたしも、特に高校の頃は、ヒドかったですねえ。学校が受験校だったも んだから、入学式の校長の話を聞いて以来、どうしようもなく反発していま した。 卒業の時、「学問の重み」という題で、エッセイを残したりもしましたね。 ...(読んでみたいな、今は原稿もその本も手元に残っていない) 思えば.. ..小学校6年の頃から、宇宙人とかの世界に興味を持って、中学時代は、 当時出ていたそのテの本をかたっぱしから読破しました。ウチは、そもそ もオヤジがそういう方面に入っていて、一家で、UFOや宇宙の法則とか、 とんでもない会話ばかりしてたんですよ。だから、教育に関してはもう一家 言持ってましたね、その頃には。 だから、教師の態度やら方針について我慢できなかったですね。未だに、 「教師」に対しては、いい感情が持てないんですよ。だいたい、自分の国の 旗を焼くような非礼を、子どもに教えようとしているんですから。 もちろん、そんな教師ばかりではないでしょう。わたしの同級生の教え子 が、社会人になっている時代です。 !!若い教師達に大いに期待するところです!! :英雄: P.S シュタイナ―最新刊「霊視と霊聴」を購入しました。 00865/00868 GGA02514 KAZE キースジャレットなど (13) 93/12/07 23:07 00859へのコメント 杉本英雄 さん、どうも。 クラウス・シュルツは、タンジェリン・ドリームにいたんですか。 タンジェリン・ドリームならレコード少し持ってます(^^)。 ご紹介いただいたものは、なかなか興味深いので、探してみることにします。 > わたしは、バッハはもちろん、主にブルックナ―とかが好きです。 >最近ではロシア物も好きになりました。 ブルックナーといえば、一時期、ジュリーニのものをよく聴きました。 それから、やはりなんといってもマーラーはいいですよね。 スクリャービンは僕も好きですが、ロシアものですと、 最近ではショスタコーヴィチなんかが好きになっています。 きっかけが、キースジャレットの二枚組のCDなんですが。 >「ケルン・コンサ―ト」は、お聞きになりました? もちろん!といいたいところですね。 キースジャレットのものは、インプロヴィゼーションのソロは ほとんど聴いてますし、CDも持っています。 グルジェフのものもなかなかでしたよね。 グルジェフというと、セシル・ライルの6枚組のものを持ってます(^^)。 もちろん、キースジャレットのジャズものもかなり聴いてますよ。 >いま、自分で弾こうと、奮闘しています そういえば、ケルンコンサートの最初の曲の一部が、 キースジャレットの本に掲載されてたりしましたよね。 僕の相棒が以前それを弾いてみたことがあります。 (相棒は、クラシック系のピアノしか原則的に弾きませんが) >シュタイナ―最新刊「霊視と霊聴」を購入しました。 読みましたよ(^^)。 「風遊戯25」で生命が母音を7重に反射し云々というのは 実はあの本からのパクリなのです^^;。 それから、あの「風遊戯25」は、日月神示とシュタイナー系の神秘学の 統合としての人間学を模索したものなのですが・・・。 それから、ついでに清家新一さんですが、 同じ県に住んでるものですから、僕も結構知ってたりします^^;。 実は、ちょっとだけお会いしたこともあったりするんです。 先日の新刊も一応買ってますが、実は、清家さんの「超相対性理論」という 表紙が銀色の昭和61年刊の「八訂増補版」なども持ってたりします。 もちろん、それは英語と数式ばかりでまるでちんぷんかんぷんですが^^;。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00858/00868 MGG01713 バトゥーラ 火水伝絵のお知らせです (13) 93/12/07 01:51 先日お知らせしました、「火水伝絵」の開催時間が一部変更になりました。 12月11日(土) AM11:00〜PM8:00と書きましたが、AM11:00〜PM6:00に変更になりましたのでお知らせいたします。 正式の予定表を書いておきますので、宜しくお願い致します。 ○ 「火水伝絵」(ヒミツツタエ)の個展 日時 12月7日(火) 〜 12月11日(土) 時間 12月7日(火) PM3:00 〜PM8:00       8日(水) AM11:00〜PM8:00       9日(木) AM11:00〜PM8:00       10日(金) AM11:00〜PM8:00      11日(土) AM11:00〜PM6:00 場所 横浜市大倉山記念館・ギャラリー 交通 ○東急東横線 大倉山駅下車徒歩7分 入場料 無料です 「火水伝絵」は、大神様が小川優子さんをお使いなされて、御神示を絵として顕わしてくださったものです。元ツ天(神世)から小天へと向かい御ハタラキなされた御龍体の御姿が描かれている絵や、大神様の喜びや嬉しの響きが顕わされた絵まで数多く展示されますので、興味のある方はぜひご覧になって頂きたいと思います。 ※ 大倉山記念館は、良好な環境を保持するために、駐車場の設備がありませんので御協  力お願い致します。 ※ 尚、「火水伝文」の神示を受けられました我空さんが裏の五代産に入られるのをもち  まして、「伝文」と連動した「文絵」としての個展もこれにて最後となる旨、併せて  ご報告申し上げます。 00860/00868 PXH01650 杉本英雄 RE:パラダイム・シフト (13) 93/12/07 09:28 00845へのコメント コメント数:1 YUI さん、こんにちは。 >>RES が遅くなってごめんなさい。 >しかしながら、「心の変革」を達成する、むしろ、できる宗教は皆無 はい、ですから >>いわゆる精神的方法でどれだけの人が、成就できるでしょうか?<< という問いを発するにいたるわけです。 (アレッ,ドコカデキイタヨウナ、イイマワシ...) つまり、認めようと認めまいと、 ”宗教はその役割を終えた” と、言えるのではないでしょうか? ...五本の大木が立っています。樹齢は少なくとも二千年以上でしょう。 枝葉は生い茂り、いろいろなヤドリギ(シュタイナ-的意味合イハアリマセン)も生え ています。ある夜、大風が吹きました。翌朝、人々は、大木が 五本とも倒れてしまっているのを見たのでした。 あれ程、堅固に見えたのに。 そう、どの大木も、 中はすっかり枯れてがらんどうだったのです... 五本の大木は、五大宗教に置き換えることができるでしょう。 ☆☆聞いた話ですが☆☆ 「地球上のすべての宗教は、もう必要ない。 宗教をなくさない限り、人類は一つにならない」 (金星の長老) 宗教信仰だけでは、バイブレ―ション・シフトを乗り越えることは、 至難でしょう。 「時」至る時、多くの人々は、 「神」を、 「信仰」を、 捨てるでしょう。 ?では、 何によれば、 どんな「木」を選べば、 よいと思いますか? :英雄: 00862/00868 JCF00616 YUI RE:パラダイム・シフト (13) 93/12/07 18:39 00860へのコメント コメント数:1  杉本英雄さん、こんにちは。 > 「地球上のすべての宗教は、もう必要ない。 > 宗教をなくさない限り、人類は一つにならない」  ある意味ではそう言ってしまっても構わないのかもしれません。というのは、  宗教の叡智は現代では武器にすぎない、そんな見方も考えられるからです。論  証はできない、その割には思弁的な宗教は現代の人類の価値観からすれば内実  のない、問題を引き起こす根源だとも言えるわけです。でもその反面、「空洞  」に固執して権力を得ようとするものが裏にはいて、なかなか消し去ることは  難しいのではないでしょうか。「裏」の存在、それは「国家」です。国家(い  わゆる国民国家[nation state])はその国家形成のために土着民族の言語、宗  教的価値観、歴史、経済、風俗、地理的領域を改変します。我々が生活するこ  の日本も例外ではありません。まず、どのようにして北海道から沖縄までの人  間が「仲間意識」を得たのか、じっくりと考えるべきでしょう。高度情報化?  もちろんありえません。それは戦争だったのです。そう、戦争。どんなに多く  の犠牲があり、悲しみがあり、憎しみがあり、そして殺戮があったのか。そん  な傷を負って来た民族は山ほど存在します。私たちが民族、宗教を見つめる場  合、それ相応の態度というものがあるはずです。もちろん、直接宗教に関って  いる方も日本には大勢いらっしゃることと思います。しかし宗教を敬遠する立  場をとる人間も多いことは事実です。KAZEさんのお話にもありましたが、宗教  をビジネスだとみなしたり、宗教と生活を切り離している人がほとんどではな  いでしょうか?  私は宗教は芸術と同様、「実用」的なものであるべきだと思います。「実用」  はuseful=役に立つ、という意味合いです。生活の伴侶として、こき使われ、  そのたびに磨かれる、「脱皮した」宗教こそ、名のない自分の血肉と化した宗  教として扱われる、そんな「変容する」宗教は理想ではないでしょうか。あく  まで人間のうちで生き続ける宗教は「宗教」の意味的カテゴリーを超越するも  のだと思うのです。人類が超越的な宗教を獲得してはじめて、従来の「宗教」  の枠は消え、内実だけが未来に残されることを信じたいと思います。 YUI 00867/00868 GGA02514 KAZE 「宗教」について (13) 93/12/08 10:50 00862へのコメント YUIさん、どうも。 >人類が超越的な宗教を獲得してはじめて、従来の「宗教」 >の枠は消え、内実だけが未来に残されることを信じたいと思います。 「宗教」というテーマは、非常に難しいですね。 僕も杉本英雄さんのおっしゃるように >地球上のすべての宗教は、もう必要ない。 >宗教をなくさない限り、人類は一つにならない というのは、最終的にはそうだと思っているのですが、 現時点で「もう必要ない」とは感じてないんです。 「もう必要ない」というのは、全人類が「信仰」ではなく「認識」を 選択するときにはじめていえることなのですが、 残念ながらそういう時期にきているとはなかなか思えません。 そこまでいくには人類はまだまだいろんなプロセスを通っていくことが 必要なのではないかと思います。 そのことは「科学」についても言えることで、 人類は現在のところある種、「科学」を「信仰」している段階です。 西田幾多郎もなにかの論文で、「科学」は学問のひとつの方向性にすぎない ということを喝破していたようですが、その通りなんですね。 でも、現在の人類は「科学」が「宗教」と対立する云々ということを 当然のことのように思っているようです。 YUIさんのおっしゃる「超越的な宗教」というのは、 僕の考えているような「認識」による宇宙理解に近いと思われますので 結局のところそれは「宗教」という言葉の意味次第だと思います。 「科学」の是非、限界の問題も、その言葉の意味次第だとうのと同じです。 シュタイナーは、宗教と芸術と科学(学問)というのは、 本来ひとつのものだったということをいっています。 そういう意味では、宗教だ科学だという境界づけではなく、 そういったものの統一場的な把握ということがめざされる必要があります。 しかし、最初にもふれたように、人類はまだまだ克服しなければならない いろんなハードルがあるようで、「宗教」はまだその役割を 終えてはいないように感じます。 早い話、宗教がなければ、この世界はアーリマンの影響を強く受けすぎるんです。 つまり、唯物主義的な傾向をますます強めざるを得ないということです。 おそらくそのために、今後しばらく世界は、一部では「統一場」的な認識に動き、 大勢としては、各地で大きな宗教運動が展開されるのではないかと思います。 日本でも、幸福の科学などをはじめとしていろいろ宗教運動があるようで、 あの団体さん的なあり方は決して好ましいものではないのは確かですが、 最低限、唯物主義的な方向性を転換させるという目的のためには、 ああしたことも(あくまでも「限定付き」ではありますが) 必要な部分がまだまだあるのではないかと僕は感じています。 しかし、そうしたことはあくまでも過渡期の「必要悪」で、最終的には、 >従来の「宗教」の枠は消え、内実だけが未来に残される ということを、信じていたいと思っています。 だって、「宗教」というのは、人類が霊的世界から切り放されて、 この地上でその生を歩むときに、霊的世界のことを忘れないようにと 人類に与えられたひとつの方便なのですから、 人類がこの宇宙を真に認識しはじめるとき、「宗教」という枠は おのずと乗り越えられていくはずなのです。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ 00861/00868 PXH01650 杉本英雄 RE:佐野清彦「音の文化誌」など (13) 93/12/07 12:05 00850へのコメント DIRAC さん、こんにちは。こちらこそ、よろしく。 >清家さんは、交換――演算子が可換で いやあ、清家さんをご存じでしたか! わたしの父は、かつて、UFO製作に凝っていて、随分と清家さんと やり取りしましたねえ。(コノ話ハ、アトデユックリト..) ちなみに、「実験円盤浮上せり」に、わたしの文章が載っています。 (当時、中学2年だった!) ∞∞神は、直線の交点(*)が、どこでも同時である座標系の如きもの∞∞ 実は、この表現そのものなのです。 ☆☆それ自身に平行な等方線――とは、 横に”振動”している波動=物質波動☆☆ ★★垂直にそれ自身の上で振動している||とは、 縦に”振動”している波動=精神波動★★ 精神(波動) | | | ―――*―――物質(波動) | | | △この精神波動と物質波動が交差する”点”(*)が 一つの創造の拠点となる。 これら拠点に波長を合わせることにより、 いわゆる”次元(空間)移動”が可能になる。 そこには、一切のタイム・ラグはない。 宇宙は、すべてこの拠点(場)から成り立つ。 「場とか点等と言うと、すぐ地球人は、3次元空間のイメ―ジ で考えるからめんどうだ」(担当する宇宙人の言葉) 量子力学といえど、3次元空間イメ―ジの範ちゅうでしかありません。 この、”科学”は、全く今までにないものなのです。 また、十字形の意味はこの点にあります。 + ― + + ― ― ― :英雄: + + + ― ― + ― 00866/00868 GBA01350 まるじろう RE:佐野清彦「音の文化誌」など (13) 93/12/08 01:06 00802へのコメント コメント数:1  ROMのつもりでしたが、このメッセージを読んで出て行かなかったら、   ちょっと自分が情け無いというか・・・・。  と、いうわけで、  >#802    >>あの会議室の参加者のひとりと、同じ地元に住んでるのもあって    >>知り合いになりまして、  KAZEさん、やっと出て来ました。それとなくご紹介、ありがとうございます。   なかなか複数の会議室でアクティヴには動く時間がなくて、不義理もしますが、   どうぞ、ここでも宜しくお願い致します。    >>ただ、宇宙論としての音楽ということになると、    >>確かにあの参加者の方々には、ちんぷんかんぷんだと思います。  おぉ、耳が痛い! でも、そうでもない人も実はあそこには意外といますよ。   私の場合、これまでそんなに深く「勉強」はしてませんが「考えて」はいました。   ただ、親しい音楽仲間の中でも、たまに音楽の向こうの形而上的な話をすると、   良くて相手にされない、悪くすると非難されることもあって、寂しかった。  そんな状況ですが、KAZEさんたちと出会って、ひとすじの光が差して来ました。   「世の中というのは自分を映す鏡のようなもの」とは、そのOさんの言葉ですが、   私が、物理的な面ではなく内面的に、ここ数年で一番重要な場面になったこの頃、   Oさんや、続いてKAZEさんと知り合ったことは、何か不思議な力を感じます。  シュタイナーの音楽論。こう言うと何ですが、私は特にシュタイナーそのものには   強い興味があるというわけではありませんでしたし、今も実はそうです。   (ぶっちゃけた話が無教養なもんで知らなかったのです、と白状しましょう。)   ただ、そんな私でも、音楽論のレジュメを読ませていただいて、   ここにはすごい重大なものがある、と感じた。理解までには至っていませんが。   とにかく、これから少しずつ、自分の出来るペースで、勉強してみましょう。   下手ながら幸い私も実地に音楽できますから、その結果に生命がこめられます。  >#865   先日お会いした時に、キース・ジャレットのことで妙に意気投合しましたっけ。   私も、彼のバッハを初めて聴いた時(リチャード・ストルツマンとのデュオ)、   すごいショックでした。そして、続いて出たバッハのアルバムで、打たれました。   クラシックの名演奏家といわれる人々がなかなか行けない遥かな高みを、   彼はいとも自由に出入りしているのですね。真に音楽しているという感じ。  というところで、雑談みたいでごめんなさい。ご挨拶かたがた・・・・。                             まるじろう  P.S.>>見えたものを、前向き人生の為に如何に取り入れるかを考えなさい        これはいい示唆ですね。 00868/00868 GGA02514 KAZE 音の中心 (13) 93/12/08 10:51 00866へのコメント まるじろうさん、どうも。 わざわざ律儀に書き込んでいただきどうもありがとうございます。 #802でのコメントには、まるじろうさんを引っぱり出す意図は なかったのですが、それでもご参加いただきありがたく思います(^^)。 こちらこそ、ここでもよろしくお願いします。 >親しい音楽仲間の中でも、たまに音楽の向こうの形而上的な話をすると、 >良くて相手にされない、悪くすると非難されることもあって、寂しかった。 そういう方が多いのも仕方ない部分もあって、 音楽を聴く方の多くは、とっても感覚の差異を重視される方が多いですから その「感覚」の部分がどんどん肥大して、それ以外のことは 結果的になおざりにされてしまうことになるんだと思います。 もちろん、真に「耳が開かれて」いるとしたら、 そういうことは決してないはずなのですが。 つまり、音楽はいわゆる音楽だけで音楽なのではないという当然のことです。 そこには時間と空間の問題や、「音」っていったい何だろうなどという 当然の疑問が起こってきてしかるべきなのですが、 多くが単なる音楽「マニア」になってしまうんです。 Oさんもおっしゃってましたが、音楽をちゃんとやろうとすると、 唯物論的な前提というのは崩れざるを得ないということなのですが、 それがまかり通っているのは、みんな自分で感じ・考えようとしないという 一番情けない状態が正当化されてしまっているということでしょう。 「みんな、ドグマが好き!」ということでしょうか。 >「世の中というのは自分を映す鏡のようなもの」とは、そのOさんの言葉ですが 結局、音楽も「生」と切り放して考えることができないということで、 どれだけ「生」を理解できるかが音楽の営為でもあるということです。 つまり、音楽という入口を通して、「生」を「宇宙」を理解するということです。 ですから、早い話「人生から逃げちゃだめ!」という単純なことです。 シュタイナーの音楽論ですが、結局これも宇宙論のひとつの切り口なんだと思います。 シュタイナーの膨大な思想の中では、音楽というのはごくごく小さな部分で、 そんなに資料が残っているわけではありませんが、 神秘学の根本的な考え方からすれば、それを自分なりに応用拡大させていくことは 十二分に可能だと僕は感じています。 キース・ジャレットの演奏は僕もいろいろ聴きましたが、 確かにあの自在さというのは驚嘆に値するものだと思います。 アルヴォ・ペルトのCD録音にも参加しているんですよね。 あの、ジャズとクラシックというまったく違うリズムを 自分のなかで完全に消化し昇華しているのは特にすごいと思います。 民族楽器をつかったインプロヴィゼーションというのも好きなもののひとつです。 ただ、相棒に言わせると、「どこかが違う気がする」、とも言っていまして、 僕もそのことからいろいろ考え、じっくり聞き直してみたのですが、 キースジャレットのひとつひとつの音の中心というのが バッハにしてもジャズ的にスウィングしているのが感じられました(^^)。 もちろん、それが「キースジャレット節」ということだと思います。 この「音の中心」ということはとっても大切なことだと最近感じていまして そのあり方のなかにその演奏者の「宇宙」があるような気がしてきました。 あのOさんの素晴らしい声というのも、あの声には空としての中心があって そこに「音」が流れ込んできているように僕には感じられます。 「耳をひらく」ということも、自分を空なる中心とするということで、 そうでなければ音楽は中心を失った「我」の表現になってしまいます。 音楽は決して「自我表現」であってはならないと僕は思っていて、 現在の音楽シーンのひどさもそこらあたりを勘違いしてしまっているのが 一番の原因ではないのかなとも感じています。 ということで、今後も折に触れて音楽のテーマは この会議室でも展開させていきたいと思っていますので、よろしく。 ☆☆☆KAZE☆☆☆ - FARION MES(14):★HVHYの預言解読部屋------------<03> 93/12/08 - 01550/01551 JBH00742 スサノオ RE:環相回向 (14) 93/12/07 21:58 01549へのコメント  みんずさんへ  こんにちは。生け花に加え仏教にも詳しいのですね。  日本に仏教が渡来してからは、それまでの神道と融合して  本地垂迹説の下いろいろな教義が発生したようです。  私が神道と言っているのは主に奈良時代以前の信仰を指しますが  カバーする範囲は縄文時代にまで遡ります。  さて、みんずさんの指摘された空海の真言密教を含め  仏教と融合した仏教系神道を簡単ですが以下にまとめてみました。    役小角   雑密       本地垂迹的神道    空海    純密(真言宗)  両部神道    最澄    〃 (天台宗)  山王一実神道  私の場合立場上(^_^;)ドンナタチバナノダ・・・いわゆる神道側からの見方が  強く現れていると思いますが、大日如来も天御中主神も本来は同じであり  人間の側が勝手にどちらの方が偉いと争っているに過ぎないのでは  ないでしょうか。  野に咲く花ならば、エネルギーを注いでくれる太陽を見上げて  そんな争いを起こさない筈なんですけどね。                           スサノオ 01551/01551 GBG02043 維/YUI 問い合わせ(^^;) (14) 93/12/08 14:55 HVHYぎちゃう 他 みなさまへ クニサヅチの奉られている神社って、どこだったかおぼえていませんか??? しってたらおしえてね〜〜〜!!!   m(_ _)m ヨロシクゥ 維/YUI。 - FARION MES(15):★平成松川塾◎日本を考える----------<01> 93/12/08 - 408/408 GFD00204 松川 貴     RE:誘導 (15) 93/12/08 00:52 407へのコメント  一輝さん  物心両輪という発想は私にはありません。私にとって〈心=魂〉は物を載せる土台 なのです。しかし唯物論者は「物が〈心=魂〉を載せる土台なのだ、そして土台の上 に載せられているものは、結局幻想(イデオロギー)に過ぎないのだ」と考えていま す。それが、科学的な真理だと思い込んでいるからです。  しかし、私は違う前提から始めるのです。〈心=魂〉が物を載せる土台なのです。 土台から物をはぎ取っても〈心=魂〉は滅びません。実際には何が滅びるのでしょう か。例えば、戦争によって滅びたものは何だったのでしょうか。それは物です。  しかし、このような話を聞くと誰かが必ずこう反論します、「いや、物ばかりでな く、たくさんの〈尊い命〉が滅んでいったではないか」。これが近代思想に毒された 現代人の口から必ず出てくる定型句です。言葉は出るが脳みそは動いておりません。 実際はそのように言うのが〈よいこと〉だと思い込んでいるだけです。  実際に滅びるのは〈物だけ〉です。もし人がこの地上において〈必ず滅びる〉と定 められているものに向かって──どんな愚かな人であっても自我を持った人間であれ ば〈人間も必ず死ぬ〉ということは知っています──「それは尊い」と言うのなら、 その時人は口の先では「命は尊い」と言いながら、実際は「物は尊い」と言っている のです。「いや、命がなければ理想は実現できないではないか」、確かにその通りで す。しかし、本当に理想を実現する力を持っているのは人間の肉体に付与された〈滅 びる命〉ではなく、人間の〈滅びない命〉の力以外にはないのです。物は理想を持つ ことはできないからです。  西郷隆盛は「人を相手とせず、天を相手とせよ」と言いました。彼の言う天とは、 宗教上の具体的な何かではなかったにしても、彼は自分の上に存在する超越的な何か を漠然とながらも感じ取っていたのです。それは幕末の志士たちも同じでした。りっ ぱなサムライたちは皆そうでした。  サムライは日本人だけのものではありません。そうではなく、日本人の中にサムラ イと呼ばれる人種がいたのです。ですからサムライ人種は国籍を問いません。世界の いたるところにいたんです。例えば、2世紀に生きたマルクス・アウレーリウスを見 てください。彼はこんな言葉を残しています。   今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、  話し、考えること。(『自省録』 P23)   (ある人は)祈る。「どうか私の子供を失うことのないように」と。ところが  君は「失うことを恐れずにいることができますように」と祈るのだ。(同 P158)   あたかも君がすでに死んだ人間であるかのように、現在の瞬間が君の生涯の終  局であるかのように、自然に従って余生を過ごさなくてはならない。(同 P115)  かつてルース・ベネディクトは自分の書いた『菊と刀』の中で、日本人は「死んだ つもりで生きるなどという。???まったく理解不能だ」などとのたまいました。そ う、彼女には理解できなかったでしょう。しかし、それは彼女がアメリカ人だったか らでも、白人だったからでもありません。なぜなら彼女と同じ白人が、しかも、かつ ての大帝国の皇帝として生きた人物が〈アメリカ人には(あるいは彼女自身には)理 解できなかったこと〉を述べているからです。彼女が理解できなかったのは、彼女が アメリカ人だったからではなく、サムライ人種ではなかったからです。マルクス・ア ウレーリウスの残した本は一種西洋の『葉隠』のような趣があります。そして、一方 では背景にキリストの余韻も感じます。彼自身はゼウス神の信者でキリスト教を迫害 する立場にいたにもかかわらずです。  〈命〉について人が本当に大切にしなければならないのは何なのでしょうか。それ は〈心=魂〉です。しかし現代人は──特に自分のことを知的だと思い込んでいる人 々は──「実際にはそのようなものは存在しない」と答えることが〈正しい人間〉の 〈反応〉の仕方だと思い込んでいます。  〈心=魂〉を〈人間自身の手によって〉滅ぼすことなど決っしてできません。しか し地上の人間たちは、口では「尊い人間の命」などと言いながら内心では「物に過ぎ ない」と思っている〈尊い人間の命〉を──唯物論的な考え方をすれば当然そうなり ます──自分らの手で滅ぼし得るし、また、滅ぼしてきたと思い込んでいます。精神 錯乱を起こしているからです。  人の心が〈滅びる命=肉体生命〉ではなく、〈滅びない命=心=魂〉に向かわない 限り、人間の悲惨は止まないでしょう。人は〈滅びない命〉を地上の経済行為のよう にして取り扱うことはできないのです。ただ物に対する利己的な心配や過剰な配慮の みが魂の力を弱めるのです。そしてそれこそが争いの原因ではありませんか。  〈弱者救済〉とは〈制度をいじることによって、弱者だと社会から見做されている 人々の欲望を、強者だと社会からみなされている人々の欲望と同じように平等に満た して上げること〉なのでしょうか。彼らはいったい何のために互いに権利を認め合っ ているのでしょうか。もし、得られた権利が平等におのれの欲望を満たし合うために 用いられているのならば、それは正しい行為と呼べるでしょうか。  人の心の中に住む悪しき力が〈見えない世界に属する法〉をねじ曲げています。し かし、神を知らない彼らには、そのような自分たちの行為を「善だ」と呼ぶしかほか に道がありません。自分の欲望以外、仕える相手を見い出せないのですから。また、 神を知っていると思い込んでいる者も実際は自分の欲望によって神を知っていると思 い込んでいるだけです。彼らもまた唯物論者の仲間です。彼らの地上での思いと行い が神に対してそれを証明するでしょう。  そのように法をねじ曲げて運用している人々は、すべて〈弱者〉と呼ばれるべきで す。〈強者〉と呼ばれうる人は実際にはこの地上にはほとんどいないのです。   隣人とは誰か。その人が苦しむどのような道においてもあなた方が助ける相手  であろう。その人が自分の足で立つことができるように助けよ。(ケイシー・リ  ーディングによる天使ハラリエルの言葉)  現在の私たちは〈自分の足で立つことができるようになるために〉助けあっている のでしょうか、それとも〈互いの欲望を認め合うために〉戦争反対を唱え、悪人狩り を行っているのでしょうか。神を知らず、魂を認めない者だけが、死を恐れ、〈互い の欲望を認め合うためだけに〉助け合うのです。彼らには〈隣人〉は存在しません。 ただし、自分のために〈市民〉や〈国民〉をこしらえることはあるにしても。   今こそ各人が誰に仕えるべきかを宣言する時である。国にか、人にか、都市に  か、それともあなた自身の中に教会を持つ神にか。(エドガー・ケイシー)   人を相手とせず、天を相手とせよ。(西郷隆盛)  このことを真に飲み込むことができない限り、サムライ人種にはなれません。  まだまだ言い足りないことがたくさんあるように思いますが、うまく言えません。 しかし、これが今の私の関心の方向なのです。これが私の大本です。  「一つ、大本を守って、それから、変化して往くのだ」  (勝海舟『海舟座談』岩波文庫P 53)  一つ、大本を守って、しかる後に地に向かうんです。今までの私の政治に関する発 言もここから発しているのです。                                   松川 貴 - FARION MES(17):★パワフルなえ★の《おふくろ通信》--<01> 93/12/08 - 707/707 JBH02324 なえ 元気録ぱわー《自分だけ》 (17) 93/12/07 11:54   《 自分だけは 》 もしかすると・・・・  ついうっかり世間に甘えてしまう お金を乱暴に使ってしまう  ついうっかりなまけてしまう   すぐに色恋沙汰になってしまう  ついうっかり気ままにしてしまう 無計画に事を運んでしまう  ついうっかり暴力を使ってしまう 生活が不規則になってしまう  ついうっかり威張り散らしてしまう 夜更かし朝寝坊をしてしまう  ついうっかり無責任にしてしまう 親をけなしてしまう  ついうっかりやけくそになってしまう 年寄りをバカにしてしまう  自分だけは大丈夫と思っていませんか  ついうっかり人生を誤ってしまうかもしれません